826 :氏名黙秘 [sage] :2020/08/29(土) 21:57:01.89 ID:3upvH2n1
683 :氏名黙秘 [] :2020/08/29(土) 21:15:25.42 ID:uNvladiu
ぼくが受験勉強を始めた頃、「基本書一冊主義」に徹せよという指導を受けてきた。あれこれ手を出すより、一冊の本を徹底的に読み込み理解し、記憶し、使いこなせるようにしろと。

また、予備校講師の中には「予備校のテキストに絞れ」という指導をする人もいる。その意味するところは、あれこれと手を広げて曖昧な理解や知識を増やすことになるよりも、一冊の本・テキストを繰り返して理解と知識を正確で強固なものにした方が試験対策としては効果的だ、ということであろう。

しかし、その趣旨には賛同できるものの、文字通りの1冊主義なら「どうかなあ」と思ってしまう点もある。そもそも、その本やテキストはほぼ完璧に近いものなのだろうか。

また予備校講師が講義で発する情報を講師と同等のレベルで受講生が受領できるのだろうか。そのような疑問が湧いてくる。完璧な本やテキストはないし、講義で補うにしても、講師から発せられた情報を講師に近いレベルで受領できる受講生もそう多くはいないはずである。もっといえば、講師自身が・・・・の場合だってある。

まあ、善解すると、文字通りの1冊主義ではなく、その本を勉強の中心に据えて、他の本を読んでも絶えずその本に返れ、という意味だろう。

経験からいうと、よく分らない記述に出くわした時、違う文献で調べてみて、初めてその意味を理解できたということも多い。他の学者の先生の記述を読んで、「ああ、あそこはこういう意味だったのか」とか「こういう背景からの主張だったのかとか」となることが多い。