村上春樹的司法試験予備試験 口述式試験編
新幹線も東京駅も京葉線も、僕が通過することを余儀なくされるなにもかもが、書籍とプレッシャーをたんまり抱え込んだ受験生にとってやさしい場所ではなかった。
やさしい場所であろうがそうでなかろうが、試験時刻は着実に近づいてきているのであり、僕は受験生としての義務から逃れることができなかった。
新幹線を待つ行列のなかや車内で大島本を読み、京葉線の車内では類型別を開いていた。リュックから本を取り出す余裕がないときは、スマートフォンをつかって自作のまとめノートに目を通したりもした。
必死だったのだ。
そのあいだじゅう、僕はたくさんの汗をかいた。
それが重い荷物を運んでいることによる暑さに起因するものなのか、翌日に控える地獄に対する体の拒否反応なのかは、わからずじまいだった。 Q 発達障害ってどういう障害?
A 顔はブサイクで気持ち悪い 暗いどんよりとしたオーラを放っておりとにかく関わってはいけない感が異常
運動は出来ず勉強も出来ず仕事も出来ない
コミュ力もなく面白くもなく出来る事は何にもない
そのくせ自己中で性格は最悪
常識もなく空気も読めず短気ですぐキレる
バカで常に目先の事しか考えない
生命力もなく常に家にこもってるだけである
こんなのが人生上手くいくわけもなく常に周囲の人間全員からキモがられ嫌われるだけ
学生時代はクラスのゴキブリ
ぼっちかいじめられてるか絶対関わってはいけない例のあいつ扱いか
異性からもモテず仕事も上手くいかず
そのまま絶望の中死んでいくしかない障害 ホテルに到着してからの僕の行動は、会場の下見に行かなかった点などを除けば、おおよそ他の受験生と変わるところがなかったと思っている。
潮見駅を出て五分としないところにあるホテルにチェックインをし、いったん荷物をすべて置いたあと、コンビニエンスストアへと向かう。
時間的・気分的な見地から、食事は基本的にホテルの部屋で済ませる心づもりでいた。
サンドイッチやカロリーメイト、缶コーヒーにミネラルウオーターなんかを適当に籠に放り込んでいく。二泊三日なので、多少買いすぎたとしても明日以降に帳尻を合わせればよいだろうと考え、僕は少し大ざっぱに買い物をしていた。
容易には寝付けないであろうことを見越して、黒ラベルと角瓶のポケット瓶を調達したことも覚えている。 ホテルの客室は僕の期待を超えもせず、裏切りもしなかった。
必要な休養は取ることができそうだったし、口述に備えた勉強にも支障をきたすおそれはなさそうだった。
例の水も置いてあったが、僕は不思議とそこに描かれた社長の顔にこれまでのような嫌悪感を覚えなかった。
もしかしたら、それは僕にそんな余裕がなかっただけかもしれない。
強いて不満に近いものをいうとすれば、外国人技能実習生の研修(あるいはそれは何かのスポーツの合宿だったかもしれないが、定かではない。)とバッティングしたために、廊下がにわかにさわがしくなることがあったくらいだ。
だが、もとより緊張ゆえ満足に眠ることができない身であったので、少々静けさがかき消されたところで、それでなにか事態が悪化したりすることはなかった。
そもそもがどん底にいるような状態だったので、それ以上落ちようがなかったともいえる。 大方の受験生と同じように僕は寝つくことができず、鬱々としたもどかしい時間を過ごした。
ア〇ルートの講義音声を垂れ流しながら、持ってきた教材に目を通し、なるべく普段通りの勉強に近い状況を作ろうと努力した。
しかし、どうしても集中することができない。僕は講義音声の代わりにいくつかの音楽を垂れ流して、気分転換を図った。
だがその試みは見事なまでに失敗した。
頭のなかでは行為無価値論者の天使と結果無価値論者の悪魔が喧々諤々の議論を戦わせるようになっていたのである。
神である僕自身は、彼らをどうにかしていさめようとする。
なにしろ初日に僕が受験するのは民事系科目だ。要件事実を諳んじ、正しく順序だった手続を瞬時に想起し、弁護士職務基本規程の想定する利益状況に敏感にならなければならない。
そういったことに集中していてしかるべき時間帯なのだ。刑事系科目にはそのあとゆっくりと向き合えばいい。
主観主義刑法に賛成しますかというアンケートにイエスと答えたって許される夜に、僕はなぜか刑法理論について考えることをやめられなかった。 村上春樹が司法試験みたいなくだらないもんに興味持つわけねえだろ 考えることに倦むと、僕はしょうもない皮算用にふけったりもした。
九十五パーセントもの確率で合格できるのなら、自分がその中に入ることなんてたやすいのではないか。
そうだとすれば、僕はもう合格したも同然なのではないか。
合格したも同然なのであれば、もう敷金返還請求の要件事実のことなど考えるのをやめて、もっと楽しいことを考えてもよいのではないか。
たとえば大学の恩師に合格を報告して、これまでの指導に感謝の意を示すというのはどうだろうか。ささやかな凱旋。悪くない。
しかしそれより先に家族に報告しなければならないな。受験資格を得たのでこれで本当に司法試験受験生になれたのだと、今までよりも少し胸を張ることができるようになるかもしれない。
そんなことを考えていた。 客観的に見ればこれほどばかげたことはないのだが、人間、切羽詰まるとどんなことでもやってしまうものである。
少なくとも僕は今回の一件を通して自分のことをそのような人間だとみなさざるをえなくなった。 そのホテルは潮見にあるのかな(笑)
昔は安かったけど、いまは高めらしいね? 村上春樹が報告なんてわざわざするかよ
文体も真似できてないよ そうこうしているうちにも、時間は無慈悲に過ぎていった。
幸いにして僕は一日目・二日目を通して午後組だったので、早起きをする必要には迫られていなかった(口述式試験において、受験生は午前組と午後組に振り分けられ、午前組の終了と共に午後組の入場が始まることになっている。)。
そのため、最後の入眠手段として(最初からそのつもりだったのだが)僕は酒の神に頼るという選択肢をとることが可能だった。
果たして僕はウイスキーをあおり、一本飲み終えるか飲み終えないかといったところでようやく浅い眠りに落ちた。 目覚ましをセットし忘れた僕は、それでも七時十分くらいに目を覚ました。
午前組のなかにはすでに出発した人もいるのだろうか。
混みあった電車の中で死んだような目をして復習にかかるであろう彼らの無事を祈りつつ、僕はベッドから這い出た。 昨日の混乱を思えば、かなりの余裕をもって準備することができた。
どれだけ希望的に計算しても六時間以下の睡眠しかとれていなかったにもかかわらず、僕の頭は疲れというものを知らないかのようにスッキリとしていた。
意識していないところで、すでに頭が臨戦態勢だったのだろうと思う。 買い込んでおいたカロリーメイトをかじりつつ、僕は再び大島本を、類型別を、基礎からわかる執行保全をめくってゆく。
そして自らが作成した要件事実一覧表・執行保全まとめノートに目を通す。
同じものを複数の媒体を使って繰り返すという一見非効率的とも思える勉強法こそが、僕の信条とするところだった。
それは複数社の新聞をとることで摂取する意見に偏りがなくなるようにする行為に似ていた。
その頃の僕は自分が目にする条文以外の日本語文章に対して、きわめて懐疑的になってもいた。神は六日間で世界を創り、残りの一日で条文を創ったのだ。
もしかしたらそんな猜疑心が僕に上述の勉強法を採らせたのかもしれない。 村上春樹は興味ないが、凄く面白いです。続き楽しみにしてます。
まだホテル取ってないわ。 僕は九時過ぎにはホテルを出ていた。頭上に広がる澄んだ秋の空は、腹立たしいまでに青かった。
十二時集合なのだから、移動にかかる時間を踏まえたとしても早すぎる出発なのではないかと思うかもしれない。
しかし僕は時間をつぶすためにうってつけの場所を知っていた。今日から明日にかけて、法務省浦安総合センターから徒歩五分ほどのところにあるホテルのなかで、塾が口述受験生専用の休憩所を設置してくれているのだ。
これを利用しない手はないと僕は考えていた。受験生はこういった予備校の背中を見て育つ。
なお念のため付言しておくと、僕はそれまで塾を論文式試験の模試でしか利用したことがなかったため、いわゆる信仰心に篤い受験生というわけではなかった。 口惜しいことに、そこで僕は二つの大きな過ちを犯した。
それは気持ちがはやっていたあまりに開室時間よりも早く到着してしまったこと、そして休憩所を利用する受験生の数を見誤っていたことである。
十月末とはいえ、スーツを着込んでそれなりの重さの荷物を携えたまましばらく歩けば、おのずと汗がにじんでくる。そんな状態で、十分かそこらのあいだ、人ごみの中で立ったまま待ちぼうけを食らったのだ。
大したことに感じられないかもしれないが、想定外の事態が発生したという事実それ自体が、ナーバスになっていた僕をチクチクと刺激するのだった。
おまけに周囲には僕よりもはるかに法律に精通していそうな人間がごろごろとしている。
ドアをくぐって受付に入場していた人だけでも十数名はいたと思われるが(屋外で待機していた人もそれと同じくらいにいたと思われる。)、そこにいる受験生のほとんどがいかめしい眼鏡をかけていた。
僕は急に自分が裸眼であることが気になり始め、伊達メガネの一つでも準備してきた方が良かったのではないかという気持ちにさいなまれた。
大事なことを目の前にしているときに限って、些末なことが気になってしまう。 入場時刻がやってきて、各々が自分の席を見つけて復習にかかる段になると、僕も落ち着きを取り戻すことができた。
隣席の男性が濃紺の予備試験用法文をめくる脇で、僕は緑の判例六法をめくる。
角がめくれて手垢のついた判例六法は、口述式試験を通して僕の唯一の友人といってもよい存在だった。
その重さは僕に安心感を与え、そのページの手触りは僕に心地よさを感じさせ、マーキングと書き込みの数々は僕のこれまでの努力を想起させてくれた。
十一時も四十分を回るころになると、人々は示し合わせたように席を立ち始める。僕も例に漏れずその人々に続いてゆく。 法務省浦安総合センターに到着した僕を待っていたのは、口述受験生を激励する予備校関係者と、一本の長い行列だった。
その行列は試験会場に入場する受験生によって構成されており、僕も吸い込まれるようにしてその中に加わった。
僕の目の前に並んでいる二人は知り合い同士らしく、親しげになにごとかの言葉を交わしている。
耳をそばだてると、ロースクール同期の誰それがどうだの、今度の授業がああだのといった話をしていた。
やれやれ、と僕は思った。僕らはロースクールとは真逆の方向に進もうとしているのに、まるでロースクールに未練でもあるかのようにそんな話をするとは。
しかしそこで僕は考え直した。ある程度の距離をとってこそその姿を正確にとらえられるということもある。
彼らは今だからこそ適切にロースクールについて語ることができているのではないだろうか。 間抜け顔でそんなことを考えているうちに、僕は受験票をあらためられ、いよいよ建物内へと入っていくことになった。
試験監督員に誘導され、僕らはカタツムリのようにのろのろと階段をのぼっていく。
その先で、僕らはもう一度受験票を提示することになる。そこで自分たちの番号を知らされるのだ。その番号は、待機室となる体育館においてどこで待機するのかを指示するものだ。
いま体育館といったが、これは比喩でもなんでもない。
法務省浦安総合センターはそもそも研修施設という名目で建てられたものであるため、体育館も併設されているのだ。
高い天井、大きい照明、キャットウォークに置き去りにされたバレーボール、背筋を伸ばした可動式のバスケットゴール。
それはどこの高校にもあるありふれた体育館となんら変わるところがない。そこに大量のパイプ椅子を並べて、これまた大量の試験監督員を配置すれば、体育館は口述式試験の待機室へと変貌を遂げる。 指示された席は最前列にあった。試験時間や注意事項が書かれたホワイトボードが近い。
壊れたラジオのように注意事項や説明事項を繰り返し読み上げる試験監督員との距離も、これまた近い。
僕は巡回する試験監督員のひとりに声を掛け、大ぶりの茶封筒をもらった。
電子機器は電源を切った上ですべてこの茶封筒に入れて封緘しなければならず、僕は持参したiPadにしばしの別れを告げなければならなかったのだ。
携帯電話用の小さな封筒は入場段階で全員に配布されるが、それ以外については個別に配布してもらわねばならない。
これを見越して、多くの受験生はあらかじめワードファイルなどを必要なところだけプリントアウトして持参してくる。 全員が集合したところで、試験監督員が改めて試験の流れを説明しにかかった。
さっき聞いたばかりの説明がそのほとんどを占めていたが、とにもかくにも僕は耳を傾ける。
しばらくすると、試験監督員は僕が初めて耳にする言葉を口にした。それはこんなふうなものだった。
「これから番号を呼ぶ受験生の方は、荷物を全て持ち、前の方に一列になって整列してください」 試験監督員はそれから次々と番号を読み上げていった。
三人ばかり読み上げられたところで僕は気づいたのだが(実のところ最初から嫌な予感はしていた。)、呼ばれているのはすべて最前列に座る者であった。
つまり僕は厄介なことに午後組一発目の口述受験生になってしまったというわけだ。
あっというまに僕の番号が読み上げられ、僕は席を立ち、粛々と列に加わる。
体育館に集まったすべての受験生の好奇の視線にさらされながら出発の時を待つ。これは僕をひどく不愉快にさせた。
みせものじゃないんだぞと、ひとこと物申してやりたかった。だが当然そんな余裕や度胸があるはずもなく、その時の僕は詰め込んだ知識が頭から零れ落ちないようにつとめるので精いっぱいだった。
間もなくして、運動会の行進のように列を崩さないまま、僕らは体育館を後にした。 スレ立てから3日経ってるのに試験始まんないあたり村上春樹ぽい 村上春樹風2つの話を進めて時々交差させて最後は合体するオムニバスだとなお面白い 僕らは試験室に入る前に、『発射台』と呼ばれる小さな部屋に通される。
部屋の七割ほどがパイプ椅子で埋め尽くされているという点においては、最初に通された体育館と変わらない。
だがその部屋はとても狭い。
試験室は有限であり、一度に全員が試験を受けることができない。そのため多くの受験生は発射台にとどまり、自分の順番が回ってくるのを待たされるのだ。
この部屋は旧司法試験の時代からずっと『発射台』と呼び習わされてきたため、僕もそれにならうことにする。
正直なところ、移動の一過程で立ち寄るにすぎないこの部屋に対し大仰な呼称を付けることについて、僕は懐疑的だった。
合格者たちが自らの経験を誇示したいがための一つの小細工ではないかと思っていた。
しかし実際に足を踏み入れた僕の心をとらえたのは、この部屋は『発射台』以外のなにものでもないという残酷な実感だった。
僕たちは『発射』されるのだ。投石器から放たれた岩塊のように、発射台から外に出たあとの僕たちを守るものは何もなく、僕らは文字通り当たって砕けなければならない。
圧迫感のある密室に張り詰めた静寂が、その事実をこれでもかというくらいに突き付けてくるのだった。 試験時間の上限こそあれど、試験がどのくらいで終わるかというのは試験室ごとに異なる。
それは受験生の出来によって変わるし、もしかしたら試験官の個性や気分によっても多かれ少なかれ変わるかもしれない。
そのため、受験生が発射台から試験室へと発射されるときは、ひとりふたり程度に分けられて個別にお呼びがかかる。
想像に難くないだろうが、だんだんと発射台から人が消えていくその緊張感・恐怖感はぞっとしないものになる。
もっとも、割り振られていた番号がかなり若かったので、その日の僕はホラー映画じみたその感覚を味わわずに済んだ。
しかし、それはとても不幸中の幸いということができるようなものではなく、不幸中のより小さな不幸にすぎないものだったというべきだろう。 試験室周辺は異様な雰囲気を放っていた。あるいはそれは僕が異様に緊張していたからにすぎないかもしれない。
だがその異様さは、大戦末期の総統地下壕はきっとこんな具合にちがいないとさえ思われるほどのものだった。
一つのカバン入れと一人の試験監督員が、一つ一つのドアごとに配置されている。
それもビジネスホテルの廊下のように狭い空間にである。狭さ、薄暗さ、緊張感、それぞれの相乗効果が、異常なまでの圧迫感をそこに醸し出していた。
ひと思いに胃の内容物を吐いて楽になりたいとさえ思った。しかし僕のなかのもう一人の僕がそれを許さなかった。
彼は言う。『ここまで来ておいて敵前逃亡とはいかにもけしからん。どうせ二十分かそこらで終わるのだから、さっさと片付けてしまえばいい。そして一日目終りの爽快感を肴にビールでも飲むんだ』。
僕はどうにか踏みとどまった。 試験監督員とマンツーマンのまま、僕は割り当てられた試験室の入り口まで案内される。
そして入り口に立っている別の試験監督員といくつかの言葉を交わし、カバンをカバン入れにいっとき預ける。
僕はドアの前に立ち尽くす。誰もが神経質そうになんどもなんども腕時計に目をやる。
なにを待っているのか? 地獄の扉が開く時を待っているのだ。 試験監督員たちのあわただしい目配せの末に、その時はやってきた。
「いつでも入室なさって構いません。ご自分のタイミングでどうぞ」
僕の隣に立っていた長身の試験監督員は、こんなふうなことを僕に囁いた。
僕は彼が口を閉じるが早いか、すかさずドアをノックした。緊張に耐えられなかったのだ。さっさと終わらせてしまおうという一心だった。
部屋のなかから卓上ベルの鳴る音が聞こえる。その響きはまるで僕をあざ笑うかのように軽々しい。ドアノブを握る手に汗がにじむ。戦いが始まる。 前情報のとおり、試験室はビジネスホテルの一室程度の広さの部屋だった。
はっきりいって狭い。僕が泊っているホテルとちょうど同じくらいであり、僕は奇妙な感覚を覚えた。
並んで腰かけている試験官らに目をやる。口述式試験には二人の試験官がおり、それぞれ主査、副査と呼ばれる。
基本的に問いはすべて主査が発し、副査はよほどのことがないと試験に介入してこない。
主査と副査はいずれも中肉中背の男性で、特別な印象を僕に与えることはなかった。駅のホームですれ違っても気づくことはないだろう。
次に僕は自分が座るであろう椅子に目をやる。その椅子の前には、一枚のパネルと試験用法文が乗った小さなテーブルが設置されていた。
二つのテーブルの間には一メートル少しくらいの距離があった。 入室してから着席するまでの一連の動作は、くだんの口述模試で体に叩きこんでいた。
なので、僕はそれをほとんど何も考えることなくこなすことができた。
従前の緊張が体の動きをぎこちないものにしたかもしれないとの思いが頭をよぎったが、これは就職面接ではなく口述式試験なのだ、それが合否に決定的影響をを及ぼすことはなかろうと高をくくった。
仕込まれた通りの丁重な挨拶をすると、主査は「ああ、はいはい。よろしくお願いしますね。どうぞ」と言いながら、ジェスチャーで僕に着席を促した。 言葉尻だけとらえるとぞんざいに扱われているようにみえるかもしれないが、彼の物腰は柔らかく、それに微笑をたたえてもいたため、僕はいささかの安心をもって席に着いた。
主査はまるで、『きみの生殺与奪がかかった試験ではあるが、そう硬くなる必要はないよ』とでも言わんばかりの態度をとっていた。
隣の副査は美術室の石膏像のように無表情だったが、僕のお辞儀に会釈を返すくらいの人間性は持ち合わせているようだった。 「今からそのパネルに書いてある事案を読み上げます。よく聞いてください」と主査は言った。
「はい」と僕は言った。
そのパネルには、XYZの関係図と共に、大要つぎのようなことが記されていた。
XY間における彫刻(もしかしたらそれは絵画だったかもしれない。緊張のあまり、僕の記憶はそれが美術的価値のある動産であることを除きあいまいになってしまっている。)の売買契約が締結された。
同日、YはZを代理し、Yの代金支払債務をZが連帯保証する契約も締結した。
しかし、引渡しを行ったにもかかわらず、いまだXはYから代金の支払いを受けていない。
弁護士PはXから、どうにか代金の支払いを得られはしないかとの相談を受けた。 「よろしいですか?」すべて読み終わった後、主査は僕にそう声を掛けた。
「はい」と僕は言った。
「この事案において、Xの依頼を受けた弁護士Pは、Yに対して売買代金請求訴訟を提起するとともに、Zに対しても二百万円の支払いを求めて訴訟を提起することにしました。Zに対する訴訟の訴訟物は何ですか?」と主査は言った。
「保証契約に基づく保証債務履行請求権です」と僕は言った。
連帯の特約はクリスマスツリーに施された装飾のようなもので、それがあろうがなかろうが、本体がモミの木であることに変わりはない。
「はい。では、Zに対する訴訟の請求原因事実をお答えください」と主査は言った。
主査は特に突っ込むことなく次の質問に進んだ。これは僕の回答が悪くないものだったことを暗に示していた。 はやくも調子に乗った僕は、そこでへまをしでかした。
「はい。Xは、平成二十九年九月二十日、Yに対し、本件彫刻を二百万円で売った。YとXは、本件売買契約の代金支払債務をZが保証する契約を締結した。保証するとの意思表示は書面による。
Zは、保証契約に先立ち、Yに対し、保証契約を締結する代理権を与えた。となると思います」と答えたのだ。
「保証契約はいつ締結されたんですか?」と主査は言った。表情は穏やかなままだ。
「失礼しました。保証契約が締結されたのは、平成二十九年九月二十日になります。これも必要です」と僕は即座に答えた。
「それでぜんぶですか? 誰かを代理する場合って、それだけで足りるんでしたっけ?」と主査は言った。
これは今までの僕の答えが十分でないことを示しているに他ならない。
僕はどうにか間を置かず間違いに気づくことができた。
「同日、Yは、Zのためにすることを示した、という事実も必要になります。失礼いたしました」
「はい」と主査は言った。一安心した様子だった。 一方の僕はすっかり意気消沈していた。請求原因事実を外してしまったことがあまりにもショックだったのだ。
代理の顕名要件といえば基本中の基本だ。AAランク論点を落とすに等しい愚行を演じ、完全に出ばなをくじかれた形になった。
やれやれ、と僕は思った。しかしそう思ったところで時間が巻き戻るわけでもない。僕は以降の設問に意識を集中させようと努めた。
人は自分の失敗にはどこまでも寛容になれる。 主査は続ける。「本件において、Yは資力状態が芳しくなく、二百万円の支払いは期待できず、また、Zは、高価な絵画を所有していたとします。
この場合、Xの依頼を受けた弁護士Pとしては、訴訟提起に際してどのような手段を取ることが考えられますか?」
「はい。Pとしては、本件絵画の仮差押えを申し立てることが考えられます」と僕は言った。
これもどうにか即座に答えることができた。
このあたりであれば、条文番号を問われても法文を見ずに答えることができる。だが訊かれてもいないものを答えるわけにはいかない。 「そうですね。この場合、仮差押えの対象となる本件絵画は、具体的にはどのようなものですか?」
僕は質問の意図をはかりかねたが、ひとまず口を開いてみることにした。主査が誘導してくれることを期待していたのだ。「本件絵画は動産です」とだけ、僕は言った。
主査はうなずいた。そして「ではパネルを裏返してください」と言った。
僕の答えはどうやら間違いだったわけではなく、それは僕を次の問いに進めるに足りるものであるらしかった。しかし僕はどうにも釈然とせず、その気持ちを抱えたままパネルを裏返した。 パネルは上下に区切られており、主査はパネルの上部分のみを読み上げる。
そこにはZから依頼を受けた弁護士Qのことが記されていた。Z曰く、ZはXと面識はないし、保証契約の話をしたこともない。
Yに代理権を与えたこともないし、Yに交付していた委任状と印鑑登録証明書は、別の取引で代理権を授与したときに交付したものだ。
そのうえ、Yから聞いた話によると、Xは「仕方ないから、二百万円についてはなかったことにしよう」と発言したらしい。
おおまかにいえばパネルにはそんなことが記されていた。なんとも傍迷惑な話だ。
「これを踏まえると、先程の保証債務履行請求訴訟において、弁護士Qとしては、Xに対してどのような抗弁を主張することが考えられますか?」と主査は言った。 「ええ、保証契約の成立を否定する主張をすることが考えられます」と僕は言った。
「それって抗弁じゃないよね?」と主査は言った。まったくもってその通りだ。請求原因と両立しないのだから。
地球は太陽を中心にして廻り、太陽は西から東に沈む。そして僕の発言は抗弁を構成しない。
「はい……」と僕は言った。
「何でもいいよ?」主査は少し笑っている。こっちは笑いごとではない。
鉛よりも重苦しい沈黙の中、僕は穴が開くほどパネルをにらみつけ、そこから何か示唆を得ることができないかと必死に探した。四、五秒ほど経った頃だろうか、僕はどうにかそれらしい言葉を口にする。
「Xが、『二百万円についてはなかったことにしよう』と言っていることから、免除の抗弁を主張することが考えられます」 「それは具体的にはどのような主張ですか?」と主査は言った。
「保証債務が免除……」と僕が口にしかけたところで、僕は恐るべきものを目の当たりにした。
穏やかそうだった主査の目の奥に一筋の鈍い光を見たのである。
それはこれ以上妙なことを言ったらおまえの身に何が起こっても知らないぞという黙示の意思表示に他ならないものであったと、今でも僕は思っている。
主査の目つきに気が付いたその刹那、危険な気配を察知した僕は、幸運にも自らが犯しかけていた過ちに気づくことができた。そしてすぐさま発言を訂正した。
「ではなくて、主債務が免除されたため、付従性によって保証債務も消滅するという主張です」
「そうですよね」と主査は言った。
やれやれ。どうにか事なきを得たのだ。何事もなかったかのように試験は進む。 「では次に、Xの側で、有権代理ではなく、民法百十条の表見代理を主張してきたとします」と主査は言った。
「はい」と僕は言った。
「この場合、弁護士Qとしてはどの要件の成否を問題にすべきですか?」と主査は言った。
「はい。百十条にいう『正当な理由』の要件を問題にすべきです」若干の違和感と共に僕はそう言った。
請求原因事実を聞いてこないことが奇妙に思われたのだ。
奇妙な感覚は主査の言葉によっていよいよ強くなっていく。
「正当な理由とは、本件において何のことを指しますか?」
「Yが保証契約を締結する代理権を有していたと信じたことについて、Xが無過失であったことを指します」と僕は言った。 「他にはありませんか」と主査は言った。
そこで僕は再び沈黙した。したり顔で挙げたこの事柄のほかに、なにがしかの評価障害事実が隠されている。
その事実に、僕は再びうろたえた。
僕の内心の変わりようは、これほど風向きに敏感な風見鶏は他にいないだろうと思われるほどのものだった。
さきほどよりも長い沈黙が試験室に訪れる。
五秒、六秒ほど経っただろうか。
人に安らぎと休息を与えるはずの静寂が、その時は僕の命を刈りとらんとする恐るべき死神に思われた。
僕はふたたび必死になってパネルの文字に食らいつき、どうにか回答のような体裁をもった言葉をひねり出した。
「XとZの面識が一切ないという事実を主張することが考えられます」 主査は僕の目を見てうなずいた。そして、「では、先ほどの免除の主張に関連して質問をします」と言った。
僕の発した言葉は有効な回答として認識されたのだ。
それは完全なものではなかったかもしれないが、先へ進むことが許される程度の質を持っていたことは確かだ。
僕は心の中で安堵のため息をついた。 すこし脇道に逸れるが、口述式試験において何よりも忌避しなければならないのは、問題の最後まで辿りつかないまま時間切れになってしまうことだ。
論文式試験において途中答案の評価が必然的に低いものになるのと同じように、最後まで答えきれなかった場合、それだけで大きなビハインドになるのだ。
そして、あまりにも長い沈黙は、この時間切れというデッドエンドを導きうる大きな要素であり、さらに試験官の心証をも損ねるものである。ゆえに時間切れと同じくらいに忌み嫌われるものであるということを、ここに付け加えておく。 「Xは免除の意思表示をしたことを完全に否認していたが、免除に立ち会ったBなる人物がいることが判明した。
しかしBは一ヵ月後に海外に行ってしまうことが明らかになった。この場合、弁護士Qとしては、Bが立ち会ったことの証拠を得て、免除の事実を立証するために、どのような手段を取ることが考えられますか?」
僕は面食らった。面食らったが、一本取られるような手ひどいダメージを受けたわけではなかった。
試験官の質問に面食らわないことの方が少ないということを経験的に察し始めた僕は、緊張と混乱のさなかにあっても、どうにかすぐさま言葉を発することができた。
「はい。Bに電話をかけ、立ち会ったことを確認し、それを録音するという手段が考えられます」と僕は言った。
「そうきましたか」と主査は言った。素直な驚きの感情が彼の顔に示されていたようにみえた。
すぐさま彼は元の表情に戻り、僕を誘導しにかかった。「でもBは、向こう一か月は日本にとどまっているんですよ?」 おぼろげながらも彼の意を汲むことができたと考えた僕は、意を決して口を開く。
「失礼しました。そうしますと、Bに会いに行き、免除に立ち会ったことについて陳述書を書いてもらうという手段も考えられます」
「うん、そうですね」主査はそう言って、少し微笑んだ。
この瞬間に限った話をすれば、僕たちの間でなされていたのは、ある種の健全なコミュニケーションであり、相互理解を目指した言葉のキャッチボールであったといって差し支えないだろう。
彼らは僕らをふるい落とすために口述式試験を課しているわけではなく、予備試験を最終合格させるに足る人間であることを確認するために試験を課しているのだ。 「では、パネルの下の部分を見てください」と主査は言った。
彼はこれまでと同じようにそれを読み上げる。
その内容は、@弁護士QにYも相談してきた、AYは「Zの主張と自己の主張に齟齬が生じるといけない」と考えている、BZはYのことを腹立たしく思ってはいるものの、仕方ないとも考えている、というものだった。
主査は僕に問いかける。「この場合、弁護士QがYとZ双方の依頼を受任することについて、弁護士倫理上の問題はありますか?」
「はい。利益相反が問題になると思います」と僕は言った。 「具体的にどの条文の問題になると思いますか?」と主査は言った。
「職務基本規程二十八条三号だと記憶しています」と僕は言った。
それはあてずっぽうの答えであり、半分ほどが冗談で構成されているものだった。それでも条文を諳んじようとしたのには理由がある。
法文を開くことはなるべく避けた方がよいという旨の指導を多くの予備校から受けており、僕はそれに忠実であろうとしたのだ。
「よく覚えていますね」主査はそう言ってにっこりと笑った。そして彼は副査の方を向いて続ける。「何かありますか?」
副査は何も言わず、首を横に振るばかりだった。
「では、これで終わります」と主査は言った。
「ありがとうございました」と僕は言った。
僕はパネルを元に戻し、一礼して試験室から退室した。僕は生涯、職務基本規程二十八条三号のことを忘れないだろう。 試験監督員に誘導されるがまま、僕は出口へと歩いていった。
出口には暖かな午後の日差しが差し込んでいた。
そこで待機していた試験監督員は穏やかな微笑みをもって「どうもご苦労様でした」と言った。
僕は深々と返礼した。長いトンネルを抜けたときのような感覚を味わった。
しかし僕はもう一度トンネルに潜らなければならない。やれやれ。 僕は帰りがけに休憩所に顔を出した。情報交換ができると踏んでのことだった。
そこにいた受験生は二種類に分類できる。
キューブリックのフルメタルジャケットに出てくる彼のように目をぎらつかせているか、いつぞやの雪印の社長のようにどこまでも疲弊しているかのどちらかだ。
僕はそこで一日目の刑事に何が出たかを確認した。伝聞法則が問われたことを知り、僕は一日目に刑事を受験した人々のことを気の毒に思った。
もし対面で伝聞法則について問われたりでもしたら、僕にはとうてい捌ききれそうにない。
そこにいた受験生は往々にして近寄りがたい雰囲気を発していたが(それは僕も同様だったように思う。)、合格者スタッフとホワイトボードの近くにできていた人だかりのなかで、僕は何人かの受験生と情報交換することができた。
そこで行われた会話はこれまで得た情報の確認程度の意義しかなく、情報交換としては実りのあるものではなかった。だがそれでも僕は誰かと会話する必要があったのだ。
試験が半分終わったという事実をたしかなものとして自分のなかに刻み込み、そしてほんの少しでも傷口をなめあう。そんなことをすることによって浮かぶ瀬もあるというものだ。 僕はそのあと新木場駅前の喫茶店に寄ってすこし頭を休め、そして日が暮れる前にはホテルに戻った。
それからはホテルに缶詰めになり、明日の刑事系科目に備えた勉強を行っていた。
大きな喜びもなければ深い絶望もないその時間を、僕はけっこう好ましいものだと感じていた。
それは噛むたびにそこはかとない甘みをもたらす上質な食パンに似ている。
確かに孤独ではある。だが、考えてみれば人はいつだって孤独だ。
集団の中にいてさえ孤独を感じることがある僕にしてみれば、ホテルの一室で遅くまで勉強することになったところでそれが特筆すべき苦しみになるわけでもない。
以降のその日の様子は昨日と大差ないものだったので、ここで改めてその詳細を記す必要はないだろう。
僕は様々な教材に目をやり、これまでの記憶を喚起し、食事を挟んで勉強を続け、気晴らしにビールを飲むが、なかなか寝付くことはできない。
口述式試験一日目の夜はそうして過ぎていった。 ちょいちょいミスみたいなのあるけどこれって元ネタあり?オリジナル?
村上春樹詳しくないからわからん 昨日の失敗に学んだ僕は、きちんと目覚ましをセットすることに成功していた。
そしてきっかり八時に目を覚ました。あいも変わらずいつごろ眠りに落ちたのかは判然としない。
だがおぼろげな記憶から判断するに、昨日よりは長く眠ることができたはずだ。
缶ビールを何本か飲んだが二日酔いもない。今日も寝起きの割にはスッキリとした状態だった。
午後組であることに改めて感謝しなければならない。 その日僕は少し遅くにホテルを出た。塾の休憩所を使わないつもりでいたからだ。
その代わりに、新浦安駅前のとある喫茶店で時間をつぶしてから会場に向かう算段だった。
休憩所には数十名の受験生がいるため、いやおうなしに気を張らせられる。他方喫茶店であればそういったおそれはなく、店を出るまでは多少なりともリラックスした気持ちで過ごすことができると考えていたのだ。
だがその選択にはまたしても裏目に出た。何のめぐりあわせか、足を運んだ喫茶店において僕は口述式試験受験生と隣り合うことになったのだ。
パリッとしたスーツ姿にもかかわらず身にまとうのは重苦しい雰囲気、そしてテーブルの上には類型別。これはもう間違いない。
僕はいまや試験という名の地獄に向かうベルトコンベアにすっかり乗せられているということを、意図せずして思い知らされた。
現実から目を背けて一息つくために向かったところで現実を突きつけられた僕は、幸先の悪さを感じながら苦いコーヒーを啜った。 法務省浦安総合センターは昨日となにも変わらないように思われた。予備校関係者も長い行列も相変わらずだ。
決定的な違いを突きつけられたのは、僕が受付を済ませ、体育館で待機する際の席番号を知らされた時だった。
その番号は最後列のひとつ前の列を示していた。
前列から順に呼ばれていくという試験のシステムを知っていた僕は、それが意味するところ悟り慄然とした。
自分の順番は、ほとんど最後にならないと回ってこないのだ。
番号が良くないと四時間から五時間待たされる人間もいる、という噂を思い出した。僕は今からその噂を身をもって証明することになるかもしれないのだ。
もしかするとそれは、『もしかりに噂が本当だとしても、自分がその貧乏くじを引くことはないだろう』、そんなことを考えて当事者意識に欠けていた僕に対する罰なのかもしれない。 会場に到着し受付から知らされるその瞬間まで、自分がどのタイミングで待機室を離れて発射台へと運ばれていくのか正確に知ることができない。
それにしても、これはきわめて不合理なルールではないだろうか。
そんなことを考えつつ、動揺を隠せない僕は憤然とパイプ椅子に腰かけた。
体育館ではパイプ椅子三つで一つのブロックが形成されていたのだが、僕は不幸なことにその真ん中に配置された。
そして両隣に鎮座まします受験生は共にかなり身体が大きい。
ひとりはパイプ椅子から優にはみ出してしまうくらい恰幅のよい中年男性で、もう一人はアメフト選手のように筋骨隆々とした僕と同い年くらいの男性だ。
やれやれ、こんななかで何時間も移動のときを待たなければならないのか。僕は大きくため息をついた。 席に着いてからしばらくして、僕はもう一つのシビアな問題に直面した。
待ち時間をフルに活用するには、僕が持ってきていた教材はあまりにも少なかったのだ。
僕の手持ちの教材は次のようなものだった。
ア〇ルートの刑法論証集(加工済み)、三〇・〇巻の刑事手続法入門、〇巳のハンドブックの部分的なコピー、そして例の判例六法。
〇ガルート論証集やハンドブックのコピーは既に最終確認のつもりで目を通してきたので、これ以上みるつもりはなかった。
だがそんな僕の方針はあっさりと変更を余儀なくされた。
僕はホテルに山〇厚の青本を置いてきたことをひどく後悔した。彼が提示する正確無比な定義や簡にして要を得た記述が恋しくてならなかった。
短答も論文も共に切り抜けてきた頼れる戦友の不在は、僕の気持ちを不安定なものにさせた。
しかしいくら念じたって、ないものはない。
僕らはいつだって手持ちの武器だけでやっていくしかないのだ。 そして劣悪な数時間が幕を開けた。
僕は集中力が切れると一旦教材から目を離し、周囲の受験生がどんな教材を使っているのか探るためあちこちに視線を泳がせた。
それはささやかな好奇心を満たし、一向に自分の番が来ないことに起因する絶望的な気分をまぎらわせてくれた。
右隣の大男は定石本を読んでおり、左隣の大男は僕と同じように刑事手続法入門を読んでいた(同じ教材を使う人に僕はささやかな親近感を覚える。)。
右のブロックの一番端に座るやせぎすな男性は塾の基〇マスターらしき巨大なバインダーを膝の上に置いており、彼の前のブロックの一番端に座っているショートカットの女性は、A5のバインダーに閉じられた論証集のようなものを開いていた。
他にも枚挙にいとまはないが、予備試験用法文を読んでいる人がかなり多かったのが印象的だった。
刑訴法・刑訴規則ならいざ知らず、刑法の条文、それも関連判例が付記されていないものを読んでも、大した役に立たないのではないかと僕は思った。
だが彼らとてきっとそれを読みたくて読んでいるわけではないのだろう、僕はそう考えなおした。
彼らは僕と同じように、まさか自分がこんな後方に配置されるとは思っておらず、それゆえ持ってきた教材が時間をつぶすに十分でなかったのだろう。
そう考えると、勝手ながら彼らに対し同情の念を抱かずにはいられなかった。 口述には縁がないからといってストレス溜まりすぎやろ
楽しみにしてる奴もおるんやで 五時間弱に及んだ待機時間はとても壮絶なものであり、僕の戦意は幾度も失われそうになった。
その恐ろしさは筆舌に尽くしがたく、こればっかりは経験した人間にしかわからないことなのではないかと思う。
言葉を交わすことが許されない静かな空間で、ピリピリとした緊張を維持したままでいつづける。
そして待てど暮らせど自分の番は回ってこない。そんな環境に置かれると、人は本当に様々なことを考えることになる。
例えば、自分と同じ縦列になった人間がしくじらず、試験時間を長引かせないように願う。
ある受験生の試験時間が長引くと、その受験生と同じ縦列の人間は呼ばれるのが遅くなり、『周回遅れ』のような状況が生じることがある。
それは些細なことかもしれないが、些細であるからこそ、ただじっと待つばかりの僕らをうんざりさせた。
またあるときには、僕らが待っている間じゅう立ちっぱなしで室内を見守る試験監督員たちの苦労について考える。
好きでこんなところにいるわけではないだろうに、貴重な休日を使って精神の限界を迎えつつある連中の相手をさせられる。彼ら彼女らもたまったものではないだろう。 もちろんそんなことばかり考えていたわけではなく、持ってきた教材から得られるだけの知識を得ようともした。
しかし生真面目に反復したところでそもそも頭が疲れてきてしまっているからどうにも捗らない。
気分転換に椅子から立ち上がってストレッチしたくなるが、それはご法度だ。そのため必然的に、制限付ながら立ち歩くことのできるトイレ行に手を挙げる人が増える。
トイレに行くにも一苦労だ。十分か十五分に一度、試験監督員がトイレに行きたい人間を募る。そこで希望者は挙手し、試験監督員の前に一列に並ぶ。
希望者は列を崩さぬまま階段を下ってトイレに行き、用を足す。そしてまた一列になって体育館に戻ってくる。そのあいだも私語を交わすことは禁止される。
僕も四回はトイレに立った。そのうち二回は排泄を目的としたものではなく、足を動かしてくさくさした気分を晴らしたいがためのものだった。 四時を回ったくらいで、緊張や疲労、閉塞感に焦燥感といった負の要素たちのなかに、あらたに空腹が加わってくる。
ただ待っているだけというのは、意外なほど人にエネルギーを消費させる。
飲食が禁じられていなかったこともあり、僕の右隣に座る巨躯の男性はおにぎりを食べはじめた。
僕もつられてカロリーメイトを口にし、そしてそれをミネラルウォーターで流し込んだ。
すると左隣の男性がグウと大きく腹を鳴らしたが、彼は僕らと違って食べ物の持ち合わせがないようだった。見かねた僕は未開封だった残りのカロリーメイトをぎこちなく彼に勧めた。
それがいらぬお節介であることは承知の上であり、僕の独善的ともいえる行為は突っぱねられて当然と思っていた。
しかし意外にも彼はそれを受け取り、目の前にかざして小さく頭を下げた。袖振り合うも多生の縁というやつだ。
それからほどなくして、僕は発射台へと移動させられた。 村上春樹的司法試験スレって20年近く前からあるんだな 僕は昨日と同じ小さな部屋に通されるものとばかり思っていた。
しかしそれは僕の思い違いだった。僕らが通されたのは、病院の診察室でよく見る移動式のカーテンで区切られた、部屋外の一区画だったからだ。
そこは廊下が十字路のように交錯する場所で、広場と形容してよい大きさをもっていた。
区切られたそのスペースのなかには、昨日とおなじようにパイプ椅子やホワイトボードが配置されていた。僕はかなり後方に座らされた。
その着席位置は、僕が発射の恐怖と戦わなければならないということを示していた。
すべてが昨日とはまるで違っていた。 やれやれ、と僕は思った。
発射台にいる間の緊張感を、まさか開かれた空間のなかでしのがねばならないとは。
だがその違いに動揺するには、僕はすこし疲れすぎていた。
僕の目は夜の猫のように爛々としており、頭のなかは一秒でも早くドアをノックして入室することでいっぱいだった。
それに加え、後方から見える切羽詰まった一ダース半ばかりの受験生の背中というのは、そう悪い景色ではなかった。
あまりにも長い待ち時間が、僕らに言い知れぬ連帯感を与えているように思われた。 そんな連帯感を感じていたわれわれも(それが僕の思い過ごしである可能性については目を瞑るとして)、だんだんとその数を減らしていく。
それは絶滅危惧種の動物が一匹ずつ死んでゆく様子に似ていた。避けがたい終局に向かって少しまた少しと近づいていく。
僕らが密林やサバンナに生息する野生動物であったならその減少はニュースになったかもしれないが、口述受験生が発射台から減っていったところで、世間の耳目をさわがせるニュースになることはないし、それが誰かの同情を誘うこともない。
僕たちは静かにその時へと向かう。それなりの覚悟こそしていたが、やはりそれがもたらす緊張感はすさまじいものだった。
刑事手続法入門を握る手に汗がにじむ。僕は本を開いてそこに視点を置いていたが、同時に僕はそこから何の情報も得ていなかった。
上滑りの視線は文字を文字と捉えることができず、僕は、復習するためではなくそれ以上の混乱に陥らないためだけに本を眺めていた。 とうとう僕の番号が呼ばれた。僕が席を立った後に残されることになるひとにぎりの受験生に、どうか正気を保っていてくれと聞こえぬ声援を送る。
そして僕は昨日と同じようにせまく薄暗い渡り廊下へと連れられてゆく。
ほどなくしてベルが鳴る。
僕はドアをノックする。 主査は三十代後半くらいの男性だった。民事のときの主査よりもいくらか若い。
副査は主査よりも少し年上の男性で、彼は一貫して僕に目をやることなく、眼下にある成績評価用と思しき紙を眺めていた。
「これから事案を読み上げますのでよく聞いてください」と主査は言った。
「はい」と僕は言った。
試験室は昨日と同じくらいの、つまり一般的なビジネスホテルと同じくらいの広さだった。
もっとも民事のときとは異なり、そこにパネルは用意されていなかった。テーブルには試験用法文が無造作に置かれているだけである。
こころなしか、僕と試験官との物理的距離が昨日より近いものに感じられた。 「Aは、Bが居住していない、B所有の家屋の玄関とその周辺にガソリンを撒き、丸めた新聞紙にライターで火をつけました。
そしてそれを撒いたガソリンに点け、これによって発生した炎でB宅は全焼しました。Aには何罪が成立しますか?」と主査は言った。
「Aには非現住建造物放火罪が成立すると思います」と僕は言った。
「はい。では少し事案を変えます。Aは、ガソリンではなく、灯油をまき、そしてB宅の前で新聞紙に火をつけました。
しかし火のついた新聞紙を灯油に点けることはしなかったとします。この場合、Aには何罪が成立しますか?」と主査は言った。
「はい。Aには非現住建造物放火罪の未遂犯が成立すると思います」と僕は言った。 「うん、そうですか。ではまた少し事案を変えます。Aは家屋に灯油をまいたが、手に持った新聞紙にライターで火をつけることもしなかった。
この場合、Aには何罪が成立しますか?」と主査は言った。
「はい。その場合でも、非現住建造物放火罪の未遂犯が成立すると思います」と僕は言った。
「その理由を教えてもらえますか」と主査は言った。
「はい。Aは燃焼の危険のある液体をまき、新聞紙に火をつけてそれをかざしてしまえば燃やすことができる状態に至っている。
これを理由として、焼損結果に至る現実的危険が認められると考えられるからです」と僕は言った。
主査はそこでしばらくの間沈黙した。
そして「この事例、本当に現実的危険は認められるんでしょうか?」と言った。
しまった、と僕は思った。特に何かをやらかすことなく順調に来ているとばかり思っていたが、気づかぬうちに僕は何か過ちを犯してしまったらしい。
僕は即座に手のひらを返し「いえ、やはり認められないと思います」と言った。僕の手首はよく回る。