◆「派遣」はどうやってここまで巨大になったのか
今やどこにでもある働き方のひとつである非正規雇用の派遣社員。ですが、
わずか15年前には派遣社員という存在の持つ意味も、質も量も今とは全く違うものでした。
1985年に派遣労働者の保護を目的として立した労働者派遣法。当初はプログラミング、データ入力、
通訳など専門性の高い13業務に限って派遣を認めており、いわゆるエキスパートの派遣がメインでした。

しかし2004年に 小泉純一郎 首相が 竹中平蔵 内閣府特命担当大臣と共に同法を改正。
これによって派遣労働者が2000年の約33万人から2008年には約140万人に増加し、
大量の非正規雇用者を生み出し、格差が拡大しました。

法改正時に適正なセーフティーネットや「雇用者に対する派遣先企業の責任」が明記されていなかったことから、
2008年のリーマン・ショック後には製造業を中心に派遣社員らは雇用の調整弁とされ、「派遣切り」と呼ばれる
大量の雇い止めが発生。

これは2009年に自民党が衆院選で惨敗し、政権を追われる大きな要因のひとつになったと考えられています。
しかし鳩山由紀夫内閣が格差社会の是正を掲げて「派遣労働の原則禁止」「労働者保護」
を含む改正案を国会に上程したものの、ねじれ国会での自民党らの反発によって審議できず、
大幅な後退を余儀なくされました。

なお、竹中平蔵 内閣府特命担当大臣は2007年にパソナの特別顧問に就任(現在は取締役会長)。
パソナの売上高は、2003年5月期の1356億円から2008年5月期には2369億円と1.75倍に伸び、
10年後の2018年5月期には3114億円にまで膨れあがっています