信長の野望で過大、過小評価されている武将スレ19
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源義経
政治33 戦闘96 采配98 智謀55
(1159〜1189)源頼朝の弟。平氏討伐で活躍し、鎌倉幕府の成立に貢献する。
武功を立てすぎたため、義経の台頭を恐れた頼朝に追討を受けて、逃亡先の奥州で自害した。
源頼朝
政治92 戦闘68 采配72 智謀89
(1147〜1199)源氏の棟梁。伊豆で兵を挙げ、弟・義経らの力を借りて平氏を討ち滅ぼす。
征夷大将軍に任じられて鎌倉幕府を開き、日本初の武家政権を樹立した。
烈風伝諸王の戦いより
義経は他にも出てるけど
頼朝はあんまり出てこないな
諸王の戦い、北条氏はみんな微妙能力だな >>377
なんとなくわかる気がするw
>>379>>383
ありがとうございます
幕府を開いたのに三英傑よりは扱い悪いですなあ まあ頼朝は戦争は弟任せだったからしゃーないんじゃない
その分知略政治はチート級でいいと思うが
>>384
姉の政子の影に隠れてるけど一番狡猾なやり手だよね 子の代でポシャるような政権しか作れなかったのに政治チートは無いわ >>388
頼家と実朝のどちらに付くかは比企と北条の争いもあるからしょうがない部分だけどな
そこからさらに三浦の野郎が公暁を唆して義時もろとも実朝を殺して自分の天下を狙おうとするのは頼朝の預かり知らぬ所 レジェンド枠はプラス20査定
秀吉は子なし一門いない縁者は近いほどチンカスってのがな 信長の野望だとプギャーだけど源平ではエースの畠山さん >>384
KOEI「雑魚だぞ」
烈風伝では
北条義時
政治79 戦闘56 采配62 智謀82
北条泰時
政治84 戦闘54 采配66 智謀71
北条時宗
政治67 戦闘83 采配75 智謀58
参考後北条
北条氏康
政治97 戦闘70 采配95 智謀88
政治100は羽柴秀吉、耶律楚材、カエサル >>394
重忠は坂東平氏の顔役の一人ってだけで武功はそこまで煌びやかじゃないけどな
野望の畠山は義総がいるからそこまでプギャーにはならんよ
紀伊の連中が中小国人の雑賀が代表面して国持ち扱いにならないのはギャグだが 実休を討ち取った畠山高政が国持ち大名じゃないとか普通に考えたらギャグもいいところなんだけどなw むしろ畠山高政は実休討ち取ったの一本槍で過小だ過小だ騒ぐやつの方が多くないか
高政時代の畠山尾州家が河内・紀伊・大和に対して行使できる影響力なんて名目的部分も多い
なにかと騒がしいので紀伊で静養されてはと体よく河内を追い払われて
都会風吹かして当主気取りだと紀伊衆に煙たがられて河内に突っ返される状態がもう何代も続いてるような一族なのに
大物崩れにおける赤松晴政程度の功績だって久米田の件に関してはコーエーは判断してるんじゃないの 能力面だと高政は高くなくてもいいんだよ
勢力として雑賀党(しかも鈴木が代表)の方が上に置かれているのがアレなだけで 鈴木は最終的には織田恭順派なのにずっと反織田扱いなのはもう変わらないんだろうな
剣豪将軍とかと一緒でそういうキャラだから 畠山も創造PKからは国持ち大名に復帰したよ
河内で1城もってるし 傭兵稼業以外も色々やってた雑賀根来と義輝を比較するのは違う気がする 河内
高屋城、若江城、飯盛山城
どれを本城にすればいいんだ 実休討ち取ったあとに義興にコテンパンにされた挙げ句部下も多数討死するのがダサすぎる そもそも河内畠山の活躍って1500以前に戻らないといけないんじゃ ここで大友義鑑・義鎮・義統と接点のない府内城(府内館)が登場だよ! そもそも平姓畠山と源姓畠山は別物なんだけどね
前者の末裔名乗ってるのは薩摩の中馬さんとか東北の豊島さんとかいるから
畠山重忠(実際の武功の軽重はさておき)の子孫というくくりで語るならあっちだと思った 先代のスネ夫の声優の肝付兼太は肝付氏の子孫
これ豆な 弟を殺した兼続に組み敷かれる御南さま(*´Д`)ハァハァ 最近は歴史研究が一転攻勢して、MTNGHSひでやKBYKWひでAKを再評価する向きが強いですね…
やっぱりみんなひでのことがすきなんだね(暗黒微笑) 松永は実は梟雄じゃない!というのはいいんだが忠臣とまで言われるともにょる
梟雄と忠臣の二択しかないんかい 地図見てて肝付が市じゃなくて町だったのを見て「あっ(察し」な気分になる。 肝付氏のwikipedia見てるけど
ちょっとしか書かれてないね
元々は平安時代に薩摩掾で来て
いつ間にか戦国大名化してたんだ
ところで大隅半島は薩摩じゃなく大隅国なのに
いつの間に大隅に来てたんだろ
本家は台風で滅んだとか悲しいな
新納忠秀の長男である甚右衛門兼康が肝付継いだけど
血縁関係はあったのかな?
斎藤道三や山県昌景みたいに名前だけ継いだのかな? 78 90 76 63 67
大志の水野勝成強すぎて笑うわ
徳川家臣だけで比べても四天王に次ぐレベルの高能力 >>429
なら大志の能力でも過小評価か
全能力プラス10くらいしなきゃ 戦国最強は流石にいいすぎ(最DQNならわかるw)
武力90あっても良い武将ではある 水野勝成とか劣化版福島正則だろ
もし正則と鉢合わせたら失禁して蝦夷まで逃亡してるよ 匹夫の勇だよね
戦国最強謳うなら謙信の車懸とか家久の釣り野伏せみたいな誰も真似出来ないオンリーワンが欲しい 水野くんは地元の町おこし武将枠だから
長野業正と同じ 諸国を放浪してて召し抱えられたら戦でむちゃくちゃ使えるけど、しばらくしたら出奔していなくなるっていう特性にしたら面白そう
すぐ出奔しちゃうけど謀叛はおこさないから義理1では表現できない 斎藤義竜は概ね満足できるようになった
三国志の皇甫嵩や黄祖みたいに
ジワジワ上方修正されていったよね 斎藤義龍って大志じゃ普通に過小の部類じゃない?
上に上がってた肝付兼続も過小だろう >>437
三国志Xで華陀とか管輅が訪ねてくるのを思い出す 信長が少年時代「うつけ者」とされた時期の事が描かれている信長公記首巻(そもそも首巻は信長公記の中で最も信頼の低い巻で、
太田牛一の作ではない可能性すら有る)の中でさえ、信長は服装や町中での振舞が問題視されていても、軍事技術や技能の習得に非常に熱心な若者として描かれ決して暗愚ではない 信長などを代表に「バカのフリをして世間を油断させ云々」なんて逸話がよくありますが、少なくとも日本は近世前期くらいまでは
「バカだと無用の混乱起こすから廃嫡改易するわ」という世界で「アレも出来ますコレも出来ます」じゃないと生き残れませんでした。ああいうのは楚の荘王の逸話の改変ですね 徳川家康も明らかに「舐められたら殺す」の系譜に居る人ですねー。だからこそ信長も秀吉も、家康への対応は非常に丁重で慎重だった。隠忍自重イメージはやはり家康の実像から遠ざけちゃうと思う。 秀吉が無敗を誇った時に家康が「小牧長久手」と突っ込んだなんて逸話もありますし、孕石主水の話も「舐められたらコロす」系の逸話として解釈するべきでしょうし。 >>442
・1巻〜15巻は1冊1年ペースの編年体なのに、首巻(0巻)は信長生誕の1534年〜1567年の34年間の出来事を1冊でまとめてある。その上編年体でもない。
・1巻〜15巻には太田牛一(筆者)の事は一回も出てこないのに、0巻では何故か熱い自分語り。弓の名手で信長に褒美を貰うほど優秀な足軽やったんやで〜等
・他の史料から牛一は斯波氏家臣であったこと、筆跡鑑定から1569年〜1582年の間に丹羽長秀に事務方として仕えていたことが判明。若いころから信長に仕えた足軽だったんやでという0巻の記述と矛盾
・そもそも牛一自信が信長公記は信長の15年間の事跡を書いた15冊の本やでと別の本で書いてる(その後に0巻を書き加えた可能性がないわけではないが)
・0巻部分は牛一自筆のものが見つかっていない
信長公記首巻「桶狭間は1553年の出来事やで〜。今川は4万5千、織田は2千だったんやで〜」
こんな史料どこに見る価値があるんや 江戸初期くらいまでの逸話を見ると、神君史観という以上に、家康が非常に気の強い人物であると認識されていた雰囲気を感じちゃいますね >>442
いい話悪い話まとめ管理人のツイート丸々コピペして何がしたいんだ 首巻は史料としてはかなり微妙だがそれ言っちゃうと軍記物とかほぼ全否定だからな
ああいうの殆どが江戸時代に作られてるし中には藩祖のステマが酷い作品とかある。
「信長公記の首巻は見る価値ない」というのは「江戸時代に作られた軍記や資料は全部ノーカン」というのと同じ >>450
そこは他の資料と照らしあわせて、ね
甲陽軍鑑も同時代史料での裏づけができる部分も多いから見るべき所もある、という扱いだし >>446
太田牛一が書いてない説があるってこと?ほんとに?「最近の研究」って研究者の勇み足のこともあるからにわかに信じがたいんだが
これ由々しき事態やな ただの枕詞じゃねーの?
俺が突然言い出した事でも「最近の研究では明智光秀はコーヒー党だが信長に紅茶を飲めと強要されたのが本能寺の変の真相」みたいな >>438
群雄 83 73
風雲 86 70
覇王 88 84 71 65
天翔 84 67 70
将星 88 76 65
烈風 81 75 69 60
嵐世 78 62 52
蒼天 81 67 55
天下 81 67 54
革新 91 93 75 60
天道 91 93 75 60
創造 78 80 69 59
大志 77 76 69 58 65
少なくとも上方修正では無いね 群雄 83 73
風雲 86 70
覇王 88 84 71 65
天翔 84 67 70
将星 88 76 65
烈風 81 75 69 60
嵐世 78 62 52
蒼天 81 67 55
天下 81 67 54
革新 91 93 75 60
天道 91 93 75 60
創造 78 80 69 59
大志 77 76 69 58 65
こうだな 義龍は国人の支持をとりつけて道三を討った手腕を知略80位にして他の能力はそんなもんじゃない?
反信長勢力を支援しながら信長にいいように潰されてるし浅井の北近江にちょこっと進攻してすぐ帰ってるし
別伝の乱や長井道利との反目を考えると内政もそんなもんじゃないかな >>456
むしろ病気で死ぬまで信長が良いようにやられてるじゃん >>458
信長が尾張の反信長勢力、今川、松平と戦い続けて
松平と手打ちしてようやく美濃に目を向けた時にはもう義龍死んでるんだけど 別伝の乱は義龍が朝廷、幕府の支持を取り付けて快川側が追い詰められてたし永井の離反はもう否定されてるし
近江侵攻にしても佐和山付近まで進出して浅井軍を破ったりしてるから
義龍の存在で美濃に手が出せなかったってのは信長研究の谷口氏も指摘してる さすがにここまで弱いとちょっとな
寿命も長くないんだし… 義龍の話になると戦国版で言い合ってる人が毎回来るな >>460
六角とやりあってる浅井の隙突いただけじゃん
せめて佐和山落としていけよ
六角は浅井が美濃に侵入中に佐和山城落としたぞ
別伝の乱で武田との関係悪化してるし武田は長井に接触したようだし(戦国遺文武田氏編902の年未詳6月17日付信玄書状)
長井が義龍から離反して武田についたと言ってるのは柴辻小笠原の論文にあるよ >>463
その論文の永井離反の参考文献は横山氏の研究では?
横山氏はその史料は永井離反のものでなく、訂正してるよ
別伝の乱によって武田との関係が悪化したとは一体どの研究史によるものだい? >>464
逆に聞くが、谷口横山の論文を引用してる人はいるの?
その二人が言ってるだけでまだ誰も正しいともおかしいとも言ってないんじゃないか?
第三者の意見がなければまだグレーじゃないか?
新しい説とはそういうものだろ、大勢の人間の検証があって初めて正否が評価される それら論文の永井離反の参考文献は横山氏の研究ではないの?と聞いてるんだが 長井の離反は
戦国遺文武田氏編902の年未詳6月17日付信玄書状を何年と解釈するかという問題なんだけど、
横山氏の61年説採用してる学者は俺は知らないが 横山氏は長井は離反してないと改めてるが
そっちの説には学者は誰も賛成していないんじゃないか、今の所は その論文の参考文献は横山氏の訂正前の研究ということで良いわけね? >>472
長井が離反してない根拠は出せないと
誰も賛同してないからな
まずは戦国遺文武田氏編902の年未詳6月17日付信玄書状を読んでこい
横山はどうでもいい 提唱者によって離反した説が訂正されたのだから離反した事実がもう無いのだが
離反があったとする主張するのならば、あったと主張する側が根拠を示さないとならないわけだが >>474
根拠は戦国遺文武田氏編902の年未詳6月17日付信玄書状だ
はよ読んでこい その史料を根拠にして横山氏は永井離反を述べていた訳なんだけど
だけどその史料が永井が義龍に対応したものでなく、信長の侵攻に対応したものと訂正したからその史料はもう根拠として使えない 見てみろ俺たちはいつだって戦争を求めてしまうのだ本当は戦いたくて戦いたくて仕方がないのだ なおその説を支持する学者はいない模様
よく出てきては消える新説レベルだな、今の所は >>478
永井離反を立証する根拠が全く無くなってしまったね >>428
天翔 63 33 50
嵐世 66 45 48
天下 67 42 56
革新 67 72 67 32
天道 67 72 57 32
創造 39 67 57 40
立志 78 81 69 64
大志 78 90 76 63 67
今までが低すぎたんだ… >>480
今見たら革新とか全然悪くない能力
いつも徳川から解雇されて浪人してたの覚えてるが、それはそれでイメージ通りではあるw
ただ創造の統率は何があったんだって感じ 道三・・・有能で長命
義龍・・・有能だけど短命
龍興・・・無能で短命
昔の事典にあったけどきれいにオチがついてて好き ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています