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国際は会場がガラガラなほど、国際プロレス感と風情があって悪くなかった。
その国際がなくなり、二団体時代と週刊誌時代が来てから
アンチ新日派の全日ファンは精神的におかしくなっていったと思う。 おお。その視点は鋭い。
自分に当てはめてもなんか頷ける。
下に居てそこよりは上だと思えて妙に安心していられた国際が居なくなったから
おしりに火が点いてしまったんだろうな。 >>139
それって新日より全日の方が下だって感じてたってこと? >>128>>129
力道山OB会が設立された時にメモリアルマッチに出てきたんじゃなかったっけ<吉村 >>129
96年の力道山メモリアルの時でなかったかな。
その時のセレモニーで日プロのOBがスーツ姿の中
芳の里だけ田吾作タイツだったような気がする。 >>138
>馬場のハワイは充電という特訓
輪島もデビュー前はハワイで特訓してたな
トレーナーはオコーナーだったか
なんとなくだが、輪島もテキサスのファンク道場よりハワイが似合うな
>新日は90年代サイパン特訓のイメージ
猪木はウィリー戦の前はパラオで特訓してたな。
サイパンは新日っていうか長州のイメージ
長州はなぜあんなにサイパン好きだったんだろう。
ちなみに俺にとって、サイパンは三浦さん最期の地のイメージ >>141
二団体時代と週刊誌時代が来て、全日と新日のどちらが上か下かがよく言われるようにはなった。
それを言い出せば、確かに〜と〜と〜では新日の方が上だが、〜と〜では全日の方がマトモだという事になるし、
見方や捉え方によってはマイナスはプラスにもなるし、プラスはマイナスにもなる。
自分はテレビ越しに伝わる新日の熱気と暑苦しさが性に合わないので、
チケットを買って会場に行く気にはならなかった。
ただ、プロレス週刊誌(紙)がどちらを多く、大きく扱うかと言えば、
視聴率と観客動員で圧倒的に勝る新日をより多く大きく、となるのは必然となる。
民間企業の発行する雑誌に二団体に対しての平等だとか公平なんてものを求める方がどうかしてる。
そこを理解出来ない感情的なアンチ新日派の全日ファンが非常に多かった。 >>145
あんた新日本の話題と全日本の悪口ばっかりだな ウィキではOB会会長になってから会場に姿を見せるようになった。とあるな
それにしても来歴が何気に凄い。
大正15年生まれ、海軍に志願して出征してる軍人あがりなんだな。
玉砕覚悟の神風特効隊よろしく外国人レスラーに向かっていく姿は
“火の玉小僧”の異名がピッタリだった。
血だるま、ローリングクラッチと正面跳びドロップキックのイメージがある。 三沢タイガー、もしくは三沢光晴はレイス、ウォリアーズと対戦有るのか?
川田は無さそうだな。
対ブロディも仲野、高木で組んだ6人タッグと87最強タッグだけか。
合宿所でいびられた小鹿、羽田にはリング上でフォールして超えさせてもらったことあるのだろうか。 七尾だかで天龍タイガー対ウォリアーズとカードにあったと思うが。 タイガー井上羽田対レイスマスカラス高野、武道館で実現してる。 >>146
事実を書いてるまでだよ。
当時、自分は10代の少年だったけど、離脱者が続出する新日本は少年の目から見ても異様で
内部に問題ありだと思ってたし、新日退社後に新間が出した本を読んで新日本の内部問題を詳しく知った。
ただしそれでもテレビ視聴率と観客動員は新日本が圧勝してたし、全日の視聴率と観客動員が上がったのは
長州軍団の登場によるものだった。
理由は簡単で、人気外人が絡まない全日勢同士だけのカードが退屈でつまらない物だったから。 >>136
そうそう
こういうのは実際の環境云々じゃなく
言葉で聞いた時のインパクトの問題だよね
実際の便や環境だけなら
「我々は大久保の新宿スポーツ会館のジムに毎日通いでトレーニングを…」サイコーになるw
関東近郊や木村の故郷の北海道あたりで「ええっ、そんな処で…」みたいな
なんか聞いたインパクトの強い地名とかだとどこがいいんだろう?
まあプロレス団体って基本国内で合宿は伊豆や伊東などの温泉地で
いかにも昭和の慰安旅行ってかんじの写真が掲載されるパターンだったよね
(大熊とか永源荒川とかが旅館の名入りタオルでねじり鉢巻きして走ってる写真とか) >>152
ぱっと見、エキサイティングで血わき踊り、ルックスやスピーディ(息は上がってるが)
猪木の眼光や体型とかが人気あったからね。
でも、格闘技世界一、初代タイガー、特にタイガーの大当たりが大きかった。
ゴールデンにあの動きされちゃファンも増える。
麻薬的魅力があった。
まあ俺は外人よりデカイ馬場に説得力感じてファンになったから、あくまでサブで新日見てた。
が全日にアレルギー反応する新日ファンはなぜか多かった。 >>152
> 理由は簡単で、人気外人が絡まない全日勢同士だけのカードが退屈でつまらない物だったから。
それは嘘だな。
何故ならそんな試合は前座でしか組まないからテレビで放映なんかされない。 >>140-141
どうだろう?
木村たちの新日登場と井上や原の全日登場を比べると、
マイナーな国際を露骨に蔑視し嫌悪してたのは新日ファンの方だったと思うが
>>153
秘境的なイメージってことでいうと、関東近郊なら富士樹海、北海道なら大雪山かな
高地トレがタイムに直結するマラソンじゃあるまいし、
まともな器具やリングもない山籠もりの成果なんて明らかに通常のトレーニング以下なんだし、
こういうのはやはりインパクトが大事
あといかにも山籠もりらしさを演出するには、滝つぼで滝に打たれている写真が欲しいな
そうなると、上の場所も再検討しないといけないけど 139と145,152読むと、三団体時代から見ているだけあって
客観的で冷静な分析だと思う。
きっと全日とか新日とかじゃなくてプロレスファンなんだろうね
自分もプロレスが好きなだけだから、異種格闘技戦になると猪木を応援したし
NWA世界戦になると馬場を応援するんだよね
ただ「二団体時代と週刊誌時代が来てからアンチ新日派の全日ファンは
精神的におかしく…」と
「…理解出来ない感情的なアンチ新日派の全日ファンが非常に多かった」
ここら辺が自分の見解と違ってて、別に精神的におかしくなってないし
感情的なのはむしろ猪木・新間に洗脳された新日ファンの方だと思ってる。
どっも好きだけど、新日本のやり方だけは嫌いだったね。 >>139
>その国際がなくなり、二団体時代と週刊誌時代が来てからアンチ新日派の全日ファンは精神的におかしくなっていったと思う。
逆だと思う。 そう、新日ファンは狂信的だったからな。 ソースは俺wwww
だって国際はタッグ王者がヤマハや永源、木村健あたりに翻弄されるし
全日は外人しか人気がないし、馬場はお笑いキャラだし。まあ鶴田しか認めるところは無かったもんな。
そんな三団体の状況からさらに国際は予想のまま崩壊し、標的を全日に絞ってさらに凶悪度が増したな。。w >>157
このスレは昭和の全日本を懐古するスレなんで新日本を持ち上げて殺伐とさせるレスは荒らしの元だと考えない? 国際プロレスがあった頃は週刊ファイトや月刊誌の読者投稿コーナーも
全日ファンからの新日への非難もほとんどなかった。
これが国際が潰れて二団体になって、その二団体の人気と紙面扱いの差がはっきり浮き彫りになると
全日派からの新日とメディアへの攻撃が露骨になっていったよ。
「この投稿が載らなければ週刊ファイトは新日の御用紙と見限り、二度と買いません」なんていう
キチガイじみた投稿を週刊ファイトが仕方なく掲載していたのが印象深い。 >>156
ヒクソン戦の前の船木に藤原が「山籠りに惑わされるな。山籠りしたって強くならない。マスコミへのアピールだけだ」
でも幻想的ではある。
青木ヶ原樹海で合宿を張り、たくさんの腐乱死体に遭遇し、出てこれなくなったら精神的に強くなるかなw
現住民がいる島、恐山・・・川口浩探検隊みたいになるな。 >>160
自分の考えを言ってるだけだし、こんなんで殺伐とかにならないよw
もし全日本や馬場のやり方とかを露骨に批判するようだったら別だよ。
猪木新日は出来もしない馬場との対決をイメージコントロールで世間に
仕掛け、新日を優位に伸し上げてきたから‥
そういう意味では、高橋本が出てのダメージは新日ファンの方が強烈だった
と思う。
あれだけ馬場を口激(利用)し、新日本こそはキングオブスポーツと謳ったのは
何だったのか…
過激なプロレスに幻滅し、去っていったファンは多かったと思う。
だから残ったプロレスファンは仲良くしようよ。 >>152
ジャパンが来て観客動員が上がったのは半年間だけ
85最強タッグは過去最低クラスの客入りだったろw >>161
ファイト自体新日寄りだったろ。
公平だったのはゴングか。
売れ行きは週プロだったが。 >>163
だが、馬場をお笑いといったり、佐山がテレビで露骨にアポーとか馬鹿にしてたのは
なあ。
前者はともかく佐山系は許したくないんだよな。 まあ、荒らしととれらるから。新日自体は見てたよ。
刺激的で全日にはない興奮が得られた。 >>163
>猪木新日は出来もしない馬場との対決
ファンの夢である馬場vs猪木の頂上決戦が実現できないのに
なぜアメリカではレイスvsバックランド、フレアーvsホーガンとかが実現できたのか?
シンとブッチャー乱入させて無効試合にしてBI砲復活にも繋げられるんだから、ファンの夢を実現するべきだった。
東スポ主催でテレビはテレ朝と日テレで同時生中継、
あるいはテレビ局との契約を更改を保留して、その間に対戦するよう設定することもできた。
藤波が熱望した鶴田戦も実現しなかったため、馬場がファンを裏切った。 >>161
>>165
ファイトは新日寄りというより新日機関紙に近いスタンスだった。
まあ、井上のファンジンと言ってもいいだろうな。 >>164
>85最強タッグは過去最低クラスの客入りだったろw
そうだったんだ。でもなんでそこまで新日との客入り差や視聴率差が出たんだろうね。
その時期の全日はジャパン勢もハンセンもキッド・スミスも健在のはずなのに。
新日は佐山タイガーとUWF勢とジャパン勢に抜けられた後の84年IWGPタッグリーグの
名古屋大会(愛知県体育館)で観客動員の最高記録を更新してる。
前回が15200人で今回(84年タッグリーグ)が15600だとか、キャパ7000〜8000の愛知県体で
あり得ないデタラメ数値を厚顔にも主催者発表してたけど、確かに完売に近いギッシリ超満員だった。
ゴールデンで放映してるかしてないかで、こんなにも違って来るもんかね?
まあ、元々の営業力にも差はあったんだろうけど。 >>165
ゴングは公平だったから部数で負けまくったんだよ。
ファンの数では新日の方が圧倒的に多いんだから、新日の誌面をより多くするのが当然なのに。 >>171
新日と全日の人気の差は
結末まで見せてくれるという期待感の差じゃないかと思ってる
もちろん新日も不透明決着なんて山ほどあるけど
ほぼ絶対的に不透明か何らかの言い訳を用意してる全日ほどはひどくはない 国際プロレスの他団体との交流や新日対Uインターの対抗戦を見れば分かるように
対抗戦なんて片方の団体が潰れる寸前の時しか実現しないんだから
全日対新日の対抗戦なんてありえないんだよ
どっちもTV局のバックアップがあったから
そこまで追い詰められてなんていなかったわけでね
ユセフ・トルコは「猪木は馬場戦馬場戦と煽っていたが本気でやる気はさらさら無かった」と
言っていた >>172
ゴングは竹内宏介が全日の解説ポストに就くくらいだし全日寄りだろ。
東スポは山田隆と桜井康夫がそれぞれ両団体への出向はあったが、
中立であるべき雑誌メディアの編集長が一方の団体と懇意になるのは公序的に反する。 >>173
新日は猪木は延髄斬りで
アンドレ、ホーガンを除き、
全外人からピン決着勝利するというクリーン決着があっただけだがな。 >>176
それが大切なんだよ
斬られ役のいない時代劇なんて面白くないだろ >>168
レイス対バックランドもフレアー対ホーガンも契約上何の問題もなかったから実現したんやないか。アホ。
テレ朝と日テレ同時中継とかアホか。
なんのメリットがあるんだよ。
馬場がファンを裏切った?どうしてもやりたかったら、猪木がオープン選手権に出れば良かったのに。ジャンボ対藤波戦が実現しなかったことはなんで馬場の責任なんだ?
ちょっと意味がわからない。 観客動員・視聴率共に新日の方が上なのは、営業力の差と日本人好みの
緊張感のある真剣勝負のようなファイトスタイルを新日が提供したことに対し
オーソドックスな試合結果が読めるアメリカンプロレスを全日が提供したことによる差だと思う。
何が起こるか分からないハラハラ感が支持を得たんだよ。
ただ猪木の挑発は上にあるユセフ・トルコの発言が全て。
米マット界の事情は知らないけど、全国ネットのTV局がバックにあり
団体エース同士の対決なんて有り得ない。
前にもどこかで書いたけど、日本プロレスが日テレ1局独占放送してる時が
唯一の対戦チャンスで、あの時の「時期尚早」判断が幻の対決にしてしまった >>175
BBMは局からのオファーは断っていたのか?
それとも声もかからないポンコツ揃い? >>179
日プロはあのまま続いたとして
馬場猪木の関係をどう扱っていくつもりだったのかね?
猪木が挑戦声明した時には
既にそれまでの日本人体外人路線のジリ貧が始まってたし
猪木の後には坂口も迫ってきてる
日本人対決に踏み切らざる得ないとこまで
すぐに来てたんじゃないか? ↑
ごめん。
「時期尚早」は猪木が馬場に挑戦表明した71年だから
すでにNET参入してて2局時代だったね。
同じ日プロ所属時でも無理なのに、独立して別団体なら尚更だよ。 >>181
そんな先のことなんか一切考えてないだろ、2局放映が続いて銀座で飲めればそれでいい。 >>179
いや、日プロは元々が日本テレビだけだったのが、ダラ幹連中がダブルでの放映権料欲しさに
日本テレビの了解なしに勝手にNET(テレビ朝日)を引き入れた。
日テレの最大譲歩として猪木をNETのスターにするのはいいが馬場・坂口はNETに出してはいけない
という条件を出して、一旦はダラ幹も飲んだ。
でもすぐに反故にして坂口をNETに出すようになってしまった。
猪木追放後は馬場まで勝手にNET中継にだすようになり、日テレの堪忍袋の緒が切れて
日テレが放映を降りて馬場に日プロを辞めさせて全日本を設立させた。
ダラ幹連中は高千穂クズ久と同じくらい魂の障害者だったよ。 >>182
実現できたとしたらNETの放送開始前だったんだろうが、
その時点だとまだまだ実績不足だったのに加え、東プロの一件があったのに
拾ってもらった恩義もあるし、確実に猪木の負けブックだったな
本人もそれがわかっていたから、その時点では対戦アピールはしていないし
そもそも対戦ムードも盛り上がってなかった でも馬場はチャンピオンカーニバルで鶴田と30分時間切れをやってるし、
猪木も新日版ワールドリーグで坂口と30分時間切れをやってる。
だから馬場と猪木でインターとUNのダブルタイトルで60分3本勝負をやって
1−1の後に時間切れでも良かった。
後楽園球場が満員になったろうし、視聴率も30%以上取ったんじゃないだろうか?
ただ、検討はしたかもしれないが当時の馬場のスピードやスタミナを考えたらもう無理で
ボツになったかもしれない。 猪木は馬場の上に立ちたい願望が当時から凄かった。
いつまでも対戦が認められなければ遅かれ早かれ独立していた筈
馬場は「会社が決めてくれれば、僕はいつでも受ける」と表明してた。 >>186
馬場猪木戦の後楽園球場での開催は
一応は検討はされたらしいね 結論としては馬場と猪木の全盛期が微妙に違ってたことと、
幹部連中が甘い汁をいつまでも吸っていたかったこと。
だからこうなった。 オープン選手権中の12.11力道山十三回忌追善特別大試合は、蔵前で猪木vsロビンソンが入っているから出れない。
そうすると、馬場のプランだと最終戦の1496席の川崎市体育館で馬場vs猪木戦かw >>186
>>188
引き分けでは、追う立場の猪木/NETはともかく、追われる立場の馬場/日テレにはメリットがない
それに試合後に必ず出てくる再戦ムードをどうするのか。
どっちかに勝たせるのはもちろん、再度の引き分けも難しいし
大物外人(あの当時ならデストかブラジルあたり?)や大木の乱入での不透明決着もまず無理
どう検討しても結論は「不可能」しかないよ。 昔のゴングが出してた本で
猪木の馬場への挑戦表明の全文を読んだことがあるけど
そこで語ってる日本人対決や世代交代、中堅の底上げ、団体交流とか
今ではどこの団体でも普通にやってることばっかりなんだよな >>192
当時は民放2局放映とか、今はどこの団体もやれてない環境だったから仕方ないだろ。 オープン選手権は馬場が猪木に対戦のチャンスを与えた最初で最後の仕掛けで
これは猪木が絶対乗ってこれないと見越しての皮肉なやり返し。
新日は武道館にゴッチを派遣する案もあったが、立ち消えになった。
(その時はマードックが用意されてたらしい?) 今までの長い歴史で見れば主流として日本人対決に帰結してるな。人気外人が堂々とメイン張ってたのはやっぱ昭和までか。
それまでも新日は言うまでもないが、国際もリーグ戦以外でのエース対決はあったし、交流戦も積極的だった。
馬場のスタンス(的なもの)を否定するわけではないが、殺伐とした日本人同士の緊張感、高揚感のあるカードが興奮するよね。。 >>194
当時のゴングの馬場のインタビューで、オープン選手権で猪木が参加すれば、はっきりと馬場対猪木戦、可能性ありますと言っていた。
猪木が、不参加を見越しての発言はありありだが、万が一猪木が、参加しても連日あの強豪外人らと戦い、負傷したりして対馬場はたどり着けない馬場の計算だな。 新日本が絡むと殺伐だけど全日本国際はそうでもなかったな
ましてや今の日本人対決とかほのぼのだろ 「対等合併だと聞いていた!」
「日本テレビに頼まれたから来てやったんだ!」
死ね。 全日国際提携時代は馬場木村戦も鶴田木村戦も実現したが、新日国際提携時代は
藤波原戦くらいしか実現しなかったからな。結果的にだが国際がなくなってから
猪木木村戦が実現したから、みんな勘違いしているところはあると思う。 インター王者→大木
インタータッグ王者→大木・上田
UN王者→高千穂
死ね。 >>199
国際のエースだった木村が、74年に離脱した元エースの小林と対戦して
夢のオールスターでリングアウト勝ちしたのが79年
初めて完全ピン勝ちしたのはさらにその翌年
とっくにトップから脱落していた小林と木村の序列を逆転させるのにもこれだけ大変だったたんだから
馬場と猪木の序列を完全決着で逆転させるなんて絶対無理だよ 力道山は木村政彦と山口敏夫と対戦して勝って二人の団体を潰したが
別に力道山が強かったから勝った訳じゃなくて、二人の団体が日プロのせいで崩壊寸前だったから
話し合いの末二人に負けブック料払って撤退してもらったという説がある >>163
>だから残ったプロレスファンは仲良くしようよ。
これに尽きる。 >>201
ごめんなさい、私が>>199で書いてる意味とは違う。私は>>195に対して書いた。
猪木小林戦は実現したが、この時の小林は「他団体のエースを辞めさせた人」。
猪木木村戦は実現したが、この時の木村は「潰れた他団体のエースだった人」。
新日国際提携時代とか、猪木は他団体所属選手との対戦に全然積極的ではなかった。 >>186
それに、猪木なら
どんな汚い手を使ってブック破りしてくるかわからないって、警戒もしてたからだろうな。
まさに力道山と木村の再現。
信頼できる者同士でないと、試合なんてできない。 >>190
川崎市体育館ってそんなに小さかったか?
座席数も2400人の横浜文体より少し少ないくらいの感じだったが。 >>205
196だが、元プロボク編集顧問が考えたのか。
まだ小学生だった俺は、猪木が参加かな?って思いを寄せたもんだがw
ネットが普及し今だから判ることが多いな。 >>156
「大雪山で山籠もり特訓」
これが聞いた感じカッコイイなw >>186
あと坂口はともかく
猪木馬場が一回でもやっちゃうと結果の如何に拘わらず
ほら、あの人がまたなんか面倒くさいこと言いだしそうでw
インター王者とUN王者が真の王座を賭けて戦うなら
アジアヘビーのベルト持った私にもその資格がある
真の日本一を決めて今度こそ二代目力道山の名跡を…とかwww >>.209
絶対王者時代の小橋が本田多聞を帯同した
合宿特訓でヒグマの像にラリアットかましてたことあるけど、
あれひょっとしたら大雪山だったかも >>212
小橋の特訓で思い出したけど東スポで小橋が蒸気機関車が展示されてるところで特訓して
機関車ピストンチョップだかなんだがの新しいチョップ編み出してた記事を覚えてる
こういう胡散臭さは大好きw >>186
1−1からの時間切れでもいいから・・なんて言うが、信頼関係が無いからダメ!
前田戦をやらなかった猪木と一緒 猪木の執拗な馬場線アピールに対して鶴田は
「あの人そのうち自分が同じことやられますよ。そうなったらどうするんだろう」と
か言ってたけど、前田がそれを実行したな
テレビ局や契約の問題もないのに逃げる猪木はただただみっともなかった。
あの時猪木は馬場の気持ちがよくわかっただろうな 猪木は前田日明の挑戦から逃げ
前田も佐竹雅昭の挑戦から逃げた そうなると佐竹は凄いな
いろいろな人とやりまくって負けまくったけど >>215
その鶴田の台詞は実に正論で鶴田らしいけど…
でも当時のファンが期待してたのは
実際には実現性なんか無くとも
(そしてそれに皆薄々気が付いていても)やっぱり
「来るなら来い、馬場さんの前に俺がやってやるよ!」
「俺が全日のマットを守ってやるよ!」
って熱く言い放つ鶴田だったんだけどなあ >>218
新間寿「猪木と本当にやる気があるなら新日本の蔵前大会に挑戦状を持ってこい。」
と客寄せに使われるのがオチだな。 >>218
鶴田は顔じゃない。
うちの木村健吾でも勝てる
とかなんとか言われたんじゃなかった? 後にUインターが「一億円で招待状」をやって
長州が激怒していたけどあれってかって新日が全日に対して
やっていた事のコピーなんだよね 確か黒パンに変えて間もない頃だったと思うが、
鶴田が一度だけ「猪木さんと戦ってみたい」とか言ってたのが東スポに載ったことがあるんだよ。
猪木は「十年早い」「藤浪の方が上」とか相手にしてなかったが、
多分その時馬場に「相手の話題作りに利用されそうなこと言うもんじゃない」とか
こっぴどく叱られたんだろうな。
次に鶴田のその手の発言が出たのは、引退が決まった後で
「前田とやってみたかった」って言った時だったはず。 トルコ「馬場、ファンのために最後に馬場vs猪木戦をやれ。収益は恵まれない子供達に寄付するんだ。
そうすれば馬場vs猪木戦をやる大義名分もあるだろ」
馬場「分かりました。先輩、やります」
トルコ「帰って元子にひっくり返されるなよ」
馬場「大丈夫です」
後日・・・
馬場「すいません、カアちゃんがダメと言ってます・・・」
トルコ「テメエ、この野郎、ぶっ飛ばすぞ!!」
トルコによると「猪木&藤原vs馬場&ハンセンorラッシャー木村or渕」 しかし日プロのダラ幹連中はどこまでバカなんだろうか?
会社乗っ取りのレッテルを貼って猪木を通報したまではいい。
でもNET中継の顔だった猪木をクビにして、代わりのNETエースを立てないで
馬場を勝手にNET中継に出して日テレを激怒させて日テレから切られてるんだから。
しかも馬場を引き抜かれて。
その頃、猪木はカール・ゴッチをブッカー兼・外人エースに据えてたんだけど、
ここに答えがあるのに。
つまり、前年(昭和46年)の国際のIWAリーグ戦でゴッチと引き分けて準優勝してるビル・ロビンソンは
3年前は日本のプロレス史上初の外人エースをやっていて、人気もあった。
昭和43〜44年当時の日プロのゴッチ教室と共に国際プロのロビンソン教室も有名だった。
しかも、昭和47年当時、ゴッチは既に50才だったがロビンソンは確か馬場より2才くらい年下だったはず。
昭和46年当時の猪木の日プロでの年俸と同額を提示すれば
アメリカへ渡ってもなかなか売れないロビンソンは飛び付いただろう。
猪木が国際からゴッチを引っ張れたのは、ゴッチが国際と年間契約をしてなかったから。
当然、ロビンソンも国際と年間契約があった訳じゃない。
だからロビンソンを坂口と2枚看板でNETのスターに仕立て上げるべきだった。
インター王者・馬場、インタータッグは馬場&坂口(日テレ用)、
UN王者にロビンソン、アジアタッグを廃止して新設UNタッグ王者にロビンソン&坂口、
12月のNWAタッグリーグはロビンソン&坂口が優勝、
これをやれば2局放映が続いたものを。
芳ノ里と吉村は只のバカ、遠藤幸吉と九州山はリアル障害者だ。 >>225
日米で自分勝手な試合をする、人間性も酷評されると悪評のロビンソンをエースにしてうまくいくわけがない。 だいたいね、昭和47年って普通の年じゃないんだよ?
オリンピックイヤーなんだよ?
ダラ幹障害者は毎日銀座で遊んでないで、鶴田友美や吉田光雄に唾を着けておくべきだった。
スーパートルコで接待しまくって、2局放映をバックに契約金をドンと積む。
柔道の坂口は旭化成の社員だったけど、アマレスには当時その道は非常に少なかったからね。
鶴田と吉田以外に、もう一人くらい、重量級から引っ張れたろうに。
数年後にトップに立たせるはずだった猪木を追放しておいて、数年後をどうするのか、
全く考えてないんだわ、ダラ幹障害者の連中は。
坂口はショッパくてプロレスセンスが猪木より格段に劣るのは明白であり、
腰が悪いから猪木のようなブリッジで魅せるレスリングはおろか、ブレーンバスターひとつ満足に出来やしない。
ドリーvs猪木で目の肥えたファンに馬場や坂口では人気は長くは持たないのが
解らなかったんだろうか?
だからこそのロビンソンや鶴田の獲得なんだが、誰も考える奴は日プロにいなかったのか? 力道山も馬場と猪木の未来像は描けても、幹部になった弟子達までは
想像出来なかったんだろうな〜 >>220
新間「ウチのタイガーとどう?」
大仁田「…いつでも」
新間「大仁田がタイガーに挑戦してきた!」
こうだもんな >>225>>227
猪木の追放を強硬に主張したのは日プロ選手会だった。
そしてミツヒライは若手まとめていたと言われる。 新日って「挑戦」を使うのが好きなんだよね。
ブロディ移籍のときも猪木が「とんでもない奴から挑戦状が来ているんですよ、ムフフ」なんて言ってたし。 >>223
おまえなあ、よくおぼえとんな。
それははちじゅうにねんだぞ。
だいにかいおーるすたーかいさいないていのときだ。
いのきからはだめだしされてたな。
とうじのごんぐにそのきじはあったぞ。
いのきからは『じゅうねんはやい』ときゃっか。
『すべてにおいて、ふじなみがうえ』とも。
ただ『いいそざいではあるからもったいない』と。
これは、ほめるようでさらにだめだし。 唐突に話題がそれてすまん
全日10周年の蔵前や、1981最強タッグの時期
ある程度の認識できてたファンはどんな心境やノリだったの?
ある程度ってのは「リング上のレスラーの抗争や熱闘」だけでなく
「観客動員の実情も含む、興行戦争」や「引き抜きなどのパワーバランス」などのリング外までも見てた人
前置きが長くなったけど、10周年のメンツや最強タッグのメンバーを見ると、確かにネームバリューは凄いかもしれないが
今の目線だと「昔の名前で出ています」的な将来性もを考えると?がつくメンバーにしか見えない
結果的に最終日にハンセンが登場し、1982年への楽しみや興味もつながったけど、それまでの状況はあのメンバーでもファンはノレてたのかな?
ブッチャーがいないし、マードックもいない、戸口もいない
もちろんハンセンはまだ登場してないし、目新しいのはブロディとスヌーカぐらい?
シンや上田、クラップ、引退カウントダウンのファンクスのテリー、あとNWAとAWAの大御所
今だとうーん…て見ちゃうんだけど、同時期にアンドレvsハンセンとかで外人でも凄い試合をやっちゃう新日をを横目に見ててもどうだったんかな?とかね。
もちろん自分も見てたけど、子供過ぎてただ「怖いメンバーばっかだな」ぐらいに認識してただけだったんで…
全日の外人も含む将来なんかも含めて楽しめてたの? >>226
お前の脳は芳ノ里レベルだ。
ルックスがまあまあで実力があって人間性もまあまあなら、とっくにAWAで王者か
時期王者候補の筆頭になっとるわ。
それじゃあ日本に「NETの新エース」として呼べる訳がないだろうに。
ドリーなら、髪さえあれば、あっさりと猪木の代わりが務まるが
現役NWA王者や王者退任直後のドリーが日本の団体専属でやれる訳ないがに。
仮にやれてもハゲだし。
だからそれなりの容貌と実力はあっても性格に難アリのロビンソンを使うんだよ!
「馬場はレスリングは全く出来なかったが、待遇は良かったから
プロモーター馬場には感謝している。」
というロビンソン談が示すように、彼は性格に難アリでも仕事は仕事としてこなす。
鶴田とは名勝負となるフルタイムやUN奪取だけでなく、負けてのタイトル返却もやってるし
馬場からは見事に2フォール奪われて負けてる。
PWFをブッチャーに取られた時も、屈辱の10カウントKO負けを飲んでる。
天龍の引き上げにも一応貢献してる。
そもそも人間性を問題にするんなら、大木金太郎よりマシなら、それでいいんだよ!
だいたい、それを言い出せば馬場だって猪木だってブッチャーだって人間性に問題アリだろうがっ!
しかも、ロビンソンに10年間エースをやらせる訳じゃない。
飽きられるまでの《つなぎ》の2〜3年でいいんだよ!
その間に鶴田をしっかり育てりゃあいいんだし、何よりTVなしの新日本は2年で必ず潰れて
負債を抱えた猪木が自民党幹事長クラスとNETの口添えで日プロに2度目の出戻りをして来るから。
実は日テレの口添えになるかもしれない。
昭和49〜50年になれば、もはや馬場ののっそりプロレスでは視聴率が取れなくなるから。
だから何としても日テレとNETを離さない為に、2〜3年の間、
猪木の代わりが務まる《代役エース》が必要なんだよ!
ワカッタかっ! 芳ノ里猿めっ!
罰として遠藤幸吉の腐った糞をバケツ山盛り喰って死ね。 新日派と全日派で視点は違うだろな。俺は親日派なので10周年蔵前に関しては外人メンツはこっち(新日)が劣るが
向こうも新鮮味がないし、ただの顔見世興行程度。要は「テーマ」のないイベントという印象だった。
新日は猪木と木村を始めとした軍団対決(3人だけどw)や新顔のブッチャー、タイガーマスクへの期待等。
逆に全日でのシン(&上田)ってももう外人はお腹いっぱいでしょ、ってのがもっぱらの感覚。
年末タッグも似たような感覚だったが、まあ最後の最後でハンセンにやられたなw >>233
そんな不安を感じるなら
カーニバルと最強タッグ、それにカーニバル優勝でいつになく期待の高まった
鶴田が挑戦したNWA戦をやった5月の札幌と
マスカラス傘下のサマーアクション2、テリーが特参したジャイアントシリーズ
後半以外はガラガラの連続だった前年80年の時点でもうなってるってw
ブッチャー抜けた穴が思ったより小さかったんで一安心してたくらい
もっとも実際にはこの穴はハンセン人気をもってしても防ぎきれない致命的な
ものだったけど
会社としての全日は息を吹き返したが、古き良き全日の風景は消えた しかし馬場も猪木・坂口もTV局が付いての独立後になんでロビンソン獲得に動かなかったのかね?
馬場は手薄な日本陣営を埋める為に国際プロからサンダー杉山を借りたけど、
杉山じゃ馬場のパートナーとして猪木や坂口には大きく劣る。
同じく日本陣営に入れたデストロイヤーも力道山時代の人だからね、と言うより、
デストにベビーフェイスをやらせても、技も動きも退屈で、デストが日プロ時代に魅せてた
凄みや恐ろしさがみんな消えてしまってたよ。
やっぱりデストロイヤーには、日本人レスラーを痛めつける凶悪外人が向いてた。
一方でロビンソンは、その後(昭和50年)に猪木と60分フルタイムの名勝負をやってのける現役最盛期で、
でもアメリカじゃパッとしないで燻ってた。
「全日本に日本陣営として年間契約で入らないか?
今の年収の3割増しでどうだい? しかも米国と違って異動交通費もホテル代も会社持ちだよ?」
これでかなりあっさり飛び付いて来たと思うんだけどね。
そうすりゃあ、デストロイヤーも白覆面の魔王として絶対的ヒールの強豪として使えた。
結果論ではあるけど、デストを噂のチャンネルでコミカルタレントにしても
全日の視聴率や観客動員に活かせなかった訳だし。
新日ならNETが付いたらすぐに猪木のライバルとして採るべきだったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています