将棋棋士とかこの元ハガキ職人とかマジでスペックや努力の使い方もったいないな
デイトレでこれくらいストイックにやってたら億るのくらい簡単だったろうに・・・

大喜利だけが生きていることを実感できる場所だった――“伝説のハガキ職人”ツチヤタカユキが戦い続けた“カイブツ”の正体
https://nikkan-spa.jp/1294189

1回の生放送で30万件もの投稿が寄せられ、採用確率はわずか1万分の1。そこで彼は、番組で読み上げられたネタをすべてノートに書き写し、
ボケを13個のパターンに独自で分類した。高校卒業後はフリーターをしながら、1日に100個ボケを出す練習をし、その数はやがて500個、そして1000個へとエスカレートしていく。

ツチヤ:ただやみくもにやってもダレるだけだと思って。中学時代にゲーム廃人だった時期があるので、経験値を集めたらレベルが上がっていくように、
「何個ボケたらレベルなんぼ」みたいなんを設定したほうがモチベーションが上がったんですよ。
20歳でバイトを辞めて、投稿だけに集中するようになってからの1年半で、最終的には1日2000個のボケ出しをするようになっていました。

その異常なストイックさで、5秒に1個のペースでボケを生み出せるまでになったツチヤ氏は、21歳で見事「レジェンド」の称号を得る。
だが、それと引き換えに「大喜利をしている時にしか、生きているって感じがしなくなっていた」(『笑いのカイブツ』P.22より)という状態へと追い込まれていく。
やがて、活動の場を雑誌やラジオの投稿コーナーへと移した彼は、さらに研ぎすまされた“大喜利廃人”へとなっていった。

ツチヤ:毎朝、イオンのフードコートでチラシの裏にボケ出しをしたら、帰りは図書館に寄って、純文学から詩集、戯曲、伝記や雑誌まで、あるものは何でも読んでました。
ボケ出しするたびに、自分がからっぽになっていく感覚があったので、本を読んで吸収しないとボケが出せなくなるという恐怖があったんです。
中でも、岡本太郎の本は常に持ち歩いて毎日読んでました。誰からも理解されない生き方を、彼だけは肯定してくれている気がして。

生活のすべてを投稿のために費やし、ハガキ職人を始めて半年で、ネット検索すれば名前が話題になっているほどの有名人になった。
『週刊SPA!』の名物コーナー「バカはサイレンで泣く」(バカサイ)でも、もちろん常連投稿者だった。

ツチヤ:「バカサイ」は、傾向としてはベタ系とシュール系、発想センス系のちょうど真ん中ぐらいなんです。もう少しシュールに寄ると『週刊ファミ通』の「ファミ通町内会」で、
そこに下ネタを足すと『オードリーのオールナイトニッポン』みたいな。ただ、当時は『ファミ通』に優先的に投稿してましたね。
採用されるとガバスっていうポイントがもらえて、いろんな商品と交換できるんですよ。貧乏だったので、ガバスを貯めてゲーム機もらって、それを売って生活費にしてました。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:847cfeaf6f31691a42c25abc56bd4433)