50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part21
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>>176
たまにというかかなりあったでしょ
2004年の済美戦
2005年の鳴門工業戦
2006年の青森山田戦、東洋大姫路戦
毎年伝説を作った
駒大苫小牧はこの3年間しか夏の勝利がないのも伝説に拍車をかけているような気がする
瞬間最大風速の強さなら駒大苫小牧が歴代一位だろう 田中将大が2年秋の神宮大会で早実相手に投げた試合を
実際に神宮で見たけど、何でこんなに曲がるんだと
思うほどかなりエグかった。
こんなの高校生が打てるわけないわと思った。
選抜に出てればなぁ 小澤章一選手が亡くなった年にハンカチ早実が優勝するとは縁があったな >>167
84年の大船渡戦、あれ結果論だけど金星と言えないと思う。大船渡のが明らかに強かったと思うがな。 >>170
智弁和歌山も明徳の監督も西谷を可愛がってるからダメじゃん
ちなみに、直近のスタメンは
智弁和歌山(対市和歌戦)大阪3人、奈良3人、和歌山2人、鳥取1人
明徳義塾(聖カタリナ戦)大阪2人、愛媛2人、佐賀1人、福岡1人、岡山1人、滋賀1人、明徳中1人
みたいYO!
たいして変わんないね 爆笑 ちなみに
聖カタリナ・・・大阪3人、愛媛6人
市和歌山・・・公立なのに…大阪4人もいるのは驚き >>187
市立和歌山は大阪南部からなら通学圏内だから昔から大阪出身いるよ
ヤクルトの川端も貝塚から通ってた メジャーリーグ歴代2位、755本塁打のハンク・アーロン氏が亡くなった、86歳。
https://www.yomiuri.co.jp/sports/mlb/20210123-OYT1T50103/
1978年夏の中京の主砲・栗岡が別名アーロンっていわれてたのをかすかに
覚えてるが、由来は何だったっけか?
風貌はそんなに似てなかったような気がするけど、浅黒かったから? 瀬田工の西崎、上宮太子の亀井、金光大阪の吉井。
みんな甲子園の初戦で明徳にめった打ちされて破れ、その後成長した。 >>74 >>76
清原が逮捕されてどん底に落ちても生活費に困っていなかったのは、
プロ入り時の契約金は親が全額貯金して(一銭も手を付けずに)
若い頃の給料も親が管理してかなりの額を貯金に回していて、
岸和田の実家には「清原和博」名義の数億円の預金があったからって話しを聞いて
すごい優秀な家系だなと感心した。 >>147
日本生命の支社長(支店長ではない)を長く務めたから、ビジネスマンとしても超一流。 >>167
まあ、最近は長く続ける名物監督がいなくなっている中で、
馬淵監督はよくやっていると思うが、
ただ、50歳以上のおっさんにとっては、明徳義塾ではなく明徳で、
監督は松田さんなんだよな。
明徳では1回だけの甲子園だったが、強烈な印象を残した。 >>193
昭和59年選抜 2回戦
佐世保実 対 明徳義塾
https://youtu.be/KeEfz1PPGKo
(3分前に公開) 44:13 >>185
84センバツの明徳は打線全体が極度の不振だったな。 >>194
1984選抜か
いきなり見たら桜がつぼみまくってるな
厳しい冬明けた時の選抜だな
ひとしおに待ち遠しく感じた選抜だったろう >>190
瀬田工西崎は高校時代腰痛に悩まされてて、
選抜時も背番号10。
腰痛が癒えた愛知工業大学時代に潜在能力
が開花して、球速アップ、大学選手権での
奪三振記録などを樹立している。
明徳戦も先発は背番号1のエ−ス渡辺投手。
ご本人さんの中で、明徳戦がその後の野球
人生の糧になっているとは考え難い。 >>183
同感。
同年センバツで優勝したあの伝説の
横浜打線 対 マ−君の試合を決勝
で観てみたかった。 >>195
逆に夏は打線が好調だったが、センバツで好投したエース山本1号が投げられず、山本2号が頑張ったものの勝負どころで新潟南林にホームランを打たれて敗戦、かみ合わなかった 明徳義塾命!のブログ
「私が選ぶ隠れた好試合(センバツ編)」の第3弾です。
前回の予告どおり、
昭和59年準々決勝の大船渡vs明徳義塾を紹介します。
今回はこの試合にとどまらず、その後の初期の明徳にも触れようと思います。
まず、この年の注目は前年の池田からKKコンビのPL学園に変わりました。
まだ粗さというか脆さもあった池田に比べて投攻守に隙がなくスケールのある
PL学園は「やまびこ打線」の池田より牙城が高いと思われました。
私はKKコンビと同学年だったので、尊敬のまなざしというよりは、
「どこか倒してくれねぇかなー。」というのが偽ざる心境でした。
対抗馬として、取手二と初めて四国大会を制した我が明徳が挙げられました。
しかし、いくら熱烈な明徳ファンの私でもこの評価の高さには気恥ずかしいものがありました。
明治神宮大会を制している岩倉の方が上だろうと。
たしかに、前年、あの池田をあと一歩まで追い込んだ立役者のエースの山本賢が健在どころか成長しているという武器はありましたが、打線が過去2年と比較して著しく迫力に欠けるのが不安でした。
https://gamp.ameblo.jp/white1991stone/entry-10477044485.html >>190
吉井でなくて吉見ね。
亀井は中大で野手転向したから。 >>193
名監督と言われる監督が長く続けると逆につまらないと感じる 1984年のプロ4人排出(江本 西山 小森 苫篠)の上宮高の2年生4番の関井って知らなかったな。
どこへ進学したんだろ? >>203
プロに4人(黒田、山崎、応武、小川)指名された崇徳も、四番を打っていたのは永田という選手だったね。
その後、どうなったのか気になる。 >>199
新潟南と明徳は対戦前、同じグラウンドで練習する機会があり、新潟南は明徳から「早く出ていけ」みたいな失礼な扱いをうけ、
試合では、「絶対勝つ」と燃えていた、みたいな話があったな。
明徳はこの頃からすでにヒールだった。 >>191
まぁ本人はあんなんだが、お父さんは真面目そうな人だし、清原がプロで活躍してても自分は自分ということで自身の電器店はきちんとやってたそうだね 地元高校へ進んだた選手と、野球留学した選手が甲子園で再会して
対戦を楽しむというのが美談になってるけど、
昭和時代の甲子園は、
「地元を捨ててよそへ行ったヤツらに負けてたまるか!」とう意地と、
「知らない土地で苦労したのに地元でのほほんと過ごしたヤツらに負けてたかるか!」
という意地のぶつかり合いで殺伐としていた。 >>207
i田舎の年配の人は圧倒的に前者だろうね。
「あの選手は○○商店街の電器屋の次男だ」
とか、同じ学区の中学校出身とかなら
親近感があるし。 大阪桐蔭の強さの要因はきわだった守備力の高さだ。それも元から守備力のともなった
中学生を集めるという考えで、すこし守備力に眼をつぶってでも打撃力重視で打線をくむ
他校より優位を保てる。西谷さんは毎年強チームを甲子園に送り込んだが決勝進出には
多少時間を要した。比較的地味な08年のチームが頂点をきわめた >>209
まぁ08年も前年と比べたら地味は地味だったが打力はあったね
何にしても守備は大事
07年優勝の佐賀北も満塁ホームランばかりクローズアップされるが、守備は非常に固くてあの決勝も何度も好守で踏みとどまってた >>203
関井は日体大からJR東海でプレーしました。 桐生高校の昭和53年春のふるさと紹介の動画で、
部員数が1年生6人、2年生が9人の15人で、
これでも例年より多いと紹介されていてびっくりした。
この当時はまだ、子どもの数も多かったし、その時代でこれだけ部員数が少ないとは。
当時は桐生高校と言えば、群馬の野球少年の憧れだったと思うが。
何があったのだろうか。進学校なので桐生で野球をやりたくても入れなかったのだろうか。
その隙をついて前橋工業が出てきた感じか。
工業高校なので入るのにそれほど学力もいらなかっただろうし。 桐生の時代が終わり、前橋工業の時代になり、
今やその前橋工業も健大高崎、前橋育英、桐生第一の私学3強に押され、
全く名前を聞かなくなってしまった。寂しい限りや。 >>212
桐生全盛期は夜間部の生徒が主力だったと聞いたことがある
昭和53年は全盛期の監督が辞めて10年以上たっているから、普通の進学校に戻っていたんだろう 前橋工業は昭49年に初めて名前聞いた。
準々決勝で静岡商・高橋三千丈に2安打に抑えられたが、
向田の一世一代の快投で1-0で完封勝利。
自分としては静岡商・高橋の速球が
銚子商打線とどれくらいやれるか見てみたかった。
タイプ的に高橋より向田の方が銚子には通用するかなと思ってたけど
さすがにあの年の銚子商は強かったね。 >>212
ごたごたで大量退部があったみたいだね
それがなければもっと打てるチームだったって >>212
桐生高校のOBによればこういう事情だったらしい。
元々稲川監督に反感を持っていた教員が多く、稲川監督退任を機に野球部強化を学校が辞めた。
それでも1年くらいはOBや後援者の努力でなんとかなっていたがそこまでだったそうだ。
「学校の力なんてそんなにあるのか?」と、当時思ったが銚子商斎藤監督も昭和50年代に入って
アンチ野球部の若手教員の発言力が強くなり学校が強化を辞めたあたりからじり貧になっていった。
学校の方針っていうのは俺の想像以上にでかいと思った。 ちなみに公立の進学校の部員数なんて70年代でもそんなもんだよ。
千葉でいえば木更津高校がだいたい当時の桐生くらいの進学実績だったが、そこの1974秋
時点での部員数は11人。うち2人は野球経験のない選手だったので実質9人だけのチームだったそうだ。
そのチームが秋大会で篠塚、前嶋の残っている全国制覇直後の銚子商に勝のだから野球は面白い。 ナベ久が木暮に憧れ桐生に行きたかったが頭が足りなくて前工行ったのは有名な話
70,80年代は東大が江川打ち崩したり、4位になったり
慶応、早稲田も浪人、一般入試組がスタメンはったり
進学校でも普通に甲子園で強豪とタメ張ったりで今より文武両道確立してたな 昭和60年選抜 1回戦
横浜 対 倉敷商
https://youtu.be/fuGvWPDfZYY
(1分前に公開) 53:48 公立と言っても県立と市立じゃだいぶ違うけどね。
市立船橋なんか市長が変わると野球部はじめ運動部が突如として強くなったりする。各部にいろんなところから県外人が来てたり。
だから、地元千葉では人気は無いね。 >>209
好敵手、履正社の存在も見逃せない。
両校試合前の整列時、本当ならあの選手はこっちのユニを着ててこの選手はあっちのユニを着てたはず、、、そんな選手がゴロゴロいる年があるみたいだからな。
だから毎年警戒している存在。
西谷さんの口癖は春夏連覇した2018年ですら、
「今年は履正社さんより上?そんな事はない。向こうもメンバーは揃っている。履正社さんが弱いはずがない…」 >>219
その木暮も早稲田を落ちて一浪しているから、頭がよくても高校で野球に打ち込むと入試ではきついかな 同僚の阿久沢は家庭の事情で浪人できないから現役一般入試で群馬大、県内のライバルだった前橋の松本稔は現役で筑波大に合格。 >>223
補足すると、当時の早稲田は所沢体育大学と言われる今の早稲田とは別物 >>219
いまは糸目もつけずに強化を図る。野球だけやらせる。学生野球であることを忘れている。 >>196
明徳以外の31チームが厳冬で雪の影響を受けたって雑誌か新聞に書いてあった覚えがある 桐生の稲川監督は有望な中学生には定時制に入れて自宅野球部寮で生活。
働くわけでもなく、朝から授業が始まる夕方まで野球漬け。
優秀な生徒が集う天下の桐生高校だから、当然OBから反感買うわな。
少数はいたと思われる定時制の勤労学生だって「ふざけるな」と思ったことだろう。
周囲の学校関係者は冷めていたことは容易に推測できる。
当の稲川監督自体が嫁の実家に頼りっきりで、就労経験が無かったと言うから呆れる。 稲川監督は1967年4月15日、伊勢崎市民球場での公式戦最中に突然倒れ入院。3日後の4月18日にユニフォーム姿のまま死去。享年61
爆笑問題の田中とある程度被ってるかもしれん
今のデブ監督とか何十年か後のスレでいろいろ言われるんだろなw >>229
その話で、花咲徳栄の稲垣監督、学法石川の柳沢監督、早実和田監督の名前が頭に浮かんだ。
しかし俺が思っていたよりずっと若かったんだな、稲川監督は。合掌。 >>217
学校が力を入れている割にいまいち強くなれない学校とか、
実力あっても甲子園に一歩届かない学校とかもあるよね。 >>212
2007年頃に解消されたけど群馬の普通校は学区性があって全県から有力球児を
集められず普通科高校の強豪が育たなかった。逆に実業校は学区性がないから前橋工
みたいに全県や隣県の栃木から優秀な球児を集められて一時代を築けられた。佐田建設
の支援がなくなったり、大学進学が普通になって実業校は進学面で不利になって弱体化
したけど。栃木なんか小山や宇都宮南とか普通科の強豪校があったけど、学区性がない
のか?
沖縄の豊見城も学区性が始まって優秀な球児が集められなくなって裁監督がそれを
嫌がって学区制の制限がない沖水に移ったんでは。色んな面で普通校にとって学区制
は本当にきつい。最近、学区性がなくなって復活傾向にあるけど、東京の日比谷高校
も一時期、東大合格数が200人以上で日本一の進学校と言われたけど学区性ができて
東大合格者数が数人にまで落ちた事例がある。 今の強豪高校野球部の監督はたいていが教員だが、かつては非教員が多くて、普段はどんな仕事をしているのかわからない人もいたな。
尾藤さんに上甲さん、木内さんも用務員の給料だけでは生活できなかったはず。
横浜の渡辺さんも当初は教員ではなかったし、広島商は代々非教員の監督ばかりだった。
元プロが監督をするようになり、再び非教員の監督が増える流れになるかもね。
21世紀枠で選抜の可能性がある矢上の山本翔監督も自治体の職員だしね。 >>234
どういう生活してるんだろという監督さんばかりだったね
奥さんが働いてたんだろうけど、旦那は年中野球で家を空けてばかりだし、かと言って稼ぎは無いしで大変だっただろう
かつての名監督さん達は奥さんには頭上がらないだろうね 熊工は後援会が監督に給与支給。
月額30万円らしい。 イチローほどの資産があれば、生活を気にする必要は無く監督業ができるだろうけどな。
監督としての報酬は、平均的にどんなもんだろうか? 張本勲とかてサンデーモーニング以外の日は何してるんだ?
プロ野球は地上波なくなって解説者とかも需要なくなってるだろ
デーブ大久保は新橋に肉蔵デーブて店あるけど
かなりカレーとか定食高そうだけど上手いのか?
元巨人条辺のうどん屋は上手かったな
うどんだけでなく天ぷらも意外な程上手かった >>238
秀岳館の鍛冶社監督が600万でボーナス70万とか
3000万以上や1800万のオファーあったけど断って年収70万の公立に行ったみたいだな
秀岳館の監督は高すぎるとかでクビなった記事は再三あった記憶だけはあるな
2018年のスポーツ報知の記事だけど *渡辺久信は中学時代、ノーヒットノーランを10試合くらい達成し渡辺を欲しがった桐生高が家庭教師を
よこして渡辺を桐生に入れようとしたと聞いた。
*相川(横浜高)の甲子園動画をみた。記憶の中の相川は鈴木孝政(中日)のようなカクカクしたフォームだったが
少し記憶とは違った。今見るとワル顔というよりモミアゲが長い老け顔といった風情だ。同級の根岸(川越工)と似た投手と感じた。
この2年後の高井、夏井、高橋建の横浜も最強だったと聞く。 >>233
和歌山の桐蔭は元々県内トップ公立だったが、学区制がなくなって勉強面で優秀な生徒が桐蔭を目指した結果、
さらに偏差値アップして野球部員の確保に苦労するようになった。
入部希望者は少なくないんだが、ゲタを履かすこともないのであきらめて他校へ進路変更する。
学区制撤廃後にいったんは弱体化したけど、なんとか盛り返した。 昭和52年夏 準決勝
東洋大姫路 対 今治西
https://youtu.be/t0HD4Kz8poY
(3時間前に公開) 44:13 半価値マー君が今年見られる可能性が高まりましたね
ただダルビッシュ翔投手を超える日本人選手が表れないのは寂しい限りです
佐々木朗希投手や奥川投手鈴木誠也や村上選手に期待ですね 個人的には春夏連覇甲子園史上最強投手藤浪晋太郎選手がメジャーに行けなかった事が悔やまれます
箕島の石井投手や池田の畠山水野投手が今現役ならメジャーでどれ程通用したのか見てみたかったですね 石井、畠山、水野がメジャーで通用するわけねーじゃん >>245
藤浪はまだ26歳だから、メジャーに行けなかったと決まったわけじゃない。 佐々木朗希くんは、プロ入ってからのピッチングは見れてないが、高校の時の足を高く上げるピッチングフォームは威圧感あってカッコ良かったね
ただまだ細い
しっかり練習してプロで一年間戦える体になってほしい 高校野球史上最強チームはどこか?
1985年PLか2012年大阪桐蔭で意見は2分すると思われます
大阪桐蔭は夏は藤浪は絶好調だと敗けるどころか点を取られるイメージわかない程隙がなかったように感じました
PLでも3点とるのがやっとでしょう逆に桑田は完封が少なく被安打やや多めなので
森知哉を中心とした大阪桐蔭打線なら最低3点は取ると予想出来ます
やっと3点のPL最低3点は取る大阪桐蔭で勝敗は明白だと思われます
時代は違いますが光星学院は中山高知商より遥かに打力は上投手力層もやや上であるような気がします 異なる時代のチームを比較して最強チームは?なんて下らないことはやめた方が良い >>250
85年の桑田が被安打が多くわりと失点してたのは、得意の落差の大きなカーブをあまり投げずストレートばかり投げてたから。
84年の時のようにカーブも普通に投げたら、制球力は抜群だから現代の高校生でも攻略は難しいと思う。 >>250
あまり取り上げられることはないが、藤浪は準決勝決勝が完封で準々決勝が1失点完投
この記録は74回の森尾以来だったと思うが、もし準々決勝の天理戦の最後に被弾しなかったらラスト3試合全て完封という偉業を達成していたわけだが、そうなると誰以来の記録だったんだろう やはり全試合完封した昭和23年の福島一雄さん(小倉)以来ではないかな。
準々決勝から無失点だった投手は昭和35年の柴田(法政ニ)、昭和37年の加藤(作新)、昭和49年の土屋(銚子商)らがいるが、いずれも最低一試合は継投しているから完封ではなかった。 丸山は準々決勝で失点あり。ところで、帝京吉岡の時は控え投げましたか?確か3試合無失点だったと思うけど。 >>256
3回戦で2イニング準々決勝で3イニング池場投手が投げてますよ
吉岡投手は2回戦完封(9イニング)3回戦7イニング1失点準々決勝6イニング無失点
準決勝完封(9イニング)決勝完封(10イニング)
予選では吉岡投手は謎の不調で決勝でもノックアウトされたり池場投手の方がイニング投げてたような記憶があります 吉岡世代の帝京は、歴代の甲子園優勝校の中でも最高にクジ運が良かったからな。
2回戦からの登場で初戦は米子東、3回戦は桜が丘、準々決勝は海星、準決勝は秋田経大付。
そりゃ、ほとんど手を取られないよ。
決勝の仙台育英は強豪だったが、仙台育英のほうは1回戦からの登場で、強豪とばかり対戦しており、決勝では疲労困憊だった。
エース大越は、決勝は9回まで帝京を無得点に抑えたが、実はマウンドで意識朦朧としている感じだったと振り返っている。 >>250 >>252
1985年PLと2012年大阪桐蔭を比較するなら、桑田と藤浪を比較するだけでなく、2番手投手も比較したほうがいいな。
PLで桑田の控えだった小林も良い投手だったと言われていたが、甲子園ではほとんど投げていない。
藤浪の控えだった沢田は、甲子園でも好投し、プロでもそこそこやれている投手で、レベルが違うよね。
1回だけの対戦なら、勝負強い1985年PLが勝ちそうだが、日本シリーズのような4勝したほうが勝ち、というルールにすれば、2012年大阪桐蔭が勝つ可能性もある。 2012年てなんか今一盛り上がりに欠けた大会だったな
大阪桐蔭が圧倒的過ぎたのは仕方ないが
他の学校の試合自体接戦、逆転少なかった気がする
桐光学園、松井が三振記録作ったのが逆にレベルの低さ現してるような
同じくPLが圧倒的だった87年だけど他校に有望な選手多かったから盛り上がってた 俺は今でも高校野球最強チ−ム説を語るなら、2006年センバツ覇者の横浜だったと信じて疑わない。
ただ、負けたチ−ムが最強なんてあり得ないって言う輩が必ず出てくるから、それなら俺は最強説、佐賀北に一票! 笑 >>258
それを言ったらおしまいよ(笑)。帝京オタが発狂するぞ。
帝京の対戦相手に比べ、仙台育英は上宮、尽誠など強豪だらけ。しかも一回戦からの登場。決勝は大越は4日連投だった。
くじだから仕方ないが、両校の条件の違いがここまであった顔合わせはおそらく史上最高だろう。
何回か書き込みがあったが、初戦の組み合わせ抽選のときから帝京はついていた。くじをひくのがブービーで、そのとき残っていた相手が上宮と米子東。
上宮をひいていたら初戦の第三試合。吉岡の調整が遅れていたし、対戦していたらおそらく負けていただろう。
それはともかく、あの年は帝京一東邦、帝京一上宮が見たかった。選抜は帝京が初戦敗退して東邦との対戦が実現しなかったし。 1989夏帝京とは反対に、知りうる限り最もクジ運が悪かった甲子園優勝校が2004年済美。
次が1984年春の岩倉。あと、金村の報徳も初戦の盛岡工以外は難敵とばかり当たっていた。 >>263
済美も岩倉も初戦は与し易い相手だったが、2回戦以降が難敵揃いだったな 明日選抜出場校の発表だけど以前は30校制の大半の大会近畿が枠7占めてたんだな
1975年選抜なんて29校で7枠とか他地域から不満出たりなかったのかな
1/4近くが近畿とかいくら地元でも 1982年とか関東3東京2で四国4近畿7とか
あの年平沼と市川市から甲子園出すために千葉県1位の東海大浦安が割食ったりしたよな >>266
1970年代中ごろまでは関東東京合わせて4、四国中国合わせて6近畿6が基本
もちろん近畿7の年、四国4の年、中国5の年もあった
昔は九州を除く西日本偏重が明らか 昭和38年の35回記念大会のときは、出場28校のうち近畿が8校。
東日本勢は北海、大曲農業、宇都宮商業、上尾、早実、日大一、清水商業のわずか7校。束になっても近畿に及ばなかった。 >>264
済美の初戦の相手、土浦湖北は秋の関東王者で、エースはのちにDenaした須田。前評判は高かったよ。9−0という結果にはなったけどね。
岩倉の初戦の相手、近大福山はそんなに前評判は高くなかったけど、2年生エースの岡田が期待されていた。
済美、岩倉共に初戦が一番勝ちやすい相手だったのは確かだけどね。 近畿が7校の頃には、高砂南とか高島とか伊香とか、とんでもなく弱い学校がよく出てきていたね。 >>270
でもそのおかげで小学生なのにいろんな地名覚えられたかもしれない
初めて知った高校の地名を社会の授業中に地図帳で探すの楽しかったしw 選抜の選考について参考とされるのは新チーム結成後の秋の地区大会の成績等になるのは周知のとおりだが、地区大会が始まったのは戦後からなんだよな
じゃあ戦前はどうやって選抜してたのか気になってたんだけど、どうやら直近一年間の成績を参考としてたみたいだね
となると前年度のチーム成績も加味されるわけだから、極端に言ったら前チームが夏の甲子園で優勝して、新チームが県大会初戦敗退でも選抜される可能性もあったわけだ
随分おおらかな時代だったんだなと実感した
しかも東北地方の選出0で愛知だけで4校選出とかめちゃくちゃだし
大昔の曖昧だった横綱の昇進基準みたいだ >>263
70年代でいうと、70年春の箕島と74年春の報徳かな。
箕島は対戦相手が東海大相模、三重、広陵、北陽と4試合すべてが前年秋の地区大会優勝校。相模はこの年の夏の覇者、三重は前年の覇者。広陵は佐伯を擁して候補筆頭だった。北陽は前年秋の近畿決勝で負けていたが本番で雪辱して優勝。
報徳は鹿児島商、土浦日大、銚子商、平安、池田とすべて好投手がいたチームが相手(堂園、工藤、土屋、山根、山本)。決勝はイレブン池田、これがいちばん楽な相手だった感じ。
75年春の高知も熊本工、福井商、報徳、東海大相模といずれも厳しい相手だった。 >>263
70年代でいうと、70年春の箕島と74年春の報徳かな。
箕島は対戦相手が東海大相模、三重、広陵、北陽と4試合すべてが前年秋の地区大会優勝校。相模はこの年の夏の覇者、三重は前年の覇者。広陵は佐伯を擁して候補筆頭だった。北陽は前年秋の近畿決勝で負けていたが本番で雪辱して優勝。
報徳は鹿児島商、土浦日大、銚子商、平安、池田とすべて好投手がいたチームが相手(堂園、工藤、土屋、山根、山本)。決勝はイレブン池田、これがいちばん楽な相手だった感じ。
75年春の高知も熊本工、福井商、報徳、東海大相模といずれも厳しい相手だった。 >>270
滋賀県民ですが、この件は弁解の余地なし。
この場をお借りして、深くお詫び申し上げます。 歴代最強チームは?という問いは愚問だと思うけど、敢えて決めるなら客観的事実、実績からしか決められない
その意味で神宮、センバツ、選手権、国体と全大会制覇し、公式戦負けなしだった98年の横浜が高校野球史上最強と言うしかないだろう 【中村紀洋 対 萩原誠】
91年大阪大会 準決勝 渋谷 対 大阪桐蔭
https://youtu.be/FhWQqWC0Hkw
(5分前に公開) 43:55 最強チームとか議論するとキリはないけど、甲子園に出場できなかったチームで一番強かったチームはどこなんだろうかとかは結構気になる 361:(アウアウカー Sa5b-cU6q)01/27(水)21:21ID:cuVy0xrka(1)AAS
こんな高校生の糞枠のことでいい年した奴らが必死になってて笑えるなこのバカスレ。
10何連投している暇人もチラホラ。沖縄の無職じいさんのことをとやかく言えないほどのバカだな。
せいぜい発表までシコシコやってろや。 >>267
甲子園は西日本の人たちが育てた大会だったから仕方ない。
大正時代ぐらいから近畿と言うか大阪には中四国出身の人が多かったしね。 釣られてきました・・・
岩倉とか懐かしすぎる。山口、森、宮間、菅沢、内田、こんな感じか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています