50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.5
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
51回大会選手権の松山商は決勝の一試合目で点を取れなかったから貧打のイメージが
あるかもしれないが、当時としては突出した長打力を誇る大型打線であった。実際、
大会の本塁打が9本しかなかった中で3番の樋野、4番谷岡の2人が2本づつ打ち4本の
本塁打を放った。これは当時のチーム本塁打記録で、破られるのは金属バットが普及して
暫く経った59回選手権の大鉄まで待たないといけなかった。 金足農の吉田投手の肘や肩が心配されていますが、連投で投手生命を失った
投手の有名どころは
1986夏の天理 本橋投手
1991夏の沖水 大野投手
1996春の智弁和歌山 高塚投手
ぐらいですかね。
PLの桑田や横浜の松坂、桐生一の正田とかは大丈夫でしたね。潰れた投手と
生き残った投手の差は投球フォームの差か、もともと体が強かっただけです
かね?プロでも連投で潰された権藤さんや南海の杉浦といった投手がいる半面、
野口二郎やカネやん、稲尾さんとか連投でも生き残った投手がいるんですよね。
よっぽど体が強かったのかなぁ。 >>4
というより王や柴田のようなスター投手でも投手としては物にならなかった事に着目
すべきでしょう。1961年の尾崎以降、選手権の優勝投手でプロで成功した選手は桑田
までいなかった、という事は程度の大小はともかく皆ダメージを負ったと見るべきです。 >>4
個別にの例を挙げるなら
https://www.amazon.co.jp/永遠の一球-甲子園優勝投手のその後-松永-多佳倫/dp/4309272541
の土屋正勝を挙げましょう。1974年に4試合連続完封1失点で優勝投手になりましたが、
既に甲子園時に壊れていたとのことです。本人としても中京商戦以外は小手先のテクニック
で交わした結果と語っています。
昔の投手が連投でも壊れなかったのは、個人が強靭な身体を持っていたり、ケアした他に
打者のレベルが低く手抜きが可能だったことにも依ります。 >>4
70年代の優勝投手限定ではこんなものでしょうか?仲根は選抜です。
確実に肩を痛めた人
*佃正樹(広島商->法政大)
高校時代の投げ込みで肩が上がらなくなったと言われる。法政では登板ゼロ
*小川淳司(習志野->中大->河合楽器->ヤクルト->日ハムを経てヤクルト監督)
この人も3連続完封をしたけど、肩を痛めて甲子園決勝(75年)が投手としての実質引退試合
直接故障した証拠はないけど、怪しい人
*仲根正広(日大桜丘=>近鉄)
プロ入り後フォームをいじって故障した事になっているけど、入団後すぐの肩痛は怪しい。
打者に転向し、ある程度の成功を収める。
*松本正志(東洋大姫路=>阪急)
ノーコンの剛速球投手はプロ入り後いじられて故障した事になっているが、77年1年で90
試合余の登板過多。2番手投手(宮本)がプロで成功しているので怪しい。
*西田真二(PL->法政->広島)
優勝投手もすぐ打者に転向し、プロでも活躍。理由は謎。 松本はバッティングも良かったし、野手転向という手もあったと思う。 吉岡雄二(帝京->巨人)も入団後すぐ右肩の手術しているよ。 >>8
77年春の箕島の東もそう。
前年から故障があったらしいが、選抜では抽選の結果、初戦が五日目になったため一日おいて二回戦から決勝まで四連投。六日間で5試合投げたため完全に壊れてしまった。
それでも4完封、失点は準々決勝の最終回に取られた3点だけだったから驚いた。 http://news.livedoor.com/article/detail/9174897/
に選手権優勝投手プロでの成績がある。最近はまずまずだけど、昔はひどく、成功した
人はほぼ打者転向組。石井毅や齊藤みたいにアマ球界でその後も活躍してプロに入ったら
出涸らしにんsっていた人もいるから一概に言えないけど、甲子園のダメージは大きいのは
間違いない。後、南は壊れていたかな。 夏の高校野球が終るとベースボールマガジン社が総決算号を出す
殆どが優勝した瞬間のチームの表紙だが、4冊だけ個人の表紙が出た
73年の江川、75年の原、98年の松坂、06年の斉藤 単純に昔は突出した凄いガキ大将(西田金村愛甲みたいなやつ)がいれば優勝できたんだろう
でプロ入りの時「わし投げるより打つほうが好きですねん」と打者に転向する、一概に甲子園で潰れたとか言えないのではないか、ただし真澄や松はホントバケもんだと思うわ 優勝投手じゃないが、福島商の三浦は「球界の玉三郎」といわれ、初め阪急で活躍したが
すぐに引退してプロゴルファーに転向したね。 >>13
74年もそうだろう。土屋がメインで左上に小さく工藤が写っている。
アサヒグラフで個人の表紙は、71年大塚、73年江川、75年原、80年・82年荒木、81年工藤、83年水野、84年桑田、98年松坂。 土屋といえば昭和48年夏の作新学院戦なんだけど
自分的には1回戦の岡山東商戦も何気に名勝負として脳裏に焼きついてる 速球王で江川は別格として
星稜の小松辰、海星の酒井(サッシー)らは
上までいったっけ? 初戦負け? >>18
星稜も海星も76夏にベスト4に進出したよ。 youtubeで
「 第60回全国高等学校野球選手権記念大会」で検索すると開会式の動画2つ見れるけど
今と違って校名アナウンスしないんだな。
アナが言及してるがメッシュが出始めたのもこの頃か。
俺は50以下のおっさんでリアルタイムを知らない世代なので
NHKは廃棄したのかこの時代の甲子園映像が見れるのは貴重。 やっぱり吉田はもう半壊状態かね。安楽を見るようだ。
>>18
酒井は、延長戦2試合を含め、5試合全てを完投し、被安打16(1試合平均3.2本)・
自責点3・防御率0.56の成績。白眉は2回戦の選抜覇者にして絶対的優勝候補だった
崇徳戦。崇徳はエース黒田、ベスト9を3回等、広島の主力として活躍した山崎が
ドラフト1位、ドラフト3位を拒否して早稲田に進み、五輪代表やノンプロ、早稲田の
監督として活躍した応武、4番小川もドラフト5位に指名されるドリームチームだった
が、それを2安打完封と完全に封じ込めた。この時は、黒田も好投したが、7回に自ら
の打球処理のミスで1点を献上し、0-1で選抜覇者は涙をのんだ。 >>18
小松はノーマークだった2年次にベスト4.特に準々決勝で豊見城の赤嶺(巨人から
2位指名)に投げ勝ち、一躍注目された。しかし3年になってから甲子園で勝ち運に
見放され、春夏とも初戦敗退。特に夏は初戦の相手が山口を擁し優勝候補筆頭の
智弁学園で、立ち上がりに2失点をして、追い上げ及ばず1-2で敗北。
この年まで抽選で指名順を決めていた中、江川が全体の1番、松本が全体3番(阪急1位)、
小松は全体13番(中日2位)、山口が全体16番(近鉄2位)だった。 78年のこと?朝日放送は、この時代の映像は豊富にあるが、NHKはスポーツなんか見下しているのか、ほとんど無い。 >>8
皮肉なもんだな
東洋大姫路は松本より控えの宮本賢治がプロでは活躍
PLも西田より控えの金石がプロでは活躍
あと、早実も荒木より控えの石井丈裕の方が日本シリーズでMVP取るなど活躍 準決と決勝の間に一日あけるか決勝の開始時間を16時スタート(閉会式のくだらない
挨拶なんてカットすれば全て20時に終了出来る)のナイターで選手の体力の消費を
少しでもセーブ貰いたいと思うが・・・スレ違の書き込みですんません >>25
他にも83年中京で、甲子園で出涸らしになった野中に比べ、ほぼ出番のなかった紀藤が広島で活躍とか。 黒田、上原、平野のメジャー組の他に十亀、沢村、又吉と色々高校時代は補欠で、プロで活躍する投手がいる。 大魔神佐々木と阪神で活躍した葛西がいた東北に準々決勝で開校3年目の甲西が勝利したのは考えられん事だ。 https://www.baseballgeeks.jp/?p=5550
吉田くんのストレートの球質に関しての記事です。プロに行ったら江川や
桑田みたいに一発病にかかるかも。回転のいい球は物理的なエネルギー量が
高いのでバットに当たると飛んでいくから。
吉田君を桑田二世って呼んだのは、春の東北大会で対戦した専大北上の監督で
元巨人の捕手だった中尾らしいですね。桑田はもっとコントロール良かったけど。 けさの新聞一面の見出しは「大阪桐蔭春夏連覇」これは当然だが、中身は1人の選手に
スポットをあてたヒューマン・ストーリーになってて萎えた。新聞の一面なら まず事実を整然と
記述すべきだと思う。 あと高野連は玉数制限をやりたくてうずうずしている。そうなれば
大阪桐蔭が10連覇する 大会の内容も報道の内容もさびしいし、もはや末期的。 >>24
いや、そのころのNHKはスポーツだけでなく、映像を残すという意識がまるでなかったようだ。当時はテープが高かったから、と言い訳しているが、それでは民放は残しているのにNHKはなぜ残していないのだ、と言いたくなる。
なにしろ朝ドラや大河ドラマのような看板番組でさえ、82年ごろまでのものはほとんど残っていない。
紅白歌合戦は72年から局として保存しているが、それ以前は宮田輝アナが個人的に録画したテープしかないというオソマツぶり。
なので甲子園大会の映像はほとんど残っていないだろう。松山三沢の決勝は、実況を担当された羽佐間アナが個人的に残していたテープを局に寄贈されている。 >>4
智弁の高塚はほんと欲しいことしたな。
凄い投手になってたと思うし。
後の本橋、大野は正直プロレベルではなかった。 故障もちの投手を指名する球団、
投手として無理とわかって、野手に転向した場合、強肩は健在なのか? 高卒で社会人、登板無しの投手を三年目に一位指名すること。約束していたやん、とマスコミが突っ込まないこと。 >>35
40代だけど同意です。
だからこそ、大野倫が高校野球の犠牲者として、あの酷使がなければプロで
投手として間違いなく通用した、みたいに過去を捏造するような番組が近年多いのは気になりますね。 >>35
天理の本橋、覚えてる
準決勝の鹿児島商業戦の後、「ヒジが痛くて投げられません」と満身創痍だった
しかし決勝ではアドレナリンが出たのだろう
再三のピンチを背負いながら完投して優勝
監督は本橋とは逆の橋本監督だったなw 元ベイスターズの中野渡の書いた本では、毎日中継ぎで投げて、肘などが痛くて、箸が持てないくらいだったが、マウンドに立てばなぜか投げれた、と書いてあった。
箸が持てないのに、球は投げられるのが自分でも不思議だったとか。 昔ながらの応援団の高校は、
現在も毎試合、応援団旗は一人で持っているのだろうか。
三沢-松山商の18回、
応援団の団旗持ってた団員は大変だったろう・・。
・・途中で変わった のだろうか。
応援団旗はいまは存在しないのか?
高校時代、応援団が学生服で応援し、汗が乾いて白くなっているのを見たとき、
見てる方は・・なぜか暑苦しかった。 82年夏に池田打線を2点に抑えた東洋大姫路の中島も、一回戦からヒジ痛に悩まされててとても完投できる状態ではなかったはず >>8
佃は法政時代は一年春のときにリーグ戦に登板しているはず。 kk時代のPLは人気も凄かったけどアンチの熱狂度も今の大阪桐蔭所の話じゃなかった
当時の週刊誌に散々管理しすぎとか選手を集めすぎとか野球に宗教を持ち込むなとか書かれていたし 本橋のときの監督は報道陣からの「若い投手を潰すつもりか?」の質問に
声を荒げて反論していたように記憶してるけど、何よりズルイと思ったのは
本橋に「行けるか?」って聞いて責任回避したところ。
本人に行けるか?なんて言ったら行けますって言うに決まってるやん。あれは
本人の意思を尊重したつもりなんだろうけど明らかに強制当番命令だった。 「本橋の将来については自分が責任を取る」とまで橋本監督は話していたが、責任は取ったのかな。
大会後に監督の座は退いたが。 むかしはエースが完投の時代やからあげればきりがない本橋の対戦相手の藤岡(松山商)
も明治へ進学したが野球を辞めてカメラマンになった。 >>47
その藤岡の控えだったピッカリ佐野がプロでは大活躍したな。 大活躍はグランド外での話だろうよ。
甲子園では明野戦で好リリーフをみせた。 関東は金足農みたいな農業校の出場が無い様ですね。農業関連学科があった甲子園出場
校は60年代に鹿沼農商、あと意外なことに印旛が甲子園に出ていたときは園芸科が
あったようです。甲子園に半歩くらい近づいた農業校は1980年の秋の関東大会に出た
水戸農(相撲部が有名)ですが、初戦で群馬史上最弱(当社比)の高崎高に完封負け。
あの川端に完封される打線ってどんな打線だったのかと不思議に思います。他には1999
年に後に西武の実質的なドラフト1位(自由枠)に指名された山崎投手を擁する勢多農林
が群馬大会の準決勝まで勝ち進んだくらいですかね。関東は東京以外は農業が盛んな
県ばかりで、もっと強い農業高校があってもいい気がします。
個人的に驚いた農業校の甲子園は1991年に選抜優勝校の広陵らを押しのけて出てき
た西条農ですね。レベルが高い地区から出てきて驚きました。監督は広商出身だったよ
うですが。 大投手、北別府様の出身校が、それ以前に甲子園出場を果たしていたのは意外。 千葉では下総農業が74年夏に県準決勝へ進出、石毛のいた市立銚子に敗れた。
エース黒田は巨人に入団した。
あと、茂原農業が80年夏の二回戦で春優勝して大本命だった習志野(小林現監督がエースだった)を終盤猛追したが惜しくも3-4で敗れたのも印象に残る。 >>51 71年は、選抜優勝の日大三高から唯一点を取っただけでなく、あと一歩まで追い詰めた
普天間が南九州の鉄板だと思ったけど、決勝で0-1で都城農に負けたのには驚いた。
74年の長野代表は伏兵の野沢北。優勝候補で前年代表の丸子実を完封した黒沢投手が良かった。
全国大会でも期待したが初戦で佐伯鶴城に0-9で一蹴され、その佐伯鶴城も次で向田がいた前橋工に
0-2で完封され、全国の壁の厚さを感じた。 「長野県であれほど速い打球は見られません」
佐伯鶴城に完敗を喫した野沢北の選手が試合後に語っていた。
でも、僕らは進学校なので云々は余計だった。
1978年の三刀屋の選手も同じような事を言っていたが、
調べたら三刀屋の進学実績はたいしたことなくてワロタ 農業高校と長野で思い出したが、78年夏に南安曇農が決勝まで行ったことがあった。
松商学園との決勝は5回まで0ー0だったが結局0ー4で敗れた
。 >>54
佐伯鶴城の方が進学校じゃないかと思って進学実績を見たらどっこいだった。
どちらもショボい。 阪神に入団して潰された源五郎丸の日田林工って最近聞かないけど校名変わったの?
源五郎丸のときは甲子園出てないんだけどね。 昔みたいに東北、北海道、日本海側、九州だから、ってレベルの差があるとは限らないから、オールドファンには別次元の大会に思える。 >>55
初戦でたしか17-16だったかな、大乱戦を制して勢いに乗り、準決勝では松代にも勝ってあれよあれよの決勝進出だった。 >>59 ショボくはないだろ。
地方県立と予備校もどき私立は、同列には語れん。
卒業生の顔ぶれ、なかなかなものだ。 レベルが上がった訳じゃないでしょ。
私学野球専門学校が強いだけ。 >>53
俺は1968年生まれの50歳で、ここのスレにギリ参加できる年齢だけど、
71年なんて3歳だったから、当時のリアルタイムの高校野球を知る由もないw
個々のスレって、リアルに還暦以上の人が過半数いるんじゃない?w スレタイ声に出して50回読め小僧
あと特に意味の無い草生やすなみっともない >>50
甲子園の常連、群馬の東京農大二高って普通科だけの進学校なんだよね。
農業科があるかと思ってたが。 >>66
50歳以上なので、60、70、80、PC使えるなら100歳以上でも良いわけで。
草生やしは失礼しました。
言いたかったのは、参加権利はあっても、
50歳ギリではここ住人の話には古すぎてついていけないことも多々あるという事ですね。 >>61
10年前に出て大阪桐蔭に虐殺されたね
その前の出場では鳥谷の聖望学園倒したんじゃないかな?
>>62
野球に限らず、ネットの普及の影響もあってか、色んな所で地域差なんてなくなったよね
時代は変わる
それに適応できない輩は老害として若者からは忌避される おそらく過去スレで既出だと思うけど、76年の48回選抜2回戦の崇徳-鉾田一は色々な
意味で面白い試合だった。1回戦の優勝候補同士の対決では不調で久保監督に「まったく
駄目」と切り捨てられた黒田(崇徳)がこの試合は好調。一方、鉾田一の戸田も江夏
二世の評判通りの剛球で息詰まる投手戦となった。黒田は特に7回まで鉾田一をノーヒット
に抑えていたが、8回裏に戸田が江夏ばりの打棒を見せ、初ヒットがホームランとなった。
9回表も戸田は2人を連続三振で打ち取り勝利目前。ところが次の打者、その次と打ち取った
と思った打者にまさかの連続エラーで勝負が分からなくなり、次の4番永田が2点タイムリー。
気落ちした戸田からさらに2点を奪って勝負を決めた。言うまでもなく久保監督のインタビュー
は面白かった。崇徳はこのまま頂点まで駆け上がった。
夏でも黒田は初戦が発熱で不調、2回戦で好投したが、今度はエラーが崇徳に出て酒井の
居た海星に投げ負ける。一方、鉾田一の戸田は、夏も出たが、春の面影はなく、すっかり
平凡な投手になっていた。 48回選抜で旋風を起こしたのは日田林工。55回選手権で決められた2ランスクイズを、
逆に初戦の新宮戦で決めるなどで危なげなく準決勝に駒を進めた。準決勝の相手は
崇徳。途中までリードを許しながらも互角に戦い、終盤に日田が2,3塁と攻め絶好のチャンス。
ここで日田は果敢に2ランスクイズを試みるが、これは崇徳に読まれ、一塁手は打者走者を
無視して矢のような送球をホームへ。ここで日田は1点を返したに留まり、万事休す。
勝負は結局3-1で決した。 鉾田一の戸田って確か1回戦でノーヒットノーラン記録したんだよね。
崇徳戦はホント信じられなかった。 70年のドラフトは、高校三羽烏と呼ばれた島本講平(箕島)、湯口敏彦(岐阜短大付),
佐伯和司(広陵)の3人が全体の上位3位迄を占める空前絶後のものだった。このうち
湯口は1軍登板がないまま死亡、打者に転向した島本も活躍したとは言い難かった。
佐伯は19勝を挙げたり、広島優勝に貢献したりしたが、何故かその頃には人気が
なく、暫くして日本ハムにトレードに出され、そこでも中心投手として活躍したが
甲子園の頃とは異なり地味な印象のまままだった。
注目されたのは残り2人のドラフト1位高校生投手が何れも愛知県勢だったこと。
全体の8位でロッテから指名を受けたのは中京の樋江井忠臣投手。濃人監督は
「湯口より樋江井だ」との名言を残したが、結局、指名拒否で三協精機へ。しかし
そこで活躍したとは聞かない。全体の9位で、中日は、全く無名だった大府の
氏家雅行を指名。氏家は入団後一軍登板なく引退だった。
その他では甲子園で活躍した大北が巨人2位だった。 高校野球と直接関係ないが、伊勢正三は高校野球の名門津久見高がある津久見の出身
だったが、高校は大分舞鶴だったので、下宿をしていた。週末を故郷で過ごし日曜の
晩に物悲しい気分で津久見駅に立つことで後年の名作「なごり雪」が生まれた。
2000年から津久見駅では「なごり雪」が発車ベル代わりと言う。また津久見駅には
「なごり雪」の碑もある。津久見高を甲子園で見るたびに、この話を思い出す。 >>71
最初、アマゾンで予約したけど、ヨドバシの方がポイントが高いのでヨドバシに注文し直した。
買わないで後悔するより買って後悔する方だけど、面白い本だといいなぁ。嫌な予感もします。
たまに買いそびれて後から買おうとすると、中古で定価以上のとんでもない高値になる商品も
ありますので。 >>77
前スレでも出てたように思うが、津久見といえば昭和59年の予選直前に、野球部を退部退学
させられた元キャプテンが日本刀で職員室に乱入、監督に斬りつけて瀕死の重傷を負わせる
前代未聞の大事件が起きたのが印象深い。
あの事件の後、津久見は2回くらい甲子園に出たが、平成になってから甲子園に出てないね。 70年史は第1回大会からの地方記録が載ってるので
役になってるわ。 >>77
津久見を甲子園で見るたびにこの話を思い出す
→もう30年もその話は思い出せていないんだな 日本刀事件のあとに何回か甲子園に出てきた時の監督は、切られた人と別の人ですか? 小島監督は昭和57年夏、準々決勝で中京に敗退後勇退して斬られたのは大津監督。
大鉄にサヨナラ負けした世代の選手ではないかな。 >>82 確かに平成になってからライトファン(コアなファンだったのは70年代で惰性で
80年代も見ていたが、平成になってからはニュースを読む程度)だったのがばれた。
最近でも川崎が活躍したやんと思ったけど、彼が昭和63年春夏の甲子園で、平成になって
から甲子園に来ていないとは驚き。
>>80
知らなかった。それからもしばらくは強かったのにね。中京の大優勝旗紛失(盗難?)事件
に匹敵するな。 >>84
大津監督に野球をとるか、女をとるか
「女をとる」で主将は退部、学校も退学
数ヵ月後金髪に変身した元主将が津久見高校体育教官室に乱入
「大津このやろう!!」日本刀で太もも切りつける
重傷負った大津監督は退任
強打者上島格で登場したS60年と豪腕川崎新、佐藤、足立、古閑の強打トリオを擁し甲子園出場したS63年チームを率いたのは山本監督
山本監督はその後臼杵高校など他校に異動し大分県ではたまに上位進出果たすが甲子園には帰って来てない
20代だった山本監督ももうすぐ定年 伊勢正三いいね!ああ甲子園でサヨナラスリーランを打たれたバンビのシーンになごり雪が挿入されてた。
個人的には、あの歌はもう歌わないのですか、が好きやったなあ。
いや名曲が多いな。 >>85
そう、斬られた大津氏は77年夏に出場したときのキャプテン。
大鉄戦で川端にサヨナラ満塁ホームランを打たれたとき。投手は星野。ことし済美がタイブレークとはいえそのとき以来の記録を作った。
大津氏が斬られたあと、高橋氏が一時的に監督して85年春に出場。高橋氏はたしか軟式出身だったが、小嶋さんは「よくやっている、あの熱意はいい」とほめていた。
大津氏と同期だった山本氏(現役時は捕手)が就任したのは85年4月。
川崎を擁して88年春夏と出場したがまさかそれが最後の出場になるとは思いもしなかった。 >>88
エネーチケーかなんかに追いかけられてバンビが一節歌ったんだよ「なごり雪」
多分2.3回勝ったあとかな、昔はおおらかだったね 70年代の解説者というと松永怜一、池西増夫、山本英一郎あたりがビッグ3か。あと、
(替え玉受験のブローカーとして捕まった)光沢毅や、松永の弟子の山中正竹も印象に
残っている。このうち一番印象的なのは松永。松永は田淵幸一と不思議なめぐり合わせ
のある恩師(法政一高で監督を務めた時の教え子、堀越高校監督を経て田丸仁の後任
として法政大学監督になった時に田淵が入学。山中も法政大学卒業後、住友金属監督に
なった折に一緒に移動した愛弟子)。彼は鬼監督に相応しく、必ずしも高校生のプレー
を褒めないのが特徴。その彼が絶賛していたのが石井毅―嶋田宗彦の春夏連覇を果たした
箕島バッテリー。果たして卒業後2人は松永が監督を務める住友金属に入って、都市対抗
優勝等大活躍をした。 松永伶一さんの解説した試合で忘れられないのは、箕島春夏連覇前年の第60回大会
の決勝戦。PLが初優勝したときだけど、序盤から高知商が圧倒的に押していたのに
松永さんは6回くらいに「高知商がリードしているけどこの重苦しい雰囲気はPLの
ペースで進んでいますよ」と最終回の大逆転劇を予言していた。
池西増夫さんは料理研究家の土井勝さんにそっくりなソフトな語り口が懐かしい。 やっぱり、このスレは熱心なマニアにとって外せない。 あの頃の球審と言えば、郷司裕、西大立目永、達磨省一等。達磨は山口高志が居た時の
関大の監督として知られるが、前者2人は審判一筋。特に松山商-三沢をはじめ、65-75
の11年連続選手権決勝の主審をした郷司は2017年度の野球殿堂特別表彰部門表彰者に
選出された。しかし、それより郷司は何かの会社社長をしていたのだが、その会社は
詳らかになっていない(というより知らない)。
今年の決勝の主審の堅田は例の星稜―箕島戦の星稜のエースで56歳だが、郷司が
決勝の連続主審を退いたのは43歳。皆驚く程若く辞めている。 >>87
細かいことだけど、金髪に染めた元主将が日本刀持って乱入したのは
退学後、1週間も経ってなかったはず。
それにしてもあの事件、連日マスコミが大騒ぎしてたな。 池西増夫って故郷の新居浜辺りで和菓子屋の主人やってんだよな? 昔は帽子のつば型は真っ直ぐで、
練習用はつば両横を切ったりしてたなー
ちょい前までは、これでもかってくらい丸めてたけど、
また普通型に戻ったのかな 池西さんは西条高校時代に元巨人のエース・監督だった藤田元司とバッテリーを
組んでいた。彼は未だご存命のようで、西条の亀生堂で「いちご大福」を売っているようだ。
http://taiyohanasaku.waterblue.ws/chieko/wordpress/2018/02/17/ 池西さんが最後に解説したのはKK時代の85年辺りだったかな?
藤田元司氏と同級生ですからもう80代後半になりますね。 >>100
記憶にある限りでは88年夏の浦和市立対宇都宮学園で解説されているので、この大会が最後かも。
この試合は宇学の影山が先制打を放ち、浦和の投手星野も8回に影山から同点打。このときに池西さんが「これでおあいこですね」と語ったのが印象に残る。 >>92
土井勝さんも四国出身で大阪暮らしだったか、イントネーションも語り口もに手慣れてな。 >>102
イントネーションも語り口も似てたな、だった…スマン 川本幸生さんを紹介する時のお決まりのフレーズ 「広島商業で選手としても監督としても全国制覇を果たされました」をもう一度聞きたくなった >>101
決勝戦の広島商業対福岡第一を解説してます
もう鬼籍に入ってずいぶん経ちます この年代で監督し早逝されたのは桜美林中田、東邦浅井、早実小沢、広商川本の各氏か、高齢者が亡くなるのは仕方ないとしても、この方々は残念やなあ。
(人) 監督ではなかったが、広商佃も夭逝したね。
野球を辞めて随分経ってから、素性を隠して草野球チームで
野球を楽しんでいたエピソードが好き。
チームメイトが「もしかして、あの佃?なわけないよな」
しばらく経ってから、酒の席で念のため訊いたら、本人と判って
チームメイトはビックリ仰天。
このときが佃が心底野球を楽しめた時期だろう。
野球の神様が天才の最期に与えた至福の期間だったろう。 ジャンボ仲根、ドカベン香川の死も若すぎた。
この夏牛島が始球式に登場したとき、往時を知る者はみんなドカベン香川を
思い起こしたはず。 なんでも誉める池西さんと
辛口解説の松永怜一。
対象的だった。
今は松永怜一みたいな解説者はいないね。
というより今のNHKの解説者、アナウンサーは全く記憶に残らん。
あの伝説の銚子商vs作新学院の解説は松永怜一だったね。 辛口解説は原田富士雄さんが最後かな?
辛口一辺倒ではなかったけど、叱るところはビシッと言ってましたね。
今の解説者だと原田さんと逆のソフト解説だけど坂口裕之さんの解説は好きです。 松永怜一と田淵の師弟関係は、この漫画
https://plaza.rakuten.co.jp/mizushimanga/diary/200802170000/
で学んだ(勿論、昭和45年の誤りだが)。
漫画の中に誤りがあると思うが、差し障りで実在人物の名前を変更している人の実際は
どうだったかずっと気になっている。具体的には太田(浪商->法大)と吉見(法政一高)。 >>113
山形の高校野球ファンだが、
山本栄一郎氏は昭和52年夏の「都城-酒田工」の試合を解説。
試合中盤あたりで、山本氏には、あきれ口調で
「しかし・・、レベルの低い試合ですね・・・」と解説していただいた。
この言葉、宮崎のファンも聞いたと思うのだが、
・・この試合は昭和52年夏のブービー争いの試合だった。 前年夏の高田商(新潟)ー福島(宮崎)もレベルの低い試合と言われた気がする。
新潟県勢初本塁打+新潟県勢初二桁得点を献上した宮崎県代表福島高校の選手に将来プロ野球を代表する選手いやプロ野球日本一の監督が出てくるとは夢にも思わなんだよな。 >>114
この試合でもプロ野球に進んだ選手がいるよな。都城の1年生捕手の与那城。沖縄から留学してきていた。 >>116
その年のセンバツはたしか酒田東が豊見城に0−10で負けた >>118
それで豊見城、強い、と思ったら次の試合で箕島に0-10で完敗。
豊見城は夏に広島商をねじ伏せてベスト8入りする等、決して弱いチームではないが。。。 >>105
池西摯vさんって亡くなられたの?知らなかったな。
バッテリーを組んでた元巨人軍監督の藤田元司さんが亡くなったのは知ってたが。 レベルの低い試合というと79年夏の豊浦一長岡も負けていない。
両軍あわせて9つのエラー。サヨナラの幕切れも長岡内野手の悪送球。
解説の松永氏に「両軍とも守備を鍛えないといけませんね」と酷評されていた。 山本五十六元帥が現存していたら、
「やって見せず、言って聞かせず、させもせず、けなすのみでは 人は動かじ」
・・か >>113
伝説の決勝戦の松山商vs三沢の解説だったね。
アナは若き羽佐間氏だね
箕島vs星稜は内藤アナで解説が分からんね >>123
あの試合の解説者は松永怜一だったのか。
なんかキャッチボールからやり直さなければいけませんね〜
なんて言われていた記憶があるが。 74東海大相模vs鹿児島実も松永怜一だったのは覚えてる。
TV中継が途中で終わって、解説者が居なかったラジオ放送に松永さんが移動して来て解説してたのが当時は珍しかった。 >>123-124
星稜の山下監督は三回戦の抽選前に
「箕島はひくな。豊浦をひいてこい!」と言ったらしいw あの怪物と言われた江川の甲子園初見参は73年センバツ大会の開会式後の
第一試合の北陽戦で解説は池西さんだった。1回表の北陽の攻撃は三者三振、
しかも誰もバットにボールが当たらなかった。2回の攻撃で5番打者がファール
を打って初めてバットにボールが当たって場内が「ウォー!」とどよめいた
けど、バットにボールが当たっただけで観客がどよめいたのは後にも先にも
あの時の江川だけ。
今夏の金足の吉田を今のマスゴミは怪物と表現していたけど、連中はあの時の
江川を知らないに違いない。 応援してる地元県代表校の試合解説が光沢毅だとガッカリしてた
なんか説得力に乏しい適当な解説に感じた >>133
試合前に北陽の藤田監督は「江川はカーブピッチャーだから思い切り振り回す」と宣言
していた。北陽は確かチーム打率が参加チーム最高で、投手の有田も良い(夏にノーヒット
ノーランでドラフト2位で近鉄に)ので西の横綱扱いだった。ボールをバットに最初に
当てたのは有田だったし、その後、三塁打も打った。個人的には4安打19奪三振の北陽戦
より1安打(8連続を含む)20奪三振だった準々決勝の今治西戦の方が良かったと思う。 そうそう有田だけは江川にタイミングが合っていて三塁打のあとも
内野安打を打ち、この大会で江川から2安打を打ったのも長打を打ったのも
この人だけだった。
あの三塁打も二死からのもので江川から連打は無理とみた北陽は有田に
ホームスチールさせたけど不成功だった。
今治西戦は7回2死までパーフェクトで3番打者がやっとこさセンターに抜ける
ゴロのヒット打ったんだよね。
とにかくあのときの江川は登板するたびにパーフェクト、ノーノー、奪三振数
新記録を達成するんじゃないかという期待を持たせてくれた怪物だった。 江川だけは、すんなり巨人入りし、なんの曇りも無く活躍する姿を見たかった。
スターになる資格を有していたと思う。キャラも良かった。
アンチ巨人だけど、特別だわ。 「ほえろ若トラ」は水島先生の作やったんかい見た記憶はあるが先生の作品とは思わな
んだそういえば「野球狂の詩」の「白球白虎隊」なんかに田淵のエピソードが生かされ
てるねぇ >>135
北陽の監督は高橋氏では?
藤田は四番打者で江川に4三振。
松岡さんはこのときは部長登録だった。 >>139
2007年の夏
仙台育英と智弁和歌山の試合で、
5三振の選手が智弁和歌山にいたと思うのだが、
9回終了の試合では最多なのかな?
・・6三振はいるのか。 >>140
9回終了では5三振が最多だと思う。
智弁和歌山といえば、選抜でも興南の島袋に5三振を喫した選手かいたな。
延長の試合となると、例の18回の試合で星稜の若狭が、88年夏浦和市立の黒沼だったかな、宇部商戦で5三振を喫している。
選抜では61年の大会で敦賀の大谷が米子東の矢滝に6三振を喫している(延長16回)。矢滝が23奪三振の選抜記録を作った試合。
マニアックで失礼しました。 >>135
北陽っていつもやられ役だよな
島本の箕島
江川の作新
荒木の早実 >>142
S56年夏、名電にサヨナラHRで負けた試合も
印象深い。 北陽はまだあるよ。1年生荒木に1安打完封敗けの年はセンバツでも帝京に
3安打完封敗け。同年度の春夏の大会で1点もとれず、僅か4安打しか打てなかった
のはこの時の北陽くらいと思う。約10年後のセンバツで新田に延長17回サヨナラ
敗けというのもある。
同じ大阪代表でもPLや大阪桐蔭が光とすれば、北陽はまさに大阪代表の影で
あまりにも明暗がくっきりし過ぎている。 >>143 そうそう中村稔にホームランを打たれた試合。高木宣宏はあぶさんにも出ていたね。 江川に関しては前年の1972年夏から有名だった
山本英一郎さんが「予選で負けたけど作新学院の江川君、これは凄いピッチャーですよ」と言ったのを覚えている >>146
新聞でも予選で10回2死までノーヒットノーランで初ヒットを打たれた小山戦でサヨナラスクイズ
を決められた際のこけた写真が大きく映っていた。江川が仲根より凄い事は小学生でも知っていた。 横浜の渡辺元監督は宝島社のムックで、私は浪商の尾崎や慶応の渡辺も見たけど江川が
戦後No.1って言っていましたね。江川を横綱とすると松坂は大関クラスとも。小倉元部長も
江川がNo.1と言っていました。
今年、野球殿堂の表彰が甲子園であった中京商や中京大で日本一監督になった滝さん
は10年前の週刊甲子園で新宮の前岡を戦後No.1左腕と言っていました。江川も前岡も
高校時代を見てみたかった投手です。
江川は法大時代ののらりくらりとした省エネ投球は覚えています。全然すごくなかった。
日米野球で江川のチームメイトだった日大の佐藤(後の阪急のエース)や大阪商大の斉藤(大洋の
リリーフエース)と大して変わらなかった。登板数の少ない日米野球なら江川の本気モードが
見られるかと期待していたけど六大学のリーグ戦と同じ感じだった。 >>144
帝京の甲子園初勝利が80年春の北陽戦でした。 s48大阪予選の北陽には、藤山寛美みたいなアホそうな顔の一年生がいるな、と思って見てたらホームランを打って度肝ぬかれた思い出 >>149
ほんと高卒でプロに入っていたら、どんな投手になっていたか…
1968年の阪神・江夏みたいに1シーズン401奪三振とか伝説が生まれたかも >>151
甲子園では何故か貧打に苦しんだ北陽で一人気を吐き、解説者にラッキーボーイと
言われていた。2,3年は甲子園に行ってないのでは? うちの会社の社長は藤山寛美似に競り勝って六大学リーディングを取ったのが自慢 >>154
そいつは凄い。社長は慶應出身で成田に本社のある会社かな。 藤山寛美の大学時代の通算打率、打点は未だ破られていないのか。あれから40年近く
経つのに。当時は田淵の本塁打記録に惜しくも届かなかったことが強調されていた。
高1からセンスは抜群だったけど。 藤山寛美がまだ1年生の秋、近畿大会が地元であったんで見に行ったんだがその時ピッチャーやっとって当時の監督が、試合前おい寛美今日は調子ええ、調子ええばっかり言うとった。カーブか、スライダーか、分からん球ばっかり投げとったけど打ち込まれとった記憶。
その日、印象に残ったのは、報徳の左投手と平安の山根投手。 なんか寛美の凄さを集約したような北陽時代に参加した早稲田のセレ…。
15打数14安打14本塁打とかそれを目撃した人は度肝を抜かれやろな。 池田と徳島商
星稜と金沢
駒大苫小牧と北照
(竹田監督時代の)東北と仙台育英
花巻東と(初勝利を挙げる迄の)モリフ
出場回数は同じくらいなのに、活躍度に差がある
県内のライバル校の例はたくさんあるような気がする >>159
田淵は高校時代に連続19球オーバーフェンスをやったとされている。しかしソースが
「ほえろ若トラ」なので信憑性は各自で判断して下さい。 江川投手が作新学院時代、控え投手にも栃木を代表する投手がいたと思うのだが、
栃木予選、甲子園で登板はありましたか?
江川投手が予選から全試合投げていたのでしょうか。 >>163
大橋康延ね。選抜の小倉南戦で2イニング投げているけど予選は投げていなさそう。
(1回戦を戦っていたら可能性はある)。しかしそれでドラフト2位で大洋って
判官贔屓にも程があるよね。 >>164
判官贔屓っておかしいわ
そんな理由でドラフト指名する球団はないでしょ >>162
やっぱり田淵も凄いな。自校のグランドの練習でも凄いが。
岡田の話は志望する早稲田のセレクションと言うとこが派手やね。 >>164
ありがとうございます。
その江川投手の控えの投手は、江川投手が小山高校(だったか?)に進学するらしいとの情報を得て、
自分は作新に進学した と 江川投手を題材にした本に載ってたときがありました。
もし江川投手が小山高校に進学していたら、どうなっていたのか。 >>165
練習試合やブルペンはともかく、今と違って2番手投手は公式戦で殆ど投げる機会がなかった。
それでプロのスカウトが正常に判断したと思う?一方で水島新司も漫画の題材にする等、
マスコミで過剰に取り上げられて、判断が狂ったとしか思えない。因みに筋トレなんかない
時代に180cm90kgの肥満気味のアンダースローでそんなに凄い球を投げた訳でもなく、プロ1軍
では1試合登板のみの失敗ドラフト。 江川の在学時の作新学院の院長は衆議院議長を史上最も長く務めた船田中で、後に
江川の後見人にもなった。それがまた江川事件(当時、船田は自民党副総裁)で色々と
厄介な事態を引き起こしたように思う。 >>50
鹿沼農商を入れるならば小山高校もいれないとな。
江川卓氏が高校受験する昭和46年時点で農業科と商業科しか無い実業高校だった。
元日大藤沢や日大で監督していた鈴木博識氏が小山高校選手で出場した頃は農業科がありましたね。 「崇徳強かった」とよく聞くけど、鉾田一のエラーがなければ、数多くある二回戦敗退チーム。それでも強かったと思わせるくらいインパクトのあるチームだった? 強いからプレッシャーを感じてエラーしたんだろ。
歴史は書き換えられんのだよ。 >>172
インパクトはあった。まず久保監督のインタビューが無双。次に選手が揃っていて
ドラフト1位が2人等、当時史上最多の4人がドラフト指名された。そのうち山崎隆造
はプロでも大活躍した。後、試合ぶりは色々劇的。春と夏の初戦がコピーの様で、春と
夏の2回戦もコピーの様、但し夏の方は逆に崇徳黒田のエラーで負けた。それから
2ランスクイズを見破って封殺する等クレバーなチームでもあった(春の準決勝)。
春の決勝は圧勝。本当に強いかと言われると春夏連覇が出来なかったし苦戦もしていた
ので良く分からない面もあるが、それまでにない力強いチームであったのは間違いない。 広商、広陵の中に割って入る強豪校の仲間入りが出来なかったのは、
中高一貫のそこそこの進学校の影響もあったのかもしれない。 >>168
スカウトは江川目的で作新詣でしているから練習見れば当然目に止まるやろ
あと、日本語ぐらい正確に使ってくれ たとえ大橋のドラフト指名がおかしいとしても、判官贔屓という言葉はどうみてもそぐわない >>177
そうかな判官贔屓そのものだと思うけど。
「第一義には人々が源義経に対して抱く、客観的な視点を欠いた同情や哀惜の心情のことで
あり、さらには「弱い立場に置かれている者に対しては、あえて冷静に理非曲直を正そうと
しないで、同情を寄せてしまう」心理現象を指す。」
それが転じて
「弱者の位置に立たされたものに対しては、正当の理解や冷静な批判をかいた、かなり軽率な
同情という形をとる」
そのものじゃない。どう見ても大橋への評価は判官贔屓に基づくものだったと思う。
スカウトがそんなのに引っ張られるのはどうかしているけど、当時そうしたウェットな
物語が一杯作られた。 大橋についてもう少し触れると、ブルペンだけでプロ指名は異常。普通(或いは現代では)
あり得ない。おそらく千葉国体の決勝で江川が2回を投げて被安打2、2奪三振、自責点1で
降板した後、登板したと思われるが、結局打たれて2対3で敗れた。これを大橋の登板と仮定
しても公式戦で活躍した事はない。 >>160
出場回数に差はあるが、大阪桐蔭と履正社も甲子園での実績は雲泥の差があるな
昨年春は珍しく履正社が格上の評価だったのに決勝で負けて立場がいつものようになったね >>180
履正社も春準優勝2回、4強1回の実績があっても格下と言われてしまうのはいかに大阪桐蔭が甲子園で勝ちまくってるかという証か。
履正社が夏の実績に乏しいのもあるかな? 大阪桐蔭と履正社は、昔で言えば、PL学園と上宮のような関係だと思う。上宮は春の選抜大会では結構強かった。
履正社は夏の選手権大会でまだ一度も8強以上がないからね。 >>181
夏は大阪府1校だから桐蔭に出場を阻まれているということも大きいけど >>175
76年の崇徳は夏に勝てなかったのは痛恨だったな。監督が代わったり、黒田が初戦で発熱、やっと勝ったと思ったら絶好調の酒井と当たってしまう、春に比べて存分に戦力を発揮できなかった。
海星に勝っていたらおそらく春夏連覇していたと思う。あの内野安打一本で連覇の夢を断たれてしまった。 80年代の大阪予選準優勝常連だった近大附よりはマシ 80年代の夏の大阪大会では、公立進学校の春日丘の優勝が印象に残っているな。
82年夏の大阪大会準々決勝でセンバツ優勝のPL学園に6−5で競り勝って、
決勝で近大付に9−1で圧勝して甲子園出場。
これは凄いことだと思う。 >>185
いつだかの決勝で60回夏の優勝校PLに9回二死までリードしてたのに西田真二に逆転2ラン打たれてサヨナラ負けしたんやろ。
近附のエースはドラ2で近鉄入りした松嶋やったかな…。 江川は県立浦和を受けるというプランがあった。で、東大進んで、六大学リーグで東大優勝
させたら面白いと江川父は考えていた。が、埼玉県教委から江川の受験は認めないと回答
してきた。次に小山高校が候補に上がったが普通科がなかった。結局作新に進むことになった
大橋は作新の入学式に出たら 何で江川がおるんや?と衝撃をうけたという >>187
西田が松嶋から本塁打を放ったのは事実だが、サヨナラ負けじゃないよ。
PLが先攻だったし、スコアも9−3でPLの圧勝
ソース
http://koushien.s100.xrea.com/yosenkinki/osaka/78.htm >>190
訂正
西田が松嶋から本塁打を放ったのではなく、松嶋が西田から本塁打を放った。
ソースみたらそうなっていた。 87年の近大附も決勝でPLに1点差惜敗。今年の履正社同様、春夏連覇校を唯一追い詰めた学校だった。 >>188
慶応落っこちて法政に行った江川が県立浦和なんか受かるわけないやん 鉾田一の戸田は東海大から日本楽器(現ヤマハ)都市対抗の東芝戦だったと思うが延長戦でリリーフ当番してサヨナラホームランを浴びた。確かそれもプロ入りした補強選手だったと思うが、これが最後の檜舞台だったと思う。 鉾田一の戸田は東海大から日本楽器(現ヤマハ)都市対抗の東芝戦だったと思うが延長戦でリリーフ当番してサヨナラホームランを浴びた。確かそれもプロ入りした補強選手だったと思うが、これが最後の檜舞台だったと思う。 和歌山市の住金が石井−嶋田の箕島バッテリーで都市対抗優勝した時は松永玲一さんの後を継いだ山中正竹監督。松永さんは2年後にロス五輪で優勝した代表監督の頃じゃないかな。松永さんと前監督の河合貞夫さんがスタンドで
涙流してたとか。清沢さんもかな。筒井大助さんが主将だったかな? >>193
いくら埼玉トップクラスの公立進学校の県立浦和でも、
下位層はMARCHはおろか日東駒専すら入れないから、
一概に言えないけどな。一般入試の話だけど。 噂に聞く浦和高校って、日大や駒沢に入れない生徒もいるん?超進学校と聞いたけど。 >>190
いや、たしかあの学年の近附とPLは2回決勝で当たった記憶あるわ。
俺が言うてんのは秋大やったかも…。曖昧やけど。 入学前はよく出来ても入ってからついていけんようになる奴はどこの進学校にもいるよ 江川投手は当時の作新学院の進学コースだったの?
ひとりだけ、 練習後、深夜まで猛勉強して、慶応を受験するくらいのレベルまで
持って行ったのか。・・・遠征先でも勉強してたんだろうなあ。 >>199、これだね↓
近大付 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1
PL学園 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 2 3 >>202
見にくいよw
訂正しておく
近大付
100 000 000 000 =1
000 000 001 002x=3 (延長12回サヨナラ)
PL学園 >>203
ナイス訂正、
どういうことだ と思ってしまった 小さいころから見てた40前半の俺だが江川や西田PLにまでなるとさすがについていけない >>203
PLが夏に優勝した前年の秋季大会だな。
サヨナラ弾を打ったのは西田、打たれたのは松嶋で間違いないと思う。 江川は、親が六大学に熱心で、卓少年をよく六大学野球につれていっていた。卓も、自分は将来六大学の慶応か早稲田?に進むものと刷り込まれていた、と何かに書かれていた。
結局、慶応を受けて、かなり下駄を履かせて上げたけど、点数が届かずだったとか。 78年の選抜では、PLは、準々決勝で宿敵箕島に負けたな。その年の選手権で逆転のPLで初優勝だった。
第何回って書かれても分かりにくかった >>205
そりゃそうだよw
西田PLでも40年前だから、当時5歳未満の幼児にわかるわけないw
KKのPLや立浪PLなら、かすかに記憶にあるかもしれないってところだなw 六大学は日本野球のレジェンドやからな。
あれだけの息子やしそら江川の親父にすれば入れたいやろ。
田淵の22本のホームランはミスターの8本を大きく更新した!…が…。
神宮球場の左翼を田淵入学に合わせて?かなり縮めたとか聞いた。
その長島の前の慶應義塾大学の宮武三郎、山下実の7本の頃の神宮の左翼はもっと広かったとも言うね。
宮武、山下は甲子園ですでに勇名を馳ていたが、宮武が日本人神宮球場第一号ホームラン、山下はたしか甲子園球場第一号。(そっちも当時は両翼130mとか)
長島、田淵は甲子園へは届かんかったが時代にかなりサポートされたものもあったんやろな。
長い六大学の歴史の因縁もなかなか面白い。 甲子園の選手権でも、センバツでも、ホームランの出てない県はないと思うのだが、
大会初期の甲子園は広すぎて、ほとんどランニング・ホームランだったとの話を聞いたことがあります。
そこで、甲子園でランニング・ホームランを打った県は何県あるのか。
最近ではどの県なのかな。
ちなみに自分の県は・・ない。(三塁打はある・・当たり前か) 一番最後にHR打った県は青森で、
1997年夏初出場の光星学院の選手が打った。 そんな青森県も春夏通算して(光星、山田、聖愛)20本越えたね。
一番少ないのが富山県勢で春夏通算して一桁だったよね。 江川が慶応に入れなかったのは、大物すぎたから。
試験に下駄を履かせるのは不公平だと、無粋なマスコミや一部の学生が言い出したから、大学も後難を恐れて落とした。
それほど騒がれなかった、丸子実業の堀場はさりげなく入学させている。 >>203
これは77年秋の大阪の順位決定リーグの試合?
そのリーグ戦でPLが牛島香川の浪商を16-1と子供扱いしたのは覚えているが。
翌78年春の大阪は城東工業が3-2でPLを逆転サヨナラで倒して優勝している。
その年の夏は書かれているようにPLと近大付の決勝となり、9-3でPLが圧勝。近大は4失策で自滅した。 城東工業はサヨナラでなかったかもしれない、後攻だったのはたしか。 堀場は江川と共に現役時の受験では不合格、一浪しての合格だったと思う。
江川が大物過ぎたために堀場もそのあおりを食ったといえる。 慶應のセレって、志望者に対しての受験指導だと思っていたが、
実際は実技と試験で下駄履かせての合格だったんだな。
坂東英二が告白してたが、自分は合格したがプロに入ったと。
同学年のまだ無名だった頃の報徳学園の福島はセレ不合格だが、
一般入試で合格。
徳商の坂東の二年後輩が合格。
同時代の全国優勝メンバーの県立岐阜商清沢、広島商曽根が慶應進学してる。
昭和40年代に入っても、全国優勝の習志野池田、大宮工業吉沢、銚子商業前嶋も慶應進学。
習志野は到底慶應合格者は到底出ない学業不振高校。
工業、商業は言うまでもない。
箕島の東尾は尾藤監督から言われて慶應のセレに参加した時のことを
高校野球名門校シリーズ「箕島高校野球部」で語っていた。
期間は4日間。実技と英語の筆記試験。
実技はともかく英語の試験があるとは聞いていなかったので受けずに帰ったことで
後輩に迷惑がかかってしまったことを後悔していた。
セレ不合格で一浪して再挑戦した受験生に対しては早稲田の教育学部体育学科と同様
温情措置があったのではないかと推測される。
1973年全国制覇広商の川本は慶應の欲しい選手にリストアップされていなかったのではないか。 訂正
○習志野は到底慶應合格者は出ない学業不振高校。 >>220
徳商の板東の二年後輩が合格→広野功だな。
中京商業の江藤省三(慎一の弟、慶応監督も務めた)も合格しているな。
中京というと、76年夏のエース千賀も慶応に入った。
あのころは土佐から慶応に入ったのが多かった。66年春の準V投手上岡、国岡、サイクル男玉川とか。
73年組は慶応を目指したのが多かったが、江川、植松とかほぼ討ち死に。植松の同期の永島、2年夏に甲子園出場した高松一の土居、一浪で堀場と小綿が入ったくらいか。 73甲子園出場組は他に報徳の青山と翌年選抜優勝の中島は共に現役で慶應進学。 中島は77年秋の法政戦で江川に投げ勝ち2-0の完封をしたのが印象的。
しかし報徳から二年続けて慶応に進むなんて、まさかとは思うが「福島枠」があったのかな。 福島監督は練習後に英語の補習講師代わりを務めて
技量も学業も有望な選手に対して、関西志向なら同志社、
東京志向なら慶應受験を薦めていた。
補習は甲子園出場期間もやっていた。
あと報徳野球部を贔屓にしていた神戸大教授が近所にいて
練習をよく見に来ていて、福島監督の依頼で受験勉強の指南をしていたんだよ。
福島監督以前以後は報徳から中央大の監督だったから、
中央大に進学したケースが多かった印象がある。
沢井監督の御子息も中央大に進学してマネージャーをやっていた。
当時の報徳相撲部監督も報徳で高校横綱になって中央大OBだったから、
相撲部から毎年中央大学に進学していた。
報徳卒業生名簿を見ると、運動部から中央大進学組は法学部卒が目立つ。
そして、就職先も恵まれている。 銚子商業で2年で三番打つて篠塚と共に夏に全国優勝した前嶋哲雄さんは慶大に勉強で入って明治生命でも活躍して明治安田生命の専務と聞くけど。 文武両道って出来るか?
自分の周りにいたスポーツの優秀な選手は、ほとんど勉強は、出来ても学年の真ん中辺りがせいぜいだったけど。 >>219
近鉄の大石大二郎選手は、明治のセレクション不合格で、
「一浪して明治にいこうと思ったが、同級生に殴られるのイヤですからね・・」と
テレビで言っていた。そして亜細亜へ。
明治ならありそうな話だけど、
堀場選手も慶応で同級生に殴られたのだろうか。 >>226
なるほどね、福島さんの前の清水さんも中央大卒だったね。
カープの正捕手だった水沼や、75年春池田戦で追い越しアーチの長井も中央大だね。
「報徳も受けて通ったですよ。でも野球も勉強もせい、と言われたので入学を止めてしもうた」と言っているのは江夏豊。 ××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××
いい歳こいたおっさんが、自分が知っていることを、複数人を装って一人で書き込んで悦に入っているミジメな姿が見られるこの糞スレ
×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××× . 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 浪人すると同級生が先輩・・・上原が由伸を呼び捨て、いつも少し気になる。 銚子商業前嶋は野球の為に商業高校に進学したが、学業優秀で、入試は5教科で498点合格した。勉強に専念すれば東京大学にも入れた秀才だった。 >>225
報徳から慶應だと97年春夏連続出場した時のキャッチャー栗林が最後かな。
74年春優勝チームからは外野手の西本靖彦が早稲田に進んで活躍しましたな。
74年のチームは早稲田、慶應の両方に選手が進んで活躍したのね。
他も主将の渋谷渉も明治で活躍してと最近の報徳では6大学に進む選手は今年早稲田に進んだ西垣くらいだけど、かつては多くが進んで活躍してたのね。 報徳から早稲田に進んで財界でも名を馳せた大物はラグビー部の大東和美さん。
植山信幸さんも早稲田ラグビー部伝説のOB。 >>233
甲子園のスターの出世だと鍛冶舎氏 も専務まで上り詰めましたが、前嶋氏は本当の意味で文武及び社業両道なんですね。どっちも商業高校というのも。明治生命だと当時は桜美林優勝投手の松本さんが明大から加わった頃で、後に慶大監督になる竹内さんがエースだったか。 桜美林の松本は息子が明大進学が内定していたのに
早稲田に行ったことで明大OBが今でも激怒していると聞く。 >>232
とにかく学年絶対主義だな
プロに先に入っても学年が下なら「〜さん」呼び
しかし、江夏は相手を見て呼び捨てを振り分けた
2学年上の田淵には「ブチ」、1学年上の鈴木啓示には「鈴木さん」とかw 上原の大体大は、かなりの低レベルな頭で入れる学校。巨人、大リーグで活躍した上原も、頭は残念な人みたい。 《延長25回戦の男 大野木さん》
以前、此方で嘉義農林の話題が出た時に中京商業一塁手の後藤竜一さんの事を書かせて戴きましたが。
その後藤さんから17年程前に、大野木浜市さんを紹介され二度お話をさせて戴きました。
大野木浜市さんと言えば、あの中京商業vs明石中学の延長25回戦で決着をつけた決勝打の人として語り継がれております。
大野木さんから聞いた、少年野球時代〜中京商業時代の貴重な話を暇な時間を利用し書き込みして行きたいと思います m(__)m
続く >>236
銚子商業で前嶋さんの一学年下のキャプテンを務めた平野和男さんの名著「銚子商野球部ノート」のミーティングノートのなかに、ことし(75年)の高校球界の名打者として、杉村(高知)、久保寺(静岡商)と並んで前嶋さんの名が挙がっていた。 >>241
凄い体験やね、羨ましい。歴史的に語り継がれる事を望みます、是非とも聞かせて下さい。 《延長25回戦の男 大野木さん》
★★岡田源三郎コーチ★★
大野木浜市(2004年没)さんは当時、愛知県春日井市に在住でした。
静岡県浜松市の山下町出身で、実家が米屋さんだったそうです。
大野木さんが浜松北尋常小学校時代には、既に同じ遠州地区の掛川小学校が全国優勝&準優勝
。二俣小学校が全国準優勝を成し遂げておりました。
掛川、二俣を倒さなければ全国出場は有り得ないと云う事で、浜松北小は当時の明治大学野球部の現役監督・岡田源三郎(野球殿堂入り)氏をコーチとして迎え入れたそうです。
岡田氏コーチの成果で浜松北小は、昭和3年の全国少年野球優勝大会・B組(尋常小)の部に初出場されました。激戦区の代表とあって優勝候補にも挙げられた様です。
初戦で、大会三連覇を狙う優勝候補の一宮第四小(準優勝で三連覇成らず/吉田正男の母校)と対戦し敗退したそうです。
大野木さんは、
「一宮には滝野(滝野道則/享栄商業〜法大)なんかが居てねぇ」
と、懐かしそうでした。
因みにA組(高等小&中学一〜二年)の部では、中京商業で先輩となる吉岡正雄ー桜井寅二のバッテリーで掛川小が全国優勝を成し遂げたそうです。
吉田正男の一宮第二小は、準決勝で掛川小に敗退。
続く やっぱり大野木氏って浜松の人か。
浜松以外で大野木姓見たことないな。 >>245
大野木さんが、ソウルオリンピックに出場した水泳の大野木智子(浜松市出身)は親戚の娘さんだと言ってましたよ。 これは読み応えある。貴重は大野木さんとの素晴らしい時間を分けて貰ったのは幸せですわ。 >>247
後藤さんは紳士的な人でした。大野木さんは気さくな人で、八百屋や魚屋の親父さんタイプでしたよ。実家の米屋さんが影響していたのでしょうか。 >>246
という事は中学校時代の同級生大野木クンと大野木氏は親戚って事やな。 前回の後藤氏の話の時にググったが昔の水原や吉田も活躍した全国少年野球大会の記録が余り残されて無いだけに生の語り部の話は興味深いな。貴重ですわ。 《延長25回戦の男 大野木さん》
★★浜松元城尋常高等小学校時代★★
※昭和2年、大日本少年野球協会の関東側役員と関西側役員が使用球をめぐり対立し分裂。
関東側も関西側も大会を継続し、全国大会が二つ出来てしまいました。
昭和4年、浜松北尋常小学校を卒業した大野木さんは、浜松元城尋常高等小学校の高等科へ進みました。
今度はA組(高等小&中学一〜二年)で全国大会出場を目指す事となりました。
掛川小&二俣小の勢力は衰えず、関東(神宮球場&早大戸塚球場)の全国大会A組の部には二俣小が出場しベスト8。関西(京都岡崎公園)の全国大会A組の部には掛川小が出場しベスト4と云う結果となりました。
大野木さんの母校・浜松北小はコーチの岡田源三郎氏が健在で、関東の全国大会B組に出場しました。
浜松北小は決勝戦まで勝ち進み、豊橋東田小に 2ー1 で敗れ惜しくも全国準優勝。
大野木さんに、浜松北小の一学年後輩で全国準優勝投手になった人は誰かと訪ねてみました。
大野木さんは、
「トク(岡田篤治/中京商業〜日清紡績)ですよ、トクはね北小から東小(浜松)の高等科へ行ったんだよ」
と、教えてくれました。
また、元城小のB組は関西の全国大会に出場しベスト8で敗退だったそうです。
大野木さんは、
「元城のB組にはね、遠藤(遠藤忠二郎/浜松一中〜早大中退〜大東京〜セネタース、戦死)と小楠(小楠勝仁/早大捕手〜横浜ゴム)が居てね、僕より一級下でトク(岡田篤治)らと同級だったよ」
と、教えてくれました。
続く 50歳以上のおっさん(父や祖父)を気の毒に思うのは、
50年後の記事などの
金字塔をたてた
清宮や吉田輝星(朝日の土曜beでも王貞治になぞらえて吉田がどんな金字塔をたてるか)
、根尾昴の記事が読めないことですね。
今 気が付いたけれど雄星とあわせて
なん日本の星軍団って凄くないですか?
巨人の星、星飛雄馬
って50代以上の・・・
日本の星 世界(米国)で輝く 東西で分裂かあ、リトルシニアから分裂したボーイズリーグと同じ構図や。
歴史は繰り返すって本当にあるんやな。 《延長25回戦の男 大野木さん》
★★凄いコーチ陣★★
大野木さんも指導して貰った浜松北小のコーチは、明治大学現役監督の岡田源三郎氏と述べてありますが。
他校のコーチ陣を聞いて驚きました。
大野木さんは、
「元城にはね、早稲田大学の水上(水上義信/東京倶楽部)さんや、法政大学の苅田(苅田久徳/セネタース 野球殿堂入り)が来てコーチをしてくれたんだ」
続いて大野木さんは、
「東小(浜松東小)なんかは、慶應大学の宮武三郎(高松商業〜慶大〜東京倶楽部〜阪急 野球殿堂入り)さんがコーチしててね、東小と試合した時は宮武さんが東のベンチに居て、こっちが緊張しちゃたよ」
と、笑いながら語ってくれました。
二俣小には、早大OBの名審判だった池田豊(野球殿堂入り)氏がコーチをしており、池田氏の早大ルートで小川正太郎氏が二俣小を訪れていた様です。
続く 名人苅田や七色の変化球若林を輩出した本牧中学は、
野球部的には今の横浜高校に繋がってるんだよな。 宮武三郎対小川正太郎って、後の長嶋対村山、王対江夏以上だろうね。
ちなみに宮武は長嶋に抜かれるまで神宮のホームラン王でもあり、未だに慶應の投手の最多勝の記録ホルダーと言う凄まじい存在。
そんな人が対戦相手のベンチに座ってるとか…大野木さんもまた凄い体験をしてたんだね。 《延長25回戦の男 大野木さん》
★★少年野球最後の夏★★
昭和5年、元城小高等科二年生となった大野木さんは、最後の少年野球大会の予選を迎えます。
この年の予選A組(高等小)の部は、掛川小、二俣小、浜松元城小、浜松東小の四強の年だったそうです。
四強は招待試合や練習試合で勝ったり負けたりの状態で、どこが全国大会に出場してもおかしくない程のレベルの高さだった様です。
大野木さんが中京商業時代、先輩の鉄腕・吉田正男氏が話し掛けてきたそうです。
吉田氏は、
「おい大野木、俺は一宮第四で全国優勝(B組の部)したけど決勝の相手は二俣だった」
続いて吉田氏は、
「高等科(一宮第二/A組の部)では、準決勝で掛川に負けたけどな」
と、話したそうです。 草薙球場が完成したのが昭和五年か六年かだそうだが、当時の静岡は野球熱が異常に高まってたのかも知れんな。 >>210
そもそもは長らくアマチュア野球の聖地でプロ常設球場化に消極的だった神宮に、東映が「五輪の為に駒沢球場を都に返還したのだから」と東京都に
神宮の常時使用への仲介を懇願し、都の尽力でどうにか認められた(1962年)のを契機にラッキーゾーンを設けたのが最初。
間も無く既にフジサンケイ色が強まっていた国鉄が、日テレ独占の後楽園から神宮への移転を画策し、東映と入れ替わる格好で本拠地とした(1964年)
のを契機にプロ野球限定だったラッキーゾーン(他の試合では取り外していたらすぃ)が常時設置となったという経緯だと思う。 《延長25回戦の男 大野木さん》
★★全国少年野球優勝大会出場★★
昭和5年、大野木さんは浜松元城小高等科二年生で最後の少年野球大会A組の部の予選に挑みました。
浜松元城小A組は予選を勝ち抜き、早大戸塚球場で開催の第11回全国少年野球優勝大会A組の代表となりました。
大野木さんは、
「僕ら決勝で二俣やっつけて全国に行ったんだよ」
宿敵を倒しての出場となり声が弾んでおりました。
続く >>260
そういう経緯も知らずにいまどきのファンの中には六大学とプロとの併用日に
「なぜ六大学は神宮使っているんだよ、神宮はスワローズの本拠地だぞ。お前らが早く終わらないからプロのゲームが始まらないじゃないか」とほざいているバカがいる。
もう少し野球の歴史を勉強してもらいたい。 昭和58年までの旧スコアボードの時代は優勝チームのみセンターポールに校旗が掲揚される
という特典があった。決勝いがいの試合と新スコアボードでは7回に両校校旗がいったん降ろされ
最後に1、3塁側いずれか勝者の校旗が上がる。 風にゆらめきながら悠々とあがっていく赤と
黄色のPLの校旗がなんと誇らしく見えたことでしょう 旧スコアボードで雨が降ると表示が流れ落ちて読めなくなるのが、なんとも言えず風情が
あった。 宮武三郎に並んだのが呉明昌だった。
今年の金農旋風で記憶が呼び覚まされた嘉義農旋風。
台湾映画KANOは、マジ、野球映画としても青春映画としても映画史上最高レベルの作品だ。
甲子園を舞台にした映画でこれほどの完成度の映画は他に知らない。
観てない人は観てみて。 《延長25回戦の男 大野木さん》
★★少年野球で全国優勝投手★★
早大戸塚球場で開催された、第11回全国少年野球優勝大会A組の部(高等小&中等学校一〜二年生)に出場した浜松元城小は見事に全国優勝を成し遂げました。
【A組の部】
一回戦 元城 2-1 甲府琢美
二回戦 元城 3-0 茨城小高
準々決勝戦 元城 2-0 和歌山箕島
準決勝戦 元城 7-1 門司丸山
決勝戦 元城 1-0 大分工業
大野木さんに優勝投手は誰かと聞いてみましたら。
大野木さんは、
「僕です」
と、照れくさそうに答えてくれました。
驚いた私は、
「大野木さん!全国優勝投手なんですか!!」
と、口に出てしまいました。
すると大野木さんは、
「えぇそうです」
と、またもや照れくさそうに答えてくれました。
大野木さんは言いました。
「全国で優勝するよりも、予選で勝つ方が苦しかったですよ」
※参考
【B組の部(尋常小)】
決勝戦 姫路城南 7-4 豊橋東田
続く
《延長25回戦の男 大野木さん》
★★球友・大友一明★★
浜松元城小の全国優勝メンバーの一人に、プロ野球(大東京〜ライオン〜朝日〜金星)で活躍された大友一明氏がおります。
大野木さんは、
「大友はショートでした、大友とは北小〜元城と同期でね」
「大友は島田(島田商業)へ行ってからピッチャーになったなぁ、家はクリーニング屋でしたよ」
と、教えてくれました。
また、慶大・宮武三郎氏のコーチを受けたライバルの浜松東小は京都岡崎公園で開催された、第11回全国少年野球優勝大会A組の部に出場し、決勝戦で一宮第ニに延長戦の末1対0で敗れ全国準優勝に終りました。
一宮のメンバーにはプロ野球で活躍した、大宮清(一宮中学、戦死)、岡田福吉(東邦商業〜早大、戦死)や、滝野道則(享栄商業〜法大)等がおりました。
浜松勢の関東大会&関西大会のアベック優勝はなりませんでした。
続く 《延長25回戦の男 大野木さん》
★★中京商業に入学★★
大野木さんは少年野球の全国優勝投手の肩書きを引っ提げて、昭和6年に中京商業に入学しました。
中京商業入学の経緯を語ってくださいました。
以下の内容です。
「なんで僕が中京へ行ったかと言うとだね、岡田(明大監督・岡田源三郎氏/浜松北小時代のコーチ)さんとの関係なんだよ」
「岡田さんが、中京へ行って力になってやってくれんかと」
「そんな関係で僕とトク(岡田篤治/浜松北小〜浜松東小高等科)が中京へ行ったんだよ、大友(大友一明/浜松北小〜元城小高等科)も迷った様だけど島田(島田商業)へ行っちゃった」
偶然なのでしょうか昭和2年頃から、岡田源三郎氏は同時期に中京商業と浜松北小のコーチを依頼されて居たのです。
岡田源三郎氏は、中京商業の梅村校長から有望な少年球児のスカウトや情報を依頼されていた様です。
岡田氏からの情報を得た梅村校長は、掛川小まで足を運び掛川小校長と談判し後藤竜一氏(大阪大丸)、桜井寅二氏(慶大〜愛知産業)、吉岡正雄氏の三名を獲得。
同様に、岡崎梅園小から杉浦清氏(明大〜中日)、一宮第ニ小から吉田正男氏(明大〜藤倉電線)ら地元の名古屋以外から多くの有望選手をスカウトされたそうです。
続く >>265
あの映画は本当に素晴らしく、感動しました。 >>228
1998夏の甲子園に愛工大名電のエースで出た小宮投手が現役で難関国立大の名古屋大学
に現役合格してます。大昔に選抜優勝した北野高校の多胡投手が京大に合格。確か捕手の
人も京大。戦前にメチャクチャな猛打で優勝した和歌山中の北島投手は大学は不明ですが
医者になっているし、探せばそこそこいると思います。 >>262
入れ替え戦をやれ、などと東大に文句言う人もそう、東大が六大学に加盟してなかったら神宮球場は有り得無かった。 >>269
当時の星稜は帽子もアンダーシャツも今よりも紺の色が濃かったですね。 >>269
星稜の映像ええやないか。
こういう昔の映像もっと見たいわ。
そう言えばこの時の東海大相模は、9回2アウトランナー無しからの逆転サヨナラだったな。
もし、ここで負けていたら、決勝の高知との激闘、原の特大ホームランもなかったんやな。
この頃の東海大相模はこの春の豊見城戦、決勝の高知との壮絶な打撃戦、
定岡がいた夏の鹿児島実戦、工藤がいた土浦日大戦とか、激戦が多かった。
ただ、最後の夏は小山にあっさり負けてしもうた。 >>269
千葉県民だが
まさか小松の後に武藤と和田が見られるとは思わなかった。
これは俺が小学校の時に、初めて見た千葉代表の試合だわ。
40年ぶりに見た。良いもの見せてもらった。 >>269
大評判の映像だね。
武藤は後半バテバテだったと記憶していたけど
そのとおりだったなぁ。
我孫子戦で投げていた豊見城の投手は、
今年横浜に入った神里のおとうさんだね。 >>271
北野の多胡は慶応大でした。すみません。和中の北島投手は大阪大の医学部に進んだようです。 70年代のこんな中継V良く残してるな
オレが持ってるのは、83年夏のPL池田戦ぐらいだわ
ベータだからようつべアップも困難だけど >>269
この映像を投稿したのはおそらく岡山の人だよ。
この人は昔の映像をたくさん持っていて、ヤフオクで新聞記事とか雑誌を出品しておまけとして映像をつけて値段をつり上げるやり方で有名だった人。
他の人から譲り受けた映像をお金稼ぎのために売るなんて、いじけているよな。
そのやり方は相当問題になっていた。
ヤフオクは出品禁止になったようだ。こんどはつべに投稿してお金稼ぎに励むのかな。 >>260,262
ちなみにフジサンケイ主導に依るスワローズの後楽園(日テレが中継権を持つ)から神宮(当然ながらフジが中継権)への移転が、国鉄系
且つ日テレと昵懇の関係だった金田投手の反発を生み、フジサンケイ主導で獲得した豊田選手やコーチ陣との不仲もあり、巨人への移籍
の大きな要因の1つとなったとされる。
つまり後にジャイアント馬場をNETテレビ(後のテレ朝)に登場させた日本プロレスに、日テレが反発して馬場に新団体を設立させたのと、
類似の要素も金田の巨人移籍劇にはあったという次第。
高校野球とは無関係の話だが。 >>280
ワシも岡山の人には被害にあったよ。
自分が譲った試合のDVDがヤフオクに出されていた。
いくら譲ったあとはどう使おうと自由なのかもしれないが、まさか金もうけに使われるとは。本当に信用できないひどい人だよ。 秋田中学で甲子園出た人で、エリートコースを歩んで、戦後、大臣になった人がいたな。 >>280
えっ、そんなことしている人がいるのか。
それって放送法違反じゃね?立派な犯罪じゃん。放送局に通報したらいい。
ヤフオクでどのくらいもうけたんだろうな。申告も当然していないだろうし。 60年近く高校野球を観てきてるが
ハンカチ王子vsマー君の
早稲田実業と駒大苫小牧には鳥肌が立ったな >>282
あなたも被害にあったのか?オレもそう。
自分の住んでいる県の予選映像を岡山のその人に譲ったらヤフオクに出された。
あれだけ中傷されてもどこ吹く風という感じで出品を続けていたな。
おそらく悔しかったら発掘してみろ、という気持ちなんだろうな。いつかバチがあたるぞ。 三谷はふてぶてしかったな。
智弁戦の1安打完封は圧巻だった。
東洋戦、6回裏に松本が打球を受けたときはこれで今治に点が入ると思ったけど。 三谷の左中間の打球でフェンスに当たって跳ね返ったボールを
姫路のレフトが素手で捕って一走を本塁で刺したのが、この試合のアヤだった。 岡山の確か原とか言う人だろ 俺は何度か雑誌を落札されたことあるわ
別人だけどこの人も高校野球の試合違法出品している
なんで取り締まらないんだろう
https://auctions.yahoo.co.jp/seller/konann_2018 しかし、この映像を見ると、
今治西にも充分勝てるチャンスがあったんだな。
77年夏の東洋は凄い強いイメージがあったが。 ことしは100回大会というので貴重な映像や面白いエピソードが出るかと期待したが、ハンカチ
や佐賀北などの話が中心で古い話はあまりでなかった。昭和23年:小倉二連覇!昭和24年
北野VS芦屋:進学校対決!27年静岡商:全試合完封V!、28年さわやか土佐!29年:新宮前岡
嶋の再来!36年浪商宿敵法政二をくだすが、決勝桐蔭森川に苦戦!38年下関商春夏連覇に
挑む! >>293
30年:四日市初出場初優勝、さらに国体と連覇!
これ抜かしたらあかんやろ >>292
準決勝で春夏あわせて5回敗退の東洋大姫路と今治西。
準決勝で勝ったのは東洋はこのときだけ。今治にいたっては全敗。 >>293
アカヒ新聞や狗HKは日本の歴史が嫌いみたいやしな。
発見された沢村栄治の映像は日本初だかの日本シリーズかなんかやったらしいが。
あの映像には沢村栄治だけじゃなく、景浦将ほかそうそうたる選手が映ってるのに、狗HKはたしか一言も触れて無かったしな。
がっかりさせられるわ。 >>296
プロジェクトXで省略、出鱈目なスポットの当て方に味をしめたのだろう。
あれはひどかった。(例えば首都圏の自動改札なんて関西からみたら20年遅れ
なのに大袈裟に取り上げたり、初回からして失敗プロジェクトのYS11だったり、
ラグビーの新日鉄釜石では大学出のスター選手の松尾や森はいなくて地元の高校生
の新卒だけで構成されているようにねつ造したり。こんなひどい番組は未だ見た
事がないが、あれが絶賛されているから視る方も大概。)
景浦将を紹介するとそれだけで一回分尺が要るからその他大勢にしたいのだろう。
視聴者を嘗めているということ。 >>274
当時の星稜はアイボリーホワイトに濃紺の帽子、アンダーシャツ、ストッキングだった。今の黄色と青よりカッコよかった? >>291
こういう法律違反を平気でやって金もうけするヤツには悲しくなるわ。
自分がもうかりさえすればいいという思考は、アイドルのコンサートチケットとか、西城秀樹や歌丸の葬式の引出物を平気で出品するのと同類項。最悪のマナー、神経が麻痺している。
しかし、映像を転売するのはチケットとか引出物を転売するのよりもっと悪質。れっきとした法律違反、犯罪だからだ。
こんな輩ども、放送局に通報してやろうぜ。 >>293
いまのマスゴミどもは昔のことを知らないし、勉強もしようとしないんだろうな。
池田とかKKでさえ知らない世代なんだろう。
ことしは100回の年だから埋もれた球史を発掘するような番組や書籍が出るかなとかすかに期待してたんだが。 >>293
北野対芦屋、静岡商全試合完封は選抜のことではないのか?
いくら今年取り上げようとしても夏の100回のときに取り上げられるとは思えない。 投手三大ガッカリ。
前岡勤也、島本講平、酒井圭一。
安楽智大が、島本に替わってランクインしそうな勢い。
尚、近藤真一、斎藤佑樹、藤浪晋太郎は、プロ入り当初、才能の片鱗を見せたのでここには入れない。 あ、辻内崇伸が抜けてた。
彼以来、プロのスカウトも左は額面通りに受け取らないという傾向ができたとか。 島本はプロ入り時点ではすでに打者としての評価だったように思う。
同期の湯口の方が可哀想な結末になってガッカリだった。
あと甲子園であの江川に投げ勝ち、翌年優勝投手となった銚子商業の
土屋正勝もガッカリ組のひとり。 >>304
土屋は>>6を見ればわかる通り、入団時というか既に高3で肩を痛めていてまともに投げられる
状態ではなかった。
島本講平は近鉄に移籍してからそこそこ活躍(100試合以上出場が5年でオールスターにも
人気だけで選ばれたルーキーイヤーを除き2回)していたので、辻内と同列にしたらいかん。
同じ打者転向組でも仲根よりも活躍した。 島本はノムさんに嫌われた、イケメンと高学歴が嫌いだから。
細かい事を言わない西本監督の元で開花した。 >>302
前岡って、あなた年齢いくつだよ?
見たことあるのか? 前岡の年は、野手に浪商の坂崎、山本、勝浦、
投手に小倉の畑、桐生の今泉、四日市の高橋がいて、豊作と言われてた。
中でも、坂崎と前岡は今風に言えば、ドラフトの超目玉と言うべき存在だったが、プロでは期待外れだったな。 前岡のホップする球は全日本で超高校級の捕手と言われた畑もキャッチできず、
ポロポロこぼしていたという話。回転重視の特殊なフォームなためコーチが
よってたかって矯正を図ったこともあって、入団早々に肩を痛めてジエンド。
流石に前岡の実際は視ていないが、フラミンゴ投法と言われた谷村智博(報徳
->関学大->鐘淵化学->阪神)はプロ入り早々矯正されたが、何とかアジャスト
してプロでもそこそこ成功した。(豪快さはなくなったけど。) >>309
球界のマムシこと故・青木一三氏の著書には、前岡は自分宛のファンレターには目を通し、
必ず返事を書くマメな性格がプロ向きじゃ無かった、と書かれてたな。 島本講平は最初から西本監督のチームに入団してたらもっと実績を残せたと思う。
テスト生上がりの野村監督と人気先行の甲子園アイドルではまさに水と油。
清原のように新人のときから大活躍すれば話は別だったろうけど、実績十分ながら
華やかな人気のONにくらべて地味で人気もなかった野村にとっては島本はその恨み
の対象だったような気がする。 >>309
谷村はタコ踊り投法と言われたんじゃなかったか? >>309
前岡の球をキャッチできなかった捕手は桐生の田辺。
畑は小倉の投手。鳴り物入りで西鉄に入団したが、全く無名の稲尾にプロでは大差をつけられた。 >>311
島本のプロ入り時は、西本さんは阪急の監督。
厚い選手層の阪急では出番はなかっただろう。 強くても人気のなかった阪急なら出番はあったろうけど当時の西本監督のスパルタ指導
に高校を出たばかりの島本がつぃていけたかは疑問 太田と島本は俳優顔負けのイケメンだった。
在阪パリーグじゃなければ、もっと人気が出ただろう。 >>291
いくら悪いことをしているとはいえ、名前を出すのはどうかと思うが。
しかし、あなたの落札された雑誌もその人のおまけ映像のダミーとして使われたんだろう。その意味ではあなたも被害者。
映像そのものを出品するとまずいので雑誌を出品しておまけとして映像をつける(これもまずいんだけどね)その人のやり方はなんとも姑息。
あなたの使われた雑誌は、まるで全員県外との批判を避けるために一人だけ県内からベンチ入りする選手のようだ(笑) 島本が近鉄にトレードされたのは75年のオールスター前だったよね。
直後に一軍昇格していきなり3試合連続ホームラン、二番に定着。けんしょう炎で終盤は離脱したが後期優勝に貢献。
あのときの近鉄って、島本、太田、仲根と甲子園のスターがそろっていたんだな。
島本は翌年のオープン戦で5本のホームランを打ち期待されたが、公式戦に入るとまるで打てなくなりレギュラーを剥奪された。たしかこの年の打率は・212、2本塁打。これにはがっかりした。 箕島の男前グループ
島本、石井雅博、西川、嶋田兄弟、岩田 >>302
打者では享栄の藤王が真っ先に思い浮かぶ。
あとは静岡の植松、高知の杉村、都城商の加藤、鹿児島実の内之倉、大阪桐蔭の萩原、豊田大谷の古木あたりかな。 >>321
古木は長くは活躍できなかったけど、4番を打ったり3割2分の年や1年間に22本塁打の
年もあったので十分だろう。植松は、高校時代からすると物足りないかもしれないけど、
大学時代が率.275、3本塁打、34打点なんだからそんなものだろう。
杉村はあの実績でずっと打撃コーチ等を務めている事が凄い。余程慕われているか、
技術か理論が素晴らしいのか。藤王とはえらい違いだ。 83年夏の藤王vs野中の決勝は盛り上がったな。
その2年前の81年に槇原、工藤が同時にいたし。
77年はバンビ坂本
60年は近藤
あの頃の愛知は凄かった。 >>324
浪商1955年(?)選抜優勝時のエースだお(´・ω・`) >>322
山田哲人を手塩にかけてあれだけの選手に育て上げたから理論もそうだけど情熱が凄かったのでしょう。 >>325
おいおい。前岡は新宮高校だぞ。浪商が優勝した時の主力選手は坂崎一彦(中堅手)。 前岡を新宮高校に入れて甲子園を目指すため、
周囲が画策して養子縁組したんだっけ? >>328
どうなんだろう。確かに三重県から和歌山県に通う理由にはなるかもしれないけど、
新宮は県境の学校なのでそこまでしなくても三重県からの進学者が多い。井崎家が
伊勢とか志摩の方だったらそうなのかもしれない。前岡で寧ろよく知られているのは
スカウトの勧誘が出遅れた阪神が実家に向かい、養子縁組を外す事を条件に井崎勤也
として入団させたこと。
それから高校に通学させるために偽装で養子になったことで良く知られているのは
松山商の優勝投手で中日でも活躍した空谷泰(本名:児玉泰)。 選抜で優勝した浪商の坂崎も松井ばりに敬遠攻めにあいながら15打数9安打、打率.600、
2本塁打、8敬遠で坂崎大明神と言われたが、夏は新宮の前岡に抑えられた。プロ入り後
コンパクトなフォームに変えて巨人のレギュラーにはなったものの高校時代の迫力はな
かった。
逸材が多いと言われたこの世代で最も大成したのが、高校時代無名だった稲尾和久
だったのは皮肉と言うべきか。 >>329
前岡は北部の亀山市出身。
新宮で甲子園に3回出場しベスト4まで行ったから結果的には良かったんだろうけど、最後の夏は自宅から通える四日市が全国制覇した。 >>331
そうなんだ。そうすると偽装養子縁組かもしれないね。あの頃は子沢山だと本当に
養子縁組するところが多いから断定できないけど。新宮は2,3年とも中京商に敗れて、
中京商は前岡の2年次は優勝(5回目)、3年次は準決勝で大方の予想を裏切って四日市
に大敗。
因みに1953年の35回大会が中京商として戦後初出場(5回目)で、準決勝敗退で、
労ってもらえると校長に報告に行ったら「歴史を作りましたね」と選手権初の敗退
(選手権22連勝でストップ)の事を皮肉られた。翌年、中山投手を中心に優勝を果た
したが、優勝旗を紛失(85日後に川名中学の床下で発見)するという事件があった。
53-55年が中京商の戦後黄金期と言えるかもしれない。(60回選手権準決勝でPLに
誤審込の劇的な逆転負けを喫した)深谷弘次監督と(野球殿堂入りした)瀧正男部長
のコンビだった。その後は中京商も普通のチームになってしまった。 むかしは学区制といって学区内の高校しか進学できない制度があったから進学したい時は
地区の家庭に(野球)養子になることあったがまさか今の時代に各県で学区制なんて残っ
てないよねぇ >>325
浪商は谷本と広島の両投手の継投だった。
初戦の立教戦は継投でのノーヒットノーラン。
選抜では全5試合継投での優勝だった。
いまでは珍しくないが、この時代では珍しい。
74年選抜の報徳も住谷、東の継投だったが、準決勝の平安戦は住谷が完投している。 >>334
今では試合巧者と言われるチームは高校野球の変遷であまり聞かなくなったけど、当時の報徳学園は試合巧者と呼ばれるのにピッタリなチームで。 報徳が優勝した時の福島敦彦監督はドキュメンタリー映画「蔦監督〜高校野球を変えた男の真実〜」
の上演に伴うトークショーで選抜決勝前夜に表敬訪問した際に日付が変わるまで飲んだという
話を披露しているね。福島さんは翌年選抜4強の後、76年度から母校慶應義塾大学の監督を6年間
務めたが、惜しくも2位が最高だった。(江川が居る頃で人気・実力のあった頃)。 >>335
ナインはプレーにセンスがあり、野球をよく知っていたな。
一点の大切さが分かっていた。
ほかにも広島商とか東洋大姫路もそうだった。
そしてそういうチームにはそれにふさわしい名将がいた。
いまは金属バット時代だから少々の失点は気にしないでそれ以上点を取ればいいわけだから。ただ打つだけ、これじゃ野球を知らなくてもいいわけだから。
野球に深みがなくなったな。名勝負も見られなくなった。 >>323
1984-1985年の愛知の低迷は何だったんでしょう。84春に愛知高、85夏に東邦が
池田を上回るような徳島商のパワーに粉砕されたり、84夏は享栄がPL清原に3本ホームラン
を打たれたり、桑田の速球に金属バットをへっこまされたりしてボロ負け。85夏の
東邦が大敗した翌日の新聞に、当時、ご存命だった戦前の大投手吉田正男さんが「今
の愛知の野球は中途半端、金属バットに対応できず、かと言って木製バットの野球に
徹しきれないでいる」みたいな嘆きが載っていました。でも翌年以降は享栄の近藤、
中京の木村、東邦のキク山田とか好投手が続出して、しっかり強豪県に戻りましたがぁ。 >>337
この時代の報徳は相手の隙につけこんで機動力を発揮して得点、それを守りぬく試合巧者ぶりでしたが、打線が貧打だったわけではなかった。
67年夏の大宮戦はホームスチールでサヨナラ勝ちという離れ業を演じましたが、その試合は両チームで2本ずつ一発が出て木製バット時代の1試合最多本塁打記録でした。
金属バットに変わってからもこの記録はしばらく更新されませんでしたから10年以上大会記録として残ってました。 >>338
別に2年だけ弱かったのではなく中京商が春夏連覇をしてから愛知はずっと不完全燃焼
というのが正しいのでは?例えばイチローが居た愛工大名電だって初戦負けなのだから
選手とチームの強さは無関係なのが愛知らしいところ。またご指摘の2年間だって昭和59年選抜
では名電がベスト8に出ている。選抜だけ抽出すると昭和51年に岡崎工が2回戦で負けて
から5連敗したことがあるのでそっちの方が弱いという印象操作は出来なくはない。また
その後復活したとして88,89年選抜での東邦が準優勝、優勝した例を挙げているけど、
夏だけみれば2戦目、初戦敗退だし、89年から夏の4連敗がある。平成2年春から平成3年夏
にかけての春夏5連敗とか平成10年から14年にかけての選抜7連敗とかもある。愛工大名電
が平成16,17年に選抜準優勝、優勝しながら平成に夏未勝利(8連敗)だったのが漸く隣県
の最弱チームに1勝した後、やはり次に負けたということもある。基本愛知は弱い。
多分、野中が2,3年の時は享栄に藤王も居て特異的にレベルが高かったのだろう。その時、
優勝できなかったのは残念という他はない。 享栄といえば試合よりも前代未聞の喫煙事件の方を想い出すわ。
出場選手が甲子園の宿舎で喫煙している現場を押さえられたのって
後にも先にもあのときの享栄だけだよね? >>341
写真週刊誌「エンマ」が、享栄の野球部員数名が喫煙してる場面をデカデカと掲載してたな。
しかも夏の全国大会の真っ最中だったから、もう大会本部は上を下への大騒ぎになった。
享栄は2回戦の東海大甲府に勝った後だったが、享栄は出場辞退を余儀なくされると思ったよ。
けれども大会本部は、ベンチ入りしてた喫煙した部員をベンチから外して補充をしないという措置を
受け入れて、3回戦に出場することを認めたんだよね。
それまでは不祥事即、対外試合禁止が当たり前だったから、大会本部の寛大な処分は意外だったな。 1980年に西尾東は槙原の大府に逆転サヨナラ負けして
甲子園出場を逸している
あれから38年、千載一遇の機会が訪れたか? 愛知といえば、昭和末期の旧中京の豪快な負けっぷりの良さが印象深い。
すぐに思い付く試合は、
47回春 倉敷工戦、60回夏 PL戦、65回夏 池田戦、69回夏 常総戦、60回春 宇部商戦 享栄というと写真週刊誌騒ぎと書くヤツがいるが、そんな話題もう飽きたわ。
寛大な処置だなんて、出場停止になんかしたら後世まで残る汚点だぞ。そんなの高野連のプライドにかかわるだろう。佐伯天皇が亡くなっているときだったからあんな処置は予想できたわ。 享栄の話がでたが、 逃げろ!名電。来るな!享栄。中京みたら110番 ってな言葉があったな >>345
豪快って言うより(悲)劇的な負け方だね。69回は後藤、首藤が居たチームだけど常総戦
の負け試合は余り記憶にない。それ以外の記憶にあるそれらの試合は本当に劇的だね。
特に60回夏のPL戦は誤審と思われる西田の三塁打もあった大逆転負けで後味の悪いという
かなんとも言えない試合だった。60回選抜は用事があって試合はリアルタイムで視ていなか
ったけど、パーフェクトが破れた後の逆転本塁打を見送る木村の何とも言えない表情が
ニュースでも大きく取り上げられた。 >>346
部員の喫煙、部内の暴力事件を隠蔽していた2005年夏の明徳義塾は、高知県代表として既に
甲子園入りしていたが、大会本部と高知県高野連に送られてきた匿名の投書によって隠蔽が
バレて、試合前に戦わずして甲子園を去ることになった。
明徳義塾にはその後半年間の対外試合禁止処分、馬淵監督には1年間の謹慎処分が下ったな。 んで高知高校が繰り上げ出場となり高知高校にはウエダという選手がいて自転車で日本一周に出かけている最中ってデマが流れたな。
んなもんネットが既にある時代やで調べたら分かるがな。 享栄の時の寛大な措置に対して当時話題になったのは1971年の43回選抜での北海の
辞退。この時は北海は青函連絡船に乗って甲子園に向かう途中だったが、一般の2年
生生徒による3年生への暴行事件で、被害者の3年生が入院する事態が発覚し、青森
で下船せずUターン。その代替で補欠高として急遽、芦別工業が出場。それが響いた
のか、その年の夏こそ南北海道で無敵状態だった北海は出場し、全国最多出場回数を
更新したが、その後、暫く甲子園が遠のいた。 >>352
知らなかったけど、芦別工=>1988年に芦別商と合併して芦別総合技術高=>
2006年に芦別高に吸収合併という変遷を辿っているね。選抜優勝経験もあって
山口高志等を輩出した市神港もなくなったし、ラグビーの伏見工もなくなったり
で、色々高校が消滅しているね。 >>351
71年夏の北海は初戦敗退だったな
それも初出場の美方に 美方って開校三年目で出場でしたよね。
三方町と美浜町の境界に創られたから『美方高校』なんやて。 開校3年目で出場といえば、1979年夏の茨城・明野高校を思い出す。
120台もの応援バスを甲子園に繰り出して、茨城の観光バスが空になった。 >>277
豊見城のエースの神里は、当時の実況アナからは「かんざと」と呼ばれていた気がするが、ベイスターズの息子のほうは「かみざと」なんだよな。 >>342
享栄の不祥事が発覚したのは東海大甲府戦の前だぞ。当時のこと知っているのか。
なんとかこの試合に勝って試合後の監督のインタビュー、NHKのアナは事件のことに触れなかったが監督は「申し訳ありません」と涙だったな。 >>354
71年の夏は北北海道の留萌が開幕試合に出て0-1で県岐阜商に敗退ながら健闘した。
投手で4番の今西を中心にしたチーム。(今西が今西錬太郎の縁者だったような
記憶があるが確かめられないので嘘だろう)。3番の中井田?が北海からの転校
で規約で2年生の間、1年間出られなかった。留萌の甲子園はこの時だけ。 《延長25回戦の男 大野木さん》
中京商業に入学された大野木さんですが、色々と語って下さいました。
「僕は中京へ入って練習がキツくて野球を辞めようとか、野球が嫌になったと思った事は一度も無かったなぁ」
「中京でレギュラーに成れないと思った奴等はね、享栄や東邦に転校しちゃうんだよ。そんな奴が多かったですよ。」
選手名を聞いておけばと後悔しております。
「僕が中京へ入る直前迄は吉岡(正雄)さんがエースだったんだよ。吉岡さんが故障で投げれなくて第二投手の吉田正男(三塁手)が選抜で投げきっちゃった。」
「吉田正男(明大〜藤倉電線)は一宮なんだけど、もう一人一宮から鈴木(正明)と云う選手が居たんだけど、桜井(桜井寅二/慶大〜愛知産業)さんが居たんでレギュラー(捕手)には成れなかったね。」
「杉浦(杉浦清/明大〜中日)さんは、中京時代から守備は上手かったですよ。」
「鬼頭(鬼頭数雄/大東京〜ライオン、戦死)は体は大きい方だったけど、中京じゃ余り目立たなかったなぁ。」
続く >第二投手の吉田正男が選抜投げきった…
当時の学制で今なら高1になったばっかりの少年やもんな。
そしていきなり選抜準優勝しその年から夏三連覇…なんとも凄いな。
「とにかく外角低めに投げ込んだ」と何かで吉田正男の談話を見たがどんな投手やったんやろ…。
動画では優勝旗を受けるシーンなんかは視れるけどね。どっかに埋もれてるのかね。投球フォーム見たいなあ。 《延長25回戦の男 大野木さん》
★★後輩 松井栄造@★★★
大野木さんが中京商業に入学した昭和6年、母校の浜松元城小が早大戸塚球場で開催された第12回全国少年野球優勝大会・A組(高等小)の部で優勝し全国二連覇を達成しました。
何方かのブログにもコメントさせて戴きましたが、此方でも書かせて戴きます。
以下、大野木さんの本や雑誌にも掲載されていないと思う貴重な「証言」です。
「二連覇目は、あれだよ!松井栄造(岐阜商業〜早大、戦死)だよ!!」
「栄造はね中京へ来ることになって居たんだよ!本当なんだよ、僕と元城のグラウンドで話をしたんだ。」
「そしたら栄造が、高等科が後一年残って居るから元城の全国三連覇を狙いたいと言ってきた。そして中京へと云う事になっていたんだよ。」
「次に元城のグラウンドに行ったら、栄造が居ないんだよ!部員に聞いたら岐阜へ行ったと聞かされて驚いた!」
「そう言えばあの時、見馴れない5〜6人の大人が元城の練習をずっと観ていた。今になって思うのだけど、あの連中が岐阜の連中だったのかなと。」
松井栄造氏の話になった途端に大野木さんの声が力強くなった事を思い出します。
この証言は、知らない人が多いと思います。
続く
丸数字が何故?になってしまうなか解りませんが、松井栄造 其の一です。 《延長25回戦の男 大野木さん》
★★松井栄造 其の二★★★
大野木さんの証言から「もし」松井栄造氏が中京商業に進学して居たならば、昭和7年〜11年と言うことになります。
中京商業の「全国6連覇」も可能だったのかも知れません。
名古屋、岐阜、神奈川、そして地元の強豪校とのスカウト合戦の末に岐阜商業に進みましたが。
参考として松井栄造氏の全国少年野球大会決勝戦の記録を記しておきます。
《A組(高等小)の部決勝戦》
浜松元城 6-0 兵庫生野
《松井栄造氏の決勝戦投球記録》
投球イニング 7
被安打 1
奪三振 17(全員三振)
四球 1
続く >>334
その時(74年センバツ準々決勝後)の、新聞スポーツ欄(朝日だったかな?)のそれぞれの書かれ方(小見出し)が、
「がっちり平安」 「そつなく報徳」・・・・・だったのを今でも覚えている。
耳に残るフレーズだったので。 60歳以上70歳未満の老人が高校野球を語る、スレ
だよね、これ 50歳代は、ほぼ以前の話のループで微妙にネタ切れ状態だしな 松井栄造氏は遠州濱松の人でしたね。
元城小学校といえば濱松最古の小学校。 甲子園最多69勝の記録を持つ智辯和歌山の高嶋監督が勇退したが、その記念すべき
初勝利は智辯学園時代の(おそらく)1976年の48回選抜の対札幌商戦。智辯はその
大会でも評判の好投手阪本を擁し、優位は動かないと思われたが、果たして阪本は
期待を裏切らない先発全員奪三振の12奪三振の完封劇を演じた。2回戦の岡崎工戦
では何故か阪本を温存、補欠の山口が登板。それでも4-3で岡崎工を下し、準々決勝
進出。そこで弓岡等が中心選手だった東洋大姫路に大敗して智辯の春は終わった。
当時の紀和大会は、激戦で、智辯は76年の代表権は取れず、天理が本選に駒を進めた。
77年の49回選抜は紀和から三代表が出場し、鈴木康友を擁し優勝候補筆頭と目された
天理(ベスト8で中村に敗退)、山口が健在で優勝候補の一角であった智辯(ベスト4)、
三高の中で最も評判の低かった箕島(しかし優勝)とそれぞれが活躍。夏の紀和大会は
熾烈を極め、箕島は和歌山決勝で田辺に敗れ、奈良の智辯と天理の直接対決は智辯が
制し、結局智辯が4-1で田辺を下して選手権出場を決めた。智辯は多くの人が優勝候補
筆頭と目した(贔屓目に見ても東洋大姫路との二強)が、初戦の小松の星稜を下したも
のの3回戦で完璧なピッチングをした今治西の三谷に1安打に抑え込まれ、全国制覇は
ならなかった。 その今治西戦は智弁完敗だったな。あの大会は準決勝の東洋大姫路VS今治西戦が
事実上の決勝戦だったと思う。 >>371
岡崎工戦で阪本が投げなかったのは、確か発熱だったと思う。
次の東洋大姫路戦でも体調は戻ってなかったが、先発・山口が打ち込まれたため、リリーフで登板した。しかし初戦で見せた球威は無く、阪本も打ち込まれてしまったと記憶している。 59回選手権の2回戦で智辯は川口工に12-0と完勝。川口工の4番は評判のスラッガー
駒崎幸一だったが、山口には手も足も出ず、また投手力が弱く勝負にならなかった。
駒崎は卒業後、日本通運に入り、2年目にはインターコンチネンタルカップで日本
代表の4番を務める等活躍し、一躍ドラフトの注目の的だった。しかし、駒崎は拒否
表明。ドラフト後、各球団がアプローチする中、西武が口説き落とした。入団後、
1984年には60試合に出場して1軍に定着するかに思えたが、守備面で難があり、
その後は1軍では専ら代打専門で2軍との往復が多かった。2軍での派手な活躍の割に
1軍では活躍できないきらいがあった。 川口工業が熊谷商戦で甲子園行きを決めた相馬の劇的なサヨナラホームランが
つべで見れるね。 >>373
そのとおり、阪本は札幌商戦のあと風邪をひいてしまった。
>>374
駒崎といえば忘れられないのが84年札幌でのロッテ戦だったか、外野を守っていてなんと1イニング3失策というプロ始まって以来の不名誉な記録を作った。
この試合、投げていたのが東尾。西武は1-17と惨敗。 >>374
>>375
川口工は甲子園出場は77年夏の1度だけですが、80年代までは県内の勢力図が私学上位に変わってきても上位に来てました。
今は部員も少なくて初戦敗退も珍しくないほど弱体化してしまった・・・ 川口工業って今やyoutubeで有名だな。
自分から当たりに行ってピッチャーを恫喝するとか、タチ悪過ぎw
当時ネットがあったら、川口工業の悪童ぶりは全国に知れ渡ってただろう。 >>378
当時の工業高校って言えば、不良の巣窟だもんね。 川口工といえば好投手浅沼一郎選手。
埼玉県大会でノーノー達成しなかったかな?
昔ヤングマガジンに掲載の『工業哀歌バレーボールボーイズ』って川口工がモデルかな?
埼玉県ってのと朝沼工業って名前やし川口工も当時男子校、鋳物の実習とか、『大宮まで…』とか『浦和の店…』って会話とか。 >>377
記憶では90年秋の関東大会にも出ていた。
初戦で甲子園帰りの千葉の成田に1-2で負けたはず。
昔は春の川工と言われたくらい、肝心の‼夏に勝てなかった。ようやく壁を破ったと思ったら智弁にボロ負け。しかもその一回きりとは。 愛知県の盛衰が取り上げられていたので66年の中京商の春夏連覇の後の足跡を簡単に振り返って
みよう。62年度から中京商の創設者である梅村清二の次男である安達壽雄が瑞浪に安達学園
を設立し、63年度から中京高を開設した。中京商の春夏連覇の翌年度に高校の名称交換が行われ、
安達学園中京高が中京商に、梅村学園中京商が中京高になった。
67年度の中京は前年度の遺産があったのか、順調に勝ち進み選手権準決勝に進み、連覇が
有力と言われたが、伏兵の習志野高校の石井投手の絶妙な牽制球にランナーが再三刺された
こともあり、良いところなく敗れた。ここからが愛知の苦難の始まりであり、ベスト4に
進むのさえ、10年間待たねばならなかった。
68年度選抜は中京と初出場の名電工(現愛工大名電)がアベック出場を果たしたが、
中京はまさかの初戦敗退で、名電工はベスト8まで進んだ。夏の享栄も初戦負けと、野球王国
に相応しくない戦績だった。
翌年からは青年監督阪口慶三に率いられた東邦が覇権を握る事になる。69年は下手投げの
森口を擁し、4回目の選手権出場を果たしたが、本番では開幕試合で富山北部にまさかの
敗戦。翌年春はロッテにドラフト1位指名を受ける樋江井を擁した中京が選抜に選ばれたが、
2回戦で鳴門に力負け。夏の予選は2強が順当に決勝で激突し、樋江井は東邦を5安打に
抑えたものの、東邦の2年生投手水谷がその上を行き1安打完封で甲子園へ。甲子園で東邦は
初戦で高崎商と対戦し、水谷が乱調で8回表が終わった時点で6-0という大量リードを許し、
勝負あったかに見えたが、8回に4点、9回に2点を返し、延長13回で逆転勝ちを収めた。
この年は2戦目を勝ったが、準々決勝の隣県対決で岐阜短大附の湯口に抑え込まれて0-2で
敗北。翌71年春は、水谷をはじめ主力の残った東邦の戦力が充実。選抜はベスト8に順当に
進出し、そこで木更津中央の鈴木との投手戦に1-2と敗れて惜しくも敗退した。夏は3年連続
6回目の出場を果たし、優勝候補に挙げられていたが、初戦で初出場ながら戦力の充実が
伝えられた桐蔭学園と対戦。水谷―大塚の息詰まる投手戦になったが、7回に桐蔭が2点を
取り、そのまま0-2で敗れる事になった。この時、記憶ではアウトカウントを間違えたサード
のミス等で1点を失ったように思う。 72年は東邦の主力が卒業し戦力ダウンした結果、戦国模様になった。選抜は成章が
出たが初戦負け。夏は東邦と中京が予選決勝で激突。中京は意表をついて背番号15の
1年生小山を先発させた。それが功を奏したのか打撃戦を打ち勝ち16回目の甲子園へ。
評価は低かったが背番号10の1年生金本が東海大相模と足利学園を2市回連続完封で、その
結果評価は鰻上り。準々決勝では優勝候補の高知商と対決、意表をついて予選の15から
エースナンバーを背負った小山が初登場。それなりに健闘したが終盤に1点を失い2-4で
力負け。金本を登板させたらとの悔いが残った。
翌年は前年から4番を打っていた山倉率いる東邦の年。選抜では順当にベスト8に進出したが
、そこで優勝した横浜に力負け。夏は優勝候補に挙げられたが、初戦で高知商と激突。中山に
逆転満塁本塁打を喰らったこともあって初戦敗退という波乱になった。
74年は選抜に岡崎工、中京、夏は名電工が出たが岡崎工が1勝を挙げたのみ。75年選抜の
開幕試合で中京が対角屈指の兼光を擁する倉敷工業と対戦。途中2-14と大量リードを許したが、
猛然と反撃したが惜しくも及ばず15-16というスコアで敗退。夏は青エンピツの異名を取る
青山を擁する国府が打撃の中京を完封する等で甲子園初出場し、優勝候補の一角にも挙げられた
が、初戦でエラーもあって柳井商に0-1で敗退。76年選抜は先に出たように智辯のエースの
発熱というアクシデントを生かすことが出来ず岡崎工が2回戦敗退。夏は千賀を擁する中京が
ベスト8まで進みPLと激突したが、終盤に力尽き3-9で敗れた。
77年選抜は唯一新チーム以降無敗で大型選手を揃えた名電に期待がかかったが、初戦で
箕島に0-1でまさかの敗戦。しかし箕島はその後も勝ち進み優勝した。77年夏のバンビ坂本
の快投はここで改めて説明するまでもない。日本中にフィーバーを巻き起こした。
78年度は秋から深谷監督が復帰した中京が絶好調で、東海大会を圧倒的な強さで制した。
しかし不幸にも修学旅行で野球部と関係ない生徒の喧嘩騒ぎもあり、推薦辞退。東海大会
準優勝の浜松商が優勝したことからも逃がした魚は大きかった。78年夏はその中京と復活
なった坂本を擁した東邦、エース倉田邦房を擁した岡崎工が三強を形成していた。まずは
県予選準決勝で中京と岡崎工が激突。エース武藤の不調もあり、9回表が終わった時点で
2-6とリードされ敗色濃厚だった中京が集中打で一挙に逆転サヨナラ、7-6で下して決勝へ。
決勝では中京―東邦の横綱対決。坂本は前年より良いピッチングをしたと思われるが、
如何せんバックが違いすぎ2-1で中京に軍配。中京は優勝候補の一角として選手権に臨む。
中京は3回戦で箕島から山中の本塁打で大逆転勝ちを収める等、予選の勢いそのままで、
準決勝に進出。9回表終了時点で4-0でPLをリードしていて10中8,9勝利を掌中に収めて
いたのが、するりとこぼれ落ちた。この敗戦の後、深谷は監督を辞めて杉浦が監督に復帰
した。 69年の東邦の下手投げは森口じゃなく森部だったように記憶している。
翌夏の岐阜短大付戦は湯口に手も足も出ず1安打完封敗けだったな。
あの時点で湯口がプロ入り後、若くしてあんなことになろうとは思いも
よらなかったよ。 >>385
ご指摘有難うございます。タイポです。森部が正しい。名城大で活躍して愛知大学野球リーグで
中京大時代を終わらせました。 >>384
箕島戦の逆転弾は栗岡。
箕島はエース石井毅を温存したのが裏目に。 >>390 足利学園=>足利工業(エースの石田真が阪急からドラフト1位)
>>389 3回の大会2本目の山中の本塁打と混同していましたね。栗岡も2本、本塁打を
打って4強が揃ったところでの解説者(多分松永さん)をして打力は中京と言わしめた。
俊足好打の栗岡はドラフト2位で中日へ。 >>384
話が長すぎる。ただ結果を長々と書いているだけ。ここの住人には知っていることばかりだろう。結果にまつわるエピソードや個人的な思い出も書いたほうがよい。
しかも間違いが多い。記憶はいいかげんなものだから書き込むときはきちんと確認してからのほうがよいのでは?
みなさん指摘のほか、倉敷工業戦は2-13の11点差からの猛反撃だった。 やはり愛知の低迷は中京王国の崩壊によるところが大きいと思う。そのきっかけは67年東邦で阪口さんが就任し打倒中京に邁進したこと、69年夏の準決勝、逆転サヨナラホームランで中京を破ってからではないか。
杉浦監督も後年「あのホームランから東邦戦はおかしくなってしまった」と語っていた。事実、その年から夏の予選で東邦に3連敗。
70、71年夏は水谷が中京をいずれも完封、しかも71年はノーヒットノーランに抑えている。
中京で好投手が育たなかったことも大きい。 では飛びっきりの誰も知らない話を披露するな。
76年の初夏、中京が招待試合で石川県立球場で星稜と対戦。
星稜打線は中京のエース千賀をほとんど打てず0-3の完封負け。
星稜の2年生エース小松は8安打を打たれ3失点。
千賀に打たれたセンターオーバーの3塁打が印象に残った。
その夏は両校とも甲子園に出て中京はベスト8、星稜はベスト4進出。
翌77年の初夏は選抜優勝の箕島が石川県立で星稜と招待試合。
箕島は1年生の石井毅を登板させて序盤から乱調で7失点。
尾藤監督はベンチ前で怒声を張り上げ石井を鉄拳で殴打。球場はシーンとなる。
星稜は小松が2失点完投勝ち。
もう一試合は同じ年の春、練習試合での伊香・藤高、星稜・小松の投げ合い。
両投手とも10奪三振以上の快投でほとんど安打を許さず0-0引き分け。
これは実に見ごたえのある投手戦だった。 >>385
69年森部はこのとき二年生。開幕戦の富山北部戦、味方が4点先制したのに7、8回に四球連発で自滅。
翌年夏出場のときは背番号1だったが一学年下の水谷が全試合先発だった。 >>228
都立国立高校(くにこう)のメンバーは
東大理一や難関医学部に進学した。 >>384
78年度東海大会
→当時は中部大会な。82年秋から東海大会に名称変更した。 >>398
東海大会といえば、いつの年だったか三重県開催の年、天候以外の意外な理由で延期になってた。
鈴鹿サーキットで世界F1グランプリレースが開催される為に、大交通渋滞が予想されたからとか。
F1とか全然興味がないので分からないが、世界F1グランプリレースってそんなに観客が凄いのか?
って思った覚えがある。 >>382
川口工のユニフォームはローマ字でKAWAKOでしたが、同じ県内で今では古豪になりつつある川越工のユニフォームは二段書きで
KAWAGOE
KOUGYO
でした。 >>394
昭和55,6年頃の、
西武の指名断った伊香高校出身の藤高投手は
すごいですね。
その当時、
目の前に契約金の札束つまれたら(金額提示されたら)、
普通、入団してしまうと思うのだが。
・・社会人野球を経験したからだったのか。 >>394
尾藤さん、おっかねーなぁ。
そう言えば当時の箕島の選手が「テレビで見た尾藤監督の笑顔に騙された。練習で笑ってるところは、一度も見たことがない」と言っていた。 >>401
昭和56年に活躍した秋田経大付の松本も、西武からかなり高額の契約金でドラフト外で誘われたが
当初から決めていた住友金属へ入社。
金のことは関係なく、松本は高卒で直接プロ入りして欲しかったな。 >>401
藤高は新日鉄広畑だっけ?
常時145km前後の速球を武器に社会人でも活躍。
プロ入り表明すれば間違いなくドラフト1位だった。
小松との投げ合いは星稜グラウンドで観たけど、
むしろ藤高のほうが速いと感じたくらいだった。
>>403
練習中はいつもサングラスだし普通に見た目ヤクザでしたよ。
尾藤が石井をどつき回して球場が静まり返ったら、
山下も単細胞だから、尾藤に負けじと選手を怒鳴りまくってた。
あの二人が後年テレビに一緒に出て、ニコニコ顔を振りまいてたのは違和感ありすぎた。 近畿大会で箕島の尾藤さんが藤高を
絶賛していたね
選抜でも夏に優勝した桜美林の選手が
藤高のスピードにびっくりしてた 近畿大会をテレビ放送していたのは、いつからいつ頃までか知ってる人いる? >>406
桜美林戦はテレビで見てた。藤高のボールは、ナイターだった事もあり本当に速く見えた。
確か内野ゴロ2つで逆転されて、延長13回に長打を打たれて力尽きた。試合巧者にやられたって感じかな。
同じ大会の滝川戦の小松も見たけど、こちらもナイターだった。自分的には藤高より速く見えたね。でも夏の智弁学園戦は、全く速さを感じなかった。何があったんだろ? あと、どうでもいいことだが、伊香高校のユニフォームは胸の「伊香」の文字がやたらデカかった記憶がある。 >>408
藤高は13回表に古本に三塁打打たれたんだよな。伊香にもう少し打力があれば…
小松の件は同意。滝川戦はメチャクチャ速かった。相手の西口が遅かったのでなおさら速く見えたのかもしれないが。
智弁学園戦はとくに前半は全然速くなかった、ウォームアップが不足していたらしいけど。 >>408
>>410
完全同意。
滝川戦で立ち上がり4者連続三振を取った時の小松の球の速さは、
それ以前の江川を除けば、自分の中では甲子園史上最速の投手という印象。 >>410
>ウォームアップが不足していたらしいけど。
久しぶりにその話を聞いて思い出した思い出した!
記憶だけを頼りに書くからどこまで正確かは自信はないが、
確か捕手の沖野が宿舎にキャッチャーミットを忘れてきた。
それで誰かが宿舎へミットを取りに行って到着が遅れて
小松がろくに投球練習できなかったとか…。
(補欠捕手はミット持ってきてないのか?)
春の滝川戦の時も、ナイターになって視力の弱い小松が捕手のサインが見ずらく、
仕方ないから全部真ん中に速球を投げたとか…。
とにかく試合後の山下監督の話はバカみたいな言い訳ばかり。
親父と一緒になって「このアホ!」と激怒しまくったわ。 ちょっと気が向いたので。
話の流れをぶった切ってすまんが…。
かなり前の話。
7月下旬の暑い日の朝、当時大学生だった俺は地元紙の中国新聞を広げた。
そこには、とあるおばちゃんの投稿が掲載されていた。
大まかな内容は以下の通り。
「毎年この時期になると思い出します。
同級生のタッちゃんが、私を甲子園に連れて行ってくれると約束してくれたこと。
そして本当にその約束を果たしてくれたこと。
さらに甲子園優勝までプレゼントしてくれたこと。
今となっては青春の大切な、大切な思い出です。」
これを読みながら「うおおおー!なにコレ?りあるタッチじゃん!」
とめちゃくちゃ感動しながら読み進めた俺。
最後にそのタッちゃんの正体が判明する。
広島商業 達川光男。 俺が小中学生の頃見てた甲子園って、負けるまでユニフォームを洗わない選手が
いたり髭が異常に濃くて、こち亀の両津みたいな選手がいたり面白かったな。 >>411
「星稜の小松はただものではなかった。速球だけなら高校の投手の域をはるかに越えている」、「えらい投手にあたったもんや、と滝川の吉本監督は感じていた」と毎日新聞に書かれていた。
後年沖野は「(小松は選抜の前に足首を痛めたため)、三年のときはスピードが落ちてました」と語っている。そんな状態でも滝川戦はあのスピードだった。 逆に今はユニフォームの洗濯とかどうしてるんだろ?
3回戦の第4試合やっても翌日はキレイなユニフォームで出てきてるが >>405
確かに77年センバツ前の関西ローカル番組の箕島紹介映像で、黒サングラスでノックバット振ってる尾藤監督はもろにヤクザだった記憶。
当時の箕島の一般学生もかなり怖かったと、近隣の田辺出身のヤツが言ってたな >>417
尾藤スマイルは甲子園だけで。
普段の練習は鬼だったのね。 >>418
大垣日大の阪口監督もそうだね
というか練習中もニコニコしてる指導者なんかどこ探したっているわけ無いだろ 木内監督や上甲監督のガミースマイルはどうも受け付けんな。 池田高の故蔦監督が言うには「尾藤さんはワシより恐いでえ。」 実物の尾藤監督を1982年頃に至近距離で見たことあるけど、身長はたぶん160ぐらいで結構小柄だった印象 >>415
確かにね、ナイターだったから異様に速く見えたのと、
高目にグォーンと伸びる感じの球が多かった。滝川戦の記憶は。
デーゲームで一番凄かったのは2年夏の北陸大会決勝の桜井戦。
後に明治大学のエースとなった森岡と投げ合ったのだが被1安打で完投勝ち。
この時はノーコンの小松にしては珍しく制球力も抜群で、
外角低めに構えた捕手のミットに寸分の狂いなくボールが突き刺さる感じだった。
この時のピッチングは甲子園で豊見城を完封した時よりもいいデキだった。
でも甲子園で見た時はサッシーのほうが少し速かった印象。
(小松本人はおれが一番速かったと語る)
小松でよく解らないのは、プロ入り後のデビュー戦は広岡ヤクルトが優勝を決めた試合。
この時は大矢から三振を取ったと記憶するが、テレビ画面で表示された最高球速は143km。
それが翌年の春シーズンには153kmを記録してブレーク。
たった半年の間でそんなに劇的に速くなるものなのか?ずっと疑問。 その時の中日のピッチングコーチは稲尾やったっけか。 当時のスピードガンの数値なんていい加減だからあてにはならない。おしなべていまより相当低い数値だな(いまは逆にインフレすぎる)。ガン自体の性能もあるが、測る側も操作が慣れていなかったのではないか。
77年のスポニチで、千葉商を完封したときの東洋大姫路の松本の球速は132キロと書かれていた。そんなに低いわけないだろう。
スピードガンが導入されたころ、プロの投手は最高で148キロと表示されることが多かったように思う。小松はだいたい150キロ表示だった記憶。 >>427
千葉商戦の時の松本の最高球速は俺が読んでた新聞では136kmだった。
大会後、高校野球雑誌に載った球速比較でも、
小松141km、三谷138km、松本、三浦137〜136km、山口129kmだったと記憶する。 星稜で何度か甲子園に行ったのに結局ノーヒットで終わったのは沖野だっけ?
だとすると沖野は打撃面で足を引っ張っただけでなく、
捕手としても準備不足で迷惑をかけたことになるな。 >>429
そのとおり。甲子園に3回出て通算6試合で全部ノーヒット。
一番象徴的だったのは、智弁戦の9回2死3塁、1打同点の場面。
山口のスライダーに泳いで空振り三振。ああやっぱり…という感じだった。
まさに勝負弱さの象徴。
そのDNAは月岩くんらにも受け継がれる。 伊香の藤高は、西武の指名にプロ入りに傾いたが
スカウトの「どうせ高卒で会社に入社しても出世できないから
プロ入りしたほうが賢明」との言葉に反発してプロ入り拒否。
関東在住なので都市対抗野球くらいでしか見ることできなかったけど、
結局プロ入りしなかったのは、残念だったね。 >>429
ヒットを打てない捕手というと、沖野とは同期になるが78年の桐生の間弓もそうだった。
春は4試合ノーヒット。初戦の豊見城戦の第1打席、三遊間にヒット性の当たりを放ったが野手の好守に阻まれてからケチがついたのか。
準決勝の浜松商戦、6回の勝ち越し機にスリーバント失敗の三振、1点リードされた8回の同点機にはスクイズを外されて三塁走者の阿久沢が噴死。この試合の敗因となっ他。
夏はあの大勝した膳所戦で待望のヒットを放ったが、県岐商戦ではノーヒット、チームも完封負けだった。 >>428
だとしたら、高松商の河地、能代の高松、仙台育英の大久保、大鉄の前田などは皆120キロ台ってことか。
んなワケないだろって感じだよね。 >>433
大久保の球はかなり重そうな球質でした。
打者の手元にズドンと来るような。 ヒットを打てない捕手ということになると
小松の女房役だった星稜の沖野もひどかったが、
松井の代の北村という捕手はさらにひどかった。
県大会ならそこそこ打ってた沖野に対し北村は常に安定の1割台。
甲子園でももちろんノーヒット。
松井の後の月岩や奥成が弱いとよく言われていたが真の打線の穴は8番の北村だった。
もちろんこんな自動アウト君が下位打線にいて優勝できる戦力なわけがない。
歴代の星稜では松井の年代が一番強かったというのは真っ赤な嘘。
仮に松井が全試合全打席勝負されていても優勝できなかったよ。 >>432
桐生と豊見城のその試合。石嶺はヒット1本だっけ?
アウトになった打席もすべていい当たりの外野へのライナーで、
木暮対石嶺の勝負は内容的には石嶺の勝ちという印象だった。 >>436
記録は4打席ノーヒット
第1打席 一死三塁でサードゴロ、三塁走者が本塁噴死
第2打席 痛烈なセンターライナー 桐生のセンター和田が転びながら好捕
第3打席 センターへの大飛球、和田が背走して好捕
第4打席 ライトへの大飛球
和田の再三のファインプレーに阻まれたものの、内容では石嶺は木暮に勝っていた。
この大会で最も印象深い投打の対決だった。 >>437
ああ4タコかあ…
記憶というのはほんと当てにならないな
いい当たりはほとんどレフトへ飛んだと思い込んでた 甲子園での豊見城の動画がけっこうアップされてるけど、自分的に一番見たいのがこの桐生戦。
お持ちの方いたら、お願いします。 >>405
54歳香川からです。平成7年選抜で年観音寺中央が優勝した時、星陵山下監督が「橋野さんも変わったな(笑)」とテレビであった。要は自分の世代の監督や先生は怖かったんだな。 山下は「超高校級の松井がいるので、当然全国制覇が可能だったのに敬遠策は残念」と
後々でも批判めいて今日に至っているが、山口だったか当時の事を訊かれて
「無理っしょ、投手ならわかりませんが打者は潰されたら(敬遠)終わり」と醒めたコメント。
明徳の徹底敬遠策も「特に悪いとは思わない」
山口は選手時代から、山下監督の手腕に不信感を抱いていたのではないか。 山下監督が本当に全国優勝可能と思っていたなら監督としては凡将と
言わざるをえないね。中心打者が5個も四球もらってんのに2点しかとれない
打線でどうして優勝できるのよ?
今夏の大阪桐蔭なら4番打者が5個も四球もらったら間違いなく二桁得点上げてるさ。
当時、星稜の敗因は明徳の敬遠作にあるような報道一辺倒だったマスゴミにはあきれ
た記憶しかない。 >>439
ユーチューバーの岡山のかた、出番ですよ〜 >>442
嘗て金足農がPL学園と対戦した時に、一塁が空いていれば清原とは無理に勝負しなかったが、続く桑田に手痛い一発を喫してしまった。 >>440〜442
昭和48年からずっと星稜野球を観てるけど、山下監督は無能の極みですよ。
明徳戦の敬遠事件は実はその前年秋の明治神宮大会決勝(帝京戦)から起因します。
この時、松井は4打席連続敬遠を食らったがその時はたまたま後続が打って大量点が入った。
試合後の山下監督は得意満面の表情でインタビューに答えて
「松井を歩かせても後続が打って大量点になるケースが多いんですよ」と答えた。
これが完全な油断と敬遠対策を真剣に考えない要因となったと思います。
センバツでも1塁が空いてるのに宮古の元田がアホみたいに松井に向かって行ったし、
夏の県大会の準決勝でも2死2塁で松井と勝負するチームがあった。
だから山下の頭の中ではどのチームも松井と勝負してくると決めつけがあった様子。
ほんと小心者で三流のヘボ将棋指しでしたわ。ノックだけは超一流だったけど。
現監督のハヤシにおいては済美戦の采配を見ての通り、もはや「狂気」のレベルです。 山下が如何に小心者であったかの例として、
昭和52年秋の北信越大会が挙げられます。
準決勝、決勝はダブルヘッダーでやるとわかっている状況で、
前日の準々決勝で小松を登板させて18-0で7回コールドなのに、
最後まで小松を完投させて、翌日のダブルヘッダーも小松連続完投。
しかも準々は3回で10点差ついてるのに小松を完投させる小心者ぶりだよ。
もし山下が今でも監督だった、ら済美戦は奥川を完投させて勝ってただろうけどw まあ当時はどの試合でもエースで押し通す学校が多かったから。
甲子園での例として、75年夏の準々決勝、習志野16-0磐城の試合で小川が、77年春の2回戦、箕島10-0豊見城の試合で東が最後まで投げているし。
それでもプロに行くような投手は壊れなかったな。
不思議に思うのは当時の北信越大会のコールドは5回10点差でなかったのかな? >>442
山下監督時代の星稜って、明治神宮大会でもやらかしてるんだよね。
昭和58年秋のことだが、このときはまだ全地区が優勝校というわけではなく、
星稜は北信越大会優勝校だが、京都商は関西から持ち回りで出場。
星稜高 000 001 009 0=10
京都商 020 000 026 1x=11
(延長10回)
ちなみに星稜のピッチャーはダイエーに進んだ湯上谷。 1992年松井にとって最後の国体では山下が対戦相手校に
「おーい、松井と勝負したってくれ」と大声で相手Pに言ったらしいなw
余興のイメージが強い国体とは言え監督失格だろ。 >>446
しかし0-18と惨敗した長岡が翌年夏に甲子園に出てきたのには驚いた。
56年ぶりというのと、前年秋に記録的惨敗したのに、という二重の意味で。
甲子園ではナインが夏風邪にやられてしまったのが惜しまれた。 >>452
私が見た新聞には「山本五十六元帥もビックリ、56年ぶり」の見出しが踊ってました。 >>450
それ以前にもやらかしててるよ。
56年秋の神宮では福岡の無名の嘉穂とかいう学校に初戦負け。
翌年秋は神宮第二で観たが湯上谷の派手なトンネルで失点して負け。
この頃は毎年のようにやらかしてた。 そして極めつけのやらかしは昭和58年夏。
石川大会準決勝でライバルの金沢相手に延長17回で勝利。
試合後のインタビューで山下監督はまだ甲子園は決まってないのに、
しかもインタビュアーから質問もされてないのに、
「予選で苦しんだ年は甲子園では良い結果が出るので、大会では上位を狙いたい」と発言。
しかし翌日の決勝では無名の公立の小松明峰に逆転負け。
ショックのあまりエース荒山が入水自殺したと県内にデマが広がり、
2日後、北國新聞は荒山が自宅で素振りする写真を掲載。
見出し「ぼくはちゃんと生きてます」 この頃の星稜でもっともガッカリしたのは81年の近江だな。下手からの速球で前年秋の明治神宮大会では荒木の早実を破り優勝。選抜でも期待されていた。
選抜では二回戦で秋田経大付と対戦。松本との緊迫した投手戦を期待していたが秋田の一方的な展開となり0-4の完敗。雨のなかいきなりドラッグバントを決められて動揺したのか、2回には4四球で押し出しするわ7回には松本にホームランされるわ、10四球という大乱調だった。
夏も出場したものの先発は二年生の浅香で近江は二番手だった。
駒沢に進んだが中退したと聞いた。 もうひとつあった。
平成7年夏甲の準々決勝の金足農戦で勝った後のインタビュー。
次の対戦はPLと智弁の勝者と決まって、どう戦うか質問を受けたが
「相手はPLですか。優勝候補なので思い切ってぶつかります」と勝手に決めつけ発言。
インタビュアーから「まだ決まってません」とたしなめられる始末。
この人が名誉監督としてチームにしつこく関わる限り、星稜は来年もダメでしょう。 >>456
北信越では福井商の前側以来の速球派アンダースローで期待大の近江だった。
センバツ時は明らかに調整不足で初戦の高崎戦でも不調。
秋田経大附には絶対負けると思ってたよ。
夏は石川大会後にエースナンバーを剥奪されショックの余り夜の片町を彷徨う。
和歌山工戦ではリリーフで好投したけどね…。 高校野球の場合、監督としての手腕と併せて教育者としての側面も求められるところがあるからな
監督として無能でも教育者として有能ならあたかも名監督みたいに見られる風潮がある
山下監督はその典型的な例ではないかな
今ならモリシ >>416
今は試合用のユニも自分持ちのチームが多いのかな。スペア持っているだろう。自分達は試合用のユニ貰ったら嬉しかったな。 >>455
>「予選で苦しんだ年は甲子園では良い結果が出るので、大会では上位を狙いたい」
昭和57年夏だったか、星稜のチーム紹介にこの言葉があったのを覚えてる。
ところが本番は荒木大輔の早実と初戦で当たってフルボッコされた(確か0-10)ことがあったよね。
まああれは相手があまりに悪すぎたか。 早実には1-10だった。板倉に二本打たれるなど山崎が三本ホームラン打たれたのかな。
山下監督は文武両道をめざして「北陸の土佐高と言われるようになりたい」とよく話していた。赤点取った小松をグランドで補習させたとか。
松井には人間教育をよくしたというのは知られた話だよね。やはり教育者として優れた人だと思う。野球を教えるのは優れていても人間教育ができていないと思わせる監督が多いなか、本来のあるべき姿かと。
83年の報知の連載「私の高校野球」に山下監督が登場した号があった。
入学してきた選手に「星稜に何しに来た?」と聞いて「野球です」と答えたら「なら学校辞めろ」と言うようにしている。
高校へはまず勉強をしにきたはずでしょう、口だけでは困りますので赤点取ったら練習もさせませんとか書いていた。教育者としての熱い側面が伝わってきた。
しかしその中で血液型を重視したチーム編成をしていたというのにはあきれた。 >>462
>赤点取った小松をグランドで補習させたとか。
小さい机を置いて漢字の書き取りをやってましたw
チーム編成は血液型占いや出身地によって決めてました。
(能登の子は気が強いので投手、金沢の子は狡いので内野、加賀は穏やかなので外野) 報知の82年夏の大会決算号の記者座談会で山下監督について記者が議論していたはず。
試合になるとダメだ、自分のチームだけでなくもっと周りのことを見てほしいと手厳しい意見もあれば、
いや球場で他の学校の試合を偵察する姿を毎日のように見た、もう少し無駄を省いていけばいい気がするとか優しい見方をする記者もいた。 >>464
それ以前の問題だと思うけどね。
松井の時のセンバツの準々決勝で天理に負けた後、
「天理の都会的な思い切りのいい野球にやられました」
「でも我々雪国は真面目に練習するしかありませんから」
などというひがみ根性丸出しのインタビュー。
だいたい天理市なんて金沢より田舎だろうが。
全国制覇を狙うとか言うなら雪国云々は口にするなってえの。 >>435
歴代の星稜で一番強かったのは甲子園には出ていないが新座とかいた75年のチーム?小松が一年のとき。
正直な話、甲子園で上位進出したときでも強いと思えるときがないんだよね。76年は小松の投手力だけだったし。松井のときも山本のときもチーム全体に力強さは感じなかった。 星稜の近江、、浅香懐かしいね。
当時の報知高校野球に近江ファンの女子高生が
駒沢大を受験したら近江も同じ教室で受験していたと。
自分は駒大不合格だったけど、頑張ってほしいなんて投稿が
掲載されていた。近江は一般受験だったのか?
そういえば、星稜から大学に行って活躍、プロ入りした選手ってあまりいないね。
国学院ー巨人の高木くらいか。 >>466
新座主将、北川副主将(ハヤシの前の監督)のチームは猛打が売りだったけど、
秋は福井商の前側に完封されたし、夏もあと一歩で甲子園に行けなかった。
夏は北川が盲腸で入院したのも痛かったし、エース荒井がそれほどの投手じゃなかった。
新座、北川らが抜けた翌年は貧打だったけど小松が覚醒して甲子園ベスト4。
小松がもう一年早く生まれていたら全国制覇を狙える戦力だっただろうね。
でも監督があれだから結局はどこかでやらかすか…。 >>466
毎年のように下位打線に線の細い自動アウト君がいるのはお約束だったけど、
新座主将の年代と、甲子園準優勝の年代だけは下位打線にも勝負強い打者や一発屋がいた。
そういう意味では準優勝の年は戦力に穴がなかった。力強さはあまりなかったけど。
ハヤシが監督になってからは下位打線にも力強さが出てきたけど、
今夏の済美戦のように采配が滅茶苦茶なので…。 >>468
たしか夏は北陸大会の決勝で金沢桜丘に4-5で負けて甲子園に行けなかったんだよね。
序盤にリードを許して終盤追い上げたが及ばなかった。桜丘は野口という二年生の投手だった。
小松が二番手で投げた記憶がある。 山下監督はお人好しなんだけど、すべてにおいて甘いんだよ
だから勝負所でコケる
北陸人の弱さが出るんだよな >>470
>小松が二番手で投げた記憶がある。
いや、そうじゃないんだ。先発したんだよ。おれは球場で観てた。
前日の高岡商戦もこの日も気温が37度越えで、前日完投したエース荒井がバテバテで、
1年生でノーコンの小松が先発と球場アナウンスがあった瞬間、不安が走ったわ。
そしたら案の定、四球を連発しては打たれるの繰り返しで3回で4失点KO。
後を継いだ荒井は1失点に抑えたけど、山下監督の焦りがもろに采配に出て、
5-1とリードされた中盤の1死2、3塁のチャンスも得意のスクイズ失敗で無得点。
この時は星稜応援の3塁側から翠星会(会員はほぼ893)の「このダラー!」の罵倒の嵐。
9回は猛烈な反撃を見せてあと1点まで迫ったところで勢いを殺す送りバント。
最後は2死2塁で期待の新座主将がセカンドフライで終了。
甲子園に出場したら応援に行こうと親父と約束してたから、もう泣いたわ。子供だったし。
スタンドで泣きながら閉会式を見ていました。
>>471
>>472
この人の朝日放送でのまったく内容の薄い解説を聞けばよく解るけど
あほというより『地頭が悪い』という感じ。
伝説の神バックホームの決勝戦の解説で(松山商熊本工)、
試合後に感想を求められて、
「得点は6-3と3点差がつきましたが1点差と同じくらいのいい試合でしたね」
これにはため息が出たわ。この感性では絶対に無理と思った。
とにかく発言が
「おれたちは雪国だから明日も白星で飾ろう」に代表されるようにバカで浪花節一辺倒。
初の決勝戦進出を決めた平成7年の夏も対戦相手の帝京前田が
「情熱の続く限り甲子園優勝を狙いたい」と語るのに対し、
山下は「春か夏、一回でも甲子園優勝できたら監督を辞めたい」
もうこの時点で試合前から勝負あったという感じ。
この人がチームに関わる限り、勝負弱さと地頭の悪さがチームに伝染するので、
本当にさっさと高校野球界から完全引退してくれと願うばかり。 星陵の話が多いが、自分は香川だから四国の話もしたい。残念ながら自分の時は、池田高、高知商業、伊野商業、新居浜商業が活躍した。香川がなかったな(笑) >>473
確かに山下の解説は頭にくることが多い。育成とかは無理だよな。
根性論だけだよな。 >>473
470だが、小松は先発でしたか。ずっと記憶違いしてました。
勝った桜丘は橋場主将が甲子園で選手宣誓しましたな。
84年はまた桜丘との対戦で4点リードされるという同じような展開。このときは追いついて延長サヨナラ勝ちだった。 >>474
81年夏の志度商の活躍は鮮烈だった。
右脚に身体をまきつけるような白井の力投は印象深い。豪腕松本にサヨナラ勝ちした試合はしびれたな。
高松商の連続出場がとぎれた途端の香川の快進撃だったから、なおさら高松商のふがいなさが浮き彫りになった感があった。
ただ、こうも出られない最近の状態をみると、当時は出られるだけましだったと痛感させられる。 香川は高商は初戦敗退。他が出れば二つ位は勝つイメージがあったな。でも高商も、浪商や片岡投手の府中東に勝ったり決して弱くはなかったんだけど(笑)地味な県民性かな ところで…二松学舎から日ハムへ入団した
坂巻って投手、60才過ぎていると思うけど…
今どうしているかな? 選抜では丸亀商がベスト8、ベスト4と活躍していたからね。しかし80年は防御率ビリの高橋があんなにがんばるとは思わなかった。
高松商は76年と78年は強かったんだけど。
勝った浪商、府中東戦のほか、負けたとはいえ黒田を打ち込んだ崇徳戦は高松商らしさを発揮したといえる。
しかし、継投ミスと足におぼれて自滅した銚子戦、河地がサヨナラデッドボールでうなだれた仙台育英戦、開校三年目の学校相手にエラーでサヨナラ負けした明野戦と残念な場面の印象が強烈なんだよな。 >>474 >>479
高松商といえば、1979年の夏、高松商が開校3年目の茨城・明野に負けるとは思いもしなかった。
確か最後は併殺崩れのエラーでサヨナラ負けだったはず。
この前後の連敗はクジ運が悪かったというのも頷けるが、明野戦に関してはそうじゃなかったな。
>>478
81年の志度商には1年生ながら、1回戦の高岡第一戦で5打数5安打した西島って内野手がいたね。
どれもクリーンヒットばかりで1年生ながら凄いのがいるなと思ったが、活躍出来たのはその試合だけ。
他にもこの年は連敗中の松商学園に変わって出場した岡谷工の金丸が、七色の変化球を操って
大分の津久見に勝って、長野県勢の連敗をストップさせたのを覚えてる。
金丸はロッテに入ったがすぐに退団、若くして亡くなったのが惜しまれる。 山下監督って地元石川では名将にして名士だと思っていたが、
ボロクソ言われててワロタ。
石川の高校野球ファンにとって、積年の鬱積した思いがあるんだろうな。 >>484
そりゃそうだよ。
星稜を45年間応援してるけど、甲子園での名勝負(全部負け)伝説量産に煮え湯の連続。
特に今夏の済美戦はこれまでで一番頭にくる試合だった。
これも突き詰めれば、すべて山下の勝負弱さがチームに乗り移っているから。
だいたいチームの個性なんて年々違うし、それに合わせて指導方針も変わっていいはずなのに、
必ず「人間形成の野球道」とかいう枠に選手をはめこもうとする。ただの自己満足にしか思えませんね。
教育論を並べる前に、とにかく甲子園で1回優勝してみろ!と、その気持ちでいっぱいです。 甲子園で優勝、それほど難しい事なんやろなぁ…。
優勝した人間らの中、大変だった、と思う人の心情も、気がついたら優勝してた、とかいろいろ有るんでしょうなぁ。 横浜の渡辺監督は「勝つことが最高の教育」とはっきり言っていたな。
山下は敗戦責務の言い逃れとして人間教育云々言っているんだろ。 山下監督は全国優勝していなくても野球選手として人間として超一流の松井を育てたから一生誇れる。全国制覇よりも価値がある。 山下監督の指導方針は「花よりも 花を育てる 土であれ 」
こんなこと言ってるからテッペン取れないのだよw 「全国制覇」って言葉はどこか安っぽいんだよね。
それでいて口にするとますます実現不可能になるというか。
大阪桐蔭の西谷は選手たちに帽子のつばの裏側に
「全国制覇」と書くなと禁止している。
それに較べて山下は…帽子にまで書いて。
今も星稜グラウンドに全国制覇の看板を掲げてるが
あれを降ろさん限りは実現不可能だわ。 山下監督って本当は甲子園で優勝をするより、
「優勝候補」と呼ばれることが嬉しくて仕方ない様子だった。
近江がエースの時は「週刊誌にうちが優勝候補やと書かれたぞ!」と
授業中に生徒に自慢しまくってたらしい。 >>485
地元の星稜ファンはかなり鬱憤が溜まってるのですな。
甲子園で球史に残る名勝負を何度も演じてもそれが全部敗戦とは・・・ >>489
そのとおり。ああいう教え子がいることは全国制覇よりすごいことだと思う。
>>490
地元ファンからすればあれだけ甲子園に出て強豪の名をほしいままにしている星稜だけに全国制覇の期待が募るのだろうが、教え子が立派な人間となることは全国制覇よりもっと大切なことではないのかな?
それこそ学生野球の本分では?
最近は勝つことだけに固執して肝心の教育がおろそかになっていると思われる学校が多いだけに。 >>495
いや、選手は人間形成をしたくて野球部に入ってくるわけじゃないだろ?
単に野球が好きで、甲子園で活躍したい、そういう夢を持って入ってくるわけだろ?
それに星稜は強豪の名を欲しいままになどしてないよ。
むしろ全国ではここ一番で負ける勝負弱い学校と思われている。
数年前の正月の高校サッカーの富山第一との決勝なんて、
野球部はおろか学校そのものが勝負弱いというイメージを決定的にした。
(後半残り5分まで2-0でリードしながら追いつかれて延長で負ける)
まあ翌年は勝負弱い監督が大会前に事故で緊急入院して、
大阪出身のコーチが代理監督をやって優勝してくれたけど。
とにかく長年のファンとして望むものは「日本一」、これだけだね。
もうこれ以上は人格者とか世界的プレイヤーは輩出しなくていいから。 >>495
もうひとこと。
これまでの長年の勝負弱さを克服して壁を破って日本一になる。
これこそが選手にとって最高の人間教育になるんじゃないか? 長年星稜を見ていると書いていたが、こんなに監督のことを罵詈雑言しているとは本当のファンじゃないな。それなら見るのを止めたらいい。
あんたの書き込みを読んでいると不愉快な気持ちになる。ここはそういう場じゃないだろう、昔の高校野球を懐かしむ場所だろう?
これ以上罵詈雑言は書き込まないでくれ、文句あるなら星稜高校に直接言ってくれ。 長年のファンを自負するなら嘸や学校に寄付金を納めているんでしょうな?
そうじゃなかったら単なる野次馬に過ぎないw
兎に角学生(アマチュア)スポーツにプロ的な勝利至上
主義的なものを度を越して持ち込むのもどうかと思うし
プロスポーツでさえ、そういうフーリガン気質なファンは
今では、老害扱いされると思うが? つべに78年夏の60回記念大会の開会式が上がってるんやな。懐かしいなぁ。 >>495
>>498
>>499
変な改行の位置、文体、主張内容で同じ人間が書いてるとわかるぞ。
高野連みたいな頭の教育第一主義者さん。おれもお前のことは不愉快。お互い様だ。
だが、ここは「語る」スレだ。懐かしむスレとは書かれていない。批判もまた自由。
勝負弱さを克服してもらうためにはファンからの罵倒や批判は必要だ。
ネット上の声は廻り回って当事者にもいつか伝わる。
昔の銚子商業は選抜で報徳に0-16で負けて帰った時、気の荒いファンにバスを囲まれて、
選手や監督は「殺されるかと思った」そうだが、それを奮起材料にして翌年の全国制覇につなげた。
綺麗ごとだけ書いてても意味ねえんだよバカ。 >>491
バックネットの高い所のあの四文字
確かに気恥ずかしいものがある
どこまで本気なのか・・
甲子園出場と人格形成が目標なら
負けたらはいお疲れさまでいいけど
全国制覇を公言しといてあれはないわ
さんざん期待して裏切られてるファンの積年の怒りは阪神ファンみたいな心境だろうな >>489>>495
松井を育てたことは全国制覇以上の価値があるとして、ではプロ野球選手という身分でありながら高校野球賭博に金を投じ、それが発覚した際に最初は嘘の弁明をし、最終的には一年間の失格処分となった、そんな選手も育てている事については何か触れることはないか?
これはおまえさんが言う全国制覇以上の価値とやらを完全に無にするのではないかな?
つまり何を言いたいか。野球部を途中で退部してヤクザ者になる奴もいれば成功者になる奴もいる。どこの高校も同じってことよ。
浅いよおまえらの書いてること。 >>503
正論すぎてワロタ
松井を育てたから全国制覇以上の価値があるというのは暴論。
長島茂雄を輩出したから佐倉高校は全国制覇以上と言ってるのと同じだわ。こんなこと言い出したらきりがない。
そもそもこんな話は完全に切り分けて考えるべきこと。実績は実績、OBの名誉は名誉。
そこをごちゃ混ぜにしている時点で、はっきり言って高校野球をまったくわかってないな。 バースディという番組で明徳戦のメンバーが同窓会で集まる企画をやってたけど、そこでも山下監督は松井から「この男」呼ばわり。あまり尊敬されてないことはなんとなく伝わってきた。
でも松井がミスターを語る時は「僕を育てていただきました」と必ず尊敬を全面に出してる。山下監督には「3年間お世話になりました」くらい。
松井を育てたのは山下さんではなくてミスターですよ! 山下擁護論者が3段階論破されいて草だわw
松井を育てた功績は全国制覇より価値がある!←同校OB野球賭博者を引き合いに出され瞬時に価値暴落
教え子に松井がいるのは全国制覇より価値あり!←実績とOBの名誉不名誉は切り離して論じるべきと論破
松井を育てたのは一生の自慢になる!←いえいえ、育てたのはミスターですとどこまでも論破される
この監督がヘボなのはようわかった。
擁護論者が怒り出す前に別の話題に移ろうぜ。 >>489
おたく高校野球でもプロ野球でもいいけど、どこかのチームを本気で熱を入れて応援した経験がないだろ。
甲子園優勝未経験の県が初の全国制覇を成し遂げたら、ファンと県民は喜び爆発で歓喜の涙を流しまくりだわ。翌日のスポーツ紙も永久保存だな。
個人の国民栄誉賞の受賞は素晴らしいとは思うし拍手も送るが、県民の歓喜爆発ってほどでもない。
実績と名誉を同じ土俵上で比較すべきではないが、それでも敢えて天秤にかけるなら全国制覇のほうが遥かに喜びが大きくて価値があるね。それがファン気質ってもんだ。 松井を育てたと言ってるが松井は自分で育ったのだよ
山下を反面教師として >>508
言いえて妙。うまい!
ところで76年夏の桜美林vs市神港を記憶している人はいる?
市神港は兵庫大会決勝で選抜4強の東洋大姫路に6対0で完勝。甲子園初戦でも鉾田一の戸田を打った。
三回戦で桜美林と当たらなければ上位進出の力はあったと思うが、残念ながらその試合は見逃してしまった。
スコアは3対2だけど、やはり内容的にも隠れた名勝負だったのだろうか? 星稜が全国優勝できるなんて本気で思っているの?高望みしすぎ。過去出場した大会で優勝する力のあるチームなんて一度もなかった。
野球不毛の地石川県でほとんど地元の生徒でチームを作り準優勝・ベスト4と昔なら考えられなかった成績を残した山下監督に感謝すべき。 >>512
「星稜が全国優勝できるなんて本気で思っているの?」というおまえさんの言葉は、監督に対しても選手に対しても、それを真剣に待ち望むファンに対しても失礼極りないな。
おまえさんがいう「高望みしすぎ」の全国制覇を最初に言い出したのは誰だ?まさに山下本人だろう。
本人がそこを目指して「全国制覇を狙います。応援して下さい」と言うのに、ファンが最初からおまえさんのような冷めた態度で「できるわけない」「準優勝・ベスト4で上出来」では監督と選手の本気に対して失礼ってもんだ。
そこはファンも本気で期待してやるのが監督の本気に応える礼儀というもの。本気であれば容赦ない監督叩きも批判も当然出る。逆に人間何も言われなくなったらそこでお終い、言われてる間が花よ。
そして石川を野球不毛の地と言うのも非常に失礼。現状を知らなさすぎるな。もう少し勉強したほうがいい。 「軟式王国」と呼ばれる石川を野球不毛地呼ばわりはないわなw
軟式と馬鹿にするなかれ。超大物(イチロー、松井)は軟式出身。高校に入ってよく伸びるのも軟式出身者。
硬式のボーイズにおいても優秀な選手が他県のスカウトに刈り取られることもしばしば。プロ野球選手も多数輩出。
これでどこが不毛なんだ?足りないものは甲子園での上位進出実績だけだろ。それも要因がトーナメントの一発勝負における指導者の勝負弱さとほぼ判明している。
大阪出身臨時監督の元であっさり日本一になったサッカーのように他県出身の監督にやらせればそのうち結果も出るはず。
その最たる例が明徳に逆転サヨナラ3ランで勝った日本航空石川。これまでの石川県にない勝負強い勝ち方だった。
星稜の新チームは来年の全国制覇を宣言しているが、本気で狙うなら勝負弱さの象徴である山下色を一掃すべき。
これが県内のファンからも出ている最終結論。もう山下の話はいいから他の話題に行ってくれ。 前日の高岡商サヨナラ負けに続き敦賀気比も逆転サヨナラ負け。
なぜ北陸勢は毎回これをやられる側なのか? じゃあ、お隣のヅラ商 北野はどうなんだろうか?
山下監督以上に、デルマケを繰返していると思うが
要所要所で、センバツ準優勝→福岡一との激闘→
横浜に大逆転勝ち→PLにこれまたナイターで勝利
と、インパクトの残る試合を展開していると思うが? ヅラ野商業は馬淵監督の明徳にも勝った経験があるな。 平成18年夏、清峰(平成18年選抜準優勝チーム)にも乱戦で勝利を収めているな。 福井商の78年センバツ準優勝は見事だったね。
あの頃は北陸の代表校が甲子園で決勝に進出するなんて誰も予想できなかった。
準々決勝であの津田の南陽工にせり勝ち、準決勝では翌年春夏連覇する箕島を9-3と
圧倒、春夏連覇投手の石井毅投手に甲子園で唯一の黒星を付けたから価値があったよ。
北野監督は北陸代表校監督としては今も最多勝じゃないかな。 >>521
箕島に勝ったのも驚いたが、南陽工業の津田から序盤で2点もぎ取って、その後を板倉がヒットを打たれまくりながら要所を抑えて逃げ切った勝ち方がインパクト強かった。 00年代までは、ヅラ商北野、星稜山下、帝京前田、横浜渡辺等、弱小校を一代で強豪に築き上げた名物監督がいてたけど、これらの学校はこれからどうなるかね
智弁和歌山も高嶋さんが辞めたけど、後任の中谷氏は有能そうだ >>521
福井商は2回戦で、センバツ史上初の完全試合を成し遂げた前橋に14-0で圧勝したのが印象深い。
それにしても1回戦で比叡山を相手に完全試合を達成した前橋の2回戦たるや酷かった。
福井商の打線もさることながら、前橋も確か7失策ぐらいやらかして1回戦の面影は全く無し。
前評判はそんなに福井商と差はなかったと思ったが。 1983年の赤城国体が地元国体だったので、桐生球場までPL対高知商の試合を見に
いきました。残念ながら桑田は登板しなかったけど、甲子園で登板しなかった酒井投手
が登板して、これがなかなかいい投手でした。球速は高知商の津野と変わらないく
らいで、PLの人材の豊富さに感心しました。この時のPLはY校に負けてしまい
ましたが、国体も入れると全国大会でKK時代のPLが負けた6試合のうち岩倉以外は
公立校だったんですよね。Y校には古屋さん、取手二に木内さん、高知商に
谷脇さん。伊野商の山中監督はまだ若かったけど、PLに勝った公立には名将が
多かったですね。今とは大違いです。 83年の国体、というと地元群馬は太田工業が出場したのか。国体でどうだったのかまったく記憶にない。
あの年は渡辺久信の前橋工業が出ていればなあ。まさかのサヨナラ押し出し。 >>521
ヅラ野監督は秋の北信越では異常なほど勝負強かった。
勝てば選抜当確、負ければ選抜絶望という試合はほぼ勝った。
特に星稜との当確を賭けた大一番はすべて勝ち切った。
(〇は選抜出場、Xは落選)
74年決勝 ヅラ7-0星 (ヅラ〇、星X)
77年準決勝 ヅラ5-4星 (ヅラ〇、星X)
78年決勝 ヅラ3-0星 (ヅラ〇、星〇)
82年決勝 星4-3ヅラ (ヅラ〇、星〇)
89年準決勝 ヅラ1-0星 (ヅラ〇、星X)
91年決勝 星9-2ヅラ (ヅラ〇、星〇)
95年準決勝 ヅラ1-0星 (ヅラ〇、星X)
04年決勝 ヅラ7-5星 (ヅラ〇、星〇)
これを見ると解かるように、
星に負けたせいでヅラが落選したのは0回。
ヅラに負けたせいで星が落選したのは4回。
特に堅田1年秋、山岸直2年秋、山省2年秋の1点差負け落選は星にとって痛恨。
ここでもあの人(もう名前を書くのもウンザリ)は無類の勝負弱さを発揮していた。 山下監督が生きてるかぎり星稜の全国制覇は無いと思われ
理由は山下イズムが骨の髄まで染み込んでいるから >>528
奇しくも甲子園での最高成績はどちらも準Vだな。 >>532
そうですね。どちらも素晴らしい監督さんですよ。
(片方にはただの社交辞令) >>523
ホント。文面見れば自演もなりすましも分かる。笑っちゃうよな。 53年春準Vの福井商業は板倉、鰐淵のバッテリー、ライト江守の記憶がある。この頃のアンダースローのPでは福井商業の板倉と箕島の石井毅投手がベストと思うが皆さまの意見は? 50年選抜福井商業の前側も好投手。
明大ですかした話も出ていたがNTT北陸でも野球を続けたらしいから、
明大でも出番があったのかな? >>535
昭和53年のアンダースローといえば、夏の岡山東商の藪井が印象に残ってるなぁ。
球威はないが、とにかく変化球のコントロールが抜群によかった。
福井商の板倉にも結果投げ勝ってるし、豊見城の神里にも投げ勝ったように打たれ強さも
併せ持ってた。 ヅラ商アンダースローの前側と板倉の比較なら断然前側が上。
球が速かいし浮き上がるし難攻不落だった。センバツまでは。 岩堀と武乗はコピーみたいやった記憶がある。
見分けつかんかったわ。 78年の夏の大会は下手投げVS左腕の試合が多かった。
箕島石井の初戦相手は左腕高松の能代だったし、福井商の初戦相手の作新学院も左腕だった。
県岐阜商の下手投げ野村もいい投手で、二回戦の対桐生、三回戦の対横浜戦は完封勝ちで
相手投手は共に左腕の木暮、1年生愛甲。準々決勝のPL学園戦も左腕西田だったけど惜しくも
1-0で敗退。PLは準決勝、決勝とも土壇場の逆転勝ちで苦戦続きの初優勝だった。 昭和53年は49校中公立は28校、一方今年は56校中8校。
まだ公立が幅を効かせる四国を除けば、当時は東京や大阪など一部の大都市のみだった私立王国が、地方にも広がってる。 >>540
甲子園で三本間のランダンプレーのミスで負けてたな。
そん時のキャッチャーもプロ入りしてたな。
青鉛筆はプロ入り後王さんに名古屋球場で豪快な一発を食らってたことも印象に残っている。 >>542
当時から私立優勢だった地域は
北海道、宮城、東京、神奈川、愛知、京都、大阪、兵庫、福岡とかかな
埼玉は公立しか出てなかったとか今では考えられんな それ以外の県で私学の代表は松商学園とか高知高校くらいだった。いまはどこの県からも私学が出てくる。 既にサッカーでは勇名を馳せてた帝京が甲子園で優勝するまで上がらなかった偏差値が一気に跳ね上がったもんね。
あれを見た全国の私立が野球部強化を図ったんやろう。
ただし、帝京は首都に在る学校やから即、学校経営に繋がるけど、地方の私立は関西から好素材を取り合って、結局は高校野球を目茶苦茶にしただけと言う感じやね。
ひと大会で関西から全国に散らばった選手が500人ぐらい甲子園に出てるとか異常やろ。(各地元出身の選手はゼロとか、学校の近隣対策で1人ぐらいとか言う学校も珍しいとは思わんもんね) >>542
70年代から各県で私学が少しずつ出てきて、平成に入ると一気に私学優勢の時代に突入した感がある。
昭和の夏の大会で私学のほうが出場校数が多かったのは76、81、87年の三回しかなかった。
それが平成になった89年は私学28校、公立21校。92年には私学34校、公立15校。
選抜も89年は公立は18校も出場したが90年は12校、91年はなんと8校(私学24校)。これにはがくぜんとした。 平成からというか団塊ジュニアが高校生になってから特に私学が幅を利かすようになった。
静岡県の高校野球年表にて昭和40年代表の東海一高校の欄に初の私学代表と記されていたな。
それから静岡県に於いて
静岡学園、東海大工、日大三島、御殿場西、常葉菊川、興誠、常葉橘、桐陽と私学代表を送り出すようになり近年公立の代表は静岡高校くらいしか思い浮かばない。 60年代まで私立が出場していなかった県は15県もあった。
70年代に入るとそれらの県からも私立の代表が出るようになった。初めて私立が出た大会を列挙すると、
秋田81春 福島76春 埼玉85春 茨城74春 山梨81夏 新潟78夏 富山81夏 福井76春 鳥取75春 島根75夏 香川83春 佐賀80夏 大分76夏 宮崎70夏
こうしてみると埼玉が初めて私立が出たのはわりと最近だな。85年を境にすっかり私立優勢に変わってしまった。
徳島から私立が出るのはいつになるやら。生光が壁を破るか、新しい私立ができてそこが出るか。 >>551
富山の私立と言ったら富山第一くらいしか印象ないな
富山商、高岡商、新湊のイメージだ >>550
静岡学園は出場は71年夏だけだな。70年代は県内で上位を占めていたのに75年は浜松商に延長で敗れて準優勝などあと一歩で逃し続けた。
最近はサッカーでしか名前を聞かない。 >>545
野本喜一郎上尾高校元監督が浦和学院に移った
個人的にはこれが公立から私立へのターニングポイントだったと思う >>554
1年後に木内さんが全国制覇を置き土産に取手二校がら常総学院へ移ったし、関東地区が公立から私学へ推移していく流れが見えた時期だったな そのあたりからだろうね。
千葉も84年に拓大紅陵が出場しているし。
83年夏の関東の代表は東京の二校以外はすべて公立(神奈川も横浜商)だった。しかも準優勝校も神奈川(横浜)を除いてすべて公立。いまでは考えられない。 夏の千葉県代表が公私交互に出場していた時代があったな。
昭和56年市立銚子西
昭和57年東海大浦安
昭和58年印旛
昭和59年拓大紅陵
昭和60年銚子商
昭和61年拓大紅陵
昭和62年市立習志野
昭和63年拓大紅陵
平成元年成東
平成2年成田
平成3年我孫子
平成4年拓大紅陵
平成5年市立船橋
平成6年志学館
平成7年銚子商 >>555
そんな個人的な都合で高校野球を目茶苦茶にされたんだな。
当然ご本人はそんな気は無かっただろうが…。
野球をビジネスにするのはプロ野球だけで充分だろう。
そう言うとあの頃から高校野球が面白く無くなって来たイメージだ(アルプスの応援など諸々を含む)。
公立で実績を積んで私立に高く売るスタイルは木内、野本、蒲原などか…。 >>558
その先駆者はやはり原の親父さんだろう。
木内さんの場合は取手時代の月給があまりにも安かったからな。六万円だっけ、やむを得ない面はある。「おれは六万円しかもらってなきんだ、ふざけるな」と石田や吉田に当たり散らしていたと聞く。
迫田さんもそうだな。蒲原さんは無名の公立を叩き上げる人だから違うと思う。たしかに定年後は群馬の樹徳に行ったけど。 >>558
ていうか高校野球の監督だって数ある職業の中の一つなんだし、個人的な都合でしか監督なんてやんないだろ
常総学院でいくらもらってたか知らんが、月給6万の会社勤めてて、違う会社から月給50万、成績良かった(甲子園出場)らボーナスも弾むよ、とか言われたら誰だって違う会社に転職するだろう
高校野球ファンの為に監督やってます、公立校の躍進のためなら自分の生活はどうでもいいですなんて奇特な人いるのかね? そうか、原貢さんがはじまりかあ。
木内さんは成功したから良いが普通は月6万なら働くんだろうが…。
俺が思ったのはそう言う意味。
それを夫唱婦随の美談に祀り上げるマスコミもなあ。 逆に私立の秀岳館から、母校とはいえ公立の県岐阜商に転任した鍛治舎は収入が落ちてるのかな。 昭和33年の記念大会で優勝した柳井の監督が、世帯を持つので私立に移ったと書かれていた。 木内さんは現役(土浦一)時代、外野に飛んだ当たりを取れなくて負けた。
もう少し練習すれば取れた、後輩には自分と同じ思いをさせたくない、との一心から就職もせずに指導者の道に入ったと聞く。
母校では無報酬、途中から薄給だけどお金が出るというので取手に移った。学校の売店で働いていたそうだ。
就職もせずに自分の好きなことをして、言葉は悪いが道楽者だよな、奥さんは家計のやりくりが大変だったらしい。桐生の稲川さんもそんな感じだったんだろうな。
それが常総では有名にしたというので理事にまでなったんだから。 >>564
道楽者というのは同感だな
というかその月収でどうやって結婚しようと思ったのか
池田の蔦さんもそうだが、昔の奥さんはよく夫にあそこまで協力的になれるな
自分の子供育てるのだけでも大変なのに、自宅で夫の教え子の面倒見ろとか離婚考える案件だわ 自宅で夫の教え子の面倒みろ
→報知の92年選抜出場校を探る号(創刊15周年記念)の歴代編集長座談会のなかでそのことが話題になっていた。
「他人の子の面倒を見る、これはもう精神力の世界だよ」、
「いまの女の子には理解できないだろうな」、
「野球をとるか、わたしをとるかと奥さんに迫られて、(野球と答えて)実家に帰られてしまったという実話をなんべんも知ってますからね」
とか会話があったかな、たしか。 >>562
私立大学の副学長とか言うのは辞めたのかどうなったのか。
パナソニック→ヒラカタボーイズ→秀岳館、、、とパナソニックカラーのユニフォームにして来たから…。
なんか噂で聞いたが、もし本当に県立岐阜商業のユニフォームを変えたら軽蔑するわ。 >>567
鍛治舎じゃないが、新興私立にありがちな奇抜なユニフォームはどこもダサい
光星(今や新興ではないが)、明秀日立、秀岳館、遊学館等々…
なんか重みがないんだよな >>566
近年の強豪ではそういう家族ぐるみで部員の面倒見るとかいうのも稀なケースになったな
横浜くらいかな
渡辺監督の娘さんが食事作ってるんだったっけ
美人でびっくりした >>562
鍛治舎は一部上場の大企業を部長で定年退職、退職金もかなりもらい、年金もしっかりと受給しているはずだから、高校野球監督は余生だろうな
県岐商ではOB会から薄謝という形で実費プラスアルファをもらっているのみらしい >>560
こうしてみると、三田典房の「クロカン」は巧く書いているw
うるさ型のOBに煙たがれて、旧制中学
(モデルは桐生か?)の監督を退任
その後は、健大高崎みたいな新興私立にヘッドハンティング
されるのが、現実的なんだけど
麻雀劇画的な御都合主義宜しく
主人公に惚れるヒロイン(国枝先生)のヒモになって
弱小公立校の監督を手弁当で引き受ける
という展開が、高校野球オタクの琴線に触れるw >>568
東北福祉大出の伊藤監督の教え子が監督やってる高校はあの光星とどこも似たようなユニフォームやな。埼玉の聖望とか茨城の明秀とか。
元は大阪市立桜宮高校で監督してた伊藤さんが東北福祉大の監督になり、大学のユニフォームを桜宮モデルにしたとかじゃなかったかな。 >>571
クロカン面白いよな
一番好きな高校野球マンガ 福祉大のユニフォームのモデルは桜宮高校だったのか、法政大学だと思ってた。 秋季千葉大会準決勝
習志野6-1銚子商
習志野は関東大会進出。 パリーグ本塁打王
2008 中村 大阪桐蔭
2009 中村 大阪桐蔭
2010 岡田 履正社
2011 中村 大阪桐蔭
2012 中村 大阪桐蔭
2013 アヴレイユ 外国
2014 中村 大阪桐蔭
2015 中村 大阪桐蔭
2016 レナード 外国
2017 デスパイネ 外国
打点王
2009 中村 大阪桐蔭
2010 小谷野 創価
2011 中村 大阪桐蔭
2012 李 外国
2013 浅村 大阪桐蔭
2014 中田 大阪桐蔭
2015 中村 大阪桐蔭
2016 中田 大阪桐蔭
2017 デスパイネ 外国
2018 浅村 大阪桐蔭 中村、大東畷ボーイズ
岡田、箕面スカイラークボーイズ
浅村、大阪都島ボーイズ
この3人のチームはボーイズリーグの中の一支部の大阪北支部やねんけど…。
レベル高過ぎやろう。
ちなみに、鍛冶舎のオール枚方ボーイズも同上やからねえ。 >>577
大東畷って天理の谷口の出身チームだっけ? >>578
ちょっとググった。
大東畷出身のプロ野球選手
宮地 克彦(元ソフトバンクホークス)
谷口 功一(元読売ジャイアンツ)
萩原 誠(元阪神タイガース)
宇高 伸次(元大阪近鉄バッファローズ)
久本 祐一(中日ドラゴンズ)
建山 義紀(テキサス・レンジャーズ)
件の>谷口はいま大東畷で監督してるみたいやな。
オール枚方が現れるまでは
中村 剛也(埼玉西武ライオンズ) 金本 明博(元中日ドラゴンズ)
松原 聖弥(読売ジャイアンツ育成) 土肥 星也(千葉ロッテマリーンズ) >>579
途中送信とコピペにコメ足したら変な事になってもうたスマン。
何とか読んでくれな。 そうそう
谷口は大東畷の監督やってるな
何年か前、雨上がりの何とかっていう関西ローカル番組に出ててそのことに触れられてた
面影あったけどかなり太ってたな >>570
部長ではなく役員までいってるから贅沢をしていなければ経済的には余裕でしょうね >>582
谷口は三年時は優勝候補に挙げられていたのに春夏とも二戦目に敗れてしまった。まったく物足りなかった。力んで制球を乱すことが多かった。
夏に佐賀学園の谷口に渾身のストレートをものの見事に右中間にもっていかれた。
プロでやるには難しそうだなと思ったら案の定活躍できなかった。
一学年上の優勝とうしゅあの南もダメだった。天理タワー二人がプロでは共倒れだった。 >>584
高田商業は予選で負けたけど、投手としてはハマの番長の方がスゴかったってことぞ。 しかし大阪桐蔭もセンバツ準決勝で敦賀気比に惨敗した試合で完全終了!と思ったけどなあ。
あの時は理事長の裏金問題で学内もしっちゃかめっちゃかで、もはや高校野球どころじゃ無い感じだったし。 >>572
ダルの東北高校の若生は九州国際大→埼玉栄と移った先で東北カラーの縦縞にしてたな。 浦和学院は森監督が高校Japanの監督やって以降、Japanチックになった。 >>586
選抜は惨敗、夏は出場できずでちょっと勢いが止まるかと思われたけど、翌年根尾達が入ってきて逆に勢い増したね 佐々木監督が移ってきた学法石川はライトブルーを仙台育英のグレーに変えるのか楽しみ。 >>583
役員に定年あるんだっけ?九州の私立大学副学長と言うのも、、、。
両方からの収入をまだ受け取ってたりするのかね。
その見返りに枚方ボーイズも秀岳館もパナソニックモデルにしてたりして。
まあそれがどれだけ宣伝効果を持ってるのか知らんが。 >>592
引き上げてくれた親分が退いて本人も退任
パナの専務なら年俸で5千万以上は貰っていたと思う >>588
埼玉栄と言えばオレンジ色のユニと言うイメージだが
東北九国と同じに変えたの? 春日部共栄は本多監督の母校の高知高校のユニフォームをまねたし、前橋育英は荒井監督が
所属していたいすゞ自動車のユニフォームが元になっている。ユニフォームって、監督の
意向で決まるのが多いんですね。個人的に笑ったのは千葉の中央学院の荒井監督時代のユニ
フォームが、前任の我孫子高校のユニフォームそっくりだったのに荒井監督がセクハラでク
ビになった途端、赤を基調としたユニフォームに変えたこと。ユニフォームに罪はないのにw。 県岐阜商がパナのユニに変わるのだけは勘弁して欲しい。
伝統のユニを鍛治舎の鶴の一声で変更するのはチームを私物化してる気がしてならない。 鍜冶舎にそんな権限あるのか?
県岐商のような伝統校は口うるさいOBがたくさんいるだろうに。
75年に胸文字を「GISHO」にしただけでOBが「FU抜けとは何事だ、だからチームが腑抜けするんだ」(だから以下は私の推測)とかいって翌年の選抜時には元の胸文字に戻っていたくらいだから。 中京大中京と広陵のユニフォーム変更にはがっかりした…。
平安の監督さんは好きなタイプの監督じゃなかったが、帽子の型にも、伝統を重んじた、とか言う記事を何処かで見て見直したわ。
それはそうと、近年、高松商業、高知商業が復活出場し、今秋は徳島商業がそこそこ強いらしいが。鳴門をコールドにしとか。
これはいよいよ四国の大親分松商が大復活を遂げる前触れかも知れん。
頑張れ四国四商!近い日に揃い踏みが見たい。
瀬戸内の大ボス広商も触発されるやろう。 >>598
四国四商そろい踏み。
78年夏の60回大会が最初で最後。
翌年から記念大会でなくても一県一校になることか決まっていたので、これからしょっちゅうそろい踏みが見られるだろうと当時は思っていたが…
その後の四商のイバラの道は見ての通り。 その時の四商そろい踏みも、土壇場で優勝を逃した高知商以外はすべて
初戦負けと腰砕けだったな。 https://www.youtube.com/watch?v=GTQfhEum1Z4
78年夏に開会式だが、
四国四商そろい踏みは素晴らしい。
それ以外に盛岡一、郡山北工、桐生、我孫子、石動、三刀屋など、もう、二度と見られそうにない学校、
取手二のユニが白かったり、
おっさんが〜高校、初出場とか〜高校、3年振り5回目とかのアナウンスがなかったり、
改めてみると色々な発見がある。
この後、奇跡のPLで大会は最高級の盛り上がりになる。 四商のうち三商出場が58年夏の40回記念大会と90年夏の72回大会の二度ある。
90年は高松商が出場できなかったが、この年の春は出場してベスト8、力はあったので残念(出場は丸亀)。 その年は胸がなぜかTAKASHOだった。なぜだろう? >>603
いつから◯◯代表、◯◯高校というアナウンス始めたんだっけ? 今夏、久々に高知商のユニを甲子園でみたが何か違和感があると思ったら、今風のピチピチのユニなのなー。やっぱ伝統のユニはダボダボが良いね。 >>602
我孫子は91年夏にも監督の息子がエースで出たよ >>603
1958年夏は、愛媛の八幡浜は初戦で清水東に完封負けで初戦敗退したが、
あとの3校はベスト8以上に進んでたな。 >>559
その原の親父さんと木内さんの監督としての甲子園デビューの初戦相手が高松商業だった?
何か因縁を感じるなあ。 >>597
こんな記事もありますよん。
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASL8J5TN1L8JOHGB00D.html
逆に98年選抜の島田商みたいに、慣れ親しんだローマ字のユニフォームから昔のユニフォームに
変更させられるのも気の毒な感じ。でも今年の静岡の決勝をネット中継で見たけど
島田商のユニフォームは戦前タイプのままだったから、部員も気に入ったのかな? >>602
郡山北工、懐かしい。
確か前年準優勝の郡山西工と4強の郡山工が統合されてすぐの年だった。
本命視されてた磐城準優勝時の小さな大投手田村監督率いる安積商を決勝で破ってまさかの初出場。
安積商の2年エース根本学投手は翌春東北を制して夏にリベンジ出場、初戦の明石南戦は自らホームラン放つも延長14回で惜敗。
甲子園にスピードガンが登場したこの大会、牛島の140kに次いで根本学が2位だった記事見て誇らしかった。
県内には未だにこの年の安積商を県内最強チームに挙げるオールドファンが多い。 >>613
郡山西工と郡山工が統合したのは前年77年の4月じゃなかったか?
郡山西工が県準優勝したのは76年の夏だし。あのときは春夏連続をねらう学法石川に1-2で敗れたが惜しかった。
78年夏の郡山北工 78年夏の郡山北工は県決勝で安積商に9回逆転サヨナラ勝ちで甲子園だった。
甲子園でもまさか松山商に勝つとはね。 >>613
根本学、懐かしいね。
東海大に進学後、打者に転向して
活躍してたね。
郡山北工は、敗戦後選手がグラウンドを
叩いて泣き崩れていた姿が印象的。 >>596,597
鍛冶舎監督と言えば・・・・・
今年の大阪桐蔭メンバーの内、根尾が岐阜県高山出身、藤原etc.が枚方ボーイズ出身・・・・・・・。
「俺の岐阜商監督就任がもう少し早ければヽ(`Д´)ノウワァァァン!!」
と本気で思ってそうだな(´・ω・`) >>613
安積商って名前が帝京安積に変更になったのは覚えてるが、学校はまだ存続してるの?
20世紀の終わり頃だったか、帝京安積の経営陣が対立する教職員組合を潰すために
暴力団員を雇って組合員を銃撃するという、とんでもない抗争事件を引き起こしてるんだが。 郡山北工と松山商の実況があるね。
映像はないが実況といい応援といい実に良いね。
最終回にエラーが出て、この頃の東北勢は普通ならそこから一気に崩れていくのに、
郡山北工は踏ん張ったね。 鍛冶舎カラ―のイエローのストッキングは足が速そうに見えて良いと思うけど・・・ 水野の一年先輩の木下?だったかが、日テレに入っているのは、水野をとりたい巨人の戦略だったのかな。 >>619
郡山北工と松山商の試合映像は岡山の人が持っているよ。
例によって雑誌のおまけとして出品していた。
つべにアップして金もうけしないかな。 >>619
この大会の報知高校野球表紙のホームヘッスラ写真も美しい。
アサグラでも夜行バス乗っての応援ルポ記事あって北工はなんか印象に残ってる。 >>623
松山戦の七回裏、ヒットで三塁走者に続き二塁走者がホームに飛び込んだが中継プレーでタッチアウトの場面だな。
この回追いつき、八回裏に初球スクイズで勝ち越したな。あのスクイズは見破れなかったものか。 大体大浪商、延長十二回サヨナラ勝ち!7点差の上宮太子を大逆転 秋季大阪大会
2018.10.8 15:42
おっさんは猛烈に嬉しい(泣き)可能性を残す高松商業、高知商業、徳島商業…。
名門校がんばれ!! >>625
7回裏同点の場面、つべの実況よく聴くとカウント2ー0(当時)からの5球目を打たれてんだよな
バッテリー勝負急ぎすぎだろ まさか郡山北工で盛り上がるとは。
この試合は親父に連れられて甲子園で見たんだ。
田村監督のもと1年夏からショートレギュラーの根本学が2年エースの安積商も同じく小技でやられた。
全国区の強豪を破る位だから安積商が負けたのは仕方ないと子供ながらに思った。
ちな、根本学は走攻守センス抜群で、都市対抗の補強でトップ打ってたのを覚えてる。阪神の真弓にダブらせて見てたが当時は大型選手が重宝されてた時代、プロには届かす残念だった。 あの試合、立ち上がり松山商が三塁打であっという間に先制点。9年ぶり出場とはいえ名門の松山商の一方的なゲームになると思っていったんテレビを消した。
その後テレビをつけ直したら1-0のままだったので郡山いけるかも、とあとはずっとテレビで見ていた。
あのころは北国のチームは無条件で応援していた。いまとちがって留学生のチームはなかったし。
最終回、石丸の当たりは一塁へのライナー。好捕した一塁手が頭からベースに飛び込んでタッチ、併殺で試合終了だったな。
横綱相手にクールな金星、とアサヒグラフの見出し。野球には現代しかない、と記事にあった。 その、一塁手がベースに飛び込んだ瞬間の写真が記憶に残ってる。
スピード感ある感じですごくブレてて。あれは何の雑誌だっただろうか? そうそう。俺は千葉だったから、まずは千葉代表を応援。
千葉代表が負けると関東勢、関東勢が負けると東日本の学校という順に応援してたな。
ただ、そんな中でも雪国の学校が勝ち上がると嬉しかった。
特に俺がガキの頃は近畿全盛時代(特に箕島、PL)だったから、
近畿勢に雪国代表が勝つと特に嬉しかった。 高校野球はどちらかをヒールにしないと観ていて面白くないんだよな。そのヒール役人は昔から松山商、広島商業、PL学園、今は大阪桐蔭だな。ただ憎たらしいほど強かったわ。 うそ、俺にとってのヒールは、なんと言っても恵まれた関東勢。横浜、帝京、東海大甲府、横浜商業、常総学院、早稲田実業、そそれと並ぶのが生意気な東北北海道勢。 母親が東京生まれで東京育ち、父親が四国出身で大阪で生まれ育った俺からすると実に勿体ない高校野球の観戦みたいな気がする。
太田幸司のときは子供心に普通に三沢と松山商業の熱戦に酔いしれたわ。
その年のセンバツで太田幸司が浪商戦で延長15回投げたのも朧げに覚えているが、三沢をヒールとして観ていた記憶はまったく無い。
いつだかの大阪桐蔭と八戸光星の大阪対決は観る気もしなかったな。
アホらしくて。 銚子高校の4番エースの銚子君を覚えてる。確か投手強襲の当たりで途中降板、大黒柱を失って敗退。
銚子君はその後大洋(現横浜ベイ)で内野手として活躍してあのときのと思って嬉しかったな。 >>636
大阪対決は見る気もしなかった
→激しく同意。
自分もあの決勝はまったく見なかった。春も見ていない。
大阪代表対大阪青森支部代表という顔合わせにまず違和感を覚え、戦う前から光星の選手が勝てる気がしないと言っていたのでさらに萎えた。
30歳以上スレで、79年夏の準決勝で浪商が池田に敗れて春に続いての箕島との決勝が寸前でならなかったときは非常に落胆した、
春夏同一カードの決勝は桐蔭と光星で実現したがそんなどうでもいい顔合わせより箕島と浪商とで実現してほしかった、と書いたらどうでもいいなんて失礼だろうと反撃を食らってしまったわ。 >>638
たしかに、あの時の池田には田舎者は空気読めよと思った。
浪商VS箕島、観たかったなあ。
ただ池田も粘り強いいいチームやったことは間違いないわ。 でも、箕島って何で強かったのか今思うと不思議だ。
東尾とか吉井とかプロでも活躍する選手がいた代ならまだしも、春夏連覇はプロに進んだとはいえ社会人からの西武の中継ぎと阪神で木戸の控え捕手のバッテリーだけ。プロ注スラッガーもいなかったと思う。
普通の高校らしいチームが強かった時代の方が身近に感じられて熱心に見ていたということだろうか?
今年の金足農の躍進であの感覚を少し思い出した。と50過ぎのジジイが語る。 >>640
プロでの活躍を基準に考えるなら、
春夏連覇の興南も、大学時代酷使されたとはいえエースは泣かず飛ばずで、野手も一軍半が一人だけやな。 >>641
プロ入ってからでなく、当時も浪商の牛島と香川とか、池田の畠山、江上に水野ら、他には注目選手がゴロゴロいた中でチーム力(組織力)で勝ってたように思う。 箕島の春夏連覇の要因は前年春から4大会連続出場という経験と尾藤監督の
名采配による石井毅ー嶋田のバッテリーを軸とした粘り強さだったと思う。
初めて春夏連覇を達成した作新学院といい、それに続いた中京商業も大阪桐蔭の
ように圧倒的な力でねじ伏せるチームではなく苦戦の連続だったはず。
立浪PLと大阪桐蔭のようにほとんど苦戦することがなかった方が異例じゃないの? 箕島はセンバツ優勝の東投手や栗山らから翌年の西川、石井雅ら春夏連覇の前の2年も普通に強かったよ。
プロ野球と高校野球は別の物なのかもな、プロ入り後の実績だけじゃ測れんもんやと思う。 >>645
77年は東、栗山より上川だな
嶋田宗や島本以上にプロで活躍、多分箕島出身の野手では一番活躍したんじゃないか
こういう選手が2番打者だった77年のチームも総合力は高かった なんか上川の箕島高校時代の記憶があんまり無いねん。
むしろ一個下の白井とかの方が印象に残ってるねんなあ。
プロで活躍し始めた頃、上川って箕島やったんか、と思ったん覚えてるわ。 同じ。上川はあまり覚えていない。二年の西川のほうが印象に残っている。決勝で山沖から三塁打打ったし。
あとラッキーボーイ九番の嶋田もいたな。
でも77年のチームはやはり東が最も印象的。
定時制で勤労球児ということで騒がれたから。
東の一日を追うレポートはけっこう記事になった。 その西川も3年になって、相手投手が警戒する余りにまともに勝負しな過ぎて、自分の打撃を見失ってもうた感がある。
電電近畿に居た西川と一度だけ喫茶店でコーヒーを飲んだことが有るが男らしい人間やと思った。責任感が重圧になって裏目に出たんかもなあ。
それと比べるとドカベンは警戒されるのも屁とも思わん良い意味で天衣無縫っぷりやったんかも知れん。 西川は三年夏はスタメン外されていた。
広島工業戦は代打で意地の押し出し四球を選んだが。
尾藤監督が後年話していたけど練習帰りのバスの中で事件があったんだよね。 >>645
箕島も東尾や吉井とか超高校級のいた年は優勝に届かなかったので、高校とプロはやはり別物と思う。
嶋田弟、杉本とドラ1二人を擁した年に至っては(共にプロでは残念な結果だったが)初戦敗退の憂き目に。 大体豪速球投手は、甲子園で優勝できない。優勝するのは、球威よりせいきゅうタイプの好投手タイプ。 >>652
島田弟の最終打席、兄みたいな劇的ホームランを期待されてたのを感じたのか、本人も狙ってたように見えたが伸びが足りずライトフライで終わった。 逆にプロへ行かなかったけど甲子園で活躍した選手はたくさん居たね。
土佐の玉川、上尾の塚原、習志野の下山田、高松商業の岡田、山本、新宮、
新居浜商業の大麻、小山の黒田、東洋大姫路の安井、PLの柳川、戎、
高知商業の明神、青木(両)、森田、福井商業の岩堀、浜松商業の樽井、
報徳の手島、坂口、岡山東の武乗、橋本、南陽工業の田坂、桐生のふたり、、、数えるときりが無いわ。 プロに行って成功しなかったら、名選手扱いされなくなるから、甲子園の名選手で思い出に残って正解と言うこともある。 >>655
玉川、大麻、森田、樽井、手島、木暮は六大学でも活躍したな。大麻は新居浜商時代の鴨田監督が法政監督に転身したのでまた指導を受けていた。
新宮、安井、明神は六大学ではダメだったな。いちばんガッカリしたのは黒田だった。 ゲーシツ映画オタの仮想敵↓
60年代→会社の命令で作った映画
70年代→ロマンポルノと仁義なき戦い
80年代→角川映画
90年代→企業が前売券を買ってくれる映画
00年代→スタジオジブリ
10年代→テレビアニメの劇場阪(←new) >>657
当時の明治大は監督の好みに合わないと干されたからな 御大に限らずそうやったよ。どこの監督もそう。
神宮近くで他校の野球部員を怒鳴りつけているところに遭遇した…。
「出て行け」と言われたら即日合宿から引っ越させるのは御大だけやったが。
たしかに御大は特に酷かったみたいやけどね。 甲子園優勝組でプロへ行かなかった名選手といえば松山商の樋野、広島商の金光、
横浜の長崎、箕島春夏連覇の4番打者北野あたりが印象深い。 昔の運動部監督ってどの競技も理不尽に、さらに理不尽を味わわせて、そこから這い上がってこそと言う考え方が普通だった。
それを選手も、その親も承知の上で部に入るのが当然だった。逃げたやつは、その程度の奴、だった。今みたいに、弱いやつが一番威張る時代なんて想像できなかった。 >>662
やり過ぎがいるから問題にされて一理あることまで悪とされてしまっている。
炎天下で運動するなとか、水飲むなとか、兎跳びとかも科学的には理不尽でも今思えば「あれが耐えられたのだから多少のことは耐えられる」という精神的には役だったと思えなくもない。(あくまで限度を見極められる指導者のもとでのことだが)
高校野球もコリジョンルールや延長は○回迄とタイブレーク、エースの投げ過ぎ問題と何かあるとルール作りはじめる。
嫌なことがあると何かのせいにして逃げるズル賢い若者が得する世の中になっていくんだろうなぁ。50過ぎのジジイは寂しいなぁ。 体罰なぁ、加減を知らんアホは昔からおったからな。
体罰もビンタで鼓膜破ったとか、スパイクで頭ドついて出血させたとかな。
病院に行くようなケガさせたり補償問題まで発展さすような指導者はアカンわな。 むかし、体育会系の主将、副主将は、
監督の「殴られ役」ではなかったか? >>531
自演してるのは甲子園へ行こうスレのコテの麻生だよ
21世紀枠スレでも名無しで自演多数 仮にケガさせて病院に運ばれてもなあ、日常的な関係が重要やろ。
明治の御大も理不尽だけじゃ誰もついてこんかったと思うよ。
要は信頼関係が有るか無いかやろ。
それと部員の数だけ監督感もそれぞれやしな。
Aにとっちゃ良い人でもBにしたら極悪人やったりするし。 >>520
他スレで麻生って名乗ってるコテの仕業だよ
甲子園へ行こうスレや21世紀枠スレでも自演多数 >>530
自演のおっさんいろんなスレに書き込みしとるんやな >>655
まだまだ、いるぜ。
習志野ならめがねの3番打者岩崎、銚子商は青野達也、宮内、
倍賞(日大三)、末次(柳川)、金光(広島商)、村中(東海大相模)、佐藤(天理)、
松本、菊池太陽(桜美林)、バンビ坂本(東邦)、北野(箕島)、江上(池田)、
信賀、高井(Y高)
活躍はしなかっったが印象に残っているのは、
武藤(我孫子)、菊池(印旛)、日野(上尾) >>675
日大三の倍賞明っていつの時代だよ
昭和30年代じゃなかったか?
倍賞千恵子の弟ということで話題になったんじゃなかったか マジか
倍賞千恵子て兄貴しかいないイメージがあった 関東地区の予選メイン球場の変化で時代の流れを感じたな。千葉が最も遅かったが。
神奈川:保土ヶ谷→横浜スタジアム
埼玉:大宮→西武球場
東京:神宮の改修(外野席の座席化、電光掲示板、人工芝)
千葉:天台→マリンスタジアム
かつてのメイン球場は、いかにも高校野球って雰囲気あったね。 >>678 ほほぅ。どこもデラックスな球場に替わったね。が、大阪は終盤戦は交通不便なお粗末な
球場を使用。兵庫は甲子園予選使用は今はやってない
>>675 三谷、夏井(今治西)、山根、岩井(平安)、三砂(報徳)、志村(桐蔭学園)、水谷、諸麦(PL)
大西(佐伯鶴城)、所(中京)、可児(県岐阜商)、友歳(柳井)、坂東・村越(津久見) 昔は、高校生がプロの使う球場使うなんて、とか言う意見も多かった。 >>677
アントニオ猪木の元嫁さんだった人だよ。
>>680
甲子園球場も兵庫県予選で使われてた時代があったよね。
そういやメットライフドームやナゴヤドームも予選で使われてた時期があったけど、
使用料のバカ高さに音を上げたのか、使われなくなったな。 西宮球場を大阪予選で使ってた時期もあった。
大阪、日生、藤井寺がなくなって立地、設備、収容人員が満たされた球場が大阪にはない。
京セラドームも開会式と初日2試合しか使わない。
>>660
武田一浩がリーグ戦最中に追い出されドラフトが危惧されたが、明治OBの高田繁が監督のハムが指名して事なきを得た。 >>681
猪木の元嫁さんは千恵子じゃなくて美津子だよ。明は末っ子の長男かな。日大から鐘紡に進み、脱サラして赤坂で串揚げ屋をやって繁盛していたはず。
兵庫予選で甲子園を使用するのは77年のアサヒグラフの通常号で特集があったな。
開会式の写真とか、あの灘高校が甲子園で試合ができて土を持ち帰る写真が載っていた。 >>679
柳井の友歳って板東英二と同じ年齢だろ
リアルタイムで見ていないだろw >>596 >>597
今、Twitter見たら県岐阜商がパナソニックそっくりのユニフォームで試合してる映像流れてきました。
残念ながら、鍛治舎さんがやってしまったようです・・・・😿。 倍賞千恵子みつ子他の兄弟は、猪木のやることに口出しして鬱陶しい。 >>687
千恵子は寅さんの「さくら」だね。
姉妹というより兄だか弟だかが口出してどうのこうのという記事見たことあるな。 >>678
埼玉は、県営大宮→西武→県営大宮。
旧県営大宮は長嶋が関東大会で大ホームラン放って注目されたエピソードある。
西武球場は改装中のみ一時的に使われてただけで完成後は使われてない。
改装後の県営大宮は長澤まさみが南ちゃん役の実写映画版「タッチ」の試合シーンのロケで使われた。数年前からは西武の公式戦も行なわれるようになった。 公園の中に在るのが県営大宮球場やったっけ、なかなか良い球場やと思った記憶が有るわ。
何回か行ったが球場の周りにゴミが散乱してた、公園の中だけにそうなるのかね…。
せっかくの良い球場をもっと大切にして欲しいと思った。 >>684
おそらく679は72年夏の準優勝投手の杉本と友歳を混同したのだろう。 福井県出身浜松在住の麻生のおっさん
自演しに来いや
クレヨンしんちゃんでも見とるんか? ワシ中学校高校で浜松住んでいたわ(笑)
学校卒業して福鉄勤務してる時は福井市に住んでいた(笑)
麻生のオッサンと時期が被ってるか分からんけど。 >>520
>>524
自演の麻生のおっさんの書き込みは文体と内容で大体見分けられるようになった
今日も名無しでいろんなスレに書き込んでいるみたいだな 麻生のおっさんの書き込み
↓
109名無しさん@実況は実況板で (ジグー QQbf-saso [353359060690529])2018/10/08(月) 21:04:37.54ID:1+BBRmzKQ>>112>>113
このスレも今日で終わりだと思うのでw
10月8日(月)時点の趨勢を自分なりに纏めたいと思うww
麻生のおっさんの書き込み(自演用:投稿ツールびんたん使用)
↓
49名無しさん@実況は実況板で (ウラウラ 6142-V6mW [9000067287])2018/10/02(火) 21:33:20.84ID:uUcpPBfx0>>50
10月2日現在地区大会進出が決定している候補(○●は地区大会の勝敗)
【北海道】釧路湖陵○ 札幌新川○ 函館工○ 北見工● 釧路工● 札幌英藍●
【東_北】横手(県2位) 古川(県2位)
【関_東】
【東_海】清水桜が丘
【北信越】新潟南(県2位) 金津(県2位) 小松商(県3位)
【近_畿】
【中_国】米子東(県2位) 大社 平田
【四_国】
【九_州】 >>520
>>524
ワッチョイ 入れといて自分は複数アカウントで自演
麻生のおっちゃん面白いな
やっぱ自演あっての5ちゃんだわw このスレの自演臭い書き込みは麻生とやらがびんたん使ってやってたのか...... かつて時折、満塁ホームランを打った駒田と言う満塁男の異名を与えられた男が居たが、今年の母校のエースは逆満塁男かも…。
満塁のピンチになってはじめてスイッチが入るみたいな?
はらはらさせられてしゃーないわ 麻生のおっさんが自演に使用するアカウント(投稿代行ツールを使用しての自演もあるので要注意)
麻生
ウラウラ 9000067287
ジグー 353359060690529 麻生のおっさんの自演書き込み
↓
【福井しあわせ国体から】甲子園へ行こうPart141【第91回センバツ大会へ】
115 :麻生[Sage]:2018/10/01(月) 17:11:38.28 ID:jDp9+Nb2
保守をかねてチラ裏w
千葉大会は台風一過、準々決勝が行われベスト4が出揃う
来る10月6日(土)の準決勝で、
習志野-銚子商の房総クラシコ?が実現!
50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.5
499 :名無しさん@実況は実況板で[Sage]:2018/10/01(月) 20:45:54.35 ID:jDp9+Nb2
長年のファンを自負するなら嘸や学校に寄付金を納めているんでしょうな?
そうじゃなかったら単なる野次馬に過ぎないw
兎に角学生(アマチュア)スポーツにプロ的な勝利至上
主義的なものを度を越して持ち込むのもどうかと思うし
プロスポーツでさえ、そういうフーリガン気質なファンは
今では、老害扱いされると思うが? 【福井しあわせ国体から】甲子園へ行こうPart141【第91回センバツ大会へ】
128 :麻生[Sage]:2018/10/02(火) 17:48:32.45 ID:A8vf6+D5
>>121
もう既に北海道大会はやってますね
>>1の高野連HP→一球速報のアイコン→北海道大会→試合日程
を続けてクリックすれば北海道大会の速報が閲覧出来ます
そして北海道大会は明日でベスト8決定!
50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.5
516 :名無しさん@実況は実況板で[Sage]:2018/10/02(火) 20:22:29.05 ID:A8vf6+D5
じゃあ、お隣のヅラ商 北野はどうなんだろうか?
山下監督以上に、デルマケを繰返していると思うが
要所要所で、センバツ準優勝→福岡一との激闘→
横浜に大逆転勝ち→PLにこれまたナイターで勝利
と、インパクトの残る試合を展開していると思うが? 麻生とかいう人の自演書き込みを復元なんかしておもしろいのか?
「ミカエルの文章力を分析するスレ」みたいに
「麻生のおっさんの自演書き込みを検証するスレ」でも立ててそこでやってくれ。
うっとうしいわ。
まさか復元も自演じゃないだろうな? ガラケーでスレ立てする麻生
↓
1:名無しさん@実況は実況板で (ジグー QQ0e-jbuz [353359060690529])[Sage] 2018/09/24(月) 22:06:18.95
これまでの21世紀枠選出校
投稿ツールを使用して自分にレスする麻生w
↓
16:名無しさん@実況は実況板で (ウラウラ 9daa-X/lE [9000067287])(1/2)[sage] 2018/09/25(火) 20:50:59.46
>>1
スレ立て乙です
こっちの方は純粋な予想中心のスレになるといいね >>685,686
観たけど何じゃあのユニフォームは(´・ω・`)
鍛冶舎が昔のスポーツ指導者にありがちな自己顕示欲が強い人なのはハッキリしたな。
パナソニックでは当時の社長の腰巾着となり大量首切りを敢行した人物というのも合わせると、つまりは権力者には極めて弱く、下の者に対しては
暴君そのものという昔の体育会系指導者にありがちな人物の典型という事だろう。 >権力者には極めて弱く、下の者に対しては暴君そのもの
ちなみにこの手の指導者というと、日大系辺りの様な右系学校のイメージがあるだろうけど、今現在リベラル系面しているどちらかと言えば左系
と思われがちな学校(特に仏教系)の指導者も相当酷かったり(´・ω・`)
左もスターリン系統が未だに生息していたり、集団リンチなんて体質があったりするからな。 ま、その事はPL学園という典型例で高校野球ファンも承知だろうけど・・・・・・・何せ死人まで出しているからな(´・ω・`)
概して仏教系というより新興宗教系というべきか。 >>707
なんかパナソニックと約束事でも有るん違うの…。
自己顕示欲と言うより、もっと下世話な銭金が動いてたりして。
穿ち過ぎかな。もう甲子園に出て来んで欲しい。 >>712
IP抜いたら違うって分かるだろうに(´・ω・`) >>711
そこまでパナソニックも相手にするんだろうか?
社長が代わってパナソニックで出世が見込めなくなるどころか事実上更迭されたのが高校野球監督転身の主因とも言われているけど。 もうパナソニックにオールドスタイルの県岐阜商のユニに変更させたいわ(-.-;)y-~~~ >>678
そうそう。千葉は天台なんて最高だったんだが。
マリンをメイン球場にするのは止めて欲しいわ。
そして、天台では習志野、銚子商、成東、千葉商、木更津中央、印旛が似合う。 >>718
81年春の関東大会は天台をメインとした千葉開催だったが、選抜準優勝の印旛をはじめ、習志野、木更津中央、銚子商、そして東海大浦安と5校も出場。
最高だったな。 ガラケーでスレ立てする麻生
↓
1:名無しさん@実況は実況板で (ジグー QQ0e-jbuz [353359060690529])[Sage] 2018/09/24(月) 22:06:18.95
これまでの21世紀枠選出校
投稿ツールを使用して自分にレスする麻生w
↓
16:名無しさん@実況は実況板で (ウラウラ 9daa-X/lE [9000067287])(1/2)[sage] 2018/09/25(火) 20:50:59.46
>>1
スレ立て乙です 自演でスレ荒らしてワッチョイ 導入
自らは複数アカウントで自演継続
それが麻生のやり方♪ >>720
木更津中央は強豪ながら71年春以来ずっと甲子園は遠かったですね。
学校名を木更津総合に変更して03年に初めて夏の代表になってからは、ずっと激戦区の千葉県でも今年の夏まで3年連続出場など甲子園が遠かった昔が嘘のような活躍ぶり。
木更津にある学校だと拓大紅陵が84年の春夏連続出場からずっと県の上位にいたけど、最近は木更津総合が拓大紅陵と入れ替わるように上位に。 >>723
木更津中央といえば、高校野球ドラマ「ガッツ・ジュン」のオープニング。
ttps://www.youtube.com/watch?v=0tNGGRa4rD0
1分00秒あたりから登場 >>723
日ハムで活躍した古屋のときも強かったが、秋春夏と県大会決勝で土屋の銚子商に敗れた。
鈴木孝政の成東も同じだったな。
それほど当時の銚子商は厚い壁だった。 今秋の中国大会に出場する予定だった山口の高川学園(旧多々良学園)が不祥事をやらかして
中国大会出場辞退で大騒ぎになってるが、ずっと以前、秋の北信越大会で、福井県?から
出場予定の2校が2校とも不祥事を起こして、北信越大会が福井県代表不参加で行われたような
記憶が微かにあるんだけど、誰かご存知ありませんか? 当時の銚子商の監督は千葉で勝ち抜くには甲子園で勝ち抜くにより難しいと豪語
していたけど、念願の優勝を果たしたあとは急速に衰退していったな。 315 :麻生[]:2018/10/07(日) 20:12:18.96 ID:86oBWZsH
>>310
当初の予定では今日は熱田迄行こうと思いましたが、
朝起きて、“体の疲れがとれなーい”→要QPコーワα
だったので今日の観戦は断念しましたw
自分は21世紀枠マニアなので、清水桜ヶ丘、敦賀投手
の終戦を最後迄見届けたいと思う
という訳で、東海大会の組合せ抽選会は、10月9日(火)じゃ!
なんか、清水桜ヶ丘-春日ヶ丘が実現しそうな気がするw 980 :名無しさん@実況は実況板で[Sage]:2018/10/07(日) 19:22:28.70 ID:86oBWZsH
米子東はプレゼンで“長島投手の逸話”を使えば
パヨクの外部委員はホルホル、
高野連役員の内部委員は誉め殺しになるから、
かなり有力だと思う
もっとも、近年の中国地区推薦が、旧制中学優先で
選んでいて、それが失敗しているから
地区大会の結果が互角なら、地区推薦は平田になると思うが? >>726
昭和54年の秋ですね。
実高と福商
いずれも暴力事件だったような。
>>727
懐古系のスレにも誰かが書いていたけど銚子商は「黒潮打線」と云われているが実際は1点を守り抜く昭和野球で金属バットの対応が出来なかった為、勝てなくなったとの事。 >>730
Thanks
昭和54年でしたか、ありがとうございました。 麻生のおっさんが自演に使用するアカウント(複数端末あるいは投稿代行ツールを使用しての自演もあるので要注意)
麻生
ウラウラ 9000067287
ジグー 353359060690529
出没スレッド
甲子園へ行こうスレ(麻生&名無しを併用:固定IDと単発IDを併用して自演)
50歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
30歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
21世紀枠の有力候補スレ(名無し&ジグー 353359060690529&ウラウラ 9000067287:固定IDと単発IDを併用して自演、議論誘導多数、スレ立ても、キーワードは洗濯機) >>732
そんな分析してあんたもヒマだね。
ご苦労さん。 >>730
銚子商低迷の原因はいくつかあると思う。
一点を守る野球が通じなくなった、野球が古いというのも一因だろう。
ほかに素質ある選手が集まらなくなったこと。低迷が始まった78年ごろからとにかくスケールが小さくなったと感じた。
千葉の参加校が100を越えたのが77年、選手が分散したのは事実だろう。
あとは斎藤監督が病気にかかり鍛え方が足りなくなった、以前より執念が薄れたというのもあると思う。
斎藤監督自身は「全国制覇したあたりから野球と教育を結びつける風潮が強くなってきた。不思議なことにそれから勝てなくなった」と81年に語っている。 >>733
こいつが麻生
【福井しあわせ国体から】甲子園へ行こうPart141【第91回センバツ大会へ】
128 :麻生[Sage]:2018/10/02(火) 17:48:32.45 ID:A8vf6+D5
>>121
もう既に北海道大会はやってますね
>>1の高野連HP→一球速報のアイコン→北海道大会→試合日程
を続けてクリックすれば北海道大会の速報が閲覧出来ます
そして北海道大会は明日でベスト8決定!
50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.5
516 :名無しさん@実況は実況板で[Sage]:2018/10/02(火) 20:22:29.05 ID:A8vf6+D5
じゃあ、お隣のヅラ商 北野はどうなんだろうか?
山下監督以上に、デルマケを繰返していると思うが
要所要所で、センバツ準優勝→福岡一との激闘→
横浜に大逆転勝ち→PLにこれまたナイターで勝利
と、インパクトの残る試合を展開していると思うが? >>726
中国大会では81年秋に倉吉北がやらかして直前に出場停止。鳥取からは鳥取城北1校だけの参加になったことがあった。 麻生のおっさんが自演に使用するアカウント(複数端末あるいは投稿代行ツールを使用しての自演もあるので要注意)
麻生
ウラウラ 9000067287
ジグー 353359060690529
アウアウカー 182.250.246.XX 在日排斥
左翼撲滅
特亜断交
これが日本の取るべき指針。 う〜ん、内容的には同意するんやが、場違いで唐突な書き込みやからなぁ。
新大久保や川崎でお馴染みの自作自演の釣り針かも知れんし。
ここんとこなんか荒らされてるしね。
懐かしい高校野球の話しようや。 広島商はこの秋も広陵に負けた。
このところ広陵とは接戦するんだが惜敗つづき。
広陵が73年移転して低迷が始まったのを尻目に広商はその年から昭和の終わりまで毎年のように出場していたのに。
完全に立場が逆転したな。
若松監督も苦しんでいるな。 広商といえば江川で沸いた73年のチームが印象深い。難攻不落と言われた江川を
足で攻略し、春は準優勝、夏は優勝と金光を中心としたホントにいいチームだった。
当時は広商の精神野球としてえらくもてはやされたけど、金属バットが登場してから
それが裏目になって山びこ打線の池田に散々な目に会うことになろうとは思いも
よらなかったなあ。 その6年後に広商野球で全国制覇を達成するとは夢にも思わなかった。 >>723
与田が居た83年の木更津中央は強くなかったの? 83年の千葉は春を制した古瀬の印旛が本命、下馬評どおり夏も優勝した。
これを追うのが春準優勝の新生拓大紅陵、前年代表の東海大浦安、秋準優勝の習志野という感じだった。
正直なところ与田は印象に残っていない。
芝浦工大柏には小宮山もいたのだが、まったく覚えていない。 広商と銚子商業の校歌はまだ唄える。
怪物江川を倒した両校はマジで渋かったな。
佃投手の優勝インタビューでお父さんが優と書いてまさる?でお母さんが勝やったとか
「ふたり合わせて優勝ですね」
とかなんとかインタビュアーに言われてたのが記憶にあるわ。
後年、達川がこの時の広商のキャッチャーかと思ったが、せこいと言うか狡汚いプレイを見てがっかりした…。
カープは元々好きな球団やっただけに余計鬱陶しく思ったなあ。 与田さんエースだった木更津中央は
4回戦で市立銚子(同大会ベスト4)に
4-3で負けた。9回に決勝点を取られた
互角の試合だった? 麻生のおっさんが自演に使用するアカウント(複数端末あるいは投稿代行ツールを使用しての自演もあるので要注意)
麻生
ウラウラ 9000067287
ジグー 353359060690529
アウアウカー 182.250.246.XX
出没スレッド
甲子園へ行こうスレ(麻生&名無しを併用:固定IDと単発IDを併用して自演)
50歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
30歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
21世紀枠の有力候補スレ(名無し&ジグー 353359060690529&ウラウラ 9000067287&アウアウカー 182.250.246.XX:固定IDと単発IDを併用して自演、議論誘導多数、スレ立ても、キーワードは洗濯機、クレヨンしんちゃん)
興行収入を語るスレ (ジグー 353359060690529 & アウアウカー 182.250.246.XX ここのスレッドは麻生がずっと自演してたのか
過去ログ見て納得 >>720
81夏は無名の銚子西が出て初戦敗退と最悪の結果。
銚子商が準決勝で印旛に勝った瞬間、甲子園決まったと思ったが。
翌82夏も東海大浦安が0-10で大敗。
エース渡辺が足を痛めて本来の投球ができなかったのは不運だった。
秋に千葉商大付の平沼に投げ勝った投手ということで期待をしていたんだけどね。 そう。銚子商が竹中の無類の好投で印旛を三安打完封、春に負けた木更津中央が敗れ銚子西との銚子対決となったとき、商業の五年ぶりの夏は間違いないと誰もが思ったのではないか。
しばらく低迷が続いていた千葉県勢だったが、あの年は選抜で印旛があと二死までこぎつけながらPLに逆転負け、夏に向けて県民の期待は過熱していた。
それが決勝はまさかの結末。西が代表に決まったときは頭を抱えた。甲子園では勝てるわけないと。
あの年の商業は竹中、有馬と完投能力のある投手が二枚いて、打線も小粒ではあったが黒田を中心にまとまっていた。甲子園でも勝ち進めただろう。いまでも残念に思う。 甲子園の結果はともかく、夏未勝利から一気に甲子園という銚子西のドラマは凄いと思ったよ NHKで銚子市内の野球部のある学校4校のうち3校目の甲子園出場です。
と紹介があったよね。
あと野球部のある学校とは銚子水産かな。 銚子商十回目の夢消える
銚子西に栄冠ほほえむ
翌日の朝日新聞京葉版の見出し
商業にもチャンスはあったが、7回表は一死二塁でヒットが出たがレフトからの返球で憤死。
8回表は一死三塁で竹中が初球のカーブを打ってしまい投ゴロ。ここは何球目かにスクイズをやる場面だったと思うが、なぜ打ってしまったのか。
斎藤監督の人生でも痛恨の試合の一つだろうな。 昭和40年代は毎年のように優勝候補として甲子園に出場していた銚子商業だけど
プロで活躍した選手って、木樽と篠塚ぐらいと思うけど他に誰かいた? ヘディング男で本塁打王になった宇野がいるだろうよ。
ほかに甲子園出場した選手でプロ入りしたのは、田中、杉山、町田、渡辺、根本、土屋、尾上、片平、大川、沢井などがいる。
そのなかで70年夏出場の渡辺はヤクルトでまずまず活躍した。
根本、土屋、尾上、沢井はドラフト一位(篠塚を入れて同校は5人ドラ1を輩出)だったが… 83 :麻生[]:2018/08/21(火) 20:26:26.75 ID:NoJHQNOS
>>49
もしも、明日やることがなかったら
中之島の朝日新聞大阪本社へ出向いて
甲子園大会の運営方法に物申したらどうでしょう?
と、面白半分に書いてみるw
上手くいけば、お客様苦情室に通されると思うし
少なくとも、ここで喚いてるよりもましだと思いますww
【2019】21世紀枠の有力候補1【センバツ】
545 :名無しさん@実況は実況板で[]:2018/08/21(火) 21:09:29.46 ID:NoJHQNOS
洗濯機を回している間暇なので、書き込みさせてもらうが
>>544
もし、小野投手が在籍中に“昭和枠”があれば
紛れもなく有力候補だったと思う
何れにせよ、今回の金足農準優勝は
84年センバツにアベック初出場をはたした大船渡にとっては
追い風になるのは間違いない! >>757
中日のスカウトはプロの水に慣れると日ハムの田中幸雄タイプに成長すると観た(コユキも若い頃は三振&エラーが多い選手だった)んだろう
けど、打撃と守備の荒さが中々解消されないで長打力だけが進化と独特の成長をした選手でしたな。
1001監督の頃になって、ようやく打撃も守備も荒っぽさが解消の兆しが見えてきたが、打撃は高校生レベルながら既に守備面は確立していた
立浪が入団したのが。
中日側も「当面宇野でショートは大丈夫だから。」という事で、将来性を買って立浪という選択だった様だが。 公立は名物監督が退任すると、それで歴史が終わる傾向がある。銚子は直線距離では東京
とは それほど離れていないが、交通が驚くほど不便だ。これも衰退の原因かな 銚子商業の斉藤や尾藤、蔦らの名監督は前に出過ぎた感があるわな。
戦前からの息の長かった古豪名門とはそこが違うのかも知れん。
悪く言えば成り上がりなんやろうが、百年の歴史の一瞬に現れた強烈な名将なのは間違いは無いやろ。
それも、木内さんご夫妻を美談にしたマスコミのせいでも有りそうやが。
蔦監督の没後、テレビで白川?部長が蔦監督の発言として
「連覇した日の夜、オレがやったんぞ、と言ってました」
と言うのをインタビューに応えていたのが印象深い。
確かにそうなんやろうけど、部長に吐露した時は気持ちも昂ぶってたんやろ。
でも、それを言っちゃお終いダヨと寅さん的に思ったのを覚えてるわ。 >>761
それらの監督してた学校の共通点は全部田舎ということだな
過疎化、少子化で選手が集まらないのもあるね 100回大会の今年、各地方紙で高校野球本が出たが
中でも出色は、神奈川新聞編著の「真夏の球譜」。
上下2冊の文庫本だけど、読み応え十分。 きょう桐蔭学園が常総相手に逆転サヨナラ満塁ホームランで勝ったようだけど、
71年の優勝時は学校創立5年目、奇本監督も大卒3年目の青年監督だったんだね。 >>763
神奈川新聞でことし一月から連載していたものの文庫化。
新聞サイズのタブロイド版も発売されている。オレはこちらを購入した。 >>762
奈良の郡山もそうだ。
森本監督が辞めたら
奈良の中堅公立校(全国的に見たらレベルが低い)
にも勝てなくなった。 ああ、あの小島さんの津久見ね。
北野さんがいた福井商も全く出れなくなった。
広島商はどうしているのかな?
どちらかと言えば夏に優勝という結果を残している
広商より広陵のほうが
俺は好きだけど。 >>752
あの時は習志野も後に近鉄に入る後関がエースで、印旛に次ぐ優勝候補だったな。
前年秋の決勝は印旛vs習志野、春の決勝も印旛vs習志野。
特に春はセンバツで準優勝して帰ってきた印旛と延長まで行く大接戦。
当然、夏は打倒印旛の一番手と見られていたが、
初戦で千葉で1進学校の千葉高校にまさかのサヨナラ負け。
これで印旛の甲子園かと思ったが。 >>769
印旛は夏の大会前にエース佐藤がぎっくり腰になっていたから一抹の不安はあった。
最初の二試合はコールド勝ちしたが、たしかいずれも八回まで戦っている。二戦目の試合かな、観に行ったけどもっと早い回でコールドにしないといけない相手だった。蒲原監督も試合後にその旨不満と話していた。
チーム全体が夏は調子が下り坂だった。
その不安は連戦になると表面化してきて、五回戦の柏戦は2-0、準々の検見川戦は6-4と薄氷を踏む試合だった。検見川戦はヒット12本くらい打たれてこれが佐藤かと思ったものだ。
低調な試合ぶりを見た銚子商の斎藤監督は準決勝の前に「印旛と対戦したいと思っていた。勝てると思う。勝って絶対に甲子園に行きたい」と意気込んでいた。
前年秋は印旛に2-6と完敗していたが、準決勝は立ち上がり鮮やかな速攻で三点先取、竹中が最高の投球で三安打シャットアウト。
最高の目標だった打倒印旛を果たして油断してしまったのか… >>773
不祥事があったからな
引き続き荒谷が指揮を取っている 印旛の佐藤−月山のバッテリーは高校卒業後はともに阪神入りした。
当時、プロ入りの話を聞いて大丈夫かと思った記憶がある。
高卒でプロで通用するレベルとは見えなかったからね。結果は…
二人とも大学か社会人に進むべきだったな。 月山はジュニアオールスターの捕手に選出されてテレビに映ってたのを
覚えてる。
引退理由は肝臓疾患ってことだったような気がするが
一軍でもたまに代打で出たかな
山際さんの「スローカーブをもう一球」の敵役だったね。
佐藤投手は当初はロッテ入りかな 月山は高校時代は評価が高かったぜ。
実際、準決勝の上宮戦で一発ぶち込んで、
あわや大阪決戦になりそうなのを防いだ。
佐藤はコントロールと投球術は一級品だったが、
いかんせんあの球威では、とてもプロでは無理だったな。
あの時の印旛は月山、佐藤以外にも
村上、白川とか良い選手がいた。 >>778
習志野はブラバンが爆音すぎて応援する気にならん。
耳がおかしくなる。 >>777
そう、月山は選抜前は相当評判が高かった。
上宮戦でホームランしたが、大会での活躍はイマイチだった。あのホームランもようやく出たか、という感じだった。
阪神の三位指名で入団した。一軍では結局ノーヒットだったかな。あわや三遊間を抜くかという当たりを野手に好捕されてヒットにならなかった試合をラジオで聞いていた。
いま焼肉屋を営んでいる。
佐藤はドラフト外で入ったが、通用するか不安になったのは同意。最初はこちらも阪神だったのでは。のちにロッテだったと思う。
ちなみに入団時に同姓同名の佐藤文男が同じ投手でいた。そのため登録名は先輩は「佐藤文」、こちらは「佐藤男」となった。 月山が秋田経大付属の松本から、延長戦でスリーベース打ったのが印象的 月山の素行は天下一品じゃったな。
今はおとなしい? >>781
月山はツーベース。
決勝のスリーベース打ったのは辻井で、前進守備の外野の頭を越えたもの。
それよりこの試合の松本は調子が良くなかった。二試合連続完封で難攻不落を思わせたのに、初回二死から五連打で3点失ったのはこれが松本かと驚いた。
この試合の白眉は、4-4の九回裏、連続敬遠で二死満塁にして打者三沢(だったか)のボールカウント2-3、絶体絶命の場面で佐藤がど真ん中に放り捕邪飛に打ち取った場面。佐藤のものすごい度胸にしびれた。 四国大会の片側のプロックに高松商業、徳島商業、高知商業が揃ってるんやな。
松商と広商はそれぞれ地区大会には出れんかったみたいやが、四国三商に続いて欲しいなあ。 >>782
ユーチューブで30年位前に放送された選抜振り返るインタビュー動画見た限り好青年だったけどな。 月山はホラふきクレイの異名をとった。
決勝のPL戦の六回には送りバントをして白川の先制打につながった。 >>779
自分たちの頃はブラチア大した事無かった。
あのブラバンの先生は関西の人なのかな?
いろいろ行動力凄いね。 >>784
志度の監督が高松西のトルネードサイドスロー新鞍だと知って驚いた >>769
千葉高校の小林投手は後関を全打席敬遠
明徳がやると批判されるが千葉高校がやると頭脳的作戦というダブスタ 印旛の月山懐かしいな。
珍しい名前で日本人ぽくなかった記憶がある。 自分の千葉の知り合いは、
山形の夏スキーで有名な「月山(がっさん)」を、
ずっと「つきやま」と読んでいた。 印旛といえばPLが目の上のコブだったなあと思う。甲子園初登場の78年のセンバツは
大会No. 1投手といわれた菊池を擁して臨んだが、いきなり初戦がPL戦でいいとこなく敗退。
PLはこの夏に奇跡の逆転優勝で黄金時代の幕を開けることになる。81年は決勝で印旛
にとって絶好の雪辱の機会だったのに土壇場で逆転負けと、 もしPLがいなければ印旛は
昭和40年代の銚子商業と同じくらいの存在になれかもしれなかった。 >>790
月山栄珠って名前と実家が焼肉店ってことを察しろよ(笑) まったく無名だった印旛だがすい星のように現れた菊池投手で甲子園に出場。
これを見て翌79年春に佐藤や月山など近辺の有力選手が入学。一年の秋からはほぼ選抜準優勝のメンバーの大半が試合に出ていた。
79年秋、80年春、80年夏と県ベスト4。80年夏は横綱習志野(現監督の小林がエース)に4点先取して習志野をあわてさせた。
試合経験が豊富だったから、80年秋からの快進撃は満を持した感があった。
あの選抜決勝のPL戦、優勝まであと二人まで迫ったのだが。惜しまれてならない。
千葉県人だが、81年はこのPL戦と夏の県決勝の銚子商のまさかの敗戦と残念至極な試合で記憶されている。 銚子商、印旛、成東、千葉商と、
千葉の高校野球好きな50以上のおっさんが、泣いて喜ぶような公立校だが、
もう、残念ながら何れも甲子園では見られそうもない。
ただ、同じ公立で習志野だけは現在も戦力を維持している。
そして、来春の甲子園が当確した。
なぜ、習志野だけが生き残ることが出来たのか?
謎だ。 >>792
印旛は3回しか甲子園に出てなし、
今や部員もろくに集まらない学校になってしまったが、
未だに語られることが多い。
やはり、50以上の千葉の高校野球好きなおっさんにとっては、
あのPLとの決勝の印象があまりにも強烈だったんだろうな。 麻生のおっさんが自演に使用するアカウント(複数端末あるいは投稿代行ツールを使用しての自演もあるので要注意)
麻生
ウラウラ 9000067287
ジグー 353359060690529
アウアウカー 182.250.246.XX
福井県出身浜松市在住
出没スレッド
甲子園へ行こうスレ(麻生&名無しを併用:固定IDと単発IDを併用して自演)
50歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
30歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
21世紀枠の有力候補スレ(名無し&ジグー 353359060690529&ウラウラ 9000067287&アウアウカー 182.250.246.XX:固定IDと単発IDを併用して自演、議論誘導多数、スレ立ても、キーワードは洗濯機、クレヨンしんちゃん)
興行収入を語るスレ >>769
習志野に平沼がいればなあ。
あの最強印旛も倒せたかもしれない。
平沼は習志野の入試を失敗して千葉商大付に入学。一年生のときから投げていた。
一年の夏は佐藤、月山が二年生だった印旛と対戦、立ち上がり失った一点で敗れている。
翌年夏は五回戦で銚子商に敗れた。 印旛の菊池って何気にあのソウル五輪ドリームチームに選ばれてんだな。
パンチ佐藤が社会人時代印象に残ってる選手で名前あげてたけど、スピードは並だけどとにかく制球力が桁違いだったと。 >>795
東京に近接しており、市立高校なので県立ほど制約がなく選手を集めやすい
市立高校は県外から生徒を集めやすい
サッカーだが、数年前の市立船橋と四日市中央工の市立校同士の決勝戦で、船橋のキャプテンは三重出身、四日市のキャプテンは千葉出身と逆転現象が起きていた >>794
最後の県決勝は銚子商と銚子西じゃねえの?
準決勝辺りで負けたんじゃね? >>799
明治ではまったく活躍できなくて、外野で登録のシーズンもあったくらい。
それだけに東芝での覚醒ぶりには驚くとともにうれしくもあった。
あの印旛の菊池か?と同一人物だと分かるまでに時間がかかったわ。
明治のときは島岡御大に干されていたのか?
でも大学で肩を使わなかった分、社会人で活躍できた面もあるかも。なにが幸いするか分からないものだ。 >>798
平沼投手は清原のバット投げの時の投手だと思うが、
あのバット、イレギュラーして平沼に当たってなかったか?
清原のジャンピングニーパッドより、こっちのほうが痛かったと思うのだが。 >>798
やっと謎が解けた。
平沼は習志野三中なのに、なんで習志野じゃないんだろうと思っていたが。
確か平沼が小学校5年の時に、習志野は全国優勝しているから、
平沼クラスの投手が進学するなら、習志野以外に有り得ないはずが、
なんで千葉商大付なんて聞いたこともない学校に行ったんだろうと。
考えられるのは平沼が中学2年の時に習志野は不祥事を起こしてそれで避けたのか、
平沼自身が伝統校でなく自由にやりたくて商大に行ったのかと思っていた。
そう言う理由で習志野ではなかったのか。 平沼も商大の番長だったんでしょ?
だから清原は乱闘後まだ平沼が息巻いてるの知ってめっちゃビビってたらしい。 千葉経大附が初めて甲子園出場した時は平沼がいた千葉商大附と勘違いしてました。 82年のベーマガの選抜出場校ガイドのカラーグラビアで平沼と日野(上尾)が特集されている。
平沼の渾名はジャミラ、理由は首が長くてイカリ肩だからというものだった。好きなタレントは秋ひとみだった。
それにしてもあのときの商大付は打線が弱かった。秋のチーム打率が参加30校中のブービー。
案の定選抜では完封負け。
平沼は三年間、夏の県予選の負け試合はすべて完封負けだった(0-1印旛、0-4銚子商、0-2君津)。 昔、群馬で行われた、秋関準決勝での印旛、菊池と桐生、木暮の超投手戦は見応えがあったな。 >>810
延長14回までいった試合な
桐生のほうが押していたが、チャンスをものにできず 「報知・高校野球」の
第一号の表紙は、印旛高校のバッテリーの抱き合ってるところだったのだが、
これは関東大会優勝のときの写真なのだろうか。
菊池投手はチャリンコで30kmを通学していたという。 >>812
上尾の日野も加須の自宅から学校まで自転車通学。
当時の上尾は埼玉県内各地の有力選手が集まっていて、練習以外でも鍛えるためにほとんどが自転車通学してたと報知高校野球82年選抜特集号に記事が載ってました。 >>812
まさか。菊池一金井が抱き合う写真は取材で撮ったものだろう。
菊池のアイモ解剖の投球はふざけた写真だったな。まるで投球になってなかった。 https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/hsb/1538894741/435
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/hsb/1538894741/434
麻生のおっさんが自演に使用するアカウント(複数端末あるいは投稿代行ツールを使用しての自演もあるので要注意)
麻生
ウラウラ 9000067287
ジグー 353359060690529
アウアウカー 182.250.246.XX
福井県出身浜松市在住
出没スレッド
甲子園へ行こうスレ(麻生&名無しを併用:固定IDと単発IDを併用して自演)
50歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
30歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
21世紀枠の有力候補スレ(名無し&ジグー 353359060690529&ウラウラ 9000067287&アウアウカー 182.250.246.XX:固定IDと単発IDを併用して自演、議論誘導多数、スレ立ても、キーワードは洗濯機、クレヨンしんちゃん)
興行収入を語るスレ 名無し&ジグー 353359060690529&アウアウカー 182.250.246.XX >>810
77年の秋。
この年から秋の関東大会は各県2校(開催県は3校)が参加。あれから40年以上経つが出場校数は変わらないまま。
印旛2-1桐生、14回サヨナラ。
印旛は決勝でも前橋に3-0で勝ち優勝。
印旛に次いで桐生は選抜されたな。準優勝の前橋は3枠目だった。 今日、四国大会で高松商業と高知商業が共に勝って来週準決勝で対戦するのが決まったみたいやが、実に惜しいなぁ。(両校選抜される可能性は有るが…)
両校…と言うか四国四商と広島商業の試合を甲子園で観たいなあ。 高知商はこの夏、外人部隊の慶應をボコって痛快だった。
この秋も四国大会で勝ち上がってきているところをみると、
復活傾向なのか?
だた、高知は来年から高知高校に超怪物投手が入学するからどうなるか? あと、中国大会でも米子東が久々の4強入り
1996の選抜出場後はご無沙汰なので21世紀枠選出の可能性もある もちろん決勝進出したら一般枠出場だな >>820
21世紀枠って、甲子園から30年ご無沙汰じゃないと対象にならないんじゃ? 四国といえば四商のほか、池田、西条、鳴門など公立高だよね。
高知商に復活の兆しが見えてきたのは何とも嬉しいところ。
PL学園は選手権優勝4回のうち、三度も高知商と対戦していて
いずれも名勝負だったことが懐かしい。 いや、30年ルールはもうなくなっている。
26年ブランクの洲本、20年ブランクの土佐が選ばれている。釜石も20年ブランク(前回出場時は釜石南)だったか。
釜石南のときの初戦の相手が米子東だった。それ以来の出場をめざす。 チラッと松山商業スレを見て来たが煽り厨に粘着されてるんだな…。
それと明徳スレにも。
ふと思って広島商業!スレを検索したがスレなど無いんだが。
何やら伝統や歴史を持つ公立の名門を狙い撃ちしてるのが居るのかね…。 >>821
いや、20年余のブランクで選ばれた釜石や土佐もいるし >>818
70年夏二回戦 高松商1-0広島商
73年夏準々決勝 広島商7-2高知商 https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/hsb/1538894741/435
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/hsb/1538894741/434
麻生のおっさんが自演に使用するアカウント(複数端末あるいは投稿代行ツールを使用しての自演もあるので要注意)
麻生
近鉄
ウラウラ 9000067287
ジグー 353359060690529
アウアウカー 182.250.246.XX
福井県出身浜松市在住
出没スレッド
甲子園へ行こうスレ(麻生&近鉄&名無しを併用:固定IDと単発IDを併用して自演)
50歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
30歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
21世紀枠の有力候補スレ(名無し&ジグー 353359060690529&ウラウラ 9000067287&アウアウカー 182.250.246.XX:固定IDと単発IDを併用して自演、議論誘導多数、スレ立ても、キーワードは洗濯機、クレヨンしんちゃん) 米子東は見たいねぇ立教から西武へ行った野口の頃以来になるか >>828
1996春に出てきて1つ勝っています
相手が釜石の前身だった 野口は二年春の一回きりだったな。
メガネの秀才エースと評判だった。 >>813
初戦に箕島と当たって不運でしたね!優勝候補でしたが >>830
県岐阜商に攻略されて完敗でした
まさか立教大で最強エースになり、ドラフトで一番の目玉になるとは思わなかった ドラフトで一番の目玉とは言い過ぎでは?
野口が絶好調だったのは立教二年の春。リーグ戦で96奪三振の記録を樹立。
そのあとはじり貧だった。学年が上がるにつれ左腕のしなりがなくなっていった。
監督も不安視していた。「二年春の状態なら契約金1億円もらってもおかしくなかった。いまは…」と話していた。
あのときのドラフトは野口のほか、法政の田中富生(南宇和出)、西田、木戸とかが騒がれていた。 知り合いのおっさんが大昔に米子東で甲子園に出たらしい
ドラフトにもかかったが蹴ったらしい
凄く変な人だったから米子東の印象は微妙 「19歳の甲子園」・・・19歳で出場した米子東の長嶋康夫投手なんて、もう誰も知らないか?
かく言うオレも、リアルで見たわけではないが。 >>834
いや、貴方のおっしゃる通り野口が一番輝いていたのは大学2年の春だったのは間違いないが、82年のドラフトでは1位指名が最多の3球団競合だから、その年の目玉だったことは間違いない >>811
印旛の菊池と桐生の小暮が後に東芝で同僚になるとはね。最初は小暮が注目されたが、菊池が大エースになった。テークバックが小さいが、低めにズドンと決まるストレートをビシビシ決めて追い込んでくる投球で安定感抜群だった。引退後はどちらも営業してたようだったけど。 >>837
野口には3球団も競合したのか、覚えてない。
あの年は早実の荒木が巨人とヤクルトで競合したことの印象が強烈なので。
野口で覚えているのは、交渉権を獲得した西武の広岡監督が「目的は済んだ」と一位指名が終わったら帰ってしまったこと。たしかあのときの西武は三位までしか指名しなかったのでは。
スレチ失礼。 野口の高三最後の夏はその年代表となった倉吉北に0-3で敗れている。
この試合、野口は死球を受けて途中退場したのかな、たしか。 >>841
各球団に左腕が不足しており、即戦力左腕は野口しかいなかった
野口を指名しクジで外した巨人がはずれ1位で斎藤雅樹を指名、クジ外して良かったな 斎藤雅樹は荒木大輔の外れ一位だよ。どっちにしても外して良かったけどね。 昭和の時代、
西武に「野口裕之」という投手がいなかったか。 これからの高校野球は各都道府県、私立1校、公立1校の2校、甲子園に出場できればな、とおっちゃんは思う。目の黒い内に昔の公立の名門校がどうしても甲子園でみたいのじゃ。w これからの高校野球は各都道府県、私立1校、公立1校の2校、甲子園に出場できればな、とおっちゃんは思う。目の黒い内に昔の公立の名門校がどうしても甲子園でみたいのじゃ。w >>844
野口を指名しクジで外した巨人がはずれで斎藤雅樹を指名
→こんなこと書くのがこのスレでいるんだ。
荒木と斎藤雅樹の因縁のドラフトのことも知らんのか。びっくりだわ。 米子東と高松商業が選抜をほぼ決めた。
必ずしも「優勝旗を狙う」っとかでないなら
初戦で2校で対戦してまったり応援したい。
大昔の決勝戦の再戦だ >>851
米子東と高松商は三回対戦して高松商の三戦全勝。
60年春決勝 高松商2-1米子東(山口のサヨナラホームランで36年ぶり優勝)
61年春準決勝 高松商4-1米子東
65年春二回戦 高松商4-0米子東 >>831
秋季大会70イニング無失点の記録を引っ提げての甲子園登場でしたが・・・
箕島の速攻で初回に早くも無失点記録は途切れて、その後も箕島の上手い攻めに翻弄されて実力を出し切れないままでした。 https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/hsb/1538894741/435
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/hsb/1538894741/434
麻生のおっさんが自演に使用するアカウント(複数端末あるいは投稿代行ツールを使用しての自演もあるので要注意)
麻生
近鉄
ウラウラ 9000067287
ジグー 353359060690529
アウアウカー 182.250.246.XX
福井県出身浜松市在住
出没スレッド
甲子園へ行こうスレ(麻生&近鉄&名無しを併用:固定IDと単発IDを併用して自演)
50歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
30歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
21世紀枠の有力候補スレ(名無し&ジグー 353359060690529&ウラウラ 9000067287&アウアウカー 182.250.246.XX:固定IDと単発IDを併用して自演、議論誘導多数、スレ立ても、キーワードは洗濯機、クレヨンしんちゃん) 商業高校ランキング
A級
広島商、松山商、高松商、高知商、徳島商、銚子商、浪商、岡山東商、佐賀商、鹿児島商、
浜松商、静岡商、富山商、高岡商、福井商、倉敷商、尾道商
B級
秋田商、盛岡商、仙台商、福島商、水戸商、千葉商、熊谷商、前橋商、大田市商
甲府商、横浜商、新潟商、長野商、松坂商、八幡商、明石商、県和商、松江商、岩国商、小倉商
久留米商、長崎商、大分商、宮崎商、熊本商、浦添商 俺は、ほぼ一発屋だったが新居浜商も入れてほしかったよな。エース村上と大麻、続木、ひげ君の打撃が忘れられない。 >>856 >>857
山口県なら、宇部商もA級だな。
宇部商の方がインパクトがある。
33年前のKK3年次のPL学園と夏の甲子園決勝での名勝負。
植草貞夫アナが「甲子園は清原の為にあるのか!」と絶叫したシーンは忘れられない。 >>856
二発屋だよ
1967年選抜で8強入りしている 県岐阜商、市岐阜商、能代商、伊野商
校名変わったのをどこまで入れるかによるけど浪商を入れるなら
札幌商、中京商、松商学園、京都商、市和歌山商、柳井商、柳川商、 今まで兵庫の商業高校の活躍なんて皆無だったなのに、明石商がここ数年で近畿のトップクラスのチームにのしあがるなんて夢にも思わなかった。 思い起こして見ると、00商業は惜しくも準優勝が実に多いよなあ。新居浜商、高知商、横浜商、、、。 兵庫の第一神港商業はベーブ山下実昭和初期にきらっと光ったがな。
速球王の山口高志も神港商業と違うかったかな…。
直ぐに始まる神宮大会に広陵、東邦、平安、高松商業が出るとか。
楽しみ過ぎるやろ。わくわくするわ。 ごめんなさい。
県岐阜商、島田商、坂出商、新居浜商(法政の鴨田さんの)、高崎商、宇都宮商も忘れていました。
名前が変わる前だと
中京商、東邦商、享栄商、興国商、明星商、第一神港商、横浜一商(横浜商大高)、伊野商、育英商
西京商、札幌商、能代商、長岡商、藤沢商、松本商(松商学園)、青森商、志度商、市和歌山商、玉島商、高田商 >>872
姫路商は甲子園出場はないが学校はある。
東洋大姫路の梅谷監督が69年夏に甲子園初出場を決めた直後に監督を退いて次の監督に就任したのは姫路商の監督だった田中氏だった。 >>874
失礼!
出場があるのは神戸商で
姫路商の甲子園の出場はありません。 >>876
そもそも東京の場合は商業は都立がほとんどで、何々商業とかの高校に野球強豪高校など皆無でしょ。 東京の代表校でこれまで商業、工業と名のつく学校はないはず。
惜しかったのが76年夏、私立大森工業が東東京大会で決勝進出したが日体荏原に0-6で敗れた。名を聞いたことがない学校だったが春の都大会でベスト4に進出、夏は第一シードで決してフロックではなかった。 戦前に慶応商工が東京代表で甲子園に出ている。白木投手という好投手がいて、全国優勝した
野口二郎の中京商と互角の試合をしたそうな。 1970年東京が2校選出の時代に帝京商工が秋季大会準優勝にもかかわらず火事による焼失で
提出資料不備というおかしな理由で選考外された事があったこの学校は戦前にも優勝したに
もかかわらず選考されなかったとか高野連から嫌われとったんかねぇ・・・ >>885
選考から外された帝京商工はセンバツに出場するべく、大阪地裁に選抜大会出場を認めるように
仮処分申請を訴えたものの、大阪地裁が訴えを却下というか門前払いしたんだよね。
今の時代だったらスポーツ仲裁裁判所があるから、センバツに漏れた学校が仲裁裁判所に
出場を認めろと訴えたらどうなるだろう?
出場校の選考なんて結構怪しいところがあるから、仲裁裁判所が訴えを認めるかも分からんね。 >>886
21世紀枠はともかく、一般枠ではセンター返しを評価して当選とかトンデモ選考はできなくなったでしょ
3年前の報徳落選、市和歌山当選なんか試しに訴えてみてほしかったなあ 広島商、尾道商、倉敷商は甲子園に出た事があるが
福山商は甲子園に出たことが無い
因みに岡山は岡山商でなく東が入って岡山東商 >>885
戦前の帝京商だが
5年制の生徒以外に
高等小学校を卒業した選手
つまり、チームを強くするため
大学生くらいの年齢の選手を入れていました。
だから、選抜にかからなかったかもしれません。 >>888
岡山東商は岡山東高だった。
確か、俳優の八名信夫さんがそこの野球部OBだ。 しかし高校野球の監督は自分より年上の人がやるものと思ってたが、年々歳をとって年下の監督が増えてきたのには悲しくなるw
おまけにプロ野球の監督も年下が増えてきたし 同級生が母校の監督で昨年春夏甲子園出て頑張ってるわ 日本映画の全盛期に東映は俳優さんの野球チームを作って映画館の関係者の親睦とファン
へのサービスを兼ねて試合を組んでたフライヤーズを故障で首になった八名さんはコーチ
を兼ねて本社の東映映画に採用された後の名脇役・八名信夫誕生のきっかけになった。 大船渡 21世紀枠の県推薦されず。
金野以来の選抜消滅。 そういえば大阪の浪商はたしか戦前は浪華商と名乗っていたらしいけどいつから浪商になったのですかねえ・・。 そういえば大阪の浪商はたしか戦前は浪華商と名乗っていたらしいけどいつから浪商になったのですかねえ・・。 そういえば大阪の浪商はたしか戦前は浪華商と名乗っていたらしいけどいつから浪商になったのですかねえ・・。 >>918
怪童尾崎を擁した61年は既に浪商でしたね。 浪華商って戦前から不良学校だったんだな。遠くから白いゲートル巻き(浪華商の着こなし)が見えたら逃げたと老人が回想してた。 昭和30年のセンバツで坂崎大明神を擁し、桐生高にサヨナラ勝ちして優勝した時には浪華商だったから、戦後もしばらく浪華商業だったんですね、 大会史をみると、59年選抜までは浪華商で出場しているな。
翌60年夏、尾崎が一年のときには浪商になっていたからその間に改名したのかな。 >>922
どこにでもそういう学校あるんですね。
香川ではイラブが出た高校が
そうですわ こんなしょうもないことばかり言ってたらハリさんの喝っを入れられるぞ >>924
流れから言って、59年と書くより昭和34年と書いた方がいいと思いますけど 年号で、
昭和54年3月21日生まれの
「54321」というのは
今後ないのだろうか。 ・・ないよな 戦後の甲子園大会で凄い投手だったとして語り継がれる人といえば
尾崎、池永、江川ですよね。
自分は江川はリアタイで見てたから分かるし、尾崎は史上最も早いボールを
投げたと言われてるけど、池永って何がそんなに凄かったのでしょう? それでもこの国をたまらなく愛しているから(国家や愚国民という意味ではない) >>930
下関商の池永が春優勝、夏準優勝したのは2年の時だったんだよね。
3年春はセンバツに出たものの初戦で博多工に敗退、夏は甲子園に出ていない。
2年の時がピークで、3年次は”普通以下の”投手になってしまったってことなのか? 下級生のときに活躍した投手はそのときの印象が鮮烈すぎるためか、三年生になると「劣化した」とか、「二年生のときのほうがよかった」という話が必ずと言っていいほど出てしまう。
学年が上がるにつれ、下級生時代以上の活躍を見る側が求めてしまうからなのか、各校のマークがきつくなるからなのか、本人が無心で臨められなくなるからなのか。
荒木や小松、赤嶺などは必ずそう言われてしまうよな。
池永も同じことだと思う。プロに入っていきなり20勝するんだから、高三のとき衰えていたわけがない。
池永は三年の選抜前に右手指を故障して2月〜3月にかけて治療していたと聞く。大会前の調整が不十分だったようだ。博多工業戦はなんと三連続押し出しという信じられない乱れ方をしている。
三年の夏は予選の二回戦でよもやの敗退。相手は全国で準優勝する早靹だった。投手の亀井は中学時代から池永のライバルだったが負け続け、やっと最後の夏に一矢を報いた。 >>933
なるほど
こういう話を聴かせてもらえるからこのスレはありがたいな それを考えると桑田は下級生から劣化しなかった唯一の例みたいな? Y校の三浦も2年春ベスト4から3年春夏は連続準V投手と進化したな >>936
そうかなあ。成績からみればそうなんだが、ボールの威力は二年の春が一番あった気がする。 >>941
78年準決勝PL戦9回裏の西田のタッチアウトが大阪パイアでセーフにされたことをお亡くなりになるまで悔しがっておられた あのときの三塁塁審も腹を切ってお詫びしてほしい 深谷氏というと、76年春の県大会後に杉浦監督が解任されて後任に就任してから78年夏までの時代しか知らない。
深谷氏にとって、あのPL戦は痛恨の一戦だろうな。武藤から黒木への継投策、「私の失敗だった」とがっかりしていた。
あの年の中京は絶対に全国制覇できると思ったが。春は在校生の不祥事で推薦取消し、夏は残酷な逆転負け。ツキがなかったな。
あのとき50歳だったのか。もっと歳をとっていると思った。合掌 >>944
今気付いたけど深谷監督って、昭和29年夏、あの真紅の優勝旗盗難事件が起こったときの中京商の
監督だったんだね。
勿論オレもリアルでは知らない事件だが、深谷氏は優勝旗盗難事件については何も語ってなかったのかな?
近くの中学校の廊下の下に隠されてるのが見つかって一件落着したが、当時の日本高野連の佐伯副理事長が
事件当初「盗難に遭いましたで済むと思ってるのか!バカ者!」と大激怒したらしいけど。 >>940
三浦は2年の選抜後に肩を故障。故障は回復したがスピードは戻らなかったな。
制球力や投球術は向上したんだけどね。 >>949
浪商の広瀬監督と言えば
1979年のセンバツ決勝で
牛島投手に伝令を出したら
牛島投手からの返事が
「投げてんのは俺や!黙ってみてろっ!」
という返事が返ってきたという
あの監督ですね。
(牛島さん自身が明言されているから間違いはないでしょう) 広瀬監督は89歳なんだな。
と言うことは、ドカベンと牛島の時は、
当時、50歳だったと言うこと?
なんか凄いおじいちゃんに見えたが、
結構。若かったんだな。 俺はいつだったか、杉浦中京と小澤倉敷工のセンバツ開幕戦の超打撃戦が懐かしいけどなあ。殆どスコアボードに0が入らなかった気がするんだが、、、。 厳密にいうと金属バット解禁はその前年夏の大会からだね。
原巨人監督が1年生で登場した大会で東海大相模と鹿児島実の
延長死闘があったときだった。 広瀬監督は1953年春に洲本高校を率いて決勝で母校の浪華商を破って優勝したのは有名。
「母校の優勝回数を1回減らしてしまった」と悔やんだとか。しかし情が移って洲本の監督を15年務めた。
その後母校の監督に就任したが、甲子園出場は69年春、74年春、78年春、79年春夏だけと少ないな。 >>955
浪商での甲子園通算勝敗は11勝5敗
牛島香川の79年で8勝、69年に3勝
ちなみに79年選抜を除き負けた試合は完封負けだった そして浪商が茨木から熊取に移転後解雇だっけ?
平成一桁の時代、大阪学院大学の監督もしてなかったっけ? >>956
74年春、初出場の岡崎工業に0-1で負けたのにはおどろいたな。
79年春の初戦の愛知戦の六回に先取点だったが、これは10年ぶりの得点だった。 麻生のおっさんが自演に使用するアカウント(複数端末あるいは投稿代行ツールを使用しての自演もあるので要注意)
麻生
近鉄
ジグー QQ 353359060690529
アウアウカー Sa 182.251.244.XX
福井県出身浜松市在住
出没スレッド
甲子園へ行こうスレ(麻生&近鉄&名無しを併用:固定IDと単発IDを併用して自演)
50歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
30歳以上が甲子園を語るスレ(名無し:固定IDと単発IDを併用して自演)
21世紀枠の有力候補スレ(名無し&ジグー 353359060690529&アウアウカー Sa 182.251.244. :固定IDと単発IDを併用して自演、議論誘導多数、スレ立ても、キーワードは洗濯機、クレヨンしんちゃん)
興行収入を語るスレ 名無し&ジグー 353359060690529&アウアウカー Sa 182.251.244. 平古場(慶應)、広瀬(法政)は浪商の優勝バッテリーで六大学でも活躍したんやもんな。 浪商の淡路時代の場所を知っている人はいませんか?検索しても出てこないです。 淡路3公園、が浪商の位置
「浪商 淡路 グラウンド」でgoogle検索して、
一番上に出てきたブログに詳細な位置検証あり スレ立ておつかれさまです。
浪商も復活は遠いなあ。1961年に怪童尾崎で優勝したのは57年前だが、それ以降の夏の出場は牛島香川の79年の1回だけなんだよな。
それまで常連だったのがそのあとぱたりと出場がとだえたのはほかには桐生もそうだな。 >>966
大体大浪商に学校名が変わってからの甲子園は02年春の一度だけですね。 尾崎って柴田の法政二高を倒して優勝したのはまだ2年生でそのまま中退して
プロ入りしたんだけど、中退せずにいたら翌年の作新学院の史上初の春夏連覇は
なかったかもしれないね。浪商には高田も残っていたし尾崎はプロでも20勝したの
だから。 >>968
68年夏の準優勝投手の新浦も大会直後に中退して巨人入りしてしまった。
新浦が中退していなければ静岡商には藤波もいたし、翌年夏の準々決勝で松山商に負けることはなかったかもしれない。準優勝時の三塁手松島がマウンドを守ったが松山商に1-4と敗退。
もしそうだったらあの松山商対三沢の延長18回はなかったかもしれないな。
まあ浪商は尾崎中退を最後に低迷期に突入してしまった。その翌年にPLが甲子園初出場して大阪の新たな盟主になったのだからなんとも運命的。
ちなみに尾崎は秋の府大会決勝でPLに5-4と勝った直後に中退してしまった。 大リーガーの伸びる豪速球キンブレルを観ると尾崎と似てる。
オーバーハンドとスリークォーターの間ぐらいのところから球が放たれる感じやな。 >>969
高田もそう言っている。
法政二戦、九回表に自らのタイムリーで同点に追いついてからは投球にいちだんと凄みがかかった。
「レフトから見ていてもボールが浮き上がっているのが分かる。あれこそ本当のライザーボールだ。江川なんか問題じゃないですよ」
と83年の雑誌Numberの甲子園特集号で語っている。 >>962 >>963
ありがとうございます。駅前に在ったんですね。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 94日 15時間 8分 25秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。