何で明治や大正の作家は東大卒が多いんや?
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純文学は教養ないと書けないし教養は学力に相関あるぞ
学のない一般人はドストエフスキーの罪と罰なんて読もうとしないしシノニムって言葉もアントニムって言葉も知らないからな 時代的に、大学と言えば東大って感じだったからだろ。
Fランが必要なほどそもそも進学者も居ないし。 大学令が出たのが、確か1920年だから、それまで早稲田も慶應も大学じゃなかったからだよ。
大学は東大と京大くらいで、北大や東北大や九州大はまだ出来たてのホヤホヤで、
文学どころじゃないだろ。 昭和の作家もやっぱり東大卒が多いぞ
早慶だってあるのに 今の作家は早稲田のほうが強い気がする
評論は東大が多いけど 東大通える奴は裕福で本読みまくって(多分当時は本は庶民には買えない)働かなくていいから本に専念できて(庶民は働かないといけない)賢いから人様に見せられる文章がかけたからと推測 夏目漱石が大学教師から小説家になった時は今で言えばAV男優になったくらいスキャンダラスだったという 当時、東大にいけるのは金持ち
そして小説を書けるほど余裕があるのも金持ち
昔は、文才があっても基本小説を書けるのは富裕層のボンボンだけだから、自ずと東大卒が多い 数学理科の教科書の偉人にヨーロッパ人が多いのと同じようなもんだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています