セメントの鬼・織田信長と、その家臣団
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桶狭間で今川義元にシュートを仕掛け大勝利を収めてから本能寺で突然の引退興業を行うまで戦国プロレスの最前線に立ち続けた男とその周辺。 京都巡業に向かう今川プロレスのバスを襲撃したんだっけ 1560年5月19日 尾張の国・桶狭間屋外特設リング 観客・2万5千人以上 天候・雨
○ 織田信長(TKО 試合時間不明) 今川義元 ●
※月刊リングアウト・熱戦譜より抜粋 その時の「松平、お前は噛み付かないのか。今しかないぞ俺たちがやるのは」
から織田中心の下剋上勢力vs守護大名家の新旧世代闘争が激化していくんだな 明智の唐突なヒールターンには正直ついてこれなかった
今思えば伏線が張り巡らされてるんだけど 結構、カシン、いや家臣の裏切りに遭遇している。敵の数が多い人だった。
他団体からも結構有望な選手を引き抜いていた。 「で、あるか」だけで観客を沸かせるマイクパフォーマンスはまさに神、いや第六天魔王 まさかモン吉羽柴が後釜に座ることになるとは
若手時代から見てるけど
夢にも思わなかったわ ベルトに火薬を詰めて爆死したヒサ松永も信長の好敵手だった >>8
エリート連中にこのミゼットがと軽く見られたのに
信長は会場人気とグッズ売上だけ見て判断する合理主義者だったから
上に行けたのが大きいな 軍団抗争を持ち込んだのも、信長が最初かも知れない。実弟の信行(信勝)や
那古野の織田彦五郎、犬山の織田信清など、意外に足元に敵が多かった。
インディー団体時代で、ギャラリーの関心を集める必要性もあったのかも
知れないが。 今川義元から大金星を挙げたのには驚かされた。重臣の林佐渡(通勝)からはタップ
して傘下に入ることを勧められていた。そうすれば、前座レスラーとして、なんとかクビは
つながるだろう、と。
しかし、信長は「オレは今川のかませ犬じゃない」と、断固、負けブックを拒否。清州場内
での興行を行わず、野外での特設リングでの決戦に踏み切ることに。 誰もあんなヤングライオンにKO負けするとは思わなかっただろうな ヒサ松永は九十九髪茄子ベルトは信長に渡したのに
平蜘蛛ベルトだけは死んでも離さなかったんだよな
ところでヒサ松永の爆死はガチなの?ヤオ? 対比叡山のファイヤーデスマッチで
絶対王者を確立した。
比叡山プロレスレスリングはそれ以降自主興行が
打てなくなったし、あれがターニングポイントだった。 >>14
今川の慢心が負けに繋がったな。
あんなやつ(信長)なんて目ぇつぶって30秒だよ
みたいな。 ヒサ松永の爆死はガチだが、平気で負けブックを飲める柔軟性も持ち合わせていた。
性格的には完全なるヒール。しかし、実力的には文句なしのトップ・クラス。
比叡山とのデスマッチは後世に残る名勝負だった。これで『絶対王者・信長』の地位が
確立されたと言って良いだろう。『神仏にすがるくらいなら、オレを拝め。オレが神だ。』
の思想が世間に知れ渡った。
NWA(信長レスリング・アライアンス)は衰退したAWA(足利レスリング・アソシエーション)
に代わる一大勢力となるが、AWAの最後の会長・足利義昭も策謀家として、しぶとく
戦国プロレスを生き抜いたレスラーとして記憶しておきたい。 >>18
AMAはテリトリーは縮小してもレスラー一家の名門としてずっと後世まで残っているから大したもんですよ。
NWAと言えば対一向一揆との一連の抗争も文字通りヒートしたのも忘れてはならない。 ベルトを求めたのに断られ地方団体のエースにさせられた滝川一益 柴田勝家と滝川一益と丹羽長秀と羽柴秀吉が展開した四天王プロレス。
あれ、明智光秀は? >>22
明智はレスリングセンスは同時代ナンバーワンとされながらも華と人望がないのが致命的だった。
プロレスリング下克上を旗揚げするもユニバースが
全くついてこなかった。
エース信長の元でセミファイルぐらいのカードで地道にやってればエースの目もあったろうに。でなくても
手堅い手腕からフロント入りで一生プロレスでくえただろう。 明智選手があのような裏切り、ファイトをしたことについては?
ああ、もう絶対許さないよ。うん。
そういうファイトで来るんだったら、俺だってそうやっていくよ。な。
一発いいの入っちゃったから。ね先に。それで本能寺も燃えて俺死んじゃって、
ちょっとわかんなくなっちゃったけど。 信長は初めて外国人レスラーを入団させた人でもある。本能寺引退興業にも参戦。名前は稲妻二郎だったか、稲妻レッグラリアートだったか思い出せないが。 ナウリーダー(朝倉・六角・比叡山)vsニューリーダー(織田・浅井・徳川)の抗争で
ニューリーダー側の副将格のはずだった浅井長政が
いつの間にかしれっとナウリーダー側でリングに上がってたのは
マネージャーの久政氏の意向があったらしいね あの時代、ザビエルをエースとするイエズス軍団も
西国大名を巻き込み本格的な抗争に入るまでは期待大だったが、秀吉の「またぐなよ」で抗争が不発に
終わったのは残念だった。盛り上がればゴールデンの
生放送も夢ではなかったのに。 『アイアンマン』のテーマに乗って暴走戦士・信長登場。性格が短気だけに短期決戦には強いが受け身に回ると案外モロかった。 基本負け試合はセルしないでとっとと終わらせた印象
金ケ崎6メンタッグは早々試合放棄して
明智秀吉がほとんど受けてた 杉谷善住坊というテロリストの襲撃も受ける。「何奴?藤原か?」意味不明の言葉を発す。 上杉、武田に連敗した家臣団たち
柴田勝家は謙信に真っ向勝負で挑むも相手にならず
徳川家康も信玄にはリング中央に誘い込まれなすすべなく大敗
信長とのシングルマッチが尾張、岐阜で実現しなかった
初対決もあって色々と幻想膨らんでいただけに実現しなかったことが惜しまれる 老舗団体トップのプライドが
許さんかったのか
ショーグン足利と信長の
蜜月関係も長くなかったな
細川移籍にはびびったけど 柴田勝頼、もとい柴田勝家は、信行(信勝)を擁立して信長に反旗を翻したこともあった。
しかし、改心して信長に服従を誓った。
信長は、一介の若手レスラーだった時代は、自分に反旗を翻した者にも案外寛大で一度は
許す柔軟性があった。
しかし、そんな信長も荒木村重が他団体に走った時は大激怒。
「奴がくたばったら墓にクソぶっかけてやる」と口走ったものだ。なお、この発言は
『信長公記』には記されていない。 宴会で笛吹いただけで首にされた
佐久間っていうベテランもいたな 黒くて狭いリングで戦う利休のストロングスタイルがヒデ・ヨシに潰されたのは不穏 誰でもリングに上がってこい、の楽市楽座スタイルが受けて
安土タワー建てちゃったもんな。 斎藤2代目・義龍は大型レスラー。暗愚とみなされていた時期もあったようだが意外に
実力派。ハンセン病を装って父(実父かどうか怪しい)を欺こうとしたが、ハンセン病患者
の近くで動作を真似しているうちに、本当にハンセン病に侵されてしまったという。
「土岐は来た!」と決起して道三を攻め滅ぼした後、打倒・ハンセンに心血を注いだが
ハンセンには勝てず、志半ばで世を去る。信長が間諜を使っての苦心の毒殺という説も
あるようだが真相は定かでない。 今にして思えば東に追いやったはずの家康の関東が
巡り合わせで日本はおろか世界的な大都市になった。
日本統一も明治維新で真に果たされた。
信長や秀吉、家康達がいなければ後楽園ホールも
東京ドームも無かった。 今川プロレスとの抗争はやり過ぎ。力道VS木村の比ではない。学生プロレスのTOPが
新日のTOPにガチをしかけてボコボコにして、大衆とマスコミの前でノックアウトしたような
ものだからな。別に強くなくても良いんだがあれは印象が悪すぎる。
そのせいで今川プロレスは潰れた。一気に名前打ったがブック破りで信頼を無くして
交流する団体が弱小の徳川プロレスしかなかったのが寂しい。 今川氏真を世間ではバカにする向きが少なくないが、とんでもないことである。
蹴鞠の天才で、本来は宿敵である筈の信長の前で蹴鞠を披露して大絶賛されたこともある。
さすがはサッカー王国・静岡のパイオニア戦士的存在である。父親の今川義元と共に
もっともっと評価されていい「天才キッカー」であることは忘れたくない。 >>39
バッドニュース・アレンだか弥助だかアブドーラ・ザ・ブッチャーだか名前が思い出せない。
なにぶん400年以上も昔の話である。
あの頃はワシも若かった。 桶狭間興行の真相は日没引き分けのブックをノブが破った説や、偶然クビにいいのが入って決着した説など諸説入り乱れてるな この頃一般庶民の習い事として広まっていた本願寺空手との異種格闘技戦も激しかったね。 >>49
あれは盛り上がったね。本願寺側に転向するレスラーや毛利・武田・足利の三団体も金になると見込んで織田プロと交流戦始めたからね。最終的に織田優位のドロー。負けブック飲ませられなかった唯一の団体かもしれない。 >>27
アジア各地のテリトリーでカトリック系団体が
地元団体から何もかも奪い取っていったのを警戒してたんじゃろうな 「いつでもどこでも誰の挑戦でも受けて立つぜ、この野郎。オレの首を
掻き切ってみろ」などと大見得を切っていたから、本能寺で光秀の挑戦を
受けて立つ羽目になった。直前に柴田勝頼、失礼、武田勝頼を滅ぼしたから
慢心してしまった部分もあったのだろう。この年の10大ニュースのトップに
満場一致で選ばれ、日本史史上屈指の大事件だったが、「是非に及ばず」という
発言は流行語大賞にも選ばれ、転んでもタダでは起きない一面も見せている。 信長包囲網抗争のブックは見ごたえがあった
経済要所を抑え経済的地盤を築き上げた上で多方面に家臣団を派遣し対抗戦を展開
数年にわたりファン熱狂させた 家康は信長のことを『アニキ』と呼んで抱きついていたな。 今川って格闘技のバックボーンがあって実力は最強とされていたけど
大弓を振り回しながら入場してきて
イカスミを噴射して口の周りが真っ黒になるようなレスラーだったんだよね。 戦国最大の祭典の関ヶ原興行、日またぎ確実と言われていた試合数なのに短時間で終了してしまって観客は納得したのだろうか。 まあ、あの世紀の大興行に、諸事情で参加できなかった大物が
何人かいるからな、観客はオールスターフルメンバーで見た
かったのは間違いのないところだ。 西軍控え室にはいくつかの派閥もあり東軍徳川の引き抜き工作などで
興行前から不穏な空気
また三成が現場を仕切ることに対して快く思っていないレスラーも多数いた
毛利はギャラの前払いを要求したが三成が首を縦にふらなかった >>51
中国地方の毛利プロと熱い試合していた秀吉が大ブレークしたな。あの包囲網アングルで信長プロのレスラー間で頭一つ抜けた感じ。 両者リングアウトを連発する武田信玄と上杉謙信の川中島での興業も良かった。 信長の幼少時代のリングネームは吉法師。竹千代→松平元信→松平元康→松平家康
→徳川家康とリングネームを変えていったレスラーもいた。
「北条早雲」のリングネームで知られる戦国プロレス初期のスターは、実は自らは一度も
北条早雲とは名乗ったことがない。ワシは北条早雲のファンだったので「早雲さん、サイン
をください」とお願いしたことがあるが、色紙に書かれていた名前は「伊勢新九郎」じゃった。 徳川秀忠、真田との場外乱闘で関ケ原興行不参加。ボイコットではない。
この関ケ原はプロレスファンの聖地として知られ、三成が陣取ったあたりは撮影スポット
として賑やかだが、写真撮影して車でとっとと帰る人が大勢いて、もったいないと思う。
リングのほんの一角に過ぎず、島津義弘や宇喜多秀家などの強豪レスラーの陣取った
あたりまで足を伸ばして欲しい気がする。 調略、兵糧攻めからの切り崩しと戦う前に勝てる状態にまで持っていけるあのムーヴは
針売行商で各地を回ったりした下積み時代の経験で培ってきたもの
家臣団からはネズミ、サルなどと呼ばれ忌み嫌われてきた秀吉だが
信長さんからは可愛がられ引き上げてもらった
関東制圧後、征夷大将軍王座に見切りを付け太閤王座に切り替えて念願の戴冠
大阪城会場を建設した下克上レスラー
しかし信長さんは秀吉をかわいがる一方で明智をあそこまで違う意味でかわいがり、虐げたのは何だったなろうな
接待で出した鯛が生臭いだの、領地召し上げで切り取ってこいやとカマしたりして明智がファビョってガチ仕掛ける結果になった UWFの全選手入場式は、少年時代の前田が生で見た京都御馬揃えの感動を再現しようとしたものだそうだな 関ヶ原大決戦はトヨトミ・H・ジュニアが参戦していれば
その後のマット界は大きく変わっていた。
リングに乱入しようとした小早川の前に疾風のごとく現れ
びんたをかますシナリオまで決まっていたのだが。
リングに上がらないでも「テメエらこの俺に刃向かえんのか?」とのアピールだけでもよかったのにクイーン・ヨドがゴーサインをあきらかに見落とした。 >>42
フライングニールキックのオリジナルは今川氏真
と言われてるしね。 >>61
もはや実態の無かった「関東管領ヘビー級チャンピオンシップ」にこだわっていた上杉はファイターとしては実力もケレン味もあるのは万人の認めるところだがやはり時代に愛されなかったのだろう。 応仁の乱は結局、両者レフェリーストップ。「我々は殺し合いをやっているのではありません。分かってください」 信長がPPVのメインで勝つと翌日の放送が負けた大名のスカル盃で乾杯から始まるの、子供心にすげえ怖かった >>63
一説には身長190もあったとか。
最強幻想が高まるね。 家康オーナーがケツにキスさせようとしたらあまりに巨体でビビって豊臣プロ潰す決心したんだっけ?身長だけでなくウェイトもスーパーヘビー級だったとか。 歴史に「IF」は無意味かもしれないが
大阪城ホールが金閣寺みたいなきんぴかで30000人収容の専用会場になっていたかも。 ギブUPまで待てない信長プロレス。長島興業は凄惨だった。相手がマットを叩いているのに攻撃の手を緩めず殲滅状態に。 信玄謙信をみてるといい試合だけじゃ天下を取れないんだろう >>72
今川氏真の『塩試合はやめてファンを楽しませよう』って塩断ちアピールを無視したのはカッコよかったな。試合は塩だったけど >>72
考え様によっては、延々とエキシビションマッチやってたみたいなもんだからね。 >>73
上手い!
信長さんからご褒美貰えるかも。 >>75
タッグ戦線にをかせられ候条、シングルベルトの冥加つき候 >>72
どちらも負け役を飲まなかったからな。名勝負だけどその後の展開ができなかった。そういう意味で負けを相手に飲ませ続けた信長は偉大なレスラー。足利プロを吸収してベルトに権威を持たせたからな。 仙石秀久「長曾我部元親、戸次川・・・正直スマンカッタ」 ペリー 『徳川幕府ファンノミナサーン!目ヲ覚マシテクダサーイ!』 関ヶ原興行イリミネーションマッチで東軍リングサイドへ猛然と駆け抜け最後まで生き残った島津義弘はガチ チームウェストの最強レスラー、MUNESHIGEが途中で道草食って
遊んでるうちにレッスルマニア in 関ヶ原が終わってしまったのは
全くの想定外・・・
本来なら数ヶ月は続く大イベントになるはずだったのに、たった1日で
終わってしまうとは、MUNESHIGEはさぞかし無念だったろうな。 大徳寺で利休像のケツにキスする会を開いた利休が翌週切腹命じられて、自分の内臓にキスする会を開く羽目になったのは笑ったな >>72
どちらも攻めるか休んでるかでセルをしないから
試合が単調だからな。対して京都や東海テリトリーのレスラーは激戦区だけあって常にユニバースに飽きられない合戦を心がけていたからな。 >>49
純真だなw
あれは明らかに次世代のチャンピオンとしてヒデ・ヨシを売り出すためのブックだろ
今なら信長vsヒデ・ヨシで直接やり合うんだろが当時はベビー同士の対戦はご法度だったからな
堅実なベテランだった明智がヒールターンしてワンポイントリリーフの王者を務めただけ
むしろそこまでして売り出したジュニアで人気を博したヒデがあんなに動けなくなったのが誤算だった 石川数正が秀吉とのタッグを解消したのはブックじゃなくてプライベートの不仲の影響もあったってマジ? マサムネの独眼竜ギミックはいいよな
中二心をくすぐられる 中国大返しはヤオ
新幹線使ってた
神君伊賀越えだけはガチ 僅か11日でベルトを手放した明智光秀は、歴史評論家の間で『戦国界のキラー・トーアカマタ』と言われている。 勝ちブックおじさんと化してからのヒデはひどかったな
女子レスラーとやりたいだけの老害でしかなかった 宣教師ギミックの外国人レスラーをまたがせず、
国内団体を荒らさせなかったことは数少ない評価点 宣教師系レスラーが男女問わず客に手を出してたとかお持ち帰りをしてたのが原因らしいけどガチ? >>90
十字架を背負ってリングインするパフォーマンスはキモにパクられてたな ボク、今川氏真です。プロレスラーの家系に生まれたがばっかりに長年「無能」扱いされて
きました。本当は無能ではなくて「無害」なんです。信長さんから危険人物扱いされずに
首もつながりました。地味に凄いでしょ? 無抵抗は最大の防御なんですよ。
攻めることだけがレスラーの強さを示す基準じゃないんです。そのことがわからないで
「俺が俺が」とやる人が戦国プロから消えたんですよ。
処世術の天才・ボク、今川氏真です。 ・伊達政宗 父の輝宗(41歳)から18歳の時に当主の座を受け継ぐ
・幼少期の病から隻眼となり母親から疎まれ、代わりに弟小次郎を溺愛するアテツケっぷり
・政宗が鎮圧した畠山義継に父・輝宗が拉致されてからの「ワシごと狩れ!」で父死去
母からさらなるヘイトを買う 母曰く「そなたは鬼子じゃ!そなたが殺したのじゃ!」となじられる
・人取橋の戦い 7000vs3万の兵力差をくつがえし 自らも鉄砲傷をもらいながらも奮戦し撃退
・大崎合戦 母、最上御前が戦場のど真ん中に輿に乗り込んで80日後に停戦させる ノーコンテスト裁定
・秀吉からの呼び出しで小田原参陣直前に母からの初めての手料理をふるまわれ実は毒入り毒殺されかかる
泣く泣く弟の小次郎を手討ちして参陣
・白装束、十字架を背負っての伝説の入場
奥州ヘビー級王座を戴冠した独眼竜だが、関東ヘビー級王座戴冠、京都での王座挑戦も見たかった名レスラーではある
その生涯は非常にドラマティックで今も根強いファンが多い 西日本のチャンピオン・毛利元就。厳島での興行は「西の桶狭間」と呼ばれる名勝負。
桶狭間で今川義元の首に強烈な一撃を見舞った毛利新助(良勝とも)との血縁関係は
ない。 備中高松体育会館でのヒデ・ヨシと清水宗治の時間無制限一本勝負はハードだったね
アリーナ席で見てた客の多くは水攻めに巻き込まれて死んだらしい 江戸時代になって徳川プロ一強になりレスラーがサラリーマン化したのがよくなかったね。
背広組、現場ともガチ対応ができなくなって
ペリー・ザ・ブラックシップに入場から圧倒されて
為すすべもなかった。 >>101
ヒデ・ヨシはもっと生きていれば世界に打って出て
ワールドフェイマスになっていたろうな。
本当に悔やまれる。 >>102
徳川プロの頭脳派レスラー松平“IZU”信綱は試合巧者だったね
伴天連レスラー天草詩郎との死闘は寛永の名勝負数え歌だよ 堀田正盛「IZUって先輩ヅラするじゃないですかぁ。」 ヒデ・ヨシの実力には異論はないが、それよりもノブ・ナガが長生きしていたら
今頃、世界中で日本語が公用語になっていたような気がする。
ジュニア・ヘビー級の体形のヒデ・ヨシはサル顔のルックスも含めて本来はメイン
を張るのは難しいところだ。 レスラーたちから評判の悪かった三成をブッカーにしたあたりからヒデ・ヨシは落ちていったんだよなぁ
この辺は長州とGKに通じるものがある >>100
陶晴賢「正直ポカやりすぎた、ポカやりすぎた」 血だるまの信長「朝倉〜!!なぜ姉川で浅井に俺を襲わせた〜!!」 >>96
どちらも短期王者だけにね。
あとトミーリッチと早く言うと明智に聞こえなくもないし。 >>100
元就はガチ最強かも。
厳島もまあまあだが、デビュー戦の有田合戦はある意味桶狭間以上だし、郡山籠城戦も凄い。 ヒデ・ヨシはマネージャーのヒデ・ナガの役割も大きかった
マネージャーヒデ・ナガとブッカーのサウザンド・リーが団体の両輪を回してたが
ヒデ・ナガとの死別からリーとの関係がおかしくなってあんな形で訣別する事になったからね 歴代武士のベストをパウンド・フォー・パウンド
で考えたらヨリ・トモかタカ・ウジかノブ・ナガ
あたりになるのは異論は無いだろうね。 >>81
戸次川大会後に姿をくらましてから長期欠場していたが、
小田原大会での復帰戦は凄い盛り上がりだったな。
鈴をたくさん付けたガウンで入場してきた時は
場内が大ゴンベエコールに包まれていた。 信長はガチの実力がすさまじくトンパチレスラーだった
光秀は人気は無かったが技巧派で玄人受けするレスラーで常識人だった
秀吉は貧乏な家庭で育ったがトップレスラーになった成り上がり人生だった
家康という地味な強いのか弱いのかわからないレスラーが天下を取るとは分らんものだ 実力や人気は除外して性格的には
信長=力道山タイプ
光秀=ジャンボ鶴田タイプ
秀吉=アントニオ猪木タイプ
家康=ジャイアント馬場タイプ
異論は認める 足利義輝(AWA13代王者)の引退試合・1対他(正確な人数不明)のハンディキャップ
マッチは義輝のガチでの強さを実証したものとなった。松永久秀の義輝へのリスペクト
ぶりがうかがえる。シューター・義輝は、とかく軽く見られがちな室町プロレスの中では
異彩を放っている、と言えようか。 三好三人衆の渋さを理解できれば本物の戦国モノ
なお俺はわからない シックスメンタッグ戦以外で見たことない&実を言うと一人一人区別付いてないファンが多い 小田原大会でのヒデ・ヨシたちのドンチャカ騒ぎはすごかったな。 入場演出のアクシデント感電で半身不随になった立花道雪が
復帰戦で「名高い人」と書かれた神輿に乗って入場してきたのは歴史に残る名シーン 濃姫がうだつの上がらぬ「大うつけレスラー」だった信長に闘魂ビンタ注入。
「さっさと天下取って来いよ、このボケ!」と罵詈雑言。
さらにシャイニング・ウイザード一閃。起き上がったところへランニング・
ネックブリーカー炸裂。覚醒した信長は、以後、大化けを果たす。
このことは『信長公記』からは削除されている。 >>118
義輝の強さは本物だったな。複数の相手レスラーをガチで倒していった様は鬼神の如きであった。
まあさすがに最後はスタミナ無くなって壮絶な負けになったけど。引退試合としては立派。
でさあAWA14代王者になった義栄っていうショボい王者は・・・・
あんなの単なる学生プロレスの自称プロレスラーを無理やり王者に仕立て上げた
ぐらい無理あったぞ。しかもインパクトなさ過ぎてファンのほとんどが覚えていないという罠
AWA15代王者の義明の方がまだ悪あがきするヒールレスラーとして輝いていた分マシ 猪木の対国際軍団とのハンディキャップ・マッチは、13代王者・義輝のパクリ。
新間氏が週刊フェイク誌でそう語っていた。 三成が秀吉に初めてちゃんこを振る舞ったエピソードは感動したな
初めは腹を満たすためにぬるめの豚ちゃんこをでかい器に大盛りで
おかわりは味を楽しむために少し熱い鱈ちりを小さめの器で
三杯目はミキサーでドロドロにした大量のササミを秀吉の口に流し込んだっていうやつ 家康の信玄戦でのお漏らしはガチなのかギミックなのか 家康が雲故漏らした試合って考えてみたら信玄の引退試合だった。見事、男の花道を飾ったな。 逃げ込んだ浜松城を開門し、かがり火をたいたところ
家康のにおいを嫌って武田軍は突入をためらったそうな 大河プロレス書房 信玄「プロレスは勝ち過ぎないほうがいい」は名言。味方にラブレターを送っていたのはショボかったが。 >>129
本人は「腰味噌」と言ってたが、口の悪い家臣は「刹那糞」など
と、まるで必殺技のように呼んでたのが印象深い。 でも漏らしたときの様子をイラストにしてTシャツ発売してたのはさすがの商魂だよな プロレスとは関係ないが、高坂に送った浮気の言い訳メールが流出してしまった信玄。
高坂の怒りを解くためにかなり腐心したらしいね。
高坂は、躑躅ヶ崎道場に「人間不信」と大書して草津温泉に行っちゃって、かなり動揺したらしい。 信玄と謙信のプロレスは「阿吽の呼吸」で、見ていて安心出来るものだった。
世に名高い川中島興行は1本目は謙信が取って2本目は信玄が取り返し結果は
ドローだったものの、信濃ヘビー級王座を死守したという点において、若干信玄の
判定勝ちではないだろうか。 >>124
病気を隠すためのやむを得ずのマスクマン転向だからな
現場トップのミツナリの信頼も厚かったし当然とも言える >>137
その借りでトップレスラーの山本勘助が負けブック飲んでるからな。ああ見えて微妙なバランスをとっていた。 「千の顔を持つ男」その名も千利休。ヒデ・ヨシに見舞ったトぺはカッコ良かったが
実態は単なる喫茶店のオヤジではないだろうか・・・・・ >>137
しかし、弟の信繁の引退は痛かった。
信濃ヘビー王座と引き換えとしては、あまりに大きな代償ではあるまいか。 >>112
毛利三銃矢も実力者揃いだったけど隆元の早急引退が悔やまれるな
会場のタ・カ・モ・ト!コールとか大盛り上がりだったのに… 馬場信房(通称:馬場さん)、長篠特設リング場にて引退の10カウントゴング。
馬場さん亡き後、急速に甲州プロレスは斜陽化の道を辿る。 4本目の勝負、信玄はにらみ合いにしびれを切らしキツツキ戦法で勝負を決めにかかる
妻女山の上杉軍を別働隊で攻撃、これを信玄本隊が待ち伏せ八幡原に鶴翼の陣
謙信はそれを見破り、夜の間に密かに移動、霧が明けるとともに車懸りで信玄本隊を
襲撃。序盤は上杉が優勢で謙信本人も信玄に三太刀にわたり斬りつけたと言われている
後半は別働隊の到着によって上杉軍は挟撃され、謙信は撤退した
決着つかずもヘビー級大物同士のシングル戦は大いに盛り上がった 北条氏康のプロレス大好きだったなぁ。
いかなる技も真正面から受けまくったから、顔に向こう傷がついていたんだけど、その傷がカッコいいんだ。
なんか入場券もすごく安くて、ファンのあいだじゃ
二公八民チケットなんて言われてたなぁ。
山内、扇ケ谷、足利のユニット「カンレークボー」と、綱成、氏康の北条ブラザーズの川越夜戦デスマッチは、信長が今川を潰した桶狭間や、毛利が陶晴賢を引退に追いやった厳島興行にならぶ名試合だったね。 息子氏政がフィニッシュ技を出す前にボディスラムを二度とやるのを見て氏康が
「あいつは毎日プロレスをしているのに大技に入る加減もわからん。それすらできんようでは人の心など計れるはずもない」
とため息をついたのは有名な話 力長慶(りきちょうけい)が三好プロレスを率いて、一撃必殺の副王チョップで室町プロレスを蹂躙していた頃は良かったね。
皆白黒テレビで応援していたよ。
長慶の陰に隠れて目立たなかったが、鬼十河の頭突きは凄かった。
松永さえいなければ三好プロレスは存続していたのかな。
松永は三好プロレス離脱後、色んな団体を転々として結局最後は電流爆破デスマッチに行っちゃったからね。 >>148
力長慶を噛みつきで血だるまにしたのって誰だっけ?たしか、試合中継を見てた年寄りが何人もショック死したんだよね。 >>148
十河一存はバイクの事故で選手生命絶たれたんだよな
ほんと惜しいわ >>146
まさか400年後に地元小田原でファイヤーデスマッチが行われるとは思ってもみなかだろうね。 信長、ノブさんは光秀の裏方としての手腕を非常に高く評価していた
団体統一後はフロント業の重要なポストを任せるのはあいつしかいないとまで言っていたが、
同時に光秀のお上品すぎるプロレスが鼻について好きになれなかった
逐一手順を踏み、義理人情や仏教徒を殺すな寺院を燃やすなと信長に苦言を呈したため
衝突が絶えず、
「中国遠征ヘルプ行ってこいや そこで新しく新団体立ち上げてそこがおまえのポスト。今からお前は無所属や」
これが本能寺クーデーターの一因とも言われている 関ヶ原興行の前哨戦である田辺城ドームで秀吉の家臣であった高田治忠は当然西軍に属したものの
世紀の戦いで西軍は敗北
観客から「高田(治忠)〜前田(利家)が泣いて居るぞ〜!!」との罵声が飛んだのは言うまでもない この頃、女子プロレスラーで光秀の娘であるガラシャが突如引退。『殉死』と言えようか。 シーマンヅー一族は関ヶ原での退き口タックルや幕末の示現流柔術の印象から
攻め達磨のイメージを持たれることがあるけど
この頃は相手の攻めをたっぷり受けてからのカウンタースタイルを得意にしてたね >>152
しかも最近の定説によると。四国興行を光秀が準備してたのに土壇場になってキャンセルして
面目が立たなかったみたいね。迷惑かけた大名達にお詫び行脚。信長は知らんぷりだったし。 四国には、結局丹羽さんが行く事になったんだよね。
四国殴り込み前の、信長社長の「元親、お前は鳥無き島のコウモリだ!」って言うマイクパフォーマンスで興奮は最高潮に達したのに、クーデターで対抗戦終わって残念だったよ。 織田信長デビュー戦
◯織田信長【反則勝ち(平手の切腹)】●マサ平手 そういやノッブがまだ尾張のローカルインディーだった頃に新美濃プロレスと業務提携する時に、
控え室ではTシャツとジャージ姿で、道三社長は無茶な勝ちブック飲ませられると油断させといて、
実際の会見ではバリバリのスーツで臨んで対等な条件を勝ち取った…ってのは余りにも出来過ぎた話だと思う 戦国プロの試合は時々観客も巻き込まれるけど
中でも鳥取体育館のヒデ・ヨシ&クロカンVS吉川経家が悲惨だったらしいね
渇え殺しホールドが完璧に決まってるのにロックを解かず
かなりの数のアリーナ席の観客が死んだらしい ヨシは普段へらへらしてるけど、時々セメント仕掛けてくるから怖いよな
高松城ホールでも対戦相手のムネハルが、あまりのヤバさに
自分からタオル投げ入れる前代未聞のKO負けだった >>163
生き残った観客に雑炊を施したは良かったんだが・・・
急に胃に物を入れたもんだから急性の胃病になっちゃって、ほぼ
みんな死んだらしいな。 ヒデ・ヨシの方が、信長より残酷なんだけど、世間のイメージは、比叡山焼き討ちファイアーデスマッチや、伊勢一向一揆での種子島シュートマッチのイメージが強くて、信長の方が残酷なイメージ持たれてんだよね。
いざやるとなったら徹底的にやるのは一緒だと思うけどね。 ヒデ・ヨシはジュニア・ヘビー級で動きは物凄いんだけど、いかんせん顔が女性やチビッ子に
人気の出る顔じゃないんで信長が「そちは、覆面をかぶって『タイガーマスク』のリング・
ネームで今後、リングに上がったらどうだ。そうすればブサ顔もカモフラージュ出来るぞ」と
提案。ヒデ本人はノリノリだったけど、虎ハンターの異名をとる加藤清正がなぜか反対した。
「ボクとヒデさんが抗争相手になってしまうじゃないですか」
「あ、そう?」信長もあっさり却下。「まあ、いいや。もっと若い奴にタイガーマスクやらせるから」
しかし、本能寺で突然信長が引退してしまったので、団体内タイガーマスク・プランは、幻に。 清正はヨシの付き人だったから仕方ないかな
ヨシの弟子でマスクマンといったらゼロワン立ち上げた大谷だけど
流石の清正や正則もガチでマスク剥ぎ仕掛ける勇気はなかったらしい ヒデの小早川隆景蒲生氏郷二大エース路線は有名だけど
蒲生はこれからというときに引退してしまって
リアタイで見ていない俺にとってはいまいちすごさがわからない ヒデ・ヨシもえぐいけどそれ以上にカンベエの書くブックがえぐいんだよなぁ 氏郷はノブの最後の直弟子で、かなりエグイ裏技伝授されてたらしい
あのヒデが「東北新団体のエースを担えるのは俺以外は君しかいない」といって必死に丸め込んだらしいわ 慶長出羽合戦で伊達政宗が勝利に貢献し
突如現れた家康より「政宗、よ〜くお前だけ上がって来たな。天下を取り損ねた男がよく上がって来た」と
言われた。確かに20年早く生まれていれば伊達政宗は天下を取れたと言われている。
後年比較される永田さんも20年早く生まれていれば、本当に新日本プロレスの天下を取れただろう 言うほど永田さんも政宗も20年早く生まれてれば天下とれただろうか… >>173
セメントの強さとプロレスの上手さの両方必要だから、政宗は
ともかく永田サンにはとてもじゃないが無理(笑)
正宗には、毒殺未遂ギミック等、プロレス心が感じられる。 政宗の十字架背負い入場ギミックはUFCでキモがパクってたな 永田さん、大河ドラマに出て今川義元役、やったらどうだろう。やられる瞬間
白い眼を大きく見開いて・・・・・・・・・ブラウン管どアップで。 戦国プロレス3大悪役レスラー
・斎藤道三
・松永久秀
・宇喜多直家
北条早雲は、地元ファンに大人気で、人格者だったことが今では明らかに。 やはりあちこちにテリトリーが群雄割拠の頃に上洛してNWA王者を目指していた頃が面白かったな。
ノブナガマクマホンが統一しかけたあたりから興味が薄れるよ。 小田原城攻めは
大物レスラー呼んだわいいけど
みんなコーナーで休憩だったからね
さすがに北条もリング中央まで行って野戦バチバチやりたくはなかったか 小田原城力攻めしたら豊臣プロはどれくらい被害出たろう? 今川義元
「信長の目、飛んどるやん 飛んどるやん
今日はね、 まあ、最初に良いの一発入っちゃったから、あんななっちゃったけど
相手がああいうスタイルで来るんだったら俺だってやるよ 許さないよ
何が天下布武だこの野郎」
「だめだ・・・ だめだ・・・」 「やるのか?和睦か降伏しないなら、やるなら潰し合いだぞ?よし、堺抑えろ」 昔のプロレスラーはリングアナを兼任して自らコールしていた。 新田・初花・楢柴の天下の三肩衝を全て所有した者はグランドスラム達成者として讃えられるが、現在までに達成したのはヒデ・ヨシだけ 今川義元は駿河・遠江・三河の3冠統一王者だったことにふと気付いた。 >>187
武田のベルトコレクターぶりも地味に忘れられがち 戦国プロの中には自分でリングを設営したりベルトまで新設するものがいたという
中でも古田織部は独創的なベルトを作ったがあまりに乱発しすぎて家康に嫌われたのは有名な話 「GET THE WATER!(水攻めじゃ〜!)」
「なんてこと!備中高松城がダム葬!消防隊を呼んで」
「涼しげだな、俺も泳ぎに行って良いか?」
「ご自由に」 信玄はブック破りが多すぎて
提携してた団体に恨み買いすぎたな
それがジュニアの世代に回り回って 清水宗治の引退式はカッコ良かったな。本来ならば敵の筈の秀吉まで大絶賛。
男の花道を文字通り飾った。確か6万人くらいの観客を動員した筈。 >>182
織田信長
「もう終わりかよ! オイオイオイ、冗談じゃねえぞ、オラ!
今川プロレスファンの皆様、目を覚ましてください!」
「これが早雲イズムですから。殺るか殺られるか」 どーしょもない大うつけと思ってたがよおぉ
なかなかやるじゃねえか!信長ァ!
ちょーーーど小休憩で酒盛りしてた時に土砂降りがきて隙つかれちまったよ
あーーっくっそお!!負けちまった、、負けちまった・
俺の戦国G1クライマックスはこれで終わっちまったがよぉ・・
楽しいよ!すげぇ楽しいよ!!
俺に勝ったからには優勝するんだよな? あっちで高みの見物させてもらうよ! 桶狭間、雨だったから「逆取り」言うて、メインから先にやっちゃった。義元の承諾得てなかったけど後で話せばいいや、でね。 当時は「オイオイ、戦る前から酒盛りする奴いるかよ!!」と
総ツッコミ状態だったという・・・ 今川道場名物の鬼コーチ・太原雪斎さんが亡くなってから選手達の風紀も緩んでいたのかもね。
雪斎さんが現場で睨みをきかせていたら、試合の結果も変わっていただろう。 >>196
そのせいで当時前座で門番ポジだった柴田勝家の試合が桶狭間興行では行われてないんだよな
後に天下統一チャンプになる松平元康もスキットだけ撮ってさっさと帰っちゃった
岡部元信が社長の義元の不甲斐ない試合振りに「このままファンを帰す訳にはいかない」って
悪天候の中1人帰らずアピールしたの観てこいつは大成すると思ったがその後団体渡り歩いて終わったな 前田又左衛門が桶狭間で戦列復帰。「マエダ!マエダ!マエダ!」の大・前田コール。
愛智十阿弥なる男を斬ってしまって、しばらく放浪の旅に出ていた向こう見ずな若者が
満を持しての古巣復帰。どこぞの前田さんと違って、古巣から解雇されることもなく、
加賀百万石の大レスラー・前田利家として後世に名を残すことになる。 当時九州には魅力的なインディー団体がたくさんあって
ガチなら九州勢が最強ってまことしやかに噂されてたのに
関ヶ原クライマックスの裏でやってたロイヤルランブルで
九州レスラーたちが官兵衛にごぼう抜きにされてたのは悲しかったな 夢の架け橋・関ヶ原ドーム
メジャー所は参戦したが、インディーの雄、真田プロレスがいなかったのが不満だな 真田プロなら、近くの信濃ホールで徳川秀忠、榊原康政組と昌幸、幸村の親子コンビが試合してたよ。
親子コンビが終始徳川プロコンビを翻弄して、本来なら関ヶ原にダブルヘッダーで参戦の予定が、「地方会場だからって、早く終わらせないよ!」と、天龍同盟みたいな事言って、試合長引いたから、関ヶ原ドームに秀忠が参戦できなかったんだよ。 秀忠欠場だけど「まあ、いいや」と家康にしてはアバウトな考えで試合を決行。これだけ面子が揃っていれば入場料払い戻しの心配もしないで済むし。 小田原大会に伊達プロがナカナカ出ようとしなかったのはどういうアングル? >>201
最近出た利家周辺の考察本で、
実は密かに徳川プロ一強体制に対しシュートを仕掛けようとしていたのではとの説を見たな
結局実行には移されなかったが、実行されていたらどんなストーリーが展開されていたか あれはセミリタイアだった利家が最後に往年の名レスラー同士で有終の美を飾る筈だったんだよ
リアルな体調悪化して結局試合できなかったけど観たかったなぁ
その後家康が10年以上現役で勝ち続けたのが異常 巌流島の試合結果知ってる奴いる?
小次郎が仁王立ちしてるだけで録画時間終わってたよ、クソが >>209
武蔵の相手の巌流小次郎って奴、若手のイケメンという説と70過ぎのよぼよぼジジイという
説があるんだけど、どっちが本当なの?
無観客試合で細川家の重鎮だけが立会人になったから詳細が分からんのだけど・・・・
とりあえず武蔵が勝ったという公式発表があって、実際に武蔵本人が勝ったと試合後の記者会見に
応じてたから結果は正しいんだろうけどさ。 武蔵と小次郎はもともと播磨大学蹴鞠部のチームメイトじゃなかったっけ
京ではタッグで鳴らしていた時期もあったから、シングルマッチはブックを疑われないようにあえて巌流島で行われたって戦国スーパースター列伝に書いてあった気が…… >>211
小次郎が70過ぎのジジイとかいうデマ流した奴は誰なんだよ・・・・
武蔵も記者会見で「俺が勝った」としか言わないし詳細は不明のままだが 巌流島はですね、公式記録上は小次郎の不戦勝の筈ですよ。だって武蔵のヤロー、大幅遅刻ですもん。エキジビション・マッチで急遽行ったのが間違って年間最高試合に選ばれてしまったんですよ。 小次郎は「ワシは人生に疲れた。宮本くんと戦ってプロレスラー人生に幕を引きたい」と語っていたことから『宮本武蔵を利用した佐々木小次郎の自殺』という説もある。 コジは二刀流の武蔵に対して「1たす1は2じゃないぞ。備前長光は200だ。10倍だぞ、10倍」と愛刀の長さをアピールしてたのが有名
このエピソードからも数字に弱くゆえに試合開始時間を間違えたというのが定説 コジが二天一流の武蔵を略してテン呼ばわりしたところからテンコジ対決と呼ばれたんだよな 信長からピンフォール取った癖に大成しなかった光秀が
天海とかいう坊さんギミックで家康のマネージャーやってるってマジ? 兄弟タッグ喧嘩別れして日本マット追放された義経が大陸渡って世界最大のテリトリーの団体作ったって説と同じくらいの信憑性 光秀は信長からベルトを奪取したもののすぐに挑戦者に名乗りを挙げた秀吉に苦戦。
遂に場外にエスケープしたものの土民の『三股の槍・アックスボンバー』を
食らって、無念のリングアウト負け。
「光秀立て! 復活して魂のゴングを打ち鳴らせ!!」という実況アナの絶叫も虚しく
響いた。
しかし、のちに「空海」なる謎の覆面レスラーに変身して、細々と活動を続けたという
噂もある。いずれにせよ、天王山で「レスラー・光秀」としては幕を閉じたのである。 たいして能力無いのに金ケ崎、信長土下座、信玄上洛、刀根坂と4回も天下を狙えるほどのプッシュを与えられておきながら、
結局全部つぶして滅亡した朝倉義景をは後藤のバカ殿を彷彿とさせる 朝倉義景は文化人としては一流。
今川氏真と同じで、なまじプロレスラーの家系に生まれてしまったことが悲劇だった。
他にも長州あたりにも同様の人が存在したような・・・・・・・・・ >>224
京都来いや、信長の背後つけやとせっつかれても
雪がとけてからねっともたもた腰が重かったんだよ
雪がとけたころには好機もとけ領土もとけたでござる >>227
色々な逸話が残されているけど、その大半は実は前田利家の話らしい。
本物のトンパチレスラーというか傾奇者は間違いなく利家 >>223
四国テリトリーでの彼の武勇伝は凄まじい 残された鎧から前田慶次はそんなデカくなかったらしいな 冬季水風呂デスマッチで利家はキッチリ水風呂ダイブを見せてくれたけど慶次は受けなかったからね >>229
試合前によくうどんの屋台出してたな
当時は誰もうどんなんて知らなかったから、物珍しさで行列ができてた 豊臣プロは当時現場監督に就任した三成に反発して
加藤 福島 細川 黒田 藤堂 浅野 蜂須賀といった生え抜きの
名レスラー達が大量離脱したのが痛かったな。
思えば家康にもあん時三成の解任を求めた時点で徳川プロ
旗揚げの構想はあったんだろうな。 >>233
実力と人格を兼ね備えた大谷がセミリタイアだったのも大きかったと思う
大谷が元気なら三成にも加藤福島にも押さえがきいたかもしれんが
当時はすでに病状が進んで頭髪もごっそり抜け落ちてたらしい >>233
実質的に衣鉢を受け継いだレジェンド前田利家さんさえ生きていれば…… 三成と言えば光秀・淀殿と並ぶ戦国3大メジャーヒールとして
江戸以降、戦国ファンからはずっと嫌われてきたが、
2000年代に入った頃から「実はいい人だった・・・」的なのが
ファンの間でも言われるようになってきたね。 かつてはメジャー団体のエースの御曹司であるプリンス氏真。団体解散後は各団体のエースにタッグパートナーとして売り込む
売り込まれた側も集客力やスポンサー獲得を目論み、テストマッチで起用するも使い物にならないことがすぐに露呈、どこへ行っても追い出されることを繰り返す まあ今とルールが違うんだから
いい人悪い人というのはどうかと思うんだよな 日本号が槍なのに正三位の官位を賜ったのはアイアンマン官位戦線でも画期的だったな
後のヨシヒコやミステロンも日本号がいなければ生まれていなかったかもしれない >>237
今じゃ氏真はかつて今川プロレス時代にあごで使ってた若手前座レスラーだった家康に
媚売って使ってもらっている始末だからな〜
ここまで落ちぶれてもしぶとく生き残っているのがある意味凄い 足利義昭と武田信虎と今川氏真と斎藤龍興で奏でた『四天王プロレス』みんな、しぶとかった。 >>206
固結びにしていたリングシューズの紐がなかなかほどけなくて >>242
足利プロレスもかつては日本一のテリトリーを誇ったが、ダイレクトメール義昭がエースとなってからは、旗揚げの地である鞆の浦で興行打つのが精一杯に
晩年豊臣プロレスにレジェンドとして招かれた時は、往年の蹴鞠殺法で都のオールドファンを沸かせたことも >>239
田沼意次は小姓上がりで若いころの肖像画はイケメンなのに
テレビとかの時代劇ではいつもいかにもな悪人面の俳優が演じてて不憫だなw >>242
シュートに強すぎた義輝がハンディキャップマッチで引退したのと、義栄が塩過ぎたのが
問題。義昭はそうせざるを得なかった。悪あがきにしか見えなかったが頑張った方だ。 >>247
義輝が強かったって江戸時代の作家が書いたブックなんだが真面目に信じてる奴多いよね 最期は講談みたいな死に様だったものな、まあ、多少は腕が立ったと
言うほどのもんなんだろうな。 義輝も氏真も、名トレーナーの塚原卜伝からシュートの手ほどきを受けていて、シュートがべらぼうに強かった。
しかし、プロレス板住人のみんなは解っていると思うが、シュートがいくら強くても、レスラーとしての器量はまた別物。
ただ、義輝は団体運営はうまい方だったと思う。
氏真はレスラーとしては大成しなかったが、サッカー選手として信長の前で試合をしてハットトリックを決めているんだよね。 砲術家の稲富祐直も
コーチとしては優秀だが
実戦はからっきし駄目という 義輝はシングルは強かったけどパートナーに恵まれずタッグでは白星配給係だった。 なおリアルセメント王のSINGEN武田に対しては平身平頭の臣下の礼をとって戦いを避け続けたクレバーさを持つ信長
ガチ界ツートップの信玄と謙信
プロレス界の王信長 信長が父信秀の位牌に抹香投げつけた時は、そこまでやるかってドン引きした覚えがある
話題作りのためか、うつけ者ギミック守るためか、はたまたガチだったのか、今となってはわからないけど、
「織田プロ終わったな」ってその時は思ってたんだけどなあ 信長は謙信にも国宝級の高価な屏風を贈って懐柔してるね。
信玄と謙信はガチ最強だわプロレスも上手いわで手が付けられなかった
からナ。
何とか時をやり過ごして、二人が死ぬのを待ってたんだろうな、さすが
なかなかの策士だ。 信長の凄い所は信玄と謙信と直接戦わず事だなに、両者を戦わせて疲弊させた事だな 信長包囲網の末路を見れば、結局弱者大連合なんてものはゴミだと分かる。GPWAとかwww 謙信にリングアウト負けを喫した手取川興行では、「跳ねる謙信逃ぐるとぶ長」などと揶揄
されたが、実際には信長はリングに上がっていないとか。
「まあいいや。どうせ謙信は期間限定の兼業レスラー。冬になると越後で活動休眠状態。
やがて冬になれば越後に引っ込む。ワシは違う。365日プロレスラーだ」とコメントしている。 謙信と信玄がタッグを組めば戦国の超獣コンビだったのに惜しいな。試合すれば相性も良く、裏では塩のプレゼントとかして、致命的に仲悪かった訳でもなかったろうに。 最強タッグにエントリーしていれば信玄&謙信の帝王コンビが恐らく優勝。
信長&信行の「敵刺すの荒馬兄弟」コンビは、残念ながら仲間割れして空中分解。 氏真は武田とガチで戦ったら勝てないから、経済制裁というリング外の戦いに持ち込んだら
信玄と犬猿の仲と言われた謙信からまさかの支援が来たのが想定外だったな
信玄と謙信はボロボロになるまでやりあって友情でも芽生えたんだろうかな? 最初から信玄と謙信が戦わずにコンビを組んで信長と戦っていたら
織田プロレスは完全崩壊してたのにな〜
例えそれが桶狭間興業の直後で義元が負けた後であっても簡単につぶせた。 武田プロ 2代目社長になったらすぐに潰れたイメージだけど7年ももったんだよな
しかも武田プロ社史の上で一番規模のデカイ大会は2代目社長が打った >>264
あれは古参レスラーと古参フロントがすぐに先代と比較してくるからやりにくかったみたいだな。
古参の連中は早々と引退した長男よりで勝頼を軽んじてたしな。 長篠興行での織田プロとの対抗戦で世間的に織田プロ>武プロのイメージが決定的になったよな
騎馬隊と呼ばれた武プロ勢の突貫ファイトより織田プロ勢の飛び技の方が支持集めて業界全体のプロレススタイルの転換期になったわけで 戦国タッグトーナメントをやったら両兵衛が優勝しそうな気もするが
高橋紹運立花宗茂のタッグに期待したい気もする >>267
戦国ミックスドタッグトーナメントもお願いします。
信長お濃、秀吉ねね、利家お松、一豊千代、宗茂ぎん千代などなど 戦国ディーヴァなら お濃を推しだな
おとんからもらった小太刀 「これで父のマムシを討つことになるかも」なんて返しすげえセンスいいわ >>267
親子タッグって浜田親子と星ハム子いぶきくらいしか思いつかん 今川氏真のディーヴァ早川殿はロリ系ヴィジュアルで人気だったろうね ディーヴァ戦線より小姓戦線の方が盛り上がってた気がするな
上杉家主催のスーパー小姓カップとかほんといろんなところが盛り上がってた スーパー・ジジイカップは一度だけ開催され、毛利元就が優勝を飾っている。1567年。 上杉プロレス御館大会、場外から景虎に加勢するかと思った武田勝頼のダブルクロスは衝撃的だった。
景勝に加勢して上杉プロレス正規軍の勝利。
まあ勝頼の親父の信玄の方がダブルクロスはお手の物だが。
今川、北条、織田、徳川にダブルクロスか 信長の時代から遡ること約400年前。華麗なる4次元殺法を駆使するちびっ子たちの
アイドル・源義経なる人物がいた。ジュニア・ヘビー級でありながらヘビー級相手に対等
以上に戦って、熱狂的なファンを獲得。兄の頼朝とのタッグで「ザ・ファンクス」と
呼ばれたらしい。現在でも「ホーガンびいき」というコトバが残っている。
しかし、実際の義経は、正統派とは程遠いファイト・スタイルで、壇之浦特設リングでの
興業では、単なる観客に過ぎない船頭のなにがしに攻撃を仕掛ける悪辣なこともしている。
義経、ミル・マスカラス、ビル・ロビンソン、ハルク・ホーガン・・・・・・・これらの系統の人は
人間的には、あまり立派でないようだ。
平清盛、ブッチャー、シン、シークといった悪役レスラーに善人が多い気がする。 平家といえばメジャー中のメジャー朝廷プロレスに喧嘩を売り日本史上初のインディー団体を立ち上げた平将門。
あえなく団体は崩壊するも斬首された後生き返った怪奇派ヒールレスラーとして大ブレイク。そのあまりのカリスマから
関東一円ではむしろ絶対的ベビーフェイスだったらしい。 あの時代最強のレスラーといえば鎮西八郎
必殺のクローズラインを放つ左腕は右腕より12センチも長かったらしい レスラー50年
色アリ恋アリ情けアリ
レスラー道をひたすらに歩みて明日を魁る
男の夢をひたすらに 求めて明日を魁る 平将門さんはテーマ曲 Motorhead - King of Kingsが似合いそう
信長とはスレちでズレるけど南北朝や源平の争乱期の武将たちもレスラーくさい良レスラー多かった 平将門が東で新団体を旗揚げした頃、西では「テロリスト」こと藤原純友が同じく新団体を
旗揚げ。平安プロレス正規軍を震撼させた。
藤原姓は、プロレス界にたびたび出現する。1019年に「刀伊の入寇」なる外敵との
戦いで、見事に撃退したのが太宰府プロレスの「組長」こと藤原隆家だった。
本家・藤原道長は下手くそな句を詠むだけの男だったが、こちらの藤原さんは非常時に
対応出来るシューターであり「ポリスマン」という隠語で呼ばれていた実力者だった。 毛利勝永と山内忠義のゲイギミックからの仲間割れで勝永
大坂軍への仲間入りは笑える。 生粋のテクニシャンなのに
後世では脳筋系キャラにされてる蜂須賀さんは可愛そう >>281
南北朝時代から室町時代、特に応仁の乱のアングルはあまりにも複雑&イミフすぎて視聴者を毎週困惑させていた。
ガチオタでも説明困難なため、初心者へ説明するときも大体飛ばされる 観応の擾乱は足利直義軍対尊氏軍だが、
試合に勝ったほうがストーリーでは負けになることがある
意味不明な展開なために人気を得られないシリーズだな。 南北朝、応仁の乱アングルはかつぎあげる神輿をお互いころころ変えて抗争していた
最初は視聴者も楽しんでたけどそのうち飛ばしてダイジェストで見るぐらいの人が増えてた
後継、親族兄弟入り乱れての何コラ押し問答
応仁の乱なんて11年あまり続いたアングルで各ユニット疲弊感半端なかった
実質大赤字のまま足利プロ衰退の原因に ドラゴンゲートとかと同じで小粒だがびっくりするほど選手の質は高い
でもストーリーの流れが速すぎでちょっと目をはなすとわけわからなくなる 応仁の乱なんて最後レフェリーが出てきてノーコンテストの裁定。
11年も抗争やってきて無効試合かよと。
あのあたりから地方プロレスのほうが面白いと思うようになった。 >>288
あの時代は観客も殺伐としてたな
客同士の殺し合いが絶えなかった でも応仁の乱は長らくクソブックだし観なくていいと言われてたけど
近年改めて解説付きで観てそのおもしろさにハマるファンも多い 応仁の乱は、これぞ不透明決着の決定版であり、曖昧さを好む日本人の心の琴線に触れる名勝負である。 応仁の乱は北条早雲のデビュー戦だったな
あれから北条プロレスが隆盛を極めるが周りに武田、上杉、今川と強敵が多すぎて
天下は取れなかったのが残念だが。 これまた伝説・神話的なたぐいだが、
アマクサ・シローがヒデ・ヨシの孫だったという説があるらしいね
島原興行に送り込んだ徳川レスラーの数が、
なんと関ヶ原ドームの倍あるとかないとか
NWA系のラスボスだったフレアー様の対WWE的な感じかね 深作欣二興行のアマクサ・シローの怪奇派ぶりは良かった。
柳生十兵衛とのシングルマッチは名勝負だったね。
あの切られた首を抱えてワハハと笑うギミックは、
鬼気迫るものがあった。 伝説の団体、S〇Kの
サ〇スピ興行の悪のカリスマとしても有名かね >>297
そういえばWWEのアレクサ・ブリスは最初はアマクサ・シローの娘アマクサ・ブリスだったな 信長と言えば、合戦後は「デ・アルカ!」の口上で締める制御不能なカリスマだったよなぁ 出戻りのくせに年下のショーグンを尻に敷いた
お江は最強のディーヴァ >>296
天草四郎はイケメンだった。
どう考えても禿ネズミや猿と言われたブサイクな秀吉の血は引いていないだろw
まあそういう流布を流すのもアングルとしてはあり。
おかげで注目度は抜群だったしね。 >>297
由井正雪「家光!ビッシビシ行からな!」 ヘビー大名級の選手ほど知名度はないけど
常陸の暴走キングコングこと真壁氏幹の
豪快な試合スタイルと歯に衣着せぬ物言いっぷりは好きだな 長尺の金砕棒をチェーンのごとく振るう姿はまさに鬼真壁だったな 知られざる地方団体の名レスラー、ていいよね。朝倉宗滴も誉めてた槍大膳こと正木時茂とか。 「三日月の丸くなるまで南部領」とまで言われた東北インディー界の雄、南部晴政とかね
一度でいいから尾張ドームに呼んで欲しかったわ ハクソージムドゥガンのサムズアップは、親指武蔵こと新納忠元へのリスペクト >>307
信長が所詮ローカルテリトリーと侮りチーム光秀のみで十分として乗り込ませた丹波では、敵団体エースのレッドオウガ直正に思わぬ大苦戦
恐怖のあまり自分たちの相手は直正一人ではなく、ブルーオウガモミーという別の鬼とも闘っているんじゃないかと思い込む始末 豊臣プロレスが秀吉引退後に徳川プロレスに乗っ取られてやがて崩壊したのは、秀吉が行った
朝鮮興行で大赤字を出したのが遠因。みんな反対してたのに秀吉が強行したからね〜
秀吉は一代で団体を作り上げたワンマンオーナーだったから誰も逆らえなかったし。
あれさえなければという思いは強い。秀吉はカリスマ性と人気と実力を兼ね備えた最強のレスラー
だったけど、晩年は老害でしかなかった。 秀吉の世界戦略として豊臣朝鮮プロレスを足掛かりに豊臣中国プロレス、豊臣インドプロレス
と世界を制覇する夢を実現しようとしたんだが。二度にわたる朝鮮興行の失敗は豊臣プロレスを
傾けさせるのに十分だった。 当時の大メジャー中華統一ベルトへの挑戦を宣言した時は痺れたけど
案の定LKW(李氏朝鮮レスリング)との合同興行でお茶を濁して終わったな
せめてLKW参戦の明国レスラーとの試合が実現したらまだしも
名護屋ドームのパブリックビューイング会場から一歩も動かず
体調も悪いのか渡海するする詐欺のマイクアピールを繰り返すだけだった >>312
あれは増えすぎたレスラーを減らすための経営戦略だったんじゃないかな 朝鮮出兵アングルは半ばタブー化されてるので
立花宗茂などの武勇エピソードが語られづらいところが
歯がゆいところ 立花宗茂は、大河ドラマになっていいほどドラマチックなプロレス
人生だったと思うけどね、残念ながら、もはや大河ネタが枯渇しつ
つある現状でも、取り上げられる気配は全く無いんだよなぁ・・・ >>316
高橋紹運の実子で立花道雪のレスリングファミリーとかエリート過ぎるだろ
同世代ならノブの直弟子氏郷か徳川プロの裏番長忠勝ぐらいしか対抗できなかったんじゃね? 秀吉は自らも朝鮮興行に参戦するつもりだった。
それを命がけで止めたのが利家と家康。
秀吉が参戦していれば朝鮮興行の結果はまったく違っていたはず。 豊臣プロレスの崩壊の原因は朝鮮興行と並んで秀次の引退がある。
この秀次はレスラー仲間からの信頼も厚く、関白として天皇に忠誠を誓えば豊臣プロは安泰であったろう。
だが秀吉は秀次を強制的に引退させ、器量が未知数の秀頼を後継レスラーに指名した。
これは徳川プロレスに付け入るスキを与えることになった。 豊臣プロレスの副社長、秀長の早逝も秀吉の団体経営に影響を与えたね ヒデ・ヨシは山崎体育館のvs明智戦、賤ヶ岳特設リングでのvs柴田戦では驚異的な運動量を見せつける試合をしたが
続くvs徳川戦では序盤圧倒されてから全く動けないまま時間切れ引き分け防衛
その後の天下統一シリーズは意外と地方タイトルには傘下のレスラーを挑戦させて自身は多人数タッグのコーナーに控えるシーンばかりが印象に残った
当時の動員記録を塗り替えた小田原興行では往年の一夜城ムーブで健在ぶりをアピールしたがそれが実質的な引退試合になった
その後は欧州遠征には後継者に定めた秀次と強さの象徴となった徳川のタッグを派遣して以降一切リングに上がっていない
熱心なヒデ・ヨシファンには悪いけど朝鮮興行は渡海する、しないのスキットのみで健康不安も囁かれレスラーとしては終わってた
そこに秀次がまさかの殺生関白にギミックチェンジしてヒールターンしたのは心底驚いたよね
リタイア状態のヒデ・ヨシもレスラーとしてもう一花咲かせるかと期待したが子飼いのマサ福島を当てて不透明な引退に追い込んで結局自身は会場にも顔を出さなかった
そりゃ当時のファンもレスラーも揃ってストロングスタイルの象徴・徳川待望論に傾いたのも無理がない 豊臣プロレスといえば大口のスポンサーにして団体の旗揚げや細川とか蒲生や織部のようなスター選手の育成にも貢献した利休プロデューサー解任したのアレなんだったんだろうな?あれ以降それまで重要なタニマチだったはずの堺集とも距離を置くようになったし。 レスラーがふたりリングインするのが限界、
観客も入れないというストイックすぎるWBC(わび茶)のレスリングスタイルが
ド派手なレスリングを好むヒデ・ヨシとは対極だったからな わび茶プロレスも一時凄い勢いで流行ったな
ヘチカンが試合前に対戦相手の母親をシャークケージに放り込む謎ムーブ好きだった ヒデ・ヨリは190近い完全無欠の怪物だった説と
ヨド・ギミの血を受け継いでイケメンだった説とあるね
アマクサ・シロー→ヒデ・ヨシの孫、ヒデ・ヨリの息子説も
ヒデ・ヨリがイケメン説が残っているからだとか ヨシは異常なほど多くのトレーナーに子飼いレスラーの育成を要請したが
結局デビューに至ったのはヨリだけだったのはとても不思議。
デビュー寸前にまで行けたのもヨリ以前に一人いるだけ。
ハードルをすさまじく高く設定したのかも知れない。 タカカゲとヒデアキのタッグは
面白かったな
あんな笑えるタッグはないわ ヒデ・ヨリは公式プロフィール196cm、160kgで全盛期のゴリラモンスーン並の超巨漢レスラーだよ
今のファンにはジャマール(WWEウマガ)やバンバンビガロをさらに数センチ高くした感じというとわかりやすいかもね
デビュー戦から大阪城ホールで前代未聞の怪物登場と期待させた
そこでまさかの晩年の親父のリングに立つ、立たないのストーリーを完コピしたのは時代が読めてなかった けど秀頼はそんなガタイなのに親父からは公家ギミックを教育されていたから、京言葉を話して所作は貴族のそれだったらしいな。なぜか漫画等創作物の秀頼はヒョロガリで神経質とかのキャラが多いな。 真田太平記のシャリバン秀頼が個人的に一番しっくりしてる >>326
そんなレスラーがいたとは初めて知った
戦国プロレス界は奥が深い 戦国プロレス人気ナンバーワンはやはりY-SANADAかね
フリーから大坂プロレスに入団し、引退試合となった大坂城ホール夏興行では、同団体のGMヨド・ギミの妨害に苦しみながらもハンディキャップマッチで数々のレスラーを蹴散らし不動のチャンピオン家康を攻め立て、骨が終わるあと一歩まで追い詰めたのは今でも語り草 秀頼がトップレスラーって・・・・
力道山死去後に百田光雄がデビューしてトップレスラーになったようなものだ。
そら団体は崩壊するわ。朝鮮興行の失敗で資金難で大物呼べなかったし、豊臣プロレスから離れた
奴らが多くて末期はほとんどインディーズ団体になってたし。
おとなしく経営権を徳川プロレスに譲ってたら、団体の名前だけは存続して秀頼もレスラー続けられたのにな。 団体に所属する事なくフリー参戦だけであれだけ名勝負繰り広げた雑賀衆とユニットリーダーのマゴイチがいまいち語られなくて悲しい… 晩年にはみちのくプロレスに参戦
必殺技の馬上筒ラリアット伝授の他、瑞厳スタジアムの建設、スタジアムへの交通網の整備に貢献 転戦マンといえば笹の才蔵ことカニー吉長ですなあ。ビッグマッチあるところ彼あり >>284
蜂須賀正勝がどれだけ出世しても毛皮のベストを着て火縄銃背負ったグラのままの太閤立志伝5は不穏 太閤記の野盗ギミックはそれだけインパクトあったってことだな
実際子々孫々までそのイメージに苦しんだとか
ナチやソ連ギミックのヒールが実生活で苦しんだエピソードと共通するものがある 蜂須賀さんの子孫が明治帝にチクリと「野盗の子孫だから云々」と言われたエピソードを思い出した。 「おい、メイジ、お前らが貧乏公家だったときに、俺らは藍で大儲けして
阿波踊り踊ってたんじゃ」って
言い返してやれ。 >>313
LKW(李氏朝鮮レスリング)は李舜臣以外にまともなレスラー居なかったしな・・・
しかも李舜臣は向こうでほされまくってて、興行最終日にやっと出てくる始末。
他の朝鮮レスラーの塩ぶりと違って、本物の実力者だった。でも最終日限定で出てこられてもな〜
惜しいレスラーではあった。
朝鮮興行成功の暁は大中華統一ベルトに挑戦し、明を制圧。その後は天竺統一ベルトに挑戦し
インドまでも征服する予定だったが。
朝鮮興行の失敗で懲りたのか秀吉もあんまり大口叩かなくなったね。
一度目の朝鮮興行は明、天竺を攻略する足掛かりにするつもりだったけど
二度目の朝鮮興行は大それた目標じゃなくてせめて朝鮮プロレスだけでも完全に支配する計画に変更したが
秀吉の体調不良により漢城(ソウル)ドームやる前に撤退する羽目になった。
二度とも興行は完全失敗で、大赤字も大赤字。猪木の北朝鮮興行の大赤字も真っ青だよ。
豊臣プロレスは不協和音で責任の擦り付け合いで収集付かなくなったし。 かつて賤ヶ岳イリミネーションマッチで勝ち残った7人の英雄の1人でありながら、移籍組かつ最年長であるためかその後は中堅どころでくすぶっていたワッキー・ザカ
この度の遠征を聞きつけて己の活路を見出だすべく、秘蔵の貂のガウンを持ち出してプロモーションを行ったところ、思惑通りLKWの幹部の目に留まりエース李舜臣の対戦相手に抜擢される でも織田家の二世レスラーっていうと信忠 信雄 信孝の3人だけどまぁどいつもこいつもパッとしないヤツばっかだったな。
信忠の息子の三法師こと三世レスラーの秀信なんかはそこそこ鳴り物入りで豊臣プロに入団したけど信長みたいな派手な入場コスチューム着て南蛮スタイル気取ってるだけの塩レスラーだったし。関ヶ原興行で福島や池田に大敗を喫した後は
坊さんにギミックチェンジして地方インディーのKSW(高野山プロレスリング)にいたらしいが昔爺さんが散々勝ちブック漁って焼け野原にしてたもんだから冷遇されまくって結局そのまま26歳で引退したとか。 >>346
信忠はまだ有望株だったが本能寺ファイヤーデスマッチの二条城会場で無念のリタイアをしたね
信雄、信孝はブックに恵まれずパッとしなかった >>347
そうそう。
あの当時の織田家の当主は信忠で、戦でも指揮官としてかなり結果残している。
各大名の2世としてはむしろ有望どころ。
有望な2世で早世したとなると、デビッド・フォン・エリックみたいなモンか。 >>303
天草四郎の親だか爺様ってアングルの秀頼の時点で
秀吉の子じゃないって噂がある。
そら150pそこそこのおっさんの子供が2m近い大男
って時点でムリありすぎる。 バテレン・シローこと天草詩郎のヒップアタックは踏み絵に対して踏んでないというアピールからうまれたらしいね 最強ディーヴァおねね様、5人の母である側室ディーヴァ京極竜子も懐妊されなかったことからもヒデ・ヨシにも問題があると言われてたね 織田信雄は無能だろうか?
5万石のプロモーターになれたし、よりでかいテリトリー持つとそれだけ
リスクを負うからねえ。 織田プロ社長のままヒデ・ヨシに言われるまま東海地方のテリトリーに入ってても
晩年疑心暗鬼のヒデと江戸プロ設立狙う家康の板挟みで苦労したろうね
ショープロレスで天下ベルト継承者ヒデとストロングスタイル継承者家康のシングルが実現した
小牧・長久手シリーズも信雄のプロモートだしもっと評価されてもいいと思う
まあ肝心の自分の試合はシリーズ中盤で唐突のギブアップ負けから欠場でレスラーとしては酷いけど 信雄は伊勢北畠のテリトリーを継いでプロモーター修行をしていたね
目立つ存在ではなかったが本能寺ファイヤーデスマッチ後に豊臣プロレスでプロモーターをしたり少ないながらも活躍の場はあった
大イベントの小田原興行後はテリトリー変更を拒絶して失脚したのが不運だった 酷使され一時は一国と半分を治める権力を得るも結局は洒落にならない戦場でフルボッコにされ没落。
原田直政は早すぎたジョージ高野だったのかな?と
蘭奢待ください 一時は九州トップ3の団体までのし上がった龍造寺プロレスが衰退したのは、
四天王プロレスを五人でやるなど時代を先取りし過ぎたのが原因か… 大友プロレスが衰退したのは和式ストロングスタイルを捨てて南蛮式ヨーロピアンスタイルを取り入れたのが原因? 賤ケ岳興行信孝引退試合の最後のコメントは名言であるとともに色々考えさせられたな
「昔より主(しゅう)を討つ身の野間(のま)なれば報いを待てや羽柴筑前」
後の豊臣プロレスの末路を思うとね・・・・ 龍造寺プロと言えば、
選手の大量引退騒動があった時に選手が足りなくなって
ほぼ引退状態だった御大がリングに再び上がってきたことがあったな。
フロント業務で活躍した高齢爺さんは天海や幻庵など何人かいるけど、
実際に試合にも関わった高齢爺さんは他にいたっけ? >>360
有名どこではソーテキ朝倉は引退直前まで試合に出てたな
ドインディーレベルだけど一栗放牛は92歳で試合中に(この世を)引退してる >>316
確かにそうだが、仮にドラマ化しても、対戦相手が地味過ぎて。
来年の大河の主人公明智は本人は地味でも、所属団体やタッグパートナーが派手だから、何とか1年持つのかと。 アマクサ・シローが大河になることはないのかな
てかアマクサ・シローは日本史上において
16歳で関ヶ原ドーム以上の島原興行メインバッテキとか異端すぎて
いまいちベビーかヒールかも位置づけしづらいよね >>363
ベビーでもヒールでもなく魔王の降臨を目論むサタニストだぞ
プロレススーパースター列伝と同レベルの正確性を持つと言われる石川賢先生の歴史漫画に書いてあったから間違いない アマクサ・シローは、島原の乱以降で派手なデビューを飾って、それ以降怪奇派としての地位を築き上げたね。深作欣二や、山田風太郎と言った名プロモーターにも恵まれたが、美男子のルックスを生かしてプロモーター達の期待に見事に答えたね。
魔界から蘇ったと言うギミックを存分に活かしたいというのは、WWEのレジェンド、アンダーテイカーに通じるものがあるね。 島原興行は現地で絶大な人気を誇ってた天草詩郎に松平“IZU”信綱がシュート仕掛けて潰したのが真相らしいね 九州と言えば、スレチだが元プロレスと激しい対抗戦で大活躍したイメージがある。1度目は、苦戦したが、2度目は海上闇討ちデスマッチや、防塁ガード戦法で元プロレスのレスラーをキリキリ舞いさせてた猛者揃いだね。
九州のレスラーは、ホント昔から好きなんだ。
中でもお気に入りは、立花道雪。
必殺の雷切ラリアットは俺の大好きな技。
社長の大友宗麟とのスキットも大好きだ。 プロレスの教科書ではサラッと台風で興行中止扱いされているが… 捕虜になった数万のモンゴルレスラーと高麗レスラーは全員殺されて、
南宋レスラーは「君たちは命令されて来たから」って助けられた。 当時の『歴スポ』では日本圧勝の1面見出しが躍っていた。戦うモンゴリアン
とその他の連合軍との一戦。
元軍は泣き叫ぶだけで何も出来ず鎌倉プロレスに一方的にやられてしまったと。
で、北条時宗社長のコメントも出ていた。
「蒙古レスラーなんて鎌倉プロレス入りしたら前座クラスがいいところ。
そんなクソ弱いレベルで本気で乗っ取ろうとするな、と。
まあ、鍛え直して、また挑戦して来いよ、ハッハッハ(笑)」
苦戦したとか神風が吹いたとか言われているが、鎌倉ジャパンプロレス余裕の
勝利だったようである。 アマクサ・シローは
平成のデルフィンたちにとっては
サムスピ興行のダークヒーローのイメージが強いかもね 蒙古プロレスはてつはうと称したパイロ演出を持ち込んだり、コール中に襲撃したりとかなり時代を先取りしてた 鎌倉レスラーは荒いからな。
あまりにも荒くて、「農民の嫁を犯すな」とか「通行人の首を切って
軒下に飾るな」等、社長から御触書が出た事もある。
世界的に見ても荒さはモンゴルレスラーと双璧だったろうな。 蒙古プロに博多の町荒らされるくらいなら前もって自分達で荒らしといたろの精神 ヨシツネは日本史上、否、世界史上屈指の天才レスラーだったな
平プロレスが完全に市場を抑え込んだ独占市場を、鵯越や八双飛びなどの四次元殺法を駆使してあっという間にひっくり返して平プロレスを倒産に追い込んだからな
兄のヨリトモとの不仲アングルも秀逸で、奥州から蝦夷に逃れ更にモンゴルプロレスのチンギスハーンとなったというアングルは伝説だね ヨシツネは決して体格的に恵まれたわけじゃないのにトップレスラーたちに対峙していったからな
巨漢の弁慶をボディスラムで投げる様はアンドレとホーガンの試合を彷彿とさせた
そこからホーガン贔屓という言葉がうまれたのは言うまでもない >>375
ただその義経=チンギス・ハーンのアングルはモンゴル人に言わない方がいい。
酒の席で日本の政治家がモンゴル人政治家にその話をしたら、「お前ら馬鹿にしているのか?」と
マジギレされたらしいしな・・・・・
モンゴル人もネタはネタとして笑って受け止めてくれよ・・・・・ 大蒙古プロレスは大陸各所で興行起こして、累計レスラー人生引退者数は4000万人を超えるという。これは数百年後ののナチプロを凌ぎ、スターリン率いるロシプロと並ぶ史上最大の引退者数である。 蒙古プロレスの躍進は独特の構えから放たれるモンゴリアンチョップとショルダータックルの域を超えた蒙古覇極道にあった >>376
昔アイアンクローで岩を砕いたことからクロー崩岩って呼ばれるようになったって習った気がしたんだが、もうそれは古い説なのかな もう力が落ちてきたかつての英雄を、現在の英雄よりひいきして人民が持ち上げるのをホーガン贔屓って言うんだっけか モウ・タクトウ、スター・リン
このへんはナチ・ヒットラーやミスター・トージョーより
ヤヴァイよね
後者は自分がヒールで、悪事をしていることを自覚していた
引退試合もヒールっぽい感じ
前者は自分が絶対王者でスーパーベビーだと思い込んでいる
欠場、負傷、引退に追い込んだレスラー数はヒットラーやトージョーより
多いのに 最後の最後でようやく統帥部掌握するもすぐ失脚した東條とその他じゃ独裁のレベルが違うわな 青葉は無理やり生かされて縛り首にされるんだけど、
グレート・トージョーも自殺したあと、米軍は威信にかけて治したらしい。
縛り首にするために。 ムッソリーニなんてエチオピア以外で悪事なんて大してしていないのにガソリンスタンドに
吊るされて悲惨だったな 戦後日本の自由党プロレスと民主党プロレスによる吉田政権打倒アングルとその後の合併劇は最高でした >>378
リング上のレスラー相手のみならず、協力的じゃない興行先なら
観客相手にも老若男女問わずシュートかましまくったんだったか >>385
列伝見たけどムッソリーニってレスラーになる前は記者だったらしいね。ヒトラーの画家崩れは有名だけど。 最凶のナチュラルヒール
モウ・タクトウとスター・リンは
まともに引退試合できたんだっけ 大躍進政策からの文化大革命という泣く子も黙る団体へのテコ入れ モウ・タクトウこそ人類史上最悪・最凶・最狂のヒールであるな
文化大革命興行では紅衛兵という熱狂的ファンクラブ会員を使って知識人を中心に、一説では1億人(最低でも数千万人)の国民を殺してるからな
ルール無用の野蛮人極まれりであって、プロレス界で喩えを見つけることすら出来ない極悪ヒール、それが毛沢東 ヌル山、ケターオ、バカサバイバーなんて問題にならんレヴェルだねww そしてモウ・タクトウの流れをくむ、シュウ・キンペー率いる極悪ヒールユニットレッドチーム。
最近、ユニットメンバーのムン・ジェインと安倍晋三が抗争してるね。 このスレに出てきた連中みんな織田信長の仲間なのか、すげえな キンペーが掲げる一帯一路と言う名の世界制覇の野望を打ち砕く、世界最大の団体アメリカの現チャンプのトランプの活躍は頼もしいわな
現在進行形で行われてる米中イデオロギー闘争は全日vs長州軍、新日vsUインターをこえてるね なんか上杉プロレスは、新潟よりも山形の方が人気あるな。
山形には羽州の狐こと最上義光がいるのに、山形のプロレスファンは上杉は俺たちのものだーって言ってるし。
最上義光はファンサービスを欠かさず、常に山形のテリトリーを大事にしてきたのに。 邪馬台国プロレスは本拠地がどこだったのか分からない。 新日って言ったら猪木、上杉って言ったら謙信。
景勝だの鷹山だのは新日の藤波、棚橋レベル。 最上義光の金属バットで戦うスタイルはスティングに受け継がれている 空中殺法と多彩なジャベ、あえてマスクを被る伊賀と甲賀
林崎甚助の高速丸め込みに、宝蔵院の遠距離ドロップキック
シュートスタイルの二天一流、正統派の柳生一族
戦国シリーズは様々なスタイルが生まれた改革期だったな 今では美談になってるが「敵に塩を送る」ってのは、謙信が信玄への目くらましのために塩攻撃したのが語源だってばあちゃんが言ってた >>399
九州だってさ。
昔、イタコがヒミコ様呼んで直接聞いてたから間違いないっ。 卑弥呼て名前、もう少しマシなのに改名したほうがいい。「卑」の文字は何とか
ならないのか、と。 >>375
平プロレスと源プロレスの興行戦争
一ノ谷、屋島、壇之浦と3つの興行戦争でヨシツネは完勝
その模様は「平家物語」に収録されている。
確かに、世界史上屈指の天才レスラー >>370
鎌倉プロレスと元プロレスの頂上決戦
文永興行と弘安興行
結果はよく知られるように鎌倉プロレスの圧勝
ただ北条時宗社長が全国の神社仏寺に勝利の加持祈祷を行わせていたことはあまり知られていない ていうか、元プロレスは対抗戦に一線級出したか?
鎌倉レスラー舐めすぎじゃないか。 お得意の騎馬軍団の大軍で海越えるのは大変だからねぇ。吸収した下位団体中心になってしまった。 >>405
ボスの大中華プロレスの会長が「まあ、オメェはそれで良いやw」って
フザケて付けた名前だもんな。
ここのボスは代々独特なネーミングセンスで、そのセンスを受け継いだ
のがあの豊登だ(笑) >>408
今で言う、大リストラって感じで、いらねぇ南宋&高麗プロレスの
ミソッカス共がメインだったみたいね。
そんなカス共ばっかりだったから、鎌倉軍団の殺気にビビって
橋頭堡を築けず、そうこうしているうちに台風にやられて船が
全滅、生き残ったレスラーの中では日本と縁が深かった南宋
プロの連中は助けられ、元に積極的に協力した高麗プロの連中は
試し斬りでナマスに斬られて全員死んだという。 元寇では二回ともど田舎会場の対馬は荒らされてえらい目あったらしいな。ファンの手のひらに穴あけて紐通して、船の側面に並べて吊るしてたとか大仁田もびっくりのハードコア。 >>407
実はあの時代
得宗派と将軍派の暗闘
や元が去った後の明るく楽しい御家人プロレス
とガチガチの得宗専制プロレスの死闘の方が
面白い
いつだかの大河ドラマ見て思ったことだが 応仁の乱とかいうクソ分かりにくいストーリー。脚本家誰だよ。 鎌倉プロレスって創業者一族を排除して北条が主導権握ったけど、源頼朝が落馬死という
アクシデントに見舞われなかったら乗っ取られることは無かったかもな。 聖徳太子ってやっぱり偉大なプロレスラーだったの?
冠位十二階というチャンピオンシップ制度創設
十七条の統一ルールブック制定
果ては10人を相手どることでハンディキャップマッチとか
蘇我馬子との黄金タッグから対立するという今も受け継がれるアングルを作り出してプロレスの父といわれてるけど このスレで宮本武蔵や剣豪将軍、柳生一族、塚原卜伝の名前は上がるが
戦国最強のシュートファイター上泉信綱(秀綱)の名前が上がらないのは不穏
プロレス時代は武田信玄の猛攻に耐えきったドインディーの雄、上野長野家家臣
団体崩壊後はフリー転向し異種格闘技戦400戦無敗
戦国時代のオープンフィンガーグローブとも言える袋竹刀を考案し
名コーチとして名高い柳生一族の流祖である石舟斎を子供扱いし、技を授けた最強レスラー 袋竹刀はオープンフィンガーグローブというよりレガースに相当する >>402
林崎甚助は赤目プロ興業において試合は秒殺で連戦連勝だったが、それよりもその後のお約束の吐血ムーヴが飛び出すと、館内は女性ファンの歓声とも悲鳴ともつかない絶叫で最高潮に達してた
しかしさすがに飽きられたか、末期には鎌攻撃で胸を斬り開かれると身体を蝕んでいた悪い血が吹き出したという謎ギミックで、死ぬ死ぬ詐欺キャラからイケメンリア充キャラにチェンジを図る >>421
赤目プロの蛍火VS影一族の変則マッチは屈指の好カードだったな
蛍火のバンプがすさまじかった >>405
日本に文字がない時代に中国人が勝手につけたアテ字だからね。
敢えてこういう文字使った。
だから漢字に意味はなく音さえあってればいいと思う。
たぶん元々は日の巫女とか日の御子というトコから来たと思う。 >>424
あの団体は、自団体のみメジャー、他団体は、インディー(北狄、南蛮、東夷、西戎…)とする'華夷秩序'なる格重視で他団体は、蔑む字を当てて呼ぶことが多かったね。
時代が進むにつれ、インディー団体に侵食されての繰り返しになったけど。 剣豪ギミックの元祖とも言うべきアイス移香斎は
もっと称えられていい 三國志のプロレス界はあれだけ盛り上がった割に勝者が明確でない(晋中華プロレスがかっさらう→すぐ潰れる)ところがとうの中国人に受けが悪いらしい
団体対抗戦は結局うやむやになることに慣れているプロレス文化が根付いた日本、という文脈が解説されないと日本で三國志が人気と言われてビックリするそうな まあ、古代中国人というのは、東晋プロレス滅亡後の異民族プロレス軍団に
ほぼ滅ぼされてしまって、現代中国人とは別人種になってるようなもんだか
らナ、イマイチ感情移入できないのであろう。 中国プロレスは一部が辮髪ギミックだったけど、オーナーが
女真人になって全員、辮髪ギミックになったのは笑える。 中華プロレスは有能エースが天下統一→代がわりしてスタッフの宦官の悪政で団体腐敗の台本多すぎ 宦官なんてただのオカマニューハーフのくせに偉そうにすんなっての 天皇家しか最高位のベルト移動できないという不文律がある日の本プロレス
そんなの関係ねえ中華プロレス
あっちには生易しく見えちゃうかも まあ、IWGPもそんなとこあるけど、最高位ベルトって政治色強いし形骸化してるから、防衛戦はあんま面白くないんだよな(平城京シリーズと南北朝シリーズ除く)。 皇室プロは権威はあるけど権力は無かったから、潰してファンの反感買うよりも利用してチケット売ったほうが便利だったからね。 明智光秀が謀反に成功したかのように思われてるが
生涯何十回も謀反にあって成功したのが明智光秀だったっだけ
一年半に一回のペースで謀反を企てられたんだから 太原雪斎=伊吹吾郎はよいとして足利義輝=向井理というのはなんともですね。家康=風間俊介は頭痛が来ましたよ(笑) 実際の人物像を超えてる原田芳雄の最上義光みたいなのは
もうないだろうな。
向井は悪くないと思うけど。 伝説の名スレ、1192年の新日本プロレスの
継承スレ ↑コレ、面白いね、意図的にボケをかましていたのならスレ立て人は天才。 ショーグン足利義満から虎を出してみろと無理難題を言いつけられた一休
普通ならあれは漫画ですからと断るところ本当にタイガーマスクをリングインさせたんだからたいしたものですよ レスラーを俳人にする技ってスレが
俳句スレになってた思い出 信玄、謙信、道三、顕如、宗麟でスキンヘッドヘル・イン・ア・セルやったらこの先生きのこるのは誰でしょうね? >>445
一時失踪したのは家臣から池乃めだかみたいにイジられたからですね? 太閤立志伝5で、レスラーネームつけてプレイしたくなるようなスレだな 今の三冠といえばPWFヘビー級王座、インターナショナル・ヘビー級王座、ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座だが
日本で最初に争われていたプロレスのタイトルは八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣で、この三冠を統一した王者が「天皇」と呼ばれていた
結局この3つを直接リングに持ち込めなくなったのと天皇自体が簡単にとって変われない地位になったからタイトルは「将軍」「関白」「摂政」「大臣」なんかに移行していったけど 天皇は別格のタイトルとして、次点はどのベルトが一番上だったんだろう?征夷大将軍か、関白か。 信長の時代は名物と呼ばれるベルトが乱立した時代だが
なかでも九十九髪茄子が最高位のベルトとされていた 信長、ノブさんは征夷大将軍王座には見向きもせず
堺・大津・草津の会場を抑えたがった 織田プロレスは守護代っていうどインディーだったけど立地に恵まれて人気が高く金回りがすごかった
だから覇権を握っても客が入れば既存の権威に頼る思想がなかったっぽいね
関白や将軍どころか天皇を超えるタイトルを新設する予定だった、という噂もあるけど 皇室コミッショナーと付き合いがあった光秀さんはそんな上司の横暴が許せなかったのかな 長篠の戦いって、10.9新日対Uインターみたいだよね。
まんまと新日に引っ張り出されたUインターがフルボッコにされた点が。 かつてプロレスは、その土地で独占権を持つ特定の企業に興行を提供する今でいう売り興行が主流だった
これをやめて団体が自前で集客する代わりにどんな企業でもスポンサーになれるという自由競争原理を持ち込んだのが楽市・楽座
やはり信長のプロレス界における貢献は大きい >>450
そのベルトは今もあるにはあるが、大坂冬興行で木っ端微塵に爆破されて
ツギハギ継ぎ接ぎでエラい苦労してやっとこさ復元したが、7割方接着剤の
漆製になっちゃって、見た目はともかく中身は全くの別物と言っていいw >>449
格は、関白
ただ実力(実権)は、征夷大将軍 >>455
兵農分離も画期的。
アルバイトせずにプロレスだけで食って行ける兵士なんて他の武将は考えもしなかっただろう。 織田プロレスは観客が会場移動しやすいように琵琶湖往還含め街道をめちゃくちゃ整備したもんね。
諸国プロレス中一番の動員能力を発揮していただけのことはある ここの人たち凄いな。
歴史とプロレスの知識にアレンジというか構成力が無いと書けないよ。 >>452
いや正確には守護代の家来(名字が同じなんでたぶん分家)
なんでインディというより学生プロレスに近い。 プロレス界の語り部のリョータロー司馬の
家康嫌いは鼻につく。 寝耳に水の光秀襲撃アングルに対してまずは応戦してるしここは、やるしかねぇ、でしょ 他所から来る大物に頼らずとも自団体内で浅井長政や松永久秀といった自身のライバル選手を育成した織田プロレスは
さながらタイガージェットシンやスタンハンセンをプロデュースしてみせた猪木時代の新日本プロレスの如し。 活字プロレスといえば、サンカプロレスや山の民プロレスといったどインディー団体にこそ真のストロングスタイルが生きてるって持ち上げられてた時期があったな 蘇我ドルフィンズのエース・レスラー、蘇我入鹿は中大兄皇子に首を刈られ、最強軍団が一転、倒産に追い込まれた。 神代の神秘のインディー団体、諏訪プロレス
オーナーとされるミシャグジさんもまた謎多き存在 >>459
織田プロレスといえば本社移転も多かった
那古野城、清洲城、小牧山城、岐阜城、安土城と本社移転を5回も行っている
デベロッパーとしても素晴らしかった 5回移転じゃねえな、移転は4回か
4回でも多いな 安土本社はすぐ燃えちまったけど
大坂城は秀吉の仕事か 豊臣も秀吉時代は大坂本社は関白就任前の
わずか2年程度で関白就任後は聚楽第 秀次に関白譲ってからは伏見城だしな
難波のことも夢のまた夢という辞世の句のせいで
ずっと大坂本社と勘違いしてる人も多い ノブナガがチャンピオンになっていたら
本社はやっぱ京都のど真ん中に立ててたかね
天皇、アシカガ、公家、
全員追放or欠場or引退に追い込んだかも
最高位のベルトが歴史あるもの→新設王座
という流れは
インタヘビー→PWFヘビーの流れのオマージュか 織田プロは天皇総見での御馬揃えという超ビッグマッチもやってるから、天皇家を重要視する姿勢はすごかった。
まあ秀吉による信長追悼興行のほうが動員は多かったらしいが >>479
あのビッグマッチの立役者で織田プロレスにおけるナンバーツーの立場にいたのが明智光秀
だったのは皮肉だな。名目上は柴田勝家がナンバーツー扱いだったけど、実質的には光秀だったんだよな。
それが一年後にクーデター起こすんからわからんもんだ。 ヒデ・ヨシの朝鮮出兵が早すぎたIWGP構想なのを考えると
既存の王座に満足せずチャンピオンシップ新設に動いていたといわれる信長から受け継いだアイデアなのかもね >>419
大事な人を忘れていた。
あれ程の剣豪を失念するとは不覚。
上泉信綱の弟子で好きなのは、疋田源五郎だね。
岩明均プロデュース興行の女子レスラーとのスキットは素晴らしい出来だった。
フィニッシャーの脳天それは悪しチョップも大好きだ。 東日流外三郡プロレスとかいう架空の団体のパンフレットやムックを捏造しまくって、多数のファンを作り上げたターザン和田は活字歴史プロレスの権化 昭和の歴プファンは純粋だったね。ある意味今より夢があった。
ミスター竹内が書いた
「天津教の魔術 最強の古代日本 すべての世界の中心は皇祖皇太神宮である」
も信じちゃうファンが結構いたらしい。 武田四天王なのに大河興行ではいなかったことにされるくらい影の薄い
トランキーロ内藤さんは全日で言うところの田上。 芸能人で一番ご先祖武将の格が高いのは織田信成かな? >>486
四天王じゃないのにそれ以上の存在感があったのがバッファロー秋山 IGFでボビー・ラシュリーは弥助の子孫だぐらいの無茶を言って欲しかったですね サンド伊達の先祖を額面通りに捉えたら従三位中納言の藤原さんなんですね 金沢の人間なんだが
明治維新まで
江戸、京都、大坂の三大メジャー会場に次いで
名古屋、金沢の準メジャーだったてまじ?
あと、新潟はカクエー・タナカまでは完全に干されていた会場だったとか 四番目ぐらいに栄えてたうんぬんってのは書いてありますねえ
兼六園行ったことあるけど良かったよー 薩摩とかいう秀吉・家康に逆らいながら存続し、長い間力を蓄えて最後には最強団体江戸幕府を倒しちゃうダークホース。 恨み的な意味では長州のが深かったらしいけどな。
家来「幕府倒して革命起こす準備できました!」
殿「今立ってもかませ犬になるだけだ。まだ時期ではない。待て」
のやりとりを毎年250年間儀式としてやってたらしいぜ 新潟は会場としては悪くないのだが
王者のウエスギファミリーの性格の通り
義理堅すぎ、仁義重視し過ぎで
関ヶ原ドーム、大坂の陣シリーズ、明治維新クライマックスで
すべて負け組についてしまったとか
江戸幕府、明治政府、自民党政権すべてに干されていたが、
超新星カクエー・タナカのお陰で一変したようだね カクエー田中とプロフェッサータナカの違いは、えーとアレだ。で500だと。 >>498
まあそりゃぁなぁ、テリトリーを徳川プロにゴッソリ持っていかれて
4分の1くらいになっちゃったんだもんな、恨みは深いもんがあった
ろう、250年後に大爆発して天下獲ったけど(笑) >>499
戦国対抗戦での'新潟(越後)'は、勝ち組についてるで…
関ヶ原 堀氏(東軍)
大坂の陣 松平氏(東軍)
大坂の陣後、徳川プロレス譜代の牧野氏が入り、後にブルードラゴン河井が出る。 なんだかんだ長岡は新日で地方会場の要衝になっている
北陸は昔からプロレスに対するポテンシャルは高い地域と言わざるを得ないな 小橋vs高山三冠戦(新潟)
ハンセンvsゴディ三冠戦(金沢)
全日系は特に強いね 明治維新の時に薩摩の島津の殿様は徳川幕府を倒したので、征夷大将軍ベルトを巻けると
本気で思ってたそうな・・・・・
そらまあ今までの慣習から言ったら、征夷大将軍になってチャンピオンベルト巻けるはず
だっただろうけどさ。征夷大将軍ベルトは永久封印されたのであった。
あと関白ベルトもな。 ヒデ・ヨシ(と、もしかしたら信長)のIWGP構想を受動的にでも突きつけられた時代に国内統一を掲げる征夷大将軍のベルトはそりゃそぐわないわな
ボクシングで日本チャンピオンが名誉とはいえ最高のタイトルじゃないのと同じ
やがてIWGP構想の足掛かりとして八紘一宇が持ち出されるわけだけど、結果はどうあれプロレス団体経営としちゃ必然的ななりゆきだよ 王座から陥落したレスラーの退場時、ファンによりコスチュームや小道具を全て剥がされる落ち王者狩りが横行
竹槍ボードに沈んだミツ・明智を始め、この悪しき風習によってレスラー生命を絶たれたものも多い 前田ファミリーの率いる金沢テリトリーは、文化的プロレスって感じ。
あと、レスラーの待遇が良くて、足軽レスラーでも一戸建て住宅を与えられていたと言う。
流石百万石の大身だね。
ただ、プロレス資料館に兄弟の不仲を示す書状が残っていたのは不穏。 滝川一益は「上州力」と呼ばれていたことが最近の調査で明らかになっている。 前田ファミリーはリングネームは前田だが
身の振り方の上手さ、
プロレスの巧さで
実際は馳ポジションじゃねえかな そういう意味で、馳は金沢プロレスの正当な後継者と
言えるな、彼は古典文学を愛する教養もあったw コスチュームの黄色は金箔をイメージ…
じゃなくて星陵高校のスクールカラー 前田利家はタッグパートナーとのタッチを拒んでターンするというムーヴを開発したレスラーとしても有名だな
本来なら裏切りはボコるのが常套だったのにやはり優雅なヤツだよ
負けたら退団マッチで惨敗した柴田にそれでもメシを振る舞ってるしな 色んな興行にふらふら顔を出したり
オイシイとこ持ってったり
ほぼ全ての団体の幹部とコネがあったりと
まさに馳ポジww >>512
そうだな、うんw
確かに戦国時代の前田は馳っぽいな。
現代の前田は頑固者の上杉辺りかな。 前田と言えば夜のプロレスでも信長社長と熱いファイトを繰り広げてて評判だったらしいな まああの時代は急に出世したら夜の興行頑張ってるねって噂される時代だし。
前田は妻のまつが11の頃に結婚して、数年で第一子作ってるし、しかもまつが30代になってもまだ子作りしてて、ノブのこともしたってて、なんつーか両方の道で純愛だった。猟色で女一辺倒だったサルより上手 『トップを見れば団体が分かる』
マエダファミリー→馳センセイ
ウエスギファミリー→馬場
タケダファミリー→ジャンボ、武藤
なんとなくスタイルも性格もポジションも影響されているかもww 秀吉→ケニー
一時的にめっちゃ受けて徳川(オカダ)との名勝負でトップ取った
けどやたら海外志向強くて迷走して人心離れて最後いなくなった 信長の時代は森蘭丸以下男色ディーバの存在は当然だった
日本において男色がご法度になったのは、明治天皇と伊藤博文が男色をお嫌いであったことで明治期以降のことだ
LGBTは左翼思想と思いきや、完全実力主義の戦国時代にもあったのはやや意外の感を受けるね なお、現代的な倫理から見てかなりカオスな戦国時代にあって、上杉謙信のようにまるで清僧のごとく生涯不犯を貫いた人もいた
彼は自らを毘沙門天の生まれ変わりと自覚していたという 現代のLGBTはへテロすら自我が芽生える中で仮構された文化にすぎないという相対主義、つまりセクシャリティとはガチではなくプロレスであるという主張だけど
戦国プロレスやそれ以前の仏道プロレスにおいて女人禁制がゆえに発達した文化であることを考えると面白いな
LGBTが女権拡大を狙うリベラルフェミニズムと相容れない部分が増えてきたのもそういう関係にあるのかもしれない
つまりフェミニズムは「女性」というジェンダーロールが後天的なプロレスであると考えているにせよLGBTのことは遺伝子異常など先天的なガチであると思っている
しかしLGBTからすれば自分たちもプロレスであると 前田利家は信長→秀吉に仕えたが、彼こそ稀代の名番頭であって、あの家康も利家在世中は動けなかった。利家の死後動いて豊臣プロレスを崩壊させる大坂夏、大坂冬興行を打ってきたわけだ。
まさに戦国の新間寿とも言うべき律儀な帝国創業者の右腕、それが前田利家。 そう考えると柴田勝家はスレタイでセメントの鬼・織田信長と敵対し、忠誠を誓ったようにガチへの憧憬があったレスラーだった
北陸で同じくガチ志向だった上杉謙信と退治してたこともあってレスラーの格闘家としての強さを押し出してプロレス界を差配していこうとしたんだろう
だからこそ秀吉が能マニアとしてアングルや演出、パトロンである利休と組んでの利潤追求プロレスと対立したことは自然だし
文化人の利家が古い時代の格闘プロレスに見切りをつけたのも是非もなしという感じだね 柴田、明智、佐々、羽柴は滅びました
前田は100万石、池田は岡山+鳥取で65万石程度、丹羽は10万石で残りました
滝川は養子が4000石、直系が1200石で残りました
佐久間は1200石で残りました。林は土佐で5000石で残りました
ざっくりで申し訳ないですが、これはよくやったのか塩なのかどうなんでしょうね? 北陸テリトリーが現在でも幸福度が高いのは
レスラーのお米が地方では多いほうなのと
ほぼ全社員、一戸建てが持てているからかもしれないね
意外と地方テリトリーでも一戸建て少ない団体が多いんだな 松平忠直がやらかさなければ福井は政令市になってたのでしょうかね? 小さいながらも練り込んだ地方密着型のプロレス団体を作り上げたら結局ヒデ・ヨシの傘下に入らざるを得ず
やる必要もない異種格闘対抗戦に駆り出されて
エース候補の逸材をシュートしか知らないクレイジー薩摩人にリング禍で殺されて社長もイカれてしまうという悲劇の長宗我部プロレス 同じ土佐の幡多テリトリーのエース、一條さんも悲劇的ぞ
長宗我部側の視点で書かれた観戦記やらを元にされてダメ社長そのものにされてしまっとる
別の観戦記事だと名勝負を繰り広げて長宗我部プロ側にも素晴らしい選手だと認められているというのに >>532
同じく島津プロレスとの抗争で社長を引退に追い込まれて、跡継ぎ社長が相次いで早期引退した挙げ句に、
傘下の鍋島プロに事実上の吸収合併させられた龍造寺プロも負けてないぞ 長宗我部が若手時代にプリンセス・ワコのリングネームで女装してリングに上がってたのは黒歴史
まあ若い頃の長宗我部は
ホエールキャプチャー・スープレックスで巨漢レスラーをブンブン振り回し投げてた全盛期からは想像も出来ないほどひ弱な体付きだったから
そんな極端なキャラ付けでもしないとリングに上げて貰えなかったんだろうが 長曾我部元親は、デビュー戦がしょっぱくて、激怒した父国親に「あんなの置いていけ!」と、会場に置いてきぼりにされたんだよね。 姫若子とか言われてたほどナヨナヨしてたのに、いつのまにか四国プロレス一のレスラーになってたな 背中のヒッティングマッスルが異様に発達したためオーガ・ワコと呼ばれるようになったんだよね とーちゃんはデビュー前に高楼からのトペスイシーダを敢行し親会社のイチジョーに認められたんですよね 長宗我部元親が怪力を持ちながらパワーに頼らない華麗さをプロレスの理想にしたのはやはりルチャドールからの影響だろう
ヒデ・ヨシ傘下に入る前はキリスト教を取り入れようとしていたとフロイスも言っているし海外プロレスの事情には詳しかったといえる
やがてドラゴン・サカモトがしがらみを乗り越えて毛利の長州、島津の薩摩を組ませたのも
三者がルチャリブレでテクニコとルードがタッグになるイベント「トルネオ・ パレハス・インクレイブレス」の精神が浸透していたからに他ならない 先日伝説の戦いの舞台、田辺スタジアムに行った
ユーサイ細川が1対30のハンディキャップマッチで奮闘し、最後はエンペラーストップによる引分裁定となった試合が繰り広げられたという 織田信秀の引退式に乱入した信長の投香は「らしい」はなむけで、プロレス心を
若くして既に理解している。「オレはヒールで行くぞ」という宣言であり、非礼などと
非難する人は、プロレス心がない。実際にはヒールと言うより、キラーと呼ばれる
ようになったが。 >>542
すぐ織田内部で戦うにせよ信秀→信長の家督継承イベント自体はあんまり波乱がなかったからな
斎藤や武田みたいな派手な世代交代ができなかったのを補うための演出であり
偉大な父や礎を築いた祖父を超えてやるという気概を見せるパフォーマンスでもある
団体の社長としてプロレス脳を見せつけた名場面とも言える 自身の引退を絡めたマサ・平手が書いた世代交代ブック説 湯築城跡には行ってきましたよ。なんの予備知識なくバスで道後温泉行こうとしたらすぐ手前にありました
奈良時代には既に道後温泉はあったそうで小早川隆景の湯築城包囲戦というのは
後楽園に行った後にラクーアに行く、旧デルアリに行った後にスパワールドに行くようなまったりした感じだったんですかねえ >>546
諸説あるけど結局は使えないからかと
林はレフェリーのくせに元トップレスラーの立場でブックに小うるさく口出ししてたからとか
佐久間に関しては当時は重臣が各々団体とベルトを運営して織田家が統括する、という画期的なシステムだったのに出資金で私腹を肥やしてたとか
そういうのが有力 レフェリーのミスター林の舎弟・美作は信長に刃向かって斬られた。 前田ファミリー→モリ・ヨシロー→馳
金沢プロレスの黒幕ギミックはもはやガチ >>546
インディー時代とは違ってデカい興行打ちまくる国内最大手のメジャー団体になったのに
変化について来られなかった
WJの長州と逆パターン 織田プロレスの寝返り・反逆者
織田信行・柴田勝家・林通勝・浅井長政・松永久秀・波多野秀治・別所長治・荒木村重・明智光秀、ついでに足利義昭・伊賀地侍・伊勢越前一向宗
これだけでもう団体作れちゃうね >>552
信長のおばちゃんは?秋山信友に寝取られた人 >>552
長政勝家光秀を三銃士としてトップに据え、松永がブック書けば結構いけそうだな おつや、だったか。信長の叔母だが、年齢的には大して変わらなかった。
非業の引退ブックを飲まされた女子プロレスラー。 どこに本社を置くかはセンスが問われるな
イエヤスの江戸に本社つくったのはさすがだね >>559
途中送信失礼
磔にされた三大プロレスラーといえば
・史上最高のアイドルレスラー、イエス・キリスト
・ステファニー・マクマホン
の次に挙がるかもしれんな、信長のおばさん キリストプロ、それもカトリック軍団のレスラーは
超新星の売り出し方がうまいね
ジャンヌ・ダルク、アマクサ・シロー、ナポレオン >>561
キリストプロは年期が違いすぎる
1000年以上どこかしらがタッグ裏切り追放あたりまえで戦争してるし
皇帝や王(チャンピオン)と教皇(経営者)で抗争なんてWWEアティテュードみたいなこともやり尽くしてる
フン族バイキングイスラム元なんて外敵にも事欠かないし
カトリックとプロテスタントというイデオロギー論争アングルまでやってる
プロレスのだいたいのメソッドはあそこで開発されてる キリスト、ユダヤ、イスラムの三団体が奪い合うエルサレムとか言う火薬庫テリトリー >>563
イエスさんがシモンを勧誘したセリフ「人をとる漁師にしてやるぜ」
納得 >>562
一回ヒールターンに行くと見せかけ土壇場でベビーに戻るアングルは凄かったな。
城に向かってのマイクは神懸かってたわ。
磔にされちゃったけど。 >>566
その聖地「長篠特設リング跡地」に青春18きっぷを使って行ってきた。
飯田線というローカルな、それでいて格調高い国際プロレス風の電車に乗って。
鳥居さんの引退試合に思いを馳せ、記念館みたいなところに入場。
故人を偲んだものだ。 長篠といえば浜松の航空自衛隊とホンダの浜松の工場の近くに小豆餅って町がありますよ
三方ヶ原で敗北した家康が茶店で小豆餅食ってたら武田軍が追撃してきて食い逃げしたのが由来だそうで
んこ漏らしはその後なんでしょうね(笑) 策士、策におぼれる
じゃないけど
イエヤスみたく頭脳派をウリしてるレスラーが
自分以上の頭脳、プロレス頭を持つ選手と対峙したら……
んこ漏らすパターン多いのかも 家康と追撃、策士といえば夏の陣の道明寺合戦に敗北した真田信繁が退却の際、
家康が休憩をすると予想した所に地雷を仕掛けたものの家康が小便に行ってしまったため失敗したなんて地を平野区民ホールに遠征の際近くで見つけました
教育委員会だかの説明看板が立ってました。千葉真一作品みたいな事を当時ガチでやってたんですかね?
どんな地雷だったのかとても興味があります イエヤスマスクは途中で中の人が入れ替わったって説がいくつもあるな。
もし全部が真実だったら駿府城ホールで引退した何代目なんだ?
4代目イエヤスマスクくらいになっちゃうかな? >>571
2代目はみちみちのくプロレス代表の二郎&三郎じゃないかって言われてたんだっけ
関ヶ原大会の後急にフィニッシャーがささら固めに変わったから 徳川プロ2代目社長秀忠ってファンの評価どうなん?
三代目の家光とかと比べてもあんま語られる機会無いけども。やっぱ関ヶ原興行で真田に両リンに持ち込まれて本戦に参戦出来なかったのが低評価の原因だろうか? 戦国ベストバウトって何が挙がるんだろうか
意外と戦力差がはっきりしててそのまま決まるにせよ覆すにせよ同格の総力戦という現代プロレスでの「対等ないい試合」とは基準が違うよな
やっぱり長篠の戦いがまずは挙がるのかな 長篠は完全決着過ぎたところがダメ。プロレス文法を
無視してしまっている。
関ヶ原の素晴らしいところは完全決着のようでいて、
小早川秀秋の乱入という、敗者・石田三成の顔が立つ
結果になっているから。
不透明決着こそがプロレスの醍醐味。 両者リングアウトはプロレスの醍醐味だが、武田信玄と上杉謙信の試合が元祖。
乱入は同じくプロレスの醍醐味だが、これも上杉謙信が川中島でやっている。
裏切りは、これまたプロレスの醍醐味だが、信長がしょっちゅうやられている。
いずれもレスラーの格を落とさずに、抗争を先送りしてファンの目をひきつける
手法で、日本独特の文化といえようか。 >>576
古参レスラーの福島との激闘譜が残っている、最後はリングアウト
勝ちだったな。 >>577
同格の鬩ぎ合いなら信玄vs謙信の名勝負数え歌
格下が格上を倒す痛快さなら桶狭間興行の信長vs義元
興行のスケールの大きさで家康vs三成
夏の大坂城ホール大会での家康の引退試合、SANADAvs家康
この辺りが人気かな? 比叡山プロレスをセメントで一方的に潰したのは、人気はないだろうけど、
未だにプロレスファンの間で語り継がれる伝説の一戦。名勝負ではない。 織田無道が「無道spirit」って格闘大会を開いたことがあって、コンセプトが「今蘇る、織田信長を苦しめた最強の僧兵武術」みたいなのだった。 >>583
派手なファイヤーデスマッチだったと思われていたが、
焼土層を調べたらそんなでもなかったという 比叡山高校と高野山高校は日本史の授業で信長のやった事をどう教えているんでしょうね >>582
歴然とした実力差を逆手にとった小田原お祭り興行も盛り上がったね
交通渋滞で遅れた政宗が終盤白装束で乱入した時は、秀吉もリング上で吹き出してたw 一定のルールの中で秩序を保ちつつ
プロレス団体として盛り上がりと客入りを維持してきた戦国時代に
シュートを初めて持ち込んできたのが信長 ロープに振っても帰ってこなかったり星の貸し借りもしなかったよな信長
関節極めたりハードヒットじゃ体が持たないし盛り上がらんから程ほどにしとこーぜとか言っても聞きやしねーし ●ガセネタ・ニュース●
高校野球連盟は来年から21世紀枠を撤廃。代わりに16世紀枠の導入を検討。
織田信長氏に焼き討ちされたゆかりの地・比叡山高校を選出する意向である
ことを明らかにした。 勝てないと見るや全力で逃げ帰ってリング負けを選んだり抗争にならないよう土下外交して試合よりトレーニングを積むのも信長の特徴
おかげでダメージを溜めずにコンディションを維持して信玄の死亡を待てた 実績から言えば戦国最強候補の筆頭は信長のはずなんだが
信玄・謙信の超獣コンビとの対戦を拒んで逃げ回っていたという印象から
どうしても信玄・謙信等、上の世代のスーパースター達よりガチでは弱いと思われちゃうよね 実績から言えば戦国最強候補の筆頭は信長のはずなんだが
信玄・謙信の超獣コンビとの対戦を拒んで逃げ回っていたという印象から
どうしても信玄・謙信等、上の世代のスーパースター達よりガチでは弱いと思われちゃうよね 織田プロレスは天下布武というヴィジョンと潤沢なスポンサーを調達できる商業圏の両輪があったのが強みだよね
前者はテリトリー制が常識だった時代の保守的な上杉などと違って所属レスラーのモチベーションを際限なく引き出せたし(まあその末路がヒデ・ヨシのIWGP出兵なんだけど)
後者は武田のように戦を強要されることもなく、時が経てば経つほど人材や観客を増やすことができた
対抗戦のタイミングを自在に決定できたというのが織田プロレスが成功したゆえんだろうね ノブナガのしょっぱいやつ、弱いやつ、嫌いなやつは
シュートで叩き潰して
ガチで勝てそうもない信玄、謙信には土下座外交などは
まさに戦国のアントンやな 信玄も謙信も他に仕事を抱えていたし、
謙信は冬季休業レスラーだし。
リングアウト負けなら信長的にはOK。
信長はノラリクラリとしたところがある。
後年、リック・フレアーがお手本にしている。 信長・長政の長長砲が続いてたら信玄・謙信と戦国最大のタッグマッチを繰り広げた可能性はある
信長はタッグパートナーに恵まれなかった
まあ長政との決別から決着までのストーリーが信長のシングルレスラーとしての評価を高めたからなんともいえないね 家臣や領民の人望は厚くファミリーの結束も固い。どんな強敵に対しても、相手に見せ場を与えつつ、決しても負けることもない安定した試合運びに定評のある北条氏康は戦国のニック・ボックウィンクル
しかし謙信、信玄が主役の列伝では実力がなく臆病で反則頼りの卑劣漢に描かれがち >>596
高価な贈り物で懐柔するなんざ、どケチの猪木には到底出来ない
振る舞いだな(笑) >>598
金ヶ崎興行でまさかの長政ヒールターンで信長も終わったからと思いきや、
まさかのスティールケージ脱出成功はいいブックだった 朝倉と組んで最強タッグに出たのは浅井の判断ミス。
全くの塩でもないと思うが朝倉はプロレスラーという
よりも文化人だからシュート技術がない。 ”朝倉のカダフィ大佐”こと宗滴が現役の頃は、ガチの強さで周囲を震え上がらせてたものだがなあ タッグとはちょっと違うけど、解説コンビだったら半兵衛官兵衛が一番好き。
頭の回転が早いんだまた。
ちゃんとケーフェイ守ったうえで技の細かいとこまで解説するのも好印象 家康引退は天ぷら食べて食中毒、というアングルなんだろうけど、
会長職の家康を秀忠社長らが経営から遠ざけるためかな?
まあレスラーとしてはブッチャー並みの高齢だし、タッグパートナーの弥八郎ともども世代交代が必要だったろうし 社長の座はとっくに禅譲していたけど、家康院政なんて言われていたからなあ。。。
2代目社長・秀忠は、地味で天才レスラーの雰囲気が全くないが、そこが良かった。
戦国プロレス時代ならば、はっきりと不適合。でも現状維持なら十分。
意外と長期政権だったスーパースター・ビリーグラハムの役どころ。 天ぷら自体は出入り業者に教えてもらったもので、家康リタイア後も
その業者は出禁とか食らってないからな、別の理由だろう。
家康は自作薬マニアだったが、その中に何か変なものが混じってた
可能性もあるかも。 当時はプロレスをガチだと思ってたから秀忠雑魚wとか思ってたけど
プロモーターとしても選手としても同時代ではズバ抜けてるだろ
デビュー戦であのヤラレ振りから時間切れドローとか普通できない
あの試合がなかったら幸村をドル箱スターとして売り出せず
大阪城興行もあんなに盛り上げるのは無理だったろう 本来「石橋を叩いても渡らない」オヤジの家康が関ケ原決戦に踏み切ったのは、
小早川の家康軍移籍という、とっておきの切り札を用意していたからだが、万一
関ケ原興行に敗北しても、無傷のままで秀忠が温存されているので、徳川プロレス
が団体崩壊に追い込まれることはない、と読んだからに間違いない。
従順な秀忠の人間性に対する家康の信頼は、揺るぎないものがあった、と思いたい。
小早川は、関ケ原興行の翌年、早くもこの世を去っている。表向き病死だが、用済みに
なって、こっそり消されたのではないかと思っている。 >>602
長政と言えば前は"アサイ"長政ってリングネームの呼び方だったのがいつの間にか"アザイ"長政に変わりつつあるのが、
クリス・ベノイ→クリス・ベノワに通じるものを感じる 小早川は裏切りを悔いて発狂死した、などとも言われてる。
だが事実は、10代なかばからの飲酒が堪えて、20にして
アルコール性肝炎になり、酒毒が脳に回ってお陀仏になった
ということらしいな。 小早川は関ヶ原興行の後、名前を秀詮に改名してスターになるかと思ったがパッとせずに引退してしまったのが残念 伝説の桶狭間決戦は後にセメントの鬼と言われることになる織田側の一方的なブック破りで
最初のロックアップからの膝蹴りをもろに受けた義元が落命しているが
あそこで今川が勝つ、もしくは負けても存命していたらプロレスの歴史はどう変わっただろう
やはりいち早く観客の大動員が可能なシステムを構築しテリトリーを広げる今川の天下になったのか
それとも毛利あたりか西から京を囲って一大勢力になったのか >>577
やっぱり関ヶ原でしょうね。
東西両軍合わせて約30万という動員数はもう希有壮大にして雄渾と表するしかない。
西の石垣原から東の長谷堂まで名勝負が数々あり、ガラシャ死亡・真田九鬼分裂など合戦裏話も盛りだくさん。
語っても語ってもネタが尽きなそうなベストバウトですわ。
応仁の乱・観応の擾乱とは格が違うぜ 関ケ原は数年前、青春18きっぷを使って行ったが、会場の広いことに驚かされた。
三成が陣取った付近が人気で、車で乗り付けて記念写真をしているプロレスファン
が大勢いたが、そこで満足してしまって、すぐに引き返してしまうのは、いかがなものか。
せめて家康が陣取った場所とか、島津の陣地、あるいは宇喜多秀家の陣取った場所、
そのくらいはプロレスファンならば足を向けて欲しい。全部回ろうとするのは1日では
キツイだろう。
関ケ原特設リング場での死闘から400年後。プロレス界は再び大きく揺れ動き、
全日本プロレス分裂・ノア設立の事件があったが、スケールの大きさでは、やはり関ケ原
に軍配があがる。 「人間不信」の書き置きを残し失踪する長政
その後、金粉まみれとなった姿で発見される 古典に詳しく、政治の中枢に関わり、出処進退が巧みなプロレスラー細川藤孝。 >>616
私は降りたことがないですが関ヶ原駅の駅看板の参戦武将の動員兵力、領地と石高のアレがふいんきがあっていいですね あと車ですが北陸道で春日山城跡の隣を通り過ぎる時もテンション上がりますね(笑) そのうち国営テレビの大河興行で一年かけてじっくり関ヶ原大会やってほしいですね。 大河プロレスは今年の視聴率が苦戦してるしまた戦国プロレスと幕末プロレスのローテーションに戻ってしまうのかな
たまには日本最古のルチャドール、マサカ・ドスカラスを一年取り上げるみたいな冒険してほしいもんだ そろそろムネ・タチバナやれや!って思ってるんだが、なかなか
やりそうにもないんだよなぁ・・・ >>623
風と雲と虹と、て昔放送したけど視聴率平均24%も取ってたんだよな。
リメイク大河もアリだと思うわー。
草燃える・太平記・花の乱・炎立つ、日本史には面白いドラマが作れる題材がたくさんあるのにね。平清盛も個人的には好き。 史上最弱のレスラー小田氏治なんかもよさそう
ただ個人的には大河興行は明治大正時代をクローズアップして欲しいと思ってる
当時最強の団体だった鈴木商店の興亡とかレスラー個人なら北里柴三郎とか 立花や島津はエピソードは豊富だけど、大河だと避けられない半島シリーズがタブー視されてるからなぁ… 今も昔も国が違うと権利関係で揉めやすいからな
そうじゃなくても対抗戦は荒れやすいし 鎖国政策を敷いた江戸プロレスを踏襲したのがご存知
馬場さん 武田の重鎮・鬼美濃馬場の子孫の可能性が意外とありうる全日馬場さん
武田の弟子である徳川の遺志を受け継ぐのが全日馬場さんだなんてロマンがあるじゃないか 「我が死を3年隠せ」という馬場さんの信玄イズムを
遵守しようとした元子さん。
しかし越後出身の馬場さんは、言うまでもないが、
信玄よりも謙信のほうが好き。
甲斐国出身のジャンボが信玄派なのは言うまでもない 保守本流派と見られる信玄だが実父・信虎を追放した
時は、革命戦士・甲州力と呼ばれていたものだ。 馬場信春は現役40年、長篠の戦いに至るまで3カウント負けがないという伝説がある
どんな危険技にも受け身をとって相手が攻め疲れた頃に巻き返すという現代的なプロレスをした男
加えて地方会場を次々と建築、開発、運営する経営者としての才能もあった
武田プロレスのエースとしては華のある山県昌景が挙がるけど実績・人気では双璧だね >>623
今回の五輪プロレス、数年前の平家プロレス興行がイマイチだったからなあ。
結局ジジババ層は戦国か幕末プロレスしか喜ばないのでは?
いっそのこと義経がモンゴルプロレスでトップとったり、倭人が劉備玄徳になって三国プロレスに参加する話とかやってみたらどうだろう? 昔バッファロー張飛というレスラーいたなあ
和製呂布…じゃなくて張飛と讃えられたのは本田忠勝 >>626
鈴木プロは今でも登記上は現存しているエピソード、最終回で紹介されるんでしょうな >>636
試合中一度も流血したことがないって、何気に凄いエピソードだよな 江戸幕府プロレスのミト光國は6人タッグで助さん格さんを指揮してたイメージが強いけど若い頃はキックスタイルの名手として鳴らしたことで有名
父親への殉死を強行しようとした家臣たちの内腿への蹴り一発で次々と這いつくばらせて強制的に兄たちを超える藩内エースとしての権力と殉死禁止を認めさせた
そのとき蹴り技からついた「インローの黄門様」というあだ名をグッズ化したのが印籠
これがバカ売れした資金で猪木の北朝鮮興業と並び称される蝦夷興業や全国世直し行脚シリーズを打てたというわけだね 本多忠勝の必殺技はスピアー
その名は「ドラゴンフライスレイヤー」 >>634
そういう鉄人ぶりでいうと何と言っても本多忠勝だろ >>638
>>641
そんなエピが信じられているため良心の呵責に耐えかねて書かれたのが「泣き虫」なんですよ >>640
「蜻蛉斬」って字面だと強さがイマイチピンと来ないが、これだとFC版ドラクエ2で5匹で襲ってきたドラゴンフライの炎攻撃を、てつのやりで傷一つ追わずに撃退するトンヌラという、ありえない構図が浮かんでしまう 森長可の愛用した「人間無骨」もなんかかっこよくならんかな。現状だと怪奇派かサイコベビーしかイメージ出来ない >>642
いやそもそもプロレスラーのギミックの話やで 西麻布だかの茶屋で傾奇者に囲まれた忠勝が「エンセーン、エンセーン」とか細い声で塩川和尚に助けを求めたのは情けない話だったな。 >>645
まあそうなんですけどね。信じちゃう人っているじゃないですか(笑)
別の中の人の改造人間にされたり、探検隊やってる忠勝もよいですね
SMに目覚めてしまった最近の忠勝はやはりいただけませんが なんか空気の読めてないおっさんが迷い込んだと思ったらニヤニヤかよ 昔、鳥居ファンクジュニアとかいうレスラーがいた
っていう書き込みを見たことある。 >>649
強右衛門さんのとこ?それとも元忠さんのとこ?
どっちにしても、徳川プロレスだね。 鳥居って伏見城で捨て石になった人がシニアで、その息子で家康に厚遇されたのが
ジュニアだったかと。シニアは家康の幼少時代からのカシンで、支えてくれた人。
馬場さんが全日本設立時にシニアに凄く助けてもらった恩義に息子のドリーやテリーを
厚遇したのと、確かにダブる部分がある。 六角「楽市楽座ってあれ俺の技だよ。ロイヤリティ寄越せよ」 信長「まあまあ六角殿」 つ豪華茶器詰め合わせセット 関ヶ原後にスネ様ジュニアが安国寺恵瓊を捕縛したんですね 信長は60分フルタイムのような長期戦は不得手。
打撃戦には滅法強い。飛び技も凄いが寝技はダメ。 むしろショーアップされた旧世代のレスラーにガチ仕掛けたり
時間切れ引き分けも苦にしない長期戦に持ち込むのが得意 信長はvs本願寺11年1本勝負で寝技からギブアップに持ち込んでるからのう。 ベルトはいくらでも流出させしすぐ負けるけど怪我しないし無尽蔵にグッズが売れるから格が落ちず最後には莫大な戴冠歴を築き上げているという感じ 織田プロレスは荒木松永明智とやたら独立が多いけど、それは経営者の信長が銭ゲバなせい? >>659
三人とも個々に離脱理由を云々する必要はあるが
少なくとも松永は織田と合う合わないより天性のヒールレスラーだからとしか言えない
謀略裏切り好きは三好に仕えた頃からだし 織田プロレスも後期は天下統一を狙う運営方針から
ファミリー向け路線を取らざるを得ずに極悪非道のヒールレスラー松永を放出するしか無かったんだよ
ギミック維持の為に裏切りの体で送り出した信長も功労者松永には配慮を尽くしている 当時の一級資料『週刊リングアウト』の熱戦譜によると、
○比叡山プロレス(反則勝ち)織田信長●
となっていて、「アレ?」と思ったが、レフェリーに暴行したとか、そういう記述は残されていない。 信長のすごさはマイクパフォーマンスにある
といっても毎回リングのど真ん中で「であるか」しか言わないんだけど
信長がマイク握っただけでオーディエンスは大音量の「DRK!DRK!」コールをしたものよ
これは信長公記にも書いてある >>659
>>660
定期的に他団体へ移籍するダブルクロスからの対抗戦で盛り上げるのが信長時代の織田プロの黄金パターン
その度にシェアを増やしテリトリーを広げてく手腕は見事としか言いようがない
そしてかねてより標榜してたレスラー人生50年を目前にミツ・アケチのダブルクロスで引退して
それを下した次期エース秀吉を売り出した 明智光秀は戦国プロレス界で飯伏のように二団体所属レスラーだったというのが通説だけど
自称子孫の明智憲三郎によれば比叡山焼き討ち興行の頃に移籍しただけでそれまでは派遣のような扱いだったそうな
まあ信憑性は定かではないが信長と違って古きよき室町プロレスの伝統に詳しい側面をもっと取り上げてもいいかもしれないね まさに来年の大河は初代ヨシ・タツに明智アリーナ追われてから信長に出会うまでが詳しく描かれるわけだ
信長プロレス随一のレスリングとインサイドワークで鳴らしたテクニシャンとしてではなく、室町プロレスを研究してハイフライ殺法を得意としたフィジカル全盛期がどのようなものだったか見ものだね >>666
この憲三郎という人はグレートカブキとムタみたいなギミック上の血縁? >>668
と言われている
明治時代の平民名字が許可制になったり必称義務令が出た時期に捏造された家系図を売買されてたそうな
某元総理大臣たち(細川だったり立花だったりの子孫)みたいにガチでハッキリしてるとこ以外の自称はだいたいこれを真に受けてのことだそうな 追記すると某元フィギュアスケーターもガチかはわからんが顔で説得力を賄ってるね
プロレスもフィギュアスケートという採点競技みたいな似た位置にあるからプロレスを知っているとその辺も面白いね 明智憲三郎氏と某元フィギュアスケーターのプロレスの試合を見てみたい。
で、誰かを乱入させて不透明決着になるのが理想。 >>669
ヤス脇坂三世は家系図出せと幕府に言われ「祖父様より前のことなんて分かりませ〜ん♪藤原ということにしといて下さ〜い♪」と即興歌で返した 国際プロレスとか織田プロぐらいだとまだ分かるんだけど、室プの頃の応仁シリーズとかドラゲとかユニットの入れ替わり激しくてよくわからん 応仁の乱の時も織田家は尾張半国の守護代同士が東西に別れて争っていたんですね
信長の家の方の守護代家と松平家が同じ東軍だったというのがまた興味深いですね 子孫といえば徳川プロレス19代王者イエ・ヒロは謎事業で借金こしらえて、地元静岡の凱旋選挙マッチでも負けるというなかなかのズンドコぶりだった ドカベンで徳川家康という、のんべのおっさん監督が明訓高校を率いて全国優勝してるけど
由緒ある家柄の人にしては「べらんめえ口調」だったなあ。。。。。 日本史マットでは
天皇ファミリーを除いて、
最強・最高の富と権力を持ったのは
ヨシミツ・アシカガてまじ?
金閣寺もすげえが、
なんと天皇ファミリーの血統じゃないのに
あと少しでムリヤリ天皇ベルトを巻けたかもとか 望月マイクで有名な
藤原ファミリーのミチナガがそれっぽいと思ってた 正直天皇ファミリーはBUSHIが力を付けてからはメンフィスの帝王みたいな感じだったからなぁ
BUSHI一派の維新シリーズでの華族ターンでまた返り咲いた様に見えるが、元薩長同盟のメンバーとブッカー岩倉が好き勝手してたらしいし しかし鈴木健三に天皇ファミリーと同じリングネームを付けようとするなんて、WWEもえげつない真似をするなぁ 明治〜第二次世界大戦にしたって天皇が最高の権威(王座)と権力(経営権)を保持してたのは事実だが
さて権威と権力をどのように奮っていたかというパワーバランスはまた別の話
逆にいえば別のレスラーに実質的な決定権があり、かつそれが歴史を動かしていたとしてもそれを持って天皇に権威と権力がなかったかといえば別な話 「サル、そちに命令がある。美濃の国に乱入して、墨俣城を築いて鉄壁の美濃囲いを崩せ」
「めんどくさいからヤだ」 ファンタジーの塊みたいな秀吉だけど、前田、福島、加藤辺りのガチ実力勢と近縁だったりするんだから、やったらやったでガチる力もあったんですかね?
今でこそドラゲとかでも団体内でポジションに合わせてリングネームを変えるのはやるけど、羽柴とか言っといて両方に呪われながら踏み潰すトップヒールってスゴい前振りだと感心するわ ユニット・共産党のシイ委員長は
昭和天皇の罪の部分をピックアップしているが
アイアム共産党オタ以外からは黙殺されているもよう マルクス主義プロレスは社会主義と共産主義でも新日と全日くらい違うし
中共ソヴィエト日共ぜんぶ仲が悪かったりする
更に言えばマルクスそのものが現役時代は社会主義プロレスラーのなかでトップではあるが他にも有力なタレントたくさんいる程度
まあ90年代の武藤敬司くらいの存在だったこともあって
一概に左翼(っぽい思想)といってもストロングスタイルくらいあやふやな意味合いだったりする 「中共は危ない(できれば潰したい)から、まずは9条2項潰して自衛隊認めようぜ」とか
言い出すトンパチが日共に現れなかったのは、それだけ護憲ギミックが絶対化してたってことか >>685
ファンタジーといえば夏の陣際、秀頼、国松は北政所の甥の木下家に落ち延び国松はそこの養子になり幕末まで続く25000石の大名になったって話が好きですね
秀頼が197p161sあったって話も好きです >>685
そいつらガチ勢って言えんのかね
前田は秀吉の近所に住んでた縁で夫婦ぐるみの付き合いから
福島加藤は親戚筋で夫人が面倒みて家族同然だったから
縁故で抜擢されたレスラー達でしょう 農民から(諸説あり)の天下人・移民からの天下人
信長死亡からの伸長と独立・力道山死亡からの独立と伸長
それまではあくまでナンバー2〜3の家臣・独立前には馬場の後塵を拝していた
唐入りアジア統一構想・IWGP構想
朝鮮興行・北朝鮮興行
晩年の迷走と次代での滅亡・晩年の格闘技路線と義理の息子世代での被買収
このスレのお陰で秀吉と猪木がかぶるように見えてきた 家康は馬場さんかな。ちと過疎気味なので上げておこう。 >>687
なんか動物農場というSFで
マルクス、レーニン、スターリン、トロツキー、モロトフらを
ブタ小屋のブタに例えて、
人間(帝政ロシア?)からの独立をめちゃくちゃ皮肉った作品があるらしい。
マルクス→90年代の武藤敬司は納得
あえて10年間代表を決めると…ということか 毛利・斎藤・武田・北条・今川・大友・島津そして織田が動き出すまでの戦国プロレス初期〜中期ってあんまり大きな動きがないんだよな
大内vs尼子の名勝負数え歌くらい? 北条が動きだしたのが戦国時代の先駆けと言われてるくらいなのでそれ以前と言われても(困惑)
応仁の乱シリーズのアングルが緻密だと最近になって再評価の流れがあったりするんやで
関東公方ベルトの分裂騒ぎと関東管領ベルトを巡るアングルにまさかの北条ベルト復活で対抗する興行戦争とか意外にファンいるのよ 目に見えて興行テリトリーを広げた(関東の大半を支配した)のが氏綱〜氏康期だからそういう表現になってるんじゃないかと 戦国下剋上プロレスの父・力早雲先生はバックボーンの無い中卒浪人から伸し上がった
というのがオレの子供の頃のムック本では常識であったが
最近の研究では学生時代から実績のあるエリートレスラーだったという説が有力らしいな。
姉が名門の今川の嫁って時点で無名の浪人ギミックは怪しいと子供心に思ってたんだが、
多少怪しくても信じさせられてしまうってのは昭和のプロレスと同じだなw その逆にヒデ・ヨシは農民の出ではなくて実際の出自はもっと低い身分だったとか
まあ名高い人の落胤ギミックをやる上では仕方の無かったことなんだろうけど >>696は四天王プロレス観ると昭和のプロレスなんて観てられないとか
天龍知らなかったドラゲのお客さんや今の新日ファンが猪木知らない的な話だな
戦国早期にも関東で名を馳せた早雲とドーカンの2大スターや
同時期にローカルプロレスの礎を築いたTAKA朝倉
信長がギミックをパクったことで知られるヨシ・ノリとか
語り継がれる名レスラーは多い 応仁の乱シリーズのめちゃくちゃ具合とか
BUSHIなのに
京都に本社置いたり仏教プロと提携とか
足利ファミリーの不安定さを物語っているよな
BUSHIが京都に本社置こうと思ったら、
ノブナガみたく
全他団体、他ユニット叩き潰すくらいの勢いが必要やな 一レスラーとしては一流でも経営者としては三流以下、なんてハイセルだコンニャクだを例にあげずとも今じゃ当たり前だけど、立ち上げはさておき継続した安定団体経営はそれ向きの才能がいるんだろうなぁ
システムを上手いこと作った徳川ファミリーはスゴいってこった
ところで、卑弥呼、政子、富子、元子といった女帝達に詳しい資料に心当たりがあったら教えてくれ 元子なら宝島系歴史書とか読んでると人柄察せられるな ヨド・ギミとかヴェルサイユ・アントワネットとか
悪の女帝レスラーは密かに人気だからな
女子プロ最盛期のエースが北斗だったようなもんか 呂后、則天武后、西太后など中華女子プロレスが圧倒的ヒールで代表されるように
やはり女子プロで歴史に名を残すには悪くてナンボな向きがある
そしてその魅力が限界を知らない情念と欲求をぶつけるタガが外れたガチ感にあるところもね フランス革命興行の最強フィニッシャー『地獄の断頭台』
ヴェルサイユ・アントワネットだけ、なんとあお向けで
喰らわされたらしい 得意技にしてたはずの恐怖のヒール、
ロベスピエール選手がそれ食らって選手生命断たれた話も趣深い いつの間にか海外遠征しとるココのスレ。
それもまたプロレスの範疇よ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています