アドベンチャー・タイムの世界観って、アンパンマン
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
アドベンチャー・タイムの世界観好きだったのに…
ウイルス崩壊とはな… コピペすぎてつまらんよ これは丹波の国から来た男で、まだ柔かい口髭が、やつと鼻の下に、生えかかつた位の青年である。 勿論、この男も始めは皆と一しよに、何の理由もなく、赤鼻の五位を軽蔑した。 所が、或日何かの折に、「いけぬのう、お身たちは」と云ふ声を聞いてからは、どうしても、それが頭を離れない。 それ以来、この男の眼にだけは、五位が全く別人として、映るやうになつた。 栄養の不足した、血色の悪い、間のぬけた五位の顔にも、世間の迫害にべそを掻いた、「人間」が覗いてゐるからである。 この無位の侍には、五位の事を考へる度に、世の中のすべてが急に本来の下等さを露すやうに思はれた。 さうしてそれと同時に霜げた赤鼻と数へる程の口髭とが何となく一味の慰安を自分の心に伝へてくれるやうに思はれた。…… かう云ふ例外を除けば、五位は、依然として周囲の軽蔑の中に、犬のやうな生活を続けて行かなければならなかつた。 青鈍の水干と、同じ色の指貫とが一つづつあるのが、今ではそれが上白んで、藍とも紺とも、つかないやうな色に、なつてゐる。 水干はそれでも、肩が少し落ちて、丸組の緒や菊綴の色が怪しくなつてゐるだけだが、指貫になると、裾のあたりのいたみ方が一通りでない。 その指貫の中から、下の袴もはかない、細い足が出てゐるのを見ると、口の悪い同僚でなくとも、痩公卿の車を牽いてゐる、痩牛の歩みを見るやうな、みすぼらしい心もちがする。 それに佩いてゐる太刀も、頗る覚束ない物で、柄の金具も如何はしければ、黒鞘の塗も剥げかかつてゐる。 これが例の赤鼻で、だらしなく草履をひきずりながら、唯でさへ猫背なのを、一層寒空の下に背ぐくまつて、もの欲しさうに、左右を眺め眺め、きざみ足に歩くのだから、通りがかりの物売りまで莫迦にするのも、無理はない。 或る日、五位が三条坊門を神泉苑の方へ行く所で、子供が六七人、路ばたに集つて、何かしてゐるのを見た事がある。 「こまつぶり」でも、廻してゐるのかと思つて、後ろから覗いて見ると、何処かから迷つて来た、尨犬の首へ繩をつけて、打つたり殴いたりしてゐるのであつた。 臆病な五位は、これまで何かに同情を寄せる事があつても、あたりへ気を兼ねて、まだ一度もそれを行為に現はしたことがない。 が、この時だけは相手が子供だと云ふので、幾分か勇気が出た。 そこで出来るだけ、笑顔をつくりながら、年かさらしい子供の肩を叩いて、「もう、堪忍してやりなされ。 すると、その子供はふりかへりながら、上眼を使つて、蔑すむやうに、ぢろぢろ五位の姿を見た。 云はば侍所の別当が用の通じない時に、この男を見るやうな顔をして、見たのである。 「いらぬ世話はやかれたうもない。」その子供は一足下りながら、高慢な唇を反らせて、かう云つた。 「何ぢや、この鼻赤めが。」五位はこの語が自分の顔を打つたやうに感じた。 が、それは悪態をつかれて、腹が立つたからでは毛頭ない。 云はなくともいい事を云つて、恥をかいた自分が、情なくなつたからである。 彼は、きまりが悪いのを苦しい笑顔に隠しながら、黙つて、又、神泉苑の方へ歩き出した。 後では、子供が、六七人、肩を寄せて、「べつかつかう」をしたり、舌を出したりしてゐる。 知つてゐたにしても、それが、この意気地のない五位にとつて、何であらう。…… では、この話の主人公は、唯、軽蔑される為にのみ生れて来た人間で、別に何の希望も持つてゐないかと云ふと、さうでもない。 五位は五六年前から芋粥と云ふ物に、異常な執着を持つてゐる。 芋粥とは山の芋を中に切込んで、それを甘葛の汁で煮た、粥の事を云ふのである。 当時はこれが、無上の佳味として、上は万乗の君の食膳にさへ、上せられた。 従つて、吾五位の如き人間の口へは、年に一度、臨時の客の折にしか、はいらない。 その時でさへ、飲めるのは僅に喉を沾すに足る程の少量である。 そこで芋粥を飽きる程飲んで見たいと云ふ事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になつてゐた。 いや彼自身さへそれが、彼の一生を貫いてゐる欲望だとは、明白に意識しなかつた事であらう。 が事実は彼がその為に、生きてゐると云つても、差支ない程であつた。―― 人間は、時として、充されるか充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまふ。 その愚を哂ふ者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。 しかし、五位が夢想してゐた、「芋粥に飽かむ」事は、存外容易に事実となつて現れた。 その始終を書かうと云ふのが、芋粥の話の目的なのである。 或年の正月二日、基経の第に、所謂臨時の客があつた時の事である。 (臨時の客は二宮の大饗と同日に摂政関白家が、大臣以下の上達部を招いて催す饗宴で、大饗と別に変りがない。)五位も、外の侍たちにまじつて、その残肴の相伴をした。 当時はまだ、取食みの習慣がなくて、残肴は、その家の侍が一堂に集まつて、食ふ事になつてゐたからである。 尤も、大饗に等しいと云つても昔の事だから、品数の多い割りに碌な物はない、餅、伏菟、蒸鮑、干鳥、宇治の氷魚、近江の鮒、鯛の楚割、鮭の内子、焼蛸、大海老、大柑子、小柑子、橘、串柿などの類である。 が、何時も人数が多いので、自分が飲めるのは、いくらもない。 そこで、彼は飲んでしまつた後の椀をしげしげと眺めながら、うすい口髭についてゐる滴を、掌で拭いて誰に云ふともなく、「何時になつたら、これに飽ける事かのう」と、かう云つた。 五位は、猫背の首を挙げて、臆病らしく、その人の方を見た。 声の主は、その頃同じ基経の恪勤になつてゐた、民部卿時長の子藤原利仁である。 肩幅の広い、身長の群を抜いた逞しい大男で、これは、栗を噛みながら、黒酒の杯を重ねてゐた。 「お気の毒な事ぢやの。」利仁は、五位が顔を挙げたのを見ると、軽蔑と憐憫とを一つにしたやうな声で、語を継いだ。 始終、いぢめられてゐる犬は、たまに肉を貰つても容易によりつかない。 五位は、例の笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、利仁の顔と、空の椀とを等分に見比べてゐた。 五位は、その中に、衆人の視線が、自分の上に、集まつてゐるのを感じ出した。 答へ方一つで、又、一同の嘲弄を、受けなければならない。 或は、どう答へても、結局、莫迦にされさうな気さへする。 もし、その時に、相手が、少し面倒臭そうな声で、「おいやなら、たつてとは申すまい」と云はなかつたなら、五位は、何時までも、椀と利仁とを、見比べてゐた事であらう。 所謂、橙黄橘紅を盛つた窪坏や高坏の上に多くの揉烏帽子や立烏帽子が、笑声と共に一しきり、波のやうに動いた。 中でも、最、大きな声で、機嫌よく、笑つたのは、利仁自身である。 「では、その中に、御誘ひ申さう。」さう云ひながら、彼は、ちよいと顔をしかめた。 こみ上げて来る笑と今飲んだ酒とが、喉で一つになつたからである。 五位は赤くなつて、吃りながら、又、前の答を繰返した。 それが云はせたさに、わざわざ念を押した当の利仁に至つては、前よりも一層可笑しさうに広い肩をゆすつて、哄笑した。 この朔北の野人は、生活の方法を二つしか心得てゐない。 しかし幸に談話の中心は、程なく、この二人を離れてしまつた。 これは事によると、外の連中が、たとひ嘲弄にしろ、一同の注意をこの赤鼻の五位に集中させるのが、不快だつたからかも知れない。 兎に角、談柄はそれからそれへと移つて、酒も肴も残少になつた時分には、某と云ふ侍学生が、行縢の片皮へ、両足を入れて馬に乗らうとした話が、一座の興味を集めてゐた。 恐らく芋粥の二字が、彼のすべての思量を支配してゐるからであらう。 彼は、唯、両手を膝の上に置いて、見合ひをする娘のやうに霜に犯されかかつた鬢の辺まで、初心らしく上気しながら、何時までも空になつた黒塗の椀を見つめて、多愛もなく、微笑してゐるのである。…… それから、四五日たつた日の午前、加茂川の河原に沿つて、粟田口へ通ふ街道を、静に馬を進めてゆく二人の男があつた。 一人は濃い縹の狩衣に同じ色の袴をして、打出の太刀を佩いた「鬚黒く鬢ぐきよき」男である。 もう一人は、みすぼらしい青鈍の水干に、薄綿の衣を二つばかり重ねて着た、四十恰好の侍で、これは、帯のむすび方のだらしのない容子と云ひ、赤鼻でしかも穴のあたりが、洟にぬれてゐる容子と云ひ、身のまはり万端のみすぼらしい事夥しい。 尤も、馬は二人とも、前のは月毛、後のは蘆毛の三歳駒で、道をゆく物売りや侍も、振向いて見る程の駿足である。 その後から又二人、馬の歩みに遅れまいとして随いて行くのは、調度掛と舎人とに相違ない。―― これが、利仁と五位との一行である事は、わざわざ、ここに断るまでもない話であらう。 冬とは云ひながら、物静に晴れた日で、白けた河原の石の間、潺湲たる水の辺に立枯れてゐる蓬の葉を、ゆする程の風もない。 川に臨んだ背の低い柳は、葉のない枝に飴の如く滑かな日の光りをうけて、梢にゐる鶺鴒の尾を動かすのさへ、鮮かに、それと、影を街道に落してゐる。 東山の暗い緑の上に、霜に焦げた天鵞絨のやうな肩を、丸々と出してゐるのは、大方、比叡の山であらう。 二人はその中に鞍の螺鈿を、まばゆく日にきらめかせながら鞭をも加へず悠々と、粟田口を指して行くのである。 「どこでござるかな、手前をつれて行つて、やらうと仰せられるのは。」五位が馴れない手に手綱をかいくりながら、云つた。 利仁は今朝五位を誘ふのに、東山の近くに湯の湧いてゐる所があるから、そこへ行かうと云つて出て来たのである。 久しく湯にはいらないので、体中がこの間からむづ痒い。 芋粥の馳走になつた上に、入湯が出来れば、願つてもない仕合せである。 かう思つて、予め利仁が牽かせて来た、蘆毛の馬に跨つた。 所が、轡を並べて此処まで来て見ると、どうも利仁はこの近所へ来るつもりではないらしい。 利仁は、微笑を含みながら、わざと、五位の顔を見ないやうにして、静に馬を歩ませてゐる。 両側の人家は、次第に稀になつて、今は、広々とした冬田の上に、餌をあさる鴉が見えるばかり、山の陰に消残つて、雪の色も仄に青く煙つてゐる。 晴れながら、とげとげしい櫨の梢が、眼に痛く空を刺してゐるのさへ、何となく肌寒い。 何かとする中に、関山も後にして、彼是、午少しすぎた時分には、とうとう三井寺の前へ来た。 殊に当時は盗賊が四方に横行した、物騒な時代である。―― 五位は猫背を一層低くしながら、利仁の顔を見上げるやうにして訊ねた。 悪戯をして、それを見つけられさうになつた子供が、年長者に向つてするやうな微笑である。 鼻の先へよせた皺と、眼尻にたたへた筋肉のたるみとが、笑つてしまはうか、しまふまいかとためらつてゐるらしい。 「実はな、敦賀まで、お連れ申さうと思うたのぢや。」笑ひながら、利仁は鞭を挙げて遠くの空を指さした。 その鞭の下には、的として、午後の日を受けた近江の湖が光つてゐる。 利仁が、敦賀の人、藤原有仁の女婿になつてから、多くは敦賀に住んでゐると云ふ事も、日頃から聞いてゐない事はない。 が、その敦賀まで自分をつれて行く気だらうとは、今の今まで思はなかつた。 第一、幾多の山河を隔ててゐる越前の国へ、この通り、僅二人の伴人をつれただけで、どうして無事に行かれよう。 ましてこの頃は、往来の旅人が、盗賊の為に殺されたと云ふ噂さへ、諸方にある。―― 揚句が越前の敦賀とは、一体どうしたと云ふ事でござる。 始めから、さう仰せられうなら、下人共なりと、召つれようものを。―― 五位は、殆どべそを掻かないばかりになつて、呟いた。 もし「芋粥に飽かむ」事が、彼の勇気を鼓舞しなかつたとしたら、彼は恐らく、そこから別れて、京都へ独り帰つて来た事であらう。 五位の狼狽するのを見ると、利仁は、少し眉を顰めながら、嘲笑つた。 さうして調度掛を呼寄せて、持たせて来た壺胡」、第3水準1-89-79)を背に負ふと、やはり、その手から、黒漆の真弓をうけ取つて、それを鞍上に横へながら、先に立つて、馬を進めた。 かうなる以上、意気地のない五位は、利仁の意志に盲従するより外に仕方がない。 それで、彼は心細さうに、荒涼とした周囲の原野を眺めながら、うろ覚えの観音経を口の中に念じ念じ、例の赤鼻を鞍の前輪にすりつけるやうにして、覚束ない馬の歩みを、不相変とぼとぼと進めて行つた。 馬蹄の反響する野は、茫々たる黄茅に蔽はれて、その所々にある行潦も、つめたく、青空を映したまま、この冬の午後を、何時かそれなり凍つてしまふかと疑はれる。 その涯には、一帯の山脈が、日に背いてゐるせゐか、かがやく可き残雪の光もなく、紫がかつた暗い色を、長々となすつてゐるが、それさへ蕭条たる幾叢の枯薄に遮られて、二人の従者の眼には、はいらない事が多い。―― すると、利仁が、突然、五位の方をふりむいて、声をかけた。 五位は利仁の云ふ意味が、よくわからないので、怖々ながら、その弓で指さす方を、眺めて見た。 唯、野葡萄か何かの蔓が、灌木の一むらにからみついてゐる中を、一疋の狐が、暖かな毛の色を、傾きかけた日に曝しながら、のそりのそり歩いて行く。―― と思ふ中に、狐は、慌ただしく身を跳らせて、一散に、どこともなく走り出した。 利仁が急に、鞭を鳴らせて、その方へ馬を飛ばし始めたからである。 しばらくは、石を蹴る馬蹄の音が、戞々として、曠野の静けさを破つてゐたが、やがて利仁が、馬を止めたのを見ると、何時、捕へたのか、もう狐の後足を掴んで、倒に、鞍の側へ、ぶら下げてゐる。 狐が、走れなくなるまで、追ひつめた所で、それを馬の下に敷いて、手取りにしたものであらう。 五位は、うすい髭にたまる汗を、慌しく拭きながら、漸、その傍へ馬を乗りつけた。 「これ、狐、よう聞けよ。」利仁は、狐を高く眼の前へつるし上げながら、わざと物々しい声を出してかう云つた。 「其方、今夜の中に、敦賀の利仁が館へ参つて、かう申せ。 『利仁は、唯今俄に客人を具して下らうとする所ぢや。 明日、巳時頃、高島の辺まで、男たちを迎ひに遣はし、それに、鞍置馬二疋、牽かせて参れ。 云ひ畢ると共に、利仁は、一ふり振つて狐を、遠くの叢の中へ、抛り出した。 やつと、追ひついた二人の従者は、逃げてゆく狐の行方を眺めながら、手を拍つて囃し立てた。 落葉のやうな色をしたその獣の背は、夕日の中を、まつしぐらに、木の根石くれの嫌ひなく、何処までも、走つて行く。 それが一行の立つてゐる所から、手にとるやうによく見えた。 狐を追つてゐる中に、何時か彼等は、曠野が緩い斜面を作つて、水の涸れた川床と一つになる、その丁度上の所へ、出てゐたからである。 五位は、ナイイヴな尊敬と讃嘆とを洩らしながら、この狐さへ頤使する野育ちの武人の顔を、今更のやうに、仰いで見た。 自分と利仁との間に、どれ程の懸隔があるか、そんな事は、考へる暇がない。 唯、利仁の意志に、支配される範囲が広いだけに、その意志の中に包容される自分の意志も、それだけ自由が利くやうになつた事を、心強く感じるだけである。―― 阿諛は、恐らく、かう云ふ時に、最自然に生れて来るものであらう。 読者は、今後、赤鼻の五位の態度に、幇間のやうな何物かを見出しても、それだけで妄にこの男の人格を、疑ふ可きではない。 抛り出された狐は、なぞへの斜面を、転げるやうにして、駈け下りると、水の無い河床の石の間を、器用に、ぴよいぴよい、飛び越えて、今度は、向うの斜面へ、勢よく、すぢかひに駈け上つた。 駈け上りながら、ふりかへつて見ると、自分を手捕りにした侍の一行は、まだ遠い傾斜の上に馬を並べて立つてゐる。 殊に入日を浴びた、月毛と蘆毛とが、霜を含んだ空気の中に、描いたよりもくつきりと、浮き上つてゐる。 狐は、頭をめぐらすと、又枯薄の中を、風のやうに走り出した。 一行は、予定通り翌日の巳時ばかりに、高島の辺へ来た。 此処は琵琶湖に臨んだ、ささやかな部落で、昨日に似ず、どんよりと曇つた空の下に、幾戸の藁屋が、疎にちらばつてゐるばかり、岸に生えた松の樹の間には、灰色の漣をよせる湖の水面が、磨くのを忘れた鏡のやうに、さむざむと開けてゐる。―― 見ると、成程、二疋の鞍置馬を牽いた、二三十人の男たちが、馬に跨がつたのもあり徒歩のもあり、皆水干の袖を寒風に翻へして、湖の岸、松の間を、一行の方へ急いで来る。 やがてこれが、間近くなつたと思ふと、馬に乗つてゐた連中は、慌ただしく鞍を下り、徒歩の連中は、路傍に蹲踞して、いづれも恭々しく、利仁の来るのを、待ちうけた。 「やはり、あの狐が、使者を勤めたと見えますのう。」 「生得、変化ある獣ぢやて、あの位の用を勤めるのは、何でもござらぬ。」 五位と利仁とが、こんな話をしてゐる中に、一行は、郎等たちの待つてゐる所へ来た。 蹲踞してゐた連中が、忙しく立つて、二人の馬の口を取る。 二人が、馬から下りて、敷皮の上へ、腰を下すか下さない中に、檜皮色の水干を着た、白髪の郎等が、利仁の前へ来て、かう云つた。 「何ぢや。」利仁は、郎等たちの持つて来た篠枝や破籠を、五位にも勧めながら、鷹揚に問ひかけた。 夜前、戌時ばかりに、奥方が俄に、人心地をお失ひなされましてな。 今日、殿の仰せられた事を、言伝てせうほどに、近う寄つて、よう聞きやれ。 さて、一同がお前に参りますると、奥方の仰せられまするには、『殿は唯今俄に客人を具して、下られようとする所ぢや。 明日巳時頃、高島の辺まで、男どもを迎ひに遺はし、それに鞍置馬二疋牽かせて参れ。 「それは、又、稀有な事でござるのう。」五位は利仁の顔と、郎等の顔とを、仔細らしく見比べながら、両方に満足を与へるやうな、相槌を打つた。 さも、恐ろしさうに、わなわなとお震へになりましてな、『遅れまいぞ。 』と、しつきりなしに、お泣きになるのでございまする。」 手前共の出て参りまする時にも、まだ、お眼覚にはならぬやうで、ございました。」 「如何でござるな。」郎等の話を聞き完ると、利仁は五位を見て、得意らしく云つた。 「何とも驚き入る外は、ござらぬのう。」五位は、赤鼻を掻きながら、ちよいと、頭を下げて、それから、わざとらしく、呆れたやうに、口を開いて見せた。 口髭には、今飲んだ酒が、滴になつて、くつついてゐる。 五位は、利仁の館の一間に、切燈台の灯を眺めるともなく、眺めながら、寝つかれない長の夜をまぢまぢして、明してゐた。 すると、夕方、此処へ着くまでに、利仁や利仁の従者と、談笑しながら、越えて来た松山、小川、枯野、或は、草、木の葉、石、野火の煙のにほひ、―― さう云ふものが、一つづつ、五位の心に、浮んで来た。 殊に、雀色時の靄の中を、やつと、この館へ辿りついて、長櫃に起してある、炭火の赤い焔を見た時の、ほつとした心もち、―― それも、今かうして、寝てゐると、遠い昔にあつた事としか、思はれない。 五位は綿の四五寸もはいつた、黄いろい直垂の下に、楽々と、足をのばしながら、ぼんやり、われとわが寝姿を見廻した。 直垂の下に利仁が貸してくれた、練色の衣の綿厚なのを、二枚まで重ねて、着こんでゐる。 それだけでも、どうかすると、汗が出かねない程、暖かい。 そこへ、夕飯の時に一杯やつた、酒の酔が手伝つてゐる。 枕元の蔀一つ隔てた向うは、霜の冴えた広庭だが、それも、かう陶然としてゐれば、少しも苦にならない。 万事が、京都の自分の曹司にゐた時と比べれば、雲泥の相違である。 が、それにも係はらず、我五位の心には、何となく釣合のとれない不安があつた。 芋粥を食ふ時になると云ふ事が、さう早く、来てはならないやうな心もちがする。 さうして又、この矛盾した二つの感情が、互に剋し合ふ後には、境遇の急激な変化から来る、落着かない気分が、今日の天気のやうに、うすら寒く控へてゐる。 それが、皆、邪魔になつて、折角の暖かさも、容易に、眠りを誘ひさうもない。 すると、外の広庭で、誰か大きな声を出してゐるのが、耳にはいつた。 声がらでは、どうも、今日、途中まで迎へに出た、白髪の郎等が何か告れてゐるらしい。 その乾からびた声が、霜に響くせゐか、凛々として凩のやうに、一語づつ五位の骨に、応へるやうな気さへする。 殿の御意遊ばさるるには、明朝、卯時までに、切口三寸、長さ五尺の山の芋を、老若各、一筋づつ、持つて参る様にとある。 それが、二三度、繰返されたかと思ふと、やがて、人のけはひが止んで、あたりは忽ち元のやうに、静な冬の夜になつた。 五位は欠伸を一つ、噛みつぶして、又、とりとめのない、思量に耽り出した。―― 山の芋と云ふからには、勿論芋粥にする気で、持つて来させるのに相違ない。 さう思ふと、一時、外に注意を集中したおかげで忘れてゐた、さつきの不安が、何時の間にか、心に帰つて来る。 殊に、前よりも、一層強くなつたのは、あまり早く芋粥にありつきたくないと云ふ心もちで、それが意地悪く、思量の中心を離れない。 どうもかう容易に「芋粥に飽かむ」事が、事実となつて現れては、折角今まで、何年となく、辛抱して待つてゐたのが、如何にも、無駄な骨折のやうに、見えてしまふ。 出来る事なら、突然何か故障が起つて一旦、芋粥が飲めなくなつてから、又、その故障がなくなつて、今度は、やつとこれにありつけると云ふやうな、そんな手続きに、万事を運ばせたい。―― こんな考へが、「こまつぶり」のやうに、ぐるぐる一つ所を廻つてゐる中に、何時か、五位は、旅の疲れで、ぐつすり、熟睡してしまつた。 翌朝、眼がさめると、直に、昨夜の山の芋の一件が、気になるので、五位は、何よりも先に部屋の蔀をあげて見た。 すると、知らない中に、寝すごして、もう卯時をすぎてゐたのであらう。 広庭へ敷いた、四五枚の長筵の上には、丸太のやうな物が、凡そ、二三千本、斜につき出した、檜皮葺の軒先へつかへる程、山のやうに、積んである。 見るとそれが、悉く、切口三寸、長さ五尺の途方もなく大きい、山の芋であつた。 五位は、寝起きの眼をこすりながら、殆ど周章に近い驚愕に襲はれて、呆然と、周囲を見廻した。 広庭の所々には、新しく打つたらしい杭の上に五斛納釜を五つ六つ、かけ連ねて、白い布の襖を着た若い下司女が、何十人となく、そのまはりに動いてゐる。 火を焚きつけるもの、灰を掻くもの、或は、新しい白木の桶に、「あまづらみせん」を汲んで釜の中へ入れるもの、皆芋粥をつくる準備で、眼のまはる程忙しい。 釜の下から上る煙と、釜の中から湧く湯気とが、まだ消え残つてゐる明方の靄と一つになつて、広庭一面、はつきり物も見定められない程、灰色のものが罩めた中で、赤いのは、烈々と燃え上る釜の下の焔ばかり、眼に見るもの、耳に聞くもの悉く、 五位は、今更のやうに、この巨大な山の芋が、この巨大な五斛納釜の中で、芋粥になる事を考へた。 さうして、自分が、その芋粥を食ふ為に京都から、わざわざ、越前の敦賀まで旅をして来た事を考へた。 考へれば考へる程、何一つ、情無くならないものはない。 我五位の同情すべき食慾は、実に、此時もう、一半を減却してしまつたのである。 それから、一時間の後、五位は利仁や舅の有仁と共に、朝飯の膳に向つた。 前にあるのは、銀の提の一斗ばかりはいるのに、なみなみと海の如くたたへた、恐るべき芋粥である。 五位はさつき、あの軒まで積上げた山の芋を、何十人かの若い男が、薄刃を器用に動かしながら、片端から削るやうに、勢よく切るのを見た。 それからそれを、あの下司女たちが、右往左往に馳せちがつて、一つのこらず、五斛納釜へすくつては入れ、すくつては入れするのを見た。 最後に、その山の芋が、一つも長筵の上に見えなくなつた時に、芋のにほひと、甘葛のにほひとを含んだ、幾道かの湯気の柱が、蓬々然として、釜の中から、晴れた朝の空へ、舞上つて行くのを見た。 これを、目のあたりに見た彼が、今、提に入れた芋粥に対した時、まだ、口をつけない中から、既に、満腹を感じたのは、恐らく、無理もない次第であらう。―― 五位は、提を前にして、間の悪さうに、額の汗を拭いた。 舅の有仁は、童児たちに云ひつけて、更に幾つかの銀の提を膳の上に並べさせた。 五位は眼をつぶつて、唯でさへ赤い鼻を、一層赤くしながら、提に半分ばかりの芋粥を大きな土器にすくつて、いやいやながら飲み干した。 利仁も側から、新な提をすすめて、意地悪く笑ひながらこんな事を云ふ。 遠慮のない所を云へば、始めから芋粥は、一椀も吸ひたくない。 これ以上、飲めば、喉を越さない中にもどしてしまふ、さうかと云つて、飲まなければ、利仁や有仁の厚意を無にするのも、同じである。 そこで、彼は又眼をつぶつて、残りの半分を三分の一程飲み干した。 余程弱つたと見えて、口髭にも、鼻の先にも、冬とは思はれない程、汗が玉になつて、垂れてゐる。 童児たちは、有仁の語につれて、新な提の中から、芋粥を、土器に汲まうとする。 五位は、両手を蠅でも逐ふやうに動かして、平に、辞退の意を示した。 もし、此時、利仁が、突然、向うの家の軒を指して、「あれを御覧じろ」と云はなかつたなら、有仁は猶、五位に、芋粥をすすめて、止まなかつたかも知れない。 が、幸ひにして、利仁の声は、一同の注意を、その軒の方へ持つて行つた。 さうして、そのまばゆい光に、光沢のいい毛皮を洗はせながら、一疋の獣が、おとなしく、坐つてゐる。 見るとそれは一昨日、利仁が枯野の路で手捕りにした、あの阪本の野狐であつた。 軒からとび下りた狐は、直に広庭で芋粥の馳走に、与つたのである。 五位は、芋粥を飲んでゐる狐を眺めながら、此処へ来ない前の彼自身を、なつかしく、心の中でふり返つた。 色のさめた水干に、指貫をつけて、飼主のない尨犬のやうに、朱雀大路をうろついて歩く、憐む可き、孤独な彼である。 しかし、同時に又、芋粥に飽きたいと云ふ慾望を、唯一人大事に守つてゐた、幸福な彼である。―― 彼は、この上芋粥を飲まずにすむと云ふ安心と共に、満面の汗が次第に、鼻の先から、乾いてゆくのを感じた。 晴れてはゐても、敦賀の朝は、身にしみるやうに、風が寒い。 五位は慌てて、鼻をおさへると同時に銀の提に向つて大きな嚔をした。 僕は岩野泡鳴氏と一しよに、巣鴨行の電車に乗つてゐた。 泡鳴氏は昂然と洋傘の柄にマントの肘をかけて、例の如く声高に西洋草花の栽培法だの氏が自得の健胃法だのをいろいろ僕に話してくれた。 その内にどう云ふ拍子だつたか、話題が当時評判だつた或小説の売れ行きに落ちた。 「しかし君、新進作家とか何とか云つたつて、そんなに本は売れやしないだらう。 部売れるが、君なんぞは一体何部位売れる?」と云つた。 僕は聊か恐縮しながら、止むを得ず「傀儡師」の売れ高を答へた。 僕よりも著書の売れ高の多い新進作家は大勢ある。―― 僕は二三の小説を挙げて、僕の仄聞する売れ高を答へた。 それらは不幸にも氏の著書より、多数は売行きが好いに違ひなかつた。 僕がまだ何とも答へない内に、氏の眼には忽ち前のやうな溌剌たる光が還つて来た。 と同時に泡鳴氏は恰も天下を憐れむが如く、悠然とかう云ひ放つた。 少くとも僕の眼に映じた我岩野泡鳴氏は、殆ど荘厳な気がする位、愛すべき楽天主義者だつた。 と云ってもまだ風の寒い、月の冴えた夜の九時ごろ、保吉は三人の友だちと、魚河岸の往来を歩いていた。 三人の友だちとは、俳人の露柴、洋画家の風中、蒔画師の如丹、―― 三人とも本名は明さないが、その道では知られた腕っ扱きである。 殊に露柴は年かさでもあり、新傾向の俳人としては、夙に名を馳せた男だった。 もっとも風中と保吉とは下戸、如丹は名代の酒豪だったから、三人はふだんと変らなかった。 ただ露柴はどうかすると、足もとも少々あぶなかった。 我々は露柴を中にしながら、腥い月明りの吹かれる通りを、日本橋の方へ歩いて行った。 家も河岸の丸清と云えば、あの界隈では知らぬものはない。 それを露柴はずっと前から、家業はほとんど人任せにしたなり、自分は山谷の露路の奥に、句と書と篆刻とを楽しんでいた。 だから露柴には我々にない、どこかいなせな風格があった。 下町気質よりは伝法な、山の手には勿論縁の遠い、―― 云わば河岸の鮪の鮨と、一味相通ずる何物かがあった。……… 露柴はさも邪魔そうに、時々外套の袖をはねながら、快活に我々と話し続けた。 その内に我々はいつのまにか、河岸の取つきへ来てしまった。 このまま河岸を出抜けるのはみんな妙に物足りなかった。 するとそこに洋食屋が一軒、片側を照らした月明りに白い暖簾を垂らしていた。 この店の噂は保吉さえも何度か聞かされた事があった。 そんな事を云い合う内に、我々はもう風中を先に、狭い店の中へなだれこんでいた。 客の一人は河岸の若い衆、もう一人はどこかの職工らしかった。 我々は二人ずつ向い合いに、同じ卓に割りこませて貰った。 それから平貝のフライを肴に、ちびちび正宗を嘗め始めた。 その代り料理を平げさすと、二人とも中々健啖だった。 だから洋食は食っていても、ほとんど洋食屋とは思われなかった。 風中は誂えたビフテキが来ると、これは切り味じゃないかと云ったりした。 如丹はナイフの切れるのに、大いに敬意を表していた。 保吉はまた電燈の明るいのがこう云う場所だけに難有かった。 露柴は土地っ子だから、何も珍らしくはないらしかった。 が、鳥打帽を阿弥陀にしたまま、如丹と献酬を重ねては、不相変快活にしゃべっていた。 するとその最中に、中折帽をかぶった客が一人、ぬっと暖簾をくぐって来た。 客は外套の毛皮の襟に肥った頬を埋めながら、見ると云うよりは、睨むように、狭い店の中へ眼をやった。 それから一言の挨拶もせず、如丹と若い衆との間の席へ、大きい体を割りこませた。 保吉はライスカレエを掬いながら、嫌な奴だなと思っていた。 これが泉鏡花の小説だと、任侠欣ぶべき芸者か何かに、退治られる奴だがと思っていた。 しかしまた現代の日本橋は、とうてい鏡花の小説のように、動きっこはないとも思っていた。 脂ぎった赭ら顔は勿論、大島の羽織、認めになる指環、―― 保吉はいよいよ中てられたから、この客の存在を忘れたさに、隣にいる露柴へ話しかけた。 が、露柴はうんとか、ええとか、好い加減な返事しかしてくれなかった。 のみならず彼も中てられたのか、電燈の光に背きながら、わざと鳥打帽を目深にしていた。 保吉はやむを得ず風中や如丹と、食物の事などを話し合った。 この肥った客の出現以来、我々三人の心もちに、妙な狂いの出来た事は、どうにも仕方のない事実だった。 その時誰か横合いから、「幸さん」とはっきり呼んだものがあった。 しかもその驚いた顔は、声の主を見たと思うと、たちまち当惑の色に変り出した。 客は中折帽を脱ぎながら、何度も声の主に御時儀をした。 露柴は涼しい顔をしながら、猪口を口へ持って行った。 その猪口が空になると、客は隙かさず露柴の猪口へ客自身の罎の酒をついだ。 それから側目には可笑しいほど、露柴の機嫌を窺い出した。……… 少くとも東京の魚河岸には、未にあの通りの事件も起るのである。 保吉は勿論「幸さん」には、何の同情も持たなかった。 その上露柴の話によると、客は人格も悪いらしかった。 保吉の書斎の机の上には、読みかけたロシュフウコオの語録がある。―― 保吉は月明りを履みながら、いつかそんな事を考えていた。 内田百間氏は夏目先生の門下にして僕の尊敬する先輩なり。 然れども不幸にも出版後、直に震災に遭へるが為に普く世に行はれず。 殊に「女性」に掲げられたる「旅順開城」等の数篇等は戞々たる独創造の作品なり。 然れどもこの数篇を読めるものは(僕の知れる限りにては)室生犀星、萩原朔太郎、佐佐木茂索、岸田国士等の四氏あるのみ。 天下の書肆皆新作家の新作品を市に出さんとする時に当り、内田百間氏を顧みざるは何故ぞや。 僕は佐藤春夫氏と共に、「冥途」を再び世に行はしめんとせしも、今に至つて微力その効を奏せず。 内田百間氏の作品は多少俳味を交へたれども、その夢幻的なる特色は人後に落つるものにあらず。 僕は単に友情の為のみにあらず、真面目に内田百間氏の詩的天才を信ずるが為に特にこの悪文を草するものなり。 さうして切りのこした蘆の中に跪いて、天照大神に、母と子との幸ひを祈つた。 日がくれかかると、女は産屋を出て、蘆の中にゐる男の所へ來た。 男は蘆の中につないで置いた丸木舟に乘つて、河下の村へさみしく漕いで歸つた。 しかし村へ歸ると、男は、七日待つのが、身を切られるよりもつらく思はれた。 そこで、頸にかけた七つの曲玉を一日毎に、一つづゝとつて行つた。 さうしてその數がふへるのを、せめてもの慰めにしようとした。 男の頸にかけた曲玉は、その毎に一つづゝ減つて行つた。 その日の夕、蘆の中に丸木舟をつなぐと、男はそつと産屋の近くへ忍んで行つた。 來て見ると、産屋の中はまるで人氣がないやうに、しんとしてゐた。 さうして唯屋根に葺いた蘆の穗だけが暖く秋の日のにほひを送つてゐた。 蘆の葉を敷いた床の上に、ぼんやり動いてゐるやうに見えるのが、子どもであらう。 河の水は、恐しい叫び聲の爲に驚いて、蘆の根をゆすつた。 女の産んだ子どもと云ふのは、七匹の小さな白蛇であつた。………… この頃自分は、この神話の中の男のやうな心もちで、自分の作品集を眺めてゐるのである。 半三郎は商科大学を卒業した後、二月目に北京へ来ることになった。 もう一つ次手につけ加えれば、半三郎の家庭生活の通りである。 奉天から北京へ来る途中、寝台車の南京虫に螫された時のほかはいつも微笑を浮かべている。 それはxx胡同の社宅の居間に蝙蝠印の除虫菊が二缶、ちゃんと具えつけてあるからである。 わたしは半三郎の家庭生活は平々凡々を極めていると言った。 彼はただ常子と一しょに飯を食ったり、蓄音機をかけたり、活動写真を見に行ったり、―― あらゆる北京中の会社員と変りのない生活を営んでいる。 しかし彼等の生活も運命の支配に漏れる訣には行かない。 運命はある真昼の午後、この平々凡々たる家庭生活の単調を一撃のもとにうち砕いた。 三菱会社員忍野半三郎は脳溢血のために頓死したのである。 半三郎はやはりその午後にも東単牌楼の社の机にせっせと書類を調べていた。 机を向かい合わせた同僚にも格別異状などは見えなかったそうである。 が、一段落ついたと見え、巻煙草を口へ啣えたまま、マッチをすろうとする拍子に突然俯伏しになって死んでしまった。 しかし世間は幸いにも死にかたには余り批評をしない。 上役や同僚は未亡人常子にいずれも深い同情を表した。 同仁病院長山井博士の診断に従えば、半三郎の死因は脳溢血である。 ただいつか見たことのない事務室へ来たのに驚いている。―― 事務室の窓かけは日の光の中にゆっくりと風に吹かれている。 事務室のまん中の大机には白い大掛児を着た支那人が二人、差し向かいに帳簿を検らべている。 もう一人はやや黄ばみかけた、長い口髭をはやしている。 そのうちに二十前後の支那人は帳簿へペンを走らせながら、目も挙げずに彼へ話しかけた。 「アアル・ユウ・ミスタア・ヘンリイ・バレット・アアント・ユウ?」 「我はこれ日本三菱公司の忍野半三郎」と答えたのである。 やっと目を挙げた支那人はやはり驚いたようにこう言った。 年とったもう一人の支那人も帳簿へ何か書きかけたまま、茫然と半三郎を眺めている。 年とった支那人は怒ったと見え、ぶるぶる手のペンを震わせている。 二十前後の支那人は新らたに厚い帳簿をひろげ、何か口の中に読みはじめた。 が、その帳簿をとざしたと思うと、前よりも一層驚いたように年とった支那人へ話しかけた。 彼は脚を早めるが早いか、思わずあっと大声を出した。 折り目の正しい白ズボンに白靴をはいた彼の脚は窓からはいる風のために二つとも斜めに靡いている! 彼はこう言う光景を見た時、ほとんど彼の目を信じなかった。 が、両手にさわって見ると、実際両脚とも、腿から下は空気を掴むのと同じことである。 と言うよりもズボンはちょうどゴム風船のしなびたようにへなへなと床の上へ下りた。 年とった支那人はこう言った後、まだ余憤の消えないように若い下役へ話しかけた。 そこでヘンリイ・バレットは現在どこに行っているかね?」 「今調べたところによると、急に漢口へ出かけたようです。」 「では漢口へ電報を打ってヘンリイ・バレットの脚を取り寄せよう。」 漢口から脚の来るうちには忍野君の胴が腐ってしまいます。」 二十前後の支那人は大机の前を離れると、すうっとどこかへ出て行ってしまった。 彼は尻もちをついたまま、年とった支那人に歎願した。 どうか後生一生のお願いですから、人間の脚をつけて下さい。 少々くらい毛脛でも人間の脚ならば我慢しますから。」 年とった支那人は気の毒そうに半三郎を見下しながら、何度も点頭を繰り返した。 時々蹄鉄を打ちかえれば、どんな山道でも平気ですよ。……」 するともう若い下役は馬の脚を二本ぶら下げたなり、すうっとまたどこかからはいって来た。 ちょうどホテルの給仕などの長靴を持って来るのと同じことである。 しかし両脚のない悲しさには容易に腰を上げることも出来ない。 そのうちに下役は彼の側へ来ると、白靴や靴下を外し出した。 第一僕の承認を経ずに僕の脚を修繕する法はない。……」 半三郎のこう喚いているうちに下役はズボンの右の穴へ馬の脚を一本さしこんだ。 二十前後の支那人は満足の微笑を浮かべながら、爪の長い両手をすり合せている。 するといつか白ズボンの先には太い栗毛の馬の脚が二本、ちゃんともう蹄を並べている。―― 少くともその先はここまでのようにはっきりと記憶には残っていない。 とにかく彼はえたいの知れない幻の中を彷徨した後やっと正気を恢復した時にはxx胡同の社宅に据えた寝棺の中に横たわっていた。 のみならずちょうど寝棺の前には若い本願寺派の布教師が一人、引導か何かを渡していた。 こう言う半三郎の復活の評判になったのは勿論である。 「順天時報」はそのために大きい彼の写真を出したり、三段抜きの記事を掲げたりした。 何でもこの記事に従えば、喪服を着た常子はふだんよりも一層にこにこしていたそうである。 ある上役や同僚は無駄になった香奠を会費に復活祝賀会を開いたそうである。 もっとも山井博士の信用だけは危険に瀕したのに違いない。 が、博士は悠然と葉巻の煙を輪に吹きながら、巧みに信用を恢復した。 それは医学を超越する自然の神秘を力説したのである。 つまり博士自身の信用の代りに医学の信用を抛棄したのである。 けれども当人の半三郎だけは復活祝賀会へ出席した時さえ、少しも浮いた顔を見せなかった。 彼の脚は復活以来いつの間にか馬の脚に変っていたのである。 指の代りに蹄のついた栗毛の馬の脚に変っていたのである。 彼はこの脚を眺めるたびに何とも言われぬ情なさを感じた。 万一この脚の見つかった日には会社も必ず半三郎を馘首してしまうのに違いない。 常子も恐らくはこの例に洩れず、馬の脚などになった男を御亭主に持ってはいないであろう。―― 半三郎はこう考えるたびに、どうしても彼の脚だけは隠さなければならぬと決心した。 浴室の窓や戸じまりを厳重にしたのもそのためである。 また不安を感じたのも無理ではなかったのに違いない。 半三郎のまず警戒したのは同僚の疑惑を避けることである。 これは彼の苦心の中でも比較的楽な方だったかも知れない。 が、彼の日記によれば、やはりいつも多少の危険と闘わなければならなかったようである。 俺は今日も事務を執りながら、気違いになるくらい痒い思いをした。 とにかく当分は全力を挙げて蚤退治の工夫をしなければならぬ。…… するとマネエジャアは話の中にも絶えず鼻を鳴らせている。 どうも俺の脚の臭いは長靴の外にも発散するらしい。…… 俺は今日午休み前に急ぎの用を言いつけられたから、小走りに梯子段を走り下りた。 誰でもこう言う瞬間には用のことしか思わぬものである。 俺もそのためにいつの間にか馬の脚を忘れていたのであろう。 あっと言う間に俺の脚は梯子段の七段目を踏み抜いてしまった。…… これもやっと体得して見ると、畢竟腰の吊り合一つである。 もっとも今日の失敗は必ずしも俺の罪ばかりではない。 すると車夫は十二銭の賃銭をどうしても二十銭よこせと言う。 おまけに俺をつかまえたなり、会社の門内へはいらせまいとする。 俺は大いに腹が立ったから、いきなり車夫を蹴飛ばしてやった。 車夫の空中へ飛び上ったことはフット・ボオルかと思うくらいである。 とにかく脚を動かす時には一層細心に注意しなければならぬ。……」 しかし同僚を瞞着するよりも常子の疑惑を避けることは遥かに困難に富んでいたらしい。 半三郎は彼の日記の中に絶えずこの困難を痛嘆している。 俺は文化生活の必要を楯に、たった一つの日本間をもとうとう西洋間にしてしまった。 こうすれば常子の目の前でも靴を脱がずにいられるからである。 常子は畳のなくなったことを大いに不平に思っているらしい。 が、靴足袋をはいているにもせよ、この脚で日本間を歩かせられるのはとうてい俺には不可能である。…… このベッドを買ったのはある亜米利加人のオオクションである。 俺はあのオオクションへ行った帰りに租界の並み木の下を歩いて行った。 俺は昨夜もう少しで常子の横腹を蹴るところだった。…… 猿股やズボン下や靴下にはいつも馬の毛がくっついているから。…… 実は常子に知られぬように靴下代を工面するだけでも並みたいていの苦労ではない。…… その上常子に見られぬように脚の先を毛布に隠してしまうのはいつも容易ならぬ冒険である。 ことによると俺の馬の脚も露見する時が来たのかも知れない。……」 それを一々枚挙するのはとうていわたしの堪えるところではない。 が、半三郎の日記の中でも最もわたしを驚かせたのは下に掲げる出来事である。 が、俺は格別気にも止めずに古本屋の店へはいろうとした。 馭者は鞭を鳴らせながら、「スオ、スオ」と声をかけた。 「スオ、スオ」は馬を後にやる時に支那人の使う言葉である。 馬車はこの言葉の終らぬうちにがたがた後へ下り出した。 俺も古本屋を前に見たまま、一足ずつ後へ下り出した。 この時の俺の心もちは恐怖と言うか、驚愕と言うか、とうてい筆舌に尽すことは出来ない。 俺は徒らに一足でも前へ出ようと努力しながら、しかも恐しい不可抗力のもとにやはり後へ下って行った。 そのうちに馭者の「スオオ」と言ったのはまだしも俺のためには幸福である。 俺は馬車の止まる拍子にやっと後ずさりをやめることが出来た。 俺はほっと一息しながら、思わず馬車の方へ目を転じた。 馬車を牽いていた葦毛の馬は何とも言われぬ嘶きかたをした。 俺はその疳走った声の中に確かに馬の笑ったのを感じた。 馬のみならず俺の喉もとにも嘶きに似たものがこみ上げるのを感じた。 俺は両耳へ手をやるが早いか、一散にそこを逃げ出してしまった。……」 けれども運命は半三郎のために最後の打撃を用意していた。 三月の末のある午頃、彼は突然彼の脚の躍ったり跳ねたりするのを発見したのである。 その疑問に答えるためには半三郎の日記を調べなければならぬ。 が、不幸にも彼の日記はちょうど最後の打撃を受ける一日前に終っている。 ただ前後の事情により、大体の推測は下せぬこともない。 わたしは馬政紀、馬記、元享療牛馬駝集、伯楽相馬経等の諸書に従い、彼の脚の興奮したのはこう言うためだったと確信している。―― 黄塵とは蒙古の春風の北京へ運んで来る砂埃りである。 「順天時報」の記事によれば、当日の黄塵は十数年来未だ嘗見ないところであり、「五歩の外に正陽門を仰ぐも、すでに門楼を見るべからず」と言うのであるから、よほど烈しかったのに違いない。 然るに半三郎の馬の脚は徳勝門外の馬市の斃馬についていた脚であり、そのまた斃馬は明らかに張家口、錦州を通って来た蒙古産の庫倫馬である。 すると彼の馬の脚の蒙古の空気を感ずるが早いか、たちまち躍ったり跳ねたりし出したのはむしろ当然ではないであろうか? かつまた当時は塞外の馬の必死に交尾を求めながら、縦横に駈けまわる時期である。 して見れば彼の馬の脚がじっとしているのに忍びなかったのも同情に価すると言わなければならぬ。…… この解釈の是非はともかく、半三郎は当日会社にいた時も、舞踏か何かするように絶えず跳ねまわっていたそうである。 また社宅へ帰る途中も、たった三町ばかりの間に人力車を七台踏みつぶしたそうである。 何でも常子の話によれば、彼は犬のように喘ぎながら、よろよろ茶の間へはいって来た。 それからやっと長椅子へかけると、あっけにとられた細君に細引を持って来いと命令した。 常子は勿論夫の容子に大事件の起ったことを想像した。 のみならず苛立たしさに堪えないように長靴の脚を動かしている。 彼女はそのためにいつものように微笑することも忘れたなり、一体細引を何にするつもりか、聞かしてくれと歎願した。 しかし夫は苦しそうに額の汗を拭いながら、こう繰り返すばかりである。 常子はやむを得ず荷造りに使う細引を一束夫へ渡した。 彼女の心に発狂と言う恐怖のきざしたのはこの時である。 常子は夫を見つめたまま、震える声に山井博士の来診を請うことを勧め出した。 しかし彼は熱心に細引を脚へからげながら、どうしてもその勧めに従わない。 それよりもお前、ここへ来て俺の体を抑えていてくれ。」 彼等は互に抱き合ったなり、じっと長椅子に坐っていた。 北京を蔽った黄塵はいよいよ烈しさを加えるのであろう。 今は入り日さえ窓の外に全然光と言う感じのしない、濁った朱の色を漂わせている。 半三郎の脚はその間も勿論静かにしている訣ではない。 細引にぐるぐる括られたまま、目に見えぬペダルを踏むようにやはり絶えず動いている。 常子は夫を劬わるように、また夫を励ますようにいろいろのことを話しかけた。 「あなた、あなた、どうしてそんなに震えていらっしゃるんです?」 常子は「順天時報」の記者にこの時の彼女の心もちはちょうど鎖に繋がれた囚人のようだったと話している。 が、かれこれ三十分の後、畢に鎖の断たれる時は来た。 半三郎を家庭へ縛りつけた人間の鎖の断たれる時である。 濁った朱の色を透かせた窓は流れ風にでも煽られたのか、突然がたがたと鳴り渡った。 と同時に半三郎は何か大声を出すが早いか、三尺ばかり宙へ飛び上った。 常子はその時細引のばらりと切れるのを見たそうである。 彼女は夫の飛び上るのを見たぎり、長椅子の上に失神してしまった。 しかし社宅の支那人のボオイはこう同じ記者に話している。―― 半三郎は何かに追われるように社宅の玄関へ躍り出た。 が、身震いを一つすると、ちょうど馬の嘶きに似た、気味の悪い声を残しながら、往来を罩めた黄塵の中へまっしぐらに走って行ってしまった。…… もっとも「順天時報」の記者は当日の午後八時前後、黄塵に煙った月明りの中に帽子をかぶらぬ男が一人、万里の長城を見るのに名高い八達嶺下の鉄道線路を走って行ったことを報じている。 が、この記事は必ずしも確実な報道ではなかったらしい。 現にまた同じ新聞の記者はやはり午後八時前後、黄塵を沾した雨の中に帽子をかぶらぬ男が一人、石人石馬の列をなした十三陵の大道を走って行ったことを報じている。 すると半三郎はxx胡同の社宅の玄関を飛び出した後、全然どこへどうしたか、判然しないと言わなければならぬ。 半三郎の失踪も彼の復活と同じように評判になったのは勿論である。 しかし常子、マネエジャア、同僚、山井博士、「順天時報」の主筆等はいずれも彼の失踪を発狂のためと解釈した。 もっとも発狂のためと解釈するのは馬の脚のためと解釈するのよりも容易だったのに違いない。 この公道を代表する「順天時報」の主筆牟多口氏は半三郎の失踪した翌日、その椽大の筆を揮って下の社説を公にした。―― 「三菱社員忍野半三郎氏は昨夕五時十五分、突然発狂したるが如く、常子夫人の止むるを聴かず、単身いずこにか失踪したり。 同仁病院長山井博士の説によれば、忍野氏は昨夏脳溢血を患い、三日間人事不省なりしより、爾来多少精神に異常を呈せるものならんと言う。 また常子夫人の発見したる忍野氏の日記に徴するも、氏は常に奇怪なる恐迫観念を有したるが如し。 然れども吾人の問わんと欲するは忍野氏の病名如何にあらず。 「それわが金甌無欠の国体は家族主義の上に立つものなり。 家族主義の上に立つものとせば、一家の主人たる責任のいかに重大なるかは問うを待たず。 吾人はかかる疑問の前に断乎として否と答うるものなり。 彼等はことごとく家族を後に、あるいは道塗に行吟し、あるいは山沢に逍遥し、あるいはまた精神病院裡に飽食暖衣するの幸福を得べし。 然れども世界に誇るべき二千年来の家族主義は土崩瓦解するを免れざるなり。 吾人は素より忍野氏に酷ならんとするものにあらざるなり。 然れども軽忽に発狂したる罪は鼓を鳴らして責めざるべからず。 発狂禁止令を等閑に附せる歴代政府の失政をも天に替って責めざるべからず。 「常子夫人の談によれば、夫人は少くとも一ヶ年間、xx胡同の社宅に止まり、忍野氏の帰るを待たんとするよし。 吾人は貞淑なる夫人のために満腔の同情を表すると共に、賢明なる三菱当事者のために夫人の便宜を考慮するに吝かならざらんことを切望するものなり。……」 しかし少くとも常子だけは半年ばかりたった後、この誤解に安んずることの出来ぬある新事実に遭遇した。 それは北京の柳や槐も黄ばんだ葉を落としはじめる十月のある薄暮である。 彼女は失踪した夫のことだの、売り払ってしまったダブル・ベッドのことだの、南京虫のことだのを考えつづけた。 すると誰かためらい勝ちに社宅の玄関のベルを押した。 彼女はそれでも気にせずにボオイの取り次ぎに任かせて措いた。 常子はやっと長椅子を離れ、静かに玄関へ歩いて行った。 落ち葉の散らばった玄関には帽子をかぶらぬ男が一人、薄明りの中に佇んでいる。 男は確かに砂埃りにまみれたぼろぼろの上衣を着用している。 常子はこの男の姿にほとんど恐怖に近いものを感じた。 常子はその姿を透かして見ながら、もう一度恐る恐る繰り返した。 常子は息を呑んだまま、しばらくは声を失ったように男の顔を見つめつづけた。 が、彼女を見ている瞳は確かに待ちに待った瞳だった。 けれども一足出すが早いか、熱鉄か何かを踏んだようにたちまちまた後ろへ飛びすさった。 夫は破れたズボンの下に毛だらけの馬の脚を露している。 薄明りの中にも毛色の見える栗毛の馬の脚を露している。 しかし今を逸したが最後、二度と夫に会われぬことを感じた。 常子はもう一度夫の胸へ彼女の体を投げかけようとした。 彼女が三度目にこう言った時、夫はくるりと背を向けたと思うと、静かに玄関をおりて行った。 常子は最後の勇気を振い、必死に夫へ追い縋ろうとした。 が、まだ一足も出さぬうちに彼女の耳にはいったのは戞々と蹄の鳴る音である。 常子は青い顔をしたまま、呼びとめる勇気も失ったようにじっと夫の後ろ姿を見つめた。 玄関の落ち葉の中に昏々と正気を失ってしまった。…… 常子はこの事件以来、夫の日記を信ずるようになった。 しかしマネエジャア、同僚、山井博士、牟多口氏等の人びとは未だに忍野半三郎の馬の脚になったことを信じていない。 のみならず常子の馬の脚を見たのも幻覚に陥ったことと信じている。 わたしは北京滞在中、山井博士や牟多口氏に会い、たびたびその妄を破ろうとした。 いや、最近には小説家岡田三郎氏も誰かからこの話を聞いたと見え、どうも馬の脚になったことは信ぜられぬと言う手紙をよこした。 岡田氏はもし事実とすれば、「多分馬の前脚をとってつけたものと思いますが、スペイン速歩とか言う妙技を演じ得る逸足ならば、前脚で物を蹴るくらいの変り芸もするか知れず、それとても湯浅少佐あたりが乗るのでなければ、果して馬自身でやり了せるかどうか、 わたしも勿論その点には多少の疑惑を抱かざるを得ない。 けれどもそれだけの理由のために半三郎の日記ばかりか、常子の話をも否定するのはいささか早計に過ぎないであろうか? 現にわたしの調べたところによれば、彼の復活を報じた「順天時報」は同じ面の二三段下にこう言う記事をも掲げている。―― 「美華禁酒会長ヘンリイ・バレット氏は京漢鉄道の汽車中に頓死したり。 同氏は薬罎を手に死しいたるより、自殺の疑いを生ぜしが、罎中の水薬は分析の結果、アルコオル類と判明したるよし。」 僕等は午飯をすませた後、敷島を何本も灰にしながら、東京の友だちの噂などした。 僕等のいるのは何もない庭へ葭簾の日除けを差しかけた六畳二間の離れだった。 庭には何もないと言っても、この海辺に多い弘法麦だけは疎らに砂の上に穂を垂れていた。 その穂は僕等の来た時にはまだすっかり出揃わなかった。 が、今はいつのまにかどの穂も同じように狐色に変り、穂先ごとに滴をやどしていた。 Mは長ながと寝ころんだまま、糊の強い宿の湯帷子の袖に近眼鏡の玉を拭っていた。 仕事と言うのは僕等の雑誌へ毎月何か書かなければならぬ、その創作のことを指すのだった。 Mの次の間へ引きとった後、僕は座蒲団を枕にしながら、里見八犬伝を読みはじめた。 きのう僕の読みかけたのは信乃、現八、小文吾などの荘助を救いに出かけるところだった。 「その時蜑崎照文は懐ろより用意の沙金を五包みとり出しつ。 もっとも些少の東西なれども、こたびの路用を資くるのみ。 わが私の餞別ならず、里見殿の賜ものなるに、辞わで納め給えと言う。」―― 僕はそこを読みながら、おととい届いた原稿料の一枚四十銭だったのを思い出した。 僕等は二人ともこの七月に大学の英文科を卒業していた。 従って衣食の計を立てることは僕等の目前に迫っていた。 僕はだんだん八犬伝を忘れ、教師になることなどを考え出した。 が、そのうちに眠ったと見え、いつかこう言う短い夢を見ていた。 僕はとにかく雨戸をしめた座敷にたった一人横になっていた。 すると誰か戸を叩いて「もし、もし」と僕に声をかけた。 しかし僕に声をかけたのは誰だか少しもわからなかった。 僕はその言葉を聞いた時、「ははあ、Kのやつだな」と思った。 Kと言うのは僕等よりも一年後の哲学科にいた、箸にも棒にもかからぬ男だった。 ただわたしの友だちに会わせたい女があるんですが、……」 のみならず誰か僕のことを心配してくれる人らしかった。 僕は急にわくわくしながら、雨戸をあけに飛び起きて行った。 けれどもそこにはKは勿論、誰も人かげは見えなかった。 池は海草の流れているのを見ると、潮入りになっているらしかった。 そのうちに僕はすぐ目の前にさざ波のきらきら立っているのを見つけた。 さざ波は足もとへ寄って来るにつれ、だんだん一匹の鮒になった。 僕の目を覚ました時にはもう軒先の葭簾の日除けは薄日の光を透かしていた。 僕は洗面器を持って庭へ下り、裏の井戸ばたへ顔を洗いに行った。 しかし顔を洗った後でも、今しがた見た夢の記憶は妙に僕にこびりついていた。 「つまりあの夢の中の鮒は識域下の我と言うやつなんだ。」―― 一時間ばかりたった後、手拭を頭に巻きつけた僕等は海水帽に貸下駄を突っかけ、半町ほどある海へ泳ぎに行った。 道は庭先をだらだら下りると、すぐに浜へつづいていた。 僕等は弘法麦の茂みを避け避け、(滴をためた弘法麦の中へうっかり足を踏み入れると、ふくら脛の痒くなるのに閉口したから。)そんなことを話して歩いて行った。 と言うよりもむしろ暮れかかった夏に未練を持っていたのだった。 海には僕等の来た頃は勿論、きのうさえまだ七八人の男女は浪乗りなどを試みていた。 しかしきょうは人かげもなければ、海水浴区域を指定する赤旗も立っていなかった。 ただ広びろとつづいた渚に浪の倒れているばかりだった。 そこには茶色の犬が一匹、細かい羽虫の群れを追いかけていた。 が、それも僕等を見ると、すぐに向うへ逃げて行ってしまった。 僕は下駄だけは脱いだものの、とうてい泳ぐ気にはなれなかった。 しかしMはいつのまにか湯帷子や眼鏡を着もの脱ぎ場へ置き、海水帽の上へ頬かぶりをしながら、ざぶざぶ浅瀬へはいって行った。 Mは膝ほどある水の中に幾分か腰をかがめたなり、日に焼けた笑顔をふり向けて見せた。 「嫣然」と言うのはここにいるうちに挨拶ぐらいはし合うようになったある十五六の中学生だった。 しかしどこか若木に似た水々しさを具えた少年だった。 ちょうど十日ばかり以前のある午後、僕等は海から上った体を熱い砂の上へ投げ出していた。 そこへ彼も潮に濡れたなり、すたすた板子を引きずって来た。 が、ふと彼の足もとに僕等の転がっているのを見ると、鮮かに歯を見せて一笑した。 それ以来彼は僕等の間に「嫣然」と言う名を得ていたのだった。 僕はMには頓着せず、着もの脱ぎ場から少し離れた、小高い砂山の上へ行った。 それから貸下駄を臀の下に敷き、敷島でも一本吸おうとした。 しかし僕のマツチの火は存外強い風のために容易に巻煙草に移らなかった。 Mはいつ引っ返したのか、向うの浅瀬に佇んだまま、何か僕に声をかけていた。 けれども生憎その声も絶え間のない浪の音のためにはっきり僕の耳へはいらなかった。 僕のこう尋ねた時にはMはもう湯帷子を引っかけ、僕の隣に腰を下ろしていた。 現に僕もおとといの朝、左の肩から上膊へかけてずっと針の痕をつけられていた。 やられたなと思ってまわりを見ると、何匹も水の中に浮いているんだ。」 渚はどこも見渡す限り、打ち上げられた海草のほかは白じらと日の光に煙っていた。 僕等は敷島を啣えながら、しばらくは黙ってこう言う渚に寄せて来る浪を眺めていた。 Mの何か言いかけた時、僕等は急に笑い声やけたたましい足音に驚かされた。 それは海水着に海水帽をかぶった同年輩の二人の少女だった。 彼等はほとんど傍若無人に僕等の側を通り抜けながら、まっすぐに渚へ走って行った。 一人は真紅の海水着を着、もう一人はちょうど虎のように黒と黄とだんだらの海水着を着た、軽快な後姿を見送ると、いつか言い合せたように微笑していた。 黒と黄との海水着を着た少女に「ジンゲジ」と言う諢名をつけていた。 「ジンゲジ」とは彼女の顔だち(ゲジヒト)の肉感的(ジンリッヒ)なことを意味するのだった。 僕等は二人ともこの少女にどうも好意を持ち悪かった。 僕はあいつにするから」などと都合の好いことを主張していた。 だがあいつも見られていることはちゃんと意識しているんだからな。」 彼等は濡れるのを惧れるようにそのたびにきっと飛び上った。 こう言う彼等の戯れはこの寂しい残暑の渚と不調和に感ずるほど花やかに見えた。 僕等は風の運んで来る彼等の笑い声を聞きながら、しばらくまた渚から遠ざかる彼等の姿を眺めていた。 と思うと乳ほどの水の中に立ち、もう一人の少女を招きながら、何か甲高い声をあげた。 その顔は大きい海水帽のうちに遠目にも活き活きと笑っていた。 しかし彼等は前後したまま、さらに沖へ出て行くのだった。 僕等は二人の少女の姿が海水帽ばかりになったのを見、やっと砂の上の腰を起した。 それから余り話もせず、(腹も減っていたのに違いなかった。)宿の方へぶらぶら帰って行った。 僕等は晩飯をすませた後、この町に帰省中のHと言う友だちやNさんと言う宿の若主人ともう一度浜へ出かけて行った。 それは何も四人とも一しょに散歩をするために出かけたのではなかった。 HはS村の伯父を尋ねに、Nさんはまた同じ村の籠屋へ庭鳥を伏せる籠を註文しにそれぞれ足を運んでいたのだった。 浜伝いにS村へ出る途は高い砂山の裾をまわり、ちょうど海水浴区域とは反対の方角に向っていた。 海は勿論砂山に隠れ、浪の音もかすかにしか聞えなかった。 しかし疎らに生え伸びた草は何か黒い穂に出ながら、絶えず潮風にそよいでいた。 僕は足もとの草をむしり、甚平一つになったNさんに渡した。 僕等もNさんの東京から聟に来たことは耳にしていた。 のみならず家附の細君は去年の夏とかに男を拵えて家出したことも耳にしていた。 「魚のこともHさんはわたしよりはずっと詳しいんです。」 僕はまた知っているのは剣術ばかりかと思っていた。」 HはMにこう言われても、弓の折れの杖を引きずったまま、ただにやにや笑っていた。 Nさんはバットに火をつけた後、去年水泳中に虎魚に刺された東京の株屋の話をした。 その株屋は誰が何と言っても、いや、虎魚などの刺す訣はない、確かにあれは海蛇だと強情を張っていたとか言うことだった。 しかしその問に答えたのはたった一人海水帽をかぶった、背の高いHだった。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 36日 20時間 42分 43秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。