【馬場】BI抱を考える【猪木】
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>>119
戦前のアメプロなんてみたことないもの語れないわな。 力道山が健在だったら日本プロレス界はどうなったのか‥
64年以降は高度成長期の波に乗って実業家の方に力が入り
後は猪木が辿ったように政治の世界に行きそうな気がするな。
プロレスは当面は豊登に任せ、人気の推移を見ながら馬場と猪木を競わせる。
二人がライバル心を持ってるのは把握してるので、それを上手く利用して
ワールドリーグ総当たり方式にしたり、馬場がトップになれば猪木の挑戦を
受けさせもしてプロレス人気を盛り上げる。
また彼が存命時なら、離反とか新団体は許さず全力で潰すだろう。
高度成長期が終りになったり事業が失敗するようになると現役復帰するが、
体力の衰えから影響力が薄くなり内部から改革の機運が高まる。
その時一線を退いて後身に道を譲れば割と上手くいくだろうけど、
道を誤ると日本プロレスは分裂するだろう。後の歴史が物語ってる。 >>129
力道山は馬場のような才覚がない
それと、朝鮮人特有の自己顕示欲の強さで崩壊してたと思う 力道山才覚が無いとはまた珍説。
力道山でなけりゃあそこまでのブームは起きてないよ。木村や遠藤ではね。 馬場と猪木に関しては驚く程言い当ててる。
『コイツら二人はきっと将来モノになる!まず馬場の方だが、オレの後継者としてエリートコースを歩ませ、大事に育ててやろう。そして猪木の方だが、
コイツにはあえて理不尽にきつく当たってやる。
そうして馬場の方には王道意識を叩き込み、猪木には反骨魂を燃やさせる。
そうすればこの二人はいいライバル関係となって後のプロレス界を盛り上げてくれるだろうよ。』
その後、正に力道山の思惑通りになった。 猪木は馬場より先に入場し、馬場より先にコールされるのが嫌だったんだな。
馬場にすりゃあ勝手にライバル視されるのもウザかったろうに… 果たして力道山が生きてたら、
馬場と猪木に師匠超えを許しただろうか? 力道山て朝鮮人特有の嫉妬の塊の人間だろ
長州や前田なんか比較にならないほど狂った奴だったんだろな
朝鮮人版ブロディみたいなもんか
どっちもヤクザにやられるくらいの 猪木は手強い外人を攻めきれず、仕方なくパートナーの馬場にタッチして何とかしてもらう、
というのがBI砲のお約束のシーンなわけだが、
なんとそれを猪木は夢のオールスター戦でも演じてみせたのには鳥肌が立った。
延髄蹴りを何発喰らっても倒れないブッチャーに手こずる猪木は馬場にタッチ、
馬場はそのブッチャーをロープに飛ばして16文キックで豪快にぶっ倒した。
お互い別々の団体のトップ同士となっても、馬場と組んだら自分はナンバー2のポジションに戻る
という猪木の器のデカさに泣けたね。 今日9月30日は、BIが揃ってデビューした日だよ〜 >>34
そのデータは何情報?
アーチムーアとの勝敗は、馬場の言うことがコロコロ変わるんだよな。
東スポと大昔に連載されてた馬場の超ロングインタビューでは、負けたって言ってたんだよ。
それが、いつからか「引き分け」に変わって、
著書の王道十六文では「体格が違いすぎて楽勝している」になったるんだよな。
でも、まあ負けたんだろ。 >>92
2回目の全日ドームは、馬場引退興行の予定だったらしいぞ。 >>107
ブルセラなんて思いもせんかったわ。
お前がロリコンなだけだと気づけ。 馬場の遺産と猪木の借金が同じ額だったってどこかに書いてたけど、
本当なのかな…w アリ戦の9億とも言われる借金は完済したし、その後の格闘技シリーズや
自身の世界的名声を生んだから良いけど、
アントンハイセル事業が、群がった詐欺師に騙されることなく
ブラジルの長期インフレさえ起こってなければどうなっていたのか…
猪木は個人事業に新日本本体を巻き込んだから、タイガーマスク引退や長州ら維新軍の大量離脱と、プロレスの歴史が変わることが起こってしまった。 >>146
さとうきびの皮がブラジルの気候風土じゃ発酵しないから、どうしたって無理でしょ 最終的にハイセルの借金5億は自らのドーム引退興行で完済したようだけど、
あの大量生産使い捨ての時代にリサイクルや食料問題に地球環境と、一石何丁もの問題を解決出来ると妄想して…
リングの中だけで大金を稼げるレスラーだっただけにもったいないね。 >>113
88/8/8
「まだやれる」「まだ辞めてもらっては困る」の次期だったよね88年は。 >>149
失礼
そうだよね。どこかで読んだ話が本当かどうか分からないし、猪木の名誉に
関わることだからね。 >>150
雰囲気は引退ムードだったけど、おそらくヘビー級に転向して全盛期だった
藤波と互角に渡り合ってたから、仰る通り「辞めてもらっては困る」感じだったね。 馬場はサンマルチノからキャデラックを譲り受けた話が有名だけど、
猪木の愛車って何なの? 子供の頃は猪木は金持ちのイメージだった
でもアリ戦の借金等で周りが思うほど金は無かった 大仁田はあの通り血の気の多い短気な性格だから、
新日の選手やファンが全日に対してあれこれ口撃してくるのに相当腹を立ててて、
それを静観している馬場にも不満で「なぜ言い返してやらないんですか」と食って掛かっていたが、
ある日偶然猪木が馬場にすごく低姿勢で接しているのを見て、
「あ、これじゃ相手にする必要ないわけだわ」と、それ以降は何も言わなくなったらしい >>156
血の気が多いふり
ハマコーにキレられた時に、こいつはただの在日の小心者と分かったわ >>158
あったなー
「悪魔の囁き」とか何とかじゃなかった?
最初は威勢良かったけど、途中から怯んでたようなw
大仁田は全日時代からやることが何か空回りしてたが、
後に捨て身でブレイクするとは想像できなかった。 >>153
そもそも猪木って免許持ってたっけ。
そういう話聞いたことないぞ 猪木の現役時代は、キャデラックのエルドラドとリムジン・リンカーンだって >>163
アメリカ修行時代は自らハンドルを握り長距離運転手になる 前田日明は、小鉄さんのキャデラックのエンジン音が聞こえるたびに、
道場で震え上がっていた。
後に前田がリングスで、愛車GT-Rを使って同じことをやっていた。
鶴田はフォルクスワーゲンやベンツのドイツ車からスズキのランディまで
藤波はカマロが有名だけど後の愛車はベンツ >>165
小鉄と前田は全く人望がなかったね
また、あの二人を良く言う人もいないね 1972年の今日、22日町田の前夜祭を経て全日本プロレスが日大講堂で旗揚げした。
観衆6100人
20分1本勝負
鶴見五郎(11分45秒体固め)藤井誠之
百田光雄(12分48秒逆さ押さえ込み)デビル紫
30分1本勝負
ジェリー・コザック(13分38秒体固め)佐藤昭夫
ドン・デヌーチ(15分5秒体固め)サムソン・クツワダ
テリー・ファンク(17分23秒体固め)サンダー杉山
タッグマッチ45分3本勝負
大熊元司&マシオ駒(2ー1)フレッド・ブラッシー&ダッチ・サベージ
@駒(12分23秒体固め)サベージ
Aブラッシー(2分20秒体固め)大熊
B大熊(5分6秒体固め)ブラッシー
世界ヘビー級王座争奪戦第一戦60分3本勝負
ジャイアント馬場(1ー1)
@サンマルチノ(19分42秒エビ固め)馬場
A馬場(8分18秒体固め)サンマルチノ
B(3分15秒両者ダブルフォール) >>170
そっか、デヌーチはこの時いたのか。
で、81年10周年記念大会にも参加したのか。
ま、ブルーノはわかるけどデヌーチは。
デヌーチは大型だったけど地味すぎた。 BときたからIの方も
1972年3月6日 大田区体育館 観衆不明
15分1本勝負
エル・フリオッソ(4分20秒エビ固め)藤波辰巳
イワン・カマロフ(12分20秒体固め)木戸修
20分1本勝負
魁勝司(15分16秒エビ固め)ブルックリン・キッド
30分1本勝負
柴田勝久(17分両者リングアウト)インカ・ペルーノ
タッグマッチ60分3本勝負
豊登&山本小鉄(2ー1)ジム・ドランゴ&ジョン・ドランゴ
山本(20分体固め)ション
ジョン(10分10秒体固め)山本
日本組(6分36秒反則)外人組
時間無制限1本勝負
カール・ゴッチ(15分40秒体固め)アントニオ猪木
(ちなみに藤波辰巳は当時10代で、今も現役) >>172
親分サンマルチノの縁故で付いてくるジローラモw
エアプレンスピンをもっと活用すれば、そこそこ活躍できたのに… イタリア系レスラーのサンマルチノ、デヌーチ、プグリシー、ミラノは初期の全日で活躍した印象
日プロ時代はプリモ・カルネラ、レオ・ノメリーニ
新日には射殺されたディノ・ブラボーなんかいたね。 >>66-67
鶴田も微妙に一般的とは言い切れない名字で(鶴田浩二がいたけど)
昭和50年代迄はプロレスと愛称の良い名字だったと思う。
あとジャイアント→ジャンボってのが馬場の後継者っぽくて合ってた。
(英語だとGとJだけど、日本語だと同じ"ジャ"で始まって語呂も良い!?)
もし坂口が全日本に行っていたらジャンボ坂口になっていたかなぁ?
(海外遠征時はビッグ・サカだっけ) デヌーチはサンマルチノの子分格でブラッシーと共にサンマルチノが連れて来たようだ。
テリーとコザックはアマリロルート。コザックはドリー・シニアの番頭格で馬場とシニアの強い結びつきを感じる。
サベージはどちらのルートだったんだろう? >>178
サベージは60年代半ばと古いけど、アマリロ地区でファンク親子と絡んでるから
シニアルートじゃないかな。 >>177
カタカナのリングネームは最近流行らないけど、いっそ本名以外禁止にしたら
どうかな?
馬場正平、鶴田友美、猪木寛至、吉田光雄…
馴れれば馴染むような気もするがw 小林省三、井上末雄、浜口平吾、木村政雄、草津正武、田中隆雄、原進、八木宏
米良明久、小鹿信也、上田裕司、小沢正志、表正徳‥‥ 死神酋長、大熊熊五郎、林牛之助、上田馬之助、高崎山猿吉、小鹿雷三、覆面太郎、
フランケンシュタイン馬場、マンモス(ゴリラ)鈴木… 馬場ってジムトレしてたのかっつーくらいにヒョロかったよね >>186
日プロ時代は大胸筋や腕の筋肉も張ってたし、全日本でも間近で見るとゴツかったよ。
巨人症だから見栄えはしょうがない部分でもあるね。 ジャパンプロレスのレスラーが全日の練習を見て新日との違いに驚いたらしいね。
とにかく全日(馬場)は受け身の練習量が新日と比べて100倍多くて、
新日はシュートのスパーばかりで、受け身は空いてる時間に勝手にやれという
マスコミの取材が入るとバーベルやスクワット、プッシュアップ、コシティを見せ
普段はシュートの練習が殆んど。(マスコミの前ではシュートを見せない猪木の方針) 長州は2度最強タッグで馬場と対戦してるけど、
脚力の強い馬場にはサソリ固めを1度も掛けられなかった。
また新日出身らしく「プロレスは攻めたもん勝ち」の考えだったが
猪木と正反対の馬場の姿勢、黙して多くを語らずだが
「馬場さんはプロレス界全体を考えてる凄い人」と武藤との対談で語っている。 G・馬場の日本プロレスでの最盛期(1966年頃)を
当時の日本プロレスリングコミッショナーの
川島正次郎が観戦し、その腕の細さに呆れかえって
帰ったという逸話もあるけれどなwww コミッショナー川島正次郎や大野伴睦・椎名悦三郎は当時の自民党副総裁
右翼の超大物・児玉誉士夫に、興行界のドン永田貞夫や新田組長
関西興行は山口組田岡組長、東京方面は東声会の町井会長が仕切っていたりと
力道山時代の日プロって……
79年に新日と国際が二階堂進をコミッショナーに立てたが
プロレスにシナリオの存在があることが公然の秘密として明らかになると、
有力政治家が居なくなったね。 >>791 有力政治家がいなくなったのと、仕組みが明らかになった時期は全く違う >>176
ミラノは、むしろ日プロの方が
活躍しただろ?
初来日1968年にはインタータッグに
挑戦しているし、翌69年には
ザ・ブッチャー(ドン・ジャーディン)と組んで
BI砲にも勝っている(3本目反則勝ち)だが
全日本ではマスクを被らされたり
揚げ句の果ては「死んじゃった」コールを
浴びて、それが最後に来日となった。 >>197
「死んじゃった」コールは調子に乗りすぎだな。
国民のレベルが疑われるよ。
日プロ時代は知らないけど、バラクーダは強かった印象がある。
決め技はミラノと同じ(当然)だが、ジャンピング・パイルドライバーで
トリプルHのペディグリーの原型のように見える。
素顔とマスクマンを使い分ける選手はティム・ウッズ、サイクロン・ネグロ等いるが
覆面十番勝負用に作られた中では、バラクーダとスピリットが素顔より良かった。 >>191
福井大会で馬場と長州の6人タッグが実現してるけど意外と知られていない >>203
田舎も何もそんな試合は存在してないの。
昭和全日スレで散々やってるからw 向こうの有名なレスラーが俺に言ったことがあるんだよ。
「どうして日本人は馬場と猪木を対等に比べるんだ。
我々から見たらミスター・ババとあんなアントニオ・イノキなんて、大人と子どもぐらいの差がある」ってね。
日本のファンだけだな。馬場と猪本が対等だと思っているのは。 >>205
そうだろうね
馬場なんて瞬殺されるのは、あほな外人でも分かるわね 俺は常にトップを狙っていた頃の猪木と、後ろでドンと構えていた頃の馬場が組んだ
BI砲の時代が一番好きだな。
猪木がライバル視していてもコンビネーションは抜群に良かったし、
同士討ちなんかも無かったように記憶している。 >>205
有名なレスラーの名前を伏せるのは何故だ? >>202
ウソつけよ。
薗田が入って両リンなんてない。 >>205
馬場には「ミスター」で、猪木には「あんな」
両選手とおそらく何度も対戦している外国人レスラーだよなー
ブッチャーか?シンか?ハンセンか? 三羽烏でガチ最強と言われたキムイルが言うなら間違いないな 歌舞伎や金一みたいな日プロ道場出身のレスラーはやっぱ馬場の方に軍配を上げるんだな
馬之助みたいに私怨絡みじゃ無い奴は 大木で確定なの?
受けた扱いを考えると、ブッチャーかと思った。 >>218
ガチならアトキンス直伝の馬場の裏技が前田に火を噴くぜ 力道山がマッチメーカーになったとして、
馬場×猪木戦はどうなるか見てみたい。 >>221
そんなの馬場の勝ちだろ
まあ、当時なら3本勝負だろうが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています