【ダブルアーム フロント】昭和の全日本プロレス73【サイド ジャーマン】
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過去スレ
【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】
【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】
【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】
【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】
【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】
【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】
【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11)
【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】 【世界王座】昭和の全日本プロレス26【争覇戦】
【メフィスト】昭和の全日本プロレス27【マーシャルボーグ】
【桜田】昭和の全日本プロレス28【轡田】
【駿府会館】昭和の全日本プロレス30【九電体育館】(実質29スレ)
【三沢タイガー】昭和の全日本プロレス31【川田大笑い】
【PWF杯争奪】昭和の全日本プロレス32【タッグトーナメント】
【テリーが行った】昭和の全日本プロレス33【左のパンチ】
【インター】昭和の全日本プロレス34【PWF UN】
【あ!スタンハンセンだ!】昭和の全日本プロレス35【ハンセンですよ】
【夏の主役】昭和の全日本プロレス36【ミルマスカラス】
【国際血盟軍】昭和の全日本プロレス37【C・ハリケーンズ】
【B・テラー】昭和の全日本プロレス38【M・アサシン】
【M・ルーイン】昭和の全日本プロレス39【K・イヤウケア】
【百田義浩】昭和の全日本プロレス40【原軍治仲田龍】
【プロレス観戦の記念に】昭和の全日本プロレス41【ご家庭へのお土産に】
【ジム・デュラン】昭和の全日本プロレス42【バック・ロブレイ】
【アラビアの怪人】昭和の全日本プロレス43【インドの狂える猛虎】
【リングの中ジャイアント馬場です】昭和の全日本プロレス44【控え室ジャイアント馬場です】
【豪華な花束】昭和の全日本プロレス45【興奮のるつぼ】
【凱旋帰国】昭和の全日本プロレス46【善戦マン】
【チャンピオン】昭和の全日本プロレス47【カーニバル】
【マシンガン】昭和の全日本プロレス48【チャイニーズカンフー】
【バーンガニア】昭和の全日本プロレス49【ハーリーレイス】
【新春】昭和の全日本プロレス50【バトルロイヤル】
【ボブ・ガイゲル】昭和の全日本プロレス51【ジム・バーネット】
【ジ・アステロイド】昭和の全日本プロレス52【ジ・アベンジャー】
【ウルトラセブン】昭和の全日本プロレス53【マジックドラゴン】
【ナショナル レスリングアライアンス】昭和の全日本プロレス54【パシフィック レスリングフェデレーション】
【スーパースター】昭和の全日本プロレス55【カリフォルニアハッスル】
【ローリング・ドリーマー】昭和の全日本プロレス56【J】 【オリンピア】昭和の全日本プロレス57【カクトウギのテーマ】
【福ノ島】昭和の全日本プロレス58【琴天山】
【キャピトル東急】昭和の全日本プロレス59【オリガミ】
【六本木インターナショナルビル】昭和の全日本プロレス60【世田谷砧道場】
【馬場元子】昭和の全日本プロレス61【ジャイアント・サービス】
【オープン選手権】昭和の全日本プロレス62【世界オープンタッグ選手権】
【輪島大士】昭和の全日本プロレス63【ディックスレーター】
【松根社長】昭和の全日本プロレス64【佐藤昭雄】
【デビッドフォンエリック】昭和の全日本プロレス65【ジェイヤングブラッド】
【サンライズ】昭和の全日本プロレス66【移民の歌】
【昨日付で解雇しました】昭和の全日本プロレス67【いい選手ではあったけども】
【ロッキー羽田】昭和の全日本プロレス68【ミスター林】
【ザ・デストロイヤー】昭和の全日本プロレス69【覆面10番勝負】
【大熊元司】昭和の全日本プロレス70【グレート小鹿】
【PWF会長ロードブレアース】昭和の全日本プロレス71【ドウモアリガトウゴザイマシタ】
※前スレ
【あーやめてもらいたいこれは!】昭和の全日本プロレス72【アイドルがやられます!】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1562069935/ 流智美認定・鶴藤長天生涯ベストバウト(シングルマッチ限定)
長州力
1983年4月3日 蔵前国技館 VS藤波
藤波辰爾
1985年9月19日 東京都体育館 VS猪木
天龍源一郎
1988年4月15日 大阪府立体育会館 VSブロディ
ジャンボ鶴田
1973年10月6日 後楽園ホール VSムース・モロウスキー >>1
スレ立て乙
>>4
もう一度見ると
ハコの大きさで観客動員力まで揶揄しているみたいだな。ある意味大したもんだよ。 >>4
鶴田の国内デビュー戦がベストバウトって、どゆこと? 昔はマスカラスブラザーズはマスクを被る必要が無いほどハンサムと言われてたけど
不細工って程ではないけどハンサムではないよね
https://youtu.be/OCyxcnVhcoQ 新倉いわく
マスカラス:メキシコの谷村新司
デストロイヤー:アメリカの田舎のおっさんという感じ
声でデストロイヤーだと分かった
M・スーパースター:映画俳優でも通用する美男子
カネック:カメレオンみたいでマスクをかぶってて良かったと言いきれる顔 俺はブレーンバスター(反り投げ式)の元祖、カリプス・ハリケーンが
渋くて好きだな。
素顔の時は工事現場のおやじ感がして野暮ったいけど、マスク被ると
Mレスリング以上に存在感があって、デストやマスカラスと並んでビッグ3
だと思う(個人的に) ドスカラスは荒井注に似てる。
「マスカラスの素顔はアラン・ドロンに似てる」とプロレス書籍に書いてあったが、まったく似てないんだよな。 >>8
マスカラスは短髪口髭の50前くらいオッサンにしては渋くてカッコいいよ。
若くて長髪なら印象が変わるんじゃない?若い頃の画像はどこか有るかな? 1976年3月28日蔵前国技館vs ラッシャー木村
1977年8月25日田園コロシアムvs ミル・マスカラス
1978年1月20日帯広市総合体育館vs ハーリー・レイス
1985年1月4日大阪城ホールvs 長州力
1987年8月31日日本武道館vs 天龍源一郎
1989年6月5日日本武道館vs 天龍源一郎
よりも国内デビュー戦がベストバウトと言い出す流智美は頭がおかしい NWAの凋落が全日本の凋落になったな
それ以前は一部を除いて外人レスラーの質は圧倒的に全日本が上だった 全盛期のアンドレを呼べてない時点で新日や国際のが上 マスカラスの来日初期は、試合毎に違うデザインのマスクを被って戦っていた記憶がある(大試合は例のマスクが多い)
途中からオーバーマスクになったけど、“千の顔を持つ男”らしく毎試合
変えて欲しかったな。 毎回マスクを変えると、別のマスクマンだと客が勘違いするかもしれないから
やめてくれって言われたって、何かで読んだよ 堀田祐美子もカネックに関し「あの人の素顔は見ない方がいい」って言ってた マスカラスハタニムラシンジニニテルナ。
ドスカラスハワカイコロノダンジロウ。
フタリガシュエンシタメキシコエイガ。
フタリトモスガオダッタシ、ヨウツベデケンサクスレバマダアルトオモウ。
カネックハマサニリアルトカゲガオラシイ。 >>18
新日や国際が上とは思わないけど、全盛期アンドレを招聘できなかったのは
痛いね。
NWA主流派やWWWFブルーノ一派は確保してたけど、アンドレは
引っ掛からなかった…
新日に初来日した74年は、AWAからニューヨークに行く頃かな?
だとしたら馬場・鶴田もMSGに上がってるし、ブッキングのチャンスも
あったんだけどね 超獣コンビを迎え撃つ、大巨人コンビの試合とか見たかったな。 >>24
ババガアエテアンドレヲヨバナカッタトノハナシモアルゾ。
アンドレハババヨリオオキイ。
ソウナレバオオキイノガウリノババノカチガウスレル。
ダカラババガゼンセイキ、ダイイッセンノコロハ
アンドレヲヨバナカッタ。
ソンデオタガイガトウゲヲスギタコロニヨウヤク
アンドレヲゼンニチニヨンダ。
90ネンハアンドレガゼンニチアガルタイミングガアッタッテノモカサナリ。
シカシ80ネンダイアタマニアンドレノゼンニチトウジョウハミタカッタ。 一時の客寄せでいいからマクガイヤー兄弟呼んで、馬場・鶴田と凸凹対決
見たかったww 大塚の話だと
「アンドレはみなが思っていた程ギャラが高くなかった。
高かったらあんなに頻繁に呼べない。リーズナブルだった。
一番ギャラが高額だったのはダスティ・ローデスだった。」そうだ >>32
新間もローデスのギャラの事は言ってたな
前とはいえNWA王者になったからからなのか、ハンセンもブリスコのギャラの
高さに驚いていたらしい。
あの時期猪木プロレスと対局のローデスや既にロートルのブリスコに大枚払ったのは馬場に対するコンプレックスだけだろ(実際新日にメリットなかった) フレアーが新王者にならずに、ローデスが10周年ジャイアントシリーズに来ていたら。
天龍とも鶴田ともスイングしない試合だっただろうな、テリーだけは唯一合いそうかな。 馬場のローデス評は低かったけど、アウトローズで最強タッグ出てたら
ブッチャー&シーク戦は見たかった。
結果は想像出来るけど、凄い流血試合だろうな‥ >>18
豪華外人にアンドレとったらパワーバランス崩れるからちょうどよかったんじゃないか。 NWAチャンピオンは全日、アンドレは新日へとNWAで決めてたんじゃ
なかったっけ? >>39
馬場がそれを手記で書いていたね
新日がNWAに加盟できた時に
「NWA世界ヘビー級王者は新日には参加させない
その代わりアンドレは全日には参加させない」という取り決めを作ったって 馬場の著書は菊池孝が書いてたって話だよ
勿論馬場にインタビューはしてるけど話を過大したりしてた 東京ドームにフレアー招聘する時に坂口が「アンドレが全日本に行ったから」
って言ってたよな。 でもアンドレの全日参戦の方が時系列でみるとフレアー招聘(キャンセル)
より後だな。 NWAが認める会員は原則として一地区につき1人だそうで、日本は馬場だけという理屈。
それを曲げて新日本の加盟を認めたのだから、世界王者招聘は全日本の既得権として保護された。 坂口が言ったのはフレアーvs藤波の時だったかもしれんね。 新日本がNWA王者に未練タラタラだったのは
ジュニア王者のソントンを呼んでタイガーマスクを王者にしたり
後にはフレアーを呼ぶ為にウイリアムスをトレードしたのを見ても分かる 「NWA王者よりアンドレの方が強い」
このフレーズはガキの頃の全日ファンとしては痛かった
事実そう思ってたし、さらに新日ファンは
「そのアンドレと激闘してる猪木が挑戦したら、フレアーなんていちころ」とまで友達に言われまくった。
フレアーやレイス、あとニックか、あのファイトスタイルのせいでももあるが
「NWAとAWAのチャンプは最高峰でも最強ではない」、そんなイメージがついてたなあ…
まあ、それだからこそ「おらが町の英雄」の奪取を信じて、各サーキット地が満員になるわけだけど。 平成に入ってNWA王座をG1優勝者の景品にしたり
小川のオモチャにしたり、新日はとにかくNWAに拘り続けた >>49
小川のNWA戴冠と新日本は何の関係もない >>48
ルーテーズはどうだったのかな?
地元のヒーローがテーズに勝てるとファンは思っていたのか?
レイスやフレアーが長く王者だったのは理解できるね
悪役でムチャクチャ強いわけじゃない
地元のヒーローとの試合は盛り上がる
惜しくも破れ、または引き分けなら次回こそはと期待が膨らむ
逆にWWFは大都市ニューヨークとはいえ地元団体だから、サンマルチノ、バックランドのようなベビーフェイスが王者だったな
王者交代もコロフやシークのような悪役を挟む周到さ
プロレスは実によく考えられたエンターテイメントなんだな マードックって何で新日本tに行ったんだろ
ファンクファミリーだったのに マードックはマリガンと共同でファンクスからアマリロ地区の興行権を買ったけど不入りが続いてすぐに閉鎖した
マリガンは何年も落ち目だったアマリロ地区を売ったファンクスの事を恨んでたみたい
マードックはまぁしゃーねぇやって気にしてなかったらしいけど
それが新日移籍に繋がったのかね? >>50
まあ新日ドームのメインで防衛戦やったからな >>41
馬場の著書で一番面白いのは「16文が行く」
馬場のプロレスラーをどう見ているかが
いい意味でも悪い意味でも実に明確に
書かれてある。
あれも多分菊池さんのインタビューが
ベースになってるんだと思うんだけど、
バカだのアホだのちょっと言葉が下品
過ぎるのか唯一の難点なんだよなあ。 >>51
テーズは王者回数と期間が長いから、時代によって違うのかもしれないけど
力道山との試合のフィルムや記録を見ると3本勝負が多い
それで大体が力道山が一本は取っている、だから基本はフレアーやニックと同じじゃないかな?
いや、まてよ…「テーズは実力を認めた者しか1本取らせない」という話も聞いた事があるな
それが本当だとすると2本先取の防衛ばかり、良くて1本先取の時間切れドローあたりか…
それこそ小橋ならぬ、テーズの絶対王者ぶりだったか?
ただNWA王者は毎日のように試合して遠征するし、あの時代は前日の試合詳報はいちいち伝わらないだろう
だから連日のように2フォールで圧勝しても、当日の観客は何も知らないで応援するんじゃない?
でも、あまりにテーズが圧勝すると次回の同地での防衛戦が閑古鳥が鳴くな…
やはり何だかんだで、テーズもハラハラさせる試合をやってたんじゃないかな? >>57
「実力を認めたものにしか一本取らせない」ではなく「実力を認めないものには一本も取らせない」だな。似ているようで、違う。 何かのコラムで読んだけど、テーズの王者末期は一本目は引き分けで二本目に勝利が多くなったって書いてた 色々やね、キニスキーにストレート勝ちあるしな。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=930&page=4&s=600 >>51
WWFには日本帰りで出世したレスラーが多い気がする
スタンスタージャック⇒66東プロ(73WWWF王者)
イワンコロフ⇒67日プロ(71WWWF王者)
アイアンシーク⇒74新日(83WWF王者)
ボブバックランド⇒74全日(78WWWF王者)
ハルクホーガン⇒80新日(84WWF王者)
アンドレザジャイアント⇒70国際(88WWF王者)
サージェントスローター⇒75国際(91WWF王者)
番外で
リックフレアー⇒73国際(81NWA/92WWF王者)
王者に拘らなければもっといるけどね。 カブキ戸口の対談本で園田が亡くなったあとにお姉さんが労災じゃないのかって言ったら
元子さんが門前払いしたってカブキが言ってるけどほんとかよ?
ちょっと悪口も土が過ぎるよ 全日本設立時の出資者の娘だから、まだ中学生ぐらいの時にレスラーをアゴで使ってたらしい
お金持ちは子供が勘違いしない程度にはしつけをするべきだな
初代若乃花が2代目と娘を無理矢理結婚させて後に結局は離婚になったけど、あの娘も力士を子分みたいに扱う面があったそうだ
まあ2代目はもともと決めた人がいたのに、親方が聞く耳をもたなかったのが一番の問題だけどね >>64
その話で思い出したが、輪島の最初の奥さん(当時の花籠親方の娘)が本出したんだな。
輪島だけでなく当時の相撲界と裏社会とか、かなりショッキングな内容らしい。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190809-00013198-bunshun-spo >>64
社長や資産家は、目下の大人に対する敬意を教えず
あえて他人の大人が我が子にぺこぺこチヤホヤするのを得意になって眺めてるフシがある。
大の大人を見下させて悦に入ってるというか。
んで高慢ちきになってゆく。 >>66
輪島さんは年寄株を抵当に入れたことで廃業したから、五月さんだったっけ?奥さんはあくまでも偽装離婚で本当に別れるつもりはなかったんだよね
でも輪島は若い女性と再婚した
これまでの恨みが詰まった内容だろうね >>64
隆の里の女房も元スッチーで力士を見下していたらしい
耐えられなくなった力士達は旧・鳴戸部屋から行き先も告げずに逃走した
https://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20131227-1236542.html
>>68
尾崎将司も50億と言われる負債を背負って離婚した
奥さん名義の資産を差し押さえられない為だったらしい >>62
他の人ならともかく元子であれば本当だなって
思えてしまう。 元子さんも資産家で見下すし、
親や一族の人間性に問題ありとしか思えないんだよな。
大人はたとえ地位の低い人でも敬わなくてはいけないという教えをしていないのだろう。 安倍総理の夫人も森永財閥だし、
お互い張り合う夫婦だろうな。 カブキはいろんなメディアで故人の悪口言ってるのか?
そんなに世話になってないかもしれないけど、親の怨みでもあるのかなー
生きてる時に話せばいいのに
元子の人間性に問題あるのか知れないけど、故人の悪口言ってギャラ貰うなんてクズだわ
まさか百田敬子夫人のことは悪く語ってないよな? カブキや戸口は、悪口ではなく、悪い人間の話をしているだけ。 サンマルチノが「私への批判であれば反論して自分を守れるから良いが
反論する術がない故人を叩くべきではない」と正論を言っていた
「死人に口なし」になってから悪口を言い出すのは
「私は小者であり卑怯者です」と宣言してるようなもんだからな
ある意味ではカブキらしい >>75
カブキや戸口は良い人間ではないだろう。お前が言うなだな。 >>77
カブキヤトグチハワルグチヲイウトルツモリハナインヨ。
デモハタカラキイトレバワルグチイガイナニモノデモナイ。 ワジマハムカシハプロレスニアコガレタジキモアッタ。
ソシテホンニンモヨソウガイノプロレスイリ。
ダカラプロレスニミチビイテクレタババニハカンシャガツヨカッタ。
ワジマハババノコトハゼッタイニワルクイワナカッタ。 >>80
オマエガトットトクタバレ
デキソコナイノチンタイショウガイシャヤロウ。 >>80
オマエハイチビョウデモハヤクコノヨカラアトカタモナクショウメツシロ、チンタイショウガイシャヤロウ。 >>80
アトオマエ、ハイゴヤジタクハヨウジンシロヨ、クソコジキ。 >>80
ヤッパオマエハカンタンニクタバラナイホウガイイ。
リョウアシセツダンシテクツウノナカデクタバレ。 >>85
ダカラ〜オマエモトットトクタバレ、シニゾコナイヤロー。
ソレカミモトサガシテコロシタルワイ。 >>85
マタレイノスレニハラレチャウワナ。
『マタサツガイヨコクダ』トカ。
バカレンチュウハヨソクデキルカラワラエルワ。 >>85
マアオマエモクルシンデクルシンデクタバレヤ。
スグニクタバンナヨ。
オマエガクルシミガナクテクタバレバコチラガツマラン。 >>80
>>85
荒らしにレスするなよ。NGにしてスルーするのが一番。 大した面白い話も貴重な話もしない人だからNGしちゃっても問題なしだね 知ってる人がいたら教えて欲しいんだけど、馬場が全日本を旗揚げする前に
米プロモーターに協力を仰ぎに渡米したけど、サーキットもしたよね?
その時に対戦したのがピッツバーグでフランクモルツ、ホノルルでザシークと
やってるけど、テキサスかカンサスでも1試合やってる筈なんだよね
全日本プロレス中継の第1回放送で見たと思うんだけど調べても分からない
確か覆面被ったレイスかマードックだったと思うんだけど‥ >>92
テメェー、コノヤロー←(イノキクチョウ)
マアイイヤ。
マードックノマスクマンジダイノテキサストルネードカモナ。 馬場展でワールド大リーグ戦のトロフィー見たけど、毎年の参加者と優勝者を刻印されてた
今と違いその辺はしっかりしてたんだね >>92
早速な返答ありがとう!
長年のモヤモヤが晴れました。
レイスならカンサスだと思うけど、何かリングがテレビマッチ用でか
異常に小さかった記憶があるなー >>95
カンザスからアマリロに駆けつけたザ・プロフェッショナル >>56
ブルー・シャーク=ダン・ミラーな。
このシリーズで来日した時、空港でJ樋口からマスクを渡されて「オマエはマスクマンな」と一方的に告げられた。
プロレスラーも大人じゃないとできないビジネスだね。 >>76
まあ正論ではあるけど、
生きている人間を悪く言うヤツが、死者の悪口を言うな、と言ってもなんの説得力もない。 輪島の元妻の中島五月が輪島が亡くなったら
待ってましたとばかりに輪島をボロクソに書いている本を出したが
あれも何だかなと思う
尼のレビューで「元妻の恨み辛み」とか評されていた >>96
アマリロでしたか…
名前を聞いて何となく甦ってきた
ザ・プロフェッショナル=ダグ・ギルバートじゃなくてレイスだったよね? 馬場によると、アマリロに行ったらボスのシニアがレイスを連れて来て、覆面を付けさせて「俺が責任持つからこいつと試合しろ」とお膳立てしてくれたそうだ。 >>102
スーパースター列伝のファンクス編ではレイスはずいぶん悪役に描かれているけど、実際にはシニアの子飼いなんだよね
だからドリーもテリーもレイスに王座を渡してる 相撲部屋の女将さんは筆下ろししてくれる女将さんもいるのにな… >>104
子供の頃はレイスの立ち位置がよくわからなかった
馬場と好敵手で親友
ファンクファミリーである
リングでは表立ってファンクスの味方でもない、敵でもない、一定の距離感
偉大なるチャンピオンというのはわかるが、感情移入しにくかった >>91
重複するけどWWWFにも出てるんだね。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=272&page=4&s=3800 >>91
海外ルートに確保のために原Pとともに全米行脚をした。日本に大手テレビ局がバック
いる事で全日の信用をアピールするつもりがアメリカでは団体がTV枠を買い取り次の
興行を宣伝するのが目的なので二人が思っていたほどの効果は無かったらしい。
新団体を放映開始してまもないので信頼のおけるレイスを起用した。 全日本のリングでファンク親子の6人タッグ見たかったなー
シニアも初期の全日マットには選手として試合してるけど、テレビで
観た記憶がない
テリーと一緒の来日だったと思うけど、元祖スピニングトーホールドを
一度でいいから拝みたかった。 レイスに対してはファンク一家のくせに
ドリー、後にテリーからNWA獲っていった裏切り者、みたいに捉えていたよ。
我ながらかわいい中学生だったな。 そういえば何年か前に、ブロディにキングコング・ニーくらったディンク君の息子ドリーファンクW(4世)がお爺ちゃんドリーとタッグ組んでデビューしたけど、その後聞かないなー
もうファンクブランドが通じる時代でもないけどねw >>99
先代貴乃花夫人の藤田紀子が、旦那と付き合ってたとき
旦那の友達の輪島を呼ぶと毎回違う女性を連れていたと言ってたからなあ。
プレイボーイ輪島なんだろうな。
強くて凄くて女ったらしかあ。 ワジマヲヒッパッタシンハサスガダナ。
タンジュンナシアイダケミタラショボイケド。
ヨクミルトシンガワジマヲウマクリードシテルノガワカルゾ、オマエラ。 808 名前:お前名無しだろ (ガラプー KKfe-okJb)[] 投稿日:2019/01/02(水) 15:04:11.29 ID:22URQu6BK [1/4]
きたキタ来たKITA キタキツネ
809 名前:お前名無しだろ (ガラプー KKfe-okJb)[] 投稿日:2019/01/02(水) 15:52:55.45 ID:22URQu6BK [2/4]
にしニシ西NISHI 二四が八
810 名前:お前名無しだろ (ガラプー KKfe-okJb)[] 投稿日:2019/01/02(水) 16:07:45.97 ID:22URQu6BK [3/4]
なんナン南NAN 何ですか
811 名前:お前名無しだろ (ガラプー KKfe-okJb)[] 投稿日:2019/01/02(水) 16:47:13.74 ID:22URQu6BK [4/4]
とうトウ東TOU 唐辛子 >>103
このザ・プロフェッショナルってのが覆面被ったレイスって事か >>117
ザ・プロフェッショナル(ダグ・ギルバート)のサマーソルトは本家
Eカーペンティアより早く観た。 輪島の本買おうとアマゾンでレビュー見たら文句ばかり書いてあったから一旦保留したw
「愚痴ばかりで読んでる時間が無駄」とかのレビューで、俺は下世話な話好きだから面白いとは思うけど >>119
元妻の恨み辛みの垂れ流しとか評されていたな
まあ昔、筒井康隆が
「悪口は面白い。なんで人の悪口はこんなに面白いのだろう。」と書いていた事があったが
そんなもんだと思う 悪口も一回目なら楽しく読めるだろう、我慢し続けて溜まってたものだし。女は昔の嫌な思い出を一生忘れないと言うし
でもカブキと戸口は何回もだし本当か怪しいし男だし でも根底に「馬場夫妻ならさもありなん」ってのがあるから面白いよね カブキと戸口はプロレスラーとしては比較にならないほど
馬場>>>>猪木だって言っている
リングの外の馬場夫妻はボロクソ
新間や小鉄が
「プロレスラーアントニオ猪木は最高だ
しかし猪木寛至という男は大嫌いだ」と言ってるのと似ているな 高千穂はね日本プロレス末期にUN獲ってから勘違いしたところあるよね。華もないし、歌舞伎も帰国翌年には飽きられていたのにね。 テリーが最初の引退しなかったら、83年の最強タッグは馬場、カブキ組だったかもね。 >>125
馬場&レイスって事はなかったかな。
83〜85年のどれかで実現して欲しかった。 >>124
帰国翌年じゃなくてワンシリーズで飽きたよ。
トラースキックからのフィストドロップで3カウントって、
そんなわけあるかよww 説得力ねぇ〜と思った。 >>126
馬場&レイスは見たかった。
ドリーと組むより夢があるし、最強タッグやPWFタッグで超獣コンビと
やって欲しかったな。 >>113
相撲取りのモテ具合は顔より「番付」らしい・・・ >>128
組む予定の年もあったみたいだけどなあ。 >>123
アクマデソレハカブキトトグチノイケヲダロ。 >>126
ババトレイスノコンビハミタカッタナ。
オマエモソウオモウンカ。 >>119
確か輪島のポッケから違法薬物が出てきて
聞いたら言い訳したとかなんとか やっぱり輪島の本面白そうだなw力士時代は知らないけどプロレスのテレビ放映は全部見たし楽しめるかも
全日本は馬場も鶴田も三沢も常識人で浮気とかなさそうだから天龍原みたいな破天荒な人が珍しいというのもある >>134
ジャンボはセックス依存症じゃないかといわれるくらいの絶倫だったそうだぞ。
巡業のホテルは三部屋くらいとっておいてそれぞれ女性を待機させておいて巡回するという都市伝説もある。
肝炎もそれが原因じゃないかと。 >>135
実際は母親が肝炎キャリアで母子感染らしい どうして鶴田スレから飛び出してこっちに来たがるんだ迷惑だよ出てけよ >>135
独身時代はそんなエピソードあったね、三沢も彼女なしの日が一日もなく彼女重複時に修羅場が何回もあったとか。
でも結婚後は天龍くらいじゃない?新幹線の停車駅の全てに愛人がいたという >>138
天龍のそれこそ結婚前。今の奥さんと出会って全員に電話して謝って回したたとか >>125
欧米では普通なのかもだけど、あんな盛大に引退シリーズやセレモニーまで
やってもらったのによく復帰出来たよな。(人気は一気に堕ちた)
馬場は生涯貫いたし、猪木も立派というか普通だよ。
藤波や武藤が引退したレスラーをドラディションやマスターズのリングに
引っ張り出そうとしてるけど、どうかと思うよ >>139
そうなんだ、でも本当に女遊びなかったのかなw >新幹線の停車駅の全てに愛人がいたという
こういうのって大袈裟だと思うよ。
東海道新幹線なら名古屋京都大阪広島福岡にいればそんな風にいうだろうけど
静岡や豊橋、岐阜や新山口にはいないでしょ。ちょっと鉄オタとしては気になるので。 筒井康隆の悪口は芸術だけど
カブキのは面白くないんだよ
プロレスラーの努力の話が聞きたいのに 「面白く」はないかもしれんが衝撃だよな
薗田の遺族には親身になってたと思ってたのに 薗田は人柄も良かったみたいだし可哀想だけどあれを労災ってのはおかしいでしょ
本読んでないからわかんないけど、新婚旅行の費用をプレゼントする意味でシンが試合の依頼という形で呼んだ飛行機の事故でしょ、社員の出張ってわけでもないし でも、シンから支払われたギャラは薗田丸取りではないでしょ 薗田とシンの個人契約ではなく全日から派遣されたわけだから。 >>149
シンガソノダノシンコンリョコウヲカネタンダヨ。
デモアノヨウナサンジニ。
ヨンダシンノクノウモウカガエルワ。
オマエモワカレヨ、ダボッ。 薗田の最後のTVマッチ
87年11月14日放送
谷津、薗田-天龍、原(10月31日後楽園) >結局、みんなに断られたシンは、馬場さんに泣きついた。そして、馬場さんはこの話をゴリに振ったのだ。場所は姫路の体育館だった。
>「おう、薗田、新婚旅行のつもりで南アフリカに行って来い」
>引き受けたゴリは、俺のところに来た。
>「馬場さんに言われたから、しょうがないですよ」
>ゴリは浮かない顔をして答えた。本人はあまり気乗りしていない様子だった。 >>154
知らなかったわ、アフリカ旅行を嫁が喜んでるのかな?とは薄々思ってはいたが 「ゴッチはエゲツないだけでそんなに強くなかった」
「俺は生意気なサンダー杉山を制裁した」
カブキは「死人に口なし」になってから言い出すから本当にこすい男だよ この事故の直後くらいに起こった大韓航空機爆破事件に世間の関心は集中しちゃったよね 世間はそうでもプロレスファンは忘れないよ。
マジックドラゴン、愛されキャラのゴリちゃんを 飛行機事故は冬だけど日航機墜落のニュースをやるこの時期に思い出すよね、お盆だし >>157
しかしカブキはジータススレでも散々言われまくって、悪人決定だな。
天龍とかならまだしも、故人の悪評は事実でも言わないことだよ。
中学出てプロレス一筋でトップレスラーまでなったのに、もったいない >>157
昭和時代の山本小鉄と同じだな
小鉄とかに散々意味不明の中傷されたから新日本の悪口なら許せるわ、カブキは新日本関係はあんまり言わないからそこもムカつくけどw >>154 >>155
元々カブキはシンにオファーされてたのは自分だけど
怪しいから断って薗田に押し付けたと言ってたじゃん
薗田はアフリカでカブキとしてファイトする予定で
コスチュームも渡したと
それを今になって馬場のせいにしてんの 平成維震軍と絡んで新日に参加したから、越中の悪口言いたくないんだろ
よほど居心地が良かったと見える、蝶野がエッチュ―の悪口言ったらはぐらかしてたし >>163
以前はそれを言っていたな
シンはカブキに興行に出てくれと誘ったが
シンの興行は胡散臭くて出たくなかったので断ったと
それで代わりが園田にまわってきた 単に南アフリカが遠すぎて行きたくなかっただけだろ。 明石家さんまも「おもろい夫婦」という番組の余った航空チケットで日航ジャンボに乗る予定が、番組に出た夫婦が乗ることになってお陰で命拾いしたんだよね
薗田じゃなくて予定通りカブキの飛行機が落ちれば良かったのに ソレガジジツナラカブキハイノチビロイシタナ。
カブキハソノダニタイシテフクザツダロウナ。
ジブンガイッテレバジブンガウミノソコダッタワケデ。 >>163
押し付けたとは言ってないだろ。
カブキと阿修羅に断られたシンが馬場に泣きついて、
薗田にお鉢が回ったってだけだろ。 >>167
それ何情報だ?
さんまはひょうきんの収録が早く終わって、命拾いしたって言ってるぞ。 >>170
ビートたけしのオールナイト
おもろい夫婦が死んじゃいかんだろwと番組で笑ってた 飛行機恐怖症の著名人
・お笑い芸人の明石家さんまは、1985年8月12日に発生した
日本航空123便墜落事故の当日、東京で「オレたちひょうきん
族」(フジテレビ)の収録後、123便で大阪へ移動し、当時レギュ
ラー出演していた生放送番組「MBSヤングタウン」(MBSラジオ)
に出演予定であった。しかし、たまたま「ひょうきん」の収録が予
定よりも早く終わったために、123便をキャンセルし、ひとつ前の
全日空便で大阪に向かい難を逃れた。さんまは「ヤングタウン」の
放送中には言葉を失うほどのショックを受け、この事故をきっかけ
に新幹線で行ける範囲の場所(東京〜大阪の往復など)へは飛行
機ではなく新幹線を利用するようになった。 ラジオの音源探してみるわ
>>172の話も聞いたことある 怪しいから薗田に勧めたとか言ってるのは、どう考えても後づけの理由だろ?
当時だってあの便は週に何便か飛んでいたんだし、年中墜落していたわけじゃない。
あの航空機事故は、プロレスと関係ない日本人もたくさん亡くなられたんだし。 wikiで123便のこと見ると結構な有名人が他人の僅かな一言や突発的な体調不良で難を逃れてるんだな 怪しってのは飛行機の話ではないでしょ、シンみたいに
サーベル咥えてるような奴の話にうかうか乗る訳ない。 >>176
シンのサーベルって新日が考えたギミックだろ?普段からあんなことしてる人だと思ったの? カブキはシンにギャラを尋ねたら、「好きなだけ」と言われて、とても信用出来ないと断ったと。
その後の阿修羅、石川にもそう言ったらしい。そりゃ断るわ。馬場経由でもない限り。 ウチのお父ちゃんも同じ日の夕方ごろ
鹿児島行きのやつに羽田から乗ってたんだもんなあ
あの日のちに123便に乗ることになる人とも空港内ですれ違ったりしてたはずだって >>176
バカモノメガッ、オマエハクタバレ。
シンガフダンハマトモナノヲシラントハ。 ガラプーヤロウハ、ハヤククタバレ
コノスレノソウイジャ!! >>182
オマエコソトットトクタバレ、シニゾコナイヤロー。 漫画ジャイアント台風デノ外人レスラーノ会話ハ、片仮名ダッタナ >>172
たけし&さんまが昭和の大事件を回想する番組にこの事故映像が流れるとさんまが
「コレ・・・乗る予定だったんや・・・」とぽっりと一言、話し二人がそれに触れる
事は無かった・・・たけしはホテルニュージャパンの火災の夜に泊まる予定が前日に
遊び過ぎて金欠になり友人の構成作家・高田文夫宅に転がり込んで難を逃れたらしい。
>>177
最初の来日は持参したが見栄えが良くないので大塚氏が道玄坂にある
リビングアクセサリーの店に買いに行った。シンの扱いが雑ですぐに壊れるのでw
毎シリーズごとに買い付けに行った。店側がTV中継を見てそのサーベルに気が付いて
大塚氏に尋ねると「自分は建築屋で顧客に新築祝いでプレゼントしているので
知らない!」とトボけたらしいw 全日本ではサーベルの使い方を正せば良かったのに、輪島のデビュー戦で初めてプロレス見た人とかに悪影響を与えたわ 馬場もいい奴ってのは、どの程度だかな。
外人レスラーは招聘だから約束は守るとして、傘下の日本人レスラーに対しては
冷や飯とか依怙贔屓は結構ありそう。
スカウトした秋山にはすごく良くしてくれたらしいが。
よく考えたらやめられたら困る相手には優しいだけの気がするし。 >>186
道玄坂にフェンシングショップ(協会)があって、そこにサーベルがあったな。
通り道だったから、いつも見ながら「大塚がシンにサーベルを調達してたのはここかな」と
思っていたよw >>189
ポーゴがナイフで相手のシューズを切り刻んだみたいな感じ。たまに凶器として目を背けたくなるような使い方をして普段は入場時にしか使わない
全日本に来てからのシンは最初の1年以降は不良債権だと思ってる >>172
でも墜落当日は月曜日。
ひょうきん族は毎週水曜日収録。
たけしは昼間、北九州でコンサート。
夜は平和台球場でスポーツ大賞の野球収録。対戦相手は西鉄ライオンズOB。
さんまの話はなんか違うと思うな。 シンに全日時代の名勝負って何がある?
アトキンス兄弟弟子対決の馬場戦、デトロイトの因縁シーク戦、ブッチャー戦等は話題にはなったけど、名勝負とは言い難いんだよね。
攻撃もワンパターンだし、やるならエグイ迄反則やるシークのようにやれば
凄いと思うんだけど‥ >>193
愛知県体育館でのシン戦は時間は短い
が結構緊張感があった。
後は大阪でのテリー戦は全日にしちゃあ
客が異様に入っているから雰囲気に乗せられて
内容はそれほどではないけどなんか面白い。 プロレスは夕食時に見てたけど毛むくじゃらなシンの首四の字のアップは本当に気持ち悪かった。流血よりも無理 過去来日したレスラーで一番凶暴で狂気すら感じるのはブッチャーやシン
でなくザ・シークだな。
72年大阪での坂口とのUN戦、77年オープンタッグ開幕戦試合後に乱入した
テリーの首を執拗に絞め続けた今では放送禁止のシーン、80後楽園の
ブッチャー戦では頭に穴があく程の凶器攻撃…
シークの凄い所はレフェリーのブラインド利用なんて全く無視して
徹底的に攻撃するんだよな。
他にもスカル・マーフィーやブルート・バーナードが狂気を持つ悪役レスラーに挙げられるけど、全盛期を知らないしマーフィーは観たことすらないから
なんとも言えない。 しーくとしんはたいぷはことなるからなあ。
しーくはきょうきじみたいめーじがつよい。
またしーくじしんがそれをえんしゅつしてきた。
しんのばあいはむしろてのつけられなあむほうもの。
おおきなきょうきをつかったはくりょくとか。
しーくにはないはくりょくがしんにはあった。
またしんにはないきょうきじみたぶぶんがしーくにはあったが。
そのちゅうかんがぶっちゃーだな。 >>200
荒らしにレスするなよ。NGにしてスルーするのが一番。 >>192
85年8月12日の関東地方のテレビ欄見たことあるけど、フジでは19時から全女の中継があったんですな
当時自分の住んでる所はフジは映らなかったので
クラッシュと極悪の抗争の全盛期の頃かな はちじゅうごねんのちょうしゅうとしんのしんぐるはよかったぞ。
ろくがつのなごやのほうな。
あのしりーずはしんはいきいきしてた。
ちょうしゅうせんも『よみがえったきょうこしん』とかかれて。
みらのしっしんのこうらくえんもあばれっぷりがすごかったぞ。 新日本時代のシンはビックリするほど技を受けたり仕掛けたりしてたが全日本に来てからほとんど受けの時間や技の少ないレスラーになった
と思ったらジャパンが来た頃の馬場戦は新日本時代のようなレスリングの試合をやってた。大会場のシングル以外は本気出さない感じだったのかも https://www.youtube.com/watch?v=Ay8klBeYEXE
天龍は細いころからパワーあったんだな。
塩っぽいけど、そのごつごつ感から不思議と華を感じる。
寺西は「藤波の不細工版」って感じでレスリングが綺麗で巧く小気味いい。
高千穂は寺西に比べるとレスリングの巧さとかテクニックは伝わってこない。アメリカの小悪党レスラーみたい。
国際プロレススレでは諸悪の根源みたいに言われてる草津だけど、
やっぱりマツダ、吉原にレスリングを仕込まれてるだけあって普通にいいレスラーだな。
天龍に「ブレーンバスターはこうやるんだよ!」って感じできれいに決めるところなんて
やっぱり国際のトップレスラーなんだなって思う。 新日の三回目のドーム、91年の春
フレアーvs藤波
長州vsシン
全日では出がらし感があったフレアーとシン、両者をダブルメインで使ってドームを満員にしたのは凄い
ヒガンテやスタイナー兄弟など、アンダーカードも良かったとはいえ >>206
その二つは期待されてなかったけどねw
三銃士とかのファンが増えたのと営業力だね 昭和の全日本と言うと、昭和50年代前半に馬場がロン毛にしてた時期があったけど、ブラジルやブッチャー、大木の頭突き対策だったの?
あれは嫌だったなw
ソフトな天然パーマが似合ってなくて、馬場は短髪が一番しっくりくる。 何度も否定しているけど、都市伝説に近いものだよ
馬場もそう言ったかも知れないが、
あらまあ馬場が髪伸ばして色気かよ〜なんて思われるのが嫌さの照れ隠し。
同時にやつらの頭突きは効く、というアングルな物言い。
いいたくないが、馬場にちゃんと頭突きは当てられないし、当たっていない。 長髪のほうが髪掴まれて頭突き喰らいやすかっただろw 馬場対ラッシャーの時はラッシャーがモーションに入る度にいちいち頭下げてたし >>212
そうじゃないの、年金かけてあったそうだから。 >>207
長州vsシン
ドームというのに加えて、アリーナ席の観客を立ち止まっては威嚇して歩いていたから
シンの日本での最長入場時間ではなかろうか?
「サーベルタイガー」も延々と鳴ってたし、体感的には入場は5分を越えてたイメージw
シンはブッチャーとのタッグで全日的にはやる事がなくなった、完了した感じだったし
だから長州や馳と本当の意味でヒールターンして甦った感じがした、ほんの数年の延命だったけど。 >>214
レスラーが団体を移籍すると一時的に凄い集客力があるからその効果もあったのかな、てかその2試合見てないわw週プロ読んだだけ、探して入場だけでも見てみる >>215
サンマルテノはカツラなのか植毛なのか、ヘッドロックする相手は気を使って
大変だろうなw
コワルスキーに至っては正体バレバレなのに覆面被ってたww あぶどらー・ざ・しーく
たいがー・じぇっと・ぶっちゃー
ざ・しん >>209
でも95年頃のテレビのバラエティ番組で
頭突き対策という噂があるそうですが?
と聞かれて否定してなかったよ。
「かえって髪の毛掴まれて引きずり起こされるから意味がなかった」と言ってた。
どちらかというと都市伝説に付き合っての
乗っかり発言ぽかったけど。
ニヤニヤ笑いながらだしね。 >>202
そう。
長与対ダンプの敗者髪切りマッチに向けて盛り上がってる頃かな。
全日はハンセン対テリーの後楽園がこのちょっと後だったっけ? >>217
あの2人のもろヅラは笑えるよね。
サンマルチノはベビーだから仕方ないにしても、コワルスキーは基本ヒールだったんだから、被らない方が良かったのにw 77年のオープンタッグ見てるんだけど、テリー・ファンクの短髪は
翌年公開の『パラダイス・アレイ』撮影の為だよね。
当時は違和感あったけど、今見ると精悍でカッコ良いな‥ >>217
コワルスキーは違う。
リングネームもコワルスキーのまま覆面を被っただけで正体を隠そうとしたわけじゃない。
ズラを被ってファイトは気を使って大変だし、ハゲのままでリングに上がるのもなんか嫌
というのでマスク被っちゃえばいいか、みたいな話。
あるいはなんらかの「お遊び」かな。
当時のペイントみたいな感覚かも。 元々般若のような顔つきだし、スキンヘッドにした方がよっぽど迫力あるのに
もっとテレビで観たかったな。トップロープからのニードロップを… フレアーに敗れたコワルスキーはブッチャーにマスクを獲られたのであった・・・ >>228
おっさんのマスクを剥がすだけなのに、そのドキドキ感は似てるものがあるww あぶどらー・ざ・しん
たいがー・じぇっと・しーく
ざ・ぶっちゃー おいおい、お前らはまだこんな肥溜めでプロレスを醜く語り合ってんのか。
こんなクソスレ見てるってことは、自分はプロレスラーが不幸になるのが楽しくてたまりません!!って言ってる人格破綻者だと認めたということだからな。
こんなクソスレ観るより、『有田と週刊プロレスと』を観ろ!!!ゴミ共コノヤロー!!
プロレスが大好きな人も、まったく知らない人も、だれもが笑って学べる
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観た人はこのスレに来て皆で語り合おうよ!!!
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http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1565784101/l50
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) マスクの位置が少し上目にズレてるのはやはり着け慣れてないのが見てとれるけど、カメラマンも指摘してやれよ。眉毛と目でバレバレだもんな
https://i.imgur.com/uCJyRWc.jpg >>232
そのマスクは確かゴング竹内さんが持参した佐山版のマスクだったはず
三沢版のマスクがまだ出来上がってなかったからだったかな?
三沢のサイズに合わせた物じゃないのでズレはどうにもならなかったんだろう >>233
あぁ、そういう裏事情もあるのか
鼻のところ下に引っ張ればもう少しマシになるかな、と思ったけど、全体のバランスがおかしくなるのかな? 馬場が長髪だった76〜77年頃って、アイドル歌手やフォーク歌手の影響も大きかったのか
世間も男は長髪が定着してて、ジーンズはベルボトムで上下に穴の開いたぶっといベルトを締めてたな。
馬場もそれに倣って伸ばしてると思ってたよw あとスーツのネクタイも太かったな。 >>61
あとWWWF(WWF)世界王者には
なれなかったが、ゴリラ・モンスーンね。
(1963年第5回ワールドリーグにジノ・マレラの名で参加)
だいたい「日本帰りは出世する」という
ジンクスはモンスーンから始まった。 >>236
平成になるが全日に出てからWWF(WWE)王者になったのがカクタスジャックとRVD >>221
その二人で組んで馬場&鶴田のインタータッグに挑戦しているんだよな
本来ならそういう映像こそ見たいんだが >>233
金本タイガーのデビュー戦もマスクずれて戦いにくそうだったな >>239
タイガースープレックスをまともに食らって、サムライがキレていたのが懐かしいな。 >>235
90年3月放送された 「プロレス決定的瞬間大全集2」でプロレス入りした天龍に倉持アナが
インタビューしているシーン(77年)があって、スタジオゲストの吉村明宏が長髪の倉持アナを
吉村「あのアナウンサーの髪型w誰?」
若林「倉持アナウンサー」
吉村「えっ?」
鶴田「倉持アナウンサー」
吉村「あっ、そう!ジローズの誰かかと思ったわ。」
これに鶴田と若林アナが大受けしていた。その時は意味が分からなかったけど、後にネットで見て
確かに昔のジローズの一人と風貌がソックリだったわw >>236
サンマルチノ、レイス、ニック等のビックネームと日本でいっしょになり実力等が
認めてられてライバルとして王者の地元に招聘されチャンスを与えられると言う意味
もあったらしい。
確かにレイスがキッドにサインを求めた少年ファンへの色紙を破って踏みつけると言う
暴挙を注意してそれを直立不動で聞いていたとかプライベートでもともに行動する時間
が日本は長い。ちなみ小橋もファン時代にそれをキッドにやられたらしいw 75年第3回カーニバルではキニスキー、コワルスキー、ルーイン、レスリング(ウッズ)らに続いて
参加したマイクジョージ、ボブオートンジュニア、スティーブカーンら当時の若手たち、
彼らも日本で先輩と帯同したことで大いに学んだことだろう。。
ちなみにサンマルチノも特別参加し、全日マットで唯一のWWWF戦(PWFダブル選)を敢行してるな。 >>236
“日本帰りは出世する”と同様に“まだ見ぬ強豪”というフレーズもあった。
マグナムTA(テリー・アレン)は次期NWA王者候補で『世界のプロレス』で
観たけど交通事故で引退したのかな? キッドの荒っぽい対応はファンへのサービスなのか。キャラ維持なのか。
やっぱりワイルドなキッド!と。 >>243
ブルーザーも特参の超豪華版
同時期の新日ワールドリーグ戦
クラップ、スーパー・デストロイヤー(グアイ)、マンマウンテン・マイク、サングレ・フリアー、ジョン・ガニア、ファザール・シン
フリアー、ガニア、シンは最初で最後の来日
これはこれでよく集めたなと… 第三回は新旧を取り交ぜた超豪華版だが興行成績は低調
そのためか第四回以降は第三回では不参加のブッチャーを軸とした路線となる >>242
キッドに破り捨て、踏み潰された色紙は、
それだけでも記念、宝になる。
垣原賢人が、高校の修学旅行先の大阪駅で、
S・ウイリアムスを見かけ、「ウイリアムス!ウイリアムス!」
と囃したてたら、ウイリアムス怒って、垣原にキック。
学生服に、シューズの跡が付いた。垣原、その跡が消えないように
大事に旅行を続けたと。
長州を街で見かけ、声を掛けたら「うるさい!バカ野郎!」
と怒鳴られ、却って嬉しかったというファンもいる。
ファンを無視するのが一番、態度が悪い。 >>232
どうでもいい話だが、300円に時代を感じる
物価が違うだけなんだけど、とても良心的な定価に感じるね
ゴングは写真がふんだんだから少し高いけど、週プロは250円ぐらいの頃かな?
あと東プロは60円か70円の時代かな?
子供だから毎週買いたいんだけど、それでも小遣いじゃ足りなかったから週プロを選んでたな >>242
>>248
話に尾ひれがついてるな。
色紙は破れても踏みつけられてもいない、手ではたき飛ばされたのが事実。
その場にいたのはキッド、スミス、レイス、ハンセン。
最終的に全員からサインをもらった。
84年の最強タッグ。 >>245
キッドといえば新日82年の元日決戦、リング上から客席に向けて全力で
サインボール投げてたのには笑ったw >>223
プロレス会場の外でも5カウント以内なら反則OK通す出鱈目なレスラーが多い中
しっかり約束守ってくれるのは馬場坂口三沢の三人だけという >>243
>>246
>>247
1975年の新日版大2回ワールドリーグは、
外人はショボイが、
猪木、坂口、M斉藤に加え、ストロング小林、
大木金太郎も参加し盛り上がった。
対抗する全日としては、チャピオンカーニバルに
強豪外人を揃えたわけだがキニスキー、ブルーザー、
コワルスキーは、もう全盛期を過ぎていた。
サンマルチノとのダブルタイトル戦は、国鉄のストと重なり
日大講堂がガラガラだったという。 >>246
新日はこの時は
猪木、坂口、小林、大木の4人が揃って総当りをやったので話題になった
>>247
顔ぶれはすごいけどロートル臭もすごいw
これ以降はこの時の顔ぶれはほとんど
興行的には付けなくなるから
ブッチャー偏重への時代の分かれ目だろうね 猪木が本当の全盛だった世界最強タッグ戦からアリ戦くらいまでの時期に
馬場全日が裏で対抗してた企画って面白いものが多いんだけど
当時のファンが馬場を通してみたかった夢は
政治力でNWA王者になることや、
もうすでに散々見飽きてる大物外人との対決ではなく
猪木戦を始めとする対日本人路線だっただろうから
それができない全日が話題的に猪木にを上回ることは難しかったんだろうね じゃいあんとつるた
じゃんぼてんりゅう
ばばげんいちろう じゃいあんとてんりゅう
じゃんぼばば
つるたげんいちろう >>254
その最初の第四回でブッチャー優勝というのも象徴的か まあ「BI対決」は特に両団体に分かれてからのファンの夢だったし、猪木も意欲的だった。
それゆえ猪木も対決の実現が難しい中で、ならばと言う形で次々とファンの注目を集める興行に打って出たんだと思う。
大物日本人対決や格闘技戦、力道山13回忌興行にぶつけた75年末のロビンソン戦・・。 アリ戦が一つのピークだったな
それ以降は意味合いが変化したという感じで 馬場は著書で
猪木アリ戦の後は外に出るのがしばらく恥ずかしかったと書いている。 馬場vs猪木戦はNETがプロレス中継に参入して日テレとの2局放送になった時点で無理なんだよ。
4ch馬場、10ch猪木がエースで放送してるから、どちらも傷を付ける訳には
いかない。
72年に2団体になってからは、尚更無理。
もし局同士でで話し合いゴーサインが出たとしてもとしても、
75年オープン選手権や78年全軍激突戦の馬場vs木村の様な不透明決着だよ。
この時は国際にもテレビが付いてたから‥
むしろ日本テレビ1局時代にBIが独立しない時の方が実現してたと思うし、
シナリオも書けたんじゃないかな。
芳の里、遠藤や吉村等の日本プロレス幹部が、日本テレビに義理を通して
金欲さえなければと悔やまれる。 新日本をホワイト団体に認定出来ないと興行を一緒にやるなんて無理
勝手にライバル視して誹謗中傷したり約束を破ったり、そのくせ対話を望んでるとか世間にアピールするような厚顔無恥な団体と友好関係なんてムリだよ >>263
その後の猪木除名騒動があった時も、義理を通して馬場をNETに出さなければね。
もし馬場の日テレ独占を守っていたら、日プロと日テレの蜜月関係はずっと続いて、
馬場はサラリーマンレスラーを続けていただろう。全日の旗揚げ自体がなかった。 当初の馬場の構想は
「38歳で引退してその後は気候が良いハワイを中心に暮らそう」だった
猪木にしてみれば馬場の引退を待っていたら33歳になってしまう
今なら33歳はまだまだ若いけど当時は若くない
当時は野球選手は30代前半で引退したり兼任監督になったりしてた
猪木には「このままだとNo.2で終わってしまう」と焦りがあっただろう >>266
でも33歳ってアリと戦った頃の年齢でしょ?
まだまだ遅くないと思うがね、当時でも
問題は馬場が、自身の引退想定の時期を猪木に明かしたのかどうかだと思うよ
それを明かしてれば猪木は待ったと思うけどなあ…
しかし猪木も馬場の引退したい心は信用できても、ドル箱のスターをフロントが引退させるわけないし
それでも馬場が振り切って引退するか?そう考えると猪木が焦るのもわかるかなあ… >>266
38歳という事は
昭和51年まで馬場エース路線か
これでは人気が下がるだろうなあ
馬場の衰えという以上に相手がいない
昭和45,6年でも「同じ外人ばかりでもう見飽きた」なんて空気だったのに >>268
>昭和45,6年でも「同じ外人ばかりでもう見飽きた」なんて空気だったのに
その頃はファンどころか生まれてないからわからないけど
その時点で「見飽きた」なんてのがファンの総意に近かったなら、全日の旗上げ自体が黄信号、としか思えないんだけど…? >>268
>>269の言う通りだと思う。猪木を放送できなくなったNETが「馬場を放送させろ」と言うわけがない。 >>264
業界やテレビ局はプロレスの仕組み内情を知ってても、世間一般人は純粋に観てたから、猪木が挑発して馬場が逃げてるイメージが付くんだよ。
あれでどれだけ新日・猪木信者が増えたことか‥‥
あの応じようのない猪木の挑発は、禁じ手だし暗黙のルール違反だと思う。 馬場のいう「格上はリング中央で構えていて、格下がその周りを回る」って、猪木の挑発に対する馬場の態度そのままだよな >>271
いやw、まず
>>264 の「新日本をホワイト国に認定できない」ってのもよくわからんけどな。。w? >>271
後には猪木が前田にそれをやられて相手の人気を高める事になる >>273
馬場のいう「格上はリング中央で構えていて、格下がその周りを回る」
馬場の妄言の1つ。
フレアーなどは真ん中ではなく外側をとる。
王者だから挑戦者の技を受けるため、外側から真ん中に投げられる方が理にかなう。
外側にいた方がロープブレークもしやすく、相手の強さを醸し出せる。 >>273
>「格上はリング中央で構えていて、格下がその周りを回る」
ヒクソンと高田がまさにそれだったな。 >>276
もしかしたら尊敬するバディ・ロジャースがそうだったのかもしれんな
自分は格というのは経験や実力から自然に身につくものだと思っているので、こういうこざかしい演出法は好きじゃない ボクシングもグルグル回るが
回れ!回れ!セコンドが指示してるから意味が違うんだろな。 >>269
当時の専門誌を読むと「外人見飽きた、何度目だよ」というのが毎号のように投稿欄に書かれてる
70年代に入ると都内大会場では単独で馬場のインター戦が組まれることがめっきり減る
猪木挑戦直後の馬場コロフ戦は東京体育館で3000人という不入りなんてこともあった。
全日旗揚げ時も旗揚げの日大講堂のサンマルチノ戦は5000人も入っていないし
視聴率的にも10%前後と低迷してる
PWF路線も返上させられたインターの代用品でしかないし
やってることが変わらないというファンの評価じゃないかな
>>270
そりゃ、坂口がエースでは数字が取れんからねえw
まだこの頃は馬場自体のブランドがそれほど落ちていないし むしろBIでのインタータッグ戦の方が東京大会場での看板になっているんだよな
あとはアジアタッグとの抱き合わせとかでとにかくインター戦一本だけでは入らなくなっていた むしろ60年代後半の日プロの外人の呼び方が豪勢過ぎた
力道山時代でもあれほどではない
その点は当時の馬場は恵まれてる 国際というかTBSの参入で出し惜しみしていられなくなったという要素もありそうですね
それこそ大人げないくらいの興行合戦も仕掛けまくってますし >>240
あれエキジビションなのに勝敗つけちゃったよね >>248
所ジョージ、武田鉄矢は真のヒールだよなぁ
あっちいけよシッシだから
所ジョージは大麻を栽培してるという噂もあるくらい
なんでいつまでも好感度があるのか謎だよ >>280
鶴田が海外遠征から早く呼び返されたのも旗揚げ初期の低迷が大きかったんだよな
あと旗揚げの最初のテレビ中継を12チャンネルの二つの猪木vsゴッチ中継が挟んでいたというのも強烈なカウンターパンチに 考えてみれば日本プロレス1強時代は良かったけど、国際が旗揚げし
猪木が抜け馬場も抜け坂口も抜け4団体乱立時代になると、客も分散して
人気が低迷するのは当たり前
以前は1つの団体観戦すれば馬場も猪木も見れたんだも
独立してから現実の厳しさに直面するんだよね。
他団体との競争に勝ち抜く為に、馬場は鶴田を猪木は吉田をスカウトし
後継者を育成する。
なおも馬場は助っ人でデストロイヤーやヘーシンクも入団させ一時的に
人気を得るが、猪木vs小林、vs大木戦で新日に追い抜かれ、力道山も
取れなかったNWA王座を買収……
その間日プロは消滅し、国際も崩壊の道へと続いていく。
あれから47年。馬場・鶴田・三沢は亡くなり、猪木・坂口・長州・藤波も
引退 でも新日本も全日本も看板は生きてる。BI偉大なり!
…なんだ、この文章ww >>267
猪木というキャラクターのイメージだと、
「馬場が引退したから猪木が繰り上げでエース」みたいな流れは承服できなそうな気もする 菊地「とにかく日プロ一団体だけだと、殿様商売で思い上がってどうしようもねぇんだよ。
俺たちにとっては東プロがダメだったら国際でもいいから、団体は二つ以上あって欲しかった
そうすれば競争になるから。一団体だったら殿様商売もいいところだからね。
銭の面ではいろいろ面倒みてくれたし、取材では楽な部分もあったけど
態度は思い上がっていたよ日プロは(笑)」 シェアから考えて日本の場合は二団体がベストだという意見も昔あったな >>158
大韓航空機の事件は9月で、例の南アの事件は11月だよ。冷戦当時だし、日本のマスメディアとしては、前者の報道に集中するのが自然だわな。 >>280
>やってることが変わらないというファンの評価じゃないかな
ノアも結局は同じ事を言われたし、日テレ主導の独立という点も同じ
歴史は繰り返すだね。
>>288
まあそこは馬場を負かした外人に猪木が勝つ
間接的な世代交代感は演出できそうな気がする 今から考えると
BI砲がファンクスから奪われた形のインタータッグは
猪木、坂口で取り返すという想定でのストーリーだったのかな
とも思える
BI砲も行き詰まり感があったし >>293
あの時点で猪木追放は決まってたのでは?
猪木が除名される事を知らされてたか不明だけど、馬場とファンクスには
通知済で3本目に馬場がフォールされることに‥
一応タイトルを空位にして王座決定戦の方法もあるけど、
猪木にいい形で終らせたくなかったんだろうね
そして東京タワーズ誕生 >>293
でも前シリーズの第2回NWAタッグリーグ迄はそのストーリーもあったと思う。
そう考えると猪木にとっては急転直下で天国から地獄だな むしろ最終戦は猪木・坂口とドリー・マードックでアジアタッグ決定戦をやる予定があったのかも >>296>>297
猪木追放は決定事項で日プロ選手会が強硬に主張して札幌大会に前の水戸大会を
「猪木追放!」が受け入れないなら試合をボイコットする姿勢まで見せた。
日プロ幹部が選手会をなだめて札幌大会までの出場を認めさせた。
こんな状況なので猪木は見た目からから最悪のコンディションだった。
最近にインタビューではファンクスは日プロ内部がゴタゴタしているのしか
わからなかったらしい・・・
>>281
東プロへ移籍後に日プロを除名せずに三顧の礼を尽くして呼ぶ戻した日プロ幹部の判断は
正しかった。
>>280
それでも日テレの基本路線は「力道山のプロレスを継承するのは馬場!」だった。
坂口グループ合流後に東スポは猪木押しとなる。猪木対ゴッチ二連戦にレフェリーで
参加したテーズを注目してのちの最強タッグ戦を主催したり新日が12chに頼みこんで
放映してもらった試合の影響は大きく馬場を失ったNETの猪木の商品価値の再評価に
までつながった。 >>296
BIのインタータッグ王座陥落は
当然猪木追放は決まってたから
ベルトは置いていくって掟に従っただけでしょ
もしあのシリーズで選手会によるリンチ計画だのなんだのが無く
猪木も欠場することなく最後までシリーズを務めたうえで
離脱するって流れになってたら
シリーズ中にUNもちゃんと負けて落としてけって要求されてたでしょ
むしろ東京タワーズにわざわざロスまで行かせたうえで
現地でベルトを奪還させるというそれらしい段取り(演出)までしたのに
僅か二ヶ月程で馬場に負けないまま離脱・返上されたのが予定外
それなら最初から大木坂口で奪還させてたでしょ NETのエースになりUN王座奪取、倍償美津子と結婚、NWAタッグリーグ連覇と
まさに順風満帆だったのに、最後のNWAチャンピオンシリーズで
三冠(UN・インター&アジアタッグ)全てを失うことに。
大阪でのドリー戦はNWA・UNのダブルタイトルだったのに…
UNとアジアタッグは謎の負傷扱いからの返上
猪木の昭和46年は凄い年だったな >>296
前日の茨城大会で小鉄が猪木に選手会による除名決議案を伝えてるようで(決定されたかは不明)、
翌日の札幌までの行程は日プロ勢とは別行動で札幌入り。。
しかし相手がファンクスってのも致命的と言うかw運命的と言うか、その後全日(馬場)としっかり
外人ルート締結で関係を持っていく同士なんだからな。。 >>291
誤報流してすまない。誰も気にしてないだろうけど、大韓航空機の「撃墜」じゃなくて「爆破」事件なら南アの事件の翌日だよね。
事件当日のニュースではシンがスーツ姿で沈痛な表情で取材に応じている姿が流れていた 猪木のクーデターが成功していたらのIFはあまり語られてないのかな
上田の裏切りはともかく、「相撲上がりを排除する」みたいなやり方で
日プロを順風満帆に乗っ取ることが果たして成功出来ていたのかどうか…
日テレはとにかく「プロレス中継は馬場でないとダメ」の姿勢だったし
NET放送のみでしかも外人ルートの確保もせにゃならんのに >>297
猪木と坂口は日プロ時代はNWAタッグリーグまでは
意外なことにほとんどタッグを組んだことがないんだよな
それをいきなり方針転換して2人を組ませたのは
その先を見越した含みがあったんだと思う
>>298
吉村道明の衰えが背景にあったんだのかもしれないが
「黄金コンビ」の呼称を与えた上に
華々しくタッグリーグに優勝させて
その先がアジアタッグというのはどうかなあ NETのエースとしてワールドリーグ戦で優勝したけれど
また馬場の優勝に戻ってしまい
猪木にしてみれば「このままではNo.2で終わってしまう」という焦りがあったんだろう
ブッチャーが言うにはその時期だとまだどの会場でも
猪木より馬場の方が人気があったそうだ 日テレ、日プロ幹部が「馬場でないとダメ」といくら言っても
視聴率が取れて人気が猪木の方が上になると、黙ってても手のひら返して
猪木をエースに持ってきたよ。(その場合両局でBI放送OKの契約にする)
それの方が興行も儲かるし、テレビ局の収益も上がるだろうし。
猪木は上り坂、馬場は下り坂なんだから‥
まあその時の猪木の気持ちが日本プロレスの改革が1番を占めてたのか
自分がトップになる事を第1に考えてたのかによるけど
(黙ってキャリアを積んでたらエースになってた) いやまあ、事の発端は幹部の放漫経営ぶりなんだから、遅かれ早かれクーデター〜団体の崩壊は免れなかっただろうな。
妄想するなら力道山が生きてたら、くらいまでやってもいいんじゃないw? 当時の猪木は馬場のライバルのキニスキー、ブラジル、デストロイヤーなんかにはシングルで殆ど勝ててないからねぇ
ファンからしたら馬場より格下って認識だよ >>308
まあ、あえて乗っかるけどw
力道山が生きてたら…後の猪木の人生がモデルケースとして具現化してたと思う
あらゆるビジネスに手を出し、成功不成功はともかく、政治家ルートまで UNを獲ってここから実績作りという時に
「なんで鉾先が馬場に向かうんだ?」と日プロ幹部は思っただろうなあw
ただし猪木の方が先を見ていた発言だったと思うが 力道山が生きてたら、どうなってたかなー
ワンマン経営だっし事業も手広くやってたし、あの時代だったら異業種でも
大成功をしてたかもしれない。(テレビ局を買収してたかもw)
時代の先を読める人だから、馬場と猪木の性格も知ってて
育成方法も違ってた。
力道山なりに2人をどう扱うかの展望はあったんじゃないかな?
それに比べて新体制の酷いこと。
豊登のギャンブルでの使い込み、リキパレスの売却(吉原は最後まで反対した
けど、経理の遠藤が判子を押し怒った吉原は退団して国際を設立)など
杜撰さが増していく。
“もし”はないけど想像してしまうな >テレビ局を買収してたかもw
買収はともかく最初はただの社員だった徳光が(ちょっと大袈裟か)大株主になっているくらい
だから日プロや力道山本人に先見の明があったら、まんざら、だね。
>リキパレスの売却
リキパレスも日プロじゃなくて力道山個人の資産にしておけばよかったのに。 リキパレスは力道山の借金絡みで
泣く泣く手放したんじゃないの? リキパレスはリキ・エンタープライズ所有で
吉原は日プロで買い取るよう主張したが敗れて去った 日プロスレと化してるねw
日プロの猪木末期の試合のフイルムで
馬場・猪木vsマスカラス・アリオン組との試合が有名だけど
とにかく猪木とマスカラスは手が合いそう、特にカウンターのクロスチョップの食い方は素晴らしい
あと、フイルムのカラーと白黒の違いはあるんだろうけど
力道山時代の末期と、マスカラス来日までが6〜7年しか経ってないのもびっくり
昭和30年代と40年代ではもの凄く近代化というかリングがファッショナブル化して見える、動きも含めて
力道山とマスカラスだって対戦する可能性はあったんだろうけど、どんな試合になるのか想像がつかない… いのきとますからすはともにひーろーたいぷたがらな。
てりーもふくめてあのさんにんはにほんではひーろー。
じてんでふじなみとさやまたいがーか。
やっぱりてきやくのだいひーるがいてひーろーもきわだつ。
そのぎゃくもしかり。
おまえらもそうおもうだろ、な、わかるだろ。 >>309
「当時」っていうが、それ何年のことだ?
確かにキニスキーとは68年暮れに闘い敗北。
ブラジルとは、69年Wリーグで敗北。
デストとも69年3月に敗北したが、
71年のWリーグでは、優勝決定戦も含め
3戦して、1勝2分け。
猪木は、69年7月、ワールドプロレスのエースになってから、
さらに71年3月にUN王者になってからは、
馬場のインターに挑戦する強豪とはシングルで
対戦機会が与えらえなかった(エリックとUN戦を行い引き分け)
キニスキー、ブラジルは「勝ち逃げ」と言っても良い。 >>316
馬場もキレイな受け身してるよ
てかこの頃の猪木のドロップキックは酷い
1人バックドロップだよ 猪木ーキニスキーは
この時代としては超異例の60分1本勝負のメインイベントだった
ここで現役NWA王者と互角の試合をさせた
日プロの猪木シングル本格プッシュ政策の出発点だな
猪木ーブラジルは馬場ーモンスーンをセミに追いやって
蔵前でメインを取ってる >>316
映像にしても実際の街並みにしても30年代と40年代は雲泥の差だ。。
さしずめ今なら00年代以降のネット環境、PCの性能やガラケーからのスマホへの機能の進化が
驚くほど進んでるようなものかw ・・益々話が昭和全日から逸れるな。 ttps://plaza.rakuten.co.jp/gamebook14/diary/200911260000/
主人公が力道山とタッグを組み、ミル・マスカラス&タイガー・ジェット・シンと戦うだって >>323
ますからす、しんのたっぐって…
どういうくみあわせだとおもうがな。 力道山は生前、ワールド大リーグは第5回大会で打ち止めにするとか言ってたらしいけど、何かアイディアあったのかな?
自分が打ち止めされたけど… >>326
アイディアがある前提というか、経費がかかりすぎるんでない?
全日の最強タッグみたいに、儲けを度外視でプロモーターへの感謝の意味合いでもあれば別だけど
まあ、儲けが少なくても豪華メンバーは視聴率にも影響するから意味はあるけど
あとは力道山がシングルリーグ戦の連戦がきつくなったとか?
どちらにしても発展的な打ち止めではない気がする。 >>327
力道山は第3回以降はシードされてリーグ戦に出てないぞ
しかも力道山時代のワールドリーグは完全総当りではない >>328
そうか、無知ゴメン…
馬場のチャンピオンカーニバル廃止の印象とダブったから
まあそれも、馬場の体力の問題と超獣対決の回避が理由という真偽も知らないけど 列伝の馬場猪木編で描いてあった日本人同士は当たらないルールは当初信じられなかった
ただ、その後の日プロ末期のレスラー同士の派閥争いとか生々しい感情とか聞くと
海外ら帰ってきたスター扱いの日本人同士を戦わせようとしない力道山の方針も 3回目までのチャンピオンカーニバルは
日本人対決がありうるルールではあったが
奇妙なくらい実現していない 昭和40年代前半迄は、ファンもそんなに日本人対決望んでなかった気がする
憎い外人レスラーを迎え撃つみたいな、、 オールスター戦で佐藤昭雄と藤波が同期だから対戦させようとしたら
新日の関係者が「ウチのスター選手をあんな地味な中堅と当てるなんて!潰す気ですか?」 スパイロス・アリオンて、どうして日本で「まだ見ぬ強豪」一番手になったの?
メディアが取り上げたからなんだろうけどきっかけはなんなんだろ。
特徴も、来日前はどこが注目されたのか >>332
新日が正規軍VS維新軍で盛り上がっていた頃
当時の年配のファンは「なんで日本人同士で争っているんだ?」と
全然興味を示してくれなかったという話を読んだな >>332
それもエースが絶対で力動山豊登馬場がガイジンレスラーをやっつけるの単品メニューだからね
たとえばタッグでたまにはエース力動山や馬場が終始相手にやられて大ピンチを迎えるけど
普段はやられ役の吉村がこの日は大ハッスル!
不調のエースの分もカバーして八面六臂の大活躍!みたいなのは無い
良くも悪くも力道山vs木村以来日プロのリングでは最初から序列は決まってて
猪木がぶち上げるまではそこで決まってる序列にファンも特に疑問持っても無かった >>335
意外に日本人対決を原則廃止すれば一般層のプロレス人気も復活するのかもしれない
今の新日みたいなプヲタ相手じゃなくてね リアルタイムでは知らないけど、当時の外国人レスラーはそれこそ
「海を渡ってやって来た殺し屋」みたいなムードがあってそれを迎撃する
馬場に日本人は感情移入できたんじゃね?
何せ「生傷男、魔王、原爆男、鉄の爪、人間発電所、荒法師、粉砕者、魔神、暗殺者」
みたいな異名の連中が来るんだからw >>305
タッグとはいえインター王座のNET放送を日テレが許したかどうかだよな
当時のアジアタッグなら決して不足ではなかったはずだし 猪木が力道山vs木村戦以来20年ぶりに大物日本人対決、小林戦を成功する迄は
馬場も重い腰を上げなかったな
全日本で日本人対決始めるのは昭和50年からか(前座は別) 第1回 IWAワールドシリーズの草津vs杉山も日本人トップ同士の対戦、一応… >>334
海外マットの評価と日本マットでは違うことが多いよ
特派員から日本メディアに送られてくる情報を鵜呑みにすると、
とんだくわせものに当たる事は当時よくあった。
そもそもアリオンもマスカラスも国際プロレスが来日希望レスラーを
ファン投票を募って >>326
鈴木庄一(長老)の本だと「東京オリンピックの年にはワールド大リーグ戦をやらない」って話だったと思う。
東京五輪に絡めて休止っていうのは表向きで、実際はワールド大リーグ戦はカンフル剤としての役目を終えてたんだろうな。
五輪期間中はプロレス興行自体も一切無しで力道山がレスラー引き連れ
五輪各会場に応援に行くなんて愉快なプランもあったようだ。力道山が五輪おじさんになってたかもしれないw
日本人対決っていえば、この前のノアでの潮崎vs鈴木秀樹戦で
ちょっぴり鶴田vsロビンソン戦を味わえた。 ↑↑
1位と2位の二人を招聘する筈だったけど、日プロに横取りされたんだね >>334
切っ掛けというか、1969年頃、「ゴング」で売り出された
キャッチフレーズは、「次期WWWF王者」[MSGの新星]
その時、サンマルチノに限界説が流れていたからね。
アリオンは、写真で見る限りでは若くてハンサムだし
日本のファンも騙されたわけだ。
だいたい、彼は、66〜7年頃にニューヨークに
遠征に行って、タッグ王座くらいを奪っているが
本拠地はオーストラリアなのだが。 >>345
そっか、りきどうざんはごりんまえになくなってんだよな。
おまえもじけいれつははあくしてんだな。
おまえ、このやろー、かんしんしたぞ。 大木戦の直前に馬場にファール勝ちしたボビージャガースだけど決め技が何か気になるな >>349
試合中ブッチャーが乱入してジャガーズに加担
したらしい。まともな決め技でフィニッシュとは思えないね。 豪州でアリオンは来日前のシンと対戦したりボブ・ループとも対戦してるな。
日本プロレスでの記録が抜けてる。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=1969&page=4&s=200 >>334
>スパイロス・アリオンて、どうして「まだ見ぬ強豪」一番手になったの?
一番手って、1970年に国際プロレスが行った「参加して欲しい選手のアンケート」
で一位になったことかい?
あれは、純然たるアンケート結果ではなく、やはりミル・マスカラスが
一位だったそうだよ。
また「まだ見ぬ強豪」としては、アーニーラッドやロッキージョンソンも
評価が高かったが、このアンケートを実施中に日プロの秋のシリーズに
参加が決まったとか決定的という情報が流れ、下位に留まったと思う。 >>350
そうなんだ。当日は取材班も行ってなく写真すら残ってないらしいけど何となく想像つくな。さんくす。 >>334
ゴングでも別冊80年9月号だったかな?「この未来日の10人を早急に呼べ」みたいな座談会企画があったけど、
リッキー、オーンドーフ、アイドル、リッチなんかはわかるが、ジョージ・ウェルズなんていまだに「誰?」という印象だしな。 スパイロス・アリオンは見た目と名前がよい
スターになるかも!ってマスコミが感知して推したんだろうな まだ見ぬ強豪企画に必ず出てた
ブロンコ・ルービッチとかザ・バイキングとか見てみたかったなw >>351
このおーすとらりあではしんとぶっちゃーがくんでいた。
ありおんやるーいん、いやうけあ、みらののべびーぐんだんとこうそう。
ようつべでもしろくろどうががあったぞ。
しんがこぶらくろーでみらのをおとしたり。 >>335
日本人抗争を恒常的な興行の目玉にすることの問題は
毎シリーズ同じメンツ同じアングルで戦うため
抗争をどこで一段落させたらいいのか?と
抗争終結後反主流(挑戦)側をどう扱うか?という点
同じ団体内で戦っている限りいずれはいったん区切り
〜決着をつけなくてはいけなくなるけどその時に
エース側勝ち〜反主流側は一旦セミ前以下とかのもとの位置に下がるのか?
反主流側勝ち〜それでメインエベントやエースの座が入れ替わるのか?
あるいは抗争終結で皆手に手を取って大団円的に新たな序列を設定して収めるのか?
かといって一応のゴールを設定しないまま
勝ったり負けたりを毎シリーズただ延々繰り返しても
マンネリ化するだけでプロ野球のシーズン中の一試合とかと同じ
一試合の勝敗自体の意味や価値が殆ど無くなってしまう >>355
竹内宏介もマスカラスの実際の試合を観たのは来日してからだったって話
試合を観た事も無いのにゴングはマスカラスを推していた 来日前情報と違いすぎると言えばフィル・ヒッカーソンだな
ヒッカーソンは70年代にテネシーでヘルスエンジェルス・キャラとして売り出したが
80年代に入るか入らないかのあたりでなぜか引退
85年頃に復帰したが見る影もないハゲデブ親父になってた
だが復帰後の写真とかがあまりなかったせいか、70年代の革ジャン着てバンダナ
締めてた頃の写真が宣材として使われてしまい
「全然違うじゃねえか」と突っ込まれたw ちょっと色合いは違うが、79年に来日(最後)したジンキニスキーの変貌ぶりは驚いたな。
まあ自分もオールドファンじゃないのでそれまでのイメージとの比較だったけど、
それでもあのヤツレ方は目を疑ったな・・。 >>345
でも鈴木ってたたずまいが全盛期のロビンソンじゃなく
落ち目になり出した頃のロビンソンなんだよなw
でもそれで逆に「ブルー・アイドソウル」が似合うという
あの曲かかるようになった頃からロビンソンは鶴田童謡テリーに人気奪われるような
形で人気落ちて
「マードックと並ぶ谷間のシリーズのエース外人」になっていたからな
前スレにもあったが人間風車はその衰えたロビンソンと比べても微妙だが
スタンディング・レッグロックとかネック・クラッチみたいな小技のフォームはそっくりなの
が面白い
アリオンは売れたテリトリーがニューヨーク、トロント、オーストラリア
みんなギリシャ移民の大きなコミュニティのあるところだったw
トロントはイタリア移民も多くブルーノは一時NYを離れてここでスターになり
ビンスsrに呼び戻されてWWWWF王者になった >>354
ウェルズは南部で元フットポーラーとして売り出してたな
初めて見たのはWM3のビデオでロバーツ相手のジョバーだった
厳密にはちゃんとテーマ曲を流して、一度はタックルで攻勢に出たから本来の意味の
ジョバーではないが
WWF入りしたはいいがテーマ曲もキャラもないただの負け役という本物のジョバーに
落ちたレスラーはレス・ソントン、ロジャー・ガービー、テリー・ギッブス、バック・ズモフ
マイク・シャープjrと結構いる
最初からそういう扱いだったのか、シャープのように降格してジョバーになったのかは
わからんけど
ズモフなんてキャラレスラーの走りの一人なのに何のキャラもないジョバーは悲惨
戸口(タイガー・チャンリー)も最初はミスター・フジをマネにつけたヒールだったけど
末期は完全なジョバー マスカラスが全日に来た最後の自分の記憶は(馬場三回忌ドームは別として)
小林邦とIWA戦の東京体育館かな?
後楽園でタイガーとシングルやったり、ラシアンズやウインダム・ロトンドなど来てたシリーズ
それから先はWINGまでぽっかり記憶がない
ただ個人的には、WINGは昭和全日外人へのリスペクトが感じて印象は悪くない
ジプシー・ジョーをエースというかベビーにしたり、金網をメインに主役にすえたり
国際はともかく、全日時代では有り得なかった
全日外人を主軸にしたのはIWAジャパンもそうだね、テリー、シン、ゴディを主軸に川崎球場でトーナメントやったり。 >>360
ヒッカーソンは来日前は知らなかったけど
88年最強タッグでブラックウェルと巨漢コンビ、白星配給チームの記憶しかない
事前情報も知らないから観戦時も落胆もなかったし
むしろデブキャラチームはリング上の見栄えは個性的で、勝負はともかく試合は面白かった印象
同じにしたら両者に失礼だが、バグジー・マグローと何か風貌や年代が被って見えた 川田のキックにぶち切れて控室に殴り込みしたんだよね >>365
マグローというより更に肥大化したジョー・ルダックという感じだったな。 >>365
確かにブラックウェルとのタッグチームとしてはおさまりがよかったね
88年ならブラックウェルのパートナーにはWWFを離れてたスローターを呼んでほしかったが
斜陽期AWAでの人気コンビ
三沢タイガーと組んだスヌーカとも斜陽期から衰退期のAWAでは人気コンビだったけど >>364
シリーズとなると、その同じ86年の5月シリーズかな?
タッグを組んでも対戦相手としても自分勝手なマスカラスにヒロ斎藤がキレたんだっけか >>370
ヒロ斎藤ごときが、生意気にも程があるなーw ルダックはもう死去して丸20年になるか…
確かにヒッカーソンと似てるかもしれない
スローターは「世界のプロレス」でしか知らないけど
ハンセンのラリアットをモロパクリしてたな、サポーターの位置を確かめる腕を上げるポーズも全く同じで
それでいて試合前のインタビューでは「本物のラリアットをハンセンに教えてやる!」
とか言ってて、「元祖に対して何言ってるの?」と苦笑した思い出。
マスカラスはその年の春が最後だったか
そういえば武道館で観戦してたわ、レイスと組んだ試合だからスカイハイは流れなかった気がする
あの日はカードだけは豪華だったけど、どの試合も凡戦ばかりで印象が薄い
天龍vsマシン 馬場vs木村 鶴田vsシン 長州谷津vsウォリアーズ
結構粒ぞろいのカードでお得感があったんだけど、なんか不完全燃焼だった感じ…
お客さんの入りもあんまり入ってなくて、前回の全日ジャパンの6vs6の方が埋まってた気がする レイス・マスカラス・高野組か・・・カードが下手だよね。 86.6.12といえば、裏で新日は藤波vs前田、猪木vs藤原のIWGP大阪城大会だったんだよな 昭和の全日本プロレスかぁ〜、懐かしいなぁ〜♪
元カノが肛門ブキーマーでさ、肛門の周りが黒ずんでたんだわ。
で、頭の中で鶴田のヘタクソな歌声で歌ってたわ、
人は〜誰〜でも〜♪ 肛門ブキーマ〜♪ 昭和の全日本プロレスかぁ〜、懐かしいなぁ〜♪
鶴田の試練の十番勝負の記念すべき第一戦が対バーンガニアでさ、
一本目が原爆固めで鶴田、二本目が独特の揺さぶりスリーパーでガニア、
で、決勝の三本目、鶴田がどんだけフォールに行ってもカウント2で返される。
倉持アナ「馬場さん、どうすれば鶴田は勝てますか?」
解説席の馬場「やっぱりね〜、1本目を取った技をねぇ〜、もう一度やる事ですねぇ〜」
この「1本目を取った技」ってのを馬場は3回くらい実況で言ってたんだけど、
ついぞ「ジャーマンスープレックスホールド」とか「原爆固め」という言葉が出てた来なかった。
「馬場は知ってる言葉が出て来なくなる痴呆か?」とも思ったんだが、
猪木の決め技でゴッチの必殺技の名前を口にしたくなかったのかもね。。。
で、その大一番は両国の日大講堂でやってたんだけど、当時の全日本は東京のビッグマッチで
よく使ってたね、日大講堂は。
キャパ9000人って出ててさ、蔵前の国技館(11,000人)よりは少ないけど、
千駄ヶ谷の東京体育館(9,000人)と収容人員がほぼ同じだったね。
もちろん水増し発表やりまくりなんだけどさ、全日だけじゃなく新日も国際もね。
でも新日と国際は日大講堂は確か全く使ってなかったね。
国技館よりは使用料がド安いはずなんだけど、なんでだろ??? >>372
あれは訳者クローズラインをラリアットと訳したからおかしくなったんだよ
ポーズはともかく、クローズライン自体はハンセンのラリアットよりも早く取り入れて
いたラリー・ヘニングから伝授されたもの
ヘニングはなぜかクローズラインはフィニッシュにせずフォアアームアタックの方を
アックスと称してフィニッシュにしてたけど
>>373
下手というより何も考えてないカードだな
当時の馬場いわく「泥に手を突っ込んでた」全日の外人軽視の現われ
同様の投げやりカードでもレイス・ブラックウェル対シン・ギャングは予想外の好カード
になったけど
勝手なマスカラスと塩の俊二じゃねえ >>376
日大講堂は初期全日のメイン会場だったね
新日も73年の猪木vsゴッチ、吉田vsグレコ
75年のワールドリーグ決勝大会で使用しなかった? >>376
日大講堂は、プロレスだけではボクシングも
大場政夫など日テレ系列の試合が多かった
当時の日大の理事に読売か日テレの関係者がいたのでは?
また東京都体育館は立地条件も良く収容人員もそこそこ多いのに
もともとバレーなど球技用の施設なのでプロレス向きじゃない+
周辺に飲食店がないので試合終了後のプロレス談議で盛り上がりたいファンに不評
当の理由でどこの団体もあまり使いたがらなかった
猪木vsブッチャー、馬場vsハンセンが連続したのはあの時期他の大会場が空いてなかったからか? >>361
キニスキーやサンマルチノの息子も来日してたな。
親父が偉大過ぎて可哀想だった‥ 昭和の全日本プロレスかぁ〜、懐かしいなぁ〜♪
昭和56年の5月にブッチャーが新日本のリングに登場しちゃってさ、
馬場としては既にTJシンに触手を伸ばしてたとは思うんだけどね、
日本テレビは焦ってたんだろうね。
56年の6月のシリーズだったかな、ジミー・スヌーカの入場で「吹けよ風、呼べよ嵐」を流してさ、
倉持アナが「日本テレビが選曲しました、悪のテーマ曲です」
「新しい悪のヒーロー、ジミー・スヌーカでございます」って
何べんも何べんも言ってるんだよね。
日本テレビはホントにジミー・スヌーカがさ、
ブッチャーに代わるトップ凶悪ヒール外人になれるとかマジで思ってたのかね?
倉持アナのしゃべりではそんな感じだったんだよね。
どこがどう「新しい悪のヒーロー」だったんだろうか?
で、翌月にはTJシンが全日本に登場してスヌーカなんてどうでもよくなってなかった?
「吹けよ風、呼べよ嵐」もTJシンに使われてたし。
そのスヌーカ、その年の12月の最強タッグ最終戦、
ブロディとのコンビで入場して来るときにハンセンが一緒に入場して来てさ、
もうスヌーカなんてどうでもいい存在になってたよね。
つい半年前は、ブッチャーに代わる全日本の最凶悪外人になったはずなのに。
倉持アナがイチ推しの「新しい悪のヒーロー」だったはずなのに。
んで、ブロディのパートナーは当然のようにハンセンになってミラクル超獣パワーコンビ結成でさ、
スヌーカは前年の最強タッグ優勝者なのに翌57年以降、ほとんど呼ばれてないよね?
あれはさすがに酷いよ。
スヌーカは全日でなんか悪いことしたんか?
親日ではボブ・オートンJr(ランディー・オートンの親父)が酒癖が悪くて来日のたびに何度も問題起こして
警察沙汰やヤクザ沙汰になってるのに、なぜか猪木が何度もクビを撤回して呼び戻してるのにね。 >>381
83年か84年?に来日した時のデビッドサンマルチノは覚えてる
馬場の16文を天龍ばりにモロな食らい方してて、思い切りが良いイメージ
体格も下半身がずっしりしてて、親父譲りな感じだが、いかんせん身長がね…
ハンセンブロディが主流の全日では浮上できないよね
とはいえジュニアってファイトでもないし、今でいえば新日の石井みたいな体格だったか?
フレアーは無理にしても、グレッグ・バレンタインみたいなタイプになってたらね、でも大成は厳しそうだったね。 全日が日大講堂の使用が多かったのは日テレが年間契約を交わしていて日テレに格安使用料払えば良かったから 全日本に登場した往年のスターと言えば、昭和50年のボボ・ブラジルね。
花束嬢に渡された花を食べてキチガイぶりをアピールしてるのを見て
「こりゃダメだ!」って思ったよ。
しかも菊が苦過ぎて食べれなくて噛んで吐き出してるw
あの時のリングの垂れ幕のイセキ農機の広告が懐かしい。 昭和50年代なかば頃のテリー・ファンクの人気は凄かったな。
地方会場からのTV中継でさ、女の子のチアガールズがスピニングトーホールドの曲に合わせてボンボン振ってるんだけど、
あれって日本テレビや全日が用意した仕込みじゃなくて
ホントに実券買って入ってるファンだったんだろうか?
倉持アナが「テリーファンのお嬢さん達による〜」なんて言ってたね。 まあ、昭和の全日本って、やっぱりゴールデンタイムのテレビの放映権料がデカかったんだね。
ゴールデンのTV中継さえあれば客入りは二の次みたいなとこがあったね。
馬場や鶴田のタイトルマッチ中継が○○県体育館でさ、客入りも半分ぐらいでさ。
そのTV中継も、プロ野球シーズンは土曜の夜は必ず後楽園の巨人戦に取られるから、
平日の23時55分からの放映にされちゃうんだよね。
ソニーのベータマックス登場が昭和53年で、ウチが録画予約機能付きを買ったのが昭和56年だから、
それまでは23時45分に目覚ましをセットして、起きて観ようとするんだけど
寝過ごして観られんかった回が何度もあったわ。
オヤジの「起きてたら録画しといてやる」は全然アテにならんかったな。 往年のブラジルやキニスキーの名前が出てくると、73年に最後の来日した
ビル・ミラーを思い出す。
ジャイアントスイング、ネックハンギングが得意で、馬場が初めて対戦した
外国人レスラー(ミスターX)じゃないかな?
この年には新春ジャイアントシリーズにアルゼンチン・アポロも初来日して
アントニオ・ロッカ譲りのアルゼンチン・バックブリーカー繰り出し
マシオ駒や大熊を担いでいた。
あとウイルバー・スナイダーも最後の来日だった。
もっと来日して欲しかったな まあね、あの頃の全日本プロレス中継はね、日本テレビ主催のナイター巨人戦が絶対にない
月曜夜にやってくれる事をホント望んだわ。
他の平日夜の全日本プロレス定期放映でもよかったんだよ。
他球団主催の巨人戦は日本テレビ以外での放映だったしね。
テレ朝のワールドプロレスリングはプロ野球のナイターで潰れる事はなかったし、
たまに特番で金曜8時に放映出来なくても繰り越しで9時から放映してたよ。
土曜の夜に雨で後楽園の巨人戦が中止になる事を、いつも願ってたわ。
日本テレビは全日本に冷たかったね。 放送団体は日和見的にコロコロ変わる、そうかと思えば団体のために金は出す、日テレにとってどういう位置づけだったのかいまいち分からない >>390
プロレスは開局以来のメインコンテンツであり、その象徴が力道山の正統後継者たる馬場。
日テレの度重なる不義理を大目に見ていた日テレも、馬場をNETに出演させたときだけは
烈火のごとく怒り即中継を打ち切った。
もともとエースで現状に大きな不満のなかった馬場を日プロから無理やり独立させるためには、
絶対打ち切らないと全面バックアップを確約する必要があったけど、、金曜8時枠と
三菱電機を失うなどの誤算や、馬場自身の衰えや豪華外人路線の高コスト体質が重なり、
かえってその確約に振り回されるようになったんだろう。
馬場がなくなると、今度は三沢たちの独立をたきつけて同じことを繰り返したし。 >>386
生で見たことあるが、券は買ってたんじゃないかな?根拠はないが。
ただ、あるテリー追っかけの女性ファン達が試合後会いに来てくれ嬉しいが、女性ファン達は、会場に入らず、試合は見てない事を知り残念がっていたようだ。 川田のキックで、なんでこんな痛い目に合わないといけないんだと六本木の路上で泣き出したのがレイヴェンことスコッティ・ザ・ボディ >>393
突っ込み放題だろうから
とりあえずほかのやつが突っ込まないところから突っ込むわw
>>382
「吹けよ風、呼べよ嵐」は第一戦のパートナーのシークの登場曲だよw
つかスヌーカが57年以降来なくなったって、ジャイアントシリーズの因縁マッチを完全に
忘却してた流のでたらめ記事でできた「流史観」だよなw >>393
敢えて突っ込むとしたら、スヌーカはWWFに行くことになってた。
ということかな?
ww >>373
レイスとマスカラスのタッグは知らなかった。入場曲やコールの順番で相当揉めたんじゃないだろうか。
それでもマスカラスがレイスに譲ったってことか。 週プロは鶴田にちょっと冷たかった
86/6/12のシン戦はカラーページなんだけど、4/1ページで隅っこに。「アメリカンプロレスを見たければ鶴田を見よ」
みたいな皮肉っぽく。。
三冠を統一したハンセン戦なんかモノクロページだった。初代王者なのに・・ うーん…テリーのチアガールズは俺も当時は本物だと思ってたんだけど…
でも今みたいにネットなんかないのに、お揃いのフリとユニフォームでやってるってことは、
みんな一緒の学校のテリーファンの子たちだったのかな?
ってことは、実はボンボン振ってるガールズの中の半数くらいは
プロレスなんてまったく見たことのない子たちだったのかもね。
でも、テリーの来るシリーズは地方の体育館でも毎週末テレビに映ってたね。
当時のプロレスってのは、何がホントか判らないんだよね。
昭和52年頃だったかな、大木金太郎が韓国で交通事故に遭ったからって事で、
頭を包帯でグルグル巻きにして出場していて、それでも一本足頭突きとか、
それまで通り普通にやってフィニッシュにしてたし。
倉持アナの話では、頭の中にガラスの破片が入ったままとか言ってなかったっけ? 週プロが冷たい扱いじゃなくて、ジャンボはシン戦もハンセンとの
初代三冠王座統一戦も試合自体が凡戦だった。
彼に何故名勝負が少ないかというと、必死さが伝わらないからじゃないかな
それだけ余裕があるからだと思うけど、初めて蔵前でファンクスに挑戦した
インタータッグ戦や天龍・三沢らの下からの追い上げを迎え撃つ試合なんかは
どれもが名勝負だった。 1970年前後に、日プロ、国際に「まだ見ぬ強豪」が
続々来日した。ファンクス、Vガニア、Eカーペンティア、
B.V.ラシク、E・ラッド、Dローデス、マスカラス、Sアリオン、
H.ホフマン,ザ・シーク。
さすがに、もういなくなった、と思った時
全日が呼んだのが元WWA世界王者のMルーイン。
あとタッグの名手、スコット兄弟も、「まだ見ぬ強豪」扱い。
74年夏に弟のサンディだけが来襲したが、パットしなかった。
70年頃、日プロに来ても
アジアタッグ挑戦レベルだったのでは? >>398
>三冠を統一したハンセン戦なんかモノクロページ
その号の、トップカラーグラビアは2日後の大阪、
鶴田対天龍の初防衛戦。
だから仕方がないよ。 >>359
マスカラスの動きが竹内氏の想像以上だったそうで。
賭けに勝つ、とはこの事で。 >>316
なんといっても客席が違う
昭和40年代前半は背広きたオヤジしかいないのに
40年代後半ともなると子供もいれば女の人もいるしね >>390
GHQバックにした大正力による戦後復興やアメリカ娯楽の導入とテレビメディアの立ち上げ
その最大のツールであったのが巨人と力道山
だからこそその大正力の遺志を継ぐ形で
正力の大番頭だった日テレの小林與三次が
(読売新聞で同じ役割だった大番頭が務台光雄)
「讀賣新聞・日本テレビグループの社是」として
力道山の正統後継者馬場がいる限り日テレは馬場の立つリングを支援するという
組織としての意志が働いていた
実際に現在やってることがどうかはともかくとして
パナソニック社内に松下幸之助の、ホンダ社内に本田宗一郎の教えや遺志が
未だ一定の存在感を持っているのと同じようなもの
こういうのは企業や組織が人によるものである以上
必ずしもビジネスや組織上合理的な理由だけで残っているわけではないからね
だから近年人気の凋落著しい巨人も
その象徴である長嶋茂雄と王貞治が亡くなったら
日テレは機を見てダメとなったら意外とあっさり・・・って気もする
>>399
日テレだしコスといい振りといい日本テレビ音楽学院の
ザ・バーズとかの研究生あたりからの仕出しじゃないかと塑像
あの頃はタレント養成所としてスクールメイツと並んで有名だったし 当時の日テレの関係者に全日との関係を聞くと、オブラートには包んでいるけど
「いくらコッチから団体設立に向けて働きかけたからって、客も呼べない
視聴率増加も見込めない高いカネばかり取る外人レスラーを大量に呼び続けて
その経費を全部日テレに負担させ続けるって馬場はいったい何様だよ」
という本音が見え隠れしている >>407
逆を言えば、それくらい好条件を提示しないと馬場を独立させられなかったってことだろう。
もともとエースだったのに加え、最大の脅威だった猪木が自滅して除名。
代わりのパートナーには坂口を据えればいいし、馬場には日プロを辞めて独立する理由がなかったからな。
(NETには出たくなかったろうけど、それだけでは独立の理由として弱すぎる)
日テレの誤算は、立ち上げ準備の手抜かりで金曜8時枠と三菱を失ったこと、
馬場自身の体力や集客力の衰えに加え、馬場にその衰えを豪華外人でカバーする以外の
戦略がなかったことだろうな クーデター以降は
大木、ヒライ、小鹿らが取締役になって大きな顔をしだしたので
猪木は「馬場さんもあの中にいつまで居られるかな?」
と言われるくらいだから
居辛かったのもあるんじゃないの? >>406
>>399
まさかチアガールの偽者説が出るとは、思っても見なかったが、今思うと信憑性あるw
読みが深いなw
あと後楽園ジャンボプールでのテリーのサイン会は、男性ファンにまぎれ女性ファンが、かなりいたのは良く覚えている。ちなみにその日夜は、新日の蔵前国技館に行ったよ。 >>411
みたいだね。
随分と後になり知った。
しかしチアガールなんか、もう40年近い昔話だが、結構思い出せる。 >>389
ワープロも野球で潰れることはあった。
しかも70年代後半は雨天中止でも映画になってた。 >>413
たまに阪神ー巨人戦で潰れてたよね。年に一、二回程度で日テレほどではなかったと思うけど。 >>410
>ちなみにその日夜は、新日の蔵前国技館に行ったよ。
それ、猪木不在の最終戦でしょ?
長州vs藤波 タイガーvs寺西だったかな?
自分たちは同日の後楽園のテリーさよならシリーズ最終戦に行ったわ
新日ファンの友達とだけど、猪木が出ないから強引に説き伏せた
天龍石川vs原井上が名勝負になった有名な試合の日ね
とにかく当日立ち見券だから、空調のない階段で延々と数時間も汗だくで待機したのはいい思い出。 >>415
そう。超満員だった。
余談だが、4月3日の蔵前か、この日か忘れたが、席の側に欽ちゃんバントの小西と見栄晴がいて、観戦しながらサインしていた。
後楽園ホール、あの落書きだらけの階段か。
当時は、スマホなんかないから、待機中暇潰しに落書きしてた奴よくいた。
誰が書いたか知らんが、特にブッチャーの下手くそな絵が、印象深い。 >>403
両リンに終わった鶴田xハンセンの三冠統一戦は、空き缶がドアップだった。。笑 >>416
ああ、超満員だったんだ?猪木がいなくても新日の勢いが凄い頃だね
新日での佐山タイガー最後の日に生観戦できて、結果的に貴重な日になったね
あ、平成のライガー戦や猪木戦は別として。
壁の落書きもそうだけど、階段では高校生ぐらいのお兄様方が試合の生写真を売ってたのが思い出深い
5枚で300円ぐらいだけど、「僕、アイドルは誰のファン?」とか同時に聞かれて
おまけにキョンキョンや早見優の生写真をくれたりしたw >>387
起きてなきゃダメだよ
そー言う俺も11時からのビッグイベントゴルフで随分寝落ちしたよw >>412
ライガー夫人はいまだに熱烈なテリーファン!トミーチアーガールズから鞍替えしたw
テリーファンクファンクラブには入らなかったが引退の時は関連本が多すぎるので友達
と共同で購入して復帰時もそれほどがっかりしなかった。何年か前にテリーが
来日した時は福岡から上京して観戦、興奮ぶりを心配したライガーがお目付け役で
ライガーJrを同伴させたw
>>408>>409
実力は下り坂ながらNETと日テレで馬場争奪戦が繰り広げられるくらいのレスラー馬場
の最大にモテ期だった。馬場を強奪された日テレはメンツを潰されて小林社長が財界筋の
会合時間を遅らせてまで馬場の独立を口説き好条件を出した。TV局同士の対立だけでなく
資本関係にある読売vs.朝日の新聞社のライバル関係から負けられない戦いだった・・・
馬場の日プロ離脱時に佐藤は先輩から「馬場なんてステーキを食べて葉巻を吹かして
いるだけだぜ!(経営能力は無い)」と言われた。 >>420
>「馬場なんてステーキを食べて葉巻を吹かして いるだけだぜ!(経営能力は無い)」
馬場だって会社経営なんて面倒なことはやりたくなかっただろう。
無理やり独立させた日テレの自業自得だよ。
一方の猪木は、新団体設立に動くも「猪木じゃ魅力がない」と単独ではどこのTV局にも相手にされず。
東プロ時代の確執から国際も獲得に動かず八方塞がりのなか、当時人気絶頂だった
「キックの鬼」沢村忠との対戦プランが急浮上
猪木と沢村なんて体格差ありすぎてもちろん実現しなかったが、このときの経緯が
後の異種格闘技戦に発展したんだろうな 結局馬場に分厚いステーキで釣られた坂口がテレビと一緒に来てくれて
新日本が生き延びた >>421
「キックの鬼」アニメにもなり大人気だったな。毎週観てたよ
沢村のキックや「空手バカ一代」の人気で一時期ボクシング界が低迷したし
あまりにも沢村が強すぎて八百長疑惑も随分起こった。
猪木との対戦プランは知らないけど、ベニー・ユキーデとやって欲しかった
あと佐山が憧れてたのも沢村忠 こういう言い方は語弊があるかもだが
全日本は「劣化日本プロレス」または「世襲プロレス」
新日本は「東京プロレスの上位互換」または「日本プロレスから分化したインディー」
あくまで初期段階だけど…
ただ新日は日本人対決、異種格闘技、いままでとは趣が異なる新機軸を打ち出した
全日は良く言えば既存伝統を踏襲、だけど見慣れた風景+年齢が加算されてキープが精一杯という事かな?
文才ががないし、生まれてなかったから理解が違ってるかもだけど… 言わんとしてる事は分かるけど、新日や全日ができた頃は子供だったし
そこまで考えて見てなかった(振り返るとだろうけど)
プロレスって面白いなー、あのカッコいい猪木が追放されたけど
もう見れないのかなー
当時はそんな感じで夢中になってたな
新日と全日の差は馬場と猪木の性格によるところが大きい
慎重で無理な冒険をしたがらない馬場
何とかなるからやってしまう猪木(馬場に外堀を固められたからだけど)
あと参謀、新間寿の存在が大きい。
学生時代は馬場派猪木派いたけど、とにかく全日も新日も応援してたなーw >>425
>慎重で無理な冒険をしたがらない馬場
どうしてその性格で全日の旗上げをしたんだろう?
大義名分は「スポンサーへの恩義」
根底は上記の方々の色んなレスの通りでおそらく事実なんだろうし、多分正しいんだろう
でも「38歳で引退」という構想が本音なら、その時は年齢的に少し早いかもだが
2000年の全日分裂時の渕みたいに「川田に声をかけられなかったら、引退して物書きにでもなる」
こういう感情が自然だと思うんだが?
特にフロントのゴタゴタが名目ならなおさら「こんな業界とはおさらば」でもおかしくない
結果的に全日は今でも残ってるとはいえ、四天王時代に初めて「社長の恩恵を感じた」というぐらい苦労したんだから…
上記のレスで「馬場のインターよりも、馬場猪木のインタータッグが重宝されてきた」
その空気を馬場が感じないわけないはず、と思うが…
まあ、子飼いというか馬場派レスラーの処遇や先行きという点もあるだろうけど。 日本テレビから話を持ちかけられた馬場は慎重居士の性格から
安易に話には乗らず、交渉で日本テレビがどれだけバックアップ
するかを聞き出し、日本テレビが全面バックアップすることで
合意に達し、全日本プロレス旗揚げを決意。 >>421
>猪木との対戦プランは知らないけど
除名された猪木が八方塞がりだったとき、突然TBSのキック番組に登場するって噂が流れたことがあるんだよ
TBSのキックは当時沢村の一枚看板だったから、一部マスコミがすわ「沢村vs猪木」(当時だと間違いなくこの順番)
と書き立てた。もちろん実現はしなかったが。
多分吉原に猪木獲得を進言したけど拒絶されたTBSのスタッフが「国際がダメならキックだ」
位の思い付きでリークしたのでは
>>426
>どうしてその性格で全日の旗上げをしたんだろう?
一言でいうと「外堀を埋められた」から
ある日日テレから「もう日プロには愛想が尽きたから中継打ち切ります。でもあなたが
新団体立ち上げるならうちで独占中継します。バックアップは惜しみません。シンパのレスラーも
外人もどうぞ連れてきてください。その気がないならあなたとの縁もこれまでですよ。どうしますか」
と言われたら、答えは1つしかないでしょ。 確かに71〜72年のゴタゴタの時に引退なりフリーになってセミリタイア状態で
海外マット生活も考えたと思うけど、やっぱり日本テレビへの恩義が一番
大きかったと思う。
NETが坂口や馬場を放送する時も日プロ役員会では最後まで反対したらしいし、
それでも押し切られ自分も同罪の意識があったんじゃないかな?
同時に日本テレビからの独立話、自分をかってくれバックアップの保障が
あり自らも海外マットに顔が効き信用もあるとなると、恩返しするには
この話に乗るしかないと思っても不思議じゃない。
もちろん同期の猪木が改革の志し半ばして追放された事も大きいと思う。
ライバルとして競いあい、時にはヤンチャな弟のようにも思い付き合ってきた猪木が孤軍奮闘で頑張っているのを見ると、自分もと思うんじゃないかな。
段取りがなく、恩義もなかったら頃合いを見て辞めてたよ。
あくまで想像ですよww >>428
この当時だったら沢村戦が実現出来ていたら
ファイティング原田や高見山という
夢のカードも実現していたかもしれない。 市瀬氏の四天王本の最後の方に、元子と対立する三沢に対する
「三沢たちが好きなようにやりたいならやればいい。その代わり全日本は畳む」「全日は俺一代限り」みたいな馬場の発言が紹介されてた。
あれ読んだら全日本=馬場の個人商店て下種な揶揄ではなく、本当に全日は馬場の分身みたいなもんだったんだなと思う。
90年代末の「鶴田は客入りなんて一度も気にしたことはなかった」的な鶴田に対する冷たい発言も
馬場の「レスラー、社員、その家族全員の生活を俺は守ってきたんだ」って自負からだったんだな。
鶴田から言わせれば下手に客入りや経営状況を気にして、馬場にあらぬ疑いかけられるのはまっぴら御免て所だったんだろうけど。
結局、最期の最期まで全日を好きなようにコントロールできた馬場は幸せな生涯だったな。 >>431
分身は言い過ぎ。
会社創業者にすぎん。分身などというならなにもかも1人でやる事だ。
従業員の家族全員の生活を考えてる社長など1人としていない。
テレビの作り文句。
会社潰れたら私有財産確保して解散するだけ。 各テレビ局のアプローチを見ると、70年代初頭迄はドル箱番組だったんだなと
思い知らされる >>432
考えてみれば整理されてるレスラーいるからねえ。 >>431
>下手に客入りや経営状況を気にして
経営はともかく、客入りを気にしないようではメインを任されるレスラーとしては失格だと思うんだがな
会社を何とかしようと阿修羅原と地方で汗水たらして奮起してた天龍への気遣いだったとしても…
80年代のエース外人だったシンとハンセンのシングル戦が客に不評な現実から
目をそらす鶴田にピンフォール負けなんてそりゃしたくないだろう 和田京平インタビューでも馬場は
「俺が引退したら道場や合宿所を全部置いていくけど
全日本プロレスの看板だけは持っていく。後は三沢や小橋で
新しい名前でやっていけばいい」と言ってたらしい。 >会社を何とかしようと阿修羅原と地方で汗水たらして奮起してた天龍
と言うのを売りにしていた天龍はあっさりとメガネスーパーの誘いに乗った 道場や合宿所を鶴田が建てたのがそもそもおかしいだろう。馬場はなにをしていたんだ。 日テレは馬場の存命時は放送契約を続けたね
しかし馬場が亡くなって1年ちょいで放送打ち切り→同時進行でノア
これを情があるとみなすか、ドライとみなすか
あくまで情もドライさもなく、契約履行の現実とみなすか どこぞの本で読んだ記憶だと、独立を渋っていた馬場に決意をさせたのは日テレの
「馬場君が動く気がないなら、うちは猪木君に声をかける」
という一言だったそうだが、まあこれもどこまで真実やら 昭和の全日本プロレスかぁ〜、懐かしいなぁ〜♪
昭和50年頃の全日本プロレス中継、あるあるパターンね。
ブッチャーの試合でさ、リングサイド最前列にお婆ちゃんが座っててさ、
倉持アナ「あのお婆ちゃんは大丈夫でしょうか、心配ですねー、山田さん」
山田隆「そうですねー」
で、ブッチャーが場外で大暴れ。
相手はデストロイヤー、ハリーレイス、ファンクスetc…
もちろんリングサイド席なんてもうメチャクチャ。
倉持アナ「ああ、山田さん、あのお婆ちゃん、姿が見えませんねー」
山田隆「そうですねー、心配ですねー」
これ、よくあったね。
あの頃の全日本プロレス中継は、必ずリングサイド席に
昔ながらの昭和のお婆ちゃんがいたな。
生きてれば今、110〜120歳くらいか。
今はどの団体の会場にも、ああいう昔ながらのお婆ちゃんなんて全然いないね。 >>441
ついこの間の新日本G1高松大会のメインを棚橋が締めて恒例のファンサービスタイムで
お婆ちゃんがめっちゃ嬉しそうな顔して棚橋と握手してる場面が映ったんだけど、
見てるこっちまでほっこりしてしまった。
あのお婆ちゃんは馬場猪木の頃からずーっとプロレスを見てるのかな?
それにしても棚橋の手厚いファンサは見ていて胸を打つね、アレをやられたらまたプロレスを見に行こうと思う。まぁそれで暗黒期を乗り越えたわけだからね、スレチですまん。 >>423
実際に沢村は八百長こみの作られたヒーローでしょ >>437
四億貰えるなら普通は移籍するよ
天龍も金って言えば良かったんだよ
落合が1億の時代に1億だもんすげえよな >>440
放映するつもりも無いのに馬場への陽動作戦で広告代理店経由で新日と非公式に
接触したらしい。
>>429
プロレスラーは誰もお山の大将になりたがる!と最近も専門誌に書いてあった。
日テレ・原PはGスピに鶴田特集で「本当にトップになりたかったから自分で団体を
立ち上げるしかない!」とコメントしていた。
>>432
どんなに苦しい時も給料の遅配、欠配をしなかったのを馬場は誇りにしていた。
国プロや新日も初期は大変だった。ただ馬場には巨額の資産があったのと
「今シリーズは赤字だから俺にギャラ(ファイトマネー)は無しだ!」と美談仕立て
の話もあった。日テレや松根社長でさえ不可侵だった全日のトンネル会社の
ジャイアントサービスの存在が大きかったけど・・・ >>437
田中社長は最初武藤が欲しかったんだよね。
武藤は行く気満々だったけどすぐ阻止されて天龍に白羽の矢が
メガネスーパーの巨額の資金があっても、集めた選手は勢いのあった天龍以外
客が飛びつくようなレスラーは少なかった。
資金がありプロレスが大好きでガチだと思い込んでいたなら
プロレス界を動かしてみたくなる気持ちは分かるな。
何ならプロレス界を統括するコミッショナーになればよかった。
高橋本以降?姿が見えなくなった新日本だけのコミッショナーじゃなく
新日全日の2大メジャー&UWF(FMWはまだ無いかな?)を管轄し
レスラーの資格制度、リングドクターの配置等までやってくれたら
三沢や高山の悲劇もなかったかもしれないね >>447
>プロレス界を統括するコミッショナーになればよかった
プロレス好きな眼鏡屋の親父が、いきなり
「俺は、プロレスコミッショナーだ!」と言ったって
先ず、馬場が認めないよww
試合スタイルが水と油のUWFとFMWを
どう管轄するのか?
>レスラーの資格制度、
これも難しい、有名無実になりやすい。
例えば、90年代、60歳を過ぎ、人工透析を
受けながらFMWに上がったミスター珍、
まともに考えれば、レスラーの資格を満たせないだろ?
>リングドクターの配置
これなんか、田中コミッショナーの費用で
各団体の興行(地方も含む)でドクターを
派遣する、といえば団体は「いやです」とは言わんだろうが
その代わり、その他のことでコミッショナーの指示に
従え、と言われたら反発するだろよ。 プロレスに限らず、外部の人間が
「金出すからコミッショナーやらせろ」って言ってきて
素直に受け入れるところなんかあるわけないわなw メガネスーパーはバブル景気で株投資がたまたま儲かっただけだしな ――猪木さんの金銭スキャンダルは尽きないですねぇ。
谷津 馬場さんもえらい目に遭ってますよ。
――えっ、馬場さんも!?
谷津 昭和60年頃かなあ。猪木さんから電話があったんだって。「プロレスコミッショナーを作りたいんです。
一緒に佐川清さんの自宅に行きましょう」って。
――佐川急便の元会長ですね。猪木さんの最大の支援者だった。
谷津 それで馬場さんは猪木さんと一緒に京都の自宅まで行ったんですよ。
――BI砲と佐川清の面談ですか!(笑)。
谷津 「プロレス界のためにお金を融通してください!」って猪木さんが土下座するから、馬場さんも頭を下げたんですよ。
でも、その話はそれっきり。猪木さんは佐川清さんからお金を借りたのかどうなのかは知らないけど。馬場さんはいつも
言ってましたよ。「あのときは猪木に利用された」って。
――馬場さんがお金を借りるダシに使われた可能性は高いですね(笑)。
谷津 馬場さん、「猪木に騙された」っていつもボヤいてましたよ。馬場さんってけっこうお人好しなんだよなあ。 猪木は佐川から金を借りて借金が返せなくなり
政治家になった後出馬を断念する事を条件で
佐川の借金はチャラになったのでは? >>452
それが何の借金なのか
85年ならハイセル関係かなー?
そうだったら馬場は関係無いし‥
BIが揃って佐川氏に頭下げるくらいだからよっぽどだな 素直にとって「猪木に利用された」は事実はあろうけど
ならば「猪木に貸しができた」としてバーターでなんか引き出せばよかったんじゃないかな。
外人を融通させるとかさぁ。 >>455
85年だったらアンドレはまだ動けるから欲しいよな >>454
猪木はその前からアリ戦で大借金作って
さらに事業で失敗
猪木が借金を返し終わったのはパチンコ、パチスロが売れてから
猪木が北朝鮮にこだわるのも分からんではない コミッショナーだの日本プロレス界の為だの、馬場に上手いこと言って
利用したとしたら、とんでもな奴だな
本当だとしたらだけど(騙される方もどうだか) >>450
あの頃ターザンはじめプロレス界が
メガネスーパーのことを黒船だのなんだのと
なにかとんでもない超巨大企業が無尽蔵な資金と権力を携えて
冷徹なビジネスの論理で乗り込んできたみたいに言ってたのは
さすがに当時から違和感あったわ
いくらあの時代でもどう見てもバブル景気で儲かった新興企業が
ビジネスと対極のタニマチ感覚であぶく銭持って
好きなことに気前よく散財してくれてただけだよな
同じ時期のF1におけるレイトンハウスとかエスポとかと同じような感じで
言うてもトヨタやソニーでもなければ
採算度外視で金使ってビジネスに徹してたわけでもなんでもないのは学生の目から見ても明白
なんかレスラーや団体だけでなくメディアまで一般社会に対する
コンプレックス拗らせてんだなあ〜と思ったな 天龍の最大のミスは週刊プロレスのインタビュー受けないで全日本やめて金で移籍したと書かれてから、あわてて電話を掛けて週刊プロレスのインタビューを受けたことだな。最初のインパクトにやられたな。 契約金3憶 年俸1憶貰って「俺は金で動いたんじゃない」と言い張るのも凄い SWSは高野とか冬木とか谷津とかが移籍した段階で
失敗を確信したなあw
いくら金があっても絶対に成功しないわ
まともなのは天龍と佐野くらいだった プロレスファンて結局若い人が多いから
「金で動いたよ!」って言いたくても言えないんじゃないかな 大木戦の直前に馬場にファール勝ちしたボビージャガースだけど決め技が何か気になるな >>464
決め技もなにも乱入したブッチャーの凶器攻撃でジャガーズのフォール勝ち
彼はマスクマンのミステリアス・アサシンでも馬場にリングアウト勝ちした 馬場の大木戦での唯一のフォール負けは、最後のシングルとなった78年のCC公式戦になるんだよな。
急所打ちがフィニッシュという言い訳は付くにしても、やっぱり馬場と大木の間で打合せがあってのことのなんだろうな。
当時はまだクイックだろうが反則だろうが、「フォール負け」という記録のもつマイナスは今より大きかったと思うし。 >>467
フォール負けした公式戦から暫くして、特別試合で馬場対大木が組まれ、馬場が大木の急所に指を突っつきリング下に転落。そのまま馬場のリングアウト勝ち。なんかつまらない試合だった。 馬場のフォール負けも、正確には、急所攻撃から、一本足頭突きでフォール負けじゃなかったかな。あとスピリット戦は、凶器入り頭突きでフォール負けなんてのもあった。
コックスが覆面被っての、ザ・スピリット。
懐かしい。 >>467
これだな。
大木が急所打ちやる時にカメラが馬場のケツ、急所方向に行くから日テレはこの急所打ちを聞いてたな。
こういう場合はクイックカウントだが、樋口のカウントが遅い。
クイックのやり方はミスター高橋の方がうまい。
https://www.youtube.com/watch?v=V25NpotV28s&t=608s コックスvsマードックは凄い殴り合いで、本場のブラスナックルマッチを
見てる様な試合だった(コックスはメリケンサック使用)
スピリットでの来日だったのに馬場のマスク剥ぎにあって素顔での一戦。
コックスからマードックに受け継がれたリアルブレーンバスター対決は
ノーコンテストだったが試合を止めに入った当時若手の大仁田と薗田が
ダブルで喰らってたw
やはりブレーンバスターはサイクロン・ネグロの背中から落とすタイプより
垂直落下式の方がいいね。 >>471
背中から落とすタイプ説明するのに、
わざわざサイクロンネグロの名前いる? >>461
もう全日でやることやりつくしたしな。
また鶴田のパートナーに戻って、
抗争相手はラッシャーとマイティって、
それはひどすぎるわ。
金じゃなく、夢を求めてってのが一番の理由って言いたくなる気持ちもわかる。 >>473
馬場が観客の求めるモノがわかるセンスがまるでない頃。
長州全日離脱時は天龍と輪島を組まして大相撲コンビ誕生を狙うし・・・
やっとわかるようになるのはター山&市瀬の週プロコンビと仲田アナにラインが
ブレーンとして出した”ご注進”に許可を出せるようになった頃・・・ 背中から落とすタイプのブレーンバスター広めたのネグロだよ ブリティッシュ・ブルドッグスvsマレンコ兄弟をファンは見たがっていると市瀬が提案しても
「小さいやつ同士が戦っても面白いのか」と理解できなかったのが馬場 馬場が観客のニーズを了解できなかった、というのはわかるし
石橋を叩いても渡らない、なんて言われるのもなるほどね、だが
ハンセンを抜いてからその初登場シリーズからいきなり馬場とPWFタイトル戦を
組んだのは驚いたな。 >>478
ブッチャーが猪木とのシングル組まれず塩漬けなのを見て判断したのかな。
シンのほうはシングルお預けが長かったが10・9蔵前メインやザ・シーク戦など注目カードが用意された。 >>445
ガチ競技でヤオするのと
最初からケツ決めのプロレスを一緒にすんなw
>>447
>武藤は行く気満々だったけど
あと時期が悪かった
ずっと武藤の才能に目をつけて何度も辞めようとするのを引き止めてた
坂口が新日社長に就任した時だったからね
坂口に膝治るまで休んでていいからと引き止められた
結局言われたとおり凱旋試合まで二ヶ月くらい雌伏してた ブッチャーを猪木が嫌いだったんだけど
徹底的に恥をかかせて潰して全日の評価を下げるわけでもなかったんだ
橋本が若手なのにリングサイドに降りてきたブッチャーを蹴りまくって先輩から怒られてた
一応プロレスの価値観を壊すのはタブーではあったんだな
猪木って別に革命的ではなかったな
保守の中の革新派ぶりっ子 >>462
あとはWWFとの提携もな
当時のプロレスファンのWWFへの拒否反応は酷く、アメプロマニアにすら嫌うやつは多かった
プロレスリングサミットで少しは見直されはしたが >>473
それは1984年の初夏頃に最初に思ったな
鶴田AWA王者になって、タイトル落としてケリーの王者に挑戦するガラガラの田コロを見た時に。
超獣コンビとの抗争はともかく、他に何のテーマも無いままシリーズこなすの?
「世界王者になった鶴田の試合を見に行こう」というほどステータス高まらなかったよね…
これ、NWA王者になっても変わらんかったと思う
ジャパンが来て救われたのは多分にあると思うけどなあ…あのままじゃジリ貧だったと思うよ
>>481
ブッチャーの新日最後になるシングルはそうでもなかったけどね
猪木がやりたい放題やって、まあ最後はブレーンバスタ−だったけど
それにブロディも恥をかかせるどころか、いいように振り回された >>478
試合前から珍しく自分から記者たちに「俺もこの試合で年間最高試合賞狙ってみるか」って
暗に“この試合は盛り上げるからオマエタチも頼むよ”的に言ってたそうだから
馬場にすれば最強タッグ乱入&移籍で盛り上がってるうちに一気に勝負に出たってとこだったんじゃないかな
アメリカでそこまで目立った実績も無ければ
猪木との一連の抗争も本来馬場の理想とするプロレスとは明かにスタイルが違ってるハンセンが
全日マット上でどれだけ全日のファンにウケるか
どれだけ全日マットでも出来るかは実際に正式にシリーズ参戦するまでは
いくら事前に盛り上がっていてもやっぱり不安もあったろうし
もしそこで自分との試合があまりいいものにならなかったら
なるはやでに抗争相手を鶴田に切り替えて
自分は逆にブロディの方をメインで相手にした抗争?に戻ってたと思う 対戦の相性
◎馬場対ハンセン
×ドリー対ハンセン
○テリー対ハンセン
×鶴田対ハンセン
○馬場対ブロディ
○ドリー対ブロディ
△テリー対ブロディ
◎鶴田対ブロディ
色々いわれるブロディだが全日のトップの指定コンビとファンクス相手には
そこそこ相性がよかった感じ テリー対ブロディが三角なのは試合が進まずオーバーアクション合戦に
なりがちだからビッグマッチには不向きだからで
最強タッグの地方興行で夢の対決の一つとして組まれる分には充分に
目玉カードとして機能した >>484
でも、大金かけて獲得したハンセン
馬場の立場も会長に棚上げされた時期でもあるし
ここでうまくいかなかったら後がない、という背水の陣の気構えと覚悟はあっただろうね
すんなりとブロディとの抗争に戻っても、それこそ不況期のカードでもあるし立場はどうだったんだろう…
鶴田ハンセンより上のカードで戦えただろうか? 昭和の全日本プロレスかぁ〜、懐かしいなぁ〜♪
背中から落とすブレーンバスターはさ、オリジナルのカリプス・ハリケーン(サイクロン・ニグロ)は
他のレスラーの背中落としブレーンバスターとは一味違って見応えがあったね。
あの、相手の頭をスッポ抜けさせる投げ方は他のレスラーには出来なくて、
彼だけのオリジナル必殺技として説得力あったな。
あと、カリプス・ハリケーンと言えば、ジャンピング・パイルドライバーね。
これを武器にハリケーンは昭和51年だったか52年だったかのチャンピオン・カーニバルで
負けなしの首位を独走してた。
で、馬場が彼と対戦した時に、大一番でしか出さないランニング・ネックブリーカーで取ったんで、
「ああ、このレスラーは地味だけど大物なんだなぁ〜」と子供ながらに思ったよ。
確か素顔のサイクロン・ニグロの時も、馬場は彼へのフィニッシュにランニング・ネックブリーカーを出してたね。
別人のフリして全日に来ても、あの独特のブレーンバスターで同じ人だってすぐに分かるんだけどね。
それは新日で猪木相手に自爆エア・ランニング・ネックブリーカーをする
マスクド・スーパースター(ビリー・クラッシャー)も同じなんだけどね。 >>489
もしかしてマリオ・ミラノ(ザ・バラクーダ)との勘違いでは…?
彼のジャンピングパイルドライバーは独特でトリプルHのペディグリー
のような落とし方をする。 >>490
ああ、そうだった。ザ・バラクーダだった。ありがとう。
なんせ何十年も前だから記憶があやふやだったわ。
訂正ありがとう。 >>485
対戦の相性
○ゴッチvs猪木
×ゴッチvs馬場
◎ブッチャーvs馬場
×ブッチャーvs猪木
◎浜口vs猪木
×浜口vs馬場、鶴田
◎マシンvs猪木、藤波
×マシンvs馬場、鶴田
◎猪木vs健吾
◎鶴田vs健吾 >>476
だから、ブレーンバスターといえば、
背中から落とす式の選手の方が圧倒的に多いんだから、ネグロってわざわざ書く必要無いでしょうよ。 >>478
そりゃ組むだろ。
日本人対決は出し惜しみが多かったが、
外国人に関しては、そのシリーズでタイトルマッチ組むのが普通だったでしょ。 >>478
東京体育館で6年ぶりの興行で集客が難しい会場だし、新日の興行から1週間後だから
負けられないからね。
>>492
浜口サイドから見ればだが浜口と鶴田は名勝負だと思うけど、他のジャパンの選手と違って
一応国際の頃に絡みはあったからな。 テリーとブロディは直接はストーリーがないし
ドリー対ハンセンと同じ評価でいい
鶴田とブロディも
本人たちはどう思ってたかわしらんが
2つ分の価値はない
興行的な部分も加えたトータルな意味では
とても馬場対ハンセンと同等には扱えない >>498
グレイシーよりSWSの方が先
そもそも黒船って形容は外部からの巨大勢力って意味の
一般的な物言いなのに何言ってんだ? >>490
>>491
ちなみに、・ハリケーンとマリオ・ミラノはタッグを組んで
1968年6月、馬場&猪木のインタータッグに挑戦している。
俺とて、リアルタムで見てはいないが、、当時、インタータッグに
挑戦するチームは、ブラジル、エリック、デストロイヤー、コックス、
キニスキー、サンマルチノといったインターシングルに挑戦できる
一流選手+ちょっと落ちる選手だった(イヤウケア、Bラモス、Dカーソン等)
でなければ、S・マフィー&B.バーナードみたいなタッグ専門チーム。
カリプス・ハリケーンとマリオ・ミラノはどっちでもないし、
ちょっと挑戦チームとしては弱かったと思うよ。 ハンセンにしろブロディにしろ、外国人対決でその名前が先にコールされ、テレビの字幕で後位に置かれたのは、
ファンクスとブッチャー、ロビンソンくらいか?81年最強タッグのレイスvsブロディはテレビではコール場面はカットされていたのでわからないが。
それとブロディでいえば、同年の最強タッグでのシーク戦はどっちが先にコールされたのか気になる。 >>499
黒船といったら普通は外資のことだけど、エンパイアステートビル買収しちゃうバブル期の当時は日本経済最強だったからそれでも通用したんだよね >>499
WWFが黒船っていうならわかるけど、なんでSWSが黒船なんだ?
ターザンがそう言ってたなら前後に拡大解釈的な説明があったはずだが
普通はそういう意味で黒船なんて言わないよ しかし日プロ残党のガラクタ連中って、どうしようもないね。
坂口がNET(テレビ朝日)の意向を受けて猪木と会談して合併に合意しててさ、猪木が日プロ復帰、
猪木が新社長でインター王者、坂口が副社長でUN王者、インタータッグは猪木坂口のゴールデンコンビ、
外人ルートは一部を馬場に持っていかれるものの、従来の日プロルートを残せる。
もちろんNETが全面バックアップ。新間が営業部長として辣腕を奮う。
これで日プロは隆盛を極めたであろうにね。
じゃあないんだよね。
確かに客もバンバン入ってTV視聴率もドンドン取っただろうけど、やっぱり日プロ残党の障害者の連中が騒ぎまくって
内部で揉めに揉めまくって、結局はNETをバックに猪木派と坂口派が日プロから脱退して新日本プロレスを再旗揚げして
平成のノア旗揚げみたいな事になってたと思うよ。
日プロ残党のガラクタ連中はリアル障害者じゃき〜の〜♪ >>504
残党と言うかキムイルの存在が大きかったのでは…? 新日本にとってはNETのTV中継があれば良かったので坂口+3人の移籍で済んだのは好都合だった
貧乏クジを引いたのは馬場
日テレの要請だったので産廃の日プロ残党を引き取らなければならなくなった
あの連中は崩壊した後すら
「対等合併だ」「日本テレビに頼まれて来てやった」「芳の里から「馬場を助けてやってくれ」と頼まれた」
とか思い込んでた勘違い野郎集団 >>500
日プロ時代はアジアタッグもインタータッグには劣るものの結構名の通った
挑戦者がいたね。
キニスキー&コックス、マルコフ&ラモス、アンダーソン兄弟、カンガルーズ
ドリー&レイス等々
全日時代になると一気にランクが落ちた感じでオーツ兄弟やエリック兄弟…
昭和の末期になってからカンナム、マレンコ、ブルドッグス等が出てきて
盛り上がりお見せたね。 >>506
当時の馬場は本当に嫌そうだったが、
日テレと百田敬子さんの要請じゃ断れないわな。
旗揚げして1年もしないのに大所帯になった訳だが
残党の不満は秋の創立1周年蔵前大会のマッチメークで爆発するんだよな >>503
プロレス村に他所から大企業が金持って攻めてきたって意味で黒船と称してたんだよ 日プロ残党障害者、松岡癌鉄と結婚できる?できる?できる? 全日本時代にたまに出て来る百田敬子さんの映像や社員が怖かった。キツい昭和の姑って感じで
後に力道山とラブラブ時代の映像を見たら、初々しくてかわいく凄いてギャップだった だから馬場もさ、ダダをこねて日プロ残党引き取りを断っちゃえば良かったんだよ。
敬子夫人は顧問として、百田兄弟は社員として全日に迎えるけど、障碍者連中(日プロ残党)はノーセンキューだって。
で、馬場は猪木と話し合ってさ、全日から新日へデストロイヤー、ブッチャー、サンマルチノ、ファンクスを
派遣して、ただしNET中継にはダイジェスト放送でしか出さない。猪木もフォール勝ちをしてはいけない。
で、新日からゴッチ、テーズ、坂口、小鉄、トルコレフェリーを派遣させて
全日本プロレス中継に普通に出して視聴率を取る。猪木もゴッチや坂口のセコンドで登場する。
これなら猪木は条件を飲んでNETを説得したと思う。NETも日テレも飲んだんじゃないの?
お互い視聴率は欲しい訳だし。
で、日プロ残党障害者の連中は行き場がなくてアウアウアアウア〜!
こうなって欲しかったね。 日プロ残党をまとめて丸抱えは厳しいよね。
いったん全員フリー化させておいて全日、新日、国際が野球のトライアウトみたいな感じで
獲得ならまだよかったんじゃないかな。無理だったんだろうけど。
ファン目線ならば大木や高千穂は国際、上田は新日、などは比較的よさそうだけど
なんでおれがしょぼい国際に行かなきゃならんのだ、なんて言うだろうねぇ。 放漫経営してた遠藤や芳ノ里らの幹部連中や選手会(残党)も
新日本との合併には承諾してたのに、韓国から戻ってきた大木が
「聞いてない。会社乗っ取りを計画したことで追放した猪木を認めることになるから絶対反対!」
これで選手会もフロントも大半が大木の意見に賛同するんだよな
崩壊前に海外武者修行に出された星野や戸口等はその後のシコリがないから
所属選手やフリーになってるが、全日に行くことになった大木・上田・松岡
この3人が馬場のやり方に反抗して退団
その他の小鹿、高千穂、羽田、桜田(後にフリー)等は全日所属になった
松岡に至っては二度と日本マットに立ってない。
結論としては2局の放映権料が会社に入ってBIよりいい給料貰って
夜な夜な銀座で金をバラ撒いていたダラ幹が日プロの歴史を狂わせたのよ うーん、内容が濃い…当時は生まれてなかったけど、体感したかったなあ
プロレスファンとしては離合集散は良くはないかもしれないけど、歴史として見ると人間模様が面白い
新日クーデター、UWF,、ジャパンプロの時は知ってたけど子供だから本当の意味は理解できてないし
SWS、全日分裂のノア設立、武藤離脱の全日移籍、WJの設立
このあたりの現象が自分にとって明確な記憶だけど、日プロ→全日・新日に比べればインパクトは段違いなんだろうなあ…
日プロ分裂・新日分裂・全日分裂→全部リアルタイムで通して見てたファンはどこか達観してたような感覚だったのかな?
これだけ周期的に分裂が起こると「またまた起こったか…」みたいな。 >>506
お陰でインタータッグ、UN、アジアタッグ、後にインターナショナル王座が手に入った
日プロのベルトが無かったら全日のタイトルはどうなってたかな?
PWF王座、PWFタッグ王座、鶴田用のPWFインター王座、PWFジュニア王座
アジアタッグ的なタイトルは生まれなかっただろうなw 日プロ残党の腐り具合は、
今の高千穂を見てるとよく分かるな。
ある意味貴重な生き証人かもしれないが >>519
最後のNET日本プロレス中継がUNヘビー級選手権Jバレンタインvs高千穂明久
じゃなかった?
ベルトたらい回しの時期、実力では絶対叶わない猪木のライバル
バレンタインに勝たせてもらって、満面の笑顔で両手を上げてたw その試合は雑誌でなら見たことあるけど高千穂が黒(?)のロングタイツなんだよ。
全日時代はショートだったし、日プロ前座時もそうだったと思うんだけど。
なんか心中機するところあったのか?
そういえば大木もブラジルとのインター決定戦が白パン白シューズなんだよな。
似合わないことおびただしい。
首にゴムのチョーカーみたいなのをしているのも甚だしくへんてこ。 >>520
高千穂がバレンタインからUNを奪取したと言っても一本目が両リン、二本目はリングアウト勝ち
ただNETの日本プロレス中継ではその試合が最終回
坂口に勝ったバレンタインに高千穂が勝って番組は終了している しかし大木カタワ金太郎はどうしようもないね。
昭和49年10月に猪木と蔵前でNWF世界ヘビー級戦やってさ、
「大流血の猪木が大木の原爆頭突きをナックルパンチで返した歴史に残る名勝負」とか
言われてるけどさ、実際はうんこみたいな試合だったよ。
そもそもNWF世界ヘビー級戦って、60分3本勝負だよね?
でも大木にはスタミナがなさ過ぎて10分ぐらいしか試合出来ないから1本勝負にしてさ、
そのうえ大木って体が硬すぎるから、猪木がやりたい流れるようなレスリングの攻防が全然成立しない。
フィニッシュのバックドロップなんてさ、受けてる大木の体があまりにも硬すぎて全く体が反ってない。
ルーテーズのバックドロップみたいな反り投げになってない。
猪木が冷蔵庫を抱えて持ち上げて下に落としてるような格好になってる。
あの試合は、試合前と試合後のゲストを交えた演出で歴史的一戦に仕立て上げたようなもんだよ。
猪木としては、大一番の相手が大型のパワーフカイターじゃないのなら、
かつてのドリーファンクJr戦や、後のBロビンソン戦みたいな試合をやって
自身の名勝負を作りたかったろうにね。
で、その大木が2年後に蔵前で馬場とシングルやるんだけど、やっぱ1本勝負で
試合時間はたったの6分。
猪木の対大木戦(12分)の半分の時間で大木を破った馬場のやり方が批判されてるけど、
あの頃の大木にシングルで10分以上は無理だったから、そうしたんだろうね。
ちなみに、その時のフィニッシュも、馬場が冷蔵庫にランニング・ネックブリーカーやって
ドスンと倒してた。
同時期のブリスコ戦やロビンソン戦では、当時、動きがかなり鈍くなってた馬場にとって
「受ける相手のうまさ」によって完璧なフィニッシュのランニング・ネックブリーカーだったけどね。
大木戦での猪木のバックドロップは猪木史上最低のバックドロップだったけど、
馬場の大木相手のランニング・ネックブリーカーも馬場史上最低だったね。
https://youtu.be/Buwv47BVozk?t=473 昭和50年代前半くらいに元子が死んでれば全日本もだいぶ良くなったと思うね。 それはちょっとどうかな。
元子がいないと馬場はどうにも社会生活は送れそうじゃないし
リングにあがる気力もなくなると思うよ。
あの二人はわかりやすい共依存だろう。 会社が赤字になった時でも何度か元子の実家が資金援助してたみたいだし
馬場と元子は一心同体だよ。どっかかが居なくなった時点で
団体ごと潰れる運命にある。 佐藤昭雄によると馬場は経営はできない。
経営してたのは元子だそうだ。 美津子も猪木と新日に相当援助してたけど、会社の事に口を挟まなかったよね?
元子も文句あるんやったら倍賞姉妹みたいに人気女優になるか
坂口夫人みたいにイケメン人気俳優になる息子を産んで育てりゃええのよ。
元子っ、文句あんならやってみいや! 猪木にとっての元子は新間だよ
新間を失ったら糞アングル連発で暴動ばかり起こしていた 馬場vs大木戦はともかく、蔵前の猪木vs大木戦は猪木のキャリアの中でも
かなりの名勝負だと思うよ。(人によって違うと思うけど)
大木の原爆頭突きに耐えに耐えて、最後バックドロップ一発で仕留める。
内容は単純で分かりやすくて、試合後泣きながらの抱擁。
日プロ時代の因縁やゴタゴタ全てがあの一瞬で浄化され、日本人が一番感動
するような終わりかただったように思うな。
ましてやあんな大一番は一本勝負以外ないよ。
小林戦と遜色ないし、それ以上だったと思う。 元子「あたしだって、坂口さん相手ならイケメンの子供産めるわ、でも馬場さん相手ならどうあがいても無理よ。」 >>531
違う。
元子は坂口の事を坂口夫人の前で「坂口クン」とか言って
坂口がまるで自分の内縁の夫(馬場)より遥か格下の子分のような扱いや態度を取ってた。
坂口夫人はそれが許せなくて夫に「全日本行きは絶対やめて」と懇願したそうだ。 >>524
おまえなあ、そのじきにもとこさんなくなればはんぶんのねんれいかよ。
つーかおまえ、かるがるしくひとさまを『しねばいい』とか言うな、ぼけっ!
おまえこそうまれてこなければよかったんだよ。
それかなあ、おまえこじゅうねんまえにくたばってればよかった。 >>532
そういう事情があったのか、史実を読むと馬場と坂口は日プロ時代は仲良かったらしいし
坂口のプロレス入りの時も、馬場から色々と便宜を図ってもらったらしいし
柔道界とのゴタゴタの時も馬場はともかく、フロントが盾になり、どちらにしても猪木がどうこうは関係ないだろうし
それでどうして日プロ末期に「猪木と会談してプロレス観が一致」みたいな流れに違和感があった
テレ朝が坂口に甘言を働いたにしても、それが根本で動くほど坂口は軽くないイメージもあったし
でも両夫人同士の軋轢が原因なら、いつの世も女性が鍵を握り、また人間関係というのは難しいなあー、と思うね。 >>528
おんどれはもとこさんぬんかうらみでもあんのか?
どっかのかいじょういりぐちでもとこさんからせっきょうでもされたんか?
もとこさんから『もとこびんた』でもくらえばよかったのになあ。 日プロ残党でもミスター林はプロレスで食えずにトラック運転手をしていたところをわざわざ呼び戻し
引退後はレフリーもやらせるとゆう厚遇ぶりで、日プロ時代親友だったとか世話になったとかのエピソードも聞いたことがないのでなんか不思議 チャーリー林は馬場の1年先輩だからじゃない?
レフェリー時代髪型がコワルスキーみたいで笑った
坂口は人間としては馬場に、レスリングに対する姿勢は猪木に共鳴してた。
倍償美津子は豊登の紹介で猪木と出逢った。
離婚の原因は猪木の浮気や借金、美津子のショーケンとの不倫などが原因 >>528
でも、バカ弟を新日で好待遇で雇ってたからな。 >>499
先ってのは雑誌で使われたってことか?
グレイシーの時に週プロが初めて使ったと記憶してるんだが。 黒船ってのは
リアディゾンのファンが編集にいたとかでは? 馬場のような偏屈というか猜疑心の強い人間と付き合えるのは元子さんだけ
でしょ。川田に言わせると馬場がかわいがったレスラーも馬場から離れてい
くから、結局馬場とは付きあいきれないんだよ。 >>537
それと比べて、全日辞めた後どこのリングにも上がれなかった松岡の冷遇ぶりときたら。
当時のことは知らないが、ネット検索してもほとんど悪い噂しか出てこないから
相当嫌われていたのは確かなようだが。
どうしてもプロレス続けたかったら海外行くしかなかったけど、その選択肢はなかったんだろうな
まだ生きているなら、ぜひGスピで当時の話してほしいね。 >>543
なんで「離れてい」と「くから、」の間で改行するの? >>544
トージョー・ヤマモトの腕を折った危険人物としてブラックリスト入り使うプロモーターはいなかったそう 馬場の日プロ残党引き受けは、まだ当時馬場が完全に日プロと手が切れたわけでなく
役員として登記されていたゆえの苦渋の決断と言う話もあるけどな。。
ただ、継子扱いで海外放出にされてた歌舞伎(高千穂)が逆輸入でマット上の話題をさらったのは
ことさら皮肉の何物でもないw >>520
>>522
>ただNETの日本プロレス中継ではその試合が最終回
時期的に考えにくいが、ひょっとして高千穂はこの試合を最後に中継が打ち切られる
って知らなかったのか?
王者になった試合で打ち切りって、「お前が王者では番組の看板は張れねえ」っていわれたような
もんなのに。
にしても、ほぼ新日への鞍替えが決まっていたこの時期になっても大木は「うちと隔週で放映
してくれるはずだ」と楽観視していたらしいが、その自信はどこから来てたんだ?
長年中継してくれた日テレでさえ馬場独占の禁を破ったらあっさり打ち切ったのに、
たかだか3〜4年しか中継の実績がなく、しかもその短い間に番組の看板だった
猪木と馬場を相次いで逃した日プロに相当立腹してたことくらい想像つくだろうに。 >>513
馬場は元々自分が独立して
馬場全日&日テレ・坂口日プロ&NET・(一応国際の一番いい時期)の三者連合で
新日包囲網をひけば新日は持たない
だからこそ自分が独立するときにも
坂口に「おまえは残って日プロを守って盛り立てろ」って言って誘わなかったんだよな
坂口まで来てたら即日プロが崩壊→残党を全日で丸ごと引き受けざるを得ないのは目に見えてたから
最悪猪木と坂口合流で新・日プロbyNETでもそれはそれで
面倒くさい「その他大勢」を猪木とNET側に押し付けられれば
いずれまたゴタゴタするだろうって読みだった
計算外だったのは大木小鹿ヒライ松岡上田といった連中が合流を拒否したのと
それによって坂口までパージしてでも日プロ残党組が自分達だけでやっていける
だってNETが付いてくれてるんだからって思い込んでたこと >>538
美津子はスピンクス戦を終えて帰宅した猪木に「あんな試合しかできねえんなら辞めちまえ」と
キッツい駄目出しして大喧嘩になったのが決定打となった説があるな
さすがに冷蔵庫の納豆パックを猪木が勝手に食ったことで美津子が悪霊に憑依されたのが
離婚の原因ではないだろう >>521
ブラジルから喉に凶器攻撃受けて
傷を防御する為にゴムチューブを
首に巻いて試合してたらしい。
リアルタイムでは見てないけど
あまりに妙な風体過ぎてガチの対処
なのか判断に悩むところ。
ゴムチューブって。。。 >>548
昨今隣の国の人々が大変にお騒がせ、ご迷惑をおかけしてるけど
勝手にいいように解釈するクセというか・・国民性なのかね
なんかそういうものを感じるよね
相手の意図することがぜんぜん理解できてないんだもん
ドンドン妄想だけが広がっていくから話がぜんぜんかみ合わない 結局、大木金太郎はブッチャー軍団の一員にされてさ、それもブッチャー軍団の二軍扱いで
最強タッグでは「大木金太郎、トーア・カマタ組」なんてモロ員数合わせで出させられてたね。
あの頃の大木はカスみたいな存在だったな。 松岡と上田は全日離脱後にアメリカ(テネシーかな)でマネージャーの
トージョー・ヤマモトにギャラをピンハネされて腕を折ったことで同地区から追放された。
その後上田は国際の吉原に誘われてIWEに参加
金髪とのまだら髪になっていた。
松岡は74年に引退したが消息不明?
それにしてもトージョー・ヤマモトのリングネームは
東条英樹+山本五十六なんてなんて凄い名前だな
(P.Y.チャンでも有名) プロモーターにそんな逆らい方したレスラーじゃ
どこのテリトリー行っても使ってもらえないだろうな
日本でも76年までは日プロとの独占契約で他団体上がれないって話だったけど、
その性格じゃ、全日はもちろん新日も国際も使いたがらないだろうし
廃業以外の選択肢はなかったな
廃業後は地元でちゃんこ屋開業したと聞いたが、今は何の情報もないから
存命かどうかもわからないね >>518
合併で良かった数少ない事ってタイトルを全日管理にできた事だね
大木が新日との合併を潰したのは
合併したら当然インターナショナルは猪木に渡す事になるわけで
それも嫌だったんだろうな >>527
実家に伊藤家は石油卸売業とともにガソリンスタンドも経営していて当時、高校生だった
元子夫人は父親に「いい経験になるから」と言われ即答して経営を任された。
猪木家は炭火卸売業がエネルギー構造の変化で左前になり一家でブラジルに移民して
再起をはかった・・・
>>525
単なる夫人ではなく全日・出資者と共同経営者、子会社社長、ブレーン、個人マネージャー
とスタイリスト、ロードマネジャーw等と新間を上回る最強のパートナーだった。
BI砲の壁として「嫌われる役」になっていたのも同じだったが・・・ >>555
ちなみに74年に猪木と対戦した大木は
日テレとの契約期間(他団体に上がれない)が残ってた筈だが…
上田は吉原代表に誘われ帰国するまで契約を守った。 >>553
カマタは日系レスラーと思ってたがハワイ出身のアメリカ人で
日本人の血は入ってないらしいね(日系ギミック)
来日した日系アメリカ人レスラーで最強はリッキー・スティムボートかな? >>543
そんなの猪木だって離反だらけだろ
三沢にしたって馬場が生きてるうちは離脱を控えてる
天龍は結局金だし インター王者を坂口にしておけばまた歴史が大きく違ったんだろうな。
とりあえず日プロがそのまま継続したとして、数年後に
幹部にそうする予定はあっただろうけど、いったん大木になんかさせたら
王座にしがみついて離さないことはたぶんあっただろうに。
インター奪取に専念するためにUN返上する坂口、みたいなアングルもあったのかも。 >>558
大木だけ韓国に帰ってて日テレと契約書を交わしてなかったんだよ、これが。
それにしても、昭和49年蔵前の猪木vs大木がさ、あれが歴史に残る名勝負に見えてしまうのはね、
いろんなゲストを呼んだ上でのさ、試合前と試合で終了後の演出によるところが大きいよ。
あとは、試合時間わずか12分の内のラスト2分の攻防ね。
ヨシヒコ相手の飯伏みたいに、ホウキ相手でも名勝負を作れる猪木ならではパフォーマンスで
名勝負に仕立て上げたのさ。
それでもやっぱり対大木戦でのフィニッシュは猪木史上最低のバックドロップだね。
もちろん馬場も大木戦のフィニッシュが馬場史上最低のランニングネックブリーカーだったわ。
大木は体がカタすぎ、スタミナなさ過ぎ。
モロうんこだったよ、大木金太郎は。 >>562
大木は馬場と猪木に対して、激しいライバル意識があったんだろうと思うが、
「自分は馬場や猪木みたいには客を呼べない」って自覚はなかったんだろうね。 >>563
日プロ最後のインター戦、大木vsエリックの大阪府立の客入り見れば
自分の不人気ぶりが分かりそうだけどな プロレスラーの勘違い野郎ぶりを舐めたらいかん
不入りだと「カードが悪い」「きちんと宣伝しなかったのが悪い」という
発想になる 高野兄弟や谷津が「大仁田でも客入るんだから」って団体を立ち上げちゃったぐらいだからな。 救い様がないな
マスコミも一応、団体のエース扱いするから
見えなくなるのかな…
高野や谷津のは素人が考えても無理なの分かったw 大木金太郎がどんだけスタミナなしのうんこだったかと言うと、あれは昭和51年頃だったかな、
大木主催の韓国でのミニシリーズがあってさ、全日からはG小鹿とワルドー・フォン・エリックを
貸し出したんだわ。
で、釜山だったかの開幕戦で大木のインターナショナル王座に小鹿が挑戦した60分3本勝負でさ、
1本目が2分何秒で大木、2本目が1分何秒で小鹿、決勝の3本目も2分何秒で大木、
試合時間わずか6分。 60分3本勝負なのにだよ?
で、シリーズ最終戦が首都ソウルであってさ、またメインがインターナショナル選手権でね、
今度はワルドーが挑戦者でさ、このときのスコアとタイムがさ、開幕戦の小鹿の時と、ほぼおんなじ。
おいっ! 大木! ええかげんにせえよ!
まあ、大木からすれば
「ダイジョブね。 韓国人はみんな気が短いから、これで丁度いいのヨ。」って事なんだろうけどね。
客をナメてんのか大木金太郎! その大木金太郎、全日をお払い箱同然で辞めて国際プロレスに入った時のセリフ、
「木村クンには悪いけど、エースとして参加者させて貰うよ。」
だってさ! 訂正。
参加者させて、じゃなくて、参加させて貰うよ、ね。 >>571
じゃあ聞くけど、ホントに大木金太郎が魅力的なレスラーだとでも思ってんの???
王者時代のドリー・ファンクJrを10とすれば、大木は半分の5にも満たないよ。 ところで大木金太郎のあのガウンね。
なんと広島のファンから大木に寄贈されたっていうガウンね。
トレードマークの「原爆頭突き」に合わせて、広島の原爆雲が描かれたガウンね。
よくあんなもんをTVに映してたね。
視聴者からクレーム来なかったのかね?
特に広島市民から。 猪木に接戦で負けた後に馬場に6分くらいでコロッと負けて馬場の価値を高めたところは評価する >>573
原爆男=W・スナイダ―
原爆固め=ジャーマンスープレックスホールド
原爆落とし=アトミックドロップ
原爆攻撃=トップロープからのニードロップ
戦後僅か20年余とは思えないほど原爆ワードが出てたなw >>573
ウルトラセブンの「被爆星人」はすぐにクレームついて封印されたのにね。 ウルトラセブンのは本放送から何度も再放送をやった5,6年後に怪獣図鑑を読んだ人のクレームだったはず 結局、自分関係で被害にあってないと酷いもんだよ、人間は。 原爆というワード、インパクトは日本人には絶大
コンプラが叫ばれてない時代でもクレーム来そうだけど、
当時はそんな感じなかった。 上の方に出て来た、馬之助と松岡に腕を折られたトージョー・ヤマモトね、
原爆で親を殺されたってギミックじゃなかった?
昔のプロレスって何でもアリだったよね。
ナチの生き残りとかKKKとかさ。 「リメンバーパールハーバー」を煽るんだよね
60年代の日系レスラーはそれで悪役人気を得ていた >>581
当時と日系レスラーは軒並み原爆で親を殺されたとか、原爆の生き残りとか使ってた、
馬場とマンモス鈴木なんか原爆で奇形化したモンスターってギミックだったそうだ 馳浩はカルガリーでベトコン・エクスプレスを名乗ったね
新倉史祐とのコンビだったかな 新倉のTwitter句読点がないから読みにくいww そう言えば最近はナチっぽいドイツ系ハゲのレスラーって来ないね。
まあ、時代遅れだからしょうがないか。
ナチス系と言えば、実はカール・ゴッチね。
コールを受けた時や、試合後のあのドイツ式の敬礼、
あんなことヨーロッパでやったら逮捕モノじゃないか?
あと、ゴッチが新格闘術(マーシャルアーツ)の黒崎健時師範と対談した時にさ、
「我がドイツと日本は同盟国として共に米英と戦った友邦国です」なんて言ってて
黒崎さんが返答に困ってたわ。
今思えばプロレスの神様もショーマンシップの塊の、昭和の何でもありのプロレスそのものだったね。
ホントはドイツ人じゃなくてベルギー人だし。
っていうか、ゴッチの話してる時の表情や身振り手振りって、ヒトラーのそれに似てるよね。
「わざとか?」ってくらいに。
プロレス雑誌の企画で、ハーケンクロイツの垂れ幕をバックにナチスのコスプレとかやったら
喜んで応じてポーズ決めてたんじゃないのかね、ゴッチは。 >>574
ただ、名勝負という意味では猪木の圧勝。 >>568
大木は30年早いパンクラスだなw
パンクラスで3本勝負やるとそんな感じになりそう。 >>574
評価上がったっけ?
誰からの?
ロビンソンの時もそうだが
猪木が苦戦した相手に楽勝を演じたからといって
その後の全日に来る客が増えたわけではないぞ >>590
>>574が個人的に評価するって言ってるだけじゃん。
ちゃんと読めばわかるだろw >>583
Gスピで馬場の武者修行時代を調査した連載があったけど、そんな話あったかね。
馬場と鈴木で相撲マッチはやらされてたけど。 >>583
戦後早々の日本人(日系)レスラーで
「原爆」をギミックに使ったのは
ミツ荒川くらいだろ? >>562
逆に馬場史上最高のランニングネックブリーカードロップとなると
ベストワンは決めにくいが個人的なベストスリーは
➀最初にNWAを奪取したブリスコ戦
A初シングルのロビンソン戦
B2回目のNWA王者となったレイス戦 >>592
それよりもビクター・リベラの「黒い核弾頭」の方が早かったんじゃないか。 >>597
初公開にしてNWA王者から
フォールを奪った昭和44年12月3日
対ドリーファンクJR戦(NWA世界戦)
の1本目をビデオでも見た?
と書いても、後付けで
「無論、見た上での評価だ!」とか
言うんだろうなwww 日プロ時代の写真だけだけど
ジョナサンやサンマルチノにやってるランニングネックブリーカーは
迫力満点なんだけど映像で見たかったな
ワーストは初期(多分2回目?)のエリック戦かな
タイミングの取り方がまだ未完成で
ホーガンのアックスボンバーの時とロープのは走り方と同じだった
完成してからならチェッカードームでのレイス戦の時だろう
あれはランニングではなくウォーキングネックブリーカーだw >>600
そうそう日本でドリーに初公開した後、ロスでのエリックとの防衛戦
明かにジャンピングネックブリーカー狙いだったけど
短期間にベストとワースト見せられた感じ >>598
某風俗店に「らい」さんって嬢がいるんだけど……。 77年ごろかな? 蔵前で大木&ドクとのインタータッグ戦で、ドクのタックルを受けた後
さらに攻撃を加えるドクにカウンターでランニングかますシーンはよかったと思う。 >>603
オープンタッグ最終戦じゃない?
あれはキレイに決まって優勝に王手をかけたけど
メインでファンクスvsブッチャー・シークがあったんだよね。 >>604
あ、オープンタッグだったか。。大木も日プロ崩壊後の動向は定まらず苦い思いもあったが
(まあ当然の話なのかはともかく)、そんな中で韓国師弟コンビで馬場&鶴田との抗争や国際マット、
地元韓国で活動してた頃が最後の晴れ舞台な印象があったな。。 コーナポスト最上段に上がるのもゆっくりだから対戦相手のハンセンはハリーアップと馬場には叫びたかっただろう。 >>602
ごめん、頭悪いので意味がわからない、、、 チェッカードームのレイス戦かぁ〜。
全日本プロレス、アメリカ遠征の録画中継は必ずスターウォーズのテーマ曲だったね。
いつのまにかニックの入場曲になってたけどw
で、AWA遠征の時に、馬場のPWFヘビー級にスーパー・デストロイヤー・マークIIが挑戦したんだけどさ、
倉持アナ「どうですか、竹内さん!」
月間ゴング編集長・竹内宏介「馬場選手にマークIIをぶつけて来たという事はですね、
AWAの総帥バーン・ガニアが本気でPWF王座を取りに来たということですね。」
だってさ!
ザ・デストロイヤーの二番煎じのスーパー・デストロイヤーなんてのの更に二番煎じのマークIIなんてのが
そんな強豪であるはずがないに決まってるんだけど、
うんこの腐ったトーア・カマタにPWFを明け渡したくらいの馬場だから、
「もしかしたら?」なんて思って観た俺がバカだったわ。
しかし馬場はなんで、うんこカマタなんかに看板タイトルを明け渡したんだろうか?
アメリカでNWAやAWAの王座に就けないロビンソンの全日本での商品価値を上げる為に
一度はPWFヘビーを持たせたかった。
でも、一度勝っているとは言え、いいや、一度勝っているからこそ、
猪木と引き分けた相手(ロビンソン)に負けるのが嫌だったんだろうね。
しかし竹内宏介って大人なのに子供みたいな顔してたな。
体格も声も子供だったしね。
そういえば豊登も顔が子供だったね。
あれも原爆でそうなったのかな? あの時のマーク2はサージェント・スローターだったよね?
倉持は適当だからファンを舐めてる。 >>609
>全日本プロレス、アメリカ遠征の録画中継は必ずスターウォーズのテーマ曲だったね。
>いつのまにかニックの入場曲になってたけどw
違います >>569
大木の参加は吉原社長は完全に全く無関係で東京12chに田中Pの独断だった。
大木の契約金の10%が国プロに入るので渋々、了承した。
ただ国プロ選手間では先輩風を吹かすわけでもなく合同練習にも参加してサンボの
講習会に来て新技として取り入れよう意欲的だったり評判は悪くなかったみたいね。 月間ゴングで思い出したわ。
月間ゴングや月間プロレスに読者投稿コーナーや個人コレクション売ります買いますのコーナーがあってさ、
「昭和○○年発売のG馬場・激闘写真集を5千円で。」とかあってね、
んで、読者投稿コーナーは大抵はタイトルマッチや興業への感想や、
レスラーや団体への要望や苦言みたいな事が書いてあった中でね、
「別冊ゴング〜月号掲載の『○○売ります』の〜県〜市〜町〜番地、○○××(実名)に
5千円を送金したのですが、送られて来た段ボールの中身は使い古しの歯ブラシや汚いスリッパで、
返金を催促しても『金は遣ってしまい、無い』との返事でした。このような悪質な〜」
なんて投稿もあったね。 こういう悪い奴もいたんだね。
ちなみに、あの頃の売ります買いますコーナーや読者投稿のレスラー似顔絵や投稿文は
みんな住所氏名が載ってたね。
セブンティーンとかエルティーンとかポップティーンとかの女の子雑誌のペンフレンドコーナーも
女の子の住所氏名がそのまま載ってる時代だったわ。
ストーカーなんて概念が全くない時代だったよね。 昔の野球選手名鑑には選手の住所が載ってたからな
東尾修が福岡のどこに住んでるか書いてあった
今じゃ考えられん ニックのテーマは
プロレスリングイン・ハワイ
だろ。だが正式な曲名ではないらしい。 愛犬がノイローゼになったと言うラッシャー木村の家はどこに載ってたんだろう ストーカーと言えば、日本人女性と結婚したブラッシーやハンセンなんて、
今の常識で言ったら、もろストーカーだよね。
ブラッシーが巡業で移動中にJR(国鉄)小倉駅でファンでも何でもない着物の女性を気に入って
追っかけ回して口説いたとかさ。
マーク・ルーインも日本遠征中に出会った女性と結婚してて、プロレス雑誌のインタビューで
「正月は妻の実家の熊本で過ごした。」なんて答えてたね。
全日ではルーインのロープ外しも定番だったね。
最初は遅かったけど慣れて来て段々速くなってたね。
>>612
そうだった。
ニックの入場曲は、およそプロレスラーの入場曲に似つかわしくない、なんかマヌケっぽい曲だったね。
入場の際に「吉田」とか書かれたプラカードをファンに首に掛けられて笑顔で入場してるニックも
マヌケに見えたわ。
日本語で「Greatest」とか、そんな意味だとでも思ってたんだろうか? プロレスリング・イン・ハワイはハワイのTV局のプロレス番組のテーマ曲なんだっけ?
よくそんな曲を見つけてきたよな。というか何で使おうと思ったのか。ニックはハワイのリングに上がってたこともあるけど。 >>617
レイスと組んだ最強タッグ、ギャラクシーエクスプレスとの掛け合わせ入場テーマ
だったよね。あの頃は超獣コンビも鶴龍コンビも、掛け合わせ入場テーマ使っていたし。 しかしニック・ボック・ウィンクルという人は、従来の普通のヒールとは大きく違ってたね。
ヒールは確かに卑怯なんだけど、凶悪ではなく、とにかく狡くて汚いヒールね。
まあ、オリジナルはバディ・ロジャースであり、そのロジャースもゴージャス・ジョージを
モデルにしてるんだろうね。
ニックのあの、いつも締まりのないニヤケた顔ね、独特のムードが漂ってた。
ガニアからAWA王座を奪われた後のインタビューでも
「私も夏休みが欲しかったからね。 秋になって涼しくなったらベルトを取り返すよ。
今はガニアにベルトを貸してやっているようなものさ。」なんて答えてて、そこがまたニクかった。
そういう受け答えが出来るレスラーは珍しかったし、そこがまたニックのムードを作ってたわ。
日本人レスラーには決していないタイプだったね。 >>621
ほとんど偶然らしいからね。曲名探そうにも探せないほど。 >>623
> ヒールは確かに卑怯なんだけど、凶悪ではなく、とにかく狡くて汚いヒールね。
なんとなく意味は分かるけど変な日本語だなw >>622
レイス・ニック組のテーマは日替わりじゃなかったっけ?
なお掛け合わせっていう言い方は初めて聞いたw しかし猪木はタイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンを発掘して引き上げたけど、
馬場はそういうのが何もなかったね。
既に出来上がってる相手をアメリカから呼んでるだけだった。
馬場に引き上げて貰ったのではなく、日プロ時代に自力でトップヒールになったブッチャー以外に
もう一人くらい、最凶悪外人を育てるべきだったね。
そうすれば全日はもっと面白くなってたと思うんだけどね。 >>628
> しかし猪木はタイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンを発掘して引き上げたけど、
もう言い尽くされてると思ったけど
二人とも日本で無名だったってだけでとっくに出来上がってたレスラーだったけどな。
シンはNWA王者に挑戦したこともあったし、ハンセンもWWF王者サンマルチノに挑戦してたのは有名だろ。 >>627
日替わりではなかった。掛け合わせ入場テーマってのは、仲間内で使っていた言葉だな。 >>629
その日本で無名なのを人気スターとして
ブレイクさせられないってことでしょ >>629
いや、シンもハンセンも最初から全日に定期参戦してたら
あれほどの爆発的な人気は出なかったよ。
全日スタート時のトップ外人に次ぐ2番手3番手止まりの位置で燻ってたよ。 >>631
>>632
全日はスター外人がいっぱいいたからその必要がなかったというのもある。 しんやはんせんがせんにちにあがったときはすでにできあがっていたしな。
あ、はんせんはいせきごのほうだからな。
はつらいにちとかんちがいすんなよ、おまえら。 >>633
そのスター外人を呼べなくなってから
誰かスター選手を育てましたか?
ハンセン、ベイダー、ウィリアムス、キッドって
新日の人気選手に頼ってたでしょ >>635
ウィリアムスは全日で育っただろ。
ゴディも全日で育ったと言える。あとカンナムエキスプレスとか。
ジョニー・エース、ダニー・スパイビーもそうだろ。 ウィリアムスは強いけど、塩で力の抜き加減を知らないから猪木始め新日レスラーは対処出来なかったな
全日に来て遠慮なく暴れられたけど
あのバックドロップなんか新日レスラー相手じゃ出せななかったしな >>636
エースやスパイビーをメインにして
武道館クラスで客呼べないよww
育てるって意味はレスラーとしての基礎やアメリカでの実績は別にして
日本向けに使えるようにプロデュース出来るかどうかってことだろ キラー・トーア・カマタにPWF獲らせたのも
ブッチャーに次ぐ悪役レスラーとして盛り上げたかったかもしれんが…
しかし今見るとカマタって小さかったんだな、180もない感じ 初期の新日は大物外国人レスラーを馬場全日に抑えられていたから
素質がありそうなレスラーをスター選手に育成した。
例えば60の力しかないのを80まで引き上げ100の力で仕留める
引き上げられた選手は自信を持ち、徐々に自覚も出てくるんだよな。
客も感情移入するからハンセンなんかは大スターに成長したね。
“風車の理論”だっけ?違ったかな‥ >>621
「プロレス・イン・ハワイ」はテレビの全日勢ハワイ遠征の告知で流れた
ハワイ大会のメインはニックvs鶴田のAWA世界戦だったので、そのままニックのテーマになったんじゃ? >>632
ラリアット開発とサンマルチノ破壊事件後だったら、全日でも大いにウケただろう。
それくらいウェスタンラリアットは凄い。 >>640
だからハンセンもホーガンも既にアメリカで成功した後に
新日だから。自覚もへったくれも、60だか100だかも新日の吹聴だよ。 >>638
>>635がキッドを出してきたから、
それならエース、スパイビーあたりでもいいだろと思って出したまで。 >>638
> 日本向けに使えるようにプロデュース出来るかどうかってことだろ
これだけならエース、スパイビーは十分当てはまる。 >>640
新日ファンはなんでも猪木の手柄にするよなあ。
無名を育てたって言えるのは、シンくらいだろ。 >>629
ハンセンやホーガンを育てたっていうなら、
ブロディやゴディもOKだな。 初期はカール・クラップが外人エースだったんだからな。
国際末期と変わらん。
猪木が凄いなら木村も凄いことにしないと辻褄が合わない。 >>647
ブロディやゴディも日本じゃ無名だったからな。 「シンやハンセン」「ゴディやブロディ」
シンプルな差はとどのつまり、ゴールデン中継かそうでないか
これが大きい気がする、ファンクスのアイドル化もゴールデン時代だし
もしオープンタッグ決勝が土曜17時30分時代なら…あそこまで全国的にブレークしたかな? >>641
そうらしいね。
んでテレビ局でも曲名はわからないままらしい。 >>641
>>652
ハワイ遠征が79年2月で、78年12月の最強タッグですでにあの曲を使用していたと思う。 新間さんが言ってたけど、全日本は豪華客船が装備も乗組員もコックもすべて一流が揃って船出したものようなものだと
新日本はいつ沈むかわからないイカダのようだったかな?
そんな意味のことを言ってた >>654
最初の1年はね
でも坂口が合流してテレ朝もついてきた
豪華客船までいかないけど、イカダからクルーザーぐらいには昇格したよね
新間さんは他にも「坂口さんが真の功労者」「もっと大事にしなきゃダメ」
これは一貫して言ってる、特に藤波を社長にすえた時が特に強烈に言ってた。
藤波がダメというんじゃなくて、坂口を邪険にするなという意味で。 >>655
坂口のギャラの高さを嫉妬していた小鉄を罵倒してたね>新間
「誰のおかげでTVがついたと思ってるんだ?」と ぶろでぃ、はつらいにちのころは、ぎりぎりごーるでんだったんだよな。
そしてぜんにちにふっきしたころもぎりぎりごーるでんだった。
ぶろでぃはぎりぎりごーるでんってきみょうなえんだな。 今は潰れたレンタルビデオ屋に、猪木対ゴッチの新日本プロレス旗揚げ戦のビデオカセットがあったんだが
NETじゃなくて東京12チャンネルと書いてあった、旗揚げ戦は新日本がお金払ってテレ東に放送してもらったと
東スポの社長がそのビデオ映像見て新日を支持したってんなら英断だよな いや、馬場は70年代にブッチャーと並ぶ凶悪ヒール外人を育てるべきだったんだよ。
豪華外人を何人も呼んでも、客入りは悪いしギャラが高過ぎるから
シリーズが終わってみれば赤字、なんてのが何度もあったというんだから。
イヤウケアやルーインなんかは、単独でブッチャーと試合すれば
べつに遜色なく対等な試合はするんだけど、馬場や鶴田を相手に試合すると
ただの二流外人になってしまう。
理由は馬場が旧・日プロまたはアメリカでトップに立った既存の完成品の外人にしか、
自分をとことん攻めさせたり自分を倒したりをさせなかったから。
猪木史上最大の流血は76年の福岡の対シン戦だけど、
馬場も売り出すべき新・凶悪外人に馬場史上最大の流血戦をやり、
うんこカマタみたいな奴じゃなくて、「その彼」にPWFを強奪させるべきだったんだよ。
77年オープンタッグ最終戦のテリーのフォーク大流血がなくたって、
ブッチャーは既に客を呼べて視聴率もそこそこ取れる最凶悪外人だったから、
「テリーへのフォーク大流血の加害者」というヒールとして一番強烈でオイシイ役所は特に必要なかった。
必要だったのは、全日が独自に育てるべきだった「新・最凶悪外人」だったのよ。
馬場は自分自身が70年頃から動けなくなっている自覚、かつてのような60分フルタイムが
全く出来なくなってる自覚はあったし、
自身より年長の大木やBブラジルやブッチャーが長くトップでいられない事も分かっていたはずだからね。 新日旗揚げ戦はテレ東で放送してないよ。
放送したのは72年秋の猪木vsゴッチ蔵前と大阪府立の2連戦
倍償姉妹が頼み込んで放送に至ったんじゃなかった? 蔵前と大阪府立の間にベルト奪取した猪木の防衛戦があった。
レッド・ピンパネールとの試合だがそれはノーテレビ >>659
だからブロディ育てたやんけ。
何言うてんねん。 つまりね、「ブッチャーの度を超えた暴挙」ってのは75年のオープン選手権での
ハリー・レイス襲撃事件で十分インパクトがあったのよ。
更に「テリーへの最凶悪暴挙」を加えたからって、ブッチャー単独で客数や視聴率が何割増しになる訳でもない。
だったら売り出していた新・最凶悪外人に「テリーへの度を超えたフォーク暴挙」をやらせれば、
被害者テリーの人気がウナギ登りになると同時に、加害者のヒール人気も最高潮に達しただろうにね。。。
ババさんうんこじゃき〜♪ >>664
育ててないよ、客呼べてないし、視聴率取れてないし。
シンとハンセンは客呼んで視聴率取ってたから。
客呼んで視聴率取るには、上に書いたように、馬場自身やテリーに「度を超えた最凶悪暴挙」を
やらせるべきだった。
ディンク君へのキングコング・ニードロップは、普段から試合で使ってるプロレス技なんで
インパクトが弱くて、観客動員や視聴率UPに全く繋がってないし。 ブッチャーの全日トップヒールの覚醒ってのはやっぱレイス戦(特に76年決着戦)あたりなのかな?
デストとの因縁はもっと以前からあったが、その頃はまだよくある外人対決で片づけてたって感じ?
レイスとの因縁が冷めやらぬままのオープンタッグ、ファンクスとの抗争、さらに79年のマスカラスになるから
イケイケ時代だね。しかし、PWF奪取はカマタに先手を取られるというまた、複雑な流れやな。。 自分勝手で人の意見を聞かなさそうなブロディはともかく
ゴディはもう少し何とかして欲しかったなあ
タッグ屋としてはあれでいいが
シングルプレーヤーとしてはいまいちだった
86,7年にはハンセンと対立構造作るべきだったかもしれない >>666
ハンセンは育ててないよ
リアルタイム世代がしばしば指摘するように最初の2回の新日参戦ではサンマルチノ事件で名を大きく上げての来日ながら
持て余してる印象だけで育ててるなんて感じじゃなかった
しばらくおいてS54年のMSGシリーズで久々に参戦した時は既にハンセンスタイルが完成されてて
一気に人気が出たそうだよ >>668
あのまま健康を損なわなかったら外人エースの座はハンセンと交代してたんじゃないか?
三沢とは手があっててそのうちシングルで名勝負をしたんじゃないかと思う。 スーパープロレスファン列伝でハンセンファンの奴が「次の武道館(88年8月)でハンセンvsブロディが決まりかけていた」と言っていたけど、それって事実なの?
当時、小学生だった俺は知らないんだけど。 まあハンセンが一気に昇華したのはやっぱ79年MSGでの活躍だな。
それまではノーマークとは言わないが第2回MSGも当初はアンドレと猪木のマッチレースで
ハンセンや坂口がどう絡むかった感じだったが、緒戦でハンセンが上田をラリアートでボコってから
一気に開花してとうとう優勝戦までもつれ込む大波乱を演じたんだよな。
その後は説明するまでもないが、77年来日から79年まで何があったンだろうね。。w >>669
あのMSGシリーズは、みんなでハンセンを売り出したシリーズだったと思うよ。
開幕戦で対戦した上田のやられっぷり、血を仕込んだコンドームを口の中に入れ、
ラリアットで血を吐く演出までした坂口。初対戦で見事にハンセンの良さを
引き出したアンドレ。みんながそうしていた、決して猪木だけの手柄ではない。 >>670
その時点ではもう遅い
三沢どころか小橋にも負けさせられてるようでは 80年ジャイアントシリーズの開幕戦の中継、しょっぱなに流れたスタッドvs大熊戦で
スタッドの迫力に度肝を抜かれたんだけど、あれ以降まったくテレビには登場しなかった。
同時期の闘魂シリーズにホーガンが2度目の来日をしてたけど、
その必殺技(ホーガンのカリフォルニア・クラッシュに対してスタッドのオクラホマ・スタンピード)も含めて遜色を感じなかったな。
(全日ファンのひいき目もあったけど)
それほど開幕戦の大熊は見事なやられっぷりだった。
スタッドとアベンジャーでアジアタッグ挑戦とか無理だっのかな。 GCWのスタイルがガンガンいく感じだったんだろな。当時そう言われていた。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=440&page=4&s=2300 >>675
スタッド初来日の扱いはちょっと理解に窮するところもあるな。
当時ももうジョージア、アトランティックあたりでヒールで確立してたし、
上手く使えばブロディのパートナーにでも抜擢できたんじゃないかな? >>672
Gスピのインタビューによると78年はジョージアテリトリーでのビジネスが上手く言っていたので
日本に行く必要が無かったとコメントしている、
逆に新日が何故ハンセンを呼ばなかったかまでは知らないが… >>674
それ以前は無理だよ。
長州等のジャパン勢がいたりブロディがいたから
無理に対立構造を作ってもゴディの存在が霞むだけ。 ハンセンやホーガンについては、最初は単なるパワーファイターだったのがエース外人に成長したから、育てられたと言われるんでしょ。52年のハンセンはダンプカーそのものだったし。 >>678
本当ですね。でもこのシリーズ最終戦、横浜文化体育館は生で観戦しています。
対戦相手はファンクスで、間違いなく掛け合わせの入場テーマを使っていました。 >>668
ゴディは良いレスラーだった。サイズとパワーがあり動けて、技もある。
ゴディ初来日の緒戦での解説席の馬場の嬉しそうなこと。
リング外は別として、ゴディのレスリングを馬場は高く評価していた。
フリーバーズ、ニュー・ミラクルパワーコンビ、殺人魚雷と基本タッグの方が向いていたね。
ゴディは「マイペースで気のいい兄ちゃん」、それがどうしても見えてしまう。
やんちゃな子供がそのまま大人になったような感じ。
ハンセン、ブロディ、ベイダーのような「アク」「野心」が見えなかった。
バンプの取り方が上手すぎて、強さよりそっちが目立ってしまう。
あと「ハンセンへの気後れ」が最後まで消えなかった気がする。
ゴディにとって10代の頃から日米で兄貴分の存在だったのがハンセンだったしね。
ハンセンがAWAを降りた86年9月に一度対立構造があったけど、結局その時だけだった。
試合後「ハンセンは老いた。時代はオレを呼んでいる。」と叫んで、かつてのテリーとハンセンのような本格世代抗争かと思ったんだけどね。
馬場が「時期尚早」と判断したのか、その1年後にはハンセンの正パートナーになった。
馬場も「90年代はゴディをハンセンの後継者」と考えていたが、酒とドラッグのちゃんぽんを繰り返して、内臓を壊し93年の32歳でレスラー生命が絶たれた。
その後復帰してリングに上がったけど、ジム・コルネットによると「リング上では完全に魂が抜けていて、もはや昔のゴディではなくなっていた」とのこと。
13歳からレスラーをして、破天荒に生きてきたゴディ。若くして限界が来たのが残念だった。 ブロディは馬場がライバルとして使うのかと思いきや鶴田のUNの挑戦者として呼んだり
するから、使い方が定まってない気がしたな。松根さんが社長になって昭雄がマッチメイク
するようになっから馬場にハンセン、鶴田にブロディのライバル関係が確立されたけど。 >>680
そこに割って入らせるくらいじゃないと
エース外人にはなれないよ
ハンセンの時は当時のアメリカでの格を考えれば
負けても不思議じゃなかったアンドレ、ローデス相手に
いい扱いさせてもらってステイタスを築いてる
ゴディにもこういう場面が必要だったと思う >>685
ハンセンの時はアンドレとシンしかいなかったし
シンとはマンネリ気味だtったからハンセンを売り出す必要があったからだろ。
86〜87年当りはゴディをそこまで売り出す必要がなかった。
あくまで需要と供給の問題だっただけだよ。 >>686
>86〜87年当りはゴディをそこまで売り出す必要がなかった。
売り出す必要なかったかなあ?w
テリーやニックやレイスにタイトル挑戦させてるよりは
よほど良かったと思うが・・
見解の相違かな >>667
いやいや
ブッチャーの度を超えた暴挙と言えばオープン選手権の最中に日本武道館て行われた力道山13回忌興行で、力道山の息子の百田義弘リングアナウンサーへの暴行でしょ >>687
対ジャパン軍や対天龍同盟等の日本人同士の戦いがメインになってたから
ハンセンと対立させたって誰も注目しないよ。
それよりはハンセンと組ませて日本人同士の戦いに割って入らせたほうが良いと判断したんだろ。 >>679
78年あたりはジョージアで州王座やTリッチ、Oアンダーソンとのコンビでタッグ戴冠と
前面に立った活躍ぶりみたいだな。MSGでサンマルチノの「首折って」以来、干されてからの
米国での再就職だな。。 >>688
百田義浩だろ。その試合の時に、欠場で腕吊ってるレイスに襲いかかったんだよ。 >>671
本当だよ。
『週刊ゴング』のファン投票で当時、一位のカードがハンセンvsブロディ。
88年8月29日の武道館で実現する予定だったけど、ちょうどその時「ブロディ刺殺事件」があって実現不可能になった。
ちょうどブロディが刺された7月16日(日本時間・7月17日)にハンセンは、ゴング誌でインタビューを受けていて、
「8月29日はオレの誕生日なんだ。日本のファンが何かビッグなプレゼントをしてくれるのかな。
ブロディとは強い友情関係にあるのでオレの口からは何とも言えない。」と答えている。
他にも、ハンセン&ブロディの「超ミラクルパワーコンビ」を復活して、ウォーリアーズとの対戦に投票するファンも多かった。
これについてハンセンは「今はテリー・ゴディと言うベストパートナーがいるから、難しいんじゃないかな。
でも、ウォーリアーズとの対戦は興味があるよ。」とコメント。
このインタビューの翌朝に「ブロディ刺殺される!」のニュースが日本に入ってきて大騒ぎになったんだよ。
でも、個人的にはハンセンvsブロディのシングル戦は実現しなくて良かったと思っている。
ハンセンもそう言っていたけど。 テリーゴディの最初の出会いって80年頃の別ゴンだったか、マイケルヘイズとのフリーバーズで
テネシー地区で新進気鋭の活躍ぶりを紹介されてた。無論、年齢二十歳そこそこだよ。
カナディアン背骨で相手を持ち上げてるモノクログラビアだったかな。。
いずれは大成する云々のコメントだったような。 >>679
>逆に新日が何故ハンセンを呼ばなかったかまでは知らないが…
ハンセンが新日本に初来日した直後の77年3月に長男・ジョンが誕生して、79年1月に長女・ペイジが誕生した。
デニス前夫人、生まれたばかりのジョン、生まれてくるペイジの世話をするために来日しなかったのが一番の理由。
当時、ハンセンはミシシッピ州ジャクソンに住んでいて、オレイのGCWはジョージア州とそれほど離れていなかったのと、
オレイもハンセンのファイトをすっかり気に入っていたからね。 >>692
レスありがとうございます。
実現しても初回は両者リングアウトにしたんじゃないかと思いますね。 サンマルチノはハンセンに気にするなと言ってたらしい
金網デスマッチでサンマルチノがリベンジのブックもあったから、確かに干されてはいないね >>668
86年だっけ?シングルやって、ハンセンと袂を分かったけど、最強タッグのブロディ復帰で結局有耶無耶になったね。 >>666
アホか。
ゴールデンと深夜や夕方の放送を一緒にすんなよ。
大体、全日自体が観客も少なかったし、視聴率も低かった。ブロディ一人のせいにすんな。 >>692
ぜんねんにたっぐたいけつがじつげんしてよかった。
ばばも『ぶろでぃをふっきさせてよかった』とぶろでぃしごにいっていたくらいで。
ぶろでぃのぜんにちふっきがなくてもあのうんめいはかわらなかったとおもうし。 >>678
動画UPありがとう。
レイス&ニックの入場シーンでの出棺ビッグレスラーの垂れ幕wwwwww
出棺ビッグレスラーの垂れ幕wwwwwwwwwwwwwww
出棺ビッグレスラーなんて買ってた人いるの?いるの?いるの? >>698
ごでぃはけっきょくははんせんとまたくんだからな。
ういりあむすのぜんにちとうじょうでごでぃははんせんとかんぜんにわかれたが。
まあごでぃも『はんせんばなれ』してよかったとはおもう。 >>687
ゴディは86年にインターとPWFに挑戦してる ゴディは何しに来たか分からない来日が
結構多いんだよなあ。
87年のジャイアントシリーズなんてほぼ
フル参戦なのに毎日石川、大熊、薗田
あたりとテーマなきシングルマッチ。 ごでぃがらいにちしていたころはまだがいじんがおおかったじだいだった。
おおものがいじんがおおかった。
ごでぃはそういうおおものがいじんにうもれていたな。 >>705
デビュー5ヶ月のテンタと両リンは酷いと思った
個人的には開幕戦で組んだニキタ・コロフとのコンビで最強タッグ出てほしかった >>699
ブッチャーシリーズやハンセンシリーズに比べて、ブロディがエースのシリーズの客入りは
ジリ貧だったよ。 特に地方なんてガラガラ蛇が出てたわ。
そもそも、ブッチャーが抜けてから視聴率が取れないから、ゴールデン外されたんだろうが!
ブッチャーの後継たる凶悪外人が育ってなかったからさ。
それはブロディが悪いのではなく、何度も言ってる通り馬場が凶悪ヒール外人を育てなかったからだ。
シークみたいなジジイをブッチャーのパートナーにせず、
過去のオールドネームに頼らず、凶悪外人を育ててブッチャーのパートナーにして
ファンクスとやらせて、「彼」にテリーへのフォーク凶行をやらせれば、
テリー人気爆発と同時に、「彼」への憎悪ヒートは極限に達したろうよ。
で、その後、「彼」とブッチャーが仲間割れして、ブッチャーVSシークなんかより遥かにハイレベルな凄惨な試合をやれば、
最凶悪ニュースターが生まれたはずだ。
もちろん馬場史上、鶴田史上での最凄惨流血試合を「彼」にやらせてね。
候補者は、かつてのクリス・マルコフみたいに素地があって、それなりにちゃんと仕事が出来るけど、
白人ながらもスラブ系ゆえにNWAやAWAの王座に就けない地区トップや
やはり実力はあるのに有色人種やマイノリティーゆえに地区王者止まり、NWA挑戦者止まりの実力派ね。
過去の例で言えば、ジョニー・バレンタインなんかがそうだ。
力道山や、その後のトロイカ体制が彼を呼ばなかったのは、ラフは滅法強いがデカくなくて筋肉質じゃなくて
顔もべつにいい訳じゃないから、スターになれないだろうと思って呼ばなかった。
でもアメリカ遠征で現地で彼を見た猪木は、この男と自分がやれば凄い試合が出来る、必ず日本で受ける、と確信して
なんとしてもバレンタインを呼ぼうとした。
で、66年の蔵前の一戦で大当たりして猪木は一気にスターになった。
まあ、バレンタインは育てる必要が全くなくて、逆に猪木が引上げ上げて貰ったケースだけどね。
とにかく馬場は、その手の新規の発掘や育成が出来てなかったのよ。
だからブッチャーが去ったらゴールデンを降ろされるのは必然だったのさ。 馬場のPWF挑戦、テリー引退試合抜擢、フリーバーズ、鶴田のインター初挑戦引き分けと割と優遇されてたけど、まだ若かったこともあり結果が出なかった。
その後しばらく便利屋の時代があって、一応ハンセンとのタッグで結果は出してたけども、あくまでハンセンのパートナーという感じで本当に持ち味を発揮しだしたのはウィリアムスと組んでからだったな
でも三沢戦前の心停止だっけ、とか後年は体調不良が目立つようになり最期まで全力を出しきれないままだった気がする。誰かが評してた、ゴディはどうしても優しい部分が出てしまうってのが正しかったんだろうな >>709
> そもそも、ブッチャーが抜けてから視聴率が取れないから、ゴールデン外されたんだろうが!
ブッチャーが抜ける前からゴールデン外されてたからそれはない。 馬場は自前でスター選手を作れなかったから
NWAと新日の人気選手に頼ってた >>709
>ジョニー・バレンタインはデカくなくて
おい!おい!バレンタインはデカいぞ!WIKIには193cmとあるが、
ガチで190はあった。
>顔もべつにいい訳じゃないから、スターになれないだろうと
二方向で間違っている!
バレンタインは、特に若い頃は美男だよ。
竹内宏介は、俳優のレオナルド・ディカプリオに似ていると評していた。
で、
>力道山やトロイカ体制(’64年〜66年頃)、
>顔もべつにいい訳じゃないから、スターになれない
って、どういう意味だよ?
その時、外人は基本的にヒール、悪い奴だよ。
逆にハンサムではダメ。
スターというか、よく来日してタイトルにも挑戦したのは
デストロイヤー(ハンサムかどうか分からん)、Fブラッシー、Bオースチン、
ブルーザー、、みんな悪そうな顔をしている。
別にハンサムだから売れたわけではない。
力道山からトロイカ時代、身体がデカくなく、
筋肉質でもなくハンサムでもないデストロイヤー
が外人で最もスターだったわけだがwww 今、テレ朝チャンネルで1974年に新日に来日したクラップの試合やってるわ
ワールドリーグ戦の決勝で坂口戦
最強タッグに来日した時と比べて、パワフルで上半身の張りが凄くてクローに説得力がある
坂口とほぼ同等の体格で、スキンヘッドにしてヒールは迫力あるわ
1981年の時とは別人だなあ…あの頃はもう50代かな?… >>709
凶悪ヒール外人がいれば視聴率が上がるという根拠はどこからきてるのか。
ブロディという極悪外人を育てたのに視聴率も客入りも上がらなかったのは何故か? >>717
馬場が自著で「あんなに動けて飛べて凄いのに・・・プロレスは難しい・・・」と書いて
いた。
>新規の発掘や育成
これが意外と簡単にはいかならしくかってはプロレス新盟主とまで言われたNOAHは
日本人レスラーまでうまくいかなり地盤沈下してていった・・・
>>660
新日からの持ち込みで12chは放映権料は払っていないが当時の12chの中では群を抜く
高視聴率を取り翌年に改編期からレギュラー化を検討するも猪木の商品価値を再認識した
東スポだけでなく馬場に去られたNETも同じで「馬場に対抗するのは猪木&坂口の黄金コンビ!」
と合体を指示、「放映料、ネット数、勝負になりませんでした・・・」と実況を担当した
12ch・杉浦アナは無念そうに後年、語っていた。解説の東スポ・桜井氏もそのまま
ワープロへ行った。
>>619
ルーイン夫人の日本里帰りも兼ねて正月シリーズに馬場が呼んでいた。馬場のこういう
細かいケアが外人レスラーの信用に繋がっている。 新日の旗揚げ戦は(資料が出てこないので記憶で書くが)映画会社の下請けみたいなところが撮影したんじゃなかったか。だからフィルム撮影になっている。
ビデオソフト黎明期から積極的に過去の名勝負を販売したり、映像アーカイブという観点では先見の明があったね。 >>663
この人の動画いいね、地方興行の試合を沢山隠し撮りしてるw
こんな時代が来るんなら俺も隠し撮りしとけば良かったわ、再結成したバンドのライブとか行くと初期の隠し撮り動画や音源をファンに募集してたりするし 個人的な考えだと断っておくけど、日プロ時代から馬場派猪木派はあって
2団体になり、その2派が分散するんだよな
最初は豪華外国人レスラーや助っ人レスラー、鶴田の入団なんかで全日の
視聴率の方がやや優位だったけど、度重なる猪木の挑発、挑戦で
逃げる(無視する)馬場のイメージが付いてしまう。
猪木は日本人対決や異種格闘技路線を開拓し興味ない人まで取り込んで
視聴率も逆転するようになる。
全日もテリー人気で回復するもマンネリになると視聴率も下降気味に‥
しかしハンセンの逆輸入、ジャパン勢も加わり勢いを取り戻す。
何が言いたいかというと、視聴者が何に興味を持つかで視聴率は決まるから
圧倒的な凶悪レスラーを見逃せないと思わせれば視聴率は付いてくるし、
タイガーマスクの空中殺法がクラスで話題になれば観たくなるし、
善悪に関わらずスーパースターは興味を持たせ視聴率を取るってこと。 >>709
ブッチャーに関しての事実誤認の発言でせっかくの長文も台無しだな。 >>722
後付知識の知ったかってこういうところでバレるよねw ちょっと話を振ろう
佐藤昭雄とかの証言で以前は憶測だった馬場と松根社長の冷戦関係が事実だったと
わかったけど
地方では一般層に圧倒的な集客力を誇る馬場、一方でプロレスファンに対し「新日ではなく
全日に行く」事を選ばせる唯一の要素であった豪華外人路線
この二つを排除して、80年代前半の不人気の鶴龍コンビを中心に据えようとした松根社長
はバカなのかw
もちろん馬場がいつまでも現役でいられるわけもないしそれじゃ先もないのはわかるし
外人は金がかかりすぎるんだろうけど
あの時点で馬場が引退して豪華外人が来なくなったら全日なんて後楽園ホールすらも満員に
できなくなったぞw
結果的に紆余曲折を経て鶴田も天龍もブレイクはしたけど、それは松根社長の退任後に彼の
企図した路線とはまったく無関係の要素からだからな
トップに据えてエースとして扱えば人気が出るなんて安易に考えていたなら
草津をエースに日プロと張り合おうとしたTBSなみのオツムだ 鶴田祐士Yuji Tsuruta
全日本プロレスリング
All Japan Pro-Wrestling
#AllJapanProWrestling #プロレス
https://pbs.twimg.com/media/EC3E1sQUwAEpA4r?format=jpg
西永 秀一@shu_nishinaga
14連戦!
10連戦!
9連戦!
秋山準@jun0917start
凄いですね!これ考えると今は楽ですね。
西永 秀一@shu_nishinaga
選手の皆さんのコンディション維持も大変だと思いますが、
36年前の高速道路状況を考えるとリングスタッフの移動スケジュールが…
ゾッとします。 第1回IWGPも28連戦?だっけ
移動だけで嫌になるな なんでスミルノフの写真が81年の時の髪ありVerなんだよw
翌年のカーニバルからスキンに戻してただろ
そして今も語り草の「カワダ」
デビューしたシリーズはともかくデビュー半年も経ってるんだから
いいかげん作ってやれよw 一瞬、カタワだしな。。
まああの頃は年間200試合くらいやってて、不入りだ何だと言いつつ地方もお客さんは
来てはくれてたからな。昭和の娯楽の一つだったし。 >>709
おんどれはつりか?
つりじゃなければごにんしきだな。
おまえのいう『ぶっちゃーがさってごーるでんおろされた』がちがう。
ぶっちゃーがさるまえからごーるでんはおろされてる。
ぶっちゃーがぜんにちをさるにねんもまえに、だ。 ブロディはあの風貌があまりウケなかった。日本では。
ニードロップのわかりにくさもあった。 しかしこのシリーズは見に行ってるしパンフも買ったはずなんだが
カワダはともかくスミルノフの髪の毛はまったく記憶になかった
シリーズ後半でスミルノフはもう帰国してたし気にしてなかったんだな >>729
だから、お前は文句垂れずに死ね、しね、シネ! >>709
ジョニーバレンタインと誰かを間違えていないか?
ラフも強いが、基本的にラフファイターではない。
長身、金髪で黒のロングガウンに身を包んで
入場した時は、「気品」さえ感じた。
確かに、力道山や初期の馬場の相手
(悪役、怪物)としては人気が出なかっただろうな。
逆に、1980年頃、若いバレンタインが全日に参加したら
女性ファンが殺到したと思うよ。 >>709
ネットで仕入れた不正確な情報を継ぎ接ぎして持論を語っても説得力がなくボロを出しまくりなんだよね
過去のメディアの情報は全部作り話でネットの情報こそ真実といったような風潮が一部であるようだけど、
アンチがネットに書き込んだ情報なんて単なるネガキャンに過ぎず、それこそが事実のように受け売りするのはみっともないよ あといるのはネット時代になる前は海外情報とかがまったく入らなかったと思ってる
やつな
それはプロレス誌が週刊化と他団体化で海外情報載せる余裕なくなった短い期間
月刊時代のゴング・別ゴン、月プロ・デラプロや初期の週ゴンは米マットの主要な
ビッグマッチはほとんどレポートしてたし
ゴング系に至ってはハンセンやファンクスなどが敗戦してる日本の団体に不都合な
海外試合の結果までご丁寧に報道してた
さすがにグラフはなく試合結果だけだったけど >>724
松根も豪華外人路線を止めようと思ってたわけじゃないだろう。
物量豪華外人は費用倒れになるから避けようとしたんじゃないかな。
81ジャイアントシリーズみたいな気が狂ったような外人の使い方はまずい、と。
短期で入れ替わる外人はファンから見ても意味は薄いしもったいない。却って興味が失せるしな。
それに外人ギャラはNTV持ちらしいからそりゃ当然そう考えるはず。 >>425
このパンフの日はカード見ると東京体育館みたいだけど
こんなビッグマッチの24時間後に釧路で試合、というのも大変だな
またこんな大会場が最終戦ではなく、中盤過ぎというのも今の感覚からすると驚き
さすがIWGP対抗策シリーズといいたいが、モロにIWGPとぶつかったパート2の動員はどうだったんだろう?
最終戦の蔵前のフレアーVS鶴田 馬場VSブロディの印象は残ってるけど
動員状況も含めて、なんかシリーズにテーマってあったっけ?
パート1は最強タッグのリマッチ、パート3はテリーさよならシリーズ
パート2は印象が薄い、不入りシリーズだったのか? 翌84年のグラチャン2では日本初のイリミネーションがあって
馬場鶴田天龍トンガvsシン上田鶴見と、あと一人忘れた… 消息不明になった松岡厳鉄や伊藤正男がマスクマンになって
極悪レスラーとして暴れ回ったら面白い。 >>732
リングは複数あって、もう一つを予め運んでおくんだよ。運転手2人だけで予め北海道に向かわせる。 >>730
またお前か。
ブロディをトップ外国人と認めないプロレスファンはおらんと思うが?
ニードロップでほぼ百発百中でフィニッシュになってたのに、わかりにくいってなんだ? >>743
ぶろでぃは、さいしょはごくあくひーるとしてうりだされた。
ちぇーんもってあいてをりゅうけつさせたり。
ふぁんくすとのこうそうではごくあくひーるだった。 だから極悪ガラプーは一刻も早く、死ね、しね、シーネ! >>743
ばばが、ぶっちゃーのあとがまとしてぶろでぃをごくあくひーるにしたつようとした。
ほかにもぽすとぶっちゃーはいた。
しーく、ひきぬいたしん、ぶろでぃ。
それまでのぶっちゃーのえいきょうりょくはでかかったから。 >>743
でもな、はんせんをひきぬいたから『ぽすとぶっちゃー』はひつようなくなった。
それでぶろでぃもごくあくひーるからぱわーふぁいたーろせんへ。
それによりごくあくひーるはじょじょにきえていった。 >>749
だから極悪ガラプーも早く消えてくれ!! >>750
おまえこそ とっとといちびょうでもはやくこのよからしょうめつしろ。
あとかたものこすなよ、こじきやろー。
おまえがいきてきたきせきなどはいっさいひつようない。
うまれてきたのがさいだいのまちがい。 >>741
バズ・タイラー 、覚えてるわw
そのシリーズで鶴見のパートナーでアジアタッグに挑戦したよね
何で覚えてるかというと、大阪府立で鶴田VSロビンソンやったアンダーカードだったから
府立という大箱で、鶴田ロビンソンをやる無謀さは記憶に印象深い
87年春の鶴田リッチを新装府立で組んだのと同じくらい疑問なマッチメークだった。 バズ・タイラーはいわゆる「セントラルステーツ枠」だな
馬場派プロモーター筆頭のガイゲルのコネで来るグループ
>>753
確かに大会場のメインとしてはキツイけど
春に一度アメリカで勝ってるとはいえ
UN奪取の時もアクシデント勝ちでまだクリーンフォール勝ちしてないロビンソンから
日本でクリーンフォール勝ち自体には全日の歴史上は意義があったんだけどね
ついでにロビンソン最後の来日の時は天龍と一騎打ちさせてロビンソン越えさせて
欲しかった
一応プロレス開眼の恩人ってことになってるんだし >>621
ニックのテーマを思い出そうとすると、チャボのカルフォルニア・ハッスルが邪魔をして、
チャボのテーマを思い出そうとするとブリティッシュ・ブルドッグスのカー・ウォーズが邪魔をする…
パップのLPではプロレスリング・イン・ハワイをきっちりカバーして収録してたね。 >>750
>>752
荒らしにわざわざレスするなよ、喜ぶだけだぞ?NGにしてスルーが一番。 一言で言えばブロディは根暗キャラなんだよな
それがいいという人もいるんだろうけど
それでは一般層には受けない
政治家とかでもよくあることだよ
ほかのトップ外人との差はそこにあると思う
流石に本人に自覚があったのか
新日移籍以降はキャラが変わってっきたが 何で最近こんな盛り上がってるんだ?
この8月で定年迎えた爺さんが多いのか? そりゃあ8月なら死んだヤツらを思い出して、あれこれ語ってやらんとな 松根さんは全日本の社長だけど外人レスラーやプロモーターからすると
オールジャパンのボス(プロモーター)は馬場というねじれがあるから昭雄
が間に入る形で調整するのは大変だったな。 >>762
何年か前のテリーのインタビューで社長降格について尋ねられて
「いや、それは知らなかった、ずっと馬場が社長だと思ってたよ」
後から知ったという事ではなく、そのインタビューで初めて聞いたニュアンスだったな
ファンクスは馬場と晩年に色々あったらしいけど、
その時のテリーは「馬場は嘘をつかない人間だよ」
「シニアを亡くした時も、何も心配するな今までと変わらんからと言ってくれた」と回想してたな。 『猪木は馬場をなぜ潰せなかったのかー80年代プロレス暗闘史』
ジャイアント馬場率いる全日本プロレスの経営状態は、70年代後半から80年に入る頃、倒産の可能性もあるほど逼迫していたため、
ジャイアント馬場は親会社の日本テレビに、社長の座を奪われました。
それどころか、日本テレビから送り込まれた松根光雄社長は、ジャイアント馬場に引退を勧告。
興行現場の実権(マッチメーカー)も取り上げて、かつてジャイアント馬場の付け人だった佐藤昭雄に託します。
レスラーとしては老い、経営者としても団体運営者としても失格の烙印を押されたジャイアント馬場。
では、猪木の新日本プロレスは、なぜ馬場の全日本プロレスも潰せなかったのか、
というのが本書のタイトルになっているわけです。 基本的に義理人情で動くのは日本人だけだからね
外人は金で簡単にボスを変える
WWFに移籍するレスラーの節操のなさはひどいと思った
そんな中で国際プロレスが潰れかけの時に参戦したアンドレや、全日本一筋を貫いたサンマルチノは立派だと思う 今23時50分頃だけど、40年前のこの時間は、日テレで、8・26夢のオールスターをスパーツニュースで見た。爺になるわけだ。 >>766
スパーツじゃなくスポーツニュースでした。
映像は、馬場、猪木組対ブッチャー、シンのみだっと思う。あと木村がカウントアウトで小林に勝ったと報道されていた。 >>765
レイスや、一筋じゃないけどロビンソンもね。 >>763
全日と疎遠になってから佐藤に「俺たちがババから離れると思わなかったよな!」と
話していたらしい。
>>738
大盛況が間違いなしのIWGPとの直接対決を避けた感じ。経費節減でギャラの高そう
なレスラーもスポット参戦のフレアーくらいだし次のテリーさよならシリーズは
こっちが大盛況間違いなしだから無理をする必要が無かったんじゃないのかな?
>>737>>756
主役であるべき日本人が完全な脇役で外人が主役と言う路線を軌道修正しようとした。
鶴田や天龍もプッシュできるまで育ってきていたし一番の問題は馬場の付き合いで全米
のテリトリーから呼ぶレスラー群だった。イチシリーズ呼ぶ外人数を「採算度外視!」
とやり玉に挙げていた。
松根・佐藤体制スタート後に途中帰国、途中参加が増えたのは外人レスラーの年間に
参加日数とシリーズ外人レスラーの総額ギャラの予算の帳尻を合わせるためだった。
馬場との関係が悪化した最大に原因は禁断の「引退勧告」をしてしまった事で原Pも
「そういう余計な事するから関係が悪くなった・・・」と回想していた。 >>769
ドリーは夫人の云々という話で何となくわかるけど、テリーとはどうして疎遠になったんだろう?
20周年の時に試合せずにセコンドだったし、それから半年後にはもうFMWで大仁田と一騎打ちしてた…
まあセコンド云々については、10周年の蔵前でもテリーは主役ではなかったから重要な意味はないかもしれないが。
でもドリーの件はもっと後だし、テリーだけ移籍したのも意味がわからなかった。
やはり20周年での扱いに不満があって、主役というかエースの好敵手になれるFMWを選んだとか?と勝手に推測すると… >>769
そういえば翌年のパート2もシリーズ名目とは違い、なんとなく半端な印象
川崎市体育館のインタータッグ、シン上田vs鶴田天龍を観戦したんだけど
試合前に会場内で某レスラーが寛いでたから、パンフにサインをねだったら
ニコニコしながら「おういいよ、坊主は新日本は見に行かないの?」と聞かれたから
「見に行くけど、5回に1回ぐらいでほとんど全日」と答えたら
「おうそれは嬉しいねえ、でも今日は沢山入りそうだけど、今シリーズはスカスカなんだよ、新日本は一杯だろう?」みたいな会話を覚えてる
ちなみに川崎を見にいった人がいれば覚えてるだろうけど、入りは7割ぐらいだった…。
まだまだ当時の全日は7割でも一杯って感覚なんだね、もしくはパート2があまりに動員がひどかったか…? >>741
バズ・タイラーって映画「空手バカ一代」出てた人? グランドチャンピオンカーニバルは1回だけなら
とにかく超豪華、という特別感があるけども、
春の定番になっては「どこがグランドやら……」との感がある。
これは前身のチャンピオンカーニバルも第一回の(PWF認定ばっかりだけど)チャンピオン集合、という内容が二回目からただの優勝カップ争奪戦になってしまったのに似ている、のかもね。 ☆☆☆北山崎小学校の当時の勉強の世界の『羽生結弦』こと『(三秋の)折井』『高田知彦』『水田礼二』♪♪♪ 星取り式のチャンピオンカーニバルって最初から10回大会で一区切りだったんだっけ?まだ小さい頃だったからそこらへんの経緯がよくわからんかった。IWGPに対抗して83年に総当たりやってりゃ物量的にも上回ることができたんじゃないかと思うが >>778
キリがいいし、マンネリもあるんじゃないの?
第11回で中断は変だし‥
でも分からない。IWGPに対抗してグレードアップしたチャンピオンカーニバル
大一番の連続を宣伝したかったのかも シングルのリーグ戦辞めたのは馬場がしんどいからか鶴田に負けるのが嫌だったとかぐらいじゃない。 >>780
80年に鶴田が初優勝していよいよ鶴田時代かと思ったら、81.82って馬場だもんな
もういい加減譲れよって感じだよな >>778
ハンセン移籍で、だったらハンセンとブロディを当てろという声がどうしても高まるだろうし
究極の夢の対決をもっと先に温存したかったとか?
表向きにはトップ級対決のTVカードと白星配給係の消化試合との興行によるカード落差が激しく
プロモーター受けが悪かったというのを理由にしてたみたいだが
そこはメンバーを厳選するとか複数ブロック分けとかやりようはあったと思うけど なんかの媒体に
「俺と小鹿(大熊?)の試合なんて誰が見たいんだ?」
ってコメントが載ってた記憶がある。 ハンセンとブロディは全国引っ張りだこで同時に呼ぶのは年末以外厳しい。。みたいな理由で
各年単体でCC参戦にするとか方法はいくらでもあった。
ただ馬場が、鶴田や成長してきた天龍とシングルしたくなかった。 >>784
ハンセンと最高試合賞獲ったのにカーニバル勇退はできんわな。 >>785
俺はハンセンやブロディより鶴田や天龍と
戦うのがしんどくなったのが大きな
理由では無いかと思ってる。
特に鶴田との公式戦は5年くらい連続で
時間切れ引き分けだったから何か
違う結果を求められそうだけど
もう馬場にはその度量も無くなってきたのだろう。 猪木の読めって田鶴子って言うんだな
逆さ鶴田、田鶴浜 >>770
>主役というかエースの好敵手になれるFMWを選んだとか?
その通り。もうテリーに関してはそれしかないよw
テリーの性格は百も承知だと思うけど、あの当時のテリーにドリーのような「老後」を全日本で過ごさせるのは絶対無理。
当時のテリーはまだ40代後半で、直前の89年まではWCWでムタ、スティング、フレアー、
ゴディ、ウィリアムスなんかと第一線で絡んでた。
アンドレ、ブッチャー、ドリーのように「ファンの暖かい目」の中では絶対やりたくないのは
手に取るように分かる。
FMW、ECW、IWAと、とにかく自分が最前線でバリバリやれる環境を選んでいたのも
「テリーらしいな」と当時自分は思っていたな。
別に20周年の扱いで疎遠になったのではないと思うよ。
テリーも90年10月に全日本に3年ぶりに復帰した時点で、自分の立ち位置は分かっていたはず。 >>780
はんせん と ぶろでぃ をたいけつさせないため、もある。
まあどちらかがとくべつさんかもありだが。
しかしかんばんふたりのどちらかとくべつさんかではもりさがる。
まいとしこうごにとくべつさんかってわけにもいかん。 >>782
たがらさあ、ばばははんせんとぶろでぃのたいけつをさけていたんだよ。
さけるというよりだしおしみだな。
まだはやい、と。
ゆくゆくはたいけつさせるつもりだったろうが。
そしたらぶろでぃはしんにちにいせきしてもうて。 >>787
おまえなあ、こじんをねたにするでない。
このばかたれがっ。 >>788
あのころのぜんにちではてりーはげんかいだったな。
いばしょなかっただろ。
だからいんでぃーであらたなじぶんのすたいるをきずいた。
これまでとはちがうすたいる。
しかしそれがけっかてきによいほうこうへ。 >>788
なるほど、やはりそうか。
UFC全盛期に「あと20年遅く生まれていれば…」と悔やんでいたテリーらしい
しかしその第一線で、という目線で見るとハンセンは本当に凄いな
デビアスの離脱後に馬場と組み、さらに翌年は大森と組んだり
微妙に日本陣営寄りになってきて「もしやデストロイヤー的なポジションで終息する?」
そう思ってたら翌年の95年あたり、小橋との因縁が勃発して再浮上
三冠戦線に再び舞い戻って、四天王と再びバチバチやりだす
さらにもっと晩年にはベイダーと組み、最強タッグの優勝戦線で元祖ラリアットの価値が脚光を浴びる
そしてノアの大量離脱により舞い戻った天龍と最後のシングルで引退
40代の半ばあたりにちょっと終息モード?に入ったと思ったら、また浮上して50歳までトップ戦線で戦いきって終えた
こんなに最後まで強さを感じさせ、20年以上も維持した外人レスラーは他に皆無に思えるよ… >>788
待遇にもこだわらなかったみたい。
インディ参戦後に宿泊先がビジネスホテルクラスになっても逆にツアーに参加できる
のがうれしく文句等は言わなかった。逆にマードックは「ケイオウプラザ」と連呼して
スタッフを困らせたり数年前に来日したマスカラスは団体が用意したホテルではなく
勝手に高級シティホテルに宿泊してしまった・・・ >>795
W★INGにマスカラスが来日した時は
他が試合が終わってそのままバスで移動
する中、マスカラスだけは高級ホテルに宿泊
翌日新幹線のグリーン車で移動となって茨城も
もうマスカラスを呼ぶのは止めようってなったとか。 >>792
おまえはえいみんしろよ。
それかみもとさがしてころして、えいみんさせたろかいな。
しにぞこないやろー。 >>796
ますからすは、そういうはなしはつきないな。
ひとがわるい、とゆーよりわがままがすぎる。 馬場さんと黒タイツになった鶴田の30分引き分けの画が見えない。。。 >>796
ヘッドハンターズなんか東京滞在中は、経費削減のために茨城清志の自宅に
泊めていたらしいな。あんなの2人も泊めるのは絶対に耐えられない。 でもマスカラスクラスなんだからグリーン車なんて当然じゃん
吉本のお笑い芸人でさえ売れたらグリーンだぞ 80年81年のPWF杯タッグトーナメントと、84年の世界最強ジュニアリーグは
何で恒例にならなかったのかな?
評判悪くて採算の取れなかったシリーズなのか、
メンバーの人選に苦心したのか… >>783
小鹿クラスを出さなきゃいいだけなんだけど、星取の関係でそうはいかないんだろう >>807
メンバー厳選したら引き分けばっかりでつまらなくなるよ。
ジャパンと提携してた頃の最強タッグの星取のつまらないこと。 >>788
テリーは志村けんと一緒で大御所であっても、良かれと思えば体張るし、若手の目線まで降りてくる。相手に華を持たせても最後はきっちり自分が持って行くという。自己プロデュースが凄いと思う。 テリーって最後までやられっぱなしでカタルシスが無いんだよな
全日で長州とやった頃は完全に飽きられてたって言うか呆れられてた テリーと志村けんは昔からそっくりと思ってた。同じ人がいて嬉しい。 >>812
最初は世界王者ドリーのヤンチャな弟、NWA取った頃から注目され
オープンタッグで人気爆発
それから約6年、絶頂時に本当に引退してたらテリーは神になってた テリーの引退商法は、愛弟子の大仁田が引き継いだな。 ファンクスのキャラクターはそのまま「スタスキー&ハッチ」にトレースされてると思う。 あっちでファンクスってそこまで知名度あったんか?
兄弟のキャラ浸透するまで >>815
大仁田は全日を家出したバカ息子のイメージw
ヤンチャで涙で叫ぶ処はテリーだな >>817
おそらく世界王者になって全米サーキットするから
地区ごとでプロモーションされて知名度が浸透するんじゃないかな
兄弟キャラはテキサス一帯では轟かせていただろうね
ニューヨーク王者は全米ネットのPPV網羅してるし、知名度も高い
昔のザ・レスラーやレスリング・レビュー誌のレーティングスは
いつもサンマルチノがトップだった。 >>811
w
>>812
その長州戦での失態直後の86年最強タッグの開幕戦メインでマーテル&ジンクと対戦したとき、
テリーvsマーテルで「大マーテルコール」だったよね。ファンの反応も以前とは全く違っていた。
テリーとの対戦で対戦相手にコールが起こるのって、あれが初めてだったかな。時代がもう変わっていたよね。
84年末に復帰後は全日本での立場も微妙になったから、WWFとプエルトリコで完全ヒール役に徹していた。 >>820
オーバアクションも以前は受け入れられたけど、復帰後は鼻に付いた >>821
引退前はまだ流れの中で自然な感じだったけど(それでもオーバーだったがw)、
復帰後は何か不自然さがすごく目立ったよね。 間接的だけど旧UWFの新日参戦というのもあるんでない?
全日ファンといっても新日も見てただろうし、なにより総合プロレスファンが1番多いだろうし
従来の新日のファイトですら、オーバーアクションと捉えられてるムードもあったし
1986最強タッグの時期は週プロが「格闘技通信」など出版し始めた時期、ゴッチ(テーズ)のファイトが見直されてきた時期とダブる。
それが心理的、内面的に拍車をかけて、ある意味テリーが標的になっとというか…
ただし、翌年の最強タッグでは少し前に開催された新日のタッグリーグで前田のと長州の事件が発生し
どこか陰惨で息をつまるムードと対局するような、全日の最強タッグのブロディ・ブッチャー・スヌーカらの復帰
「やはりプロレスは外人らのスケールの大きな戦いだよな」って再評価されたムードになった
それでも全日が単なるアメプロにならなかったのは、半年前に勃発した天龍革命
シリアスである意味UWF以上に陰惨な(特にVS輪島)ベースの戦いもしっかり内臓されてた、それで全日ファンは胸を張って自信をもち応援できた
それどころか天龍革命にハンセンやブロディがどう反応するか?という新しい興味やテーマができた。
ちょっと上から検証みたいな書き方になったけど、要は自分が体感したテリーブーイングからの心境はこんな流れ。 馬場鶴田天龍vs木村原鶴見が全日本至宝の対戦カードや >>824
年に一度の地元興行がこれだった時に凄いガッカリした、他のカードが凄いショボくなる >>820
テリー復帰後に佐藤が「いままでのようには行かないからね・・・」とクギを
さしたらしい。 >>814
引退しての神扱いとか、テリーにはどうでもいいことだろ。 81年の交通事故がなかったら喧嘩番長ディック・スレーターは
テリーの代わりになり得たか‥?でも無理だろうね。
デビアスやスレーターはNWA次期世界王者の有力候補だったし、
とくにスレーターは前年のカーニバル準優勝だったから期待は持てたけど… >>819
テキサスで有名ってだけでドラマに引用されるもんかね? >>829
スレーターは交通事故が無くてもNWA王者にはなれなかったのではないという説もある
マードック並みにスケジュールを守らない横着さに加え、リング外での喧嘩が絶えなかったという
ローデスやリッキー、ケリー程度の短命王者にはなれたかもしれないが… 2000年7月大阪大会での渕vs藤原組長のシングル戦の会場撮りをつべで見たけど、
渕の間合いの取り方、相手の出方をうかがう姿勢、相手のコントロールの仕方とかドリーそっくりだ。
ある意味、昭和全日(馬場、ドリー、デスト)vs昭和新日(猪木、ゴッチ)の技術面での究極の対決が
あんなドタバタした時期にひっそりと実現してたんだ。 >>830
スタ&ハッチがファンクスをトレースとか
兄弟キャラはテキサス一帯では名を轟かせてとか
実際は妄想もいいところだぞ
当時のプロレスラーなんて低所得層のごく一部の人間の娯楽
あくまで地域限定マイノリティのプロレスファンの間での有名人でしかないよ
サンマルチノとかは一般人にも知られてた例外中の例外
しかもあくまで世界一の大都市NYでのでかい母数を背景にした知名度だし
60〜70年代のNY市民にとっては例えばM・マントルやB・マーチンの方が普通に知名度は高い
ファンクスが全米のアイドルとかテキサスの象徴なんて
当時のプロレスメディアの作ったプロレス村内だけのヨタだからw >>833
何でお前にそんなことがわかるんだよ。
お前も一部メディアの情報を鵜呑みにしてるだけだろ。 >>832
会場で生で見てたけど、
終盤は渕が完全に息が上がってて、
藤原が時間切れまで合わせてたのがわかる。
全日ファンとしてはショックだったな。 >>837
藤原なんて川田にケチョンケチョンにされたやん >>837
渕はそんなもんだろうけど
藤原って新日ではスタミナがない部類だろ 高杉に言わせると
「藤原と浜さん(アニマル浜口)の試合も見たけど、藤原はまったく通用しなかった。
藤原は身体が細いし、地力がある選手には勝てないんだよ。」になるし
見る人間の思い込み次第だろう 他団体の選手と試合したからって強い弱いとかないけどな 平成の話だけど、全日初のドーム興行で週プロが「この日のベストバウトは秋山対馳」と書いたら小橋が嫉妬して
渕とロングタイムのグラウンドレスリングの試合やって週プロに大幅にページ割かせたエピソードは笑ったな
小橋にもそういう大人げない一面があるんだなって 三沢や小橋は派手な技や打撃技以外は見るべきところがない
川田、渕、秋山だけは違ったが 小橋はクイズ番組に出たときに答えがハズレたのを認められなくて
司会のくりーむしちゅーの上田に休憩時間中にしつこく食い下がってたそうな >>843
週プロはやたらとグラウンドレスリングもてはやしてたよな。
馳なんかグラウンドテクニックはあるんかもしれんけど、典型的なマスターベーションで、クソつまらんのに。 >>843
あの大会での小橋エース vsハンセンベイダーはフィニッシュが首固めだしぶっちゃけ凡戦だもん ファイトはノアの秋山の秒殺をやたらと評価してたな
キラー猪木とか
プロ格とか
平成のデルフィンとか
そこが丸見えの底なし沼は言い得て妙だけど
井上は最後までプロレスを勘違いしてたみたいだもんな 聖闘士星矢が裏番組だった時の影響ってあったのかね
戦隊はプロレスが裏番組だったバイオマンやチェンジマンよりプロレスが裏番組から去ったフラッシュマンやマスクマンの方が比較的視聴率が高かったみたいだけど、でもライブマンで激減したが ライブマンは'88ワールドプロレスリング見た後ついでに見てた人が多いんじゃね >>833
そもそもプロレスを話題にしたエピソードがあって、
出てきた「団体」というのが、ベビーのエースとデブの
ヒールの友人二人がやってるだけの同好会みたいな
シロモノで、主役のスタハチが
「サーカス団は過去のものになってもう誰も見やしない
プロレスも同じだ、もう今の時代に必要ないものなんだよ」
と二人を説得するシーンまで出てくる
あの話を見て、ああ、アメリカのプロレスって今はこんな
扱いなんだなあと実感して哀しかったものだ
それを一気にひっくり返したのがロッキー3のホーガンの
「Thats name of game.」 だったんだよなあ… >>856
当時のアメリカは今のインディみたいな団体「草プロレス」というのがあったとプロレス誌に書いてたけど
スタハチのエピソードはそれじゃねーの? >>855
戦隊の前にやってたΖガンダム等のサンライズアニメはこの頃は終わってたのかな >>858
その時間帯に獣神ライガーが放送されてた。
90年代は勇者シリーズとなり97年春まで
やってたね。 馬場がNWA王座に挑戦したのはロジャース、テーズ、ドリー、ブリスコ、レイス
この5人だよね?
フレアー以降は鶴田ら後輩に委ねたのは知ってるけど、
キニスキーに挑戦したのか、してないなら何故なのかが気になる。 馬場のジャイアントコブラの激痛に耐えきれず、レフェリーのシャツ掴んで引き倒し
反則負け防衛を行ったキニスキーはNWA王者じゃなかったっけ インターの権威を高める為に現役NWA王者に挑戦させたのかな? >>863
それは後付けの理由で、本当はNWA戦のギャラ(本部に払うタイトルマッチ料)が高かったからダラ幹が渋ったんじゃないかな 当時日プロにはNWA会員(NWAは団体単位ではなく興行主個人が加盟する)が居なかったから開催されなかっただけでは?
会員だった力道山が亡くなった後、長谷川淳一と遠藤幸吉が会員になったのはその後 >>861
馬場の全キャリアの中でこの時が頂点だったな
リアルワールドチャンピオンに最も近かったと言っていい
ブリスコからNWAを獲った時とは比べ物にならないくらい上 ドリーの時はNWA挑戦とインター防衛戦の両方やったな
ミック博士のプロレスファイルには当初猪木は減量してホッジの
NWA世界Jr.に挑戦するプランがあったとか 馬場vsドリーのインターは翌70年の真夏の試合だった どーせ取れないならNWAは猪木に挑戦させて、馬場はインター防衛戦をドリーとやれば良かったんだよ
猪木の方がドリーと名勝負しちゃったお陰でBIの差が縮まっちまったよ テリーがNWA王者で来日した時は
ノンタイトルのシングルマッチは
やったけど王者挑戦はジャンボだけ
だったね。 レイス2度目のNWA王者時代の決め技
フロントからのインディアンデスロックは痛そうだった。
何故かその後使わなくなったけど‥ >>872
年間最高試合賞になった鶴田との防衛戦でインディアンデスロックで一本取ってる。
https://youtu.be/ovz89gxImiY?t=1080 馬場×キニスキーおよびドリー
当時ダブルタイトルマッチって概念はなかったのかな。
全日時代は長崎でのブリスコ戦だけはNWA、PWFのダブルタイトル戦だけど
あとはずっとPWFは賭けなくなったね。
鶴田もNWAとUNのダブルとかはやってないし。 キニスキーは兎も角、どーせ取らして貰えないならドリーには挑戦せずにインターの防衛戦やった方が良かったな
あれで格的にも馬場=猪木みたいになっちまったし 馬場の3000試合記念試合のガニア戦はダブルタイトルマッチだがな
あと鶴田がニックから悲願のAWA奪還試合はインターも掛かった
ダブルタイトル戦だったというのは忘れがちになる >3000試合記念試合のガニア戦はダブルタイトルマッチだがな
あーそうそう、そうだった。
それで翌月のレイス戦はNWAチャレンジマッチなんだよね。
NWA>AWA≒PWFな雰囲気を出したかったのもあるのかな。 馬場の記念すべきNWA初防衛戦 vsブリスコもPWFとのダブル
WWWFサンマルチノ戦もダブル >>870←→>>875
おんどれはどういつのくずだろ。 >>880
同じシリーズにやった大阪での試合もアジアとのダブル ハンセンに長州が挑戦した、AWAとPWFダブルってあったな。反則勝ちでPWFのみ移動。 >>882
反則での移動は潔良いのかな?
両パターンがこの試合で出たから当時考えてしまった 佐藤昭雄が「当時の俺の立場では言えなかったんだけど・・・猪木・ドリーの方が
名勝負だった!」とコメントしている。NET・船橋アナものちの小林・大木戦より
ドリー戦を一番の名勝負と上げてでスピード、体の張り、技のキレ等でこの頃が
猪木の全盛期と話している。 まあ、一般客にアピールできる試合が名勝負とされる部分もあって、判断材料は多々ある。 馬場ドリー戦は悪くはないが
そろそろファンが馬場に飽き始めてる頃に
猪木ドリー戦で新しいプロレスが出てきたからな
インパクトが強くて当然 猪木のNWA挑戦はドリーとの2試合だけになったな
大阪はノーフォールのドロー、福岡は1本づつ取り合って時間切れ
名勝負と言われてるけど、スピニングトーホールドも卍固めも出てないから
3度目の大阪が期待されたけど幻になった‥ >>874
1971年暮れのシリーズで
ドリー対猪木戦は、NWAとUNの
ダブルタイトルマッチの予定だった。
古くは、、66年、インタータッグ王者チーム
Mパードシス&F.Vゲーリック対アジアタッグ王者
G・馬場&吉村のダブルタイトル戦があるな。 >>885
一般客へのアピールが馬場より猪木の方が上だったのは、
挑戦者の必死さが伝わったからで
馬場はこれまでのキニスキー、ブラジル、エリックのような貫禄負けする
キャリアが上の対戦相手と違い、余裕が見えたところが差になったと思うな。
1本目に初公開のジャンピングネックブリーカー決めた時には
余裕で勝てると思ったも ドリー以降からの馬場のライバルは
すべて馬場よりキャリアが下になる
ひとつの分岐点だったな おまえら、いやっ、みなさん、よくごぞんじで。
にちぷろをよくしってるな。
こっちはにちぷろはまったく。
さすがにくちだしはできんわ。 馬場のライバルと言えるのは、キニスキー、コワルスキー、ブルーザー、リソワスキー、サンマルチーノ、モンスーン、ジョナサンぐらいまでやろ
全日になってからは、ブッチャーしかライバルと呼べるのはいないやろ デストロイヤーは、すぐに「仲間」になっただろ?
レイス、ブリスコなんか日プロ時代、馬場から見れば
「小僧」といった感じだっただろうな。
ロビンソンは、一度、潰して、鶴田のライバルにした。
むしろ、全日が初来日の「まだ見ぬ強豪」の一人、
M・ルーインとライバルになると思ったら、
これもデストにあてがった。
日プロ時代、日本で戦っていないザ・シークも
参加させたが、今、ひとつ。 デストロイヤーとルーインも73年にUSヘビーと南半球ヘビーを賭けてWタイトル戦やってるな。
たしか60分1本勝負でドローだったと記憶している。一体、どんな試合だったのか気になるな。 >>895
あの試合は73年4月24日大阪大会、馬場vsシークPWF初防衛戦のセミ?だから
TV収録されてる筈だけど、当時も今のCSジータスでも謎の未放送 >>886
でもこの2試合、あんま間空いてないよね。
恐るべきはフルタイムドローを連続して行うドリーのスタミナか。 >>894
レイスは馬場より2年早くデビューしてるんだけどな。 >>897
空いていないというか2日連続でフルタイム戦
その5日前にもインタータッグでフルタイム
その数日前にもロスでマスカラス相手にフルタイム
恐るべしドリー やっぱりNWA王者がキニスキーからドリーに変わった時が馬場時代の終焉だったな どうなんだろうな、政治力持つようになってNWA王座に就けたのも馬場の時代ともいえる。
猪木で言えば国際軍団と対峙してた時期みたいな、絶対的な権力時代。 >>898
キャリアは上でも出世は馬場の方が早いし、年齢も馬場が5歳上
レイスには貫禄負けしないよ。 ミツ・ヒライも日プロ入門(昭和33年)は
馬場や猪木より早い(昭和35年)。
詳しいデビュー日時は不明だが、
それも馬場、猪木より早かったと思うがな。 というか、、、
898さんは、日プロ時代の
馬場とレイスの絡みを
見ていないんだろ?(苦笑) 馬場いわくレイスとファンクスは同世代感覚
ニックは先輩で歳上だと思えてしまう
実際にニックは歳をサバ呼んでて馬場より歳上だった >>905
ニックの実年齢がいくつか知らんが馬場より上となると
鶴田がAWAを獲った試合の時は、50歳前後って事になるな
さらに長州がニックの強さに舌を巻いた時はさらに数年後だから…凄えな ニックは1934年生まれ他、諸説あるらしいが、馬場はプロモーターの立場で正確な年齢知っていたのだろうな ニックは初来日が64年(昭和39年)って考えてみれば相当のベテランだな。。
70年代以降はAWAが主戦場だったが、NWA圏で活躍してると世界王座に手は届いてたかも。 >>902 馬場より先にNWA取ったレイスの方が、出世早くないか?どうでも良いけど。 ニックなどもうAWAの末期やぞ
全盛期はガニアの全盛期そのものや ニックは日本遠征中だっりして。
面子からして84年の初旬かも。 オットー・ワンツが写ってるからニックがワンツにベルトを明け渡してニックが休暇してた時の写真でしょ プロレスは、野球のような統一の機構がないから、
違う団体で、早くデビューしたと言っても、
先輩(自分よりキャリアがある)と認識されるかな?
ましてや、カーニバルレスラーってどうなの?
1999年に新日からデビューした棚橋は、
IWA格闘塾で1996年デビューした
佐々木 貴を先輩として見ているか
一目置いているか、と言えば、疑問だよな。
逆に、大相撲は初土俵の時期は関係ない。
現在の番付が全て。 >>909
力道山の死去と入れ違いだったのか
もしかしたら対戦できてたかもしれないんだ >>916
国際、新日本、全日本の三団体時代は団体が違えど先輩は先輩と見ていたようだ。
その証拠に木村健吾とマッハ隼人がメキシコで一緒だったとき
最初は敬語で話していた健吾が自分が先輩だとわかったとたん
いきない威張りだしたと隼人が言っていた。 1983年の10〜11月くらいの時期かな、アンドレホーガンワンツ達揃ってるの。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=504&page=4&s=1300 マサ斎藤の自伝の裏表紙にも同じ写真があるが、いつかまでは書いてなかった
https://i.imgur.com/QqXK69Y.jpg >>920
偶然かも知れないけど83年のジャイアントシリーズと最強タッグはAWA勢は誰も来ていないね。
翌84年はシリーズに必ず1人はAWA勢が参加
しているという分かりやすい業務提携強化。 >>892
ぶらじるもわすれるなや、しったかこじきやろー。 初来日の翌年の1970年7月、再び来日したドリーは大阪で
馬場のインターに挑戦、52分両者リングアウトの引き分けで
タイトル奪取はならなかったものの馬場は控室に戻る際に
動けなくなる醜態わさらしてしまい、日本のエース馬場が
アメリカの王者・ドリーについていけなかった、という実感を
ファンに与えたとか
力道山時代に日プロがWWAに乗り換えて、一時は完全に
日本のマスコミから忘れ去られた過去の遺物扱いの
「NWA」が「世界最強」というイメージを作ったのは、この
ドリーの再来日の際だったと言われてる >>925
その大阪大会は館内が異常な暑さで、特にリング内はテレビ用照明の熱で40℃くらいあったそうだ。
そんな過酷な環境で52分もの闘いをやったことを考慮しない論評は「木を見て森を見ず」だと言わざるを得ない。 そりゃ2m超えて135キロの馬場と185〜187p
105キロ前後のドリーじゃどっちが体力消耗するかは明らかだろ
あの巨体で40度以上の温度の中で60分近く戦った馬場もたいしたもんだろ
普通なら天山みたいになってもおかしくない >>928
2m超えて135キロの馬場の相手をするドリーの方が大変だろ。 長州も鶴田戦60分フルタイム後控室でヘバってたからなw
片や鶴田は試合後渕と飲みに行ったw ドリーは海外での試合を見ても異常に60分フルタイムの試合が多い。 82年シャーロッテのインターナショナル王座戦ドリーvsロビンソンは何故か30分1本勝負だった
結果は予想通りフルタイム引き分けだけど何で露骨に30分にするんだよw
メインは鶴田vsリッチのUN王座戦でこちらは60分1本勝負 >>933
クロケットプロやWCWでは30分1本のタイトル戦は普通にあり、
テレビ中継の時はTVタイムリミットでテレビ放映時間切れまでで下手すると数分のこともあった。
WWFのMSGはニューヨーク市が11時以降の興行禁止のため11時で試合終了もあった。 京平「ジャンボと長州なんてあれだけ身長と体重差があるんだから
ジャンボが何もしなくても長州が先にバテるのが当然の話。
60分戦い抜いた長州は大したもんですよ。」 簡単に。馬場がフルタイムやるのは年に一度あるかないかだけど
ドリーは週に一度くらいやる。
そのペース取りの差でしょう。
>>926
暑い暑いひどいコンディションだったのは知られているけど
お客さんもよく我慢して見てるよね。おれなら帰るよ。 >>902
始めてレイスを見た馬場が「コイツは伸びてくるな!」と自著で書いている。
全日中継・第二回放送に対戦者手にショッパイ相手では日テレに顔潰すのでマスクマンと
して抜擢した。
>>899
試合が進み観衆の一人が「馬場、情けないな・・・」と話しているのが映像に
残っている。
>>922
WWF1984に対して規模の小さいAWAは飲み込まれると危惧したロードブレアース・
PWF会長はAWAとの提携を馬場に進言して旧知のガニアとの間を取り持った。
>>928
試合後に体育館のシャワー室で倒れこんだ馬場は付き人の佐藤に「水をかけろ!」と
言われてホースを使って全身に水をかけまくった。
「これ以降は馬場さんはベスト体重に戻る事が無かった・・・」と証言しているから
”インター王者として光り輝いていた馬場時代の終焉”だった・・・ なぜレイスが覆面被ってザ・プロフェッショナルになる必要があったのか、
考えてみると日プロのUN選手権坂口vsレイスが関係あるのかな?
馬場が試合後にダウンしたから馬場時代の終焉とは一概に言えないよ
そんなコンディションの時だってあるさ。
まだキャリア10年だし、ペース配分(これ大事)のミスってこともある。
ジュニアはポーカーフェイスだし長丁場の試合はNWA王者として心得ている。 >>894
>ロビンソンは、一度、潰して、鶴田のライバルにした。
>M・ルーインとライバルになると思ったら、
これもデストにあてがった。
ほい、またリアルタイムで見てない知ったかが尻尾出してますよ
>>933
メインなわけねえだろw
ああいう海外遠征試合は現地のビッグマッチの中盤あたりにまとめてやる
メイン扱いうけたのは新日のUWA遠征くらいだろうな
鶴田はもちろんリッチもノースカロライナではあまり馴染みがないからマニア以外には
トイレタイムだったかも >>937
あの試合にレイスを選んだのはドリーシニア
呼べば直ぐ来てくれる自分の子飼いでは一番の大物だったからな >>936
夏場の会場で不衛生な飲み物やかき氷売って下痢した観客多かったらしいなw >>936
昔は冷房施設の有無は別にして、わざと館内を暑いままにしてる興行主もいたらしいね
暑いとビールやジュースが飛ぶように売れるから…
昔の府立は冷房施設がないからお客さんも文句言うに言えないだろうし
ただ、それは一見のお客さんには通用しても長い目で見ればお客は減るよね、特に「夏場には見に行かない!」になるから。
10年くらい前に広島市民球場が使用されなくなる、というので一度だけでも観戦したいと思い、友人と野球観戦に遠征したけど
野外でさらに残暑が厳しくて、ジュースを10杯前後も買ってしまった…あれは散財したと思ったわ
あと暑さとは真逆だけど、2007年1月の新日と全日の共催の東京ドーム
1月4日なのに暖房を使用してなくて、寒い寒い…ホットコーヒーとポタージュを何杯買った事か…
体も寒かったけど二階席スタンドが封鎖されて、気持も寒かった…
あれに懲りて1月の東京ドームは行かないと決めた、今はさすがに暖房を使ってるのかもしれないけど…。 >>939
リッチ入場の時女子ファンが大勢駆け寄ってきたからシャーロッテでも知られてるぞw >>937
>AWAとの提携を馬場に進言して旧知のガニアとの間を取り持った。
それで鶴田のAWA王者、米国の防衛ロード、マーテルへのつなぎ役
ここまでトントンと話がまとまったのかな?
逆にいえばブレアース氏の進言がなければ鶴田が王者になる事もなかったわけか…
しかしガニアがホーガンを手放さなければ、1984WWF侵攻もなかったかもしれない
そしたら鶴田のAWA王者もなかった可能性が高い、代わりに新日にホーガンがAWA王者として登場したかな?
AWA王者が新日に上がれるのか知らんけど… >>944
ビンスがホーガンとアンドレを確保したのがWWF全米制覇のポイント >>944
鶴田のAWA戴冠には、ブレアースとガニアの関係もあるし、あとAWA会長だったスタンリー・ブラックバーンが
アマリロ出身でファンクスと懇意だったのもあるよね。 >>939
そういう君は典型的な
カマッテちゃんだな。
一応、レスしてやったから
ありがたく思えwww >>939
>>ロビンソンは、一度、潰して、鶴田のライバルにした。
>>M・ルーインとライバルになると思ったら、
これもデストにあてがった。
>ほい、またリアルタイムで見てない知ったかが尻尾出してますよ
こいつ、リアルもなにもプロレスを
見ていないんだろ?
勝手にプロレス板に舞い込んで、チンピラみたいに
絡んでいるとしか思えん。
まぁこんな荒らしは韓国と同じで、無死が一番だが。 ホーガンのリアルアメリカンパワーファイター王者は
地方巡業のあるNWA,AWAのダーティ王者として不向き。
これが決定的だったな。
NYの一人勝ちの元は。 とにかく全米興行収入1位のロッキー3の冒頭數十分に長時間露出したのが大きい。
テリーのパラダイスアレイとかのマイナー映画じゃないんだから。 はぁ
指摘されたら恥ずかしくてしばらく出てこないと思ったら他人の振りして
因縁かい後付クンw
馬場対ロビンソンは馬場が初めて2フォール取って勝ったというだけで内容的に
とても潰したなんて言える代物じゃないし
その後の対決では一度も勝てない上にタッグの星し取りでも分が悪い
鶴田のライバルどころか鶴田の高い壁役
ルーインとデストがクローズアップされたのは第一回カーニバルの準決勝で
決勝で馬場と当たる前だよ
その後も別にライバル関係になんてない
はい、某半島と違って具体的に論破してやったよw >>950
AWAの場合は地方巡業といっても日本の団体同様主催か売りかの違いはあっても
同じ面子で(増やしてもAB2チームくらいで)回るだけで
クラッシャー主催のミルウォーキーとかみたいな例外以外は地元のスターの挑戦とか
受けるわけじゃないから
かつてのガニアや後のマーテル同様ベビーチャンプで問題なかったろ
>>951
>パラダイスアレイとかのマイナー映画
主演は同じなのになw 個人的な雑感だけど、ホーガンの「ロッキー3」出演は日本ファン的には
「新日は運がいいなあ」って短絡的に思った感じ
日本公開は確か1982年の初夏ぐらいだと思うけど、これはハンセン引き抜かれて半年ちょい
ホーガンがハンセン、いやハンセン以上の存在になる新外人エースへのステップアップのタイミングがばっちり
たまたまかもしれないけど、ロッキー3公開後に、vsブッチャーやvsアンドレなどで外人戦でも超ベビーフェイス化
その年末には猪木と組んでタッグリーグ出場、優勝
翌年にはIWGPで優勝、猪木を失神KO
まあ存在が米国でも増しすぎて、新日と疎遠になったのは計算外だったか?
でもハンセンで全日が息を吹き返したように、まだ荒削りだったホーガンが同時に台頭するんだから新日もしぶといね
まあ、1982年は長州や小林邦など超大当たりが続出して神がかってたから、ハンセン云々のダメージは関係ないかもしれないけど。 >>954
ホーガンはラッキーだった。
エンタメの才能も持って生まれた物だろうし、チャンスを物にしている。
『ロッキー3』のオファーはどうだか知らないけど
WWF全米制覇の戦略でマクマホンが仕掛けたのなら大したもんだ。
ミスターTやシンディ・ローパーまでリングに上げたんだよな >>955
ロッキー3の時点ではまだシニアの時代だよ
シニアは映画撮影で休むといったホーガンと揉め、ホーガンは81年春に一度WWFと契約
を終えている
ジュニアが後継いだのは翌年の82年
それもシニアの会社キャピタル・コーポレーションをジュニアの会社タイタンスポーツが買収
するという形で
ただし、この時点では依然キャピタルコーポはNWAに加盟しWWF王座を認定する興行会社として
存在し続け、この交代劇は83年末まで秘密にされてた オファーはあったんだろうけど、オファーはオファーで、出演確定はどうかな?
仮に出演が決まっても中途で降板、クランクアップまでは行けないんじゃなかったろうか。 >>942
全女の松永会長も自ら会場脇で焼きそばを焼いて売るのが
有名だったが、味をめちゃ濃くしていて、理由を聞いたら
「その方が飲み物も売れるでしょ」と。
俺はビジネスマンには絶対慣れないなと思ったわ カナディアンジャイアントも007に出演すると言ってたけど、実際には
出てなかったからな。おそらくオーディションは受けたんだろうけど。 馬場は変身忍者嵐でもゲストとして出る案があったらしい。
その当時日本プロレスは毎日放送だったので馬場が日本プロレス離脱していなければ
出ていたかも。 馬場は「ジャイアント台風」のアニメ化も「タイガーマスク」になっちゃったし、もっと国民的スターになれたチャンスを潰してるな >>955
ハンセンがインタビューで、ホーガンに『ロッキー3』のオファーが来たとき、ホーガンと一緒にいたと言っていたな。
「コネチカットにホーガンといたときに、ホーガンに電話が入って『スタローンが自分と話をしたいと言っているんだ!』
と言ったんだ。オレは『そんなの冗談だろ?』と」という内容。
オレイ・アンダーソンの話だと「自分がビンス・シニアにホーガンを紹介(押しつけた)」と言ってるな。
「ホーガン?あいつはジョークだ。ゲーリー・ハートから『凄い奴がいるから』と紹介されて使った。『そいつはレスリングはできるのか?』
と聞いたら、ゲーリーは無言。とにかく送らせてみた。会ってみると体格は確かに凄い。1週間使ってみた。これは酷い。何の技術もない奴だった。
1週間でリリースしてビンス・シニアにホーガンを紹介した。自分がゲーリーから言われたことを言って、同じことをしてやったのさ。
その後、ガニアの所に行ったが多少なりともレスリング技術を身につけたとしたら、それはガニアのおかげだ。大金をもたらしたのは確かだが、技術に限界があった。」
口の悪いオレイらしいコメントだが、その後ホーガンは大成功したわけだしね。 馬場は新人時代にマイナーだけどアメリカ映画「ジ・アサシン」に出てるし
「喜劇駅前茶釜」「やくざ刑事…」にも出演してた。 >>965
作品名忘れたけどクレージーキャッツの後期作品で馬場が投手役でピッチングシーンもあった >>964
一週間というのはオレイの誇張か記憶違いだろうな
WWF入りする前にジョージアには何ヶ月かいたはず
WWFと違ってジョージアあたりの試合記録は不完全で飛び飛びだけど
少なくとも9月下旬のTVマッチと10月の下旬のオムニ定期戦には出てるから一月はいた
ここでスターリング・ゴールデンに改名してヒールとして売り出し
WWFでのインクレディブル・ハルク・ホーガンの雛形を作った アントン・ヘーシンクが相手をロープに振って、戻って来たところを
パパが赤ちゃんを抱っこするみたいに抱き上げてニコニコしてるのを見て
ただのバカに見えてたのって俺だけ? >>967
確かに、ホーガンは1ヶ月以上はジョージアでファイトしてるね。
オレイの記憶違いかな。
https://hulkhoganhistory.weebly.com/1977-1983.html
『スターリング・ゴールデン』はオレイが命名したらしいね。
オムニ定期戦でのハンセン戦、見てみたい。 >>959 オレもそれ聞いて、コイツはダメだと思った。リピーター増やす努力を知らないテキヤ根性。 『ジャイアント台風』のアニメ化は見たかったな
かなり誇張されてるしフィクションだらけだけど、当時のプロレス人気と
リンクしてヒットしたかもね。
控室で手足をバーベルで縛られ、蜂の巣を放される“死に物狂いの力”話や
アイアンクロー対策の特訓はアニメのストーリーとしては面白い。
(そんな無茶話は『空手バカ一代』にも描かれている)
ただ『タイガーマスク』の虎の穴との対決や孤児院出身・伊達直人の感動話
より弱かったんだろうな ジャイアント台風好きだったわ
あれはアニメでも見たかったな 三沢がタイガーやってた時に、一度だけでも馬場のゼブラを見たかったな。 「キックジャガー」が危うく
「ビッグ暴風雨」になるところだったわけか 新日系の漫画になっちゃうけど
自分が小学生低学年の頃に連載してた「悪役ブルース」が思い出深い
あれは「四角いジャングル」と同じように現実とリンクしてたけど、途中で中止になっちゃったのが残念
主人公が国際はぐれ軍団と共闘するのが斬新だったね
リング上では憎まれきってピークの頃、R木村がほのぼのキャラで書かれてて
今思えば先がけたカミングアウトだったんだな。 >>975
梶原一騎が逮捕されて、突然連載中止になったんだよね。 リングにチェーンソーで穴開けて、猪木が穴に嵌まったらその上に乗っかって
「コンバンワ、ラッシャー木村です(ペコリ)」
W☆INGでレザーフェイスがチェーンソー振り回す十年以上前にこの展開
カジワラセンセはいつも時代を先取りしている >>946
ロードブレアースってただのお飾りかと思ったら経営について馬場への助言とかしてたんだね、助言だけど >>962
怪人に変身した後の方が背が低く普通の体型に・・・ >>979
ゲストで高見山とかファイティング原田とか助っ人役で出てたからその路線じゃないか?
さすがに敵方ではないだろ。 >>980
高見山の名を聞くと幻となったプロレスラー転向話を思い出す。
猪木vsアリ戦の頃だったと記憶してるけど、当時は結構騒がれた筈
その後はウルフ千代の富士の噂もあったな。 高見山ってガチに相当自信持ってたみたいだけど、あの下半身が細くて腹が出てる体型で強いとは思えないんだよ 梶原一騎の大日本プロレスだね
高見山と千代の富士からは口頭で転向OKを貰っていた
豊田泰光が社長になる予定だった >>982
現役力士のプロレス入りと、不祥事で親方クビになった人のプロレス入りは全然違う。 >>984
高見山はサインまで交わしてたらしいな
梶原とユセフトルコの大日本じゃなくてハワイのプロモーターとの契約を
最初はテレ朝のP永里高平が大相撲引退を決意した高見山とアリとの
対戦プランだったらしい。
その後、春日野理事長との話し合いでまとまりかけたが寸前でポシャッた
(つまりアリvs猪木は2番目に浮上した案件)
高見山プロレス転向話はそれから3年後の1978年に
フジテレビをバックに梶原とトルコが「大日本プロレス」の設立を計画
目玉として名前が出たのが高見山と肩の脱臼癖がついていた千代の富士の二人
結局、出資金を預かった関係者の横領で頓挫することになった。 >>983
高見山がガチに自信、というか
角界でストリートファイト最強だったんでしょ?
きっと、南海龍とかキングハクとかああいう類いの最強ね。 サモア系やトンガのレスラーは本当に強そうなイメージがある
ハク(ウリウリ・フィフィタ君)なんてウォリアーズを圧倒してなかった?
ザ・サモアンズのアノアイ一族は今もWWEを席巻してる。 アンダーテイカー、ナッシュにはネイティブアメリカンの血が入ってるんだな。 >>988
高見山は輪島とは相性よくて、ほぼ互角の星取りだったな
プロレスでも対戦を見たかった。
北の湖にはカモられてたけど ブリスコ兄弟はインディアンの血を継いでる
チーフ・ジェイ・ストロンボーやジェイ・ヤングブラッドはギミック
ドン・イーグルは本物、インディアン嘘つかない 第二次世界大戦後、全米マット界にギミックレスラーが大量発生
ドイツのナチス系、日系、ロシア系、アラブ系…
ファンタジーだからどうでもいいけど、
ネットで調べないと誰が本物か偽者かわからない テキサスのカウボーイキャラでうってるレスラーはたいがいテキサス出身じゃないよな。 ボブ・エリス、ボブ・オートン、ポール・ジョーンズ、ネルソン・ロイヤル、
ビル・ワット、ボビー・ダンカン…
いっぱいいるなー
ファンクス、ハンセン、マリガン等もそうかな?
カウボーイ系にはブルドッキングヘッドロックを使って欲しい ディック・ハットン、スコット・マッケンジー、フランキー・レイン
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