こんな話を聞きました。

工場のアルバイトをしている人たちの中に、「東大君」と呼ばれている男性がいるそうです。年齢は30代の後半くらい。
読んで字のごとし、東大卒。しかも、博士号を持っているというのです。専門は数学。
工場のアルバイトといっても、パソコンのネットワークに関することとか、何か特殊な知識が必要なことをやっているのだろうと思いました。
ところが、その話では、純粋な肉体労働だというのです。重い荷物を運ぶ、というような。

「なんであんたみたいな人が、ここで働いてんの?」と、周囲の人に不審がられながら、東大君は重い荷物を黙々と運ぶ。
同じ仕事を一緒にやっている人とは、ほとんど話をしないのだという。それどころか、会話している東大君を、誰も見たことがない、という「伝説」さえある、という。
何で東大君は、あえて自分の経歴を全く生かせない仕事をやっているんだろう?

肉体労働に知性はいらないかというと、そんなことはなくて、やはり自分の身体を効率よく動かして要領よく働く人は、頭の良い人なんだろうと思います。
でも、さすがに東大卒の学歴や、博士の称号は必要なさそうです。彼自身が、肉体労働がやりたくてやっているのでなければ、
あとは、社会との折り合いがどうもうまくいかなくて、黙ってできる仕事をえらんでいる、と想像してしまいます。

この話から教訓を引き出そうとすれば、いくらでも出来そうです。受験戦争や学歴社会への批判など。でも、なんだか、そんな気になれない。

だって、残念でしかたないのだもの。望んだって、誰もが手に入れられるわけじゃない、東大卒の学歴や、
博士号をもっているというのに、それを全く生かせずに、黙々と荷物をはこんでいる東大君。天下の東大も、彼に社会をうまくわたっていく術は教えてくれなかった。

この東大君の話から、私が自分のために、ひとつだけ教訓をもらうとしたら、「処世術は、誰も教えてくれない。」ということでしょうか。
世の中との折り合いの付け方は、天下の東大でも教えてくれない。だから、自分で世の中から学びとる。
もしくは、世の中から盗み取るしかない。これは、結構頭を使う作業だし、きれいごとでは無いような気がします。