セメントの鬼・織田信長と、その家臣団
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桶狭間で今川義元にシュートを仕掛け大勝利を収めてから本能寺で突然の引退興業を行うまで戦国プロレスの最前線に立ち続けた男とその周辺。 ヒデ・ヨシもえぐいけどそれ以上にカンベエの書くブックがえぐいんだよなぁ 氏郷はノブの最後の直弟子で、かなりエグイ裏技伝授されてたらしい
あのヒデが「東北新団体のエースを担えるのは俺以外は君しかいない」といって必死に丸め込んだらしいわ 慶長出羽合戦で伊達政宗が勝利に貢献し
突如現れた家康より「政宗、よ〜くお前だけ上がって来たな。天下を取り損ねた男がよく上がって来た」と
言われた。確かに20年早く生まれていれば伊達政宗は天下を取れたと言われている。
後年比較される永田さんも20年早く生まれていれば、本当に新日本プロレスの天下を取れただろう 言うほど永田さんも政宗も20年早く生まれてれば天下とれただろうか… >>173
セメントの強さとプロレスの上手さの両方必要だから、政宗は
ともかく永田サンにはとてもじゃないが無理(笑)
正宗には、毒殺未遂ギミック等、プロレス心が感じられる。 政宗の十字架背負い入場ギミックはUFCでキモがパクってたな 永田さん、大河ドラマに出て今川義元役、やったらどうだろう。やられる瞬間
白い眼を大きく見開いて・・・・・・・・・ブラウン管どアップで。 戦国プロレス3大悪役レスラー
・斎藤道三
・松永久秀
・宇喜多直家
北条早雲は、地元ファンに大人気で、人格者だったことが今では明らかに。 やはりあちこちにテリトリーが群雄割拠の頃に上洛してNWA王者を目指していた頃が面白かったな。
ノブナガマクマホンが統一しかけたあたりから興味が薄れるよ。 小田原城攻めは
大物レスラー呼んだわいいけど
みんなコーナーで休憩だったからね
さすがに北条もリング中央まで行って野戦バチバチやりたくはなかったか 小田原城力攻めしたら豊臣プロはどれくらい被害出たろう? 今川義元
「信長の目、飛んどるやん 飛んどるやん
今日はね、 まあ、最初に良いの一発入っちゃったから、あんななっちゃったけど
相手がああいうスタイルで来るんだったら俺だってやるよ 許さないよ
何が天下布武だこの野郎」
「だめだ・・・ だめだ・・・」 「やるのか?和睦か降伏しないなら、やるなら潰し合いだぞ?よし、堺抑えろ」 昔のプロレスラーはリングアナを兼任して自らコールしていた。 新田・初花・楢柴の天下の三肩衝を全て所有した者はグランドスラム達成者として讃えられるが、現在までに達成したのはヒデ・ヨシだけ 今川義元は駿河・遠江・三河の3冠統一王者だったことにふと気付いた。 >>187
武田のベルトコレクターぶりも地味に忘れられがち 戦国プロの中には自分でリングを設営したりベルトまで新設するものがいたという
中でも古田織部は独創的なベルトを作ったがあまりに乱発しすぎて家康に嫌われたのは有名な話 「GET THE WATER!(水攻めじゃ〜!)」
「なんてこと!備中高松城がダム葬!消防隊を呼んで」
「涼しげだな、俺も泳ぎに行って良いか?」
「ご自由に」 信玄はブック破りが多すぎて
提携してた団体に恨み買いすぎたな
それがジュニアの世代に回り回って 清水宗治の引退式はカッコ良かったな。本来ならば敵の筈の秀吉まで大絶賛。
男の花道を文字通り飾った。確か6万人くらいの観客を動員した筈。 >>182
織田信長
「もう終わりかよ! オイオイオイ、冗談じゃねえぞ、オラ!
今川プロレスファンの皆様、目を覚ましてください!」
「これが早雲イズムですから。殺るか殺られるか」 どーしょもない大うつけと思ってたがよおぉ
なかなかやるじゃねえか!信長ァ!
ちょーーーど小休憩で酒盛りしてた時に土砂降りがきて隙つかれちまったよ
あーーっくっそお!!負けちまった、、負けちまった・
俺の戦国G1クライマックスはこれで終わっちまったがよぉ・・
楽しいよ!すげぇ楽しいよ!!
俺に勝ったからには優勝するんだよな? あっちで高みの見物させてもらうよ! 桶狭間、雨だったから「逆取り」言うて、メインから先にやっちゃった。義元の承諾得てなかったけど後で話せばいいや、でね。 当時は「オイオイ、戦る前から酒盛りする奴いるかよ!!」と
総ツッコミ状態だったという・・・ 今川道場名物の鬼コーチ・太原雪斎さんが亡くなってから選手達の風紀も緩んでいたのかもね。
雪斎さんが現場で睨みをきかせていたら、試合の結果も変わっていただろう。 >>196
そのせいで当時前座で門番ポジだった柴田勝家の試合が桶狭間興行では行われてないんだよな
後に天下統一チャンプになる松平元康もスキットだけ撮ってさっさと帰っちゃった
岡部元信が社長の義元の不甲斐ない試合振りに「このままファンを帰す訳にはいかない」って
悪天候の中1人帰らずアピールしたの観てこいつは大成すると思ったがその後団体渡り歩いて終わったな 前田又左衛門が桶狭間で戦列復帰。「マエダ!マエダ!マエダ!」の大・前田コール。
愛智十阿弥なる男を斬ってしまって、しばらく放浪の旅に出ていた向こう見ずな若者が
満を持しての古巣復帰。どこぞの前田さんと違って、古巣から解雇されることもなく、
加賀百万石の大レスラー・前田利家として後世に名を残すことになる。 当時九州には魅力的なインディー団体がたくさんあって
ガチなら九州勢が最強ってまことしやかに噂されてたのに
関ヶ原クライマックスの裏でやってたロイヤルランブルで
九州レスラーたちが官兵衛にごぼう抜きにされてたのは悲しかったな 夢の架け橋・関ヶ原ドーム
メジャー所は参戦したが、インディーの雄、真田プロレスがいなかったのが不満だな 真田プロなら、近くの信濃ホールで徳川秀忠、榊原康政組と昌幸、幸村の親子コンビが試合してたよ。
親子コンビが終始徳川プロコンビを翻弄して、本来なら関ヶ原にダブルヘッダーで参戦の予定が、「地方会場だからって、早く終わらせないよ!」と、天龍同盟みたいな事言って、試合長引いたから、関ヶ原ドームに秀忠が参戦できなかったんだよ。 秀忠欠場だけど「まあ、いいや」と家康にしてはアバウトな考えで試合を決行。これだけ面子が揃っていれば入場料払い戻しの心配もしないで済むし。 小田原大会に伊達プロがナカナカ出ようとしなかったのはどういうアングル? >>201
最近出た利家周辺の考察本で、
実は密かに徳川プロ一強体制に対しシュートを仕掛けようとしていたのではとの説を見たな
結局実行には移されなかったが、実行されていたらどんなストーリーが展開されていたか あれはセミリタイアだった利家が最後に往年の名レスラー同士で有終の美を飾る筈だったんだよ
リアルな体調悪化して結局試合できなかったけど観たかったなぁ
その後家康が10年以上現役で勝ち続けたのが異常 巌流島の試合結果知ってる奴いる?
小次郎が仁王立ちしてるだけで録画時間終わってたよ、クソが >>209
武蔵の相手の巌流小次郎って奴、若手のイケメンという説と70過ぎのよぼよぼジジイという
説があるんだけど、どっちが本当なの?
無観客試合で細川家の重鎮だけが立会人になったから詳細が分からんのだけど・・・・
とりあえず武蔵が勝ったという公式発表があって、実際に武蔵本人が勝ったと試合後の記者会見に
応じてたから結果は正しいんだろうけどさ。 武蔵と小次郎はもともと播磨大学蹴鞠部のチームメイトじゃなかったっけ
京ではタッグで鳴らしていた時期もあったから、シングルマッチはブックを疑われないようにあえて巌流島で行われたって戦国スーパースター列伝に書いてあった気が…… >>211
小次郎が70過ぎのジジイとかいうデマ流した奴は誰なんだよ・・・・
武蔵も記者会見で「俺が勝った」としか言わないし詳細は不明のままだが 巌流島はですね、公式記録上は小次郎の不戦勝の筈ですよ。だって武蔵のヤロー、大幅遅刻ですもん。エキジビション・マッチで急遽行ったのが間違って年間最高試合に選ばれてしまったんですよ。 小次郎は「ワシは人生に疲れた。宮本くんと戦ってプロレスラー人生に幕を引きたい」と語っていたことから『宮本武蔵を利用した佐々木小次郎の自殺』という説もある。 コジは二刀流の武蔵に対して「1たす1は2じゃないぞ。備前長光は200だ。10倍だぞ、10倍」と愛刀の長さをアピールしてたのが有名
このエピソードからも数字に弱くゆえに試合開始時間を間違えたというのが定説 コジが二天一流の武蔵を略してテン呼ばわりしたところからテンコジ対決と呼ばれたんだよな 信長からピンフォール取った癖に大成しなかった光秀が
天海とかいう坊さんギミックで家康のマネージャーやってるってマジ? 兄弟タッグ喧嘩別れして日本マット追放された義経が大陸渡って世界最大のテリトリーの団体作ったって説と同じくらいの信憑性 光秀は信長からベルトを奪取したもののすぐに挑戦者に名乗りを挙げた秀吉に苦戦。
遂に場外にエスケープしたものの土民の『三股の槍・アックスボンバー』を
食らって、無念のリングアウト負け。
「光秀立て! 復活して魂のゴングを打ち鳴らせ!!」という実況アナの絶叫も虚しく
響いた。
しかし、のちに「空海」なる謎の覆面レスラーに変身して、細々と活動を続けたという
噂もある。いずれにせよ、天王山で「レスラー・光秀」としては幕を閉じたのである。 たいして能力無いのに金ケ崎、信長土下座、信玄上洛、刀根坂と4回も天下を狙えるほどのプッシュを与えられておきながら、
結局全部つぶして滅亡した朝倉義景をは後藤のバカ殿を彷彿とさせる 朝倉義景は文化人としては一流。
今川氏真と同じで、なまじプロレスラーの家系に生まれてしまったことが悲劇だった。
他にも長州あたりにも同様の人が存在したような・・・・・・・・・ >>224
京都来いや、信長の背後つけやとせっつかれても
雪がとけてからねっともたもた腰が重かったんだよ
雪がとけたころには好機もとけ領土もとけたでござる >>227
色々な逸話が残されているけど、その大半は実は前田利家の話らしい。
本物のトンパチレスラーというか傾奇者は間違いなく利家 >>223
四国テリトリーでの彼の武勇伝は凄まじい 残された鎧から前田慶次はそんなデカくなかったらしいな 冬季水風呂デスマッチで利家はキッチリ水風呂ダイブを見せてくれたけど慶次は受けなかったからね >>229
試合前によくうどんの屋台出してたな
当時は誰もうどんなんて知らなかったから、物珍しさで行列ができてた 豊臣プロは当時現場監督に就任した三成に反発して
加藤 福島 細川 黒田 藤堂 浅野 蜂須賀といった生え抜きの
名レスラー達が大量離脱したのが痛かったな。
思えば家康にもあん時三成の解任を求めた時点で徳川プロ
旗揚げの構想はあったんだろうな。 >>233
実力と人格を兼ね備えた大谷がセミリタイアだったのも大きかったと思う
大谷が元気なら三成にも加藤福島にも押さえがきいたかもしれんが
当時はすでに病状が進んで頭髪もごっそり抜け落ちてたらしい >>233
実質的に衣鉢を受け継いだレジェンド前田利家さんさえ生きていれば…… 三成と言えば光秀・淀殿と並ぶ戦国3大メジャーヒールとして
江戸以降、戦国ファンからはずっと嫌われてきたが、
2000年代に入った頃から「実はいい人だった・・・」的なのが
ファンの間でも言われるようになってきたね。 かつてはメジャー団体のエースの御曹司であるプリンス氏真。団体解散後は各団体のエースにタッグパートナーとして売り込む
売り込まれた側も集客力やスポンサー獲得を目論み、テストマッチで起用するも使い物にならないことがすぐに露呈、どこへ行っても追い出されることを繰り返す まあ今とルールが違うんだから
いい人悪い人というのはどうかと思うんだよな 日本号が槍なのに正三位の官位を賜ったのはアイアンマン官位戦線でも画期的だったな
後のヨシヒコやミステロンも日本号がいなければ生まれていなかったかもしれない >>237
今じゃ氏真はかつて今川プロレス時代にあごで使ってた若手前座レスラーだった家康に
媚売って使ってもらっている始末だからな〜
ここまで落ちぶれてもしぶとく生き残っているのがある意味凄い 足利義昭と武田信虎と今川氏真と斎藤龍興で奏でた『四天王プロレス』みんな、しぶとかった。 >>206
固結びにしていたリングシューズの紐がなかなかほどけなくて >>242
足利プロレスもかつては日本一のテリトリーを誇ったが、ダイレクトメール義昭がエースとなってからは、旗揚げの地である鞆の浦で興行打つのが精一杯に
晩年豊臣プロレスにレジェンドとして招かれた時は、往年の蹴鞠殺法で都のオールドファンを沸かせたことも >>239
田沼意次は小姓上がりで若いころの肖像画はイケメンなのに
テレビとかの時代劇ではいつもいかにもな悪人面の俳優が演じてて不憫だなw >>242
シュートに強すぎた義輝がハンディキャップマッチで引退したのと、義栄が塩過ぎたのが
問題。義昭はそうせざるを得なかった。悪あがきにしか見えなかったが頑張った方だ。 >>247
義輝が強かったって江戸時代の作家が書いたブックなんだが真面目に信じてる奴多いよね 最期は講談みたいな死に様だったものな、まあ、多少は腕が立ったと
言うほどのもんなんだろうな。 義輝も氏真も、名トレーナーの塚原卜伝からシュートの手ほどきを受けていて、シュートがべらぼうに強かった。
しかし、プロレス板住人のみんなは解っていると思うが、シュートがいくら強くても、レスラーとしての器量はまた別物。
ただ、義輝は団体運営はうまい方だったと思う。
氏真はレスラーとしては大成しなかったが、サッカー選手として信長の前で試合をしてハットトリックを決めているんだよね。 砲術家の稲富祐直も
コーチとしては優秀だが
実戦はからっきし駄目という 義輝はシングルは強かったけどパートナーに恵まれずタッグでは白星配給係だった。 なおリアルセメント王のSINGEN武田に対しては平身平頭の臣下の礼をとって戦いを避け続けたクレバーさを持つ信長
ガチ界ツートップの信玄と謙信
プロレス界の王信長 信長が父信秀の位牌に抹香投げつけた時は、そこまでやるかってドン引きした覚えがある
話題作りのためか、うつけ者ギミック守るためか、はたまたガチだったのか、今となってはわからないけど、
「織田プロ終わったな」ってその時は思ってたんだけどなあ 信長は謙信にも国宝級の高価な屏風を贈って懐柔してるね。
信玄と謙信はガチ最強だわプロレスも上手いわで手が付けられなかった
からナ。
何とか時をやり過ごして、二人が死ぬのを待ってたんだろうな、さすが
なかなかの策士だ。 信長の凄い所は信玄と謙信と直接戦わず事だなに、両者を戦わせて疲弊させた事だな 信長包囲網の末路を見れば、結局弱者大連合なんてものはゴミだと分かる。GPWAとかwww 謙信にリングアウト負けを喫した手取川興行では、「跳ねる謙信逃ぐるとぶ長」などと揶揄
されたが、実際には信長はリングに上がっていないとか。
「まあいいや。どうせ謙信は期間限定の兼業レスラー。冬になると越後で活動休眠状態。
やがて冬になれば越後に引っ込む。ワシは違う。365日プロレスラーだ」とコメントしている。 謙信と信玄がタッグを組めば戦国の超獣コンビだったのに惜しいな。試合すれば相性も良く、裏では塩のプレゼントとかして、致命的に仲悪かった訳でもなかったろうに。 最強タッグにエントリーしていれば信玄&謙信の帝王コンビが恐らく優勝。
信長&信行の「敵刺すの荒馬兄弟」コンビは、残念ながら仲間割れして空中分解。 氏真は武田とガチで戦ったら勝てないから、経済制裁というリング外の戦いに持ち込んだら
信玄と犬猿の仲と言われた謙信からまさかの支援が来たのが想定外だったな
信玄と謙信はボロボロになるまでやりあって友情でも芽生えたんだろうかな? 最初から信玄と謙信が戦わずにコンビを組んで信長と戦っていたら
織田プロレスは完全崩壊してたのにな〜
例えそれが桶狭間興業の直後で義元が負けた後であっても簡単につぶせた。 武田プロ 2代目社長になったらすぐに潰れたイメージだけど7年ももったんだよな
しかも武田プロ社史の上で一番規模のデカイ大会は2代目社長が打った >>264
あれは古参レスラーと古参フロントがすぐに先代と比較してくるからやりにくかったみたいだな。
古参の連中は早々と引退した長男よりで勝頼を軽んじてたしな。 長篠興行での織田プロとの対抗戦で世間的に織田プロ>武プロのイメージが決定的になったよな
騎馬隊と呼ばれた武プロ勢の突貫ファイトより織田プロ勢の飛び技の方が支持集めて業界全体のプロレススタイルの転換期になったわけで 戦国タッグトーナメントをやったら両兵衛が優勝しそうな気もするが
高橋紹運立花宗茂のタッグに期待したい気もする >>267
戦国ミックスドタッグトーナメントもお願いします。
信長お濃、秀吉ねね、利家お松、一豊千代、宗茂ぎん千代などなど 戦国ディーヴァなら お濃を推しだな
おとんからもらった小太刀 「これで父のマムシを討つことになるかも」なんて返しすげえセンスいいわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています