プログラミングを学ぶ最も良い方法は音読である。

音読とは、紙に打ち出されたソースコードを声に出して読み上げる行為だ。
一見、ものすごく無駄に見える。
声に出さなくてもいいのになぜわざわざ音読するのか?

でも考えてみて欲しい。
なぜ小学校では教科書の朗読があるのか。
朗読とは、教科書に書いてある文字を声に出して読み上げるのである。
ひらがなだってカタカナだってそうだ。
声に出さなければ、身につかない。
もしも、文字を一度も発音することなしに文字を読めるようになったとして、それにどれほどの意味があるだろうか。
英語もそうだ。
アルファベットを口に出すところから全ては始まる。
外国語を学ぶときに最初にやるのはアルファベットの読み方を知ることであり、
その次にやるのは単語の読み上げであることは言うまでもない。
であれば、プログラミングという「言語」を学ぶのに音読が最も有効なのは自明ではないかと思う。

しかし、プログラムの場合、ラクが出来てしまう。写経が出来てしまう。
でもそれではちゃんと学べたとはいい難い。
以前、とある巨匠に「どうすれば歌がうまくなるんですか」と間抜けな質問をしたことがある。
答えはあまりに簡単だった。
「歌うしかないよ。寝ても覚めても歌うしかない。歌わないやつはうまくなるわけがない」

プログラムも同じで、うまくなろうと思ったら読むしかない。
最初は目的にもなしに書くことはできないから、まず音読する。
それだけでも十分意味がある。
音読を繰り返して、一通りのプログラムの構造を学び、プログラム勘をまず鍛える。

次に、自分の表現したいことをプログラムで表現する。設計して、実装して、失敗して、再設計して、また実装する。
その繰り返しでしか、上達する道はない。
https://wirelesswire.jp/2018/06/65757/