新日暗黒・迷走期
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新日本が暗黒・迷走期だった2000年代前半から2014年位を語るスレです。印象に残ってる事件や試合について。 >>77
ライダーファンを自称してアメトークにまで出てるのに実はニワカで本編も全然見てなかったとか
同じくライダーでクウガのオーディションの話があっただけなのを自分が主役を断ったみたいに吹聴したりと
とんでもない見栄っ張りなのは今でもだな
少なくともファンが思うほど誠実な人間じゃないのは確かだと思う >>109
永田さんのガチ説教もあったw
試合中、死んだ目でアナウンサー席?に
座ってるのが見切れてたからなw
あれは永田さんじゃなくてもキレるわ >>128
背中刺された話しもあるしな
ただ良い話しも結構あるし成人君子なんてこの世にはいなからね 12年6月ドミニオンは良かったなあ〜。
掟破りの逆ツームストン喰らったオカダの「そんな・・・!そんなバカな・・・!」って表情が最高だった。
ハイフライでピン取った瞬間のあの盛り上がり。
所属同士の試合なのにあんな蜂の巣つついたような騒ぎになった光景は圧巻だった。
オカダの史上最高ドロップキックもこの日だったと思う。
個人的には10年代のベストバウトだな。
10年代ベストバウトの次点は、棚橋VSデヴィットのランバージャック戦。
四虎があんなにカッコよく見えた試合もそうそうない。 >>104
乙葉はいいんだが、「乙葉ちゅわ〜ん!」って無理やりはしゃいでた真鍋がうざい。
カウントツーー!!カウントツゥーーーー!!! なぜかケン・シャムロックがエントリーされてたG-1あったよな
秋山と同じブロックだったから楽しみだったけど知らない間に名前消えてた 真鍋、中丸と古くは藤井、朝岡は実況は下手だったな
というより声がスポーツ向きじゃなかった
高い声は逆にプロレスに合わないんだよな
それにプラス実況自体も…うーん >>128
自分の利にならない者はあっさり切り捨てる冷淡な面はあるよな
ヨシタツだってキャプテンだって一時はタッグパートナーだったのに、叩かれて団体内の立場がなくなったら手のひら返して知らん顔
後藤が彼らを心配したり優しい言葉をかけたりしていたのとは対照的
棚橋は良くも悪くも計算高いというか、周囲からの視線に敏感なんだろう
だからこそ世の中の需要を読み取って、プロレスのイメージを合うように変えられたのはある >>134
シャムロックの代役に復帰明けの中西だったな
秋山との先輩後輩対決に期待したがどっちもコンディション悪くて残念な試合だった >>135
同時期のノア中継でメイン実況してた矢島や平川は声高くても評判よかったな
おそらく元々プロレス好きだったというのが関係あるのかもしれない ほぼきっちり暗黒期の入り口から出口まで新日を支え続けた
SXW小鉄&鍵野も思い出してやってくれ。 暗黒期のギラギラしてた真壁が大好きだった
試合はそんなに面白いと思わなかったけど
本当に死に物狂いで盛り上げようとしてたのがビリビリ伝わって来たし
試合後のインタビューも何を喋ってくれるのか毎日本当に楽しみだった
棚橋が暗黒期の新日本を蘇らせたというのに異論はないけど
真壁も相当貢献したと思ってる
以上懐古厨のチラ裏でした あの頃の真壁良かったねぇ。
2007年の後楽園での永田戦が特に好き。解説してたか金澤が泣いてたね(笑)
あの頃は、真壁を見にチケット買ってた。
ケイオスができてベビーになったけど、その頃から棚橋、中邑も客から受け入れられる
ようになって、オカダが出てきて、なんか影は薄くなったけど、暗黒期の功労者なのは
確かですね。 真壁はここ数年目に見えて動きが悪いときが有って功労者だからそれは見てて辛い GBH以降の真壁はよかっただろ。
真壁も新日もどうにもならなかったのは、アキレスやった頃だろうな。 真壁がアキレスやった辺りって今で言うヨシハシみたいなポジションだった印象がある
いらない子というか
ヨシハシよりは喋ってたしスープレックスは無駄に綺麗だったけど >>143
真壁のIWGP初挑戦は壮絶だったよな
カット失敗?でこめかみからドクドクと流血してるのが
テレビの画面越しからもわかるくらいだったからな
あの試合をやりきった真壁の根性は半端じゃない
さすが例のシゴキを耐えぬいた男だよ ヨシタツが新日に入門したのが2002年。
退団したのが2007年11月。
まさに暗黒期の申し子だったんだな。 竹村って最後の方よかったよな
体もかっこよかったし 新日社員の上井氏が急に前に出てきたのが違和感あったし嫌だったなあ。
柴田がK−1の選手と格闘技戦やったときも解説席で偉そうに話してたし。
しかも解説なのに「まだまだ柴田はこんなもんじゃないですよ!」とか逆ギレしたり、
本当にコイツは何なんだよ?と思ってた。
柴田が退団したのもこの人に引っ張られたから?
「必ずお前をスターにしてやる!」って口説かれたりして。 本当の意味で真っ暗な時代は武藤離脱〜棚橋初戴冠までかな?
もちろんその前後も色々あったけど、棚橋がベルト取って徐々に明るくなった感じがする。 高山に気に入られてGHCタッグに挑戦したりしてたもんな真壁 あの時期に一気に伸びるかと思ったら予想以上に伸び悩んだ印象があった 棚橋に負けてマスクを脱いだら
筑前りょう太、客がキョトン >>153
ここ数年でも乱入した選手がフードとか取ったら誰か分からずに観客キョトン多いからなぁ(AJ、イービル、SANADA等) 石森もだな
でもクリスジェリコが内藤を襲ってマスクを取った時も対して湧かなかったよな 博多の集音マイクのせいかもしれんし
ジェリコ石森はある程度予測できたからなあ。
最後の本気の襲撃って
いつどこだろ… リング上ではないけど飯塚さんが真壁を襲って菅林社長のBMWの窓ガラスを粉々にした時はビビった 山本宜久が乱入してきたやつとか?
あれは結局何だったのか >>150
柴田はスターになりたいとかじゃなくて、当時の新日のやり方が気に食わなくて辞めたんだと思う
しかし運が悪いというかタイミングに恵まれないというか、薄幸なプロレスラー人生だったな
殿とIWGPタッグ獲ったあたりが一番幸せのピークだったのかな NJC決勝が尼崎のベイコム総合体育館だった時代
今のGTでも使ったらいいのに。 >>151
猪木御殿(2002年5月)から両国棚橋対後藤(2007年10月)くらいじゃないかな
個人的には越中対永田で後楽園を埋めきった所で終焉で良いと思うけど(割とケンコバの功は大きい) 全日からバーナード引き抜いたことは地味だけど大きなことだったと思う
ハッスルとか全日とかの元WWE勢は結構(当時としては)羨ましく見えた。
だけどジュニアにブライアンとかロウ・キーとかクリストファー・ダニエルズとかいたんだから(デビもいたし)
もうジュニアに力を入れていたらなあとも思う(4虎と金本と井上と田中稔時代) ヘビーは後藤凱旋から頭数揃って充実してきたけど、ジュニアに関してはそれからも時間がかかってた印象。
四虎ミスティコでの無理やりな因縁作りとか、丸藤無双とかね。 >>164
