50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part21
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>>1
スレ立て、ありがとう。
箕島伝説、山びこ打線池田、荒木大輔、投手王国・高知商、奇跡のPL、ミラクル宇部商などなど、このスレも盛り上げていこう。 昭和57年夏 1回戦 津久見 対 東海大浦安
https://youtu.be/wnadElRssDE
(5分前に公開) 50:19 >>5
前スレが終わりそうだったからどちらに貼ろうか迷ったんたが、こちらにも誰か貼ってくれたのか 1年生エース(背番号二桁でも実質エース含む)で甲子園マウンドに立った選手で知っている限りだと
1960 尾崎行雄 浪商 2回戦敗退
1977 坂本佳一 東邦 準優勝
1978 愛甲 猛 横浜 2回戦敗退
1980 荒木大輔 早実 準優勝
1981 渡辺久信 前橋工 初戦敗退
1983 桑田真澄 PL学園 優勝
1989 中川申也 秋田経法大付 ベスト4
1991 水谷 完 東邦 初戦敗退
2014 藤嶋健人 東邦 2回戦敗退
この中で1年夏だけの出場は坂本と渡辺だけか
東邦は1年生エースが好きだな 【完全版】昭和48年夏1回戦 柳川商 対 作新学院
https://youtu.be/IEVkBGoDXzk
(6日前に公開) 2:03:21 なるほど やはり1年生から甲子園でエース格で投げる投手はプロへ行く確率が高いね
そんな中で東邦の坂本は異質だな いきなり準優勝してアイドル視された後は2度と甲子園へ戻れなかった
その悲劇性も相まって印象深い選手なんだけど、法政大〜日本鋼管の野球人生を終えた後は名古屋の岡谷鋼機で順調にサラリーマン人生を送っているようで何より
甲子園で注目を浴びてその後、人生を狂わせてしまう選手も多い中である意味で実に羨ましい人生だ >>7
戦前の名投手・中京商の吉田正男さんも、現在の高1にあたる中3のときに甲子園初登場。
いきなり優勝投手になり、中4、中5でも優勝し、今も破られない夏の甲子園3連覇を果たしたね。
戦後すぐに夏の甲子園2連覇、3連覇を狙った年はベスト8に終わった小倉中の福島さんも3年連続でエースとして甲子園に出てきたね。 吉田正男さんはプロには行かなかったんだよね
のちに中日新聞専属の野球評論家になっていた
松山商業エースで三沢との決勝を戦った井上明もプロには進まず、朝日新聞記者として野球に携わり続けたな
井上さんみたいな人生も良いよなぁ >>7
1年でいきなり優勝して最後の夏も優勝してドラフト1位で巨人。
さらに巨人でもエース格だった桑田はあらためて見ても別格。 桑田真澄が人気と実力を兼ね備えた別格の存在だとすれば、人気面では高校野球史上最強だったのは荒木大輔だろうね 甲子園のアイドルでは荒木大輔、原辰徳、太田幸司、坂本佳一が四天王かな? 甲子園で1年生エースで準優勝した投手がもう一人いた
静岡商の新浦寿夫 1968選手権で興国に負けて準優勝
もっとも新浦は静岡商の定時制から全日制へ編入していたから年齢的には高校2年だったけど
甲子園決勝で投げた新浦、坂本、荒木、桑田のうち、優勝したのは桑田だけ >>14
忘れられてるけど小澤章一は荒木の次に人気あった
甲子園の星で荒木大輔と表紙で殆ど2人の特集とか凄いな
ホームランて雑誌に亀戸天神にお参り行って
新しい天地での活躍神様まいりとか
その後の人生の結末考えると…
縁起いい神社とそうでない神社とかあるのかな >>7
74年に相模の村中、77年に東邦の坂本、80年に早実の荒木と3年周期で
1年生投手が活躍していたから、83年は前年の全中で秋田城東中で優勝投手に
なった秋田高の太田投手に注目していました。そしたら活躍したのは桑田だった。
72年に中京の1年生金本投手が優勝候補の相模を完封しているようですよ。 1年生投手といったら田中マーと投げ合った京都外大の本田だろ
年々劣化していったけどその後ニュースで度々マー君と投げ合った準優勝投手が…て記事みたよね 1972夏の中京は金本が1回戦の東海大相模(3−0)、
2回戦の足利工(4−0)と連続完封。
しかし準々決勝の高知商戦(2−4)は金本は登板せず。
代わりに投げたのが小山だけど、彼も1年生じゃなかったかな? 『消えた天才』 上田俊治
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%9F%E5%A4%A9%E6%89%8D#cite_note-2
広島県立広島工業高等学校野球部の主戦投手として甲子園に出場し、
同級生の高津臣吾が敵わなかったという上田俊治(放送予定の時点で
は、本番組のネット局である中国放送にスポーツ局長として在職)が出
演予定だったため、中国放送では独自の番組宣伝CMも作成していた。
番組の不祥事で放送中止になったのは残念でした。
消えた理由は何だったんでしょうかね? このスレで取り上げるべき1年生投手といえば、沖縄水産の上原晃と智弁学園の辻本も忘れてはいけない存在だろう。
上原は、甲子園では色々とドラマチックだった。
辻本は、上原以上の素材だという声もあったが、学年が上がるごとに名前を聞かなくなったね。
2人とも卒業後は中日入りしたけど、今一つだった。 県予選レベルで話題になった1年生投手といえば、箕島の尾藤ジュニアもいたね。
嶋田・杉本のドラ1コンビと入れ替わりで入学し、1年生の春から試合で投げていた。
しかし、この尾藤ジュニアが入学して以降、箕島は甲子園になかなか出てこれなくなった。
やっはり監督が息子を特別扱いしたような印象になり、求心力が低下したのかな、と思ったな。
同時期、高嶋監督の智辯和歌山が台頭してきたという事情もあるけどね。 1年生では、1年生甲子園最高球速保持者の帝京 伊藤拓郎かな?
結局1年時がピークになってしまったけど・・・ 1年生のwエース
72夏 中京の金本、小山
75夏 土佐の片田、伊藤 甲子園決勝戦で投げた1年生投手
1968 新浦寿夫 静岡商 準優勝
1977 坂本佳一 東邦高 準優勝
1980 荒木大輔 早稲田実 準優勝
1983 桑田真澄 PL学園 優勝
2005 本田拓人 京都外大西 準優勝 エースではないが、大阪桐蔭の中田翔。いなかったら初戦負けだった。 >>5
千葉県は昭和52年夏から暗黒期に入るが、
その暗黒期の千葉をまさに象徴する試合やったな。
これが数年前に夏の大会を2年連続で全国優勝した千葉の代表かと目を疑った。
そのくらい弱かった。
52年夏は千葉商が東洋大姫路に手も足も出ず初戦敗退。
53年春は剛腕菊地>>4でかなり前評判が高かったがPLに完敗で初戦敗退
54年春は前年の千葉主催の秋関東大会に3校も出場したが選抜に出れず。
54年夏は市立銚子が代表になるが投手が顔面に打球を受けて退場で初戦敗退
55年春は開校2年のスピード出場で八千代松陰が話題になるが、これまた初戦敗退
この頃になると、やはり千葉は習志野か銚子商が出ないと勝てないのかと言われ始める。 習志野は今でも強豪校としてなんとか踏ん張ってるが、銚子商の凋落は意外。
逆なら考えられたけど。
市船はもっと強くなれる要素があると期待していたけど駄目だね。 東海大浦安が甲子園で準優勝したのはつい最近のようだが、もう20年前になるんだな。 >>22
20念くらい昔に広島ローカルの深夜番組で「天才横山アナウンサー」と「有吉」と一緒に
バッティングセンターで社員の上田が投げる企画があった。
上田はもうデブで面影はなかった。 >>24
特別扱いはされてない。
むしろ逆だろ。
2年時だったか忘れたが、決勝で負けた試合も
終盤に息子を交代させて逆転負けした試合があった。
続投させてたら甲子園で親子鷹が見られたのに。 >>22
高校卒業後は明治でも投げてたし、プロに行けなかったのは単なる力不足と認識してたが。
消えた天才の定義には該当しないと思うが、、、 >>22
上田は身体が硬かったな。
明治でも投げていたが球の威力はなかったな。 ・あの上田が大学では城北の古葉より格下は信じられなかったな。
・大阪桐蔭が強いと言うがPLのような「したたかさ」「いやらしさ」は感じない。
PLの怖さは、むしろ松山だの旗手だのの脇役の不気味さにあった。 >>38
入学早々に亜大の主力打者になった北口選手も
PL時代は脇役で不動のレギュラーでなかったとい恐ろしさ 片岡がいたころの同大
@杉浦(橋本高)西詰(滝川二高)
A清水孝(PL)
B松田(PL)
C安本(PL)
D片岡(PL)
E笹岡(PL)
F蔵本(PL)
G夜久(京都西)
H藤原(池田) >>38
格下って野手と投手で比較すんのおかしくねーか? >>32
浜名のシュートボールは画面越しからも凄く視えたな 09年度のサッカー高校選手権で山梨学院大付が優勝した時、日テレがずーと山梨学院と大付をつけない報道にイライラした
他局はしっかり山梨学院大付と報道してるのに
その数年後には大付はなくなったが >>32 なつかしい、職場のテレビで見守っていた。智弁危うしだったが、終盤、山野
の好打などで逆転。山野はプロへいくと思ったけどな、つい昨日の出来事のような
感じだが 石毛のYouTubeチャンネルに出てる森繁和の駒大高以前にいた千葉の高校って科学技術工業か。
今は無いがかつては強豪だったみたいだな。 >>36-37
そうだな。上田は「消えた」という感じはしない。
明治では、3年生まではケガが多く、4年生になってエースになったのはさすがだが、力的にプロは難しかったんじゃないかな。
身体が硬いのは、高校時代から言われていたことで、大学でケガをしたのも身体が硬かったからだと思う。
高校の時も好投手ではあったが、スピードはそれほどでもなかった。
夏の大会後の報知高校野球恒例のスピードランキングでも140キロ出ていなかった。 >>38
広島城北の古葉な。高校時代、古葉監督の息子ということで夏の大会のたびに地元メディアに注目されたが、いつもすぐに負けていたな。
大学は2浪で慶応、赤池や印出と共に2浪トリオとして活躍していた。
高校の時は「親の七光り」のイメージだったが、慶応でレギュラーをはって活躍できたということは、
やはり潜在能力は高かったんだろうな。 >>48
高校時代がピークで、大学時代に伸びなかっただけ、
という感じですかね? >>50
いや、高校時代の実力でもプロは難しかったと思う。 上田が2年の時、広島工は「3人の田中」と背番号10の上田で戦ってた記憶。その中で上田がロングリリーフという形で
台頭してきた記憶だが決勝戦の広陵戦は見る前に「どうせ広陵の大勝だろう・・」と
寝てしまい起きたら広島工の監督インタビューで「??!!」となった。
当時の広島は広商、崇徳、広陵、近大福山、尾道商しか出るイメージがなかったので。 >>52
上田が3年時の広島はなんと言っても尾道商業でしょ。 ・尾道商がダントツの評価だったのは翌1987年だったように記憶してる。捕手の松原の存在が大きかった。
・昭和師匠は森山(福岡大大濠高)の甲子園映像を持ってそうだな。 >>52
崇徳や近大福山が出るイメージもあまり無かったよ。
当時の広島は、ダントツで広島商。その合間に広陵と尾道商が出ていたイメージ。
1985年は、スリークウォーターの速球派・本原と強打線の力で春の中国大会を制し、全国でも戦える戦力とみられていて、
決勝戦では圧倒的に有利だと思われていたね。
そしたら、2年生投手の上田が快投して、負けてしまった。
ちなみに広陵は当時2年生の金本が先発で出ていたけど、あまり目立たなかったね。 >>54
尾道商がダントツだったのは、1986年だよ。
投手もやる四番の木村、背番号1の下手投げ真治、古毛堂、土井ノ内、松原という能力の高い下級生トリオがいて、
秋は県1位で中国大会も制し、甲子園でも九州王者の熊本工業、近畿王者の天理を破ってベスト8.
甲子園で優勝できるチームだったのに、準々決勝では池田に名前負けしてしまった。 >>21
同じ大会で鹿児島商のアンダースロー堂園も1年生
確か初戦で優勝した津久見に逆転サヨナラ負けだったと思う 清原の息子がアメフト辞めて大学から野球やるみたいだな
親父よりデカイんだな弟も慶応に行くみたい
息子2人ともエスカレーターとはいえ一般で慶応て親父と違って学力あるのかな >>57
「人気の定岡、実力の堂園」と言われてたんだよな。 金本の高校時代はたしか名前が違ったと思う。知憲は大学時代からだったような記憶ある。明成?とか
だったような。評判も「今年(1986)の広陵はエース久本と三塁・田岡が牽引 ダークホース」という感じだった。 >>59
鹿児島実の準決勝、センターサヨナラトンネルの時投手は堂園の弟で2年だったなあ。兄貴と同じでアンダーハンド。兄貴は春初戦報徳と3-4、あそこで報徳負けてれば、甲子園で土浦工藤と銚子商土屋の投げ合いが見れたかもしれない。まあ秋の国体決勝では土屋投げなかったが。 >>58
清原ジュニアに限らず、プロ野球選手の息子は慶応とか桐蔭学園とか、大学との繋がりが強い高校行くのが多いね
子供には苦労させたくないからだろうね >>56
中村監督が「尾道商史上NO.1」と言い切ったチームは、甲子園に出れなかった90年のチーム。 >>60
金本は「博成」
田岡は2〜3年と不動のセンター 金本は高3の夏、県大会の初戦敗退だったよな。
あの年の広島では、広島工の上田と尾道商の木村が注目されていて、
この2人ではなく金本や高津がプロ入りし、名球会に入るほどの大選手になるなんて、
当時は夢にも思わなかった。
高津は県予選で盲腸の上田の代わりに投げまくって目立っていたが、金本なんて存在すら知らなかったな。 >>63
1990年の尾道商は、甲子園に出れば、有力校の1つに数えられたろうね。
夏の大会、山陽に負けた時は残念に思ったものだった。
まあ、尾道商が甲子園に出ても、山陽を上回る成績は残せなかった可能性が高いが。 >>58
清原も地頭はいいと思う。
野球の解説とかわかりやすいし。 やんちゃでも頭が良いなと思ったのは牛島。
彼の解説が一番好き。 >>64
通名ってそんなコロコロ変えられるもんなんやね
日本国籍取得したらそうはいかないだろうけど 昭和45年夏の甲子園、北見柏陽ー箕島が上がってる。 >>70
これか
北見柏陽高校(北北海道)vs箕島高校(和歌山)
【S45(1970).8.11 第58回全国高校野球選手権大会 1回戦】
https://youtu.be/YKQwVdEOdGg
(6日前に公開) 1:38:19 >>67
お姉さんは横浜国立大学だったね。きょうだいで勿論、学力の違いはあるけど、頭は良い家系と思う。 というか、清原にお姉さんがいたというのは知らなかった。
弟は、PLから青学、松下電器とアマチュアのエリートコースで野球をしていたのは知っているけど。
運動の能力は、すごく高く、かつ遺伝子伝達能力が高い家系であるのは間違いないだろうね。 【名勝負】昭和62年夏 準々決勝
中京 対 常総学院
https://youtu.be/3pM_4NCcZ08
(25分前に公開) 56:30 >>77
師匠は3回戦とあるが準々決勝に直しておいた >>75
1986年清原が西武の新人の頃、文化放送 ライオンズナイターの試合の無い日の放送で、清原が「体はデカくなったけど、姉は横浜国立大学で頭は全部持っていかれた。」と中川充四郎氏にインタビューを答えてたよ。 まぁ、芸能人や有名スポーツ選手はカネ持っているから子供の教育にもカネかけられる >>72
かなり昔って敗者監督のインタビューも放送してたんや。
それにしても尾藤監督28歳ぐらいと思うが改めてこんな昔から監督やってたんやと思うね。 >>72
北見柏陽の地方大会の失策数24て凄いなw 親の七光りを超えた人〜堺正章 中井貴一 寺尾聡 香川照之(実は東大)浜田の息子 森進一の息子たち
クローン〜マリアンの娘 近鉄バット導入以後の歴代最強チームは
大阪だと1985、1987PL学園2012大阪桐蔭2018大阪桐蔭
和歌山だと1979箕島か2000智弁和歌山
があげられるけど
神奈川てやき 神奈川て野球王国ドカベンのモデルなって
神奈川を制する者は全国を制する言われる割には松坂横浜しか代表的なチームて出てこないな
安定してたの選抜選手権国体全部準優勝の1983Y校しか出てこない前年選抜ベスト4
1980、2006横浜2015相模などどっちか優勝とかはあるけど波がある印象
神奈川はレベル高いてよりもっと地方予選観客はいる県なのではないかな 清原は得意な科目国語じゃなかったか
読者も好きだったような 阿波の金太郎ヤマビコ打線池田が子供人気増やしたけど
荒木大輔がいなくならアイドル投手としてカバーしたのがY校の三浦だった とっくに見た人もいるだろうが
原辰徳(2年)
いきなり3:56〜あたりから
【1975選抜】 豊見城高 対 東海大相模
https://youtu.be/vZmCnVi4AJA
(4年前に公開) 1:44:57 >>90
池田は通好みで子どもファン増やしたのはPL。
三浦の女人気など論外 豊見城の全盛期から今に至るまでずっとそうだけど、沖縄は指導者が転任するたびに勢力図が変わるな。
裁監督の異動により、豊見城が低迷し、沖縄水産が競合化。
比屋根監督がいなくなった興南が弱くなるも、我喜屋監督で復活。
八重山商工、中部商、美里工、糸満、浦添商などコロコロと強くなったり、弱くなったりしている。 神奈川を制するものは全国を制すると言われたのは1970年代前半のことだろ
1970夏優勝 東海大相模
1971夏優勝 桐蔭学園
1973春優勝 横浜 80年代はY校意外は桐蔭が選抜ベスト4だけ
1989年は鈴木尚典で関東最強の前評判なのに星稜にまさかの初戦敗退
1986、1987選抜は出場校なし法政ニや相川横浜も前評判高いのに大敗
90年代は横浜98年意外は出る度に東の横綱に上げられながら早期敗退続き
得に94年のプロ5人もいながら選抜智弁和歌山に大敗したり
92選抜相模が準優勝したくらいで桐蔭も高木大成や由伸いたのに2勝くらいだし
80年代〜90年代の大半は前評判倒れ多数の黒歴史だったんじゃないかな
ラグビーは相模台工とか連覇して強かった今も桐蔭が連覇して強い >>76
何かの番組で桑田、清原ともに第二子で姉と弟がいるって聞いた覚えある なんか、歳のせいでボケてきたのか
エエ歳して誤字が多いな。
推敲もできなくなったのか。 >>70
また、凄い映像が出てきたな。
50代前半のおっさんが赤ちゃんのころだなw >>102
このころまでさかのぼると、白黒写真でしか見たことない「光沢毅投手」の面影が完全に残ってるな。
自分が知った時はかなりなおじさんだったから 滝川13ー10北海見たいな。
一時は12-0からジワジワ北海が追い上げるもルンバが多く追いつく事が出来なんだとFacebookに書き込みがあった。 >>100
桑田は1年生の時、スタンドでお姉さんがお母さんと一緒に応援している姿がよくテレビで映し出されていたね。
後年、桑田が不動産トラブルに見舞われた時、義理の兄のせいだったみたいな報道をみて、
「あのお姉さんの旦那のことか…」と複雑な思いにとらわれた。 >>101
まあ50歳以上なんだから、そこは多めに見ようやw >>108
昭和58年の決勝戦では桑田のお母さんがインタビューされているね(朝日系列)、桑田が女装しとるんか?と思う程似てた。お姉さんは1つ上と植草アナが紹介してるんだか、顔を隠してたので拝見できなかった。 桑田は色々言われるけど、15歳の時から大人の汚い世界と戦ってきたんだよな 常人では考えられない経験を色々しているんだろう
高校進学についても中学校から上宮行きを強硬に勧められ、断ると裏切り者扱いされるなんて >>108
桑田の姉は翌選抜ではがっつり映ってるんだが。
四天王寺でレポーターの娘と奇しくも同じ学校という場面もあった。 >>112
砂川北だったね、田口が先発で投げてた試合だから。 野々垣のチャンネルの帝京の蒲生、吉岡らはスマートだな
蒲生とか笑い取りに来るけど片岡チャンネルのPLのOBらのような下品さがない
これが東京と大阪の違いか 片岡チャンネルの先輩達は、字幕無いと何を言ってんのか分からなかった
話もはしょってポイントしか話さないから内輪にしか分からないし、何で笑ってるのか分からない箇所が数ヶ所あった
ただの飲み会ならそれで良いが、YouTubeで公開するならちゃんと話を整理してしゃべってほしいわ >>111
お姉ちゃんは、桑田が1年生だった1983年夏の甲子園では何回もお母さんと共にスタンドで応援している姿が映され、顔が出てきたよ。
きれいな人だったと思ったけど。
桑田は4月1日生まれなんで、アナウンサーが1、2回戦の頃は「桑田くんは日本で最年少の高校生です」と紹介していたのが面白かった。
まさか池田を倒すとは、思わなかったね。 >>108
漫画ツルモク独身寮に出てくる白鳥沢レイ子みたいやな 思えば1986年春の香川西高の新鞍投手の投法は暗示的だった。
同郷の潮崎と大阪の野茂のその後の出現の暗示。
斎藤新(あらた)の秋田高校はその後、甲子園には出れなかったな。 >>119
香川西ではなく、高松西な。
暗示的というか、内野手だった潮崎は投手転向後、新鞍の投球を真似して横手投げの投手になったらしい。
つまり、直接的に影響を受けている。
野茂のトルネード投法は、たしかに社会に知られるのは新鞍より後だったね。 桑田、愛甲と同じく、
一年生で甲子園のマウンドにたった投手で、
昭和53年夏の金沢高校の金子投手がいますが、この時は捕手も一年生で、「一年生バッテリー」でした。
その2年後にまた代表になって出場したが、金子投手は背番号は「1」だったのかわかりませんが、
四番、野手で出ていたと思います。
・・・投手では故障とか、伸び悩みだったのか? >>117
数年前にこのスレだったか?年配者の多いスレで、桑田真澄は実は昭和43年4月2日以降に生まれ、戸籍上は4月1日にしたという都市伝説があったな、ご両親が1年早く社会に出すためとか…信憑性は無いが
逆にカンニング竹山は3月30日生まれで戸籍上は4月2日にして、小学生入学を意図的に遅らせたと公表してる。 二年生バッテリーならよく聞くが、一年生バッテリーってほとんど聞かないな
そもそも一年生捕手でレギュラーというのが極端に少ない
最近では現中日の福田が一年生の時に涌井とバッテリーで甲子園出たくらいかな うちの親父の弟は3月末に生まれて嫌だから4月1日生まれにしたら、それでも学年が同じだったと笑い話を昔聞いたことがある 随分と前の話題になるが、大阪桐蔭は本当に名勝負とか、伝説の試合とかないよね。桐蔭贔屓のやつが初優勝の時の秋田戦は伝説だ。とか言ってたけど、自分からしたら名勝負10000位にも入んないわ。PLや上宮や浪商の試合に比べたらちゃんちゃらおかしい。勝てばいいってもんじゃないよ。今は強いからなんでも言えるけど、履正社とかに取って代わられるのが今から楽しみだわwハッキリ言って歴代No.1の嫌いな学校。 >>125
2018年選抜準決勝、9回までリードされながら追いつき、延長でサヨナラ勝ちした三重戦は、甲子園の名勝負12000位くらいに入るかもな。
大阪桐蔭と比べたら、PLや上宮、浪商はもちろん、近大付属や北陽だって、もっと多くの名勝負を演じているよな。
北陽の場合、江川や荒木大輔を語る時にも名前が出てきて、引き立て役としても存在感があった。 大阪桐蔭が嫌われるのって、スカウトしまくって強過ぎるからという理由の他にそもそも学校自体が胡散臭いからじゃないかな
学校名からして大阪桐蔭なんてどこかのパクリみたいだし、勉強もスポーツもカネにモノを言わせて拡大してきた成金趣味的な感じがするからな >>124
俺の住むとある市で有名だったのが双子じゃないのに同級生
つまり4月生まれと翌年3月生まれってこと
性別が違うのが救いだが親はもう少し考えろと >>123
76年夏、小松の女房役だった沖野が一年生だったな。 『打倒PLに燃える!元PL鶴岡監督』中本 浩(産大高)vs 江本晃一 小森哲也 苫篠賢治(上宮高)https://youtu.be/PV2zLeG6JzI
あと上宮のキャッチャーは西山 >>127
そうか?
大阪桐蔭って名前、凄い王者感あると思うんだが
俺はこの世代では異質かもしれんが、昔のPLよりも今の大阪桐蔭の方が好きだな
PLは確かに名勝負をたくさん繰り広げたが、その裏には想像を絶する上下関係、イジメ、事故死(殺人)、等々筆舌に絶えない事案が山ほどあった
その点大阪桐蔭はそういう面は皆無だから好感が持てる >>128
性別違いの双子で思い出した。
1994年夏準優勝 樟南の福岡投手が双子の妹がいた。 >>88
1970年の相模、1971年の桐蔭学園で
神奈川勢が二連覇した時に神奈川を
制すれば〜って言われたんでしょう。
70年の相模の優勝は木製バットの時代に
スクイズなしで優勝した型破りの
勝利だったそうな。のちにスクイズを
しない理由を聞かれた原監督が、スクイズを
するよりは犠牲フライを打てるように指導した
方が選手のためになるとNUMBERで語っていた。
んなことを言っているけど、教え子でせがれ以外で
プロで大成した選手はいない気がする。 >>123
一昨年夏に45年ぶりに出場した秋田中央の野呂田が1年生捕手だったね >>131
いや、俺は大阪なら何と言っても浪商だな。また牛島ー香川の時のようなチームが出てきて欲しい。
いっそのこと牛島に監督をやってもらいたい。あと大鉄だな。やはり前田、鍛冶本、川端の時のようなチームがみたい。
大鉄はその前に阪南大高から阪南大大鉄に校名変更しないといかんな。 俺は在阪だけど少し前に力入れ始めた興国に本格復活してほしい
あまり人気ないんだろうけど履正社、桐蔭にはいい加減飽きた
古臭いデザインのユニフォームも味がある YouTubeで長崎県の高校野球の番組を
発見。懐かしい話が多くて面白かった。
コアな内容だったが早く続きを見てみたい。
https://youtu.be/ga2xwouQEPo 興国もいいねぇ。智弁和歌山出身の元プロの喜多監督に期待だな。
あと興国と来れば明星だな。あのMの字がデカいユニを甲子園で見てみたい。 さすが、おっさんスレ。
PL、浪商、北陽、明星、興国、近大付、大鉄。
私学7強の名前が全部出そろったな。 >>133
相模時代の教え子でプロ入りしたのは、辰徳以外では石井昭男、津末、岡部(投手)くらいかな。
杉山、森、佐藤功とかはプロ入りできなかったし。 しかし原貢氏の手腕は凄い。
昭和40年三池工、昭和45年に東海大相模と
短期間で2度も夏の甲子園優勝。
色んな面で優遇されたと思われる相模での優勝はともかく、
田舎の公立工業高校を全国優勝まで登りつめさせたのは
相当指導能力が秀逸だったんだろうね。 三池工業時代の教え子であれば、優勝当初の上田と広島カープの元スカウト部長・苑田さんがプロ入りしているね。
原貢氏が高校野球の指導者としてプロ入りさせた選手の中では、苑田さんはせがれの辰徳に次ぐ有名人だね。 三池時代は優勝投手の上田の一学年下の猿渡氏も日本ハムに入団したかな。猿渡氏が二年の冬に原さんは三池を去ったようだが。 オレ様は明治型ユニの
明星、三国、水戸商が何気に好きだったな。 しかしエエよなぁ…
大会期間中にベンチメンバーが痴漢や強姦で逮捕されても『一生懸命やってきた子達には甲子園の土を踏ませてやりたい』で済むねんから。
『甲子園の土を踏ませてやりたい』んと違ごて、学校側が『甲子園』に連れて行って欲しい(校長は満面の笑みでアルプススタンドでインタビュー受けれて、翌年の受験生はドッ!と増えるし寄付金もたくさん父兄から取れる)から無理やりこじつけとんのが、、、
野球という団体競技で、一人のエラーによって所属するチーム(組織)に、どれだけ影響与えるかを身を以て思い知らせる事をせずに、学校の宣伝と自己満を優先させる姿勢。
また、その上に胡座かいてヤりたい放題(飲酒、喫煙、暴行、恐喝、傷害、強制わいせつ、etc)の野球部員の何処ら辺が「健全なる高校球児」「青春の汗と涙」「清く正しく純真なる若人」なんやろか?
