公的なことがらに責任を持って対処してきたそれまでの貴族的な少数者とは異なり、努力せずに得た豊かさを当然のものと捉える大衆は、「おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとする」。

共産主義やファシズムを筆頭に、「ヨーロッパに初めて理由を示して相手を説得することも、自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断固として強制しようとする人間のタイプが現れた」。

これこそが「大衆の反逆」であり、「民族や文化が遭遇しうる最大の危機」であるとのオルテガの予言は、ヒトラーやスターリンの全体主義体制実現によって不幸にも的中した。

この本を読み返して、オルテガの主張はアレクシ・ド・トクヴィルの考え方に通じると感じた。オルテガの100年前に無秩序と混乱が続く革命後のフランス社会の姿を目にしたトクヴィルは、その原因が社会の平等化(大衆化)にあると考えた。

しかし、この流れは今や止めがたい。そうであるなら、欠点を制度によって矯正しつつ、自由で平等な社会が実現できないか。

この問いへの答えを探して彼は階級のないアメリカへ渡り、その長所短所をつぶさに観察した結果を自著『アメリカのデモクラシー』にまとめ、将来を憂う故国の人々に伝えた。トクヴィルが模索したより穏健な民主主義は、20世紀になって定着したかのように見えた。

秩序の崩壊をもたらした最初の大戦とは異なり、第二次世界大戦ではドイツ、イタリア、そして日本というファシズム国家が徹底的に叩きのめされ、その後半世紀近く続いた冷戦の後には共産党の独裁が続いたソ連も崩壊した。「大衆の反逆」の最悪の果実は除去されたと、多くの人が感じた。

しかし、冷戦後も世界各地で紛争と圧政はなくならず、同時多発テロ事件をきっかけに中東へ軍事介入したアメリカは終わりのない戦を続け、国民の厭戦気分を背景に、成果を上げぬまま20年後完全に撤退する。