【坂田】昭和の囲碁界について語るスレ【高川】
>>179
特に誰というわけではないけど、
名誉タイトル持ってない人、失速した人、品行が良いとは言えない人とか。
まだも何も,「として」って仮定だし…w
大竹、林、石田あたりか?? このとき
依田は5段
張は3歳
この年、趙治勲は藤沢秀行から3連敗4連勝で棋聖位を獲得して初の大三冠を達成した。
が、すぐに林海峰に3連勝4連敗で本因坊位を失っている。 しかしこうして見ると、改めて木谷一門って凄いな。
木谷道場がなかったらどうなってたんだろうな。
90年代まで林海峰一強時代が続いて、たまにおこぼれで
淡路とか山城が十段とか碁聖を取ってたくらいか。 石田がいなければ10年ぐらいは林時代だったと思うよ。実際この時期
はタイトルを取られてもすぐ翌年挑戦するぐらい他の棋士と差があった。
ただ石田には連敗し続けていたので名誉名人、本因坊になれなかったの
だが。木谷一門が無ければ藤沢(秀)や坂田もさらに獲得タイトル数が
増えてただろうね。石田以降層が厚くなって呉や坂田のような飛びぬけ
た存在はでなくなった。最近はまた層が薄くなりつつある気がする。 時期 厚薄 飛びぬけた存在
石田以前 (薄?) 呉・坂田
石田以降 層が厚くなった 不在
最近 層が薄い (存在?)
>186 層と厚薄識別がよくわからん / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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|:::::::::: (●) (●) | ワシは薄くないぞ?
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ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ 今、高川さんがNHKに出てたよ 1963年の映像
パチンコが好きだったんだね 高川先生の碁を並べると本当に一間飛びに悪手なしって
感じだし分かりやすいね
ってか、本当に一間飛びが多い… 一間飛びは形が良いし堅いけど足が遅く感じるんだよなぁ。
高川センセの場合は、多分ここで一間に飛ぶだろうなって
みんなに読まれてたんじゃね?
お手本碁として?
局所的な美しさではやっぱり大竹だとおもうの。
それは間違いないね。
さすが美学の大竹ですよ。
岩本先生も個人的には好きだなあ。
昔の人はけっこう力戦派が多いので好きですね。
戦いのときに力を発揮する碁型というのを作ろうとしている気がする。 そして、タメて打つのが日本の伝統芸みたいになっちょる。
高川の碁は合理性の美しさ、大竹のはそれを通り越したちょっとフェチっぽい美学かなw 呉清源の来日が昭和三年なんですね
ちょうど80年前のことです
ちなみにその10年後の昭和十三年に名人引退碁が行なわれました
70年前です 高川秀格の絶筆
オール読物1987年2月号
痛み止めの注射をうち、意識とからだが少しは平静にもどったときなど、新聞に目を通す。ここ数年、碁の仕事はほとんどやってないが、囲碁欄にどうしても目がいくのは、やはり習い性というものか。
(中略)
碁の国際化時代を迎えて、進歩のスピードはさらに早まることだろう。喜ばしいかぎりである。いまの若い人たちは、何と幸せなことか。
碁打ちが河原乞食の同類のごとく考えられた時代は、そんなに昔のことではない。いまは、河原乞食という言葉自体、意味をなくしてしまった。若い諸君は、この幸せな時代を満喫して、大いに前進したまえ。 高川の碁の強さって何ですか?
詳しい人教えてくださいな。 当時の書評とかみると、はっきりと理論を軸に打つ人という特徴があったみたい。
いまでは当たり前の考え方なのだろうけど先駆者だったのだろう。
棋風は、地より厚みを好み、だけど強烈に攻めるようなことはせず、
厚みの効果がヨセの段階までじっくりじわじわ浸透していくような穏やか打ち方で
部分より全局的なバランスを非常に重視する。
並べてみると奇抜な手もなく実に基本的なお手本のような碁で、それゆえ我々アマにとっては
なぜあんなに強いのか得体の知れない部分もある。当時もそんな見方があったらしい。
「私は世間で思われているほど弱くは無い」と全盛期に言ったとか言わないとか・・・・・
実利派と厚み派の違いはあるけどたぶん全盛期の石田のように形勢判断に敏感で
早々と終局図が見えるタイプだったんじゃないかな。
ただ、ピークを過ぎた頃、コミが変わって黒に厳しくなったことから、それまでの穏やかな棋風を
180度転換して黒番では激しく戦う人になった。
昭和囲碁風雲録には、ヨセが強かったと書いてあった。
互角かややよしでヨセに突入すればほぼ勝てるとか。 >>202
とても分かりやすい説明、どうもありがとう。
今の大ゴミ時代に生きていたら、白番はすごく強そうですね。
地味な手が多く、ヨセに強いという意味では、棋風は、イーチャンホをイメージすればいいのかな。
ただ、チャンホは地に辛いので、布石は違うんでしょうね。
そういえば高川は今の基本布石事典の前身である布石事典の編者だね。
布石の評価も高かった気がする。 >>200
小さい泉美ちゃんかわええ
もしかして泉の字は清源先生の本名から取ったのかな >>206
ああ、そういうことはあるかもしれないね。
木谷実先生と呉清源先生の親交も深かったようだし。 坂田を知るには坂田関連本以外では「秀格烏鷺うろ話」がよい
坂田一代は読んだよ。
栄寿は朝鮮系ではないかと小生は思っています。
坂田先生は偉大な棋士だよ。 大田区出身なら別に朝鮮系じゃないじゃん
荒川区とか生野区なら疑うが 坂田三吉先生様、安らかにお眠りください。(^人^) 中学の時イケてないグループに属していたみなさんが一番お気に入りの坂田局をおしえてください
>>211
池田大作先生のコピペで大田区に朝鮮人部落が
あったと書かれていたような。
小生は坂田先生が朝鮮系であろうがなかろうが
偉大な棋士としてリスペクトしますよ。
増淵先生の道場でカレーライスが振る舞われるのを楽しみに
坂田少年は修行した。
坂田少年が入門した頃、増淵先生は人気があって高額納税者だった。
将棋の歌はあるけど、囲碁の歌はないよね。
将棋なら王将とか内藤先生のおゆきを歌えばいい。
秀芳は本当にのどに自信があるなら、囲碁の演歌を
吹き込むべき。 >>219
たしかレコード出してるぞ。
プロの演歌歌手でもある。
秀芳が演歌???
ウィスキー片手にギターを抱えていた人だよ? 囲碁の歌ってイメージわかないね
多国籍過ぎて
あえて出すとしたらクラシックの歌曲かな >>225
某宇宙流の人のデュエットはカラオケにもあるぞ 日本野球連盟は13日、ことしの社会人ベストナインを発表し、都市対抗大会と日本選手権で準優勝のJR九州から浜野雅慎投手ら最多の4人が選出された。外野手で1度受賞した指名打者の池辺啓二(JX―ENEOS)を除いて初受賞。
今回から個人記録の表彰も始まり、首位打者賞は打率4割4分2厘の落合成紀(JFE東日本)、最多打点賞は17打点の北道貢(NTT東日本)、最多勝利投手賞は10勝を挙げた浜野、最優秀防御率賞は0・73で藤田卓史(東芝)が選ばれた。最多本塁打賞は該当者なし。
投手 浜野雅慎
捕手 中野滋樹(JR九州)
一塁手 的場寛一(トヨタ自動車)
二塁手 佐藤二朗(ヤマハ)
三塁手 坂田篤彦(トヨタ自動車)
遊撃手 田中マルシオ敬三(JR九州)
外野手 北道貢、藤島琢哉(JR九州) 松永隆太(東芝)
指名打者 池辺啓二
三塁手 坂田 篤彦(27)トヨタ自動車・初
<選考理由>坂田(トヨタ自動車)、宮沢(JX―ENEOS)、嶋岡(ヤマハ)の3人の争い。宮沢の日本選手権での活躍を推す声を、坂田の2大大会での安定した働きを評価する声が上回った。 >>229
この坂田って、二十三世本因坊と縁戚関係でもあるの? 大平修三九段という人はどの程度の人だったんですか?
日本棋院選手権戦での実績は大したものだと思うけど。 >>231
映画化されたり唄になったりしてるのは
囲碁将棋を通じて三吉だけだろ 大平さんは昭和一桁生まれの中では実績No1ではないかな。
戦争がなければもっと、、、ということもあるし、坂田・秀行の世代と竹林以降の世代に挟まれてしまった。
剛腕というところでも人気があったかも。 >>235
その世代は大平さんと橋本昌二さんしかいないね。
戦争のせいで子供に囲碁をさせる人が少なかったんだと思う。 碁ワールド11月号の梶原の記事やYouTubeに上がってる動画には大平のいい人さが滲み出てると思う。 秀行の映画化が進んでいたが、監督が急死したため、実現しなかったな。
大平先生が亡くなった時に、秋山さんか誰かが
碁ワールドに追悼記事を書いていたね。
なんかね、晩年にはシチョウが読めなくなって
泣いていたみたいな記事だったような…。
トーナメントプロではなくて、囲碁の普及のために
日本棋院が認めたレッスンプロを地方棋士と
呼ぶんだよ。
大平先生の親父さんは、たしか賭け碁で大負けして、
後に院生時代?低段の頃?の大平先生が敵を
討ったんだよね。まぁ、これは時効の話。 安永一ってマルクス主義者だったみたいだね。まあ当時の流行だけど。 坂田栄男と大山康晴は日本の歴史の教科書に載せるべきだ。 碁・将棋と絵画の家元では禄高が大差なので、歴史上の扱いが違うのも仕方ない。 今では忘れられつつある昭和の名棋士といえば、
山部俊郎、杉内雅男、岩田達明、大平修三、
すこし時代が下がって高木祥一、石田章。
関西棋院では、半田道玄、窪内秀知。
この辺でしょう。 >>251
ビッグタイトル取らなかったのにずっと忘れられない梶原先生最強だね。 宮下はキミオほど実績を挙げていないが、>>251の棋士の中から外されて
いるのはかわいそう。 宮下はタイトル5、キミオは6。当時の棋戦の数から言えば宮下が上だろ。 宮下は少なくとも251の面々より格上な気がする(大平除く)。 大平はなぜか名人、本因坊のリーグで活躍できなかった。
山部や杉内はリーグ常連だったのにね。 大平さんはリーグ入りは何度かしてるけど挑戦までは行かなかった。昭和一桁としては希有な活躍ではあったが、 戦後三羽ガラスは秀行、梶原、山部。
新戦後三羽ガラスは大平、加田、加納。
みんな亡くなった。 「芸の探究シリーズ」が秀行、大平、朋斎、梶原、山部という謎の人選。 >>268
秀行は出版された頃まだ棋聖戦の活躍はなかったし、
スター的な人を外した結構しぶい人選じゃね? >>268
今はそういう本がないのが残念。
例えば王立誠や王メーエンや小林覚の打碁集を出してほしい。 7、8年ぐらい前に囲碁文庫で凄い打碁集シリーズがあったけどね。
たしか、片岡、山城、工藤、宮沢あたり。
嬉しかったが宮沢とかもはや採算考えてねえだろ。 昭和戦前生まれだと、林・大竹・橋本昌は文句なしに一流。
これ以外に、大平、加田、工藤、高木、石田章、
羽根父、東野、本田といたが、
大平は日本棋院選手権戦の活躍から、加田以下より
抜きんでている。それ以外だと、工藤、羽根父はタイトル
経験あるし、本田がNHKで優勝した上名人リーグに
長くいたか、工藤、羽根、本田は一流といえるんじゃないかな。 リーグ未経験棋士で史上最強は苑田で満場一致だろうか。
苑田ほど番碁経験がありながらリーグ未経験というのは異常な気がするが。 本筋から外れた質問で申し訳ないのだが。
昔のタイトル戦の会場がわかるサイト又は資料があれば教えてください。 山部俊郎が高川格に対して本因坊(高川)のパンチではハエも殺せないって言った言わないで棋聖戦スレで揉めてるんだが…。昭和の囲碁界スレで話して欲しいね。 山部の正確な発言はあのスレに書いてあるとおりだけど、ハエも殺せないを最初に言ったのが
誰かはわからんね。〜と言われているみたいなことを新聞か何かが書いたのが発端だとは思う。 >>278
山部俊郎は優しかったって治勲が言ってたな。ほんとにそんなこと言ったの? 高川は過小評価されていると思う。
タイトル取った実績は秀行より上のはずだ。 >>280
秀行自身は、高川の実績を評価しているよ。
「本因坊9連覇は、呉さんの十番碁の実績に匹敵する」って。
ソースは岩波新書の秀行の本。