バブル時代や団塊の世代では文系で5浪6浪とかいた [無断転載禁止]©2ch.net
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キテレツ大百科の勉三さんは6浪して高尾大学経済学部 昔は偏差値60の進学校でも1浪で帝京の経済学部とかでも御の字 大学行けない人が沢山いて今みたいにFランと専門を天秤にかけるとかあり得なかったらしい バブル時代は大東亜が偏差値55、ニッコマが60
今のマーチレベルが日大とかだった 親ニッコマと女子大だがそんなアホじゃない気がするわ 昔は学部名称の数が少なかったから進路指導がし易かったらしいな 今の二倍近くは受験生いるからな
もしあの時代に生まれてたら偏差値は15は下がると思え うちの親父が現役で明治受かったのは俺だけだと自慢してたな。
確かに俺と同じ学歴だが俺より遥かに賢い気はする。 戦前もすごかったぞ。
特に旧制第一高等学校だと4浪や5浪が当たり前のようにいた。
田舎の旧制高校なら十分受かるような人間が一高目指して浪人を重ねてしまうんだから、一高ブランドは戦後の人間には理解しがたい魅力があったんだろう。 むしろ予備校や参考書の充実とインターネットの普及で情報が均一に出回るので上位の学力は底上げされてるぞ
下位はお察し バブル時代は大学にそんなんじゃ入れないとか言われたな >>1
身内に団塊世代で東大出たぢいちゃんがいるが、
5浪6浪なんて聞いたことがない、2浪がせいぜいと言ってたな。
当時は四当五落という言葉があったとか。
睡眠時間のことで四時間しか寝ないで勉強すれば受かるが
五時間寝るやつは落ちるという意味。
これも大嘘デタラメ。ぢいちゃんは寝てた。授業の時も。 バブルのころの就職環境は完全な売り手市場
就職に際しての圧迫感がまるで無いことがいろいろな余裕を生み出していたようね
多年にわたる留年
私の印象としてはこちらのほうが強いわね
特に国立の入寮生
途中で追い出されるしくみのところもあったようだけれど
破格の学費という後押しもありきっちりと8年を費やす感じ
"ぬし"といわれる学生が多かった時代ね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています