昭和時代のゲーム生活ってどんなのだった?
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PCエンジンLTなんてのもあったのだ
後にPSでも同じようなものが出るとはなあ
>>743
GT3でヘアピン入り口の敵車にフルスピードで追突する時は
思わず腹に力が入ったものだ シャトル、SG、GT、LT、アーケードカード・・・PCエンジンの販売戦略ってスネ夫仕様だったな。
無謀というか段々ついていけなくなった。。
1994年秋ごろ、PC-FXが49800円で12月発売の記事を見た時、「こりゃ売れねーだろ」と
古株のPCエンジンユーザーの俺もそう思ったし、ゲーム雑誌のライターからも散々な言われ様だった。
実際、末期のPCエンジン同様、ギャルゲー専用ハードと化し、瞬く間に終焉を迎えた。
その頃、俺はプレイステーションを購入し、リッジレーサーや極上パロディウスだ!等を購入し
悦楽のゲームライフをエンジョイしていた。 Fxは何がしなかったってくらいソフト出てこなかったよね 昭和最後の年が64年=1989年
ゲームハード史でいえば1988の11月にPCエンジンのCDROM~2が出たばかり
だからHuカード以外のPCエンジンネタはスレ違い 昭和64年発売のゲームソフトはこの2本
スペースハリアー
100万$キッド
ともに1月6日発売
同じ日にあの亀田大毅が生まれた
あと声優の三上詩織も 三上詩織ってそんな年なのか
諸星すみれとそっくりの声なんだよな >>753
ついでに
メガドライブで昭和発売のソフトはロンチの4本のみ
>>755
スレが違うけど三上詩織は昭和64年生まれ唯一の声優
あけちゃんこと明坂聡美は1989年1月2日と載っていたことがあったため誤解されることがあるけど
実際は昭和63(1988)年1月2日
つまりDQ3より早く生まれている 声優の話してる奴きもすぎワロタw
誰もそんなの興味ねーからw 魔界村で有名な鎧→裸→骨
ここまで極端な表現も昭和ゲームらしい 昭和62〜63年のファミコン通信を久しぶりに見たら
おまけガバスチケットに「昭和65年1月3日まで有効」とか時代を感じる
まだ昭和が終わるなんて夢にも思わなかった頃
そういえばファミ通出版元のアスキーはギリギリまで昭和表記を貫いていた。
あの頃出版は大体が昭和表記だったけど昭和63年末期は天皇崩御に備えて一時的に西暦表記に切替えてたよね
ファミマガの徳間書店でさえ20号(11月4日号)の時点で西暦表記に切替えていたのに(翌年5号(3月3日号)で平成表記に切替え) 俺よりバカだと思ってたクラスメートの家でファミリーベーシックを見つけたとき負けたと思った
なおそれで何か作っているという話は聞いたことがない そいつの兄弟の持ち物だったのかも知れない 子供の時、父ちゃんが「古本街でファミコンの中古ソフトが売っているぞ」と電話してくれたんで、
そのときにハイパーオリンピック、ハイパースポーツを買ってきてもらった覚えがある。
社会人になって気づいたんだけど、その古本街ってソープ街の近くにあるんだよね・・・。 俺の父親は毎年年末になると伊勢神宮に2年参りにいってたんだよね
なんで何の関わりもない伊勢神宮に・・・とずっと不思議に思ってたけど
近くに売春島あったんだなと父親が死んでから知ったわ・・・ 伊勢神宮は2回に分けて旅行に行った。
外宮・・・作りが明治神宮に似てて正直ガッカリ。
内宮・・・入口の宇治橋と鳥居は有名。・・・奥までやたら歩くなぁ。
その後のおかげ横丁の方が楽しくて食べ歩き。赤福本店やまねき猫が印象深い。 >>611
バンゲリングベイとかリアルタイムで小学生だったけど糞ゲー扱いだったぞ >>639
オバQやキン肉マンはともかく
ハットリくんやドラえもんは名作だろう
ハドソンのソフトは面白かった
バンダイは今も昔もキャラものは糞ゲーばっか >>766
地域によっては違うのは仕方ないよな
自分とこはハットリくんはクソゲーだった
北斗の拳もみんな買ってたけどクソゲー扱いだった バンゲリングベイは当時すげー楽しんでやってたけどなあ…ラジコンもやってたから操作方法にも違和感感じなかったし バンゲリングベイは暇な奴がマイクで叫びだして戦闘機にレイプされたあげくに誘導ミサイル連打されてグルグル回転しながら墜落した記憶しかない バンゲリングベイはCMが凄く面白そうで
コロコロとかを読んでいない自分でも興味を持ったし
周りでも話題になっていた リアルで休日や夏休みなどを使って『バンゲリングベイ 24時間耐久戦』
を実行した人いる? >>766
バンダイってそもそもキャラものがすべてじゃないか? >>753
驚愕の57300円もしたPCエンジンCDロムロムは昭和期発売のゲーム機械の中で実質最高値じゃないだろうか?
59800円のぴゅう太とか更にクソ高なのもあるにはあったけどCDロムロムはあくまで付属機だからPCエンジン本体が必要で
57300円にプラスPCエンジン本体24800円で82100円 家庭用ゲーム機コンプリートガイドという本によれば
輸入価格だがフェアチャイルドのCHANNEL F(77年)が \128,000らしい
次いでアタリVCS(77年)が \94,800
国産ではバンダイスーパービジョン8000(79年)が \59,800
ゲーム機単体ではなく他の機器にくっつけたものでは
NEC PC-KD863(88年)が \138,000
シャープX1Twin(87年)が \99,800
シャープC1(1983年)が \93,000 シャープのC1とかバツイチツインとかは別にそれがもっと安価なもので同じゲームができるから対象外として
アタリVCS、CHANNEL Fは文句なしだけど外国で関税かかってるのを考えると微妙
そうなるとやっぱりCRロムロムになるか
最低本体+ドライブで82100円ないとプレーできない
ぴゅう太とかスーパービジョンは単体では上回っていてもそれだけでいいんだから プラザ合意以前は1ドル250円くらいだったし
輸入製品は関税がない物でも相当に乗せるのが普通だから
馬鹿高いのはまあそんなものかなと
たくさん売る気が最初から無いしね 物品税対策でバラ売りだった(実際は一つでも欠けると使い物にならない)
その後消費税導入で物品税廃止になったため一体化された ファミコン本体が品薄だった時に売れないソフトとの抱き合わせ販売が
横行していた。 件の本によれば任天堂もコンピュータTVゲームという \48,000のハードを発売している(80年)
内容は2人対戦のオセロのみ
アーケードの部品をそのまま使っているため高価になったそうだ オセロやりたきゃ普通に買うわw
ていうか、小学生の時、牛乳瓶の蓋を黒く塗って学校で遊んだ記憶もあるし。
任天堂もそんな試行錯誤な時期もあったんだな。
1983年にファミコンが発売された時も、その時はあまり注目されなかったらしい。
そういう“前科”があったからなのか、他社のゲーム機が色々乱立してインパクトに欠けたのか。
初期の四角いボタンが不評だったのか(めりこむらしいよ)、知らんけど。 それは線引きが難しい話だ
ブームになるような売れ方では無かったけど
売れなくて任天堂が困ったというわけではない
大体全然売れていなかったらナムコが参入を申し込むわけないし 自分が初めて遊んだテレビゲームは、友人宅で遊んだテレビテニス
初めてのテレビゲームの楽しさは、いつも見ているテレビがゲーム機に変わり
自分がコントローラーで動かしたら、それがテレビ画面に反映されるという点だった
まー、さすがにテレビゲームでわざわざオセロをして楽しいかどうかは怪しいけど ファミコンブームは、ファミコンを遊ぶ子供たちから発生したんじゃなくて
ファミコンというゲーム機に魅入られたゲーム開発者たちから生まれたんだろう 初ゲームはギャラクシアンだったのう
幼稚園の頃、友達の家にあったMSXのやつ
>779
仮面ライダー倶楽部はパスワードがあれば佳作だった 俺の初ゲームはスパカセのパンチボーイだった
FCにスーパーマリオが出るまでは
Mk3やスパカセも健闘していて混沌としていたよ 俺の初ゲームはつくば万博を見に行くために泊まった土浦のいとこの家でのハイパーオリンピックで、1985年8月12日だった
なぜ日付まで覚えているかというとこの日に日航ジャンボ機が墜落したから >>787
仮に売れてなかったとしてもハドソンは参入してただろうな
当時ハドソンはありとあらゆるハードでゲームを出していた
ただ自社ブランドで出すかはわからない >>792
当時、大々的にニュースでやってたらしいが
その時、小学生の俺、それが全然記憶にないw
基本的に勉強そっちのけでファミコンのことしか頭になかったし、
テレビは殆ど観なかった。
両親揃ってたけど、あまり口をきかなかった。
とくにファミコンに夢中になってから親父とは険悪ムード。
友人も殆どおらず・・・って書いてて虚しくなってきた (´·ω·`)。 高いゲーム機というと平成の話だが FM TOWNS Marty という印象
当時パソコンのことは解らないがエロゲーがやりたい層の注目を集めた
あんなの全然売れてないだろと思われるかも知れないが国内における現在の XBOX One の半分の普及台数はある 平成期になると昭和期では高すぎな部類だったのが一般的になってきてた
一般的に普及したプレステが39800円、セガサタンが44800円みたいに
だから同じ25000円でも平成6年のプレイディアと昭和62年のPCエンジンは感じ方が違う エロゲーの移植は家庭用だと声が付くとなった時代が華で
パソコン版で最初から声が当たり前の時代になったら
オマケ目当ての人くらいしか買わなくなっちゃったね 今よりははるかに楽しい小学時代だと思うよ
ファミコン、ラジコン、野球、ヨーヨー、ぱっちん、
ザリガニ釣り
1年も6年も入り混じって遊んでた
ゲームは対戦ものばかり集まってしてた
我が子を見てるともっとみんなと遊べと思う >>796
プレイディアはスーパーファミコンバリの値段でCR-ROM搭載を実現した
その代償としてゲーム機としては2世代落ちの8ビットという低性能に甘んずることになった >>799
小5か小6くらいだったかなあ…ラジコンバギーのブームは本当に楽しかったな。ホーネットが品薄で買えずにマイティフロッグ走らせてたのもいい思い出だわ。 >>861 ヒロボー派のワイは異端やったな、周りはタミヤか京商 >>801
今はコンピューターありきだけど
昔は色んな娯楽があった >>803
今でもない訳じゃないけどな。でもベイブレードとかあまりにも売る側の売りたい意図が透けて見えるのがちょっといやらし過ぎてなあ…子供達もそういうのが薄々わかっちまうんじゃないのかね。 新しいウルトラマンなんかオモチャのCMにしか見えなかったけど
金稼がないと映像は作れんしな 話をゲームに戻すけど、小学生の頃に出たスターラスターはすげーハマったなあ。居間の電気を消してパイロット気取ってプレイしてたら母ちゃんに「目がもっと悪くなるだろ!」と怒られた思い出。
「今、戦争中なんだよ。パイロットなんだよ、オレは」と言い返したら「はんてん着てパイロットかいw」と返された。 昭和時代メガドライブが唯一の16ビット機みたいに思われがちだけど
ぴゅう太とか16ビットなんだよな >>800
左へ行くの!悟空!ってCMしか覚えてないや
よく行くスーパーで5台ぐらい入荷してて気の毒だった
バンダイはピピンも惨敗だったなあ インテレビジョンも16ビットで、ビートたけしがCMに出ていた
バンダイから1台もらって遊んでいたのかも知れない
たけしの挑戦状が制作されたのもたけしがファミコンに熱中してたのがきっかけらしいし インテレビジョンも16ビットで、ビートたけしがCMに出ていた
バンダイから1台もらって遊んでいたのかも知れない
たけしの挑戦状が制作されたのもたけしがファミコンに熱中してたのがきっかけらしいし >>808
そのプレイディアの前身機こそ昭和時代に発売された「てれびっこ」 昭和天皇が崩御された時、小学校の冬休みだったんだけど
戦争を始めとする白黒映像ばかり流れてテレビが全然つまらなかった。
こんな時にファミコンは絶大な娯楽だった。 昭和天皇が崩御された時、小学校の冬休みだったんだけど
戦争を始めとする白黒映像ばかり流れてテレビが全然つまらなかった。
こんな時にファミコンは絶大な娯楽だった。 崩御の時
レンタルビデオがほぼ全部貸出中だったの覚えてる 申し訳ないけど子供にとってはどうでもいいことだったもんなあ 一家に一台しかTVが無かったので
ファミコンでTVを使わせてくれる時間は限られていたっけ 戦争の記録映像は退屈に感じるのに、戦争のゲーム・映画は面白く感じるのはアクション性と関係しているんだろうな ミスリリアの杉本理恵と
ミス優子の宮本とかいう人と
ルーラという名前でドラクエの曲に歌詞を付けた物を歌ってた女二人組
みんなどうしてるんだろう
杉本理恵だけはしばらくクイズ番組やドラマで見たけど、暗そうな奴だなあという印象だった 田宮が、カエルがサソリ(京商)を食うってフロッグをスコーピオン打倒でだしたんじゃなかったかな 昭和時代は童貞だったけど、平成で卒業。令和でも元気だ。 DTじゃないけど未だに独身。
親になるってどんな気分だろう?と時々思う。
にしても子供の頃の自分って本当にクソガキだったな、としみじみ思う。
よく親に寝首を掻かれなかったもんだ。 ドラクエ3で仲間を登録して
Lv1から育てて、適切なタイミングで転職させ
勇者よりも活躍していないか?と悦に浸る感覚は我が子の成長を見守る感に近いと思う
俺はDTだが。 ゆうしゃはレベル99になったら完成。おしまい。この先何も無いケド、
一般人は何回もレベル99までの道のりをやり直せるのヨネw 最近、女のほうが肉食化、ビッチ化してきてDTのほうが
逆に希少価値、清純、非DTより格上のような風潮になってきてる気がしてならない。
「DTも守れない男に何も守れないんですよ」 昭和のRPGとえば「最大レベル=99」がまだ常識じゃなかった 最近女子大生とHしたけど、バイブを使ってとせがまれた。 ウィザードリィとか上限はない
まともプレイすればその前に寿命で死ぬけど
というかカンストという処理がないので
能力が上がりすぎると却って弱体化したりバグでロストする >>832
おおおすごいなそれは
16進数でループしちゃうんだっけ そういうコンピュータ都合のバグって好き
バキュラが256発で壊せるのもそういうことだよな ゲゲゲの鬼太郎2は最高レベルが10で
これはこれで理にかなった仕様なんだけど
スーファミ世代以降の人に話せば「何だそれ」となるだろうな >>834
256発と言えばスターソルジャーのルイド(ソープラン)もレーザー256発で破壊できるとかいう噂もあった
これもガセか? >>831
ミネルバトンサーガはレベル200まであった。ちなみに、クリアは150位あれば可能。 弁慶外伝はレベル50で打ち止めだが、表示が「極」になるのが良い ファミスタをはじめ昭和の野球ゲームは打力・走力の概念しかなくて梨田、山倉、八重樫といった実在のキャッチャーが不遇だった。
大抵ハナっから代打を出されて出番なく引っ込むハメに
そんなゲームに慣れて実際の野球をあまり知らない当時の幼い子供たちは父親がプロ野球の中継見てると
打席に八重樫がいて「代打で若松出せばいいのに」なんて言ってたことだろう。
実際の試合でそんなことしたら当然走られまくるしピッチャーの投球は捕りこぼしまくるわで何十点取られるかわかったもんじゃなくなる 初代ファミスタのGチームは、自分の周りでは王を山倉の代わりに入れる派と不甲斐ないタツノリの代わりに入れる派といたんだけど
実際は松本と変えるのが一番効果的らしいね 現実の野球が好きだったから
非現実的ないじり方はしなかったなあ 初代ファミスタはレイルウェイズだな。
デービス、ブーマー、石嶺、門田の打線は凄すぎた。 >>843
そりゃ3球団も連合してるんだから強いはず
87で阪急だけがブラボーズで独立したもののそれでも2球団連合でなかなかの強さ
フーズフーズは2球団連合ながら最強の落合がいるというのはでかいが87で一気に弱体化
あの伝説的4:1トレード 落合⇔牛島・桑田・平沼・上川 が反映された87だけど
ゲームでは牛島だけで、しかもデモのみ登場のオリエンズを含めても上川の2人しか出られなかった パ・リーグの独立球団が西部だけで、残りはまとめられたところが、哀愁を感じるな。
あの頃のパ・リーグは試合を見に行ってもほとんど客が入っていなかったしな。 >>845
当時のパ・リーグ事情を反映したゲームといえば究極ハリキリスタジアム(昭和63年6月発売)もそうだった
いつもなら大差がつくと客席がガラガラになるのだが西武以外のパリーグ球団同士のカードにするとハナっからガラガラ
因みに、その年の10月19日に川崎球場で近鉄の逆転優勝のかかったダブルヘッダー(通称「10.19」)があった
いつもならロッテのホーム川崎球場は3万人収容なのに千人すらいない(一応発表は3000人)閑古鳥球場なのに
この日はスタンドはもちろん満員御礼で球場わきのマンションにまで群がるほどだった
その年の12月出た88年選手バジョーンではそれを反映してか「このカード次第ではハナからガラガラ」はなくなった ファミスタは1試合10分から15分で終わるから偉いよ ベストプレープロ野球もそのくらいで終わる。
テンポが大事だというのがよく分かっている。 今の子供がファミスタを見たら「デブしかいねーじゃんw」で終わりだろうな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています