【市場主義】 熊五郎スレ25 【現金給付】
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>>40
アドラーかと思ったらアドラーですらないと言う話だぞあれは
現にアドラー学会からは異端視されている
仏教で例えると創価学会みたいなもので、
売れまくってはいるけどアドラーとは別物だ
そもそも前提としてアドラーって決定論だからね
未来は決まっているけどそれでも清く正しく生きる事の素晴らしさを
説く系譜の人たちで7つの習慣もその流れから来ている
岸見一郎のはイデア論を目的論に巧妙にすり替えている
よーく読むと分かるよ、決定論ではなくイデア論になっているのがね それどころか熊五郎はアドラーは好きだと思うぞ
自由なんてものは飾りなんですよ、どうせ未来がどうなるのかなんて
決まっているんですからね、と言うスタンスの人には相性が良い >>42
>>43
どっちにしろ、「割り切り」と「開き直り」がポイントで、
「アドラーと岸見の区別」には興味ないな。
そういう意味では、創価学会も間違いなく仏教的で、
あまり区別の必要はない。
「割り切り」、「開き直り」、「決定論」というあたり、
いかにもプロテスタンティズムですね。
だから、アドラーはアメリカに移住したわけですよ。
重要なのは、この「割り切り」、「開き直り」というのは、
「いきなり死ぬ」(笑)ということだね。
この「割り切り」、「開き直り」というのは、
「中心を見失う」(すなわち、「神を見失う」)
ということなんだけど、ここを全く見なくなると、
もう、いきなり終わるわけですよね。
それは、もう、閉店セールが始まってるような状態なんですよ。
「苦しくても、そこを見失ってはいけない」
というのを見失ってしまっている。
「葬式で誉められるのが大事」と言われて、
「それ、何かおかしいぞ」と思えなくなったら、
そこから先は終わるのは早いよ。 >>44 追加
さらに言えば、「イデア論」というのが、
左翼的、カトリック的なものに相当している。
この要素がないと日本では売れないし、
岸見一郎は京大で哲学史だのやってて
大学で講師やってたようなやつなわけで、
それは「イデア論」っぽくもなるよ。
その点、アドラーは臨床医(精神科)だったわけでしょ。
で、アメリカですからね。
ただ、どっちにしろ間違ってるわけで、
その区別はできた方がいいだろうが、大した話ではない。
左翼にとっての「プロテスタンティズム入門」(笑)みたいな
ところがありますよね。
だから、神保哲生・宮台真司の番組の
ゲストに呼ばれるわけですよ。
その点、フロイトはアメリカは完全拒否なわけですよね。
そう、そういう意味では、「哲学者」(笑)には、
アメリカは厳しいよ。
日本の大学で教員やってたやつが、
カリフォルニアの大学行ったけど、
「半袖、半ズボン、アメフト部」の学生のノリは無理と思って、
日本に帰って来ちゃう話と同じだな。
ただ、この辺の話はどうでもいい、というか、
アメリカも欧州も支配下に入れましたから。
こんなことを呑気に言えるのも、
すでにアメリカも欧州も支配下に入ったからですよ。
日本も、もう我々の支配下に入りましたけど、
これは案外、芸人的なものが大変だったね。
つまり、仏教が日本はかなり強かったね。
ある意味、日本を代表する属性と思われた官僚組織よりも、
芸人の方が大変だった。
いずれにせよ、これらは支配下に収めたわけで、
今となっては思い出話というか、
これから、ますます支配を強固にしていくことになる。
アドラーはアメリカでもニューヨークとかの東海岸だから、
まだ、神保哲生・宮台真司でも絡みがあるが、
ロバート・キヨサキだと、もうアメリカでも西側ですからね。
この辺ももう、通用してないな。
「ドルなんぞ信用できない、ゴールドを買え」
とか威勢よく言ってたし、それはそれで、とりあえずいいとして、
ビットコインなんかが出てくると、ゴチャゴチャ言って誤魔化してたな。
元々、カウボーイハットなんかかぶっちゃってるようなやつだから、
それはそれでやってはいけるのだろうが、「遺物」ですよね。
一方、アメリカでもシカゴ出身で、東海岸で教員やってた、
フランシス・フクヤマは、この前も日経に記事出てたけど、
「もう、お手上げ」って感じだったな。
父親は牧師で、自分は『歴史の終焉』を書いたのだから、
「千年王国が来ます!」とか言えばいいのに、言わないなw
どこがおかしいのかと言うと、やっぱり大学教員だけあって、
「経済」に対する感覚が鈍い。
「歴史の終焉」も、「政治の終焉」と言えば、これは納得がいく。
もう、「政治は終わったな」という感じがあるでしょ。
ところが、まだ、「経済の終焉」が残ってるわけですよ。
その感覚がないんですよね。
逆に経済学者(笑)たちは「終焉」とは言わないし。
「終焉」のときは「地獄に行くとき」だからなw
これは書いたこともあるけど、
ジョージ・ソロスとジム・ロジャーズのコンビは、
ここも、ちゃんと「遺物」化しとるわな。
ウォーレン・バフェットは何十年か前に遺物化してたけどw
バフェットは、
「IT企業は企業じゃない」とか言ってたんだけど、
一昨年あたりに、「やっぱり企業です」(笑)とか言って、
「IBM買うぞ」(笑)とか言ってなw
むしろ、「IBMはIT企業なのか」(笑)と思っちゃったねw
あ、それで、そのソロスとロジャーズの方なんだけど、
この辺は「ビットコイン論」を聞いておけば、大体の程度はわかる。
どっちも、やっぱり、「ついて行けない」(笑)という感じだった。
ロジャーズは、
「俺もビットコイン、買っておけばよかったよ、ハハハ」
などと適当に誤魔化しつつ、本気で、
「北朝鮮行きてえ」とか言ってて、要は「昔はよかった」いう話だな。
ソロスはビットコインに対しては「沈黙」してるんですよねw
同じ「対ナチスの生き残りユダヤ人」のCMEの会長は、
商売柄、すぐにビットコインは認めてたけど。
ただ、ソロスの親族はビットコイン買い込んでたらしいw
この辺は、いかにもありそうな話。
ただ、バフェットの「IT企業は企業ではない」論は、
ちょっと気持ちはわかるけどね。
やっぱり、終末的なんですよ。
「黒字化して」というよりも、上場益で回ってるようなところがある。
まさにAKB48なんかといっしょで、
「あれは歌手ではない」と言われても、それはそれでわかる。
あと、ビットコインに「沈黙」してるソロスは、
やっぱり、「遺物化」してるとは言え、
「賢さの片鱗」を見せつけたとは思うね。
「これは否定してはいけない」(笑)という直感が、
心の奥底から湧き上がってるんでしょうねw
ただ、「肯定してトレードしようとも思わない」というねw
ここも、やっぱり終末的ですよ。
両者とも、
「簡単に認めるわけにはいかないが、
かと言って否定するわけにおいかない」
という感じになってるのが、なかなか面白いねw
どちらも、所詮は商人ですから、
きっちり解釈することはできないんだけど、
やはり、商人的なオープン・マインドは見せてるわけですね。 >>49 訂正
> かと言って否定するわけにおいかない」
↓
> かと言って否定するわけにもいかない」
ロジャーズの、
「ビットコイン、買っておけばよかったよ、ハハハ」
というのは、「あ、そう来たか」(ジョークで逃げる)と思ったけど、
まあ、それ以外、何とも言えないんでしょうね。
それで「北朝鮮行きてえ」(過去に戻りたい)
というようなことを言ってたけど、その北朝鮮でさえ、結構、
ビットコインに目を付けてるらしいじゃないですかw
だから、「もう、逃げ場ないぞ」というねw
この辺の話は、結構、「玄人向け」(笑)ですけど、
雰囲気だけでも、何となく面白さは伝わるんじゃないかな。 >>51 追加
「ビットコイン、買っておけばよかったよ、ハハハ」
というのを「ジョークで逃げた」と言い切るのは、
ちょっと厳しすぎるかな。
そういう側面があることは間違いないんだけど。
つまり、彼は、ジョークのような言い方はしたんだけど、
「マーケットが存在する事実は否定のしようがない」
ということは認めてるわけで、ここにも、やっぱり、
「商人の良心」を見たねw
最初から全否定のやつらと比べたら、
「まともだな」と思う一方で、
「ノリが軽すぎるだろ!アメリカ!本気で肯定するか否定しろ!」
というのもあるけどね。
まあ、とりあえずはこんなもん、というか、
「はい、承りました」と思ってますよ。
どうせ、彼らはすでに支配下にあるのだから。
アメリカの「知識人」(死語)の話すると、
マンガみたいになっちゃうんだよなw
(「知識人」(死語)とも言えないようなのが多いが)
一方で、欧州の話は、してもしょうがない、というか、
「ポストモダーン」とか言って、その内、自殺する感じですからねw
西部邁あたりが、一応、欧州的なもんですかね。自殺もしたしw
まあ、西部はポストモダンは否定してましたけどね。
それはそれでわかるんだけど、
「馬鹿なら、せめてポストモダンとか言ってから自殺しろ」(笑)
とも思ったね。
あれこれ考えたそうだが、それで、
「基準はコモンセンス(常識)だ」って、それはないでしょw
それで、みんながスマホ持つのが「コモンセンス」になったら、
自殺しちゃったというw
馬鹿でしょ。
しかし、神を否定したら、結局は人間が基準になるわけだが、
それだと「コモンセンス」みたいなこと言うしかないわけよ。
ある意味、「葬式で誉められたい」という自己啓発野郎にも
一歩足を踏み入れている。
「経済学者」(笑)だったしな。
うーん、醜いねー
ただ、「基準はコモンセンス(常識)だ」と言った西部邁は、
「葬式で誉められるのが立派な人間だ」と一緒で、
それはそれは醜いですけど、これでも、「弟子」(笑)の
藤井聡よりはマシだったわな。
というのは、西部が自殺したあたりで、藤井が出した、
「雑誌」が、その名も「クライテリオン(基準)」ですよ。
つまり、「基準は俺たちだ」(笑)と言ってるわけですよ。
西部邁はまだ、
「基準はみんな(コモンセンス)だ」と言ってたわけで、
その愚かさは継承しつつも、
「常識」というほどの公共性さえなくなってるわけですよw
やっぱり、商人には甘くなりがちだねw
「仮に馬鹿だとしても上級の方の馬鹿」なわけだし。
やっぱり、
「なんで、商品を買わないんだ!」とか、
「なんで、俺のギャグで笑わないんだ!」とか、
そういうこと言わないだけでも評価が高くなってしまうw
水島総だの桜井誠、それに神保哲生・宮台真司あたりは、
(つまりは、政治ゴロツキ、いわゆる「右翼・左翼」、下級の馬鹿)
結局は、「国民は馬鹿だ」だもんな。
それじゃあ、進歩はない。
しかし、そんな「比較的賢い」商人に対しても、
だんだん厳しくはなってきたね。
「自己啓発野郎」なんて単語を使い出したのも、
まだ1年も経ってないでしょう。
「いよいよバビロン(商人)との対峙」が始まったところだね。
ただ、繰り返し言ってるように、バビロン陥落はあっけないです。
(水路から侵入されて難攻不落の城壁が無意味だった)
ということもあって、私にも余裕が見られるわけです。
もっと怒った方がいいんですかねw
でも、「おたくらは十分賢いのだから、わかってますね」
となっちゃうね。
いや、何が言いたいのかというと、このように、
「世界征服は概(おおむ)ね終わってますよ」
という話なんですよ。
まだ、終わってない部分としては、
「征服されてることを教えてさしあげること」(笑)
だわなw
「やっぱり、そうでしたか」と言ってくれればいいのだがw
もっとも、認めなかったところで、
征服はされているのだから、抵抗できるもんでもないが。 >>53-54
念の為言っておくと葬式で誉められるかどうかは既に決定していると
考えるのがアドラーなんだぞ
熊さんも地獄で清らかに美しく堕落する方法を開発してくれよ
どうせ地獄に落ちるなら清らかの方が居心地良いだろ >>57
それは無理だよ。
地獄にいいことなんかないですよ。 そもそも天国も地獄もあの世もないのだけど、あると思う事は悪い事ばかりではない。
死ぬ直前安らかに死ねるという点、この世での行いが善的なものなるという点、
この世での立ち位置に不満な人の心の救済になる点、死への恐怖から虚無状態に
なるような人を立ち直らせる点などが良い点。
キリストの考えを普及させた狙いはまさにこのあたりにある。 >>59
非常にわかりやすい
グチャグチャ書き捨ててる豚昆布の駄文より胸に落ちるわ
いやいや、>>59は完全に間違ってますからねw
あのね、これを言うやつ、最近多いw
どういうことかというと、以前は、この手のやつは、
「天国も、地獄もない。そんなこと言ってるやつらは詐欺師。」
という言い方だったのに、いくらかの譲歩があって、
「事実ではないが、効用はある。」(笑)
みたいな言い方になってるじゃないですかw
ほら、また、出たでしょ、「サタンの譲歩」w
だから、「シッポ切り」ですよ。
慣れてくると、すぐわかりますね。
逆にサタンとしては譲歩していかないと、
ポキッと折れてより早く滅ぼされてしまう。 米ブラックロック、ESG軸の運用強化 石炭向け削減
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54397850V10C20A1EE9000/
>ブラックロックのラリー・フィンク最高経営責任者(CEO)は企業向け書簡の中で「気候変動が企業の長期的業績を決定する主因になりつつある」とした上で、「気候変動リスクは投資リスクであると投資家は認識するようになった」と指摘。
>「予想以上に近い将来、投資資産の大幅な入れ替えが起こる」と宣告した。 >>61 追加
逆に、この程度の「サタンの譲歩」を
喜んで受け入れちゃうのが、結構、いるんですよね。
だから、サタンも譲歩するわけよ。
「これくらい値引きしたら、結構売れるやろ」(笑)
みたいのがあるわけよ。
同志社系とかは、大体、
この辺の譲歩は喜んで受け入れる感じだわな。
だから、この手の譲歩をするなら、
同志社大学近辺でやった方がいいです。
こっちは、そんなの全然ないから。
もう、微塵もそんな譲歩に乗るような気はない。 >>60
どうも
>>61
「事実ではないが、効用はある。」は譲歩ではないよ。 客観的な証拠がない話だから水かけ論にしかならない
あるともないとも断定できないがあればいいなくらいに思ってるわ >>65
あっても豚昆布以外は行けないらしいからなw でもお葬式で誉められるようにするのと
死後の世界はあると主張するのって似ているじゃん
やっぱ熊さんはアドラーと似ているんだよ >>65
でもさ、私が嘘ついてるか、本当のこと言ってるか、
どっちかなわけでしょ。
どっちだと思ってんの?
「どうやったら嘘と思えるのか」と思うね。
>>67
一応、「究極の目標」という点で共通しているのだろうが、
それが「葬式」か「天国」かでは、
それこそ「天地の違い」、すなわち「天国と地獄の違い」でしょう。
というか、「葬式で誉められる人生を歩め」というフレーズに
違和感を覚えないのは相当危ないですよね。
最近は、私も「馬鹿慣れ」してきたんで、
「まあ、そんなやつもいるだろうな」とは思うが、
(というか、実際にいるのを目にしているが)
どうせ地獄に行くのだから、どうでもいいと言えばどうでもいいわな。
「宇宙行きたい」も、まあ、わからんな。
他にないんだろうが。
「結婚してうんぬん」はまだわかるが、
この辺のやり方にオワコン感を抱かないのは、
やはり何かが鈍っているのだろう。 あるかどうかわからないがあると決めつけてる熊五郎は知的障害 >>69
それに関しては、私は、
ほぼ100%と言っていい確信を持ってますよ。
ただ、「ほぼ」と言ったのは、
「人間が100%と言うのはすべきでないだろう」
ということで、特に疑念があるわけでもない。
そして、これは、さらに100に限りなく近づいていく。
「限りなく近づく」というところに永遠性がある。 「俺はあると信じる!俺を信じろ!」だけじゃなんとも
そりゃ大川隆法だろうが池田大作だろうがそう言うだろう 地獄に行くか天国に行くかを選べないのならアドラーとほぼ同じだよ
自由なんてものは無いと言っているんだから。
そして地獄行きが変えられないのなら、どうせなら葬式で
誉められた方が少し慰めになる
「信じる」とかいうことは、もうないね。
数学や物理学が、信仰を必要としない程度に、
もう、証明されている。
それはまだ公表はされてないですけど、
それは単に時間の問題という話で、
証明は済んでいる。
というか、ここを言いたいのだが、
「信仰」とか「証明」などと言う以前に、
私に取っては「日々の実務」ですからね。
常にそれで生活が回っているのに、
それが「存在するか、どうか」などと言われても、
そんな話は興味も湧かない。
自由論に関しては、人間に自由はあるんですよ。
実際に、人間は自分の判断で色々とできるわけでしょ。
ただし、その自由をいかに行使するかを含めて、
神に支配されていると言えば、
そういう言い方だってできる。
つまり、神の必然と人間の自由は矛盾してないんですよ。
というか、神は人間の自由を最大限に認めたからこそ、
これだけの悪いものが一時的にでも存在してるわけです。
私が、色々な馬鹿に関して、これだけ熱心に書いてるのは、
「この馬鹿どもは、自らの自由を行使して悪を止めなかった」
ということをいくらでも強調したいわけですよ。
例えば、靖国とかに行く悪いやつらがいますけど、
こいつらは「行かない自由」もあったのに、
自らの自由を行使して行ってるわけですよ。
「だから、言い訳できないぞ」ということ言いたいわけですよ。
靖国なんて幼稚な例ですけど、
「子孫を残したい」だの「葬式で誉められたい」だのと
言ってる連中も同じことです。
実際、その大川隆法とか、池田大作なんて、
そんなんと全然違います。
ほとんど数学の証明と同じレベルで証明されている。
すでに、基本の書類だけで1000ページ弱ある。
ただ、これは決して難しくない。
私の文を読んでればわかると思いますけど、
言ってみれば10歳の子が知らないような単語は使っていない。
それに、その中身の基本は「絵」です。
(これにも神学的な意味があるのだが)
つまり、
「10歳の子なら知ってるような単語と絵」
だけでなされている。
そして、それは、アホな「現代哲学」などにも完全に勝利し、
何なら、当の「数学の証明」よりも勝っている。
例えば、数学は「1+1=2」を証明できない。
「足し算とは何か」という考察が必要になるが、
これは「個」という概念を理解する必要があり、
「個」なるものは、「子なるイエス」によって説明される概念である。
ということで、「1+1=2」が「盲目的に信仰されている」数学よりも、
さらに信仰を要求しない。
科学よりも科学的な証明がなされる。 >>76
> 例えば、数学は「1+1=2」を証明できない。
これはたびたび出てますけど、エジソン少年の言うところの、
「粘土の塊1つと、粘土の塊1つを足すと、
大きな粘土の塊1つになる。
つまり1+1=1ではないですか。」
という問などでわかる。
これに対して数学は回答できないんですよ。
なぜ、「個」という概念が存在できるのかの説明が必要だが、
これは数学のレベルでは無理。
もっと高次な理解が必要になる。
その「もっと高次な理解」がすでになされている。 じゃあ早くそれを公表して
動画でもサイトでもなんでも >>78
私が決められることじゃないが、
もっと言えば、もっと早まるかもねw
まあ、言わなくても思ってればいいですけどw
というか、私も、「早く!」と思ってるわけ。
ていうか、ここら辺の数レス見ただけでも、
「あ、これはもう達成されたんだろうな」
と思えないと、ちょっと鈍いですよね。
もちろん、自然科学のみならず、
文学、歴史、芸術などなど、すべてが統一的に説明される。
逆に言うと、これらが統一されたものとして理解されなければ、
個別には存在できないところまで来ている。
例えば、大学なんかは、
もう何の研究かわからなくなってるわけですよ。
これは芸術分野も一緒ですよ。
近代以降、細分化が進むわけですが、
これは、だんだん意味が感じられなくなってくるんですよ。
「細かすぎて分かりづらいモノマネ」なんていうネタがありますけど、
これは「細かすぎて分からないよ、ハハハ」と笑って、
その先はないわけです。
「細かすぎて分からない話」みたいなものだらけになってますよ。
マックスむらいの、「最側近」(?笑)みたいなメンバーが
辞めちゃいますという動画が昨日上がってたんですよ。
一緒に動画とか作ってたわけだけど。
いや、このマックスむらいなんかも、
いかにも「いい人」っぽいんだけど、
話聴いてると自己啓発脳なんですよね。
しかも、そうあることに疑念を持ってないっぽいのが気になる。
それで、そういう自己啓発的な生活って、
気づいてみると何もなくなっているというね。
確かに、今死ねば葬式では誉められるだろうが。
その「終わってる大学」の話なんですけど、
「最後のスター」みたいなジャック・デリダが死んだのが2004年で、
それ以降は、もう新しいものは「何もない」という状況に等しいね。
最近、ちょっといるのが、「すべて幻想です」(笑)みたいな
系統の連中ね。
ただ、さすがに相手にされてな
だから、ほんと新しいのは何もないです。
哲学・思想とは言えないが、唯一テーマと存在しているのは、
「壊せ、壊せ」だな。
それは小泉純一郎の「自民党をぶっ潰す」などもそうだし、
今も、その流れが続いている。
「壊せ」の時代だが、芸人が持ち上げられたが、
今は芸人の存在自体が解体のターゲットにされるまでなっている。
しかし、壊すものもだんだんなくなって、
だから池田信夫だのは、森ゆうこネタで叩いたりしてるわけですよ。
「どんだけ権力ないやつを叩くんだ」というねw
ただ、森ゆうこは権力はないのだが、法案可決阻止のために、
「スカートで机の上に立ってしまう」
程度の「文学性」(笑)はあるので、
まだギリギリ、ネタになっているのだろう。
一種の飢餓状態だわな。 >>83
> その「終わってる大学」の話なんですけど、
> 「最後のスター」みたいなジャック・デリダが死んだのが2004年で、
> それ以降は、もう新しいものは「何もない」という状況に等しいね。
このジャック・デリダでさえ、「脱構築」とか言ってる「壊し屋」であって、
つまりは、学会の最後のスターでさえ、
「小泉純一郎」であり、「芸人」だったわけです。
トランプだって、つまりは壊し屋芸人でしょ。
例えば、この某巨大掲示板も、「炎上」とか言ってますけど、
つまりは「壊れていく物の実況の場」でもあるわけですね。
「壊せ壊せ祭り」が、まあまあ続いてきている。
新たに建設するものがないから、
幼稚な復古主義に走るもの(ネトウヨやシールズ)もいるが、
そんなものも、当然、壊される。
貨幣の地位は高まるのだが、貨幣そのものは何でもないわけで、
貨幣の地位が高まることで、貨幣の地位は下がる。
「世の中で一番価値のあるのは貨幣です」と言ってしまったら、
「貨幣で買うものは価値がない」と認めてしまってるわけです。
だから、貯金や内部留保が増える。
これは水路が干からびた状態であり、
そこから侵入されてバビロンが陥落することは
すでに過去にも起きたことである。 >>76
この「絵」というのは、「図」ですけどね。
端的に言えば十字です。
「図」も「絵」の一種ですけどね。
今だから言っちゃうけど、
牧師なんかは「テキスト」じゃないですか。
その時点で、大して面白くないw
やっぱり絵が見たいね。
かと言って、カトリックの聖像だのの幼稚なのも、
それはそれで限界がある。(論理性が低い)
それが、これが終末にあって、
「論理性の高い絵」が与えられることになった。
>>70なんだけど、
全く疑っていないのだから、100%と言うべきですかね。
ただし、当然、知らないことは多くあるわけで、
その点で、100%ではないと言える。
とは言え、重要なところは把握されていて、
それで「ほぼ100%」ということになる。
「すべて(100%)を見ているわけではないが、
100%正面を向いている」
と言うべきだろう。
これも三位一体に関係することであるが。
人間はすべてを知っているわけではないが、
神に正対することで、「100%」と言うことができる。
正対するのは当然、子なるイエスであって、
とりなすイエスによって、すべてを知るわけでない人間も、
100%と言うことができる。 >>86 追加
> とは言え、重要なところは把握されていて、
> それで「ほぼ100%」ということになる。
「重要なところは把握されていて」というのは、
「近くにいる」というようなことになるだろう。
「近く」だから、「ほぼ」ということになる。
「ほぼ」ということは「100%ではない」となるが、
これがイエスに正対することで「100%」となる。
不完全な人間が、
祭司イエスによって「100%」と言えることになる。
これが神のわざである。
例えば、男と女がいて、互いにいくら近くにいたとしても、
それをもって「一致した」ということはできない。
必ず「距離」はある。
もちろん、肉体が接触したところで、
それは接触であり、一致ではない。
しかし、互いに正対することで一致することができるのである。
これは、
「距離」はスカラー量であり、
「向き」はベクトル量である、
ということと関係している。
「向き」は「正対する」ことで一致に至り、
「距離」は「無限に近づいていく」ことで、
その一致は永遠のものとなる。
「距離」は、「父・子・聖霊」の三位の内の父に関係し、
「向き」は、「父・子・聖霊」の三位の内の聖霊に関係する。
子なるイエスに正対することで神と人は一致することができ、
イエスに近づいていくことでそれは永遠のものとなる。
この>>89でよい、わけですけど、
こんなことが書かれてるときに、この世界には、
「天皇陛下バンザイ」レベルのアホや、
いわゆる「無神論」や「多神論」のアホがいるわけですよ。
いかに、天国と地獄が必要なことがわかりますね。
でも、この話は「天皇陛下バンザイ」野郎には、
今一、効かない可能性はあるな。
というのは、あの連中は、
イエスの位置にそっくりそのまま天皇を据えるわけで、
構造自体は同じなんですよ。
しかし、「天皇に正対」したところで、
その天皇は死んだり、「生前退位」しちゃうわけですよw
そう考えると、やっぱり、馬鹿過ぎますよね。
それに、その「構造の一致」だって、
本当に形式的なものであって、
別にあれ(天皇)が何かできるわけでもないでしょ。
「総理大臣などを任命できる」と言うなら、
そんな偉い天皇が任命した総理大臣の批判するなよ。
とにかく、何はともあれ、馬鹿すぎ。 >>84
なんじゃ、熊さんはポストモダニストだったのか?
脱構築って壊せないものはあるとデリダも認めているぞ
それ権力論だから道徳を脱構築は出来ないとそれとなく言っている
その後にマイケルサンデルブームがあったでしょ、だからだよ。 >>92
それはちょっと、お話にならないね。
そんな「モラル」が残ってるなら、
速やかに脱構築されるべきじゃん。
松本人志が筋肉鍛え出したら、
相方のハマタが「何しとんねん」って突っ込まな、
いかんねん。
それができない、いうことは、
もう、ポスト・ポストモダンやねん。
まあ、もっとも、
「松本人志に残ってたモラルは筋肉だったのか」(笑)
という話だけど、まあ、そんなもんなんでしょ、デリダなども。 >>79
廃墟のユーチューバー更新しろ言われてるんやで >>93
できないよ、試しにやってみ
先ほど書いたように、権力で道徳を破壊できるか?と言う話になる
宗教でも良いんだけどね
脱構築でも出来ない事はいくらかあってその一つに狂気がある
あくまで脱構築は理性の産物なので狂っていたら解体すら出来ない
道徳なんて狂っている状態でしか成立しないと言う意味かもね >>74
>数学や物理学が、信仰を必要としない程度に、
>もう、証明されている。
>それはまだ公表はされてないですけど、
>それは単に時間の問題という話で、
>証明は済んでいる。
結局具体的な事は何も書いてないうえに妄想性障害の感じもあるな。
熊五郎ってガチで精神障害のナマポなんじゃね? >>97
働くのは悪と言ってみたりヘリコプターマネーに期待してるから多分正解 >>97
そりゃそうだろ
前スレで、ストローマン手法使ってるだろと言ってる人いたが、
神経薄弱で、相手のレスの影響受けまくるという方が正確 >道徳を脱構築は出来ないとそれとなく言っている
道徳心は神からインスコされたが、
この点は置いておくとして、
個々の道徳の内容は当地の経済状態が反映されたものに過ぎないので
脱構築なんかぜんぜん可能でしょうに? >>77
>「粘土の塊1つと、粘土の塊1つを足すと、
>大きな粘土の塊1つになる。
>つまり1+1=1ではないですか。」
>という問などでわかる。
>
>これに対して数学は回答できないんですよ。
体積増えるだろボケ
ブール代数なら普通に1+1=1だろ
数論と一般数学を一緒にするな、読み書きソロバンの算数も一緒にしてるな
入門書ってそういう書き方しているから、
きちんと後の方まで読まないで誤読して大喜びなんだろ >>101
宇宙人と交信する為に、宇宙共通言語としての
数学を用いようとチャレンジした人は多かったんだけど
全員躓いたのは1+1=2の部分
個をどこで判別させるか >>102
ちなみにこれにチャレンジした人は
実存主義者が多かった
「実際に存在する事」と「現実」は違うってことです
現実は「現(げん)」の「実(じつ)」 >>103
あ、すいません。説明不足だた
実があったらそれを落とした木について考えないと
猿だわなって話っす >>96
>>100
脱構築をちゃんと理解できてないようですね。
むしろ、「モラルしか脱構築できない」んですよ。
例えば、
「君もサバを毎日食べた方が健康にいいよ」
というのは脱構築の対象にならない。
一方で、
「他人の言うことに左右されるな」
というモラル的な発言は、
「他人の言うことに左右されるなと言ってる、
俺の言葉には左右されろ。」
という矛盾があるわけで、脱構築される。
だから、もし、正しく言うとすれば、
「真に正しいモラルは脱構築できない」
ということになる。
「真に正しいモラル」というのは、
三位一体の創造主が望むことであって、
それが詳細に明らかになったわけで、
だから、ポスト・ポストモダンなわけ。 >>102
>>103
その「宇宙人」なんて話が出るくらい、
超越的な議論なんですよ、「1+1=2」の話は。
これに関しては、解明が出来てて、「個」というのは、
三位一体の内、「子なるイエス」的な性質であって、
それは祭司性であり、祭司が「ひとまとまり(個)」
を成立させるというような話になる。
で、その「実存主義者」がというような話だが、
これはそういうローカルな視点からは
解決できないようになっている。
「一気に全体がわからないと、何もわからない」
というような構造になっている。
もちろん、一気に全体がわかったんですけど。
あの、よく見世物の芸である、
「テーブルクロス引き」があるじゃないですか。
テーブルクロスの上に、皿やグラスが載ってるままの状態で、
さっとテーブルクロスだけを引いて抜き取るやつです。
あれは、「ゆっくり丁寧に」やっても成功しない。
一気にテーブルクロス全体をさっと抜いてしまうしかない。
この辺も、終末のキーワードになる
「突然」ということと関係している。 >>105
>真に正しいモラルは脱構築できない
>>106
>ローカルな視点
攻略本にマーカー入れときます。
前スレの「羽」と「時間と空間の短縮」に
マーカー入れたかったんですけど、
「宇宙でサーフィン」があまりにも可笑しくて
笑ってるうちにスレが過ぎたんで、今入れときます。 >>100
それで脱構築できているのは財力や権力などであって
道徳自体は脱構築はされない
>>105
理解できてないのは君ね
例えば、「長生きしたって良いことない」
「サバは嫌いなんだ」で一撃で解体できる
> 「他人の言うことに左右されるなと言ってる、
> 俺の言葉には左右されろ。」
> という矛盾がある
ない、なぜなら内容は何も言っておらず
そこに"俺"が存在しないので脱構築を仕掛けたが失敗している
あるのは「他人の言うことに左右されるな」という標語しかない
"俺と"いう主体を勝手に捏造したのはミスリードさせるための罠である。
真も偽もなく、ただ単に道徳は解体ができない
ちなみにどうしても"俺"とやらにこだわりたいのならば忠臣と
呼ばれるだろう、そして忠臣も道徳の産物である 脱構築に失敗したから真に正しいモラルと言う結論になってしまうし
三位一体の創造主が望むことと言い出す。
つまりこれこそが狂気と正気の境界。信仰のことだな
もちろん信仰は道徳に分類されるので脱構築が出来ない
それらは開発者であるデリダが暗に言ってることだから
ほぼ間違いないだろう。もしも脱構築したと思っているなら
それは道徳ではなく権力側だ
合理性とか権力ならいくらでも脱構築の対象になるんだがね。
道徳をなくしたいとしたらそれは熊五郎の一身上の都合だろう >>109
>>110
おたくみたいなアホとは、いつまでも口を利くつもりはないけど、
私ができる最大限のことを言ってあげると、
その、「道徳」とか「合理性」とか「(政治)権力」というのは、
全部同じものなんですよ。
「不完全な道徳」が「(政治)権力」であって、
だから、多少の「不合理」が、一時的ではあるが、まかり通る。
つまり、世界は「完全な道徳」と「不完全な道徳」があって、
後者が「(政治)権力」なだけなのだが、
おたくは、それを別のものだと思ってて、そこが間違ってるわけですよ。
例えば「窃盗したら懲役○年」というのが法であり、
つまり「(政治)権力」なわけですけど、
これは「不完全な道徳」なわけでしょ。
「窃盗はすべきではないが、まあ、しちゃうやつもいるから、
何とか懲罰付けて、できるだけ防ごう」
ということであって、これは「不完全な道徳」なわけ。
まあ、バンソウコウを貼ってるようなもんだな。 >>111 追加
この話で思い出すことがあるね。
ゲーテは、私はいい人だと思ってますけど、
しばしば、間違ったことを言うことがあって、その一つに、
「キリストは、最初は政治革命を目指したが、
失敗したので道徳的なものになった」
という言葉があるんですよ。
まさに、>>111の話なんですよ。
これは、標準的な近代人が考えてることでもある。
大学教員などの汚い顔した連中に、
「キリストとは何ですか」と問えば、
「政治革命を目指したが、失敗したので道徳的な存在になった」
などと言うであろう。
しかし、これは間違ってるんですよ。
正しくは、
「イエスは完全な道徳を実現する存在だが、
不完全な道徳である(政治)権力によって殺された。
しかし、復活して、やはり完全な道徳は実現するのである。」
ということになるんですね。
ただ、ここが理解できるくらいなら、
最初から文句は言わないでしょうからね。
ここら辺は、かなり本質的な話ではあるね。
もう少し言っておきますかね。
「信号無視」は犯罪なわけですよね。
だから、警察などの「(政治)権力」が取り締まってるわけですね。
しかし、交差点に地下トンネルが掘られて、
もう信号そのものが要らなくなったら、
「信号無視」という犯罪も、それを取り閉まるための警察、
すなわち「(政治)権力」も消えるわけです。
傷口が治ったら、「バンソウコウ」や「かさぶた」は要らなくなる。
「傷口が治る」というのは、キリストの復活・再臨に当たり、
「バンソウコウ」や「かさぶた」は法・(政治)権力に当たる。
「バンソウコウ」や「かさぶた」は、
所詮は「完治」までの「代用品」なので、必ず「異物感」がある。
この「異物感」というのは矛盾のことである。
「代用品は必ず矛盾(異物感)があるから、
そこの急所を突けば壊せるぞ」
というのが「脱構築」の趣旨である。
したがって、
「代用品(不完全な道徳)の内は脱構築できるが、
傷が完治したら(キリスト再臨・完全な道徳の実現)、
もはや脱構築は不要・不可能」
ということになる。 >>111
それ、典型的な失敗
・間違っていると認識している、熊五郎の理解が正しいと
保障するものが何もない。
・もちろんこちらの道徳や権力の理解が誤っている可能性もあり、
そして間違っていたとする。その間違って認識していた主体とは
何者なのか?に答えられていない
前々回書いたでしょ、脱構築と言えど理性に寄って立つので
他者に無理解を強いる事になる、つまりアホだとか誤解だと
迫る事になる。それ自体は良いのだけど、その様にして理解を
求めようとしている主体とな何者か?については規定がないのが
脱構築という方法論だ。
だから矛盾を突いているけど、それは脱構築が理性による
産物だと認めているのよ。そこから続けると合理性と権力が
等しいと言う結論にもなれない、似てはいるけどね。
合理性に従うこともあるし、権力に従うことはある。
互いがあるとすると合理性は計算して理解する必要があるけど
権力には計算も何も必要ないからアホでも出来る事だな
不完全な道徳なんてものはない。例にしているのは通常妥協と
呼ばれる徳目であり、道徳には道徳律があるので不完全さは
生じない。不完全だとするとそれは運用に付いてだろう。 そもそも権力は攻めるのに強いが、道徳は守りに強い
まったく別物である
反対側のものを見てみな、権力は反権力だけど
道徳は背徳だぞ、いけない事をやっちゃうんだぞ
反権力の場合はいけない事だとは思っていないかも知れないがなー >>114
>>115
別に「間違った道徳」なんていくらでも存在する。
例えば「天皇陛下のために喜んで特攻しなさい」とか。
こんな例が一つでもある時点でおたくの説はおかしい。
こんな「間違った道徳」など腐るほどある。 全体主義が問題なのである。
全体のために何かをしろとか 大東亜共栄圏のため 日本の拡大のため
それが日本の総意であるとか。
靖国のためでも 天皇のためでもない 日本全体のため総意でもって行動を
取ることが美化された結果である。
現在、日本は自由であり民主的である 選挙によって選び犯罪でない行動なら
誰からも束縛を受けず 総意でもって行動を強制されることはない。
戦後、自由から個人の考えが多様化した結果 それぞれがそれぞれであり
多様な価値観があるから その価値観が増加し資金が増加できる結果が得られ
国が豊かになったのも事実である。
でも、自由の拡大で全体主義的傾向(マルクス崇拝主義)も 否定されることなく
存在できるのも事実である。時折、その凶暴性を発揮し総括でもって
すべてを結論づけようとする。それが 浅間で起きた事件である。
自由とは何か 民主主義とは何か 時々真剣に考える必要があると思う。
>>82で、マックスむらいのことを言ったんだけど、
「これから、どうしようか」という動画を出してたね。
それで、「会社の根本から考えないといけない」みたいな、
真面目だけど正しい話があった後に、
「わからん」という結論になっていた。
その、マックスむらいのAppBankという会社は、
「スマホ関連情報・グッズ」の会社で、
10年くらい前にできた会社で、まさに、
「スマホ・バブル」に乗ってたような存在ではあったな。
じゃあ、どうすればいいか、と言えば、
「次にバブルになるものに乗ればいい」
ということになるわけですよ。
文化的産業を含む商業は、
概ね、そういう風に成り立ってるわけです。
ところが、それが、もう無くなってるんですよ。
波乗りしようにも波がない。
マックスむらいは「今後10年、どうしようか」などと言っていたが、
そんな小さい話じゃないんですよね。
全人類・全世界史レベルでの話になってくる。
ヒカキンとかがいるUUUMというyoutube系の「芸能事務所」も、
売上減になってたな。
そんな数字以前に、内容見てると飽和具合はわかりますけどね。
UUUMだけじゃなくて、youtube全体も似たような感じだな。
もっと言えば、テレビや出版も同じような感じだが。
そんな中、かろうじて勢いが残ってるのが、
例の「自己啓発系」という情勢であろう。
しかし、これもやっぱり面白くないのと、
ここでは詳細な話はしませんけど、
この手の啓発・経済系は、飽きるの早いんですよ。
「成功」とか「カネ」って、単調なもんだから、飽きるのも早い。
ということで、まあ、「怖い」ことになってるぞ、と。
私は助かる側だから怖くないですけど。
結局、その「バブル」的なもの(「バビロン」的なものでもあるが)が、
永続するという前提は間違ってるんですよ。
あまり考えてる人はいないでしょうが、
ちゃんと原理を探っていくと、それは終わりがあるものであるとわかる。
だから、誤魔化しようのない裁きが執行されるわけです。
「イェーイ」みたいなノリノリ(死語)な感覚って、
やっぱり、何かの波がないと乗れないんですよ。
波とか風とか、そういうことがないと、
人為的に何とかできるものではない。
こういうのが、普通に世俗的なところに、
当たり前にあると思ってたら、それは間違いなわけですね。
もっと言うと、こういう「波」とか「風」には原理があるんです。
あと、馬鹿なこと言ってる連中は、
「昔のあの波に乗りたい」(左翼・右翼)というタイプか、
「波は我々が作れる」(新自由主義)というタイプか、
のどちらかになるわけですけど、どちらも、
その敗北は日々、鮮明になっていってるところでしょう。 >>116
その間違った道徳は脱構築できたかね?
別にポストモダン講座をするわけではないから
道徳を解体したければ他の方法使ってくださいってだけの事だ >>121
そんなの簡単で、もうやってるというか、いつもやってるというか、
「天皇がそんなに偉いなら、天皇に任命された安倍や、
その他、民主党政権の批判などするな。」
ということになる。
今の「天皇バンザイ」の馬鹿どもは、
安倍政権か民主党政権のどちらかは批判してるでしょう。
もちろん、こいつらはただの嘘つきですから、
先なんぞないわけだが。 熊五郎「神に従え(と言っている俺に従え)」
脱構築ってこんな感じ?
熊五郎はこれにどう反論すんの >>122
共産党は両方否定しているじゃない、偉くない?
そして政権与党自身は天皇も与党も正しくて合っていると言うだろうし
逆に政権を取るつもりの野党ならば
天皇を肯定しつつ与党を批判するのは間違ってないだろ。
与党でも野党でも、政権取るつもりが有あっても無くても、
政治相手ならこうやってすんなり脱構築出来るんだぞ。 と言うか、道徳を解体したければ金ばら撒くのが一番効くぞ
中には意志の固い人がいるけど少数派だ。 >>123
そう、そこが核心なんですよ。
「神でないものを基準にしている者が、
神のような立場で主従関係を作るから矛盾があり、
だから脱構築できる」
ということ。
私に関して言えば、
私は神の基準によって語ってるし、
だから、脱構築されない。
あなたは、私が「従え」と命令してるかのように言ってるが、
私は命令なんかしてませんよ。
そもそも、権限もない。
どうせ悪いやつらは地獄に行くのだから、
そもそも命令する必要がない。
こういう状態が成立するくらいの終末期であるから、
こういう状態は可能なわけだが。 >>124
天皇うんぬんに関しては、共産党は矛盾はないだろう。
ここは、ここで他の矛盾があるわけですよ。
例えば、
「共産党の政治家は労働じゃなくて経営者じゃん」
とか。 >>126
本当に神の基準によっているかどうかは誰がどうやって判断するの?
例えばムハンマドなんかも本人は神に従っていると信じてたんじゃないの >>128
それは「論理性」ですよ。
もうちょっと具体的に言うと「整合性」ですよ。
これは学説や裁判の判決なんかでも、
これが基準ですよ。
だから、矛盾が指摘されたら、そこで脱落なんですよ。
イスラムがどう間違ってるかも、
整合性を持って示せますよ。 >>129
じゃあ、イスラムはどんな風に間違ってるの?
あと、ジャンヌダルクなんて本人は神の基準によってると信じてた
典型的なパターンだと思うけど、あれも結局は間違ってたの? >>130
それは細かい話が必要なんだけど、
例えばイスラムは三位一体の創造主を認めていないのだから、
三位一体の創造主の存在が証明できれば、
自動的に、それは間違っていると言える。
これだけで、世の中にある「宗教」はほとんどが脱落するであろう。
ジャンヌ・ダルクがどういう存在だったかも、
歴史の原理から見れば、どういう正当性があったかわかる。 >>128
神とは 人間や生物すべての創造主であり すべてに神が宿るともいえる。
日本の場合、神はすべてに宿り その神の最高神が太陽である。
年の初めの初日の出から始まり 初詣をするのは日本特有な現象であり
すべての行いの源は 多数神の存在の起因から始まる。
誤解を招くと困るのだが神は人間でない。 人間が死んで神になることはあるが
生きている人間が神になることはない。神になろうとすると神罰が当たる。
神様が人間の化身として存在し 神と人間は別物である。
神仏の違い 神様とキリストの違いはここにあると。 >>129
あとさ、一般に法律学において論理的整合性を重視するのは
大陸系(ドイツ、フランスやそこから大きな影響を受けた日本など)の特徴で、
イギリスやアメリカになると論理だとか体系だとかよりも
常識的な結論だとか具体的な妥当性の方を重視する傾向があるんだけど、
信仰の国民性ではイギリスはともかくアメリカが最も優れてるって話なんでしょ?
信仰において優れていてもこの点で論理的整合性から乖離しているのはなんでなの?
それと論理や体系を一貫させようとするあまり結論が変になるってのも
法律ではありがちな話なんだけど、こういうことが起こるのはなんで? >>133
論理性があったら、結論が「変」にはならない。
しかも、「妥当性」も、整合性を得るためのやり方の一つであって、
結局、大陸(欧州)と英米の違いは「演繹か帰納か」にある。
どちらがより整合性が高いということはない。
アプローチが違うだけだ。
それから、法学というのは、めちゃくちゃ格の低い「学問」であって、
(もし、これを「学問」と認めるなら)
その論理性や整合性は非常に低いということは言っておこう。
だから、政治家、裁判官などを含む官僚、弁護士などは、
あんなにも馬鹿ぞろいなのである。 まあ実際つまんないからね法律って
なんか面白いこと勉強したいから
熊五郎のテキストの続き待ってるんだけど
テキストが無理ならオススメの本とかないの しかし世間的には法律とか医学とかって
わりと偉いジャンルってことになってるのに
熊五郎の評価は真逆なんだね >>136
それは、全くの必然で、「この世=馬鹿」なわけで、
法学や医学(あまり学問と言いたくないが)が、
実際には格の低いのは当然である。
この世の終わりとなれば、
この辺のゴミも葬り去られることになる。
この兆候は、すでに、あらゆるところに出ている。
>>135
基本的には、テキストというか動画を待つしかないね。
私が、これから、「最初の一撃」のように示すことは、
今までの出版物や学説などとは次元の違うものですから、
代用品はない。
ただ、
「すべての分野の中心にキリストがある」
ということを示すわけで、つまり、
「何でもいい」と言えばなんでもいい。
実際、私が書いてるようなことは、特定の分野ではないでしょ。
これらが三位一体の創造主による秩序によって、
統合的に存在していることが示されるわけである。 >>137 訂正
> 「何でもいい」と言えばなんでもいい。
↓
> 「何でもいい」と言えば何でもいい。 さよか
じゃあとりあえずこないだちょっと推してた
高校教師の世界史本でも読んどくか >>123
今やっているのは脱構築に失敗している例だからね
こうやって
「お国の為に命を賭した若者たちをそんな風に言うなんて熊さんを見損なった、この薄情者」
ほら解体出来なかったでしょ
他にも
「熊五郎がいなくなっても神は残るし千年王国は実現するからもう役目は終わった」と
やって、熊五郎の実権は引き剥がせても神や千年王国までは解体が出来ない
実権に偽も本物もないからな。本物だから脱構築できないなんて
まるで脱構築を知らないと自己紹介しているようなものだ、
偽物に力を与えたり本物の力を削ぐのが脱構築だぞ。 >>126 >>129
すまんけどバカすぎて見てらんない
あのな脱構築の歴史くらい勉強しようか
なぜ脱構築が開発されたと思う?
それはその前にロゴス中心主義があったからだ
科学とか、構造主義とか、理性、神もそうだが
そうした形而上学的なものがあったからだ
そもそも大きな誤解をしているけど、脱構築なんてものは
いらないのだ。通常なら近代主義や、科学や、構造分析や、
理性を積み上げたり、神の声を聞けばいい。
ところがそれが行き詰ることがあるわけよ。
そこで緊急避難的にぶっ壊す哲学の禁じ手が脱構築なのよ。
だから論理と言うのは絶対にないって言うか
それを停止させるための装置が脱構築なんだから
ちょいとばかり歴史を知らなすぎる。
神や論理性の天敵が脱構築だぞ、それでも破られないと
言い張る事が出来ると思っているんだろうけど、甘い。
そんなものは脱構築の開発者が想定していないわけがないのだ。
ポストモダンはシュミュラークルにも言及しているからね
「私は熊五郎を完全にコピーしたので間違えていません」で
真実性に対して撹乱することも出来る
すまんけどこの辺の議論は専門筋の間では終わっていて、
中途半端に持ち出した東浩紀とかその辺の言論界が
おかしくしているだけなのよ。あんま議論の余地残ってないぞ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています