王沖 オウチュウ  (生没年不詳)

益州広漢郡の人。蜀漢の牙門将軍。江州督の李厳のもとに所属したが、
李厳から憎まれて罪を恐れて魏に降伏した。魏では彼を冀州の楽陵太守に任じる。
225年頃、王沖が南から孟達を訪問した際に
「諸葛亮は孟達の妻子を誅そうとしたが、劉備に止められて果たせなかった」と
虚言を語ったが、孟達に「諸葛亮は公平であるゆえ間違いだろう」と否定された。