女性のスタッフにパクさんの人気が今ひとつなのは、
この無作法のせいだったが、本人によると、
股関節がずれていてだるいのだそうだった、
大塚さんは語った。
「こんな長編映画の機会はなかなか来ないだろう。
 困難は多いだろうし、制作期間が延びて、
 問題になることが予想されるが、
 覚悟して思い切ってやろう」。
それは「意思統一」というより、
「反乱」の宣言みたいな秘密の談合だった。
もとより僕に依存はなかった。
なにしろ僕は原画にもなっていない、
新米と言えるアニメーターに過ぎなかったのだ。
大塚さんとパクさんは、
事の重大さがもっとよくわかっていたのだと思う。
勢い良く突入したが長編10作目の制作は難航した。
スタッフは新しい方向に不器用だった。
仕事は遅れに遅れ会社全体を巻き込む事件になっていった。
パクさんの粘りは超人的だった。
会社の偉い人に泣き疲れ脅されながらも、
大塚さんもよく踏ん張っていた。
僕は、夏のエアコンの止まった休日に出て、
大きな紙を相手に背景原図を書いたりした。
会社と組合との協定で休日出勤は許されていなくても、
構っていられなかった。
タイムカードを押さなければいい。
僕はこの作品で仕事を覚えたんだ。
初号を見終えた時、僕は動けなかった。
感動ではなく驚愕に叩きのめされていた。
会社の圧力で、迷いの森のシーンは
削られる削られないの騒ぎになっていたのを知っていた。