全日時代の三沢川田小橋田上を語るスレ Part13
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>>1乙
四天王時代のファン感謝デーって何やってたっけ?
三沢川田馳vs小橋田上秋山の年は覚えてるんだけど他の年が全く記憶にない >>17
病後の鶴田が小橋や三沢と一夜だけの鶴田軍VS超世代みたいなのやってなかった? >>19
馬場&鶴田&田上vs小橋&秋山&本田の6人タッグなら95年のファン感謝デーである
鶴田病後にタッグ含めて鶴田vs三沢って一度も無かったんじゃないかな >>20
あーそれかな!
鶴田が懐かしかったとか言ってた
これはテレビ放送してないの?
かなり見たかったんだけどな >>20
そのカードだと三沢と川田は三沢浅子vs川田雅夫だろうか?
自分の付き人とタッグ組んであすなろタッグ杯みたいなプチリーグ戦やってた気がする >>22
これが意外な三沢&井上vs川田&泉田なんだよなぁ
あすなろ杯タッグリーグは98年にやってたな
秋山&大森が優勝でアジアを失った事もあり、そのシリーズ限りでアジアのみ状態だったコンビも解消 >>23
そう言われればそんなカードあった気もする…
92年以降だと97年の6人タッグ、99年のくじ引きカード決め以外は忘れてるなあ、ファン感 93年のファン感謝デーは2daysで、初日が三沢vs井上、田上vs浅子、メインが小橋&秋山vs川田&大森
2日目が小橋vs秋山、川田vs大森、メインが三沢&馬場&菊池vs田上&渕&泉田
ジャイアントサービスのビデオで販売されてた様に思うが、95年のファン感以上に印象が薄い
95年はオブライト参戦で話題になった以外は上にも書いた久しぶりの鶴田軍位だな >>23
まさか二十年近くぶりに再挑戦するとは思わなかったが
大森と取る前に小川や菊地と挑戦しているのも興味深い 川田が藤波との対談で「どんなに良い試合しても話題にならなかったから新日が羨ましかった」って言ってたけど確かに話題作りも大事だよな
95年に川田がタッグで三沢に勝った後、変化が欲しかった
最強タッグ予選2回総当たりとかCC決勝巴戦とか既存のファンが喜ぶためのアイディアだったもんなぁ オブライトは来てすぐ川田に負けて、三沢に三冠で負けて半年も持たずに価値無くなったと思う
Uインターのお下がりとは言え勿体なかった
ハンセン、ウィリアムスもベルトのつなぎ役になったしベイダー来るまで外人には冬の時代だったね 最強タッグでの2回対戦や三つ巴戦は、あまりにも選手には過酷。 ハンセンベイダー組が、98年の最強タッグ一回で終わったのはホント勿体なかった。
久々にハンセンブロディ組並のインパクトある外人タッグが出来たと思ってたんだが・・。 >>33
あそこでバーニングが勝つブック書いたのは誰? >>30
オブライトはもう完全に落ち目だったからな >>34
ただ、ハンセンのコンディション考えれば、もっと早く実現させたかった。
それでも、あの一回きりなら優勝させたかったよな。 >>36
ベイダー組か田上組のどちらかでも優勝させておくべきだった
ベイダー組の時に負けたからハンセンの下り坂に余計な拍車が掛かったし、田上組の時に勝たせておけば「ハンセン最後の奮戦」みたいな感じでバーニング二連覇なんかより絵になったのに ハンセンベイダー組があれだけ予選で無双して優勝したら、次のシリーズからも強くあり続けなきゃいけないから、決勝で負けたのは納得するけどね
小橋秋山をプッシュしたい時期とかぶったのも不運かな
まああの頃は急造チームが優勝する流れは有り得なかったし、翌年のハンセン田上組なんかは絶対に負けると思いながら決勝見てたなぁ >>37 >>38
やっぱ、個人的にはベイダーと組んだ時、優勝させてやるべきだったと思う。
長年、全日に貢献したという意味も込めて、有終の美を飾るという事で。
翌年の田上とのタッグは、表彰式で小橋に殴り掛かる場面といい
悲壮感漂う姿が絵になってたし、あれで良かった。 会場でも四天王はもういいかな。みたいな雰囲気があったね ハンセンベイダー組はハンセンよりベイダーの強さを見せるタッグだったように思うな
99年のシングル戦線でベイダーが暴れるための布石だったかなと
ただ結果論になるけど、分裂するなら98年か99年にハンセン優勝させて欲しかった気持ちは大きくなるよね
それは凄く残念 ハンセンからベイダーへの禅譲だったかな
三沢や秋山がサブミッションやクイックでフィニッシュするようになった時期もあったね
これからどうなるか楽しみにしていた部分もあったけど、ノアになってなし崩し 98年って四天王時代の終盤なのにもう20年も経つのか…
あの年の三沢対小橋は小橋が三冠防衛すると思ってたけど、左右のエルボーの速さが凄かった
99年1月の三沢対川田の三冠も壮絶な試合だったし >>38
東京ドームで小橋&エースにも負けてるからな
最強タッグではハンセン&ベイダー優勝でも良かった
少数派かも知れんが個人的には決勝ハンセン&ベイダー対川田&田上で川田&田上の最強タッグ3連覇が見たかった
世界タッグ王者だったのに良いトコ無く終わってなんか可哀想だった ドームでのハンセンの負けが一番ワケ分からない
小橋に花を持たせたいにしても丸め込みという大会場らしくないフィニッシュだし 会場の大小にかかわらず、丸め込みは負けた相手の格を下げないための技でしょ あれは普通にエースの負けで良かったと思うけどどうなんだろ?
タッグでもベイダー初参戦でいきなり勝たせるわけに行かないし、どうしても小橋を勝たせたかったのかね? 下ネタ嫌いの俺は
三沢が死んだときホッとした
しかしファイプロでは三沢使いであるw >>44
川田と田上は繋ぎのトップ扱い(三沢を休ませる専用)、良く言えばヒールのポジションだったからなぁ
象徴的だったのは夢のカードで三沢&小橋には負けたのに対して、94年最強タッグで川田&田上には勝った事で
馬場の中では4本柱でも裏エースみたいな扱いだったからな 但し世界タッグ戦では川田・田上が勝る印象
93年の最初の対戦に95年のベストバウト戦とか 川田田上組は長すぎたね
三沢、小橋側がパートナー代えたり最強タッグなかなか優勝出来なかったりと原因はあったけど
でも川田と田上は戦った方が噛み合うんだよな
馬場の考えるスパンって長すぎ
三沢の三冠政権も長すぎだったし 最強タッグの連続出場は馬場・鶴田以上だったか
それらに匹敵するのはNOAHにも続いた三沢・小川くらいで ノアと四天王全日を比べちゃダメでしょ
ノアは外から選手を呼んでそれなりの話題は作れるようになった
四天王全日は鎖国、基本的に同じ顔ぶれで対決なんだから >>51
96年に再編の流れがあって武道館で三沢、秋山vs川田、オブライトの特別試合が組まれたけど
「俺は渕さん、田上と離れるつもりはないよ」「オブライトとは組むより戦ったほうがいい」」
川田が拒否したんだよ。どこまで本人の意思か分からんけど。 後の分裂時に渕は残ったが田上は去った
最後のカードを見るにその時点での田上の去就はまだ微妙だったみたいだが ハヤブサ、人生、高山、藤原、邪外、デルフィン、浪速、池田、、、
全日の会場でも声援も大きく、歓迎されてた。 >>57
ハヤブサ人生にアジア巻かせたのは良かったんだから、世界ジュニアも誰かに渡せば良かったのに
どうせどうでもいい扱いだったんだから
センス皆無だよ >>014
この時は引き分けでも良かったんだけど、この2ヶ月後のカーニバルからやたらと30分ドローが多くなった。
個人的に時間切れ引き分けってつまらないと思う。 >>58
そうだね。アジアタッグは流出したのにね。
98年のサマー2でデルフィンが「小川。俺の挑戦を受けるのはまだか!?」「小川さんもいい加減、腰を上げて欲しい」と挑戦をアピールしていたのにね。
三沢もジュニアの扱いが悪いとその時から週プロに言っていた。
浪花を挑戦させて、浪花が負けたら親分のデルフィンが挑戦する。それでいいのにね。
新日だってデルフィンにスーパージュニアで準優勝させるくらい有効に使っていたのに。 >>60
ジュニア戦線が停滞したのは誰のせい?馬場?渕?
菊地も本当に勿体無かったわ >>61
俺も知りたかった。菊地は世界ジュニアを9度目の挑戦で獲ったんだっけ?
ヘビー級だけど大森の扱いも酷かったな。同い年で同じ大卒の秋山や、同世代の小島、中西らは上の方でやってんのに大森はいつまでも中堅扱いでしょ、酷いよね。
大森は体もマスクも良くてスター候補だったのに。 >>30
外から来た奴って一発目は勝たせるものだけどね。
最強タッグがすぐ後に迫っている事情もあったけど、とりあえず大森、本田あたりをぶつけておいて最終的に川田が出てくるなんて流れにしたら良かったと思う。 そもそもアジアをハヤブサ人生に獲らせたのって馬場没後でしょ
三沢が社長になった頃にはデルフィンもう来てなかったし
馬場のジュニア軽視は異常だったね サスケがIWGPタッグのベルトを持ち込んでもノーリアクション 菊池はあのバックドロップ連発の時に取らせなかった時点で終わってたよね >>065
三沢いわく「会社内でクレームがついた」
どうせ元子さんだろうなw
>>066
ターザンいわく「あの渕との世界ジュニア戦で負けたことが尾を引いちゃった」
酷い扱いだよね。90年に選手が大量に離脱した時、人材不足で菊地は鶴田に毎日のようにボロボロにされたのにな。 >>064
そうそう、ハヤブサ&人生がアジアに挑戦、2度目で戴冠。
99年6月、仙台の小川vs志賀の世界ジュニア戦がセミ。
これは三沢の力だよね。三沢はデルフィン&浪花が参戦しても「観客は何で参戦してんの?って感じ」とか「第3試合くらいで組んでもやる気がしないよね」という主旨のコメントもあった。
三沢はジュニアの地位を変えようとしていた。 菊地は火の玉小僧っていうスタイルが災いしたかな
ガンガン行ってもヘビー級には倍返しされるし、小川みたいなスタイルの方が秋山に勝っても納得行くし
渕にもクロファットにもボコボコにされてたもんなぁ菊地は ダイナマイト・キッドリスペクトは良かったんだが、玉砕芸から延々抜け出す事無くて
馬場から芸が無いって扱いになってったからな それでも菊地はみんなに覚えてもらえてるだけマシ
たとえ思い出されるのはやられてる姿だとしても
浅子なんてどんな試合してたか誰も覚えてない >>070
その通りなんだよなあ。行き詰まったらキッカーになったり、ジュニアじゃないけどジョニー・スミスみたいに腕攻めを極めて客に受けたりするものだけど、菊地はそれができなかったよね。
新日だったらヒールに転向という手段も使えたかもしれないが、菊地にヒール適性があるかは不明だ。 >>070
志賀も同じだよね。玉砕ファイトが受けるのは若手だけなんだよなあ。
志賀はノアではパンチパーマで変なキャラやっていたけど、もうそういう特殊なキャラクターに転身するしかないんだよね。 >>071
浅子で俺が憶えているのはラマヒストラルと雪崩式フランケンを全日で初めて使い出したレスラーということくらい。
浅子の場合は90年のSWSの時に「人がいないから入りなさい」と言われて入門したくらいだから印象に残らないのも無理はないかな。 菊地は新日行って馳に鍛えられてレスリング仕込のスープレックス系のレスラーになってれば
IWGPジュニアも狙えた
かもしれん その馳にもシングルで当たった時、グラウンドでオモチャにされてたしなぁ。
超世代に行く前の若手の頃は、週プロにアマレスの吊りパンを
身につけアマレススタイルを売りにするのもいい、というような事も書かれてた。
何れにしろ、ジュニア軽視の馬場では余程の才能がないとチャンスが無かったろうな。
ノアに行った時点では遅かったし、ただ新日との対抗戦ではいい試合してた。 渕や小川みたいな飛べない選手がダラダラとした退屈なタイトルマッチを当時の新日ジュニアファンが見てたら、はっきり言って
『なんだコレ…(-_-)』 だったんだろうな 渕vsライガーで渕のサイズがjrじゃない事に改めて気付かされたなぁ
川田と組んでヘビーに混じって居ても何ら違和感無いし、全然ジュニアじゃない 馳は「負ける代わりに試合は好き勝手やらせてもらうよ」みたいな感じがあまり好きじゃなかった
小橋が受けすぎて損したのを見て、ドームでは一方的にやらせなかったと秋山が言ってたけど流石だったね >>076
それ98年の1月3日の後楽園じゃない?
俺がテレビで観た97年7月上旬の七尾だったかなあ。馳、池田vs菊地、志賀で菊地が馳にボロボロにされていたなあ。 全日ジュニアは誰がどう見てもただの小さい人枠だったからなあ
華もないし技術もないし渕が長期政権で仕方ないわなって思ったわ
小川、菊池でせいぜい浅子だけど、新日に比べたら全然飛び技がなく動きももっさり
ジュニアらしい動きといえば丸め込むくらいしか無いもんな
ヘビーは四天王+秋山が飛び抜けちゃってて高山と大森をプッシュしてたけど他は論外
スカウトとか新入門で人は来るけど、みんなすぐ逃げちゃってダメだって馬場が言ってたな
まあ馬場にしてみりゃジュニアは付録程度だろうけど 覚えていること
スーパードライブアサコ
ノーフィアーのリーダー ジュニアはクロファットが上手くて強くて良かったけどこいつも渕と同じくでかいんだよな 社長の馬場がジュニアの活躍場所を作らなかったから、そりゃ活躍できるわけが無いんだよな
多数の外人も他団体選手もそう
ただ呼びました、で終わってたから 高山が世界タッグに挑戦したね。
馬場さんが大きい選手が好きなのには同意できるんだけど、それとジュニアの扱いが悪いのは別問題なんだよなあ。
誰も馬場さんに進言しなかったのかね。 ジュニアの選手も結局やってるのは四天王プロレスだからな あの世代なら全日本は川田。新日本は馳がスバ抜けてたな。
ただ川田はU系を相手にするともろさが出たのがな〜。(vs高山二戦目、vs垣原戦)
その点、馳はグラウンドに引き込んでやれるから一枚上手かな。 浅子は人はよさげだけど、レスラーとしてはどうしようもなかったわ
小さすぎるし体はぶよぶよだし。SDAやマックスペインもセンスなさすぎだし。
おまけにノーフィアーのリーダーとか無理がありすぎて呆れた。
まだ本田のほうが向いてたよ。誰だよ浅子を入れたやつは。 雅央って地味だけどレスラーからしたら評価されてたんだろうな
まずは雅央からって言葉はノアからだっけ?
池田が馬場と組んだ6人タッグの雅央は面白かったなあ >>89
井上はセコンドに付いて試合見てる時の表情が素晴らしかったねw
バックドロップドライバーの試合の井上のリアクションは最高だったよ
解説の百田の「あっ!!」も良かった >>66
といってもこの時点での菊地は小橋とアジアタッグを持ってたし最強タッグにも二年連続で出ていたし
背水の陣というにはいささか微妙という感じも
結局アジアタッグとの二冠は翌年にクロファットが達成するが最強タッグの前にアジアタッグは返上
その翌年に年は下だがキャリアでは菊地に勝る小川が世界ジュニアは先に奪取
但し陥落の前にクロファットは世界タッグにも挑戦しておりこれが世界ジュニア王者の世界タッグ初挑戦
この辺りの兼ね合いもなかなかに興味深い >>86
ジュニアの四天王プロレスなんてあったかな?
俺の記憶では渕、小川が絡むと渋い試合ばかり。
飛び技が多い選手といえば浅子だったけど頭から落とし合ったりエプロンから場外に落とすよう攻防は記憶に無いな。
武藤全日本のカズ、近藤あたりは四天王プロレスというかカウント2.9プロレスが多かった気がする。 雅央が若手の頃フィニッシュに使っていたブロックバスターって全く説得力が無かったよなぁ 雅央のGHC挑戦とエースの三冠挑戦
どっちが王座への期待感なかったかな 雅央の方がやばそうな気が
エースの三冠は川田田上vsウィリアムスオブライトの世界タッグ、小橋秋山vs垣原高山と保険をかけたけど雅央のGHCのアンダーカードは知らないな >>95
マサオの方はセミかセミ前が丸藤小橋のシングルだったはず。
小橋ボブサップのシングルという保険がなくなったからだったような…。
とはいえ丸藤小橋の試合も、フィニッシュのリアルブレンバスターに行く直前の攻防はすさまじかった。良試合。 エースが勝てるとは思わなかったし
大したタイトル戦にならないと思ってたけど
名勝負製造機の三沢がエースのすべてを受け止めて
素晴らしい試合になった
あのメキシカンエースクラッシャーは今見てもかっこいい
受けが上手い三沢だから派手な技が映えるね >>83
クロファットは小橋ともいい勝負したな
>>86
新日Jrは四天王だと思うけどな >>92
四天王や新日本ジュニアとの差別化で敢えてオーソドックスなスタイルを選んだ感じも
実は藤波以前のジュニアもそういう感じ
そういう意味ではチャボよりロイヤル・マドリルの一戦こそが全日本ジュニアの原点かも もう何年もこれはスタナー、カッターじゃなくてエースクラッシャーなんです!っていうこだわりを持った選手がでてこないかと期待している 雅雄は全日時代はまだよかったけどノアの寒いお笑いスタイルになってからはクソだったわ
川田が98年頃に解説で「パワーだけだともっと凄い選手がたくさんいるからなにか他をみつけないと」
って言ってたけど辿り着いた先がアホ過ぎた。本田と組んでた頃のタッグはよかったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています