昭和のパリーグの古い野球場でも西宮球場はトイレの数が非常に多くて、行きやすい位置にあった。
これは、かつての大阪球場、日生球場、藤井寺球場と比較してもトイレの数が多くて、比較的清潔に保たれていた。

西宮球場は阪急がオリックスに身売りされてからも、しばらくは公式戦の本拠地や阪神の主催試合が開催されていたが
観客席から野球場のグラウンドの観戦は良い角度に保たれていて、グラウンドに近い座席だと選手の表情が窺い知れることが出来た。

西宮球場はプロ野球以外にも競輪も開催開催されていた。
西宮球場競輪開催の最終日は日韓ワールドカップサッカー開催の2002年3月の初めの雨と曇りが交錯する日曜日だった。
確か、発表では4万人以上の観客が入り大混雑だったが、最後には西宮市長の言葉で締めくくった。

西宮球場の最後の観客開催行事は同じく日韓ワールドカップサッカー開催の2002年8月のSMAPの野外コンサートだった。
開催終了翌日からは一気に解体工事が始まって、閉鎖日当日からは高い防護柵で仕切られた。

今では、阪急西宮ガーデンズと言う大型商業施設に生まれ変わり、跡形も無い。
阪急ブレーブスが日本一を西宮球場で達成したのは1975年・昭和50年の一度だけであった。

一方で、阪神タイガースも同じ西宮市の甲子園球場に有る。
リーグ優勝は21世紀以降は星野監督と岡田監督の時代に達成したが、甲子園球場で阪神タイガースは日本一を達成していない。