今じゃ考えられない昭和の生活◆84
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
。 。 | チャンネルも電話もラジオのダイヤルも |
\ / | 車のウィンドーも回すものだぞゴルァ!! |
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|:::::|| ̄過去ログ ̄|(ii)| ∧∧ )ノ
|:::::|| .>>2 |(ll)| (,,゚Д゚)⊃=ムo ジーコ
|:::::||_ .>>3__|::| ノ ⊃ 。_。§ ジーコ
. ‖‖  ̄ ̄ ̄ ̄ ‖‖ とと,_, )) /(=)ヽ
 ̄ ̄
【前スレ】
今じゃ考えられない昭和の生活◆83
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1512905717/ ⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡≡≡
気合いいれて突入しろよ 高度成長期の日本の状況
・ハワイが一生に一度いけるかどうかの夢の国
・パイナップルの缶詰がぜいたく品
・うなぎ、マグロ、牛肉は庶民の口にはめったに入らない
・お菓子といえば、焼き米、かきもち
・川は公害で真緑色、海は赤潮で赤色。背骨がグネグネの魚が取れる
・発がん物質DDTを頭からぶっかけ。今は使えない危険な農薬も使いまくり
・公害病が各地で大発生、交通戦争、受験戦争
・バリアフリーなんかなく、障害者になったら一生病院か蔵の中
・中共の気違いがぼかすか原爆の空間実験をしていたから雨に濡れると頭が禿ると親に叱られた
・人さらいが横行してたから5時過ぎまで外で遊んでると「サーカスに売られてしまうから」という理由で親に殴られた
・どぶ川はメッキ工場の青酸廃液できれいなエメラルド色がデフォ
・ソーセージ工場からは肉の生残滓がものすごい蒸気とともに排出されて即腐敗
・とにかく街中工場排煙とドブ泥、腐敗臭が満ちていた
・クラスに2−3人は小児喘息をかかえた同級生がいた
・ジュースの素はなぜか陽の光に当てると色が消えた
・電車に乗ると超汗臭いオヤジが必ずひとりは乗ってた
・はしけから通っている水上生活者の同級生がいた
・上野不忍池の畔にはぼったくり屋台のおでん屋がいた
・大人もヤクザが怖くて馴染の店以外は夜飲みに行けなかった
・川崎球場はガラスでできた1合瓶が後ろから飛んできて普通のサラリーマンが殺し合いのけんかをしていた
・おとなは戦争で人を殺した経験があるやつがうようよいたからけんかはいつも殺し合いのようだった
・集団予防接種の針は使い回し
・ビルの基礎工事で昼間は杭打ち機が一日中コーンコーン
・台風が近付くと大概は停電もセットで発生
・国鉄はほぼ毎年ストライキで運休する日があった
・ほとんどの家は木造平屋、プロパン、トタン屋根も非常に多い
・下水がないので、バキュームカーというウンコ収集車が定期的に来る
・空き地が多く、危険な薬品や資材などが雨ざらしなってて子供がそこで面白がって遊んでた
・野犬がうろうろしていて襲い掛かってくる 予防注射の時、使い終わった注射器を同じ部屋の隅で看護婦さんがグツグツ煮てた記憶がある.. 流石にウンコは流さなかったけど風呂洗面や洗い物の水は前の溝に流してた。 洗剤を使わなかったので、牛馬や豚や鶏に飲ませてた所もある。 >>9
路地で遊んでると向かいの家の勝手口からおばちゃんが鍋抱えて出てきて
側溝に油をザーッと流してたわ >>6
採血はさすがに昭和の時代でもプラスチックの使い捨て注射器使ってたよ
薬を注射する時に使う注射器はガラス製で、洗って滅菌消毒して何度も使ってた
針は勿論使い捨てだけどね
真空管採血キットが登場したのは平成だな >>12
注射器、1人に使って煮沸じゃなく、針だけ変えて3〜4人使い回してたと思うんだが。 そういや犬を鎖に繋いで犬小屋で飼う家って最近ほとんど見ないね テレビ東京でやっていた空飛ぶモンティ・パイソンは面白かった。 昭和50年頃までビールは夏にしか飲まないもんだったと思う。
冬でも当たり前にビールが売ってて
冬仕様のビールのコマーシャルを流すように
なったのは1980年代以降かな。 >>15
ミドリブタパックで声だけ聞いたタモリの姿を始めて見たのがモンティパイソンだった。 ん? テレ東じゃねーよ、東京12チャンネルだったよまだ。 >>16
ビール冬物語とかあったねえ。
CM初めて見た時は「ビールを冬に飲む訳ねーだろ」とか思ったけど、今は普通に冬でも飲むね。
何が変わったのかな。 >>20
家の作りと部屋の暖房が良くなったんだよ。
むかしの日本家屋は隙間だらけで寒くて冬になるそんな冷たいもん飲めんかった。 コーラ、スプライトの1リットルのビン
あれ集めて酒屋に売りに行ったわ >>14
人通りの激しいところにつなぐと、ひっきりなしに人が通るストレスで吼え癖がついたり、毒を盛られたり
盗まれたり悪意なしに骨つきの鶏唐揚げをやられたりするから、人目につかないところにサークル状の
小屋を置いたり玄関にケージを置いて飼ったりしてます。 >>21
アイスも冬に食べるものではなく、冬になると冷蔵ケースを片付けてしまったり、封印している店がおおかった。
代わりに活動するのが、中華まんのスチーマー。
大型の家庭用冷蔵庫が普及するまでは、アイスは買い置きするものではなく、買ってきてすぐ食べるものだった。 辺境の別荘地兼新興住宅地では犬の放し飼いが多かったな。
猫みたいに九官鳥を襲わないし、 よそ者が来たらお友達と吠えてくるし、真っ昼間から道のド真ん中で盛ってるわで。。
縄張り内の住民だと理解すれば途端に態度変える。
メスの避妊オペ跡以外は幸せな一生だった。 >>25
レストランなどに行くと、ソフトクリームなら通年商品だったりした。
以前書いた、「現代っ子最年長(昭和28年生まれ)」の人は、還暦過ぎてるのにソフトクリームやシュークリーム
をなんの抵抗もなく食す人なんかもいて、テレビアニメの視聴習慣同様、子供時代にこういうものを食べる習慣が
ついちゃってるんだなあと思った。
うちのマッマの弟妹でも、団塊世代である末っ子だけは、漫画週刊誌を読んだりアニメを見たりする。 そういや、あのソフトフリーム立てる台って最近見かけないね。丸い土台の上に細い鉄棒とか鉄板丸めたのとかでコーン受けるところがついてるヤツ。 >>21
マンション → 郊外の一戸建て → マンションと住み替えてきたけど
平成の世でも一戸建てのときは10月頃から3月頃まではビール呑まなかったわ
一戸建ては寒すぎるし全室暖房にするには金が掛かりすぎる >>25
北海道は昔から室内暖房がいいから
冬にアイスを食うのは当たり前だったな >>31
道産子に言わせれば「内地の家は寒い」ってことになるもんね。
あのクソ寒い旭川から来た子が言ってくらいで。 夏に北海道へ行って電車に冷房がなくて暑かったと同じ話か 道民だけど、マジそうだよ。
外は厚手のダウン。
家の中はTシャツとか。 夏に北海道へ行くと、すぐに冷房をかけるので寒いよ
冬に北海道へ行くと、すぐに暖房をかけるので熱いよ 30年ほどまえに4年ほど札幌に住んでたけど本当に暑いと感じるのは7月末〜8月上旬の2週間程でクーラーがあるのもコンビニとか百貨店スーパーくらいだった気がする。
でもその頃は関西に居ても普段はエアコン無しの生活してたからかも。
確実にあの頃の夏は今より涼しかった。 >>36
70年代は寒い夏
80年代は暑い夏
90年代は熱い夏
そんな気がする >>13
戦後すぐはそんな感じだったみたいだね
昭和50年代には、針だけじゃなく注射器も一人ごとに交換してた
でも手指消毒用のベースンは平成になるあたりまでずっと使いまわされてたな
診察室に置いてあって、横にタオルかけが付いてるアレ
だんだん消毒液をプッシュ式で1回分ずつ出して手を消毒して、
使い捨ての紙タオルで拭くやり方になっていった 小児用て小さくて複雑な割に数でないから医療用品も薬も割高だったりそもそも専用がなかったりして大人用を計量し直して使ったりしてる
ワクチンの嵐とかで医療費高いと一番文句言うの案外若い母親なんだけど国は考慮してくれない
最近だよ公的負担でとか無償化とか
子どもは暴れたり泣いたりだからなだめたり抑えたりして処置に倍手間かかるし急変したら障害や後の影響が怖いのに、
診療報酬は内科の3分の2以下だから貧乏診療所が多い
それで24時間対応病児保育したら加算しますって普通の保育所も人手不足なのに回るわけないだろう
昭和の頃は医者は聖職でモンスターペアレントも少なく尊敬されていました
今は楽して儲かる、コンビニと変わらないサービス業だと思われています >>40
>大人用を計量し直して使ったりしてる
医者からもらった錠剤を包丁で半分に切って飲んでいた覚えがある
その後、カプセル錠が出てすごく便利になったなぁと感じた >>29
あれ懐かしいな〜。
デパートの大食堂に必ずあったよね。 >>42
そういえばソフトクリームスタンド見かけない…
探したら楽天に売ってたので絶滅はしてないらしい 粉薬なんか、薬剤師さんが一回分ずつ秤で測ってパックしてた。
今は体格とか症状の強弱によって、同じ薬でも容量の違う錠剤が何種類もあるけどね。 C型肝炎ウイルスがまだ見つかってなくて
C型肝炎は「非A非B肝炎(のんえーのんびーかんえん)」
と呼ばれてた
エイズも、ウイルスが見つかるまでは「同性愛者への天罰」みたいな扱いだった 見かけなくなった器と言えば喫茶店とかで
カレーライス頼むとカレーが別になってて
銀色の脚付きの器に入ってきた。
今だとステーキのソースを入れてる器に似てるやつ。 そういうところのカレーって、なぜかスプーンを水を入れたコップに突っ込んで
出してくるよな。あの意味わかんねえ。スプーンを水で冷やしているのだろうか。 当時のカレーってドロッとしていたから、
口に含んだときの滑りを良くしようと思ったとか?
推測にすぎないけど >>49
それ、関西が主流みたい。
うちの方(南関東)じゃ、スプーンを紙ナプキンで包んで、首のあたりをねじって止めてる。
カレー以外は包まず出てくる。 >>48
高いホテルのレストランなどでは、ごく普通に今でもあるが ガキの頃に行った仙台市役所の食堂がカレーにグレイビーボート使ってた
今では決してそんなものは使ってない 流れを断ち切ってすみません
昭和の頃というか平成ひとけたまで
小中学校の名簿というか出欠簿って
アイウエオ順で男子が上、女子が下だったです、なんで男が上かはわかりません
今の男女混合名簿って下の名前読んでも、男か女かわからなかったりしませんか?
そもそも名前があて字すぎて読めない
私は、元教師です 根本的な話として、これは人の名前なのか?ってのも多いし、わかんないよね。 >>56
俺の出た学校(市立)は、小中学校では、男女別なうえ、誕生日順だった。
4月と3月生まれじゃ1歳近くから、心身の発達度、席の前、後ろを決めたり、身体検査や予防注射、で含みおきが必要で、全国でそうだと思っていた。
児童側も誕生日が近い子がわかって便利だったりして、デメリットが見つからなかった。それでいじめや差別もなかったし。
男が先で女が後なのは同じ。
男性社会で、女のみちとは、ほとんどが生家、名字を捨て主婦として従属するものだったのか、誰も異論を唱えなかった。
高校(県立)は、五十音順、男女混合だったけど、浪人が考えらルから?と思い、かえって不自然に思えた。 >>56
キラキラネームの効用は教師が名前見るだけで親がDQNであると分かる事らしいよ。
中学教師の義妹が言ってた。 昭和のベストセラー「気くばりのすすめ」も「忖度のすすめ」にすれば、短くキマり、耳慣れない単語に注目も浴びたのに、鈴木健二て語彙力ねぇよなw >>56
子供の囲碁大会で、あるクラスの担当になったとき、最初に「名前はなんて読むの?」と確認して対戦ガードにふり仮名つけた。
「力か、つとむ?ちから?」「りきです」
「海人か、かいと?」「あまお!みんな間違えるんだもんなあ!」つっこまれだらけ。
でも表彰式のときに全員の前で「桜花、おうかくん?え、えみかちゃん?」とやらかすよりは最初に確認してよかったと思う。
ほかのクラスはこれ多発だった 最近は昔ながらの名前をつけるのが少しずつ復旧しているそうで。
少なからずイチローのおかげでもあるんだろうな 親戚の子で のあ ちゃん♀ がいる
プロレス?
パトレイバー?
って感じで由来を聞かれるそうなのだが
ブルーノア? って聞いたのは俺だけだったそうだ。
ってマニアックな昭和アニメネタ スマン >>56
確かそうだった
県によって違うらしいけどうちの県は義務教育期間は男女別+誕生日順
高校は男女別+五十音順だった >>60
マジレスすると、忖度って推察って意味でしょ。気配りとは違う。 小学校の理科では毎年何かの植物を育てさせられた
観察日記つけたりしてた
1年朝顔 2年ヒマワリ とかはわかるが
3年のヘチマって何だったんだろう
たいして綺麗でもないし何の役にも立たなかったよな >>68 へちま水をとって、母親へプレゼント
実は川で腐らせて繊維質だけ残してへちまたわしをつくる
って所までやらんとな ヘチマといえば、うちの兄はタワシを作った覚えがある。
ヘチマ水とか葉っぱを薬にするとか、使える人にとっては重宝する印象はある。 >>68
雄花と雌花が分かれていること、ヘチマ水で根の吸水力が理解できること、という理科的テーマがある。
四年生のジャガイモは栄養生殖がテーマ。 >>71
あー、ジャガイモ作ったわ
最後にはカレーになった 学校の近くの土地を借りてクラスごとの農園があったな
近くの田んぼで田植えもやった
今では家が建ち並び田んぼや空き地がなくなった 小学校の朝顔、ひまわり、ヘチマは全国区なのかね
何年生か忘れたけどヒヤシンスの水生栽培、もやし栽培もやった記憶がある >>75
ヒヤシンスは二年生の時にやった記憶がある。 >>75
クンニリングスは六年生の時にやった記憶がある。 朝顔、ひまわり、へちま、じゃがいもとそこまで同じ。
5年でイネをやったな。
まず,シャーレ内で種もみから発芽させたけど、ほとんど
育たなかった。 2年でホウセンカとオシロイバナとあとなにかひとつやった覚えがある。 >>74
昔に比べて本当に蚊が減った。
昔は蚊取り線香かベーブマット炊かないと寝れなかったけど今は蚊がいない。
田んぼが家の周りにほぼなくなって溜池や溝もなくなったせいだと思う。 そういや去年の春に駅と直結してるマンションに越してから
ベランダの土埃も蚊も無縁になったわ
月一くらいでベランダの網戸掃除しても全然雑巾が汚れない >>51
看護婦から看護師に名称変更されたのは平成14年なので
平成の看護婦もまだまだ居るけどね
名称変更になった時は面倒だったなあ
別にナースの側から看護師にしてくれなんて全然言ってないのに
上の方で勝手に決めてお金はいっさい出さない
名札やら書類やら婦長室のプレートやら交換する経費は全部現場で負担
管理部も下っ端も文句たらたらだったよ 正月に親戚一同集まって同世代のイトコ同士で同意したこと。
「今の時代の小学生でなくて良かった」
英会話授業、体育でダンス、教材の重量化、
自分の生い立ちと親への感謝を披露する1/2成人式 >>86
>英会話授業、体育でダンス、教材の重量化、
>自分の生い立ちと親への感謝を披露する1/2成人式
こんなことよりもっとほかにあるだろw
・ゆとりじゃなくてよかった
・ネットやスマホがなくてよかった
・キラキラネームじゃなくてよかった とか 昔の小学生って藤子漫画に出てくるのび太見たいにノンビリした生活してたよな。
冬になったら凧上げして春は川で魚やカエル取って夏は海行って遊んで秋は刈り取り終わった田圃近くの土手に穴掘って秘密基地作ったりしてたわ。
習い事もそろばんや習字くらいだった。 土が近かったなぁw
何もなかった分、工夫して毎日遊んでた・・ うちの本家では猫がペットではなく家畜だった。
蔵の米を食べるネズミを取るために飼われてて当然座敷には上げてもらえず土間が居場所。
歳とって死ぬと子猫が貰われてきて新たな猫が補充されるようになって居た。 >>88
昭和50年代の小学生だが
公害・交通事故対策云々でそう言うのは無かったな。
ファミコン登場以前だと、家の中で遊ぶのも限られてたし 女子が簡単にブルマ姿になってくれただけでも平成に生まれなくてよかったと心から思う。 あーそれは言えるわ
ちょうちんの時代でもない一番幸せな時代 >>92
おれも昭和50年代前半を小学生として過ごしたんだけどね。
田舎と町の中間みたいなところだったから色々あった。
海のそばの町だから山は無かったけどね。 テレビネタだけどカスタネットが赤と青になっているのは、
男子でも女子でも使えるようにという配慮だとか。
青は男子の色で女子は赤と決めつけるのが昭和だよなあ。 >>93
当時の女子としてh暗黒の時代だったんですよ ブルマ
パンツおろしの悪戯対策として、お尻に密着しているかと思っていたよ
女子のいじめで判決状態にされた子がいたなぁ
その日の晩のおかずになったよ カエル捕まえてお尻穴に爆竹突っ込んで遊んでたなぁ
今ならカエルでさえ虐待って言われちゃうのかな? 東京12チャンネルはニュース番組がないからニュースはテロップで済ました
ニュース速報のテロップはテロップ音は「ピーン」で、重要なニュース速報はテロップが点滅して「ピコーン ピコーン」と音が鳴る 子供は残酷だからな。
猫を追いかけ回して怖がって木から降りてこなくなってばあちゃんに怒られたわ。 正月に実家帰って
姪っ子達を見て今の子は可哀想だなって思った
今は親戚も居なくて退屈そうだった
たぶん普段の休日とあまり変わりがないのだろう
オレみたいなおっさんに物珍しく近寄るしか正月らしさがない
オレが悪いんだけどね
おれらの頃って親戚の子供だけで10人ぐらいは居て
ボードゲームやったりトランプやったり
凧揚げしに行ったり賑やかで楽しかったなあ >>92
角栄さんの改造論以降、たった数年で景色も人の心も変わった感じ
>>103
片親だけで20人の従兄弟がいるのも珍しくない時代
今やもう盆正月の寄り合いもないよ
日常は日が暮れたら居間でテレビ観ながら兄弟姉妹でカードゲーム、人形ごっこ、紙工作、お手玉あやとりにマッチ棒パズル
チャンネル争いに負けたチビっ子が、涙拭き拭き近所の街灯に集まってバドミントン
全部消えちゃった 娘が小6で、中学に上がったら習い事はどうするかを嫁と娘が悩んでる。
学習塾と部活が追加になるので、音楽系・ダンス・英会話など、今やってるのを継続するのは時間的に無理らしい。
学校の授業と宿題を完璧にやれば普通に高校に行けるだろ、塾は高いし要らんのでは?と言ったら「学校の授業だけじゃ入試には対応できないのは常識」だと。
何か間違ってないか。 何ちゅーか、ファミコン登場以降は自室の画面で他人が作った結末を個人でクリアすることにカタルシスを得る
理解に苦しむが、物事にはその時々の基準ってモンがあってでね、
自分の基準で間違っていてもソレが社会
糞ったれが常識になって違和感Maxでも演じ続けてこそオトナ、だね >>96
幼稚園の頃は赤は男の、しかも主人公の色(戦隊ヒーロー)だったのに
小学校に入ると女の子の色になるのが謎だった >>93
学年一の美少女マドンナの子が、女の子のなかでは一番毛深くて、ブルマで体育座りすると太ももに長い毛足の直毛が流れる様に生えてるのはタマラなかった。後年のゴクミタイプの濃い系美女だったけど、40代になった彼女は同窓会で久々に会ったら腕とかツルツルに脱毛されていて顔に刻まれた深い年輪以上に俺をガッカリさせた。 >>105
たしかに、高校に行くだけなら、よほどの難関校でないかぎり学校の授業だけで事足りるけど、
点数を取るということだけでなく、問題の意図を理解する力をつけるなら塾に行ったほうがいいよ。
中学の授業って、わからない子にもわかるようにするわけでしょ。言葉悪いけどバカ基準というか。
そこで簡単に点数を取ることに慣れてしまうと、高校に入ってからついていけなくなりかねんよ。 >>110
昔からだけど公立中学って荒れてる学校が多いから子供の人生考えるなら中学から私立に行かせた方がいい人生歩めるかもしれんね。
昭和の昔見たいに勢いだけで稼げる時代は終わったからさ。 中学は相対評価なのでアホ学校だったから俺でも学区内の中堅校に合格出来た
高校は絶対評価なので相変わらず勉強をしなかったから最下位だった
程々にこなせば中堅校レベルなら付いていけるとは思うけどな …特に大都市圏では、小学生の時点で受験して中学校や女学校に進学するという、戦前の状態に完全に回帰してる。
つくづくそう感じる。
「全ての子供に高等教育を受ける機会を!」
その理念で始まった、「高等教育予科」としての新制中学は、戦前であれば「この子は尋常小学校高等科で基礎学力の
定着を図った方がいい」とされた子達にとっては、完全なる負担であり有難迷惑でしかなかった。
12歳の時点で、小学校低学年レベルの学力しかない子って実際にいるのに、「この年齢になったんだから高等学校予科
教育を受けろ!厳しい校則や先輩後輩の関係を受け入れろ!!放課後も長期休暇中も部活をやれ!!!」ってやったら絶対破綻
するわ。
少なくとも、10歳か12歳の時点で試験を受けさせて、基礎学力が定着してないと判断された子は、基礎学力の定着を図る
教育を受けさせるべき。
学級崩壊や校内暴力はこれで解消されるケースが多いはず。
尋常小学校高等科って、貧乏な子には学費無料の師範学校を斡旋したり、学力に自信が持てたから受験したい、再挑戦
したいという子のフォローもちゃんとやってたんだから。 >>113
アメリカ方式に戦後変えたのが間違いなんだわ。
猫も杓子も大学ってダメだわ。
ドイツみたいに本当に優秀な人だけ大学に進むべきだろ。
まあそれでも社会が成り立ってたのが古き良き時代、戦後日本昭和だったと思うわ。 >>114
戦前って、私学や通信教育も充実してたから、「中学校や女学校は厳しすぎて嫌」だったり「田舎過ぎて寮に入ったり
通学したりが無理」な子でも大丈夫だったのよ。
トモエ学園にも認可が出てたんだから。 >>103-104
うちも親父が9人、お袋が8人の兄弟姉妹で、
どちらも地方から横浜近辺に出て来て
うちの親父が出世頭だったから、毎年中華街の店で
親戚だけの大新年会を開いていたわ
子供を入れて50人近く集まってた
今は俺が二人兄弟、嫁が一人娘なので親戚は
俺の兄夫婦と姪っ子2人だけ
一応実家に集まるけど、子供5人でまったり過ごすだけだな ちなみに、出生率は、新制中学になった頃からじわじわ低下してる。
産めよ増やせよでやってこられたのは、最終学歴が尋常小学校高等科でよかった時代。 >>118
…んなもん、自分の周りのジジババというサンプルが腐るほどありますがな。 >>113
高校でも底辺高校は
高等教育でなく、もう一度小学校・中学校レベルの授業をする
にして欲しいぞ >>120
短期大学以上が高等教育なんじゃないの? >>120
実際にそうだよ。
うちの姪が農業高校を目指してるんだけど、英語が極端に苦手でさ、
俺が週に2回、家庭教師をしてやっているんだけど、
学校見学の時に妹が「かくかくしかじかで英語を頑張ってます」って言ったら、
中学の復讐をするだけですからだいじょうぶですよって言われたらしい。
まあ、それでも入試では、ある程度の点数は取らないとダメなわけで、
なにしろ100点満点で2点を取ったことのある猛者だから、やっぱ勉強しないとね。
ちなみに今は20点くらい取れるようになりました。10倍なのですごい進歩ですw ホント英語だけはもっと勉強しとくんだった。
こんなにネットで英語が必要になるとはね。
ハワイで外人に
He can not speak English!
と言われたのがショックだった... 昭和の英語は投資額による格差が凄かったな
今はスカイプ授業とかあるから昔よりは格差縮まったけど >>120
節子、それ高校と違う、特別支援学校や。
…15〜18歳くらいまでかけて、じっくりと基礎学力の定着を図るタイプの学校があってもいいと思うの。 >>125
普通科の高校で、チャレンジスクールとかエンカレッジスクールとか言われてるようなとこは、そんな感じだよ。 英語なんか別に自分の生活に必要ないしな。
ホント中学レベルの内容をジックリやるだけで十分。
どうせ使わない人は忘れるだけだし。 ↑
宝石箱アイスが好きなハゲ
うまか棒なら三分で食えるハゲ
↓ >>127
それじゃお前は中卒で就職したのかと。
散々言われてることだが、教育が役に立たないと主張する人は役に立てられるほどの生活をしてないだけ。
中学英語じゃ文学研究もできなきゃ医学論文も読み書きできない。機械のマニュアルさえ読めない。 話題を変えて
昭和の時代、中学や高校だと授業中に手紙を回していたが
今でもあるの? >>129
お前、頭大丈夫か?
そんな話をしてないだろ
学術的に究めることと何の関係があるんだよ 究めないよ。論文の読み書きや機械のマニュアル程度の話だよ?
海外の取引先とメールのやり取りするんだって中学英語じゃ対応できないだろ? その仕事にどれだけ従事している人間がいるんだよ
人それぞれ学ぶべきものが違うだけの話だろう
頭でっかちのガキかよお前は
もっと世間を見渡せよ 問題は「考える力」だからね。
学校の勉強なんて、そのほとんどが社会に出たら役に立たないわけでしょ。
それでべつにかまわんわ、という人はそれでもいいんだけど、
「考える力」をつけておくと、学問の世界だけでなく実社会での仕事ぶりにも差が出てくるよ。
もっとも、そこのところには、学歴や偏差値は関係ないけどね。 >>134
ソリャ英語なくても生きていけるけどネットの世界ってやはり基本英語で書かれてるしマニュアルでも各種資料でも英語が読めると全然便利さが違うんだよな。
ガキの頃は洋書を読むことなんて想像もしなかったし外国旅行も夢物語だったけど今現実を考えると英語が喋られなくても読み書きは出来るようになっておくべきだった。
翻訳ソフトを使いながら読むのは疲れるからね。 昔は英語の発音を覚えるのに一苦労だったが今は電子辞書が発声するから便利になったもんだ
でもリスニング試験がなかったのはよかったかな >>131
中学生の時、ある女子生徒の回した手紙が先生にばれて、その内容が
『今から漫画こっそり読むから、先生に見つかりそうになったら教えて!』
だったもんだから漫画も取り上げられた、ってのを思い出した。 >>131
連絡したい、というところに重点があるならLINEでやるかもしれないけど、
そもそもあれは、こっそりと手紙をやり取りするってのが楽しいんだろうから、
今の子もやってるんじゃないかなあ。複雑な折り方してさw 昭和50年代までの学校英語は最悪なんでな
小難しい用語の品詞分類から入って、その時点で脱落者多数
後はテストのために延々と単語構文の暗記作業 >>139
回し手紙が見つかって、「読み上げろ!」と言われて読み上げてみたら「かつおふりかけ」
…回し手紙に見せかけて、弁当用のふりかけの空き袋を回す、参加者全員グルのいたずらだったとさ。 >>141
実に論理的だったし助かっている。それに対して今のNHKの英会話のオチャラケを危惧している。 なんだ?英語の教科書であまり小難しい思いをしたことないけど
今でも一部の私立学校が使っていて難しいと有名なプログレスみたいな感じの教科書を
普通の公立中学も使っていたのだろうか そりゃまあ、中学英語くらい楽々こなす人と、一生懸命勉強しても躓いちゃう人はそれぞれいるわけで。
立場が違えば話が合うわけもない。 >>145
戦前なら中学校女学校に行く人と、尋常小学校高等科に行って働くか専門学校へ行くかという違いと同じ。 英語は向き不向きあるからなー
俺は英語だけ毎回ほぼ満点で他は赤点ギリギリだったけど
英語以外はオール5で慶応行ったやつが「英語だけはどうしても苦手」と言ってたのが不思議だった >>147
街中で英語で道聞かれて余裕で答えてるのにテストでは全然駄目ってヤツもいるからなぁ
まぁそいつは英会話ができると言うより断片的に解る単語と相手の様子から何を聞いてるのか理解して
同じような感じで返すのが抜群に上手いだけなんだけど。羨ましいスキルには違いないけど >>148
まあ俺も英語苦手だったけどネット上のオクのやり取りくらいなら翻訳ソフトやら色々駆使して外国人とメールのやり取りで取引できるからな。
ネット世界の共通語英語が出来るとそりゃあ知識の泉が更に大きくなったみたいなもんで素晴らしいもんですわ。
こんな事なら英語だけでも気合い入れて勉強しとくんだったわ。 >>142
クラスが一丸になって先生にイタズラをするというのは、もう時代遅れですかねぇ。 >>147
お前のいう「苦手」と他者のいう「苦手」の意味が違うこともある。
俺は数学は「苦手」だったが、テストなんかは毎回学年トップだったし、宮廷の工学部に進んだ。 今はALTがいてネイティブ発音を聞けるからな
俺の時はドリフのカトちゃんのような発音をする教師だったから
羨ましいよ >>151
ジジイになるとよけいひねくれるからなぁ。こんなクズは 父親がGX71マークUを新車で買って来た時は感動するほど格好良く見えた。
その記憶のせいか、今でも大好きな車の一つだな。 宮廷とかいうやつは、大抵名大か北大出身。
ほかの大学なら一括りにせずに大学名を出す。 昭和の中高で習った英語は大学で外書読むのには
役立ったけど実社会では全然使い物にならなかったなあ。
仕事に就いてから改めて勉強せざるを得なかったよ。
今の高校生は簡単なプレゼンとか留学生との交流会とか
そこそこやれるようになってるよね。 >>158
名大なら立派なもんじゃん、胸はって名大と言うだろ
…名古屋大学の事だよな? >>162
愛知県内なら堂々としてられるが、
関東に行くと「メーダイ=明治大学」なんだよな・・・ >>159
ミニプロパンボンベ(ミニクック)だよね。
スリーアミーゴスの北村総一朗と斉藤暁は、カセットコンロのコンロ部に炭を並べて着火しようとして、小野武彦に
大慌てで止められた。
絶対にやっちゃいけないレベルのことです。 >>166
最近は秋の学園祭の時期にカセットコンロを並べて鉄板載せて爆発させるのも仲間入りしたよな モフモフに粉つけてポンポンするやつでしょ。今はあまり使ってないな 一般家庭ではシッカロールにとって代わられた気がする。 席替えってどうやってた?
俺のクラスはアミダくじ
とにかく廊下側が嫌だった シッカロール=天花粉なんだと思っていた(´・ω・`) シッカロールと天花粉て別物だったのか
言い方が違うだけだと思っていたわ >>175
小学校は先生が決めてた
中高は男女混合の出席番号順だから
1年間同じ席 電話の受話器と言うか送話口に
匂いが出るような丸い蓋があったよね
一度あれの匂いにやられて
電話を切った後、吐きそうになった 床屋で使ってる白い粉はシッカロールや天花粉じゃないよ
直接聞いたから確か、なんと言うものかは忘れたけど(´・ω・`) まだバブル少し前の30年ちょいぐらい前はオフィス電話の送話口に貼りつけてる物を定期的に掃除交換する業者もあったんだよね
こんな無駄な作業でも仕事として成立してたからこそ失業率も低かったのかな
ちょうどその頃は佐川やれば若くても月収100万ていう時期でもあった 玉のれん
部屋を仕切るためにあったのかな
よく髪の毛が挟まって痛い思いをしたな
玉を通してる糸が切れて大変
そのうち束ねてのれんの役目をしなくなった 食卓用のハエ避け網カバーがあった。
もうハエがいないから全く最近は使わないな。 >>186
一応目隠しの意味があったんじゃないかな
昔の家って勝手口開けたら即台所ってとこ多かったし
その勝手口も夏場あけっぱにしてること多かったし
そんなわけでうちでは鳴る子の意味もあったわ
勝手口から人たずねて来たらジャラジャラなるからすぐわかる >>184
タルカムパウダー?
天花粉を英語で言うとタルカムパウダーで、シッカロールはそのうちの一つの商品名だと思ってた。 >>175
確かクジだったような気がする
ただし特等席付近(最前列中央付近)は希望制 >>185
中崎タツヤの漫画で、ある会社で会議が白熱して熱い議論が繰り広げられて
最後に「社長のご判断を!」と重役達が迫ると、社長が「どうでもいいじゃん
こんなの作ってる会社なんだし」ってのがあったわ(まさにその商品) >>187
ちなみに蠅帳と言うらしい
家の中で蠅なんて年に1回見るか見ないかになったわ >>196
カーチャン、100金で売ってたからって今時蠅帳なんて買ってくんなよ。
ハエなんていないだろーよっ! 北海道の牧場近くの宿には結構いた
冬間近だったのに
夏場は凄いらしい 蠅帳はばーちゃんが使ってるな
野菜の苗つくるのに、種まいてこれかけてる
芽がでてくると日差しが強すぎたりするとかれちゃうので、これが丁度いいらしい >>185
>オフィス電話の送話口に貼りつけてる物を定期的に掃除交換する業者
それ893のしのぎ
定期的に金が入る&アフターサービス不要
893にとって金の生る木だよ 俺がまだほんとに小さい赤ん坊だった頃、寝てる時に虫に刺されないよう、
蠅帳をかぶせてたってカーチャンから聞いた。 そういや、蠅帳の戸棚バージョン?もあったよな。
戸棚の扉が網状なの。 >>206
逆に昭和の時代に戦前世代がよく使っていた例えで戦後世代、
特に30年代以降に生まれた世代にはピンと来なかった例えって何があったろうね
とりあえず戦争関連はピンと来なかったけど戦争漫画が多かったから何となくはわかった >>206
意味不明だろうね。
スマホとかの電話のアイコンの意味が判らないって話もよく聞くね。 >>208
「電話ちょうだい」ってジェスチャーで右手をグルグル回すようなもんだな >>205
戸棚バージョンあったな。
網のところを指で押したくなるんだよなw >>203
俺が赤ん坊だった頃、母ちゃんはきかん坊で父ちゃんは暴れん坊だった
わっかるかなー
わっかんねえだろうなー いち早くエアコン(というかクーラー)入れた女の子の家に
「お楽しみ会打ち合わせ」という名目で毎日のように子供一同集まってすし詰め状態。
その時にその家母親から頂いた果肉入りつぶつぶジュースの
あまりの美味しさに驚いた。 クラスメイトの家では、昭和50年代初頭に子供部屋に窓つけのクーラーがあった。
その子の稼業、クリーニング店(一階が店舗、二階が住居)だから、そうしないとやってられなかったんだよね。
おまけに部屋の窓が東向き。
今はその店舗兼住宅も既にない。 初めてエアコン付いたのは昭和60年頃、引越ししたタイミングだったがそれまでよく夏を乗り切れたなあ
今程猛暑じゃなかったのか 8月の最終週くらいにいきなり涼しい日とかあったな。9月に入るとすっかり秋だった。
秋どこ行っちゃったんだろ? 俺は大学に入学したのが80年だったけど友達で車にエアコン付いてる奴いなかった >>219
車好きだった兄はスポーツカーに乗っててパワーが落ちるという理由でエアコン付けてなかった >>218
春と秋の期間が滅法短くなった気がする。 >>221
だよね。いつまでも寒くていきなり暖かくなると熱中症注意だとか
10月入ってもエアコン消せないほど熱くていきなり寒波だとか 国鉄の線路脇に家があったんだけど、知人の共産党議員に「汽車がうるさくて、夏でも窓を開けられない」と訴えたら、翌月には国鉄が、全室二重サッシ+全室冷房設置を無料でやってくれた。
人脈でどーとでもなる怖くて楽しい時代 でも、そのamから流れる曲を家族で聞いてるのを思い出すとラムネのビー玉みたいな気持ちになる やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防犯パトロールの問題ですが、これは創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会などの住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から始めており、その結果、多くの住民組織で、役員が創価学会員であるという状況が生まれた
・防犯パトロールは地域の住民活動ですので、担い手は住民組織です
しかも防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表として役員が出席する為
防犯活動や防犯パトロールに対して、創価学会が間接的に影響力を行使できるようになった
・防犯パトロールは住民が行っている為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられ、トラブルになっていたのですが、
創価学会はその緩さに目をつけて、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせの対象者を不審者や要注意人物にでっち上げて
防犯パトロールをしている住民らに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防犯パトロールは地元の警察署との緊密な連携によって行われる為、警察署の幹部を懐柔してしまえばし放題できますので
創価学会は警察署幹部を懐柔して創価学会側に取り込んでしまい、不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに加担させました
・主に当該警察署に勤務すると考えられる創価学会員の警察官を動かして、恐らく非番の日だと思いますが、職権自体がないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせて、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り、
防犯とは名ばかりの、ただの嫌がらせ行為を住民らに行わせた(防犯協力と称して依頼して回っていた警察官の正体は所轄勤務の学会員警察官です)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回っています
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕です >>207
やや違うが
近所の婆ちゃん(大祖母)が中学生のひ孫が持っていた
デコ携帯を褒めるのに
ハイカラなモノ持っているねぇ
と言ったが「ハイカラ」が通じなかったらしい >>233
あの作品の主人公の彼氏の髪型は有りえ無いと思った。
陸軍軍人は特例無き場合すべて丸坊主だもんな。 >>234
少女漫画でやったらそれこそ有り得ないでしょ
ベルサイユのばらだって、あの軍服は見栄えを重視して
あえて史実と違うものにしたんだし
ソコ突っ込むのは野暮というものよ >>235
ベル薔薇のアニメは当時のマスケット銃とか結構リアルに描かれてた記憶があるわ >>230-231
平成に入って姿を消したコンビニといえば、サンチェーン、あと、ニコマートかな。 >>237
まもなくサークルK(サンクス)が消える
スリーエフとポプラも消えた
ヤマザキデイリーだかデイリーヤマザキはよくわからん 名古屋の実家に帰るとサークルKだらけなんだが、
ファミリーマートになるのか... ジャングルジムとかグローブジャングル、雲梯なんて今でもあるのか? そういやお好み焼きにモダン焼きってのがあったけど
あれって要は広島焼きだよね? >>245
違うぞ
というか、広島県人に刺されるぞ >>245
違うだろー。
モダン焼きは大阪式のお好み焼きに焼きそばを入れる、
そいでケチャップとマヨネーズをかけるんや。 >>244
ハイカラは多分大阪弁。
ハイカラうどん=たぬきうどん 四当五落ってことばを職場の昭和62年生まれが知らなかった
Fランだが文系の院卒 >>242
二宮金次郎は、いまでもある学校もあるよ。たまたま小学校の前歩いてて見かけたことが何度か(何箇所か)ある。
てか都内の公立中学校に1970年代にかよってたんだけど、日の丸の旗がなかったと思う。
また、当時制服(標準服)が廃止されたんだけど、その後、昭和のうちなのか平成になってからなのか、復活したようだ。 「親方日の丸」も通じなかったな
親方=大工? 日の丸=日の丸弁当?
って感じだったらしい
もう少し新し言葉だと
旧ヤマトファンのA氏(♀)、さらばを見て映画館で涙を流した世代
子供と言うか大学生の息子とヤマトの話をしていて
親:ブラックタイガーの加藤が好きだった
子:エビの砂糖が好きだった??
って話が通じなかったらしい >>247
広島人ヤクザ過ぎない?
東日本にいると西日本の事なんてほとんどわからないよ。
その逆も当然あるだろうに。 >>234
硫黄島で死んだバロン西も長髪だった。
ちなみに、原作版でも伊集院は「髪を切らない」という理由で印念のおっさんに嫌われてるという描写あり。 >>253
刺すなんてネタに決まってるでしょうが… そこは仁義無きなんたらですけん
たとか返して欲しかった まず掌をひらきます
次に人差し指と中指の間に親指を差し入れて握ります
親指の第一関節まで押し込むことで理解度が増します
その他、仕事がハネる前に口元でコップ持つ仕草などなど
断り文句は「あーヨメがうるさいもんでw」
ジェスチャーで察する世の中だったな 人の前を通るときは、手刀シュッシュ
これは今でもあるか
日本に馴染んだフランス人の女の友達がよくやってる >>257
中南米では「グッドラック」のジェスチャーですので、中南米の人にこれをやられても変な意味に取らないでね! >>254
特殊任務につく憲兵とか西みたいに特別な立場なひとじゃないと現実には無理だろうなあ。 >>260
まあ、漫画だし華族(特別な立場)だし印念のおっさんに嫌われる理由の一つでもあるから坊主にはできんよ。 >>261
皇族の高級将校もボウズ頭だったんだろか? あだち充の野球漫画の主人公が坊主頭じゃないのと一緒だな。 今でも高校野球は坊主頭が大半なんだろうか
つーかなんで坊主なんだろう? >>263
あの人の場合、坊主にすると誰が誰やら判んなく…ゲフンゲフン >>262
朝香宮鳩彦王が少佐の頃(1920年ごろ)の写真は坊主じゃないね。 昔シラミが流行った時に、帽子やタオル等から部員にうつるのを防ぐため 「青春とはなんだ」など1960年代の青春学園ドラマの先駆け的作品に主演し
「Gメン’75」などダンディーな二枚目俳優としても活躍した夏木陽介(なつき・ようすけ、本名・阿久沢有=あくさわ・たもつ)さんが
14日に腎細胞がんのため都内の病院で死去した。19日未明、夏木さんのブログで発表された。81歳。東京都八王子市出身。 監督やらコーチやらが皆禿げだから、その因縁じゃないか? >>265
上杉達也とみゆきの主人公の区別がつきません。 >>264
集団行動が大事ってことで軍隊の兵士を意識してる
ヘアスタイルに気を取られるような浮ついた根性じゃ勝てねえぞ
強豪校は合宿スタイルが基本だから外出して遊ばないよう床屋に行かさず合宿所のバリカンで済む
練習が終わってシャワー浴びてすぐ帰りたいから
練習が終わって短時間のシャワーでも清潔だから
ヘルメットかぶると暑いから
こんな感じの事情が複層に絡まって
慶應野球部は普通の髪型だし、中二病的に拗らせてるみたいで県予選開会式の入場行進では
わざと足並みを乱しながら歩いてる >>269
そういや最近みないけど昔いた高岡なんとかいうイケメン俳優が
野球部時代に全員インキンタムシで、下半身スッポンポンになって
タムシチンキ塗ってみんなで向かい合って扇ぎあいしてたと言ってたな
>>272
やっぱりそういう古い体質の話なのか。くだらねー
あと何十年したら絶滅するんだろそういうくだらない価値観 元女子校に赴任して、「ボクチンの学校もやきうの強豪校にするんだー!」ほざいてるはっちゃけバカ校長の作った野球部も、これ見よがしの
青刈り坊主。
「他の生徒はやきう部の犠牲になるのは当然!」と目に見える形で示す意図が見え見えなので不愉快。 デットボールとか守備機会とかで、頭にボールぶつけたりする場合考えると髪が長いほうが緩衝材になるから良いって話もあったな。 >>276
なっきーもまこちゃんの所へ行っちゃった…
「独立機関銃隊未だ射撃中」のトーチカの五人組、いまは麦人さんと太刀川さんしか存命じゃない… >>271
それ言えば宮崎駿のヒロインの顔はずっと同じだろ。
髪型と服装変えるとわからんかったわ。 >>273
昭和末期に自衛隊にいた時の事。
俺のいた駐屯地は倉庫の建ってる敷地と隊舎のある敷地の間に公道があって作業に行くときはその道を横切って行き来してた。
ある日の昼休みに飯ラッパが鳴ったので食堂に向かって小隊の皆んなでゾロゾロと向かっていた。(分隊行動では無かったので隊列を組まず)
公道に差し掛かった時旧軍出身者らしきジジイがいて「足も揃えずあるきよって!なっとらん!」と喝を入れられた。
当然「ハァ?」って感じでジジイを皆んなで眺めてた。
足揃えるにしても時と場合によるだろ?
アンタラは戦闘中でも足揃えてたのか?って感じで冷笑してた。 >>272
慶應野球部は高校じゃなくて大学も昔から髪伸ばしててよかったらしい
慶應大学野球部OBで後にプロに進んだY・D氏は後に、
「こうなるんだったら学生の時生真面目に短髪にせず長髪にしておけばよかった」と語ったとか語らなかったとか 床屋にはレンジみたいなやつにブラシとか入れてなかった? >>280
その通り。
形に拘らない実利主義のアメリカ軍に全く歯が立たなかったからな。
陸自は旧軍より寧ろアメリカ陸軍の影響が大の組織だしね。 >>278
つかあの絵はAプロダクション在籍経験のあるアニメーターに共通する特有の癖(文法みたいなもの)でしょ?
ハイジもマルコもじゃりン子チエちゃんもよく見ると全くおんなじ顔。
火垂るの墓の節子のまぶたの描き方と、アタックNo1のキャラのまぶたの描き方がそっくりと気づいた時には
おおっ!と思ったわ。
アタックNo1の原作のアシスタントやってた人もまだ現役で漫画描いてるけど、ガチのAプロアニメファン(オタ
じゃない。ジブリ作品も好きみたい)でもあるらしくて、女性や子供の描き方が酷似してるし、我が子も英才教育
完了済み。 >>283
形に拘るスタイルを作ったのは乃木希典だ
天下の無能将軍 21世紀に生まれたうちの息子が学童野球やってた時は
スポーツ刈りにしてた。やっぱりヘルメットかぶるのに
髪の毛がうざい、汗かく、痒い、うっとおしいという
理由。精神論とか軍隊式とか全然関係ない。 >>288
強制じゃなかったんなら別にいいんだけどね >>288
昭和末期生まれの息子が少年野球やってたときは、肩に届くくらい髪を伸ばしていて、対戦相手の子たちから女の子がいる?って言われてた。
髪自体が鬱陶しかったわけではなく、女の子っぽいと言われるのが鬱陶しくなったようで、少し切ったけど。
てか「抜け始めてわかる。髪は長〜い友だち」ってCMが昔あったよね。せっかく髪がフサフサしてるときに、なにもわざわざ丸刈りになんかすることなくね? 勿体ないぞ。
彡(゚)(゚) きのう、JR車内で出産、というニュースがあったが、昔(俺が小学生の頃)、Tvで、渥美澄がブルートレインの車掌役をやる映画と、ドラマ「白い滑走路」で、車内、機内で出産、という場面があったと記憶。
「白い…」方は無名時代の西田敏行がハイジャックをする回で、西田は医学生かなにかで機内で赤ちゃんを取り出す役もやり、メスが光るシーンがあったから、帝王切開だったのかな?
再放送が何度かあって、西田敏行が有名になったころに見たときに、あれ、これ、西田敏行じゃん、と気づいた。
渥美清の映画の方は、無線がなかった頃の時代らしく、メモを走行中の列車から投げ落として、地上側に急を伝えていた用な。
どちらも産湯につかうのか、お湯をかき集めいた。
乗ったことのないジャンボやブルートレインの内部の様子がふんだんに映され、切迫もあった、たいへん面白い映画やドラマで、子供時代に見て鉄道や航空業界を目指した人もいるんじゃないじゃかな。 >>291
1970年代半ばくらいに、男の子が肩に届くくらいに伸ばすのが大流行したよね。
坊主校則が廃止されると、男の子で女児と見まがうくらいに伸ばすのは滅多に見かけなくなった…心配しなくても
ちゃんと自制心が働くのだ。けど、女の子は廃止されるとロングばかりになった。
ちなみに、思春期の女の子に短髪強制の校則が出来たのは戦後から。
戦前は逆に「思春期になったら短髪禁止」だった。 >>293
そういや朝ドラの戦前のシーンで女の子が小学校から女学校に上がるとおかっぱ→三つ編みに変わるもんな。 >>257
苦笑いしながら人差し指を曲げたり背広の内ポケットに手を入れる
手を胸や腹の付近でヒラヒラさせる
耳たぶを抓んでニヤニヤ
掌開いて親指曲げるかワンスリーと言ってニヤつく
親指と人差し指で輪っかを作って上向き下向きの意味の違い
ローカルネタもあるが、あー怖っ あ掌握った上で人差し指だけ出して曲げるってことね
>>296
んなもん、その地区に言っただけで半頃しやがな
上司なら左遷されるまでイビられる 相手に開いた手のひらを向けながら小指だけ折り曲げるとか。 ttps://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R33K3SF7BP9DTH/ref=cm_cr_arp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4061325612
…このレビュー書いた人、どーいう環境で育ったのか知らんが、すげえ命知らずだと思う。 >>299
レビューもキチガイだが本自体も相当だな
福岡出身の助産師女が熊本の食肉解体作業員の話を書いてるらしい
ヤバさしか感じない
あえて北海道の漫画家(COOPの関係者)を作画に持ってくるあたりもなんかあれ あの頃に比べりゃ今は平和なもんだわ。
利権が消えるとここまで急速に差別が解消するとは思わなんだな。
つまり本当に苦しんでる人らにはおこぼれしか行かず声の大きいヤクザまがいの人物達だけが得した時代だったと。 >>299
しかし偽善的な意見が相次ぐなか、正論じゃないのか?それが言えない空気がおかしい。 >>302
まあそうだよな。
菜食主義者もいるだろうし。
俺はもし自分が殺めた動物の肉しか食えない様になったら肉食うの諦めるもんな。
魚で我慢する。 >>302
>>295のジェスチャーをやったら血の雨が降る地域であれ言ったら、あのバカ女ぬっコロされちゃうと言うことを
考えると、やっぱり命知らずだと思う。 >>303
田舎の駅に近いコンビニとか。
ニューデイズにもあるんじゃないかな へー地域によって違うのかな
うちの近くはほとんどないわ
昭和までは壁掛けしてたのになんでかな >>308
時計の相対的な価値が非常に低下してる。
腕時計と同じ。 さっき行ったけど入口の真向かいの壁に掛けてあったな >>309
時間なんてどうでもいいって人が増えたってこと? >>311
違う。
スマホや携帯を持ってない人が社会生活を営んでる大人ではほぼ居なくなったから。
昔は時計持ってない人によく時間聞かれたよ。 俺なんか時計好きで腕時計もつねにしてるけど殆ど見ないもんな。
時間確認するのにスマホ8割、腕時計2割くらいだな。
打ち合わせとか会議でスマホ見れない時くらいだわ。 スマホの時計って不便だと思うけどなー
懐中時計が廃れたのは取り出すのが不便だからだろ?
俺はスマホ持ってても腕時計は必ず身に付けてる ちょっとだけ高い奴な
鉄分あるからってこともあるけど >>312
つーかその理屈とコンビニが時計を取り外す関連性がわからん 福岡だけど、開店の時に本部からロゴ入り掛け時計プレゼントされるよ。 >>316
俺の場合だけど中学の時は各教室に時計があったけど高校に上がると時計が無かった。
これって腕時計が許されてるから時計がないと解釈してたわけだがそれと同じ理由で時計がないコンビニが増えてる気がするんだがね。 それは先生に聞いたのか?
根拠のない解釈と別次項の想像をドッキングさせるととんでもなくねじまがるぞ >>319
確か先生もそう言ってた。
でもあの時代のうちの県の高校だけかもしれない。 >>315
腕時計は痒いから嫌いという人には、懐中時計が人気なの。 >>312
当時、昼休みにジョギングしてる人が多い公園の隣で路駐して昼寝してたら
「すみません、今何時ですか?」ってしょっちゅう聞かれて起こされたから
「今何時なのかわかりません」とメモ書いて窓に貼っておいたら
また窓ノックされて起こされて、何だろと思って窓開けたら
「今は12時50分ですよ」と教えてくれた 昭和時代には女性の方が学歴が高いという「究極の格差婚」というのは皆無とは言わないけど、まず無かったと思う。最近、知人の娘である
私立一貫中高大のお嬢様大学四年生が、
専門学校卒で、今は蕎麦屋のホールスタッフを
している男と2年以上付き合っていて結婚間近という話を聞いて驚愕したが、低学歴の蕎麦屋と結婚させる為に10年もブランド私立に通わせたの?と思う私は昭和脳なのか。。 >>328
そんなの本人も家同士も差がありすぎて話題も合わないし、双方不幸になる。
俺なら絶対そんな結婚は認めません。 >>330
その通りだな。
女の実家が商売人で男がそれに向いてるなら話が別だけど動物的に好きや惚れただけで一緒になると絶対失敗する。
はっきり言って結婚は子供作るだけの動物の交尾とは違うから。 >>331
やはりそうですよね。親娘仲はすごく良いのに、親が交際を認める事自体不思議で仕方ないです。ま、他人事なんでどうでも良いっちゃ良いのですがww >>328
裕福な商人の娘と、そこで働いている職人
そう言う例は珍しくない
谷口ジローのエッセイでもそう言うのが合った気がする
と言うか俺自身、逆格差婚なんだけど 波長が合っても元からの価値観が違うからなあ
>>333
理解してれば以心伝心だが、それでもヨメハンかなり無理してる
大切にな >>334
2年以上交際してるけど、本人同士の話が合うのか本当に不思議ですよね。
両親大卒の家と、高卒ばかりの家とで価値観合うわけないし。 >>332
その男の何らかの能力というか魅力を親が認めてるのかもしれんな。
でも結婚は別だと思う。 >>330
でも慶応とか出た女子アナが高卒のプロ野球選手と結婚とかあるじゃん
まあその場合は高給取りだから蕎麦屋の店員とは全然違うけど
知性レベルの格差という点では一緒なのではないかと ヤフー知恵なんとかみたいな流れになってるな
今なんか離婚も当たり前の世の中だし学歴と知性品性が比例してるわけでもなし >>337
金もない、学歴もない、技能もない(その人は専門学校の学科と飲食業はまるで無関係)では子育てできるのかね。また、他の学友は国立大生とかエリートビジネスマンと交際してるのに、「彼氏は蕎麦屋店員です」と言うのに生き恥を感じないのか不思議です。 >>337
それはいつも思うな。
脳筋とじゃ話し合わんだろうなとさ。
やはり金と肉体の魅力の前にはそういうのは霞んでしまうのかもね。 >>340
不思議ですよね。そんなにセックス力が魅力なのか?? >>339
一緒にいて落ち着く良い性格の男なのかもしれんけど経済力が無いと年取ってくると辛いよな。
金やいい職や学歴があってもとんでもない性格の男と結婚させられるよりは遥かにマシかもしらんが。 それはデッセジェニーなんだよ笑
いや経験してこそ分かるんだが、想像以上と言うか、想像を絶するストレス
頭じゃ分かっているが、感情で処理出来ない育ちの差と言うかな、
ことごとくがズレて、ことごとくが対立して、行き着く先が見えてる、と言えば言い過ぎだが、普通は..だよ >>343
それいうと仕事以外で絶対に接触したくない部分の人間って男女問わず居るよね。
オーラが違うというか少し一緒にいるとすぐにわかる。
もし動物で同じケージの中に入れられたらすぐに殺し合いが起こるレベル。 >>342
学歴がなく、品もなく、中身もない空虚な男の様です。彼氏の妹は18才で母親になっているような家庭ですから推して知るべし。きっと娘さんは純粋培養なので男を見る目も無いのでしょう。知人には全力で反対意見を伝えた方が良いかなと思う。 >>345
こないだ死刑になった関の両親もそうだったよね。
お嬢さんとチンピラ男が結婚して生まれたのが凶悪死刑囚。 不良(328の例は不良じゃないけど)とお嬢様の格差婚や格差恋愛って創作の世界でも常に一定数あるからな。
なんかそういうのにロマン?みたいなものを感じる人もいるんだろう。 本人はいい人でも下層階級(あえてそう言う)だと友達とか周辺の人間に難があったりするからなー
知り合いが同和出身の女性と結婚するとき親戚一同に猛反対されて駆け落ち同然で結婚したけど
結果は推して知るべしだったし >>348
昭和と平成の大きな違いって部落差別だと思う。
今は本当にそういう偏見は減ったよ。
一番素行の悪かった60代以上のクソジジイ達が死につつあるのがデカイ。 >>349
全国に散ったからね。昔は本当に立ち入ってはならない地区というのがあった >>349
そう言えば随分とまあお行儀のよい国になってよね、平成以降の日本は。
今、昭和の頃の街頭インタビュー見るとロクに躾(教育じゃなくて躾)されてないような喋り方してる人多いし。
さまざまな面でモラルは向上したと思う。その分かなり窮屈な世の中にはなったけど。 >>351
そうだね。
昔のインタビューってタメ口で
なんだコイツ?
と思う不快な受け答えのやつが結構若いのからジジイまでいたよな。
いまの人は本当に行儀良くて聞いて不快なやつは殆ど居ない。 >>353
確かに。
昔の方がストレートにインタビューを出してたのかもな。
昔、山口組四代目竹中組長がマスコミに対して野獣のように吠えてる画像がテレビで流れててあれ見てヤクザって恐ろしいとつくづく思ったわ。 >>352
あと当時の若い奴らの受け答えの口調がチンピラみたいなのも多かったわ。 >>355
俺が一番不快だったが特攻隊についてのインタビューをサングラスかけたヤンキーに「貴方なら志願出来ますか?」って聞いてたやつ。
そのヤンキー調子に乗って「そりゃ突っ込むよ!一番に突っ込む!俺はやるよ!」とか言ってたけどまともに社会生活も出来ん奴が何言ってる?と言った感じで散って言った隊員を愚弄してるように感じてすごい不快だった。 >>334
サンクス
元々我が家はサラリーマン家庭、両親の親戚もサラリーマンと言うか勤め人がほとんど
対して嫁家は地方の実業系グループ
本人同士と言うか俺・嫁ともに波長は合うが
やはり親戚付き合いが。。。ちと大変 >>357
商売人の筋と勤め人の筋とではやはり文化が合わないと思うなぁ。
といっても勤め人の筋が下って訳じゃない。
価値観とかライフスタイルが全く違うからね。
商売人も潰れて丸裸になる時もあるから。 今日ホットケーキ焼いたんだけど
今のホットケーキミックスはホント便利ね!
いきなり卵と牛乳を全部ぶち込んで混ぜても全然ダマにならないの!
どんな技術使ってるのか知らないけど、平成の技術万歳!
もしかして知らない人がいるかもしれないので説明しますと
昭和のホットケーキミックスは、牛乳を少しずつ少しずつ混ぜ込んでいかないと
ダマができて、一部ナマという不味いホットケーキになるのです
場合によっては、混ぜる前にふるってね、という粉もあったほど ホットケーキのシロップが付いてるのと付いてないのがあるよな
メープルシロップ風のやつ >>358
全裸商人とは付き合いたくないのは平成の感覚なんだろうか >>358
勤め人、特に公務員だと超安定志向だよね。 >>362
そう。
そんな親は青年実業家と娘は絶対に結婚させない。 >>865
「朝まで生テレビ」が放映開始された80年代後半の
日本の景気が良く「ソ連の脅威ガァー」と
(日本の没落も夢物語で)観念的国際関係だけを論争して出演者も視聴者も溜飲を下げていた。
(今から考えれば牧歌的)時代のレギュラー出演者たち、
野坂昭如、小田実、大島渚らが故人となり
決して西部氏の主張には100%の賛意は無かったが
元全学連幹部の西部邁は「昭和時代の言論界インテリ生き証人」だったのに
非常に残念である。
「暴れ馬を仕切っている一番苦労しているのは俺様」感アリアリの司会者、田原総一郎が
最後の生き残りになっているのは皮肉。 山田洋次が昭和36年に撮った映画で、冒頭が街頭インタビューになっており、当時の若者に「特攻隊って知ってますか?」と聞いて回ると、今よりガラの悪い頭悪そうな若者たちが
「知らなーい ゲラゲラ」とか
「特攻隊なんて頭悪ーぃ」とか
極めて軽薄に答えていてびっくりした。
しかし、今これを書いた瞬間
あれは映画なんだから、わざとそんなふうに答えさせ、編集していることに気づいた。 >>367
吉永小百合主演のひめゆりの塔の映画でもそういう作りだったよね。
昭和40年前後の軽薄な若者と沖縄戦で散っていった真摯な若者たちの対比。 >>366
そうなんだよな。「賛成はできないけど信頼できる人」代表だったんだよな。故人の心の内を推し量るすべはないが、あえて言えば自殺してはいけない人だった。
自分が受けたショックの大きさが意外だ。 石原裕次郎、美空ひばり、三波伸介も享年52歳だぞ。 >>371
えっ。。。みな60代で亡くなったのかと思ってた。
戦隊シリーズ
主人公たちがおっさんと言うか、大人っぽい人から子供っぽい人へ変わったのって
いつかな?と思い見直したら
ちょうど昭和の終わり頃だなと思った。
85年チェンジマン〜87年マスクマンあたりで変化している
異論は認める >>372
トレンディ戦隊と言われたジェットマンも今見ると渋めの俳優さんが演じてたな 昭和50年代ごろまでは明治生まれのおばあちゃんたちは着物を着ていた。 昭和40年代は、パジャマでなく、浴衣で寝てる子供も結構いた。
朝起きると、浴衣が全部はだけてカボチャのような白ブリーフ一丁になっているのだ ウチの姉が若い頃って昭和の末期だけど
振袖は生涯に3回しか着ないものと言われてた。
成人式、大学卒業後の謝恩会、友達の結婚式
はれの日騒動のニュース見てたら今は成人式で
生涯に一度だけの振袖の機会と言われるんだな。 ビジネスホテルで毎回味わってる
自宅であんな寝間着で寝てるの今時いないだろ
外人どうしてんだろ 昔はヒーローものの主題歌といえば、ヒーローやロボの名前が何度も出たり強さや闘う目的みたいなのが入っていたけど、
最近のはそういうのが全然ないちょっと聞いただけじゃ何の歌かわからないのが多いね。 >>377
ショボいバスローブみたいなもんじゃないか、外国人からしたら。
浴衣はすぐはだけるし、使い勝手の悪い寝間着だなあと思ったけど、泊まりの若いカップルには、事に及ぶのに都合良いなと今思った。 >>372
88年嶋大輔→89年ターボレンジャー(高校生)でしょう。 >>372
メイクの仕方が変わっただけで、役者の実年齢は大して変わってませんよ。
大人っぽく見えた時代は、眉毛にマスカラを使ってた。 >>377
日本以外のほとんどのところでは、宿で寝巻きは出されない。パジャマ持参か、下着or裸で寝る。 >>380
そもそも、未就学児には歌いづらい。
「科学戦隊ダイナマン」の歌も、あの「しとしとぴっちゃん」を作った小池一夫氏なので歌いやすく覚えやすい。
外見も、鉄人28号など、もの凄く野暮ったく見えるけど、「未就学児の画力でもそこそこ模写しやすくカッコよく」
描ける。
手塚石ノ森、横山光輝永井豪はあえて「幼児でも模写しやすい」デザインを採用していたという。
今の作詞家作曲家、デザイナーは、ごちゃつかせるのがカッコいいと思ってるけど違うんだよなあ。
歌いたい、模写したいという子供達のことを考えずに、自己満足を押しつけてる気がする。
「アクマイザー3」のイビル(これも、小学校低学年程度の画力でもカッコよく描ける)のぬいぐるみチャームを下げて
歩いてると、後ろから「カッコいい」と呟くガキんちょの声が聞こえたというお話もある。
平成生まれ一桁台の年齢の子にも、石ノ森デザインはシンプルかつカッコよく映るのです。 >>380
それでも戦隊ヒーローはちゃんと主題歌になってるからいいよ。
アニメの歌とか単なるポップスじゃんな。
何のアニメだったか「あなただけ見つめてる」とかってDVの歌だし。
>>385
戦隊ヒーロー主題歌で歌いづらい曲の断トツはタイムレンジャーだろう。 そもそもアニメの主題歌になったタイアップポップスって
その後その歌手の曲売れるんかね
ガンダム系はガンダム曲だけ褒め称えられて歌手のファンにはならないって聞くけど
ガンダム以外でも売名の為にアニソン歌ってもその後続かん気がする
逆に売れてる人がアニソンの曲作るのなら
いっそアニソンの鏡みたいなの作るくらいの余裕ほしいわ >>387
岩崎良美みたいに、それで食ってける(かどうかは判らんが)人もいるから、いいんじゃないのかな。 かつては、キャッツアイで知名度が一気に上がった杏里みたいな人もいたね。最近はどうなんだろう。 アニメ主題歌の金字塔と言うと宇宙戦艦ヤマト
この曲と言うか詩は 七七調
やはり日本人には 七七調や七五調が合うのかな? >>390
瀬戸の花嫁の節で歌えるんだよね>宇宙戦艦ヤマト >>391
試しに歌ってみたら、何だかほのぼのしたw カラオケでそう言うのがあると面白いね
○○の曲をXXのメロディで歌おう >>371
聖子ちゃんより年下なんだね(´・ω・`)ひばり >>390
ガンダムの本放送を見て「正義の怒りをぶつけろガンダム」という歌詞で
「ジオンにはジオンの大義があるんだから一方的に悪と決めつけるのは
まるで連邦政府賛美の歌ではないか」と憤った小五の俺 俺もだ
あれは、大抵の子供はおかしいと思っただろうな 銀河に向かって飛べよー
と歌詞にあるので、そのうち太陽系を離れて異星人との戦いになると思ってた 夏休みの宿題はなつの友 冬休みの宿題はふゆの友
鳥取だけかも知らん >>397
なのでギレン演説の時のブライトの怒り
妙に浮いているんだよなぁ >>399
> 銀河に向かって飛べよー
ギレン役の銀河万丈さんのことだよw >>391
水戸黄門のメロディで、ドングリころころもある
逆バージョンもいける >>397
あれは当時のマジンガーZとかグレンダイザーとか、わかりやすいロボット・アニメの
名残りだろうと解釈してる。実際最初ガンダム見た時は何だこりゃ・・・と思ったし。 ガンダムの最初の違和感はすごかったなw
主人公はウジウジして乗りたがらないし、双方正義も悪もないただの戦争だし
一話完結どころかダラダラ話が続くし、毎回違うロボットが出るわけじゃなく長いことザクのみだし
舞台が旅するホワイトベースの群像劇で視点が定まらないし
熱血主人公が一話完結で毎回違う敵ロボットを秘密基地から出撃して倒す
このパターンに慣れてた自分には「難しい」感じがしたのを今でも憶えてる >>406
ダイターン3からの変わりように戸惑ってね。
1話で観るのやめちゃって、以降は天才クイズ見てた ちなみに、敵が量産型兵器になったのは「新造人間キャシャーン」が最初。
作画の手間を省くために考案してみたら、意外とよかったんですと。 >>406
でもガンダムの違和感はまだ許容範囲内だった
エヴァはダメだわ。途中までよかったけど最後が変
そして最後やその後のバリエーションを吉とする連中とは死ぬまで分かり合えん >>400
なつかしい。
「なんで休みまで勉強せないけんだ。どこが友達だだ、ダラよ」(米子弁)
などと悪態つきながらやったもんです。 >>370-371
皆、アル中だな。しかも52歳ってのはアル中の標準死亡年齢だとか >>414
酒は体に悪い。
飲まずに居られるなら飲まない方がいい。 >>418
ほんっっっっとにそう思うわ。特に人間関係のストレス
ここ10年以上、人間関係のストレスがほぼゼロの環境で暮らしてるから
以前より酒の量が増えたのにむしろ健康だもの >>419
昔の芸人の死因の遠因はほとんどが女遊びによる梅毒だと聞いたことがあるけどどうなんだろ? >>413
ラジオ体操だな
早起き必須、サボるとばれる もし、あなたが酒を飲んでなければベンツが買えたんですよ? >>409
ザクを見た時にどことなくキャシャーンを思い出した。 することはなくても、生きててよかったと思えるような何事かに出会うことはあるかもしらんよ。
ゴジラが現れるとか、異星人が攻めてくるとか、どこでもドアが実用化されるとか。 >>430
あまり長生きしても良いことはないかもしれんが宇宙探査の行末は知りたい。
ガキの頃の想像より遥かに宇宙探査の進展速度が遅い気がする。 あと昭和末期に公開されたアニメ、アキラで東京オリンピックが見事に予言されてたわけだけどあれに出てきた30年後の世界は想像より進んでる所もあれば遅れてる部分もあったな。
特にPC関係では現実の方が遥かに進んでる。 >>431
人間の生存環境を整え、命がけで派遣するより無人探査機をとばした方がいいというなんとも夢のない方向へすすんでいくような。 >>430
異星人が攻めてくる、が実現して欲しいな。 >>428
大河原さんは、キャシャーンのメカデザインをされた方のお弟子さんです。 巨人の星か天才バカボンの本放送のころ、スポンサーの大塚グループの企業紹介Cm(たしか、オロナインのホーロー看板のおなじみのおばさんがMC 役)があり、そのなかに防虫タンスなどを製造する「大塚家具」という会社が紹介されていた。
なので、それから20年あまり後、都内に「IDC大塚家具」のショールームが目立つようになると、あの垢抜けなかった防虫タンスの会社が、ここまでオシャレな会社になったのか、と本気で信じていた。
昨今の親子喧嘩の報道で同族企業であると知るまで。 >>433
今考えるとファミコン以下のコンピュータで月飛行したアポロはすごいと思う。 >>432
その代わり移動関係の技術は予想以下だよな。情報伝達の技術でカバーされたのかもしれないが。
チューブの中を飛んで移動できないし、エアカーも無いし、超音速旅客機も採算や安全性の問題で消えるし… >>442
あら、懐かしい。
映画館で初めて見た映画がそれだ。 >>445
あれをムーがまことしやかに本当見たいに掻き立てたから厨房の時には一瞬信じたぞ。
でも冷静に考えたらサターンロケットまで打ち上げて茶番劇を打つわけがないとわかるw >>442
>>445
入れ替え制じゃなかったから朝一から最終まで見続けたわ
アレは面白かった
ラストが最高。全米生中継の場所に現れたら阻止しようがないもんな
最初、火星探検の話ということでNASAが全面協力したものの
途中でストーリーを知ってから協力を打ち切られたと
パンフレットに書いてあった >>442
オルカと同時上映で観た
幼稚園児だから話はよくわからず、逃亡中に砂漠でヘビ食べるシーンがいちばん怖かった >>416
三波だけ分からなかったのと調べるの面倒だったんですまそ 三波のおっさんは、死体ごっこが趣味だったので、倒れてても「ああ、またいつもの死体ごっこか」と相手にされずに
それで手遅れになった。
死体ごっこ、イクナイ。 昭和の冬の服は今よりずっと厚くて重かった。
祖父にもらった1950年代〜1960年代のコート
凄くしっかりしてて今でも着られるんだが、
とにかく重くて1日着て歩くと肩がこる。
30年前に買ったダウンを今も持ってるが、
ずっしり重くてもっこもこになるけど
ヒートテックを中に着てウルトラライトダウン
着るほうが暖かい。 >>441
全ての計算を宇宙船に搭載したコンピューターでこなしたわけではないぞ >>451
死体ごっこは、写真を撮影したらすぐ撤収すること!
良い子のお約束だよ!! >>452
それは言えるよな。
むかしの軍用コートとかでもアホみたいに重い割には暖かくない。
今の最新素材は軽くてあったかい。 当時テレクラってあったっけ?と一瞬考えたが、筒見待子さんの夕暮れ族があったな
今考えると待子さんの名字も名前もアレだねー、耽美派っちゅーか欲望をロマンチックでオブラートに包むっちゅーか
夕方になれば筒を見たさに待つオンナ >>457
変態王子と笑わない猫。というアニメのヒロインが筒隠月子と知ってその人の名を思い出したw >>452
ユニクロの最大の功績は服を軽く、薄くしたことだね
ユニクロダウンが出る前は、ダウンというとタイヤマンみたいなごついのしかなく
とてもタウンユースには使えなかった
でもウルトラライトダウンやフリースが出て、薄くて軽くても暖かいと服の常識を壊した
エアリズムやヒートテックもそうだ
とにかく厚みがあるのがありがたいって風潮壊してくれた
若い人にとっても服のライン崩さないし、年とってくると服が軽いってのは大事だし
いろいろ言われるけど、ユニクロの被服業界に起こした革命は大きい >>460
ユニクロは2004年に発売されたパタゴニアの軽量ダウンをパクったの
ヒートテックは、ミズノのブレスサーモのパクリ
功績なんてねーよ 逆に最近の暑すぎるときがある。酷寒の日でも鼻歌で歩ける一方、
デパートとか入るとすぐに汗掻いてしまうから脱がないといけないけど
脱ぐと何も着てないから肌寒い
昔みたいにほどほどの防寒性の服を4枚くらい重ねて着るのが調整しやすいかも >>462
その理論は開発のソニーばかり推して販売のマネシタ電器を功績が無いと言ってるのと同じ >>460
薄いダウンもフリースも発熱性繊維の肌着も、アウトドアで一般化してたレイヤードシステム思想をそのまんま街着に持ち込んだだけだぞ。 切っ掛けは何でもいいんだよ。
結果として便利になったんだから。 >>464
マネシタに何か功績があるの? どこに? >>467
一般に広められなきゃ開発だけでは貢献とは言えないだろ
こういう意味での貢献もわからないのか
つーかこんなくだらん説明させるなあほんだら
これはマネシタに限ったことではないけどな >>392
それ見てたら
ブルーシャトーwの
「森こんにゃく 泉ニンニク か〜・・」思い出した
俺が小学生に上がるか上がらんかの頃だから、昭和40年代中ごろだな >>470
ちびまる子ちゃんのマンガで「森トンカツ、泉ニンニク」と歌ってた場面があったな
時代的に近いか 祖父母世代はそれ
子世代は瀬戸ワンタン日暮れ天丼♪
孫世代は心配ない唐揚げ♪ >>470
各節の最後の文字から繋がるんだから「森トンカツ」だろ
「コンニャク」だと森こ♪ 泉に♪ になっちまうぞ それより戦艦ヤマトの替え歌は知らん?
戦艦ヤマトが沈むとき♪ カニに金玉挟まれて♪ってやつ >>474
戦艦マーチだっけ
戦艦大和が沈むとき〜大砲一つに玉二つ〜 >>475
そう、軍艦マーチ(パチンコ屋のテーマ曲みたいになってるあれ)
覚えてる要素はカニに金玉挟まれるのと、さらに原爆まで落とされると
でも途中が思い出せない そういやアルファベットの歌でA B C D E F G〜♪カーニに金玉挟まれた〜♪ってのもあったな 戦艦〜大和が沈〜むとき、大砲〜一つに弾二つ、
たまに〜は黄色い水も出る、暇なとーきには伸び縮み せ〜んかんや〜まとがし〜ずむ〜とき〜♪
は〜だかのお〜んながと〜びこんだ〜♪
そ〜れをみ〜ていた○○くん♪
め〜のいろか〜えてとびこんだ♪
……だった >>478-479
全然違うんだね!カニに金玉は挟まれないの?? そーいや、「そーはイカの金玉だ!」って誰が言い出したんだろう。 >>483
パナソニックが多岐にわたって事業を展開しているのを知らない中学生を虐めないでくださいよw 「西郷どん」で「誰もが腹一杯飯が食える世の中にしたいとです」って言ってたけど
昭和30年代くらいまでは誰もが腹空かせてたな
白黒時代の黒澤映画とか見ると、登場人物がほぼ全員ガリガリで、肥満体は皆無
新聞記者役とか刑事役とか頬がゲッソリこけた人ばかりだった(「天国と地獄」とか)
まさかこんな誰もが太る世の中になって「痩せるために努力する」ようになるとは思わなかっただろうな 戦前の新聞や雑誌広告をまとめた本を持ってるが、この時代は
太っている=裕福、健康
痩せている=貧乏、病弱
というイメージがあったらしい
太ってる人なんてあまりいなかっただろうにね
昔の皇族方のお写真を見てるとそんな時代なのにデップリ太ってる宮様とかいたりするからそれもあるのかも >>480
カニにキンタマはさまれるのは>>477が書いてるようにABCの歌だったな
ABC〜の階段で〜カニーにちんぽこ挟まれた
いーてーいーてーはーなーせー
はーなすもんかソーセージー
赤チン塗っても治らないー 黒チン塗ったら毛が生えたー♪
あれ?キンタマじゃなくてチンコだったわw
そして何でABCの階段なんだろう… 同じような感じだが、こっちは階段ではなく海岸だったな >>480
カニにキンタマ、知らなかったよ。
ハダカ好きの地域だったのかね?
狼少年ケンが、
いつ〜もオイラははだ〜かで♪
きれいなオンナをさ〜がす〜♪
だったし。 >>486
その辺は他所の国でも同じようなもんだよ。
上流階級じゃないとふくよかになれないからね。
だからといってその人たちが健康長寿化と言うと別にそんなこともなくw
お金はそこそこあったんだろうけど正岡子規みたいな食いすぎで
若死にだろみたいなのもいたり。 >>486
小学校の頃(昭和40年代)健康優良児を選んで表彰状を与えてたが
選ばれる小学生って皆でっぷり太ってる子ばかりだった。
モノをもらうのは素直に嬉しかった。貰わないと菓子を食べる事は無かったし
新品のタオル、毛布も 自分のは古ぼけた擦り切れたものだったから嬉しかった。
今はもう要らないけど。贅沢な生活が出来るようになったんだねえ。 >>486
>>491-492
うちの親父が戦争時に子供で、とにかく腹を空かせていたからと
俺と兄にはご飯だろうがお菓子だろうが食べさせるだけ食べさせたもんだから
小学生のときは二人とも肥満児でからかわれてイヤだったわ
俺は小五の時に一念発起してダイエット(当時は絶食と言ってた)して
夏休み明けにガリガリになって登校したらみんな驚いてた
以来、今に至るまで痩せ体形
兄はそのまんまだったから高校までいろいろとイヤな思いをしたみたいだな >>488
あー、元は海岸だったんだろうな、海岸ならカニの必然性わかる
どっかで聞き違えがあって階段で広まったんだろうな
ABCの海岸ってなんだよって疑問は残るけど >>493
昭和生まれが田舎の爺ちゃん婆ちゃんの家に行った思い出でだいたい共通してるのが
ご飯を吐くくらい食べさせられた事だからなあ
とにかくカロリーは摂れば摂るほど良いと思われてた。 >>485
確か、特に若手の人は、映画会社の方から「太るな」って言われてたはずですよ。
だって、時代劇の足軽や農民や、大戦末期の日本兵という役柄で出ることもあるのに、太ってたらおかしいでしょ? >>500
お茶の水にカロリー食堂なんて店があるくらいだしね >>500
うちの田舎の爺ちゃん婆ちゃんも沢山食わせるから困ったわ
海鮮が美味しい土地なのでお腹空かせて晩ご飯に臨みたいのに
夕方にうどんとか作って出してきた
それで夜にあんまり食べないと食べろ食べろ言うし
さっきあんなにうどん食わせたから食えないと言うと若いのにだらしないとか
近所に大伯母が住んでるんだけど、お裾分けとか持って行くと勝手にラーメンの出前取るし
家を出る前に「今日は寄った後で友達と食事に行く約束してるから何も要らないからね」と念のために言っておいても
「このくらい食べられるでしょう」と何か出してくる
親切心なのは分かってるけど、非常に困る >>501
若手俳優がスリムなのとはまた違う、なんというか時代全体がガリガリだったのですよ
「いきものの記録」、「酔いどれ天使」、「天国と地獄」でモブの人達(エキストラ)をみると特にガリガリ
「どですかでん」あたりから多少恰幅の良い人達も出てきたけど
恐らくは食えるようになった役者が大食いして太ったのではないかと そうだねー
昔は何で美女画とかミュシャの絵とか仏像とかおかめとか
どいつもこいつもメタボなのか分からなかったけど
太ってる=飢餓を忘れさせてくれるだったんだね >>503
美味けりゃいいんだが、全部そういう訳にもいかないからな。
母方の婆ちゃんのとこは母親の味に近いので抵抗なくたらふく食えたが、
父方の方は何か違うのでちょっと敬遠してたら母が「もっと食べなさい!」と怒る。
「母ちゃんのご飯と味が違うから嫌だよ〜」とごねたら微妙な顔してたな。 >>493
うちの母は戦後の食糧難を経験しているので、結婚したら大鍋に食べきれないほど料理をつ作るが夢だったらしい。
だもんだから今でも、おでんなんか、おでん鍋の他にアルミの深鍋にこれでもかとばかり作っては、
「たくさん作ったら取りに来なさいよ」と電話をよこしたりする。今は大食いするのの高校生の甥だけなのにね。
こっちも事情を知っているから「作るな」とも言えないし、ま、半分くらいは甥が食うだろう(大げさでなく)と思うようにしている。
親父が生きてたころは、まだすこし楽だったんだけど、頭数が減ったんだから作る量も減らせばいいのになあ。
問題は、この人の娘(俺の妹ともいう)で、食糧難なんか経験してないのに母親顔負けの量をこしらえる、
んで、母親にはないお菓子・パン作りという趣味を持っているので、その手のものもしょっちゅうくれる。
あんたらは親子で俺を糖尿にしたいのか?いや、もったいないから食いますけどね。 昭和30年くらいより以前に生まれた人たちは、「幼児の頃の思い出が
必ず食い物に結びついてる」よな。みんな栄養失調気味に生きてた。
東北出身の人なんか軍隊で初めて腹いっぱいってのを経験した人も
珍しくなかったらしいし。 >>484
パクリの白物家電に行き詰まって、BtoBに活路を求めて社名まで変えたくらいしか知らんね 松下がなかったら、ライバルの東芝や日立なども家電に力を入れず、家電品の普及が10年は遅れていたとおもう。
合弁で日立GEコンシューマーエレクトロニクスなんてできたかもしれないが、アメリカ生まれのデカくて使いにくい家電が金持ちの間で細々と使われている時代が長く続きそう。 >>504
やっぱり、野武士やらの役をやる人は、ガリガリくらいの方がいい雰囲気が出ると思うよ。
今、椿三十郎やらリメイクしても様にならないのは、俳優が太ってるせいも大きいと思う。 >>514
若い頃の藤原鎌足とかガリッガリだもんな >>514
主役級以外もみんな同じ体型ってことが問題
全員が痩せて同じ身長では映画の良し悪し以前に見分けがつかない
昭和30年前後を知る人だと、この頃の新婚旅行のメッカじゃ1泊2食で月給の1ヶ月が相場
今の感覚で言えば2泊3日で交通費と土産代を含め〆て2人で50万から
それでも春と秋は予約が取れなかったらしい
菊千代じゃないが、農家の床板引っ剥がしてみろ!と一緒だな >>516
うちの親父も熱海(おそらくそのメッカ)に新婚旅行に行ったら
一泊目は旅行者の手違いでボロ旅館でお袋が悲しくて泣いてしまったそうだ
激怒して電話したら平謝りで、二泊目はお詫びに超高級ホテルに泊めてくれたと言っていた >>516
無責任男シリーズなんか、新婚旅行で船橋ヘルスセンターに行ってるもんね。 >>517
海外旅行が一般的になる前の接待(女中さん)の話
「今日お願いしますね」で封筒渡されたら中身が聖徳太子、これが連日続く
半ば買われた身なんで給与は無いも同然、当時は身体売る訳じゃないが水商売
でも衣食住に温泉付きで基本は出費なし
才覚があれば常連掴んであとは飲料歩合で、田舎でも街のリーマンの倍は行く
始末すれば10年余りでキャッシュで建売買って最新家電も買える
ケチり続けたら昭和末期は金利だけで表の年収オーバー >>519
最近は貰った寸志は一旦出して、全員で山分けにするみたいね
うちもよく家族旅行行って父親が渡してたわ 今でも温泉旅館の仲居さんに心付け渡す習慣は残ってるのかな。 今はどこも基本朝夕共にレストラン食で一部が部屋出し
中国客が多く国内客は道路整備で日帰り、なので心付けは多分あんまりない
接待さんも今や若い短期派遣で、ヘタすればカタコトの日本語だしね
煮ても食えないが女中根性のオバちゃんは今や絶滅危惧種って所
まあ心付けを山分けにするかどうかは一長一短で、80年代以降は高額紙幣の価値が今とほぼ一緒
そのちょっと前から給与条件が急速に整備されたので、あったとしても以降は山分けじゃないかな >>519
今はこんな飼い殺し的な職場は少ないんじゃないの? 先日、我が家で昭和の最終年から頑張ってくれていた
据え置き型電話機が寿命をお迎えになり交換したのですが、
その古い電話機から茶色くなったFAXロール紙が出て来ました。
ああ、もう何年もFAXなんて使ってなかったもんなあ…と、
ちょっとばかりしんみりしてしまいました。 会社などならともかく、一般家庭で固定電話ってほぼ使わないよなぁ。
大手の割高なキャリアだったらカケホーダイだし、格安simなら時間制限
付のカケホーダイが1000円以下であるわけだし。
あまつさえ、メールやSMS等の文字コミニュケーションも普及しているし。
逆にいえば昭和は1階に据え置きしてある電話がなると、「はいはい、出ます
出ます」といいながら、台所で炊事をしていた主婦がエプロンで手を拭きなが
ら足早に固定電話に向かったということか。
それで「はいはい、もしもし伊藤ですが」と答えるも無言で切れ「誰かしら?」
と首をかしげる。 >>524
昔と言うか昭和時代だと
子づれシングルママ、手に職が無いとパートの掛け持ちか温泉宿。ってのが定番だったからな >>526
我が家は一般家庭ですが結構使いますよ、この固定電話
携帯電話持ってないもので >>514
ドイツもコイツも筋トレしてるからバランスが良すぎる
歴史モノなんで脇に伝統的な日本人体型を集められるかどうかが重要なんじゃないかな
三者共に食い詰めサバイバルの七人の侍なら、食い詰めの割に下太りが2人、チビガリの求道者が1人、呑気な猫背ノッポが1人、背筋が張った策士が1人、大き目が2人
痩せてるよりも胴長短足の個性的な面々に囲まれてるからこそ、バランスの良い木村功と三船敏郎が引き立つかと うちのイエデンも固定電話だなあ。
電電公社じゃないけれど >>526
自宅で仕事してるから一応置いてあるけど、着信も発信も週に1回使うかどうか
特に着信はスマホに転送してるから何のために置いてあるのかわからんw
取引先も全部メールだから、掛かってくるのはお袋くらいか
掛けるのは出前くらい うちはほぼ使わないけど固定電話ある。
理由はネットで買物する時に家電書くため。
嫁さんが見知らぬ相手にスマホの番号教えたくないからが理由。 固定電話の留守録にたまに気づかない時がある...
まあだいたい保険のセールスなんだけど この前引っ越した時、
今時固定電話の番号を電話帳に載せる人は珍しいと言われたよ。 ウチは、7年前の震災の時、実家方面が被災地で当日からしばらく携帯が通じなかった。
ようやく通じたのは対加入電話(固定だけどIPじゃない)。
停電が長引き携帯も充電ができず往生していたと。
当方も計画停電対象地だった。
なので、ひかり電話にもしてない。
周囲は、どんどん固定電話やめてるけど大丈夫なのかね? >>535
断れるのに載せるというなら、煽りでも何でもなく理由が聞きたい。
自営業か何か?? 昔は5センチくらい分厚いタウンページだったのに、今はパンフレットみたい
に薄くなったね、諸君らの頭とともに。 >>537
アナログ回線もアナログなのは端末だけで真ん中はデジタル化されてるから今はもうダメかもよ。 光回線利用して500円で済んでるから
施設入った親が死ぬまでは温存
昔はFAX用に便利だったが、ネットですむしね まーメタル回線は交換機が生きてる限りは停電でしてて使えるのが利点だわな。
家が復電しなくてもNTTの交換機が復旧して断線してない限り使える。 そう言えば最近のテレフォンオペレータの募集条件として30歳以上ってのがあるんだってね
理由は若い人は電話マナーがなってないからと、他人と話すことに慣れてないからだってさ 電話文化よりもメール、ラインだろうからね、今の若者は。 >>544
文字ベースってところが電信時代に逆行してる気がせんでもないがな。 交換機がアナログだった頃は回線の混信が面白かったな。
天気予報に掛けると遠くで誰かの声が微かに聞こえて、大声で話すと会話ができたのでナンパによく使われたり。
また、謎の電話番号が在って、呼び出し音はならずにその番号を知っている人だけでグループトークができたり。
今のデジタル交換機では楽しめないけど、アンダーグラウンド的な雰囲気が良かったな。 >>546
人気のあるアーティストのチケットがなかなか取れなくて、プレイガイドに何度掛けても話し中なんだけど
その状態で同時に掛けてる人どうしで会話ができて面白かった
あと、アメリカに留学中に家に用事があって電話したら、英語がからきしだめな母が出て
コレクトコールに出るかどうかを確認するオペレータの英語が分からずにアタフタしてるのが聞こえたので
「母さん、戸籍謄本が必要だからエアメールの速達ですぐに送って!」と叫んだら「わかった!」と言って
ガチャッと切ったから金掛からずに済んだわ。オペレータには「英語が分からなかったようだ」と伝えて切った そういえば国際電話のCMってさかんに流れてたよね。 ゼロゼロワンダフル!
最後の「オ・ト・ク」が「オ・ト・コ」に聞こえるという言い掛かりとしか思えないクレームの当初が読売新聞のラテ欄に載ってたわ ど根性ガエルの歌で「どっこい生きてるシャツの中〜」が「シャツのなこ〜」に聞こえる 小学生の頃、夏休み明けにどれだけ遊んで日焼けしたか、日焼けの度合いを競う大会があった。 日焼けの度合いを競う大会が「クロンボ大会」とかスゴイ名前だったりした >>546
あれって話中音源にパラでつながってるから聞こえるんだろうな。
天気予報とかも同じなんだろうな。 雑誌とかのおまけシールに「裏に水をつけて貼ってください」ってやつがあった >>542
今はメタル回線の交換機が作られてないとか修理出来ないとかで、光回線ばかりになるらしいけど、交換機から家までがメタルなら停電でも使えるの? ガムのオマケで、フィルムのうえからコインか爪かなんかでコリコリこすって転写させるシールがあったよな。 駄菓子屋で売っていた、よくわからん道具(?)
「けむり」みたいな名前で、よくわからんネバネバしたのを指に付けて指を着けたり離したりすると、引いた細い糸みたいなのが宙に漂うやつ。
あの頃は「この成分何?」とか全然考えずに遊んでたな。 >>556
使えると思う。
局からDC50v前後の電圧が常かかっててそれの極性を反転させて呼び出しベルを鳴らしたり音声信号を送ってたのがアナログ電話機。
基本的な構造は戦前から変わっておらず極端な話ダイヤルパルスを発生させる機能のない(ダイヤルが付いていない)明治時代の手回し式呼び出しの電話機をプッシュ回線に繋いでもトーン発生機を通話口に近づけて電話番号のトーン信号を送ると電話がかけられる。 >>557
あれ全面こすりきれなくてどうしてもキレイに転写できなかった ウチの方は天気予報じゃなくて時報だったな。べらべら喋らないから聞きやすいんよ。
でもコレクトコール笑たwwそんな裏技が在ったのか。 >>558
あったなあ。
あれは今考えると、一体何だったんだろえ。 ↑
ヒートテックが手放せないハゲ
ファイバーヒートなら10着持ってるハゲ
↓ >>562
丑三つ時にやるとお化けを呼べるって説明書きに書いてあったような覚えがある。 >>550
それを言う便乗として、前にも書いたがイルカのなごり雪にある、振る時お尻だろうw
なんでお尻が出てくるんだろうと思っていた。 ♪先週のウチの酢豚を〜、人はみな忘れてしまう〜
あのころの私に戻ってあなたに会いたい。 最初に買ったレコードは上條恒彦の「誰かが風の中で」だったな(木枯らし紋次郎の主題歌) 上條さんは掛毛布〜♪(恒彦)
下條さんは敷毛布〜♪(アトム) 今でも黒電話やプッシュホン使ってるって書き込みもたまにあるからメタル回線はまだ現役なんだね。まあメタル新規やADSLの新規申請はできないようだしメタル回線のとこも徐々に光に半強制的に交換かな。
別途電源いらなくて電話線のみ給電できるって災害とか考えるとすごい利点なんだけど >>572
昔はメタルのままアンプで増幅するだけで海外と通話してたと考えるとすごい。
そして回線数考えると通話料が激高だったのも納得する。 昭和の昔は携帯は普及してなかったけどアマチュア無線がとてもいい流行ってた。
トラックやダンプの運ちゃんなんか仲間内で話しもって運転するのが王道だった。 >>562 安全性・原料の安さ・入手しやすさなどを考えると、糖類のB級品ではないかな。
サトウキビを煮詰めて砂糖を取った後に残るカスなど。 >>540,572
今月NTTの請求書と同封で、2024年に交換網切り換えを行い、通話料は全国一律市内料金と同額に、ISDNは廃止にするけど、局給電は続けるし、宅内工事は不用、電話機もいままで通りのものが使えるから悪質商法にご注意、という文書が入っていたよ。 ガチャピン、ムックがCMNI使われているというのに、ロバ君&ガマ親分がリバイバルしないのはかなしい。
企画しそうな世代がリタイヤしてしまっているからか。 >>570
あの時代に時代劇のテーマソングで「銀河の向こうへ 飛んで行け」だものな
凄かった >>579
宇宙時代といわれていたあの時代だからこそじゃない? >>578
ガマ親分とロバ君は、中の人がお星様ですから… >>579
当時としては珍しいタイアップ曲だったのかな >>572
黒電話、一応回線に繋いである
ISDN時代は発信出来なかったが光になったらダイヤル発信可能になった
種別自動認識するそうな
いつまで使えるんだろこれ >>575
この歌はこんな風に聞こえるw
サンスペ聞いてなかった夫が洋楽好きでそんなの関係なく好きなものをよく家の中で流してるんだけど、
当時リスナーだった私が採用ネタをたまたま聞くとあの頃にタイプスリップしてしまうw
ジョンレノンが舐めてベロベロベロベロとか、ポールマッカートニーがじゅんこパンツとか歌ってるやつなど >>575
何かと思ったが、八月のなんとかー(聞き取れなかった)の曲か >>583
まだ何十年か使えると思う。
構造的に故障もしにくいからね。 オフコースのさよならで「愛したのは確かに君だけ」が「明日は確かに君だけ」と聴こえて、なんで別れるのに明日も会うのか、そもそも日本語おかしくねーか?と暫く疑問だらけだったな。 >>587
俺は「明日はー♪明日にー♪君だけー♪」だと思ってた
レコード買うか音楽雑誌読むかしないと今みたいにパッと歌詞ググれなかったからなー 今はどうか知らないけど、昔の曲でフェードアウトする際、けっこうギターソロで終わっていく
のが多かった。言うまでもなく高音のほうが聞こえやすい、通りやすいという事で、フェードア
ウトにギターを使う事によっていっそう余韻を残す、印象付ける効果があったのではないかと
思う。 昔ラジオのCMで
へいぼーん へいぼーん、みんなーのへいぼーん
へいぼん(超低音)
ってあったな。 あとキャンディーズがやさしい悪魔で網タイツレオタード着たのをみて勃起した思い出、はどうでもよくて
間奏部分の最後で「Yeah Yeah Good parling Doo doo」って歌ってるところが「イェイ♪イェイ♪純ちゃんじゅじゅ♪」だと思ってた
ここね
https://www.youtube.com/watch?v=XDnLQsdxo-I&t=109
全然言ってねぇwww しかも parling って何だよwww テレビに出ない連中の音楽が正しいと思い込んでたから、ベストテンに出てるニューミュジックをバカにしまくっていたな
オフコース、チューリップ、達郎、拓郎、正三、荒井に千春は神で
ゴダイゴ、サザン、アリス、八神、渡辺、世良は糞味噌
アイドルは別枠 >>587
俺は「僕の代わりに君が今日は誰かの胸に眠るかも知れない」がよくわからんかった
今は言いたいことはわかるけどさ >>565
イルカの名前の由来はギターを背中に背負って歩いている様子が、イルカが尾を振って泳いでる姿に似てたからだそうた。 >>594
ひょんな事からあだ名ってつくもんだね。 >>592
オフコースは、なぜかフジテレビのオレたちひょうきん族のひょうきんベストテンには出演してたんだよな オフコースはタモリにコキ下ろされてから名誉挽回まで10年以上かかった >>585
8月のなんとかとサンクスサンクスも別の歌だって。
皆さん分かってて言ってるのなら別によいですが >>598
黒澤明の映画のパロディみたいなので出てたかな 動画ないね
記憶では紳助が3人を送り出したあと
「本物や」ってコメントしてた >>592
ベストテンには出ない、であってテレビに出ないでは
なかったけどね。拓郎はドラマにも映画にも出てたし、
財津一郎も映画に出てた。ユーミンとオフコースは
映像を活用してたし。 >>606
それ聞くと、本人そのものの画像ではなくて、花のピュンピュン丸の絵面が思い浮かぶ。 >>608
91年は平成だねえ
平成はほんと劇的に変わったね
ウィンドウズもアイフォーンも地デジ化も平成
ポケベルブームも実は平成ってことは折りたたみ携帯も普通に平成 ということは次の年号の時代はもっとすごいことになってるんだろうね。
AIとかロボットが人間より優秀になってるとか... たぶん横浜銀蝿がAI化されたり、なめ猫がロボットになったりするよ 清志郎と坂本龍一が、ひょうきん族に出た事もあった。 >>591
俺は「アン♪ドゥ♪トロワ〜♪」のロングスカートからのぞく足が好きだった。 未だに風見しんご越えるインパクトのダンサーがいないは >>599
> オフコースはタモリにコキ下ろされてから名誉挽回まで10年以上かかった
名古屋はタモリにコキ下ろされてからまだ名誉挽回できていない >>617
名誉のほどは知らんが、
こないだのブラタモリで和解は成立したよ。 他スレで浮気で離婚という話があったけど、昔は旦那が浮気したくらいで離婚するなんて妻失格だと言われたな
ましてや子供がいるのなら旦那の浮気くらいで離婚するなんて!と呆れられていたほど
逆に妻の浮気は問答無用で離婚、子供も取り上げられて二度と会わせてくれなかった
実際はどうだったか知らんがこういうイメージだった >>591
あれは衝撃的だった。元々キャンディーズはピンクレディと違って露出が少ない衣装だったのが
いきなりレオタードで網タイツって、股間が熱くなったのを覚えているよ
今その動画見ても同じ思いだ そういやキャンディーズの最初のメンバーは伊藤蘭じゃなくて太田裕美の予定だったんだよな
声のインパクトが弱いと言うことで伊藤蘭に変更、太田裕美はソロデビューになったけど
太田裕美があの網タイツレオタード着てたかと思うとそれはそれでそそるな スーちゃんが既に亡くなってるんだもんなあ。
昭和は遠くになりにけり、だな。 伊藤蘭と水谷豊の娘がデビューしてるのを結構最近知った(顔は何度か見てる人だった) >>618
それでネタ都市名古屋のポジが変わるとは思えんが… >>625
http://neta-reboot.co/wp-content/uploads/2017/06/syu2.jpg
この娘か!トト姉ちゃんで観たとき地味で華が無いのにそこそこの脇役やってて、
その後も出てるなーと思ってたらそういうことだったか >>620
昔と今とじゃ女性の地位も稼ぎも雲泥の差だからな〜
昔は女が色々諦めてただけだと思う 野田秀樹の芝居、「怪盗乱麻」は一言で言うと、「かま」から「伊藤蘭(本人)」が生まれる話。
野田秀樹演じる吉田松陰が、伊藤蘭演じる沖田総司の身体を触りまくり撫で回す内容。 スーちゃん派だったなー。
キャンディーズが一番好き。ピンクレディはすごいブームになったけど
そこまで入れ込まなかった。
>>620
イメージとしてはそんな感じなんだけど、現実は意外と色々なんだよねw
昔男の浮気は割と目をつぶってたのって女性は出産繰り返してもうする気がなくなるからって
面があったと思う。すぐ子供が出来て、次もまたすぐ出来てみたいな人はもうするのも怖いだろうし。 >>623
このスレでも何度も出てる話題だが、それはガセ。
キャンディーズはたまたま選ばれて営業に
出てた3人を見たプロデューサーが見抜いて
引き抜いてできた。太田裕美はヤング101時代から
ボーカルを務めてて単独で名前テロップを
出してもらってる。 テレビにゃ出ないと言ったのに
ドラマの主役にゃ燃えている テレビの時代だったわ
情報の全てがテレビからだった >>600
出発の歌/上條恒彦と六文銭
デビュー曲だね その次が時代劇主題歌
>>601
モニカで合ってる 2019年に天皇誕生日がないことがYahooトップに
上がっているけど、いまでも12月23日が天皇誕生日
というのに違和感を感じる。まさに昭和脳と
バカにされるだろうが、天皇誕生日といえば
4月29日と頭に浮かんでくる。 12月23日も平成の日かなんかにしてほしかったよ。
クリスマス前には休みたいだろ。 スレ違いだけど、平成に入って、「俺、皇太子と同じ誕生日なんだ」と言ってた人がいるけど、いよいよ天皇誕生日として休日になるのかなぁ。 学生の頃は冬休み直前の短縮期
社会人になってからは繁忙期で7連勤当たり前の時期
…正直旨みの無い日付だったな12月23日 2/11から2/23まで休み取ったら13連休か。
シルバーウィークとまでは呼べんな。 同級生に教師やってるの多いけど小中学校の先生は
終業式前日が休みだと通知表つけるのにほんと助かると言ってる >>639
徳川の時代にはそれに近いことあったらしいが
今回の例だと増えないと思う 仮に秋篠宮文仁親王が天皇になったとしたら11/30が天皇誕生日となる。
したがって11月にも勤労感謝の日と合わせてシルバーウイークができることになるだろうな。
悠仁親王なら9/6なので準ゴールデンウィークができる。
俺らはそのころ生きてないと思うが... 米女優ナタリー・ウッドさん水死再捜査
http://www.sankei.com/world/news/180202/wor1802020021-n1.html
元夫の俳優ロバート・ワグナー氏を「重要参考人」
ナタリー・ウッドさんが1981年に43歳で水死した事故を再捜査している当局者は
元夫の俳優ロバート・ワグナー氏(87)を「重要参考人」とみて事情聴取を求めている
ことを明らかにした。近く放映されるCBSテレビのインタビューで述べた。
刑事コロンボかよ 不謹慎なこと書くけど、徳仁様が90歳で崩御されて秋篠宮殿下が皇位を継承されたとして
その時点で秋篠宮殿下は85歳だからその年号は10年くらいで終わっちゃうのかな
あるいは秋篠宮殿下は継承なさらずに悠仁親王が継承されるとか なんか、次は短そうな気がするな。
なんとなく、ではあるが。 液晶開発の草分け 元シャープ副社長の佐々木正さん死去、ご冥福をお祈りいたします
電卓の出始めは蛍光管表示だったけど液晶より明るくて見やすかったな
電力消費も多くて電池も減りやすかったんだろうけど 今の皇太子(57)は健康そうに見えるがなぁ。
公務で適度に運動して食事にも気を付けてるから皇室の人はみんな長生きするよ。
中にはアル中になった人もいたが... 天皇生前退位とか、仰天な展開になってる今
ゆくゆくは愛子さまが女帝になる布石かと…
現在の皇位継承権から考えると、
愛子さまが天皇になるのも、悠仁さまが天皇になるのも
ちょっと順位がね
天皇生前退位に次ぐ仰天展開がまだ有る…? >>654
昔、会社の先輩が平成になってもニキシ管の乾電池駆動の電卓をかたくなに使い続けてて、しょっちゅう単3電池交換してたのを思い出した 反応早いし見やすいし馴染むと使いやすいんだよな
平成に入って部署替えの時にあてがわれた机の引き出しに入っていたので使ってみたら自分の安物液晶計算機より使いやすくて俺も愛用した >>638
俺も全く同じだよ。
ガキの頃から慣れ親しんだ感覚は抜けないよね。 >>657
昔の名鉄パノラマ特急の乗客展示用スピードメーターがニキシー管だったのを思い出した。 >>655
皇太子は長生きしないよ
健康診断まともに受けてないし、お酒大好きだから >>656
ようやっと男系が口次の次の次まで繋がったんだ。
しばらく女帝の話はしなくていいと、関係者一同ホッとしてるよ。 爆弾ゲームのごとく次の世代に課題を引き渡してホッとしている 平成になって今の天皇は戦没者への慰霊とか
皇后の絵本読み聞かせとかいいところが強調される一方、
皇太子は働かないとか雅子妃はニートだとか
アンチな報道がめだつんだが、、
昭和の戦後は昭和天皇は学者だの全国を回られたの
戦争に反対されたのと偉大さが強調されてて
当時の皇太子はスケベだ、礼宮は女官に産ませたとか
アンチな話が多かった。 >>664
加茂さくらに産ませた子w
顔が似てるからってw >>662
ただ、男性皇族が1人になってしまうという危機は去ってないんだな。 天皇家の問題よか、お前ら自分の老後のほう心配したほうが良くねえか? 天皇家は日本の柱なんだよ
くだらない人間だなお前は 天皇一人を祭り上げることで、平等意識を保ってる側面は否めないよ
皇家を失った日本人は別物に変化していくと思う あってもいいけどたかが象徴だからなあ
Nikeのロゴと同じ扱いじゃ不憫w >>671
ナイキの靴だってロゴがなきゃタダの運動靴じゃん 天皇がなくて総理大臣だけの国もあるけどちゃんとした国家だぞ 滅多なことじゃ譲位できないのに支持率とか悪かったら悲惨だろ >>674
格が違うでしょ
世界中どこ言っても共和国は王国より格下の扱い ダン系が絶えたら鏡でも置いて、居ることにすれば大丈夫だよ。最高裁長官か参院議長の経験者で一番年上の人を摂政にするの。 >>674
首相だけの国とはどこよ?
まさかドイツとか言うなよ 戦前戦中のように祭り上げるのはどうかと思うが、天皇は事実上の国家元首で良いと思う。 >>683
今やすべての王国が象徴だよ
王が強権持ってる国なんてない UAEの大統領はアブダビの首長が兼ねる規定だし、サウジアラビアもバハレーンも国王の権力は絶大だぞー。 >>677
エンペラーがいるのにアメリカに嘗められてる日本の格って 「すべての国」って書いてあるじゃん
しかもバハレーンを後進国扱いとは… >>689
だから先進国って書き忘れたって言ってんじゃん
イスラム諸国はいくら金があって最先端の事業展開してても永遠の後進国だよ
>>690
なんで?あんた書き忘れとかしたことないの? >>691
イスラム圏の富豪って、努力して得た金じゃないせいか、金の使い方が凄く下品で汚らしい。
軽蔑する。大嫌い。 バハレーンもアブダビも石油は大して出ないので、彼らの富は海外企業の誘致であったり国際的なコミュニケーションを仲介することで得られたものだ。
不労所得じゃないぞ。 >>692
この前粛正(逮捕)された王子は総資産2兆円だっつーからな
息子が大学に通うために宝石を散りばめたスーパーカーを1億円くらいで買い与えたり マイルールの中では論とか興味ないから
あと中東の王家は中々に複雑で一括に論ずることはできないだろ 間に1レス入ったけどID:GF6RWxJRがもうね 実際にイギリスやオランダがドイツやフランスより格上の待遇を受けている例を挙げてくれたなら納得してもいいが >>697-698
アスペの安売りしてんじゃないよ
ID変えてんじゃなきゃ複数の人間がそう思ってるってことだよな
全然自覚ないわ(つーかアスペなんて言われる筋合いねーよ)
どの辺がアスペだと思ったのさ?マジで知りたいわ(どうせ書けないんだろうけどさ) >>700
お、最後ちょっと挑戦的な書き方だったな(スマン)
いやマジで知りたいわ。普通のやり取りしてただけなのに
いきなり「ダメだこりゃアスペだ」ってある意味新鮮なリアクションだったから
別に怒ってはいない >>703
ちょっとちょっと、絡まれてるこっちだよ? 意外に若くて驚いた。もう80は過ぎてるくらいだと思ってた。 >>694
親戚はいないが、仕事のパートナーはいるよ。 >>705
とうとう一匹になってしまいましたか…三波春夫先生もとっくにお亡くなりになりましたが。 >>711-712
自演してるとこ悪いけど、昨日のヒトのことならあの流れでなんでアスペなのか全然わからんし
あんたが一体全体何が気に入らなかったのかも全然わからん 昨日のヒトw
これから自演アスペ ID:L+Lynjw6の連投が始まります 丁稚奉公に入ったらまずは便所掃除から、しかも素手で、なんてのも普通にあったな 素手で便所掃除で日生学園を思い出した。
今なら絶対許されないスパルタ教育だったよな。
長期休暇明けで帰ってこない生徒がいたら怖い先生が複数人で車で家まで収監しにくるw
あと戸塚ヨットスクールもあったな。
引きこもりは金でなんとかたたき直せた時代だった。 >>716
親父が眼鏡屋をやってたんだけど、当時日本でもトップクラスと言われた
横浜眼鏡院(今は落ちぶれたかもだが)の社長が、新入社員は必ず箱根の自宅で
トイレ掃除からさせると言っていた。その話を聞いたのが昭和50年代だった
流石に今はそんなことやってる会社はないだろうけど
親父自身は終戦直後に状況して時計屋の小僧に入ったけど、3年くらいは
トイレ掃除などの雑用をしながら職人の仕事ぶりを見て技を盗んだと言っていた >>717
日生学園って知らなかったからググったらすごい学校だったんだな
しかもダウンタウン浜田が卒業したとはw >>719
行ってたわけじゃ無いんで事実がどうか分からんけど凄いとこだったらしいよ。
中学校でグレててアタマも良くないけど家はそこそこ裕福って家庭の息子が収監(w)されてた。
有料で親が性根叩きなおす為に無理矢理入れる私設少年院って感じの高等学校だな。 >>720
ああ、そういう学校だったのね。まさに戸塚ヨットスクールだな
そういや戸塚ヨットスクールで亡くなったのは実家と取引してた業者の甥っ子さんだわ 戸塚ヨットスクールの事件が相次いでいた時に、現代っ子の甘えを叩き直すために必要だと言う意見が普通に新聞やテレビで言ってたな。 >>722
この前のバスケコーチのせいで自殺した子が出た高校でも
直後の保護者会でコーチ擁護が圧倒的に多かったしな 実は高校卒業時大学ぜんぶ落ちて浪人する訳に行かない状況で自衛隊に入ったんだがその時日生学園の卒業生が沢山いた。
自衛隊は日生学園卒業生の定番就職先らしかったのだが彼らはこんないいところはない、飯はうまいし給料もらえるし最高とか凄く喜んでたわ。
自衛隊の団体生活やシゴキなんで日生に比べたら遊びに等しという事だった。 >>722
そういう施設だと知らずに、ちょっと厳しいヨットスクールだと思い込んで志願入校した普通のご家庭の普通の子を「そういう
施設だからお引き取りください」と追い返すこともせずお金目当てに受け入れた挙げ句に殺害してるという時点で、戸塚と
その支持者はただの卑怯者だとしか思ってない。
その件について糾弾されても「ソレデモヒコーショーネンノコーセーガー」と壊れたレコードみたいにほざき散らすだけだし。 >>725
今だったらネットで調べられるんだろうけど当時はどうしようもない不良息子を金払って性根を叩き直してもらうってコンセプトを知らずに入校させた人もいたみたいだもんな。
戸塚校長もそこら峻別して入校させるべきだった。
不良息子の親なら厄介払いと思って入れてた人も多いからクレームは出なかった気がする。
当時の世情を考えるならね。 穴吹義雄さんが南海ホークスの監督時代ベンチから出てくると
「よう戸塚校長」と野次られることもあった https://www.youtube.com/watch?v=L2_22rXiHQY&t=2550s
1958年だけど、最初の方に出てくる船からの荷下ろし風景がすごい
ふんどし一丁に天秤棒
江戸時代かよ 野田聖子だったかな、帝国ホテルに入社すると部屋の清掃から習うんだが、
トイレの掃除が終わると「完璧に綺麗になったか」「なりました」「では、その水を飲んでみろ」
てなやり取りがあったって言ってたな。ほんとうに飲んだかどうかは忘れたが。 野田聖子の講演でその話聞いたけど、本当に飲んだってさ 本当にきれいだとしても、水そのものが飲料に適さない場合もあるのにな。 手でトイレ掃除といえば明治大学野球部の名物監督だった島岡氏もさせてたってね
しかも島岡氏はこういう雑用は特に4年生にやらせていたとか
4年生は次の年には社会人1年生となるのだから、下の者に何でもやらせるのが当たり前であってはいけないという考えだったそうだ >>715
最大手化学雑巾屋と帽子屋みたいな名前の自動車用品店は、今でもやってじゃないの? >>734
素手ではないが、ミスドのバイトは出勤したら
最初にトイレ掃除、今でも。 未だに酒を飲み続ければ強くなるって思ってる奴もいるからな >>729
それ別んとこで聞いた覚えがあるな
ただし水を飲むんじゃなくて「便器なめてみろ」だった
それに戦前の話だった
野田がウケウリしたか、そうでなきゃ帝国ホテルの伝統なんだろう >>738
最近はだいぶんマシになってきた。
凄くいい傾向だと思う。
一番遅れてるのが相撲界だな。
まああそこは組織自体江戸時代と殆どかわってないからな。 確かに昭和の時代よりはだいぶマシになって来たけどその一方で
2010年代に入っても未だにゴールデンのバラエティ番組で>>722みたいな
コンセプトで、年端もいかない子供に虐待まがいの指導をするのを
感動物として放送する風潮がまだ残ってるんだよなあ。 最近そういうの増えてきてる感じがするよな、自分はすごく気持ち悪い
虐待や暴力まがいのことが「感動秘話」として復活してきてる感じ
そういうの努力して脱却してきたはずなのに 角兵衛獅子も現在だと児童虐待にひっかかることがあるそうで、郷土芸能ということでなんとか残してるらしい。 ついおとといぐらいかな、生徒が素手でトイレ掃除する中学校、TVでやってたぞ。 >>750
若い頃よりもっとキー下がってるのかな?と思って開いてみたら……
なんかむしろ♯1ぐらいになってね? >>748
この前なまはげの人にインタビューしてるの見たけどなまはげの中の人から
「コンプライアンス」という単語が出てきて驚いたわ
あと外国人が泣き相撲の映像を観て顔をしかめていた >>749
素手でトイレ掃除させる意味が判らんよな。
ゴム手袋使わせろって話だな。 培ってきた常識や既存の概念を打ち破るのに即効性があるんだよ
時間かけて「行」をする暇がない時
新入社員に街中で大声で自己紹介させるなんてんも同じ効果
無理なことをあえてやらせる→顔つきが変わる(意識のギアチェンジ)
運動部でもあった そういう発想は昭和にはないかな
そういう人は、黙って即日辞めるか
拒否→「指導」w >>753
なんか「辛けりゃ辛いほどいい」みたいな風潮あるよね
合理的な理由とか質問しただけで怒鳴られたり この流れで(何故か)突然思い出した
小学校のときに偉いお坊さんの話を聞くことになって捨身飼虎という
釈迦が前世で王子だったときに飢えた虎の親子を目の前にして自分を食べさせたというお話
最後に何か質問はないかと聞かれたので手を挙げて「王子の家はお金持ちだったのだから
虎の餌を手配させれば良かったのではないですか」と質問した途端、教師が鬼の形相になって
「何を聴いていたんだおまえは!!」とグーで3発くらい殴られた上に坊さんに謝罪させられた
坊さんは止めるでもなく、謝罪した俺に「いろいろと考えるのはよいことです」と言ってくれたんだが
教師は「こいつにそんな言葉はもったいないです」と言っていた
ちなみにいつもふざけて授業の邪魔をしていたとか、そういう子供ではないが、何故かこの教師には目を付けられていた
激怒した最大の原因は「自分に恥を掻かせた」からだと後で言われた 4月から6月の研修期間の頃に、駅前で「名刺交換させて下さい」っていかにも新人なリーマンにお願いされたな、よく。
名刺交換とかは営業研修の一環とかで納得出来るけど、往来ででかい声で自己紹介させるとか、いつの時代だよ?とは思うね。 >>759
度胸試しの精神修養()と個人情報収集を兼ねた研修だなw >>758
いや、何を聴いていたんだ? と思うぞw
坊さんを呼んでまで「場」を作った上でのことで
下世話で合理的な話をしてたんではないんだから
空気よまず、小賢しさが際立ち不敬にとられたんだろ、殴っちゃいかんがw 精神論が出て来たので、昭和の終わりに看護婦資格をとったナースから昔話。
患者さんの身体を拭く事を清拭というのですが
これ大体50℃くらいのお湯で拭きます。
昔はこれを素手でやらないといけませんでした。
手袋を使うなんて、患者さんを汚ないもの扱いしている事になるから失礼だ、
という理由で。おかげで若いころから分厚い手の皮を持つことになりましたが
平成になり院内感染対策の観点から、何をするにも手袋必須!となって喜ばしい事です
でも今もたまに居ますけどね。
患者に素手で触らないなんて、本当の看護ではない!みたいなこと言う患者さん
ゼンメルワイスの苦悩は現代にもまだ残っておりますよ… 今じゃ考えられない昭和のナース事情
准看護婦という資格は、基本的に働きながら取得します。
朝から昼まで仕事して、昼から夕方まで学校で授業。夕方から夜まで仕事。
これが夜診のある診療所には非常に便利だったのですね
白衣着せてナースキャップかぶらせておけばナースに見えるし
実際は無資格なので給料は安くていいし
で、田舎から出て来た中卒の娘さんを住み込みで雇えば、こき使っても逃げられません
医療の他に、院長の家の掃除をさせ、犬の散歩をさせ、休日も与えず働かせても
「住まわせてもらい、学校に通わせてもらってる」という理由で逆らうこともできず
ようやく准看免許を取得しても「お礼奉公」という名目で2年間勤務が義務
勿論それが終わればすぐさま辞めて行くのですが、医者側はベテランナースなんか欲しくないわけで
次の学生を雇えばいいのです。そうやって常に安く使いまわしていたわけです。
このお礼奉公を拒否したナースには卒業証書を渡すなと看護学校に圧力をかけることもありました。
実際、看護学校は医師会が創設していることが多くて逆らえなかったのです。
ホント、今は良い時代になりましたね。 ナースで准看護師と言えば陸自の衛生科隊員(衛生兵ね)で部内で試験受けて受かれば教育を受けて資格を取れたんだが衛生兵って無茶苦茶キツイからあまり人気がなかったな。
運良く病院勤務になっても正看護師の女(上官)に使われるし辞めても精神病院しか行き先がないと言われてた。
今はわからんけどね。 >>763
良い悪いは別にして
そう言う制度があったから、貧乏とまでは言えないけど
家に余裕のない家庭のお嬢さんがタダで看護師の資格が得られると言うメリットがあった
今の返さなければならない奨学金制度と、どっちが良いのか
ちなみに俺の嫁さんも、ほぼ>>763のような環境
さすがに院長宅の世話と言うのは無かったが >>767
今もありますよ、お礼奉公システム。
でも看護師資格を取った時に、奨学金を返せばお礼奉公はしないでいいです
お礼奉公すれば奨学金を返さないでいいです。
これを今は選ぶことができます、昭和の時代には選べなかったんですよ。
そういう意味で、今の方が良いシステムだと思います。 あと結婚したら強制退職システム。
だから婦長になる人は必然的に独身でした。
これは看護婦だけじゃなく、スチュワーデスもそうだったらしいですね。 >>750
松原みきと勘違いして
「亡くなったんじゃ!?」
とびっくりした そういえば、「赤毛のアン」の18章に
「アンの看護婦」というタイトルが付いているのだけど
これが今訳されたら「アンの看護師」になるのでしょうか?「アンのナース」?
誰か新しい訳の本を持っていませんか?
私の手元には昭和42年発行(初版は29年なので訳されたのはその頃)
の本しかありません 赤毛のアンではないけど昔の作品は「孤児院」が「児童養護施設」に変えられたりしてるよね。
孤児院と養護施設は似て非なる物だと思うんだけどね。
「王子と乞食」は「王子と少年」になってたなぁ。
「白痴」とか「気狂いピエロ」とかはどうするんだろう。 キャンディキャンディのポニーの家も孤児院じゃなくて児童養護施設になるのか >>772
「気狂いピエロ」はテレビ放映されたときは原題と同じ「ピエロ・ル・フ」になってた
「きちがい」を「きぐるい」と読ませてる場合もあるね
「白痴」は言葉としてはコード引っかかるみたいだけど
映画や小説のタイトルとしてはそのままみたい >>763
資格の無い女の子に喀痰吸引とか静脈注射させてたんだっけ >>770
原田伸朗のラジオで初体験は中二の時だったと言ってたわ 今日は朝から昼だった
どんより曇った日本晴れ
生まれたばかりのばーちゃんが
99の孫連れて
谷から山に飛び降りた
それをめくらが発見し
つんぼの家に電話した
っつー言葉遊びがあったんだけど小3の頃ラスト二行が差別だー!って
「視覚障害者」「聴覚障害者」と言いなさい!ってむっちゃ怒られた
語呂が悪くなるんでそのまま廃れた >>779
その言葉遊び、高校の時、友達から聞いて大笑いした記憶あるわ。
懐かしい。 かたわ・びっこもダメ
生放送でキチガイを連発した塩川正十郎は豪快だったw でもなんでハゲ、デブ、ブス、バカは大丈夫なんだろうね
デブとバカは努力が足りないからだとしてもハゲとブスは治しようがないから差別じゃんな 上のレス書いてふと思ったけど、テレビのお笑いがお嗤いに変わってきたのっていつ頃からだっけ?
とんねるずがでかいツラするようになってから?
人の容姿を嗤ったり、人を騙したり怖がらせたりして面白がったりする風潮 >>782
斉藤暁はハゲデブチビでも可愛くてかっこよくてハアハアキュンキュンだから許す。 >>783
とんねるずの笑いは不快で、俺は受け入れられなかったな。 >>785
ジャズトランペット吹いたりして意外と格好いいんだよね
>>786
家族が観てたからたまに見たけど定岡を騙す企画とか不快以外の何物でもなかった
一番不快だったのは、ゲームで負けると丸坊主という企画でみんな負けたら丸坊主にしてるのに石橋が負けたら怒鳴り散らして逃げてたとき
しかも石原軍団で渡哲也にヘコヘコしてるし
最低のゴミだあれ ドリフあたりからじゃね
誰かをいじめて笑いにするテレビは >>788
ドリフは長さんをそれ以外のドリフメンバーが風呂に放り込んでボロボロにするコントが定番だったがイジメとは違う気がする... >>789
だね。高木ブーがいじめられ役になることはなかった
もしもシリーズの「威勢のいい風呂屋」とかで長さんボロボロにされてたな
ひょうきん族かな。ひょうきんベストテンで鉄板の下で薪を燃やして、その鉄板の上で鶴太郎(マッチ)を唄わせたり
伊丹幸雄(昔のアイドル歌手)を氷点下20℃の冷凍庫の中で唄わせたりしてた とんねるずは酷かったもんなー
夕焼けが始まった頃は大学生以上から全く支持されてなかったんだけどね
ただ飲み会の一気飲みだけはお約束になった
あとダウンタウン登場で本格的に笑いから嗤いになったような おニャン子いじりも賛否両論あったね
(後にモー娘にも似たような事してたが)
お笑いスタ誕時代のコントは好きだった むしろドリフターズは自分の体張ってたイメージだな。
長さんがボコられたり志村が叩かれるシーンはあるが、イジメみたいな印象はなかった。 関西ローカルの番組だけど、真面目で大人しそうな一般の男性をモテない君と馬鹿にして、モテる為と称して変な事を
する様に強要して、その様子を見ながらスタジオで嘲り笑ったり
無名のアイドルに枕営業を要求して、相手が拒否すると恫喝して強要して泣いたら大成功みたいなドッキリを仕掛けたり
色々酷い番組もあったよ >>793
特定のメンバーだけを固定して酷い目にあわすって状況が無かったからね。
長さんが志村を痛め付けても、だいたい長さんも仕返しされてる 去年だったかおととしだったか、27時間テレビで渡辺麻友が顔面蹴られて笑ってるのあったな 今でも不快なのはダウンタウン浜田がパンパン後輩芸人の頭を叩くところ。
80年代中盤のフジテレビ全盛期からこう言う不快な笑いが増えていった気がする。
ダウンタウン、とんねるず、ひょうきん族なんかね。
でも志村の笑いは今でも本当に楽しい。
昔を思い出してホッとするんだよな。 >>794
紳助の番組だろ?
ダウンタウンが出てきて変わってしまった後だよ ローカルだった頃の新喜劇はドツき合い当たり前だったが不快でもなかったな
たとえば寛平と木村進が助走つけたドロップキック合戦
ふっ飛ばし合いでセット壊して一発ギャグ
お互い青タン作って演技続行、なので子供も真似しようとは思わん >>799
それはお互いが対等にやり合ってるからであって、御大が指示して中堅がみんなで若い芸人にドロップキックとかだったらやっぱり不快だと思う >>797
浜田が若手を叩くのは俺も嫌いだ。
相方叩くならまだしも、そうじゃない人を叩くのは不愉快なだけだなあ。 >>797
浜田が頭を叩くのも嫌いだが、有吉が(あんまりテレビではやらないけど)
挨拶代わりに背中を叩いたりボディブロー入れたりするのはもっとイヤだわ ドリフはガミガミ言ういかりやをギャフンと言わせるというのがネタだから笑いになる >>806
そうそう。だからとんねるずも若手をいじめた挙げ句に石橋が落とし穴に落ちるという流れなら不快ではないわけですよ >>808
大阪のテレビ局にクソみたいなディレクターがいて
雪山での無謀な若手芸人イジメ企画で若手芸人が凍傷になって指無くしたのあったな そもそもドリフはメンバー以外を弄ったりしないから。
ゲストの扱いは丁寧、若手だろうとゲストは立てる。 ハナ肇の銅像コントでは、若手がハナに遠慮したら「仕事だから真面目にふざけろ!」と怒られたし、
キントト映画では、あえて一番下っ端のなべおさみに殴り役をやらせた。 ゆ〜る〜さん!
吉本のジュリーとタマネギ室谷が突然消えて、カンペーちゃん1人主役で一気に全国区 >>812
新喜劇って突然人が消えるよな。
病気とかもあるんだろうけど干された人もいるのかな? >>813
借金取りが来るようになって逃げてしまったような人もけっこういる ダラアホンダラの象印ポットとアツーアツー!あたりはそうかもな
ゆるーさん!は脳梗塞だったかな?、みっチャンみちみちクソクソクソは咽頭癌
この頃は主役3人の芸人根性や「やっぱりいい人」っぷりが滲み出ていた
脇役含めてブラウン管越しに人となりが伝わっていたので、ダウンタウン以降の陰湿さとは違う どつき漫才もあったしなぁ
ビートたけしも松尾坂内を叩いてた
石橋は高校生活のノリをTV画面に持ち込んだ
浜田が髪の毛つかんでも全然痛くないそうな・・
石橋も浜田も実際は優しいらしいが、下品にはかわりない >>811
なべおさみが映画監督の役をするコントあったな
メガホンでクレイジーの面々の頭を全力で叩いていた
最初は全然叩けず、軽く叩くとハナ肇も植木等も温厚な安田伸まで怒ったそうだ
思い切り叩いてOKが出た直後に号泣したと徹子の部屋で回顧してた
そんな温厚なクレイジーの面々でも、なべおさみが長距離列車での移動時に
弁当の手配を忘れたときは激怒したそうだ 他スレで書いて思いだしたが、小学校のとき、ズボンや短パンを履いてる女の子の何人かがキャメルトゥになってた
当時はちょっと不思議に思う程度だったけど、お宝があんなに間近にあったとは 平山みきって五黄土星人でもないのに、
なんでいつも黄色い服着てるんだろうな 昭和期(末期は除く)には、一般生活では、
ブランドという語は一般的ではなく、メーカー
トレンドではなく、流行(リ)
ロゴではなく、マーク
コピーではなく、キャッチフレーズ
プレミアムではなく、デラックス
レトロではなく、昔懐かし
…という言葉を使っていた。 >>820
そんなん、もっと前なら
メーカーではなく製造会社
キャッチフレーズではなく宣伝文句
デラックスではなく豪華版
そういや「製造メーカー」という重複表現もよく使われていたな プレミアムアウトレット➡デラックスはんぱモノ市場。 >>817
結局クレージーは怒りっぱなしじゃんか。
どこが温厚やねんww アウトレットの使い方が今は本来の意味と違ってるもんな。
郊外にある大型ショッピングモールってニュアンスだよな。 >>818
わかっていたけど、隠されたり、騒ぎになると見られなくなるので、男女問わずに絶対に口外しなかった。
と言うより、俺は姉も妹も、女の子の幼なじみもいなかったから珍しくてしょうがなかったが、みんなは(外観は)就学前に見飽きていているのか、話題にもなってなかった。
そのころの女子が珍穂に対し、ただ汚いと興味がないように。 >>819
占い師だかにあなたのラッキーカラーですと言われたから、黄色がなければ染めると昔テレビで聞いた記憶がある >>826
俺は同級生の女の子が目の前で体操服から私服に着替える時にブルマと一緒にパンツまで降ろしちまってモロにアソコを見たぞ。
直ぐに戻したから瞬間だったけどはっきりと見た。
たしか小四だったと思う。 >>828
うちの小学校も4年まで男女一緒にプールの着替えしてて
着替えの途中にスカートまくりする男子とかいたから
女子の生尻とかマンすじは何度かお目に掛かったわ
でもなんとも思わなかった >>826
女性は大人になっても男性器に対して、
ただ汚ないとか興味ない、以外に何も思いませんよ >>831
うちのオカンはカニくったあとの殻飯に混ぜてやってたわ。
犬はカニの味がしみて美味いのかよろこんでバリバリ食ってたがウンコする段になって便秘で苦しんでた... 大学の合否電報は面白い
早稲田
「サクラサク/サクラチル」
三重大「イセエビタイリョウ」とか
秋田大「ナマハゲカンゲイスル」 姉や妹、幼なじみのいるヤツなら、排尿器官として尻が延長、していると見切っているのだろう。
が、そうでない俺は、小便小僧やトイレット博士、がきデカなどの漫画では男のは頻出するのに、女のは異様に隠されてる、見せ物、嘲笑の対象とされているのは不公平だとおもっていた。
ミルク飲み人形が欲しかったが言い出せない。
ならば、女が読む少女漫画誌を見れば…と週刊マーガレット(ベルばらの頃だったので少女漫画誌と言えばコレだった)を見たが、つる姫もご披露してくれないので、不公平でならなかった。 幼馴染の女の子と俺と弟で一緒に春の田んぼに蓮花摘みに行った時に彼女はそこで野ションしてたな。
あっち向いてて!と言われてたけど横目で見てたな。 >>834
男性は女性器見て欲情するけど、女性は男性器見たって欲情しないからでしょ >>833
ツガルカイキョウナミタカシ ←我が母校の不合格電報 >>831-832
仮に身長10mくらいの高等生物が地球を支配して、文明を忘れて野生化した人間がペットとして飼われるようになったとして
「あそこの家では人間に塩や牛脂入りの餌を与えている。人間のためを思うのならビタミンやミネラルが配合されたオートミールしか与えてはダメだ」
と言ってるようなものではないかと >>831
イヌの名前といえばコロ
そしてジョン次にラッキーだった
うちは猫派だから犬は飼ってないけど
同級生とか近所に犬があちこちで同名になるw
こっちの家の犬もラッキー、友達の家の犬もラッキーみたいなw
同じクラスに複数名ラッキーを飼ってる子がいた。 野良犬がいた
高校生の頃部活で遅くなって夜中自転車で帰宅中に犬に追い回されてビビった 小学生の頃野良犬に追いかけられて、生涯でこんなに早く走ったことはないくらい必死に走ったのに追いつかれそうになり、他人の家の門の中に駆け込んで難を逃れたことがある。 国道でひかれた野良犬の死体とかちょいちょいあったが、今は見ないね 田舎でも野良犬は保健所行きだしね
轢かれた野良猫なら田園地帯なら煎餅になるまで大体そのまま
蛙と蛇はどこでも完全放置 >>838
可愛い子って、黙ってるだけで露出狂とかに見せられてるから見たくも無い、興味もないと思ってたり
するんだよこのうすらトンチキが。
>>847
現在の野良犬の行動時間は主に深夜なんだって。 >>836 体に札束巻いとけば欲情するんやろ
>>837 北海道に住んでたら合格か 中国が大気内核実験してて、雨に濡れるとハゲるとか
雪食うとハゲるとか言われてた >>848
俺も幼稚園の帰りに野犬の群れに襲われたわ
幼稚園から一人で帰るということ自体、今じゃ考えられない話だよな >>851
何気に「あたしは可愛いんだ!」って言ってる? >>855
自宅が飲食店やってたから、そういう話をよく聞いてたの。 野良猫は見るが野良犬は本当に見なくなった。
野良犬の数ってその国の進歩具合を表してると思う。 猫にも帰巣本能があるって知った。
子供の頃、家の建て替えで1kmくらい離れた場所に仮住まいしていたことがあったけど、一緒に連れてきていた飼い猫が脱走した。
1週間くらい行方不明で、その後、大工から「なんか現場から離れない猫がいる」と連絡が入った。
行ってみたらうちの猫だった。脱走した時より痩せてたけど。
「何これ?どうなってんの?」みたいな顔でこっち見られたのを覚えてる。 近所から、猫が子を産みにやってきて、そのまま居ずいてしまった。親猫が子猫をうちに押し付けて帰ってしまった。仕方なくずっと死ぬまで飼った。それで猫の面白さも知った。猫はアイドルだった。 >>846
ラッシーじゃなくてラッキーだった。
ちなみに親戚の家の犬はジョリーだったが、
全然躾しなかったのでウザイバカ犬だった。
>>854
幼稚園から帰って来た後、よく一人で外で遊んでたけど
今だったら有り得ないんだろうなあ。
近所に同じ幼稚園の子がほとんどいなくて一人で田んぼ行ったり空き地で遊んだりしてた。
親も気にしてなかったし。 >>859
「あ、この子野良に向いてないわ」という子を連れて「子猫飼いませんか?」と営業活動することもあるし、
お眼鏡にかなった家に置き去りにすることもある。
>>861
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%A0%E7%8A%AC%E3%82%BF%E3%83%9E%E5%85%AC >>826は学が無いな
珍宝という立派な漢字があるのに、珍穂とか草 >>860
俺も近所に友達あんまりいなかったから一人でザリガニ採りとか行って
暗くなって帰ってきても別に怒られなかったな >>862
若猫が突然家に現れて居着いた事があった。
ああ、ウチを狙って置き去りにしたなとピンと来た。
残念ながらうちはアレルギーで猫を飼える状況ではなかったので親父と一緒に車であ10キロほど離れた場所に連れて行って放逐した。 バレンタインなんて何もなかったな
一部のリア充だけが、とかじゃなく、誰もチョコ贈ってなんかいなかった
ちょうど百貨店とかがそういう風習をつくろうとセールスしてた時代だったらしくて
大きなお店に行けば、豪華なチョコレートをプレゼント仕様で売ってたけど
学生には無関係だったし、まして友チョコなんてものもなかった 頭髪検査とか持ち物検査とか普通にあって、そのことに誰も疑問すら持たなかったな >>866
昭和末期は商業的になってた
というか商業的じゃないバレンタインやクリスマスケーキなんてなかったんや >>867
髪の毛が柔らかくちょっと茶色っぽかったので色々言われたわ。
まあ不良とは縁遠い人間だったのでそれ以上は言われなかったけどね。 2月14日になると何故かチョコレートを食べたくなる不思議さ。
昔自分の小遣いで買って食べてると、貰ったのかと遊び友達にからかわれた遠い思い出。 >>870
俺はテンパーだったからしょっちゅう言われたわ
ストレートに憧れていたというのに! >>868
アラフィフ
20歳頃にはもう「バレンタインはチョコで告白する日」という認識にはなってたが、
学校でチョコが行き交って教師が禁止令を出したり…みたいなのは
もっと後にニュースで知って「今の教師は大変なんだなあ」と思ったりした 小学校が女子校の付属だったから一学年に男子6人という監獄学園状態なので男子全員が10個以上のチョコもらえてた
中学は姉妹校の普通の男女共学だったから一気にゼロになってカルチャーショックだったわ 自分が小学生の頃にホワイトデーなるものができてから数年は
お返しにマシュマロやキャンディーを配る牧歌的な時代だった
バブルの頃からか三倍返しとか言い始めてジュエリーとか返すようになった
そのうち義理チョコとかいう謎の風習が始まって
「女の子が一年に一度告白する」「もらえるかどうか男子はドキドキ」の本気の真剣感は消えていった >>875
未成年で、親の金でやること(詰まるところは親同士の付き合い)なのに三倍返しとか要求するバカがいたりもした。 「義理チョコ」は結構、昔からあったと思う。
証拠は
40年以上前に自分が同級生からチョコをいくつか貰っていた記憶あるから。
当然、友人たちも同じ女子たちから貰っていた。 平昌五輪の開会式みながら思ったけど、昔はみんなザッザッザッと足並み揃えた行進だったな
ロス五輪のときに行進の途中で写真撮ったレスリング選手がバッシングされてたけど金メダル獲って見返してた
今は曲自体が行進曲じゃないし、こっちの方がいいわ
高校野球とか国体とかはいまだに軍隊式の行進だっけ? 前は2月上旬にチョコレート買うのを躊躇した時期があったが
もう何のためらいもなく買えるようになった
誰も気にしてねーよと >>867
あれはそれなりに面白かったw
笑いのネタも発生したし。
いくら注意されても直さず何度も言われ面倒なことになって
ふて腐れてるガンコな子は今思うと損な性格だな。
別に悪いとか思わないな。
ただ知り合いが言ってた女子高は厳しすぎてちょっとビビった。 >>878
軍隊式だと思う。
昔は学校でも分隊教練やってたからその人達の目の黒いうちは軍隊式がまかり通ってた。
日教組の強い学校でもそうだったんだから。 >>857 南北朝鮮では野良犬はいるのかな? おそらく一匹もいないとおもうが・・・ 誰も朝鮮に野良犬猫いるかなんて聞いてない件・・
居る訳ねえだろ、食ってるから >>883
北では恐らく人間と野犬との間で喰われるか餓死するかの真剣な闘いが繰り広げられていると想像。
でも日本でも野犬なんて今世紀に入ってから見たことないぞ?
居ても首輪つけた迷い犬だ。 野犬は見なくなったけどその分タヌキをよく見かけるようになった
狩る野良犬が居なくなって繁殖してるとかなのかなぁ
ひょっとしたら子供の頃は猫と思ってたのかもしれんけど >>885
タヌキは昔より見るようになったな。
キタキツネは札幌の郊外でも餌欲しさにウロウロしてるけどホンドキツネはほとんど見ないよな。
今まで野生のやつ見たのは1回だけだわ。 札幌越してきて一年だが、野生の鹿とキツネを生で見た時はマジで驚いたな。
「普通だよ」と言われてさらに驚いたけど。 >>887
冬の朝なんか街中のゴミ捨て場のケージの下に群れてたよ。 普通に住宅地に出るんだな
本州でのタヌキ的な感覚なんかな?>北海道のキツネ
イタチは繁華街でも普通に見かけるからちょっと違う >>887
関東北部だが越してきてすぐにムササビを見て驚いたわ モモンガが見たいけどどこにいるんだろう?
こないだNHKのダーウィンで鳥取の智頭町に居るって言ってたけど夜行性だし簡単に言うと見れないんだろうな。 >>880
鞄を二重底にしたり隠しBOXのある教科書ダミーを作ったりいろいろ闘ってきたな >>887
関東北部だが越してきてすぐにカワウソを見て驚いたわ >>896
コウモリは東京都心でも当たり前に飛んでるぞ。
あれはむしろ田舎にはいない動物だ。 >>891
江戸時代に、人を驚かすときの囃子言葉が「ももん…がぁっ!!」(両手で背中に風呂敷などを抱えてうずくまった姿勢から、
露出狂よろしくばっと開く)だった事がモモンガの語源だってね。
皮膜で飛ぶ格好が、ちょうどばっと開いてびっくりさせるときのスタイル。 >>901
鳴き声って聞いたけど違うんだ。
まああんな小さいのがモモンガって鳴くとは思えんしな。 >>901
ブラックジャックにもあったな
怪獣の着ぐるみを着てた兄ちゃんの足が象皮症になっちゃってBJの診療所に入院
兄を慕っていた幼い弟がソーッと覗きに来て兄の足を見て改造人間にされたと勘違い
BJの顔を見て悪の首領だと思い込む
後日、完治した兄が帰宅する際、BJが一芝居うち、兄がBJを撃退して弟の尊敬を得る
その際にBJが襲いかかるときの声が「モモンガー!!!」だった いい歳して区別つかない動物、違いを指摘できない動物類、
あえて調べようとも思わないのが加齢の為か。
(単に同じだけど呼び名だけ違うのかももと思うときも)
ムササビとモモンガ
カンガルーとワラビー
オットセイとアシカ
ヒョウ、ピューマ、チーター、ジャガー、テンなど巨大猫系肉食動物、
ペンギンは「大きい」のと「小さい」の2種類、
カワウソとイタチ。 >>904
とりあえずテンを巨大猫系肉食動物に入れてるのはどうかとw
自分の思うテンと別のテンがいるかと思ってググっちゃったよ >>904
カンガルーは大中小で3種類の呼び名がある
カンガルー、ワラルー、ワラビー
あとテンとイタチならわかるけどカワウソとイタチはすぐわかるだろw >オットセイとアシカ
トド、セイウチ、オタリアも追加しようぜ。
(オタリアは姫路城動物園にいるのを見て知ったぜ) >>886
ああやっぱりそうなんだ。
子供の頃、タヌキなんて生で見たこと無かったのに
今住んでる町に越してきてから3回も車にはねられてるの
見たから、すげえ田舎に越してきたのかと思ってたんだ。 みんなタヌキとアライグマとハクビシン見分けついてるの?
すごいね。
私全然ダメだw >>910
たぬきは獣偏に里って書くくらいで、人里の近くにいる生き物なんだよ。
それでも最近よく見かけるのは、やはり野犬が減ったからだろうね。 >>908
本来は絶滅したオオウミガラスのことをペンギンと呼ぶんじゃなかったっけ そう。今のペンギンは「新しく見つかったペンギンに似た鳥」。
詳しくは川端裕人著「みっともないけど本物のペンギン」(講談社文庫「星と半月の海」収載)参照のこと。 猪は昔は見なかった
ガキの頃、興味津々山とか谷とか自然なエリアに入っていったりしたが(今のガキでは危険とされる遊び)、猪は見たことない
今は地元の住宅地付近で目撃される >>917
学研のひみつシリーズにある絶滅動物の話は哀切極まりない >>899
折り畳み傘のことだっけ?
ふと思ったんだけど今時の中高生とかは、
口もきいたことがない何の接点もない片思いの相手には
どうやってアプローチするんだろう?
LINE仲間になるにも難しいだろうし待ち伏せするのもストーカーっぽいし…
今時ラブレター書く子はどれくらいいるんだろう 片思いの相手の後をつけたり家の周りをウロウロするのが
「純愛」って呼ばれてたステキな時代だったなぁ
よく考えると結構怖いがw >>883 857の主張:「野良犬の数(の少なさ)がその国の進歩度合い」 に対するアンチテーゼだよ。
野良犬は一匹もいないだろうがかの国が先進国? という。 >>920
和傘に対する洋傘のことだぜ
確かに折り畳めるけど現代の認識だとなんか違うものになっちゃう 番傘の方が昔はやすかったらしいけど今はファッションアイテムになっちまって番傘って高いよね 消防署の方から参りましたとかいろんな手口の訪問販売あったけど最近パタッと消えたね
法律で禁止されたんだっけ? その代わりに架空請求みたいな顔出すリスクが無い手口が増えたんだろうな
近ごろたまに家の固定電話にかかってくる電話なんて
保険や通販のセールスか買取詐欺ばっかりだわ >>878
今は選手入場の途中でスポンサーのカメラ使って
これみよがしに写真撮ることも選手の仕事の一つだからなー ちょっと待て、>>897がなんか言ってる。
…んで、構ってやってください。罵倒でも構わないけど、無視は辛いです。 >>927
おお、そういうのもあるのね
いつぞやの夏の五輪で野口みずきがあからさまにゴール直後に靴脱いで臭い嗅いでたもんな
新聞とかロゴにぼかし入れりゃいいんだよあんなの 犬を飼っている家の玄関先に貼ってあった、車検章みたいに年毎に色の違う「犬」ステッカーって見かけなくなった気がするけど、いつ頃まで義務だったんだろ。 >>930
門票が正式名称らしい
1995年に法律が改正されて、年一登録から犬の登録時に変更になったとかなんとか
http://iyatare.com/seal/seal.htm >>930
あれって狂犬病の予防注射した時に受け取るのじゃないの?
最近は「室内飼いだから」とか謎理屈で受けて無いのが増えたって話は聞いたことあるが、あのシール無くなったの? 今でも電車の天井の箱の中ではファンが回っている…と思って
なんか「星の王子様」の
「この箱の中に羊がいる」を思い出してしまった >>935
冬にかかってるカバーの、ワリコーとかワリチョーとかがなんだかわからなかった。 子供の頃に買ってもらったトランシーバーのショボさは異常 >>939
普通折りたたみ傘というと、柄(中棒)が伸縮する方思い浮かべるじゃん たたむのと折りたたむでは違うでしょ
普通の傘をすぼめるのはたたむ、折り畳み傘を短くしてたたむのは折りたたむ >>938
割引金融債って
戦後の復興期と高度成長期の資金需要を補うために
アングラマネーを表社会にに引きずり出すように
無記名式OKにして(闇社会のマネロンにも使われただろうけど)
清濁飲み込む優れたアイデア金融商品だったと思う。 >>940
まあ無免許で使えるパワーしかないからね。
見通しのいい田圃でも300mくらいしかとばんかったけど結構楽しかったんだよな。
学館の愛用してた。
いまのスマホが与えられてる子供には絶対に理解出来ないせかい。 トランシーバー持ってたけど
機能のしょぼさよりは「電池があっという間になくなる」ことが
子どもの経済力では厳しかった
トランシーバーとラジコンは
ランニングコストという概念を教えてくれたスパルタな玩具 >>944
学研のトランシーバー、ほんと大声出せば聞こえる範囲ぐらいしか使えないし
電池は9Vの角形で入手に難がある上、買ってくれと言いづらいし、使えなかったなあ
スキー映画で使ってたのはアマチュア無線だっけ?
5Wあればあんなんでもそこそこ届くんだけどな
実際に売れたのは特定小電力だけどあれもそれなりに使えたはず
0.01Wの割に山ならキロメートル範囲で通じて電池も単三使えたし
今時の特小は単三1本とかあるのな 目覚まし時計といえば、ツインベルタイプが主流だった 目覚まし時計と言えば、ガキんちょの頃に母親の目覚まし時計を、興味半分でばらしていたら見つかって大目玉を食らった遠い思い出。 >>923
920です
なるほど洋傘の事なのね、一つ賢くなりました そういや、技術家庭でトランシーバーラジオのキット組み立てたな
トランシーバーとして使った記憶が全くない やっすいトランシーバー買ってもらったけど、タクシーから「無線に混線する」とのことで禁止されちゃった… >>943
毎月28 日に榊原郁恵や沢口靖子(ワリショー)、伊藤かずえ(ワリノー)の売り出し広告が新聞に載ったり
無記名、利息分先取り、源泉分離課税、お求めは○○証券で、ってCMが流れていた。 近くの公園でトランシーバーで遊んでたら交番のお巡りさんのトランシーバーに電波が届いたらしく、それで遊ぶのはやめなさいって言われて
今でもほぼ新品の状態で持ってる。
そういえばラジオにも大陸からの電波が入ってきて何をしゃべってるか解らなかったけどおもしろかったな
それでジャッキーチェン死亡説が流行った。 >>946
昔の電子機器は回路の関係で比較的高い電圧を必要としたから9vの006p電池使用のものが多かったんだよね。
アレは1.5vの小型角形電池を6個直列につないだだけのものだから本当に容量が少なかった。
更に昔の電池管(電池で動くように設計された比較的低い電圧で動くの真空管)なら最低でも数十ボルトの電源を要したからバッテリーだけでも本当に重かった。 そういえば、昔ラジオを聞いていたとき、「こちらはモスクワ放送です」というのが日本語で入ってきてたんだけど、どこから放送していたんだろう? モスクワ放送と北京放送はAMラジオでも容易に受診できたからね。
聴いてても面白く無かったけれども当時は外国からの電波だと思うとワクワクした。
今はネットで世界と常つながってるからそんな感動は無いんだろうと思う。
本当に世界は狭くなった。
海外行ってもネットで買えるようなものばかりで土産に買っていこうと思うものがあまりない。 >>953
子供がトランシーバーでやりとりすることって、思い出してみると、「これを人に聞かれてたと思うと…」
ってのたうち回りたくなるような事ばーっかりなんだよねえ。 父の仕事の関係で、家に放送機器の電源用らしき電池がたくさんあったな。
20×15×5 cmくらいの箱型で、上にネジ付きの電極が2本出てる。紙箱の中には円筒形の電池が2本、亜鉛(?)のケース丸出しで入ってた。
バラすと炭素棒を湿った紙で巻いたのと黒い粉(二酸化マンガン)が出てきたので、中身は乾電池と同じだったのだろうな。 >>958
基本免許の更新のいるアマチュア無線でも暗号化は認められてないからね。
アマチュア無線の帯域使って無線LANも技術的に送信できるし許可とってしてる人も居るけど基本暗号化されてない生の状態なので実質実験以外使えない。
違法CB無線でも生文で送受信だから内容丸わかりだし聞く人が聴けば誰かやってるのが丸わかりだった。 >>959
昔の機器の電池は使い捨てか鉛充電池だったな。
停電時のバックアップ電源なら鉛電池だし屋外用機器の電源ならマンガン電池の使い捨てタイプだな。
軍用通信機なんかは使い捨てだった。 >>961
父が「中身は硫酸じゃないから危険はない」と言ってた(それで子供がバラした)ので、マンガン電池だったのだろうな。それだと電解質は塩化アンモニウム? >>958
「もしもし、こちら○○君です。今トイレにいます。ドーゾー」
とかなw >>963
トイレと子供部屋の通信とか子供部屋と庭の通信とかやってたな。
ふつうに話しても聞こえる悲しさ... 誘拐犯ごっこをしてたら、たまたまかもしれないがパトカーが巡回してきて肝を潰した思い出 トランシーバー持ってる子いたけどつまんなくてすぐやめちゃったような?
マジメに糸電話で近所の友達の家とつなげられないか考えてたが無理ぽw >>966
おれも近所の友達の家と繋げないか糸電話は考えてたな。 グリコ事件で警察無線聴かれていて、デジタル化したんだっけ みんなセレブだったんだな
俺が買って貰ったやつ、紙箱の中に紙が貼ってあるだけだったわ
そう、柳沢慎吾が警察無線の真似したみたいな声になるやつ >>957
未だにラジカセでAM聞いているから天気の悪い日は
ロシア語やら何やら聞こえてくるなあ
その度に懐かしい気分になる 昔の月刊ジャンプの裏表紙の通販
王様のアイディアとかいろいろ
あれ申し込んでから発送までなんで2ヶ月近くもかかったんだろ
今ならクレームの大嵐だな マジレスで、注文がまとまってからメーカーにロット発注
在庫を抱えずに発注単価を下げたいので JRがストやるって話出てるけど自分が子供の頃(昭和末期〜平成)は
毎年ストがどうのメーデーがこうのっつーニュースがあった記憶があるな
大人になる頃にはそういうの聞かなくなったから具体的にどんな感じなのかは未だに知らない つーかメーデーっつーとメーデーメーデーSOS!って歌詞が浮かぶが
ウィンスペクター見たこと無いんだが何でだ… >>974
いつもストで学校休みになるって(先生が出勤できないとか訳の分からん理由)期待してワクワクしてたけど一回も無かったわ。
こないだイタリア旅行した時にローマで地下鉄の駅に行ったら地下鉄がストしてて列車乗り遅れてエライ目あったわ。
イタリアって小売店保護の政策のせいかコンビニも無いし夜も飲食店以外の店は開いてないし昔の日本みたいな感じだった。 中二の時にアマチュア無線の免許取ったけど無線機を買ってもらえず結局一度も通信した事なくうん10年経ったなぁ
免許の更新だけでもしておけば良かった >>978
アマチュア無線はもう終わった趣味だからね。
目新しい技術の導入は殆どなくて定年後のジジイが交信カードの交換をひたすらにやってるだけ。
あんなの今更やる意味がない。 小学生の頃起きたらお父んが居なくてお母んに聞いたら
今日ストやから車で行ったよ、と聞いて大変やなあと
思いながら普段通り朝のアニメを見て遅刻していた >>977
昭和50年代の始めの頃、ストによる休校が2〜3日続いて狂喜した記憶あるよ ストがあると、友達と誘い合って国鉄のトンネルを歩いて通った。 >>981
いいなあ。
インフルエンザの学級閉鎖もスト休も一回も無かったわ。 >>982
スタンドバイミーみたいですね良いですね。
自分らは田圃の中通ってる線路の上に立ち入ってレールに耳つけて列車の音が聴いてました。
今ならエライ事になりそうだけど当時はアニメのサスケが地面に耳つけて敵の接近を察知するのを真似して喜んでやってました。 そして、「馬鹿、線路はうんこだらけなんだぞ!えんがちょ!」と上級生に言われて涙目になるところまでがセット。 そういえば国鉄のストのやり過ぎで暴動起きたよね。
すごい時代だったわ…。 >>977
今でも「あ〜コレが西日本なら会社休みになるかもしれんのなー」とちょっとソワソワするからなw
休み明け地獄になるの目に見えてるがそれでも予定外の休みは嬉しい
電車と言えば子供の頃の利用沿線が置石事故でググッたらまず出てくる京阪のせいか
小学校に入ったらその辺の啓蒙めっちゃ受けたな。8/15の登校日に見せられるビデオ並にトラウマ
考えてみたら今高架化されてない所も幼児の頃はフェンスすらなくて小学生くらいなら
余裕で進入可能だったな マイキットでラジオや無線機作って遊んでた
今はこういうおもちゃないのか? 8月6日の登校日に見せられたピカドンという映画は完全にトラウマですわ >>978
アマチュア無線技師の免許は更新不要だよ。
局免だけ5年(?)ごとの更新制だったはず。
アマチュア無線は趣味の王さまとか言われてたけれど、本格的にやろうとすると、掛かるお金も王様並み。
もしも自分が親だったら、流石に買え与えられないなぁ。 >>993
ネットで世界とつながってる今の子は興味示さんでしょ。
新技術の導入も無いジジイのメンコ交換に成り果てたアマチュア無線よりネット技術の方がよっぽど面白い。
今考えると無線機も凄く高価だったしワイアアンテナを展張するにも敷地がないと無理だからある程度裕福な家か親も無線やってる子じゃないとやれなかったと思う。 原爆映画の類いは、中学生くらいまでトイレ名目で中座してた。
(こういう子は少なくなかったよ。ずるがしたいんじゃなくて、メンタル的に未熟で耐えられないの)
高校になって、メンタル的に大丈夫になったら言われなくてもバリバリ読んだり見たりしましたけどね。
大人になった今では、原爆の絵とかいった特集番組を見ながら天丼を作って完食できます。 >>990
arduinoあたりへ行っちゃうんじゃね? >>996
ああー、中学校の体育館で「ジョニーは戦場へ行った」見たな。
怖かった子もいただろうな。 >>974
国鉄のストで通勤出来なくなるっていうんで
自社ビルの大企業は会議室に布団敷いて
社員を泊らせたんで、貸ふとん業の
稼ぎ時だった。大雪警報で社員を早退させる
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