(>>620の続き)
さて、何が必要なのか。

こんなんが延々続く。MMTの話にしてもこれは背後に必要なもので、ましてやそれが純・コアMMTではなく、
民主化運動としての応用MMTなのだとなったら、もうこんなもんじゃ済まないわけですよ。

考えてもみてください。こんな調子でいったいどこまでいったら現実に落とし込むとか政治の現場であるとか、
政策論のその細部であるとか、この世の中は本当にどういう了見で動いておるのか。
複雑怪奇で不確実で、本当のところ俺程のいい加減さではないにしても、皆殆ど何も分かってはおらんではないか。

貨幣論について、資本主義とはうんたらかんたら…。

日本という文化に根差したとか、どんだけ大変な話なのか。

さて、何が必要なのか。

脳みそと全身の神経通信網のその反応の動態立体地図としてそれらの知識が配されれており、立ち上がる反応それ自体が、
人格と密接に結びついた教養の果実の発露となって、他我の神経通信網へとここでも動態的に接続されていく。
その相互依存の関係性において立ち現れる上位抽象空間に総体として帰着する“べき”概念としての、
公益なるものを我々は探し出し、また探し続けねばならない。

(中略)

つまり、乱暴に言えば、MMTから演繹されるところのPB黒字化目標破棄に向けて皆で協力すればいいのだと思う。
消費増税反対。