丸藤がかかわってくるとその団体の勢いが殺がれる感じがある
あの人って人気あるって、マスコミの中だけでしょう。
だからいまだ持ち上げられるのに違和感。 丸藤を擁護するわけでもないけども、隙あらば4虎王者で何故かBOSJは金本だったりあの頃ジュニアはベテラン優遇しすぎてたよ
もっと早くデビと田口で回せばよかったのに >>165
何かと気を使わせる割に、試合内容にしろ集客にしろ見合ったリターンがないからね。
丸藤のポジションや役割なら飯伏で充分すぎるほど足りてる。 >>120
内藤はキン肉マンコラボTシャツがジェロニモで選んだやつ天才か?と思った
二人とも強烈プッシュされたのに不人気 >>163
武藤全日が好きだったので当時は恨んだ
その結果があの伝説のバーナードvs中西だし
後、新日ジュニアは日本人が育ってないとはいえ塩の四虎がエースだったのがダメだったと思う 外道が自伝でも自分のベスト試合って言ってたけど、外道とデビのIWGP jr戦はすごい良かったなぁ。 ちなみに2007年11月両国大会、一番最初に会場がドッと沸いたのはデヴィットのトペコンだった。
稔デヴィット対ダニエルズセンシね。面白い試合だったけど、当時悪評を極めてた週プロ採点では6.5という謎判定。
東郷TAKA対邪外は見事なまでに空回り。一緒に観に行ったプロレス初観戦の連れが「邪道・外道という割には、邪道でも外道でもなかったね」って言っててハッとさせられたなあ。一見ならではの鋭い突っ込みというか。 新日の廃屋破壊がめちゃめちゃオモロイw
多分、90年代前半の映像で
橋本、山本(天山に改名前)、金本、野上、ライガー、小島の面子。
多分、新日黄金期っぽい
橋本が豪快、山本はライガーにいじられまくる、金本&野上は地味、小島が若くて超好青年。 石森太二はウルティモドラゴンと一緒に参戦してたよな
あと中西とウルティモはタッグを組む組まないの流れもあった 石森と4虎が組んでジュニアタッグに挑戦したこともあった。 >>172
>当時悪評を極めてた週プロ採点では6.5という謎判定。
あの当時の週プロは猪木嫌いのアンチ新日でノアドラゲー推しの佐久間が編集長だったし
>東郷TAKA対邪外は見事なまでに空回り。
東郷は95年か96年だったっけ?ライガーとのシングルも内容が今一つだったから新日とは相性が良くないんだろうな
>>173
あの家破壊って大工見習いの経験がある小鉄がノウハウを教えてたそうだね
よく見ると瓦と窓枠を外してから柱を叩き折りにかかっていたり素人の力自慢が闇雲に壊そうとしてしくじるパターンを上手く避けている
>>174
ウルティモが中西にヘラクレスカッターを使うよう勧めていたのも今は殆ど忘れ去られている(ひょっとしたら中西自身でさえ憶えていないかも) >>48
橋本小川の影響で不透明決着が増えたのが暗黒期の原因だと思う。
ドラゴンストップとか。
1番酷いのは藤田対健介。 >>178
あれって藤田が普通に負けるのが嫌だってゴネた結果だと思ってたんだが違うの? 懐かしいな
大雨(確か、台風通過後?)の両国で
不穏試合のIWGPシングル戦
客席も大荒れw
何故か、北斗がブチ切れww
暗黒期の新日を象徴する様な
一戦やったな。 >>180
新日らしいと言えばそうなんだけどね。
あの日のタッグタイトル戦はそこそこ良かった。
テレビじゃラストに長州の乱入持ってきてたから、それなりには見れた。
ただ健介は勝った瞬間喜んでたよなw 暗黒時代のあの台風の中来たお客さんって相当な新日ファンなのにそれを悪い意味で裏切るの凄いよな 当時の社長(誰やったっけw?)
