最後にまとめておきますか。

当時の光景というのは、ふたつの段落に書かれてるんだけど、第一文には「という」とあるんですよ。
「という」がないところも、略されているとみるべきでしょう。傍線部も、
農業が盛んだったころの・・・残っているのだ「という」。
と補うべきとも読めますね。そう読めば、話はもっとはやいのですが、まあ、無理にそう読む必要もありませんが。

そしてここでわかるのは、あの光景というのは、筆者(馬場あき子)がだんだん構造をみて自然に筆者の目の前にみえてきた光景では ない ということですね。だれかから聞いた光景なわけです。

誰から聞いたの?

考えられるのは、
1,山羊小母
2,山羊小母の息子
3,筆者の父
4,郷土史家など郷土の民俗にくわしい人
5,村人
6,誰からともなく
7,つう禍

くらいですかね。

で、内容をよく読むと、様々な季節の光景が、まるでその場にいて自分で見ていたように描かれているわけです。片膝たてていたとか、隠居の老人は口少に控えめとか。

自分で見ていたように?
もうわかりますね。