野球部員ならナニやっても見てみぬフリ。
事件が外部に露見したら「一生懸命やってきた子達の夢を…」
学校教育法における中等教育機関としての役割は、一体ナニ?
合宿所で寝泊まりしてる「現役」野球部員が少女売春の元締めで逮捕されて、校長(県高野連の副会長)は「甲子園という目標に向けて頑張ってきた子達の夢を切ってしまう訳にはいかない!」てテレビカメラに向かって暑苦しく語って、翌月に同じ県の野球部員が無銭飲食で捕まったら「体外試合禁止」て…ww
こういう「身内に寛大で他校に厳しい」姿勢の校長(県高野連の副会長)からして。
ナニ?
軽音楽部の部員が少女売春の元締めでパクられたら「ライブやステージに向けて一生懸命やってきた子達を…」てテレビカメラに向かって暑苦しく語ってくれるんか?
野球部員が授業中に大いびきカいとったら「お越したんなよ。野球の練習で疲れとんねんから」っちゅうなら、美術部の部員が美術展に出す絵を仕上げんのに疲れてて授業中に居眠りしとっても同じ事言うてくるるんか? >>141
アマチュアで大成したのは先程不祥事の東海大の立て直しのために監督に就任した井尻暢久氏ぐらいか
高校ではキャプテンで全国制覇、社会人でもキャプテン、監督で日本一とアマチュア球界では最強の経歴 >>149
刑事犯罪を「見てみぬフリ」してアイドル&カリスマ扱いして崇めとる姿勢はキモくないの?
…ww 柴田勲や張本がいた時の法政ニと松坂横浜てどっちが強かったんだ?
柴田勲が菅野の年俸貰いすぎ言ってるな
9連覇しても最高年俸は1800万で上がらなかったらしい日本一なって当たり前
菅野は8億(実際は10億以上?)だろ
まあ菅野はメジャーから複数年で8億以上のオファーあったみたいだけど
あの時地上波で巨人戦全試合放送してて視聴率も凄かったんだろ
今は地上波ないからな柴田勲の気持ちも理解出来る 智弁和歌山出身の西川遥輝はメジャーからオファーなかったのに
ハムで年俸2億4000万だけどポジション的にもタイプも柴田勲に似てるよな
甲子園実績実力タイトル優勝回数知名度人気など全て柴田勲が格上なのに
メジャーからオファーなかった西川遥輝が10倍以上の年俸もらってたら文句もいいたくなるのかもな 北九州市職員の森川洋一部長は「被差別部落民」である。
実家が小倉北区泉台にある。森川一族である。間違いなく部落民。
このことは家族でさえも知らない。 >>151
FA制度開始後で一流選手の年俸がものすごく上がったのは事実 浪商に事件の罪を被せられたー、とか言ってたが。
当時の浪商中島監督?はシベリアの捕虜だった時に知り合った、当時、巨人退団後に東映の監督を務めていた水原に話を持って行ってやった、と聞いてるよ。
暴力事件を起こした奴の道筋を付けてやって被害者ヅラされるとか…。
今となってはアノ人たち特有の出来事としか。
経歴とすると広島松本商業(中退)→浪商(退学)じゃないかな。
松本商業(現瀬戸内高校)でも何かやったのかも、と穿ってしまう。 >>157
中島監督は、その事件の時は辞めていて、当時の監督は竹内氏。
張本は、竹内監督と折り合いが悪かったとされるね。
ちなみに浪商は、卒業しているはず。
張本自身は、高校を中退して東映入りしようとしたらしいけど、
タクシー運転手をやりながら、苦労して張本を高校に通わせたお兄さんが、
「絶対に高校だけは卒業してくれ」と言っていて、張本は兄に絶対服従だったため、これに従ったらしい。 合宿所で1年生の女生徒を(学費も活動費も一般生徒の父兄から徴収した寄付金で賄われてる)野球部員複数で輪姦して、件の女生徒はPTSD.発症して中退。
野球部は存続。
女生徒の父兄と示談が成立したから。
示談金の原資は、(件の女生徒も含めた)一般生徒から徴収した寄付金…
要は、一般生徒は野球部員の学費も活動も負担させられた上に、野球部員の乱暴狼藉の的になって、女生徒は貞操差し出す義務がある訳きゃ…
ホンマ、
健全なる高校球児
青春の汗と涙
清く正しく純真なる若人の姿やねぇ…
┐( ˘_˘)┌
越境入学やら野球留学で、ベンチメンバーに県内出身の選手は0。
ホンマ、
郷土の誇り。
地元代表。
やねぇ…
┐(´(エ)`)┌
帰省中にはチューハイで乾杯してバイク窃盗して、その『武勇伝』をブログで公然とバラ巻いて、学校側は見てみぬフリして甲子園に出さして貰えんねんから。
そりゃ『立派』な子が育つわなぁ…ww >>128
双子じゃないのに同級生ならウチはF山姉妹、F島姉妹と二組いたな。 >>142
辰徳のプロ入りのあとに相模に復帰したが、このときは甲子園出場はできなかったな。
以前に比べると情熱が失せてしまっていたようにみえた。
なので、貢氏の甲子園での最後の試合はあの小山戦ということになる。 >>125
確かにあれだけ優勝しているのに、
伝説や名勝負がないね。
そう言った意味では、甲子園で優勝はないが、
星稜は凄いわ。時に凄い試合や伝説を作る。
星稜vs箕島、星稜vs明徳義塾、星稜vs小松大谷 星稜は近年の済美、智弁和歌山戦も名勝負なんだけどね
タイブレークという人の手が入った感があるけど
まぁ記憶に残る試合してくれる学校だわな 名勝負をやるといえば、やはり明徳だろう。
甲子園初登場の1982年春、いきなり箕島相手に、延長で2度リードしながら逆転サヨナラ負けし、「箕島伝説」の一試合に名を連ねた。
翌1983年春も準決勝で王者池田相手に8回までリードを奪い、スタンドをざわめかせた。
さらに翌1984年、春は大船渡、夏は新潟南と雪国勢相手に好ゲームの末にいずれも金星を献上。
甲子園に出てきたばかりの頃からずっと印象に残るゲームをやってきた。
松井5敬遠の星稜戦とか0−6から逆転された横浜戦とか、マニアでなくても知っている名勝負は氷山の一角だからね。
売春スキャンダルでの選抜推薦取り消し、夏の大会の組み合わせ抽選後の出場辞退など、場外でも話題豊富。
1980年代以降の甲子園、明徳がいなければ今とはずいぶん歴史が変わっていたと思う。 >>167
星稜戦の松井5敬遠は当初は恐ろしく非難されたけど、松井が後日プロや大リーグで活躍し、やむを得ない手段だったと必ずしも非難ばかりではなくなっている
4半世紀の時を隔てて未だに語られる試合だよ、あれは >>166
智弁和歌山戦はサヨナラホームランだから、たとえ従来の延長戦でもソロホームランでサヨナラだったから価値があったね 大阪桐蔭は智弁和歌山や明徳の監督に選手取りすぎだやりすぎだ言われてたな
相模の監督もあれだけ全国から集めて関東まで来るな言われてたな
智弁和歌山も地元中心で1学年10人体制なんだろ
何年に一度とかで選手集めした学校はあったけど
大阪桐蔭みたいに毎年やると批判もしたくなるわな
今中とか野球部OB寄付金の依頼が頻繁らしいな
御礼も返事もなにもないと思ったらまた寄付金の依頼来るとか記事みかけたような 金満進学校てのはOBも金持ちが多い可能性高いから
その寄付金で優秀生徒集めてずっと維持するてやり方なのかね やはり名試合、名勝負を演じたチームはみな監督も名監督だよな。 毎年乱取りしてる大阪桐蔭で「今年は谷間の世代」とか言われても何言ってんだ?ってなる >>172
箕島尾藤、広島商迫田、横浜渡辺、PL中村、鶴岡。智辯高島、三池工原、銚子商齋藤。あと北陽松岡、星稜山下は良い勝負で負けた記憶しかない。桐蔭と上記の全盛期の高校と戦わせてみたい。案外コロっと負けるかもしれない。接戦に弱そう。 2000年代以降、高校野球界の王者的な立場にいるチームは、相手チームを圧倒するばかりで、
かつての箕島やPL、池田、横浜のように「苦戦しながら、最後にうっちゃる」みたいな勝ち方ができなくなったな。
大阪桐蔭はその最たるもの。
かろうじて、3連覇を目指した頃の駒大苫小牧がそういう試合をたまにできるチームだった。 大阪桐蔭は平田・中田の頃は粗削りだけどロマンのある大型チームを作っていたが、近年は負けない野球に徹しているイメージ
結果的に取りこぼしが減って優勝も増えたが、副作用としてチームの魅力は低下したな
変にまとまってしまっているというか、淡々としているというか 田中マーてハンカチに負けて引き立て役になったのいまだに引きずってトラウマだよな
1982年だとハンカチが荒木大輔で田中マーが畠山かな勝敗は違うけど
智弁和歌山横浜大阪桐蔭が箕島PL明徳で
田中マーは旬のアイドルに夢中なったりヤンキースとかブランドに拘ったりコンプレックスあるのかな
ももクロ?とのあのCDのコラボは違和感あるよな無理があるというか 栗山監督、 「ハンカチ王子」をヤクルトにトレードしてくれ。
神宮球場に帰ったら昔を思い出し、覚醒するか も。 蔦文也
3年生はほんまに3年間、本当にご苦労でございました。
甲子園に出た者も控えになった者も、昭和62年の甲子園に出た者は、最後まで友情を持ち続けるようにせなあかん。
また特に先生良く言うておくが、野球で必ずレギュラーになったエリートが必ずしも人生のエリートにはなるとは思わん。野球の控えは人生の控えではないと言う事を先生も良く言いよることじゃ ハンカチ王子、阪神にトレードに出したら面白いな。
甲子園で投げるハンカチ王子、興行的には間違いなく当たるだろう。 >>176
たまにというかかなりあったでしょ
2004年の済美戦
2005年の鳴門工業戦
2006年の青森山田戦、東洋大姫路戦
毎年伝説を作った
駒大苫小牧はこの3年間しか夏の勝利がないのも伝説に拍車をかけているような気がする
瞬間最大風速の強さなら駒大苫小牧が歴代一位だろう 田中将大が2年秋の神宮大会で早実相手に投げた試合を
実際に神宮で見たけど、何でこんなに曲がるんだと
思うほどかなりエグかった。
こんなの高校生が打てるわけないわと思った。
選抜に出てればなぁ 小澤章一選手が亡くなった年にハンカチ早実が優勝するとは縁があったな >>167
84年の大船渡戦、あれ結果論だけど金星と言えないと思う。大船渡のが明らかに強かったと思うがな。 >>170
智弁和歌山も明徳の監督も西谷を可愛がってるからダメじゃん
ちなみに、直近のスタメンは
智弁和歌山(対市和歌戦)大阪3人、奈良3人、和歌山2人、鳥取1人
明徳義塾(聖カタリナ戦)大阪2人、愛媛2人、佐賀1人、福岡1人、岡山1人、滋賀1人、明徳中1人
みたいYO!
たいして変わんないね 爆笑 ちなみに
聖カタリナ・・・大阪3人、愛媛6人
市和歌山・・・公立なのに…大阪4人もいるのは驚き >>187
市立和歌山は大阪南部からなら通学圏内だから昔から大阪出身いるよ
ヤクルトの川端も貝塚から通ってた メジャーリーグ歴代2位、755本塁打のハンク・アーロン氏が亡くなった、86歳。
https://www.yomiuri.co.jp/sports/mlb/20210123-OYT1T50103/
1978年夏の中京の主砲・栗岡が別名アーロンっていわれてたのをかすかに
覚えてるが、由来は何だったっけか?
風貌はそんなに似てなかったような気がするけど、浅黒かったから? 瀬田工の西崎、上宮太子の亀井、金光大阪の吉井。
みんな甲子園の初戦で明徳にめった打ちされて破れ、その後成長した。 >>74 >>76
清原が逮捕されてどん底に落ちても生活費に困っていなかったのは、
プロ入り時の契約金は親が全額貯金して(一銭も手を付けずに)
若い頃の給料も親が管理してかなりの額を貯金に回していて、
岸和田の実家には「清原和博」名義の数億円の預金があったからって話しを聞いて
すごい優秀な家系だなと感心した。 >>147
日本生命の支社長(支店長ではない)を長く務めたから、ビジネスマンとしても超一流。 >>167
まあ、最近は長く続ける名物監督がいなくなっている中で、
馬淵監督はよくやっていると思うが、
ただ、50歳以上のおっさんにとっては、明徳義塾ではなく明徳で、
監督は松田さんなんだよな。
明徳では1回だけの甲子園だったが、強烈な印象を残した。 >>193
昭和59年選抜 2回戦
佐世保実 対 明徳義塾
https://youtu.be/KeEfz1PPGKo
(3分前に公開) 44:13 >>185
84センバツの明徳は打線全体が極度の不振だったな。 >>194
1984選抜か
いきなり見たら桜がつぼみまくってるな
厳しい冬明けた時の選抜だな
ひとしおに待ち遠しく感じた選抜だったろう >>190
瀬田工西崎は高校時代腰痛に悩まされてて、
選抜時も背番号10。
腰痛が癒えた愛知工業大学時代に潜在能力
が開花して、球速アップ、大学選手権での
奪三振記録などを樹立している。
明徳戦も先発は背番号1のエ−ス渡辺投手。
ご本人さんの中で、明徳戦がその後の野球
人生の糧になっているとは考え難い。 >>183
同感。
同年センバツで優勝したあの伝説の
横浜打線 対 マ−君の試合を決勝
で観てみたかった。 >>195
逆に夏は打線が好調だったが、センバツで好投したエース山本1号が投げられず、山本2号が頑張ったものの勝負どころで新潟南林にホームランを打たれて敗戦、かみ合わなかった 明徳義塾命!のブログ
「私が選ぶ隠れた好試合(センバツ編)」の第3弾です。
前回の予告どおり、
昭和59年準々決勝の大船渡vs明徳義塾を紹介します。
今回はこの試合にとどまらず、その後の初期の明徳にも触れようと思います。
まず、この年の注目は前年の池田からKKコンビのPL学園に変わりました。
まだ粗さというか脆さもあった池田に比べて投攻守に隙がなくスケールのある
PL学園は「やまびこ打線」の池田より牙城が高いと思われました。
私はKKコンビと同学年だったので、尊敬のまなざしというよりは、
「どこか倒してくれねぇかなー。」というのが偽ざる心境でした。
対抗馬として、取手二と初めて四国大会を制した我が明徳が挙げられました。
しかし、いくら熱烈な明徳ファンの私でもこの評価の高さには気恥ずかしいものがありました。
明治神宮大会を制している岩倉の方が上だろうと。
たしかに、前年、あの池田をあと一歩まで追い込んだ立役者のエースの山本賢が健在どころか成長しているという武器はありましたが、打線が過去2年と比較して著しく迫力に欠けるのが不安でした。
https://gamp.ameblo.jp/white1991stone/entry-10477044485.html >>190
吉井でなくて吉見ね。
亀井は中大で野手転向したから。 >>193
名監督と言われる監督が長く続けると逆につまらないと感じる 1984年のプロ4人排出(江本 西山 小森 苫篠)の上宮高の2年生4番の関井って知らなかったな。
どこへ進学したんだろ? >>203
プロに4人(黒田、山崎、応武、小川)指名された崇徳も、四番を打っていたのは永田という選手だったね。
その後、どうなったのか気になる。 >>199
新潟南と明徳は対戦前、同じグラウンドで練習する機会があり、新潟南は明徳から「早く出ていけ」みたいな失礼な扱いをうけ、
試合では、「絶対勝つ」と燃えていた、みたいな話があったな。
明徳はこの頃からすでにヒールだった。 >>191
まぁ本人はあんなんだが、お父さんは真面目そうな人だし、清原がプロで活躍してても自分は自分ということで自身の電器店はきちんとやってたそうだね 地元高校へ進んだた選手と、野球留学した選手が甲子園で再会して
対戦を楽しむというのが美談になってるけど、
昭和時代の甲子園は、
「地元を捨ててよそへ行ったヤツらに負けてたまるか!」とう意地と、
「知らない土地で苦労したのに地元でのほほんと過ごしたヤツらに負けてたかるか!」
という意地のぶつかり合いで殺伐としていた。 >>207
i田舎の年配の人は圧倒的に前者だろうね。
「あの選手は○○商店街の電器屋の次男だ」
とか、同じ学区の中学校出身とかなら
親近感があるし。 大阪桐蔭の強さの要因はきわだった守備力の高さだ。それも元から守備力のともなった
中学生を集めるという考えで、すこし守備力に眼をつぶってでも打撃力重視で打線をくむ
他校より優位を保てる。西谷さんは毎年強チームを甲子園に送り込んだが決勝進出には
多少時間を要した。比較的地味な08年のチームが頂点をきわめた >>209
まぁ08年も前年と比べたら地味は地味だったが打力はあったね
何にしても守備は大事
07年優勝の佐賀北も満塁ホームランばかりクローズアップされるが、守備は非常に固くてあの決勝も何度も好守で踏みとどまってた >>203
関井は日体大からJR東海でプレーしました。 桐生高校の昭和53年春のふるさと紹介の動画で、
部員数が1年生6人、2年生が9人の15人で、
これでも例年より多いと紹介されていてびっくりした。
この当時はまだ、子どもの数も多かったし、その時代でこれだけ部員数が少ないとは。
当時は桐生高校と言えば、群馬の野球少年の憧れだったと思うが。
何があったのだろうか。進学校なので桐生で野球をやりたくても入れなかったのだろうか。
その隙をついて前橋工業が出てきた感じか。
工業高校なので入るのにそれほど学力もいらなかっただろうし。 桐生の時代が終わり、前橋工業の時代になり、
今やその前橋工業も健大高崎、前橋育英、桐生第一の私学3強に押され、
全く名前を聞かなくなってしまった。寂しい限りや。 >>212
桐生全盛期は夜間部の生徒が主力だったと聞いたことがある
昭和53年は全盛期の監督が辞めて10年以上たっているから、普通の進学校に戻っていたんだろう 前橋工業は昭49年に初めて名前聞いた。
準々決勝で静岡商・高橋三千丈に2安打に抑えられたが、
向田の一世一代の快投で1-0で完封勝利。
自分としては静岡商・高橋の速球が
銚子商打線とどれくらいやれるか見てみたかった。
タイプ的に高橋より向田の方が銚子には通用するかなと思ってたけど
さすがにあの年の銚子商は強かったね。 >>212
ごたごたで大量退部があったみたいだね
それがなければもっと打てるチームだったって >>212
桐生高校のOBによればこういう事情だったらしい。
元々稲川監督に反感を持っていた教員が多く、稲川監督退任を機に野球部強化を学校が辞めた。
それでも1年くらいはOBや後援者の努力でなんとかなっていたがそこまでだったそうだ。
「学校の力なんてそんなにあるのか?」と、当時思ったが銚子商斎藤監督も昭和50年代に入って
アンチ野球部の若手教員の発言力が強くなり学校が強化を辞めたあたりからじり貧になっていった。
学校の方針っていうのは俺の想像以上にでかいと思った。 ちなみに公立の進学校の部員数なんて70年代でもそんなもんだよ。
千葉でいえば木更津高校がだいたい当時の桐生くらいの進学実績だったが、そこの1974秋
時点での部員数は11人。うち2人は野球経験のない選手だったので実質9人だけのチームだったそうだ。
そのチームが秋大会で篠塚、前嶋の残っている全国制覇直後の銚子商に勝のだから野球は面白い。 ナベ久が木暮に憧れ桐生に行きたかったが頭が足りなくて前工行ったのは有名な話
70,80年代は東大が江川打ち崩したり、4位になったり
慶応、早稲田も浪人、一般入試組がスタメンはったり
進学校でも普通に甲子園で強豪とタメ張ったりで今より文武両道確立してたな 昭和60年選抜 1回戦
横浜 対 倉敷商
https://youtu.be/fuGvWPDfZYY
(1分前に公開) 53:48 公立と言っても県立と市立じゃだいぶ違うけどね。
市立船橋なんか市長が変わると野球部はじめ運動部が突如として強くなったりする。各部にいろんなところから県外人が来てたり。
だから、地元千葉では人気は無いね。 >>209
好敵手、履正社の存在も見逃せない。
両校試合前の整列時、本当ならあの選手はこっちのユニを着ててこの選手はあっちのユニを着てたはず、、、そんな選手がゴロゴロいる年があるみたいだからな。
だから毎年警戒している存在。
西谷さんの口癖は春夏連覇した2018年ですら、
「今年は履正社さんより上?そんな事はない。向こうもメンバーは揃っている。履正社さんが弱いはずがない…」 >>219
その木暮も早稲田を落ちて一浪しているから、頭がよくても高校で野球に打ち込むと入試ではきついかな 同僚の阿久沢は家庭の事情で浪人できないから現役一般入試で群馬大、県内のライバルだった前橋の松本稔は現役で筑波大に合格。 >>223
補足すると、当時の早稲田は所沢体育大学と言われる今の早稲田とは別物 >>219
いまは糸目もつけずに強化を図る。野球だけやらせる。学生野球であることを忘れている。 >>196
明徳以外の31チームが厳冬で雪の影響を受けたって雑誌か新聞に書いてあった覚えがある 桐生の稲川監督は有望な中学生には定時制に入れて自宅野球部寮で生活。
働くわけでもなく、朝から授業が始まる夕方まで野球漬け。
優秀な生徒が集う天下の桐生高校だから、当然OBから反感買うわな。
少数はいたと思われる定時制の勤労学生だって「ふざけるな」と思ったことだろう。
周囲の学校関係者は冷めていたことは容易に推測できる。
当の稲川監督自体が嫁の実家に頼りっきりで、就労経験が無かったと言うから呆れる。 稲川監督は1967年4月15日、伊勢崎市民球場での公式戦最中に突然倒れ入院。3日後の4月18日にユニフォーム姿のまま死去。享年61
爆笑問題の田中とある程度被ってるかもしれん
今のデブ監督とか何十年か後のスレでいろいろ言われるんだろなw >>229
その話で、花咲徳栄の稲垣監督、学法石川の柳沢監督、早実和田監督の名前が頭に浮かんだ。
しかし俺が思っていたよりずっと若かったんだな、稲川監督は。合掌。 >>217
学校が力を入れている割にいまいち強くなれない学校とか、
実力あっても甲子園に一歩届かない学校とかもあるよね。 >>212
2007年頃に解消されたけど群馬の普通校は学区性があって全県から有力球児を
集められず普通科高校の強豪が育たなかった。逆に実業校は学区性がないから前橋工
みたいに全県や隣県の栃木から優秀な球児を集められて一時代を築けられた。佐田建設
の支援がなくなったり、大学進学が普通になって実業校は進学面で不利になって弱体化
したけど。栃木なんか小山や宇都宮南とか普通科の強豪校があったけど、学区性がない
のか?
沖縄の豊見城も学区性が始まって優秀な球児が集められなくなって裁監督がそれを
嫌がって学区制の制限がない沖水に移ったんでは。色んな面で普通校にとって学区制
は本当にきつい。最近、学区性がなくなって復活傾向にあるけど、東京の日比谷高校
も一時期、東大合格数が200人以上で日本一の進学校と言われたけど学区性ができて
東大合格者数が数人にまで落ちた事例がある。 今の強豪高校野球部の監督はたいていが教員だが、かつては非教員が多くて、普段はどんな仕事をしているのかわからない人もいたな。
尾藤さんに上甲さん、木内さんも用務員の給料だけでは生活できなかったはず。
横浜の渡辺さんも当初は教員ではなかったし、広島商は代々非教員の監督ばかりだった。
元プロが監督をするようになり、再び非教員の監督が増える流れになるかもね。
21世紀枠で選抜の可能性がある矢上の山本翔監督も自治体の職員だしね。 >>234
どういう生活してるんだろという監督さんばかりだったね
奥さんが働いてたんだろうけど、旦那は年中野球で家を空けてばかりだし、かと言って稼ぎは無いしで大変だっただろう
かつての名監督さん達は奥さんには頭上がらないだろうね 熊工は後援会が監督に給与支給。
月額30万円らしい。 イチローほどの資産があれば、生活を気にする必要は無く監督業ができるだろうけどな。
監督としての報酬は、平均的にどんなもんだろうか? 張本勲とかてサンデーモーニング以外の日は何してるんだ?
プロ野球は地上波なくなって解説者とかも需要なくなってるだろ
デーブ大久保は新橋に肉蔵デーブて店あるけど
かなりカレーとか定食高そうだけど上手いのか?
元巨人条辺のうどん屋は上手かったな
うどんだけでなく天ぷらも意外な程上手かった >>238
秀岳館の鍛冶社監督が600万でボーナス70万とか
3000万以上や1800万のオファーあったけど断って年収70万の公立に行ったみたいだな
秀岳館の監督は高すぎるとかでクビなった記事は再三あった記憶だけはあるな
2018年のスポーツ報知の記事だけど *渡辺久信は中学時代、ノーヒットノーランを10試合くらい達成し渡辺を欲しがった桐生高が家庭教師を
よこして渡辺を桐生に入れようとしたと聞いた。
*相川(横浜高)の甲子園動画をみた。記憶の中の相川は鈴木孝政(中日)のようなカクカクしたフォームだったが
少し記憶とは違った。今見るとワル顔というよりモミアゲが長い老け顔といった風情だ。同級の根岸(川越工)と似た投手と感じた。
この2年後の高井、夏井、高橋建の横浜も最強だったと聞く。 >>233
和歌山の桐蔭は元々県内トップ公立だったが、学区制がなくなって勉強面で優秀な生徒が桐蔭を目指した結果、
さらに偏差値アップして野球部員の確保に苦労するようになった。
入部希望者は少なくないんだが、ゲタを履かすこともないのであきらめて他校へ進路変更する。
学区制撤廃後にいったんは弱体化したけど、なんとか盛り返した。 昭和52年夏 準決勝
東洋大姫路 対 今治西
https://youtu.be/t0HD4Kz8poY
(3時間前に公開) 44:13 半価値マー君が今年見られる可能性が高まりましたね
ただダルビッシュ翔投手を超える日本人選手が表れないのは寂しい限りです
佐々木朗希投手や奥川投手鈴木誠也や村上選手に期待ですね 個人的には春夏連覇甲子園史上最強投手藤浪晋太郎選手がメジャーに行けなかった事が悔やまれます
箕島の石井投手や池田の畠山水野投手が今現役ならメジャーでどれ程通用したのか見てみたかったですね 石井、畠山、水野がメジャーで通用するわけねーじゃん >>245
藤浪はまだ26歳だから、メジャーに行けなかったと決まったわけじゃない。 佐々木朗希くんは、プロ入ってからのピッチングは見れてないが、高校の時の足を高く上げるピッチングフォームは威圧感あってカッコ良かったね
ただまだ細い
しっかり練習してプロで一年間戦える体になってほしい 高校野球史上最強チームはどこか?
1985年PLか2012年大阪桐蔭で意見は2分すると思われます
大阪桐蔭は夏は藤浪は絶好調だと敗けるどころか点を取られるイメージわかない程隙がなかったように感じました
PLでも3点とるのがやっとでしょう逆に桑田は完封が少なく被安打やや多めなので
森知哉を中心とした大阪桐蔭打線なら最低3点は取ると予想出来ます
やっと3点のPL最低3点は取る大阪桐蔭で勝敗は明白だと思われます
時代は違いますが光星学院は中山高知商より遥かに打力は上投手力層もやや上であるような気がします 異なる時代のチームを比較して最強チームは?なんて下らないことはやめた方が良い >>250
85年の桑田が被安打が多くわりと失点してたのは、得意の落差の大きなカーブをあまり投げずストレートばかり投げてたから。
84年の時のようにカーブも普通に投げたら、制球力は抜群だから現代の高校生でも攻略は難しいと思う。 >>250
あまり取り上げられることはないが、藤浪は準決勝決勝が完封で準々決勝が1失点完投
この記録は74回の森尾以来だったと思うが、もし準々決勝の天理戦の最後に被弾しなかったらラスト3試合全て完封という偉業を達成していたわけだが、そうなると誰以来の記録だったんだろう やはり全試合完封した昭和23年の福島一雄さん(小倉)以来ではないかな。
準々決勝から無失点だった投手は昭和35年の柴田(法政ニ)、昭和37年の加藤(作新)、昭和49年の土屋(銚子商)らがいるが、いずれも最低一試合は継投しているから完封ではなかった。 丸山は準々決勝で失点あり。ところで、帝京吉岡の時は控え投げましたか?確か3試合無失点だったと思うけど。 >>256
3回戦で2イニング準々決勝で3イニング池場投手が投げてますよ
吉岡投手は2回戦完封(9イニング)3回戦7イニング1失点準々決勝6イニング無失点
準決勝完封(9イニング)決勝完封(10イニング)
予選では吉岡投手は謎の不調で決勝でもノックアウトされたり池場投手の方がイニング投げてたような記憶があります 吉岡世代の帝京は、歴代の甲子園優勝校の中でも最高にクジ運が良かったからな。
2回戦からの登場で初戦は米子東、3回戦は桜が丘、準々決勝は海星、準決勝は秋田経大付。
そりゃ、ほとんど手を取られないよ。
決勝の仙台育英は強豪だったが、仙台育英のほうは1回戦からの登場で、強豪とばかり対戦しており、決勝では疲労困憊だった。
エース大越は、決勝は9回まで帝京を無得点に抑えたが、実はマウンドで意識朦朧としている感じだったと振り返っている。 >>250 >>252
1985年PLと2012年大阪桐蔭を比較するなら、桑田と藤浪を比較するだけでなく、2番手投手も比較したほうがいいな。
PLで桑田の控えだった小林も良い投手だったと言われていたが、甲子園ではほとんど投げていない。
藤浪の控えだった沢田は、甲子園でも好投し、プロでもそこそこやれている投手で、レベルが違うよね。
1回だけの対戦なら、勝負強い1985年PLが勝ちそうだが、日本シリーズのような4勝したほうが勝ち、というルールにすれば、2012年大阪桐蔭が勝つ可能性もある。 2012年てなんか今一盛り上がりに欠けた大会だったな
大阪桐蔭が圧倒的過ぎたのは仕方ないが
他の学校の試合自体接戦、逆転少なかった気がする
桐光学園、松井が三振記録作ったのが逆にレベルの低さ現してるような
同じくPLが圧倒的だった87年だけど他校に有望な選手多かったから盛り上がってた 俺は今でも高校野球最強チ−ム説を語るなら、2006年センバツ覇者の横浜だったと信じて疑わない。
ただ、負けたチ−ムが最強なんてあり得ないって言う輩が必ず出てくるから、それなら俺は最強説、佐賀北に一票! 笑 >>258
それを言ったらおしまいよ(笑)。帝京オタが発狂するぞ。
帝京の対戦相手に比べ、仙台育英は上宮、尽誠など強豪だらけ。しかも一回戦からの登場。決勝は大越は4日連投だった。
くじだから仕方ないが、両校の条件の違いがここまであった顔合わせはおそらく史上最高だろう。
何回か書き込みがあったが、初戦の組み合わせ抽選のときから帝京はついていた。くじをひくのがブービーで、そのとき残っていた相手が上宮と米子東。
上宮をひいていたら初戦の第三試合。吉岡の調整が遅れていたし、対戦していたらおそらく負けていただろう。
それはともかく、あの年は帝京一東邦、帝京一上宮が見たかった。選抜は帝京が初戦敗退して東邦との対戦が実現しなかったし。 1989夏帝京とは反対に、知りうる限り最もクジ運が悪かった甲子園優勝校が2004年済美。
次が1984年春の岩倉。あと、金村の報徳も初戦の盛岡工以外は難敵とばかり当たっていた。 >>263
済美も岩倉も初戦は与し易い相手だったが、2回戦以降が難敵揃いだったな 明日選抜出場校の発表だけど以前は30校制の大半の大会近畿が枠7占めてたんだな
1975年選抜なんて29校で7枠とか他地域から不満出たりなかったのかな
1/4近くが近畿とかいくら地元でも 1982年とか関東3東京2で四国4近畿7とか
あの年平沼と市川市から甲子園出すために千葉県1位の東海大浦安が割食ったりしたよな >>266
1970年代中ごろまでは関東東京合わせて4、四国中国合わせて6近畿6が基本
もちろん近畿7の年、四国4の年、中国5の年もあった
昔は九州を除く西日本偏重が明らか 昭和38年の35回記念大会のときは、出場28校のうち近畿が8校。
東日本勢は北海、大曲農業、宇都宮商業、上尾、早実、日大一、清水商業のわずか7校。束になっても近畿に及ばなかった。 >>264
済美の初戦の相手、土浦湖北は秋の関東王者で、エースはのちにDenaした須田。前評判は高かったよ。9−0という結果にはなったけどね。
岩倉の初戦の相手、近大福山はそんなに前評判は高くなかったけど、2年生エースの岡田が期待されていた。
済美、岩倉共に初戦が一番勝ちやすい相手だったのは確かだけどね。 近畿が7校の頃には、高砂南とか高島とか伊香とか、とんでもなく弱い学校がよく出てきていたね。 >>270
でもそのおかげで小学生なのにいろんな地名覚えられたかもしれない
初めて知った高校の地名を社会の授業中に地図帳で探すの楽しかったしw 選抜の選考について参考とされるのは新チーム結成後の秋の地区大会の成績等になるのは周知のとおりだが、地区大会が始まったのは戦後からなんだよな
じゃあ戦前はどうやって選抜してたのか気になってたんだけど、どうやら直近一年間の成績を参考としてたみたいだね
となると前年度のチーム成績も加味されるわけだから、極端に言ったら前チームが夏の甲子園で優勝して、新チームが県大会初戦敗退でも選抜される可能性もあったわけだ
随分おおらかな時代だったんだなと実感した
しかも東北地方の選出0で愛知だけで4校選出とかめちゃくちゃだし
大昔の曖昧だった横綱の昇進基準みたいだ >>263
70年代でいうと、70年春の箕島と74年春の報徳かな。
箕島は対戦相手が東海大相模、三重、広陵、北陽と4試合すべてが前年秋の地区大会優勝校。相模はこの年の夏の覇者、三重は前年の覇者。広陵は佐伯を擁して候補筆頭だった。北陽は前年秋の近畿決勝で負けていたが本番で雪辱して優勝。
報徳は鹿児島商、土浦日大、銚子商、平安、池田とすべて好投手がいたチームが相手(堂園、工藤、土屋、山根、山本)。決勝はイレブン池田、これがいちばん楽な相手だった感じ。
75年春の高知も熊本工、福井商、報徳、東海大相模といずれも厳しい相手だった。 >>263
70年代でいうと、70年春の箕島と74年春の報徳かな。
箕島は対戦相手が東海大相模、三重、広陵、北陽と4試合すべてが前年秋の地区大会優勝校。相模はこの年の夏の覇者、三重は前年の覇者。広陵は佐伯を擁して候補筆頭だった。北陽は前年秋の近畿決勝で負けていたが本番で雪辱して優勝。
報徳は鹿児島商、土浦日大、銚子商、平安、池田とすべて好投手がいたチームが相手(堂園、工藤、土屋、山根、山本)。決勝はイレブン池田、これがいちばん楽な相手だった感じ。
75年春の高知も熊本工、福井商、報徳、東海大相模といずれも厳しい相手だった。 >>270
滋賀県民ですが、この件は弁解の余地なし。
この場をお借りして、深くお詫び申し上げます。 歴代最強チームは?という問いは愚問だと思うけど、敢えて決めるなら客観的事実、実績からしか決められない
その意味で神宮、センバツ、選手権、国体と全大会制覇し、公式戦負けなしだった98年の横浜が高校野球史上最強と言うしかないだろう 【中村紀洋 対 萩原誠】
91年大阪大会 準決勝 渋谷 対 大阪桐蔭
https://youtu.be/FhWQqWC0Hkw
(5分前に公開) 43:55 最強チームとか議論するとキリはないけど、甲子園に出場できなかったチームで一番強かったチームはどこなんだろうかとかは結構気になる 361:(アウアウカー Sa5b-cU6q)01/27(水)21:21ID:cuVy0xrka(1)AAS
こんな高校生の糞枠のことでいい年した奴らが必死になってて笑えるなこのバカスレ。
10何連投している暇人もチラホラ。沖縄の無職じいさんのことをとやかく言えないほどのバカだな。
せいぜい発表までシコシコやってろや。 >>267
甲子園は西日本の人たちが育てた大会だったから仕方ない。
大正時代ぐらいから近畿と言うか大阪には中四国出身の人が多かったしね。 釣られてきました・・・
岩倉とか懐かしすぎる。山口、森、宮間、菅沢、内田、こんな感じか? そもそも選抜は、中京と東邦みたいな同県の強豪が両方出る大会が欲しいってことから始まったと聞いたことがある 選抜が始まった経緯としては、夏は一発勝負の勝ち抜き戦だから、必ずしも実力のある学校が出場できるわけではない、だから過去一年間の成績を総合的に判断して実力がある学校を選出したうえで大会を開催して優勝校を決定しよう、というものだったとか >>275
高島高校のとき、監督は
「なぜ選ばれたかわからない」みたいなこといってなかったか?
選ばれて困惑した高校だったのかも >>284
高島監督は、報知高校野球の選抜大会前の特集号では、
「うちは32校の中で一番弱い。でも、PLと100回やれば、1回は勝てる自信がある。
その1回が甲子園で起こるかもしれない。それが高校野球なんです」
という、謙虚でありながら前向きな良いコメントをしていた。
結果は残念だったけどね。 >>274
好投手とばかり当たったといえば、やはり2004春の済美もすごい。
5試合中4試合で土浦湖北・須田(Dnea)、東邦・岩田(中日)、明徳・松下(西武)、愛工大名電・丸山(中日)
と、プロ入りした投手のいるチームと対戦している。
唯一プロ入りした投手と対戦しなかったのが準々決勝の東北戦。ダルビッシュがレフトで出場して投げなかった。 2004済美は実力が高かったね
春優勝して夏は惜しくも準優勝だったが、駒大苫小牧とはほんの紙一重だった
春のキャプテン高橋が夏出場出来ていたらと思うと本当に残念 2000年代前半の大会を振り返ると2002、2003、2005はあまりレベルが高くなかった印象がある >>283
発端は高松商と松山商の対戦が観たいというニーズがあったから。センバツが初めて行われた大正末期の頃は
まだ中京も東邦も創立間もない頃で弱かった。 >>283
ちなみに当時四国は夏は1校しか出れなかった。なので朝日の選手権と差別化する内容の大会を毎日が企画した。 >>268
昭和28年はもっと悲惨。関東は早実と銚子商だけ。今と違い東京も関東大会だった。 >>278
夏なら、昭和56の印旛だろうか?なんせ公式戦負けたのは、春選抜決勝PLと夏予選の銚子商だけ。本当に関東に敵無しだったなあ。夏の予選はそれまで大勝ばかりだったから蒲原がムキになって、力でねじ伏せようとして細かい野球が出来ず負けた感じ。まあ舐めプだった事もあろうけど。 >>289
大正時代、愛知の盟主がどこかといえば、愛知一中あたりになるかな?
大正時代は中四国と関西が強くて、愛知自体がいちまいだったね。
大正から昭和の序盤にかけては、関西でも強豪県は兵庫、和歌山、京都の3県で、大阪が強くなったのは戦後になってからだった。
現在のイメージとは色々異なるよね。 >>289
>>290
それは初耳だ
ありがとう
確か選抜は戦前でも記念大会では32校も出したりして、夏より出場校が多い年があった
春も盛り上げようと色々努力してたんだな >>292
「関東に敵無し」だったといえば、全国大会でも無敗だった1998横浜をのぞけば、
江川3年生時の作新学院、1986年の拓大紅陵あたりになるかな。
江川は甲子園で銚子商に負けてしまったけど。 >>278
近年の話になるが、この前片岡のYouTubeで2001年のPLが出場してたらその年優勝の日大三にも負けなかったと清水孝が言ってたな
練習試合でホームラン10本くらい打ったとか 上田 佳範!!【91年選抜 2回戦】
天理 対 松商学園
https://youtu.be/rNZGGtH8NFw
(12時間前に公開) 41:35 2001のPLが凄かったとか言われているけど、出場辞退する夏前の秋春の大阪大会でも優勝出来なかったんだよな
打線が凄いと言っても当時のエース朝井は突出していたわけでもないし
1985や1987のPLと比較したら明らかに弱かったと思うぞ 2001PL学園は戦力はあったけど、勝つために必要なチーム力に欠けていた、というのが個人的な評価
甲子園出場したら日大三にも負けなかったなんて、選手権の大舞台で優勝した学校に失礼だわ というか、「2001年のチームが甲子園に出ていたら、優勝した日大三にも勝っていた」なんて言えてしまう清水孝氏、PLの寮内でのいじめや暴力を何ら反省していないね。 >>300
そりゃ自分が生きてきた世界は肯定するわな。
清水なんて桜井以上にめっちゃ怖い先輩だったのが今でもわかるくらいだし。 2001PLは秋4位、春準優勝だね
ともに大阪桐蔭に敗れてる
この年はPL、大阪桐蔭、関西創価の順で甲子園で見てみたかった
大阪桐蔭も岩田が万全な状態でない等、投手力に難があった
甲子園に出たとしても初戦が選抜優勝の常総学院といきなり難敵だったからそもそも勝てたか疑問だな >>302
上宮太子、注目のスラッガー中村がいた大阪桐蔭を倒して甲子園に出てきて、
初戦で春の王者・常総に対して、なめた言動をして常総ナインを怒らせ、凄絶な大敗を喫した。
ああいうことがなければ、その後も大阪でもっと良い位置にいけたのかもしれないのにね。
大阪の新しい強豪として台頭しつつあったのに、当時は互角以下のポジションにいた大阪桐蔭や履正社に引き離されてしまった。 >>303
一年生のサウスポーがいたね
田村くんだったかな?
大阪桐蔭の打線の方が怖いとか言ってたような
上宮太子は亀井の時の選抜と、この年の出場で、これからかつての上宮みたいにちょこちょこ出るようになるのかなと思ったけど、結局この二回だけだったな
00年代中盤までは大阪桐蔭は上宮太子が鬼門だった
何回か敗れてるはず
00年代の大阪勢は05年に大阪桐蔭が出るまでは低迷してたね
だけど色々な学校が出場して戦国時代だった
00年代はPL、大阪桐蔭、上宮太子、浪速、関西創価、金光大阪、近大付、履正社、大産大付、東海大仰星、大体大浪商、北陽と様々な学校が甲子園に出場した
この中で大阪桐蔭、履正社が抜け出したね 給付金詐欺で逮捕された鶴岡容疑者の父親は1977年のPLが準優勝
と優勝の狭間の年の選手かな。北陽に準決勝で負けている、
北陽000010040 5
PL000010010 2
鶴岡選手は5番二塁手で4打数2安打。7回途中から先発米村のリリーフ
をしている。他に木戸、西田(センター)(2年)が出場。
監督と選手が兄弟だったのか。 >>305
監督と選手が兄弟だったのは81年春出場の北海道日大の折霜兄弟が。
監督が兄、弟がショートで。
監督を務めた兄は就任直前まで大昭和製紙白老で現役選手とまだ若くて。 >>305
PLの鶴岡監督と1977年PLの二塁手・鶴岡選手は、年齢の離れた兄弟なのかな?
であれば、母親は違うのかな、と思ったけど、どうなんだろうか?
そうであれば、PLの鶴岡監督が後年、山本姓に変わったことの説明がつくけど。 >>304
そうだったね。大阪の高校野球界は2000年代の初頭は群雄割拠の状態で、大阪桐蔭と履正社も当時は「強豪校の1つ」に過ぎなかった。
ただ、大阪桐蔭は中田が入学した2005年頃には、全国から有望な中学生が集まる学校として認知されていたね。
そう考えると、2000年代初頭に中村、西岡が相次いでドラフト上位指名でプロ入りした影響が大きかったのかな。
履正社は、山田世代が甲子園初戦で天理を破った2010年夏とベスト4に進出した2011年春が一歩抜け出すターニングポイントになった気がする。 近大附属も一時期は天下を取る勢いだったけど、その後は萎んでしまったな
それでも2008、2018の記念大会では南大阪代表を勝ち取るしぶとさは残っている >>299
西岡も岩田さんが万全なら間違いなく全国制覇したてラジオで言ってたよ
PLもだけど当時の大阪の学校て俺達は特別他県なんて眼中にないみたいな優越意識があったんじゃないのか
平田も甲子園出たいから他県行くヤツはダサい大阪でトップなるのが格好いいとか言ってたし >>300
そのPLの先輩は迷惑かけた自覚が0だけど
全盛期PLの人達て寮生活の暴力や上下関係をネタにしてテレビで自慢げに話てただろ
理不尽に耐えたから社会出たら強い1億もらってもやり直したくないとか
その結果が最高傑作選手ごカクセイ・ザイでしょ
それ以降テレビとかあらゆる方面で桑田以外需要なくなった感じだな まぁ、全盛期のPL学園には魅せられたから、栄光の裏返しである面は外部にはあまり語って欲しくないけどな >>312
外部の人を不愉快にさせる事未だに語るのも問題でしょ迷惑かけといて
話変わるけどマー君クローザー評価提示されたて記事出てるな
肘の靭帯予想以上に悪そうだから即トミー手術かもなハンカチとの対決はないかもな >>306
兄が75年春夏出場のときのキャプテンで4番ショートだったかな 監督のときは23歳か、若いな >>309
近代附属は野村監督が早稲田大に引き抜かれたのがすべてだろう >>307
芸スポがえらく盛り上がってるんですが、
ここに書かれてたのによると、泰さんと秀樹さんは母親がまず違う。
泰さんの母は長女を亡くして間もなく亡くなったって話。 近大附属は近畿大学にも進学出来るし、偏差値も高くて学校としての格は履正社よりも上なんだから学校側が強化に乗り出せば人気出ると思うけどな 近大附属の豊田義夫氏は近大附属、近大福山、近大新宮、近大泉州と系列校の監督をして最後は利根商業だったな >>315
野村監督が近大附を退任したのが88年夏の甲子園出場後、早大監督に就任したのは98年と間が空いてるから引き抜きとは違うかと。
その間はNHKの甲子園の解説者してました。 今は近大が人気で受験者数も多いんだってね。
俺らの頃は東の日大、西の近大、中を取り持つ中京大と言われ
不本意入学の意味で揶揄されたもんだが。 >>317
近大付属が「近大に進学できる」をウリにしても、今は関大北陽とか関大一とか関西学院とか立命館宇治とかあるから、難しいんじゃないかな。
普通、関西の子は近大より関関同立に行きたいでしょう。
大阪桐蔭や広陵に選手が集まるのも、東京六大学に加え、関関同立への進学実績がすごいからだし。 PLが桑田の早稲田進学取りやめによって東京六大学に進学できなくなった以降、
80年代後半から90年代前半にかけて、能力の高い選手が集まったのが近大付属と上宮だったね。
両校共にこの時期は甲子園で優勝しているし、プロへの選手輩出率もPLをしのいでいた。 >>313
知らなかったけど、田中マー君177勝もしてるんだな
今年でまだ33だし、200勝行けるな
250はちょっと厳しいか 今年のセンバツ出場校が決定したが食指が全く動かない それはあるな
特に近年
所詮は選手権の前座
本番はあくまでも夏
あと、21世紀枠とかいう胡散臭いロビー活動枠が出来てからは価値も下がってしまった
当初は微笑ましく楽しめた面もあったが今はもう個人的に受け付けないわ
こんなゴミクズ枠に3つでも多いのに今年は4つだからな
しかも出れば大差負けばっか
その分を他の地区に枠回せって思うわ
まあ今年も流しながら見るとするか
無観客で十分だ
わざわざ見に行く事なんかないしな
シラケ具合半端ない中で開催すればいいんだわ選抜程度の大会なんか
中止でもいいぐらいだ
もう大して興味ねえから もう今は新湊みたいな伏兵中の伏兵の出現も期待できないしなあ
いつものメンツで優勝争いして
どこのシニア出身者が活躍とか話題になっておしまい 選抜は当初は真の実力校を甲子園で戦わせたいという趣旨で始まったのに、21世紀枠とか「頑張ってる学校に夢の甲子園で試合をさせてあげよう」っていうモノだからな
どうも受け入れられない
一般枠をそのままの32で、21世紀枠を2とかなら分かるけど、一般枠削られてるからたまったものではないだろう >>329
選抜は「真の実力校を甲子園で戦わせたい」ということで始まったのは本当だろうけど、
毎日新聞としては、朝日新聞が主催する夏の大会と差別化をはかりたい思いが常にあるよね。
21世紀枠ができたのはそういう事情もあるだろうね。 >>317
練習場が長瀬から近大の生駒グランドに移ってから弱体化した記憶。
放課後に東大阪の長瀬の学校から奈良の生駒まで通うのは厳しそうだな。 >>330
主催者側が出場校を「選抜」するということで、そこには少なからず恣意性がはたらいてしまうから、どんなに工夫を凝らしても各地方大会の勝ち上がり校のみで開催する夏の甲子園には勝てないね
全国制覇と称すことができるのが夏の大会のみということでその差は歴然としている
よく新聞等で、春夏◯回の全国制覇とかいう文言を目にするけど、春は全国制覇とは言わない
春は参加校32校の中での優勝に過ぎない あんたら偉そうにネガるなよ末端の公立にもチャンス与えるないとモチベーション保てないんでないのか
大崎とかいうのは九州大会優勝チームだよ柴田も東北2位
夏は無理でも選抜はて学校もあるんだし
松坂横浜いる時の同級生なんて神奈川の球児入学そうそう夏は無理だから選抜にピークとか合言葉だったらしいし なんだか京都国際てのが決まって騒ぎ出してるけど
校歌とかみたらアッチの学校かな生徒や選手もアッチの国の人達かな よくセンバツは夏の選手権より価値が低いとか、春優勝は全国制覇とは言わないとか能書き垂れてる奴がいるけど、センバツには夏にはない良い雰囲気(長い冬を乗り越えて球春到来の華やかさ)があるし、勝ち進むには夏よりコンディション作りは難しい面もあるから夏とは違う高い価値があると思う 大会としての面白さで言えば、例えば1982は夏よりセンバツの方が面白かったし、実力校が揃っていたと思う PL学園、箕島、明徳、上尾、横浜商など
1989も帝京仙台育英の決勝より東邦上宮の方がドラマチックだったな >>336
まぁ東北地区みたいに、夏に出るより遥かに難易度高い地域もあるから、ある意味夏より価値があるかもしれない
ただ一般的に夏の優勝の方が価値があるのは確かだし、夏の甲子園より春の甲子園の方が好きだというファンはおそらくいないだろう >>337
1986も選抜のほうが面白かったわ 有力校が2回戦と準々でバタバタ倒れて
ああいう大会も10年に1度ぐらいはあってもいい >>337
好みの問題だろうけど、1982年は夏のほうが面白かったな。
池田の山びこ打線が高校野球に打力重視の考えをもたらしたエポックメイキングな大会だった。
5季連続出場となった早実の荒木が大敗して高校野球を終える試合や、
広商が池田に粉砕されて高校野球の歴史が変わることを確信させた試合は今も非常に印象深い。 【小林昭則】昭和60年選抜 1回戦
帝京 対 広島商
https://youtu.be/mgjy3XD9oC4
(3分前に公開) 48:35 自分の好みは脇に置き、客観的事実を言えば、
高校野球ファンの間で一番話題になることが多い選抜は、やはり江川が出た1973年の大会だろうね。 センバツも昔の選手権みたいに、5年に一回の記念大会で
秋の地区大会優勝校が選抜出場 みたいにならないかな。
そして地方大会で好成績を収めた高校が選ばれる・・みたいな。
50校超えてしまうけど、なんとかして運営してもらえたら・・と、思います。
いまのコロナ禍が終息したとき ですが。。。 私は高校野球もオリンピックも大好きでしたが
多分、これから見ることはないと思います。
球児やアスリートは応援したいけど
高野連とIOCが絡んだ大会は見たくありません。 本当に今の高校野球は私学が他地域からスカウトしてきて、勝てば何をやってもいい感じが好きではない。そりゃ選手の努力は認めるけど。地元の公立校とは言わないが、少し選手を地元に根付かせる事も考える時期ではないでしょうか?高野連が動いてもいいと思う。 義務教育でもないのに進学先の高校を本人よりも
硬式野球部だけ見ている人を重視するのはダメでしょ まあ、高校野球なんか駅伝のように
ブラーかー介してアフリカから連れてくるのに比べると可愛いもんだ。 >>343
???
今も地区大会優勝校は出場辞退でもしないかぎり必ず選出されてるのでは? 選抜の価値が下がっているから、相対的に夏の選手権が評価されてる側面があると思う。
夏も昔は酷暑の中、ハードなスケジュールを勝ち上がるタフマンコンテストの要素も
あったから、全国制覇は今以上に評価されていたとは思う。 >>349
最大3回戦から4連投だったからね
ヘロヘロになるわね 3回戦2日目最終試合、翌日準々決勝第一試合。
初戦から6試合エース完投でこのスケジュールで全国制覇した高校あったっけ? >>350
さらに、3回戦第4試合の後翌準々決勝第1試合もあった。
今、こんなスケジュールならTwitterで抗議タグが立つね。
>>344
こういう人見ると、甲子園廃止派も今増えてるのかね。 >>333
九州の公立は大分商、宮崎商、熊本工等、県代表になれて全国でもそこでやれる
大崎は清峰の元コーチが監督
毎年万遍なく代表争いに公立が絡めないのは福岡、鹿児島くらいかな >>353
熊本工のグランドは名門私学並みだな
実質私学といっていい >>351
昔は3回戦を3日に分けてたから、3回戦だけを2日でやるようになったのは82年の64回大会だったからかな?
その後2日目第4試合→準々決勝第一試合となったのはその年の津久見、84年鎮西、88年沖縄水産、91年柳川と優勝校はないね
やはりかなりハードだったのだろう
92年からは3回戦最終試合→準々決勝第1試合にならないようになったから、その後はなし
ちなみに81年の報徳学園は3回戦の最終試合ではないが、最終日に登場し、金村かまそのまま4連投で優勝してるね
金村は地方大会から全試合完投だが
あとは、番外編ということで、94年の佐賀商の峯
彼も6試合完投での優勝
準々決勝第4試合→準決勝第1試合の登板だったが、準々決勝が雨による試合中断があり、試合終了時間が20時半とかだったと思う
ほとんど寝る暇もないまま翌日の登板となったが、延長を制してそのまま頂点へと駆け上がった 今の時代の風潮から言えば、1度負けたら終わりの夏の選手権は批判の的なんだけどな
筒香あたりはこのトーナメント形式が日本の野球をダメにしていると猛烈に批判している >>343
個人的には高校野球人気が一気に高まったのは1973年からだと思う。
もちろん江川絡みで。江川の後、定岡→原→坂本とスターも続いたしね。 >>358
これまでは高校野球へ婦女子を引きつけたきっかけは定岡と原だろうな
特に定岡
相模との延長16回、翌日の試合で負傷退場、チーム敗戦につながるえらーをした選手ね肩を抱いて甲子園を去るシーンは悲劇のヒーローだった >>357
鬼滅の刃の煉獄さんじゃないけど、一度負けたら終わりという儚さが高校野球の美しさだ 70年代から続いたアイドル選手の完成形が1980〜1982の荒木大輔かな 人気度で言えば荒木を超える選手はいないだろ >>357
改革派がダル、筒香と元甲子園球児にも増えてるけど、このスレ住人は保守派(校名変更も否定派が多いし)多くて水と油だろうな >>351
ないね。
一回戦からの登場で全6試合、かつ、三回戦最終試合というのは73年広島商業があるが、佃は全試合完投ではなかった。準々は第2試合だったし。
翌年の銚子商業は、三回戦最終試合→準々第1試合だったが二回戦からの登場、かつ土屋は全試合完投ではなかった。 菅野も東海大相模時代を振り返って、ネガティブな発言していたな
夏の神奈川大会で酷使されて決勝戦は桐光学園に負けたけど、もう勝敗はどうでも良くて早く終わりたいと思って投げてたと センバツ思い出のゲーム
70箕島ー北陽
73作新ー北陽、広商ー作新
75高知ー東海大相模
76崇徳ー鉾田一
77桜美林ー伊香
79PLー宇都宮商、浪商ー高知商、浪商ー川之江、東洋大姫路ー池田、箕島ーPL、箕島ー浪商 >>366
沖縄水産の大野もそう思ってただろうね
あれは悲壮感とかいうよりただ残酷だったが >>341
この試合の帝京ゲストの中村が、芝草と吉岡が面白い名物コーチとして話していたガックンだなw 北海、中京、選出 、そして宮崎商復活うれしいね。歴史的にみれば中京はむしろ
新興勢力なんだ。愛知なら愛知一中(旭丘)、愛知一中出身のお父さんが、息子は
ぜひ旭丘にって家庭が多かった。あとは松山商が復活しないかな、昨年から闘将
大野氏を迎えて期待はしているが 昭和40年代は県大会決勝で負けて、県代表2位で代表決定戦の準決勝から登場して
他県の1位に勝って代表決勝戦にも勝って甲子園に行った高校があったぎりぎりの時代じゃないか? >>371
S34年から県代表を2校出す場合は決勝なしに
なった。 >>367
おれは、奇跡のPLのときから高校野球を見るようになったんだが、
そこに挙げた試合は大体知っている。
でも、1977桜美林-伊香だけは知らないな。有名な試合なの? 1984年の選抜は、
私神港−法政一(開幕戦でいきなり先頭打者ホームラン)
佐賀商−高島(エンタイトル満塁ホームラン)
日大三島−三国丘(エースが利き腕に死球を受けて逆転負け)
PL−都城(サヨナラ落球)
など、痛々しい試合が多くて印象深い大会になった。 >>373
367では無いが失礼
前年夏優勝校の桜美林に箕島の尾藤監督が絶賛していた
剛腕藤高の伊香の対戦
秋の箕島戦と選抜の桜美林戦は共に延長で惜敗 >>375
箕島は藤高からわずか3安打しか打てなかったが、相手エラーと機動力で3点をもぎ取って勝った
秋近畿大会での箕島打線は湿っていたけどね >>372
正確には、昭和34年は二県で一代表を争う地区は県の優勝校同士の対戦だけになった。
しかし県から1代表だけだと地区大会が味気ないという声が多かったため、翌年からは県から二県代表を出すことを認めるがその場合は県の決勝を行わずに無敗で地区大会に進出させること、と条件がつけられるようになった。
でも紀和大会などは最後まで県の優勝校だけの対戦だったな。 >>373
確かナイターになってたと思う。
藤高投手は球が速かったが、小野寺投手もいい球投げていた。 センバツ思い出のゲーム 追加
74報徳−鹿児島商、高知ー横浜
75東海大相模ー倉敷工、東海大相模ー豊見城
76土佐ー豊見城
77中村ー天理
73以前は詳しく覚えてません
75と79は全体的に好ゲームが多かった 選抜の第一試合でテレビが途中からしか中継できなかった試合あったよな?
磐城か滝川の試合だったかな?倉敷工業だったかもしれん。
まだ全試合完全中継ではなかった時代。 >>373
>藤高投手は球が速かったが、
個人的に、星稜の小松、能代工の高松、伊香の藤高が、
「速さ」を最も感じた投手だが、
藤高だけ、当時の甲子園での登板映像が無いね >>380
1974年の選抜で倉敷工は1回戦2回戦でいずれも第1試合
相手は磐城、滝川の順
多分どっちかじゃないか 夏は75からNHKで試合終了まで放送されるようになったが
春は77あたりまで午前中のテレビ中継がなかった気がする 完全中継のきっかけは、やはり鹿実対相模の死闘かな? 俺も鹿実対相模の中継が延長途中で打ち切られたので
早速、ラジオにかじりついたことを思い出す。
延長でリードされた相模が追いついた瞬間、大歓声で音割れが凄くて
解説の声が聞き取れなかったわ。 藤高が全国的に有名になったのは新日鉄広畑時代のドラフトで工藤より1コ上の西武5位で入団拒否したことだね。
根本管理部長下ではかなりのレアケース。 確かに根本親分の誘いを断るなんて、よっぽどだと思う >>379
土佐豊見城YouTubeないかな
豊見城が最終回外野フライ打ち上げて万事休す、が落球して1塁ランナーホームイン同点かと思ったらタッチアウト試合終了だったような
違うかも
ナイター試合と記憶しているが >>388
あってるよ
その試合は赤嶺と玉川が楽しみで甲子園で見ていた >>381
小松曰く
「俺より速いのは伊香の藤高だけ」 習志野全国制覇のエースだった小川は7-0になって「敗北決定」と諦めてテレビを見るのを止めた。
あとで結果を知ってビックリ仰天。そして「さすが俺の後輩」と大喜びした。 >>390
>小松曰く
「俺より速いのは伊香の藤高だけ」
このコメントは、小松が高校時代に発したもの?
それともプロ入り後?
藤高は社会人・プロでは、高校時代程の「速さ」のインパクトは与えられなかったね。
藤高の高校時代の映像が無いので、何とも言えないけど、当時の球速は145kmくらいかな? 77年の選抜は、初日の第三試合に藤高が、翌日の第四試合に小松が登板、いずれもナイターになり敗戦投手になった。
二試合ともテレビで見たが、小松のほうが迫力はあった。立ち上がり四者連続三振。まあこのあと一本調子で自滅したんだが、メチャクチャ速かった。
自分が甲子園で見たなかではこの試合がいちばん速く感じた。
のちに小松の映像は76年夏と77年夏は目にしたことがあるが、この滝川戦は見たことがない。 1977年はまだ幼稚園児で、高校野球を見ていなかった俺は、藤高をまったく知らないね。
この世代は智弁の山口、中村の山沖、福島商の三浦、東洋大姫路の松本など好投手揃いだったイメージだけど。 1974年の東海大相模、1977年の東邦、1980年の早実、1983年のPL。
この頃は、3年ごとにスーパー1年生のいるチームが甲子園に出て大活躍する流れだったね。
東邦は1977年の1年限りだったけど、その他は3年に渡って高校野球の中心にあり続けた。 >>393
高校時代のものらしい
藤高はプロへは行ってない
>>396
過去スレ(1970年代の高校野球を語ろう) センバツの思い出のゲーム
71 近大付−三重 日大三−大鉄
73 作新−北陽 広商−作新 広商−横浜
75 倉敷工−中京 相模−倉敷工
76 日田林工−新居浜商 土佐−豊見城 鉾田一−糸魚川 鉾田一−崇徳
77 熊工−東北 滝川−星稜 天理−中村
78 桐生−豊見城 高松商−浪商 前橋−比叡山 今の時代、1年生投手が決勝戦まで5試合も6試合も先発完投するなんて考えられないよね
荒木大輔は5回出場したけど1年夏が一番良かった
それだけ完成度が高かったんだろう
坂本佳一は何が凄いのか?よく分からなかったけど決勝の東洋大姫路打線も抑え込まれたんだから何か持っていたのだろう 荒木や桑田は中学時代から有名だったけど坂本は中学軟式野球部の補欠だったというから驚き >>398
そう言う類いは、エビデンスにはならないww >>400
高嶋さんが奈良智弁の時、東邦の阪口さんから練習試合の申し込みがあって、その時1年の今日坂本を投げさせるけど
もし抑えられたら夏のエースにすると阪口さんから言われて実際に対戦したら本当に抑えられたと言ってた。
坂本のストレートが手元で微妙に変化するので全然打てなかったと言ってたね。 >>398
>藤高はプロへは行ってない
西武?に指名されて、断ったんだね >>340
ワイも荒木大輔フィーバーにつられてずっとテレビ中継見てた
池田高が初回からガンガン打つ展開が衝撃だった
荒木が途中でマウンド降りたのは爽快だった
次の(西武のエース)石井丈も容赦なくサンドバッグにしてた >>391
習志野ー大社は、経過だけ見ると稀に見る逆転劇だろうけど
8回裏の7点は、浮き足立った大社の投手、内野陣が満塁から四球やビミョーな内野安打などでビッグイニングにしてしまった感じ。
前夏優勝の習志野の名前に大社が意識しすぎたようだが、この春の習志野に強さは感じなかったなあ。
現地もたいして盛り上がってなかったように思う。逆なら判官びいきで盛り上がったろうが。 >>390
>>403
5chのいい加減な書き込みをハナから信じてる雑魚がいる模様(笑) >>406
習志野の失点も初回ツーアウトに下山田のタイムリーエラー後三塁打を打たれて3失点、その後もエラー絡みだったはず 締まらないゲームだった
よくあのチームで2回戦に東洋大姫路に接戦に持ち込めたなあと逆に驚いた センバツの思い出のゲーム
76 東洋−習志野 東洋−智弁
76年春の習志野のエースは珍しい左のアンダースローの鵜野という投手だったね。抑えが2年の右の藤田で。
大社の飯塚は右のカーブ主体のオーバースローだったと記憶している。東洋−習志野は東洋のエース小南が
バントした時右手の人差し指を負傷したけど、それを押して完投したんだよな。最後は押し出しで東洋が勝ったけど
校歌斉唱の時、小南が泣いてたのを覚えている。智弁戦は松本が先発したけど初回にKOされた初戦の県岐商戦と
違って締まった投球内容だった。智弁戦は東洋は初回に弓岡がドラッグバントを決めてすかさず盗塁と智弁の山口を
揺さぶって完全に東洋が主導権を握ったんだよね。 【尾藤2年時】昭和61年夏 和歌山大会
決勝 桐蔭 対 箕島
https://youtu.be/kfwK7zDRmA0
(1時間前に公開) 1:17:00 滋賀県民です。
伊香の藤高投手の話題が出てますので、天国に行った親父から聞いた話を記載します。
当時の高校野球世代では、球速は間違いなく全国ナンバー1。
当時のガンで常時145〜150ぐらいは出ていたので、今のガンなら単純に+5〜10増で9回までアベレージで出している。
甲子園でもほとんど打たれてないのに負けた。
卒業時、誰もがプロ入りすると思っていたが、本人の「プロでやる自信がない」と言う理由で、社会人新日本広畑へ進む。
ノンプロ後の評価は親父からは特に聞かされていないが、とにかく怪物だった事は間違いないらしい。
よく言われたのは、「お前らがセンバツ時の水野や伊良部江口…の名前をよく出すのと同じだが、藤高を見ているのでそんなに驚かん…」
こんな感じだったかな。
俺が想像するに田舎育ちだったのかな?
都会育ちであか抜けた性格だったら、そのままプロに行って活躍していたのでは。
都裕次郎や間柴らと湖国の豪腕ぶりを見てみたかった。
ご本人さん、ここ見てたらすみません。
勝手な事ばかり書いて…… >>407
「いい加減」かどうか何故わかる?
「小松はそんなこと言ってないぞ」というのならその根拠を示せ 藤高は前評判が高過ぎたからな〜
実際見てみたらそうでもない印象だなぁ(-_-;) 1976年の頃は地域による実力差がまだ大きかったから
石川代表と聞いただけで大したこと無いと思ってた。
しかし1回戦の日体荏原を完封した試合は
小松っていうのが速い球投げるぞと
近所の野球好きのオジサンたちの話題になってた。 >>414
小松は2年夏よりも3年センバツの方が一段とスピードアップ! 小松よりも藤高よりもサッシーが一番だと俺は思ってた >>409
智弁は阪本投手が体調不良でどうしようもなかった >>417
北別府は、高校時代は無名だったように言われるが、春の九州大会で完全試合をやっているから、間違いなく有名だったろうね。
今のようにネットがあれば、「高校ビッグ4」とか言われていたかもしれない。 1976年の選手権、3強と言われた「崇徳、柳川商、東海大相模」が序盤でバタバタと倒れた波乱の大会だったように聞いていたが、調べたらそうでもないな。
優勝校の桜美林は、春の関東王者。
準優勝のPLは、春の近畿王者だった大鉄を府大会決勝で下しての甲子園
ベスト4の星稜と海星はそれぞれ春の北信越王者と春の九州準V校。
むしろ、春の成績が良かったチームが妥当に夏も結果を出したと言える。
東海大相模なんて、新チーム結成以来、秋も春も神奈川でさえ勝てていないのに、甲子園で優勝候補になったのは、前年までのイメージに引きずられている感があるね。 >>2
自分にお礼言うなよww
チー牛駒大苫小牧オタww >>418
阪本は初戦で全員奪三振13を奪って完封したが、壊れてしまったんだな
当時はなんて虚弱なんだよと呆れたが、今ではあの程度の虚弱は珍しくない >>420
崇徳も柳川も春の地区大会王者だった
桜美林はともかく、PLだって東海大相模と同じく秋も春も結果を出せていないし、海星は柳川に負けている はい、論破 >>422
前日まで38度の高熱でドクターストップがかかるところを、監督の温情でベンチ入り
3日間練習を休んでいたからとても投げられる状態じゃなかったw >>399
愛媛県民だけど、76年春の日田林工vs新居浜商って、どんな思い出があるの?
前年夏の準優勝校、新居浜商はこの年も、翌年もピッチャーが初戦でフルボッコされた。
でも日田林工の攻撃力は抜群に頭抜けてたね。
確か3試合連続2ケタ安打だったし、準決勝でも崇徳に食い下がってはいたけど。 智弁の阪本が発熱でダウンした時、代役で2回戦の岡崎工戦に登板して好投した山口が一躍脚光を浴びたんだよな。
準々決勝では東洋の弓岡に掻き回されてKOされたけど。この当時智弁は東洋とメチャクチャ相性が悪かったらしく
翌年ダブルヘッターで練習試合を組んだら1試合目は松本に、2試合目は宮本に立て続けに完封負けを食らったと
高嶋さんが話していた。 関西在住なので近畿代表を応援していたけど、新宮、北陽が
日田林工に木っ端微塵に粉砕されて、子供の自分はトラウマになった思い出がある。
日田林工の打撃と足を絡めた攻撃力は脅威だった。 >>426
実は当時九州に住んでいて、前年夏に九州学院が新居浜商に初戦で負けていたので、何とか同じ九州の日田林に
雪辱して欲しいと思って観てたら、予想以上の大差でスカッとした勝ち方してくれたので印象に残っているわけw
前年夏準優勝校の新居浜商に日田林工がどんな戦いを挑むか注目してたんだけど初回の電光石火の攻撃で
5点取ったんだよな。あと足の攻撃が際立っていて、特にトップの吉松は秀でていたね。吉松、米原、柳川、八谷、
入田(にゅうた)、山田と続く打線は迫力があった。あと新宮戦で決めた2ランスクイズも鮮やかだったけどね。
実は日田林工はその3年前の夏に優勝した広商に逆に2ランスクイズを決められて負けてたんだよね。だから
そのお返しをどこかでしたいと当時の原田監督が語っていた。しかし同じ広島の崇徳にも試みたら見破られて
失敗したのは何とも皮肉な結果だった。 >>427
二戦目は引き分けじゃなかった?
智弁はなんと山口が連投したらしい。 >>427
二戦目は引き分けじゃなかった?
智弁はなんと山口が連投したらしい。 76年の柳川商は通算成績が85勝3敗だったから尋常じゃない強さだった。久保−末次のバッテリーと
立花、竹上と大型の選手が揃っていて、レギュラーの平均身長が178cmの大型チームだった。負けたのは
秋の九州大会初戦の豊見城戦(1−2)、春の招待試合の海星(0−2)、夏の甲子園のPL(0−1)だけ。
柳川商は選手個々のポテンシャルはメチャクチャ高いんだけどなかなか勝てなかった。この前年と前々年の
センバツは初戦敗退、翌年のチームも野田、清家、林と3人プロ入り選手を出しながら県大会決勝で梅津の
九州産業に9回逆転負けで出られなかった。しかし柳川商に限らず、当時の九州の野球は豪快だったけど
ちょっと大味なところがあったな。だから緻密な野球をする中四国勢や近畿勢とやって接戦になると
負けてた気がする。鹿実の久保監督は四国の野球に最初に遭遇した時身震いしたと言ってたしな。 >>430
あ、0−0だったの?完封されたと言ってたからてっきり負けたのかと思った。 >>429
この頃、前年夏優勝校と準優勝校外両方とも出るのは珍しかった。前年夏覇者が翌年夏出場も桜美林が出るまでしばらくなかったなあ。もっとも初戦早実との東西東京対決で初戦敗退だった。桜美林の前の優勝校、習志野、銚子商、広島商、津久見、桐蔭学園、東海大相模、松山商、興国、習志野まで出られなかったと思う。春夏連覇の中京商が翌年出たのを最後に10年なかった。 >>432
良く知ってるね?雑誌の76年夏予選展望号に瞼の母に云々とか書いてあったね。
今の時代なら情報が集まりやすいと思うけど、当時だとどうだったか…。
米原は156cmと小柄だったけど良く打ったな。崇徳の黒田から三塁線に二塁打を打ったのは
良く覚えている。 >>436
確かにそうだね。前年夏の優勝校がセンバツに出たのも、その前の10年では73夏→74春の広商くらいかな? >>438
前年夏優勝の広島商に大分商が3−2で勝った時は
喝采したよ。
前評判では前年秋の中国大会も制した広島商が
圧倒的だったから。
大分商・亀島の粘り強い投球は今でも覚えてる。 >>434
野田(近鉄)、清家(阪神)、林(広島)、田中(広島) >>439
亀島って確かメガネかけてたピッチャーでしたよね?
この試合広商は確か14盗塁しながら2点しか取れなかったんでしたよね。
広商らしからぬ拙攻でしたが、3回に3点取られて慌てたんでしょうね。
>>440
田中も行きましたか。田中って投手の田中ですよね?
シュートが良いサウスポーだったと聞いてましたが。この時の柳川商の秋の
くじ運が悪く九州大会の初戦に優勝した林田の熊工と当たってしまい1−2で惜敗したんですよね。
しかし春は強くて下地の豊見城に6−0で勝って九州大会優勝したんですよね。
甲子園で見たかったチームでした。 >>441
広島商の投手は田所だよね。この年は波乱続きだったなあ。堂園、工藤、土屋、山根。優勝した報徳は骨っぽい相手ばかりでしたね。横浜永川に勝った杉村要する高知。夏にその高知を初戦で破った岐阜中京商。春ベスト4夏弓岡要する東洋大姫路に勝った平安。静岡商の高橋を破った前橋工のアンダーハンド向田。これらのチームに完勝した銚子商はやはり強かったんだろうか? >>434
柳川商の対PL戦の決勝点は止めたバットに当たった、タイムリーでしたね。山本だっけ? >>442
そうです田所です。ただ大分商戦はエースの田所ではなく控えの小原先発だったと思います。
前工の向田は印象に残ってますね。玉島商に1点取られましたが、佐伯鶴城、静商と立て続けに完封しましたよね。
銚子商戦はこの大会無安打だったトップに宮内にいきなり先頭打者ホームランを打たれて6−0で負けましたが。
柳川×PLの決勝点はそうです、山本の止めたバットに当たったヒットです。これも二死一塁で久保が一塁牽制を
悪投してランナーが二進し、その後の二塁牽制がまた悪投でランナー三進した後の一打でした。
本当にもったいなかったですね。このチームはもっと見たかったです。 >>444
広島商は大分商を見下していたなw
完全に投手起用の失敗 >>444
田所は背番号「11」で、エースナンバーはセンターで出場してた大竹。
>>445
田所が先発してたら試合の流れも全然違っただろう。
信頼度がイマイチの小原が点を取られて、攻撃陣もかなり焦ってチャンスに凡打の繰り返し。 昭和40年代は、九州では大分勢の活躍が目立ったね。
1972夏に優勝した津久見をはじめ、日田林工、大分商が甲子園で爪痕を残している。 >>445 >>446
田所は背番号11だったっけ。でも初戦の苫小牧工戦では完封したし、実質エースだったよね。
しかし前年はどんな相手でも確か全試合佃先発で、他の投手にマウンドを譲ったのは点差のついた夏の準決勝の川越工戦だけだったと思ったけど
この投手起用は何だったのか…?初戦で小原先発、2回戦田所先発ならまだわかるけど。翌年の夏は初戦の盛岡商戦でエースの山村を温存したけどね。 >>423-424
おれは、1971年夏の3強と言われた「柳川、崇徳、東海大相模」が、
ベスト4の桜美林、PL、海星、星稜より弱かったと言っているわけじゃないよ。
柳川、崇徳、東海大相模が春に好成績を残していたことや、タレントが揃っていたのは知っているけど、
桜美林、PL、海星、星稜も春に好成績を残していた学校なので、
この4校が上位にきたのは「波乱」というほどではない、ということ。
3強が弱いチームに負けたならともかく、柳川はPLに、崇徳は海星に、東海大相模は小山に、
とそれぞれ負けてもおかしくない相手に負けている。 >>448
75年夏の山村、田井は力差がなかったからいいけど、田所、小原はかなり差があったな。
小原は夏にはベンチ入りもできなかった。
それよりも、不甲斐ない試合を選手のせいにしてキャプテンを交代させた、首脳陣が許せない(-_-#) >>434
細かくてすまんが、76年の柳川商業は通算86勝3敗のはず。
海星に負けたのは1-2のスコア。
3敗しかしていないのに秋の九州で負けて選抜に出られず、夏の甲子園でも1勝どまりだからなあ。内弁慶もいいところ。 久保、末次のバッテリーに、主砲が立花という大型チームだったな。柳川商業。
立花義家というのは、地元の殿様の家系かと思ってたよ。 >>450
キャプテン交代なんてあったの。それは知らなかった。夏優勝旗を返しに来たのは確か浜中だったと思ったけど、
春は誰がキャプテンだったんだろ?川本?監督は迫田さんで、部長は畠山さんだったよね? >>451
失礼。85勝2敗というのは夏の甲子園の前までの戦績だったんだね。それにしても凄い数字だな。
しかし柳川は1ー2のスコアでよく負けるね。赤嶺の豊見城、酒井の海星、翌年の林田の熊工、いずれも1ー2だった。
しかしこのチームはもっと見たかったな…。
>>452
夏の甲子園は立花がちょっと不振だったんだよね。確か2試合で8の1だった。
相当マークもされてたんだろうね。 >>453
74センバツ当時のキャプテンはショート・播本
試合をぶち壊したのはその2名 >>455
「戦犯」の2名は見事に干されたな
播本はレギュラー剝奪
小原はベンチ外 >>455
ぶち壊したということはエラーか何かしたの?この試合観たんだけどあんまり良く覚えてなくて…。
実は江川の作新に勝った佃の広商が好きで、この春も広商応援してたんだけど負けたショックがデカ過ぎたので覚えてないのかも知れない。
試合後に迫田さんがベンチ前に選手集めてミーティングやってたのだけは覚えてるんだけど。 >>456
2年生の山村、田井、谷、福島も伸びていたからな
>>457
試合をぶち壊したのは投手起用を誤った監督、部長の2名 迫田監督だったか畠山部長だったか、前の代の夏優勝チームは新チーム結成当時は戦力が貧弱で、選手たちも自分たちが弱いと自覚して必死にやっていたから強くなっていったが、74年のチームは優勝メンバー3人が残ってチーム結成唐力があり選抜前まで負けなしでいったので選手たちが慢心してしまい、肝心なところで取りこぼしたと言っていたな >>458
センバツ後、町田がキャッチャーにコンバートされてファーストには谷、ショートに福島だった >>458
なるほど。それにしても何でまた田所と力量差のある小原を先発させたんだろ。
大分商は九州大会準優勝校だったのに。
もしかして九州大会決勝で大分商が柳川商に16ー5で負けた情報を得て、ある程度点を取れると思ったのかな? >>460
のちに牛若丸二世と呼ばれた谷を一塁起用とか贅沢すぎる
この年代の広島商は人材は多かったな 広商ファンだったけど、畠山校長の帽子の件以来は大嫌いになった。 >>462
昭和40年代まで広商は、プロへも多くの選手を輩出していたね。
昭和50年代になっても県内では勝負強く、甲子園にはよく出てきたが、プロ入りする選手がかなり減った。 >>464
柳田は広島商史上最強の選手じゃないのか
日本一7年で6回のチームの不動の4番だぞ
ソフトクリームがポスティングでメジャー行き認めてればイチロー松井の次に凄い打者なれた可能性すらあったぞ >>461
大分商には悪いけど、広島商が大分商に負ける要素がないと踏んだんじゃない?
小原も、秋の中国大会決勝戦で倉敷工に投げ勝った実績もあるし。
その油断が悲劇を招いたw >>466
あの当時は、北国勢と九州勢は野球のレベル的には低く見られる傾向があったからな(笑) >>467
そのいい例が柳川商。
毎年タレント揃いなのに、なぜか甲子園で勝てないw >>466
倉敷工に投げ勝ったということは、居郷に投げ勝ったということだよね?
じゃまんざらまるっきりダメというわけでもなかったのかな。
>>468
前にも書いたけど当時の九州の野球は豪快だけど大味で緻密さに欠けてたと思うんだよね。
だから接戦に弱かった気がする。ただ誰かも言ってたけど、大分だけは例外だった。足を絡めた機動力野球が特徴で、
九州の中では異色な存在だった。 >>458
それでも播本さんは、そごうの店長にまで出世したぞ。
まあ同級の浜中さんは外車中古車販売会社を興し年商100憶企業社長になったが。 >>469
まるっきりダメじゃ、あの当時の広商の「10」番はつけられないよ。
でも、田所との力差、ナインからの信頼度はダンチ。 >>471
そりゃそうだよね。ところでエースナンバーをつけてた大竹という投手はどうだったの? >>472
大竹はアンダースローの軟投派。
センバツ後は打撃を生かしてトップバッターに定着。 当時の広島商の選手は野球を良く知っていた印象があるな。達川、金光、川本とか皆、後に名指導者になっているし。 広商はパワハラ教育でも何か品があったというイメージ。
また美人はまずいないが女子ばかりの雰囲気がそう感じさせたのかもしれない。 >>473
そうだったんだ。夏は初戦で呉港に負けたんだよね。1ー0だったかな?
確か最終回川本が三塁打で同点のチャンスを掴んだけど、強攻して点取れなくて負けたんだよね。 昔は平安の池田、大宮工の吉沢、広陵の宇根、倉敷工の井郷、県岐阜商の堀、岡山東商のライト、とか好きだったなあ。時代錯誤していたら失礼、良く年代が思い出せない。 >>477
大宮工・吉沢と広陵・宇根が同年代で68年の3年の世代。県岐商・堀と岡山東・ライトが71年の3年の世代。
倉敷工・居郷は74年の3年の世代。見たことがあるのはライトだけなんですがww >>480
堀とライト、吉田の継投の投手戦0ー0で9回決勝点は覚えている
あの試合、県岐阜商が押し気味で、チャンスでヒット性の当たりを岡山東商レフト佐々木が飛び込んでキャッチというファインプレーが印象的だった >>481
その大会で覚えてるのは郡山の川畑。アンダースローの好投手だったな。なぜか応援してたんだよねw
サヨナラで勝った銚子商戦はラジオで聴いてたけど興奮した。
おかげで天理のファンファーレより郡山のファンファーレの方を先に覚えてしまったw 確か、その時の岡山東商ってずっと一回戦負けが続いていて、伝統のクリーム色のユニを純白のユニに変えたら、あれよあれよの快進撃だった様な! 県岐阜商の堀は投球フォームが美しい左腕投手で、Gの上にきっちりと折り目の付いた帽子と共に良くガキの頃ものマネをして遊んでいたなあ。 【川島堅】昭和61年夏
日大三 対 東亜学園
https://youtu.be/Mj1vJbwNRF4
(3分前に公開) 34:32 >>484
確か75年〜77年の間も初戦敗退が続いた為、76年春に白にしたら開幕戦で弘前工に勝って
センバツでは11年ぶりの勝利を上げたんだよね。原邦彦という右の好投手がいたな。2回戦は
準優勝した小山に2−3で惜敗。で、夏はクリーム色に戻して出場したら市神港に0−1で惜敗。
78年春もクリーム色で出場するも開幕戦で高知に延長戦で惜敗。しかし78年夏はクリーム色の
ユニで4勝してベスト4と大躍進。しかしこの後バッタリ甲子園に出れなくなってしまった。
何で低迷したんだろ?岡本監督が辞めたから? >>487
初戦敗退が続いたのは岡本監督が就任後の73年春夏と74年春、75年夏だね >>488
間違えましたw73〜75年です。失礼しました。75年夏に美木良介さんが主将・サードで出場したんですよね。
エースが左腕の寒川で。考えてみたらこの試合も開幕試合でしたね。相手は日南でしたが。
75年夏、76年春、78年春が開幕試合で、76年夏が開幕2試合目。珍しいですねw >>474
>達川、金光、川本とか皆、後に名指導者になっているし。
川本さんは、たしかに高校球界の名監督であり、名解説者。
でも、達川と金光は名選手だけど、監督としてはダメだろ。
とくに金光は広商でも法政でも失敗している。 >>489
この時期の岡山東商は好投手を毎年のように輩出していた
原邦彦、寒川の他にも、73年74年の土居。
これだけの好投手でも甲子園ではわずか1勝のみ
土居は毎回好投したけど打線の援護がなく1つも勝てず
寒川は開幕試合の雰囲気に飲まれて力を出せず
原邦のときも打線が小粒だった
逆に彼らよりは落ちる籔井投手のときに甲子園で4勝とは面白い >>491
何で突然弱体化してしまったのですが?感覚的には突然甲子園からいなくなったという感じですね。
特別どこかが異常に強くなった感じもしないのですが。78年夏以降の岡山代表は倉商、岡山理大、
岡山南、関西ですが、この中のどこかが強烈に強かったわけでもなかったと思いますが…。
やはり岡本監督の退任が最大の要因でしょうか? 同じ商業科の岡山南が臼井監督の手腕で台頭して有力選手が分散したからじゃないかな
70年代の岡山は岡山東商と倉敷工に玉島商が絡む展開だったのが
80年代に入って岡山南を中心とする混戦模様になっっていった >>493
あ、なるほど。確かに岡山南は東が低迷する79年以降だと、81年夏、82年春、83年夏、84年夏、86年春、87年春と出てますね。
川合や横谷、難波といった選手をプロにも輩出してますしね。やはりその煽りを食ったのでしょうか。 1973年の広島商、選手権予選では、3回戦弱小と見られた庄原実業に大苦戦。
予定になかった佃を急遽マウンドに上げて延長14回で薄氷の勝利。
準決勝の尾道商業戦では、いきなり初回に4失点してなお無死満塁の大ピンチ。
よく盛り返した勝ったね。
この尾道商業戦を覚えている広島の人いるかな? 昭和54年岡崎のいた大分商が夏8強入りした際、解説の松永怜一さんが「大分県の高校は津久見高校といい日田林工業といい野性味溢れる野球をしますね」と感心していた >>495
広商が庄原実に苦戦した話は達川が何かの雑誌で語ってましたね。100回やって100回勝てる相手に苦戦したと言ってましたねw
準決勝の尾道商戦もそんなに苦戦してたんですか。初回4失点でなお無死満塁とは…。よく勝てましたね。
広商は夏の甲子園では決勝の静岡戦以外はあまり苦戦してなかったので、それだけ苦戦してたとは意外でした。 平安〜読売の松岡。甲子園での強肩に驚いた。素行の悪さには苦笑した。 >>496
選抜では岡崎がエースで作新学院に逆転勝ちしたが、東洋大姫路に岡崎が序盤から打ち込まれ大敗。
その試合で岡崎OK後にリリーフで好投した2年生の松本がエースになって、岡崎が本来のショートへ戻って強打を発揮して3つ勝ってベスト8入り。
横浜商戦も8回9回に宮城投手を追い詰めたが、走塁ミスで結果的に2併殺を喫し攻めきれなかった >>496
選抜では岡崎がエースで作新学院に逆転勝ちしたが、東洋大姫路に岡崎が序盤から打ち込まれ大敗。
その試合で岡崎OK後にリリーフで好投した2年生の松本がエースになって、岡崎が本来のショートへ戻って強打を発揮して3つ勝ってベスト8入り。
横浜商戦も8回9回に宮城投手を追い詰めたが、走塁ミスで結果的に2併殺を喫し攻めきれなかった >>489
寺田良介は主将じゃないぞw
主将はキャッチャーの岸本浩 >>492-494
80年代の岡山南は、岡山で強かったのみならず、中国大会でも強かった。
当時の中国大会はいつも広島勢と岡山南、宇部商が覇権を争っていたイメージ。
>>495-497
庄原実業の試合は有名だね。
たしか庄原実業には、今もその広島商戦を記念した碑みたいなものがあったように思う。
その尾道商戦は知らなかったけど、これで感じるのは、尾道商の夏の勝負弱さだね。
選抜は6回くらいの出場で準優勝とベスト8が各2回という凄い戦績なんだけど、夏は甲子園になかなか出られないね。 >>492
岡本監督は78年以降も監督やっていたぞ。
それをいうなら向井監督が74年選抜(このときは部長登録)を最後に退いたのが原因だろう。
その後もしばらくは好選手がきていたけれど、ライバル倉敷工業も翌年小沢監督が退任して二強時代が崩れていったな。
それにしてもラッキーボーイ石岡が残った79年予選は初戦敗退、80年春は県大会にも進出できないなど坂道を転げ落ちるように低迷していったな。 今や岡山東商も岡山南も商業科の衰退もあって弱体化して男子校の関西が台頭って感じだが、
倉敷商は公立全国一の成績を数回出すなどしてんね。
岡山南は川相の母校で定着と、倉敷商は星野の母校ってのが何気に大きかったんかな。 >>494
85年夏もね。
81〜87年の期間は毎年春か夏のどちらかに出ていた。春夏連続出場はいちどもなかったという珍しい記録。
84年夏は県決勝で岡山東と対戦、岡山東が少ないチャンスを生かして4-3とリード、9回二死ランナーなしから出塁したあとにまさかの逆転2ランで南が逆転勝ち。ここまで岡山東は勝てないのか、と悲しくなった。 昭和61年選抜 2回戦
上宮 対 松商学園
https://youtu.be/74m1L7yeJvg
(3時間前に公開) 46:26 >>504
その関西も近年、衰退傾向だね。
いま岡山の私立で一番戦力があるのは創志学園。
ただ、甲子園で勝ちきれなかったり、実力がある年に甲子園に出られなかったりと勝負弱いので、
こういうことが続くと、次第に選手が集まらなくなるかもしれない。 この時代はおじさんが頭にタオル巻いて集団でチアガールの女の子のスカートを盗撮してる現場をカメラマンや雑誌でネタにしたり
荒木大輔が滅多打ちされて妬んでたおじさんが追っかけ女の子を怒鳴りつけてからかったり
女の子もやられっぱなして訳ではなく小澤にデッドボール当てた畠山に「人ゴロし!」て怒鳴りつけたり
当時は球児の電話番号や住所がわかる場合もあったみたいでカミソリを送ったり
畠山は高校全日本でも追っかけ女の子に蹴られたり凄い時代だったんだな
今のネット拡散社会ならとんでもないさわぎになってそうだな Y校の三浦も団地で追っかけ女の子が待ち伏せして
三浦のお父さんが待ってる女の子にお握りなどを食わせてたとか
松井秀喜連続敬遠の明徳監督もカミソリ送られたり
千葉明徳も明徳義塾と関係あるんですか?て電話がかかりまくったりしたみたいだな SNS時代になってからも対戦相手のことを
「変な顔のやつばっか、笑 昭和くさい」
とかカキコした奴がおってな… 70年代、福岡勢と津久見以外優勝するイメージがなかったが
その後に、津久見が凋落して、あの佐賀勢が夏2度優勝するとは想像すらできなかった。 1981年のPLの選抜優勝投手・西川はつい最近、トラック運転手をしているという報道を見たけど、
1つ下の1982年の選抜優勝投手・榎田は今、何をしているんだろうか?
阪急をやめてしばらくした頃、バーテンみたいなことをしているのをテレビで観た覚えがあるけど。 岐阜短大附属と東海大相模の準決勝の試合、わかる人いますか?
岐阜短大附属のピッチャー湯口やったかなあ?
確か巨人に入ったと思うんやけど?
わかる人教えてください。 >>513
2016年あたりの話だと淀川河川公園共同体管理グループ?だかで
公園管理してるてのは出てきたな
今どうなってるかはわからない >>503
78年夏、岡山大会準決勝?で岡山東に逆転負けした作陽のセカンドだったかショートだったかは浅村ひでとのお父さん(同い年のお母さんは岡山東卒業生)だったとか。 >>515
97年の報知高校野球に出ていたな。交通事故に遭い裁判の準備しているとか書かれていた。
榎田というと、阪急入団後のキャンプで朝寝坊して遅刻、上田監督の逆鱗に触れて罰としてランニング30キロを命じられたのが記憶にある。 >>514
東海大相模のエース上原は初戦準々決勝とも大乱調、対照的に岐阜短大付属湯口は3試合でわずか春の王者箕島に取られた1失点のみ、投手力に勝る岐阜短大付属有利の前評判だった
ところが、上原がこれまでとは別人のような好投を見せ、岐阜短大付属打線を封じると、打線も連投でやや球威が落ちていた湯口から上手く2点を先取し、東海大相模が有利に試合を進めた。
ところが、8回にランナーを置いて岐阜短大付属の4番高橋が上原の甘い球を強振し、同点2ランで試合は振り出しに。9回裏、東海大相模はノーアウト一塁でバント、それをサードがお手玉しバント、四球で一死満塁、そこでバッターがライト線をやや外れる深いファウルフライを打った。解説の山本英一郎氏が思わず「取っちゃいかん」と連呼したのも虚しく、ライトは捕球してしまいバックホームしたが間に合わずに、三塁走者が還って東海大相模のサヨナラ勝ちだった。
強攻大好きの原貢監督が、好投手湯口が相手ということでバントを使い、打者湯口の豪速球を的確にバントしたのと、上原が甲子園でベストピッチをしたのが勝因 >>508
おっさんのチアガール撮影は、週刊朝日の記事だったかな?俺も記憶にあるよ(笑)
盗撮というより、どうどうと至近距離でスカートの中を撮影していた写真やね。
昔はガードが甘かったのかな。 >>518
データ分析した相模の外野シフトが功を奏した試合。 >>520
思い出したわ、岐阜短大付属のヒット性の当たりが極端なシフトで何本かアウトになっていたな >>518
九回裏の右邪飛は無死満塁の場面だったと思う。ライトは同点アーチの高橋だったかな。「僕はファールだと思います」と試合後なコメント、ファールだと気づいていなかったようだ。
あと、原監督は岐阜のサードの守備に難があることをつかみ、サード前にバントを繰り返しさせた。たしかこの試合、岐阜のサードは2、3個エラーしたはず。 >>451
招待試合では原、津末の東海大相模にも勝利して期待されてたが勝負弱かった >>451
あのメンバーに加え、月足(つきたる)という事故で亡くなった別格の選手がいたそうだ。
PLに負けた時「月足がいたら」と柳川商福田監督が思ってしまうくらいの大物選手だったそうだ。 やはり50歳以上のおっさんにとって、
岡山代表といえば、岡山東商かね。
昭和53年の夏は逆転のPLのスタート年だったが、
実はこの夏の岡山東商は何試合も逆転して準決勝まで勝ち上がってきた。
PLのようなど派手な逆転勝ちではなかったが。
まあ、最後は高知商の前に力尽きたが。
逆転のPLvs逆転の岡山東商の対決は実現しなかった。 77年春の岡山南もいいチームだったね
初出場でベスト4は快挙なのに、負けた相手があの中村だからすっかり影が薄くなってしまった >>522
ライトの高橋は控え投手でもあり、強肩だった
確か、投手としてドラフトで指名されたはず >>525
この当時の岡山では岡山東商vs倉敷工は岡山の早慶戦といわれてたようだけど、
倉敷工は岡山東商よりもちょっと影は薄いかな。
でも1975年センバツの開幕戦、中京との16−15の試合とかあったね。
この試合、センバツはまだ全試合NHKテレビが完全中継じゃなかったからラジオで聴いてた。
さすがに1961年夏(この年はオレが生まれた年)の報徳学園に奇跡の大逆転を喰らった
試合をリアルで知ってる人はあまりいないと思うけど、それを知ってる超オールドファンには
倉敷工の方が印象深いのかも。 連投スマンけど、書いてて思いだしたが、1986年夏に倉敷工が出場したときのエース
ジャンボマックス川辺って、確か今でもピッチャーでは上背の最高選手だったっけか?
卒業後にジャイアンツに進んだけど、活躍は出来なかった。 >>529
川辺は倉敷工の対戦相手だった秋田工のエースで。
川辺よりも大阪桐蔭の藤浪の方が身長は高いでしょう。 >>528
倉敷工は、金属バット導入最初の甲子園となった1975年選抜開幕戦での16-15の中京戦のほか、
歴史に残る試合が多いね。
古くは、昭和1961年選手権初戦の報徳に延長で6点を先取しながら、逆転負けを食らった試合に始まり、
駒大苫小牧に0−8でリードされながら降雨コールド再試合で勝ってしまった2003年選手権1回戦とか、
2009年選抜でも開幕戦に登場し、金光大阪相手に誤審を乗り越え、土壇場から2度も追いついた末に11-10の延長逆転サヨナラ勝ち。
この時は2回戦でも、堂林がいた因縁の中京相手に、大量リードされながら追いすがる1975年選抜とまったく逆のパターンで、
1点差の惜敗に持ち込んだ。
このスレにいるオッサンの中には、あの試合を見て、16-15の試合を思い出した人もいたのでは。 >>526
2009年選抜の利府みたいなもんかな。
利府も21世紀枠の東北代表がベスト4までいきながら、相手が菊池の花巻東だったんで、印象が薄まった。
試合より、大会中に相手校の選手を「昭和顔」と侮辱していたイメージが強くなったね。
岡山南といえば、1986年選抜のベスト4も印象がいまいち薄いね。
片方のベスト4が大会の主役になった新湊だったからかな。
新湊に勝って決勝に進出した宇都宮南ですら、新湊に比べると印象が薄いからね。 ついつい懐かしくて連投してしまい申し訳ないが、自分が高校野球を見るようになって以来、
最大の旋風校といえば、やはり浦和市立で、これを超えるチームは無いね。
新湊とか金足農とか大船渡とか甲西とか、甲子園で予想を上回る快進撃を見せたチームはいくつもあるけど、
どれも甲子園では新顔というだけで、地元ではそこそこ強かったり、予選前の評判は高かったりした。
浦和市立だけは、県内でも実績はまるでなく、予選前の前評判でも話題にすらあがらず、
あの夏の1カ月だけ魔法がかかったように強くなった印象。
甲子園で倒した相手も、常総、宇学、宇部商と凄いところばかりだしね。 倉敷工はユニが格好良いね。
倉敷市といえば倉敷工業。
平成に入ってから倉敷商が良く甲子園に行くようになったけど、
昭和のころは星野仙一の出身校としか知らなかった。 1988の浦和市立旋風は凄かったな
あの頃までは無名の公立校が甲子園でも活躍できる余地が残っていたんだね >>535
倉敷工業のユニは68年から白を基調としたものに変わったと聞く。
でも、ズボンのラインが入ったのは74年選抜のときだったと記憶している。
86年夏のときは改定前のユ二だった。 ところで岡山東は平松で優勝した時、ユニはクリーム色だったの? >>534
関東では拓大紅陵と東海大甲府の前評判が高かったな
今年の選抜週刊ベースボールのA評価は仙台、健大、菅生、中京、智弁、桐蔭、市和歌山だけど
サンデー毎日では立浪PLや藤浪桐蔭オール90点評価だったからな
逆に清原桑田PLは2年間オール95点評価で優勝出来なかったからな 【ノーカット版】昭和53年選抜
準決勝 福井商 対 箕島
https://youtu.be/74m1L7yeJvg
(22時間前に公開) 2:18:50 1988は春関東大会は大宮東が選抜ベスト4桐蔭学園に勝って優勝して
浦和市立のチアガールやってた名前忘れてたけどアナウンサーなったような記憶があるな ニット素材以前は岡山東商より色が濃い今の星稜や都城みたいな色を出すのがわりかし困難でしたね。 >>534
甲西も2年連続県内では優勝候補本命ではなかった。 >>539
1988年選手権の拓大紅陵は、前評判がなぜあそこまで高いのかよくわからなかったな。
和田と高橋という二枚看板がいて、打撃も良かったが、新チーム結成以来の公式戦での実績はそれほどでもなかった。
強打の金がいた松山商に大勝した時は「やはり強いのかな?」と思ったが、伏兵の浜松商に負けた際にとくに意外性は感じなかったな。
選抜ベスト4のタレント軍団・宇学が関東では一番だと思っていたので、浦和市立に負けた時は驚いた。 浦和市立がその前に表沙汰になったのはサッカーだったからね。
全国制覇ありだが直近では清水東に0-9というのが印象深い。 また連投になってしまうが、80年代は浜松商が甲子園のバイプレイヤーとして実にいい味を出していたね。
1980年選手権で投手が故障してスローボールしか投げられなくなり、滋賀の瀬田工業に大敗してみたり、
1984年選手権では智弁学園に0−7からの大逆転を決めてみたり。
選抜でPLと2年連続で当たり、大敗→大勝のリベンジにより、大敗した試合まで語り草になった。
そして1988年選手権では、V候補の拓大紅陵を下し、準々決勝で沖縄水産に9回までリードしながら逆転サヨナラ負けをしたが、
「熱闘甲子園」のキャスターだったオッサンが最終回で「そして岡本くん…」と感極まったりして面白かった。 >>544
公式戦では目立った結果は出てなかったが、練習試合では選抜ベスト4の宇都宮学園と桐蔭学園に快勝するなどほとんど負けしらず。
関東ではNo.1の実力というのは誰もが認めるくらいだった。
だが当時の拓大紅陵は86年もそうたが取りこぼしが多すぎた。 >>543
なかったけど85年のチームは春は近畿大会にも出ていた(箕島にも1-2と惜敗)くらいだぞ。 >>549
この年は本命は堅田か伊香の二択。
ダ−クホース的な存在の一つには入っていたけど。
甲子園出場自体が強豪が転けた事に助けられたものであり、選手権ベスト4は… 三浦(横浜商)は記憶の中の三浦より体がしっかりしててスピードもなかなかある(目測で143.4キロ)。
昭和師匠の次の動画公開は「東筑高 VS天理(1958春)」とみた。 >>540
それは師匠が上げたURLが上宮と松商の試合になってるな
これは師匠じゃなく懐かしの高校野球チャンネルのやつか
【ノーカット版】昭和53年選抜 準決勝
福井商 対 箕島
https://youtu.be/R92MBunqbl0 甲西については奥村捕手の息子も日大山形で4強入りしてるってのがあるな。 >>545
直近といっても清水東に凄絶なまでにやられたのは84年の正月だろう。いまから何年前だ? >>555
浦和市立の甲子園4強の5年前の世代
今から何年前とか言うほうがおかしいぞ
浦和市立旋風でさえ今から32年前で、その話題から派生した話だからな まあ、浦和市立はサッカーでは60年代に全国優勝している名門だったけどね
ちょうど埼玉県の高校サッカーが武南など私学に席巻され、浦和市立浦和南といった公立伝統校が没落する流れの中での清水東にボコられたことだけを言うのは片手落ちだよ >>544
2つ上の86世代があまりにも強かったから、その時の印象をそのまま引っ張ってる人が多かったんじゃないか。 >>538
クリーム色.....と言うか、岡山東商のユニフォームは元々所謂「白桃色」 >>530
川辺と友利が大型投手って評判高かった。どっちもプロ入りして初めて映像見たけど。
余談だけど、川辺って長嶋監督に名前間違えて覚えられてて
いつまでたっても「川辺」って正しく覚えて貰えないという記事をで笑ったことある。 >>367
崇徳と鉾田一の試合を知ってるとは
82年夏の鉾田一対広島商を見に行った者としては嬉しい
あのとき鉾田一の在校生が事故渋滞に巻き込まれて
甲子園に着いたのがすでに8回裏
準優勝の広島商業に負けたけど、良い思いで
その時のエースの関はロッテに行ったんだよなー >>562
あの年の広島勢は、選抜で尾道商が初戦で千葉商大府の平沼を攻略し、
春夏共に初戦でロッテに進む好投手のいるチームに勝っているね。
尾道商も広島商も2年連続出場で、いずれも前年は初戦敗退だったので、
似たような経緯をたどった。
野中の中京と対戦したのも同じだけど、ここで尾道商は9回に逆転負けし、広島商は圧倒的に押されながら1−0で逃げ切り、明暗を分けたね。 >>563
さすが夏の広商だね
最後にフレフレ鉾田って応援してくれたのが嬉しかった
それを機に今でも広商応援してるけど、なかなか出れないね
惜しいところまで行くけど 広島商といえば「日本刀の刃渡り」が、つとに有名だよね。
今まで本当にケガ人とか出たことないのかな?
別スレで見たけど、日本刀の刃を首筋に当ててスッと引くとか、
刃の上を歩くとか、とても信じられないんだが。 昭和59年夏 桑田真澄 (2年) 全球
https://youtu.be/Ld8kglzBON4
(5分前に公開) 1:29:41 >>565
広商の逸話は野球とは無関係の滑稽話みたいに取られられるかもしれないけど、
野球とは関係ないことで緊張感極まる修行めいたことを経験することで、何か吹っ切れて
野球の技量、精神面で練習では得ることが出来ない成長が計れる気がする。
そして試合の重要な局面で成果が発揮できるのではないか。
これは多感な高校時代だからこそ可能なことだと思う。 >>544
秋春の公式戦は確かに結果を残せなかったが投手2人プロ入りしたし、その宇都宮学園には連勝してるしで関係者の評判は凄く高かったのは事実だよ。86年より強かったとよく聞いた。 >>567
1988年選手権優勝投手の上野は、精神力や集中力を鍛えるため、
お椀に沢山入った米粒をはしで1つ1つつまみ、別のお椀にうつす練習をやらされたと聞いたな。
あと、暗闇でろうそくの炎を見つめながら、シャドウピッチングをしたとかいうのも、たしか上野だったと思う。
当時の監督の川本幸生さんは、時代に取り残されつつあった母校に新しい野球を取り入れつつ、広商野球の伝統もないがしろにせず、うまく融合させた名監督だった。 >>568
あの世代の関東勢では、秋の関東大会では、宇都宮学園の前評判が高かったね。
新チーム結成以来、練習試合も含めて無敗で、たしか30何連勝だという触れ込みだった。
それが準々決勝で東海大甲府に0−6で敗退。
その時にクローズアップされたのが、東海大甲府も新チーム結成以来、実は勝ちまくっていて、
たしか30何勝で、1敗しかしていなかった。凄い勝率のチーム同士の対戦だったんだね。
宇学はこの時は完敗だったけど、コールド負けしなかったことが翌年の選抜に出られた要因として大きかったと言われた。
この年の関東は、この宇学と東海大甲府に加え、渡辺を擁して選抜ベスト4に進んだ桐蔭学園、
春の関東大会を制した山口の大宮東、さらに上で名前が出ている拓大紅陵など多士済々だったね。
で、これだけのチームが揃いながら、一番鮮烈な印象を残したのが、普通の公立校の浦和市立だった。 広商の「真剣の刃渡り」は昔は結構有名だった。優勝投手の佃が言ってたが、やる前に腹式呼吸をやるらしい。
究極の緊張感を味わうが、これを経験すれば甲子園でピンチになっても精神的に動じなくなるそうだ。
そりゃそうだろうな。首筋に日本刀を付ける話は聞いたことがないから多分ネタだと思う。 >>490
金光氏は現役時代は広商で全国制覇、法政でもリーグ4連覇。三菱重工広島でも都市対抗制覇と、選手時代は栄光に包まれていた。広商、法政と主将を務め、「広商最高のキャプテン」の評価は間違いない。
しかし、監督としては成功したとは言いがたい。広商の監督に就任したのは89年秋だったと思うが、県大会で優勝したのは春夏秋通じてゼロだったはず。唯一、93年秋の中国で優勝したのみ。
甲子園出場は92、94年の春の二回。ともに負けたときはエラー続出(天理戦)、6併殺を喫する(宇和島東戦)というおよそ広商らしからぬ試合ぶりだった。
ちょうど監督就任あたりから、有力選手の私学流出が止められなくなってきた頃だったとOBが話していたが、就任時期が悪かったのか指導力に問題あったか。
法政でも選手の内紛が起きていたしね。 >>572
そうそう、金光は選手時代の栄光と、指導者になってからのダメさぶりの落差がすごいね。
まさに「名選手、必ずしも名監督ならず」という格言通りの人。
広商の監督として結果を出せなかったのも、「有力選手の私学流出」だけが理由ではないよね。
前任者の川本幸生さんは、1988年に全国制覇したの続き、翌年も素晴らしいチームを作り上げていたのに、
監督が金光に変わったとたん、一気にチームが弱体化したんだから。
広商の投手というと、70年代から80年代にかけて、ずっと軟投派や変則派の投手ばかりだったが、
川本さんになって、1988年に上田、1989年大崎と上のレベルでも通用する本格派がエースになったのをみても、やはり川本さんの手腕は凄かったと思う。
金光の場合、在任中には、高校時代に全日本に選ばれた怪物沢田も入学していたし、選手に恵まれなかったとも言い難い。
桑原さんや田代さんは、金光よりさらに選手に恵まれなかったけど、甲子園でそこそこ勝っていたしね。 どうして学生野球部で1人を集団でよってたかって殴ったりイジ・メを辞めないんだ?
他の部は不満があったら1対1で話合うか殴り合わせて解決してるのに
伝統もあるんだろうけどあまりにも時代遅れすがやしないかな 広商のしごきは体育会というより「お坊さんの修行」の雰囲気だから
叩かれないんだろう。比叡山とか永平寺とかの雰囲気。 >>570
真中が言うには「自分らの代は入学前から練習試合でレギュラーで出てた。お爺ちゃん監督に
『君たちはみな凄い』と言われてた。上級生はみな良い人で、いじめられた記憶は全くない」と語っていた。
真中より高島のほうが目立ってた。真中は日大時代のの「1年生4番打者」からだろう。脚光浴び始めたのは。 懐かしい名前や校名が出ているので書き込みます
71夏郡山の川端は左足を上げてから投げる前に揺らすアンダースロー
サード薮内は強打者、捕手福田は中日、深谷商竹内、銚子商根本
71春日大三渡部、大鉄奥田、木更津中央鈴木
70春湯口の時は北陽才田、千葉商左腕永島、鳴門落合ー笹本のバッテリー
70夏江津工三沢、熊谷商反町、高松商大北
69夏玉島商三宅真一と松枝
72夏津久見坂東・吉近・中川・水江、天理新谷・吉田・松好・佐藤
明星辻内ー長田のバッテリー、高知商益永、東北岡嶋、柳井杉本
高松一のブルーのユニホームとスポーツ刈り >>573
金光氏が就任して二年後の91年夏、広商は県予選で西条農業(この年代表)になんと6-13のコールド負け。
このときは目を疑ったな。
この年の三年生は全国制覇した88年のときは中学三年生、それこそ広商にあこがれて有望選手が広商に入学したのではなかったか。
それが三年後、まさか県でコールド負けするほど弱体化してしまうとは他県だけど悲しくなったわ。 野球部の集団での寮生活あれが理不尽な上下関係に繋がっていると考えられる
理不尽に耐えて精神力を強くすれば試合で緊張せず実力を発揮出来るから楽という考えは理解出来るけど
寮で寝てる時に抵抗出来ない後輩の服を脱がして人体解剖する行為は余りにも行きすぎていると思う 今日判決がある千丸選手も大学野球部てま理不尽に耐えられなくて退部して
その後大きなニュースになったような悲劇を繰り返されない事を願いたい >>578
金光が監督になって広商が弱くなった時期、広陵と崇徳にタレントが集まり始め、新星の如水館も台頭してきたから、有望選手が私立に進学する流れができていたのは確かだろう。
ただ、一方で小田監督の西条農や小川監督の高陽東、広田監督の宮島工、中村監督の賀茂などの公立勢も台頭していたし、宮川監督のもとで広島工も選手権でベスト8に入っていたりしたから、
「私学に選手が流れるようになった」というだけで、広商が弱くなった説明はつかないね。
金光は広商の監督から法政の監督に転じてからも失敗して、お家騒動まで起こしているしね。
それでいながら、現在も法政で教授の地位にあるから、世渡りが下手とも思えず、本当に不思議な人だね。 >>579
理不尽に耐えて精神力を強くすれば試合で緊張せず実力を発揮出来る
ここって、繋がるか? >>575
比叡山高校ですら、そんな事はやってない。 >>574
やられたら上級生になってからやり返す負のスパイラル。
中には本人の将来のためにも「鉄は熱いうちに打て」って思うぐらいどうしょうもない新入生もいるから多少は仕方ないと思うが、やり過ぎたり、単にプレーが上手なだけで、人間的に何ら問題ない普通の新入生まで標的にするのはダメだろうね。
体育会系だから、多少は仕方ないと思うが。。 >>576
地元栃木で真中は、下級生のときから宇学の安打製造機と異名を取っていたんだが >>581
金光が法政のキャプテンだったときに、上級生の身のまわりの世話を下級生にやらせるのをきっぱりと廃止したらしい。江川卓が当時の雑誌のインタビューで「上級生から異論も出たが金光が説得した。彼は人間的にも出来たキャプテン」と激賞している。
何で監督として成功しなかったのか謎だねえ >>576
>>585
そして高島、真中よりも、この世代の栃木の選手で一番成功を収めたのが足利工業の石井だったね。
当時は全国でも有名な投手だったが、まさか打者として高島、真中をしのぐ選手になるとは、本人も含めて誰もわからなかったろうね。 >>586
金光さんを知っている人で、悪く言う人は皆無。
甲子園で負けた試合も、紙一重の接戦ばかり。 >>578
91年夏は、西条農9−7広島商の接戦やろw
ニワカの雑魚さんよww >>565
>>571
金光さんも73年のセンバツ前と夏の県大会前、2回やったと言っていたな。
86年をもってやめたらしいから、>>569さんの言う通り、全国制覇の上野もやってない。 金光さんは、リアリストだよね。アマ野球のエリートコースを歩んで大学の教員や企業の管理職になる方が賢いと考えてたんだろう。
それで、近鉄のドラ1を蹴った。当時、地味の極みだったパリーグでそこそこのレギュラーになっても、中高年になってからの生活の安定は今のがいいだろう。 >>573
広島商の田代監督時代といえば、1983年夏、前年夏優勝の池田に返り討ちに遭って
3回戦止まりだったのが最高戦績で、あとの3回はY校、金足農、帝京に初戦であっさり
やられたイメージしかない。
あの江川の作新学院戦のように、相手が実力的に格上でも策略を巡らして勝利する
かと思いきや、普通にやられちゃったのは選手に恵まれなかったせいなんですな。
それよりも田代監督時代の広商って、何かスゴい名前の人が部長(責任教師)だった
ような記憶があったので資料を調べてみたら、「仁田原孫右衛門」さんというお名前だった。
NHKで活躍してた田畑彦右衛門さんを思い出してしまったが、仁田原さんの風貌とかは
全然覚えてない。 >>595
よくそんなこと覚えてるなw
Y校って三浦の後も甲子園に出てたんだな
池田に負けてPLに負けての、あと一歩のイメージが強くて 金光さんは、高校、大学の活躍も華々しいけど、三菱重工広島の都市対抗野球初出場初優勝が一番思い出に残る。
あの当時、広商OBのクリーンアップだったな(^-^) >>594
金光は大学4年の時、カープと相思相愛だったけど、カープは1位で盈進高校の投手・田辺を指名し、金光をさらわれた。
カープが1位で指名していれば、金光は入団していたというのが一般的な見方だと思う。
カープがなぜ、金光より田辺を指名したのかはあまり知られていない。
前年の黒田に続き、2年連続で地元の逸材を延ばしたね。
まあ、黒田を逃して指名した山崎、金光を逃して指名した達川がいずれも大成したので、結果オーライだけど。 >>595
田代さんは、1982年選手権決勝で桑原さんが池田に2-12で粉砕されたのをうけて監督に就任し、
広商に攻撃重視の野球を取り入れ、高校野球ファンを驚かせた人だった。
秋は中国大会を制覇し、選抜の前評判では、サンデー毎日が戦力の目安として重視していた「得失点差」が池田に次いで2位で、
ストップ池田の候補の1番手という位置づけだったね。
開幕戦でY校に完敗したけど、秋の中国決勝で宇部商相手にノーノ―をやった沖元がケガで投げられない不運もあった。
選手権も出てきて、仲田幸司の興南にも勝っているし、よくやったと思う。
つまるところ、田代さんが在任中の広島商は、甲子園でのクジ運が悪かった。
●Y校(準優勝)、〇中越、〇興南、●金足農(ベスト4)、●帝京(準優勝)
中越以外はすべて強力チームだったよね。 >>597
その時の三菱広島の監督が、昨年広島新庄の監督を勇退した迫田氏 >>596
1983年春、広商は開幕戦で、その三浦を擁するY校と対戦。
三浦の大きなカーブに広商打線がキリキリ舞いさせられて2−7で敗れたんだよ。
前半はなんとか食らいついてたような記憶があるけど、広商投手陣がエース沖元の
故障もあってY校に早々と大量失点してしまい、一方的に敗れたゲームだった。
Y校はこの年、春夏連続準優勝したチームだから、チーム力はあったけどね。
春は前年夏優勝の池田に、夏はKKコンビが1年生のPLに決勝で負けた。 >>597
佃も三菱重工広島に入ったんだったよな。楠原は日本生命だったか。 >>599
>つまるところ、田代さんが在任中の広島商は、甲子園でのクジ運が悪かった。
●Y校(準優勝)、〇中越、〇興南、●金足農(ベスト4)、●帝京(準優勝)
中越以外はすべて強力チームだったよね。
いや、気を悪くしないで欲しいんだけど、オレが言いたかったのは、こういう強力チームが
相手でも、あの江川を攻略したようなしたたかさが見られずに負けたのがなぁってこと。
全てはエース沖元のケガに起因してたんですな。
ただ、インパクトでいえば、1981年の夏に当時弱小県だった新潟の新発田農に延長の
末に負けて大金星を献上した試合の方が、インパクトではもっと上だった。
野球王国広島の代表が、新潟代表に負けるなんて当時は誰も予想出来なかったはず。 気持ち悪い連中だなこいつらw
ガキの球遊びの昔話咲かせるのも結構だが
自分ら今後の人生に潤い持たせる方法をもっと考えたらどうだよ糞ジジイ共がよw >>601
清原の甲子園初ホームランが三浦なんだよね
足長くてカッコよかった 1975年、迫田監督が準決勝で習志野に負けた責任を取って広商監督を辞任。
準決勝まできたら全国制覇は使命って、どんだけ敷居が高いんだよw
過去選手権準決勝5回進出で5回全国制覇してたみたいだけどね。 >>606
夏の甲子園4強で引責辞任て、どんだけ高校球界の盟主だったのよ? >>606-607
桑原さんも選手権準優勝で辞めているね。国体では池田に雪辱して優勝したのにね。
あと、川本さんも全国制覇の翌年、甲子園に出られずに辞めている。
まあ、2人とも大会前から辞めることは決まっていたのかもしれないけど。
ただ、この時代の広島商はころころと監督が変わり、あまり長く監督をやりたくないか、やれないような学校になっていたのはわかる。 >>603
>いや、気を悪くしないで欲しいんだけど、オレが言いたかったのは、こういう強力チームが
相手でも、あの江川を攻略したようなしたたかさが見られずに負けたのがなぁってこと。
そういう思いはわかるよ。
ただ、田代さんも就任最初の秋の中国大会では、宇部商の秋村を攻略しているし、甲子園でも仲田幸を攻略している。
最後の指揮となった1985年夏の県予選でも、戦力的に全国でも上位とみられた広陵と準々決勝で当たり、本原をかなり打ち込んで、5−7で負けたけど、意地を見せていた。
池田の全国制覇で高校野球がパワーを重視される時代になり、広商野球も過渡期に入っていた中、広商らしさをそれなりに見せていたと思う。 >>606
それで言ったら、>>595の田代監督なんて速攻解任のはずだけど、さすがにこんなに短期で
すぐ監督の首をすげ替えるのはマズい、と学校関係者や後援会は思ったのかな? 広商は強いときに強打者がいたイメージはないけど、弱くなってからソフトバンクの
柳田みたいな稀代のパワーヒッターを生んでいるのが不思議。柳田の高校時代の
ホームラン数は11本と少ない。大学で伸びたのか? >>459
迫田監督、畠山部長は「史上最強」と言われた71年のチームで甲子園出場ならなかったのは残念でたまらなかった。
それよりポテンシャルで劣っていた73年のチームには「お前らは弱い」「もっと考えろ」と言い続けた。 【伝説の奇跡】昭和53年夏 準決勝
中京 対 PL学園
https://youtu.be/B02Z0rqa9QM
(4時間前に公開) 1:18:32 >>612
タレントが集まり、強いと思われた世代が公式戦で結果を出せず、「史上最弱」と言われた後輩たちが甲子園で目覚ましい結果を出すのは、「高校野球あるある」だよね。
このスレにいるマニアなら、みんな知っているはず。
それとは逆のパターンで、下級生主体だったチームが甲子園で結果を出し、「来年は一体どれほど強くなるのか…」と畏怖されながら、むしろ翌年は公式戦で結果を出せないというのもよくあるね。 >>614
1971年の広島商は、春の中国大会チャンピオン 高校野球雑誌の相場は相変わらず下がらないな
1980年代のだとどこの古本屋でも2000〜3000円はするな
10年ちょっと前だと清原桑田関連でさえ大半が4000円近くしてた
報知高校野球が飛び抜けて高いな5000円以上とかもあるし逆にホームランは安い印象
ブックオフでは全然価値ないのか10年ちょっと前に数百円とかで1983年のが手に入ったりしたな
ブックオフは発売したバッカリの新品でさえ5円とかあるみたいだからな
ブックオフで仕入れたのてアマゾンの工場に送られたりするんだろ ドカベン山田太郎て香川がモデルだろ
アンダースローの里中は箕島石井がモデルかな
球道君は高知商中西だろ
あの年の選抜は浪商が大本命で推されてたのかな
石橋貴明も牛島香川のバッテリーがインパクト言ってたし浪商は秋箕島に大勝してるし
浪商が断トツの本命でPL高知商で箕島はその次あたりだったのかな >>617
逆。ドカベンは昭和47年から連載開始。容貌が似てることから香川のニックネームがドカベンになった。浪商-箕島は連載開始から7年後。 球道くんもだな。
連載開始は昭和52年だから、中西清起がそう呼ばれるのは、漫画の影響。
たぶん中西球道の姓は、中西太からとったんだと思う。
景浦安武は景浦将、藤村甲子園は藤村富美男、真田一球は真田重蔵という感じで、
水島先生の作品は、主人公の姓が往年の名選手と同じというパターンが多かった。 >>617
里中のモデルは71年桐蔭学園の優勝投手大塚というのが通説 >>612
72年のチームも広陵にボコられたさえない世代 >>619
球道君の姓は、中学時代の中西から貰ったそうですよ。 >>613
これぞ伝説の名勝負。久々に見たけどやっぱいい試合だわ。
そう言えば昔はヘルメットの下に帽子を被ったまま打席に入る選手をよく見たけど、最近はすっかり見なくなったね。 当時の広島球児は広島カープに一途だったな。
金光内野手だけでなく黒田投手(崇徳高)も日本ハム1位指名され、わざわざ崇徳高まで足を運んだ
大沢親分に対し「大沢さん?知りませんよ」とやり会議室で乱闘寸前になったと同席した三沢スカウトが
述懐してたし同時期に近鉄4位指名された応武捕手もこれまた崇徳高で足を運んだ西本幸雄監督に
対し「カープ以外は行かない」と拒否。1980年 原や石毛のスター軍団でキューバと対戦した時の全日本エース
の田村忠義投手も「カープでなきゃプロ入りしない」とクラウン1位、ヤクルト2位を2年連続で拒否。広陵高のコーチ時
田村氏を真近で見たが60歳とは思えない猛牛のような体で黒人みたいに日焼けしてた。 >>617
箕島ファンに質問なんだが箕島のユニは明訓と良く似ているが、帽子のマークのMが島本世代の時には金の花文字だったのだが、石井毅世代の時辺りから明訓型のオレンジMに変わった気がしているのだが、明訓を参考にしたのかな⁇ >>623
>春・夏の全国大会で活躍した高知商業高校時代から、「中西球道」(水島新司の漫画「球道くん」の主人公)にちなんで「球道(くん)」と呼ばれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E6%B8%85%E8%B5%B7
wikiでは、中西清起より漫画が先、ということになっているね。
中学時代の中西清起から姓をもらった、というのは、どこからの情報? >>617-620
このスレに集うマニアさんたちは当然ご存知なので、わざわざ言うのも気が引けるが、
江川学院の中は、江川卓さんの弟の江川中さんが由来だね。
中の1つ上の江川学院のエース大橋は、作新学院で江川の控えだった大橋さんが由来。 >>628
水島先生からの情報。四国へ行った時に高知に凄い投手がいるから見ていった方がいいと言われて、見に行ったのが中学時代の中西清起。最初の目的は違ったらしいけど、わざわざ見に行ったそうです。 >>625
田村指名のときはクラウンじゃなくて太平洋クラブライオンズと名乗っていた頃だろう。 【岡林 対 鈴木健】昭和61年夏 準々決勝
浦和学院 対 高知商
https://youtu.be/T4IDME7xAXQ
(5分前に公開) 46:39 >>630
そうなんだ。水島先生からの情報なら間違いないね。 ドカベンの石毛のモデルは元西武の石毛?
だとしたら石毛はアマチュア時代から漫画の登場人物になるくらい有名選手だったのか >>634
それも逆
ドカベンの石毛を真似したのが西武の石毛だよ。
何言ってんの? 年代を考えりゃわかるだろ。 >>635
は? お前 アホかw
リアルの石毛が漫画の石毛を真似て野球するわけないやろw
偶然て言えや カスが >>606
1975年夏の習志野と広島商の力関係はどうだったんだろうか。
初戦敗退だったが選抜に出ているので、習志野有利だったんだろうか。
まだまだ、この頃の習志野は夏は4回目の出場で、
どちらかというと新鋭校的な感じだったんだろうな。 >>637
75年と言えば記録的な長雨で日程が順延しまくったな
その影響で阪神の試合が中止になった ダルビッシュが野球始めたキッカケが伊藤智仁の無失点記録破った篠塚のサヨナラホームランて
篠塚のホームランなければサイヤング2位2回奪三振タイトル投手がいなかった可能性あったのか >>637
ベスト4が出揃った時点で、マスコミの予想は「優勝争いの最有力が広島商」
準々決勝までの完璧な試合ぶりが根拠だったな >>642
言ってたねえ
俺は決勝は習志野ー上尾の関東対決と予想してたけど
習志野は小川投手が本格化し打撃が絶好調で広商をギリギリ凌ぐ、上尾も相模倒した勢いで決勝進出は堅いと予想したが、堅いはずの上尾が負けちゃったね >>626
1977年に東投手を擁して箕島が2度目の選抜優勝した際は既にオレンジMだった。
名訓を参考にしたかどうか不明でさすさかわ、あのMの形は尾藤監督自らデザインしたらしい。
石井世代から帽子の形自体が凄くカッコいい形のものになった。 >>634
ドカベンの石毛って、ヒット打った場面がいちどもないらしいな。 >>642
75年夏の広島商は「一昨年の優勝校」と言うだけで、大会前の前評判は悪かった。
しかし、大会が始まってからは「広商野球」全開で評価は爆上がり。
習志野との準決勝前は「決勝戦まで勝ち上がった広商は必ず優勝する」と、準決勝は問題にしてない新聞各社の予想だった(笑) >>546
県内にて逆転の浜商って言葉がまだ生きていた時代でしたね。
1980年昭和55年準決勝で静高、静商、静清工と破り勢いに乗る三島南を14-2でフルボッコ。準々決勝以降コールドが無い時代でした。
また浜商は夏の静高、静商に滅法相性が悪く逆に東海大一、東海大工には相性よかった。
格下相手には取りこぼしが無く確実に勝つチームカラーでした。
昭和46年(53回大会)〜平成18年(88回大会)まで静岡大会で初戦敗退はなかったが以降初戦敗退を5回した。
最後に甲子園出場したのが平成12年夏(82回大会)やから20年経過した。
県西部で昭和58年〜平成末期までに野球部が出来たのが思いつくだけで浜松湖南、浜松江之島、浜松東、浜松南、菊川、聖隷。
平成以降浜松湖東、浜松市立、女子商(浜松修学舎)、誠心(浜松開誠館)、磐田東、オイスカに相次いで創部(新設校は浜松湖南、浜松江之島のみ)
指導者云々ってのもあるけど分散が原因かねこれ。 >>570
1イニングで一気に6点先制されてなおも無死満塁のピンチに稲垣がリリーフ登板し後続を抑えてコールド負けは凌いだって聞いた。
しかし完封負けはいただけないな。 >>646
準々決勝で難敵・中京商を完封した広島商に対し、習志野は2回戦から「くじ運」に恵まれて勝ってきた印象だったから余計に…。
広島商も準々決勝で好投した山村に拘り過ぎた。順番が逆で、田井ー山村の継投の方が面白かったかも。 >>649
準々決勝で習志野は磐城に16−0と大勝。
得てして打線爆発して大味な試合の次は
振りが荒く大きくなったりしする。
ましてや相手は緻密な広島商。
準決勝は逆のスコアで広島商勝利と思ってた。 >>649-650
あの年の習志野の大会通算チーム打率がたしか.390くらいで、長いこと、選手権優勝校の史上最高打率であり続けたね。
たしか1982年に池田が山びこ打線で優勝した時も更新されなかった。
記憶では、KKのPLか、2001年の日大三が更新したんだったと思うけど、定かではない。
当時の自分はまだ小さくて高校野球を見ていなかったので、くじ運に恵まれていたというのは知らなかった。 >>649
打線はとにかく、投手力は優勝した73年よりも75年の方が上だったな >>645
ドカベンで、実力がベールに包まれている選手というと、東郷学園の小林もだったな。
中学時代から山田、里中の両方とすごい因縁があり、柔道部編時代から登場していたキャラクターが、
高2の秋に彗星のように再登場してきたので、凄い見せ場があるのかと思いきや、下尾なんかに負けて、選抜にも選ばれず、結局、明訓との対戦は無いままだった。
小林は、巨人の小林からとったのかと思ったが、時系列的にそうではないね。
巨人のドラフト1位を拒否した愛知学院大の小林だったりするのだろうか。
下尾は、上尾が由来だね。
あの大会は他にも、栃木から小山が由来と思われる大山が出場していて、水島先生の学校名の決め方がアバウトになっていた。 >>652
更新したのは85年PLで4割1厘だったと思う。
習志野の大会最多安打67は82年池田が85と更新されていたな。池田は習志野と同じ5試合消化した準決勝終了時に習志野に並んで、決勝で18安打したから。 >>654
殿馬とハイジャック犯を捕まえたからヨシ >>653
田井が立命館のエース。山村が東洋の2番手だったっけ?
2人とも下級生の頃からけっこう投げていたと思う。 >>650
甘いのお
習志野は足利学園戦で接戦をものにしているし、俺は習志野が勝つと思っていたわ
小川が初戦とは別人のような制球力で打たせて取る投球を身につけていたし、広商に取られても2点ぐらいだと失点が計算できたし
肩が痛くて速球投げられず制球と緩急に特化して投げていたとは夢にも思わなかったけど >>658
山村は高校、大学と、オールジャパンにも選ばれていた 山村は凄い苦労人だったらしいね。準決敗退翌日だったか、スポ紙で見た記憶がある
それと上尾、広商と信じられないような大物敗退が続いたたとかも書いてあったかな
でも結果的に習志野は完勝だったな >>137
興国と言えば、1975年ぐらいだったか?・・・日南が赤ヘル旋風で初戦に優勝候補の寒川Pの岡山東商を破り、
2回戦で興国も倒したってことあったな。それ以来興国ってあまり見てないかな?
岡山東商には確か美木良介もいたはずだよね・・・。日南は3回戦も広商で、3戦連続強豪相手に健闘した・・・まさに赤ヘル旋風という言葉にふさわしい活躍だったな。 >>664
興国は初戦で仙台育英に勝ち、日南戦も前半は4ー0でリードしてたんだけどひっくり返されたんだよね。
興国はこの時以来甲子園に出てない。今元プロの喜多が監督やってるから久々に出てほしいな。センバツならワンチャンあるかも。 >>664
やはりあれ以来でしたか〜。
興国という2文字で今思い浮かぶのはボクシングの井岡だもんな〜(苦笑)
興国、明星、大鉄(今は阪南大高でしたっけ?)あたりの古豪は久々に見たいね。その中でも可能性があるのは興国ですか〜。。。元プロの監督ならなんか少しは期待できそうだね。
そういえば興国は数年前、秋は大阪上位まで行ったことなかったっけ? >>663
松田が汗をふいている間に三盗されたな。 >>667
タイムをかけずに松田に歩み寄った、サード外山衛が悪いww >>665
そうそう大阪3位で秋の近畿大会に行ったんだよね確か。
なので興国はチャンスがあると思う。ただ阪南大高も秋の近畿大会に何年か前に行ってたね。
阪南大高は阪南大大鉄に校名変更して欲しいw >>634
石毛宏典がプロに入った頃初めてもうドカベン終盤ので頃だよ。野球始めたの中学の時だからドカベンが始まる前だわ。 ごめん635だった。あまりにバカバカしくて笑ってしまった。 今の興国、阪南大は野球以上にサッカーに金かけ過ぎだと思う。 >>635のコメした人、マジなのかボケたのか、明らかにして欲しい。
俺はそれが気になって夜も眠れないわ。 >>665
興国は3年前の夏、今は中大で投げてる植田がエースの時に選抜優勝の大阪桐蔭と接戦の末敗れて。
この年の興国のチーム自体の評価も高かった。 >>642
習志野は2度の全国優勝があるが、
いづれも準決勝で強敵とあたっている。
昭和42年夏は準決勝で、なんと前年春夏連覇の中京、
当時、まさか天下の中京が、学校創立10年で2回目の出場だった、
千葉の習志野に負けるとはおもわなかったろうな。
昭和50年は準決勝で一昨年夏優勝の広島商
決勝は新居浜商で1−4と中盤ぐらいまで、
かなり劣勢で大苦戦。あわや新居浜商が全国優勝かと思われたが。 川本さんは地元の修道大学に進んだが社会人はスター軍団のリッカー(東京都)で1981年都市対抗では
2番セカンドで中西清起のバックを守り逆に広島に帰った金光さん若松さん荒谷さんの三菱重工広島と
対戦してた。29歳の時にリッカーが倒産して現役を上がり実家のタイル店を継いでたとこを広商がパートタイムの
指導者として声を掛け1986年からコーチになった。2001年に広島のローカル放送で「1973年 広島大会決勝
崇徳高 VS広島商再戦」企画があり、この川本さんに佃さん、達川さんに楠原さんらが、これまたスター軍団だった
崇徳の森本シェフ(料理の鉄人)藤原(元阪神)福井(元中大)山口(元駒大)らが45歳のおっさんになったが楽しそうに野球してた。 >>676
川本さんも佃さんも早くに亡くなってしまったね。
達川さんが選手権の100回大会でレジェンド始球式に登板したとき、「本当なら、佃が投げるとこころ」と言っていたのが印象的だった。
広商は、1988年の優勝メンバーでも一番打者の井上さんが若くして亡くなられたね。 >>676
崇徳の73年主将・森本が料理の鉄人に出てきた時には驚いたな(・・;)
名前に聞き覚えがあったからよく見たら、野球部当時の面影があった >>675
ちなみに習志野はS50県大会準決勝で前年度優勝校銚子商に勝ってる。翌年、夏の全国大会前年度優勝校と前前年度優勝校が当たったのは史上初だったとか。やはり準決勝だった。 >>654
ドカベンって茨城代表と一度も当たらないんだよな
千葉のクリーンハイスクール
山梨の甲府学院
埼玉の下尾
栃木の江川学院
群馬の赤城山
まあ当時の茨城代表は今よりも弱かったからな >>675
>昭和42年夏は準決勝で、なんと前年春夏連覇の中京、
どこかのスレで見たことあるけど、この試合に勝った習志野の市原監督が、試合後の
インタビューで「中京みたいな田舎野球に負けられませんから・・・」と言ってしまって
大会終了後に速攻で監督を解任されたんだよね。
>>654
あの年の秋季関東大会準決勝で名前忘れたが、明訓と当たった栃木の日光学園が
1回ウラ、明訓に10点取られて1回コールド0−10で負けてたね?
明訓の岩鬼だけは2三振して下尾ナインに嘲笑されてたが。
当時、1回コールドなんて規定が本当にあったのかな?
それと江川学院はこの関東大会には出てなかったよな?どういう選出だったんだろう?
まさか20世紀枠とかw >>675
広商を完封したものの、習志野小川の肩が限界にきていたからね
雨の順延がなければ決勝戦は投げられなかっただろう
実際、決勝戦の小川は広商戦の彼とは悪い意味で別人だった
それでも、騙し騙し完投したけど、延長戦に持ち込まれていたら勝負はどう転んだかわからなかった
結局、小川はこのときの無理が祟って大学から打力を生かして外野手に転向することになる 小川は国体でも全試合完投して優勝
石井監督は鬼だった
準決勝は広商を再び完封、決勝も新居浜商を返り討ちにしている 昭和55年夏 2回戦
南宇和 対 旭川大
https://youtu.be/v2izmdPVluE
(3分前に公開) 54:53 習志野の石井監督、現役時代の牽制球の上手さは凄かったっけ
今まで見た中で自分の中では東海大相模の村中と双璧かも
村中さんも、どの試合か忘れたがノーアウト1,2塁のピンチに
牽制球でどちらもアウトにしてあっという間に2アウトランナーなし
あれには痺れたっけ >>684
その三重国体決勝、新居浜商との再戦は9回裏、主将福田の逆転サヨナラホームランという劇的幕切れだった。スコアは4-3。
その国体、原の東海大相模は旭川竜谷に5-7で負けたんだよな。直前の秋の県大会で横浜に敗れて翌年の選抜が絶望になっていたので原監督は「国体では目一杯やりますよ」と語っていたのだが。 >>685
この年は確か3回戦までふるさと紹介流してたっけ 山村の息子さんを知ってるが
左腕の投手で
広商−東洋大。高校時代のことは知らないが、大学ではたしか一度も登板なかったかな。 >>691
広島で有名な「山村一族」の甲子園経験
・山村幸紀(広島商) 70年夏
・山村力人(広島商) 75年夏
・山村勝紀(広島商) 84年夏
・山村浩紀(広島工) 86年春・夏 >>692
84年夏の山村勝紀さんは、金足農・水沢から4打数4安打
三塁打1本、二塁打1本の大活躍だったのを覚えてる >>686
小川も石井監督仕込みで牽制球は上手だった >>693
このスレ的には 1984年 夏の選手権一回戦
金足農業6-4広島商の結果は
順当なのか、番狂わせだったのか? >>660
全日本選抜・石井好博監督「アンダースローの青山(国府)とブレーキの鋭いカーブを投げる山村(広島商)を投手陣の軸にする」
遠征の山村投手の成績:4試合 19回2/3 被安打9 自責点3 防御率1.38。 >>686
>>694
牽制球の上手い投手といえば、桐蔭学園の志村さんだね。
1回戦から一塁走者をバンバン牽制球でアウトにしまくっていた。
逆に投球の印象はあまり無かったんで(スピードがすごいわけでもないし)、大学でドラフトの目玉になった時は意外だった。 >>694
しかも2塁への牽制球で刺してピンチを切り抜けたのが何度も。 >>680
千葉代表は、2年秋の関東大会初戦で中山畜産ともやっているね。
県大会でクリーンハイスクールを倒した学校。
>>688
そうそう、江川学院が秋季関東大会に出場せず、選抜に出場してきたのは、山田たちが2年の時の選抜だった。
当時は21世紀枠はなかったんで、県大会で敗退しながらエース大橋の評判により選抜されたとかそういうことだろうな。
翌年も秋季関東大会に出てこれなかったけど、この時はたしか大山高校に負けたんだったと思う。
たしか各地の県大会で強いチームが負ける波乱が相次いだんだよね。
あの弁慶も、武蔵坊を欠いたとはいえ、花巻に県大会で屈したからね。 >>695
その3年前の新発田農戦と比べればそれに当たりませんね。 東洋大1年当時の山村投手
広商時代の方が先輩・佃に似てたな
https://youtu.be/NBPj-E47m3Y >>700
1981年夏の広島商って、予選でも本命じゃ無かったような気がする。
センバツに出た尾道商がやや抜けてる程度の大混戦だったかと。
実際、予選の決勝でも近大福山を相手にやっとの逆転サヨナラ勝ちだった。
それでも甲子園では名前で勝てるかと思いきや、当時の弱小県新潟の
新発田農・須藤の粘り強いピッチングの前に凡打の山。
それでも9回表に1失点した後の9回裏に1点取って同点に追いついたのは
さすがと思わせたが、逆転サヨナラには至らず、延長10回で力尽きた。
往年の広商なら逆転サヨナラしてた展開ではあったと思う。
けど、あの試合は何より新発田農のエース須藤の力投を称えるべきじゃないかと。
須藤といえば、卒業後、どっかのノンプロにでも進んだのかと思いきや、ある雑誌で
キッパリと野球を辞めて農協に就職した、という雑誌の記事には驚かされたな。 >>702
その新発田農は前年のチームのほうが強かった
甲子園ではベスト4入りする天理高校をおおいに苦しめた
投手も須藤よりそのときの投手のほうがよかったと思う
ただ、翌年のチームはそのときのレギュラー大沼、小池の経験値が生きて2勝できたんだろう >>702
その通り。
春の中国大会チャンピオン・府中東、秋の県大会チャンピオンの広島工、センバツ出場の尾道商、本格派・山川を擁する県準優勝の崇徳…。
実績の上がってない広島商は目立っていなかった。 >>704
2年前、片岡のワンマンチームだった府中東が、今度は打撃のチームになって中国王者になった
のには驚いたな。
そして、肝心な夏の県大会では1回戦敗退。エースが不甲斐なかったのは皮肉だった....。 >>666
あの時の日南は、宮崎県準決勝で北別府の都城農に圧勝して一気に甲子園まで駆け上がったんだよね。さすがに北別府が負けたのはショックだった。
決勝も優勝候補の宮崎商に逆転勝ち…甲子園での活躍も含めて、やはり接戦にも強い良いチームだったんだろうね。
逆に日南に決勝で負けた宮崎商はこういうチャンスを逃したために、夏は赤川(元ヤクルト)の時に40数年ぶりだったかな?・・・そして春は今年ついに50数年ぶりに甲子園復活出場だもんな〜。
日南はその後1〜2度出てるけどね・・・・。 >>669
それいいね〜・・・校名に「大鉄」があればまた盛り上がりそう?!
俺よく大鉄が阪南大高だったか?大産大高だったか?わからなくなる時あるからね・・・(苦笑) >>666 >>706
日南のライト外山で思い出したけど、広島商と対戦した3回戦で、1−5で負けはしたけど、
機動力野球が看板の広商相手に、2回もライトゴロを完成させてたね。
そういや甲子園でも最近はライトゴロなんて見なくなったような。 >>708
ライトは平田だよ。
平田は打者によってセカンドの直後の思い切ったポジション取りをしていたから、
ライトゴロも当たり前w >>708
あの試合も、確か日南が先制したんだよね。
でもさすがに最後は力尽きた感じだったね。昔のアサヒグラフの写真(田舎の実家にまだボロボロだがあるはずだが・・・)で、3塁ランナーが牽制で刺されたようなものがあったような記憶もあるなー。外山の弟だったか?
それと興国戦では鎌田の決勝ホームインのヘッドスライディングの写真・・・顔面度アップのような感じだったか? >>710
ゴメン、記憶が定かでなくて・・・・ひょっとしたら2ベースとかで塁を欲張ってサードでアウトかも・・・・??
いずれにしても終盤まで広商相手に大健闘。でもクソ高野連のヘルメット色規制で赤ヘルが使えないのは本当に残念。
でもあの日南のユニは好きだな〜。 >>712
「自演」って、ひょっとして俺の事?
>>710 >>711 は俺だよ。「ゴメン」は、記憶がはっきりしないんでみんなに対して言ってるんだけど・・・。 >>681
大利根って明訓と当たったか?
>>699
中山畜産は記憶にないww >>670
>>673
0635 名無しさん@実況は実況板で 2021/02/05 22:36:04
>>634
それも逆
ドカベンの石毛を真似したのが西武の石毛だよ。
何言ってんの? 年代を考えりゃわかるだろ。
ID:6tqcimDv
…の犯人特定!→→→>>710、>>711
アンカーの後に1行改行入れる奴、こいつだけ(笑) >>715
なんか変な感じになってきたね〜。
「興国」「日南」ネタで昨日から久々にここに書き込んだら、俺、何かの「犯人」にされてるんですか〜????
訳も分からんけど、あなた何かドデカイ勘違いしてるよ!!あなたがもし50歳以上の人なら、こういう人もいるんだね〜。ショック! >>717
だから、何の「犯人」????ええ加減にせいよ!
せっかくの「50歳以上」スレでこんなことが起きるのか?全く残念!せっかく1975年夏を楽しく思い出せてたのに・・・。 >>718
>1975年夏を楽しく思い出せてたのに・・・。
お前のせいで不快な思いした人もいるぞ! >>719
だから、何が問題になってるのかハッキリ言えよ!
俺は昨日から「興国」「日南」「大鉄」などについてしか書き込んでないぞ!何の「犯人」なのかはっきり言えよ! 50過ぎて明らかな荒らしに反応するのはやめなさいw まあ気を取り直していきますか…匿名のネット上ではこういうことは当たり前なのかもしれんけど、
「50以上」スレでこういうことが起きるのはショックだな〜。みんな昔を懐かしむほんわかした雰囲気かと思ってたからね。
それでは、・・・・翌年、外山の弟が3年になってまた夏に県決勝まで行って、これは日南と思ったら、まさかの県立福島高校ってのが甲子園行ったんだよね。
そこに2年でいたのが元ロッテ、オリの西村監督だった。 ↑ ドカベン二年秋関東大会編は
明訓高校ナインが読んでいる新聞に掲載されているのが
クリーンに勝った中山畜産、甲府学院に勝った赤富士
話題の選手として、下尾の仁 大熊谷の河地、大利根の平手
次の号で読者に動く絵面で紹介されたのが
中山畜産ナイン 赤富士の一合 大利根の平手 下尾の仁
実際の明訓高校の勝ち上がりが
中山畜産→大熊谷→日光学園→下尾
水島新司先生も最後の一踏ん張りを期して
出落ちキャラを乱造したものの
(選抜大会への特殊なルールもあって)
モチベーションを継続出来ずに
選抜大会で、花巻高校=太平洋との対決を最後に
作品を終了させることになる? >>723
呉工に3−4で。
呉工は代表になった広島商にも1−2と善戦した。 >>725
府中東の片岡って、今は宮崎で飲食店やってるってるらしいね
。やはり日南キャンプつながりで、宮崎に居ついたのか? >>726
奥さんの実家が宮崎だからじゃないかな。 東海大相模VS土浦日大
延長16回サヨナラの場面はライト前ヒットで3塁から村中がヘッドスライディングで
生還だったと記憶しているが、ライトが素早く返球して結構クロスプレーじゃなかった? >>714
大利根のバッターが空振りした時に山田の足にぶつけるシーンがあったと思う 今迄の甲子園でオッちゃんが一番、感動した試合は準決勝、定岡の鹿児島実と防府商の試合。同点で迎えた9回ニ死二塁から、定岡から代わってた堂園がセカンドに牽制悪送球、これをカバーに入ったセンターがなんと後逸してしまいサヨナラ。間に合わないのに球を必死で追いかけ最後、球を審判に届けた姿に涙が止まらなかった。 >>729
村中はライトライナーだと錯覚していて、サードベースコーチの声でスタートを切った >>730
そうだったか
大利根は取手一高か二高かな?
二高の校歌に大利根の流れを眺めって歌詞があるが
この校歌はエールの古関さんが作ったんだよな >>703
そもそもこの年の天理は甲子園で勝ち進めるようなチームではなかった
秋は駒田の桜井商業に完敗だし夏も予選準決勝で負けかけた
2年生主体で勝ち進んでしまったから翌年は幻の最強チームなんて言われたけど実際の所はそこまでは >>707
大産大高の旧称が大阪鉄道高校やし無理も無いね。 興国で思い出すのは全国制覇した時のエースP(丸山だったか?)
ともかく球速がないアンダースローなのに打者は全く打てない
手元でストンと落ちたらしいが、見てて全く点とられる気がしなかった
三重が一点取ったのが奇跡に思えたっけ >>136
高校のほうは河内天美から高見ノ里に移転してもうたな。 >>738
大利根はエースが宿舎で咳こんでて終わった気がする 下尾は強いのかと思いきや、しょぼかったな。
ニセ山田みたいな終わり方だった。
選抜でまた出てくるのかと思いきや、知らないうちに負けているしなw
水島先生はあの頃、ドカベンを描くモチベーションが明らかに下がっていたな。 2年秋以降のドカベンは明らかに手抜きで、3年春のセンバツは特に酷かった
土佐丸との対戦も描かないほうが良かったのではというレベル なにがあったんだろうね。たしか単行本一冊で三年春の選抜の4試合が終わってしまっていたんだから。昔ならその逆だよな。 世代的にはドカベン直撃世代なんだが、読んだことないからあまり分からない >>734
実際は広陵を一蹴し、横浜高校も苦しめているんだが
高校生の成長を無視してはいけない >>747
後年当時の天理の監督が著書の中で、「横浜のサインはすべてわかっていた」と白状しているね。
ちなみに1986優勝直後の著書にも「1972東北のサインはすべて解読していた」と書いてあった。 北海大三戦の前の準決勝の相手が思い出せない
沖縄だったと思うが 石垣島高校との準決勝では、春なのに異常に厚く、北海大三さんとの決勝では、春なのに異常に寒く、雪が降ったんだよな。
それが苦戦の原因になった。
水島先生がいい加減になっていたのは間違いないな。 連投すまん。
まあ、漫画の話ばかりでもあれだが、ドカベンの話になるのは「50歳以上のおっさんが高校野球を語る」というスレの趣旨にも合致しているよ。
この年代の高校野球マニアは、みんなドカベンをはじめとする水島先生の高校野球漫画を読んでいるから。
おそらく「30歳以上のおっさんが高校野球を語る」だと、漫画が話題になるときは「メジャー」とかだろ。
メジャーの話題をこのスレで出されたらゲンナリだけど(そもそも、ほとんど知らないし)、ドカベンはOKだと思う。
ほんと、みんなよく憶えているよな。 フィクションだけど、実在してる学校名を模してるのは
今となってはセンス悪いわ。
上尾が好きだった自分にとって、下尾なんて馬鹿にしてる
としか思えなかった。 >>756
三年センバツ
2-0通天閣
3-1花巻
1-0土佐丸
1-0石垣島
4-3北海大三
明訓の得点はすべて山田のホームランだよな。 弁慶と土佐丸の一戦は痺れたな
例えるなら王者箕島のライバル校浪商が準決勝で池田にまさかの敗戦を喫した時のような感覚 80年代あたりから高校野球日本代表チームてあったけど韓国アメリカのチームには負け越してバッカリだった
清原桑田世代くらいだったな全勝したの
最近は2012年が過去最悪の6位コロンビアにも完封負け2018年は韓国台湾に連敗して実質アジア最下位
逆に1998年2011年2016年はアジア全勝優勝
2015年も決勝でアメリカに負けた意外は全勝だった
2012年2018年大阪桐蔭が選手集めてまくって春夏連覇した世代だけ著しく成績悪いな
他行けばエースなれる140キロ投げる投手がベンチ外でスコアラーとか美談にしたけど 俺はドカベンより、ちばあきお作キャプテン、プレイボールが好きだったな。
中学の時ぐらいに読んでたらもうちょっとマシな野球部員になれてたような気がした。 >>762
今のコージィ城倉版に辛口レビューしてるクチ? 【峡南の伊藤】昭和58年選抜 1回戦
大社 対 峡南
https://youtu.be/D99-NS8w5C4
(3時間前に公開) 38:01 ドカベン。山田里中の明訓は結局甲子園で何回優勝したの? >>760
そして明訓が弁慶に負けた衝撃は、あえて言うなら、史上初の3季連続優勝を狙った池田がPLに敗れた時の衝撃に匹敵するな。
後者は点差だけ見たらワンサイドだけど、そういう感じはしなかったからな。 千葉刑務所でコロナ集団感染だそうだけど、ここに収監されている元前橋工業の投手は大丈夫だろうか? 「ドカベン」で嫌いなシーンは、やりたい放題の土佐丸高の犬飼が試合後は殊勝な態度に一変し
「山田君・・がんばってくれ・・」には子供だったが「なわけねえだろ!」とツッコミを入れた。
1980年の川口工の野球は「土佐丸野球」を参考にしてると思った。「走者へスパイクの刃を向けたスライディング」
「一塁手に対するフライング・ボディアタック」「塁上の走者の頭に向け送球」 明訓を筆頭に白新、横浜学院、東海、東郷学園とライバル校がひしめいていた神奈川県は横浜、東海大相模、桐蔭学園、横浜商業らが強さを誇っていた時代を彷彿させる 子供心にも納得出来なかったのは土井垣が犬飼小次郎と同等の評価を受けていたこと 甲子園で土井垣が打った場面記憶になかったし 昭和48年、タレント軍団・崇徳高の鬼監督は吉田監督といいイチローや松井となれなれしく
してたテレビ朝日の義田記者の父親。広島アマチュア野球の顔役。 藤村甲子園3年春の72年センバツは八百長にまみれた大会だった >>764
もしも1983年に21世紀枠wがあったとしたら
高崎高校の時と同じように
横浜高校を一般枠で選出すべく
峡南を関東地区推薦してたのだろうか? >>757
サッカーファンにとってのキャプテン翼みたいなもんだね。 俺40代だけど耳鼻科の待合室でビッグコミックのあぶさん見て野球始めた ファミスタのアニメスターズはメジャーリーガーズより強かったな >>774
少しずれるが、もしもがあるなら
1989年の茨城の太田一高を挙げたいな
1900年創立で梶山清六を輩出した伝統ある高校
県準優勝で関東一回戦も突破して初めての甲子園
かと思いきや、宿泊先で部員の集団食中毒で棄権
こんな切ない記憶はないわ >>778
あの時代に21世紀枠があったら、81年嘉穂、84年三国丘、86年都足立西、87年洛星とかも選ばれていただろう。 >>778
切ないといえば、1975年の選抜の開会式の日の朝に、野球部とか関係無い生徒の強盗・
婦女暴行未遂逮捕を受けて、出場辞退を余儀なくされた福岡の門司工(現:豊国学園)。
野球部の不祥事ではなかったから対外試合禁止にはならず、夏の予選には参加したが
予選で敗れ、夏の甲子園出場はならなかった。
これというのも、当時の選抜大会出場校には「学校の品位」という項目があって、野球部員で
なくとも、刑事事件を起こすような生徒がいるような学校は大会出場が認められなかった為。
この「学校の品位」の項目が今もあったら、おそらく毎年のように選抜に出られない学校が
出てたんじゃないか?と思ってしまう。 自分もあの門司工の出場辞退は、史上最も悲惨な辞退だったと今も思ってる 代理の佐世保実は開会式出なかった唯一の学校じゃねえか? >>783
門司工は開幕式前日の予行演習で、グラウンドで行進もやってたからね。 >>784
佐世保工ね。
当時の新聞記事で読んだけど、門司工の出場辞退が決まって急遽長崎から空路甲子園
入りして、初日の3試合が終わった後、ナイター照明の元で甲子園練習をやったそうだ。 >>781
記憶違いなら悪いが、三国丘は普通に近畿代表になってない?
84年て岩倉が優勝した時だよね >>787
なってないと思う。
83年秋の近畿大会は、同じ大阪のPL学園(あのKKコンビがいた)が優勝。
近大附属はベスト4に入ってた。
対して三国丘は1勝してたけど、ベスト16止まりだったから、通常なら大阪から3校は
考えられなかった。
それが例の「近大附属は府大会と近畿大会の2度PLにコールド負け、対して
三国丘はPLに1点差負け」の”異例”の理由付けで三国丘が逆転選出。
近大附属がもしベスト8止まりだったら、どちらも1勝ってことになるから、あるいは
三国丘の「一般選出」もあったんじゃないかと。 ある意味84年の三国丘の選出を“合法化”する為の制度が21世紀枠であるとも言える。 石垣島高校の選手が本土への交通費だったか、工面するのにサトウキビ畑で
働く場面があったけど、本土との経済格差が垣間見られて興味深かった。 >>789
4回
2年夏だけ二回戦で弁慶高校にサヨナラ負けした
ラッキーゾーンにも客を入れた試合だった >>791
アニメ版だと1年夏の県大会終わって甲子園までの間に部員みんな色々バイトするんだよね
いわき東の緒方を見て徳川の指示かな >>794
記憶だと、甲子園出場が決まったあと徳川が「オレは甲子園に行かない」と言い出して山田たちが頼んでも聞かなかった。
しかし校長から「部員たちが甲子園に出るためにアルバイトを始めましたぞ」と聞いた徳川は部員の気持ちが嬉しくなり甲子園に行くことにした。
たしか甲子園では山田の妹のサチ子が部長登録でベンチ入り。95年夏の柳川が女性部長の第一号だったからドカベンでは20年も前に実現していたことになる。 >>782
「学校の品位」って、毎日新聞何様だよと思ってしまうな。
選抜大会だけのアホみたいな基準だったと思う。 >>787-790
そうだね。
もしも1984年選抜で21世紀枠があれば、三国丘は21世紀枠で選出され、近畿の一般枠でPL、近大付も選ばれ、大阪から3校になったろうね。 連投になるが、近大付が落選したのは「三国丘を選ぶため」だが、
江の川の落選については、むしろ「江の川を落選させるために倉吉東と宇部商を選んだ」という感じだったね。 >>802
宇部商と倉吉東は江の川を落としてまでも選出して甲子園でも結果を出して。
選考委員会側も選出結果は正しかったと・・・ 話の腰を折って申し訳ないけど…
センバツて必要か? 俺はもはや必要ない派、やらなくていい派、アンチ選抜派だわ
あんな胡散臭い大会はもはや反吐が出るわ
今大会に自分の県(中京大中京)から出るにも関わらずこんな気持ちになるんだからこの気持ちはもはや本物だなw
あの出るだけで意義がある大差負けが安堵のゴミクズ21枠を無くしてくれ
それか最大でも2枠までにしろ!
その分を他の地区に回せ! 今回は天皇誕生日に抽選だが、今後もこの流れになりそうな予感するな
選抜はいつも早めがデフォだが
少しでも前もってすれば色々と準備しやすいからな
気象条件は悪いわ社会的に時期が悪いわで熱中なんか出来んだろ、選抜程度の大会なんぞ
アホらしいわな
もう無くしてくれてこっちは構わんよ
坊主達の気持ちなんぞ知るか
世の中なんか理不尽だらけだ
理不尽だからて腐ってたら何も出来んぞ >>803
でも江の川も夏にベスト8へ行っているから力は倉吉東よりはかなり上だったでしょ 自分も母校が選抜決勝まで行った事あるけど、春は夏前まで目一杯各県のリーグ戦をやればいいと思った事ある。夏は一回負けたら終わり。3年生はそこで高校野球終了。選抜は負けても出れる。最近、選抜が救済策になっているような気がする。本当に強い学校でやるなら各地区優勝校のみで9校でやればいい。実際に秋が選抜の予選になってるし。 >>806
気に入らないからてやりたがってる人から取り上げてワザワザ嫌がらせする必要もないんじゃないのか?
そんなに坊主どもが気にくわないならぶん殴ってこいよクズ
糸井か中田翔でもアッサリKOすりゃ力づくで甲子園廃止出来るんじゃねーのか そういや昭和59年の近畿大会ってどうなってたか知らんな。
「PLが優勝した」とも聞いたことないし。かといって他に強烈に強い高校は
当時、近畿圏にはなかったと思うし。近大付属とか? 時代80年代の大の流れで完全に地に落ちてしまったけど
70年代後半の浪商
80年代の大商大堺
90年代前半の渋谷
が懐かしい
79年の浪商は監督の敬遠や送りバントの指示に反抗して強行した牛島や
強烈なキャラクターの香川などマンガのような夢のあるチームだった。
80年代の大商大堺は元ロッテの山本功児監督のお兄さんが監督をしていて
当時全盛を誇ったPL学園にだけは滅法強かった。(PLに勝った後に
すぐ負けたりして結局甲子園には、いつもあと一歩で届かなかった)
90年の渋谷は中村が投打に暴れまくって大阪では恐らく最後になろう公立高校の
夏の甲子園出場を勝ち取った。
あんなに暴れまくる球児は大阪の公立校ではもう現れないだろう >>810
確か東洋大姫路やろ
アンダースローの豊田がPLを完封したと思う。 >>812
言葉足らず失礼。
春の近畿大会の結果がどうなってたのかと。 「春は選抜から」なんて枕詞が必要なこと自体、選抜は胡散臭いわ。 >>810
PLは大阪大会準々決勝で近大附の木下に完封負け >>800
最も品位が無いのが佐伯天皇というオチ。 >>814
この年の和歌山は箕島の嶋田、杉本、新宮に山崎慎太郎もいて、好投手揃いだったね。 >>816
優勝したのは上宮。
中日で一時活躍した左腕江本、苫篠弟が投打の主力で。
苫篠弟は高校時代はショートでした。 春季近畿は開催府県以外は1位校だけ出場が続いてたんで、調整と踏んでた所は出てないのも多く、出場校ほとんど夏につながらないケースもあった。 今度の報知高校野球の表紙はなんだこれは。
報知はどこに向かおうとしてんだ
野球漫画を表紙にきた時も百歩譲って耐えたけど今回はないわ、
我々世代にしたら80年代の表紙は部活の一環の高校野球感が率直に飾られてて良かったのになあと懐かしくもある(滑り込み、クロスプレーとか多かったよなあ)
時の流れなんかなあ、寂しくもある 年末報知高校サッカーがローランドで
「表紙でホストてwサッカー部員可哀そ…」って思ってたけど
まさか高校野球も同じことするとは…
しかもメインキャラクターって何だよ、今後もずっとこいつ絡むの?
女ファンどもに買い占められるじゃねーか
でも98年もずっと女子マネが表紙だったな
最後は松坂だったけど(決勝ノーノーで急遽差し替えたらしい) >>821
なかでも82年選抜出場校を探る号の表紙は最高だったな。
芝生の上に置いたグラブをアップした写真。 >>815
うるせぇ文句があるなら高校野球見るな!お前は反日パヨクだろクズ! 結果的にコロナ禍でもし今年も中止になれば今後選抜消滅もありえない事じゃないかもな
もし無観客でしか開催出来ないとかになったら、夏もだけど主催新聞社は必ず
中止にする理屈を作ってやらんだろ
去年夏の中止のニュースが流れたとき、その理由が「緊急事態宣言の1週間延長が響いた」だと。
そんな理由しか付けられんのかと思ったわ >>826
だから気に入らないなら球児をぶん殴ってこいて言っただろクズアンチ
球児の事なんてこれっぽっちも心配してないんだろ
いい加減シツコイんだよ >>826
お前みたいなの邪魔だから消えろよ
気に入らない球児と殴り合いする度胸もないんだろ、 >>823
それ持ってる
まだ中学生やった
高3の夏まで(81〜85年)
オヤジが隔月発行の毎回帰ってきてくれた
全部もう1000回ぐらい読んだな 一応念の為に言っとくが
805と806は俺が書いたが
826は俺じゃないからなw やっぱ歳取ると脳が小さくなって支離滅裂な事主張し始めるんだな
いくつだよおっさん?情けない ワッチョイつきにして変なこと書く奴は治まったかと思ったが、瞬間的だったか。
ホント恥ずかしいわ。 昨今、投手の酷使の問題があるから、球児の健康問題考えると、センバツやめて5月頃からゆっくり間隔あけて夏の予選を開催する方が良い。
ただ、初戦敗退すると最短3年春で実質高校野球引退となるため可哀想。
甲子園出られるチャンスは現行通りやっぱり二回ある方が良いのかな? 21世紀枠も下らないが、神宮枠はもっと下らないと思うぞ。 神宮大会価値つけたいんだから仕方ないだろ
実力で選ばれるだけ21世紀枠よりマシ
昭和師匠みたいなこと言うなよ >>834
プロスポーツで毎日一番試合出来る競技で日程間隔空ける発想とか
投手さえいれば毎日だって出来る負担少ないスポーツなんだから1人の投手に投げさせない制度を考えるべきだろ
注目される大会や試合減らしてどうすんだよ
どうでもいいリーグ戦なんてやる気なくしてプロ行ける選手は出なくなるだけだぞ >>834
ゆっくり間隔とかラグビーやサッカーの真似してどうすんだよ
結局正月スポーツだってテレビ集客の関係で過密日程だし
バレーボールなんて野球以上に過酷だぞ明らかに野球より負担デカイのに >>836
馬鹿かお前は。神宮大会の優勝チームを出した地区はレベルが高いという安易な発想のどこが実力枠だ。神宮枠で出場したチームが選抜で上位進出した例がひとつでもあるのかよ? でも神宮枠で選ばれるのはその地区の一般選考の補欠一位に相当する学校だろう?地区大会でもかなりの成績を収めている学校だろう。
21世紀枠なんか大半は地区大会初戦敗退か地区大会にすら進出していないではないか。 >>836
実力選ばれていないだろw クジ運みたいなものだわ
神宮大会を補欠校同士で行えば実力で勝ち取ったと言える >>841
地区レベルの差があるし、神宮大会で露骨に手抜きする優勝校もあるから不公平という点では変わらん
公平なものではないから、神宮枠も廃止で良い >>836
21世紀枠は1校にして選定基準を厳格化すれば意義がある
神宮枠など意味がない >>840
曲がりなりにも各地区当落線上の学校が選ばれるんだから実力で選ばれるって言ってんだよ
今までなんの為にやってるかわからん神宮大会を少しでも価値あげるいい方法だと思うけど
あんたは逆に何で神宮枠より21世紀枠の方がマシって考えなの? 【ライバル決戦】 昭和58年夏
神奈川大会 決勝 横浜 対 横浜商
https://youtu.be/0O7MclUxTZs
(1時間前に公開) 1:00:23 トーナメント制大嫌い安全で負けてもヘラヘラ楽しくリーグ大好き馬鹿だろ
神宮、選抜、選手権、国体宣伝価値や重要度注目度は別として全部4冠とりたい学校もあるんだよ松坂横浜しか達成してないけど
2012、2018大阪桐蔭が唯一取れなくて悔やんだのが神宮大会
2011日大三も神宮、選手権、国体3冠 地区大会優勝チーム全部揃っての神宮大会からの4冠となれば松坂横浜超える快挙だから大阪桐蔭あたりは狙ってる
それを阻止するというだけでも前哨戦として価値はあるのではないのか
ただ大会開くだけでなく価値上げる為には何らかのメリット枠何かはあってもいいのではないか やはり21世紀枠も神宮枠も不要と考えるまともな貴兄が多いようですな。
個人的にはこれらの無駄枠を廃止し、北海道・東北、東海・北信越、関東、九州をそれぞれ一校増枠すべきと考えますが、みなさんのお考えはいかに? >>817
終戦直後、GHQ(連合軍総司令部)が、日本の高校野球の全国大会は夏の1回だけで
充分だから、春の選抜は廃止するように日本高野連に厳命したが、この命令に全力で
異を唱えて選抜大会廃止撤回に動いたのが佐伯氏だったと、何かの資料で読んだことがある。
佐伯氏にしてみれば「オレが選抜大会廃止撤回に動いたんだぞ、だからオレ様の意に沿うように
選抜を運営する権利がある」みたいに思ってたんだろうね。
GHQがもっと圧力をかけて選抜大会を廃止してくれればよかったんだけど、門岡事件(※)のときで
さえ、国会議員の圧力に動じなかった佐伯氏だから、相当強い信念を持ってたってことだろう。
※門岡事件については皆御存知だと思うけど、知らない人はググって調べてみて下さい。 >>849
松坂の年の神宮大会は近畿地区だけが優勝校を
出場させずに、彦根東が推薦?の形で出場しているw
もしも大会で一勝したら、1969年の"小倉大先生"に
倣って記念大会枠で選出の算段だったのかも
しれなかったのだろうが、敢えなく初戦敗退で
記念大会枠は、近畿大会ベスト8の近江が出場! >>848
2012大阪桐蔭は神宮以前に秋の近畿大会で勝てなかったし、2018大阪桐蔭も秋は近畿大会の前に大阪大会で負けているね。
松坂世代の横浜は、神宮、選抜、選手権、国体という全国4冠を完全制覇したのみならず、秋も春も神奈川大会、関東大会を制し、公式戦無敗だったんだよね。
たしか練習試合でもほとんど負けていなくて、千葉の中央学院かどこかに負けただけだったと思う。 >>850
いかに?じゃなくて
21世紀枠より神宮枠がもっと下らないという理由言ってくれよ >>853
2012年大阪桐蔭は秋近畿大会で天理に負けただけだよ
2018年大阪桐蔭も神宮大会で創成館に負けただけ
それぞれ春の大阪大会近畿大会も無敗公式戦で負けた唯一の試合がこの1敗だったよ
根尾が創成館に敗けた試合を滅茶苦茶悔やんでた >>853
松坂横浜は練習試合なら選抜前で4敗してるけどな48試合42勝4敗2分
敗けた相手が浦和学院、拓大紅陵、日大三、光明相模原
選抜後も中央学院と柏陵に敗けてるな
その後高校日本代表で比較すると1998年はアジア全勝優勝に対して
2012年は世界大会だけど過去最悪の6位コロンビアに完封敗け
2018年も台湾韓国に連敗して実質最下位だったからな
練習試合でも台湾の学校に完封敗けしてたらしいし
松坂横浜が際立ってしまうのかもな >>801
86年選抜の東京代表は、帝京・関東一・足立西の3校になるのかな。 >>849
同感
優勝してもメリットがなくむしろ手の内を晒してしまう
その反面、自力で選ばれる成績をあげられなかったチームが恩恵に預かる
そりゃ、負けたチームがヘラヘラ笑うような神宮大会になるわ
神宮枠を廃止し、神宮大会優勝校に選手権予選を免除すれば神宮大会が本気での勝負の場になる >>854
21世紀枠は枠数や選考基準が適正なら、文武両道や他の部門で頑張りつつ野球でも健闘している高校を顕彰的に出場させるという意義がある
1枠が基本で、記念大会2枠ぐらいにすれば問題なし
神宮枠など一般枠で及ばなかった学校をくじ運的に出場させるだけであり、意義はゼロ、そんな枠は廃止して一般枠を増やせばいい >>845
正にその通り。これが理解できない馬鹿がいるw >>862
適当な事言った後理由思いつかなくて他人の意見でマウントですか?
いちいち馬鹿とか嫌味ったらしいジジイだな >>863
845が正解だからそう言ったまでだヴォケ!
読解力のねえ爺は糞でもして寝とけ馬鹿w >>858
優勝した学校にメリットがなく、同じ地区の負けた学校に恩恵がいってしまうからな。
これでは和歌山の某高校のように神宮大会に行きたくないから露骨な敗退行為をする学校が出てきてしまう。
優勝した学校に恩恵がいくシステムにしないと。たとえば翌年選抜でシードにするとか(無理かな)、書かれているように夏の予選免除とか。 80年代のドラフトて人気先行でスカウトもガバガバだった印象
荒木大輔やノーコン不安定畠山より平沼新谷斎藤雅樹の方が格上だろ
水野野中なんて1位で指名するレベルでないし三浦3位で怒りまくったらしいけど人気先行でドラフト指名すら怪しいレベルだったよ
箕島の2人も1位で指名する選手でなかったし
石井も春夏連覇ブランドなきゃプロ野球レベルでない
あの時代は甲子園人気やブランドに依存してたのが伺える
春夏連覇した柿木は5位になっただけ最近はマトモになってきた
まだ清宮吉田根尾とか人気先行はあるけど でもY校三浦のピッチング見てると高校生には打てないよなと思う あの鋭いカーブを今投げられる投手がいたら甲子園では活躍できるだろうな スライダー全盛時代なだけに >>867
三浦は2年の選抜では速球が多かったが、3年になったら変化球投手に変貌していたので、肩か肘をやっちゃたと思った
カーヴが鋭くてもストレートが速くない右投手はプロではきついでしょ
左腕だったら阪急→オリックスの星野のような成功例があるけど >>866
高校生をドラフト上位指名するのに、球団として甲子園出場と言うプレミア感も必要要素になってるんだろう。
本当に実力オンリーでドラフトしてたの、落合がいた頃の中日ぐらいしゃないの? 当時のパ・リーグは客寄せパンダが必要だった反面、投手育成のノウハウに欠けてたね。
おかげで80〜82年の選手権優勝投手がパ・リーグで打者に。 新型コロナ感染拡大で…看護職「辞めたい」4割 東北大が調査
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、病院に看護職で勤務する人の約4割が「仕事を辞めたい」と考えた経験があり、精神面の健康状態も悪化傾向にあることが、東北大が全国8地域を対象に実施したオンライン調査で分かった。研究グループは看護職の精神的ケアの必要性を訴えている。
回答した看護師や准看護師らのうち、約8割が新型コロナ感染者の受け入れ医療機関に勤務。感染拡大の影響で「仕事を辞めたいと思ったことがあるか」との問いに対し、「たびたびあった」と回答した割合は15・6%、「時々あった」は27・3%だった。
回答者の精神面の健康状態を「心理尺度(K6)」と呼ばれる指標で測定した結果、気分障害や不安障害の可能性がある「10点」を超えた割合は39・8%だった。研究グループが2014年に看護職を対象に実施した同じ調査の結果(20・8%)を大きく上回った。
調査した大学院医学系研究科の朝倉京子教授(看護管理学)は「感染者の少ない地域でもコロナ禍で医療現場に負担が掛かっている。看護職への総合的な支援が必要だ」と指摘する。
調査は1月、100以上の病床がある病院に勤務する看護職1万人を対象に実施。回答率は22・7%だった。平均年齢は40・2歳で、女性が9割以上を占めた。対象8地域の都道府県名は明らかにしていない。 >>852
あの年はまだ21世紀枠無かったから近畿はそのまま近畿大会8強がそのまま出場だったわけか NBCは浅草寺に特設スタジオ作って生放送の予定
開会式 7月23日東部時間
6:55-11 a.m. Live Opening Ceremony Coverage
11 a.m.-1 p.m. Special Edition of TODAY
1-4 p.m. Tokyo Olympics Daytime
7:30 p.m.-12 a.m. Primetime Opening Ceremony
12:35-5 a.m. Overnight Replay of Opening Ceremony 昭和56年夏 1回戦
銚子西 対 福井商
https://youtu.be/0EISbYQEsbc
(20分前に公開) 36:55 2001年 安積 (福島) 初戦敗退
2001年 宜野座 (沖縄) ベスト4
2002年 鵡川 (北海道)2回戦
2002年 松江北 (島根) 初戦敗退
2003年 柏崎 (新潟) 初戦敗退
2003年 隠岐 (島根) 初戦敗退
2004年 一関一 (岩手) 初戦敗退
2004年 八幡浜 (愛媛) 初戦敗退
2005年 一追商 (宮城) 2回戦
2005年 高松 (香川) 初戦敗退
2006年 真岡工 (栃木) 初戦敗退
2006年 金沢桜丘 (石川) 初戦敗退
2007年 都留 (山梨) 初戦敗退
2007年 都城泉ヶ丘(宮崎) 2回戦
2008年 安房 (千葉) 2回戦
2008年 成章 (愛知) 2回戦
2008年 華陵 (山口) 3回戦
2009年 利府 (宮城) ベスト4
2009年 彦根東 (滋賀) 初戦敗退
2009年 大分上野丘(大分) 初戦敗退
2010年 山形中央 (山形) 初戦敗退
2010年 向陽 (和歌山)2回戦
2010年 川島 (徳島) 初戦敗退
2011年 大館鳳鳴 (秋田) 初戦敗退
2011年 佐渡 (新潟) 初戦敗退
2011年 城南 (徳島) 2回戦
2012年 女満別 (北海道)初戦敗退
2012年 石巻工 (宮城) 初戦敗退
2012年 洲本 (兵庫) 初戦敗退
2013年 遠軽 (北海道)2回戦
2013年 いわき海星(福島) 初戦敗退
2013年 益田翔陽 (島根) 初戦敗退
2013年 土佐 (高知) 初戦敗退
2014年 小山台 (東京) 初戦敗退
2014年 海南 (和歌山)初戦敗退
2014年 大島 (鹿児島)初戦敗退
2015年 豊橋工 (愛知) 初戦敗退
2015年 桐蔭 (和歌山)初戦敗退
2015年 松山東 (愛媛) 2回戦
2016年 釜石 (岩手) 2回戦
2016年 長田 (兵庫) 初戦敗退
2016年 小豆島 (香川) 初戦敗退
2017年 不来方 (岩手) 初戦敗退
2017年 多治見 (岐阜) 初戦敗退
2017年 中村 (高知) 初戦敗退
2018年 由利工 (秋田) 初戦敗退
2018年 膳所 (滋賀) 初戦敗退
2018年 伊万里 (佐賀) 初戦敗退
2019年 石岡一 (茨城) 初戦敗退
2019年 富岡西 (徳島) 初戦敗退
2019年 熊本西 (熊本) 初戦敗退
宜野座、利府のベスト4とまでは言わんが膳所みたいな事があるから引いちゃう。 >>876
やっぱ酷いな
21世紀枠出すなら2校に絞って、かつ一般枠を元の32に戻して全34校にしてほしい >>876
城南は一回戦で報徳に勝っているからね
その反動で手を抜かなかった多治見戦 >>866
プロでの成績を知った上での結果論
糞の癖して威張り散らすバカ >>866
>>879
箕島の2人のうち、嶋田弟はケガさえなければ、かなりの素材だったみたいだがな。
後藤正治著「スカウト」で名スカウトの木庭さんが絶賛していたので、間違いない。
水野、荒木大輔、畠山もプロであのくらい活躍すれば、ドラフト1位は間違いなかったと言えるよ。
ドラフト1位だって、半分くらいは1軍で戦力にならないのに、この3人は戦力になってるから。 >>876
21世紀枠がここまで続いたのって、つまるところ、制度導入元年に宜野座がびっくりするくらい勝ってしまったせいだと思う。
高野連の爺さんどもがあれで調子にのってしまった。
宜野座が初戦で負けていたら、最初の3年くらいで廃止されていたと思う。 >>871
しつけー、こんな粘着馬鹿は初めてだw
ハイハイ、私が悪うございましたw
あなたの完全勝利ですw
これで満足か?白痴馬鹿www >>876
やはり21世紀枠は無用ですな。ここまで客観的なデータがあれば明白。 >>876
やはり21世紀枠は無用ですな。ここまで客観的なデータがあれば明白。 >>877
出場総数は32校(不戦勝なし)が合理的たと思う。自分が高校野球を見初めた頃の選抜の出場校は30校。
櫓の両端が初戦不戦勝で一勝すればベスト8という歪なもので、なぜ32校にしないのだろうと子供ながらに思ったものです。
21世紀も神宮枠も廃止し32校の頃の選抜に戻して欲しい。 >>888
ありがとう。
これで次スレは平穏になればいいな。 21世紀枠より公立校枠や県内出身者のみ枠とかの方がいいんじゃない?
50代とかだと、私立外人部隊高校嫌いも多いだろうから、実質21世紀枠だけど名称変えるだけで応援しやすいぞ >>889
本来であれば32がベストだけど、21世紀枠を創設した経緯を鑑みると廃止は今後もないかと
それはそれで良いんだけど、一般枠削ってまで枠を継続するものなのかと言えばかなり疑問が残る >>889
1978年の第50回記念大会は、それまでの30校から32校に、いや40校になるんじゃないかと
言われてたんだけど、実際は30校のままで行われた。
当時はまだ21世紀枠とか神宮枠とか無い時代。
で、なぜ記念大会なのに30校のままだったかというと、運営委員が新聞のインタビューで
こんなことを言ってた。
「32校にすると1日4試合の日が2日も増えてしまう。春先の寒い時期にナイターになりかねない
第4試合の選手が可哀想、だから32校に増やそうなんて声は選考委員からは全く無かった。」と。
当時は高校野球のシーズンインが3月27日からと決まっていて、26日以前はいかなる公式戦も
行うことが出来なかったし、練習試合も出来なかった。
しかも春先は雨天順延が結構あって、勝ち進んだチームの学校は新学期に食い込んでしまうって
ことが背景にあったようだ。
その後高校野球のシーズンインは徐々に早まって現行の3月21日に、練習試合解禁は
(よく知らないが3月の第2土曜?から)になってる。
雪国と南国のハンディを無くすために、12月〜翌年3月にかけて対外試合禁止の期間が
設けられてるのは周知の通りだけど、以前は解禁日が3月27日ってのは遅すぎるよね。
だから日程が窮屈になって、今のように1日3試合原則ってのは考えつかなかったのだろう。 仮に32校出場となったら、中京と佐世保工業が
出場となっていたのかな?
そして、その二校が夏の選手権初戦で対戦するとは
まさに、緑は異なるもの味なものと言うべきか? 前にも書いたが、北信越と近畿が増枠になっていたんじゃないかな。
なので中越と市神港かな。
関東の可能性もあるが、候補は川口工業だったからな。 >>895
推薦辞退した中京が選ばれるわけないだろ >>896
1978年の春、中京は確か対外試合禁止処分中だったような記憶がある。
同じ愛知の刈谷が選ばれたよね。
でも刈谷って確か、愛知県じゃ岡崎や明和と並ぶトップクラスの公立進学校だよね?
このときの選抜にしか出てないけど、この年は確変だったのかな? >>899
夏はPLに大逆転負けのチーム良かったわ、武藤、黒木、栗岡と個性があってな。
選抜出れなかったのもひょんな理由からで、とても門司工と同列で扱われる事案ではないわ。 >>899
刈谷当時は文武両道とはいえ、岡崎高校ほどではなかった
トヨタ勤務エリートの子弟が入学したことで80年代90年代と進学実績、偏差値が上がった >>894
詳しい解説ありがとうございます。
当時は当時で色んな思惑があったのですね。
それにしても選抜本番がシーズンイン最初の試合(練習試合不可)とか、今考えるとものすごい縛りですよね。チーム内での紅白戦ぐらいはやってたんでしょうが、大成(和歌山)のようなチームにとってはビッグハンデでしたでしょうに。 >>902
ありがとうございました。
刈谷高校は当時の雑誌で、華やかな脚光を浴びがちな野球は質実剛健の校風に合わない。
だから伝統的に本校はサッカーに力を入れてる、とか当時の校長が語ってました。
野球部発足は後年の生徒会の決定だったとも。
>>903
あのドカベン香川と牛島を擁した浪商が、後年高校野球雑誌のインタビューで、記者が、
選抜よりも酷暑の夏の甲子園大会の方がキツかったでしょう?と質問すると、二人が揃って
いや、夏よりも春の方がキツかったです、なぜなら選抜は、大会前の練習試合が認められて
なくて、試合勘が戻らなかったから。と答えてたのを思い出しました。
紅白戦と甲子園の初戦は全く別物だったんでしょう。 >>876
この初戦突破した13校の内春夏通じて初は10校か。
宜野座、鵡川、一迫商、都城泉ヶ丘、安房、成章、華陵、利府、城南、遠軽
春夏通じて初の所や地区大会に出てない所はボロ負けする印象やね。
>>878
報徳についてはその前年選抜で21世紀枠(長田)に邪魔されて一般枠で市和高を選出された事が原因違うかな? ここが荒らされてない所見ると、ジジイが高校野球板を荒らしてるのが一目瞭然だな 良い歳こいて色々なスレを荒らす爺さんなんてのは
本当に実在するのかねしかしw >>911
そうやったな。
殺人犯がいた所に負けたんやったな。 ヾ(。┰ω┰。)/ ♪ そんだねー "\(・∀・)/"ナイファン 荒らしてるのはガキだろw以前もいたね自演しまくる荒らしが。
ワッチョイ付きにしたら途端に来なくなったw
自演で荒らすような奴は所詮チキンでヘタレな奴なんだよ。 和歌山も和歌山市以外の学校が甲子園に来ることはもうないのかね?
最近、智弁と市和歌山ばっかりで、21世紀枠の向陽、桐蔭も和歌山市。
かつての盟主・箕島以外にも御坊商工、南部、日高、日高中津、伊都なんて
印象的なチームが甲子園に出たたけどもう無理っぽい?
大阪の場合はもともと大阪市内の学校はあんまり出てないけどね。
PL、浪商、大鉄、近大附属、大阪桐蔭、履正社 全部大阪市外の学校。
大阪市内の強豪は上宮と桜宮くらいかな。 >>920
和歌山市以外といえば新宮高校なんてもうダメなのかな?
昔はかなりの強豪だったらしいけど。
あとサッカーは強豪で知られてるが、初芝橋本がいつだったか
1回だけ夏の甲子園に出たことがあったね。
あれは確変だったのか? >>922
新宮は21世紀枠じゃないと甲子園は無理だろう なるほど自演してるなw→>>919 >>931
次スレでは出来ないからせいぜい今の内にやっておくんだなww >>926
新宮は1976年(昭和51年)のセンバツに出場したのが最後、で、そのときは参加30校の
最後に登場したが、前年夏の準優勝校、新居浜商をボコった強力打線を擁する大分の
日田林工に、投手陣が初回からボコボコに打ち込まれたのをかすかに覚えてる。
和歌山から電車で3時間、三重県との県境近くにに学校があるんだっけか。 新宮市なんてもう陸の孤島だろ。
紀伊半島の東側になるほど、もうほとんど三重県。
交通手段が高速も無いし、
42号をぐるり海沿いに行くしかない。 新宮高校。
立地は田舎だが野球以外でも、数々の有名なOBを輩出している名門高校。 >>920
大阪市内はグランドが狭いとこだらけ
だから野球する子はボーイズ入るし
校内の部活は市外に比べてラグビー部が多い
だから大阪がラグビー強いのは東大阪と
大阪市内の力みたいなものだった
常翔学園(大工大)、淀工、茨田とか 最近は大学付属校の台頭でめっきり漢字二文字の学校が甲子園から姿を消してしまったな。箕島 池田 小倉 桐生 、あっても静岡くらいかな。 >>933
新宮が最後にセンバツに出たのは1980年
優勝した高知商に初戦であたり、大敗している >>933
新宮(地元じゃ新高)卒業生だが最後に出たのは41年前の1980年昭和55年選抜
中西の高知商に敗戦
岡本選手はその後母校の監督を長らく務めた
新宮は昨秋和歌山商に0ー20で大敗、かつての山崎、藪らのガチムチ大型チームの面影はない >>926
21世紀枠出場へ期待を抱かせたのは2013年秋か
新人戦で準決勝市和歌山に4ー0、決勝智弁和歌山に6ー3で勝利、新人戦前の練習試合で海南に6ー1、6ー5で連勝
新宮には皮肉にも翌14年選抜、智弁和歌山が選出、海南が21世紀枠で出場
同年夏市和歌山が出場、と秋に勝利した学校が甲子園の土を踏んだ
左腕濱地と和田、平田の中軸打線でかつての和歌山上位に位置していた頃を彷彿させたチームで甲子園で見たかった 新宮って大昔は前岡という後にプロに行った左腕の好投手がいたんだよな。
俺もなぜ低迷したのか知りたい。やはり智弁和歌山の台頭の影響もあるのかな?
76年春は坂地という190cmの大型投手がいたね。日田林工に序盤でKOされたけど。 新宮が弱体化した理由は簡単。
土木系の学科がなくなって、成績上位の子しか入れなくなったから。 新宮はかつて主力選手やプロ注目の選手は普通科じゃなくて土木科、建築科に在籍する生徒が多く占めていた。
地域の少子化や学科再編で建設工学科1つになり、07年に募集停止された
1説によると野球部以外の有望部活生徒も在籍していた科の停止で弱体化に拍車をかけたとも言われる
新宮野球部も去年からか丸刈りを止め、普通科の選手で構成されて強豪感はない
(もちろん普通科にも長けた選手はいる事は述べておく) >>934
1980新宮がセンバツに出たときのエースが三重県から徒歩通学だった。
徒歩と言っても足腰を鍛えるためのランニングだが。
藪恵壹は三重県から自転車通学だったが。
和歌山県内でも本宮とかの山間部の生徒は自宅通学困難で寄宿舎に入る。
人口密度が低くて学区がやたらと広い。
奈良の十津川からも来てるで。 新宮は軟式野球部は昭和59年全国制覇、63年準優勝と昭和後期は栄華を放っていた
昭和63年夏の松下主将は同じクラスだった
(軟式で申し訳ない) >>936
そういえば、ラグビー界の有名人
帝京大の岩出監督が新宮高校OBだ。 >>933
日田林工戦、初回に2ランスクイズを決められるなどいきなり5失点、毎回の16安打を打たれて3-8と完敗だったな。 >>949
前岡氏は2000年秋新宮高校創立100年記念事業の智弁和歌山を招待しての試合で始球式を務めた。
上背のある紳士だった >>920
和歌山は昔、県内の各所に強い公立校がいっぱいあって凄かったね。
王者・箕島が夏の大会の序盤で串本という無名校に負けたことがあったが、
県内の僻地にある無名の公立校でもまったく侮れなかった。
あと、私立では、高野山という学校も甲子園に出ているね。
文字通り、あの仏教の聖地である高野山にある学校。 >>938-939
933だけど、新宮が1980年の選抜に出てたのは全然記憶に無かった、失礼しました。
あの年のセンバツといえば優勝した高知商が準々決勝の尼崎北戦が接戦だったのを覚えてる。
尼崎北はアンダーハンド田中を擁して前年秋の近畿大会を制してただけあって、凄味は
無かったけど、よくまとまったチームだった。
優勝した高知商が5試合を通じて唯一相手にリードを許したのが尼崎北戦で、確か8回に
やっとこさ逆転した展開だったかと。
>>951
>王者・箕島が夏の大会の序盤で串本という無名校に負けたことがあったが、
確か9回表に箕島が、4−0のリードから7失点して負けたんだよね。
尾藤監督が試合後1週間ほど失踪したとか雑誌に載ってなかった? >>952
前年秋の近畿チャンプは北陽、準優勝が新宮 もしも、1980年のセンバツ大会出場校数が32だったら
箕島と宇土が追加されたのか? >>953
ワンパターン文章
句読点の使い方を分けてるつもりだが、同一人物だと直ぐ分かる
IDを変えながら別人が書き込んでると思わせてるが、高校野球板の書き込み数を見ると短時間にレスを返すなんて先ずあり得ない
http://merge.geo.jp/history/sboard/hsb/
一人で1日1スレ300書き込みしても7スレ程度
100なら20スレ程度
高校野球板のスレ数は700ある
毎日いる事を考えれば、1日1スレ書き込み100程度は容易い
どう考えても自演 まあ皆自演分かっててスルーしてると思うがw
ID変えても文から滲みでる癖や雰囲気とか分かるからな
次スレも欲言えばIP付きのワッチョイだったら
よりナイスだったな
まあIP付きでも荒らす奴は荒らすだろうがw 明大カラーの新宮。
校歌のパクリが発覚して、
その後校歌が変わったな。 麻生とかいうコテハンは毎回トンマな書き込みするな。78年春32校だったら中京が選ばれたとか
言ってたが不祥事で辞退してるのに出るわけねえだろ。82年春も32校だったら何で箕島と宇土なんだ?
既に近畿7校と九州4校選ばれてるんだぞ。普通に考えたら3枠の関東(熊谷商)と1枠の北信越(星稜or金沢)だろ。
ニワカもいいとこだな。 .新宮高校相撲部も部員がいなくて活動していないようだね。
久嶋(久嶋海)は三年連続高校インターハイ個人優勝の快挙。
三年では史上初のアマチュア横綱にも輝いた。 >>963
12年に46歳で早逝したのは惜しまれる 和歌山県内の高校の数に対して、甲子園出場経験がある高校の割合って高いんだよな? >>967
加盟39校中19校が春夏いずれか出場している。
海南と統合した大成、閉校した伊都も含むと21校
御坊商工→紀央館
吉備→有田中央
田辺商→神島 は校名変更後は出場なし 岡山東商 広島商 下関商 松江商 松山商 徳島商 高松商 高知商 佐賀商 長崎商 宮崎商 鹿児島商 等々 商業高校の復活を期待している。 鳥取も今23か24校に減っててシード校は1回勝つとベスト8。出場校の多い
県と1校の格差がすごいな >>972
島根は21世紀枠出場が多いから逆転されたか >>971
でも減っても23くらいあるのか。
一県一校になった78年はたしか18校だったから。 >>959
間違った指摘したんだから謝ったらどうよ 今日のNHKのブラタモリ日田市特集。
日田林工が高校野球の名門校として紹介されて校舎が一瞬だけど映ってたね。 >>976
源五郎丸とかタモさん知ってたなぁ。
あと、日田出身の有名人といえばムツゴロウさんもだけど、
真屋順子さんも挙げてほしかった。
スレチ失礼 >>977
>源五郎丸とかタモさん知ってたなぁ
阪神1位 源五郎丸
巨人1位 槙原
入団1年目の秋のオープン戦で投げ合ってるんだよね。
2年目の槙原の衝撃的なデビュー以降は、対比もされなくなったけど 日田高校も平成7年夏、甲子園に出ているな。初戦で享栄に1-9で大敗したけど。
大分も新興私学勢に圧されて、かつての公立古豪の立場は苦しいな。 >>975
何で関係ないお前がシャシャリ出て来るんだ?何で本人でもないお前に謝れと言われねばならんのだ。
もしかしたら本人か?確かに80年を82年と打ち間違えたが内容は間違っていない。ニワカじゃなければ
わかる話だ。コテハンが間抜けなことを書いたことには変わりないんだよ。関係ない奴は引っ込んでろ! >>976
案内してたのは日田市の三苫さん
日田林工が初出場した48年夏の捕手も三苫だった 【完全版】昭和52年夏 決勝
東邦 対 東洋大姫路 【7回以外全球あり】
https://youtu.be/Y-c1W6kMI3A
(7時間前に公開) 1:25:34 >>989 くそスレたてんな。たわけが。 ワッチョイ付きはダメ!ダメ! >>990
朝日のは興味ない。
NHK版を見たい。
前年と翌年の決勝のNHK版を持っているがこの年はない。持っている人、交換してくれないかな。 >>991
ワッチョイ付きだと自演出来ないからだろカス このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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