当時のマッチメーカー(忘れたw )
が
腐りきってたって事やな。
>>181
あんな勝ち方(藤田がスリーパーかけて寝る→両肩が付きまさかの3カウント)
で 喜ぶ健介の神経は
大分、イカれてるわなw 新日ではないけどWJのドキュメンタリー、今見てもすげぇ面白い。
意味不明に健介とごま塩がグラウンド・ゼロに観光に行ったり、MSGの前で「ウチはここでやるぞ」とか言うごま塩とか。 小川vs健介の無効試合も最悪だったな
小川vs長州のタッグマッチも互いの絡みも糞もない最低の試合
負けブック拒否る小川より大勢の客の前で詐欺に等しい試合を平気で提供するフロントはまじで頭腐ってたよ
プロレスを大切にせず客を舐め腐り流行りの格闘技に進出つもりが逆に取り込まれた新日本
その責任を全面的に背負わされた永田がG1引退で流した涙が印象深い 小川はリング内より、リング外の方が好きやったなー
藤波に喧嘩、吹っ掛けたり
柔道界の先輩・坂口を暴行したりw
prideで高田とミニコントやったりww >>186
まぁ半分ぐらい猪木のせいだわなその辺は 王者藤田から説得力のある勝ち方ができ、またそれに見合った格のある所属が当時の新日本にいなかったって事だな。
健介のフロック勝ちなら、なんとか王座移動の体裁が取れるし、ゴネる藤田を納得させられると安易に判断したんだろう。
個人的には、西村を当ててたら良かったのにと思う。
藤田にボッコボコにされつつも一瞬の逆さ押さえこみかグラウンドコブラでね。
たとえ同じ試合時間でもそれだったらあんな暴動寸前の不穏な状態にはならんかったろう。
西村を王者にしていいのか、って話だけど、安田だってなってるし別にもういいんじゃねえかとw
初防衛失敗でひっそり誰かに渡してくれればそれでいい。 藤田健介戦を見直してみたけど、冒頭でスリーパーをし掛けた
藤田がカウント取られてるんだよね。2で外したけど。
ここで既に「今日はスリーパーのカウントが鍵になりますよ」という
前振りはしていたんだなと。だけどいきなりだったから誰も覚えてなかったという。
あれをしつこいくらい繰り返してからの〜運悪く3カウント
っていう流れじゃないと客には伝わらないよね。完全な説明不足。
まあ二人とも役者としては3流だったってことかな、残念ながら。 あのまま武藤や橋本が残ってたら00年代の新日はどうなってたかな。蝶野には申し訳ないけど、ドームの三沢戦は蝶野じゃなくて武藤だったらなぁとは今でも思ってしまう。 >>191
少なくとも土下座外交はなかっただろうな。 >>193
1/30でドローが見えてたからね。
あれはドームでスパルタンXとミサワコールが聞けただけで十分。 魔界倶楽部だのアルティメットロワイヤルだの迷走する新日よりも武藤全日や小橋王者時代のノア、地上波でやってたPRIDEとK1が好きだった 新日本を見限ったり嫌いになった事は幾度となくあったが、
だからといってノアや全日ファンになることはなかったなあ。 >>98
蝶野vs藤田かな?
>>196-197
女子に行ったのは俺ぐらいのものだろうw
逆に女子を見て割り切れるようになって、今の新日も面白いと思うようになった。 文句を言いながらも新日をずっと見続け来た。
離れる事、他へ移る事もなく。 棚橋VS村上のノーピープル金網戦なんてのもあったな。別スタジオからの中継を両国のビジョンで流すという謎企画。
あの金網はどうなったんだろう。蝶野VS山との2回くらいしか使ってない気がするんだけど。
いくら暗黒期でも備品を使い捨てできるあたりは、やっぱ腐ってもメジャーの貫録なのか。 >>200
WJのX-1のスタッフが手で押さえてないと外れる金網はどこ行ったんだろ。 >>179
橋本小川以降、猪木事務所の介入で不透明決着が増えた、という意味でした。
藤田も含む。 自分は棚橋が刺されたときこりゃないわって新日はなれて中邑がくねくねしてるってきいてもどってきた。
でも同じく戻ってきた柴田勝頼はどうして受け入れられん 暗黒期も今となってみれば、面白おかしく懐かしく振り返ることができるんだけど、
「サイモンケリー猪木」という字面と響きにはいまだに嫌悪感がある。鬱成分が半端ない。 会社の都合で技巧派ベテラン切った癖にアメトークに転がされて越中やサムライを都合良く呼び戻したりするのも気に入らなかった 暗黒期でもゲストはかなり豪華だったけど、
やっぱり破格のギャラを払ってたんだろうなあ。
レスナーやカートアングル、ボブサップやK−1絡みの選手たちも。
レイザーラモンとケビンナッシュも来てたし。
そりゃあ所属選手からしたら面白くないよなあ。
新日に縁のない連中がバイト感覚で高額ギャラを持っていくんだから。 暗黒で好きな年は1988 1989 のどんよりした感じが良かった >>207
少なくとも越中はWJに金で動いたんだぞ。嫁もWJに入ってたし。 >>209
今思えば、傍から見てる分には平和でまったりしてて、事件やトラブルに疲れたファンにとってはいい時期だったかもね。
山田くらいしか面白い試合するやついなかったけどw
ただ、89年はなんだかんだ言って、会社としてかなり頑張ったと思う。ソ連やドーム、夢勝ちでの若手スタッフ重用とかね。
その時蒔いた種が翌年以降芽を出したように思える。 >>209
飛龍革命とか、夏のIWGP挑戦者リーグとか、前年よりも内容的には良かったんだけど、いかんせん夕方への放送時間帯の移行が大きかったな。当時はゴールデン堕ちって絶望感しかなかったし。
その意味では2000年代より暗黒感は強かった。ワールドプロレスも川口探検隊風味にしたり、カメラワークがハンディ中心で見にくくなった。8.8の藤波と猪木の試合とかまともなカメラワークで見たい試合だ。 そのころは両国国技館貸してもらえずで
まだ屋根のない有明コロシアムでの興行 >>207
越中は暗黒の終わりの方で
サムライは復活し始めたとか言われてたときだな
サムライも怒らずよく出てくれたもんだ WJに移った奴と、人材整理で切られた奴は全然違うだろ。
少なくともWJに移った奴らは支度金数百万貰って移籍してんだから。 >>216
その支度金って確か未払いのまま終わったんだよな
越中はそのあとハッスルにも呼ばれてたし、ももクロのライブにゲストで呼ばれたり、何だかんだでうまく立ち直ったよな >>186
これ当時テレビで観てたけどほんとにクソだったな。
プロレス観に行ってるのに格闘技もどきのつまんない試合見せられるし、当時の新日はわざとやってんのか?と思ってた。 ゴールデンで生中継する時こそジュニアの飛び跳ねる試合でも見せとけば無難にウケが取れるのに
ぐちゃぐちゃの乱闘でノーコンテストの試合ばっか見せるんだから
うちの母親も「何がしたいか分からないしこれが面白いの?」って言ってたぞ >>177
ちげーよ
X扱いされて結局東郷だった試合だろ
わからないなら消えてくれよ >>134
そここら村上が代理参戦して
中西乱入劇のズンドコ名場面だな
ワールドプロレスリングのエンディングが
中西の「やっちまったな」 総合格闘技が流行っていたこの当時に
下から三角締め極めてるのに、3カウント取られて負け・・ってブックを作って欲しかった。
ああ、格闘技では勝ちでも、プロレスは何て奥深くて過酷なんだってね。 >>223
それを嵐の両国で見せつけた王座戦があったけどな 当方このあたりからプロレスを見始めたけど
度々現れた総格くずれがあまりにも塩っぱかった記憶しかない
強いのとプロレスで面白い試合をするのは全く別物なんだと思い知った 猪木祭りで客が1番湧いたのが藤波のエキシビションだったりしたからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています