【独自日程】稲城市役所スレ【東京都】2
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消防でてるね
たぶん消防と同じ試験だろうけどあの試験でこんなに落ちるのか
何点満点なんだろ 消防落ちた…
まぁ、覚悟してたけど
だけど、あれで半分以上も落とすとか、かなり厳しいね… 不合格者にも今日来たよ。・・・・あとちょっとおおおおおおおおおおおおorz 事務ですが、面接は一人何分くらいやるんでしょうね。日数・人数的に、30分といったところでしょうか。 スーツ不可の私服で面接に来いとか。。
服装も適正判断の材料なんだろうか。
やっぱここ変わってる。 消防や保健師が殆ど通過したのを見ると普通にやりゃ大丈夫かな ここの職員、性格悪すぎだろ
公務員って本当に陰湿なんだな 何があったか詳しくは言えないけど嫌みと否定ばかりだった
あと私服面接は奇策でしょ?みたいなことをドヤ顔で言ってたよw 面接で自信喪失した人いますか?
私は出だしつまづいた影響でだいぶ酷い出来だったよ。。。。。
もう落ちるの確定的だから、なんていうか自暴自棄になってます・・ 私も同じく嫌味と否定ばかり言われました。
私も落ちるの確定ですが、通過しても行くか行かないか
かなり迷うレベルです。 厳しい態度で面接するって方針だったとしても感じ悪いよね
結局あの時言われた悪口は面接官の本心だろうし
6ヶ月ついてきたのにゴミみたいな扱いw
迷ってた自治体あったが完全にそっちに気持ちが固まった >>6ヶ月ついてきたのにゴミみたいな扱いw
kwsk 六ヶ月? 同じくここまでかな
他のとこでも似たかんじで試されたけど
一緒にやってこうて気があるほうにする
ゴミ扱いをkwsk 半分削られるんだろうな
例え25人辞退者いて35分の30人通過でも俺は落ちてるんだろうな
(´;ω;`)ブワ 一般事務の合格者数出てるね。
まあ多分落ちてるだろうけど… ほんとだ
てことは明日にはハガキ来るのか
もしかしたら…という希望も明日で断たれるのか 通った!! 民間も含めて個人面接初通過(T_T)! 最終頑張るぞ!! おめでとう
俺はまだハガキ来てない…
ドキドキする >>272
ありがとう!
受かってるといいね!!
形式はいつものハガキだったよ。 >>271
残念だけど最終で落ちるよ。最終で落ちるなら筆記で落ちる方がまだマシだよね >>274
見返すつもりで頑張ります!
落ちても受かっても報告するぜー 都内住みでまだ来ていない人いる?
落ちたの濃厚なんだけど、手紙が来ていないから不安で…。
受かった方には手紙が来ているみたいだけど、落ちた人で
手紙が来ている人はいるのだろうか? 落ちてるけど受かった人と同じ日に来たよ
チラシかなんかに挟まってるんじゃない? 来ていないと思ったら、家族が持ってた。
まあ落ちていました。ただ来年この市役所を
受ける事はないと思う。 稲城市受かった! 今朝速達で来た。 稲城市職員になります。 >>283
おめでとう!
誰か消防でほかに通知来た人いませんか? >>283
早いな!ホームページに合格者人数掲載されていないのに
一般事務? >>285
一般事務
>>286
おめでと! 内定者懇談会でよろしく
>>287
どっちも掲載されてなかった 受かった方は身分証明とか誓約書みたいな書類など入ってましたか?
一応合格と書いてあったんですが、他の市の補欠と同じような文の紙一枚…また補欠かな…w >>294
誓約書とか身元保証書とかいろいろ入ってたよ >>295
ありがとうございます!
家帰ってよくよく見たら連絡書みたいなのもう一枚入ってました。でも誓約書とかはない。。
これは補欠か… 家空けてる間に受かってたンゴwwwww消防だンゴwwwwww 補欠組喜べ
この俺様が辞退してやろうではないか
一応報告まで 稲城、通ったは良いが、筆記で落とされるかもとおもうと、事前課題やる気失せるなあ 事前課題やるの面倒くさいからって別の市受ける人も結構いると思う。あと採用人数少ないしね。 2ちゃんねる専門日経チャート相場師はニートで正しい
一日パソコンにひっついてないともうからない
ニートは相場師で正しい 今更だが、独自日程からB日程になったことについてはあまり話題にならんな。
このご時世だけに、地元優先ってことだろうか。 もう独自日程ってだけで集まってくる有象無象を相手にするのが面倒になったんだろう。
まあこっちから言わせてもらえば、B日程で選ぶほど魅力がある自治体だとも思わないがな。 震災後は、災害時の対応について全国で盛んに議論されてるし、
平常時は、町内会や消防団なんかの地域の担い手が減ってることからも、
少しでも市民の職員が欲しいのは当然だろう。 半強制的に市内に住まされるし、新人は幹部との費用実費で強制参加の飲み会もあるらしいし、落ちても悔いはない 4次試験の結果来た人いる?
まだこないんだが…
次って10月最初の週だろ? >>317
来てないよ。三次の結果も8月30日発表だったし、四次も30日と予想してる。 ここの圧迫面接で落ちるよりは筆記で落ちた方が気持ちが楽だよ
しばらく凹むことになるから 最終の結果来た??
まだ来ないってことは落ちたのかな… まだ来てないよ。選考やその他準備で最短でも一週間はかかると思う。
今週中には届くだろうね。みんなにグッドラック。 先週の土曜日に、定形外封筒で、合格通知が届きました。
辞退者、早期退職者などもいると思うので、まだチャンスはあると思います。
内定者交流会にてお会いできることを楽しみにしております。 今日は予定通り内定懇親会行われたのでしょうか。何人くらいいましたか。 それは夏休みに逗子に行ったときのことでした。夜になって、わたしは海岸沿いの
道を歩いていました。その道は夜になると真っ暗で、大きな木と、切り立った崖の間
を通っていました。その道をぶらぶらと20分ほど歩くと、小さなトンネルがありま
した。歩道がある2車線のトンネルは、少し右にカーブしていました。わたしはその
中に入っていきました。中は電気がついていてとても明るく、これなら何かにつまづ
く心配もないな。と思いながら、入っていきました。しかし、わたしはなぜか不安に
おそわれました。
ゆっくり進んでいくと。後ろから、バイクの音がしました。「ブォーン。バリバリ
バリ、ブォォォーン。」という爆音を奏でながら横を通って遠くに消えていきました。
音だけが。
わたしはエッ?っとおもって、後ろを振り向きました。すると今度は逆の方向から
救急車がきました。「ピーポーピーポー、ぴーぽー、ぴーぽー。」とドップラー効果
を残しながら通り過ぎていきました。
音だけが。
わたしは急いでトンネルを駆け抜けました。たった150mが永遠の長さに感じまし
た。息を切らせながら出口にきたとき、わたしはある看板を目にしました。
「二輪車の死亡事故発生。スピード落とせ。」
あの音はトンネルがおぼえていたのでしょうか?
それとも、通り過ぎていった人の最期の記憶なのでしょうか?
今でもそのトンネルはあのときのことをおぼえているかもしれません。 それはある年の夏休みのことです。わたしは友だちとキャンプにいきました。河原で夕食を食べ、
花火を楽しんだあと、わたしたちはバンガローに向かいました。ちょっとでも多く人が入ると底が
抜けるのではないかな?というほど薄っぺらな床にみんなで座り、あれやこれや話していました。
わたしは座って、ふっと。上を見上げると、だれかがニヤッっと笑っています。「あれ?だれかな?」
とおもいわたしはみんなの顔を見ましたが、今見た顔の人はいませんでした。というか、だれの顔を
わたしがみたのかわたしでもよくわかっていませんでした。
気のせいかな?とおもって談笑の輪にもどりました。話しているうちにそんなことも忘れて、あっと
いう間に時間が過ぎていきました。いったん会話がとぎれ、わたしはふっと上を見上げると、ニヤッ・・
さっきの笑顔です。今度は見間違えじゃないし、はっきりみました。しかしみえた位置が問題です。なに しろ天井の蛍光灯のあたりなのですから、そんな背の高い人は今日のメンバーの中にいません。それにそ
の顔も、わたしの知っている人ではありませんでした。「??」なんだろう。しかしこわいとも思いませ
ん。何しろすごい笑顔なのですから、、、
仕方ないので、心の中で、「楽しんでくれているの?だったらうれしいんだけど、みんなをおどかさな
いでね。」とそのみえた位置に向かっていいました。すると、風が窓からすーっと入ってきて、去ってい
きました。それからはその人の顔を見ることはありませんでした。
あの人はなんだったのでしょう??
11番のバンガローにいつもいて、楽しい声が聞こえてくると聞きに来るのでしょうか?
ある意味今まで一番不可思議な体験だったように思います。 それはわたしがバイクに乗り始めて間もない頃のことでした。丹沢の方にある峠が
あるのですが、そこが比較的近いこともあって、よく走りにいきました。楽しいので
すが、カーブが多く危険なところでもありました。(そこがまた楽しいところなので
すが、、、)
そんなある日、夜にその峠を友だちと登ることにしました。みんなでいくのではじ
めて車でいくことにしました。寒いので暖房をいれながら走り、峠の中腹までさしか
かりました。
すると、後ろからバイクがきて、フルフェイスのヘルメットをこちらに向けて、
「こっからさきはカーブが多いから気を付けろよ。」
と小さな声でいって、先に行ってしまいました。わたしはいい人だね。と友だちに話
しかけようとしました。そのとき、友だちが急に青ざめたのに気がつきました。
「どうしたの?」
ときくと、
「ねぇ。今窓しめてたよね。スピード60kmぐらいだったよね。相手もそれ位出し
ていたよね。」
「うん。」
「なんで今の声が聞こえるの?聞こえるわけないじゃん。」
わたしは全身の血の気が引いていくのがわかりました。もうスピードを出して運転を
することはできなくなりました。 すると、3分ぐらいのぼったところで、下からきた車と上からきたバイクがぶつか
って交通事故になっていました。車はさっきまで前方を走っていた車です。わたした
ちはいそいで救急車を呼ぼうと連絡をしようとしたときです。
「な。あぶないだろ。」
あのバイクの人の声です。でも、バイクも人もいません。わたしはまわりを見回しま
した。すると、隅に小さな花束がそなえられていました。
あの花束はあのバイクの人に手向けられたものだったのでしょうか?
もしあのときスピードを落としてなかったらどうなっていたのでしょう?
わたしたちは、その花束に向かって手を合わせました。サイレンの音が遠くから聞
こえてきました。 私の勤めている病院が移転する時のこと。移転作業も完了に近づいたころ、霊感の強い同僚が、「騒ぎ出した」とぽつり。
彼女によると、病院にいる霊たちが騒いでいるとか。そんな日に限って私は夜勤。嫌だなと思いながらもいつも通り仕事をしていました。
するとナースコールが鳴ったのです。部屋番号を見ると…そこは人がいないはずの部屋。
疑問に思いながら見回りしましたが、もちろんそこには誰もいませんでした。間違ったのかもしれないとナースセンターに戻ると、
今度は「すみません」という声が。「ハイ」と答えた後、私は気づきました。
今、この病院に残っているのは重度の患者さんだけ。ナースセンターまで歩くことはもちろん、
声を出すことさえできない人たちばかりだったのです。私を呼んだのは一体誰だったのでしょうか。 友だちがひとり暮らしをしようと部屋を探していたところ、家賃、立地、間取りすべての希望に合った物件が見つかりました。
あまりの好条件に、「絶対に何か出る」という私の忠告を押し切り、友だちはその部屋を借りたのですが、
やはり妙な気配を感じるようになり、その部屋に住めなくなりました。そこで、知り合いの霊能者の人に相談すると、
「自分の頭の中でその部屋をイメージして、次に部屋の全ての窓を開けて」、次に「窓を全部閉めて」、今度は「開けて」と指示。
そして、「部屋で誰かに会わなかった?」と尋ねました。もし、誰かに会っていたら、そこには「何かがいる」と言うのです。
すると、友だちは「部屋の中では会わなかったけど、窓を開けた時、外に無数の子供が居て、こちらを見ていた」と言うのです。 私が出版社に入社して間もない頃の話です。仕事柄、みんな徹夜が多かったのですが、その日は私だけが徹夜でした。
仮眠を取るため会議室のソファで横になっていると、外で人が走る音がしました。会議室のドアは下の方がガラス張りなので、
ふと目をやると赤いハイヒールが見えました。おかしいなと思いながらも、編集部の誰かが忘れ物を取りにきたのかなと思いそのまま寝てしまったのです。
そして数日後、先輩の話を聞いて震えあがりました。
なんと、うちの会社では心霊現象があるらしく、それは、下半身だけが走るというもので、それを見た人は、必ず下半身に怪我をするというのです。
私にも何か悪いことが起きてしまうのでしょうか…。怖くてたまりません。 会社の人から聞いた話です。彼女の義兄さんが亡くなったのですが、1人暮らしで孤独死でした。
彼女もご主人と一緒に義兄さんのお墓参りをしていたのですが、ちょっと忙しくなり、あまり行けなくなってしまったのです。
そんなある日、ご主人の携帯が壊れてしまい、すべてのデータが消えてしまったのです。
待受に何か画像が欲しいというので、彼女は以前旅行の時に撮った写真を送ったのです。すると、旅行の写真以外にもう1枚写真が送られてきたというのです。
それは、義兄が眠るお墓の写真…。彼女が持っているはずのない写真でした。きっと、義兄が寂しかったのだと彼女は話していました。 僕の会社の先輩がタイに旅行に行った時の話です。
先輩はよくタイには遊びに行くらしく、
ツアーでは物足りず観光客が誰も行かないような田舎町などに赴いては現地の人と仲良くなり、
ますますタイの魅力に取り付かれていったようでした。
タイを満喫して帰国後、早速撮り溜めた写真を現像し、
アルバムに収めて友達や会社の同僚にタイのお土産話を聞かせるのももはや恒例となっていました。
いつものようにタイから帰国して日焼けした先輩のお土産話を聞かされる僕。
正直飽きてました。 すると
「こんな人いたっけ?」
と先輩。
いかがなさいました?と聞くと
「この写真、俺一人で撮ったはずなんだけど」
見ると田んぼをバックに笑顔で写る先輩の写真が。
その10メートルほど後ろに現地の人と思われる女性が写っていました。
「誰もいないとこで撮ったはずなんだけどな......」
その時は大して気にも止めずにそのアルバムは押し入れにしまったそうです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています