山田芳裕 『ヘうげもの』 追憶之席 一
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そうか、こうやるのね。
己の理想の実現の仕方は。
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最終巻で汚職がばれてるー カレーを消化器不全の公家に食わせても、死を早めるだけだろ あの時、臭いから麻袋に詰め込まれて海に捨てられたのじゃないのか? 23巻で木下勝俊に明智光秀の様になったら惜しいと言われて想像した南の島で茶を点ててる画像みたいな最後を迎えたと信じてる 織部が最後の最後まで己の望むまま力いっぱい生き延びたのを確信させつつも断定はさせない近年まれな良エンド 接待の歴史を調べると、信長が色々と新機軸を導入したのは事実なんだそうな
暖かいものを食べさせようとか、綺麗な器を使おうとか 腹に刺してるし最終席で三斎殿と宗箇殿が言及してるから個人的には果てた派
でも堺と南国に数奇を蒔いてったのは秀頼かヒゲ嗣かわからんね
大穴でマニラ追放途次の右近殿だったりして >>26
それを南蛮船か唐船か松浦船に拾い上げられる >>24
ごく少量だけ食べさせて食欲だけでも回復させる延命効果 力んでるところに笑いを誘うとお思いか?
笑わそうという意図が露骨で丁といったところだろ >>39
俺はレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」
右近殿が喜ぶか怒るか 沖縄から先はマニラに右近の墓参りに行ったんだろうな
ルソン北部にある棚田は織部がつくらせたことにするのかな? ノッブとヤッスは隣同士で影響もうけてただろうになんであんなに数寄に理解が無かったんやろ へうげの設定だしなー家康が数寄に理解ないっていうのは >>42
Wikipediaですまねえが解説よんだら
使徒どもの人間くささというか大袈裟な身ぶりが一笑を呼んでしまってな 新約聖書もひょうげているところが案外多いぞ、使徒たちの力関係が生々しい 耶蘇教を押し付けるスペイン人がのさばっていた当時のフィリピンは、そんなに楽しいとこじゃなかったと思う
沖縄だって庶民は極貧だった >>44
ルソンの棚田は2000年前から存在してたでござるよ 小堀遠州 公金横領も髭どのが始めた事で、自分は真似しただけです。 ゲヒは死んだのかもしれない
生きていたのかもしれない
あれはゲヒだったのかもしれない
違うかもしれない
小堀は横領してたかもしれない
してなかったのかもしれない 1万両とはさすがにスケールがデカイナ
よほど立派な師匠がいたんだろな 有名な茶人には茶器泥棒の逸話がついてまわるけど、公金横領疑惑は頂に立ってる感がある 茶器とか書とか硯ガメたって話は笑えるけど
公金横領とか生臭さ過ぎて引くわー コボちゃんちは第7代小堀政方が伏見騒動を起こして改易
その罪は11万両の公金横領なのであった 現代のへうげ者・オタキングが取り上げて語ってる・・
ttps://www.youtube.com/watch?v=6ijFoUAXmAQ >>46
史実の家康も芸術方面には全く興味持たなかったからねえ >64
家康は能に通じてたし小袖も自分でデザインして江戸時代の衣装にも影響を与えてますけどね
芸術より実利を優先してる部分があるからそれが拡大解釈されて語られてる >>64
若い頃は洋物の鎧付けてたり結構関心はあるんだぜ
公家文化大好きなとこに幼少からいたし素養はある
家康が本当に酷いのはネーミングセンスや はがねのよろいなんて日本古来からあったのか?
木と革を漆で固めたものに、いわゆるスケールメイル的な金属パーツつけたくらいじゃないか すまん見つかって読んできた
専ブラのスレタイ検索じゃかからなんだわ 75じゃないが、へう、で検索してもなぜかひっからなかったな 「へ」うげの「へ」がカタカナの「ヘ」だからね
板開いてタイトル検索でも無理だったんでよく見たら・・ 同じ屁でもへとヘとヘは違うのです
お忘れ無きよう
そこで乙を垂れた>>1様に一服差し上げまする ( ^^) _旦~~ 南蛮鉄製の南蛮胴は粘りがあって薄くても大きく凹んで銃弾を受けとめるとか
家康の南蛮胴には数発の弾痕があるけど試し打ちして貫通しないのを確認した跡だそう
国産の胴は硬くて割れ易い上に短冊状の板を連ねる構造なので矢には充分でも銃弾は貫通しちゃう NHKの歴史番組では関ヶ原の勝利は家康が南蛮胴を着ていて小早川秀秋がすごいと思ったから、というすげえ陳腐な説を出していた
へうげじゃふんどし一丁で島津の突撃に脱糞射精していたぜwww 伊達政宗の鎧は重量20キロ以上もある重厚なもので銃弾を止めるというけど
別にふんどし一丁でも弾に当たらなければどうという事はない… なんでへうげものでのスレタイ検索でこのスレ出ないんだろう まあふんどし一丁だろうが南蛮胴だろうが松尾山にいる秀秋には見えないだろうけど >>66
へうげヤスならレシピ知ったら自分でカリ作りそうだ
材料のほとんどが漢方薬だし カリは玉ねぎが入っていないのであまりうまくなさそう 玉ねぎは江戸時代日本にはなかったの?
明治の海軍カレーも、玉ねぎでなくネギが入ってた 明治までないよーネギならあるけど、17巻で出ていたカリのレシピにはウコンと鶏肉と山椒はあったけど
ネギはない 日本の、しかも砂鉄原料の鉄が、輸入の、鉄鉱石原料の鉄よりも必ず優れているというのは、思い込みでしかない >>93
補助金獲得したい刀鍛冶の残党の手先が言い出したデマ 玉鋼って明治に言い出したけど、古法とは作り方も原料も実は違うってGoogle先生が言ってた
wiki先生は陸軍や海軍に卸すために作った商品名の可能性もあるって書いてた
またロマンが1つ消えたよ 材料工学の先生は玉鋼なんて不純物だらけで性質が一定しないダメな鉄って言ってた
でも古建築に使われている古代鉄の釘は一様に高純度で曲がらず折れない良い具合の焼き入れが入っている
江戸期の釘は芯まで錆びてボロボロになるけど古い和釘は表面しか錆びないので再利用が可能
どこかで技術が途絶えちゃったんだろうねえ 古刀の研究家によれば江戸時代に南蛮鉄が枯渇するまで日本刀には南蛮鉄が使われておりそれが無くなったから仕方なく国産の玉鋼を使い、折り返し鍛練方を始めたと書いてあった…ような ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています