今じゃ考えられない昭和の生活◆81
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ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
。 。 | チャンネルも電話もラジオのダイヤルも |
\ / | 車のウィンドーも回すものだぞゴルァ!! |
___⊆⊇____ \____ ___________/
|:::::|| ̄過去ログ ̄|(ii)| ∧∧ )ノ
|:::::|| .>>2 |(ll)| (,,゚Д゚)⊃=ムo ジーコ
|:::::||_ .>>3__|::| ノ ⊃ 。_。§ ジーコ
. ‖‖  ̄ ̄ ̄ ̄ ‖‖ とと,_, )) /(=)ヽ
 ̄ ̄
【前スレ】
今じゃ考えられない昭和の生活◆80 [無断転載禁止]©2ch.net
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1504091366/ 日々の生活での返済、お支払いでお悩みの方。
急な出費などで、今月の生活費が足りない方。
総量規制オーバーや、過去のトラブル等で借入れが難しい方。
多重債務でお困りの方。
ご家族に内緒で借り入れ希望の方。
お金に関するお困り事や法的トラブル等HPに記載以外の事でも、お気軽にご相談下さい。
東京、神奈川、千葉、埼玉にお住まいの方は優遇です。
詳しくはHPをご覧下さい。
npo法人 エスティーエー 俺が若い頃は街のいろんなとこに
痰壺があったんだぜ! 高度成長期の日本の状況
・ハワイが一生に一度いけるかどうかの夢の国
・パイナップルの缶詰がぜいたく品
・うなぎ、マグロ、牛肉は庶民の口にはめったに入らない
・お菓子といえば、焼き米、かきもち
・川は公害で真緑色、海は赤潮で赤色。背骨がグネグネの魚が取れる
・発がん物質DDTを頭からぶっかけ。今は使えない危険な農薬も使いまくり
・公害病が各地で大発生、交通戦争、受験戦争
・バリアフリーなんかなく、障害者になったら一生病院か蔵の中
・中共の気違いがぼかすか原爆の空間実験をしていたから雨に濡れると頭が禿ると親に叱られた
・人さらいが横行してたから5時過ぎまで外で遊んでると「サーカスに売られてしまうから」という理由で親に殴られた
・どぶ川はメッキ工場の青酸廃液できれいなエメラルド色がデフォ
・ソーセージ工場からは肉の生残滓がものすごい蒸気とともに排出されて即腐敗
・とにかく街中工場排煙とドブ泥、腐敗臭が満ちていた
・クラスに2−3人は小児喘息をかかえた同級生がいた
・ジュースの素はなぜか陽の光に当てると色が消えた
・電車に乗ると超汗臭いオヤジが必ずひとりは乗ってた
・はしけから通っている水上生活者の同級生がいた
・上野不忍池の畔にはぼったくり屋台のおでん屋がいた
・大人もヤクザが怖くて馴染の店以外は夜飲みに行けなかった
・川崎球場はガラスでできた1合瓶が後ろから飛んできて普通のサラリーマンが殺し合いのけんかをしていた
・おとなは戦争で人を殺した経験があるやつがうようよいたからけんかはいつも殺し合いのようだった
・集団予防接種の針は使い回し
・ビルの基礎工事で昼間は杭打ち機が一日中コーンコーン
・台風が近付くと大概は停電もセットで発生
・国鉄はほぼ毎年ストライキで運休する日があった
・ほとんどの家は木造平屋、プロパン、トタン屋根も非常に多い
・下水がないので、バキュームカーというウンコ収集車が定期的に来る
・空き地が多く、危険な薬品や資材などが雨ざらしなってて子供がそこで面白がって遊んでた
・野犬がうろうろしていて襲い掛かってくる ↑こんなことするとお金になるの?
かの国の資金による洗脳活動? 平成になる時に候補に挙がった元号
修文 しゅうぶん
正化 せいか
永安 えいあん
乾徳 かんとく
昭徳 しょうとく
天興 てんこう
興化 こうか・きょうか
光文 こうぶん 元号予測は絶対に外れる法則
予想で出てきたものは省かれちゃうから 平成の我々を不幸にしているもの。
パソコン、携帯、スマホ、フアックス、新幹線・・ >>14
仕事したくないだけじゃん
クワ持って畑耕してれば? 電話ボックス
電話の上に小さい警察消防専用の赤いダイヤルが付いてた
ちょっと回してみたことあるけどジーーーーーって
戻りが重くて何となく怖かった >>14
これらが全て労働強化に繋がってるという‥
全部なければメンタル患者は半減だな。 >>16
その頃の公衆電話機は水色だっけ?
黄色はもっと後か
今となっては赤電話も懐かしいな >>19
個人経営の飲食店や病院などに設置されて、管理はそこの人がやる奴ね。
うちが飲食店だったので、一時期置いてあったよ。 「ピンク電話」って言葉がパッと出てこないのか…。
昭和は遠くなったな。 「ピンクの電話」って女性二人の漫才コンビがいたなあ。 昨日、宮崎勤のドキュメンタリーやってて、再現映像で黄色の公衆電話が出て来た。
新聞記者とかが、公衆電話にコイン入れて社に電話してるシーン見て
「そっか。登場は携帯なんかなかったんだなー」と。 >>24
自動車電話も出てきたな。
最後、宮崎が連行される映像(再現じゃなく、当時のニュース映像)を見ると、
警察車両に自動車電話用の黒くて太いアンテナが付いていた。
時代的にバブル真っ只中だと思うけど、肩掛け式の携帯電話も出始めていた頃だったかと。 前スレに出てた青酸コーラの被害者、ウチの高校の先輩だったわ
運動部だったんだけど、事件後にその先輩が使ってたユニフォームだけがどこに行ったか分からなくなり、夜になると体育館から誰かが走る音が聞こえたとか グリーンマン・マーチ(元歌は説明不要かと思ひます)
https://www.youtube.com/watch?v=Zvh1rO9Rr00
ちなみに主題歌ではなくエンディングです。 >>29
今なら第2話で打ち切りになるだろう。やはり昭和は自由だったな。今の方が左傾化してる。 >>16
ごめんなさい。公衆電話の受話器を回して外し中のスピーカーを集めてました。 病院の話
昔は朝食が9時、昼食が12時、夕食が17時だったそうだ
調理する人の都合だったそうだけど 今の『基準看護』ってのが制定される前は「付き添い婦」って言う職業があった
患者の身の回りの世話は勿論、おむつ交換・食事介助も付き添い婦の仕事
患者に床ずれをつくらないことが付き添い婦の自慢になった
シーツの洗濯も付き添い婦の仕事
何故ならそれは病院の仕事ではなかったので
病院になるのはベッドだけなので、布団やシーツは持参しないと入院できなかった
もっと昔になると、病院給食というものも存在しなくて、
付き添い婦が病院の調理場を使って料理していた 昔の看護婦(今の看護師)の仕事はホント「お手伝いさん」だった
医者の横について、言われた事をやるだけ
注射も点滴も採血も、全部医者がやってたし
患者の身の回りの事はほとんど付き添い婦がやってたから
看護婦のやることは、せいぜい検温と投薬、それと記録をつけることくらい
技術と知識の蓄積がいらなかったから、結婚したら辞めるのが当たり前
婦長にまでなるのはオールドミスと相場が決まってた
今じゃ診察してるのは実質ナースだもんなあ >>37
付き添い婦は、病院が雇うわけじゃなく
患者や家族が直接雇用して24時間付き添わせるものだから(労働基準法?何それ)
かなりの出費で大変だったようだね(保険きかない)
でもトイレにも行けないレベルの患者に付き添いをつけるのは
社会常識としてあったから、付けないわけにもいかない
家族が付ければいいけど仕事や学校もあるしそうもいかない、
って人は仕方なく雇ってた
でもその付き添い婦が持ち物盗んで逃げたりとかいろいろ問題もあったそうな
それで「信用できる紹介所を」って需要が高まって、紹介所が雇う方式が主になった >>39
エロくもないし、可愛くもない。
出直してこい。 >>41
実際、今じゃナースの試験はかなり難しいし、真面目に勉強すると医師国家試験とそんなに範囲は変わらない。
逆に医師国家試験は、合格率8割以上で半年も勉強すれびバカでも取れる。
普通の頭なら合格率は100%近いが、聖マリアンナとか金沢医大とか最底辺医大が合格率の足を引っ張り、結局、8割程度になってしまっている。 >>45
いやいや、看護師国家試験だって毎年合格率9割近いし
半年ほど勉強すればバカでも合格できるの試験であることは同じだよ
でも国家試験受験資格として、
「所定の学校で、3年間のカリキュラムをこなして卒業できるだけの能力を身につけたこと」
が必要
要するに、ただペーパーテスト1つに合格すればいいんじゃなく、それまでの講義や実習で
テスト受けてレポート書いて、合格したよ、という前提があっての国家試験なんだよね
だからそこは医者も看護師も同じだよ 昭和の時代は、診察から記録から全部医者がやってたけど
だんだんナースがやる範囲が広くなって、
点滴注射も採血も、輸血や抗ガン剤の投与までナースが当たり前にやるようになった
(医療機器の進歩もあるね、酸素飽和度とか動脈圧とか頭蓋内圧までナースがチェックできるようになった)
で、医者は「診断」と「治療」だけやれば良いようになってきた
頭脳労働に集中すればいいだけ、という現状は悪い事ではないんだけど
患者にしてみたら「先生は全然診に来てくれない」ってなってるんだよね
ナースが必要な診察を全部やって、記録してるから、
医師はそれらデータを診て指示を出せばいい
ベッドサイドに行かなくてもできちゃう
別に手を抜いてるわけじゃないんだけど、ものたらないって言う患者さんは増えたね >>47
誤解を恐れて言えば、医師の治療行為って医療機器と医薬品の進歩に支えられてるだけだと思う。機器や薬の開発者の方が余程凄いと思う。医者なんてある程度の基礎知識と経験則、過去の治験データをコーディネートしてるだけだよな。 >>42
どの病院に行っても
「当院は基準看護を満たしているので付き添いの必要はありません」
という内容の張り紙がしてある理由が、この辺りの流れを読んでようやく理解できた。
過去のそういう経緯があって、古い人の中には未だに付き添い婦が必要と思ってる人がいるからなんだろうな。 >>50
今は介護職員を病院で雇ってるよ
総合病院や長期療養型病院は、常に看護師・介護職員の募集かけてる(チラシが入ってくる) >>50・>>51
そう、それで数万人という付き添い婦が失業したそうだけど
マンツーマンで雇うより、病院が雇って患者全員の世話にあたらせたほうがコストも安いしね
*「基準看護」の中には、付き添いがいらない以外に、給食と寝具が含まれてるよ
基準看護の前には「完全看護」って言い方してたんだけど
言葉通り「完全に何も必要無い」みたいな解釈をする人が居て
その誤解を解くために言い方を変えた
と言うわけで、基準看護であっても、コップとかお箸とか寝間着やタオルは必要だよ! >>48
要するに子供の頃NTTの備品をパクって集めてたって事 >>52
病院の看板に「当院は完全看護です」とあるのは、そういう意味だったのか。
そういえば、むかし祖父が入院した時の付き添い婦が実は愛人さんだったとかで
(祖母はもう他界していたが)、家族で大問題になった記憶があるw
当時は子供だったので詳細は覚えていないが、そういうケースもあったのだろうか? >>56
エレキの神様とも呼ばれた寺内タケシ氏の少年時代の話。
当時、家が金持ちで電話器がいくつもあった。
その電話器を分解して取った部品でエレキギターを作った。 >>53
そう、昭和の時代に資格取ったんで、免許証には「看護婦」って書いてあるよ
でも基準看護の時代にはなってたので、付き添い婦の話は先輩ナースからの伝聞
>>57
あったみたいだね
わざわざ愛人を付添婦に、みたいなことしなくても
付き添い婦は女性しかいなかったので、
男性患者のお世話をマンツーマンでしてれば
徐々にそういう仲になっていくこともあっただろうね
愛人関係にはならなくても、個人的に恩義を感じて遺産を残すとか遺言に書いたら
家族が反対してトラブルになったり、という話もよくあったそうだよ あーごめん、リロードしてなかった。これだから老人は…… >>55
何でダメになっちゃったんだろね。
貧乏学生の頃は選挙があると毎日あちこちの事務所で飯食ってたわ。
でも一度公明党の事務所で飯食ったら、一緒に勝利を祈願してくれと言うので
飯食わせてもらったお礼に奥の部屋に行ったら信者が何十人も
大声でお題目唱えてて不気味だった。 >>64
そりゃ、「金やモノで票を買う行為は禁止」にひっかかるからでしょ
立候補者や選挙事務所の人は、選挙期間中は人を家に招くこともしないんだってさ
それ誰かに見られてチクられるかも知れないから >>65
まあ、そりゃそうか。子供の頃、地元で市議選とかあると
見たこともないような立派なスイカとか、ものすごく甘い
トウモロコシとか毎日のように持って来てたな。 市議会とか市長とかの選挙が近づくと、朝、新聞を取りに行ったらポストの中に現金入り封筒が
…というのは昔話として聞いたことがある。
オレが選挙権を得た頃は、流石に現金はなかったけど怪文書は時々入ってた。 当選したら、酒など出してもいいのかな。
選挙速報見て、勝ちそうなほうに応援に行ったりして よく知らん人の中にズカズカ入っていけるよな?
披露宴侵入とか、いろいろ才能活かせそうじゃん >>58
>>60
>>62
そうか。国営時代は電電公社だったorz >>74
実は電電公社の英字略称もNTTだった
民営化後とは違うデザインの書体だったが >>71
それもダメ
「当選したらこれこれの品を差し上げますよ」と言ってるのと同じだから
選挙終われば選挙事務所で打ち上げとかやるけど普通は当落関係ないよ
選挙運動お疲れ様、って言う慰労会みたいなものだから
参加できるのは基本、後援会の人、つまり候補者と一緒に選挙運動をした人だけ
知らない人がいきなり行っても参加できないよ >>56
ありがとう
やっとわかりました
ずっと「公衆電話の受話器を回して、外し中(はずしちゅう)のスピーカーを集めてました」
って読んでた・・・
「回してはずし、なかのスピーカーを〜」
なんだね、何でそんな風に読んじゃったんだろ・・・ 「たんぱく質は肉、魚、卵など」と、栄養の勉強する時、
「炭水化物は米、パン、うどんなど」とあった。
スパゲッティやパスタなんて言葉は出てこない。 給食の食器といえばアルマイト
全部同じ色
そしてお箸ではなく先割れスプーン >>82
先割れスプーン登場のまえは、アルミのレンゲだった。
だから先割れスプーンは素晴らしい画期的な食器だと思ったよ。 >>87
こんなのを使わず、ナイフで削れなきゃだめだみたいな風潮があった。 教室の後方にも鉛筆削りはあったし、筆入れには小型の鉛筆削り。
ナイフで鉛筆を削らなくてはならないことなど一度もなかった。
むしろナイフがないことがおおかった。
小4か小5のとき、シャーペンに移行してから、鉛筆の使用が義務付けられ手いる試験、硬筆書写、図画の下書き、技術科の製図以外鉛筆を使用したことないな。
字の太さが不変、削る手間はなくワンノック、そしてなにより削りカスの処理やひっくり返して汚すことがなくなったのが大きい。
万年筆もボールペンにとって変わられるようになったのに、なんで鉛筆のような能率の悪いものが使い続けられるのか小学生の頃から疑問。
役所の記載台とかでボールペンだと持ち逃げされると損害が大きいからか。 昭和50年に小学校入学、その時期には「ナイフ」イコール「カッターナイフ」だった。
ナイフで鉛筆くらい削れないと・・という風潮があったのは確かだが、こんな薄刃で鉛筆削れる訳ねーじゃん、電動削り機で一発で真円が出るのにナイフで削る意味が分からん、と憤りを感じたな。 >>88
自分も、やや近い
こういうのを使うのはいいけど、
たまにはナイフで削らないと、
手先が不器用になるよ、みたいなことは言われた
今でいえば、電車に乗るばかりでなく、
健康のためにたまには一駅分歩こう、みたいなノリかな ナイフ=ボンナイフだったな。
小3〜小4ぐらいの頃、学校に公然と持って行ける刃物ゆえ、みんなこぞって筆箱に入れてた。
高学年になると、肥後守ブームが起こった。メンドクサイだけなのに、やざわざ肥後守で鉛筆削ってたよ。 3つ上の兄貴はボンナイフを持ってたけど自分は使ったことがなかった
小学校の前にある文具店で売ってたけど利用価値がわからなかったな >>88
肥後守と彫ってあるナイフだった
すぐなまる
お勉強のできない子供は授業中に鉛筆削ってばかりだった >>92
ボンナイフ懐かしい!
最近文具屋で見かけたボンナイフは、指を切らないようにとガードみたいなのが付いてて時代の移り変わりを感じたわ
小学生の頃鉛筆をきれいに削れるようになるまで、指先を切りまくってたけどね >>90
そんな事で憤り感じるとは凄い小学一年生だな 鉛筆には断面が三角や楕円のものがあって、鉛筆削りではすこし不便だった。
今は断面五角形の「ごーかく」縁起かつぎ鉛筆があるんだっけ? 両刃のカミソリって今じゃパン職人ぐらいしか使ってないんじゃないの? >>109 フランスパンを焼く前に背中に切れ目を入れる >>111
それはない。今は自動化されている。固有技能の伝承もされてなくやれる人が少ないから。 送り主のない封書が送られてきて、「何かしら?」
夫が「誰から?」との問いに妻「宛先が書いてないの・・・」
夫「開けてみなさい」
(みなさい、とか昭和の夫婦は常に夫が上から目線)
妻、首をかしげながら手で封を切ると「キャッ!」指から血。
封書からかみぞりがのぞいている。
夫「いったい誰がこんなことを!!」 妻「なんなの? 怖いわ」と言いつつ、ガクガクブルブルして取り乱す
夫「しっかりしなさい!」と一喝して、頰をパシーンとビンタ
妻 頰を押さえてじっと夫を見つめた後、うわーんと泣きながらすがりつく >>113
通りゃんせ と 故郷の空(誰かさんと誰かさんが麦畑♪) 聞き分けのない女の頬を〜
ひとつふたつ張り飛ばして〜
(*ノェノ)キャー ジュリー٩(♡ε♡ )۶ 料理の本に
「野菜のあく抜きには灰汁(あく)を使いましょう」
とか普通に書いてあった
今じゃ一般家庭でそんなもん手に入らん >>124
マッマが子供の頃は、食器洗いにかまどの灰を使っていた。
ちなみに、「結構毛だらけネコ灰だらけ」という言葉は、火を落としたかまどの中でネコが寝て灰まみれに
なる事から生まれた。
…時々、ネコがいることに気付かずに火を付けてry 実際に今現在灰汁を手に入れようとしたらどういうやり方があるのかと
「灰汁 入手方法」で検索したら
ゲームのアイテム入手リストや攻略データがヒットして笑った
今時の子供はもうゲームアイテムとしてしか存在を知らない、
ってことがあり得るんだね >>126
藍染めにも灰汁必要らしく、染め屋さんも入手に苦労してるらしい
薪ストーブを持ってるお宅から送ってもらうとか聞いた >>128
中国製だったらどうよ、食べ物とか、自分家の家庭菜園とかに使う気になる? >>123
おたくの近所では、じゃね?
ウチの近所の銭湯のは黄色じゃなかったし、ケロリンでもなかった。 ケロリンの洗面器って今でも現役なのかな?
昭和は温泉や銭湯の洗面器と言えばケロリンだった >>132
ハンズかロフトで売ってるのを見たことがあるわ >>132
最近、ケロリンおけ作ってたメーカーが店じまい(経営破綻)して、内外薬品が自力で作ることにした
のがニュースになっていたような ケロリンの桶は
今でもおしゃれ系温泉旅館でよく見るよ ガキの頃、駅の階段で昇る人に見える様に細長い広告を貼ってたわ確かJR大阪環状線 逆バージョン。昭和の頃は考えられなかったこと。
テレビで政治家が堂々と「北朝鮮の脅威から国家、
国民を守らなければならない」と言えるようになるとは。
中山恭子氏が「国家」という言葉を使っただけで抗議の
電話とファックスで仕事にならなかったというのに。 >>138
自衛隊のことに触れるのも、なかばタブーだったよね。 >>141
あちこちに真っ赤な教師がいたよな
何となく自衛隊=悪というイメージを刷り込まれていた
大橋巨泉が日本軍が戦争中に朝鮮に対して行った悪行を
11PMで取り上げたら「日本の恥をさらすな」という
クレームが来た、という話をさらに後日に話していて
高校生だった自分は正義感から日本の過去の罪に
目を向けなければ、と思ったものです。
でも目を向けた結果が「全部ウソ」ってオチが来るとはねw
昭和の頃は情報ソースも限られていたから、あの頃の
リベラルの人達は、思い出しても恥ずかしい黒歴史が
たくさんあるんだろうな。 文系大学生人気企業ランキングの第一位が「朝日新聞社」だった時代だもんな。 普通の大人が普通に武器持って戦争したんだから、大小に関わらず悪行はあるのが当然だ。
「全部ウソ」ってことはあるまいよ。 自動販売機の見本缶は本物の空き缶だった
だんだん「見本として作られた前半分だけのプラスチック」になり
これからは全面画像のタッチパネルが主流になっていくんだろうな 自販機は歩道の占拠が問題視されたときに各社スリム化して半ペラ見本になったね
コーラの瓶が10円(リットル瓶は30円)で回収してくれたので公園のゴミ箱とか漁った思い出 回収した瓶を裏方に置くも、それを盗んで換金しようとした者が多くなったせいか、瓶
を持って行っても怪訝そうな顔をされた。 ↑
地元でピンク電話見つけたハゲ
ピンクの電話よりハイヒール派のハゲ
↓ >>145
特に昭和20年代の広島や呉。
仁義なき戦いのヤクザ共が、人目をはばからずにとんでもねえ戦地バカ武勇伝をぶちかましまくった。
「こんなこと、やったのが自分だけでもみんながやったよう見思われるから言っちゃいけない」「嘘なら
盛ってるならなおのこと言っちゃいけない」なんて微塵も考えずに。
そして、昭和20年代の広島でこんな話を見聞きしたと赤裸々に描いたら戦後生まれのよそ者に「中共の
プロパガンタ」呼ばわりされたのが「はだしのゲン」
呉でも、ゲンと同世代のジジババがゲンそっくりなことを力説してるのを子供時分に良く見たわ。 わしらが子供の頃は、仁義なき戦い時代のヤクザがまだ生きてたけど、彼らの酒飲み話を聞いたことがあれば、
「あ、こいつらが戦地帰りだったら何をやってどんな話してたか見当つくわ」というレベルの聞くに堪えない話ばかり
でしたよ、マジで。 朝鮮と手切れできてよかった
今でも迷惑被ってるのに
下手したらテロが頻発する日本になってるかもしれないんだから・・ そっか、昭和30年代のヤクザと今のヤクザの違いは
大坂夏の陣を経験してる武士と、家光以降の太平の世に
生まれた武士の違いみたいなもんだな。 >>158
それガチで言ってるとしたら頭が弱いとしか言えんぞ 偶然キャンディキャンディの動画見つけて見てたら、ニールとイライザにはハラワタ煮えくり返る
小公女セーラの方が全然可愛いくらいだ 二時間目と三時間目の間に結構長めの休憩あったよな? >>164
20分休みな
うちは図書の貸出もやってた えー?無かったよ?
お昼以外は休憩時間はみんな同じだった 20分休み今でもあるでしょ
むしろ平成になって定着したのでは >>164
小学校はあった
中学・高校はなかったけど
小学校のときは、体育館やグランドで遊んだな
冬はわざわざスキーウェア着て、米袋でグランドにある山ですべって遊んだよ
よく20分でそんなに遊んだな… 別スレでも話題に上がってたな
二限目と三限目の間の休みはなんと呼んでたか
正直記憶は無いんだけど昼休み以外の休み時間にも校庭に飛び出して遊んでた記憶はあるのでそれがそうだったんだと思う 行間休みっていってたね
今の感覚だとたった20分の休みなのに
小学生のころは校庭に繰り出して遊んでた
あのころは元気だったなw >>164
あーあったね
卒業校では「業間休み」と言ってた >>174
小学校低学年の時のクラスメートの家に電子レンジがあったな
昭和57年だ
そんなことを覚えてるんだから、よほど印象的だったんだなあ 家は父親が家電マニアだったので昭和50年に1台目を購入して
つい2〜3年ほど前に故障するまで現役で使ってたよ
新しいのを買いにヤマダ電機に行った父親が「安かったから」と言って
単機能の電子レンジを2台も買って来たけど、そりゃ40年前に比べたら安いわなw ちょっと変な話だが、セックスは夜真っ暗にして
するものというのが常識だったから奥さんの全裸を
見たことがない(ましてや性器なんて)夫が結構いた
バックやフェラなんて変態のする行為だった
プレイボーイの性の悩み相談でも「電気を点けて
セックスをしたい」とか「バックを試そうとしたら
彼女に変態!と引っぱたかれた」とかの投書があった そうね。特にフェラなんて素人の女性は決してしないものだった。
とはいえ、昭和も末期になるとその辺りはずいぶん緩くなっていた。思えば良い時期に青春を過ごしたものだ。 年配のお医者さんから聞いた
昔は口唇ヘルペスと性器ヘルペスは名前通りの部位からしか検出できなかったけど
今は両方から両方が検出される、って >>177
循環器の先生に聞いた話だけど
昔の電子レンジはペースメーカーに影響のあるレベルで電磁波が放射されてたので
ペースメーカー埋め込み患者は、電子レンジを稼働させるなら1m以上離れる事、
となっていて、つまりは患者本人は使えなかった
(実際は定規とかを利用してたらしいけど)
でも今はその「影響を及ぼす電磁波」の範囲が電子レンジから3pになったから
患者も安心して使えるようになったんだって
今も一応患者さんには「お宅にあるのは古い電子レンジではないですか?」って聞いてるそうだけど
ペースメーカー側も丈夫になったからほとんど心配はないそうだよ うち電子レンジ使うとコンセント差してない掃除機が動いたな 俺が幼稚園時の時、通学路にあったパン屋、いわゆる
ベーカリーじゃなくてフジパンから卸して小売してる店の
娘さんが店を改装してカウンター席を作ってそこに
電子レンジを置いて温かいホットドッグを作って
出すようになった。ホットドッグも電子レンジも
それが初めて見るものだったから興味津々だったよ。
子供の頃は電子レンジというのはホットドッグを作る
機械だと思ったさ、ボンカレーのCMみるまでは。 ボンカレーのCMで電子レンジなんてのあったんだ
容器にあけなきゃ駄目だったのに
一般的にはご飯温める機械だったよね まだIHなんて言葉が浸透しておらず、電磁調理器と呼ばれていた頃は、
電磁調理器を買ったら郵政相電波管理局に高周波利用機器設置届出をするためのハガキがついていた
律儀に届出していたユーザがどれぐらい居たのかはわからんが、建前上は無届けで運用してはならない機械だったよ 食パンはお菓子も売ってるようなそういう小売りの店で
スライサーでカットしてもらって買ってたな
野球ボールで店主の車サイドミラー割ったが
近所だから許してくれたっけ
おおらかな時代だった >>186
余ったサイドの耳(一枚の片側が丸ごと耳になる部分)を
おまけで付けてくれたりした。
その一枚を食べるのが好きだった。 >>186
セブンイレブンも最初はそうだったよね。うちの近所だけかな……? >>174
電子レンジは出た当初は200Vへの工事が必要だったな 逆に最近のエアコンは200Vが多い
IHなんて100Vの方が珍しい
一周回ったな >>188
俺がバイトしてたローソンでもスライサーでカットしてた。
端っことサンドイッチ用に落とした耳は休憩時間に
オヤツにして食べてたけど、そのうち袋詰めにして
50円で売るようになった。 コンビニがなかったから、若かった自分には週刊誌が遠い存在だった。今ならネットで祭りになるようなスキャンダルも、若い子には今一つわかりかねた。今なら、学生でも、議員の性的スキャンダルを知ってそう。 >>193
ネットが無かったから時事ネタから常識的な事柄まで
ソースがほとんど無かったよね。今なら気になったら
ググればほとんどの情報が手に入る。 今でも、都会はどうか知らんが、地方の政治や社会ネタ、ローカルネタは、地方紙やタウン情報誌がかなり元ネタとして存在価値があるように思える。地方では、ネットで、いくら探しても、載ってないことも多い。 今は逆にネットに何でもあると思い込んで、ググって出てこないものは他にソースがあっても否定する輩もいるくらい >>177
タモリは笑っていいともで、誰だったか忘れたけど
真面目そうな人の事を「生涯正常位!」と評していた >>197
俺は50手前で、真性包茎のため生涯童貞なのに。。
マジメそうにみられているが、部下の元ミスだかの綺麗な子が結婚して産休に入る前にお腹が大きくなった時は、想像でたまらなくなり会社のトイレで激しく射精した事もある俺は一体 昭和限定でもないけど結婚式の披露宴だな
300万円が相場だったけどご祝儀で賄えちゃって
儲かったりもしてたから究極のハタ迷惑だったな 家電マニアの親なんて羨ましい。うちはビデオすら90年代中盤にねだってやっと買ってもらえた。
それまでは、「ああビデオがあったら録るのに・・・」の連続で、ずっと我慢の子であった。 うちもずっと我慢だったなあ
ゲームは20こえてからだった
ビデオは15くらいだったかも https://i.imgur.com/HWXPGko.jpg
https://i.imgur.com/e4hsyF9.jpg
ニュージーランド生まれ、シドニー育ちの国際色豊かな美女を貼っておきますね
ちなみに家が金持ちでめちゃくちゃ育ちの良さが出てる子 うちもビデオデッキは買わない方針だったな
一周先を行ってる家電マニアの伯父が新しいの買うからと
タダでビデオデッキくれなかったら多分昭和のうちにはありつけなかった 伊勢丹がバブル入社組の肩たたきに退職金5000万上乗せだと
バブル組ってホントに役立たずだったんだな
最近の若者には考えられまい >>206
誤解しないで欲しいが、私は上司として結婚式にも出てたから旦那の顔や素性も知っておりどうしても夫婦生活を想像してしまうのと、かと言って仕事中にはビジネスライクに徹して舐め回す様に見たこともない。家を見に行ったこともなくストリートビューの画像で夫婦生活を想像するだけ。 要は絶対に迷惑は掛けない主義です。あまりのめり込まない様に彼女を想ってのオナニーは2日連続ではしないよう自主規制さえしていた。 >>198
真性包茎で結婚している人をいっぱい知ってる
真性包茎であることは童貞であることや独身であることの理由にはならないよ
あと真性包茎の手術は保険きくって知ってる? 真性包茎のやつをいっぱい知ってるって、どういう環境なんだろう >>209
真性包茎を甘く見ないでくれ。夏季は自分でも臭うくらいの呪われた性器は見せるのはおろか、物理的に挿入など不可能。風俗も行けない。手術は怖いし自分の思想に反する上に激しいオナニーには影響ないので、敢えて受けなかった。射精時は皮で覆われ飛ばないので、必ず垂れ流れて手がベタベタになる虚しさが健常者に分かるか? そこは敢えて少しずつ剥いていかなくちゃ。
少しずつな >>216
だから真性包茎でも結婚して子供何人もいる男性を大勢知ってるっての
自分が結婚やセックスできない理由を包茎に責任転嫁しなさんな
物理的に挿入不可能?射精ができるんだから3cmもあればセックスは可能
それとも3cm未満なの? 大日本真性包茎同盟
All Japan Complete Phimosis Union(AJCPU)
なんかかっけー 組合帯広支部の者だが、ペニスリングは症状緩和に役立つぞ
ただし、根元にリングつけたまま温泉に行くと、ホモに寄ってこられる でも3pでもいいって言ってくれる相手を見つけるには
3pを補って余りある他の魅力が必要だよね・・・ 以前書いたが
ビデオデッキを買い、ビデオテープも仕入れる。
ひょんなことで、ビデオテープを持っているのがクラスでばれる
そのテープを貸す
↓
あまり親しくない友人とテープの内容について話す
↓
他のクラスメイトも、そのテープを見たさにデッキを買う
↓
テープの内容について話をする(以下ループ)
俺の所有していたテープを見たいがゆえに、ビデオデッキを買った人がクラスで5人はいたな。
偉大だぜ くりいむれもん あやしいといえば、週刊誌の広告にあったプリズムミラー
地面からの反射でスカートの中が見える、たしかそんなの
代金分を切手を送ればよかったような 懐かしいな、くりいむれもん。w
結局観る事は無かったな(レンタル屋も無かったし) 「業界」の友達が持ってた「無修正流出版」を見た。
それなりにディテールも描いてあるのな。どうせボカしが入るから描いても無駄なのに。 昭和の選挙の開票って、今よりずっと手作業だったんだろうな。
手書きの票を読み取る自動分類器なんてなかったろうし、計数器ももしかしたら無かったのかも。
そもそも即日開票ってしてたっけ? >>216
手術は怖いし思想に反する、ってお前馬鹿じゃねえの?
自分が童貞である事のexcuseの為に包茎を維持してるだけだろ
目を冷ませよ、勘違いするなよ
お前は手術して脱包茎したとしても生涯童貞だ、言い訳がましい馬鹿野郎めが
いい歳して気持ち悪いわ!金を貯めてさっさと手術して来い うちの家は家電マニアだったか
70年代初期には電子レンジ、備え付けの食洗機があったな
引っ越ししてほとんど使わず新居には 他スレの書き込み呼んで思ったけど、
「チャンネルを回す」と同じように
「タクシーのメーターを倒す」ってのも
若い人には語源がわからんかもね 今はハンドル操作ミスによる事故と言うけど、昔はハンドルを取られて、という言い方をした。
パワステじゃない頃は、走行中はドラマのシーンにもあるように遊びが大きく常に右に左に
切りながら直進していた。
ところが、車の挙動が不安定になると、それこそハンドルを掴んでも重くて操作が出来ない、
文字通りハンドルを取られる事態になった。逆ハンをしていたために腕を骨折するという事
もあった。 >>235
パワステが普及してもスポーツ車だと
かたくなにパワステ拒否する人とかいたよな
出力が落ちるということでエアコンも拒否
うちの兄だw 走り屋でもないのに
頑なにマニュアルシフトに固執する知人いるわ
意中の車種のマニュアル車探すのに
県内行脚するレベル >>237
玩具みたいで面白いけどね。渋滞とか走るときめんどくさい。 スパイ映画なんかに出てくる情報記録媒体といえば「マイクロフィルム」だった。
でもマイクロフィルムの実物って見たことないよなー。 >>240
20数年前までトヨタの自動車部品の部品図はマイクロフィルムだった
スパイ映画に出てくるような小さいのじゃなくて大きいシートだけどね そういえば昔、クロロフォルムを使った事件あったよね。
それからドラマも、背後から近づいてクロロフォルムをしみ込ませた?ガーゼ
を口に充てるとスッと倒れるっていう。 >>242
漂流教室でもやってたね
実体験もないし体験談も寡聞だが
ほんとにあんな風に速攻で昏睡するものなの? クロロフォルムで失神はあり得ないそうです。
漂流教室も読んだけど、みんな運良く助かったとしか… >>240
大きめの図書館だと
マイクロフィルムで記録を残しているところがあるよ >>245
死ぬんだwだめじゃん
漂流教室も今の少年誌には載せられないよなあ >>247
テレビドラマ版では、我猛くんが女の子になってるんだよね。
クロロフォルムや盲腸手術のような粗があったり時代にそぐわない描写があったりするけど、勢いに流されちゃう。
まあ名作ではある。 そういや盲腸の手術って聞かなくなったね
俺が子供の頃はクラスの男子全員やってたし
女子も相当数やってたけど、最近じゃ全然聞かない 「最近の子は盲腸が退化してなくなった」という話を聞くけど、抗生物質がよくなって手術しなくなっただけだよね。
もともと退化してる盲腸(虫垂突起)がさらに退化するのもなんか変だし。 タンスにぶつけて悶絶することがなくなるのなら、それは生存に有利だ。進化と言っていいな。 >>254
工エエェェ(´ロ`ノ)ノ
昔読んだSFでは宇宙飛行士はあらかじめ盲腸は手術して
除去しておくもんだったのに!! >>250
あんたのとこは知らんがうちのクラスは男子は全員やってたよ
6人しかいないんだから全部把握してる >>255
基本的に女の方が軽い。手術跡残したくないという理由もあって
薬で「散らす」子が多い。 >>258
6人と最初から書けよ
そんな後出しのような小細工しないでさ >>260
小細工も何も男子が6人だろうが20人だろうか本題には関係ないだろ。
だいたい小細工ってなんだよ。言い掛かりつけて来たのそっちだろ。 6人が全員盲腸の手術する確率と、20人の場合と、それぞれ計算して比べてみ? 6人しかいない学校で育ったんなら6人が特別少ないとか思わなくて全員と書いてもおかしくないと思うよ
てか、そんな事でモメなくてもw >>263
私立小学校。女子校の付属なので男子がほとんどいなかった。
監獄学園の世界。 >>262
>>265
アスペかおまえら。
今の小学校なら盲腸の手術やる子なんて
クラスに1人いるかいないかなんだよ。
ところが昔は多かった、ってだけの話
数字がどうしたこうしたの話じゃねーんだよ。
単に「俺の同級生の男子は全員やってた。
女子も大半がやってた」ってだけの話。
アスペかおまえらホントに。
バカなの? 今は全体的に生徒少ないよね
自分の頃は小学校中学校は1クラス55人ぐらいが普通だったし
でも都心の中学校だったけど2000年になる前に生徒少なくて統廃合で無くなっちゃったので寂しい >>269
俺が中高生の頃はすでに私立でも一学年300人、
1クラス50人で、公立はもう少し多いくらいだったけど
団塊の頃は一学年1000人なんてマンモス校もあったしね
小学校はもう、一学年3クラス、100人前後が普通だわ >>269
60年前の当たり前を持ってこられると正直あれだな
昭和ってほんと激動の時代だよな
そんで虫垂炎って食ってる物に影響受けるんだろうな
現代的な食事だとなりづらいとかあるんじゃないかなあと その代わりアレルギーは増えたよなぁ
昔と言うか昭和のころは
牛乳・卵・生魚系 くらいしかなかったような気がする。 あと虫歯が激減した。うちの子もそうだけど
虫歯の子なんてほとんどいないわ。 昭和50何台前半にはアレルギーなんて言葉なかったような気がする。うちの子は好き嫌いの激しい子で困る、とか言っていたな。アレルギーは甘えだから叩き直す!とか後でいい出したように思う。なんでもかんでも甘え、で片付けられていたな。 >>273
予防歯科という概念のない時代だったからねえ。
歯周病で歯が抜けるのも自然なことと思われてた。 >>274
そういうレスはこのスレには要らんよ。あんたも50過ぎてんでしょ? >>276
そういや年寄りは総入れ歯ってのが珍しくなかったな。 盲腸の役割が最近見直されたとか
免疫関係で有益だとかなんとか 大人が盲腸炎の手術すると、その後の3年間だかに大腸癌が見つかる確率が倍だか3倍だかに増えると何かで読んだような。
曖昧ですまん。 >>279-280
大腸癌の統計取って、もし、盲腸が残ってる人が
大腸癌になる割合が極端に低い、なんてことになったら
昔の医者を恨んでしまうな >>277
50過ぎるとみんなキチガイになんのか? >>275
軽視されてたというか、軟弱なヤツだからそうなる的に誤解されてたものの、アレルギーって概念は昭和40年代にもあったよ。
卵や牛乳で蕁麻疹が出るとか、ブタクサで鼻水とか。
牛乳無理やり飲ますかどうかの基準は、アレルギーの診断書出てるかどうかだったし。 >>283
俺は子供の頃から酷いアトピーだったけど
アトピーという言葉が認知されてなかったら
「皮膚病」と呼ばれていたわ >>282
ガキとはそういう馬鹿を言うもんだ
俺にも老人に反発しまくってた覚えがあるし >>287
何それ、俺を批判してんの?意味わかるように説明してくれるか?
俺は、50以上の人間があつまる昭和回顧のスレに
「キチガイ」なんていう言葉はそぐわないと書いただけなんだが? >>289
そういうのが要らんと言ってるのに何故理解しようとしない?
本気で言ってるのなら俺のレスのどれがキチガイなのか指摘してみなよ。
ついでに「昨日のキチガイ」についても合理的にしてきしてみな。
快不快の感情だけで書き込んでるゆとりのガキじゃないんだろ? ある程度自信もある
残り時間が短いという焦りも加わり
どーしても自説を押し通したくなる
気を付けねばならぬ 盲腸の手術すると、ビキニが着られなくなる、なんてあったな。
懐かしいな。 >>295
前の嫁さん、お腹にすごく大きな傷があったよ。
確かにアレだと着られないな。 >>293
年寄りがヒステリー起こして暴れてるように読めるのか?
少しは頭使えよクソガキ 16〜17歳のグラビアは当たり前で時にはヌードまであった
今は大概20歳越えばっかりで
何を考えてるのか時には30路近くの水着とか >>298
そういや未成年のヌードって無くなったのか?
昔はちょっと売れるとお天気お姉さんでもすぐに脱がされてたな。 昔は毛が生えてなければok!みたいな丸写りの本があったよねえ
今なら児ポで捕まるけど >>300
もろ御開帳!ってあったけど、陰毛すらNGだった当時は
「子供のなんて見たくねー」と思ってたな。 今はまったく逆になったね。
お毛々はよくてワレーメはダメ。 >>303
脳細胞が健全なはずなのにそんなことしか書けない貴方よりはマシ 車のキーは、運転席側のドアにある鍵穴に鍵を突っ込んで開けるものだった >>300
裏本裏ビデオ買えるコネがない金なくて風俗行けない彼女できない男にとってはマ○コ見るのが難しかった時代だったからねえ。
子供とはいえモロが見れてしかも普通の本屋で買えるとなればそっちの趣味がなくても飛びつきたくなるわな 押し入れなどを整理したときに出てくる下敷きの新聞紙にテレビ欄があるとつい見入ってしまうものだが、
20年くらい前のものでは、もう今のひな壇バラエティに似た番組が横行し始めていて懐かしいと思う気がしない。
子供時代だった昭和期ほどテレビ漬けじゃなく、それほどハマっていた番組がなかったこともあるだろうけど。 >>299
有名どころでは吉岡真由美や川上麻衣子とかの未成年ヌードは鮮烈だったな
そういや杉田かおるもw まゆちゃん。。。
それはともかく
TVだとオウムの頃からかな? 夕方のアニメがなくなったのは。
あれで、朝から夕方までワイドショー三昧になり、TVがつまらなくなったと思う
って昭和の話じゃないな。
昭和のTVだと
NHK少年ドラマシリーズ (70年代夕方放送)
夢中になって見てた。って人と、知らん聞いたこともない。って人と分かれるんだよなぁ
あの頃はこどもがNHKを見る=ダサい(って言葉はなかったが)って風潮だったな。 平日の夕方は人形劇。
ひょっこりひょうたん島
新八犬伝
チロリン村とクルミの木
いろいろあったなあ 「七瀬ふたたび」の多岐川裕美がタイプ過ぎて、小学生のくせにフルボッキして見てた >>311
転校先の小学校のクラスで、何故かプリンプリン物語ブームが発生してて、見てないと話が通じないレベルなので
見てた記憶がある。
ちなみに、NHKの連続人形劇は、ネコジャラ氏の11人の記憶が断片的にあるところから始まってる。
八犬伝やら紅孔雀やらは人形が好みじゃないので見てなかった。 >>310
夕方のアニメがなくなったのは北海道のせいだ、多分
25年ぐらい前に午後4時からローカル情報番組の「どさんこワイド」が大ヒットし、
道内他局の番組を壊滅状態においやり、テレビ北海道以外の局(NHKまでも)追随してしまったんだよね
当時、全国各地のテレビ局が見学に来て、波及していったみたい
他局の番組は変わってもどさんこワイドは今でも続いている… 余談だけど、幼稚園児向けの人形劇「風の子ケーン」は、手塚治虫の「シュマリ」の続編だそうな。
正編続編を、年齢層も媒体も全く違うメディアでやるのは、自分の知る限りこの作品だけ。
(ケーンの父親がシュマリ。すなわち、風の子ケーンの舞台は19世紀の終わり頃のモンゴルなんだね) >>314
広島も戦犯に追加してくれ。
テレビ東京系がないから、月曜から木曜まで、民放の全日帯に一秒も子供番組がないという異常なタイムテーブル
だぞ。
しかも4局民放があっても、どの時間もおんなじ様なニュースワイドだけ。
いっその事民放一旦全部廃局して、1局に統合しちまえよという嫌味を言いたくなる。 昭和の頃みたいな面白い番組がなくなった、という話をよく聞くんだけど
思うに平成はメディアが多様化して、1つのメディアの割り当て人数が減っただけじゃ?と思う
昭和の時代も、あれらをつまらないと思いながら周囲に合わせてただけ、って人は居た筈
昭和の時代にだってつまらない番組はあったし、平成にも面白い番組はある
面白い番組ばかりを皆が覚えてるし思い出すからそういうのばっかりという錯覚を起こしてるんでは?
そして平成の番組だとて、名作が後世に残っていくのだろうと思う >>311
人形劇なら海外のを抜きには語れまい
サンダーバードは言うに及ばず、ジョー90やら
キャプテンスカーレットやら >>311
そういや「ひょっこりひょうたん島」って
実は死後の世界の話なんだってね
公表はしてなかったけど、井上ひさしは
そういう設定で脚本を書いて、スタッフはみんな
知ってたそうだ。第一回の遠足のときに火山が
爆発して、あれで全員死亡。でも本人達は
死んだことに気付いてない。たまにテレビから
新しい住人が出てきたりしたのも全員死人。 >>318
俺も親から、おもしろくない時代劇やナイター中継、なつメロ番組なんかにイヤイヤ付き合っていたけど、
子供だったからかもしれないけど、今と違って、素人が思いつかないような斬新な企画が続々始まっていた感がする。
今のはほとんどが金太郎あめのように感じる。
洋書屋に入り浸れる人ならともかく、情報源なんて、ほんとに新聞や一般週刊誌くらいしかなく、庶民の情報収集力なんて押しなべておんなじくらい。
昔は、放送作家や企画を持ち込む人の素養(発想力)や情報収集力がずっと一般人より乖離していた気がする。
海外なんて庶民にとって雲の上のような存在のころから渡航歴があって、そのテレビ番組やエンターテイメントを知っていたり、
一般家庭ステレオが普及する前からジャズなんかに通じていたりとか。 >>310
タイムトラベラー、なぞの転校生、夕ばえ作戦etc.見てたよー。
放映されたものの殆どを見たと思う。
ハーディーボーイズ、ナンシー・ドルーも見てた、大好きだった。
当時、ビデオなんてものがなかったから記憶の中に残ってるだけだけどさ。
NHK自身も保存してないから視聴者からビデオ募集してるね。 俺らが子供の時に横浜の日本シリーズとか想像もしなかったよな
日本シリーズは平日の昼間、しかも巨人対西武か広島か阪急か近鉄
ぶっちゃけ横浜(大洋)なんてマジでお荷物球団だった。 >>314
そうなの?
今30位の札幌出身の子なんだけどハクション大魔王とか
昔のアニメをよく知っているから何で知ってるのか聞いたら
北海道はアニメの再放送が多かったから見てた、みたいなこと言ってたぞ
夕方じゃなくて日曜の朝にでもやってたのだろうか >>313 プリンプリン物語、テープが紛失してたらしいが見つかったから再放送、ってBSでみたな
みようとおもってすっかり忘れてみてないけど 夕方だけじゃなく早朝にもアニメ再放送はよくやってた
30分番組を15分ずつ2日に分けて放送することもあった 「宇宙戦艦ヤマト」は当時本放送見ていたと思い込んでいたけど
大人になってからあれは再放送だったと知って本気でびっくりした
本放送はハイジの裏番組だったとか >>324
夕方よりも、朝かなあ
tvh(テレ東系)も開局して30年ぐらいなんだよね 巨人の星を初めて見たのも再放送だった
すでに、土方などの言葉は、ピーとか不快語編集済みだった
だが、同時期に見てた座頭市テレビ版では、このどメクラとか、ツンボとか、不快語野放しだった >>327
本放送の時期はちょうどハイジのクライマックスだったんで
大多数の子供たちはハイジを見てた。
クララが立ったというセリフが学校で流行ったわ。
その後、再放送でヤマトブームが来て
黒板の月日曜日を書いた横に地球滅亡まであと○○日って
書いてた。 >>322
ぱっと思い浮かぶのが、「つぶやき岩の秘密」「とべたらほんこ」「ユタとふしぎな仲間たち」
もっと見てたはずなのに思い出せない。 >>327
うちのクラスは本放送のときは猿の軍団派が
多かったので、俺も付き合いで軍団見てたけど
本音ではヤマトが見たかった。でもヤマトは
その後ガンガン再放送したけど軍団は再放送
なかったから軍団見ててよかったわ 最近もなのかかもだけど押し入れの壁に新聞紙が貼ってた 押し入れの新聞紙で思い出したけど襖も障子も主婦が張り替えてた 俺の家の離れの押し入れに貼ってる新聞紙が、大正時代のだったのには驚いたわ
綺麗にはがすとある意味貴重品かも >>336
離れが「大正」の建築
母屋が明治
屋根裏の柱に、「明治20ウン年・・」の大工の筆書きがあるよ
今やどこもガタガタな雨漏りだらけのボロ屋敷だけど >>325
プリンプリンは、テープ紛失じゃなく、あの時代はフィルムが高価で上書き撮影してて
プリンプリンだけじゃなく三国志やヒゲよさらばとか
全てNHK側には残ってなくて、視聴者に録画テープを貸してくれと呼び掛けてる
プリンプリンは視聴者が録画してたテープだけじゃ全話足りなくて
出演者の神谷明が録画してた分をあわせてついに全話揃ったんだよ
最初から出演者に呼び掛けてたら早かった話w >>331
「つぶやき岩の秘密」の主題歌、石川セリの歌う「遠い海の記憶」は名曲中の名曲。 >>340
これでようやくセリの認知度が上がると思って同級生たちに宣伝しまくったけど、期待したほど広まらなかったなー。 >>338
NHKは80年から保存する方針になったので、プリンプリンはそれ以降分から保存。
当然、ひげよさらばや三国志(DVDになってます)は全話現存だよ。 >>324
アニメの再放送を完全に止めた広島と違って、朝か夕方に再放送枠を一つ残してるらしい。
今は巨人の星をやってるんだって。いいなあ。 NHKの言いぐさ、当時はテープが高価で〜は、NHKがスポーツ芸能エンタメを大事にしてこなかったことの言い訳にしか聞こえない。民放だと残していることが多いのに。 NHKで殆ど残ってないのってマルコ・ポーロの冒険じゃなかったっけ? アニメといえば、高校生の頃にガンダムのアニメを見たら、主人公の声が星飛雄馬の人だったのに驚いた
自分がまだほんの子供だった頃に見ていたアニメの声をやっていた人が、まだ現役でアニメの主役の声をやっているのか、と
今思えば巨人の星とガンダムとでは、たった10年ほどの差しか無いんだが、 植木等とのぼせもん見てて、芸能界や歌謡曲はこの頃の方が質が高かったんだなと思った
リアル時代は知らない世代だけど
今はヒットチャートに入ってる曲なんか知ってるのが一つもない >>345
たしか社会党(当時)が叩いたんだよ。
業務用テープは本当に高価だったから
視聴料の無駄遣いということで。
テープ代ケチったからって大した節約に
なるわけでもないのにね。蓮舫と同じ。
当時のアホと事なかれ主義で従った
アホNHKのせいで、貴重な資料が消えた。 >>347
フィルムで残ってるものは今見ても
画質が綺麗だよね。1970年代以降の
低画質ビデオの作品は見るに堪えない。 その「低画質」ビデオってのは、当時の素人が家庭用ビデオで録ってダビングを重ねた奴(例・裏…)のことかい?
それとも、あなたにとっては、当時でもフィルムが完成された絶対的なものであって、当時の技術的限界の発展途上のビデオ全体を「低画質」と断言してdisってんの?。 >>352
いわゆるDVD画質のことだけど、なんでそんなに喧嘩腰なの?
今の番組の中で昔のドラマの一場面を流すこととかあるけど
局に残っている業務用ビデオの映像なのに画質悪いでしょ?
フィルムなら、1930年代の映画でもハイビジョン画質で十分に見られる。
つーか、いちいち聞かなくてもわからないかこんなこと。 当時開発されていた技術の中で忠実再生を目指していた電気、電子技術(者)をフィルム関係(者)より下に見ているとしか思えないから。 技術者の努力と、その時点での技術の完成度は関係がない。初期のビデオはラチチュードが狭くてコントラストが低い割りに輪郭線が強調されてしまい、フィルムと比べると、特に影の階調が平板だった。
現代劇ならまだしも時代劇にはちょっと厳しい画質だったな。 >>354
実際に当時のビデオの完成度が低かったことは明白な事実なんだから
「技術者の努力を馬鹿にするな」と怒るのは筋違いにもほどがある
そもそも当時の「映像の品質」の話をしているのであって
「技術者のレベル」の話をしているわけではないよ >>354
つーか、おまえ自身が
>技術的限界の発展途上のビデオ
発展途上だって認めてんじゃんw
まさに発展途上で画質が悪いから懐かしいドラマでも観る気にならない、ってだけの話。 >>349
> 今はヒットチャートに入ってる曲なんか知ってるのが一つもない
歌い継がれていきそうな曲が、そもそもないよね。 >>359
あー、それは言える。以前は昔の曲はダサいと
思ってたけど、それは当時の編曲の感じや言葉の
センスであって曲自体はすごく良いものが多いわ。
「ふりむかないで」があんないい歌だったとは。改めて認識した。
それにしても小松政夫役の役者は下手くそだったなw
もっとネタの部分を練習すりゃよかったのに。
谷啓は本人が乗り移ってたw タランティーノが梶芽衣子のファンと知った時は笑った 自分は画質なんか全く気にならないけどなあ。いろんな人がいるもんだ。歌詞も昔の方がいいと思うけどね。職業作詞家が書いたやつは、読むとよく考えられていると感心するけど。 >>362
いやあんたのほうが珍しいよ。昔のテレビならまだしも
地デジになった今、ビデオ時代のドラマのDVDなんて
アップコンバートしても見られたもんじゃない
木村拓哉が検事をやってた「HERO」の最初のシリーズが
観たくてDVD借りたけど、テレビじゃ無理だった。
パソコンで10×15cmくらいのウィンドウなら何とか大丈夫だったけど お前さんは2011年以前はテレビ見た事なかったのかね? >>365
だーかーらーぎー。2011年に地デジに移行になって
強制的にハイビジョン(あるいはそれに準ずる画質の)
テレビに買い換えさせられただろ?それまでの低画質の
(走査線数や画素数の少ない)テレビなら問題なく観られても
ハイビジョンテレビだと昔のビデオ画質(DVD画質)は
汚くて観られないね、って話。
なんでこんな簡単なことを理解できない人間がポコポコ
沸いてくるのか、お母さん不思議で溜まりません。 >なんでこんな簡単なことを理解できない人間が
自分が理解に苦しむアホ理論を語っているという可能性にまで考えが及ばないんだね 気にならんけどなあ。敏感すぎてめんどくさい奴が増えたんかな >>367
そしたらそのアホ理論ってのを一つ解説してみなさいよ >>13
新幹線とか飛行機が普及して日帰り強行出張が増えた
のんびりお泊まりで接待なんてのも減ったよなぁ >>370
うちの会社のローカルルールだと思うが
宿泊出張は部長決済、日帰り出張は課長決済
なので新幹線・飛行機の発達で出張は増えた
良いか悪いかは別にして >>367
ホントに単純な話なのに、なんで理解できないんだろ。
その頭でどうやって生きてるのか不思議だわ
2011年までは低画質テレビだったから低画質の映像でも気にならなかった
2011年から強制的に高画質テレビに変わったからそれまでの低画質の映像は粗くて観られない。
↑これのどこがおまえさんの言う「アホ理論」なんだか教えてくれよ。 横レスですが、粗くて観られないのは貴方様の主観でしょ?
皆が皆そう思うわけじゃない。粗さがいいという方もおられます。 2chに書き込む人間って大体3種類だよな
まじめに自分の好きな話題について語り合いたい奴、何かを煽りたい奴、
ROMってるだけの奴、そのどれにも含まれない奴 それは、松坂牛を食ったらオージービーフは食えないとか、ベンツに乗ったら軽四なんて乗れないとか、
その類のきわめて個人的な感覚
俺は気にならないよと言う人を「お前は少数派だ」と決め付けたり、「なんで俺のいう事を理解出来ないんだ」とタダこねたりする事じゃないからね
もう黙ってなさい >>375
なんだ「観られない」の文字列に反応してたアスペか
「観ることができない(不可能)」という意味ではないぞ
「とても観られたもんじゃない」とでも書けば理解できたか? >>372
もうやめとけ
自分が浮いてるのがわからんのか?
正しい正しくないの話じゃないだろ
あなたもいい大人なんだろうからその辺にしとけよ >>377
いや別にアホが絡んでこなきゃ元々が主張するような話でもないんだが
違う人間だろうけどケチの付き初めは>>352ね。こいつは真性のアホみたいだけど >>360
谷啓だけじゃなく、クレイジーキャッツのメンバー役はよくあれだけ似たような役者揃えられたなと感心した
みんな役作りが大変だっただろうな >>370
本当に携帯とパソコンと超特急無かった時代のサラリーマンは牧歌的で楽しかったろうなー >>382
犬塚洋は似てたな。他のメンツはにてたのかどうか
あんまりわからなかったけど。植木等はよくあそこまで
研究したもんだと感心したわ。ハナ肇の役者は地の演技
だったけど似てたw 旧軍から引きずってる自衛隊の何かの記念日で、海に向かって捧げ銃をする行事がある。
その時流される 「海行かば」 という曲は歌曲としての完成度がとても高い。それもそのはず
信時潔という大音楽家の作曲なのだ。ご本人も軍部に嫌々協力させられて作ったのでは
ないかと思うが、それでも芸術性というのは出るものなのだなあ。 >>385
軍部に協力させられたとかアホか
今までどんな教育を受けて来たんだよ
古関裕而が批判されたりアホらしいわ NHKの思い出のメロディーに、同期の桜、異国の丘、がいつも出ていたような気がする。やはりそういう世代が普通に働いていたんだな。 ドリフのコントでも、軍隊の内務班ネタ、軍歌や従軍看護婦ネタがあったけど、気がついたら無くなった。
そういう世代が現役から退くと意味が通じないからね。
(大体、内務班という言葉の意味自体が判らない人の方が多かろう) >>384
挿入歌が(役者)本人歌唱なのか(植木)本人歌唱なのかわからないんだもん
良く出来てたわあれ
顔見ちゃうと全然別物なんだけど、声だけはほんとそっくり
なんである。アイデアル。トホホーとか見たかったな 検診の結果
オールA評価だった
タバコも酒もやるのにw 「海行かば」の凄さは、西洋音楽でもない雅楽でも能楽でも民謡でもないのに日本人の感性にぴったり合致するメロディを創造したところにある。 >>385
>>391
知ってたらすまんが、軍艦マーチのトリオ
(昼間部の美しい旋律の部分)はまさにその
「海ゆかば」なんだよな
https://youtu.be/eExnLs7aunQ?t=67 >>389
最終回のラストは植木等バージョンだったけど
山本バージョンも微妙に違うだけでほとんど同じだったよね
時折出てくるシャボン玉ホリデーのギャグも最高だった 昭和期は成長期だったから貧乏でもなんだかわかんないけど夢はあった
先進国はどこも同じだけど成長しきったら衰退しかないわけで平成の時代の若者は大変だなぁと思う
とは言っても昭和に子供だった子たちより全然いい暮らししてると思うけどね。今貧困と言われてる家庭でさえ昭和世代から見たら全く貧困じゃないし >>394
それまで「存在しなかったもの」が「新しく登場する」
というワクワクはたくさん味わえたよね
今でも技術革新は進んでるけど、「すでに存在するもの」が
便利になるのでは少しニュアンスが違ってしまう 今は情報系が全て携帯端末に集約されていくのを見てるだけだもんな 昔は知りたい物があれば手間が掛かったから知識が増えることは重みがあった
今は百科事典を全ページめくることもないだろうね >>397
すでに「○○博士」とかは死語になりつつあるな。
知識をひけらかしても「どうせネットで集めた知識だろ」で終わり。 >>398
上の世代には今でも博士と呼ばれるよ
いらん知識ばかりで学業はさっぱりだったが 記憶力って下がってるような気がする
中高の頃は友達の電話番号全部覚えてたし
携帯なくしたから電話番号わからないってのが信じられん 数字に対する記憶力は80近くの母親の方が優れてる
実際、電話番号は新たに憶えられなくはなったな
子供の頃に憶えた親戚の電話番号は今でもすらっと出てくるけどね >>374
亀だけど、それ4種類になってるんだがw >>327
ヤマトの沖田艦長とハイジのおじいさんは同一人物 ゴールデンでアニメの裏番組がアニメってのも今では考えられないね
ガキのころはほぼ毎日特撮かアニメ見ていた気がする 民放の夕方にニュース系番組なんて昔は考えられなかったな。全部特撮か、テレビの漫画だった。 高知県限定かもしれんが
アスファルトが白くて当たり前だった
理由はいまだにわからん
こんな感じhttps://goo.gl/maps/JYbFj5CBDfo 年末に手帳を変えるときに知り合いの住所、電話番号を書き写していた。
知り合いの多い人は大変だったろうな >>406
4時からは1時間ドラマの再放送(太陽にほえろ、
西部警察、青春シリーズなど)、5時から7時までは
特撮かアニメの再放送。30分アニメと15分アニメがあった。
特撮の再放送の定番は赤影、アニメは巨人の星、
サスケ、男ドアホウ甲子園など。わんぱくフリッパーも
この時間帯だったな。 >>408
横だけど当時の中高生と今の中高生を比較してってことなのでは
俺も中高の友達の電話は暗記したてし、大学時代ナンパした女の子の電話は特にメモもしなかった >>403
ROMってるだけの奴は書き込む人間に含まれないから3種類で合ってるw クイズダービーといえば巨泉だが、昭和40年代の巨泉がウケてた時代って正直ピンと来ない
自分が物心ついた頃にはすでにクイズダービーの司会者で大御所ポジションだったから >>405
特撮の裏が特撮という
ミラーマンとシルバー仮面
ガキの頃はミラーマンが人気だったが歳をとったらシルバー仮面が味が深くていいな >>417
11PMとかで堂々と台本見ながら司会やってたな >>418
広島ではかぶらなかったらしいが、ミラーマンは色合いが汚い、プロポーションが悪い、怪獣がださいの
三拍子揃ってたので好きじゃなかったし興味もなかった。
同様の理由で、スペクトルマンも好きじゃなかった。
話は全く違うが、今北海道で巨人の星の再放送をやってるらしい。
今時のガキんちょ達は、一体どんな顔して自分の祖父母が子供時代のアニメを見てるんだろう。 CSでの昔のアニメの再放送ですら欠番があるなあ。CSくらい放送したらいいのに。サスケの五つはCSでも放送されなかったのかなあ?自分がガキのころは地上波で普通に流れていたけど。 ひ「父ちゃんは…、父ちゃんは日本一の日雇い人夫です。!!」
試験官「わははははは!」 >>420
ミラーマンは、周囲に鏡がなくて変身できない、というエピソードがいくつかあったけど、
だったら小さなやつを持ち歩いとけばいいのに、と思ったものだった。
あのころから自分という人間がひねていったのかなw >>423
男が鏡持ち歩くなんて恥ずかしいという価値観だったのかもね
昔は男は男らしく女は女らしくという考えが強かったし >>423
たしか変身に使った鏡からしか戻って来られないんだよな。
で、変身中にその鏡を割ると死んでしまう(もしくは永遠に
戻れないだったかな)。父がそれで死んだはず。 アニメネタだと「はいからさんが通る」
視聴者のイメージと声優の声が合っていなくて不評
それもあり途中打ち切りになった。
最近はそういう話聞かないよな。 ミラーマンは体内爆弾を仕込まれて制限時間ができてからつまらなくなった >>428
ウルトラマンみたいな緊縛感を出したかったんだろうな。
シルバー仮面も等身大だと人気出ないからと途中から
巨大化しちゃったし。 アニメのはいからさんで、
如月さんが何かの拍子で倒れて寝込んだとき、
往診に来た医者が
「腐れておる 頭が腐れておる」と診断した。
子供心にそれを死刑宣告だと思い、とても悲しんだが、CMあけには何事もなかったように如月さんが動き回っていたので、とても混乱した。 今日はドラフト会議だったが、やっぱり「第1回選択希望選手!読売、某のなにがし」のコールはパンチョのものだったなあと今でも思ってしまうね
今は連盟の人?が可もなく不可もなく「第1回選択希望選手、東京ヤクルト、某のホニャララ」と読み上げてるけど、
「第1回選択希望選手!北海道日本ハム、清宮幸太郎、内野手、早稲田実業」ですら速攻で脳内でパンチョに吹き替えられてしまうほどだ
もう鬼籍に入ってだいぶ経つけど、このぐらい記憶と印象の中に居続けてる人物の一人だ >>434
ちなみにパンチョさんは棺の中でもカツラは付けたままだったそうだね パンチョさんの声は唯一無二のものだったからなあ。
あのちょっと早口な感じもなつかしい。
それはそうと、あのころは年齢も言ってたよな。
いやまあ、言ってくれなくても死にゃあしないんだけど。
「第1回選択希望選手 近鉄 野茂、英雄 投手 21歳 新日鉄堺」 習字紙にでかでかと、一位選手の名前などを書いたのをぶら下げていたのは、もうはるか昔の話みたいになってしまったな。 >>407
それは貝殻が混じってるから、ある意味当然かと・・ >>441
もっとスゴいことになるのかと思ったら、ほどほどのところでハゲ止まったのか2人とも。
彡⌒ミ彡⌒ミ >>440
調べたら、石灰石だそうだ
高知県でよく産出されたかららしいけど、高知県なんか今以上に陸の孤島だったから材料運ぶのも大変だったのでは
ちなみに高知県には緑っぽいアスファルトもあるんだと |
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)>>442 また髪の話してる
(| |)::::
(γ /:::::::
し \:::
\ >>441
ポールサイモン&アリゲーターガーファンクルだったっけ? そういや昔は「サイモンとガーファンクル」と言ってたな
いつから「サイモン アンド ガーファンクル」と言うようになったのか 敏いとうとハッピー&ブルーなんて混合のグループもいたな。
わけ分からん。 サイモント&ガーファンクルだと思っていた時もありました。 007
昭和:ゼロゼロセブン
平成:ダブルオーセブン >>447
もんたが「and」 で世良が「と」だっけ
わからんのが内山田洋とクールファイブ
なんでボーカルが主役じゃないねん 鶴岡まさよしと東京ロマンチカもボーカルが鶴岡まさよしじゃないんだな。 >>451
よく親父がテレビを観ながら「これでもし前川清が
不公平だとか言って一人で歌っても全然売れないんだよ」と
言ってたけど、そんなことなかったなw >>409
そういう人は別にアドレス帳を持ってたんだよ >>455
もともとアドレス部分が別冊になってて、カバーの折り込み部分に挟み込んだりするようになってるのもあった。 昔はたまに間違い電話がかかってきたな。
「はい、○○です」
「あっ、間違えました(ガチャ)」
〜数秒後〜
リーン、リーン
「はい、○○です」
「あっ…?さっきのお宅ですか…?」
「…さっきの方ですか?」
「あの、すみません、そちらの番号は××-△○○×でしょうか?」
「そうですよ」
「ん〜…、聞いた番号が違ったみたいで…何度もすいませんでした」
「いえいえ」
こんなやりとりがあった。 それがきっかけで二人とも恋に落ちる。
と言うのは
恋愛小説の読みすぎか…。 >>455
そういや電話の横に紙のアドレス帳があったな。
結婚したとき、友達からお祝いで外国製の洒落た
アドレス帳をもらったのはいいけど、アルファベットだから
AとかBとかはいいけど、LとかPとかQとかVとかXとか
不要だったわ。パヤシとかクァンダとか知り合いにいないし。 仕事柄Webサイトいくつも作ったりSNSとかの色んなWebサービス使ってると
IDとパスワード整理するのに昔ながらの見出しタブが付いたアドレス帳が欲しいなーと思うけど
すっかり過去の遺物と化してしまったのか、100均や文具店で探しても売ってないんだよねえ
一応ローカルネットワーク内でPCやスマホで参照できるように一元管理してはいるけど
いちいちアクセスして検索したり入力したり定期的にバックアップするのが面倒臭くてなぁ >>461
うちにもまったく同じのがあった!
ベストセラーだったんかな >>443
沖縄と一緒か
やけに道路が白いと思ったんだわ
高知は行ったことない >>459
Qなんて英語ほか外国語でも殆ど使わんからPかRに統合されてるのにね。 >>404
沖田艦長は銭形の人で、ハイジのおじいさんは亀仙人だから別の人だと思う >>459
B だと馬場さん以外に、どういう名字があるかな? >>467
備後さん、分倍河原さん、別所さん、坊坂さんが会社にいる 奇人変人さんの番組って、今では放送コードに抵触する様な人ばかり出ていたよね。
食事と排泄を同時にする人、なんてのもいた。
ふと思ったが、食事しながら性行為・食事しながら出産・食事しながら自殺あたりはひょっとすると世界中でもやり遂げた人間がいないかも。。 食事しながら性行為
なんかそんあAV見た覚えがある
つまらんかった。
食事しながら出産
出産時の奇行スレ? そこで読んだ覚えがある。
お腹空いたぁ 陣痛が一時的に収まった。何か食べさせて〜
で食べていたらすっぽり出てきた。 >>461
あーこれ 色違いがうちにあるわ
もう壊れているのに使っている 自殺しながら自殺したやつってのもいる。
中国で、爆弾を抱えてビルから飛び降りて、途中で爆発させたオッサンがいたらしい。 >>471
女優の口を蕎麦猪口にして蕎麦食うAV見たことあるわ
つまらんかった 最後に好きなものをまさに死ぬまで食って死ぬというのは食いながら自殺なのではなかろうか 食べ物を咀嚼しながらその瞬間に挿入射精というのはかなり無理というか有史以来やった奴はいないのではw
想像もつかない障害が発生して即死したりしてw 日清、日露、太平洋戦争と軍人として生きた人の中には、ベトナム戦争で
「この風、この肌触りこそ戦争よ!」
と思い返す人もいたのかな。 ドラマが半年とか1年のスパンだったから
話の進行がやたらと遅かった。朝ドラとか
嫁いびりが1か月くらい延々と続いたりしてた。
最近の朝ドラは展開が速すぎて逆にびっくり。 突然「俺たちの戦いはこれからだ!」みたいなもんだな もう誰も愛さないからドラマ展開速度は変わったのかなってあれは平成か >>481
確かに。
今はドラマはワンクールがデフォルトだもんね。 >>481
今は一年スパンでやるのは特撮物くらいだね。
じっくり一つの役に取り組んで演技力を磨くことが出来るし、最初はぎこちなかったり役を掴んでなかったり
するのが、演技がこなれたり役を掴んでいったりする過程が、まるで実際に絆を深めて行ってるようで結構
気持ちいいんだよね。
若手は戦士としての自覚が、演技派の劇団系の役者が司令官だったりすると、司令官としての自覚が実際に
芽生えてゆくように見えるし感じるし。
一年に一度、1クールか2クールやる大人向けドラマもあるし、特撮を経験してそれに出てる人もいるけど。 昔は特撮モノは「演技に変な癖がつく」「ジャリ番出身とバカにされる」と役者から敬遠されてきたけど
今や新人役者の登竜門だからね。ほんと変わったもんだわ >>486
平田昭彦、天本英世、岸田森という偉大な先駆者を持つ岡本喜八ファミリーと、彼らを愛する若山富三郎や
松田優作といった方々のお陰であります。
若山氏と松田氏は、特撮をジャリ番呼ばわりする俳優達を、岸田氏を引き合いに出して「演じるのが嫌なら
辞めろ!」と激怒なさいました。
他にも塩山ときさんも「特撮の悪役ってやって楽しいのに」とおっしゃられました。 ちなみに、戦隊物の司令官を俳優が演ずるときは、「大御所もしくは劇団所属の演技派」と決まっております。
若手俳優のお手本であり、良い子達のお手本でもあるという大変重要な存在。
ジャリ番と蔑むような了見の奴は決してやってはいけないレベルでの、心してやらなければならない存在です。 >>486
あと昔は朝ドラのヒロインが素人の公募だったから
スタート時が学芸会レベルで半年後の最終回の頃に
やっと女優になってたな。いつから素人公募じゃ
なくなったんだろ? >>476
絶倫の人が8時間とか挿れっぱなしで、途中で出前取る話は聞いたことある。 お金玄関に置いといて「あ〜、そこ置いといて」でええがな
で、繋がったまま移動で背中をテーブルに・・ >>489
オーディション形式を採ることがあるから、
無名の新人が採用された回があるだけで
素人の公募なんかなかったんじゃない?
山崎千里とか星野知子とか朝ドラがデビュー作に
なっている人が続いた時期もあるけど
大竹しのぶも熊谷真美も朝ドラより前に
出演作あるし、沢口靖子なんてゴジラでデビュー。 ↑
三拍子揃ったハゲ
ハロウィンだけははりきるハゲ
↓ ゴジラ寄り刑事物語が先じゃなかったっけ。
ゴジラガールやると聞いて最初に思ったのが、「顎のあたりが似てる」だったな。 そんなこと言われましても、特に岡本喜八や古沢憲吾や松林宗恵ファンと俳優女優は特撮と一体化してますし…
戦争映画は特撮映画だから。 >>487
塩沢ときじゃないのかな、その発言知らないけれど、特撮ものいろいろ出てたんだね >>496
>>499
特撮映画、特撮番組と言えば昭和の定番だから問題なかろ 今やゴジラとかの特撮なんて俳優のほうで出たがるんだから時代も変わったもんだよね。 >>501
ホントだよね。昭和の時代は特撮=子供の映画だったからね。
三船敏郎がそれでオビワンケノビ役のオファーを断って後悔したそうだし。 昭和30年代半ばくらいまでは、ちゃんと大人向け特撮があったよね。●●人間シリーズや世界大戦争のような。
テレビのマイティジャックがこけたのが痛かった。 >>503
マイティジャックがこけた理由がまさに
「ジャリバンを嫌う俳優」だったんだよね。
防衛隊のユニフォームを嫌って、戦艦の
コックピットなのにブレザーとネクタイってw >>505
あれは普通にホラー映画だったからな
テレビでやっててすごく恐くてトラウマになったわ 海外のちびっ子には、きのこが食べられなくなったのも少なくないと聞く。>マタンゴ >>503
「世界大戦争」で市民が防空壕がわりに避難していた両国駅旧駅舎も
今は「-両国- 江戸NOREN」という複合飲食施設。 「世界大戦争」と「今日もわれ大空にあり」には縁日シーンがあるけど、今は見かけなくなった紙製のチープな
絵日傘の屋台や、布製の抱き人形(火垂るの墓の節子が持ってる奴)を吊るしで売ってる屋台が出てくるんだよね。
サイズも子供の背丈ほどあるのから大人の手のひらくらいと色々。
あの人形、ああいう売られ方してたんだね。
もう当時はバービーやら売ってたはずだけど。
風船もゴム製のだけが売られてる。
今は逆にゴム風船の方が少ない。 キレンジャーとかジャンボーグAとか
その役の印象が強くなって、他の仕事が来なくなった。ってのも事実だからなぁ
ジャリバンを嫌う俳優がいるのもしょうがないと思うよ。 そういやオダギリジョーは「人間がヒーローに
変身するなんて気持ち悪いからやりたくなかった」って
インタビューで答えてたな。今でも略歴からクウガが
消されてる。
まあ、ハヤタもモロボシダンウルトラ以降はパッとしないか
悪役ばっかりだもんねぇ。ハヤタの娘(後にティガに出演)も
「お父さんは悪役ばかりでイヤだ」と言ってたそうだ。 >>512
森次さんは結構いろいろやってるよ。
大河ドラマには4作品に出てて、
太平記で細川顕氏やった時は回によっては
オープニングの出演者ロールに単独で出る回もあった。 ウルトラQは子供向けって言われるとちょっと違うような気もする
いや、子供向けに企画されたんだとは思うけどさ >>514
もともと、アメリカの「アウターリミッツ」「トワイライトゾーン」みたいな、
1話完結式のミステリー仕立てのテレビドラマを作れないか、
というところから始まった企画なので、その雰囲気が残ってるんだね。
じっさぃ、いくつかのエピソードは、当初のプロットに基いている。
で、ウルトラQの評価を見て「やっぱり怪獣だな」ときたのがウルトラマンなわけだ。 あけてくれ!や悪魔っ子などは完全に大人向けだもんね
それにしても日本は大人向け特撮テレビドラマ不毛の地だなあ。
戦隊物は幼稚園児から全年齢層向きだけど。 大人向けのそのテのって、「恐怖劇場アンバランス」にはハマったわ。
確か小6?ぐらいの頃だったけど、クラスに1人同好の士がいた。
毎週夜更かしして見てた。 ほぼ毎日、午後9時もしくは10時からアメリカの
ドラマを1時間枠でやってたよね。刑事コジャック、
スタスキー&ハッチ、探偵ハート&ハート等々。
日曜の朝はテレ朝でじゃじゃ馬億万長者、アダムズ一家、
アダムトウェルブ等々。今やってるのNHKだけだな。 おれの地方では、バイオニックジェミーが日曜午後3時からだった。
スペース1999は日曜午後1時 >>519
それで思い出した。昔は地方はチャンネル数が少なくて
民放が2つくらいしかない地方もあった
関東の複数の民放の番組をやってたり、笑っていいともが
4時からやってたりしてたな
さらにど田舎の僻地だと民放がなくてNHKしか映らなかったり
(>>519の故郷がど田舎と言っているわけではないですよ) >>520
民放数が少ないのは悪いことばかりじゃなくてね。
広島は昔、日テレとフジがクロスネットだったので、東京と違って、ハイジとヤマトどっちにしようか悩むことなく両方
見られたんですよ。
あと、変身忍者嵐も編成上の都合で2日遅れの日曜夜からだったので、これまたウルトラマンエースとどっちにしようか
と悩むことなく両方見られた。
…今は民放なんて何局あってもどのチャンネルもおんなじ時間におんなじニュースワイドをやってるから一旦全部廃局
して2局くらいに編成し直していいんじゃねーの?って思ってますけど。 異色のアメリカ番組では、宗教(ゴスペル付き)、料理、マジックなんてあったね。
NHKだと思うけれど、イギリスの鑑定番組もあった。「この机なら1000ポンドの保険をかけてもいいでしょう」という評価の仕方。 新聞社を手懐ける為に、各社に一つづつ放映権与えたらしいね
公正報道の縛り、ソースは同じ記者クラブ・・団栗の背比べ、洗脳される穏やかな国民性
米みたいに偏向報道・ネガティブ報道おkなら違う国に変貌してるかもしれない 駄菓子屋にパックマンとか10円くらいでできるゲーム置いてあった
うちは貧乏だったから
駄菓子買う金すらくれなかった コイン投入口にガスレンジばらして作った点火スパーク充てるとクレジットが…… >>521
ビデオの無かった時代、それは嬉しいね。
うちは父親が絶対的なチャンネル権を握ってたから
野球もドリフも見られずに学校で友達と話が全然合わなかった。 >>522
「世界の料理ショー」は面白かったなぁ。
赤カブの瓶詰めにガラス片が入ってたことがあって、
それでも「ああ、たまに入ってるんだよね〜、でも
こうやって・・・取り除けば大丈夫」ってそのまま
使ってたのにはびっくりした。でもフリップで
「使うな」と指示されて「ダンが使うなってさ。
ホントに神経質なんだから」とぼやいてたな。 >>521
漫画でそういう民放2局しかない地方の学生が、東京に行けばこんな面白い番組を
やっている放送局が2局も増えるんだって期待して東京に出たら、
自分は選りすぐりの番組を見てただけで案外つまらんというオチのを読んだことがある >>526
東京では平日の夜やってて、野球中継などの大人の時間とかぶって家庭によっては見られない子供番組も、
土曜や日曜の昼にやってたりとこれまた嬉しい編成でした。 >>530
あれもこれも見られたんだな、羨ましい
クラスの男子が東村山音頭とか歌ってるとき、
知らないと言えなくて何となく口パクで合わせてた
自分の子供にはそういう思いをさせたくないので
好きな番組を見せていたら今度は自分がリアルタイムで
見られず、大人になってもチャンネル権には縁がない俺w 昔、山梨は、笑っていいとものダブルヘッダーやってたな。 >>531
うち、父親がおまたげなかったので、夜の本放送アニメと特撮がほぼ見られませんでしたよ。 >>525
その後暫くしてからパッチンやるとブーブーとアラームが鳴るようになった。 今でもワンセグだと2局しか入らない県あるね
佐賀と徳島だったか
それも過去の事になるのかな >>533
なんかやたらとテレビに厳しい親もいたよね。
小中校の友達でアニメ一切禁止、ドリフ等も歌番組も禁止、
NHKと教育テレビのみ、ってのが何人かいた。
あと家にテレビがない(貧乏じゃなくて)ってのもいた。 中学くらいに
俺はなぜかX1持ってて、なんか色々遊んでた記憶がある
近所にゲームをコピーしてフロッピー1枚500円位で安く売る店があって
雑貨屋なんだけど、そこの主人がパソコンにのめり込んでたらしく
今なら完全に犯罪で逮捕されるけど、当時はそんな店があった
ゲームのリストが出回って、店に行列出来てた、同じ学校のやつも沢山来てて
お前パソコン持ってんのかよ、88?FM77かよ、みたいな
高校はバンドブームでバンド始めたんで、パソコンやってた記憶なんて
どっか行っちまったけど >>538
近所の電気屋へ行ってゲームプログラムを打ち
カセットにセーブした。
カセットはそこの電気屋から買い
またゲームは消さないでそのままにしておいて
店員が自分でセーブして、販促として客に渡してた。
そんな古き良き時代 こないだ久しぶりに電車の先頭車両に乗ったら
運転席に液晶のタッチパネルがいくつもあってびびった
ダイヤルと押しボタンはどこいったの?
もしかして昔と免許が違ったりするの? >>540
車両が最新式になっただけで免許は変わらないんじゃないか
自動車のパネルだって速度計がデジタル表示になってたりするし
電車とディーゼルカーとでは免許が違うけどな 確か久米宏の番組で「テレビのない生活を毎週中継する」という
訳の分からない企画をやっていた >>523
そういう整理をしたのが田中角栄。
関西で一番視聴率の良かった朝日放送と
関東で一番だったTBSがネットワークだった頃、
教育放送局に指定されていたNETとフジテレビが
倒産しそうになったので全部一般局にして
新聞社ごとの系列にした。あくまで関東と関西。
関西の朝日放送にNETを救済させるのが目的。
得したのはTBSと毎日放送。 >>546
教育放送はNETと日テレだと思ってた。 ガキの頃、ドリフの全員集合を見ていたら、いかりや長介が「来週からこの番組のチャンネルが変わります」と言うことを言っていたのを見た記憶がある。
当時はよく訳が分からなかった。 NETは、昭和48年度3学期末(S.48.3.20ごろ)までNHK教育テレビみたいな学校放送をやっていた。
月〜土の9:30〜11:30の時間帯。
何回か学校で見せられた記憶があるが、NHKのはたらくおじさん、大きくなる子、見るちゃん聞くちゃんの理科教室に比べて地味で、内容はほとんど覚えていない。
影絵で国語の朗読、みたいなことをやっていた。スポンサー・CMはなかったと思う。
夏休みや冬休みは、その時間帯にNHKは学校放送番組の再放送をしていたが、NETはアニメなどのこども番組の再放送だった。
まだアニメの蓄積が少ない時代で、もーれつア太郎、ジャイアントロボ、アパッチ野球軍、チキチキマシン猛レースなどが繰りかえし流されていた。
番組の半分以上を教育、教養番組を放送することが条件だったそうなので、タイムショックのようなクイズ番組は教養番組、日曜洋画劇場は海外文化、末広演芸会は伝統文化の伝承・紹介、という名目だったそうな。 >>548
つーことはTBSで日テレの番宣をやったってことか。
でも日テレは予算ケチったから面白くなかったんだよな。
半年ドリフ借りて、日テレ側が「とてもじゃないが
金が掛かりすぎる」と悲鳴挙げてTBSに返したそうだ。 >>550
548は昭和50年に、大阪地区で、全員集合が朝日放送(6ch)から毎日放送(4ch)に移った時のことを言ってるんじゃない? >>546
私の勉強不足かもしれないが、フジテレビが教育局として開局したとか経営難だったとか、
(テレ朝のHPには教育局→総合局移行の記載があるが、フジのHPにそのような記載はない)
(昭和40年代半ばには、秋田、静岡などの少なくない2局目の局がNTV,TBS,NET系を選ばずフジ系で開局しており、それなりの人気、支援力はあったと思われる)
昭和47年には総理大臣になっていた田中角栄が大阪地区のネットチェンジに介入したとか
朝日放送がNETを救済なんて初耳なんだけど。
リンクなり出典をお願いします。私も興味があって研究したいんで。 子供の目で見た昭和50年のネットチェンジ前後の印象。@関東
TBSは、全員集合をはじめ、ケンちゃんやウルトラマン、ありがとう、日曜劇場など人気番組が目白押し。
NTVと双璧。
NETは、子供番組はアニメやロボコンやレインボーマンなどそこそこ強かったが、ドラマなどで全体的にあまりぱっとしなかった。
視聴率はチャンネル順と言われていた。NTV>TBS>フジ>NET>東京中2ちゃんねる
でも、NETで放送されるMBS(毎日放送@大阪)の番組は、アップダウンクイズやダイビングクイズ、がっちり買いまショウなど独創的で面白かった。
TBSで放送されるABC(朝日放送@大阪)の番組は、ど根性ガエルやメルモちゃんなどいくつも思い浮かばない
ABCはTBSの人気番組で持ってるんだろうな、と思っていた。
ABCは、NETと組んだらヤバイと、ネットチェンジ前後から霊感ヤマカン第六感やラブアタックなどで本気出してきた印象。
NETはテレビ朝日に改称後に力をつけてきて、見ごろ食べごろ…や水曜スペシャルなどを輩出させた。
制作局はプレゼントや出場者、観覧者募集判のはがきの宛先から別。 >>554
NTVとか東京12チャンネルとかって
放送が朝9時からじゃなかったっけ? >>555
NTVは日本テレビのことだよ。
昭和50年前後で6時半放送開始。
昭和33年ごろでも7時前後の開始だけど、9時半〜正午あたりに中断時間があったみたい。 >>556
NTVじゃなくてNETだわ。今のテレ朝 NETは昭和40年代後半には、他の局とそん色なく7時前には放送開始していて、
7時にニュース、みどりの窓口、ブンブンバンバン、(中略)、モーニングショーと続いていた。
みどりの窓口…国鉄提供で、列車の空席情報、旅や鉄道トリビア的な短編映画を上映。
ブンブンバンバン…クマとミツバチの着ぐるみが出てくるおはようこどもショーに似た番組。名古屋テレビ制作。
↑(俺は、おはようこどもショーよりこちらを好んでいて、途中まで見て登校していた。)
昭和39年に(奈良和など)モーニングショーが始まっているから、それ以前からそんなに遅い開始時間ではないはず。 昭和55年ころはNHKは、朝6時代に放送開始だった記憶がある。明るい農村とか放送していた。7時くらいになってやっとニュース番組だったような。今に比べて時代が緩やかだったんかなあ。 長距離通勤や、今のコンビニみたいに変則的な時間に働く人が少なかったんだろう。 NETと東京12チャンネルは早朝は放送してなくて、テレビ欄だと広告になってた。 ブンブンバンバン、微かに聞き覚えが有るような気がするんだけど思い出せないもどかしさ。
ちな、昭和44年生まれの関東住まい。 そういや海外アニメも全然やらなくなったな。
大魔神シャザーン、チキチキマシン猛レース、
トムとジェリー、ラムジーちゃん、シンドバッドの冒険、
宇宙忍者ゴームズ、等々。日本のアニメ(特にバカボン)と
比べて全然面白くなかったんだけどね 赤塚不二夫って天才だよな
常人にはココロのボスとか絶対思い付かんわ >>565
ケムンパス、ニャロメ、べし、ウナギイヌ等々、ホントに天才 今年中三の息子が「お父さん、良い音楽があるよ」と
勧めてきたのが平沢進だった。びっくりした ↑
Gメンのエンディングが好きなハゲ
特捜最前線は全回覚えてるハゲ
↓ >>563
ロードランナーは今見ても傑作揃いだと思う。ラムジーちゃんとロードランナーは、子供番組の枠を超えて大人が本気で遊んでる。 ヒューヒューポーポーが好きだったwww
あれが俺にとっての初萌えだと思う。 >>563
海外アニメは、自分にとっては、特にヒーロー物は魅力のない絵面のキャラが平面的な画面でべったりな
動きをするクッソつまんない番組だったので、一目見て海外物だと判ったら見なかった。
面白いと思った海外物は全て劇場版短編をテレビ用に再編集した物。
(ただし黒ネズミと愉快な仲間達は除く)
海外のアニメってどうしてこんなにつまんねえの?と思ってたんだけど、黒ネズミの会社の親玉が、アニメ権益を
牛耳るためにファンのケツをかいて規制規制でがんじがらめにして、黒ネズミの会社作品だけが至高という流れ
にしたせいらしいね。
今でも、日本のアニメを見せたら子供がオタクになる!ほざいて黒ネズミアニメだけ見せてる日本人の親がいるけど、
「あんた、黒ネズミの親玉が生きてた頃フライシャーを潰した手口のまんまに操られてるよ」と言いたくなる。
自分の手を汚さずファンをけしかけるというのが、黒ネズミの会社の悪しき伝統。 >>572
ちなみに、ロードランナーシリーズも劇場作品のテレビ編集版だと知って「やっぱりそうか」と思った。
他にも海外アニメ作家で好きなのはテックス・エイブリー。
(トムとジェリーの真ん中で、バーニイ・ベアとトムとジェリーが出ないハンナバーベラを除いたほぼ全てを
担当)
赤塚不二夫をはじめとした多くのギャグ漫画家に多大な影響を与えてると思う。
あの、画面の端にちょろちょろ映る糸くず(セルの裁ちくずだそうな)を、キャラが毟るというギャグには
感動すら覚えた。 >>568
宇宙をパトロール・砂漠を旅していると、悪人に襲われている人がいて、主人公の超武器や魔法で悪人をやっつけてめでたしめでたし
あまりにワンパターンなので笑っちゃうね。
ひねりがあると、新鮮に見える。仲間割れとか、襲われているのが罠だったとか、悪人が名古屋弁しゃべるとか >>563
その辺はスカパーやケーブルテレビのアニメ専門チャンネルに移行した >>576
ちなみに、アメリカ放送版の「宇宙戦艦ヤマト」も黒ネズミ軍団の陰謀のせいでおバカになったアメリカの
ガキんちょに合わせて、そんな感じに改ざんされてる。
(敵が来てヤマトが毎回地面から発進)
海外…
特に香港や台湾から留学してきたヤマトファンや日本人とヤマトの話をしてて、噛み合わないので「あれ?」
と思ったらそういう幼稚な改ざんをされてると知ったとか。 >>569
今年中3なら幼稚園児の頃おかあさんといっしょで平沢の地球猫を見てた世代だな
映像を見た子供が泣き出してNHKに苦情が殺到した伝説の歌だ >>573
宇宙忍者ゴームズも実写映画化されたんだし
怪獣王ターガンやスーパースリーも200億円ぐらいかけて映画化してほしいねえ 今「午後ナマ」で知って驚いた。家庭用ビデオデッキが
発売されたばかりの頃のビデオソフトって、映画とかでも
1本5〜10万円もしたんだな。19800円前後で安定してたのは
覚えてたけど、もっと高かったとは。そのうち9800円になって、
5980円から3980円で安定した。 それってフィルムの話じゃなくて?
VHSやβのソフトがそんな高かったの? >>581
早見瞳ってAV女優が好きでビデオ欲しかったけど、2万くらいしたんだよな。
高校生には手が出なかった。
後にDVDで2000円になった時は速攻で買ったな。 昭和40年代ならそうなのかもしれん
1人だけ録画機能付テレビを持っているやつがクラスにいたが滅多に使わせてもらえなかったようだ >>582
フィルムじゃなくてVHS。高価なのでレンタルビデオが
流行って、3泊で4000円だって。 VHSをダビングするだけで2500円くらい取られたなあ >>579
おかあさんといっしょといえば、仰向けになって手足をじたばたさせる動きのことを「ケレケレ(足をケレケレさせる
という使い方をする)」と言ってたんだけど、これ、おかあさんといっしょの「ジャンポンポン」という体操が発祥だと
つい最近知った。
「ジャンポンポン」の方は全く覚えてないのに。
今の人が書いたブログを読んだりすると、「ジャンポンポン」のメロディが怖い、「ピンポンパン」のデベロンが怖い、
当時の子供は泣いたんじゃないのか?みたいに書いてる人がいるけど…
そういう物だと思ってたから泣いたりしてないし、怖いとも思ってみたこともない。
むしろ、「ドラえもん」(日テレ版)の声を聞いたとき、「あ!デベロンやドンちゃんの声!!」と嬉しかったものだ。 ダビングする本数分ビデオデッキを設置して等速ダビングするしかなったからな。
デッキが普及しないうちは量産効果も上がらな語ったんだろうな。
ベータは昭和50年、VHSは昭和51年発売だったかな。
その前に、一応"家庭用"ビデオとしてUマチックが発売された。(昭和46年発売)
takizawa.gr.jp/uk9o-tkzw/tv/VO-1720.pdf
(ビデオテレビ組み合わせ価格69万8千円也・ギリ70万を切る)
カローラあたり(本体価格)は買えた値段のはず。
βマックス1号機は、低価格実現のため組み込み用のデッキにはチューナーが付いておらず、テレビチューナに依存。
なので、裏番組はとれない。
(こちらは44万8千円・ギリ45万を切った、が売りだったんだろうな)
takizawa.gr.jp/uk9o-tkzw/tv/SL-6300.pdf >>587
デベロン音頭大好きでTV見ながら歌ってた CTスキャンが夢の器械で、
それまでは脳出血と脳梗塞とくも膜下出血がいっしょくたに「脳卒中」とされてたのに
救急車で運ばれたらすぐそれらの鑑別がつくようになったことで
(すぐと言っても、初期のCTは頭部の単純撮影だけでも30分以上かかってたけど)
治療効果がすごく上がった
それまでは「高血圧だったから多分脳出血」みたいな勘で治療方針決めてたからね
つまりCTスキャンのある病院に運ばれれば生還率が上がるってことで、
いちはやく導入した病院が人気になってた
今じゃ診療所にすらあったりするもんなあ
時間も5分くらいで終わるようになったし >>591
仏像をスキャンしたら即身仏が入ってたってのがあったな MRIもそのうち時間短縮されるのかなあ
映像は鮮明になってきたけど
時間はあまり短縮されない
鮮明になった分違和感増して
時間据え置き、患者の苦痛は増した感じ >>585
貴重な話ありがとう
そうなると自分が覚えてるレンタルビデオブームは第二次ブームだったのかな。
二泊三日で1500円ぐらいで、そのうちに980円辺りになった記憶。昭和58年前後ぐらいかな…… 50年代半ばになってビデオデッキが普及しだしたころ、
(それでもまだ20万円錠していた。仲本工事が「コマ送りもできますよ」とやっていたころ)
レンタルどころかあまりに高価な市販ソフトを買って視るという習慣などなく
ジョーズなどの大作が放映されるとなると、皆こぞって録画していた。
さらに数年して、10万円台になってくると、一本数万するセルビデオを許諾なしに勝手に、アイデア商法的に、全国同時多発的にレンタルビデオ屋が出現した。
テープ代とダビング料を払うと生テープにダビングしてくれる店すらあった。
公明正大とは言えない稼業でもあり、アダルトものがメインから始まったこともあって、今のツタヤみたいに家族で行ける雰囲気ではなく、どこかアングラな雰囲気がプンプンしていた。 昭和天皇崩御のときレンタルビデオ屋が大繁盛したんだったな >>597
最近だと東日本のときも近所のゲオが繁盛してた 就職して最初に初任給で買ったのがビデオデッキだったな
NECのβ ベータハイファイだったな
ハイファイユニットが別体のやつ >>594
店頭でダビング出来るのが禁止された後? >>594
俺が知ってるのもその頃だわ。二泊で1500円くらい。
ただ、延滞金が馬鹿たかかったから、うっかり一週間とか
返し忘れると1万円くらい取られた。
まさか一週間レンタルで100円の時代が来るとはね。 >>602
いや、ダビング店は普通にあったね
追加料金払うとバッケージまでカラーコピーしてくれたw
話違うけどゲームソフトのコピー屋もあったな >>603
あの頃100円で借りられるものと言ったらシングルレコードぐらいだった。
……いや50円だったかな? LPが300円で。 >>604
日曜朝の皇室アルバムが怖かった
無表情で、「あっそう」しか言わないし 番組の後に、毎回手塚治虫先生が内容を解説してくれるという
とんでもなく贅沢なアニメ番組があった タモリの裏芸で陛下のモノマネあるらしい
一度見てみたいものだ レンタルビデオやDVDはCMたくさん入れて安くすることできたね
昔は店で勝手にレンタルしてたものが今はメーカーがレンタル用作ってるからな
しかもレンタル利用も重要な利益になってる
ゲームの下取り、販売はメーカー側には何の利益もないのかな ベータハイファイにしろVHSハイファイにしろ画質が良くなってると勘違いしてる奴は多かった
まあ新機種だから前のよりはましなんだろうけど >>605
そういや昭和の頃って、大企業までもが
ソフト1本だけ買って会社中でコピーして使ってたな。
NECが一太郎を数パック買って、数千人にコピーして
使ってたのに対して、ジャストシステムが人数分の
料金を払えという訴訟を起こしてたんだが、当時の
感覚からすると「ソフトをコピーして使うのなんて
当たり前じゃん」と思ってた。正に信じられん。
さらに、当時とは比較にならないほど高性能の
ソフトが無料で使える時代が来るとはね。 父親がキャノン販売でMacintosh Aci を買ったら、Photoshop、Illustrator、Pagemaker、など主要ソフトがおまけでインストールされて納品されてきた >>611
画質は同じなんだが、ハイファイ非対応機からハイファイ対応機に買い換えたときは録画した番組の音質のあまりの違いに驚いたもんだ βはリアルタイムカウンターだったからFMエアチェックのマスターに使ってた >>615
そういやVHSは長らく単なる回転数のカウンターだったから、残り録画可能時間の見積もりやみたいシーンを探すのめんどくさかったな >>615-616
ベータも昭和56年ごろのモデル(Jシリーズ)まで、全部ラジカセみたいな機械式のカウンターだったよ。
(確かにリ二アタイム式採用はVHSより早かった)
ベータプラスのような普及機はフレーム数カウント方式ながら10進4桁だった。
(2秒で1カウント、0059の次は0060、未録画部分ではカウントは進まない)
そいや、ついにソニーもベータのテープの販売を去年止めたってね。 我が家で初めて買ったビデオは、ハイファイ発売以前のベータ。
当時は、ツウはベータを選ぶといわれ、友達の家のVHSの緩慢な動きに対して優越感を持っていた。
だが、VHSでもそうだったろうが、長時間モードを使うと、画質は納得(妥協)できても、音声の方はヒスノイズに埋もれてセリフが聞き取れにくなるは、
音量も小さくなって、ビデオに合わせると再生を止めたときのテレビ音声がバカでかくなってしまう。
(マイクロカセットの長時間モード(1.2cm/s)なみ)
次の年にハイファイタイプが発売されたので、この時ばかりは1年待てば…と思った。
自分で買ったモデルは、ハイファイかつハイバンドベータになったので、長時間モードでも画質が若干ながら向上し、ビデオライフが充実したが、
ベータの劣勢がはっきりしだし、レンタルビデオの充実するVHSを横目で見ているしかなかった。 テレビでお笑い芸人が結構昭和天皇のモノマネをしていた気がする。いまはテレビではクレームが来てできないと思う。政治家のモノマネも多かった。 TBSのドラマ時間ですよには当時の田中角栄の
そっくりさんが男湯の客として毎回パンツ一丁で
出てた。女将さんは総理って呼んでたな。
阿漕なところはなく、微笑ましかったよ。
今やってるフジのドラマではシンゾウっていう政治家が
腹痛を訴えて辞任するという描写をやったらしい。
安倍首相の病気は難病指定で同じ病気のプロ野球選手が
戦力外通告を受けたタイミングでだし、悪ふざけとしても
質が悪すぎる。 >>622
10歳まで過ごした家はそうだった。徒歩1分の所に
銭湯があったけど潰れて、徒歩10分の所まで行かないと
お風呂に入れなかったな レンタルビデオ屋に、最初はベータもあったけど
段々駆逐されていったんだよな
銭湯は、楽しみだったなぁ。あのコーヒー牛乳のおいしさは、もう味わえないだろう >>625
俺は瓶に入ったマミーをよく飲んでた
外国のコインがおまけで付いてた時期があった気がする 銭湯での飲み物では、蜜のように透き通った黄色のリンゴジュースが好きだった。
現在も見かけることはあるが、今時のは白く濁ったのが多いな… >>624
オタスケマンのEDは、総理が死んだので差し替えられたっけ。 >>628
そんな事が理由だったのか。
突然過ぎて何これ?と思ってたけど。
歌だけ変わって絵はそのままだったから違和感ありまくり。 銭湯かあ・・
どんな田舎町にも大概、1軒はあったよな
よっぽどの山の中とかでない限り
もう昭和50年代には潰れていた >>628
そんな事あったんだ?知らなかった
偉きゃ黒でも白になるってとこがヤバかったのかな
その後のEDってどんな歌だっけ? >>631
それは逆転イッパツマンのED。
オタスケマンのEDは、
前期「トンマノマントに誘われて」で始まって「惜しい惜しいな、もうちょっと〜」で終わる。
後期「悪の仲間は切ないものよ」→「バラ色の〜バラ色の〜悪の世界〜」って歌。 >>631
ttps://www.youtube.com/watch?v=eN6EGphkhC4
コメ欄にもあるけど、急逝した首相の口癖をおちょくってるから。 >>626
森永マミー、明治パイゲンCとか懐かしい。
マミーは蓋の裏にアタリ印があるともう1本て時期があったと思う。 >>634
パイゲンの懸賞で当選したオウムの中には、今も生きてるのがいるらしいね。
昭和30年代後半から40年代初頭くらいにかけて、企業の懸賞が過熱しすぎた時代があったそうで、
昭和50年代半ばに、その過熱した懸賞ブームを批判する文章を読んで感想を書けという課題が出た
とき、文章の意味が全く判らなくて(当時は既に懸賞ブームは過ぎ去ってた)困り果てた。
当選応募券が出る確率が、当時の価格で一万円くらいチョコを買わないと無理だったとかいう世界だった
みたいだけど。 >>632
>>633
あーっ!勘違いしてたw ありがとう
これ三人組の合いの手が あ〜う〜 だったねw >>630
今でも探すと結構残ってるよ。
ただ、番台は外だったりとかいろいろと違ってるけど。
公衆浴場(銭湯)と温泉施設(スーパー銭湯)の違いは
前者は公衆衛生を目的として自治体の支援を受けてるので
法定伝染病とかじゃない限りは入場を拒否できない。
なのでヤクザが堂々と使ってる。あとは料金が決められている。
うちの実家は横浜だけど、すぐ隣が銭湯だわ。
子供達が珍しがって実家に行くたびに入ってる。 上にも書いたけど、昭和の時代の銭湯は番台から
女湯が丸見えだった。番台に座ってると全裸の女性
(ただし老若美醜)が見放題だったけど、銭湯の人が
口を揃えて言うのは3日で見飽きるとのことだった。
あまりにも開放的なのでエロさが微塵もないそうだ。 大学時代は風呂無しアパートだったから、当時の彼女とよく銭湯行ったな。
リアル神田川の世界だった。 >>640
昔の10時台のドラマは必ずお色気シーンがあったよな。
その場面だけ家族が無言になって、終わると何事もなかったかのように
次へ進む。 >>627
小さいころ、リンゴといえば、切っただけのものか、すりおろしたものだったので、
「白いもの」と刷り込まれており、透き通ったジュースを見た時は「ほんとにリンゴ?」と思った。
今でも、白いのに出会うとホッとする。 >>617
知ってる
まあ働き始めたのが60年だったからもうリアルタイムカウンターになってた >>617
ベータハイファイが出たのは58年だからそれまでの機械式カウンターの話はしてないと思う >>627
その色の刷り込みのせいでファンタゴールデングレープをゴールデンアップルと勘違いしてた奴がいて2ちゃんでも論争になっだ >>639
三大男のあこがれの職業に、産婦人科と銭湯の番台と女子校の教諭があるが、実はこれは三大やっちゃいけない
男の職業(夢は夢のままの方が美しい)だそうな。 マルベル堂っていう80年代アイドルやスター風の写真が撮れる店があるんだとか
ブロマイドって今はもうないと思ってたけど生き延びてたんだなあ
アイドル全盛期はどこでも買えたけど カラーはともかく、白黒のプロマイドって何のためにあるのかずっと不思議だったけど
改めて見ると、「きちんとした肖像写真」感に萌える >>643
すりおろしリンゴってすぐに褐色になっちゃうから、昔のジュースは黄色だった
絞って殺菌するとあの色になる
白いのは酸化防止剤入れてるから
もしくは窒素雰囲気下で絞ってる
昭和の頃は濃縮還元しかなかったような記憶
もしくは収穫時期にだけ現れる一升瓶(産地なもんで) CDのジャケットが付録になったことってあるんだろうか
著作権に厳しくなった時期とも重なるから無理か >>654
別にジャケットの図柄を流用してたわけじゃない。
>>著作権に厳しくなった時期とも重なるから無理か
もっと前だって大手出版社が許諾なしにそんなことしない。
もしかして、明星とかの付録の歌本も許諾なしで出していたと思っているのか、その存在自体を知らないか。 昭和のアイドルポップスは、コーラスがオバさんで、
ハモりはきれいなんだが、手慣れた仕事って感じで、
アイドルのヘタな歌とイマイチ合ってなかったですね。
まあ、今のアイドルは数人から数十人までグループで歌うから、
コーラスをつける意味もなく、そういう意味では幸せなのかもw
初期のキョンキョンなど聞きながら思った次第。 カセットレーベルが付録の定番だったのはカセットがレコードやCDから録音して使う物だから需要が高かった
CD-Rで録音やらコピーやら出来る時代になったときにはレーベルなんて自宅で自作出来るから需要が無い >>655
違う違う
そもそもコピーする事自体が問題になったじゃん
レンタルしてもコピーは駄目とかエンコードも駄目とか
カセット時代は平和だったな そういえばレンタルレコードも割と長い間グレーゾーンだったな
レンタルオンリーのCDを初めて見かけた時はやっとここまで来たかと
何か感慨深かった ITMSの出現でMp3全盛。 iPhoneとかで聴けるし。 レコードはめんどくさくて苦手だった。貸しレコードでカセットに録音したやつを何十回も聴いていた。 >>661
どんなに注意しててもホコリがつくしな
ピクソール(Pixall)とか買ってたけど
あとレコード針も定期的に買わないとダメだし
シュアのカートリッジ使ってたから
換え針だけで9000円くらいしたわ 洋楽の新譜もすぐレンタルできたなあ
今は1年後じゃないと解禁にならぬらしい
洋楽が廃れるのも無理ないか >>663
いくらでもただで聴けちゃう世の中なんだから
出し惜しみしてたら廃れるだけだよね
もう音楽も民放と同じように中身じゃなくて
広告収入とかで稼ぐ時代なんじゃなかろうか でも、音楽聴いている途中(トラックの間等)で、CM流れたら興醒めしそう。 >>533-534
おとなげない、の打ち間違いか?
おまたに毛がない父親は嫌だなw 銭湯ネタだと
子供の頃、近所に大工場があり
付近の人は、そこへお風呂借りに行っていた。
夕方5時以降だと工場労働者が入浴するので
夕方5時前 (主に子供)
夜の8時以降(大人たち)
そんな区分けだったらしい >>668
あのしんちゃん語は、「お股に毛がない…子供」と「大人げない」を引っかけた上手い言い回しだと思います。 >>669
その工場のお風呂は無料で開放してたの? >>672
ああ、ラジオでCMやってるあの、ダイナミック♪! >>671
多分無料
地域住民との対話とか、そんな理由だったろう
夕方友達と遊んでいて
「今日 おふろの日だから(遊び足りないが)帰るね」
ってことが何度かあった。 >>674
そりゃいいね。ただで大きなお風呂使えるなんて 小学生のとき教室で男女一緒に体操着に着替えてた
小5の林間学校か小6の移動教室かは忘れたけど
入浴してるときに先生にみんなで湯船に入ってる写真を撮るって
言われて湯船に入ったあとにカメラマンのおじさんが
入ってきて写真を撮られた
その写真が卒アルに載ってる
湯船に入ってる姿を撮る必要なんてなかったなって思う >>676
おれの地方では、中2まで男女一緒に着替えてたけど、混浴記念撮影はさすがになかった! 小学校の時は水着に着替えるのも男女一緒だったな
偶に見えた 小学生のとき真冬でも体操着が半袖とブルマだったんだけど
今の小学生ってどうなの? 水着は低学年のときは男女一緒だったけど
高学年になってから別々になった気がする >>680
ブルマーも、男子の白い短パンも絶滅して(ハミキンやビチグソ染みから解放されたな)、男女ともに紺とか青とか比較的濃いめの色のハーパンになってる印象。
うちの近所だけじゃないよな? >>684
私立だったけど制服が半ズボンで、寒かったら
タイツ履いていいんだけど、高学年になると
恥ずかしくて履けないから、雪の日でも半ズボンだったわ >>677 と >>682 の読解力の低さにワロタw
昭和50年代末〜60年代に小学生だったけど、普通の体育・水泳とも小学いっぱいまでは教室で一緒に着替えてた。
女子が色気付いてくる歳になると、着替えを見てた見てないで言い争いになって、それが原因でお陰で小学時代最後の1〜2年は女子からバイキン扱いされてたわ。
まあ、見てたんだがw 下はスカートで隠せるけど
上は下着になるしかないから恥ずかしい 小学校の低学年の頃
下着なんて着てなかったから
上半身裸だったんだと思うと恥ずかしい… >>689
恥ずかしくないさ
その頃だったら男はフルチンもいただろ? コンピューター合成の音声(を演出した、人間による音声)って平板だったね
アナタノ セイカク シンダン デス 宇宙人の声も平板だった
ワレワレ ハ ウチュウジン ダ >>693-694
何だか忘れたけど子供達の冒険話みたいなドラマで
科学者の部屋に忍び込んで「世界最高のコンピュータ」を
起動する場面があったけど、やっぱり平板な口調だった。
でも「ワタシハ セカイサイソクノ スーパーコンピューター
メモリー 256 キロバイト・・・」と言ってるのを聞いて
ああ、この脚本書いた奴コンピュータのコの字も知らねーなと
思ったわ。 >>694
だから、林家木久扇師匠の宇宙人の声も平板なんですね? >>696
あの人の場合は自然なビブラートが入ってると思う そう言う意味じゃ、HAL9000の不自然に滑らかな声は衝撃だったな。 「コンピューター」と聞いて、正立したオープンリールのテープデッキが付いたようなタイプを思い浮かべなくなるのは、何年産まれくらいからだ? >>699
出力はテープでな。吐き出されたテープを
学者が手に取って「むっ、これは・・・」と眉をひそめる >>700
学者でなくても、防衛組織の平隊員がすぐ読み取ってた >>695 256Kバイトってとこが突っ込みどころだとしたら、それは時代依存だぞ。
あの時代には 「無限に近い(はオーバーとしてもデカい)記憶容量」 という表現で通じるものだった。
うちの会社のピュー太が16Kバイトだったし。 >>702
いや、多分>>695の言いたいのは「最速」を誇るのに記憶容量を誇るのはおかしんじゃないかってことじゃないの? >>702
そしたら昭和のドラマじゃなかったんかな
俺のPCにはすでに640メガバイトのメモリーが載ってたから
>>703
違う 自分が仕事で使ったコンピューターは基本64kbだった。
数ビットアドレスデータに追加して256kbまで拡張したり、ハードディスクからプログラムやデータの一部を出し入れして動かしていた。 >>704
640MBて中途半端だな
256+256+64+64? >>706
いや数字はうろ覚え。要はMBの時代にキロバイトってwって話 昭和50年代前半だと
コムピュータ と言う表記もあった。
白衣を着て専用の電算室に籠って作業する。
そういえばコンピューターの作業員が
白衣を着なくなったのっていつぐらいだろ? >>707
あの時代を経験してると128MBの次はギガが出てくるんだわ
MOの容量かと思った 小学校にアナライザーというシステムが導入され、市の自慢であった。(松下)通工製。
アナライザー室には、各生徒の机の上にクイズ番組のような5択のボタンが付いたボックスがついていた。
当時は、結果をCRTに映し出す装置は学校の予算では無理だったんだろう、
(テレビテニスが登場する以前である)
結果は、鑽孔テープではなくw、電動タイプライターがポルターガイストのように打ち出していた。
小学生には、アナライザー(アナライズ)の原義などわからないから、宇宙戦艦ヤマトにアナライザーが出てきても、全然違うじゃん、何のつながりがあるんだ?と思っていた。
オープンリールの時代なのにビデオも導入してたし、あの頃はずいぶん予算があったんだなと思う。 >>711
自身の記憶障害を疑った方が良い
馬鹿でないなら >>712
あぅた あった
先生の机には、誰が何のボタンを押したか分かる画面がついていたな メガの次はギガ、その次はテラ、そしてそろそろ次のペタが出てくるよ。
たぶん...
130MBのハードディスクをなけなしの金(10万円)で買って喜んでいた時代が懐かしいよ。 昭和のPCは全てデスクトップ
なぜなら世界初ノートPC、初代ダイナブックが平成元年発売
V30 98note、1.25MBのRAMドライブも平成だったのか ワープロの系譜っぽいよな ラップトップ
今こそプリンタ付きPCが求められているのかもしれん
インスタント写真が生き長らえているんだし >>713
うわ、ガチでアスペだこいつw
何言われてるかも分かってないんだろうな
(恐らくは細かい数字の違いを指摘されてるとか
しか理解できないんだろう) >>720
いい大人がアスペとか連呼してうるせーんだよ
お前だけだろ騒いでるのは EPSONのラップトップ286c使ってたは。Cスロットが1つしかなくて難儀した思い出。 「こんなの膝に乗せたら重いよ。ラップクラッシャーだよ」とボヤきながら使ってたな。
デスクトップと比べて液晶画面は狭いし反応は遅いし、あんまり使い勝手のいいものじゃなかった。 アナライザー室懐かしいな。今の今まで存在を忘れてたけどw パソコンが将棋囲碁で人間に勝つのは、何十年かかる、とついこの間まで言われていたこと。 >>705-707 NECのPC9801シリーズの最初でしょうね。それまで64Kバイトが上限だったのが
「その10倍もあれば御の字だろう」 という発想で640KBのアドレス空間になったの。
64KBでアドレスが一区切りついてたのは、CPU内部のレジスタが16BITしかなかったから。 >>718
NECのPC-98LTとか東芝の3100とかもギリギリ昭和じゃなかったっけ?
ゼネラルが富士通ゼネラル、ノーベル乾電池が富士通乾電池になったのもこのころ。青の上下2本の横帯の中に漢字で“富士通”ってロゴのころ。 NECのロゴは昭和後半のやつの方がかっこいい。
meijiも絶対前の方がいい。 もう訳のわからんマニアな話題はやめよう。マニアが嫌われるはずだ。 >>720
そもそも自分の最初の書き込みを「こまけーよ」 と思わなかったの? >>727
将棋に関しては大分前からコンピュータのが強かったし、開発当初から問題は演算速度だけって言われてたから時間の問題だった
囲碁は演算速度が上がろうが不可能と思われていたのが一気にひっくり返ったね >>729
昭和63年の冬にPC-9801Vm2を中古で買ったんだけど、当時モニター付きで18万したし、
Vxが主流だったはずだからラップトップみたいな一体型はまだ無かったと思う ノートパソコンが出始めの頃はバッテリー入れて
10kgくらいあったよな。持ち運んでる人がいたけど
苦行みたいだった 流石に「ノートパソコン」は、出始めのでも3キロくらいだった。
重かったのは、前にも出てるラップトップ。これは6キロ級も多かったし、厚みもあって持ち歩くのは難しかったな。 >>737
ラップトップとノートパソコンは違うのか
途中で呼び名が変わったのかと思ってた
そうそうラップトップだわ >>738
俺も同じ物を違う呼び方してるのかと思ってたわ。 Windowsの起動ディスクが今でもCドライブなのは
AとBのフロッピードライブでシステム起動したりアプリ起動したりしてたことに由来してるんだっけ?
80年代に父親の部屋でフロッピーを何枚もガシャガシャ差し替えてパソコン起動して
オホーツク殺人事件か何かのゲームで遊ばせてもらった覚えがある 昔はマイ・コンピューターでマイコンって呼んでたなあ。
今じゃマイコンは違う意味だが。 >>740
フロッピーならまだまし
カセットテープでいちいち入れ替え、ロードが面倒でかなわんかった 当時はデスクトップクラスでもかつてのものに比べればマイクロの意味だったんだけどね
本当のチップとかもそう呼んでたから混乱して
マイ・コンピューターの略だと思い込んでる人は多かった >>738
一応英語圏じゃラップトップが正しい呼び方らしいね >>740
IBM-PCの系列がAとBをFDDで予約しちゃったから
PC-98は起動ドライブがAだった
パスが通らないとか懐かしい config.sys 書き換えたり autoexec.bat で
環境変数設定したりとかいろいろやってたな
今じゃ何もいじる余地がなくてつまらん >>708
昭和53年にキーボードでカードにプログラム言語を入力していた時は
夏だったが、半袖シャツにスラックスだった、22℃だから寒かったよ。 白衣のはったりは未だ定番だからな
評判の悪いハードディスクデータ復旧業者が広告記事の中で着てたわ >>746
640KBのコンペショナルをどれだけ残せるか躍起になってた >>748
白衣といえば、ナースの白衣は今どんどんカラフルになって
真っ白なワンピースは絶滅危惧種になりつつあるが
医者や技師や療法士、栄養士とかの白衣はいつまでも真っ白なままだな
何でだ? >>750
逆だろ。医師が「白衣は医者の特権」として
学の無いナース共を色物にしてるんだろ
と邪推してみる ナースキャップももうだいぶ見かけないが
スカートの看護師も最近はあまり見かけなくなった なんで昔の家って風呂がなかったの?
ありえんでしょ >>740 なんのゲームか忘れたけど、遊んでる途中に急にディスクアクセスが始まるとドキッとすることがあったなー
カチャカチャ言い出すと、何が起こるんだよwwって感じになったもんだ
>>742 PC6001、英単語をカセットテープでデータ管理してたわ
プログラム内で固定でデータもつと増やすの大変だから、データだけをテープに読み書きしてた
中3になったら、結構な量になったっけな、、、高校では流石に諦めたw >>753
聖徳太子の時代から「施浴」があるし
江戸時代には銭湯文化が定着してたから
庶民が自宅に風呂を持つ必要性はなかったんだよ
狭かったし、金も掛かるし、銭湯をシェアした方が
よほど安上がりで合理的
入浴料は昭和50年が大人100円、今が大人460円。
これって物価を換算すると同じ位なのかな
1か月毎日入って13800円となると、ガス代と水道代
考えても家で入るほうが安いのかな 藤沢周平か誰かの小説で愛人の家に風呂場を作った大店の旦那の話があって法外な贅沢であると書かれていたな
そもそも入浴頻度なんて月何回程度じゃないの?昔は >>756
そういや日本とは湿度が全然違うとは言え、
欧州ではエリザベス一世が月一で入浴するだけで
「潔癖症」とか言われてたんだよな。
年1回しか風呂に入らない人も少なくなかったとか。
今でも週1回とか普通らしい。信じられん。
うちの親は綺麗好きだったから冬でも毎日銭湯
行ってたけど、一般的には2日に1回とかだったみたいね。 >>755
一人暮らしだったら13800円かもしれないが
4人家族だったら×4だしねえ >>757
子供の時、家風呂がなかったけど
銭湯は2日に1回で夏場は家の庭で
たらいに鍋で沸かした湯を入れて行水してた。 >>734
昭和61年にPC-98LT、昭和62年に東芝のJ-3100、昭和63年にPC-9801LSが発売されてるから、君の記憶はあまりあてにならないということになる 俺は昭和59年に富士通のFM NEW 7を買ってもらった。 >>755
江戸時代は「どんなにお金持ちでもおうちに風呂作るの禁止」という法律があった時代もある。
理由は火の不始末で火災の原因になるのを恐れてのことらしい。
おうちのお風呂が普及しても、薪で沸かす時代は、沸かすのがマンドクセという理由で週数回銭湯に
行くことが良くあった模様。 昭和43年に中小企業の社員寮にいたが、風呂は1日おきだった。夏場は銭湯に行く奴が多かった。 >>760
ありがとう
そか、そんな前から出てたんだ。たぶん自分には値段的に手が届かなかったから記憶に残らなかったんだろうw 昭和の頃のパソコンの癖で今でも
ディスプレイの電源ON→PC本体の電源ON
の順番でやってる。
「PC起動時に他の機器のノイズを拾うとトラブルの原因になる」みたいな事が書いてあったけど、本当にそこまで脆弱だったのだろうか?
あとうちのPC8800は「フロッピーを入れたまま電源ONしちゃダメ」とも書いてあったな。 周辺機器を先に通電させるのはデバイス認識を確実にするためだと思ってたけどな
それで思い出したけど会社のシステム起動するときに冬は周辺機器の電源入れてから30分経ってから本体の電源入れるように指導された
冷えたままだとフロッピードライブとかが故障するからと >>766
機械道楽おやぢのせいで家族にしわ寄せが行くこともよくあったと過去ログにあった。
(日々の食事に不自由するほどのド貧乏なのに、ステレオやカラーテレビや月給一ヶ月分の価格のカメラがあったりする) 昔は家電などはローンなどなく(合ったかも知れないけど
個人には縁がなく)町の電器屋さんとの交渉で月賦払いで
買っていた。10万円の最新家電を5000円ずつの20回払いとかで。 >>769
そりゃあ今では考えられないな。まず口約束での分割。そして金利ゼロ!
ただ、今と違って昔の電器屋は儲かってただろうし、そういった貧乏な客
を邪険にしては、どこから火が付いて店の評判に関わるから同情したん
だろう。
今はもちろんすっかり姿を変えてしまったが、うちの近所にも商店街が
あって賑わっていた。店構えを新しくするところが多かった。電器屋とかも
ショーウインドウを大きくしたり店内を作り替えたりして、そうした店がオープ
ン時にチンドン屋を呼んで風船配ったりしていた。無料やきそばもあったな。 駅周辺の少し大きなテナントビルが出来ると、その1階にファストフードが入った。クラスの誰かが
そこでもらったメニュー表を学校に持ってくると、みんなで囲んであれがうまそうだこれが食いたい
などという談義で盛り上がった。 >>761
今でもF M new7を現役で使ってる会社とか有るのだろうか? >>770
金利ゼロだけど勉強しないからトントンなんじゃないだろうか。
ちなみに生家は商店街の時計屋だったから、持ちつ持たれつで
あっちも高い時計を月賦で買ったりしてたな。 そう言えば酒屋も乾物屋も全部ツケだったな
子供の頃、買い物に行くのに金持たずに行ってた >>773
値引く事を勉強といったな。
いまじゃちょっと勉強してよなんていうと、商品のですか?と問い返されそうだ。 会社入って部長から教わった言葉だ
今はあまり言わないのかな >>775
昭和55年頃、当時小学生でマンガ本を古本屋に売りに行ったら
「ちょっと勉強したから」と店のおじさんに言われて「へ?」と思ったけど
シチュエーション的になんとなく「オマケしといたよ」って意味かな?と
察しがついたのでお礼言って帰って来たな
テレビか本か何かでそれとなく見聞きしてたのかも レジメとか社内資料とかは基本B4用紙だった
部数が必要なときは、1枚目・2枚目・3枚目・・・・と長テーブルに順に並べて
1枚ずつ取ってってまとめて最後にホチキス
多量に部数を揃えないといけない時は人海戦術だった
今はいいなあ、ホチキス止めまでコピー機が全部やってくれるんだから
設定と向きさえ間違えなければ、だけど 当時は野球もサッカーも(サッカーのプロ自体
なかったけど)日本人が海外で通用するなんて
夢のまた夢だったな
今じゃメジャーリーガーや海外クラブの選手なんて
何人いるのかわからないほどだし、フィギュアスケートなんて
日本が世界トップレベルになっちゃったし
20年くらいしたらバスケや陸上短距離でも普通に日本人が
トップレベルで活躍してるんだろうか(黒人ハーフとかじゃなくて) >>770
現金なら値引きするけど、分割のときは定価ベースとかならありうるかも。 >>779
野茂がメジャー行くって言った時は、なに寝言言ってんだこいつ、って感じだったね。 >>782
その前に江夏がメジャー行き失敗してたしね
まさか野茂がメジャー史上に残る大投手になるとは
「打者天国」のクアーズ・フィールドでノーヒットノーラン
達成したのっていまだに野茂だけだし
その後のイチローもすごいし
新庄とか伊良部とかのハズレもいたけど スレチだけど
野茂の成功でメジャー志向が根付いたからね。
松井でなく野茂やサッカーのカズにこそ国民栄誉賞を与えるべきだ。と思うよ
長嶋さんの国民栄誉賞には反対しない。
長嶋さんの天覧試合本塁打で
職業野球からプロ野球へ変わった。と言われるくらいの影響力があるのだから。 電気屋さんに限らず口約束の分割って今でもやってくれるお店あるんだろうか?
高校生の時夏休みのバイトで貯めた5万円を握りしめて
バイク屋さんにホンダのcarenという原付を買いに行った
月賦で買いたいんですがと相談したら、何とか信販みたいな書類を
出してきたけど、「この5万円を頭金で、あとは来月2万、次に2万、1万と払いたい」
(確か10万円だった)
って説明したらお店の人は書類引っ込めて
「じゃあバイト代入ったら払いに来てね」みたいな感じになって
書面に起こしたりすることもなくバイクを売ってくれた
もっと少額の分割だったらその何とか信販を使うんだったんかねえ >>783
チャレンジャー新庄は、野球ができるエンターテイナーとして活躍したと思うぞ。
ハクをつけて帰国してからの活躍も鑑みれば、野茂やイチローと形はちがうけど成功したんだと思う。 >>785
俺、近所の自転車屋さんでたまに10万円くらいの
自転車買うけど、やってくれるよ。最初に4万払って、
残りを3万ずつ。価格.comの最安より1万円くらい高いけど
いろいろサービスで付けてくれるし、何しろ定期的に
ふらっと寄って勝手にメンテナンスしてってくれるから便利 >>765
PC先に電源入れると、PCがディスプレイが接続されてないと勘違いして、ディスプレイ用の信号を出さなくなるとか、そういう理由だと思ってた。 >>765
周辺機器の電源が入ってないと認識できないという話じゃなかったかと
現在は後からでも認識してくれるから良いよな
モニターを途中で増やせるとか良い時代になった
昭和末期のマイコン業界はほんと機種数爆発してたな
ワープロとラップトップが並んでた時代
電卓やデジカメみたいな感じで、今それがスマホで収束中 >>784
同意。つーか松井が受賞した理由がわからん。
俺にとっては他にも何人かいそうな大打者というイメージ。
>>786
まあ、新庄はあれはあれでいいんだろうね。
伊良部は可哀想だった。亡骸がどこに埋められてるのか
ご両親もいまだにわからないそうだし。 >>785
口約束の分割とは違うかもしれんが
嫁が利用している中古車屋はそれに近いな
さすがに車のローンは無理だが
タイヤ交換、ワイパー交換、バッテリー交換なら
金のある時払いが効く コピー機で思い出したけど記憶に残っている最初のコピー機は小学校に有ったガリ版刷りのを2つ回転させて磁石の原理で砂鉄でコピーする機械だった >>782
あと、ちょうど渡米していた聖子ちゃんから
熱烈なアピールがあった、と風の便りで聞いたなぁ
それもあり、他の女性のアピールもあり?急に結婚して
女性と会見開いてた印象だ >>4
初めて見たけど怖すぎw
焼き餅じゃなくて焼き米ってなんだろう >>767 昭和45年ころのIBM S/360は専用の空調のついた部屋に鎮座していた。冬のある日
間違って空調が止まって17度ぐらいになっていたら本当に起動しなかった。 >>785
ローン書類書くのも面倒だし、頭金5万持って来てる貴方を信頼してくれたんでしょね
あの頃は景気も良かったから最悪逃げられても自分の見る目が無かったって笑って済ますぐらいで
うちも似たような商売だけど昔はともかく今はとても口約束は無理 >>797
自分の生まれた年ですw
その頃のコンピュータってどんな業務に使ってたんですか? >>798
そういや昔のローンって申し込んでから1日くらい経って
「審査下りました」と連絡してから改めて商品もらいに行ってたな
クレジットカードもなかった。丸井の月賦販売が画期的だったけど
取り立てが鬼のようだった 審査が厳しくて誰でも持てるもんでもなかったし、使える店も限られてたが、クレジットカードそのものはけっこう前からある。 >>801
そうそう、庶民が持つ物ではなかったな
じいちゃんは「借金札」と呼んでいた 昔のクレカって数字が浮き上がってて使うときは機械にはさんでカーボン紙に印字するやつだった 今だって浮き上がってないか?
あの道具も現役で使ってるぞ コンピュータという言葉を聞くようになった(昭和45年ごろ)だと放送作家とかもコンピュータというものがよくわかってなくて、
テレビでは、あらゆる情報を勝手に収集、解析するAI的な扱いをされていた。
コンピュータは非情で絶対間違いのない答えを出す的な。
人間がコンピュータに支配される的な近未来を皮肉ったのもあった。
どこまで進化するかわからない、どこまで職を奪うなど、人間を脅かすかわからない感は持っていたように思うし、
最近になってAIで現実化しそうな感じになってきたような。 ちょっと前のゴジラで巨人の松井がチョイ出て、ああ、ゴジラだからかと思ったけど
そのときはすでに巨人やめていたんだよなあ
今調べたら2002年か。昭和じゃないな >>794-795
役所のチラシなんかに使ってる、あまり白くない、いかにも再生紙使ってますよ、ってやつはわら半紙じゃないの? そういや昔はパソコンを使うと珍しがられていたな
初めてワープロを使った作家(名前忘れた)が
「ワープロ作家」等と揶揄されていたり
対戦相手のデータをパソコンで管理してる力士が
奇異な目で見られたり
パソコンとワープロの区別ができない人もいた
読売新聞に「ワープロで 作戦立てる 力士かな」っていう
川柳が投稿されてたw データを文章化し、フロッピーに残すことによって、引退後に備えて文章スキルを磨いていたり、回顧録の資料作りにしていたのかも、
パソコンをまともに動かすのに、ソフトのほかにMS-DOS,メモリ、HDD増設だの数十万かかっていたころは、
データベースソフトのついたワープロもあったけどね。 >>808
中質紙ってのもあるよ。
更紙=藁半紙のほうが、上質紙=白いコピー用紙より割高になることがあってさえ、役所系でこれは更紙で……って決めてるモノは更紙使うらしいね。
敢えて中質紙使ってる場合もあるかも。 >>808
役所の広報紙は藁半紙ではないな
藁半紙はシャーペンや消しゴムで破れたりするもの
あと、時間が経つとすごく焼けるから保存に向かない >>808
役所勤めだが、グリーン購入制度が何ちゃらとあうことで、
コピー用紙は再生紙○%配合のものを買わなきゃならんらしい。
普通に使う分には全く気にならんけど(見慣れたせいか?)、
真っ白いコピー用紙と並べるとややくすんだ白に見える。 >>800
丸井の取り立ては厳しいと評判だったね
「丸井って凄い怖いんだって」
「赤いカードなんて作っちゃだめだよ」と口コミで恐れられていた
今でも丸井は何か恐い店というイメージのままだ >>803
いや今でもそうだよw
何年か前に大規模なシステムダウンがあってオンライン決済出来なくなって、デパートとかがそれで対応したとかニュースになってた >>799 メモリが56KBで動作するようにとの厳しい制約から、みんなアセンブラでプログラミングしてた。
それでも発注/納入管理、在庫管理、部品展開計算(車何台→部品何個)などなど・・・
20代の若者がすごいコードをASMで書いていたよ。私もその一人だった。 >>815
サラ金並だったみたいだからね。
丸井のカード作ってたときに
激しい取り立ての電話を受けたと思われる男性が
「てめーか!職場にガンガン電話しやがったのは!」と
店員に食って掛かってるのを見たわ。
最初にそれ見たから丸井のカード作ったけど
一度も使わなかったw >>806
バビル二世って漫画のバベルの塔がコンピューター制御だったな プールの無い市立中学校とか今は消えているんだろうか >>795
お子さんかお孫さんに訊いた方が早いと思う 今の義務教育って青写真の授業も無くなっているのかな >>826
金型屋に勤めてた頃なら、青焼きコピーは飽きるくらいやったけどな 昭和ゆうても、ワイはファミコンの話は全くわからんな。ゲームセンター入り浸りだった時代もあったけど、あれを家にまで持ち込んだら、ゲーム中毒から逃げられなくなると思ってファミコンは手を出さなかった。 >>824
公立ってことなら「組合立」を忘れてないか? 紙は新しく作るより再生紙を作る方が高くつく。
役所は税金の無駄遣いをしてるよ。 マジンガーZでびっくりし
ゲッターロボで腰抜かした >>805
緑屋は商号変更でクレディセゾンになった >>819
月々の支払を丸井の商品券で出来たので、
1.限度額までキャッシングしてその金を持って金券ショップで丸井の商品券を買う
2.丸井のカウンターに商品券を持って返済に行く
3.1に戻る
という無限ループが出来た。現在は当然塞がれている。 >>821
呉市は、プールの授業が小学校で終わりなので(しかも、泳げる子は泳げるようになった方がいいけど、泳げなくても水遊びなさい
みたいな感じ)プールのある中学は小中一貫校くらいです。 >>779
現状に鑑みるに、短距離はなんとかなるかもしれないけど、バスケで「トップレベル」は難しそう。
あれはたんなる筋肉の違いだけじゃなくてリズム感みたいなものも重要なんじゃないかな。
だから、身体能力では日本人にはるかに優る白人も黒人にかなわないでしょう。
リズム感は関係ない「走る」という競技なら、現に差は縮まってるし希望はあると思う。
実際、リレーでは銀を取れたんだしね(ボルトがああならなくても銅は取れていたし)
しかしまあ、リレーとはいえ陸上短距離で「メダルは当たり前」と言えるようになるかもしれないなんて、
昭和のころには夢のまた夢だったことを思えば隔世の感はあるね。 >>837
バスケだったら田伏みたいな小ささを活かしたプレーじゃないと
ダメかもだね。でもそれで「トップ」というのは難しいかも。
ボクシングはやっとミドル級の世界チャンピオンがいちおう誕生したけど
ヘビー級は無理かね >>830逆にファミコンが出てからしか分からない(昭和58年生まれ) >>832
それは無駄遣いではないよ
コストだけ考えたら高いけど
緑を守るためのコストを負担しているんだから やはりスポーツはデカイ重い階級が迫力あるし、プロでもファイトマネーもカテゴリーが上。小柄な日本人は隙間産業的なところをつくしかないのかな? >>839
それは平らな地面が少ないだけのことじゃ?
すぐに山だから >>838
なんとか雄介山ていなかったっけ?
彼はどのくらい有望だったのかな、
ヘビー級は難しい気がするなあ。 洗剤の箱がデカかった(商品名『ザブ』『全温度チアー』『ブルーダイヤ』等々)
粉末にしろ、液体にしろ、1回分の容積が3分の1くらいになったのっていつ頃だっけ
(ブルーダイヤは現存するんだっけ) >>845
ファーファのでかい箱洗剤みてやたら懐かしい気分になったわ
いつから小さくなったんだか全然おぼえてないわ
しかし、あれも以前は1kgだったのが今じゃ850gとか当たり前なんだぜ コンパクト洗剤は比較的新しいよ
まだ10年経ってないんじゃないかな?
両手でも抱えきれないサイズのトップとアタックもまだあるよね
5kgサイズだったっけ?
ホムセンで見かける >>845
全自動洗濯機が普及した平成初期(バブルの頃)かな?
当時、姑が今までと同じ感覚で洗剤を入れてので困る。と言う
週刊誌記事(読書投稿欄)を読んだ覚えがある >>844
西島洋介山だね。
彼はクルーザー級(ヘビー級とライトヘビー級の間)だった。
身長180cmだから、さすがにヘビー級では厳しかったと思う。
クルーザー級ではマイナー団体のタイトルを取っているし、
メジャー団体でもWBC6位まで上がってるのでなかなかのもの。 >>845
ブルーダイヤもニューB'zもブランドととしては現存しているけど、コンパクト化してるね。
酵素パワーのトップが、大箱でまだ残っているね。 そういえば昭和のびわ湖は赤潮(?)が発生してたな
条令で有リン洗剤が禁止されて
無リン洗剤を使うようになって無くなったけど >>847
あなたの言うコンパクト洗剤とは、ナノックスやアタックネオのような濃縮型の液体洗剤のこと?
粉末1キロタイプのやつなら“スプーン一杯驚きの白さ、アタック〜♪”てCMが昭和末期のズームイン朝で流れていた気が。
最初は、こんなに小さくて本当に落ちるの?と訝られ、なかなか普及しなかったように思うが、マンション住まいやコインランドリーを常用する人に場所をとらないことが歓迎されたのか平成一けた後期には、1kgサイズのコンパクト型が主流になっていたと思う。
それにしても、昨今の性能そっちのけの柔軟剤の香り競争ってなんなんだ? 洗剤の世代交代といえば、同じころ(改元前後)に、パンパースの後追いで、いろんな会社から紙オムツが発売され、CMが連発されるようになると、物干しに布オムツが干されている家をみるみる見かけなくなった。
そのうち、紙オムツのデカイパッケージがスーパーや薬局の店頭を賑わせるようになって、あぁ切り替わりが進んでるんだな、とおもった。
パンパースのCmが流れだしたとき(S55ころ)も、紙オムツは旅行や長雨の時に使う非常用、代用品という認識だったから、CMしたってそうそう売れるもんじゃないだろ、と思っていた。
紙、と言うから、わら半紙、新聞紙などをイメージしていて、赤ちゃんもきもちわるいだろうな、と。 >>851 まさにその世代、小学校の授業であった
スーパーなんかの洗剤売り場が琵琶湖仕様になって、一般的なのが置かれなくなったような記憶がある 琵琶湖は覚えていないが瀬戸内海で毎年赤潮発生のニュースは覚えている
同じ頃かな? 紙おむつで子育てすると低脳児になるとか言われていたなぁ >>845
87年にヒット商品ランキングに入っていたと思う
当時一人暮らし二年目でこんな便利なものができたのかと感動した記憶 >>848
そういえば、液体タイプ洗剤が出始めた頃は、
「全自動洗濯機用」と表記があったような気がする。 昔は洗浄力があるときと無いときで色の変わる洗剤があったんだけど、洗濯機と言えば全自動しか知らない世代はそういう洗剤の存在意義とか使い方はわからんのだろうな 今考えたら、でかい粉洗剤はどこで売ってたんだろうか
自分の近くだと、スーパーが進出しだした頃に、あの重たい洗剤が
流行りだした気がする、その前は、石鹸で洗濯板と、ってかんじか?
CMがとにかくさわやかに作られ、金銀パールプレゼント、というのが
粉石鹸の底の方に入ってたの?
当選したことないから知らないのだが
現在のコンパクトタイプになって、あの重たい洗剤地獄は何だったんだろう?と
たまに思い出してたな。特に自分は、粉洗剤タイプのカバンを愛用してたので
(アメリカ洗剤?)懐かしい 昔のでかい箱は、洗剤をサラサラにするため粒が中空になっていたらしい
最近のは技術革新で空気入れなくても粉末を保てるそうな
その変化が起きたのが80年代後半、まさに昭和末期 いまでもドラッグストアにでかい箱洗剤売ってるけどどこに需要あるんだろ >>863
海外の人がデカいのじゃ無いと駄目って場合があるらしい 日本の洗剤はお湯より水で洗った方がよく落ちる。
そのように作ってあるからね。
欧米などではお湯の方がよく落ちるようだが。 >>865
「全温度チアー」の存在が謎だった。
お湯を沸かして洗濯機に入れる奴なんて日本にはいないだろ、と思ってた。 ↑
いまだに銭湯に行くハゲ
洗髪時に200本くらい抜けるハゲ
↓ >>787
ごめん、ちょっと違うかな
その店は本当のご近所で店主はあなたがどこの誰だか知ってるんだよね?
自分の場合バイク屋は自宅からは1km位離れてて
初めて買いに行ったわけで当然店の人とは初対面
>>798
そうだね、ボーっとした高校生をよく信じてくれたものです マネキンに化学繊維オンリーの服とそうでない服を着せて両方着火させ、化学繊維の衣料
は途端に燃え広がるから危ない!みたいな映像を見せて危機感を煽った。 最近の洗濯機って勢いよく回らないんだな
渦をまくような勢いで回らないと汚れがとれないような気がするわ >>820
バビル2世ではコンピューターは巨大で
バビルの塔の内部にそびえるほどだったが、
竹宮恵子の地球へではコンピュータは
地球の地殻の一区画というさらに巨大なものだった。
コンピューターは進化してどんどん大きくなると
想像されていて、まさか手のひらに載るぐらい
小型化するとは思われていなかった。 >>873
でも、スーパーコンピューターは大きいよ。
京なんか建物まるごとだから(コンピューター本体はワンフロアで他は冷却装置や電源装置らしいけど) >>873
>>874
ゲームセンターあらしにも「マンモス」って名前の巨大コンピューター施設が出てきたな
さとるの屋敷内だったかな 「幻の湖」って映画に出てくるコンピューターシーン、面白いよ! >>862
そういえばよく固まってて、棒かなんかで突いてたかもw >>831
組合立って多かったの?
実は私自信が組合立命館大学の出身です >>827
>>828
太陽光に当てて図形みたいなのを下の紙?に焼き付けるやつです
一般的な写真とは全く違うのでカメラで撮る写真をイメージするので忘れてるだけなのでは? >>878
訂正です。組合立中学校とカキコしたのに何故か変な事に成ってて自分で驚いています >>845
洗濯石鹸を忘れていませんか
後「金銀パールプレゼント」って宣伝してた洗剤とか結構長く売ってました 学習雑誌の付録で付いていたヤツかな?
フィルムの下に感光紙敷いて太陽の光に当てる奴。 スパコンレベルになると配線の長さが計算速度に直結するから、心臓部はなるべくコンパクトにまとめた方が有利になるんじゃなかったっけ。 >>884
小学校の授業で実験したので学校用の機材だった様な気が >>884
日光写真は、小学○年生の付録って印象。
学研は、5年か6年の科学にピンホールカメラが付いてきたことがある。印画紙に撮影して、もう1枚の印画紙に焼き付ける?って感じの。
中学生向けのサイエンスエコーってやつの付録には、自分で120のフィルム買ってきて撮影してね、なピンホールカメラがあった。 >>887
学校の犬走りで、みんなで実験した光景が蘇ってきたかも。
日が当たったところが青くなる紙と、逆に白く抜ける紙(リバーサルフィルムかよ?)があった気がするんだけど、記憶違いだろうか?
あれって、青焼きの紙だよね? >>888
ピンホールカメラとゲルマニウムラジオは、化学少年にとっては
避けられない道だったよねえ
あと学研かどっかで出してた、抵抗やトランジスタ組み合わせて色んなの
作る奴
名前忘れた >>885
昔のクレイ社のスパコンは上から見るとドーナッツの形してたな。
ドーナッツの穴に近い方に配線がある。 >>890
電子ブロック
最近復刻版が出たし、学研大人の科学(組み立て式科学オモチャが付録の雑誌)でもあったな。 >>888
ピンホールカメラは小5の時校舎の壁に貼ってたのを購入してコダックのフィルムで写真を写した記憶が有ります >>890
ゲルマニウムラジオは回路図が自然と書ける様に成った 「初ラ」とか「ラ製」って何のことかわかるやつ多そう。 >>898
全然わからん。推測すらできん。「ラ技」とか全然知らん。 >>867
あれって、真冬の冷たい水でも良く溶ける、って意味じゃないの?
他の洗剤は冷水だとなかなか溶けなかったらしいし >>889
学研の教材かなんかでやった記憶がある
撮影時は光が当たった部分に色が付くからいわゆるネガができる
それを未感光の紙と密着露光すると普通の写真が得られたはず
色は青白だったなあ >>904
RLとAB、ジャンパー線カットネタとか懐かしいなあ 子供向け科学雑誌でハム免許を取ろう!という広告を見て食べるハム作る免許なのかと思ってた 毎月初歩のラジオの中からお小遣いで出来そうなの選んで作ってたな。抵抗やらコンデンサ数個買いに電気街へ行って。
電話級アマチュア無線も中2の時に取ったけどそのまま一度もやったことないや >>912
いや、そっこー自己スレ。
脳裏に浮かんだのは、別マだったよ。ボケてるわ。 オレも引っ掛かるところだった(^_^;)
>>907
RLはまだ発刊されてますね。ABは…… 模型とラジオはかなり古いのが小学校の図書館に大量にあった
今でいうラジコンの送信機&受信機(ただしアナログ1chボタン打ち)を
リレーを使って自作せよなんて書いてあって
物のない時代のホビーって異次元だと思った 既出かどうかいちいち聞かなくてよろしい。
もう81スレもやってるんだから、
同じ話題がぐるぐる回ってる状態。 >>912
「月刊マイコン」(電波新聞社刊)でした,
ja.wikipedia.org/wiki/月刊マイコン >>916
30万も借りれないだろ。7万くらいで売れたけど。 >>919
あちこちの電柱広告が張ってた
最初30万で知らない間に50万に上がってたよ
10万円程で取り付けたので儲かるのかなと 昭和の電柱やフェンスには、
学生証で金貸す とか
電話加入権で金貸す とか
車に乗ったまま車の所有権で金貸す とか
危ない金融業者の金属看板がよく貼ってあった
一度借りたら、最後は家の権利書まで持ってかれる模様 昔、質屋の看板に「フ」って書いてあるのが不思議でしょうがなかったんだけど、「フ」じゃなくて「7」だったんだよな。 >>909
あったねw
ハム美味しかったなぁ。今でもたまにフライパンで
焼いて茶碗のごはんの上にのせて食べてるw >>919
俺の若い頃には、7万が相場だったな
昭和の末期
就職でひとり暮らしで金無かったので加入権レンタルした 最終的に売れなくなったけど、その時点までに
権利を売った人には7万円くらいが戻って来て
それ以降の人は売ることができないので0円って
不公平だと文句来なかったのかな。それとも
権利金が返金されたのかな。 >>924
ろくでなし(6でなし)が使うから「しち」(7)屋って言ってたな 加入権自体は800円くらいで、工事負担金が7万じゃなかった? どちみち社宅アパートだったから借りるしか、電話引く(置く、か)手は無かったなあ
実家の家電は、親父が死んだ時、大昔のNTTの権利書いた紙が出てきたけど放置 >>904
それもあったか
ランラジオって言おうとしてた 風邪をひいたら、速攻でプロコン(抗ヒスタミン剤)をうたれた。
今行きつけの病院では、注射じゃなくて内服薬のPL顆粒。
「うたなくていいの?」と聞いたら、「注射してもいいけど薬の方がいいよ」と言われた。 >>929
公社時代の電話帳によると、加入料(数百円)+設備負担金(約7万)+電電債(15万/黒電話1回線当たり)
加入料は事務手数料みたいなものでしょう ウチの方でも子供の頃風邪で病院行くと取り敢えず注射で後は投薬って感じだったな。 >>866,867
このレスで全温度チアーの謎が解けたよ おれの子供のときは、風邪引いて病院に行くと
・とりあえずお尻に注射
・または肛門に座薬挿入
のどちらかの対応されたんだが、今はどちらもやってなさそう >>931
「深夜放送ファン」だった頃はよく買ってたな。「ランラジオ」になってからあんまり買わなくなっちゃった。 >>936
とある街で、幼児に禁止されてる解熱剤を二種類処方して死亡事故が起こってるので、それ以来小児に対しての
解熱剤の処方は慎重になってます。 そういえば、子供のころ風邪薬を飲んでも、効いているのかどうかほとんどわからなかったのに、
医者に注射を討たれると、まるで特効薬、というくらいに熱が下がって楽になり、次の日には登校していたな。
どんな薬剤だったんだろう。
以前、「ケロリン」(アスピリン)には、年齢ごとに1/4包、1/2包と子供用の用量があったような気がするが、今はなくなっている。 幼稚園の頃はよく風邪ひいて近所の内科に行ったけど
病院で注射された覚えは一度も無いな
毎回ピンク色のシロップもらって帰ってきたけど
薬臭くさくて甘いイチゴ味って感じで進んで飲みたい味では無かったなー >>867
>>901
サブもブルーダイヤもニュービーズ他の洗剤も水で溶けていたよ
真冬の氷みたいに冷たい水の時は、お湯で溶かしてから使ったりはあったかもしれないけど
CMをたくさん流しても、全温度チアーはそれほど売れなかった
ほとんど水で洗う日本の洗濯機の実態をアメリカの会社(P&G)だからわかっていなかった?
その後「レモンチアー」となりレモンの香りを強調したCMになった
マーケティング失敗、お気の毒遺産に「全温度チアー」をと言われてる
日本の主婦は風呂の残り湯で洗濯する事が多いのをアメリカのように「熱い湯」や「ぬるま湯」などで分けて洗っていると間違えたか?とも言われてる 「全温度チアー」登場時の俺の感想。
ドラマのスポンサーに「プロクター&ギャンブルサンホーム」というのを聞き始めたころ、
第一弾として、アメリカのスバラシイ商品を日本にプロデュース!って感じだったんだが、
アメリカの家庭は、セントラルヒーティングみたいに水道と一緒にお湯も配管されていて、
洗濯機(もちろん全自動・ドラム式)にも給湯されるだろうけど、日本はそうなってないのに、なにトンチキなことやってるんだろう?
と幼心に思っていた。
CMがあまりにもわざとらしく、どうせ、洗濯後と偽って新品の服を出したんだろ、誇大広告だろ、とも思っていた。 >>943に追記
幼児に処方してはいけない二種類の解熱剤というのは、一つがポンタール、もう一つがケロリンに配合されてるアスピリンです。 >>937
別冊の全国ラジオプログラムはBCLには必須だった 今週の「火の丸相撲」で火の丸がバトを
グーで殴る場面があるんだけど(全面的に
バトが悪くて、ちゃんとごめんなさいしてた)、
それに対して「それにしても殴るなよ火の丸、
昭和じゃねぇんだから」とうい先輩力士の台詞。
相撲部屋だろうが自衛隊だろうが、鉄拳制裁なんて
やっぱり昭和だよなぁ。 >>946
ああ、タイムテーブル号だけは買ってたな。 >>927
権利金がなくても電話自体は取り付けられるけど月々の基本料が少し高い
数百円程度だったと思うけど 民放で大相撲の生中継が有ったのを憶えてる人は居るかな >>949
それライトプランってやつでしょ?
昭和の時代にはなかったよ 電話加入権は、町の不動産屋などでも扱っていて、NTTより安い。 >>947
まあホレ相撲は、殺しちゃったことがあったしね。拳レベルじゃなかったらしいけど。 >>954
「ホレ相撲」って何かと思ったw
今日も新しい不祥事が明るみになったなー
普通に傷害事件で逮捕案件だろあれ 昔の相撲テレビ放送は分解写真。
それを真似する芸もあった。カクカクしながら相撲をとってみせる。 >>958
顔がキツくなってきたから男の子だろうとか、なんか怪しげな性別予想するお節介な婆さんとかがいた。 >>944
幼心にそんなにアメリカの給湯・配管事情に通じているとは
変わった子供だ その人前からそんな事ばかり書き込んでるよ
そっとしておいた方がいい >>961
ルーシーショーや世界の料理ショーのセット、伝え聞きでアメリカの家庭にはセントラルヒーティングが普及…それに対し、日本の家庭は、冷蔵庫や洗濯機がバラバラに導入され、お湯と言えば風呂釜と流しについてるガス湯沸し器の時代、となれば、そういう連想はわりと自然。 ワイドショーで心霊写真のコーナーがあった。
元NHKのアナウンサーが写真を紹介していた。
「3時に会いましょう」で。 世界の料理ショーってカナダの番組なんだよな。だいぶ後からアメリカじゃないんだと知った 「あなたの知らない世界」の心霊体験募集に投稿したことがある。 >>966
一戸建てに住んでたとき、朝、和室のふすまがスーッと開いて
シャリシャリと誰かが歩いてきたので嫁かと思ってたら
いきなりドサッ!と覆いかぶさられて、そのままギューッと
全身を押さえつけられた経験があるんだけど、寝ぼけてたんだろうな 昭和のアイドルポップスは、コーラスがオバさんで、
音程は正しいんだけど、いかにも「仕事」って感じの味気ないものだった。
今はソロのアイドルなんて絶滅危惧種だし、コーラスそのものが不要になってるね。 >>962
昭和初期の広告を見ると家庭用ガス給湯システムらしき物がある。
当然、庶民には買えるもんじゃなかった。 ついでに言っとくと、都市部のデパートでは戦前に既に冷暖房にエレベーターにエスカレーター、ひねるとお湯の出る蛇口って
あったのよ。
戦時中になったら全てストップした上に最終的には営業も出来なくなったけどね。
余談だが、戦時下の香港で日本軍がペニンシュラホテルを接収してたんだけど、主に農村出身の兵士達は全員外で寝てたって。
彼らの言い分は、「キモっ。夏に寒いのキモっ。」だったという。
よほどの大都市出身者じゃないと冷房というのが判らなかった模様。 田舎だが、うちの父親なんか、扇風機なんかいらんやろ?こんなので暑いか?と、俺がガキの頃さんざん怒っていたな。昔の世代は、ほんとに暑くなかったみたいだった。 暑いと思うから暑いんだ、暑くないと思えば暑くない。
暑いと感じる前に集中しろ、などという精神論が浸透していたからな。 夏の小学校帰り道に
銀行、スーパーに入って涼んだ事を
思い出した >>975
夏のテレビ番組や漫画では我慢大会が定番ネタ。
今では熱中症になるので絶対禁止です。 70年代は寒い夏だったからな
当時の写真を見ると
夏休みなのに長袖を着ている俺がいる (新潟) 小学生の頃は夏に日焼け大会なんてあって焼けにくい体質の奴には不利だった
今じゃ子供でも日焼け対策したりしてるな >>976
考えるな、感じるんだ。ってのはその後だもんねい、 都市部に限っていえば、確かに今よりそんなに暑くなかったよ。 >>982
今の子供って、幼稚園児も昔の日本兵みたいな首をカバーする帽子なんだよね。 うちの都市部だったけど小学生の頃はクーラーが欲しいとか思わなかったな
それでも数日は寝苦しい夜もあったけど
暑さよりも虫が大量に飛んで来て家の中に入って来るのが嫌だった >>977俺も小学生の頃、夏場は図書館や銀行で涼んで
ウォータークーラーの水を飲んでたな
熱中症なんて言葉も聞いた事無かった、せいぜい熱射病
高科学スモッグ警報が出たら外に出れなかった >>986
だって、首筋って痛いくらいに日焼けするじゃん。 窓を開けて蚊屋おすすめ。
昔は網戸がなかったのか、悪い人が少なかったのか、今は気温が高くなってきたのか 風呂を沸かしているのをうっかり忘れると
湯が煮えたぎって大変なことになった
逆に、充分に沸かしておかないと、
湯の上の方は熱いのに下のほうはぬるい、と言う事態がよく起きた 撹拌棒とかまだ売ってるんだろうか
と思ったらアマゾンに一杯あったわ 湯かき棒という名前で
バランス釜も絶滅危惧種だよな 1000キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! このスレッドは1000を超えました。
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