レバノンに不法出国して逃亡した日産自動車前会長のカルロス・ゴーンは総じて「名経営者だった」と言われることが多い。
ゴーンは1999年春に来日し、日産の経営トップとなり、再建を指揮した。
当時の日産は債務超過目前で、模索していた独ダイムラー社との提携交渉も立ち消えとなり、倒産の2文字がちらつく状況だった。
そこへ乗り込んできたのが、日産が電撃的に提携を決めた、仏ルノー副社長のゴーンだった。

 ゴーン改革の代名詞ともなったのが、最初の中期経営計画「リバイバルプラン」(00〜01年度)だ。

 この計画を推進するにあたって、ゴーン氏がまず取り組んだのがクロスファンクショナルチーム(CFT)の設置だった。
訳すと機能横断チーム。日産が経営危機に陥った要因の一つが縦割り組織の弊害であり、開発、生産、購買、販売などの各部門が、
経営不振の理由を押し付け合っていた。こうした体質なので、意思決定が遅れたうえ、全体最適も図れない傾向にあった。
ゴーンはそこに大ナタをふるって体質を改めさせた。

 「研究開発」「販売・マーケティング」「車種削減」など課題ごとに9つのCFTを設置。
「パイロット」と呼ばれるチームリーダーは、ほとんど40代の課長クラスに任せた。
一つのチームには関係する複数の部門から人材を集めて構成することにより、部門最適ではなく、全体最適を目指した。
「リバイバルプラン」の原案は、このCFTが作った。