【昭和】スペシャル番組での中継【なんか雰囲気違う】
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プロレスは、テレビと二人三脚で発展してきたジャンルじゃないですか。
本来、ビッグマッチとは、プロレスファンのみならず、一般視聴者、テレビ局にとっても特別だったはずですよ。
つまり、通常放送回で中継されたものではなく、特別放送枠で中継された試合こそ、
真のビッグマッチと言えるのではないでしょうか。
第1回IWGP最終戦も、金曜8時に放送されてたから、だめです。
より多くの人に注目された、スペシャル放送枠の試合について語り合おうではなないですか。
全日なら、土曜トップスペシャル、新日なら、水曜スペシャルとかいってましたでしょうか。
どーですかみなさん。
「今週は2回もプロレス中継があるじゃん」と胸を躍らせた思い出を語り合おうじゃ、あーりませんか。 私の記憶する限り、80年代の新日最盛期でも、金曜レギュラー以外のスペシャル放送枠で
猪木の試合が放送されたのは、ラッシャー木村選だけで、維新軍がらみではいちども
なかったと思います。
つまり世間的には、ラッシャーVS猪木(+タイガーマスクの試合)の方が世間的には注目度が高く、
長州VS藤波か猪木(+タイガーマスクの試合)は、しょせん、プロレスファンの中での関心だったと言えるかと。 もともと、毎週の放送枠とは別にスペシャル番組として試合中継するのは、
猪木の格闘技戦が発端らしいけど、
「特別番組のこっちはガチで、金曜にやってるあっちはヤオですから」って雰囲気があったのか。
そういうリアルタイムの感覚も、歴史的証言とし、今の棚橋きゃーとか言ってる連中に伝えられればいいか、と。
私は格闘技戦はリアルタイムで知らんけど。
小錦のお兄さんと、スピンクスだけ。 スピンクス戦も、スペシャル放送だったけど、同曜日で、拡大放送だったと記憶している。
それでも、古館は、「格闘技戦とあって、リングサイドには著名人が集まっています」と、特別感を出していた。
場面変わって、国技館の枡席。タモリと堺マチャアキが二人でいた。
タモリが無難なコメントを出したあと、マチャアキが「私は猪木さんに何度も助けられてますから。今日も、
猪木さんがピンチになればすぐにリングに上がる準備はできてます」と。
すかさずタモリが、「今のギャグを説明します。猪木さんに何かあれば、すぐに助ける、つまり、錠剤命の母、と。
これです」と説明してた。
しょうもない話だが、有名人がリングサイドにいることと、リングが真っ白ってだけでも特別感があった。
この一戦に加え、、今や伝説の前田ニールセン戦もあったこの闘魂ライブ1すら、スペシャル番組じゃないんだよね。
まじ、スペシャル版の中継、どんだけ価値あんの?って話。 全日本もよくやってた
テリー引退試合のテレビ面の紹介欄には、
インターヘビー戦ブルーザー・ブロディ(米国)って書いてあって
ボクシングみたいと思った
鶴田AWA奪取試合の蔵前
鶴田AWAニックと防衛戦の蔵前
ファンクスが復帰して対ハンセン、ブロディの名古屋も特番だった テリー引退試合のときのブロディ対鶴田の前には「インターナショナルヘビー級王座変遷史」
ってのがあったね。変遷って言葉を初めて知ったw インターの歴史、そしてテリーの日本での軌跡もVTRにまとめてあったな >>5
名古屋の特番といえば馬場と木村の仲間割れ
他に鶴田vsトミーリッチ、カブキvsシンとかの特番もあった >>2-4
格闘技戦で御馴染みだった水曜スペシャル枠では82年4月の蔵前
(猪木vsヴェンチュラ 藤波vsブッチャー タイガーvsブラックと番組終盤に時間が余ったので浜田vsアグアヨの試合後半)
があった
それと85年5月の13日だったかな?月曜日の単発1時間スペシャル枠で藤波vsスヌーカ(藤波の地元大分での試合だった筈)
を放送してこれが好評だったのでワープロが金曜8時から月曜8時に移行したとの説がある 1983.4.3
猪木対ラッシャー 藤波対長州 コバクニ対Dキッド
ビデオにとって何回も見直した特番だ >>8
当時小学生で関西人のおれにはそうとしか聞こえなかったw
>>11
試合前のインタビューで、長州が女性リポーターにブチ切れてたな ゴールデンタイムは巨人戦が最優先だった日テレより、
とくに何もなかったテレ朝の方がスペシャル放送がすくなかったのはなぜなんだろう?
川口探検隊と交互に猪木やってもいいくらいの優良コンテンツだったはずなのに。
プロレスはスポンサーがつきにくかったって聞いたことあるけど。
たしかに、金曜夜も、釣り針と焼酎のCMだったからなあ。 今もゲットスポーツのところでやったりしているけど、
どうせそれは認めないんだろうなw 猪木がパラオか何かで子供達と探検する奴なかったっけ? 昭和52年 鶴田 天龍 vs ザ マフィア
誰も知らんわな(笑) >>17
ちょうど昨日だか、日テレG+のプロレスクラシックでやってたなw 鶴田対戸口の延長戦って
戸口が勝ってもタイトル移動なしってくだらんブックだな
そのせいか延長5分間の攻防は全く緊張感も盛り上がりもなく終わってた
あれなら60分で終わったほうがマシだった 全日本プロレス中継の海外特別試合と蔵前国技館の二元中継好きだった 特別番組である以上、目玉の一試合というわけにはいかないから、
「豪華3大決戦」とかにするべきなんだろうが、新日の場合、タイガーが出てくるまでは
猪木しかいない状態だったのかな。
つまり、「顔ぶれの豪華さ」が売りの全日の方が、スペシャル番組に向いてた、と。 88.8.8のスーパーマンデー・ナイト・イン・ヨコハマ(藤波VS猪木フルタイム)は
特番生中継だったね。
あと90年12月の浜松大会(藤波VS長州、蝶野VSテーズ、ライガーVSネグロカサスなど)も。 90年2月のドーム大会は水曜スーパーテレビ枠だったな
ベイダーvsハンセン、北尾vsビガロ、猪木&坂口vs橋本&蝶野
まだこの当時だから特に余計な煽りVTRもなく、特番らしい点といえばゲスト解説の田代まさしw
「時はきた」と「1,2,3ダー」の初披露でもあった 88.8.8は、猪木引退かもしれないと煽って、古館復活させた特番なのに
試合途中で番組終了させたのはすごいな。
番組終了までに試合を終わらせなかった、というか。 >>26
試合結果はその日のニュースステーションで速報っぽくフォローしてたね。当時はネットがなかったので、その日のうちに結果を知ることができたのは有り難かったが、一般の視聴者からしたら違和感があったのではなかろうか。 日テレ『新春プロレススペシャル』解説田鶴浜の年始の挨拶が好きだった! 日テレは木曜スペシャルで全日をやろうとは思わなかったのか?
テリー引退興行は木スぺだと翌日放送だったのに。 >>29
木スペのプロレス番組というと力道山風雲碌位しか記憶にないな
後はショッキング映像の定番のクラッシャーがマイクを齧るシーン >>29-30
木スペもテレ朝の水スペも基本バラエティ班の管轄みたいな物でスポーツ局側の要望が通っていた訳ではなかっただろうしね
プロレス以上に優遇されていたボクシングの世界戦でさえ
ボクシンク人気が落ちていた80年代は視聴率が期待値を下回っているからと
当時日本唯一の世界王者だった渡辺二郎の試合放映権でさえ(放映権料を巡るイザコザや渡辺二郎の所謂黒い交際の方が大きな理由だったそうだけど)
手放して関西テレビへの移籍を黙認していたくらいだから ワールドプロレスリングがギブアップまで待てないになったとき、
「担当がスポーツ局からバラエティ局に変更になった!大問題だ」と
週プロに書いてあった覚えがある。
テレビカメラの撮り方についても、いろいろ問題にしてた。 >>32
製作会社がテリー伊藤のIVSテレビ製作だったんだよな
実の姉が構成作家で参加してた関係で当時週プロの
フリーライターの斎藤文彦もプロレスマスコミなのに参加してる
たけしプロレス軍団もこいつらの仕込み >>33
とはいえこれにはテリーは噛んでなかったが、元気が出るテレビでは
プロレス予備校なんてのをやってたな。
ものになった、というよりはここから全日に入門した奴は誰もいなかったような。 >>34
企画会議にはテリーも顔を出してて色々無茶振りして
きたって聞いた事がある 特番中継なんて、ぜんぶで100回もないだろうから、どこかにリストあるかもしれないね。
というかこれ、いかにもGスピリッツで特集されそうな切り口じゃん。
ちょうど番組製作を担当した局の社員が定年退職する頃だろうし。 最後のゴールデンの特番って2001年の大阪ドームか福岡ドームかだったかな? 全日の場合、夕方の通常放送と夜の特番と二回見れてお得感あったな。 全日の新年のスペシャルのバトルロイヤルはワクワクしながら見たな〜
年々試合内容が雑になっていったけど… 88.8.8の猪木・藤波戦は中継が終わった後の番組「イート9」の中で
試合結果をテロップで流してたっけ 88.8.8って、どの段階で決定したことか知らないけど、
日付のゴロといい、タイミングといい、場所(猪木の故郷)といい、
むちゃくちゃ引退の舞台として整ってたんだな。
あの日、「猪木の引退は十年後で、東京ドームで、相手は何の因縁もない口ひげの外人だよ」と
言っても誰も信じなかっただろうなあ。 >>43
当時新日は冬の時代だったから
わざわざ大看板を自分から放棄するはずがないと思ってたから
猪木引退はないだろうと思ってたけどなあ
仮に本人が引退したがっていても
社内(特に営業部)からの反対される情勢だっただろう >>45
それでも翌年に参議院議員になって事実上引退したからな。 実際、政治家や実業家になりたくて、もうプロレスラーなんてどうでもよかったんだろうに、
選挙の準備や選挙運動を通じて、現役レスラーでいたほうが、馬鹿庶民たちには受けがいいと
気づいたとか、そんなところじゃないかな、と、当時の俺は思ってた。 猪木が「プロレスに市民権を」と言うのを真に受けてたから、
スペシャル番組=普段の中継を見ない一般市民も見る と思って、
「八百長論者を黙らせるような試合をしてくれ。凶器とかそういうのやめてくれ」と願いながら見てた俺は、
とても純粋でいい子だったと思う。 1982年1月1日 19:00〜 2時間枠
テレビ朝日系列 全国実況生中継
猪木vsローラン・ボック
藤波vsボブ・バックランド
長州力vsアニマル浜口
タイガーマスクvsダイナマイト・キッド
藤原喜明vsカール・ゴッチ
http://ventilatorblues-sway.blogspot.com/2012/12/23680.html
https://youtu.be/_v6aR_me_jQ 年末に棚橋が古田敦也相手に「1.4は俺にとって超重要」とか言ってる番組を見たから
このドームはスペシャル番組かと思ってたけどなーんにもなかった。あげ >>24
キューティー鈴木が解説でキューティーコールが良かったな 猪木がIWGPでのKO負けからの復活の田園コロシアムのラッシャー木村戦も火曜8時のイレギュラー枠だったかな IWGP猪木失神KOのときなんかスペシャルどころか録画中継だったはず。
会場に行った1万ちょっとの観客以外は、全員、テレビニュースや新聞で猪木失神を知り、
その夜にワールドプロレスリングを観た。 87年全日正月特番は、ホールからの最初の中継が鶴龍対デスト&マークレーガンという何のテーマもないどうでもいいカード。
次も長州谷津対ヘニングロイヤルという、一応PWF前哨戦とはいえかなりどうでもいいカード。
輪島に頼り切った特番だった。 、>>53
放送の最後に古館と小鉄が別の場所にいたから
完全に録画だね。 83年3月土曜トップスペシャル
鶴田対リッチ カブキ対シン 馬場対レイス(セントルイス)
これで視聴率15パーセントゲットして、日テレ内のプロレス評価上昇 >>58
ちょっと前の2.10新日ドームがマーシーで、そのレスリングサミットは松山千春。いい時代だった。
>>59
それ、試合内容はいつもの鶴田、いつもの全日だったけど、番組開始直後の煽りがかなり秀逸だったことだけは覚えてる。
今夜の鶴田は特別だぞ、という雰囲気だった。 第1回のドームが特番じゃなくて、土曜夕方にダラダラ複数週放送だったんだよな。
プロレス界の感覚とテレビ屋の計算とは違うんだな、という気になったのを覚えてる。
キッドカンナムマレンコのタッグを放送しまくってた全日中継の方にはテレビ屋の方にも
プロレス愛を感じたんだが。 最近、ゲットスポーツで新日特集をやらなくなったな。 >>60
リッチのテーマ曲も格好良かった
あとカブキのヤンキーステイションもこの時からか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています