【ドラゴン体操】昭和の新日本プロレス12【らしくもないぜ】
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
初期の新日っていうとシンとゴッチ以外では
パワーズ、クラップ、リベラ、パターソン、バーナード
ハリウッド・ブロンドス、ゴリアス&ゴールドマン、ショッツ&ヘス
ってイメージ。
あらためて調べたら大した来日回数じゃなかった。 東プロ、日プロ時代の因縁があるバレンタインとは是非やって欲しかったけど、合流した坂口に花を持たせただけでもったいない使い方だった。
その後飛行機事故で引退するからね。
既にロートルの悪役バーナードとは1度シングルでやったけど、シンを売り出している最中だったしそれっきりになった。
ハンス・シュミット、ラリー・ヘニングは大ベテランの域だから
見れただけでもいいかな?
幻のレスラーと言われたベア・キャットライトは全日本をキャンセルしての
初来日で、猪木とは反則決着で終わってそれっきりだった。
まあ初期の新日本は外国人レスラー招聘で苦労してたから、ビッグネームの
レジェンド達は大事に使って欲しかったね。 >>854
かまたにじっていがいたんよ。
なまえはわすれた。
むかしのめいかんにでていた。
きょうだいでうりだせばよかったのに。
ざ・かまたず。 坂口が海外修業中にカマタに世話をしてもらって以来
カマタが全日に来日すると馬場に頼んで会っていたみたいで
家族ぐるみの付き合いだったと、何かで読んだな。
カマタの弟はダメレスラーで72年新日本に1度来日してる。
ミック博士の名鑑に出てるよ。 若手〜米国遠征時代の猪木の旧知というとパターソン、リベラ、ストンパー、
リップホーク&スエードハンセンのコンビらがいる。
パターソンやリベラは70年代新日の貴重な外人戦力だったな。 コーア・ティキ Koa Tiki
■ニックネーム:狂える土人
■本名:?
■身長・体重:185センチ、112キロ
■生年月日:1940年
■出身地:米・ハワイ州・ホノルル出身
■得意技:ヘッドバット
■主要タイトル:特になし
■来日回数:1回
■参加シリーズ:47 7(新) ニュー・サマー・S
ハワイ出身のレスラーでジョージアやノースカロライナで活躍。
ジン・アンダーソンの腕をへし折ったとか、ザ・マミーを12秒でKOしたという触れ込みで、昭和47年新日本プロレスの「ニュー・サマー・シリーズ」にエースとして来日したが、
まったくの期待外れで、ブラック・ハリケーンズ(エニー・ラスター&ボビー・キャッシュに食われてしまった。
しかしジョージアやテネシー地区ではトップ・クラスに名を連ねる活躍をしていた事は確かなようである。
その後の調査でなんとキラー・トーア・カマタの実弟であることが判明。
「世界最強タッグ決定リーグ戦」にグレート・カマタとして来日することが決まりかかったが中止となっている。
2014年5月12日、老衰のため逝去。 >>857
スエード・ハンセンで思い出したわ。
昭和57年だったか、新聞のテレビ欄のワールド・プロレスリングの欄に
「猪木&藤波 vs A・T・ジャイアント&S・ハンセン」って出てたから
スタン・ハンセンが新日に急遽復帰して出るのかと思ったら
スエード・ハンセンって・・・・ふざけるなっ! しかし坂口もカマタとそんなに仲がいいなら、なんで呼ばなかったのかね?
ブッチャー&テリーよりも先に、カマタが坂口をフォークでメッタ刺しにしてたら
カマタも坂口も人気大爆発になったのにね。
猪木&坂口vsハリウッド・ブロンドスでは、ブロンドスの火炎攻撃かなんかで
坂口の目が潰れて猪木怒りの大逆襲、ってのがあったけど、
その頃に猪木&坂口vsカマタ&シーク組やって
カマタの狂気のフォーク攻撃でもあればねぇ。。。 >>861
猪木藤波対アンドレハンセンは宮城県石巻(11月23日だったか)のカードでノーテレ。
開幕戦の藤波前田の間違いだろう。 >>863
第2回IWGP大会に坂口が参戦してたら何位くらいだったんだろう…藤波、長州、マサ齊藤より順位低くなってたのかな
坂口対長州、坂口対マサ齊藤、坂口対パテラ、坂口対クインとかマニアックだけど興味深い ま〜第三回の結果をそのまま当てはめると、
藤波、マードック>坂口>アドニス、スーパースター
だからマサと同じかその下、アドニスの上ってところだろうね。
このころは維新軍を必要以上にアゲていたからマサのほうが上かな。 ゴッチって新日本でシリーズのフル参戦は
無いんだよな。
全日本の82年最強タッグに呼ぶ案が
あったというのは本当だろうか? 俺はガキの頃、テレビ欄に「猪木、木村組」と出てて「何で猪木とラッシャー木村が組むんや?」
と思ってしまった。一応、同性なのだから「木村(健)」と表示してほしかったな。 >>867
渕が徳光の番組で言ってたね。
ゴッチも乗り気だったから馬場に報告すると「ロビンソンと組ませてみるか」
と言ってたらしい。
その後ジャンボを連れてフロリダのゴッチ宅まで行って東スポに写真撮って
もらったけど、新日本に洩れたのかお蔵入りになったみたいだね。 ベア・キャット・ライトはジャンピング・ヘッドバット一発で坂口を葬ったから凄いヤツかと思って期待したけど
どうもオツムが弱くて事前の打ち合わせを全く覚えられなくてどうしようもなかったらしい。
ブッチャーも大木金太郎も打ち合わせをみんな忘れちゃうらしいね。
ヘッドバットの後遺症なのかな? >>868
タイガーマスクvs小林と出てて、ストロング小林とタイガーマスク!?と驚いた。 75年に猪木・ロビンソンvsテーズ・ゴッチ戦、或いは
猪木・テーズvsロビンソン・ゴッチ戦を世界最強タッグ決定戦2として
やろうと思えば出来たはず。 >>873
新日(猪木&新間)もバカだよなぁ。
ロビンソンが来日してからギャラの値切りなんかしないで、最初からちゃんと約束のギャラを払えば
76年からも5年ぐらいはレギュラーで呼べたのにね。
ロビンソン談
「馬場はレスリングは出来なかったが、約束通りのギャラをキッチリ払ってくれたから
いいプロモーターだった。」 しかし猪木がモンゴリアン・ストンパーを呼ばなかったのは何故だ?
70年頃のプロレス雑誌で猪木が自身のスタミナ源としてストンパー直伝の人参ジュースの事を語ってて
毎日飲んでると言ってたし。
人気女優と結婚出来たのも、人参ジュースのおかげで
いくらヤッっても勃ちっぱなしのチンポを手に入れたからだろうが。
そのストンパーは71年に日プロに来日して馬場とのインター王座戦で引き分けてるし、
アメリカでもNWAとAWAのシングルは戴冠しなかったものの、
その次か次くらいのランクのタイトルは幾つも取ってる。
まあ、鉛シューズストンピング以外に決め技がないから抗争相手には不足だったのかね? >>871
て言うか、負けブックを飲まず使いにくい人だって有名で、勝手に職場放棄もするし、分かりやすく言えばブロディみたいな選手なんだってw
だから全盛期を過ぎての初来日でも、シングルでは猪木との2度の無効試合、
坂口小林にもリングアウト勝ちしてる。 坂口とカマタのように猪木もストンパーに世話になったから、
そういう人とは戦いたくなかったんじゃ… “昔、世話になった”“苦楽を共にした”ってサイドストーリーが有名になってしまうと、いくらラフファイターでも血で血を洗う抗争は作りにくいからじゃない? >>839 がギタリスト野村義男を知ってるかどうかは知らんがたのきんの中では目立たなかったけど たのきん全盛期から自分の主張をジャニーに認めさせてブレない活動してたんだぞ
ジャニーズ事務所も円満退社だったから マッチのツアーサポートやったりもしてんだぞ
スレチすまん ベアキャットライトは見た目が独特なレスラーだったね…手足がやたら長く顔も不思議な顔してたイメージ アリのマネージャーに電話してくれたってあったな、ライト。 >>880
71年にストンパーが日プロに来た時は、かつてアメリカでは猪木とはパートナー同士だったが、
ストンパーのあまりに凶悪な残虐ぶりに猪木がストンパーから離れていったので
裏切った猪木を制裁する為に日本にやって来た、なんて触れ込みだったね。
だから新日本にも呼んで、お互いに「裏切ったのはオマエの方だ! 絶対に許さん!」
って罵り合って憎悪を剥き出し合ってればOK(もちろん演技)。
新日での猪木と馬之助がそうだったし、大木と坂口もそうだった(大木と坂口の反目はガチ)。
坂口もカマタと同じ展開を作って、常に猪木&坂口がカマタに凶器でメッタ打ちにされて
北米タッグ戦で坂口がフォークで刺されまくって大流血しながら猛反撃すれば
二人共に大ブレイクしたはずだ。
世話になった恩人にはちゃんと報いないとね。 スウェード・ハンセンだけど、興行があった地域ならポスターでスタンと別人ってのはわかったんだろうけど、新聞だけだと騙された人がいるのはわかる。 タイガーマスク世代なんでベアキャットライトは列伝でボボ🇧🇷と組んで超獣コンビに負けた印象しかないや
83、4年にストンパーの新日参戦の話があったね。ファイトで読んだ 小沢も日プロに来日したストンパーの試合に衝撃を受け憧れたらしいね。
8年後にモンゴリアン・ギミックのキラー・カーンに変身したのは
関係ないかもだけど。
あとできればレフェリーでの来日だったアントニオ・ロッカも帰国後の76年
プエルトリコでタッグ王者になってるからレスラーとしても見たかったな。
彼の全盛期は売れっ子過ぎて招聘したくても出来なかったらしい。 タイガー・ジェット・シン1人vs星野勘太郎&ストロング小林の
ハンディキャップマッチ組まれた時のストロング小林の気持ち、考えた事ある? >>886
84ビッグファイト第一弾に参戦予定だったが、あのシリーズも馬鹿みたいに維新、維新、サラダ、維新でつまらんシリーズだった。
ストンパーは83年末のカナダで、アレンに襲撃された猪木を救出して猪木と握手してる。
昔タッグを組んだ縁かな?と思った。 小沢のモンゴリアン・ギミックとキラー・カーンのキャラはカール・ゴッチの考案らしい。
で、そのスタイルを始めたら売れ出したんで、小沢はゴッチのブッキングから離れて
勝手によそのテリトリーへ行ってしまったんで、怒ったゴッチに破門されたそうだ。
だから小沢は「キラー・カーンとしての成功は、このギミックとキャラを考案してくれた
ゴッチさんのお陰です。」なんて言わない。
(キラー・カーン誕生の《いきさつ》としては語るけど)
まあ、けっこうピンハネされてたのかもね。
キラー・カーンはゴッチ道場の門下生ではなく、ブッカー・ゴッチのメシのタネだったというお話ね。 >>886
84年のビッグファイトシリーズで
参加予定だった。
ゴングの来日選手紹介にも載ってた。 ブルックス、スミルノフ、サモアンズ、シュルツらラフ系の元国際組は新日では奮わなかったな。
マークロッコ、キッド、古くはジョニーロンドスやトニーチャールスら欧州系はなかなかの活躍。
アンドレ、ロビンソンは別格w >>892
蒙古人ギミックのキラー・カーンはフロリダ時代のゴッチのアイデアだが、
その前のメキシコ時代チンギス・カンの幼名テムジン・モンゴルを名乗ってる >>895
テムジン・モンゴルがゴッチのアイディアで
キラー・カーンがエディ・グラハム、デューク・ケオムカ、バディ・ロジャースの命名
この本に書いてる
http://www.tg-net.co.jp/item/4777817814.html?isAZ=true なんていうか猪木ってさ、いっつもカネの事や胡散臭いビジネスの事ばっかしか
考えてないのかね?
そういう部分から一切離れた所でさ、「いちプロレスラー」として、
好敵手として自分を一気にスターに押し上げてくれた恩人のバレンタインとかさ、
アメリカ修行中に世話になったパターソンとかストンパーとかさ、
そういう人とカネやビジネス抜きで、恩人と世話になった後輩として付き合っていけないもんなのかね?
馬場が公私混同で自分が親しいアメリカ人レスラーばかりレギュラーで呼んでたけど、
(ブリスコだけは馬場のオトモダチ枠には入ってなかった)
キッチリいい仕事が出来るレスラーなら、公私混同でバンバン呼んでも良かったんじゃないの?
すくなくともクラップなんぞよりは、バレンタインやストンパーやパターソンの方が上だろ。
まあ、パターソンは猪木のライバルとしては物足りないけど、彼はプロレスも上手いし
アメリカでの信用も高くコネも強いからWWFで幹部になってる訳だし。
猪木がジョニー・パワーズを嫌うようになった理由は
パワーズが来日のたびに日本のスポンサーを紹介してくれだとか
とても信用出来そうにない胡散臭いビジネスの話ばかり持って来るから
それで嫌になったそうだけど、それってまさに猪木自身だろ。 >>896
そうなんだ、知らなかった。
ゴッチは新日本に頼まれて小沢をサポートしてたのかな バレンタインは新日ができた頃には
レスラーとしては晩年だったし
事故にもあってるから来日しないのは仕方がない
その革にグレッグがよく新日に来てた 相撲ファンはモンゴルと言えば朝青龍、白鵬、鶴竜。。
プロレスファンはモンゴルと言えば・・・ジートモンゴル&ボロモンゴル ブルー・ウルフにドルゴルスレン・スミヤバザルやろ
朝青龍の兄弟ってだけで注目されてた フランス系のハンス・シュミットやベルギー人のカール・ゴッチが
ドイツ人ギミックはまだ理解できるが
どう見ても白人のビル・イーディがモンゴル人って観客は疑問に思わなかったんだろうか 「プロレス鎮魂曲」いい感じだな
アンドレやラッシャーの話など泣ける
ネタはGスピの総集編みたいな感じだから小佐野さんたちの変名かと
思ったら著者がサイン本出したりしてるから実在人物なのかw などと言ってたらGスピが来たぞ!
【特集】 山本小鉄と昭和・新日本
[証言] 大塚直樹 藤波辰爾 栗栖正伸 北沢幹之 高杉正彦
[特別企画] ヤマハ・ブラザーズの アメリカ武者修行
[未発表インタビュー] “荒法師"ジン・キニスキー
[国際プロレス外伝] サンダー杉山【前編】
[単行本刊行記念インタビュー] 『東京12チャンネルの国際プロレス』補足編 ~
田中メモに記されていなかった裏の裏~ 証言=田中元和 元『国際プロレスアワー』 そーいや、第4回ワールド戦はニコリボルコフ(ベーポモンゴル)と流星仮面の新旧モンゴルズ対決があり
流星が勝ち星を挙げている。ちょっと見てみたいがノーTVか。。 スーパースターとボルコフのタッグは小学一年生の俺には衝撃的な強さだった。
無敵だと思っていた猪木が負けたんだからな…
俺はタッグパートナーの星勘の責任だということにして、
あの日から十年近くたっても、ことあるごとに星野は弱い、と言い続けていた。 猪木&星野チームと言うと、70年代はまだまだ元NWAタッグの覇者コンビと言うイメージがあったのでは? >>899
バレンタインは事故に遭うまで米マットでは人気があって
馬場も全日に呼びたかったけどスケジュールを押さえられなかったとか
昔櫻井康雄や竹内宏介が専門誌のコラムに書いていた記憶があるけど
そう云うのってやはり昭和流の誇大表現なのかな? >>894
サモアンズはナチュラルに強そうなあの体格と厳つい顔がカッコよかった…新日では事実上1シリーズしか活躍しなかったのがもったいなかったな…
ブルックスは猪木をシングルで追い込んでた印象 >>907
新日本プロレスになったらそのイメージはもうなくなってたよ。星野は山本小鉄と組んだ時だけ強い、という位置づけだった。
ていうか、日本プロレス時代も、あまり印象はなかったんじゃないかな、猪木・星野組は。 >>907
ない!ない
NWAタッグリーグ優勝なんて
一過性のものだよ。 https://昭和プロレス.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_97b/xn--zckzczcd7076bwdw/m_inokijyomei.jpg
『猪木追い出して日プロ安泰カンパーイ』の場にぬけぬけと参加する星野勘太郎の図 >>914
今宵、謎のヴェールに包まれた「サラダ」の正体が明らかになる。
かつて7000万の大金をかけて虎に挑んだ男がいた。
その一部始終を、見よ!
ttps://www.youtube.com/watch?v=tUWfl9qQ2_w >>908
初めてバレンタインを知ったのは『ジャイアント台風』だったので、そこで彼の異名は“金髪のジェット機”得意技は連続ドロップキックと描かれていた。
日プロで実際の試合を見るとめん玉ひん剥いてのエルボー・スタッブは迫力があり、当時の猪木が必殺技にしてたブレーンバスター(何故かネックチャンスリーではない)をカウント2で返すタフネスぶり。
マンガと違いエルボー主体だったが、その佇まいから全てに迫力があり
悪いけど息子グレッグのレベルより断然上だった。 古舘伊知郎が控室をドレッシングルームと言っていた時はいろんな想像を駆り立ててワクワクしてたな
ただの体育館の控室なのに バレンタイン、まあ一流の部類だけど三大世界的な大きなタイトルとは縁が無かった。
ただ、日プロ時代のUN、東プロ来日時に自ら持ち込んだUS、これら王座は猪木や坂口と争奪を繰り広げ、
同時にライバルと言うイメージもできた。また日本とは関連が無かった頃だがのちに猪木の
代名詞的王座になるNWF世界にも就いた。それゆえか?馬場とバレンタインと言うのは
それほど印象の強い間柄同士というモノが無いような。 東京プロレスがバレンタインを呼んだ時に馬場は
「良いレスラーを呼んだな」と思ったそうだ
ただとんでもない悪戯をすることもあって人望は無かったらしい
ブラッシーの自伝ではバレンタインとロジャースは「バカども」と書かれていた >>805
馬場の言われた通りに四天王プロレスこと我慢比べプロレスしてただけで別に何も立ち上がってないと思うけど?
まあ確かにノアの時は立ち上がったけど、馬場が死んで邪魔者がいなくなったところで男気(笑)とか抜かしながらだからな
ケンゴと天秤にかけて俺たちの英雄みたいに誇らしく持ち上げるほどのことはやってないよw ちゃんとこうしてね、猪木とバレンタインの来日交渉の様子までアニメ化されてるんだから凄いよ
https://youtu.be/AhSDVj_c8j4
猪木はこういう先輩(バレンタイン)をもっと大事にすべきだった カンケー無いけど、ヤクルトのバレンティンってバレンタインの読み分け?的な名前か思ったが
BとVだからまるで発音としては別だな。。w >>919
馬場・猪木vsキニスキー・バレンタインのインタータッグ
馬場vsバレンタインの馬場最後のインター防衛戦が印象深いけど、どちらか
というと猪木のライバルのイメージが強いね。 >>920
バレンタインは試合中のレスラーのバッグの中に犬の死骸を入れたりしてたらしいな。 猪木が馬場や大木や坂口や吉原功や芳ノ里やストロング小林やラッシャー木村や鶴田と違って何が凄いかって言えば、
タイガー・ジェット・シンという凶悪ヒールを作り上げた事だよ。
あのターバン姿もサーベルも猪木のアイデアだし、インドコブラを連想させるコブラクローも
猪木の考案。
もちろんあのリアル狂人キャラも。
ならばシンだけでなく、もっと何人もあんな極悪ヒールを作り上げて欲しかったね。
きっと毎シリーズが興奮の坩堝(るつぼ)になったろうに。 >>927
同じキャラは一人でいい
じゃないとシンの価値が薄まる >>928
いや、上田とは武道館決戦でネールデスマッチをやってるし、
フルート・バーナードは奇声を発する狂人キャラで、角材で大木金太郎の耳を削ぎ落としてる。
(目測を誤って耳を直撃、耳がブラ〜ンと垂れ下がった)
凶悪外人エースになるかなと思えたグレート・マレンコは歳食い過ぎでかなり痩せてたし、
ザ・シークも確か1シリーズのみで終わった。
シンとキャラが被らない凶悪外人エースは作れたはずだよ。
地方のプロモーターに興行をどんどん買って貰う上でも
シン以外の凶悪外人エースは作り上げるべきだったね。
たぶん、地方のプロモーターには「シンあり興行」と「シンなし興行」を抱き合わせで買って貰ってたんだと思う。 >>930
バズ・ソイヤーはいいねー
レスリングの下地もあるし、狂人キャラは若い頃のバションのようだった。
武藤との大流血戦は興奮したよ。
32歳ヘロイン中毒死は悔やまれる。 >>931
ソイヤーはちょっと小さすぎた。
動きが更にいいバションという感じ。
国際ならもっと活かせたかも 平澤光秀もヒデオ・サイトー貫けば、飯塚引退したしブレイクできたかもよ バズソイヤーとバズタイラー
ダッチマンテルとダッチサベージ
バディーローズとバディロバーツ
この辺の違い、試験に出るからな。。 >>934
スタン・ハンセンとスウェード・ハンセン 古舘は天才
辻はパクリと言われかわいそす
どんな実況をしても批判されたやろうなあ >>938
古舘以降の実況はあの路線でやるしかないし、いきなり船橋時代には戻れない
自分らしさがないと、視聴者にも違和感が残るんだろうね。
可哀想な気もする。 >>929
上田のヒールとしての価値は
「日本人なのに金髪にして反則ファイト三昧、
逆上陸してきて凶悪ヒールとつるんでる裏切者の日本人」ってことだから
シンやブッチャーやシークやカマタスミルノフとかとはちょっとニュアンスが違うのよ >>934
テッド・デビアスとセッド・ジニアス
バディ・ロジャースとバディ・ロバーツ
顔当てで猪木とストロング小林、坂口とグレート草津、大木と小鉄、ラッシャー木村と荒川は試験に出るな。 >>929
ハリウッドブロンドスも地方の人気は良かったらしい。ショーマンシップに長けた存在で
国際でのボンバーズ時代でもその様子をうかがえる。ただ、新日ではかなり悪辣な攻撃もやってた。
うがい用のビール瓶や椅子なんか平気で凶器に使ってたな。またシーク同様、一度きりと言えば
ヘス&ショッツの戦犯コンビもかなり悪どいファイトぶりだった。 http://blog.livedoor.jp/norarinhouse/archives/1696456.html
タッグ戦の三本勝負で負ける場合は、普通二人で負けを請け負うもんなのに
坂口は二本とも小林に押し付けやがった、晩年小林は坂口をボロクソに悪く言うが
こういう事が影響しているのかもな >>944
当時の事は覚えてないけど地道にかなり酷いわ。
坂口の事カマセにしていた猪木が好きじゃなかったけど、坂口もかなり酷い事してるな。
黄金コンビが互いに動きたくないから解散っていう話はけっこう説得力ある話なんだな。
対する末期全日師弟コンビは鶴田8馬場2の割合で試合してたし。立場下の者はつらいよな。 >>945
小林に示した坂口の態度は「それが会社の答だよ」と言ってるようなもの。 >>945
大木と組んでいた戸口が鶴田に「お互いにしんどいよな・・・」とボヤいたらしいwww >>944
単純に坂口が小林に押し付けたとかいう問題でもない
小林ではダメ、やはり猪木・坂口でばないととファンに納得させるためのマッチメイクなのだから >>945
師弟コンビの場合は80年のファンクスとの最強タッグ最終戦が典型かな
前年までの凶悪コンビに変わって鶴田がヒールの役を引き受けて客を煽ったりまでして 日本初のクローズラインは、ヘス&ショッツだったかな? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。