【門馬忠雄】国際プロレスpart19【菊池孝】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
確か有ったね
まぁナンバリングが違うからこれはよしとしてあげようよ >>1乙であります
まだまだ国際プロレスブームが(局所的でよいから)続きますように 吉原と草津以外の全選手、フロントが離脱して新団体設立すべきだった 吉原社長が猪木みたいに会社のポイ捨てや新会社設立を繰り返す悪辣な手腕があれば、プロレス団体としては続いたかも。 >>7
Gスピの木村Jrのインタビューでそんな話があったけど頓挫したとかあった。
木村自体が興行を何試合か買っていたのでノウハウがあり後はスポンサー
だけだったらしい・・・ あれだけ人材不足の中、良く15年も続けたよな。
吉原さんはずっと金策に腐心してたらしいが 国際プロが早期に潰れてたら、
ロシモフとバーンガニアの出会いもない
ということは、世界の大巨人アンドレも誕生しなかったってことだから、
世界のプロレス史は大きく変わったことだろう >>11
S55年の田中メモに追放の企画が書いてたらしい ちょっとデータを雑然と拾ってみると、
1980年末に月刊プロレスが吉原氏に聞いたインタビューで、
「最悪の年」だったこの年の終り頃、もう吉原さんは団体から
離れることを考えていたと語っている
(10月頃から体調が悪く会社に姿を見せなかったことについて)
「体も悪くしたし、少し休養したいから、鈴木、草津、ラッシャーに
おまえたち三人が協議してやれと言った。代表取締役を降りても
いいと言ったのも事実だ。
私はまだ若い、今なら新しいこともやれるし、やりたい。既に別に
他に二つの会社を持っている。三人が協力してやっていけば、
私は側面から協力してやると言った。
でも結局は、元通り私がやることになった。新しい年から出直す。
(3月にテレビ中継が打ち切られることについて)
4、5%の視聴率では当然でしょう。10月からの放送日改編で
その時期私は体調を悪くしてほとんどタッチしていない。でも
代表取締役である限り責任は私にある。
よく話し合って、いい方向に持っていきたい。」 Gスピ 営業部・根本武彦さんインタビュー
「その年(1981年)の正月に梅野さん、貫井さん、明里さんと
いった事務所の人間だけで、吉原社長の家へ新年のあいさつに
行ったんですよ。そこで吉原社長が“みんなに話がある。
自分は社長を辞めようと思う”と言い出したんです。こちらは
寝耳に水ですよ。当然、“誰が社長になるんですか?”と聞いたら、
“草津がなる”と言うんですよ。
そこで、みんなが “ええっ! 草津さんですか!?”となっちゃって。
“お願いですから、草津さんを社長にするのだけはやめてください!”
と全員で懇願したんですよ。
最終的に“みんながそう言うなら”と吉原社長が折れて」
(根本武彦 『実録』P586) 1979年12月15日 田中メモ
「過去に馬場にシングルで二連敗したマイナスイメージを
ぬぐい去ることを目的に特別強化費を組んできました」
と言うテレ東は、ゴールデンから夕方に追いやられた
全日を一気に追撃するために木村らを格上げするための
企画として、アンドレ、ガニア、ニックと互角の戦いを
させて木村のイメージアップを図るべく3500万円の特別
追加資金を提供、あわせてスミルノフ、ストンパー、
稲妻、鶴見、寺西らの格上げを要請した
ところがそこで
「約束された事項が完全に反古にされ」
「当初の目的とは真逆の効果しか得られず」
「過去三回の特別強化費用が無駄になった」
と怒らせるマッチメイクが連発され視聴率もいきなり下降
「シリーズを通してのマッチメイクが全くなされておらず、
その日のカードはその日の気分によって決められる現状を
改善しない限り、強化費の目的は雲散霧消してしまいます」
「国際プロレス内部において草津に命令できる立場にいるのは
吉原社長だけだけです。ところが肝心な部分では命令ができず、
草津のやることを黙認してしまっています。」
「今後、仮に12チャンネルが個々のレスラーと出演に
関する専属契約を結ぶ段階が来たとしても、グレート草津は
除外するしかないと考えます」 1979年12月15日 田中メモ概要
吉原の「リング上のことはこちらでやる」というスタイルが
続く限り、製作費を今の3−5倍に増やしても局の意向が
反映された番組作りは不可能であり、吉原社長を除外した
体制も考慮に入れる必要がある。現・国際プロレスを
切り捨てる以外に取るべき方向性はない
テレビ中継が打ち切られた場合、吉原社長が取る行動は
自分が契約した選手を他団体に移籍させ、その団体から
月決め報酬を受け取るやり方が考えられる。
(日プロ崩壊後の芳の里が取った方法がこれ。芳の里は
その後選手との契約が切れて報酬を絶たれた)
したがって現在の選手を「新団体(仮)」に移行するには
国際プロレス解散前に個々の選手と専属契約を結び、
他団体への移籍を防がねばならない。
新団体への移行は会社処理の法律上手続き、吉原社長の
生活保障など道義上の責任を持たなければならない。
ただ新団体に吉原氏の権限が及ぶと設立の趣旨が曖昧に
なるのも確実。慎重な議論が必要になる。 Gスピ46号 木村宏さんインタビュー
(ラッシャー木村が新日本行きを決めたのは、移籍料が全日より
高かったから。木村はそれを全額吉原に渡していると話した後)
「でも本人の中で迷いはあって、掃除するために親父の部屋に
入ったら会社を創る本とかがあって」
−それは自分で会社を立ち上げようとしていたと?
「静岡でガソリンスタンドなどを多角経営している方がいて、
国際プロレスの地方興行もやっていたんですが、その方を
出資者、オーナーにして親父が新団体を作るという話が最後まで
あったらしいんですよ。その頃は、すごく苦悩していましたね」
−それは吉原社長とは関係ない動きですよね?
「関係ないです。グレート草津さんにしても、プロレス界から離れて
日本バスコンという会社に行くことが決まっていましたしね。
この新団体の話は、他の選手も知らないと思います。親父が一人で
考えていたことだと思いますね」 ずいぶん前に田中メモと称する物を貰ってたのに今回の著書で出してきたって胡散臭い
なんか流の創作臭を感じる 木村の新日本行きは吉原ラインでなく既に小鉄とつながっていた浜口ラインという説も 当時の日本プロレス界はプロレスのメッカであるアメリカから大物外国人を招聘することがステータスの時代でありました。
国際プロレスでは設立当初、ヒロ・マツダをエース兼ブッカーとしてアメリカからのレスラー招聘責任者としました。
ヒロ・マツダが短期間で離脱し、その後は日系レスラーの大物・グレート東郷がブッカーを担当
しかしトラブル続きで離別、北米からのルートが完全に遮断されました。
吉原功は「日本レスリング界の父」八田一朗氏の力を借り
それまで日本プロレス界と縁の薄かったヨーロッパのマット界との提携に乗り出しました。
ヨーロッパルートでの外国人ではビル・ロビンソン、ホースト・ホフマン、
さらにはあのアンドレ・ザ・ジャイアント(モンスター・ロシモフ)も参戦していました。 炎鵬の活躍にジ・エンフォーサーもご満悦に違いない。 全日との交渉がかなり早くから頓挫して吉原社長が公然と馬場を批判したり、
もう夏の終わりには国際というユニットを新日本に事実上「引き取ってもらう」
形での話し合いが進行していたのはまず疑う余地がないし、国際側、というか
吉原社長が新日に団体ユニットを高く買ってもらうための「目玉商品」である
木村・浜口を、新日が欲しがらないはずがない
ただしそこで吉原さんが(>>18の田中メモにあるように)国際プロレスの名で
レスラーをまとめ売りすることで自分がマネジメント料を取る形の契約を進めて
いた間に、まさに田中さんが狙っていたような「吉原さんを通さない、木村・
浜口との個別契約」を新間が実現したか、実現しようとてしていたらしい
出し抜かれたら契約金が入ってこない吉原さんは激怒、木村のような個別契約の話がないその他大勢組は「じゃオレらは対抗戦が終わったらポイ捨てされるのか」
と新日行きを逡巡、鶴見らは木村を「裏切り者!」と罵る… という流れが
あったのは事実みたいだけど、これが井上の造反の前か後か、結局その契約は
吉原さんを通した形に戻されたのか、それとも吉原をオミットした「一本釣り」の
三人だけが新日に迎えられる結果に本当になったのか、それがよく分からない
新日に行った三人、浜口寺西は「吉原さんが好きだから、吉原さんの敷いた
路線で新日に行くしかなかった」と言っているし、木村は新日との契約金を
全部吉原さんに渡したというし、時々刻々移り変わる情勢に、個々の選手が
ついて行けた部分と見えていなかった部分があるんだろうとしか思えない これは杉江松恋三のコラムで書かれていた意見なんだけど、
個人的に、同意する部分か多いのでちょっと引用したい
http://www.bookaholic.jp/post-4789/
「プロレスラーの著書を続けて読むと、ある出来事に関して相互に
矛盾する記述を発見することが少なくない。あるレスラーがAが
黒幕だと言えば、他の者はBだと言う。
AとBのいずれが真実なのかは確かめるすべがないのだ。
確言できるのは、レスラーそれぞれが自身の認識を真実だと
信じているということだけなのである。
プロレス界はそうした形で「正史」の成立を拒み、個々に独立した
小宇宙のような価値観がいくつも並立している。
もちろん、何が起きたかという事実関係を検証していくことは
可能である。しかし最終的には、そうした客観性の確保が
積み上げられない限界に行き当たる。
それはなぜ起きたのか、なぜそのように語ったのか、といった
レスラーの内面を外部の人間が窺い知ることは難しいからである」 (グレート草津について語られる様々な面について引用し)
「これらの声はどれが正しくてどれが間違っているというものでは
ない。それぞれが各自にとっての真実なのである。
そうした声の多様性を消さずにそのまま収め、対象となる人物や
事象を立体的に描き出すことがインタビューでは最も重要である。
アニマル浜口が肝胆照らし合う仲だったと語るグレート草津と、
後輩の芽を潰していたと稲妻二郎が糾弾するグレート草津は
並立してしかるべきなのだ。
『実録・国際プロレス』にはこのように、複数の証言によって一つの
事柄の違う像が浮かび上がってくるという局面がいくつもある。
それを無理に統合しようとせず、すべてを受け止めていけば、
読者の脳内には「国際プロレス」についての豊かなイメージが
形成されていくはずだ。
こうした読書のありようこそ、実は芸人本に最も求められる
ものなのである。『実録・国際プロレス』のようなインタビュー本や
芸人本において、「読む」という行為は受け身のものではなく、
対象を自身の中で再構成するための積極的な行為となる」
芸人本書く派列伝returns vol.20 『実録・国際プロレス』
http://www.bookaholic.jp/post-4789/ 実録国際プロレスの長谷川なる人物も
なかなかな人材。
ヒロ・マツダと同い歳なのか。
動画を見れば大したことないが
国際プロレスが気になって仕方ない。
吉原社長があそこまで慕われたのは
なぜなんだ?
人間模様が気になるんだ。 アンドレザジャイアントでさえ頭が上がらない三人が
バーンガニア ハーリーレイス
そして吉原社長というじゃない 実録に出てくる長谷川って人、
力道山ー木村をリングサイドで見たとか凄いこと話してんな
「木村政彦はなぜ力道山を・・」でも壮絶なセメント試合としか触れられていない
芳の里ー市川
の内容も結構語ってるし・・
もっとも、盛って話しても誰も検証出来ないからなw >>25
そもそもあの時点で全日本とは切れてたはずなのに持ち込む方もどうかしている
まあ吉原としては猪木や新間よりも永里に遠慮していたんだろうが 吉原社長がテレビ局を出し抜こうとしてどんどんドツボにハマっていったとしか言いようがないね 稲妻二郎ことジェリー・モローはもっと活躍の機会を与えてあげてもよかったのに。吉原に従って
全日から新日に主戦場変えたのに不遇だったな。 来日二週間で日本語ペラペラ喋れるようになってたジェリーモローって
語学の天才だったんじゃないの テーズ、ゴッチ、ロビンソン、ホッジ、ニック、
ガニア、ゴーデイエンコ。
プロレスリング界の実力派が揃って来日した
凄い団体だね。 1979年12月6日 田中メモ
「2 日本人選手についても、このシリーズを契機に独自の味を
出した使い方をしようという合意もなされました。
まず鶴見五郎選手ですが、彼は日本陣営ではなく、準・外国
陣営の扱いをし、ブッチャー的な徹底したヒールをやらせる
ことにしました。
次に稲妻二郎選手ですが、彼には徹底したベビーフェースで
脚光を浴びさせ、積極的にセミ・メインで使うことを提言し、合意を
得ました」
「13 過去五年間、放送サイドから見てきたレスラー個々の
人気度という観点からすると、稲妻二郎の女性・子供人気は
かなり高いことが分かりました。
今回、鶴見を売り出すにあたって稲妻を起用したのはそのような
背景に基づくものでしたが、後楽園(11月4日、メインの6人タッグに
出場)だけは派手にやったものの、その後のマッチメークでは
地味な扱いに終始し、テレビ中継の無い会場においてはカード
編成がグレート草津任せになっていること、すなわち稲妻を
売り出すことが徹底されていない事実も判明しました。
14 寺西についてはシリーズ前に約束された事項が完全に
反古にされ、やられ役以外のものは何も与えられていません」 >>39
話題になっていたように、「東京12チャンネル時代の国際プロレス」
210〜216ページの、1979年秋のシリーズに対しての「田中メモ」
(12チャンネルの田中元和プロデューサーが局に対して上申した
レポート)の一部です
>>17-18にあるように、1979年にテレ東は好機と見て3500万円の
特別追加資金を提供して、木村、スミルノフ、ストンパーらを
アピールするプランを吉原氏に提唱して、同時にファンにも
支持されるサブキャラとして稲妻、鶴見、寺西らの格上げを
要請し「両書を得た」と思っていました
ところがそこで
「約束された事項が完全に反古にされ」
「当初の目的とは真逆の効果しか得られず」
「過去三回の特別強化費用が無駄になった」
と怒らせるマッチメイクが連発され視聴率もいきなり下降
「シリーズを通してのマッチメイクが全くなされておらず、
その日のカードはその日の気分によって決められる現状を
改善しない限り、強化費の目的は雲散霧消してしまいます」
と脱力したレポートを年末に書くことになっています 鶴見の造反が事前に双方合意済みの
ブックだったというのは割と最近
公になったんだよな。
ピーター本が出るくらいまでは
ガチの事件だと思われていた。 吉原代表は馬場猪木みたいな外道ではなく、レスラー思いの人格者だと思われがちだが
単に老害で他人の意見に耳を貸さない頑固者でしかなかった それは残念だな。
しかし東北まで7回忌法要にあそこまで来るかな?集まるかな?とも思う >>34
鶴見とのコンビでアジアタッグを巻いてほしかった ラッシャー、剛がアメリカに遠征に行ったのが唐突で
そんなに向こうで人気あるんか?と当時いぶかしんだが、
最近になって二人してジョバーとして小遣い稼ぎしてたってわかって
残念だけどなんか腑に落ちた。
ミスターゴーはそのまんまだけど、ラッシャーの「ミスタートヨ」ってなんぞ。
豊登か。 >>42
比較対象がその2人なら誰でも人格者。
ていうか吉原社長って元々凄く短気なイメージはあるけどなあ。慕われてはいたけど人格者だはなかろうよ。 >>45
あの時は猪木が体調不良で欠場していたのと
木村の息子がアメリカに留学していたので
合わせてあげようと新日が気を利かせたもの。
新日も木村のおかげで莫大な利益を上げていたから
ある意味ご褒美みたいなものだった。 某団体関係者と当時のプロレスファンの会話
「君たち小中学生は無料だから国際の後楽園ホールはよく見に行くんだろ」
「行きませんよ。あれ無料じゃないし」
「?」
「だって後楽園に行くまでの電車賃かかるじゃないですか」
「?」
「ラッシャー木村の試合見るのに電車賃払うの嫌ですよ。試合もショツパイ、外人もショツパイ。それならたい焼き食べた方がいいですよ」
田中Pは、国際のレスラーを買いかぶり過ぎ
木村はニック、ガニアとやっても実際、試合はしょつぱかった
ジョーやスミルノフ相手でも名勝負数え歌にはならない
これが現実
木村、坂口、大木クラスで団体エースは無理
稲妻、寺西、鶴見がブレイクするわけないし、実際、彼らを上げるブックを上の連中が協力するわけない
寺西がストンパーに勝ったところで視聴率上がるなんてのが買いかぶり過ぎの最たるもの
当の寺西でさえ、原を格上げするのを嫌がった
TBSの森といいプロレス団体を部外者がマッチメイクして操るなんてのは、吉原どころか、レスラーが嫌がる
大体、田中Pが個々の契約実現させたところで、後の世界のプロレスみたいなフィルム買い付けて流すだけで視聴率取れたらポイ捨てするのがテレビの常套手段
田中Pが夢物語を実行してたら、WJのゴマシオ永島の運命が待ってたよ
いかにレスラーを操るのが難しいか分かってない
まだレスラーに商品価値があるところで解散したが賢明、せめてもの救い
木村や剛は新間がやった第一次UWFでも全く集客力なかった 長州の新日での人気を過信してジャパン旗揚げした大塚も
独立興行であんなに客が入らないとは思わなかったろうな
チョシュも結局馬場と猪木の間をウロウロしていただけだった >>49
天龍でさえ「長州が来て・・・こんなモノ・・・」と思っていたくらいだから試合数が
増えて喜んだの全日レスラーズを横目に馬場は当てがはずれたので頭が痛かった。 木村vsジョーの金網デスマッチでさえ後楽園ホールで大入り袋でないのではどうしようもないが、
金網だと興行買ってもらえるから仕方なく木村エースで押し通そうと決めたのかも知れないな。 >>51
末期は正直ジョーのような金網慣れした達者な相手だと
金網デスマッチって流血以外は技も大して出さずに
金網の網の部分にぶつけあったりとかだけで
普通の試合より双方ラクだったんじゃないかって気も・・・ >>45
猪木が足の負傷(MSGシリーズではカーンが決勝でアンドレと対戦)、糖尿と欠場が続き、
木村は塩っぱいから猪木以外とは絡みづらいからロスに行かせた。 木村のロス遠征の件で教えてくれた方々ありがとう。
聞いて見るものだ。改めて調べてみると、NWAアメリカスタッグなる
タイトルも剛とのタッグで取ってるんですね。 アメリカスタッグなる・・か。
WWA由来の伝統ある王座だぞw 藤波&チャボ、キム健&上田も戴冠したな。 剛はなぜはぐれ国際軍団で試合しなかったのかな。二人でロス遠征した意味ないじゃん。 剛の方は前座で燻ってるくらいならはぐれ国際軍団に加入したかったが
裏切り者の剛とは組みたくないと三人が拒絶したという説
剛だけ体がカタくて動くがぎこちないのではぐれ軍団のヒールに相応しくないと
新日側がダメ出ししたという説がある 剛の動きを思い出してみても、ミサイルキック、サイドスープレックス、例のランニングエルボーもどき、ブレーンバスターあたりしか思い浮かばないな。ベビーフェイスの動きしか覚えがない。 >>48
すると木村のベストバウトは76年の鶴田戦かな >>57
>体がカタくて動くがぎこちない
草津、小林、木村、坂口、中西、馬場、ホーガンの悪口はやめろ 実録を読んで一番驚いたのは、
鶴田が相撲出身だったことだな
本邦初公開では? 全日や新日の他団体との提携路線には
批判の声が多いけど、それは吉原氏自身も十分わかっていたと思う。
自主興行だけでやれればそれが一番。でもそれでやっていても
累積赤字が積み上がるだけ。であれば、意地やメンツより
手っ取り早く金になる対抗戦へ…と考えるのは
経営者としてごく自然なこと。
既に給料の遅配なども発生していたし
もはや自社のブランディングとか長期的な視点など
考えられないほど、資金繰りが逼迫していたんだろう。
東京12chも資金的な援助はしていたみたいだが、新日や全日みたいに
テレビ局から役員を派遣して、経営自体を立て直すとまでの気持ちはなかった。
猪木も馬場も、経営危機に陥った時は代表権のない会長に
棚上げされた経験があるからな。 >>61
ラジオで「知られていない事実」と語られていた。相撲部屋にスカウトされて
本人もその気になるも仮入門のような状態だったとか。 あれ?鶴田が腰かけ的に力士になったっていう話は
結構昔(藤波WWE殿堂入りの頃)から語られていた
ような気がしていたけど錯覚だったかな? >>65
全日も新日(坂口合流後)もTV局の意向で結成されたから東京12chの親会社である
日経の社長から命令で放映を検討したとは言えTV局やその親会社である新聞社
(朝日vs.読売)のメンツからプロレス中継に対する情熱は全く異なる。 >>66
そうなのですか?
自分が最近はあんまりプロレス関連の情報追っかけてなかったので知らなかっただけだったんですね
すみません うわ、レス間違え!
>>67さんへのレスでした
重ね重ねすみません 馬場が高校で野球やってたのに、相撲部屋からスカウトが来たんだっけな
あの当時はとにかくデカい奴は相撲取りにしようみたいな風潮だった >>55
あの時期はコバクニがアメリカスヘビー王者だったか >>66
本人は「こんなとこ絶対にヤダ!」
ということで、1日か2日で逃げ出したんじゃなかった? >>73
本人は元々相撲取りになる気なんか全く無くて
夏休みに東京の親戚のところへいったら
相撲部屋の見学に連れていかれて
そのままなんとなく入門志願者みたいな流れになったけど
数日で嫌になり逃げ出した
(そもそも本人自体そんな気はなかったし)
昔は地方でガタイのいい子いると
本人ってより周りが相撲取りにしようとしたりって話は結構あったから
言い方悪いけど、まあまだ田舎の世間知らずな中坊だった鶴田を
半ば騙し討ち的にその親戚なりが連れてったってとこだろ
(もちろんその親戚からすれば別に悪意からでははなく
単にこの子は相撲取りになったら大成すると思ってだろうけど)
いずれにしても事実としてそういうことはあってもまあ相撲経験があるとか
まして大相撲出身なんてレベルの話ではないよ >>74
千代の富士もテレフォンショッキングで
「親方に騙されて入門した」みたいな事を言っていた
本人は「相撲部屋を体験してみる」みたいなつもりだったらしい
昔はそういうのが日常茶飯事だったらしいな
高見山は親方にパスポートを取り上げられて
部屋から逃げられなかったらしいし 鶴田が相撲部屋から夜逃げ同然で脱走したというのは昭和50年代のプロレス誌に載ってたよ
その後バスケで大活躍、アマレスで日本一という流れの話で
鶴田というのはスポーツの天才なんだなと思った だいぶ前に読んだ流のコラムだったと思うけど、
カマタとジョーでIWAタッグに挑戦した試合で、
カマタとジョーを仲間割れさせてカマタを木村と組ませてジョーと対戦させる計画があったってホントかね?
そんなアングルは吉原や草津じゃ考えつかなそう 大位山「ハッキリ言って、千代の富士が横綱になれたのは僕のおかげなんですよ(笑)
十両時代に脱臼ばっかりしててね、相撲辞めてプロレスラーになりたいっていうもんだから
『プロレスなんて給料安いんだから止めておきなよ』って説得したんですよ。
国際は草津さんや木村さんがいるから上に行けませんしね。」 >>76
逆の見方をすると早目に見切りをつけたからこそ
その後の成功があったとも言えるんだけどね鶴田の場合
ジョージ高野もそうだったけどあの手足の長い体型は相撲に向いてないよ
田上とか(相撲経験は無いけど)武藤みたいに身長の割に短足だったり
前田の様な足は長いけど意外とリーチは短かったりした方が相撲の世界では大成し易い >>79
ハンセンは相撲に向いてそうだけど
ブロディは向いてなさそう。 >>59
吉原は「対抗戦は結果より内容だ」と田中氏に主張したそうだが、オープン選手権での馬場木村戦は内容的にも悪かった。試合時間も短すぎるし。
鶴田戦は伯仲していたが、鶴田に押され気味だぅた。
要は結果も内容も悪かった。 >>81
試合結果に田中Pが猛抗議すると「内容では負けていない12チャンのネットされていない
地区にまで流れて宣伝になった!」とネット局の事を言われると辛い局側と溝ができて
しまった・・・田中Pは元々、プロレスやボクシングの格闘技が好きで国プロでも
特別費用を局と交渉して出させたり「TV局一番外地」の制限の中で情熱を持って中継に
あたっていた・・・「あのままに最後まで(プロレス中継に携わる)いたら心身とも
大変だったかも・・・」とコメントしていた。 猪木は外敵と闘う際はいい試合をして相手の価値も上げる。
小林、大木、木村、藤原、天龍、3vs1の最後に浜口に負けたりもしてる。
逆に馬場は外敵とはいい試合をせず、自分勝手な試合で終わらすことが多い。 >>83
>嘘でしょw 猪木は負けても綺麗な負けは絶対にさせない!
そういうストーリーだから、テネシーの猪木とかプエルトリコの猪木と揶揄される
逆を言えば日本のジェリー・ローラーであり、日本のカルロス・コロンなんだよw 鶴田は親戚に相撲取りがいた、とお兄さんが言ってたからそういうつて
で騙し討ち的に引っ張られたのかも >>84
実況席で巨乳女が出てくる度に興奮する猪木 >>84
アンカーのつけ方がおかしいぞ
それではわけがわからない >>77
ラッシャーはアメリカ遠征時代カマタとカンザス地区でタッグ組んでたからな
ちなみに坂口も五大湖地区でカマタと組んでた
>>83
>>84
その辺は時期によって違うんだよ
親日初期は駒がないから二流外人でもいいところを引き出してエース外人扱いしなきゃ
いけないからセルの達人としての猪木が誕生
その後は人材が揃ったのと猪木自身のコンディションの悪化で受けることが難しく
なったせいで圧勝して使い捨てるように 生半可な人間では、グレートアントニオとかマクガイヤ兄弟との試合を
成立させられないよ。
グレートアントニオはカナダでは有名で、国際にも呼ぼうという案もあったらしいが
年をとっていたのと、下手すぎるのと、思ったより大きくないんで没になったと
言う話ですね。 >>90
カナダに遠征してた井上の話
アントニオは数十メートル離れてる場所からも臭ってくる強烈な腐敗したような獣臭がしてあんなのと誰も試合をやりたがらない
多分シャワーも浴びてないんちゃうかなぁ
って言っていた 暇つぶしに見たyoutubeの78年全軍戦の馬場VS木村・・。
ありゃひでーな。そりゃガキ?が「馬場金返せ」言うのもわかるw >>93
どういうブックが良かったと思うの?日テレ抱えている全日が引き分けは受けないだろうし。 いやいや75年のオープン戦でもブッチャーのインターフェアのうえで馬場勝利だし、
そのうえで今度は、普通ならエプロン際の4の字はブレイクで外すはずなのにそのまま続行カウントアウト。
せめて両者カウントアウトで。。 >>89
晩年の猪木はハンセン、戸口、ラッシャー、長州、前田、藤原戦・・・
受けまくって、ほとんど技を出さず、逆転勝ちのハラハラ試合が多いけど。
むしろ、小林戦なんて自分は張るが、小林の張り手はほとんど避けている。 原辰徳が猪木は受けてるようで受けてないって流石の観察眼だと思った >>95
無理無理、全国ネットで放送してほしいのは12チャンネルだった国際側。
全日は毎週全国ネットなんだから、引き分け決着なんか受ける理由がないだろ? >>95
馬場は木村を自分と対等に勝負できるレスラーとは思ってないよ。木村が本領発揮したのは悲しいかな鶴田相手の時かな。まあそれよりノーテレビだけどドリーに2回も
ピン負けしたのは国際のエースとしてはまずいと思うけど小林がガニアに負けた時も
思ったけど吉原さんってある意味自分の所の選手に厳しすぎると思うけど。 >>99 >>100
う〜む。 全国ネットに乗っただけでも国際としては良しとすべきなのか?
3年後(以降)の新日での国際軍団抗争はもうちょっと花持たせてたような。。
まずは木村の反則勝ちだし。 >>101
それは国際プロレスという団体が、なくなった後の対抗戦じゃないのか?
国際プロレスという会社があった時代の、全日との対抗戦と比較するのはなぜ? >>102
存続中でも79〜80年ころに新日と提携してたが、まあ正直ヤマハや永源クラスに敗れるほどの扱いだったが
最終的にはIWAタッグに関しては手中に戻せてはいる。その辺の全日(馬場)の国際への計らいはちょっと薄情にも思えるが。 >>103
国際と新日の提携時代は、国際のエースクラスは新日のエースクラスと試合すらしてない。
唯一が阿修羅の藤波への挑戦。そんな扱いをした新日や猪木は、馬場に比べて薄情ではなかったの? 馬場も鶴田も、国際のエースである木村と試合した。鶴田は井上とも何度も試合した。
木村が新日の誰と試合した?ストロング姉さん?井上は誰と試合した?ヤマハや永源? いやそれなら尚更その後、倒産した団体のエースが団体黄金時代のエースに反則勝ちする整合性が取れなくないか?。 馬場対木村戦は芳の里が一旦ゴング鳴らして
置きながら、改めて高速で場外カウント
取り直して結果リングアウト負けという
のが酷いな。
最初のゴングはなんだったのか。 >>106
もう国際はなく、ラッシャーは新日が契約してお金を払っている選手だからね。
1度っきりじゃなく、何回も使うためには最初から猪木が勝っちゃうわけないだろ? キムケンと永源のタッグは当時星野や木戸より下の扱いでそのクラスのレスラー相手に
タイトルマッチなんて舐められてるぞ。 >>108
まあその「一度きり」というか、78年の全軍戦でもって馬場が国際(木村)に対しての雌雄を
あの形で終わらせたとするならそれはそれで納得するしかないかもな。。 国際は全日との提携時代、全国ネットとかそれなりにメリットもあったと思うんだが、
国際と新日の提携時代は、ほとんどなかったように感じる。アンドレ参戦くらいかな? 全日との対抗戦を強行した吉原社長の言い分
「試合結果より内容の方が大事」
こう頑固に言い張るの当たり前
他にテレビ局にどう言うのかね?
どうしてこの言葉を真に受けるのかな?
もう何十年も経ってるのに、ずっと真に受けてるっていうのも凄いよな
こういうふうに言い張って、その場を収めるしかない真意をなぜ汲み取れないのかな?
「国際が存続するためには他団体を追い越さなきゃならない」って言うプロデューサーを前にしたら、なおさら苦笑しながら頑固に言い張るしかないじゃん 他団体との対抗戦は目先のゼニが欲しかった…と正直に言おうものなら
テレ東は即座に契約を解消してただろうからね まあでも馬場戦は意外と木村もいろいろとやらせてもらってる
これはエース対決とはいえ実質馬場が格上として鷹揚に受けてみせることで
自分のでかさや強さを見せるというスタイルだったからでもあるんだが
リングアウト決着までは意外と木村が善戦はしてる風になってる
両団体の力関係や馬場と木村の格の違い考えれば
さすがに二回続けて疑惑のピンフォールは国際側も飲めないとしても
リングアウト決着なら普通にやや木村優勢からの場外戦で鉄柱攻撃の自爆誘ったり
場外乱戦の中向かってくる木村にカウンターで16文を合わせて
さっとリング内に滑り込みとかの普通のリングアウトでも良かったところを
あえて“疑惑のカウントアウト”にして木村の顔立ててみせた馬場の方がむしろ優しかったと思う
猪木の蔵前決戦でのレスリングでも喧嘩試合的なラフでも
殆ど木村にいいところ見せさせず軽くあしらい続けたあげくに
最後はいじめっ子のリンチ状態で
それでも今後に向けて試合としては反則勝ちだけはきっちり与えてみせたのと
あらゆる意味で対照的 >吉原さんってある意味自分の所の選手に厳しすぎると思うけど。
団体の規模を縮小できなかったり対抗戦で力道山時代を知るレスラーに敗れたり
すると「ウチは力道山時代の過酷なトレーニングを知る者がいない・・・」とコメント
したり「力道山の弟子」と言うプライドが強すぎて悪い方向に行ってしまった・・・ 病人同然でろくにプロレスが出来ないミスター珍を雇い続けたり >>116
その珍さんも「力道山道場出身」のプライドがあって
ヒロ・マツダの事を「何がマツダや。
あいつは道場の練習がキツくて逃げたんや
わしらは逃げんかったよ。」と罵倒していたって話 馬場は
格下の相手なので力を抜いていました、だからこんな不透明決着になりました。
木村ではどうも気力がわいてきませんよ。我ながらしょうがないね〜。
みたいなのを表情や動きで見せてしまうのがよくない。
猪木は
格下の相手なのでなぜか試合をしている自分にすら腹が立ってきました。
だから木村に差をみせつけてやろうと思います。
お客さんもそうでしょ、こいつ腹立つわ〜。
みたいな試合をやってしまう。 木村組対ポール・エラリング組の試合が見たいんだけど、
動画とか残ってないのかね。 >>120
あるわけない、月1回放送になっちゃったシリーズなんだし。 スパイクヒューバーはどこからのルートで来たんだろうか? >>123
スパイクヒューバーはいいレスラーだったなぁ
後期の国際には勿体無い程のレスラーだったよ
ギャラは安かっただろうにブルーザーもよく娘婿を派遣してくれたな >>120 >>121
開幕戦の試合がDVDになってる
ここの連中はホントに何も知らないんだなw エラリングとオルソノスキーはAWAでデビューした頃はタッグを組んでいてベンチュラ&アドニスとも対戦してたらしい
来日時も組ませてほしかった ウチの地方は12チャンネルが映らなかったから国際のこと知らなかったよ
だけど馬場のところのテレビに出たのを見て木村とか知って近くの街に来たから友達と皆で見に行ったな
プロレス見たくてもウチの方は猪木も馬場もなかなか来ないからね
そんなに大きい体育館じゃないけどウチの近郊では国際は客入ってたよ
みんなテレビに出た木村だって喜んでたから馬場の方のテレビに出たのは良かったと思うよ
都会の人とは考えが違うかもね >>126
エラリング、来日直前あたりでヒールターンしてたんだっけな。
デビュー当初は黒髪だったが金髪に染め上げた。 エラリングもいいけど、テリーラザンももっと見たかったよ >>119
そうなるとその木村にベストバウトを取らせた鶴田は偉大って事か >>132-133
まあ東スポプロレス大賞は東スポと読売の関係もあって基本全日贔屓だしな 76年からMVPを猪木に取らせる代わりにベストバウトは全日に提供するという協定を
馬場と東スポが裏で決めたって言うのかな?
馬場本人は衰えたから、代わりに鶴田のシングル戦が三年連続で受賞してる それ以降は馬場がタッグを含めて四年連続
まあいくら業界のバランスといってもノミネート級の内容が無ければファンの納得は得られないだろうが
78年の帯広でのレイスvs鶴田は映像が残ってないみたいだが内容的な見どころはどこ? あと国際として個人部門の最高は77年の木村の最高殊勲賞だがこれはやっぱりワールドシリーズ優勝に対する評価か https://www.tokyo-sports.co.jp/wrestling/
マイナーな国際にもバランス的な意味で賞を与えられていたんだね
76年の寺西にどんな技能があったのか 個人的な記憶だが、毎年の東スポプロレス大賞ってそんなファンもメディアも騒いでなかったような。。w
クルマなら「カーオブザイヤー」なんかは情報番組にしろ、雑誌にしろアレコレ掲載されまくりだが
プロレス大賞はテレビの実況でアナウンスされるわけでもなく。。
月刊誌でちょっと記事になってたくらいしかあまり記憶にないんだよね。 オカダ天龍のが馬場ガニアよりずっといい試合だった
よりによってこんな年寄りがヨタヨタ肩を組んで歩いてるだけの試合が
伝説のアンドレハンセンを押しのけてベストバウトの81年 >>140
あれは年一回業界内輪のオツカレサマ会とでもいうか
出版社の忘年会パーティーとか謝恩会みたいなもんとでもw >>141
おいおい、当時は外人同士の試合、格闘技戦はベストバウトから除外されてたのを知らんのか?w >>144
除外した理由が馬場への忖度以外ないだろ ファンクス対ブッチャー&シークとかも、当時は選考対象外だったよな。 >>145
おいおい、第一回から外人同士の試合は除外だよw
どちらか言うと、全日本の方が外人同士の名勝負多いんだから、外人試合外しは馬場への
忖度にはならん >>143
「別れてしまったBI砲を同じ舞台に上げる!」と言うのが発端だった。
専門誌でも各団体に気を使っていると暗に批判されて読者の投書でバストバウトを
募集するとハンセンが相手を変えて猪木、アンドレ、ハンセンと3年連続で選ばれて
いた。 そもそも賞がありすぎだが、各団体に気を使わないと
毎年、猪木猪木猪木になってしまうのは却ってまずいようにも思うし。 >>148
>ハンセンが相手を変えて猪木、アンドレ、ハンセンと3年連続
最後の対戦相手がハンセン自身になっているが、
アンドレ(81年)の次なら3年目の相手は、G・馬場かな? 国際プロレスの納会の表彰状だけは
誰も欲しくなかったというねw 羅臼の後、妄想で選手会主催で
後楽園にてケジメの最終興行があったと
想定してみた。
マッチメイクは
木村×ジョー(金網)
井上×原
寺西×鶴見
マッハ・高杉×オーツ・ギブス
米村×エンフォーサ
珍×バニーキャロル×秋吉(3way)
菅原×冬木
これで満員行けないか?! >>128 それな
オレのとこも国際のテレビ中継見れなかった
東京12って東京だけのU局みたいなもんでしょ
国際が日テレの全日本の対抗戦やオープン選手権に出て、馬場たちと全日本の巡業で木村と草津が来たから興味持ったのよ
それで近くに国際来た時に見に行ってやろうと思った
テレビ中継ないから全日本や新日本みたいにシリーズ通して連続ドラマのように見るなんて出来ないけど単発で見る国際は面白かった
ノーテレビのにタイトルマッチやってくれたり、寺西とか鶴見とかが格上外人に勝ったのを目撃したりお得な気分だった
普段、U局で見れない国際を全国ネットのテレビで見せてくれた馬場さんと吉原さんに感謝 小林離脱後の状況ではレギュラー中継は荷が重かった。
月イチ特番ぐらいが国際側も局側も気が楽だったのでは。 セーラーホワイトやピエールマーチンを
よく外人エースに使ったな。
逆に英断だわ >>153
最後にマツダ、杉山、小林、剛が花束を持ってリングインし
お疲れ!! >>155
月一特番だと国際側が金欠で会社としては持たないと思う ぼくが見たかった夢のバニーキャロル対決
1,バニーキャロル対ミスター珍(さっき上げてた方リスペクト)
2,バニーキャロル対吉原社長
3,バニーキャロル対アンドレ・ザ・ジャイアント
4,バニーキャロル対ヘイスタック・カルホーン
5,バニーキャロル対上田馬之助
6,バニーキャロル対ニックボックウインクル
7,バニーキャロル対キング・コングコジャック
8,バニーキャロル対マイティ井上
9,バニーキャロル対ジエンフォーサー
10,バニーキャロル対長与千種 >>158
局の介入に文句を言いながらも、放映料のためにレギュラー中継を手放せなかったわけだが、早目に会社を借金ごと整理して、別法人で再出発してたらあるいは。 当時のプロレス団体は、テレビ放送の継続が生命線だっんだろうからね。
あんなに栄華を誇った日本プロレスが、放送打ち切りから1ヶ月で崩壊したし。 >>161
日プロのダラ幹達はでも利に敏いというか
テレ朝の中継が本当に打ち切られたら
さっさと興行継続あきらめて借金作る前に会社清算しちゃったからね
日プロ最後のアイアンクローシリーズは選手会主催って形で
旧経営陣たちは興行については実質ノータッチ
まあプロレスや会社に対する熱意とか
選手や一般社員に対する責任感とかは一切無いんだけどw >>162
そら幹部からしたら、大木金太郎エースで興行継続できないのは明らかだろうよ。
大木本人はそう思ってなかっただけで。 日プロってその時、清算したんだ。スマートだな〜。
大木のエース時代ってのはその時間稼ぎだったのかもしれないな。 日プロは元々売り興行が八割だった
末期は各地のプロモーターは新日と全日を手掛ける様になってたし、営業部の人間も新日、全日に移ってしまって買い興行を打てる様な状況では無かった >>126
>>129
二人とも当時はジョージアに転戦してた
オルソノスキーは前座ランクのベビーで、エラリングはヒールとして売り出してトップクラスを
伺う勢いだったため対戦機会はなかったようだ >>162
団体が赤字になるとさっさとあきらめてクローズさせたシークやビルワットは
裕福とまでは言わないが金には困らない程度の老後
(シークの現役継続は完全に趣味)
あきらめきれず続けたガニアやエディ・グラハムは負債抱えて破産、認知症
になったり自殺したりと悲惨な目に
エリックは前者だったが、離婚という思わぬ伏兵で文無しに >>167
前田も赤字が酷くなる前にリングスを畳んだな >>168
キム・クロケイドはカルガリーで試合していたプロレスラー
ヒトのブッキングで新日に来日 >>168
IWAタッグ王者が草津&井上組の時もあったんだよな、めちゃくちゃ合わなそうな二人。 蔵前のメインでアジアタッグ王者の極道コンビとダブル戦 >>166
全然違うぞ
オルソノスキーはジョージアにいたがトップクラスにつけていて
来日前にモンゴリアンストンパーからナショナルヘビー王座を獲得して王者のまま来日している
帰国後にはテッドデビアスとのコンビでナショナルタッグ王座も取って二冠王になってる
エラリングは来日前はMSWAにいた >>154 12チャンネルのような関東だけのローカル局で予算奮発してニックだ、パワーズだ、アンドレ呼んでも地方のオレ達はテレビで見れなかったからな
あれは全然、地方興行の宣伝にならないだろ
見れないから最悪
関東だけの視聴率なんか関係ねえし
よほど定期的に馬場の方のテレビに出てくれた方がマシ
地方の人間はテレビに出てる選手が来るから見に来るのにな
12チャンネルの社員だった田原総一郎も他局から民放扱いされてなかったと言ってたよ 馬場にとっても木村戦の決着の仕方は名誉な物ではなかったしむしろ便宜を図った方かも >>176
いくら乱入や不透明決着でも二戦続けてピン勝ちは国際に悪いし
国際との提携(団体対抗)が今後も継続していくこと考えれば
リングアウトや反則でも明かにおかしな裁定で自分が悪役になるコトで
因縁作って次に繋げようってとこだろうねえ でも1回くらい勝ちを譲るって発想は馬場には無かったのね…木村が1回鶴田に勝ったくらいか。 全日提携時代は馬場も鶴田も木村と試合してあげたのに、
新日提携時代は猪木も坂口も木村と絡むことすらなかった。
オールスターの再戦となったストロング姉さんとの再戦だけ。 >>173
訂正すまん
完全に時期勘違いしてたw
>>170
当時の地方団体にはよくいたウィークエンドレスラーだったんじゃね
だったら警官説もレスラー説もどっちも正しいかも
>>179
しかもオールスターの時は辛うじてのリングアウト勝ちブックだもんな
翌年の再戦ではピン勝ちしたけど
ナンバー3だった時ならともかく、藤波どころか、あの出てくるだけで笑われる状態の
パンチパーマ時代の長州にすら抜かれたからな当時のストロング姐さん
それを対戦相手としてあてがわれた時点で舐められてる >>179
提携時代に絡んでたら1発で終わってた。
絡まなかったから、新日参戦時に3vs1、髪切りと色々と引っ張れた。
IWA世界戦・木村>長州は国際でやってもよかったと思う。
>>180
初戦としては遺恨がある新旧エース対決でいい。
むしろ、木村に2連勝させて、小林に星を返さないで終わらせた新日に驚く。 >>181
要はこんな感じだよな。騙された吉原が間抜けだったんだろうが。
全日→国際を存続させるために提携していた。
新日→国際を潰すために提携していた。 あの頃の姐さん相手にエースのきむらラッシャーが負けなんてブック飲んだら
吉原社長はお人よし通り越して単なる馬鹿だろw
まあヤマハはともかくキムケン・永源相手のIWA戦なんてマッチメーク飲んだ時点で
限りなく間抜けに近いけどさ
逆に新日がずるかったのがパワーズと剛の件
前年まではギリギリエース外人の一角であったパワーズにラッシャーが大苦戦の
リングアウト勝ちとか、藤波のライバルだった剛が原を押し捲るとか
まあその時点では許容範囲だったのに
直後にパワーズはMSGシリーズで白星配給係
剛は藤波のライバルから降格されて中堅落ちしたからね >>183
金曜8時ゴールデンタイムに出ている小林は木村よりも知名度が上で
新日選手としては「何で国際なんかとやらないといけないんだ!?」という見下しだったはず。 >>178
猪木は小林に引き分け1回あるが、後は全勝なのに
小林より先輩ながら国際では小林の下、その後に一旦は井上にまで抜かれた木村に
馬場が星を譲るなどあり得ない
そんなことしたら、それこそ全日本を潰すようなマッチメイクだ 吉原社長は馬場VS木村に大木でも乱入させて馬場を流血させて木村のリングアウト勝利位交渉しないとね >>186
だから無理だろ、全国ネットに乗せてほしいのは国際側なんだから。 >>186
馬場からすると国際のレスラーは後輩ばかりだし、先輩で格があるレスラーだと大木とか豐登クラスじゃないと負け飲めないな。 >>186
いっそ前の年に大木から奪ったアジアヘビーを賭けてほしかった
それで不本意な内容と結果で返上とか >>188
豊登じゃないのか?その漢字、どうやって打ったの? Gスピリッツの草津の記事見てると、小林をイジメた挙句離脱されて
国際のイメージダウンに拍車がかかった流れが悲惨すぎて笑うな
ラッシャー木村はストロング小林より弱い→巌流島で猪木に小林が負けた
木村は猪木の足元にも及ばない→そんな団体に金払って誰が見に来るんだ 新日の年末タッグリーグで
一度木村・小林組が発表されたが、結局キャンセルになった。
あれはさすがに木村の下で負け役を引き受けるのは嫌だと
プライドの高い小林が拒否したんだろうな。
その後小林はフェードアウトの形で新日を退団した。 フェードアウトじゃないでしょ。猪木と木村の髪切りマッチに介入したし、時間はかかったけど福生で引退式もやった。 門馬さんのシャチ横内の事ボロっカス言うてたんおもろかった。
どんなやつやねんシャチ(笑) 上田馬之助とミスターボーゴからかなりの額のカネ巻き上げたらしいな それでも上田は終生、横内の悪口は言わなかったという
ポーゴがGスピリッツのインタビューで悪辣ぶりを暴露していたが 門馬「ふざけんな、何様だって!アイツは馬鹿にするんだよ日本人もなにも全部。
日本という国を馬鹿にしたりするからこの野郎!と思ってさ。
あんなしょっぱいレスラー見た事ない、言動も大人じゃなかったね
子供が駄々をこねてる様な論理的に合わないことばっかりで
上田馬之助もアメリカで利用されただけだと思うよ
上田が一緒にいれば自分の身に危険がないじゃん
ガチンコになっても。横内はガチンコが出来る奴じゃないから。
コンニャクみたいな訳の分からないレスリングをして口だけは一人前
今思い出しても腹が立つ、人間的に欠陥がある、人間として価値がない
フジイは横内に騙されたんだと思うよ。」
すごい剣幕だww 「’71年だったか,二度目のパリ遠征の時に,行きつけのレストランに行ったらさ,
いま横内さんがパリに居るけど連絡をとりましょうかって……。
勿論,いいからって断ったよ。あんな奴とは二度と会いたく無いって思っていたから。
でも交通事故か何かで若くして死んじゃったんだよな」と言っていたマイティ。
(シャチ横内は’82年にパリで交通事故にあって死去。享年45歳) ちょっと前に“シャチ横内=上田馬之助”と言って一歩も引かないヤツがいたな。 元国際所属選手三人と日本デビューが国際だった選手が一人
長州、浜口、寺西VS天領、石川、井上
https://youtu.be/--Y40NyET_g >>197
上田は横内のことを自伝的著書で
アメリカでのビジネスのお手本で最高のパートナーであり
横内と組んでいる時が公使ともに一番楽しかったとまで言っている
門馬が勝手に何思おうが、上田の本音は違う >>200
長州と井上の絡みって記憶にないな。この試合以外で中継されたことあるかな? 上田の紹介で横内がポーゴの面倒を見たが
横内はポーゴの実家からの仕送りをピンハネし続けたなんて事が
某サイトに書いてあるな >>200
馬場石川井上対木村鶴見剛もあった。
85年両国 >>200
当時の全日には、天領なんてレスラーがいたのか? 上田は松岡とも行動を共にしてたし
嫌われ者と付き合う事ができる人なのか 全日のリングで、浜口&寺西vs木村&鶴見があったような?あれはジャパンのリングだったか? 72年ワールドでロシモフのセコンドにモロー(稲妻)が付いてるのを見ると、
MSGタッグのアンドレ&モロー組ってのも何かの因縁(ってほどでもないか)・・。 >>203
実家からの仕送りピンハネ…それピンハネじゃなくて窃盗では…キャラならまだしも。 一時木村が鶴見をファミリー軍団に入れよう
としてたけど、馬場木村鶴見組だったら
なんだか馬場ぎ国際血盟軍入りした
みたいで違和感あるな。 結局一度も木村は馬場と組んでから鶴見とは疎遠に?
鶴見その後、井上や寺西とは組んでたよね。 >>213
いや、3ヶ月に1回くらいで思い出した
かのように組んでたよ。
馬場が小橋と組むと木村は鶴見と組んでた。 >>211
タッグマッチで川田の4の字固めをロープに逃げた馬場の
ブレークが認められず、エプロンで苦悶する馬場に対して
特別レフェリーの永源がリングアウト負けを宣告するのか >>207
松岡は新人イビリのキツいろくでなしだが
そういうやつにありがちな上には媚び売るようなところがなく平気で楯突くタイプなんで
硬骨漢と見る人間もいたようだ
>>210
一昔前、下手すると今でも大学の体育会ではよくあったことだな
後輩にバイトさせてバイト代を横取りするとかもあったらしいし >>216
今も有るよ、後輩にバイトさせた金で飲んだり風俗行ったり、中には○学生に円○する奴まで
自分等の代でこの伝統止めようって言ったら俺一人辞めさせられたし、多分未だに続いているだろう >>207
>>216
上田は例えば横内や松岡や草津あるいは馬場猪木なんかが言われるような
人間性や性格が「良い/悪い」とかっていうより
人間的に「弱い」人なんだと思ってる
横内の件にしろ猪木追放劇の一連の流れと
それに対する自分に対する非難や批判への反論にしても
その後の全日離脱の流れと馬場批判や国際→新日へのスキップの件にしても
良くも悪くも上田個人の我や損得勘定ってのが意外なほど見えない
前述の癖・我が強すぎる周囲の面々にその場その場の状況によって
誘われたり巻き込まれたりで引き摺られているだけにしか見えない
恐らく猪木追放劇にしても「裏切った」とか「追及されゲロった」
とかって罪の意識や逆に決意をもって正しいことをしたなんて意識は死ぬまで無くて
ダラ幹、猪木、馬場、大木www…誰が正しいとか責任の所在がっていうより
とにかく自分は最後まで騙されたり巻き込まれただけの「被害者」と思ってたんじゃないかな >>218
国際ファンから見ると、反則がらみとはいえラッシャーからピン
フォールでIWA王座を奪っておきながら、自分はラッシャーにフ
ォールを許さず、新日に移籍した上田に損得勘定がなかったとは
思えないし、上田善人説も納得できない。 なんで「フ」と「ォール」の間で改行しなければならないのか。 >>219
一勝一敗乞食きっしょ
その後も参戦して興行助けてるのも知らんニワカw 腕っぷしはそこそこ強いけど
人の上に立てるような器じゃない人ってのが上田なんじゃないか >>221
新日本から派遣されて国際参加しているだけで別に助けてる訳でもないだろう。 >>221
意味不明で、感情的で、恐ろしく頭の悪そうな
書き込みだな。 >>219
うん、だからそういうのも善人とか悪人とか故ってんじゃなくて
その時その時の状況や周囲に影響されてナチュラルに流されるような
人間的に「弱い」人ってのが自分の上田観 なんか叩かれそうで嫌だけど
流れされやすく、あまり長期的に考えず、気分で物事を左右させる
損得よりも情緒や勢いで動く、個人としては成熟していない。
けれどやれる仕事はまじめに無口にこなして不平不満は黙っている日本人の典型って気がするな。 >>226
なるほど。
フリーレスラーで団体所属のレスラーに対して偉そうなことを言ってるが
実際にはサラリーマンの典型みたいなもんか。 >>182
でもその後吉原に顧問ポストを与えて、金を払っていたのは親日? >>223
レンタル参戦だったら国際に1円の利益ももたらしてないって言いたいの?
おまえはあほかww 上田「鶴田にピンフォール負けした天龍がエースの団体に誰が見に来る?」
SWSが活動休止した時、偉そうにコメントしてたが
ピン負けを拒否し続けた自分が正しいと言いたげだったな >>211
木村の「俺から兄貴にお願いするから」というマイクがあって実際に木村は
動いたのかも知れないけど「結局何もなかったよ」と鶴見が言ってたな
木村は寺西のファミリー軍団入りもマイクでアピっていた記憶がある >>231
木村(おれのマイクはネタに決まってんだろ) >>230
> 上田「鶴田にピンフォール負けした天龍がエースの団体に誰が見に来る?」
自分が国際のリングでエースの木村に勝ち逃げしたことに対する罪の意識はないのか。 全日新日が「上田ごときが何を言っている」と無視した中で
唯一リングにあげてくれた国際に対して恩を仇で返したわけだからね
こんな事をした時点で良識人なんて言えない>上田 >>230
上田のこの発言は当時でも、すでに時代遅れな感覚で物言ってるなあと思った。 UWFが話題になった時も上田は偉そうだった
上田「バカ!プロレスは反則があるから面白いんだ、
プロレスから反則を取ってみろ、こんなつまらない物はない」
お前は反則しか≠ネいやないかーいと当時ツッコまれてた けど、上田馬之助&マサ斉藤組は本当に強そうで良かったなあ
今見ても木村たちが持て余してるみたいだった。 >>238
井上、浜口は気の強さやテクニックでは対抗できても、小柄だから体力負けしてたし、
体格的に引けを取らない草津はやる気が感じられなかったし、結局、対抗できたのは
ラッシャーだけだった。 >>239
猪木に負けてからのWWWF(NY地区)遠征時代じゃない? 75年頃。 >>239 >>241
74年秋か78年春のWWWF遠征時
81年にも行ってるが前座で一ヶ月ほどいただけで、アンドレがケガで欠場していた時期
AWAで小林がアンドレと戦った記録はない
そもそも日本ではアンドレはガニアにスカウトされて渡米したことになっているが
AWAに腰を落ち着けていたいた時期はほとんどない
逆エビでのギブアップ負けは国際でのタッグ戦で小林以外にもいくらでもある アンドレが渡米して当初はカナダやWWA(インディアナ)あたりを転戦してたんじゃないかな?
ラシクとはWWA地区で抗争してたし。 アンドレは国際に来日した際一緒だったガニアに見出されてAWAに呼ばれたとか言われてるけど
カーペンティアがフランスに帰郷した際、プロモーターからデカいのが居るから観に来ないか?って言われて観に行ってアンドレをスカウトしてカナダにブッキングした 普通不入りのときでも、カメラ前には客入れるもんらしいけどねえ・・・ >>246
選手入場よりテーマ曲マッチョマンが気になったw
ディスコ全盛期だったよね >>246
日本リーグ争奪なのにプロフェッサー・タナカ、ディーン・ホー、キム・ドク
だもんな。
でも別冊ゴングのカラーグラビアでよく見てたWWWFの田中と樋口の試合を見れて良かった(つまらんかったけど) ラッシャー木村優勝前提で始められたリーグ戦なんて悪名が付いたな
リングアウト反則絡みでも鶴田を木村に負けさせられないから
わざわざアメリカからタナカ呼び寄せたとか
それ以前に馬場と大木が参加してない時点で国際舐められまくり 輪島と同じ花籠部屋出身の力士、大ノ海(最高位前頭4枚目)‥‥だって 井上エース路線を推し進めて和製ヘドロ・モラレス的に売り出すべきだった
木村はIWA認定ベアナックル選手権を新設してデスマッチ路線のエース
の二大エース路線で上は鎖国政策をして交流戦は若手のみにすべきだった 「損をするような交流はしてはいけない」って事だわな
交流戦の時は客が入っても単独では客が入らなくなる
一軍の試合と二軍の試合のチケットが同じ値段で売ってたら
ほとんどの人は一軍のチケットを買うに決まっているんだから >>254
前座
中堅
草津中心のIWAタッグ戦
井上のIWA戦で技の試合
木村の金網
こんな感じの興行が良かったのでは? >>254
看板だった小林が抜けて、マイティをエースにした時は他団体との差別化
という意味でセンス良いなと思ってたけど、もっと小さな巨人時代を続けて
欲しかったな。
木村にエースの座を譲るにしても、バションを介さずに直接対決して玉砕
した方が国際のトップを印象付けたと思う。
そして阿修羅原の時代へ‥
派手な井上と地味な木村の二大エース路線もいいかもね。
マイティ井上はモラレスとカーペンティアを足して2で割ったイメージだなw >>258
(大木+カマタ)÷2×中西=ラッシャー木村 ゴメン、大木・カマタはなんとなくだけど中西のイメージが湧かない。
エセ力道山なら分かるけど 吉原からすると上の人間に従順な木村がエースに最適だったのだろう。6年以上も務めたし。 日本リーグ争奪戦の蔵前大会は、悲しいぐらいの不入りだった。パラパラの観客の中、
能天気なスカイダイバーで入場させられるラッシャーの無念を想うと泣けてくる。 そもそも現役選手じゃない社長のプロレス生活25周年記念とかどうでもよくね? メインがラッシャー対ドクで、セミが鶴田対マイティだからな。
どう考えても蔵前が埋まるはずがない。千葉の最終戦はもっと悲惨だが。
メインがラッシャー対タナカ、セミが鶴田対ホー。 >>264
本気で客の興味を引こうとするなら
鶴田のUNに木村が挑戦する金網戦だな。
このシチュエーションだったらどっちか
勝つか予想し難い。
日本リーグ戦はどうでもいい選手の
参加ぎ多すぎるのに更に星の回しあい
やったもんだから、結果どの選手も印象に
残らない事になった。 >>265
因縁がない木村と鶴田の金網は無理があるだろ。
金網だと両者大流血で両者KOしか落としどころがなく、
トーナメントのためドローだと反対側から上がってくるタナカらが決勝で不戦勝で優勝になってしまうw 国際はどこで間違えたかなー
ロビンソン、ゴッチ、ロシモフ、ガニア、ラシク、ホフマン等AWA・欧州
レスラーの来日
ジョナサン、ブルクラ、アウトローズ‥‥
外国人エース級は4団体時代は凄く豪華で、日本人エースは小林だった。
3団体時代になると馬場全日本vs猪木新日本のライバル構図が鮮明になり
国際も独自路線でコアなファンの支持は得ていた。
決定的なのは74年の猪木vs小林戦だと思う。
あの一戦以降、最初こそAWAルートも確保してニック、バション、グラハム
ワフー等の大物来日が続いたが、華のある日本人エースが小柄の井上。
テレビ中継も関東ローカルに…
木村に変わってもサモアンズ、ジョー、カマタ、スミルノフと頑張って未開の
レスラーを育て金網マッチ連発したが、一般ファンの興味は全国ネットの方に
向いちゃったんだね。 >>261
「木村は先輩なら誰でもたてる」くらい節度のある人だから小林みたいな離反の心配はないよな
さぞ社長も草津もやりやすかったろう >>269
小林の離脱は、マッチメイク権を握っていた重役レスラー草津との軋轢・確執が一番の原因で、吉原に不満を漏らしていた。
それとは別にレスラー仲間やスタッフから自身のゲイの陰口叩かれるのも相当
嫌がっていたらしい。 今みたいにカムアウトできる時代でもなかった。 S55年の大木は入団って形にせず、大木の韓流軍団参戦って流れにした方が盛り上がったかも
国際VS韓流軍団VS外人部隊VS新日軍団の四つ巴の軍団対抗戦のアングルを上手く組めば面白かった >>271
新日軍団て言っても、ストロング姉さんとか永源とかで盛り上がるわけないだろ? >>272
新日軍団じゃなく小林、剛にフリーだった杉山ではぐれ国際軍団やらせてもよかったかもね
最終的にマツダが実はボスだったって設定で >>262
>>264
馬場の出ない全日と国際じゃ蔵前なんて無謀すぎ。まあゲストで新日からストロング姐さんとサンペイちゃんの
「ダブル小林」も出たけど(昭和3団体時代、オールスター戦以外での唯一3団体選手そろい踏みなんだけどね)地味だしなw
井上、鶴田戦後の控室インタでえらい剣幕で怒ってたような記憶がある。 >>274
W小林の参戦が発表されたのが蔵前大会の四日前
報じたのが東スポと朝刊スポーツ紙数社だから集客に繋がってない
せめてゴング、プロレスに掲載される位の頃に発表されないと集客としては意味がない ストロング姐さんはやめてあげてw
一応両刀使いで、奥さんがいるんだから
国際では剛竜馬、海外ではパット・パターソンが超有名 蔵前大会は土曜日の興行だから全日本プロレス中継で生放送されたことで日本テレビから
放送料を貰ったのかと思う。そのせいで二日後の12chのオンエアが支度部屋からテレビの
モニターを見ながら実況・解説するのもおかしな話だけどね。 youtubeで阿修羅vsキッド見たけど自分は天龍同盟以降のゴツゴツしたファイトの
阿修羅しか知らなかったから国際でのジュニアヘビーの試合は見ていて新鮮
インディアンデスロックやボーアンドアロー使う阿修羅なんて初めて見たw >>277
蔵前大会といえば77年第6回IWAワールドシリーズ決勝戦も使用したよね。
Aブロック代表木村とBブロック井上vsジプシー・ジョーの勝者の対決だったけど、井上、ジョー共に失格、繰り上げで木村vsバションの優勝決定戦
木村のV2達成
IWAタッグはトーナメント優勝したBJクイン&クルト・フォン・ヘス組が初防衛戦で草津&浜口に敗れたのかな?
満員じゃないけど国際最後の意地だった気がする。 >>279
>77年第6回IWAワールドシリーズ決勝戦
同時期に新日が蔵前二連戦やってる。
(初日 猪木対パワーズのNWF戦と坂口対MスーパースターのW杯決勝。
二日目 北米タッグ戦 シン・上田対猪木・坂口)
この両日とも主催者発表の観客が国際の単日よりも多かったため、月刊プロレス誌
鈴木庄一のプロレス時評で、「両団体の人気の差がハッキリ出た」と書かれてたな。 >>278
ジュニア時代の阿修羅は結構いい試合多いぞ。キッドとか、素顔のブラックタイガーとか、
対戦相手に恵まれていたのもあると思うが。逆説的に言えばタイガーマスクのライバル2人、
日本のリングでのプロレスは、阿修羅戦で初めて学んだことにもなる。 >>281
全日入団直後の阿修羅も悪くない。
最初の天龍戦を見ても、動きのスムーズ
さだけで言ったら明らかに阿修羅の方が上。
腰痛とウエイト増でトップロープに上がらなくなってラリアットとヘッドバットだけの
レスラーになってしまった。 >>280
まあほぼ全国ネットで毎週ゴールデンタイムにTV放映があって、日プロ以来からの
スターである猪木と坂口が蔵前2連戦でメインを張るってだけで話題性はある。
第4回ワールド自体は低調だったが、シン&上田は直前に北米タッグを強奪して悪党人気もうなぎのぼりだった。
国際もまだ全体的な人気としては末期ほどの落ち込みは無かったが、さすがに相手が悪いな。。w 吉原さんってTV局の干渉を必要以上に嫌ったのと同様に
営業とか宣伝にも無頓着というか
いつもの大口の客やタニマチ筋に切符売って
あとは各地の委託先に置かせてもらえば万事オッケー!なかんじだよな
“あの”ガニアが登場!“あの”バションが!“あの”B・グラハムが!っていっても
一般のお客さんは“あの”の部分をそもそもよく知らないだろっていう
「高い金かけてAWAから大物呼んで彼らに小林や井上や木村がベルト賭けて挑む」
って言われても禿げて老け顔の田舎のおじさん風の“帝王”やら
禿&髭の小柄な飯場の親方みたいなのやサイケ柄にバンダナ&デカサンのマッチョマンって
情報少なくてよく知らない一般客からするとどう思い入れていいか困るだろうっていう >>277
鶴田は日テレとの独占契約があってスポーツ報道扱いの数分しか12chは放映できない
ので支度部屋から皆で中継を見てる風の映像にして放映時間を水増して流すしかなかった
苦肉策だった。 >>284
ガニアvs.ロビンソンの試合も突然決まりなおかつ試合前の二週間は特別番組が入り
12chはプロレスを放映できず番組内で告知もできなかった・・・ >>284
その辺の「華のなさ」をカバーすべく、金網やチェーンデスマッチ等の敢行、
グラハムなんかは入場テーマやベンチプレスマッチとかで場の盛り上げに注力した。
名古屋でのブルクラとの金網戦では八千人以上の観衆で、前週に同地で行われた日プロの
興行を遥かにしのぐ実績もあった。ただ、結局としては幾多のアイデアを投入するも
メンツや団体自体の地味なイメージは払拭しきれず、人気を高めるには至らなかったな。 >>287
名古屋のIWA世界タッグ戦はブルクラが日本の金網ルールを知らなくて
暴動騒動になったけど、レフェリーの阿部修(前溝か?)は試合前に
教えてたのかなー
大損害したと聞いたからブックじゃないと思うんだけど‥ >>288
次回の名古屋大会の際、この日の半券を持ってきたら無料で入場できるってことにして納得させたんじゃなかったか? どうだろうねえ。完全決着に持っていくとIWA は移動してしまいその後のアングルも
組んでいかないとダメだし、頃合いのいい時間でノーコンテストで裁くのがベターなんだろうけどなw たけしプロジェクト暴動のような?意図しない展開だったとしたらあれは不味い試合だな。 >>284
特に3団体時代になると余程スケジーュル調整しない限り新日・全日に客を
持っていかれるし、放送もテレ東ローカルだと首都圏の後楽園ホール位は
埋まるけど、地方の大会は営業大変だろうな‥
ネームバリューで来る客はゴングやプロレス誌を購読するプロレスファン
だけど、他をどうやって捌くか
でも大物外国人レスラー揃えても、華のある日本人スーパースターがいないと
勝負にならないか
馬場と猪木には華があり因縁がありライバル関係があり知名度は全国区
金払って見るなら、だな。 アニメ『巨人の星』には実在の王や長嶋や川上監督が描かれて、当時の巨人軍
人気は現代と比べても遥かに凄かった。
『タイガーマスク』にも馬場・猪木等が描かれて、日本プロレスも隆盛を
誇っていた。
アニメでもバカに出来ない。
チビッコファンを確実に取り込んでいるんだから。
梶原一騎に頼み込んで、国際レスラーを出してみれば良かった気がする >>292
×長嶋
○長島な!
長島茂雄は、巨人現役中は
「長島」だったよ! 東京ローカルって言っても東京12チャンネルで国際アワーの前に放送されていた女子プロは全国15チャンネルに売り込んで放送されていた
対して国際アワーは売り込んでもそこまで売れなかった
買ってくれなかったのは国際プロレスのレスラーが出演してる番組として魅力が無かったから >>291
上に出てるブルクラとかはそれでもやっぱり客呼べてるんだよね
それは日プロでBI相手に大暴れしてたあのおっかないブルクラだから
国際の功績は欧州や当時のAWA、カルガリーや末期の中西部といった
日本に縁の薄かった地区の未知の外国人を初来日させたことってのはあるけど
それもようはエリックやデ゙ストやシークやサンマルチノといった
日本でもすでに人気あったり名前の知られた大物外国人を呼べなかったってことだよねえ ところでスマンが、ストロング小林とラッシャー木村のコンビでタッグ王座戴冠ってあったっけ?
初期の国際には欧州系のお手盛り?王座が多数あったはずだが、その辺知識が薄いので。。w
でも無いような気がするんだが、小林&木村って普段のカードでも組んでいなかったんじゃないかなと。。 IWAタッグ王者にはなってないけど、小林がエース時代はある。
73年の両者のタイトルマッチ以降はないと思うけど? ↑↑
王者にはなってないけどタッグを組んだ事はあるという意味ね。 >>270
今となってはすべてが想像でしかないけれど
草津が小林を苛めていたのって、そっちの方の事
(ゲイ云々)も関係あったりしたんだろうか 草津のことを同好の士()だと思ってモーションかけたら草津激怒、なんてことがあったのかも? >>288
正確にはブルクラが保持するWWA世界タッグへの挑戦試合
しかし実際この時点では無冠だったらしくベルトも持ってきていない
同じケースが力道山が挑戦した時のデストロイヤーのWWA王座
>>289
実際この次にブルクラが名古屋にやってきたのは三年以上後の全日本の興行で馬場&鶴田のインタータッグへの挑戦試合 杉山が国際を辞めたのも草津の確執だったって話もある
井上も草津に陰口言われたらしいけど、井上は草津本人にお前ふざけた事ふかすなって言ったら黙ってしまったらしい
草津は刃向かって来ない者には強く出る 井上の時は共にタッグ王者だった時かな
あるいはそれで従順な浜口に後退させられたとか 上田と斎藤のコンビといえばヒトがレフリーやっていたのに阿部四郎ばりに狼軍団に有利に
レフリングすると思いきや真面目に公平なレフリングやっていったな。 >>280
そして全日本は武道館でチャンカー決勝戦 まあそもそも日本の至宝・「インターナショナル王座」
からしてベルトどころか認定団体さえ存在しない
「空気タイトル」だったわけだからなあ 力道山時代は完全に日本に持ってこれないNWAやWWAの代替王座
末期ではむしろアジアタッグの方がタイトル戦線の中心になっていた
インターが本当の意味での日本の至宝になったのはやはり全盛期の馬場時代 >>303
遠藤レフェリーも腕相撲で完勝して草津を黙らせたらしいw >>307
インターナショナルのベルトはNWAがルー・テーズの功績を認めてテーズ
個人に贈与されたプライベートベルト
だからロサンゼルスで力道山が世界王座奪取したと日本では報道されたけど
個人の所有物を貰っただけ
力道山の死後NWAに加盟した日本プロレスはベルトを復活させ至宝にすべく
タイトル化して認定してもらった。
…そう理解してるけど、じゃなかった? >>310
ちと違う。
力道山はルー・テーズに勝ってインター王者になったが、
テーズが「インター王者という称号は渡すが、ベルトは個人の所有物」とベルトを渡さなかったため、
力道山がアキバ徽章?でテーズベルトに似たベルトを作ったが、微妙なベルトが出来てしまい封印状態となった。
http://www.showapuroresu.com/belt/jwp/index.htm
https://www.daily.co.jp/ring/2013/11/08/p1_0006480371.shtml
多分ここ http://akibakisyo.co.jp ↑↑
ごめん、ごめん
勉強不足で自爆してしまったww
wikiに1958年にテーズを初代王者に認定とあるわ
しかもテーズvs力道山のノンタイトルマッチだとさ… NWAインターナショナルつうとジュニアがあるが、これも出自はいろいろ物議があって
レロイマクガークがNWAジュニアを私物化し、反発したエディグラハム(反主流)が
独自にロンスターや息子のマイクを王者に仕立て新日へ移動、さらにチャボを介し全日のタイトルへ。
で、当初はだから反主流の王座?で、ベルトデザインも新日ジュニア系譜のデザインだったが
全日時代は馬場インター風の(まあ主流派だ)デザインに変わった、皮肉な運命の王座である。。
スレチですまんw スレ被りでごっちゃになったねw
何が正解か分からないよ NWAヘビー級ベルトで好きなのは、
ルー・テーズタイプ(カーペンティアにパクられた王冠付き)
ドリー・ファンクJr.タイプ
どちらもクラシカルなデザインがいい。
お馴染みのブリスコタイプはあまり好きじゃないなー
ジュニアヘビー級では、
ダニー・ホッジタイプかケン・マンテルタイプがお気に入り >>315
お、マンテルタイプがいいだなんて同好の士だな。
ヘビーだがブリスコタイプより馬場タイプがいい。
テーズタイプはもちろん最高だが、ドリータイプはサイドの鏡がUNみたいなのが惜しい。もちろんUNが真似たんだけど。 >>316
ヘビー級ブリスコタイプは馬場やレイス(2回目以降)と同じだよ。
ベルトの台座は赤から黒に換わったけど。 ベルトデザインの好みは各種各様だな。
俺はバックランドのWWFや木村のIWAのようなきらびやかな意匠のがいい。
国際だとあとWWUジュニア。元をたどれば初代IWAと同型だが、表面がきれいにメッキ?加工されて洗練された。
両サイドのバックルもチェーンで繋いだ飾りがあって凝った造りだ。 >>317
違うんだ。
横バックルの配置とか違うし、地球の「NWA」の位置や、文字が黒抜きから白抜きに変わったりしている。そのせいでちょっと品がなくなっているんだね。 >>316
73年のレイスvsブリスコ戦で試合前、新ベルト(馬場が巻いたやつ)がレイスに贈呈(それまではドリータイプ)される。
試合はブリスコが勝ち第48代NWA世界ヘビー級王者になり赤い台座のベルトを
巻く
防衛ロードの中でベルト盗難発生!(ボロボロになった説もある)
旧ベルトを1次的に使用
台座が新しく黒になり、鹿児島で馬場に敗れる。 アドリアン・アドニスも地球が平べったいNWAベルトしてなかった? >>307
テーズが1958年頃、テキサスでP・ゴメッツやF・Vエリックを相手に
インターナショナル王座の防衛をしていたという記録がある。
これは、要するに「テキサスのローカル王座」。
当時、テキサス州(プロモーターはBシゲールだったかな)も
NWAに加盟していたから「世界王者」は名乗れない。
各州の王者は「○○洲王者」か、せいぜいUS王者、北米王者だ。
元世界王者のテーズが、いまさらテキサス州王者ではオカシイから、
権威のありそうなインターナショナル王者としたんだろ。
そしてベルトはテーズが持っていたNWAベルトのレプリカ。
やがてテキサスでの仕事が終わり、インター王座も宙に浮いた時、
日本の力道山が「世界タイトル」を欲しい、と言ってきたので
名称だけ使用を認めたんだろ?(ベルトは私物だから渡さない)
ちなみに、その後も(’70年代)、テキサスではインターナショナル王座が
復活している(カリプソ・ハリケーンとか)
で、1965年に復活したインターはWWA認定。
68年に、ボボ・ブラジルが来日した時
「俺はWWA世界王者!G・馬場は(格下の)WWAインター王者」と
挑発したとか。 >>316
正確に言えばマンテルタイプはロイヤルの末期に紛失されているらしい
よってソントン以降はそのレプリカで明らかに光沢も劣る >>322
カーペンティアがテーズから奪いその後ロスのWWA初代ベルトに使用されるは
バックル上部の王冠が無いからレプリカだよね?
力道山がテーズの承諾受けてコピーベルト制作したのもブラッシーやデストの
WWA初代タイプだよね?(PWF争奪ベルト)
高田がUインターで巻いたのは百田家から馬場に贈呈されたのとは別物の筈で
(王冠付いてたっけ?)
テーズは一体何本のレプリカ造ったんだ? >>324
>バックル上部の王冠が無いからレプリカ
あの王冠は、取り外しが出来たらしい。
無いからレプリカというわけでもなさそう。 テーズを倒したハットンが巻いていたのは別物だったからテーズタイプは私有化が許されてたんだろうな
そしてハットンの後のオコーナーから最初のレイスまで使われたベルトが登場 テーズのベルトも最後は国際のマットで争奪戦なんだが、あのベルトも結局はレプリカのうちの
一本なのかな? まあそれにしてもテーズってレイスを超える「ミスタープロレス」を自他ともに
認める存在だが、この人も一皮はがせば色々でてくる人間性のような。。w オープン選手権で国際勢は誰もレイスとはやってなかったんだな 王冠があるテーズベルトとないテーズベルトは、ジニアスのブログで読んだ記憶あり。 AWA提携時は元タッグパートナーのへニングがエースでボブウィンダム(マリガン)との
コンビでタッグ王座に就くなどの活躍もあったが、レイスはすでにNWA圏に転戦していたしな。 テーズで言うと68年の隅田川決戦でグレート草津が挑戦してバックドロップ
失神KO喰らったTWWA世界ベルトもカッコ良かった。
その後のIWA小林ベルトやUNベルトもこれを参考にしたのか似てる。 TWWAヘビーのベルトはサンマルチノが巻いていたWWWFヘビーのベルトを参考にデザインした ああ確かに
そして国際のIWA王座は12チャンネルの放送開始と共に最後のモデルチェンジを 国際が無くなった後、ベルトはどうなったのかな
この団体に関する話は何につけ物悲しいな >>335
木村が巻いていたIWA世界ヘビーは吉原社長の親族の許可を得て鶴見が復活させて王者を名乗った。
ロビンソンのIWA世界ヘビーはIWAミッドヘビー、原のWWU世界ジュニアヘビーで使い回され、
鶴見の国際でIWAミッドヘビーとして復活し、ウルトラマン・ロビンが巻いた。
http://blog.livedoor.jp/norarinhouse/archives/1608765.html >>336
初代IWAヘビー級のベルトはロビンソンがそのまま持っていた
WWUJr.のベルトは初代IWAヘビー級並びにタッグのベルトのデザインを元に新しく作られた IWAのロビンソンベルト(横長地球)や木村ベルト(鷲とオヤジ)はあるのに
小林ベルト(一部が赤)は見ないね。 >>48
当時の子どもが「試合がしょっぱい」なんて比喩使わないよ >>339
個人的にはIWAでは小林タイプ(?)が一番好きだ。 >>337
原を潰した℃詩としては対剛竜馬の方がやり玉に挙げられるが
実際は藤波戦の方が原にとっては辛かったみたいだな
藤波は晩年「名勝負製造機」みたいな高評価受けてるけど
全日と国際のレスラーが新日の独りよがりなレスリングを否定しているように
藤波も例にもれず他団体のレスラー潰しに長けた存在だったようだ >>343
あの試合前半は阿修羅の方が“殺る”気に充ちていただろうが
序盤の妙な当たりの強さといい
自分の太股で相手の頭をホールドせずに落とす危険なツームストン・ドライバーを唐突に繰り出したりしてさ
なのに藤波がビビらなかったからなのか
拙速な攻めでスタミナが切れてしまったからなのかまでは分からないけど
後半は明らかに藤波に気圧されてズルズルと後手に回っていた
フィニッシュの三角絞めは予定されていたブックとは違ったんだろうけど
あの程度で「矛を納めた」のはむしろ藤波の優しさ故だよ 木村のIWAベルトはマスカラスのIWAと製作者が同じらしいけど、全体として精巧なのに中央のレスラー像だけがやけに不細工。 >>341
その画像はWWUJr.のベルトを鶴見の国際プロモーションがIWAミッドヘビーとして復活させた際にWWUの上にIWAと張り付けた後の
国際プロレスアワーの田中Pの話でWWUのベルトは番組から業者に発注したって記事もある
IWAヘビーのベルトとWWUJr.のベルトを比較するとバックルの楕円の地球儀自体大きさが違う WWUジュニアを阿修羅に奪われたミレ・ツルノって線の細いレスラーの印象
あるけど、新日のザック・セイバーみたいなレスラーだったな? WWUジュニア王座、原が凱旋した79年春以降ににわかに浮上した王座で、当時の自分も新興団体であろう程度の認識だった。
で丁度新日にローランドボックが初来日の噂が立ち、こちらはWWUのヘビー級王者であることも紹介され、
まあ、結局まやかしつうかお手盛り王座なんだが、メディアもこぞって欧州プロレスへの注目を誘う一手として
「WWU」というキーワードを盛んに唱えてたような記憶があるな。。w 木村って本当にスカイダイバーで入場してたんだな。昔関西ローカルで、ケロと河内家菊水丸のラジオ番組があってそこで流れたことがあり
「これは木村さんのイメージちゃうでしょ」
「会場では流れなかったんじゃないですか?」
という流れになったんだが、実際に使われてたんだな
https://youtu.be/POKm7BswrgE >>349
阿修羅のテーマソングもマッチョドラゴン並みに笑ったけど、
あのセンス(オリジナル)は誰が考えたのかねw >>347
猪木が欧州遠征の時に褒めてたレスラーの一人
体重制の欧州マットの中重量級クラスの強豪で
キャッチレスリングだから本来グラウンドになったら
いったん動きが止まる癖が日本でも抜けなかった人
でもグラウンドの技術自体はあの時代の欧州マットではトップクラスだった 鶴田のチャイニーズ・カンフーやローリング・ドリーマーも
ウッハァ、ウハッの掛け声がダサイ
なかったらカッコいいな。 >>350
センスといえば、覆面太郎、大剛鉄之助、稲妻次郎、黒潮太郎、鶴見五郎など古風な名前を付けるのに、
人気が出そうな選手にはグレート、サンダー、ストロング、ラッシャー、マイティ、アニマル、デビル、マッハと横文字はセンスがよかった。
井上「デビュー時は井上円蔵だったがマイティになる直前に短期間『井上トンパチ』でやらされた」 なんと言っても、親日参戦時
ローラン・ボックにラッシャー木村が2分で負けたのはがっかりした。
もちろんノーテレビだったが、雑誌の試合結果で確認できた。 井上トンパチや死神酋長とかって今でもキラキラネームのセンスだよ >>357
キラー・カーンにもフォール負けしているから正直ストロング姐さんみたいな扱いになるのかと
思っていたけど、国際軍団がヒール集団として再生するとは意外だったな。 >>363
>>キラー・カーンにもフォール負けして
国際勢の新日参戦4シリーズ目の82MSGシリーズの木村
猪木、坂口、藤波、マードックとは引き分けだが、カーンとMスーパースターにはフォール負け
この頃からピラミッド型のマッチメイクが崩れ出した >>364
死神酋長はチャンピオン太で知られたので、そのまま猪木のリングネームにする予定だったが
猪木が泣いて拒絶したのでボツになったw >>356
デビル紫やマッハ隼人あたりは選手の名前(姓)を使っていないから、考えてみればかなり凝った名前だね
なぜかわからないけど一時期に比べると横文字+漢字のリングネームは減った。レスラーはまだみかけるけど
ボクサーはほとんどみかけなくなったな。 マッハ隼人なんて当時の感覚からしたらかなりハイカラな名前 マッハはマッハ文朱のイメージがまだあったからなんでマッハなんて付けるんだ?って思ってた 全日本女子プロのオーナー兄弟は3ヶ月毎車を買い換えるマニアだった
そこでマッハ文朱(ムスタングマッハ1)、ジャガー横田(ジャガー)誕生
マイティ井上はフジテレビ放映だけど特撮番組「マイティジャック」と
関係あるのかないのかなーとずっと思ってる。 ラッシャーを名乗ったレスラーって
木村以外いないのでは?
意味不明な言葉に思える。 マッハと言えば当時なら俺はマッハGOGOのイメージかな?
今、マッハって言葉聞いたらカワサキのバイクが先ず出てくるw
>>365 第5回MSG、主役はアンドレ、猪木、カーンでそれ以外のメンツは殆どTVマッチで露出も無く、
リーグ戦以外はタイガーマスクのごり押し中継だったような。。マードック、Mスーパー、アトラス、それと
ラッシャーや坂口、戸口ら2番手格も充実してたのに勿体なかったな。 >>372
幼心にラッシャーってピンとこなかったわ
クラッシャーとかならともかく、ラッシャー?って感じで
ラッシュ←これだと気付くまでに時間かかったわ 芸名ラッシャーであと知ってるのは板前、みよしぐらいだな >>372
日本人レスラーは無論。
外人でも思いつかないね。
ストロング、マイティ、グレート、
アニマルはいるのに。
元々、「Rusher]という言葉自体に
強い、とかレスラーとして良い意味が
無いのでは? ラッシャーってラグビーでは前衛って意味だからなあ
さしずめ切り込み隊長的なニュアンスかな? ラッシャーよりはクラッシャーの方がわかりやすいし、何より言いやすい。 ボクサーでロイヤル小林はいいと思ったが、ピストン堀口は微妙だなw
木村は動物が好きだからラッシー木村でもよかったかも。 >>343>>344
剛は小鉄からかなり厳しく注意された。
キャリアの浅い原をリードして相手を立てて試合を作るつもりがラフを仕掛けられた
流血しキレた藤波は大人げない拷問技で粉砕してしまった。
最近もインタビューでもこの事を指摘されると苦笑いしていたw
>>346
田中Pによると「知りあいのトロフィー屋に頼んで50万の所を30万に負けてもらった。」
と話していた。テーマ曲、コスチュームまで局で作り「国プロに救世主」としての力に
入れようがわかる。
>>371
アメコミの「マイティマウス」からではなかったかな? 木村のUWF参加だけはどう考えても納得出来なかったな
なんで前田に付いていったんやろ??? ラッシャー、国鉄というか鉄道との関連を考えてもいいのじゃなかろうか。 >>383
「前田についていく」っていう感覚じゃないでしよ。新間が「あとから猪木が合流する」とか木村がなびきそうな事を言ったから信じて動いた。まさかあんな団体になって、旗揚げから半年もしないうちに居場所がなくなって辞める事になるなんて。気の毒すぎたよ。 >>383
第1次UWF企画書では団体のエースとして参戦予定だった。
それはフジかTBSが中継をする計画があり、最初は猪木の参加も新間発表では
あったが猪木がテレ朝(新日)を離れられなくなり、猪木との抗争での全国的
ネームバリューがあるのはラッシャー木村だったから
しかしテレビ局との交渉は頓挫し、将来性やマスクをかわれ前田をエースに
据えた。
木村にすればUWFの格闘スタイルに対応する技術は蹴り以外は十分あったが
興味がなかった。 木村て入門は日プロやったか、それとも豊登の東京プロレスやったんか? 日プロ→東京プロレス→国際プロレス→新日→UWF→全日
馬場と組んで最強タッグ出場することを発表する時に
「初めて自分の意思で団体を選びました」と言っていた >>389
愛知大会で馬場を裏切った時に「プロレス人生の中で初めて自分の意思で
行動を起こしました」でなかった? >>383
当時の週プロには
「東京プロレス時代、俺たちの明日の米代を身銭を切って心配してくれたのは新間夫妻だった。
この人ともう1度一緒に苦労してもいいと思った。」と参加を快諾した。
とある 新間はビジネスで関わる分にはかなりのくせ者である反面、義理人情に厚いところもあるからな。 >>392
「体が小さすぎる」という理由でクビになりそうだった浜田に助け船を出して
メキシコに遠征させたって話があったな >>393
> 「体が小さすぎる」という理由でクビになりそうだった浜田
急性盲腸炎で浜田が練習に出られないとき山本小鉄にしこたま怒られた
それで新間に頼んでメキシコに行かせてもらった
旗揚げ時UWFに参加した理由について
「新間さんに頼まれたからだ。昔会社の人間と揉めたとき新間さんが間に入って収めてくれた。
新間さんがいなかったら俺はプロレスを辞めていた。」 小鉄は「腹が痛いだと? 練習すれば治る!」とか
むちゃくちゃ言って盲腸悪化させたんだっけ 実家が寺だから慈悲の心がどこかにあったんだろうな。。w >新間 >>394
それは違う話。
地方でバトルをやっていてプロモーターから優勝金が出て、かなりの額になったが、小鉄が全部使ってしまい、
若手から「浜田さん、小鉄さんに言ってください」と言われ、浜田が小鉄に言ったら小鉄が逆ギレしてクビになりそうになった。
それで新間が浜田をメキシコへ逃した。 >>385
クビになった原因が剛竜馬の巻き添えだってんだから気の毒すぎる
全日に一緒に移籍させてやるなんてお人好しが過ぎるよ 井上は国際崩壊の時、馬場に「全日に米村や菅原、冬木も連れて行っていいですか」
と聞いたが、あの時の木村も馬場に「剛を連れて行っていいですか」と聞いたのかな? >>400
流石に木村もそこまでお人好しでは無いだろうw そういや剛が全日に来なかったら、菅原は解雇されることなかったかもしれないな。 >>402
ちょうど短期間の欧州武者修行から帰国して「ルックスがいいだけに、人気も急上昇しそうだ」
って週プロに書かれたのに国際血盟軍じゃどうしようもないよな〜 でも、全日の中で剛をどんなポジションで使えばよかったのか?
と訊かれたら何とも難しい気がするね。
結局は国際血盟軍なのも仕方ないかなあ、とも思う。 >>404
無理矢理ついて来てしまったわけだしね、積極的に使いたいなんて思うわけがない。 時期がおかしいかもしれないが
全日の鶴田、新日の藤浪、国際の八木(剛)と並べて持ち上げられてたよ。 >>406
剛竜馬は攻撃する時にアゴが上がるから、いじめられっ子が泣きながら
試合してるみたいなイメージだった 猪木が日プロを追放になった時、TBSから猪木を獲得しろって進言されたらしいね
吉原社長が猪木を入れる気は無いってTBSに返答
TBSからそれならこれからの関係を考えないといけませんねと返ってきた
それでもその時点では吉原社長は中継を打ち切られるとは思ってなかったみたい >>409
猪木とは東京プロレスとの合同興行時にゴタゴタがあったからな 当時の猪木はすでに取り巻きみたいなのが周りにゴロゴロいたから
吉原は勿論、TBSの言う事も聞きそうになかった感じだったんだがな >>408
鶴田や天龍と当たらせるには、やはり不足って感じだなあ剛は。
あまり面白い試合にもならなさそうだし。 >>413
札幌、仙台、秋田あたりのテレビマッチで鶴田が剛を軽くやっつけて
倉持「あの藤波辰巳からWWFジュニアヘビー級王座を獲得した剛竜馬も鶴田には手も足も出ません」
竹内、山田、田鶴浜が何と言うか? 一時的とは言え 新日も剛なんぞによく道場主をやらせたもんだ >>414
竹内「こうなる事は予想されてたんですけどね〜。僅か3分ですよ」
山田「しかも鶴田君のジャンピングニー一発でノッククアウトですからね〜」
田鶴浜「失神してますよ、失神してる…」
倉持「やっぱり鶴田は強い。藤波選手とは格が違いますね〜
あーまだ起き上がれませんね〜(笑)」
田鶴浜「失神してますよ、失神してます(汗)
こりゃ〜心臓が停まってるかも知れませんよ」
山田「あ〜今起き上がりましたね」
田鶴浜「ローリングして、ローリングが…」
竹内「鶴田選手が握手を求めていますね〜
これがやっぱりエースですよね〜」
山田「剛君も上には上があると痛感したんじゃないでしょうかね〜」
田鶴浜「ローリングが…」
倉持「あ〜とぉ〜。鶴見ですよ〜鶴見が来ました‥」 >>417
田鶴浜さんワロたw
本当にいいそうたな >>419
田鶴浜爺の「ローリング」わかる人には分かるw ひょっとしたら、馬場は剛を鶴田や天龍のかませみたいに使おうと思ったけど
剛がそのマッチメイクを嫌がったので人員整理の対象になったとか? >>421
全日に来た時の剛にそんな価値ないだろ、新日が国際から引き抜いた頃ならわかるが。 鶴見は最強タッグにエントリーされたから、馬場も評価してたのかな? >>423>>424
鶴見自身が「ギャラも良かったし大物外人と組んで試合に出場できたり待遇も含めて
全日時代が一番だった!」と話しているから馬場の評価も高かったはず?
長州軍団が来てから待遇が悪くなったらしい。 独立愚連隊は外国人レスラーの役廻りを日本人にさせて経費を抑えるために
吉原社長が考えたアングルだってね。 >>409
テレビ局なめてるって点では馬場をNETに出した日プロ幹部といい勝負だな
吉原も日プロ幹部だけど >>424
80年代中頃までは出場チーム数少なかったからエントリーされること自体が評価の証だね
鶴見は意外と身体大きいし使い勝手が良かったんだろうな >>426
鶴見が考えたんだけど吉原と草津がまったく活かしてくれなかったんじゃなかったっけ? >>426
国際プロレスアワーの田中プロデューサーの発案
田中プロデューサーの考えだと徐々に凶暴化させて、タイガー・ジェット・シン的なヒールにする考えだった 84年の最強タッグ。ワンマン・ギャングと組むはずだったバズ・ソイヤーが来れなくなって、タイガーマスクの相手として呼ばれていたピラタ・モルガンをあてがったけど、力不足につき途中から鶴見がギャングのパートナーになった。 >>431
前年ザ・モンゴリアンと組んで参加したのが評価されたのかな? >>430
鶴見じゃ対立構図にならないだろ。
せめて井上を中心に浜口か原でないと。
木村、草津、原、寺西、稲妻vs井上、浜口、鶴見、大位山で
いずれ原が裏切って井上軍入りとか。 >>409
猪木があのまま国際に行ってたら
ワールドシリーズでジョナサン、ロシモフ破って優勝。秋にはロビンソン戦が見られたわけか。 プロモーターの立場で考えれば前座からメインまでどの位置でも使えて
きちんと仕事ができて負け役をやってもらえる鶴見は使いやすい
外人扱いの1ウィーク○○ドルだったんで貰ってた金額は
他の中堅レスラーより良かったらしいね 鶴見を悪役にして、外国人代わりにしてギャラを節約は吉原社長のアイデア。
しかしその売り出し時期にマッチメイカーの草津が、中堅以下の稲妻と抗争させて、
しかも鶴見が敗れて丸坊主になるなんてアホなブックを作ってしまった。
その後は大位山も再引退し、独立愚連隊は一度もメインで使われずに消滅。 田中Pの案で、鶴見売り出しに成功してれば首都圏ではファンが大挙、国際に詰めかけたのは確実
全日、新日本は真っ青だったな
12チャンネルの見れない地方興行でもブッチャー、シンに殺到した素人ニワカファンが鶴見見たさに超満員
国際は当面、安泰
新間あたりが、早速、引き抜きにかかったのは確実だった >>436
田中氏の案では鶴見をブッチャーばりの
大悪党にさせる案だったらしい
けどそれはちょっと無理がある。
ハイスペックなプロレス職人である事は認めるけどトップに据えるタマじゃない。
軍団の3番手の特攻専門の切り込み隊長
が一番適役。
シン、上田と組んでいる時が一番
良さが出ていた。 >>438
74年に凱旋する予定だった大剛鉄之助が不運な事故に合わなかったら
愚連隊のようなアングルは成功しただろうね。
あの風貌で“小さな大悪党”の異名を持っていたからピッタリだと思う。 田中Pの「鶴見悪役化」と「寺西にもっと光を」は厳しい予算の中でいい発想だと感じる
けど視聴率や観客動員はあまり動かなそう 田中P側が鶴見を「ブッチャー的な徹底したヒール」にしたいと
言っていたのは、「ブッチャーのような外人勢の親玉、ラスボス格』
という意味じゃなく、「日本陣営といったり来たりの中途半端な立場
ではない、常に日本陣営と敵対する側にいる常駐ヒールの日本人」
にキャラクターを固定する、という意味だと思う
例えばラフ&パワーファイト主体でちょっと悪っぽいムードの日本人、
という程度のキャラではなく、フォークや刃物などの凶器を平気で使う
残虐ファイトを常とするヒールの日本人を国際に置きたかったんだろう
当時は前年末に新日で「狼軍団」が出来たくらいで、上田馬之助以外に
本格的な日本人ヒールは定着していなかった時代だから
それに対して正直爺さん的なまっすぐなスタイルで戦い、血まみれに
されても立ち向かい観客の歓声を受けて戦うキャラとして稲妻二郎を
抜擢し、この組み合わせを前座中堅、テレビ中継第一試合の呼び物に
したい、という意向だったんだろう
当時の新日は前田や高野を藤原がしごく道場マッチ風、荒川や永源の
コント風、浜田や佐山のメキシコ風、と前座にバラエティに富んだ
スタイルが混在していて、それが団体としての味の厚みになっていたし それなら鶴見を、あっと驚く為五郎キャラのベビーにした方がいい
石立鉄男あたりをマネジャーにしてエースにする
木村、草津、珍をヒール極悪同盟にして抗争する 田中メモによると
・11月1日にスタートするシリーズの放送3週目(19日)から
試合が乱暴すぎる鶴見が日本陣営から浮き上がる
・徐々に日本人側と距離を置き、外人サイドに接近する
・シリーズ最終戦(12月5日)頃に日本勢と決定的に決裂、
一匹狼として大きな存在になったことをアピールする
という方針を吉原と取り決めていたにもかかわらず、
シリーズが始まってみると
・11月3日にいきなり鶴見の造反が演じられる
・7日に鶴見と稲妻を敗者髪切りマッチで戦わせると発表
というストーリーが吉原社長の一存で進められていて、
慌てた田中Pが妥協案として
・11月7日は通常のシングルで戦わせ、上田が乱入して鶴見と
悪の結束をアピール、シリーズを通してヒールとして暴れる
・12月4日の後楽園ホールで結着戦を行う
という合意に持ち込んだが、結局吉原社長の土壇場の裏切り
的ななし崩しで、11月7日に何の脈絡もない鶴見と稲妻の
髪切りマッチが強行され、専門誌にも失笑されてしまった
という流れだったらしい
なんとか団体としての色、シリーズや年間通しての流れを作りたい
テレビ側と、しぶしぶ要求は受け入れるけれどレスラーでもない
人間に指図されるのが嫌で、マッチメーカーの草津や現場の
レスラーたちに届くころにはストーリーはうやむやになっている、
という混乱が透けて見える
うやむやになっている 所用か何かで会場入りが遅れた鶴見が試合を組まれてなくて(連絡済みらしい)
ギャラも出ないから怒って吉原に噛みついたら稲妻に止められ殴り合いに…
決着戦は終始盛上りに欠け、敗れた鶴見が皆に取り抑えられ丸坊主に。
試合後フリーを宣言し独立愚連隊を名乗る。
こんな流れだったよね >>443
石立鉄男なんて呼べるわけないだろ、当時は超売れっ子の視聴率男だったんだから。 ミスター珍に愚連隊のマネージャーやらせてたけど、阿部四郎ばりの悪党レフェリーやらせれば鶴見の試合ももう少し盛り上がったかも 遅刻とかストーリーがセコすぎる。
やはり西尾を使って井上を有名にして、西尾が鶴見と浮気して井上激怒の方が
インパクトあってワイドショーでもイケたはず。
ガラパンレスラーの妻西尾三枝子がゴキブリレスラーと浮気!! 吉原代表も元レスラーなんだからマクマホンみたいに身体を張れば
ストーリーできたのに。
鶴見に向かって「You are fired!」 田中メモの概要は>>444の通り
そして実際の展開はだいたい>>445の通り
つまり、造反のきっかけが吉原により鶴見の遅刻をめぐる揉め事に矮小されてしまったということ
この結果何が起ったか?
月刊プロレスでは国際にしては豪華な顔ぶれが揃ったこのシリーズの開幕1週間ほどを7〜8ページのモノクログラビアで特集した
しかし、鶴見の造反劇についてはまったくふれなかった
なぜか?
それはグラビアなどで取り上げるべきではない内輪のトラブルだと勘違いしちゃったからw 田中Pの胸の内には、ヤス・フジイと独立愚連隊+ビジターのヒール(馬之助やサンダー杉山)で、
日本人同士の抗争劇みたいなのを、1979年の時点で考えていたのではないか?なんてね? >>453
ヤス・フジイ懐かしい‥
シャチ横内とか清美川(猪木vs小林のレフェリー)田中忠治とかいたなー フジイの国際逆上陸は1シリーズだけだったが、マシン3号として新日にも使ってもらえたな。 鶴見を極悪ヒールにするって、今なら矢野を極悪ヒールにするくらい無理だろ 経費削減には大位山との独立愚連隊が良かったろうけど
フリーだった杉山、新日派遣の小林、剛組ませて反国際同盟みたいのの方が盛り上がったかもね
でも鶴見が負け役で小悪党には変わりは無いだろうけれど >>457
マネージャーは将軍“KY”若松で
それか藤原の札幌テロのような事が出来ないかな?
実力はあるが燻っている鶴見にはピッタリの気がする。
(長州襲撃は84年だからこのアングルは使える) 鶴見はどうにもユーモラスな雰囲気があって
極悪キャラは無理があるよな、やはり 昔鶴見がNHKのクローズアップ現代に出演したの
見てて、話しが理路整然としていて判りやすく、この
人頭がいいんだなあと思ったわ。 >>459
鶴見の理想はきっとテクニシャンすぎて観客のヒートを買うレスリングヒールなんだろうな
そこにおかず的にチョークとかかきむしりとか小ズルいムーヴを散りばめる、みたいな感じの
極悪じゃあないな >>463
なんか分かるわ。嫌らしいカンジのヒール。パンツから取り出すチェーンも小さめだったしな。 国際が潰れたのは吉原のやる気の無さが一番の原因だったんじゃないか
という気がしてきた。 限界まで引っ張ったからやる気はあった
ただ自分のところのレスラーの価値を上げるって意識が希薄
他団体が関わらなくても草津KO負けだの
ロシモフ、ロビンソン、ゴッチの三人で優勝争いだの
何がしたかったのか分からん >>466
> ただ自分のところのレスラーの価値を上げるって意識が希薄
なるほど。
対抗戦で負けブック飲み過ぎだし、鶴見、大位山、剛等若手の売り出しもしないしな。
納得した。 >>463
フレアー、アーン・アンダーソン、タリー・ブランチャードの4ホースメン
天龍戦でのサベージ、リック・ルードみたいなタイプか? >>465
吉原氏がやりたかったプロレスは
旗揚げから1年しないうちに頓挫してるからなあ >>468
そういう人たちから「華」の要素を抜き取った感じかねえ 吉原は草津の言いなりで独立愚連隊を盛り立てようとしなかった
馬場は血盟軍に押し込めた挙句、ファミリー軍団で飼い殺しにしようとした
かといって独立してインディー立ち上げても、100人集めるのがせいぜいだった鶴見
自分を認めようとしないボス二人の見る目が案外当たっていたりしたな >>471
エースになり損ねた草津が、何でそこまで大事に扱われたのか知りたい
吉原も草津と同じ思考回路があったのか… >>471
> 吉原は草津の言いなりで独立愚連隊を盛り立てようとしなかった
> 馬場は血盟軍に押し込めた挙句、ファミリー軍団で飼い殺しにしようとした
状況が違うものを一緒にしたらダメだろ。
血盟軍結成の時には長州擁するジャパンも来るし
ファミリー軍団の時は観客動員に困ってなかった。
常にジリ貧だった国際と比べても何の参考にもならん。 >>472
草津は国際にお金を出して自宅を担保に借りた金も国際に入れていた >>474
そこまでしてるんだったら、団体を盛り上げようとか
俺をエースにして目立たせろ、とか思って欲しかった。
草津の思考回路は確かに謎だ。 酒癖が悪い、いつも酔っていたなどの草津の悪評も
夜に地方を回って、時には筋の悪い連中相手に営業して
チケットを売っていたって側面があるから一概に軽蔑はできないんだよな・・・。
まあ今の世の中でそれをやろうとして社会問題起こした某モリシみたいなのもいるが。 >>465
崩壊した年の念頭には営業全員集めて
「もう社長は降りる。後任は草津」と
明言したらしいね。
しかし後任草津の件で営業の猛反対にあって
続けざるを得なかったらしいけど。
もうテーズ杯の時には中途半端に終わるのを
薄々感じながらやってたんだろうな。 トップから見ると、ナンバー2は下からの人望がないやつの方がいい。
寝首をかられることもないし、汚れ役もやらせられる。 >>478
それはトップに能力がある場合
トップに能力が無ければそれを補佐する意味で番頭格には能力と人望が求められる ドサ回りで国際来た時、愚連隊の鶴見見たな
なんであいつ外人側なの?が客の反応
12チャンネル見れない地方では、どんなアングル組んだってシリーズの前後脈絡がわからないまま見ることになるから無意味なんだよな
実質的なワンマッチ興行
隠れタイトルマッチの方が客は喜んだよ
アメリカのNWA みたいに毎日タイトルマッチ
東京に住んでいろんな団体見に行ける選択肢あったら鶴見が化けたところでまず国際選ばないよ >>478>>479
元子夫人と新間か?
新間はアリ戦後の責任を取って降格して債権回収で乗り込んできたテレ朝(進駐軍)
が来ても新日スタッフが「今まで通り本部長と呼ぼう!」と言う話があるから少しは
元子夫人よりは人望があるかも・・・ >>480
なるほどな。予備知識、ストーリーなしの、目の前の試合を楽しむわけだな。
そうすると、こんな興行がいいのかな?
前座で若手の試合
その後、珍、寺西、稲妻ら中堅が笑わせたり、ビシッとやったり。
トリプルメインでIWA世界タッグ選手権・草津、浜口vs外人
IWA世界ヘビー級選手権・ガラパン井上vsテクニシャン外人の技の試合。
最後が金網で力道山似の木村vs胡散臭い外人 >>480
> 東京に住んでいろんな団体見に行ける選択肢あったら鶴見が化けたところでまず国際選ばないよ
鶴見が化ける化けない関係なく見に行かないだけだろ。
それだったら12chが見れる地域だけだも入れば儲けものじゃないの。 プロレスアワーの「後楽園ホール大会、小中学生入場無料」ってのを信じて行ったら、
「パンフレット買わなきゃ入場できないよ」だもんな。あれじゃ二度と来なくなるよ。 >>484
キックボクシングはTBSの中継がある時は、パンフレット買わなくてても小中学生無料だった >>483
12chやってる地域だけでシリーズ組めば良かったかも? 外国人招聘ルートがAWAからカナダルートに変わって
マイナー感が増したな。
番組も30分枠に縮小だったし‥ >>487
> 番組も30分枠に縮小だったし‥
そんなことあったか?関東では土曜夜八時からの1時間から変わらなかったけど。 思えば国際が一番輝いていたのは、ストロング小林がエースの時かなー
IWA連続防衛、木村との日本人対決、欧州・AWAルートからの強豪来日、
草津とのIWAタッグ‥
あのまま猪木に挑まなければ、日本マットの歴史も随分と変わってた筈
あの一戦が日本マット界の転換期で、日プロが崩壊し老舗になった国際が
徐々に新日、全日との差を拡げられていった気がする。
国際には独自カラーがあったから、鎖国しても団体ファンは大勢いたのに
残念。
あくまで個人的な思いだからw >>470
他の面子はともかくアーンはまったく華がないぞw
どう見てもただの禿たオッサンでまだ悪党面の五郎さんの方が
押し出しがあるw
>>481
元子はレスラーにせよ一般社員にせよ新人下っ端にだけは人望あったぞw
自分の目に付く範囲で先輩にいじめやパワハラ受けてたら咎めてくれるし、差し入れもして
くれるから
ジャパン所属で「よその子」である健介も、人間扱い受けない新弟子のころに元子さんには
すごく優しくしてもらったって感謝してたし
それがいっぱしになって自分に何か意見しようものならとたんに噛みいてくる
三沢だって若手の頃には元子に可愛がられてたのが出世したらああなった
発言権ゼロの下っ端にだけは優しいっていうのが、自分に逆らわない使用人には優しい
お嬢様がそのまま大人になった感じ
健介が下っ端を脱けだせたのは新日に行ってからだから元子のイメージは優しいおばさん
のままなんだろう >>491
全日スレでも鶴見のベストバウト候補に挙がってたな
対抗は雪崩式バックドロップを披露した阿修羅とのシングル 冬木や高杉、菅原等は国際時代はどんな感じだったのかな?
若手だから前座だろうけど、デビューしてたのかも分からない 血盟軍時代、木村は菅原、高杉と組んでる?
馬場鶴田天龍対木村鶴見高杉とか
長州谷津浜口対木村菅原高杉、等…
地方ではやってそうだが。 >>495
全員デビュー済み
他にも国際末期には何人か練習生入ったけど一人以外全部やめ
残った秋吉って練習生をラッシャーさんが最終シリーズで強引にデビューさせてあげた
さすがに実質練習生ではマイティも全日に連れて行けず引退というか廃業 国際末期の冬木の評判は悪いね、なーんにも出来ない奴って蔑まれてる
かといって本人は努力する訳でもなく雑用係に甘んじている >>498
知り合いが冬木と同学年で、冬木の話を聞いたら中高と帰宅部で、高校中退後は仕事もせずに雀荘に入り浸りのクズだったって
ただその時からプロレス基地外だったとは言ってた
スポーツ経験無しだったから国際の頃は仕方ないと思うよ 国際末期に前座でミスター珍に付き合わされた冬木は実に気の毒
ミスター珍の試合を見せられた友達は完全に国際に見切りをつけたよ
アレはプロレスとしてはカネを取って見せてはいけないシロモノ
しょつぱいどころかグロの部類
あれを見せたら、その後、どんないい試合見せても取り返しつかない
周りのおっさんたちも金払ってこんなの見せんのかよ、とブー垂れてたのを覚えてる
つまんねぇぞとヤジ飛ばすと、試合後、珍は客に喧嘩売りに来るタチの悪さ
珍こそ末期の国際を崩壊させた元凶だと思うよ 高杉も期待されたけど、国際末期の入団だったから不運といえば不運だったな
山本小鉄のファンクラブ「豆タンク」会長で、根性もあったらしい。
全日時代のセブン替え玉記者会見はバレバレだったw 2000年以降、昭和プロレス回顧の中で国際に関しては吉原と木村を悪くいわない風潮が生まれた
吉原については結果として団体を潰しているので、経営者として再評価されてはいないが
プロレスを愛し、選手を大事にし、パイオニア精神に溢れた人物として神格化された
そのしわ寄せで草津が貶められすぎた面がある
田中メモはその歴史観を破壊した点で画期的だ
何かと話題になる鶴見の造反劇も、田中の構想をぶち壊したのはすべて吉原の独断で
自分が一番上で、テレビ局の意向になど従わないと誇示するためだけの偏狭な虚栄心によると断罪している 東京12チャンネル案で視聴率がアップすれば放送打ち切り免れて多少の延命にはなったのでは?
ただ国際が続いてギャラの遅配で困窮する位なら史実通り新日、全日でファイトした方が選手達にとって幸せ 多少の延命はあったと思うよ
それより12チャンネルの重罪は、プロレスやボクシングの世界戦の録画テープの多くを紛失させてしまったこと でも東京12チャンネル→テレビ東京の移行を目前に控えていたし、
局側にしてみれば打ち切りたい気持ちが断然強かったんだろう?
もちろん番組に関わった田中の気持ちは全然違うだろうが。 あくまで田中目線の意見だと思った方が良い
もし吉原が生きていたら反論があるかもしれんしね >>496
高杉は無い。
菅原は1シリーズ1回くらいのレベルで
たまに木村と組む事はあった。
6人タッグだけでなく、木村・菅原組で。
でもセミ以降に登場する事はなかったな。
高杉はセブン時代だったらメイン登場経験はある。 77年来日のマスクド・グラップラー(ボブ・エリス)は、初来日でオコーナー
夫人に色目を使い力道山に強制帰国され、第2回NWAタッグリーグの時には
相方のフランキー・レインが婦女暴行で逮捕、アメリカへ強制送還。
今度こそと期待したがもうロートル寸前だったな。
本国では超一流だったから全盛期のファイトを見たかった。
一応、IWAシングル、タッグ(元ザ・マミーのザ・キラーとのコンビ)両王座に
挑戦している。
B級C級外国人レスラーがとにかく多かったね
ブラック・ロッキードとかザ・UFOとかティト・コパ、グラン・ラパン、
何とかムッソリーニなんかもいたね 国際は同じことを繰り返した
吉原の縁でTBSや12chと繋がったが、現場スタッフと協調関係を築けず
両方とも6年ほどで打ち切られた
その中で12chの田中はよく貢献した
国際側に立って局から再三特別予算を引き出して仕掛け、視聴率も上げた
しかし吉原はその田中とも信頼関係を築けず、田中の異動と共に視聴率は急落し打切りに至った
当時の実情を国際では外様であったマッハ隼人が見事に看破している
田中メモが知られる前のGスピのインタビューで、才能も誠意もある局のディレクター(田中)に対する
吉原はじめ国際の人間の態度がひどすぎたと指摘していた >>509
6人タッグだったら高杉もあったと思う。 >>508
吉原にも言い分はあったかもしれんが
どっちにしてもあの時代にテレビ局と上手くやれない社長なんか
経営社失格だろ。 上手くやろうがやるまいがテレビは視聴率絶対主義
人間関係なんて関係ない非情なビジネス
その理屈なら永続しないものは全て無能になる >>515
取引先と上手くやるなんて普通の事じゃん。
その普通のことができないから無能なんだよw 田中より上の上層部とは上手くやってたのかもしれないだろ >>505
レナードハグラータイソン時代のビデオなら
ジョー小泉が保管しているはずだな
むかし職場の同僚とジョーのダビングサービスで
過去の試合のVHSビデオを買いまくったものだった
今なら完全に放送法違反だろうから大らかな時代で
こちらもバブル期で懐は温かかったから気軽に
つまらないかもしれない試合のダビングテープを
数千円から1万円で注文しまくったなあ
今も保管はしてあるがダビングしていないからな
カビにやられていないだろうか(確認しろよ) 田中案はあくまで案だろ
田中が上層部と話し合って、この案を履行させることに合意してた
ところが田中から伝えても吉原が耳を貸さない
そこで上層部が直接伝えるも耳を貸さないんならわかるよ
田中案は単なる個人的の案で終わってた可能性はないのか?
田中案は12チャンネルの総意だったのか?
田中に打ち切る権限があったのか? >>521
何でそこまで吉原を庇い立てするのか意味わからん 吉原を庇ってるんじゃないよ
国際の全貌がまだわかってないのに断定的に論じてもつまらないだけ >>525
> 国際の全貌がまだわかってないのに断定的に論じてもつまらないだけ
そんなの待ってたら何にも論じられないし
そもそも全貌が明らかになることなんかあると思ってるのか?
馬鹿みたいw ほら、答えられない
自分に都合の悪いことはスルーか 全貌はわからない
だからオレの見方が正しいイムニダかよw >>521
> 田中案は単なる個人的の案で終わってた可能性はないのか?
無い。
> 田中案は12チャンネルの総意だったのか?
そう。 >>528
> だからオレの見方が正しいイムニダかよw
正しくないと思ったら具体的に反論してみたらいいじゃんw
お前がまともな反論ができないから、こっちが正しいんだなとなるんだわ。 >>531
じゃあ論点戻して反論してみろよwできないくせにw 残念ながらキチントした説明がないのでキミをホワイト国から除外するw >>533
今まで優遇してもらってたのか?w
それじゃ普通に反論して来いよw じゃ、キミの主張は、吉原が田中案に耳を貸し、田中案取り入れてれてテレビと仲良くして中継が続けば国際は団体として存続したってことね >>535
中継が続けばもう少し持ったことは間違いないだろ 放送継続されてもせいぜい半年か1年。12チャンネルはテレビ東京に変わらなければいけなかったし。 >>537
放映権料入ってくるからだろうが。アホなの? >>540
お前はアホだなw俺は永遠に存続するなんて言ってない。
中継が打ち切られるよりは少しは持っただろうと言っただけだ。
それが一年なのか、ひと月なのかはわからないが延命できたことだけは間違いないだろ。 >>542
プロレス団体経営したことがないから知らない。
お前も知らないから聞いてるんだよな? だって知らないキミが、テレビと仲良くすると存続するって言ってんじゃん
その根拠を聞いてるんだけど >>544
仲良くしないよりは仲良くした方が良いに決まってるじゃん。馬鹿なの?
あんまり馬鹿馬鹿しい質問にはもう答えないで無視するからな。
逃げた!って大喜びするんだろうけどw 日本プロレスが中継打ち切られて潰れたことを知らないのかな?w
全日本もノアも全日本女子も打ち切られて経営が苦しくなったの知らないのかな?w 放映権料ってどのくらいの額なんだろ?TBSと12チャンネル、どのくらいの金額差があったんだろ? テレビがなくなると潰れるのはわかるよ
だからキミのテレビ中継さえあれば団体が存続する根拠を聞いてるんだけど
放映権料だけでやってけるの?
きちんと答えてよ >>548
> だからキミのテレビ中継さえあれば団体が存続する根拠を聞いてるんだけど
そんなことは一言も言ってない。アホかw 言ってんじゃん
ここに来て前言翻すのかよ
早く根拠を教えてよ >>548
> テレビがなくなると潰れるのはわかるよ
だったらテレビ局と仲良くできない社長は経営者失格というのも分かるだろ。 >>550
いつ言ったんだよ。レス番言ってみろよ。 とうの昔に潰れた団体についてこんなに熱く語る人達がいるんだぜ
吉原社長、喜んでくれ。 まさに今言ってんじゃん
キミはテレビと仲良くして、テレビ中継が続いていれば存続していた
それが出来なかった吉原は失格なんだろ
だから仲良くして12チャンネルの放映権料で団体が存続する根拠を説明してよ
テレビ中継があると潰れない根拠だよ >>554
お前だって
>テレビがなくなると潰れるのはわかるよ
って言ってるじゃねえか。自分で言ってるくせに何言ってるの?馬鹿なの?w >>554
> だから仲良くして12チャンネルの放映権料で団体が存続する根拠を説明してよ
延命はできただろうとは言ったが永遠に存続するとは言ってない。
曲解するなよアホw 話をそらさなくていいから
テレビさえあれば存続する根拠を早く頼むよ
12チャンネルの放映権料で存続する根拠を頼むよ 「テレビと上手くやれなかった吉原は経営者失格」を
「テレビと上手くやれれば永遠にプロレス団体は潰れない」と
拡大解釈するアホw >>558
> テレビさえあれば存続する根拠を早く頼むよ
> 12チャンネルの放映権料で存続する根拠を頼むよ
そんなことは言ってない。言ったというならまずそのレス番を示せ。 延命なら、あとどのくらい延命したら経営者として失格にならないの?
テレビ中継さえあれば延命できる根拠だよ
12チャンネルの放映権料でだよ >>561
まずはお前は俺に謝れ。
言ってもいないことを言ったと言って根拠を示せと詰め寄ったことに対する謝罪だ。 >>561
> 延命なら、あとどのくらい延命したら経営者として失格にならないの?
延命したら失格じゃないなんて言ってないからわからないな。
言ってもいないことで質問するのはやめろアホ! >>563
ごまかしてるのはお前だろ?
俺がいつテレビ局さえあれば団体が存続するなんて言ったんだ?
レス番教えてくれよ。 ごまかさないできちんと答えて筋を通してよ
さあ、根拠を示してよ >>567
筋を通すのはお前だよ嘘つき野郎!
早く俺が言ったというそのレス番を教えてくれよ。 答えられないのはわかったよ
水掛け論にしてごまかしたいんだろ
苦しい胸の内は察するが根拠を示して楽になりなよ >>570
答えられるわけないじゃん。言ってないんだから。
嘘つきも大概にしろよ。
吉原擁護はこういう嘘つきばかりだからなあw >>570
レス番を教えてくれれば答えてやるから早く教えろよ。 俺がテレビと団体存続について言ったのは>>536と>>541だがどうだ?
テレビが無くなるよりは少しは持つだろうって言っただけだぞアホ! >>574
何でそんな嘘ついてまで吉原を庇うの?親族か何か? 本人たちは楽しそうだね、他にスレ立ててやればいいのにな。 吉原擁護派認定でもいいから、早く根拠を頼んだぜ
答えられないってことでいいのかな? 楽しくはないからこれで終わりにするわ。
さよなら吉原信者。あんまり嘘ばっかりつくんじゃないぞ!じゃあな! >>578
>>579で終わりにしようと思ったがこれで本当に終わりにするわ。
>>573を良く読めアホ! やっぱり答えられない
ただの本の受け売りかよw
ごまかして逃げたな 吉原を批判しながら、吉原以下の行動かよw
話しにならんわ >>582
だめだ。終わりにしようかと思ったが吉原以下なんて言われたら黙っていられないわ。
俺が言ってもいないことに対して根拠ってなんいいってるんだこの馬鹿!
人の発言を捏造すんな卑怯者! 「これで終わりにするわ」、「これで本当に終わりにするわ」、
「終わりにしようと思ったが」、結局全然終わらないな。 日プロは力道山が不在の時は興行をやっても赤字になるので放送用の試合しかやらなかったそうだけど
興行と放映権料の割合とかそのへんどうなのかね? 国際本の田中ディレクターメモによれば週250万位の放映権料をもらってたというから
48週として月1000万円、これは大きいね
後楽園ホールで興行してもよくて7割位の入り(無料客含む)だったというから
平均単価2000円として売り上げが100万ちょい、地方はもっと数字が悪いんだろうし
まさにTVが命綱だったんじゃないかな 小林・草津・杉山・木村を「国際四天王」として
日本人抗争させればよかった。
平成プロレスの先駆けになった。 >>588
昭和48〜49年頃を考えてみると、
小林は数年で腰を患う、草津は最初から最後まで平均点?
杉山はロートル、木村はあと一歩
「国際四天王」って…
小林が抜けなくてTBSとAWAルートも確保できれば団体内抗争も厚みが付くし
何しろ国際のファンはマニアが多いから支持もそれなりにあったと思う。
小林離脱とは関係なく昭和49年の春にはTBSの契約が終了するのは決定事項
だったらしいから、見えてたけどね >>589
昭和48年時点で杉山は33歳でロートルではない。
それ以前に全日に移籍しているから除外。 >>590
そうだね、下り坂の方があってるか
ところでグレート草津の全盛期っていつなのかなー
この一番っていう名勝負も思い出せない‥ >>588
>小林・草津・杉山・木村を「国際四天王」として
日本人抗争はおろか、
国際(TBS)プロレスが旗揚げした昭和43年、
まだ小林が前座だった頃は別として
44年以降、この4人がリングに揃ったこと自体が、短期間なんだよな。
44年夏小林欧州から帰国、秋、木村、アメリカに遠征
45年夏、小林アメリカ遠征、秋、木村帰国。
46年夏、小林帰国、同時期に草津アメリカに遠征
47年春、木村アメリカ遠征、夏、草津帰国、秋、杉山離脱。 最新号のGスピの記述から杉山の離脱まで草津のせいにされそうだが、これは明らかな間違い
1972年春の別冊ゴングに国際で孤立している杉山はどうするのかという特集が2ページ使って組まれた
草津は前年夏から米国遠征中でこの件には関係ない
むしろ草津中の留守中に起こってしまった問題
猪木が追放されたばかりの時期で、馬場の全日本設立ともまったく関係ない
当時の杉山は木村とIWAタッグ王座についており、順調に防衛戦を重ねていた
にも関わらずプロレス内マスコミであるゴングにこんなことを書かれるとは最悪
この件は日本にいなかった草津のせいに出来ないし、吉原以外に誰に責任があるというのか?
※それから約半年後、日テレに押されて独立に踏み切った馬場が国際で浮いていた杉山を拾ったというのが結果 杉山の自伝だと国際を退団してスズケンに入社したのに
馬場に懇願されて全日に入団した事になってるな
ウィキだと国際から全日へ円満移籍になってる、どっちが正解なんだ 子どもの頃、おはようこどもショーや底抜け脱線ゲームで杉山を知ったから、
プロレスラーだというイメージは全然なかったな。新日のプレ日本選手権の中継で
杉山がいきなりプロレスをやっていて、すごく驚いた記憶がある。 1990年代、
馬場を「世界SHOW・BY・ショーバイ」に
出ているタレント。
猪木を国会議員だと思っていた子供は、
たまに、深夜、彼らがプロレス中継に出て来て
驚いたことだろうな。 >>594
「プロレス入りは実業家になるために人脈作り」と晩年のインタビューで答えているから
杉山の自伝の方が近いんじゃないのかな? サンダー杉山(レスリング五輪代表)
ストロング小林(ボディビルダー)
グレート草津(ラグビー日本代表)
ラッシャー木村(大相撲幕下)
杉山はオリンピックに出場した日本人プロレスラーの先駆けなのかな? 杉山ってオリンピック選手からプロレス、そしてタレントになれたし、その知名度を使って実業家で成功。国際出身で一番成功したんじゃないかな。 >>599
調べたら64年東京オリンピックレスリング代表はマサ斎藤も出場している。
それ以前ロンドン大会に日系のハロルド坂田が重量挙げアメリカ代表 東京12チャンネルとの契約は流智美の本によると1本200万円による年30本(週)の契約で年間延べ6000万円とある オリンピックレスリング代表の
斉藤、杉山、
ラグビー日本代表のグレート草津と、
1965年頃、力道山の死亡から
落ち着いた日本プロレスは
大物アスリートをスカウトしたんだな。
まぁみんな逃げられたわけだが、
その頃、大相撲の人気力士、明歩谷にも
食指を伸ばしたとか。 >>602
それは初年かな、年毎に額が上積み&回数もほぼ毎週になってるよ
それプラス特別強化費みたいのもある 相撲上がりの幹部中堅による「エリートいじめ」は凄かったっていうから、
杉山もかなり嫌な目に合わされたんだろうなあ
ベノワの伝記とか見ても、あちらの人間に日本の徒弟制度は、たとえ名声ある
新日の道場であっても狂気の世界としか思われていないのがよく伝わってくる
日本の上下関係を何より嫌って渡米したマサ斉藤は、最初に現地でパートナーに
抜擢してくれたキンジ渋谷について、試合後自宅などで試合内容を反省する時も
決して「何で出来ないんだバカヤロー」などとは言わず、あの場面でお客さんは
こういう期待をしているからこうした動きを見せた方がいい、相手がこう出てくるのにはこういう意味があるから
こうした方が流れが出来る、などと極めて論理的にアドバイスしてくれたと言ってる
またトップに立つレスラーは皆懐が深く、こちらが心を開いて飛び込むと
決して拒絶せず食事や移動に同行させてくれたとも
ダメなレスラーは移動中も女の話やプロモーターの悪口ばかりで聞いていて
胸が悪くなるが、トップのレスラーたちは常に各エリアの客の気質やマット界の
流れを掴んで、どうすれば客を満足させられるか、どうすればコンディションを
整えられるかを議論していて、一緒に
いて身が引き締まると言ってた
上井が「外人勢にとって90年代の新日のボスはマサさんだった。でもマサさんは
外人勢に対して決して高圧的な態度を見せなかったからいっそう尊敬されていた」
と言ってるけど、その姿勢は元々アメリカで身に付けたものだったんだろうな >>606
杉山や草津もそれが嫌で、下手すると潰され兼ねないから出たのかな。
それに比べ坂口や鶴田は大事にされたんだろうな。 マサと杉山は同じ明大出身だけど仲が悪かったんだっけ? Gスピ追悼特集の服部発言によれば、仲は良くなくて
あんまり口をきいてるのを見たことがなかったとか
ただ服部は、もともと斎藤はお坊ちゃんであんまり
口を利かない性格で、いっぽう杉山はおしゃべり、
斉藤はもともとプロレスが好きで商売っ気がなく
一方の杉山は、プロレスラーになるのをエンター
テインメントビジネスに入るための足掛かり、いわば
腰掛けにする気が最初から強くて、何もかも正反対な
人間に見えたと言ってて、そういう二人のタイプが、
仲が悪いように感じさせせていたんじゃないか、みたいな
ニュアンスも出していたけど
高千穂が「大学時代に杉山にいじめられていた」という
印象を持ったと言ってるのもそのあたりかも >>608
あの頃は大学も縦社会だろうし、杉山の方が5歳上(転校かなんかで←wiki)で
仲が悪い話は聞いた事はないなー >>595-596 >>600 >>609
杉山と言えば何処で関係者と知り合ったのか
少し前にBS11で放送していた映画の「喜劇 駅前大学」「喜劇 駅前弁天」にも端役ながら出演していたからなあ
元五輪代表とはいってもメダルを獲った訳でも人気選手だった訳でもない
まだ日本プロレスに入門して日の浅い一介の若手の筈なのに
当時からコネと人脈を築くスキルが並外れていたのが窺えるんだよね >>592
だからそれがもったいないんだよなあ。
小林草津杉山木村をキープした上に、72年明けに猪木を入れて、秋に鶴田をスカウトしてたら、物凄い団体になってたかもww >>610
>杉山の方が(マサ斉藤より)5歳上(転校かなんかで←wiki)
5歳も上だっけ?
と思って、WIKIを見ても
杉山1940年7月23日
マサ斎藤1942年8月7日
と2歳しか違わなかったぞ! >>612
猪木が日プロ追放後に国際入ってたら取り巻きの木村、トルコ、小鉄が付いてきて揉めるだけだと思う
鶴田は八田氏を介して吉原に話しがあったらしいけど、吉原は馬場に話を振ったみたい >>613
すまん。どこかで見た誤情報だった
でも年上で体育会系の上下関係で苛めてるように思われたのでは? 高千穂が「斎藤が大学時代に杉山にいじめられてた印象…」とか言ってるようだけど、杉山が日プロを離脱した理由のひとつに(名前こそ出さないが)
年下だけどキャリアを積んでる者の嫉妬に嫌気がさしたとも言ってるんだな。 >>606
「新人の杉山」はアマレスのテクニックをひけらかして稽古中に相撲出身先輩レスラー
連を翻弄してそれでその後で報復されたがマサ斉藤はそういう事はしなかった・・・ 高千穂は日プロ時代杉山をイジメて国際に追いやっただけのくせして
実績を鼻にかけて偉そうな態度だったから制裁したと自伝で自慢げに書いていた
死んだ杉山を本のネタにするなんて ミスター高橋の話だと杉山はプレ日本選手権の時に小鉄と揉めて
小鉄を叩きのめしている
小鉄をボコれるのに高千穂にボコられないわな とは言え入門したてならプロの雰囲気が皆目見当が付かないだろうし
高千穂に締められてもおかしくは無い ここでもまた米良明久(高千穂→カブキ)の人間性が… レスでは敵わないのでスパー中に顔面殴ってやったらヒィヒィ言ってたW
とゆう談話を読んだことがある 杉山のレスリング技術は本物で、テーズやロビンソンも誉めてたらしい。
彼の名勝負は中々思い浮かばないが、
強いてあげるなら70年のIWA王座奪取
リングアウトながらロビンソンを初めて破った試合かな
その頃はBIが全盛期で、雷電ドロップがフィニッシュホールドの
あんこ型のエースはマイナー団体のイメージに映った。 >>619
アクシデントで3カウントが入ってしま、控室で杉山が怒っていたため、
小鉄が殴ったら、杉山が殴り返しただけで叩きのめしてはいない。 杉山が負けブックを拒否したけど、小鉄が飲めないとして
プレ日本予選落ちさせたら揉めた話だよね。
どこかで見たけど、杉山が小鉄を叩きのめしたとあった。
アクシデントのような故意だと思うけど、
叩きのめしたは眉唾っぽいなー 剛はまだ藤波のライバルの定位置にいて利用価値があった
この頃の杉山は上田と同じ悪役スタイルでピン勝ちか反則負けばっかり
どっちか予選落ちさせるかってなってタレントと片手間でやってる杉山落としちまえってなったのかな
ピン負けさせない約束なんて知った事かと当時の小鉄なら思いそうだ でもセミリタイア状態だった杉山が、突然プレ日本選手権に出てきたのも謎だな。
あのシリーズの直前まで、ほとんどプロレスやってなかった記憶があるんだが。 杉山は全日を離脱した後、フリーとしてちょいちょい国際に上がっていた位じゃない? プレ日本での小鉄は開幕の上田戦で負傷して残り全欠の設定でマッチメイカー・現場監督に専念していた
その小鉄とマッチメイクで揉めて本当に叩きのめしたりしたら追放だよ
小競り合い程度だろ >>628
国際の日本リーグ争覇戦と重なり、とにかく日本人レスラーの数がほしくて杉山を抱き込んだ
プレでも“日本選手権”を名乗りながら新日以外の参加者が4人では格好がつかない
セミリタイヤ状態とはいえ杉山の名前と実績は一応それなりだから >>630
小鉄が先に手を出したからやり返しただけだろう。
そこで小鉄がさらにやり返してたら叩きのめしてただろうけど。 IWA世界タッグをヤマハに取られたのは屈辱だったな
当時の新日本との力関係がわかるというか…
小林&永源にも取られてる
国際の看板タイトルは新日の中堅かそれ以下のレベルに印象付けられた。 日米レスリングサミットの時
新日は「WWFとは関わらない」と宣言して新日レスラー同士のカードを組んだ
全日はビンスに一歩も引かずにホーガンVSハンセン以外は勝ちブックばかり持っていた
形は違うが両団体とも自分のところのレスラーの価値を守ったが
国際はそういう意識が皆無だった >>633
全日と交流した時は、逆に国際側がタッグ王座を極道コンビから奪取したが
IWA世界タッグタッグ=アジアタッグと同格のような印象になってしまった ラッシャー木村が完全KOしたカマタに馬場か負けてPWFを失ったために、PWFよりIWAの方が価値が上がった >>638
逆上反則暴走だろ?ロビンソンに直接負けるのがイヤでカマタをクッションにしただけだし。 それはあくまでも結果論
馬場より木村の方が強いと思った人たちで国際の興行成績が良くなった >>638
そんなアングルでベルトの価値や興行成績が上がるなら簡単なものよ
カマタはサンマルチノのコロフであり次のエースへの繋ぎ役クッションだよ >>638
カマタを引き抜いた代わりにIWAと木村の価値を上げてくれた馬場。 >>640
木村がカマタに勝ったことがあるのを知ってる人がそんなにいるもんなのか? うちの地方では国際の放送はないが木村のことは皆、知ってた
農作業のオッサンたちも話題にしてた
馬場がカマタごときにピン勝ち出来ないことがショックだったみたい
なんだ馬場は木村より弱いとなった
その後、全日か来ても客入り悪くなり、国際は大入りだった >>644
そんなんで客入りが良くなったのに、なんで潰れてしまったんだ? カマタの国際時代はタッチの差で見れなかったな。。
U系局の夜10時放送だったので、小学生の俺はたいがい寝かされてたからなア。w
こっそり見始めたころ、キラーブルックスやブルドーザービッグベンらがいたっけか。 すいません
一度、流さん風に国際を語ってみたかっただけです
ウチの近隣では国際かテレビで見れないので、誰も木村も知らずカマタどうのも知らないし、多分、プロレス上の勝ち負けは何の意味もないです
それでもプロレス過疎地なので年一度、国際が来るようになると最初は盛況でした
でも2回、3回目には皆、段々飽きてしまったようです
そこにテレビに出てる猪木か来たら、もう皆、国際にいこうとしなくなりました
有名な北島三郎が来るようになったら、テレビに出てない演歌歌手を見に行かないですよね なんだ、レスもらいたい構ってちゃんに私が引っかかっただけか。 >>634>>636
提携時のビンスの高圧的で不誠実な態度に散々、振り回されてWWFアレルギーの強い
新日は関わり合いを拒絶した。馬場は最初は合同興行を躊躇するも「馬場さんがOKしない
ならこの足で新日へ行きます!」とタフネゴシェーター佐藤に押し切られるも"ここでOK
するば全日&日テレで主導権が取れる"と大局的考えで了承した。
シニアのオフィスで新人・ビンスが雑用に走り回っていた時代を馬場は"精神的優位"を
背景に絶えず強気な姿勢で交渉に出た全日側の成果だった。 >>650
馬場は全米マット界にも顔が広い大プロモーターだもんな。
ビンスが赤ん坊の頃からマジソンのリングに上がってたし、シニアとも
親交があった。 ビンスは父シニアと仲のよかったガニアやエディ・グラハムを真っ先に標的にしたくらい
父親への愛憎綯交ぜになったコンプレックスが強かったからな
父親に目をかけられてた馬場にも何かしらの苦手意識があったのかも
同じアメリカのプロモーターだったらガニアら同様真っ先に攻撃されてたろう 国際末期の木村のライバルだったカマタ、ジョー、スミルノフ
PWF戦に絡んだのはカマタだけだったな。
ジプシー・ジョーはマスカラスに挑戦したのかな?
ジョーやスミルノフにはもっと活躍のチャンスを与えて欲しかったけど、
ハンセンがカムバックした頃だったし…
国際時代の因縁で井上あたりと抗争すれば面白かった >>651
>(馬場は)ビンスが赤ん坊の頃からマジソンのリングに上がってたし
赤ん坊ってこともないだろ?
ビンス・マクマホン1945年生まれ
馬場がMSGに上がったのは1963年頃。 >>653
スミルノフはUNとインタータッグに何度も
挑戦しているしチャンスが無かった
訳でもない。
ただし誰ともライバル関係を作れなかった
ので淡々と試合しているようにしか
見えなかった。
84年のエキサイトシリーズではデビッド死去
で2番手外人に躍り出たけど、何もアピール
出来ずイメージ的にはスーパーデストロイヤーズに抜かれていた。 >>654
勘違いだった、ごめん。
間違った情報流しちゃダメだね >>655
時期的に合わないけど血盟軍と合流すればかなりの存在感あったろうな
木村・原・剛・鶴見・カマタ・ジョー・スミルノフ軍団w 木村・カマタ組は二年ぶりの来日のカマタが前回や前々回の来日よりずっとコンディション
がいいこともあって見ごたえあった
その二年後に来た時は悲惨だったが 国際時代のバション・ジョー組は見応えあった。
後楽園ホールで暴れまくった印象があるなー >>655
スミルノフは是非とも木村とタッグ組ませたかったな 地味ながら、馬場に土をつけたという意味でモンゴリアンストンパー。
82年第10回カーニバルでブロディ、ロブレイの乱入もあったが場外で乱戦となり
両者反則(ちょっと不可解だが)裁定だった。
日プロ時代でもストンパーは馬場とのインター戦で引き分けてるので、ボビージャガーズ同様、
苦手意識があるのかね。。w >>660
IWA王者コンビだね。
スミルノフは3日天下だったけど 末期国プロ最強コンビだな。
できれば木村に赤ロングタイツ、あるいはスミルノフに黒ロングタイツを穿いてもらえたら
すばらしい。シューズにIWEと刺繍してもらえれば最高。 国際が崩壊しないでAWAとも提携が続いてたら
ポール・エラリングの関係でロード・ウォリアーズ来てたかな? 阿修羅がもう少しキャリア積んでたらエラリングやスパイク・ヒューバー、
スティーブ・オルソノスキーとライバルになりえたかも モンゴリアン・ストンパーと言えば第10回チャンピオンカーニバルで
17人中7位というまずまずの好成績を残したのに、その次のグランドチャンピオンシリーズでは
それまで全勝していた中堅日本人に連敗するようになっていた。アレにはどんな意味があるのだろう
馬場「国際でエース外人だったっていうから一流の扱いをしてやったが、踏みつぶし一辺倒じゃないか
こんなの相手に中堅負けさせる必要はないな」と判断したのか 「馬場がカマタに負けよった」という歌があるらしい
聞いてみたい >>668
町田康がバンドやってた時に歌っていたって話だね、一応は芥川賞作家だからな。 しかし、
キラー・トーア・カマタって、
東京の人間にとっては
大田区蒲田を連想させる。
この町のいかがわしさ、インチキぽい
ちょっと危険なところ
(と言っても、新宿、池袋ほどではない)
がカマタのイメージとピッタリあうんだよな。
あれが「オオモリ」とか「シナガワ」では
イメージとは違う。 カマタって本名がカマカなんだろ?日系でもなんでもないポリネシアン系なのに、
名前や見た目がそれっぽいから日系を名乗った、いわゆるなんちゃって日系だよね。 >>653
ジョーはマスカラスのIWA、鶴田のUN、インターJrとアジアタッグにも挑戦したからな ポリネシア系カナカ族の血を引いて本名はマクロナルド・カマカでリングネームはトーア・カマタ(東亜鎌田)
カナカ族のカマカがカマタを名乗る
って早口言葉みたいだね ついでに言うと
キンジ渋谷に「東京都渋谷」の
スマートなイメージはないなぁ。
ミツ荒川は、、、そう!荒川区には
ああいうおっちゃんがいそうww ついでに言うと
キンジ渋谷に「東京都渋谷」の
スマートなイメージはないなぁ。
ミツ荒川は、、、そう!荒川区には
ああいうおっちゃんがいそうww >>672
ジョーは全日でも来日頻度は高かったし、
国際時代より稼いだかも知れないね。 国際時代は不気味で怖いヒールだったのに、全日では背中をイスで叩かれるムーヴばかりをやらされて、少し全日嫌いになってた 昔のゴング開いたら、テレビ中継に物申す記事があった
12の国際って同一会場で2、3週分収録して、それを1ヶ月半後に放送なんてことやってたんだ
もう終わってるシリーズの試合見せるトンデモぶりが糾弾されてた
こんなの東京に住んでたって現在進行形の国際見れてたわけじゃないんだな
こんなテレビの言いなりにやってたら座して死を待つようなものだったんだね >>679
とは言っても国際はシリーズの間が1ヶ月以上空くこともざらにあったから仕方が無い所もある
シリーズの間が長いのはTBS放送時期からも同じでTBSでも1ヶ月以上遅れて放送されてた事はある そうでしたか
それでよくあれだけ長く持ったんですね
そもそも他団体と競争する環境すらないというか
よく投げ出さないで大したもんです 基本的に団体側が間を空けずに興行を打つ体力ないし
興行自体も地方巡業出ちゃうと野外会場も多いうえ
その野外会場も田コロとか万博広場とかじゃなくて
田舎の中学校グラウンドとかニチイ××店駐車場とかなんだから
12ch側としてもそういう放送プログラムになっても仕方ないよな
田中Pが言ってたような愚連隊や二郎さん売り出しとか
マッハのプッシュとメキシカン勢によるキャプテンフォールマッチとか
珍をいつまでも飼っていたこととかも
そういう放送プログラムに少しでもバリエーション持たせて
溜め撮りでもなんとか持たせようって意図もあったんだろ そうかもしれないけど、このゴングの記事が出てた1975、6年当時は全日と対抗戦やる前で、熱戦譜見ると一応、体育館使用の方が多いよ
愚連隊なんて79年の話、マッハとか珍も、その後、だから田中さんのアイデアなんてかなり末期になってからの話
全日との対抗戦の前に12の放送形態で国際は随分、追い詰められていたんだね
実質、テレビがアテにならない状態で、よく団体が持ったよな >>679
基本的には1会場で二週分の収録を行いメインは1週目に木村、2週目は井上が
締めると2週目は木村やメイン外人が試合には出せないので腕相撲を入れたり
TVに出したり苦労があったらしい・・・
TVマッチは収録時間に収めるために田中Pがマッチメークを任されて「この選手はこの
ぐらいの試合時間」を換算して試合を組んだ。井上はリズムがいいのか?試合の流れ
や時間がだいたい予測できるので助かったらしい。 80年(昭和55)で新日が年間200試合超。全日本も国際も130程度だったな。
やっぱ、ほぼ全国ゴールデンで定期放送、それも生中継が多いとなると
年間試合数にも影響するんだろうかね。。 驚いたのは、新日と契約していたアンドレを借り出すことに
成功したにもかかわらず
「すでにシリーズ日程が決められた後に豪華ガイジンの
ブッキングがなされたため、たとえば超大物のアンドレを
投入しても、キャパが2500人以下の地方会場ばかりで、
興行収入のアップに直結していない。
小さな会場だと当然満員になるからテレビ画面的には
OKだったのだが、アンドレが毎週のように中学校体育館
レベルのハコに登場する絵には、首をかしげざるを
得なかった」 (「東京12チャンネル時代の国際プロレス」)
という有様。
2月からテレビ局の支援が本格化し、結果的に3000万円を
超える追加資金が投入された時期なのだから、TVマッチの
会場くらい、早くから大箱を検討しておけば…と思ってしまう >>686
前年は日本リーグ争覇戦で蔵前をおさえてしまい、テレビ放送で赤っ恥をかいたし。
テレビマッチだけは大会場にしておけとか、当時の状況からは考えられないよな。 井上「うちじゃお前のギャラは払えないぞ」
アンドレ「ギャラはいくらだって良いんだ」
と言うほどアンドレが善意で出てくれただけだからな 地方の大会場抑えても、そもそも地方でテレビ見れないからアンドレ呼んでも、相当前から宣伝しなければ客来ないよね
新日本の方に木村が出て全国ネットの中継でアンドレと因縁作って、この決着を国際のリングでやるという形にでもしないと
12チャンネルがいくら投資したって、関東でテレビ見れるマニアの間で視聴率がパラバラ上がるだけなんじゃないの
投資して起爆剤といっても、投資しない次のシリーズがジョーやスミルノフじゃ元に戻るか、かえって反動出るでしょ でもアンドレがシリーズ特別参加したことによりスミルノフとベーカーの抗争が、
ガニアが急遽特別参加したことによりスミルノフとストンパーの抗争が起きた。
あれはテレビ放送的には上手くいったんじゃないかな、翌週が楽しみになったし。 >>688
しかしアンドレもロビンソンも義理堅いな。
吉原への恩義を感じてないと出来ないことだよ。 金を積まれたらあっさり新日に移籍したロビンソンって義理堅いか? >>691
ロビンソンの何が義理堅い?
国際離脱以降、国際に出たり、協力したっけ? 調べたらロビンソンは49年以降は国際出てないね
1回義理堅く出たと記憶してたけど、勘違いでした。 >>694
全日との対抗戦シリーズに参加したけど国際勢との対戦はなかったね。 ロビンソンが初来日した1968年は既に30歳でキャリア14年
スリムで全身バネのような体型で、ダブルアームスープレックスは
ブリッジ寸前まで腕がロックされてた。(Rボックの様に)
翌69年には全米進出し日本に来る前の新NWA王者ドリーファンクに挑戦
フルタイムドローを演じている。
国際プロレスでは暫く日本陣営で活躍する期間があったが
その頃の映像はTBSに保存してないんだろうな…
(竹内氏が個人所有していたvs小林戦、ゴッチ戦のダイジェストが最古なのかな?) ロビンソンのオーストラリアマットでの試合(1969年〜70年にかけて)をYouTubeで観た事ある TBSは実は民法ではフジテレビと並んで古い映像を残しているテレビ局と言われている。そのTBSはプロレスに関しては、ほぼ消却しているというのはいかにコンテンツとして軽んじられていたかということだな。
一方、残存率では最低レベルと言われるテレビ朝日がプロレスに関しては圧倒的に残っているのは、何のかんの言ってやっぱりプロレスを大事にしてくれているのと、新日が古くからビデオソフト化に熱心だったがゆえだろう。 ビリーグラハムが5年ぶりに国際マットに登場したが、この時の窓口はグラハムが
テネシーを主戦場にしてたのでジプシージョーか、それとも新間? >>697
Billy Robinson で検索すると“蛇の穴”のビリー・ライリーとまだ若い
ロビンソンがキャッチレスリングを指導してる映像が上がってる。 >>699
アーチ・ゴルディやポール・エラリングのようにジョーの仲介では? >>698
テレ東なんて10年前にゴールデンタイムの単発でやった番組のVが残ってないってプロデューサーが言ってたぞw 大剛がブッカーだったのはS55年の新春パイオニアSまで
それ以降のブッカーはジェイク・スミス(SMWAのブッカー)、ジプシー・ジョー、カルロス・プラタ(メキシコ)
それ以降も大剛のブッキングがあったけど単発 TBS局内に残った映像を全部かき集めてもDVD化した分しか無かったらしいね>国際プロレス
当時はVTRは高価だったので上書きされてしまう
70年代前半だと一般人が個人的に録画して所有してる事もまずありえない
12チャンネル時代ならまだ一般人の個人所有に期待が持てる TBS時代少しだけど8ミリフィルムで撮ったのを販売してた
それを誰かが保管してたら発掘される可能性はある ロビンソン、ガニア、カーペンティア、ロシモフ、ラシク、フレアー、
ホフマン、ローデス、キッド‥‥
初来日の映像が観たいな >>707
キッドのはDVDに主録されてたしYouTubeで糞ほどアップされてる >>708
ありがとう
初来日の原戦があったね。
この後カルガリーで藤波のWWFジュニアに挑戦して新日に移籍
国際は1回だけの来日だったんだ… >>706
>TBS時代少しだけど8ミリフィルムで撮ったのを販売してた
これはTBS放送当時、どのメディアで販売を知らせていたのかな?
1978年から79年頃のゴング誌では、会場で録画した8ミリフィルムを販売していることが告示されていたし、
国際ののれんの販売とか、デビルのマスクも誌上で告示されていたと聞いたことがある。
TBS時代に、そんなことがあったならば、今とても貴重な資料になると思う。 >デビルのマスク
宿泊先での酒代は自腹なのでデビル紫は会場でマスクが売れるので心配無かったが
他の選手からは羨ましがられたらしいw >>699
グラハムがテネシーに転戦するのは国際に来た後なのでジョーは関係ない
グラハムは前年11月まではWWF、年が明けて1月〜3月まではフロリダにいた
当時のフロリダは新日本との蜜月期だし、新日と国際の提携路線の中で斡旋された来日だった
そもそもグラハムは同時期の第2回MSGシリーズの参加候補としても名前が上がっていたし
その代替の意味もあるだろう >>711
デビル紫ってそんなに活躍してた印象ないけど、そんなレスラーのマスクでも売れるもんなのか 1000円だったみたいだね。
同時期のデストロイヤーのマスクが1500だったから、いい感じの値付けだ。 >>713
プロレスファンなら欲しいよ。
デストやマスカラスの方が良いに決まってるけどねw 1000円なら売れるだろうけど、そんなに安くて儲かるのかな
ムラサキのマスクはメッシュ素材も付いてて複雑そうなのに >>710
別冊ゴングとかに通販の広告が載ってたな
のれんは当時闘病中だったスネーク奄美支援という名目だった
>>713
当時はプロレスショップもまだ無く一般ファンにすればマスク自体手に入る機会が少なかったからね
マスカラスとかの被れないサイズのミニマスクでも人気だった ムラサキのマスク買って今も手元にあるよ
色は赤青紫があって紫にした
グリーンの封筒に入って送られてきたよ ガキの頃はマスカラスのオーバータイプより紐付きマスクが欲しかった。 >>713 >>716
一日平均3〜4枚と本人がどっかで言ってたな、しかも団体の食い扶持である
パンフの売り上げに影響しないよう会場の隅っこでひっそり売ってたらしい
自分で作ってるそうだから工賃ゼロと思えば安くできるな >>720
売値は知らないけど、会場でマスク売りを始めたのは
デストロイヤーが初めてらしいね(徳光の自慢話で言ってた) 過去シリーズのパンフレットの通販もやってたな。数冊は買った。
で、ニックVS大木とか80・3・31の4大世界戦の一枚モノのやつ、
あれも買って家にあったんだが引っ越しの時にドサクサで廃棄しちまった。。(泣
オクでいい値だよな、今w >>722
Tシャッを持ち込んでアピールしたのは売ろうとしたのは >>724
Tシャッを始めて持参してアピールしたのはデストロイヤー、売ろうしたのは国プロで
来日したテキサスアウトローズと言われるデザインも今から見てもカッコいー!
ただ当時は日本にTシャツ文化が根付いていなかったのか売れずw 二人は在庫を抱えて
帰国したらしいw テキサスアウトローズのTシャツ欲しいなー
今武藤がやってるマスターズとかでレジェンドレスラーの肖像権許可とったら
レトロTシャツとして売れそうだけどね >>727
猪木が付き合えばテクニック合戦になって名勝負になるが、延髄斬り喰らってサマーソルトドロップ受け身。
井上vs藤波は見たかった。 >>727
チケットが井上、原、鶴見、マッハ、スミルノフと
いない奴だらけなのが凄いなw >>729
たしかブッチャー、マードックも、リングに上がったが試合はしていない。 むしろう井上と佐山の方が観たい。どんな空中戦になってたか 今台風の渦中の地域なんだけど、思い出すのは数年前の台風被害
国際のパンフレットや20年位前に買ったプロレス裏ビデオ(国際のDVDに収録されてない試合もあった)、月刊時代のプロレス、ゴング等々
実家の倉庫に置いていたコレクション類が台風で全滅
プロレスのコレクションに限らず、色んな分野の貴重な物が災害被害で駄目になってるんだなぁと思った思い出 >>730
新日へ行きたくない井上は竹内氏に馬場への全日移籍のコンタクトを依頼して数名に帯同
も認められた。井上が吉原社長に最後に反発したのを機に木村以下の三人以外が「行先は
自分で決めたい!」と分裂。記念大会に強引に割り込んできた全面対抗戦を骨抜きした
功績でマスカラスの相手役に抜擢されてポスターに大きく載る栄誉を授かった。
それでも興行で物量作戦の全日に勝った新日の勢いは凄かった・・・ >国際ののれん
俺、ヤフオクで落札したことあるよ。
ミスター珍のキャピタル・ジャージもヤフオクで落札した。
チャンピオンベルトは、過去に出品していたらしいが・・・ >>731
井上105kg、佐山85kgだから難しい。
国際時代の井上は木村より分厚い体してる。 >>732
プロレス関係なくてすまん。
豪雨災害で甲子園の土を流されてしまった元球児の友人もいる。 災害なら諦め付くが家人に相当数のプロレス雑誌を廃品回収で出されてしまった俺が通る。 阿部修だったかなー
まだ杉山か小林がIWA王者の頃だったと思うけど、子供ながらに何でホイッスル
吹いてレフリングしてるのか、沖識名やユセフトルコはしてないのに‥
不思議だった。結局、意味なんてないパフォーマンスだったんだね。
って言うか、古すぎて伝わらないよな… >>737
漫画のコレクションを親に勝手に捨てられて
その親を損害賠償で訴えた息子がいたって話があったな
唐沢俊一が「気持ちは分かる」と書いていた >>738
確かフランスだかのレフェリーが反則行為注意する際にホイッスル吹くのを観て真似たってのを読んだ記憶がある 紫も隼人もメキシコではルード(ヒール)
華やかな空中殺法とは無縁だった
紫は帰国してもそのままの試合をした
隼人は付け焼刃を空中殺法を国際で実践した
その努力が報われ、紫よりはだいぶ注目を集めた
ただ紫の帰国時は藤波や浜田の凱旋前で
ルチャ式空中戦をやろうという発想などなくても仕方なかったが 小林が離脱する頃に来日したカウボーイ・ビル・ワットなんだけど、戦争で
父親が殺されたから日本人嫌いで有名だったらしいね。
TBS最後の中継が草津vsワットだったとウィキに書いてたけど記憶に全くない。
タイプでいうと、誰に近いのか‥
一応強豪レスラーということなんで気になる存在だ ワットは日本プロレスに来た時も国際に来た時も日本人を舐め切った最悪の態度で評判最低だった
国際の来日後は「ワットは呼ばない方がいい」と全団体に伝わったとか
ただ日本人だけではなくハンセンの手記でも
「ワットは最低のプロモーター」「ブロディがプロモーターを敵視する様になったのはワットのせいだ」と
ボロクソに書かれていた >>741
全日で隼人はリスマルクとシングルで何度か当たったが、パッとしなかったなぁ
てゆうかリスマルクはすべてのレスラーと噛み合ってなかった
最低だったのは高杉セブン、あんな目を覆いたくなる試合は初めてだ >>741
75年に日本で初めてトペを披露した百田光雄も脚光を浴びてないような‥ >>742
ナチュラルに強いんだけど手抜きも
激しいというタイプ。
よく言えばマードックで
悪く言えばマリガンみたいなタイプか。 >>746
分かりやすいww
ありがとう。マードックの時を見たかったな
ハンセンやブロディが軽蔑するくらいなら、米マットでの評判も
よくないんだね デビアス、ラッド、ドゥガン、ヘイズ、ジャンクヤード・ドッグ、この辺りの選手からは慕われていた@ワット カルガリールートを新日に取られた末期の国際にマイク・ジョージ、ポール・エラリング、レイ・キャンディら
いきのいいのを斡旋してくれたのがビル・ワットが運営するMSWAだった
直接の窓口はブッカ―のグリズリー・スミスだったが、ワットが認めなければ出来なかったこと >カウボーイ・ビル・ワットなんだけど、
>戦争で父親が殺されたから日本人嫌いで有名だったらしいね。
こういうのなら嫌って無理ないし当たり前だよな
むしろよく呼ばれて来た、って感じ。
昔の雑誌では単なる日本と日本人嫌いと書かれていたんで
困った人種差別主義者なんだ〜と思ってたよ。 >>750
馬場曰く、当初はワットも日本人を軽蔑した態度は取ってなかったけど
一緒に来日したアート・ネルソンに色々と吹き込まれたことが原因じゃないかと発言してるらしい。
人種差別主義者だけど、プロモーター時代はアーニー・ラッドやブッチ・リードを黒人ファン動員目的で重用した。by ウィキ 国際に来た時に「日本の会場は寒すぎる」とTシャツ姿で試合をして
それが全団体に知られて
ワットのレスラーとしての来日は国際が最後になった >>751
> 一緒に来日したアート・ネルソンに色々と吹き込まれたことが原因じゃないかと発言してるらしい。
ジョー樋口が言ってた。樋口には後で謝ってきたらしい。 後にWCWの役員として新日に来たときはそんな反日ぶりは無く
割とマシな態度だったらしい>ビルワット カンケー無いけど、戦争関連で思いついたが、ナチギミックって日本と敵対する必要なくねw??
クラップ、ラシク、ヘス・・。 >>755
アメリカで成り立っているギミックレスラーだと承知の上で呼んでいるんだから仕方ない
ちなみに戦争時に同盟を結んでいたといっても、
ドイツの方は日本人を人種差別的な意味で見下していたから
ある意味悪役レスラー的なアレはあったかもな オーストラリアではサムソンクツワダがワルトフォンエリックと日独戦犯コンビを組んでたけどね >>756
まあ考えてみればフリッツVエリックなんかユダヤ人だもんな。矛盾してようがそこはプロレスの世界なんだな。
今そんな敵対国ギミックなんかややこしくなるからアレだろうが、日本ならお隣の国かw。 今だと日本人レスラーがアメリカで北朝鮮ギミックやるようなもんかもね >>758
ナチギミックは実際にはユダヤ系、
ソ連ギミックは周辺の東欧諸国系、
日系ギミックも実際は合衆国への忠誠を誓う意味で
日系部隊は実際の戦闘では最も危険で勇敢な部隊として
米軍内でも一目置かれていた
民族系ギミックはヒールに当てはめる時
それだけ微妙というか免罪符が必要だったということではないかな
加害・支配と被害・被支配の関係を逆転させて演じることで
フィクションとしてカリカチュアライズされるというアンビバレントな仕組み
だから「日本人レスラーがアメリカで北朝鮮ギミック」は成立しないと思う 442部隊みたいなやつか。。日系ギミック。
そういやマサ斎藤の信条はGO FOR BROKEだったりする。 反日と言えば、晩年のビッグ・ジョン・クインが日本人嫌いになったと聞いて、
なんか悲しかった。新日の扱いがとてつもなくひどかったからかな。 アンドレも全盛期だった新日プロ来日時代は、日本人大嫌いキャラだったな。
崩壊前の国際来日時とか、最晩年の全日大巨人コンビ時代はいつも上機嫌で、
日本人大好きキャラだったけど。仲良しのマイティのおかげだったのかな。 >>764
ヒールを演じてたんだから当たり前じゃん。 >>765
国際に再来日して、木村のIWAに挑戦した時もヒール役だろ?いつもニコニコしてたけど。 ダイドーネ・ムッソリーニとかブラック・ロッキードなんかいたね 先輩方私は50代国際ファンです
教えていただけますか 昨日動画見たらリングアナコール 井上浜口組の場合浜口が後で 時代は相手はMジョージ居たからわりと新しい時代
だと思います 国際選手格付けについて教えてください >>768
先輩じゃないけど自分なりの想像で‥
マイク・ジョージは80年と81年に国際来てるから格付けでは浜口が上
と言うのも77年頃から草津と井上が対立してて、
井上の扱いが悪くなった印象がある。
そんな時に凱旋帰国した浜口を売り出そうとした国際が
井上と浜口のランクを入れかえたという感じかな? 国際は70年代前半AWA提携、欧州ルート時代が一番いいな。
シングルはガニア、ロビンソン、ラシク、ロシモフ、ジョナサン…
タッグはブルクラ、アウトローズ、バション&コロフ、アンダソン兄弟…
小林にBIクラスの人気があれば十分日本プロレスに対抗できた。 >>763
確かにピークを過ぎていたとはいえ同時期に来てたケン・パテラとかとも同じく
新日名物・土壇場でのギャラ値切りにあってすっかりモチベーションが失せたらしい >>771
そういう意味では90年代前半までの全日本は外人天国だった。
ギャラの高騰問題もバブル崩壊した頃から日本人対決にシフトを移行して
四天王の時代へ‥…
創立以来の黄金期を迎える。 私と国際の出会いは上田のタイトル奪取が雑誌掲載写真見てです 血だるま上田嬉しそうな顔 憎しみより何これは何故エース負ける それ以来小さい自分用テレビ買って観戦し後楽園三時間かけ行きました
本当に夢の中みたいな良い想い出 76年の“まだら狼”時代の上田馬之助だよね。
海外から馬場・猪木・木村に挑戦して吉原が受け入れたんだけど、
確かまだ日テレとの契約が残ってて、何ヵ月か待機しての国際参戦だった。
IWA王座奪って、初防衛戦は没収試合でタイトル剥奪され、
半年程で新日へ行っちゃったね。 続投失礼致します 国際思い出 秩父でトレーニング 東久留米在住私は見に行きたかった 大宮道場確か火事でなくなった 何故か毎回富士登山 ルールよくわからないメキシコルールタッグマッチ 雑誌の白黒ページ懐かしい >>776
ワルドー・フォン・エリックと大木も関係あるだろ >>776
写真で見る限りは弟のブッチャーバションではないのかな
あと国際で関係してるのは大木金太郎 ニックネームが屠殺者だからブッチャーだろ。
バチョンにワルト・エリックにデイ・ビアスって…w Aスミルノフ、Tエンフォーサ、Oベーカー、Jルダック、Bマグロー、KKクラップなど。
国プロの外人ヒールはスキンヘッドにロングタイツの同キャラが多くて見分けが付かなかった。
スレチだが、武藤がスキンヘッドにしたのはゴールドバーグとかストンコを意識しての事らしいが、どうしても自分にはルダックにしか見えなかった。 >>776
ダン・ミラーはIWAに挑戦してる
馬場も国際に出たな
>>778
ん?ブッチャー・バションは国際と関係あるだろ >>760
書いてることおかしいぞw
日系ギミックなど存在しない
日本人ギミックだ
それを主に日系アメリカ人や、他のアジア系アメリカ人が演じたのだろ 日系も怪しいのが一杯いたみたいだな。ホーは樋口姓のれっきとした日系らしいが、
カマタはポリネシアン系、タナカはフィリピン系のギミックだったらしいし。 1967年の第9回ワールドリーグと言えば、
これまた、国際には関係の深い
エドワード・カーペンティアが
参加することになっていたらしい。 >>784
サマーソルトキックが単なるコーナー最上段からのバク転→着地→キック
だった人
税金滞納で出国できず、なかなか来日できなかったw ミッドベビー級タイトルについて詳しい方教えて下さい 寺西王者の試合内容も なんかあったなー
その程度しか記憶にない王座。
確か田中忠治と寺西勇、白タイツ、白シューズを履いた選手が保持していたイメージ
若い頃のリック・マーテルが寺西に挑戦してたと思う。 素早い回答ありがとうございます
確かに白いタイツシューズでした 寺西と稲妻二郎でも争ってたな。イキのいい者同士で結構派手な凶器攻撃とか乱戦になってたなw 木村健吾が「イナズマ」って叫んで、稲妻が呼び捨てにすんなって怒る4コママンガがあったな
多分、青山 原のWWUJr.戦線に寺西や二郎を加えても良かったかもね
二郎はマスクマンで凱旋帰国?させてWWUからの褐色の刺客ブラック・サンダーで原に挑戦させたら安上がりに盛り上がったかも 二郎さんは外国人レスラーの経費削減の為に4回マスクマンに変身させられた
ジェリー・モローのリングネームの方がしっくりくる。 そういえば、ジャック・クレイボーンという兄がいたな。
もう一人黒潮太郎という黒人レスラーがいて、ややこしかったw 国際の選手のタイツは微妙な感があったが、各選手何色にすれば良かったのか?
小林は赤青黄黒と各色使い分けてたがショートタイツでよかったのか?
木村はロングタイツでよかったのか?
井上の柄パン、浜口のワンショルダー、寺西の白はOK >>793
クレイボーンと黒潮の師匠レイ・ゴールデン・アポロンが時々ごっちゃになる 稲妻二郎と轟二郎
黒潮太郎と朝潮太郎とM1号がこんがらがる マイティ井上の柄パンツに憧れた
あんな水着で夏の学校水泳教室に
行きたかった 子供心には浜口のワンショルダーはダサかった 井上&浜口組のタッグ王者時代、前が赤で後ろが青のお揃いを着ていた時期があった。
もちろん井上はショートタイツ、浜口はワンショルダーでお揃いは色だけなんだが。
http://shinchan.biz/player.html?video_id=sm12580487 でも、プロレスのタイツのセンスってちょっと「?」な感じもする。。
ジプシージョーの花柄ダブルショルダーって、どう見てもおばちゃんの水着・・。
マスカラスやルチャ系のタイツなんか派手目のラメでちょっと釜っぽいというか。
そこは何か価値観というか、視点が別にあってああいうチョイスなんだろうか。。(´・ω・`) 連投でスマンが、考えてみればプロレスって相当、常識を超えたビジュアルだよな。。w
昭和ならゴールデンのテレビですっ裸に近い男が覆面かぶったり、流血したり、
喧嘩まがいのやり取りが茶の間に繰り広げられてたんだからな。。イロモノ以外の何物でもない。。w 国技で伝統と言うが、大相撲の方が常識を越えたビジュアルだろ
ほぼ全裸の大男が、フンドシ一丁に髷だよ
国営放送で流してるんだからww 木村は髪型がその筋の方っぽいのが駄目だな。坊主頭は似合うけど ターザン後藤がデビュー戦の時、キャピタルスポーツからタイツを送られたけど、当日、
見てみたら、どういう手違いなのか花柄タイツで、観客に爆笑されたと言っていた。
ジプシー・ジョーの花柄ワンショルダーも案外、そんな経緯があるんじゃないかなぁ。 でも相撲(あとボクシングもか)はやっぱルールやマナー?なんかが前に出てるし
礼儀作法の好きな日本人には響くものがあんじゃない?
プロレスはそういうのは一切ないから一般人には理解しえないのよなあ。。 ふと想い出したが金網は若手以外の日本製は全員経験してるのかな?
マッハとか寺西は似合わなそうだが 花柄やタイダイ絞り柄、ストライプ柄ボーダー柄のタイツは70年代の南部地区で流行った
それをマイティはいち早く取り入れたお洒落男 NWA巻く前のハーリー・レイスも履いてたな
あとSBグラハムも >>806
草津は国際が金網手当的なものを支給
している時は結構出場していたが
それが出なくなると一切やらなく
なったらしい。
思い返してみても東京12チャンネル時代の
草津が金網戦やっているのは思い
浮かばない。 >>810
木村とタッグ組んでスミルノフ・ベーカー組と金網入っていたな。 >>810
木村&草津vsスミルノフ&ベーカーの金網タッグをテレビで見た記憶がある。
試合は草津がノックアウト負け、試合途中からスミルノフとベーカーが
ギクシャクし始めて仲間割れ、IWA挑戦権をかけた抗争に発展するギミック。 >>810 草津も地方でさんざんやってるよ
本当にあの時代に生で国際の地方興行を見てないんだな
金網と隠れタイトルを隠すため熱戦譜はデタラメだらけだから真に受けない方がいい 79年7月の木村・草津×スミルノフ・ベーカーがテレビ放送された草津の金網戦の最後
そして木村にとってもこれがテレビ放送された最後の金網戦
12chが金網デスマッチの放送をやめたわけではないが、木村については以後放送されなかった >>808
タイダイ同様、サイケデリックなモザイク柄も時折見かけた。
デスト10番勝負の時のスーパーデスト(ドンジャーデン)らが着用してた。 >>814
スミルノフとベーカーのIWA王座挑戦者決定戦はチェーンデスマッチだった。
似た試合ではワフーと草津のインディアンストラップマッチ
金網以外にもデスマッチやってるけど、金網の最上段からニードロップやった
ジプシー・ジョーの印象が強烈に残っている。 >>807
金網は流血必至だから白パンだと一回でダメになっちゃいそうだね >>816
カクタスの先駈け、金網最上段からの大バンプは凄かったな。 ジョーと木村の金網戦でセコンドが金網揺らしてジョー落下したのは
とても痛そうでした 25年位前にインディーの試合で、白タイツの選手の尻の部分が試合中段々茶ばんできて客席がザワついた事がある 寺西なんてショルダースルーを着地でかわしてドロップキックするだけで
なんで“和製カーペンティア”とか言われるんだろう。
それだったら井上の方がサンセットフリップやフライングショルダーやるから
相応しい。
まあ井上も“和製マットの魔術師”だけどねw >>810
IWA世界タッグ選手権・草津、井上vsザ・コンバットが金網でやってる。 木村“金網の鬼”小林“怒濤の怪力”浜口“闘将”草津は?? 怒涛の怪力って新日移籍してからテレ朝のアナが付けたと聞いたけど
国際時代は何と呼ばれてたの? >>826
草津は、蛇男Jロバーツとやらせたかったな
ロバーツが勝って蛇出したらどうなったか??? ジャイアント馬場監修のプロレス大全科では
グレート草津に闘将と付けられてた。 >>829
蛇男になる前のジェーク・ロバーツとは対戦してるけどね >>821
実際に来てみたら本物もその程度だったし・・・ >>834
ショルダースルー着地とサマーソルトキックじゃレベルが違うわ。 マイティ井上は良く金網戦出てましたが 本人やりたくなかった気がします ラフよりはテクニックの人だし 井上に限らず末期国際は金網を乱発してたから、因縁がさほど無くても
トップレスラーは駆り出されてた。 金網くらいしかやること無いから金網やってるって感じだもんな 鶴見五郎とキューバンアサシンとかな。。ホンマ乱発って感じだった。 浜口とジョーの金網戦のテレビ放送が「凄惨なシーンのため一部カットします」
という映像自粛シーンばかりだったのは笑ったな。 81年8月9日羅臼町民グランド特設リング(国際プロ最後の興行)観衆1100人
15分1本勝負
〇菅原伸義(5分42秒逆エビ固め)秋吉豊幸×
20分1本勝負
〇冬木弘道(12分44秒反則勝ち)ミスター珍×
〇米村天心(15分22秒体固め)高杉正彦×
〇寺西勇(14分59秒リングアウト)マッハ隼人×
30分1本勝負
〇阿修羅原(10分23秒片エビ固め)ジ・エンフォーサー×
45分1本勝負
〇R木村・M井上(18分17秒体固め)Jオーツ×・Gジョー
特別試合 金網デスマッチ時間無制限1本勝負
△鶴見五郎(7分24秒両者KO)テリー・ギブス△ 最後に酒を酌み交わしながら
「とどのつまりがこうなって」「とどのつまりがこうなって」
酒宴のさなか血まみれ汗まみれで帰ってくる鶴見
「ワイの奥さん一晩買わんか」と勧めてくるエンフォーサー >>844
当時エンフォーサーは45歳でバニー・キャロルは一回り以上上の姐さん女房だったらしい
井上があんなおばはん金貰ってもお断りやって言ってた >>845
45歳のエンフォーサーより一回り上ってこと? 50代後半?
そこまで年齢には見えない、せいぜい40歳前後だろ
当時のマスコミには30代だろうかと書かれていた
それだって、その年齢であのかっこうしてるのかと驚いたけどw
どこで聞いたのか知らんがネットに写真が上がってるのだから
なんでも鵜呑みにせず、自分で見て考えて書いた方がいいのではないの バニーキャロルは日本初の女性マネージャーで、当時日本では珍しい
スタンガンを凶器に持参(実際に使用したかは不明)
全日にプレシャスが来る3年前
国際は入場テーマ曲、各種デスマッチ、アームレスリングやベンチプレス対決
減点方式の試合、女性マネージャー、女子プロレス等々、日本初が多い。 >>847
スタンガンはアルミホイルや乾電池を使ったハンドメイドだったんだってね。 >>847
初と言うか、移動体育館(まあテントだが)、寝台付き巡業用バスとか独自のもあったな。
末期はルチャのキャプテンフォールマッチというのも敢行。 銀紙と乾電池なの?ww
エンフォーサーはマフィアの実在するキャラだけど、
前名のギロチン・ゴードンは漫画版タイガーマスクの悪役ワールドリーグ戦で
タイガーマスクと引き分けている強豪に描かれている。
新日では酷い扱いだったけどね。 国際って、ポスターでもパンフでも不思議なくらい
「肩書」をつけていないなあ
たまに見るのは「一匹狼」上田、「流血大王」カマタ、
「生傷男」ブルーザーくらいで、後は王者にタイトルが
添えられているくらい
ストロング小林がアンドレに勝って優勝した第四回
ワールドリーグ戦でも、実況で肩書らしきものが
連呼されている気配がない
せいぜい「日本の小林」くらい 国際時代の小林にはキャッチフレーズが付けられてなかったのか? >>852
普通に“怪力ストロング小林”とは言われてたよ。 >>853
猪木の“燃える闘魂”馬場の“東洋の巨人”みたいなのは無かったのか。 wiki見たら“怒濤の怪力”“怪力無双”とあったが、“怪力無双”なんて
聞いたことない。 金網デスマッチ設営時やたら間延びして セミファイナルの余韻全く残らない 後のFMW Wing は有刺鉄線とか爆破戦は緊迫感が設営時あった 「怒濤の怪力」はたぶん新日に入ってからのキャッチだと思う。
国際時代はわからないが、猪木との再戦で大注目されてMSGにも出たときの
別冊ゴングでは「燃える男」なんていう深読みしてはいけないようなキャッチだった。 >>851
国際ってむしろポスターとかは仰々しいほどに付けてないか? クラップに「首領」とか書いてたしw
「躍進!」とかの字が躍り、全体のデザイン的にも迫力があったと思う。あと王座肩書はIWA「選手権者」という独自の書き方。 第五回ワールドシリーズの日大講堂と後楽園ホールはリングサイドの椅子の数も
少なくて明らかに客入ってないな。前々回、前回と外人選手の顔触れは豪華だったけど
マリガン以外は?だし、ガニアの特別参加も小林からするとリーグ戦中だから集中
できなかっただろうし、春にコロフ・バション・カーペンティアが来た時にワールドシリーズを
やるべきだった。 >>859
マリガンだって、シリーズの
エースとしては物足りないよ。
この第五回ワールドシリーズには、
ムース・ショーラックも参加したんだな。
ネームバリューは、こっちの方があったよ。
力道山のインターにも挑戦したりして。
だが、いかにせん全盛期を過ぎていた。 「マリガンは台東区体育館(現・台東リバーサイドスポーツセンター)で行われたラッシャー木村と
オックス・ベーカー(ともに故人)の金網デスマッチで、ベーカーのセコンドに付いていたんだけどね、
ベーカーが劣勢になると金網の中にパイプイスを投げ入れて加勢したんだよ。
ベーカーがそれで木村の左足を殴って、複雑骨折させてしまった。
試合後、木村は浅草の病院に入院していたんだけど、黙って寝ていられなくて、
後輩のアニマル浜口を連れて行きつけの小料理店へ行った。
そこにいた看板娘が、浜口の現在の奥さま、初枝さん。
浜口が彼女にひと目惚れして結婚、後にレスリングの五輪メダリストとなる京子ちゃんが生まれたってわけ。
つまり、マリガンがあのとき金網にイスを投げていなければ、京子ちゃんはこの世に生を受けていなかったのさ」 第5回は日本人が充実してきたけど、一番良かったのが第4回大会かな
小林が優勝するもロシモフ、ジョナサン、ラシク、ホフマン、ゴーディエンコ
とにかく外人レスラーが豪華だよ。
(ゴーディエンコはロートルになってた)
その次が伝説の第3回ゴッチ、ロビンソン、ロシモフの決勝三つ巴シーン
幻のジャーマンと言われたゴッチvsロシモフだけど、
シリーズ中に何度か対戦して完璧な原爆固めを決めている。
次が最後の第6回大会で、井上vsジョー戦が最終日に組まれなければ
木村vsバションにならなかったかもしれない。
とにかく井上に手柄を与えたくなかったストーリーが感じられた。
ロビンソン連覇の第1回第2回は記憶に無いから評価できない。 >>863
おー
小林の地元、青梅大会のポスター
こんなの見るとワクワクする
昭和47年でリングサイドの前売り3000円かw
この頃から小林時代が始まったイメージがある。 >>865
古すぎて知らないよw
日本人マスクマンも国際が初だな
国際は先を行き過ぎた感じ >864
木村vs井上のIWA戦を井上の地元大阪でやったが、客入りはどうだったんだ? >>863
バロン・フォン・ラシクがいい味出してるな。
でも、ナチスギミックのラシクがアメリカ代表
というのは、なんか釈然としないな。 独立愚連隊は維新軍の元祖だし日本初を沢山やってるがそれで儲けられていない
入場テーマ:マスカラス
日本人覆面レスラー:タイガーマスク
団体内反乱分子:維新軍
女性マネージャー:プレシャス等
各種デスマッチ:FMWの大仁田
他団体においしいところを持っていかれている >>863
今なら相当豪華な顔ぶれだな
行くわwww >>849
短い期間だけどパンフとは別に「新聞」も発行していた。
力道山が発想だけあってできなかったモノだった。 >>870
全部中途半端で、それで儲けようという意欲が感じられない。 第2回大会なんか
日本組 : ストロング小林、グレート草津、サンダー杉山、田中忠治、清美川
外人組 : イワン・ストロゴフ(ベルギー)、グラン・ブラジミア(ベルギー)、
コンデ・マキシミリアノ(ベルギー)、ジミー・ダラ(フランス)、
ビッグ・コマンチ(アメリカ)
と外人が無名だし、全員で総当たりで予選を行うと銘打っていたが、
実際には行わなかったらしい。
テレビでは、杉山とビッグ・コマンチの遺恨戦とか、
小林がグラン・ブラジミアあたりとシングル戦を
見たような気がするが、いつのまにか、
小林が予選トップになって前回優勝者(シード)の
ロビンソンと優勝戦を行っていた。 >>875
第2回が一番つまらないメンバーだな。
日プロWリーグには、ジョナサン、マルコフ、Tタイラー、コンビクト…
BIに坂口だもんな。 どなたか教えて下さい 大宮の道場は火事又はトラックに突入されて閉鎖したと記憶してますが、本当ですか 子供でしたから記憶曖昧で >>877
たしかトラックじゃなくてタクシーだな、突っ込まれて爆発炎上。 素早い回答ありがとうございます
不運だな国際プロレスは >>878
補足するとタクシーがプロパンガスに
突っ込んだ。
その際冬木がいるはずで、ニュースを聞いて
国プロ全員が青ざめたらしいけど、
冬木は残り番をサボって横浜の実家に帰って
いたから難を逃れたらしい。 超後追いの自分には古本で読んだ早稲田卒の頭脳明晰でプロレス界では珍しい常識人でアイデアマン
お人よしの人格者 運命に翻弄された悲劇の主人公といったのが吉原社長のイメージだったがだいぶ壊れたな >>501
20とかの大学生時代に海の家を経営したりアメフト部で
まれに見る俊足だったり精悍なマスクだったりと若いころはかなりの高スペック
なんでも芸能界のオーディションで真田広之らと仮採用されてレッスンもしてたとか・・
今は経済的にも容姿人望家庭生活的にも同年代に比しても高スペックとは言えないのが人生解りませんね 吉原さんは晩年、見舞いに来たストロング小林と和解できて良かった。
「私が育てた最高のレスラーだ」とまで言ったからね。
草津に対して本音はどうだったのかな? 話題は変わるけど昭和56年の年頭からルーテーズ杯やらずに阿修羅路線開始でマイクジョージ、ジェークロバーツ、テリーキブス、スティーブO、ポールエラリング、ロッキーブリュワー、スパイクヒューバーあたりを絡ませてやってほしかったなあ。時遅しかもだが >>883
他のレスラーからの草津評と、吉原からの草津評はまったく違うものだと思う。
国際プロレスという会社のために、自宅まで担保に入れて借金したわけだし。 2試合くらいしか見てないのが言うのもなんだが、
ストロング小林さんは動きがドタドタモッサリしてるし、
怒涛の怪力と言われるけどパワーもレスラーの中では普通
そんないいレスラーかな ハンセンが「小林はニューヨーク向きのレスラーだった」と書いていた
イワン・プトスキーとかと似たものを感じたのかな >>887
AWAでもWWFでも王座に挑戦で来たんだから海外での実績は
当時としては馬場に次ぐものがあった。 TBSプロレス第1戦のテーズ戦で、レスラー人生の歯車を狂わされたのが
何か関係してるのかなあ?
あの試合は「分単位、秒単位でスターを作る」というTBSに吉原は口出しできず
テーズの怒りをかったように言われてるけど、マッチメーカーの東郷が日プロから大木を引き抜きエースに据える密約があるから草津に寝てもらう必要が
あったとか色々と説はあるけど、あの無謀な試合が草津のその後を決定付けた
と思う。
IWAシングル王座は1度も巻かせてやれず、吉原にはその申し訳なさがずっと
あったのか、草津には長い間マッチメーカーやらせたり役職を与えている。
(もっとも八幡製鉄時代に社会人経験も積んでるからというのもあるけど…)
他のレスラーとは明らかに違う扱いに見える。 大木欠場のときの国際のポスター
「目、負傷のため欠場!!」 日プロで営業部長だった吉原は本来ならぱトップセールスマンとして国際を引っ張る立場だった
興行会社のトップセールスとは、各地の興行主や有力者相手の酒宴を含めた営業活動ということ
しかし吉原は酒は好きだが飲むのはレスラーや社員、学生時代の仲間など身内ばかりで営業的なことはできない
一方の草津はそういうことがプロレスより好き
だから吉原は草津に営業トップとしての役割を依存し、草津も好んでそれを受けた
これが吉原と草津の関係の根幹
エース=IWAヘビー級王座は草津の立場なら強く望めばどこが実現できたはず
草津がそれを望まなかったということ グレート東郷からのオファーから十数年後に 改めて国際に招聘された大木金太郎のその時の心中ってどうだったんだろう? >>892
「プロレスは元々やる気なかった」とか言ってたね。 大木国際参加は表向きはインタータイトル防衛戦開催のためにとテレビ局力だと記憶してますが 他に理由あるのですか?教えていただけますか インタータイトル防衛戦挑戦者やたらショボく子供な私でもがっかりしました 大木はインターの防衛戦を日本マットでやりたいと考えていたけど、大木が所有したままで
その夢を実現できたのは国際だけだし、割り切っていたでしょ。 マツダの離脱が無く
東プロ崩壊後猪木が合流
大木の引き抜き成功
外国人ブッキングは東郷、マツダ、欧州、それぞれ並行して招聘
史実と違い上記が行われてたら国際は凄い団体になってただろう
草津の人生も大きく違ってたはず 大木はテレ東契約で末期国際 人気の起爆剤として加入したから
吉原も関わってないはず。
しかし木村との2大看板も効果なく
テレ東の契約満了で退団した。
二人がIWAインターのダブル選手権でもやれば話題になったかも… プロレス入りはなく、サラリーマン生活で終わったやろ >>895
国際時代の挑戦者はジョー・ルダック、ジプシー・ジョー、
ビル・ドロモ、上田馬之助だから、そこまでショボくはない
んじゃないかな。大木のメンツも立ったメンバーだと思う。 S55年の大木は全日でブッチャーの子分で小悪党やった後
二大エースじゃなく金一道場の弟子を引き連れて
韓国軍の殴り込みって事で国際軍対韓国軍の方が多少は盛り上がったかも
カナダ、アメリカからの選手を減らして
ギャラが安上がりの韓国選手を使えば経費削減にもなっただろうし 当時の関係者は、国際をなんとかしようと頑張ったんだろうな。
結果わかった40年後に、カスカス言ってる方がずっと楽だろうが。 >>887
日本マットにおける馬場猪木基準で考えるとアレだけど
国際のエース時代も新日初期のまだ三本柱健在時代も
藤波とかタイガーとかが登場するまでのプロレスってだいたいあんなかんじよ
パワーファイタ―タイプは直線的でちょっともっさり脆い感じはあるけど
反撃はじまるとあの“おっとっと”みたいなタイミングとステップで打つ
パンチ(エルボースマッシュ?)を連発してコーナーに詰め
“わっしょいわっしょい”の掛け声に乗ってショルダータックル連発
そこからフィニッシュのブレンバスターやバックドロップアトミックドロップからの
ダメ押しの逆エビかカナディアンをガッチリ決める
だいたいこんな流れ
これであの頃は十分盛り上がれたんですわ
小林の身体硬そうな直線的なムーブは
ある意味、展開と展開の区切りがわかりやすくてあれはあれでよかったんだよ >>897
>東プロ崩壊後猪木が合流
>大木の引き抜き成功
猪木と大木、どっちがエースになるかで、ひと悶着ありそう。
元々、猪木は海外遠征から日プロに戻っても(1966年)
馬場の下になるから、自分がエースになるために東京プロレスを
起こした。そこに兄弟子の大木が加入したら、やりにくい。
大木は当然、「俺の方が格上だ!」と思って(67〜68年なら、そうだな)
エースの座を要求するだろ。
また、日プロとしては、猪木を取られ、また大木を
引き抜かれては、黙っていない。
実際に1968年大木一人を引き抜かれた時も、
ユセフ・トルコがG東郷をぶん殴って阻止したし。 >>898
12ch・田中Pの独断で吉原社長の関与は全くなかったが契約金の10%が国プロに入った
ので文句を言わなかった。大木は契約延長を望んでいた・・・
>>892
原を獲得できたのは草津のラグビー時代の先輩が経営している飲み屋に吉原社長が
出入りしていたからでこの二人に関係では最大にヒットだった。 >>905
ストロング小林を平成で言えば田上明か。
ルックス的には田上よりいいんだよな。
現代でも複数エースの一人くらいは務まるんじゃないの。 >>906
そういう意味では上田の密告で始まった日プロクーデターの最終案で
新日との合併問題に大木が頑なに反対したのも頷ける。
やっと馬場猪木が抜けてエースになれると思っての合併話
反対しないと猪木にエースを持っていかれる危機感があったという説も‥
‥妄想だけどねw >>909
(中西学+田上明)÷2=ストロング小林
このイメージ >>900
かなりしょぼいよ……。
インター防衛戦に値するのは木村しかいなかったんじゃないかな。 >>912
どうみても馬場時代の超一流と比べると、アジア王座防衛戦クラスだな
やはり一度は木村とやるべきだったね。
木村も自分の縄張りなんだから、遠慮しないで噛みつけばよかったんだよ。 前スレより
513 お前名無しだろ 2019/06/30(日) 13:56:02.80
あと今月のGスピで詳述されていたけれど(小泉悦次)、
ほぼ同じ時期にAWAエリアに行ったにもかかわらず、小林は
AWAのメインであるミネアポリス、シカゴ、デンバーなどで
ガニアの王座に連続挑戦、他にもブルクラやロビンソンとの
シングルで各地のメインを張っていたのに対して、入れ替わる
ようにAWAに入った草津はAWA傘下の提携先、不景気で試合数も
少ないオマハ地区に出向させられ、二度のガニアの王座への
挑戦もメイン地区ではなくオマハの会場のみという
ちょっと前の新日で言えば、小林は両国でIWGPに挑戦を
繰り返してメインを貼っていたのに対して、草津は提携先と
言えば聞こえはいいが「二軍」であるノアに出向されられた
鈴木軍の一員、みたいな扱いだったわけで、国際側の意向で
差がつけられていたわけじゃないから、ガニアから見て小林と
草津では、それくらい稼げるレスラーとしての差があったと
いうことなんだろう
オマハで試合が無くて稼げない救済措置としてNWAエリアの
セントルイスに出稼ぎに行った草津は現地で第一試合の
扱いだったとか
518 お前名無しだろ 2019/06/30(日) 14:37:42.14
やっぱり小林をエースのままにしておくのが一番良かったということか。
後にWWFでもサンマルチノに挑戦してるし、
AWA、WWFの両王座に挑戦したのは日本人では小林だけだから
海外では馬場に次ぐ実績を誇ったんじゃないか。 国際時代のセンスなら田上が不動のエースで、三沢川田は井上浜口的な扱いだったかもしれんね。 アメリカにNWA AWA WWWFの3団体あった時代は、馬場の次に小林で
次がカーンだろうね。
80〜90年代になるとムタやエリアは限られるけどカブキくらいかな
米マット界の実績でいうと小林の方が猪木よりずっと上だよ
草津なんて論外 カブキも瞬間風速は高かった
ダラスとトップヒールに君臨する一方で全米の名だたるベビーと抗争
しかしおおかた抗争に決着ついたら後はよばれず
ダラスでもその他大勢ヒールに堕した 井上 譲二著の「昭和プロレス版 悪魔の辞典」、
「アメリカで活躍した日本人レスラー」の項目では、
先ず、G・馬場、次にGムタとK・カーン。
カブキとM斉藤は、活動していた地域が
メジャーではないから入れなかった、
とか書いてあった。
S小林には、全く言及していなかった。
あくまで井上譲二の見解だが。 >>918
ファイトの編集長まで勤めた井上氏が小林を見落とすとは…
まあ米マットを昔主戦場にしてた斎藤は別に入れなくていいよ でもカブキはダラス以外で目立った時期がごく短期間だからダラスがメジャーかどうか
の個人的見解の話でしかないが
元WWFタッグ王者で70年代後半は最も勢いのあったフロリダやジョージアでも何度も
タッグ王者になってるマサがメジャーな地区で活躍してないってどういう基準だよ
歴代マサのパートナーの一人がカブキになる前の高千穂だけど じゃあヒロ・マツダも入れなきゃね。
タイトル戦線に絡むのも入れると、坂口はNWAドリーやシークのUS王座にも、
鶴田もドリーには何度も挑戦してるから…
全米で成功したと言うくくりならマサは当然入るわな
ロス、サンフランシスコ、ニューヨーク、フロリダどれも主要マーケットだよ >>911
ああ、これはなかなか近い感じ
攻めてる時のぎこちないけどそこがまた力強くて豪快に見える中西と
守勢に回った時のなんか頼りないというか
一気に勢いがしぼんでだらしない感じになる田上の合体w 小林がアメリカの主要エリアを転戦できたのは新日の手引きだったの? NWA、AWA、WWWF全てのエリアのベルトを巻いた斎藤は別格に近いだろう
馬場が果たして70-80年代のアメリカマット界で常連として定着できたか
分からない(馬場が短期サーキットした時期はアメリカマットがまだ
好景気だった時期で、その後の馬場は海外のレスラーを好条件で
日本マットに呼んでくれるプロモーターとして有難がられていたわけで)
NWAタッグ王者時代はフロリダを、AWA時代はミネアポリスを
超満員にし続けていた斎藤の業績は、小林などと同様に再評価が
必要だと思う
もう「日本のプロレスが一番」とか「NWA世界王者幻想」などの
昭和の神話から離れてプロレス史を編み直す最後の時期だとも感じるし まあAWA時代はヒール軍団の関脇クラスだったからそれほど大物扱いじゃないけどな
82年秋あたりはテレビマッチで頻繁にホーガンと対戦したりしてたから勘違いされてるけど
あれはビッグマッチでの当時のライバルのシュルツとの対戦の前振りだから
マサはあくまでシュルツのパートナー
AWAは早くから全米ネットに番組を乗せたテレビプロレスの先駆者だったのに
ビッグマッチはノーテレビで客を集めるという古い手法からなかなか脱却できなかった
ようやくPPVやるようになった頃にはすでに退潮 力道山亡き日本プロレスに戻らなかったら、おそらくアンドレが登場する迄の
10年間はトップでいそうだけどね(期待も込めて個人的想像)
NWAベルト巻いてサーキットしてたかもw
当時の米マット界がいくら好景気でも短期間に別エリアで連続世界王座挑戦は凄いと思う 馬場が連続挑戦した頃ってまだ好景気だっけ
遅くとも60年代後半からは80年代前半まで全米ネットの地上波放送がなかった
内容としては各テリトリーごとに独自の進化を遂げて面白いが
商業的にはアメプロ暗黒時代
だからこそテレビをバックにした日本の団体は円スラップでアメリカのトップスター
を招聘できた 力道山が急逝して日本プロレスから帰国命令があった1963年
馬場を引き止めたいマネージャーの東郷は年間27万ドル(当時のレートで5〜6億)を10年保証する契約書を提示したらしい。
(トップレスラーだったキニスキーが10万ドルいってなかった)
半分近くを自分の懐に入れるような東郷がそう言うんだから
それくらい馬場は全米で稼げるレスラーだし、景気が良かったんだろうね。
でも1970年を境に全米でのプロレス人気は陰り始めたそうだよ‥ カブキは、本人のお店で聞いた時、あのSWS時代よりアメリカの方が
遥かに稼げた、と言ってたけどね 名前が挙がってこないがタイガー戸口も現地でAWA王者ガニアに挑戦してるのは
凄いことなんじゃないか。 基礎の出来てる悪役の東洋人レスラーには、世界戦のチャンスは比較的巡ってくる。
挑戦するだけじゃなくて、旋風を起こさなきゃ
馬場、カーン、ムタのように‥ ミネアポリスでホーガンと当たっていた時のことを語る斎藤も、
ダラスでエリックスと抗争していたことを語るカブキも、
「俺のメインで○月の○○アリーナをフルハウスにした」
という具体的な事績を誇りにしていたね
アメリカの現実なんか知るよしもなかった自分なんかは「NWAエリア」
「ニューヨーク」くらいの漠然とした感覚でしか米マット界ってものを
捉えられなかったけど、同じ「東京」でも東京ドームと両国国技館と
太田区体育館と多摩ニュータウン卸売市場特設会場では全く意味あいが
違うわけで、さらに日本だと「新日のドーム大会ならメインが何で
あろうがとりあえず行く」という団体のファンが当たり前だろうけど、
あちらはカードを見に行くから「誰がメインか」がものを言うわけで
流智美が馬場が終生誇りにしていたマジソンでのサンマルチノへの
挑戦試合のギャラについて、当時のパーセンテージ契約やMSGの
キャパシティなどを元にした計算し、同じ時期に同じ規模の会場で
メインを取ったキンジ渋谷のギャラと比較してほぼ同じ額なのを
確認して「妥当」と判断していたのが興味深かったけど、当時の
レスラーは「この会場でこの入りならギャラは幾らになる」というのを
敏感に察知できたから、そこをフルハウスに出来るレスラーか
そうでないかは大きかったんだろうなあ
また斎藤が「例年、冬のミネアポリスはウインタースポーツに客を
取られて入りは最悪なんだ」と言ったように、ビジネスにふさわしい
時期っていうものも現場の
レスラーたちは肌で理解している
カブキが「ベルトなんて飾りでしかない。バカでっかいアリーナが
フルハウスになったのを見上げて、『これは俺の力で実現したんだ』
と実感した時の快感は何ものにも替えられないよ」と言うのも
ちょっとくらいは想像できる気がする >>932
太田区じゃなくて大田区。大田区は大森区と蒲田区の合併で誕生した。 >>931
> 基礎の出来てる悪役の東洋人レスラーには、世界戦のチャンスは比較的巡ってくる。
実際に挑戦した例は少ないんだら挑戦できただけで立派なもんだろ。 まあ戸口は立派だな。
国内海外を問わず実績を残してるし、忘れがちだったよ R木村は長期の海外遠征歴ないし、ましてや海外タイトル挑戦とかはないですよね? スタイル風貌は悪役日本人だが >>938
対戦はしてるがタイトルは掛かってない。
テレビスタジオでのテレビマッチのジョバーだったと
上田がばらしたとか誰かが書いてたな。 ラッシャー木村はどうせ英語は喋れないし理解も出来ないし覚える気も無かったから
アメリカ修行中は一切喋らずジェスチャーのみで凌いでいたらしい
そのせいでドリーは木村をおし≠セと勘違いし、日本で饒舌な木村を見て驚いたそうだ >>932
カブキが主戦場にしたボロボロの掘っ建て小屋のダラス・スポータトリアムは収容人員3500人ほど。
メインはフリッツ・フォン・エリック、エリック兄弟なんだけど、
ダラスでアフリカのキマラと並ぶ色物のカブキは「俺の力で客を入れたんだ」と勘違いしてるんだなw >>941
ダラス地区ってもっと大きいマーケットだと思っていたわ
そんなところで週100万も稼げるのか?
ダラスでそれならさらに小さいアマリロ地区ってどんな状態なんだ? >>941
若松が「俺は猪木と両国のメインを張ったんだー!」と自慢してたのに近いものがある >>943
さすがにそれは言い過ぎ。ただのカブキアンチとしか思えない書き込み。 国際来日外国人の東京のホテルは何処でしたか?新日本京王プラザ全日本高輪東武は知ってますが >>902
渕が書いてたけど、全日の蔵前での最大収容はメインがブッチャーvs鶴田のUS選手権、セミが馬場vs大木の昭和50年10月の興行。
元子が蔵前の人に「蔵前の記録。猪木vs小林より入った」って言われたらしい。
初期全日のビッグマッチ常打ち会場だった日大講堂は
メインが馬場鶴田vs大木ドクのインタータッグ、セミにブッチャーvsロビンソン、マードックvsコックス、
他に天龍断髪式があった昭和51年12月の興行。
どっちの興行も馬場の相手は大木。
国際もぬるくラッシャー、大木の二頭体制なんかにせず、最初だけでも対抗戦モードにした方が良かったかもね。
大木のパートナーとして戸口的な存在が不在だけど、そこは外人選手にマスク被せて「コリアンアサシン1号」とかにすればいいんだからw 大木が木村に寝るのを嫌がるんじゃないかな。
馬場、猪木なら我慢するが木村には嫌だと。 タイガー戸口がタイガーチャン・リーだった時代
WWFのLDでみたが、空手(テコンドー?w)使いのギミックで
石のようなものの試し割りをするのだが、どうせ仕込みかもしれないその作り物すら割れずに
「じゃーっ!じゃあーっ!」と何度もやり直してぶったたいてた映像見たことある。 馬場と猪木は社長だけど木村はリング上のエースだけど何の権限もないから大木も
媚びる必要もないし、結局日本リーグ争覇戦もシードされていたのに棄権したね。 >>946
確かTBS時代はホテル高輪、12チャン時代は高田馬場のサンパークホテル カブキの話になるとなぜか頭に血の上るらしい全日信者が
いつも行き当たりばったりの話をするからややこしい
「ベルトうんぬんよりもテキサススタジアムという何万人も入る
大会場でメインを張れたっていうことの方が満足感が大きい。
それと(83年初頭)フォートワースを満員にした時。あそこも
何万人も入る会場だけど、そこをフルハウスにしたのは
エルヴィス・プレスリーと自分だけだったから(笑)。」
(プロレス・スペシャルF「チャンピオンベルトの魔力」より)
テキサススタジアムの現在の収容人数は約6万5000
当時のWCCWのビッグマッチの映像は「世界のプロレス」
などで観た人が多いだろうけど、海外画像も多く残っている
時期だから、昔から詳しく知っているファンも多いだろうね Gスピ32号 戸口
「ガーデンで満員になると当時は収益のパーセンテージでギャラを
もらえたから、ホーガンの挑戦者は一晩で5000ドル(当時で約120万円)
くらいもらえるわけ。俺もハウスショーだけど、オークランドと
オンタリオでホーガンに挑戦しているよ」
ボストンとかでサンマルチノに挑戦させてもらった小林も相当
もらっていたんだろうなあ
しかも1ドル360円、大卒初任給7万円台の時代に お金の話出たから、教えて下さい
日本選手ギャラランク東京12チャンネル時代で 上位からR 木村 浜口井上寺西原は同じくらい 大木は別格外国人扱い 草津はフロント兼任だから薄給 こんな想像してみました カブキが馬場や鶴田の話をするのはカブキなりの愛情表現でカブキが名前を出すことで
馬場や鶴田が忘れられずにいるからとか小佐野が苦し紛れの擁護をするぐらいだから
カブキに関しては苦情や批判が殺到しているのだろう。戸口はビックマウスでも笑えるけど
カブキはまたこいつって思わせた時点で駄目だな。 >>955
カブキはハリーみたいな存在になってきたな。
自分の適当さは棚に上げて、上から目線で
人の批判ばかりしている。 >>955
亡くなった先輩後輩の悪いエピソードを、得意気に語るのは聞いてる方も気分が悪いからな。 >草津はフロント兼任だから薄給
これが違うんじゃないかな。
フロント+現場で二重取りして結局多めにとっているから井上や小林にいつまでも恨まれるんじゃなかろうか。
結局はカネの恨みじゃないかと。 前スレ512 お前名無しだろ 2019/06/30(日) 13:54:26.51
WWEでガチの実力が序列を作るわけじゃなく、ビンスやHHHの
覚えがめでたいかが格付けを決めているように、国際の場合
吉原の意向が全てみたいなものだったろうからなあ
そしてその吉原の耳には草津の話しか入ってこない
「12チャンネル」本にも書かれてるように、当時役員会議に選手で
出席できていたのは草津だけ、レスラーではなく「吉原一家」の
副社長の位置にいた草津が吉原にあることないこと吹き込んだら、
いち選手にはどうにもならなかったんだろう
「吉原社長から見ると団体内は『現場で何か起きたら、まず草津を
通してくれ』という体制になっており、すべての重要事項は草津を
経由しないと一切トップの耳には届かない絶対的なルートが構築
されていた。」
「タイトルマッチ以外の興行になると、王者・小林はセミ以下の
試合順に落とされ、全般的にセミ・メインに絡んでいた草津の方が
世界王者よりもトータルで高い金額を稼ぐことが常態化していた
訳である。小林が国際を離脱した大きな動機として、この草津による
恣意的な金銭操作を許しがたいものとして感じていた」
ずっと後の時代の1978年のレポートでも、現場のことについて
吉原社長に直接クレームを入れようものなら、「そのような行為に
対しては必ず制裁が加えられ、悪者扱いされる」というんだから
小林ができることは巡業バスの草津の嫌がらせから逃れるために
自家用車で会場入りするくらいのことだったんだろう ラグビーワールドカップ、天国の草津、阿修羅・原も観てるかな! >>954 >>958
草津は取締役でトップクラスの現役でマッチメイカーに事実上の営業部長だから、本来は一番高給
ただ、自宅を抵当に借金して会社に金を入れており、金の点ではうらやましがられる立場ではない
遅配が不満でやめた大位山でさえ、金では草津が一番苦労していたと言ってる
しかし他のレスラーも遅配がひどかったというし、金の面ではみな恵まれてない
小林は新日に行ってファイトマネーはアップ、取締役になって役員報酬も得たから
金の面では断トツに勝ち組 Gスピが来たぞ!
語り手はいつもの面々だけどwww
【特集】 山本小鉄と昭和・新日本
[証言] 大塚直樹 藤波辰爾 栗栖正伸 北沢幹之 高杉正彦
[特別企画] ヤマハ・ブラザーズの アメリカ武者修行
[未発表インタビュー] “荒法師"ジン・キニスキー
[国際プロレス外伝] サンダー杉山【前編】
[単行本刊行記念インタビュー] 『東京12チャンネルの国際プロレス』補足編 ~
田中メモに記されていなかった裏の裏~ 証言=田中元和 元『国際プロレスアワー』 >>960
かつて日本代表で世界選抜にも選出された阿修羅は存命であれば
W杯関連の取材きてたろうな。 ラグビー出身は珍しいね。
大概、日本人レスラーの前職は相撲あがりで外国人レスラーはアメフトか
アマレス出身者が多い気がする。
馳の高校教師や馬場のプロ野球、小林はボディビルでブロディ新聞記者なんて
変わり種もいるけどね。 >>964
ブロディこそ大学→プロチームでアメフトをやり
引退後に記者といってもアメフトのコラム書いてた生粋のアメフト人 >>964
小林は大会に出たことはなくジム通いしていただけ
それをボディビルダーというなら、井上、藤井、紫、米村、高杉、菅原らもそう
大会で好成績のこしたポディビルダーとなると国際では浜口くらい
もちろん遠藤は別格として ラグビーは英連邦系のスポーツだからアメリカ人は必然的に自国のアメフトになるな。
またサモア、ポリネシア系はラグビー強国ながら、出身者であるレスラーはあまり聞かない。
まあ歴史もまだ浅いから昭和プロレスとは時系列的に違うのか。 東京プロレスで活躍して、国際でリングアナに転身した竹下アナもプロ野球選手出身(トンボユニオンズ。なんかかんやで今のロッテの傍系)
ボクシング出身の東亜の東日出雄、キックボクシングの新日の大城大五郎、アメフトの高杉や日プロの大山博なんてものいる
マッハ隼人は実業団野球の東洋工業(マツダ)出身で、引退後はアメリカで造園業の傍ら野球のコーチもしていたらしい 770 代打名無し@実況は野球ch板で 2019/09/21(土) 18:08:13.28
フランス対アルゼンチン、ノーサイドの笛の跡に殴り合いと化す…
ラグビーワールドカップ
760 代打名無し@実況は野球ch板で 2019/09/21(土) 18:03:16.20
ノーサイドの精神で乱闘!
767 代打名無し@実況は野球ch板で 2019/09/21(土) 18:06:46.85
上流者階級の乱闘は迫力あるな
776 代打名無し@実況は野球ch板で 2019/09/21(土) 18:11:03.79
大会2日目で
手に入るのはビールだけ
紳士で上流階級のフィジー人逮捕
ノーサイドで乱闘
805 代打名無し@実況は野球ch板で 2019/09/21(土) 18:30:06.31
立て続けに選手とファンが
紳士や上流者階級らしくないところを見せてしまった
765 代打名無し@実況は野球ch板で 2019/09/21(土) 18:05:31.95
選手が乱闘しとるのに日テレアナはなんでまったり資料読みしてんだよ
プロレス実況の伝統はどうした >>964
馳の高校教師というのは職歴としては変わり種で、バックボーンとしてはアマレス出身だからメジャーな方に入るかな そろそろ次スレのスレタイを考えてくれないか
このスレみたいに以前有ったスレタイは無しで宜しくお願いします 【真の流血王は誰だ】【木村、ジョー、バション、スミルノフ】 >>974
スレタイの長いのは貼れないよ
記号込み16字以内で頼みますよ 冬木のずっと帰宅部でスポーツ経験ゼロってのも地味に異色 >>974
ドス・カラス、ジョージ・スティールも元体育教師という触れ込みだったが
ウィキではインストラクターとしか書いてなかったり、怪しげだな… >>962
どうせならタッグ王座や変則マッチでも関わった浜口のインタビューも聞きたい 動画見て思ったが 国際のチャンピオンベルトはカッコいいね 腹が出たりロングタイツとか柄パンにはあのくらいの大きさが良く似合う >>980
70年代に流行ったね。
個人的には小林が巻いていた2代目IWAベルト(WWWF初期のサンマルチノタイプ)がいいな。 3代目はグラハムやボブの巻いたWWFタイプのアレンジだな。
鷲の上に乗ったオッサンがちょっとダサかったが、好きなデザインではある。
猪木のNWFもこの手のデザインだし、アメリカのローカル王座もこぞってこの型を模倣したね。 >>984
俺は鷲の上に乗ったオッサンがラッシャーに見えるんだが。 >>941
スポータトリアムはTVマッチも行ってた常設会場
月一で18000人収容のリユニオンアリーナで試合(全日勢遠征で放送された)
年1〜2回テキサススタジアムでビックマッチ
WCCWはNWA加盟団体の中では屈指の規模だった 井上>エリス
これエリスが覆面かぶって来て脱いだシリーズか?
何でタイツの後ろにエリスと書いてあるんだw
https://www.youtube.com/watch?v=cW3jTDQJ-m4 >>968
竹下リングアナは大相撲からプロ野球へ行くというちょっと変わった経歴の持ち主 >>989
国際参加はエリスが先だったけどちょっとストンパーとキャラ被りすぎだなぁ、クロー攻撃も中途半端だし。 国際はAWAと提携して観客動員数以外にメリットあったんだろうか?
ニックボック王者では木村大木とは噛み合わないし ガニアもマニア受けするだけ 団体はく付けしたが
たいして実利なかったのでは 初期の外人弱体の新日とか大仁田エースのFMWとか
対戦相手がショボくてもエースがしっかりしていれば客は集まるんだよな
大仁田なんてミスター・ポーゴやターザン後藤が相手で客を集めてるだもの
国際は「外人を豪華にしてもエースが・・・」ってのがTBS時代からなんだよ スレ終了が近づくと心なしか最果ての地、羅臼を思い出す。。。 ガニアの孫娘が教え子の黒人学生との淫行で逮捕されていた
のを最近知ってちょっとびっくり。 >>991
エリスの代名詞ブルドッキングヘッドロックも木村と被ってたな 日プロでは軽量時代の猪木がオクラホマスタンピートでぶん投げられたなあ 【世界王者井上】国際プロレスpart20【小鉄の4の字にギブアップ】 【世界タッグ王者浜口】国際プロレスpart20【健吾に失神KOされる】 このスレッドは1000を超えました。
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