入試に国語っているか?
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現代文なんて日本語やし海外出身とかでもない限りみんな読める
古文漢文なんて文学部以外ほとんど使わないし 国語なくしたらワタクが更に軽量チンパンになるけどいいの? >>2
国語のかわりに社会もう一つ課すとか
大学入ったら社会科目結構役に立つで 本を読めない、文を書けないレベルの学生に入られたら困るから >>2
軽量の何が問題なの?
現代文とか感情論の集大成だからな
あんなに解党に対する不満(抗議)が生まれる科目ってねーよ 古文漢文も結局大学受験で学んだ程度では実物をそこまで読めるようにもならんし、まあやらんよりはやったほうがいいんやろうけど 入試に国語っているか?
→この問題にNOを突きつけたのが慶應。
結果、文学界での実績はいまいちだが、経済界では大成功を収めている 小論文を課すなら、文が書けない読めない奴を排除できるからいいがな。
統一してほしい。 自然言語処理からは逃げられないからね
数理言語ほど割りきれないけど、母語の解釈、運用は計測せざるを得ないよね 「現代文って解く人のさじ加減で、解釈って変わるじゃないですか?何でこの解釈ができないのかな?ってすげー思うんだけど?」
「いや、文章に書いてあることの中から解釈をして、判断するんだよ」
「でも、文章に書いてある、書いてないって、最終的にはその人のさじ加減ですよね?その人の感覚以外で明確な基準ってあるんですか?」
「・・・」
このやりとりをある動画で見たときに現代文の闇を感じたよ 小説問題を主観に過ぎないと投げださず、一応の論理がある前提で解かせるのが大学入試国語だよね
ただ、やはりどこかスッキリはしないから、反対する人は多いよね >>12
だから、特に小説問題はメタな視点で解くことになるんだよね
この問題に解答を付与するとすれば…ってね
すまん、酒のんで酔ってる まあ、数学のが大切ではあるとは思うけど
自然言語からは逃げられんからなぁ…仕方ない
多少メタでも解かなきゃ
ちな、小説苦手な人は「本当」を追いすぎる
メタでいいからメタで 大学で漢文使う授業あったからとったら、レ点と一二点の知識ぐらいしか役にたたなかった 西村博之みたいな超絶論破王が現代文って意味不明って言ってるのが面白い 書いてある趣旨が読み取れない奴、要らないだろ
受サロでもスレの趣旨と違ったり、前提を勝手に解釈して、マヌケなレスする国弱多いし 国語は必要
英語は今のレベルは不要
もっと簡単にしていいよ >>1
客観的に文章を読めないやつがそれだけいるってことだろ 古典、小説、文学史は要らない。
論説文、随筆、漢字だけで良い。 入試から国語を無くす代わりに数学や物理の問題を文章題にすれば良いと思ったりする。
文章題:文章で状況説明して文章で問いかけてくるような問題 >>24
複合問題ってやつですな
いいと思う
頭柔らかいね君は 現代文は絶対にいる
大学入って難しい専門書とか読めんぞ
古文漢文は完全に不要
文学部ではいるのかもしれんが 少なくとも東大は出し続けるだろうな
東大古典程度の教養や東大現代文程度の言語処理能力は理系だろうとエリートなら必要だろう まあ古文漢文はいらんわ
あんなもん糞の役にも立たん みんな出来るなら課す必要はないけど平均点はセンターでも60点ぐらいしかない
みんなができるわけではない
思考内容の伝達は言葉以外では基本的にできないから国語は重要
物理現象であれば定量化=数値化や定式化は可能だけど ガイジを振り落とすために必要
実際国語出来ない奴のガイジ率高いしな >>12
明確な基準は無いが頭いい人に解かせると答えが揃うから だって国語の試験やってる今でもまともにレポート書けない論文読めないチンパンがうじゃうじゃいるんだもの
これで国語の試験無くしたら大学のアカデミックライティングの授業を中学高校の国語レベルまで落とさなくてはならなくなる 読解力というのは究極的には筆者が何を考えているのかを「推測」する能力
人としての常識的感覚とか常識的判断とかが暗黙の前提にあって、それで補完しながら思考を推測する
いわゆる行間を読むというやつ
それができる人の答えが同じになるのは当たり前
だから問題として成立している
ただあくまで解釈=推測にすぎないから、筆者の考えは本当は違うかもしれない
だとすればそれは表現力がない筆者の問題で、出題者の責任ではない(大抵の場合は)
なかにはおかしな独自解釈を正解にしてるような問題もあるけどね >>12
3つ目のセリフが話聞いてなさすぎて現代文できない人の闇を感じたのか? まったく馬鹿だな
世界中の大学受験で母国語のペーパーテストは必須だよ
母国語の高度な文章や内容を理解することは必要
ただの英語狂かな
世界の全ての先進国は英語以外に母国語の教育を重視している
イギリス連邦みたいに英語が母国語の国は除くけどな
過度に英語依存なのは発展途上国で自国文化がしょぼい国
母国語をしっかり学ぶのは自国の伝統や文化やアイデンティティやナショナリズムのためにも必須 ところで、アメリカのSATの国語(英語)のスコアを将来の年収に負の相関が有る事についてどう考える?
SATの国語(英語)のスコアと年収には負の相関
https://twitter.com/sy_mc/status/806142965227909121
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 英語に力入れてるやつが人文系に偏ってるからじゃねえの >>36
アメリカ社会では理数系の能力や学位と収入の相関(因果関係)が強くて
理数能力と言語能力には弱い負の相関があるってことじゃない?
ちらっと論文の図をみただけだけど >>39
俺なりの>>36 の解釈では、国語に強い事は確かに優秀で良い事なんだけど、
国語専用の試験を用意してまで、その能力を評価するのは過大評価になってしまうという事なんじゃないかと・・・
国語力は、それ以外の科目の点数にも多大なプラスの影響を与えてしまうからな・・・ 政治学とか経済学みたいな社会科学系の学問は大抵輸入された学問やから、文系の中でも古文漢文が活きてくることはさほどないっていう 古文、漢文って歴史研究には役に立つんじゃないか?
隣の国とか漢字を忘れて昔の書物が読めないらしいw そもそもお隣は古い時代の史料ほとんど残ってないやろ >>40
何に対して過大なんだよw
あくまで収入との相関だろ
大学は必ずしも金稼ぐ奴を育てる場所じゃない 相関と因果は別ってところは分かってて議論してる……んだよね?
一部そう見えない人もいるが センター評論
慶應のやってる要約と意見論述
これメインでやるといい
小説と古文漢文はあってもいいけど「高校入試、高1基礎レベル」のものを配点を下げてやればいいかな
難しいのやるのは意味ない 国語すげー大事
やっぱ文書読み書きまともにできないやつはダメだわ >>12が全てだな
文章読み書きがまともにできない奴はダメとか言うバカがいるが、
まともな正解の基準すら存在せず、まともな採点が期待できない科目を幼少期から時間を浪費して学ばせる国の時点でおしまいだよw
現代文の教師や講師は詐欺師だねwww 古典は芸術などの文化的教養の一部
一握りのエリートだけ学んでいればいいから大学受験には適さないかな
ただ、一流大に進学した一部はエリート層に入っていくだろうから、そういう大学の場合は受験科目にしたほうがいいかも >>53
国語信者はこういう論点ずらしの批判しかできないわけだよwwwバカだからwwwバカだから国語信者になるんだろうけどさwww 国語に信者も何もないけどね…
単なる母語
国語の入試問題が曖昧なのはその通りだけど、社会ではその曖昧な言語で仕事をしていくわけだから
その曖昧さも飲み込んで消化する能力はやはり必要かな
悪問が多発するからイラつくけど 自分ができないのは自分のせいじゃなく問題がおかしいんだ() 上で言われてるけど、メタ視点で最大公約数的な読解ができるかどうかを問うていると割りきると、それなりに解ける >>58
その通り
で、それがおかしいと君は思っているのかもしれないが理由は説明できるのかい?www >>60
できるやつは安定的にちゃんとできるのだから、問題のせいではない 俺は国語得意、数学やや苦手だった(ある程度克服はした)が
数学のほうが大切とは思う
仕事力のある人は数学力も高い
折衝能力は国語力優位だけど
スレ趣旨とちがうことレスしてごめん いや、厳密には
折衝能力も相手の論理性が弱い場合の説得力だから、本格的折衝は数学力のほうが必要かな >>61
>>12で解答の基準は感覚で決まるということを言っているのだから、出題者と感覚が同じであればできてしまうってことを言っているのと同じだ
できる奴がいるのは当たり前(単なる運ゲー)であり、だったらなんだ?という話でしかない
つまり、論理的に文章を解釈して判断するなんて基準は存在せず、解答の根拠はめちゃくちゃ主観的ってことなんだよ >>64
この文章がもう支離滅裂だもんな
国語できないのがありありと分かるわ
単なる運ゲーというのは、安定的にできる奴はこれまでずっと運が良かっただけだという意味なのか?
じゃあ例えばセンター試験の解答速報が各予備校一致するのもこれまでものすごい確率でたまたま一致してきただけなのか?
上にあるように、常識や予備知識で補完しながら読むものだから出来ない奴はそれが無いんだよ
君のそのような考え方自体がもう非常識を露呈している そういえばこの前タモリ倶楽部で、自分の書いた文章を入試問題に採用されたある作家が、その問題を解いてて間違えまくってたw
ただ、一緒に解いてた高学歴タレント的な人はかなり正解してた
それなりのゲームとして成立はしてるんだろうね
完全な運ゲーではなく
ちなみに、>>12がこのスレで権威化してるのはなんで?w 別にどこの誰が言ったか分からない>>12をやたら自分の議論に組み込むけど
全く出所ま分からない動画の発言を根拠付けに使ってしまう迂闊な態度こそ、国語の問題を解く態度から遠ざけてしまってるような… >>65
どこが支離滅裂なのか指摘できないwww
俺が運ゲーって言ったのは、出題者と感覚が同じなら解きやすいという運のことを言ったのにwww
やっぱり現代文を真面目に学んでもこのレベル何だなwwwだって、こいつの文章って根拠ゼロだもんなwww
>>66
出題者の感覚に合わる努力が、現代文の勉強だって言うならば、運ゲーではないだろうねw
この場合、小説の登場人物の心情は作家が決めるものなのだから、外部の人間が推測で決めるのがおかしい反論が結構見られるが どこって全体の主張や構成が滅茶苦茶なことを支離滅裂というんだが
感覚だけで決まるもんじゃないという反証を出しているのに、なんで根拠ゼロになるんだ?
おまえやっぱり日本語が通じない、理解できないだけやんw >>69
わざわざレスしてくれてありがとう
小説の解釈が作家のものか、そうでないかは議論があるみたいね
小説批評界という、浮世離れした世界ではだけど
文学研究者という高等遊民も後者の立場の人が多いみたいね。本当にどうでもいいけどw
ただ、大学入試ごときでそこまで難しい解釈を受験生に強いるつもりは大学側にはないかと(早稲田は知らんがw) >>70
だから、どこがどのようにときいてるのだが?www
こいつ根拠って日本語の意味知らないんだなwww 参戦するつもりないけど
>>64の「できる」は、「その問題」がで、
>>65の「できる」は「問題一般」に
なんで、噛み合ってないのかな?
口出しごめんなさい
ただ、>>64の言うとおりなら、国語の「問題一般」に得意な人の存在をうまく説明できないから、>>65が反論してるように見えますw >>73
俺は現代文の一般的な問題に対して使ったつもりだよ
だから、出題者と感覚が同じならば、ある文章から抱く印象や解釈も同じになりやすい
そうなると、安定的に良い点数をとれることもそれで説明がつく
現代文の出題者になれるのも当然満点取れるような人間じゃないと厳しいのだろうから、先にいる出題者と同じ感覚じゃないといけない
つまり、出題者が変わっても、問題を解くために必要な感覚に特に変化はないのだから、常に高得点を取れる得意な人が存在するというのは、その点から説明ができる >>74
なるほど
分かりやすい説明ありがとう
つまり、国語問題感覚マフィアがいて(各大学の出題者が同じような文学的学問背景を持っていて)、国語問題界を牛耳っていて、そのマフィアと共通観念を持ちやすい人が得意な人ってわけですね で、その観念を持っているかどうかは運といこうとですね
もはや、分析哲学などの言語哲学領域の話になりそうですねw ゆうても問題文は教授が何人もよってたかって吟味した上で出してるやろから
日本人の大多数の認識とか学術的な定説からは外れてないやろし
主流派が共有する知的基盤や認識から外れてて問題解けない奴は
ご愁傷様という他ない >>77
まあそれを含めて国語力だからね
例えばさお茶の水小学校の悠仁さまの机に包丁のような刃物が置かれていたといって今ニュースになってるけど
それが何を意味するかって常識人なら大体感覚を共有してるよね
それが国語としては正解になるわけ
その共有感覚が分からない無教養な非常識人が、論理的根拠がない主観だ感覚だといってケチつけてるんだな
多分小学生にもその意味は分からないだろうね
そのレベルであることを棚上げして >>77
身も蓋もないけど確かに御愁傷様って話にはなりますね…
身体能力や運動能力のように、育てにくい能力に思えるから、入試科目として広く課されることに不公平感はあるのかな
ただ、社会において母語の運用から逃れることは出来ないので、課さざるを得ない
>>74の意見も突き詰めたらその通りなんだけど、大学入試程度ならそこまで大袈裟な話にならないはずだけど
論述文はいいとして、小説や随筆は悪問が多いので、そこは課題とは思うかな >>77
感覚が同じ教授がどんだけ集まっても、1人の場合と大して変わらないでしょwww
>>78
常識が分かることと非常識が悪いってことは全然別問題だけどな
そもそもケチをつけているというが、そのケチにあなたは反論できるのかね?
できれば>>12とかに反論するのが良いと思うが 公立高校入試レベルの国語は必要
それを超えるレベルは選択制でええ >>80
もう十分反論してるじゃん
本当に日本語通じないね
要するに人文的な素養や情緒の面において未発達なんだよ
国語という科目は語学じゃない
そういうのを育むほうがむしろ主題 古典はいらねーな
教養レベルで授業聞くだけならいいけど、
テストする必要はない 文科省は国語教育の目的のひとつとして
「……他人の痛みを自分の痛みとして感じる心、美的感性……伝統・自然を愛する祖国愛,名誉や恥といった社会的・文化的な価値にかかわる感性・情緒を自らのものとして受け止め,理解できる力」
を挙げているが、それは果たして学問なのか?
教育としてはありだけど、入試問題として道徳の問題が出題されるようなもの
もちろん「論理」「運用」なども挙げられいるから、そちらを問う問題はいいけど。 筆記試験重要度
S 英語
A 数学(2Bまで)
B 理系理科 理系数学3 文系社会
C 情報 家庭科 保健 国語表現 理系社会 文系理科
D 現代文
E 古文漢文 芸術 現代文おかしい派の西村博之に論理的思考力で多く敵わないという現実
彼は苦手だったのかは知らないけど >だから、出題者と感覚が同じならば、ある文章から抱く印象や解釈も同じになりやすい
そうなると、安定的に良い点数をとれることもそれで説明がつく
現代文の出題者になれるのも当然満点取れるような人間じゃないと厳しいのだろうから、先にいる出題者と同じ感覚じゃないといけない
つまり、出題者が変わっても、問題を解くために必要な感覚に特に変化はないのだから、常に高得点を取れる得意な人が存在するというのは、その点から説明ができる
運ゲーって説明ができちゃってるじゃねーかwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています