>>943 つづき


重要なのは、これはあらゆる分野で起きている。

例えば、テレビなんかも、「〜時間スペシャル」とかやってるのは、
内容を薄めてるわけですよね。
つまり、緩和なんですよ。

もちろん、これは客観的にわかる話ですけど、
そうでなくても、「内容の面白さ」の基準も緩和されている。

これも客観的でわかりやすい例を挙げれば、
昔はプロ野球中継が、毎日、視聴率20%くらい取っていて、
しかも、見てる人は「本気」で見てたんですよ。
「手に汗握る」というやつですね。

今は、たいがい、「スマホ片手」的な状態でしょう。
「緩和」されているわけです。

それこそ、ヒカルとか見ると、「緩和の果て」(笑)という感がある。

この「緩和」というのは、
「タバコがないから、灰皿の吸い殻をもう一度吸おう」とか、(シケモク)
「茶がないので、使ったティーバッグをもう一度使おう」とか、(出がらし)
そういう動機と同じです。
(つづく)