ビリギャルを凄いと思ってたあの頃に戻りたい
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今じゃもう私文3科目に絞ったんだしだし受かって当然だろ、としか捉えられない
もっというとSFCは2科目だしな
こんな知識付けたくなかった
人の学歴見下すことにしか使えない ホンマそれ
ドラえもんの道具「わすれろ草」が存在したら間違いなく受験サロン板の存在と学歴の知識を取り除く >>3
なんで知っているんだ
君も観てたか、同志よ 情報と論文の受験がどれくらいの難易度か確認してみたい ・起業家養成所としては不発
(結局東大早稲田のほうが大物起業家が多い)
・研究機関としても専門性に欠けている
・資格や国家試験に強いわけでもない
SFCは何もかも中途半端になってしまった
「これからの時代は専門知じゃだめなんだ、学問の横断と実践だ!」って威勢よくぶちあげたら、何もできないけど声がでかくて自意識と承認欲求が強くて尚かつ学力が低い学生ばかり集まっちゃった感じ 「明治では今までの努力の意味がない」って名言が話題になったな。
でも、関西学院大学には入学金を払っていたそうだw 起業するなら東大早稲田SFCとかじゃなくてホリエモンや落合のサロンとかの方が良い気がするんだが >>1
小論文は解説書1冊読めばマスターできるし
学問でもないから、SFCは1科目入試だぞ 俺も最初慶応の文法経理工あたりを想像してた。中学生だったし。あと東大≒京大>早=慶って思ってた。 ビリギャルの価値観
メェジだと今までの努力が無駄になる
慶應SFC>>>関学文>>明治政経 >>18
実際sfc頭いいと思ってないと、映画化とかしたいと思わんよな。 みんなが最新の勉強学び終える頃に勉強し始めるワタクワロタwwwwwwww >>6
資料1と2は英語な
2008年 慶應義塾大学
総合政策学部 小論文
問題 近年、日本で初等・中等教育のあり方が論議の的となっていますが、そもそも教育とは何なのでしようか。教育という営みの本質をめぐっては古典としての価値を有する文章が数多く存在します。
資料1は、イマヌエル・カント(1724-1804)が18世紀後半にケーニヒスベルク大学でおこなった、「教育学」の講義のための覚え書きからの抜粋です。
資料2は、ジョン・デューイ(1859-1952)が1915年に刊行した著作からの抜粋で、もともとは彼が1899年におこなった講演の記録です。資料3は、ハンナ・アーレント(1906-1975)が1968年に刊行した著作からの抜粋です。この部分が初めて発表されたのは1958年でした。
一方、今から約30年前、詩人の谷川俊太郎をはじめとする人びとが当時の文部省学習指導要領から離れた見地に立ち、実験的に小学校一年生用の国語の教科書を作成したことがありました。
資料4は、その実験的教科書「にほんご」(福音館書店)の中の、「といかける・こたえる」をテーマとするページに掲載された詩です。資料1から資料4までを読んで、以下の問いに答えなさい。
問1 教育する者(親・教師)と学習する者(子供・生徒)の関係について、資料1、資料2、資料3のそれぞれから読み取れるカント、デューイ、アーレントの考え方は、どのような点で共通し、どのような点で食い違ったり、対立したりしていますか。900字以内で記しなさい。
問2 教育する者(親・教師)と学習する者(子供・生徒)の関係をめぐって、資料1、資料2、資料3を参照しつつ、資料4についてのあなたの考えを600字以内で記しなさい。 よくよく考えたら一年でスーファミってそこまで凄くはないよな >>12
実物、顔のテカッタBBAじゃん
しかもバツイチ
負け組じゃん、こんなの いつ周りについていけなくなるかヒヤヒヤしてた厨房ワイ、一年半かけなきゃ慶應に受かれないのではとビビる >>9
ビリギャル人気が剥落しちゃったところか
今何が牽引しているところなの? >>19
世間では文句なし慶應だよ 就職も商と変わらない >>12
本の表紙まで他人かよ
しかも、本書いてるのもゴーストライター
なんだこいつ 慶應のサークルがなんか、そっち系で
マスコミ総動員して、作られたブームだったんだなと後で思った。 ちょっとマシな高校だと
私大文系は理数なしの3教科でイキってること知ってて
みんな行きたがらないだろ
菅野の日本史とか、私大文系の入りやすさを力説してる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています