タイガージェットシンの全日時代、ブッチャーの新日時代
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
そりゃあ元居た団体より活躍したとはいえないが悪くはなかったよ 移った先のエースが共になかなか戦いたがらなかったな。
これがハンセンやブロディだとすぐ戦ったのにな。 シンはようやくこれからという時に新日本に戻って残念というイメージも 全日シンはそれなりだろ
馬場にタッグでフォール勝ちもあるし
新日ブッチャーの最後は完全に窓際 シンは全日もサーベルタイガーの入場テーマ曲だったらなぁ。
権利の関係で難しいならせめて他の曲にして欲しかった。 >>9
この時代は《極悪ヒール=吹けよ風呼べよ嵐》《NWA王者=ギャラクシーエキスプレス》
これが全日というか日テレの意向だった。
まあシンは、ブッチャーやシークと並ぶ極悪ヒールという事で。
それはそれで考え方はわかる。
でもサーベルタイガーの方がやっぱり良かった。
新日とのテーマ曲の権利も絡んだからね。
ハンセンもその問題で新テーマ曲を用意されたし。
85年の長州の全日登場頃からそれもクリアされたのかな?
90年のアンドレ全日登場の頃は完全にそれがなくなっていた。 >>10
いまやウエスタンラリアートよりサンライズだし 新日でのブッチャーはそう悪くなかったと思いたい アレンという好パートナーがいたし
ホーガン戦は好きだったし、ブッチャーフロントスープレックスに挑戦したり
全日のシンはちょっとキツかったかな?なんせ相手がいないんだよな 好敵手になるかと思った
テリーとは思ったほどでなかったし セオリーがないシンとの対戦は鶴田や天龍は嫌がってたそうだし
シン自身はフレアーにちょっかい出したりしたが相手にされなかった
全日もシンを何とか生かそうとしてか、悪党マネージャーの神様ボビーヒーナンを招聘してスレーター
との抗争をプランニングしたりしたが、なんかやっぱりイマイチだったな 馬場とシンの試合は、ふたりとも
フレッドアトキンズの弟子だが、馬場は「シンは相手の足に自分の足をかけて倒したりするテクニックで、足を出す
タイミングが俺といっしょだ」といっていた。やっぱりやりずらかったみたい
伝説の輪島戦は・・・もういいや シンはテリーとはそれなりにいい試合やったと思う。
シンが不運だったのは移籍直後にハンセンが移籍してきたこと。
これでシンの存在感が薄れた。
ハンセンが初っぱなからファンクスとの遺恨を作り上げて。
それでファンはハンセンとファンクス(特にテリー)との試合に注目。
これでシンどころか馬場や鶴田、ブロディも蚊帳の外に。
ブロディはそのハンセンと組んでいたからまだいい。
この頃は完全にハンセンが全日の中心、(長州流で言えば)ど真ん中にいた。
シンはそんなハンセンに存在感を薄くされてしまった。
また抗争相手になると思われたシークもお払い箱で?来日せず。
シンとリッキーあたりの抗争を作れば良かったのだが。
まあシンももっと活かせたとは思う。
まあ新日でのブッチャーほどではないが、勿体なかった。 シン&ラッシャーで本格始動してほしかったな。最強タッグとかにも出して。
血盟軍時代に組んでいたけど、タッグチームでなくただ単に組んでいたというイメージしかなかったし。 シン、ラッシャーは期待した。
第二のシン、上田になれるかと。
ラッシャーももっと極悪ヒールに徹したら。
それで最強タッグとか。
85年最強タッグはシン、ラッシャーで参加して欲しかったなあ。
嵌まれば二人とも活きたはず。 シンはなんというか、やっぱりクセが強いなーと どうも相手を選んでしまうというか?
新日では猪木以外だとローデスと手があってたんだよな
全日ではいろいろいわれたが、レイスと手があってたと思う あと長州か 全日で長州と
シングルやったが面白かった でも長州は対全日勢とくに天龍との戦いがあるから、シンと
長くかかわってる余裕はなかったか 馬場鶴田とシンはもうぜんぜん
それに全日の80年代は>13にあるように完全にハンセンの時代だったからなあ なんか勝手に
週刊少年ジャンプでの本宮ひろ志=シン 鳥山明=ハンセンとか重ねて見てたわ うーん やっぱりシンは一癖二癖あんだね。
新日時代は猪木は勿論、ローデスともいい試合だったと思う。
酷評する意見もあるが。
あと坂口や藤波ともいい試合だったと思う。
『いい試合』っちゅうよりシンらしさが出ていたと。
全日時代だとベストな相手はテリー、シーク、長州かな。
しかしテリーはライバル枠はハンセン。
シークは来日しなくなり。
長州は天龍や全日勢との対戦が主。
リッキーが当時のゴングで『シンと戦いたい』と言っていた。
リッキーとシンなら単発でも試合組めば良かったのに。
82スーパーパワーで重なってるのに何故か対戦なし。
しかもスレーターまでいたのに。
リッキー、スレーター×シン、上田なんて組んだら面白かったのに。
リッキーはブッチャーやシークとはいい試合できた。
シンや上田相手でも持ち味発揮したと思う。
サイズは違うが、双方はベビーとヒールでわかりやすい。 全日時代のシンのベストな試合
・81年7月 後楽園ホール
シン×スレーター
・81年10月 蔵前
シン 上田×馬場 ブルーノ
・81年10月 盛岡
シン マスクドX×ファンクス
・81年11月 後楽園ホール
シン 上田×ファンクス
・81年11月 大阪府立
シン 上田×シーク ルーイン
・81年12月 札幌
シン×シーク
・82年5月 後楽園ホール
シン×天龍
・83年7月 大阪府立
シン×テリー
83年12月 帯広?
シン×ドリー
85年6月 名古屋
シン×長州 83年3月の後楽園ホールでのシン×鶴田。
シンがグランドで鶴田を完封したと言われる試合。
確かに悪くないが。
あと83年1月の後楽園ホールでのシン 上田×馬場 鶴田のインタータッグ戦も良かったわ。
鶴田が大流血の試合。
シンらしさ全開で。
83年7月の福岡でのシン 上田がタイトル奪取した試合はイマイチ。
1月の方が良かった。
でも記憶しとる中でこのカードは5回やっとるね。
放送されたのは4回。
更に地方でもやっとるかも。 シンは83最強タッグの
クリーンファイトをするふりをして馬場、ドリーを困惑させる試合がいい シン ブッチャーの共通の主な対戦相手
【日本人】
猪木 馬場 坂口 鶴田 藤波 長州 天龍 ラッシャー 輪島 木村 原 上田(意外だが)
谷津 石川 井上 渕 三沢(タイガー時代含む) 川田 小橋 田上
【外人】
ハンセン ブロディ ホーガン アンドレ ファンクス マスカラス ドス
カネック レイス ニック アレン スレーター
まあ二人は最強タッグで組んだからその時の参加チームは共通の対戦相手になるが。 シン ブッチャーが組んだ共通の主な相手
【日本人】
カーン(ブッチャーは海外で組んだことあるらしい)
他にいたっけ?
【外人】
ハンセン アレン カマタ シーク
これも二人は通常シリーズでも組んだ。
そういう時は必然的に同シリーズ参加外人とは組んだことになるが。 >>23
安生
シンとはハッスルで、ブッチャーとは全日マットでマスカラス兄弟と対戦してる。 >>24
そっかラッシャーがいたわ。
あとようつべで見たが、90年頃にアメリカでビガロとブッチャーの対決があった。
ビガロはシンとも新日で対戦しとる。
ウイリアムスやゴディとも双方対戦してんな。
意外にもシンとウイリアムスはIWAジャパンで。
あとスーパースターもシンとブッチャー双方と組んだか。 全日80年代前半のシリーズは、シン、上田が中心のシリーズと
ハンセン、ブロディが中心のシリーズが交互に組まれてるんだよね。
(最強タッグは例外)
だからシンはシリーズのメリハリ付ける結構重要なポストに
据えられていた気がする。
ブッチャーも新日ではパッとしないイメージだが
地方の集客力はズバ抜けていたという。
だからあえて83年のIWGPには出さないで
次のシリーズに温存していたとか。 鶴見って意外に無さそうな気がする。
まああってもおかしくないが。
でも鶴見はずっとシンとは組んでいた。
また血盟軍でもあり。
でもラッシャーが88最強タッグで馬場と本格的に組んでからは血盟軍は事実上消滅。
そっからブッチャーと組んだ可能性はある。
でもシンとブッチャーの仲間割れ以降はシンと組んでブッチャーと対決。
鶴見はシンを『ヒールの手本でもあり、人間的にもやりやすい』と言ってた。
でも鶴見とブッチャーが組んだ事あってもそんな驚きでもないが。 新日本時代にブッチャー絡みの対戦で見たかった相手
アンドレ
カーン
バックランド
スーパースター
ハンセン
ボック
サモアンズ
全日本時代にシン絡みの対戦でで見たかった相手
リッキー
フレアー
ウォリアーズ
ストンパー
デビアス
エリック兄弟
あとシンはマードックや戸口との対戦も見たかった。
ほぼ入れ違いだったが。
後にドクとは組んだけど。 シンが全日で伸び悩んだのは上にもいろいろあるけど、技が少なかったこともあるだろうなーと
殴る蹴ると凶器攻撃とコブラクロー 個人的にコブラクローが不味かった気がする 単なるチョークだもんな
猪木との試合では「あれは反則だ!」「いや合法だ」とか論争になったり
話題をふりまいたりできたが。新日はシン☓猪木一本槍で勝負してたからそれでよかったけど
外人レスラーの多い全日ではシンに話題を注力するわけにいかんもんな
シンは新日以前にコブラクラッチを得意にしてたことがあるが、全日で復活させればよかったのに
国際から全日にきたトーアカマタが国際では使ってなかったジャンピングキック使い出したみたいに
ブッチャーはその点毒針エルボーや山嵐バックフリップ、地獄突きと技が豊富だからなあ >>31
猪木戦ではブレーンバスターとかアルゼンチンバックブリーカーなどの多彩な技で勝ってたのにね。
全日へ移籍したら途端に地味なレスラーに成り下がった。 >>33
それはまずないだろ。
新日時代だって大物外人が揃ってた。
されをシンが萎縮していた様には見えなかった。
単純に全日が合わなかったっちゅうか新日が合っていた。
だから全日が合わなかった様に見えた。
むしろ国際のエースだったスミルノフやジョーこそ萎縮してた感じが。
ただシンには首4の字をもっと使って欲しかった。
何かの記事であったのだが。
新日時代や全日初期はシンは首4の字は完全にロックしていた。
しかし完全にロックすると本当に締まって失神してしまう。
シンはそれを注意された。
それで全日時代中盤あたりからは首4の字でもロックせず。
だからただのヘッドシザースにしか見えなかった。 全日のシンしか知らないんだけど、
3流パートナーと組んで最強タッグに出て
ハンセン&ブロディと闘ったとき
全く臆せずに、サーベルもって相手を襲ってるのみて
これはスゲェと心から思いました
でもその当時から周囲の仲間たちは
新日時代の方がよかったとか言ってたのも事実かな ブッチャーの新日末期は「おわったひと」だったねぇ
全日復帰して、TNTと組んでの最強タッグ
地元の新潟では、入り待ちのファンたちが大歓声でブッチャーを迎えたよ
そしてブロディ&スヌーカ組との対戦はおれの瞼の名勝負のひとつ
ブロディ相手に一歩も引かぬ攻防を見せ、
ハイライトは尻をついたブロディに後ろからスリーパーをしかけ、
さらに脳天にフォークを突きたてて大流血に追い込む凶悪ファイト
最後はTNTが、これまた信じられないほど美しい
スーパー・フライに敗れたけれど本当に素晴らしい試合だった
あれがノーTVだなんて、ほんとうに惜しい。。。みんなに見て欲しかった >>37
後の新間が著書でブッチャーとボックは残念だったと書いているらしい。
当時の新日はプロレスに市民権をと表して、その一貫としてリングドクターを
設置してしまった。もっと両レスラーを美味く使いたかったのだが心臓だったかに
欠陥がありドクターストップが掛かって活躍させる事が出来なかったらしい。
ボックはまだしもブッチャーを健康診断かけちゃったら、そりゃダメだよねww >37
TNTは逸材だった 全日新日両メジャーで高評価された まさかWINGいくとは・・・ >>36
それは84年最強タッグだね。
シンはマイクショーというのと組んだ。
上田と仲間割れ→上田新日Uターンでパートナー不在だった。
まああの試合でシンはハンセンやブロディに全く臆してない。
むしろハンセンがシンに苦手意識あったらしいが。
でも新日時代のシンの方が確かに良かった。
更に良かったと言った方が適切かな。
なんやかんや言ってもシンは引き出し多かったと思う。
だから猪木と8年も抗争を続けられた。
あとは『シンは何をするかわからない』という期待感。
また猪木とシンの抗争は紐解けば新宿襲撃事件や腕折り等で最初に色付けされた。
また猪木を倒してタイトル奪取という箔も。
そういう手の込んだ事があったからこそ8年も続けられた部分もあっただろう。
まさか当初は『8年も続く』『8年続ける』なんちゅうのは全くなかっただろうけど。
新日側も当事者同士の猪木もシンも。 シンは80年代以降はどうも運に恵まれなかった感じ 全日ではどうもうまくいかなかったが、
とどめはハル園田夫妻の事故死だろう
この事故のニュースを見てたら、スーツに身を包んで髭を
たくわえた外国人の紳士が出てきて「残念だ」みたいなことをいってて、どっかで見た人だがだれだろう?
と思ってよく見たらシンだった この事故の件でシン素を人前で出しちゃった
以降は「ウーシン!」とかやってたがさすがにまずいと思ったか新日に戻った でももう時代が違うからか
思うようにはいかなかったな ドームの長州戦くらいか印象にあるのは 武藤を血だるまにしたりしたがアレは
ムタVSシンへの前フリだと思ってたんだけど実現前に出ていってしまって残念だった 見たかったなムタVSシン >>41
シンの方もカブキ、石川に断られて最終的に
行きたくないという園田を南アフリカの遠征に
連れてったという負い目があったのかも。 >>41
シンは薗田アフリカ行きの一件を、ものすごく後悔していたみたいだからな。
最強タッグでブッチャーと組んだのも、そのお詫びの気持ちかららしいし。 シンの首4の字ってコブラシーザースって呼ばれてたな
猪木もアレで失神した事あったけど、猪木曰わく『アレは本当はオレの方が得意なんですよ!』
確かに昔の猪木の動画見ると首4の字で相手顔真っ赤にしてもがきまくってんのよく見るわw
小林も相当苦しんでたな >44
首四の字はもともとサーカスとかでレスラーがクマと戦ったりする見世物マッチから誕生した技で、
これでレスラーがクマを締め上げてるのを見たことがある そういえばシンは駆け出しのころワニと
戦ったりしてたっけ クマとも戦ったかも? >>47
前からよくそれは言われてるね。
ゴングスピリッツでも言ってた。
初来日の全日初参戦でブッチャー、新日初参戦でシン。
これは参考になり、運が良かったと。
特にシンには相当な影響を受けて。
ハンセンが暴れて入場もシンの影響。
これもかなり前に何かで語ってた。
猪木生前葬儀でシンも参列予定だった。
この日にハンセンと再会は楽しみだったがシンは欠席。
残念無念何でやねん いまあらためて考えても、なんで輪島のデビュー戦の相手がシンだったんだ? 元横綱の輪島の相手は、話題性も考えて格のある選手である必要がある。ヒールのシンなら反則裁定で、お互いの格を落とさずにすむ。 >51
ああそうか 反則裁定で決着をうやむやにできるしな
あのころのシンならプロレス知らない人でも名前は知ってるヒト多かったもんな
ゴールデン時代だったからなー
たしかこのころ新日にいったマードックが全日復帰を画策してて、この輪島戦の相手をやりたいて
馬場に売り込んできたらしいね でもマードックだといろいろと弱いか? レスリングシーンのない乱戦につぐ乱戦でボロが出ない。 >>49
まず>>51にある様にシンの知名度。
名前が知れてない相手より知名度ある相手の方が話題性、宣伝効果も。
あと前に宝島に書いてあったのだが。
シンの力量。
ベテランで日本のプロレスをシンは熟知していた。
それで馬場が敢えてシンを相手に選んだ。
そしてシンはヒールだから乱戦主体だが、シンなら輪島にも花を持たせる事ができる。
ブロディやマスカラスと違って。
そこから輪島はまずはシンとの抗争でステップアップと。
馬場はそれを狙ったらしい。
まあそんな馬場の期待に応え(られ)たかは別にして。
輪島とシンの試合の動画を見直すとシンも輪島に見せ場を作ってる。
むしろ試合を作ってるのはシン。
キャリアがない輪島が試合を作れるわけがないし。
むしろシンを褒めたいな。 シンからすると馬場はフレッドアトキンス門下の兄弟子になるから萎縮する部分があったとか聞くね 輪島の日本デビュー戦って、シンが場外で投げたイスが鉄柱に当たって
馬場の顔面を直撃していたよな。あれは本当に痛そうでかわいそうだった。 >>56
その後に控え室でシンが膝まづいて両手合わせて馬場にお詫びの姿が目に浮かぶ。
もう31年も前か。 >>57
そうかな
何しろ馬場だから、ハプニングで笑いが取れて
「してやったり」て感じだったんじゃなかろうか
試合後にシンが謝罪に訪れたであろうことは想像に難くないけど
馬場は「まぁまぁ^^」て笑顔で葉巻を差し出したとか妄想w >>58
でもシンは真面目だからねえ。
逆にあれで馬場が大怪我してたら大変だったな。
欠場並の大怪我。
あの日は最終戦だったけど。 >>56
そうか?
俺はざまぁwww
と、思ったが。 >>48
残念無念何でやねんとか書いてて恥ずかしくないんかなこいつ 75年の新日でシンが猪木を倒してNWF王座奪った試合見たが、この試合でシンが見せた
ブレーンバスタースゴイな エプロンの猪木にロープ越しに決めてたけど、持ち上げてから
ちょっと歩いてそこから思いっきり猪木を投げ捨ててマットに叩きつけてた これ全日では出さなかったな 89年の最強タッグのシン・コールの爆発でやっと全日本のシンもこれからという感じだったのに翌年に新日本に戻ってしまったのが残念だった 89年か・・・翌90年は日本マット史上空前の変動期になっちゃったからなあ あのころすでにメガネが
いろいろ動いてたらしいけど、シンも情報収集はしてただろうし、あのシンコールは自身の全日での
フィナーレだと思ってたかも 惜しまれて去る事こそベストだったかもな
フレアーと共にアンドレ・ウィリアムスとの円満トレードという感じだったか 確かにこの90年を境に色々と外人トレード的な動きがあった。
アンドレ→全日
ウイリアムス→全日
ウォリアーズ→新日
シン→新日
フレアー→新日
馬場⇔坂口ラインだからできた。
ハンセンやビガロも新日⇔全日とハシゴ参戦。
ウイリアムスは年間通して新日⇔全日と。
これに便乗してベイダー、ゴディ、ノートンも新日⇔全日のハシゴ参戦して欲しかった。
せめて92年頃まで続いたら日本人もそうなったかも。 >>66
猪木が佐川会長の委任状を取り付けて実質的に筆頭株主になってしまったからな。 91年ころか、ブッチャーが馬場とのシングルを要求してジャンピングネックブリーカー使い出して
あの体でちゃんと飛んでみせて、生でもみたけど凄かった あのころブッチャーまだ動けてたなー
シンは技のレパートリーをあまり増やさなかったな 新日で猪木相手にアルゼンチン出したりしたけど
以後の全日やFMWで新しい技を出すことはなかったもんな >>68
新間は藤波やタイガーに、定期的に新しい技を公開しろと言うようなことを言ってたらしいし、シンにも新間がその手のこと言ってたのかも >>68
横浜スタジアムでは大仁田相手にラリアット、キャメルクラッチ出してた。
全日時代末期にラリアットを出して。
まああの頃は半分はシャレみたいな感じで。
まあシンは腕が太いからラリアットは説得力あるが。 >>62 その試合YouTubeにある?
探したけど見つかんなくて シンは技が少ないという意見が多い。
でもこれまで長年通して見ると意外に多い。
あと凶器も様々で豊富。 >>71
確かリングの魂の企画で猪木負け試合ベストテンみたいなやつがYouTubeにある >>72
シンが使った技
コブラクロー、ブレーンバスター、首4の字、バックドロップ、トーキック
ストンピング、ソバット、アルゼンチンバックブリーカー、ヘッドバット
ヘッドロック、スリーパー、足4の字、パイルドライバー、地獄突き
インド式スリーパー、インド式足4の字、デスロック、エルボーバット
キチンシンク、マンハッタンドロップ、ラリアット、キャメルクラッチ
チキンウィングフェイスロック、シュミットバックブリーカー、ボディスラム
ダブルアームスープレックス、ニードロップ、キーロック、コブラツイスト
腕ひしぎ、STF気味のグランド(足をロックして首を極める体勢の) >>72
シンが使った凶器
サーベル、ターバン、ビール瓶、イス(三脚)、机、傘、五寸釘、フォーク
スプーン、火炎、ゴング、小槌、バケツ、パウダー、ホウキ、スパナ
カメラ、カメラボックス、フェンス、靴(観客の)、鞄(観客の)、砂
タッチロープ、ブルロープ、雑誌(観客の)、マイク、マイクコード
テレビカメラ、空き缶、ヘルメット(観客の)、自転車、チェーン、
ボールペン、紙テープの残骸、コスチュームの上着、鉄パイプ、ハシゴ
レフェリー(レフェリーを掴んで相手にぶつけた)、ハサミ、電話(会場の?)
灰皿(コンビニに置いてある種類)、鉄柱、コーナーの器具、場外フェンス >>74-75
俺も実際に会場や放送や動画や雑誌の写真。
記憶に残ってるのを書いた。 シンの凶器でチャンピオンベルト、ジュラルミンケースなんてのもあったように思う
あと地方で見たんだがブッチャーが馬場、小鹿に場外で出店のジュースを冷やす為の氷を奪い攻撃していたことがあった >>77
あったねえ。
ベルトで叩いたりと。
ジュラルミンはカメラボックス?
探せばもっとあるかも知れない。
あと大阪でのテリー戦では試合終了後に大きな木の板を持ち出してた。
それでテリーを攻撃しようとした。
テリーはよけたが。 TVで見たけど、山本小鉄のカバンを凶器に使ったことがある。
それで怒った小鉄がシンに殴りかかって、会場が「小鉄コール」。 >>79
それって81年5月の大阪でのMSG公式戦のダンカン戦?
それともシン復帰後の91年2月の千葉での6人タッグの時?
どちらもシンと小鉄は揉めて乱闘になった。
千葉では小鉄がシンにイス攻撃。
こっちかな? 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
5O8G1 シンと上田は大きな凶器使いが上手くて迫力あった。
ブッチャーとシークは小さな凶器を巧妙に使いこなした。 90年代にアノキとタジェシ、ウマノスの絡みを見たかった。
92年ヨコハアリナでサカグ、コバヤがタジェシ、ウマノスと対戦。
できればアノキ、サカグで見たかった。
あの状態のコバヤでは無理があった。 今日4月3日はシンの74歳の誕生日だな。
猪木が75歳。
生きてれば年を取って最期は消えるのが定めだな。 >>72
’60年代〜70年代に活躍した選手は、
技が少ないと言えば少ないよ。
FVエリックは、クロ―。デストロイヤーが4の字、
ガニアがスリーパー、KKコックスがブレーンバスター、
サンマルチノがベアハッグ、
皆、ひとつの技に磨きをかけていたからね。
たまに、ガニアがバックドロックを見せると
新鮮だった。
その後、誰も彼もが色々な技を使うようになったが
シンはその中間の世代だな。 >>90
確か地方で2〜3回シングル組まれたはず。
それを放送しないのは勿体なさすぎ。
このシリーズはマシーン軍団増殖が目玉。
更に増殖を若松が匂わせたり、実況でその旨を言ったり。
また初来日のバンディも目玉で。
しかし上田とブッチャーの対戦は放送して欲しかった。
そこに戸口を絡めたら興味深いカードになったのに。
あとはマシーン軍団とブッチャーを対戦させたり。
メンバー的には色々なカードが組めた。
前半と後半にはホーガンも参加したし。
まあホーガンは王者としての参加だから絡ませられないか。 >>91
ブッチャーはホーガンがいない期間の参加だったから、最初から絡みようがなかった。 >>92
85年新春黄金って開幕戦にブッチャーいなかった?
ホーガンは開幕戦にいた。
猪木とタッグ対決の途中でマシーン軍団が乱入。
猪木とホーガンが手を組んでマシーン軍団撃退。
そしてホーガンは中開きで後半(終盤)にまた来日。
バンディも途中からの参加だったか。 ハルホとキンバの対決あったな。
アブチャは既にお呼びでない状態。 シンは上田、ブッチャーはアレンと組んでいる時は良かったけど、
シングルではキツかった印象。 >>96
あったよ。
81年のMSGシリーズ公式戦、名古屋だったと思う。
テレビ収録されたらしいがシンの全日転出でお蔵入りという話。 シンは輪島戦で輪島に指示をしながら戦っていたように見えたが 100だが、輪島に試合作るのは無理だからシンが試合を作ってた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています