>>383 つづき


例えば、「身体」の時代は
ピラミッドのような物理的物質が発展し、
「政治」の時代には古代ローマのような政治性が発展し、
「経済」の時代には、これは現在ですが、技術・金融が発展する。

また、中心付近は「聖」で精神的なものが発展し、(聖書など)
中心から離れてるところでは「俗」で文明的なものが発展する。
(建造物、法・統治機構、技術・市場など)

この程度の例では、ほとんど具体性はないわけですけど、
「体系性」なるものが、おぼろげながら見えてきますね。


もっと結論的なことを言うと、
「歴史の中心」が存在しなかったら、
「天国(具体的には新天新地)」
というのはありえないじゃないですか。

歴史が数直線状に「左から右へ」というようなものならば、
それ「目的地」がわからないでしょ。
まさに、「ミッション」が不明の状態ですね。

もちろん、事実は「中心は存在する」わけですね。
そして、それはイエス・キリストであるわけですけど。

これは単なる事実であって、
認めなかったら地獄に行ってもらうわけですよ。

それに関しては「どうぞ、ご自由に」という他ないね。