◆懐かしの名馬・名勝負スレ16◆
自分はテレビで昭和45年(1970年)のAT(TA)対決をみて競馬を見るようになった。
A、すなわちアローエクスプレスの名前の方がかっこいいと思っていた。
大橋巨泉氏は古馬になればアローエクスプレスもどこかの2400mのレースも勝てるようになるかしれないが、
ダービーでは難しいといっていた。
そのころから「世界の名馬」を読み込んでいた。あまりに読み込んだせいで自分の文章のお手本になった。
馬券を買うのはもっと後になる。テレビを見て、本を読んだり、雑誌をあつめ、血統を調べたり、
週刊の競馬報知と月間の優駿を愛読。海外の話ばかりで恐縮だが、むこうのレース結果や出来事を知るには、
雑誌が頼りだった。これはF1などの自動車レースも同じ。サッカーだけは三菱ダイヤモンドサッカーがあった。
あとは、競馬ではフジテレビで海外の話題が放送されていた。
ミルリーフの骨折と治療とか、ブリガディアジェラルドの敗戦とか。
シリウスシンボリが出走した凱旋門賞のとき、珍しく、というか久しぶりに実況放送があった。
ベーリングに期待したが、ダンシングブレーブに強靭な差し脚に屈したのが残念だった。
ただダンシングブレーブが英国ダービーで負けたというのは、優駿で知ったと思う。 セクレタリアト、フィーリッユプレジャー、ちょっと置いて間にフォアゴー
シアトルスルー、アファームドアリダー、スペクタキュラービッドが跳梁跋扈した
70年代のアメリカ競馬は熱かった
中でも1978年ジョキークラブGCのシアトルスルーとエクセラーの死闘は
凄かったラビットに翻弄されて直線バテバテのシアトルスルーが
楽勝と思われたエクセラーをアタマ差まで差し返したのは
鳥肌がたった
思えば日本もハイセイコーからキタノカチドキ、カブラヤオー
TTGと熱い世代が続いた
カブラヤオーの狂気の先行策はシアトルスルーに通じるものがある
TTGと >>689
私も、山野浩一さんの事典は検討に欠かせない物だった
血統と言えば山野さんか白井透さんだったか
雑誌は優駿と、毎週のは緑の競馬ブックか「馬」を買ってたかな
一番楽しみだったのは四季報、しかもオープン馬には解説コメントが付いてた
ギャロップはずいぶんと後からだね 週刊「馬」には若き日の井崎脩五郎の巻頭硬派コラムがありましたね
まさかお笑い系競馬評論家で今日の地位を築くとは
誰も予想していなかったのでした >>692
井崎さんは特異な才能があったから成功した
「馬」といえば笹川忠さん、いつ亡くなったんだろう
ダービーニュースの伊藤友康さん、どうしただろうか 関西だし井崎さんのことを詳しくは知らないけど、九州の新燃岳が爆発した時にちょうどサンケイでコラムを連載してた 「昔シンモエダケという馬があた」同じようにシンモエダケのこと思い出してたので、ちゃんと書いてくれたとうれしかったな