1970年代 ボクシング総合スレ 57R
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
引き続きですみませんが、大場政夫の寿司屋の話は有名だよね。佐瀬稔さんの「感情的ボクシング論」に載ってたエピソード。 試合直後だから、寿司屋でもいいだろうと、寿司屋でいんてびのセッティングしたけど、大場は🍣のネタだけだべて、シャリには手を付けず、しかも2きれか3きれしか食べなかった。そんな節制してても、10キロ以上の減量。普段も体脂肪一桁、最後は骨でも削らなきゃ落ちないんでは…という話。 追記すると、タイトル取ってから2センチ身長伸びた。 >>7
無理だろな。
フライ級のパンチでダウンして何とか持ちこたえて立ち上がったが
フライ級より重いパンチを食らったら立てないだろ。 大仁田が新人時代に淵と一緒に馬場に寿司屋に連れていってもらったことがあったそうだ
大仁田は遠慮してたけど淵はウニ、トロ、イクラって平気で高いのを注文したそうだ
後で馬場が淵は2度と呼ばないって言ってたんだって 大場には夢をもたせてほしいな、もう、絶対に夢から醒めることはないんだから。 大場のベストはカバネラ戦よりも
116ポンドで戦ったヒメネス戦だろう
特にパンチの切れが素晴らしかった
セイヤーグローブの影響もあるだろうが ユーマチックがあったしアモレスの民生録画もあることからヒメネスも持ってる人は持ってるんだろうな
テレビ局に勤めるとコンプライアンスの関係で録画物の交換とかは問題になるようでむしろ一般人より
不自由みたいだ 一昔前は大っぴらに個人間でビデオの売買をやっていたらしいな 前スレの最後のほうで話題になった昔のボクサーの試合数だけど、袴田巌さんは1年10ヶ月で29戦して全キャリアを終えているようだ
しかもそのほとんどで最終ラウンドのゴングを聞いている
1ヶ月に4度試合をしたことも
どんだけタフだったんだか 70年代に詳しい方たちにとって西城ってどんな存在ですか?
自分はリアルタイムではオークラジムの会長をやってた人 としか
知りません。
ボクシングファンだけでなく、当時の世間的にもどんな扱いだったのか
知りたいです。
トカちゃんのチャンネル見ると「1番女性を会場に呼んだボクサー。ホントは
宮下さんの雑用をする洗濯ボーイとしてロスに行ったけど西城さんが出世した」と言ってました。
派手なイケメンボクサー?試合っぷりを見ると打たれもろくて長くは防衛しなさ
そうなスタイルではありますが。 袴田さん1ケ月に4試合ですか!
凄いというか恐いですね。1週間に1試合って感じでしょうか?
凄い時代ですね。 ワルインゲ中山 27戦16勝10敗(6KO負)1分 戦績は悪いが2度の世界挑戦、
日本ジュニアフェザー級タイトル獲得と中身は濃かった もう少し若いうちに
来日してればもっと活躍してただろう 自分の中ではケニアと言えば陸上選手じゃなく
フィリップ・ワルインゲ ワルインゲはデカかったという印象。たぶん、サラテよりデカかった。 西条はある意味、金平氏のマネージメントの最高傑作。決して実力派ではないけど、巧妙なマッチメイクでしっかり稼いだ。 最上の売りは顔だな 今なら井上以上に人気者になった 西庄ロハス戦はヤオじゃないかと思ってるw 日本の8回戦ボーイがアメリカに行って
たった9か月で世界王者なんて常識ではありえない >>24
当時のアメリカではフェザー級では世界チャンピオンでもファイトマネーは
日本円で100万円程度だろうから負けてくれるなら
300万円出すといったら受けた可能性はあるな。 具志堅がリオス マルカノとは再戦したけどグスマンとはやらなかったのは
グスマンがヤオを受けなかったんじゃないかと思ってる >>27
なにかしら仕込みはやっただろうな 金平が平手で闘うわけない ファイトマネーと言ったら、輪島功一はフジTVとの契約が、視聴率1%につき100万とかいう話だった。そんでもって、いつも40%台後半だから、5000万近かったはず。当時、王、長嶋の年俸が、3000万台だったのに、1試合でそれを凌いでたんだから、今とは世界タイトルの価値は段違いだな。 でも強さで言えば輪島よりもはるかに今の王者達が上なんだよな 他のメジャースポーツは当時と比較すると、年俸で
10倍にはなってるが、日本のボクシング界については、変わらずか、むしろ、悪くなってる。昔からのヤクザ絡みの興業的な性格が、ビジネスとして成長するのを阻害しているのかな?残念。 いや、日本における他のスポーツの腐敗っぷりはボクシング以上でしょ
巨人軍の裏賭博に八百長にドーピング、
相撲のリンチ殺人〜隠蔽工作(こんなのコンクリ事件並に悪質)に八百長erc
こんなのがボクシングで行われたら間違いなく滅んでいる
それでも野球や相撲が平然と存在しているのは、大企業や国家のヒモ付きってだけ
日本のボクシングは単純に人気低下現象、世界のボクシングは滅茶苦茶だけど みなさんの境遇
腹水、盆に帰らず
暑さ寒さも胃癌まで >>31
ボクサーのファイトマネーは激減してるよ
そりゃそうだよ世界王者の価値が暴落してるんだから
業界が金のことしか考えてないからこんなことになった バブル時代のファイトマネーがボクシング史上一番高かった。
時代で言うと、大橋、ユーリ、レパードがまさにドンピシャ
あの頃はTV番組に1出演500万とかの時代
ファイトマネーどころかTV出演でも儲かったはず
レパードも新宿の億ションをキャッシュでポン買いするほど でも白井義男ですら300坪の土地+上物をカーンからタダでもらったほどだから
バブル期に土地の転売だけで20億くらいは儲かっただろう。
その後、川崎にも家をキャッシュで買ってるし 昭和30年代の日本チャンピオンで5回防衛すれば
なんとか都内に一軒家買えたんじゃないか? >>33
それを言うなら
覆水盆に帰らず
暑さ寒さも彼岸まで >>35
それは初耳だ
当時既にボクシングは(今ほどではないが)テレビに見放されていて一般受けもしなかったからな
中でも玉熊なんて超地味で、チャンピオンになってもボクシングマニア以外は誰それ?状態だった 玉熊は地味の上に世界戦はたった4試合でしかも1勝2敗1引き分けそれほど稼げてないだろ
テレビで玉熊をボクシング以外見たことないし。大橋はわかるよ人気があったし世界戦も7試合
してるし。ユーリは金平に搾取されてるからそれほど稼いでいないと思う >>40
ユーリは他の選手と違って月給制だった。
たしかチャンピオン以前は月30万円、
チャンピオンになってからは月50万円じゃなかったかな。 ユーリは東京の金町や綾瀬で見たことがあったな
(王座を失った翌年だったと思う。)
JRの駅のホームだったけど、チラチラ見てたらユーリも気づいたんで軽く会釈したら向こうも笑顔で頷いてくれたのを覚えてる >>42
綾瀬駅では引退後の柴田国明を何度も見かけた。 >>39
玉熊の試合見て母がグジグジまとわりついて子供のケンカみたいだと言ってた
興味がない人にとってはそうだろう
フォアマンとかタイソンが一般受けするかな?
ホームズは強いけど母の目には玉熊と一緒だろうな
マスケなんかも普通の人には全然面白くないよな >>40
ユーリナザロフで利益が上がった感じもしないけどな
日本のボクシングファンも見る目が無いのか、辰吉や鬼塚みたいなのが人気で
川島やユーリナザロフでは会場が埋まらなかったし
ペレストロイカ軍団トータルでは全然利益にならなかったんじゃないか ローチェ、藤猛の試合は私のマイフェバリット。1967年なんで、すこし時代ずれるけど。エディ氏が藤猛の最大の武器は怖い顔で効かせる睨みだそうで、それでビビった相手が、ハンマーパンチもらって終了になる。ローチェ、全くビビらないから、藤のデンプシーロール効かせた攻めを、ほんと、鼻先三寸で見切っちゃうんで、藤は自分のパンチに振り回されて沈没。本当のディフェンスマスターは肝も太くて、チキンな今の三流とは物が違うなとおもった。 先代の金平会長も「ペレストロイカ軍団は金にならなかった」と述懐していたな
TVの放映権料も外人だから安かったそうだ 世界共通でロシア系は人気がないな
それで実力は折り紙つきだから対戦を避けられがちだよね
ナザロフもチューも地味な存在で終わった
ヤノフスキーも平仲よりもはるかに強いのに世界挑戦すらできなかったもんな ユーリの世界挑戦試合だけでは視聴率も摂れないだろうと
米俳優のミッキー・ローク戦をメインイベントに持ってきたくらいだからな。 金平の輸入ボクサー戦略は世界王者にして日本人ボクサーをバンバン挑戦させることだからな
そうやって金を稼ごうと思ってたがトーレスは韓国の王者に阻まれてやっと世界獲ったら短命におわり
ユーリやナザロフに対抗できる日本人は皆無 >>46
ローチェは安全牌として選んだ相手だったんだよな。
試合前の予想でも圧倒的に藤の勝利を予想してた。
これに対してローチェは「藤のパンチは確かに強いけど、それは当たった時の話だ。
だが残念ながら藤は私にパンチを当てることはできない」
と反論、そして結果はローチェの思い通りの試合になった。 指名挑戦者にナポレスもあがってなかったかな。それで、ローチェに流れたんなら、本当に無冠の帝王だね。マンテキーヤは。 >>51
トップコンテンダーだから選択挑戦者ではないでしょ?
藤陣営に組み易しの油断があったか否かは知らんけど 今は同階級に8人とか世界王者がいるんだから無冠の帝王とか
なりようがないな。軽量級なら70年代の日本王者になるほうが
難易度が高いのではないか? 藤陣営はローチェとの対戦を再三回避しようと試みていただろ。
大体、藤が世界王者になった当初の世界ランカー実力採点でも
ナポレスとローチェは対戦したら「藤が不利」とプロ&ボクに明確に書かれていた。 藤側もある程度は勝機はあると思ってただろう
なにせKO率が藤は80%を超えてるのに対してローチェは9%しかない
藤がぶんぶん振り回してたがあれは無策ではなくコーナーの指示だったんだろう
いつか捕まえられると思ったんじゃないか >>48
チューは好きだったけどな
デビュー間もない頃の試合のダイジェストで初めて見た時に、とてつもない奴が出てきたと思った(同時期に出現したロイ・ジョーンズに対する印象に近いものがあった)
後にRJ(ロイではない)がチューのKO集を出した時はすぐさま注文した
そうか、海外でも大して人気なかったのか >>37
たこさんは日本王者になって当時の最新国産車買ったって言ってたね チューの日本国内ヲタ人気と記者人気は高かったと思うけどな
ワーボクだと初期からPFP入りしていたし
それを浜さんは「何でこんなに評価が高いのか?」みたいに言ってたけど >>53
当時は世界ランク6位以内の中から王者側が挑戦者を選べた。 >>57
デラホーヤと対戦して勝ってればな
それかチャベスと全盛期が被れば
ややチャベス有利かな? >>61
あの試合は指命試合でなかったんだ
てか当時は「指命試合」なんて制度も無かったのかな? エディ氏がデンプシーロール日本で最初に持ち込んだのは自分で、藤猛には教えたって書いてたけど、藤の試合見ると、こうやってパンチに体重乗せるのねって、よくわかる。漫画だとわからんけど。空振りはキツいな~、この打ち方。 時代と共に埋もれた技術だからな
キッド・マッコイのコーク・スクリューは実在したんだろうか?
実在してても捻って打ってたら連打ができないから現代では通用しないだろうな
元5輪代表の東悟みたいに1発の威力頼みの選手は行き詰まるもんな 藤ローチェ戦の野次は秀逸
〜こいつは勘がいいわ〜
〜あ・あ・あ・こりゃベトナムだ〜
〜ポップ(レフェリー)、頭を注意しろ〜
まあ、日本語のわからない藤よりも
解説者が反応してましたね 金平さん、西条の氏名試合(ゴメス)遅らせるためにかなり金使って、その間に安全パイとタイトルマッチ組んで、回収プラスアルファの金稼いだと、さも、自分が有能なマネージャーだと言わんばかりに自慢してたな。 一旦タイトルはく奪されたのに取り戻したりしたんだから有能だった
んじゃないのか? 先代の金平会長は良くも悪くも日本人離れしたマネージメントをしていたな
その結果、ボクシングの世界にも公平性を重視する日本人には理解し難い言動が多かった
でも、個人的には「ボクシングは強い奴が勝つんじゃない。勝った奴が強いんだ!」はつくづく名言だと思う 金平会長のマネージメントは海外では当たり前。
その世界基準が異質と日本では思われていた。 うーん。ペレスやキングピッチのマネージメントもそんなもんかな。良し悪し(相手から見たら悪だけど)は別として、サッカーのマリーシアみたいなもんかな。そのスポーツでは常識的な悪知恵なんだけど、日本人にはそれを受け入れるDNAが乏しいと。 韓国行ったらホテルの隣の部屋でドンチャン騒ぎが始まって、会場入りするときはタクシードライバーがわざと遅れる、試合前にはバンテージの中に何か仕込んでると言いがかりをつけられる
判定は露骨に韓国人びいき
日本人はまともすぎるんだな ザッケローニが、日本人にマリーシアを身につけろということ自体に無理がある。子供の頃から、それが悪だ‼︎という教育をされてるんだからって、そんなようなこと言ってたな、 >>70
マネージャーには裏の技も必要だがやり過ぎると肝心なお抱えボクサーの評価を下げることにもなる
金平会長の手腕は高く評価されるべきだがボクシング界に及ぼしたイメージダウンもかなり大きい >>68
西条ってパンチないけど負けん気だけは強かったから見せ場は作るんだよねシンデレラボーイって言われてたんだっけ 良し悪しはともかく、日本人が海外に比べ公平性を重んじているとは思わないな
70年代〜現在に至るまで日本のボクサーに泡沫挑戦が多い所などは、公平性の欠片も感じない
人気があれば横紙破りも通してしまうのは辰吉で証明された 試合そのものの不正も枚挙にいとまがないでしょ
グレート金山ー川益(瀬川)など、リング禍につながってしまった最悪の例
不正ジャッジ、レフェリングなども辰吉の試合だけでもどれだけあった事か
注目度トップの辰吉ですら(だからか)この状態、鬼塚の防衛戦の殆どもそう
90年代になると海外から来る王者に対しての扱いも酷いもので、
チャンピオンを先にリングインさせておいて、日本の挑戦者は後から堂々のリングイン
辰吉がサラゴサに、飯田がゴイティアに無残に敗れた時は、日本の選手が負けて初めてスッとした試合だった 海外のチャンピオンに対する敬意はいつの頃からか確かに無くなりつつあるね
ブラント−村田2なんかでも、挑戦者がチャンピオンを待たせて堂々とリングインしていた
生観戦した中では、ラリオス−仲里で仲里が後からゆっくりリングインしているのを見て
ラリオスに対して敬意が無さすぎだろ、とちょっと気分が悪かった
試合も本当ならKO負けなのを、レフェリングのミスでスリップ扱いで後味が悪かった ホームタウンディジションもひどかったな。ただ、それはボクシングに対してまだ、未開の地であったから、試合を楽しむ以前にナショナリズムが先行していたからね、その時代。 レフェリングは日本人が総出でインチキしてる話とは別次元だね
井上とドネアだって本当は井上のKO勝ちなんだから それは利己的というものだ
日本人総出で、なんて持ち出すのは暴論でしかない >>83
なんというか「ミスジャッジも不正も、日本人が悪い訳じゃない」という方向へ持って行こうとしていて気味が悪い
そもそもまともなボクシングファンは、金山戦の様な不正ジャッジやレフェリングを憎んでいて
日本人批判なんてやってない訳で、不正に対しての真っ当な批判に対して「日本人は悪くない」なんて意味不明だ
日本人はいついかなる時でも、どの時代でも公明正大だ!という考えの持ち主なら、何を言っても無駄だろうけど >>84
韓国人や金平みたいに自分の選手を勝たせるために色んな仕込みをすることとレフェリングの稚拙さは分けて考えるべきだと言ってる
だけなんだけどな
日本人がって括りで言える話じゃない >日本人がって括りで言える話じゃない
日本人が総出で、と言い始めたのは貴方の方ではないか?
取って付けたような韓国人がどうのこうの、というのも意味不明というか矛盾している
韓国のボクシングでの不正は韓国人総出で、全員でやらかしたんだ!と妄言い張るのなら何を言っても無駄だな >>85
レア中のレアである金山のケースを持ち出して日本人全体の問題にすり替えるのはさすがに暴論だと思う
日本人が韓国やタイなんかに比べて公平なのは事実
それをいついかなる時も公明正大なのかって飛躍されたら話にならない
何を言ってもムダな人とはあなたのことだと思う このスレにもネトウヨがいる事にビックリ
帝拳からドーピング違反者が出ている時代に
韓国に比べタイに比べ〜なんてとてもじゃないが言えない ドーピングもロシアみたいな国全体でやってることと一個人がやったことを同列に言われてもね 藤猛ローチェ戦。まし判定まで行ったら、藤のアグレッシブとって、引き分けかな?あの時代なら。 それも国全体じゃなく分けて考えてやれよ
やってない選手もいるわけでね
取り合えず金山の様なジャッジ、レフェリーがグルになってリング禍にまで
つながった最悪のケースが他国であった事を証明してからだな >>91
いくらあの時代でもそれはないな。
藤の顔面のダメージと既に足がなくなってるほど消耗してたし。
仮に藤が判定勝ちのスコアが出たら蔵前国技館の観衆が
レフェリーやジャッジに罵声を浴びせるほど混乱しただろう。 >>92
1戦目のレフェリングと2戦目のリング禍を結びつけて考えるのもどうかと
あの1戦目があったから2戦目が実現したのは確かだけどね
他国で全く同じケースが見つからなかったら、それだけで日本が他国と一緒ってのも暴論もいいところ 日本のケースは個人のせい
他国のケースは国ぐるみ
今日は凄いのがいるなあ >>95
それなら日本もロシア並に国ぐるみでドーピングしてるってことでいいね?
タイで花形の応援団に頭から氷をかけたり、韓国で浅川にラーメンの汁をかけたりした奴らと日本人の品性は大して違わないってことだね ローチェのディフェンスは今時のボクサーみたいな派手さは無いんだけど、なんとなくスリリングなんだよね。見ててドキドキする。 ローチェVS藤
9回終了時点の採点は
ポップ45-40
羽後 45-39
手崎 44-41
3者ともローチェリード >>96
品性に関しては、そいつらと君個人はそっくりでいいよ
日本人全体の問題に逸らさないでね 70年代って、今ほど映像に恵まれてないから、情報はほとんど、雑誌の記事。それ読んで想像して楽しんでた。中には、後になって映像見なかった方が良かったこともあったな。 >>105
ジャック・デンプシーがまさにそうだった
これがあの伝説のボクサーかとがっかりした
シュガー・レイ・ロビンソンやジョー・ルイスはさすがに光るものがあった デンプシーの動画はコマ数足りないのか、スムーズじゃないからね。よくわからない。ジャックジョンソンなんかもそんな感じで、イメージと実像は?です。逆にマルセル・セルダンなんかは鮮明なトニー・ゼール戦が残ってて、かなり良いボクサーだってわかる。ゼールも凄いけど。 ロビンソンを境に世界のボクシングは変わった ロビンソンが若い時のボクシングは
今でも十分通用する >>105
モンソンって長身だしどんなかっこいいボクシングするんだろと思ってた モンソンの身長は村田と同じくらいなんだけどあの時代では長身に見えたな
ライバルが皆小さかったのも長期政権を維持できた理由かも。 当日計量と前日計量で、一クラスぐらいサイズ変わった感じがする。ロビンソンのフットワークはレナードみたく華麗ではないが、自分のコンビネーションを最高のタイミングと、ポイントで叩き込む距離を取ることに特化している。まさに長身痩躯の中間距離で戦う
ブルファイターみたいなもんでしょ。 >>112
当時は中重量級だとろくに減量しないボクサーも多かったからな。 グリフィスはベンベヌチに負けてミドル級タイトルを失った後ウエルターで
ナポレスに挑戦してまたミドルでモンソンと対戦したりしてるしな。
グリフィスに負けたタイガーがその後ライトヘビーの王者についたり で、ライトヘビーの王座を陥落したタイガーがミドル世界王者のベンベヌチに
ノンタイトル戦で勝ったり。
タイガーのラストファイトはグリフィス戦。
タイガーと対戦したときのグリフィスはナポレスのウエルター級王座に挑んだ翌年だった。 そういえば、ルービンカーター、グリフィスを凄まじい倒し方で勝った。ほんとに凄いパンチでまさにハリケーン。勝ちのうち、ノックアウトの比率高いけど、けっこう負けも多い。これ、、短期決戦型だったのか、それとも、歌の通り、人種差別に苦しめられて、倒さなきゃ勝てなかったのかな? 沼田選手は日本人として初めてのWBCチャンピオンだそうですね。
「精密機械」と呼ばれたらしいのですが
映像を見る限り どのへんが? と思ってしまいます。
トリッキーな変則ボクサーに見えます。ボディも弱く
パンチもある様には見えず、、年齢の割には
ハツラツとしていないボクシングというか、、
あまり人気もなかったのでしょうか? 沼田さんは印象薄い。当時の日本人にしてはリーチが長かったかな。体硬くて、スムーズではなかった。その辺が機械?(ロボット的 笑)だってのかな?晩年のエロルデからタイトルもぎったたけど、エロルデのような、日本のボクシングの向上に尽力(技術的な)してくれた功労者に対するには酷い仕打ちだと思った。つまり、ホームタウンディジション。 スレチで申し訳ないが今WOWOWでロバートレッドフォード特集やってるんだけど
往年の二枚目スターも今年で84歳 ちょっと調べたらイーストウッド,ショーン小ネリー
ロバートデュバルはなんと90歳 ボクサーならソニーリストン ディックタイガー マルセル
セルダン何かと歳が同じくらい まさにレジェンドだ >>119
あれ?エロルデ戦は地元判定なんですか?
ダウンしたけど逆に力が抜けて逆転したと
思ってました。小林さんに負けた後、バリエントスからタイトル取りましたが、その時まだ
23歳なんですね。 沼田がワーボクでインタビューに答えていたけど、あのファイトスタイルは
会長の指示でやっていたとのこと。
本人はエディ・パーキンスみたいなボクシングをやりたかったそうだ。
後ロードワークはあまりやらなくて、それでもフルラウンド戦えるスタミナはあったそうだ。 どちらかと言えばバリエントス戦のほうが地元判定じゃなかった?
沼田はあまりいい選手とは当時も今も思わない どのへんが精密機械と呼ばれた所以なんでしょうか?精密意識というと、ピンポイントにパンチを
あてて、、というイメージですが、あまり
そういう風にも見えません。いつから
こう呼ばれる様になったのでしょうか? 自分は1966年生まれだけど、生まれる前に世界王者だった人で生存者はジョフレと原田ぐらいだな >>123
なんというかパッとしないボクサーに思えましたね
沼田氏自身は小高会長の育成に色々と不満があったようですが
沼田氏をよく躾けたからこその栄光だと思いますね
ロードワーク嫌いだった沼田氏に、自由奔放にさせていたら
日本王者にも届いていないかも知れません
ただ解説者としては、浜田氏を抑えて日本で一番の解説だと思います
甲高い声で盛り上げるテレ朝の大熊アナと、理論派の沼田氏は名コンビでした しかし、沼田さんの時代はB 、Cあったとはいえ、まだチャンピオンも少なく、日本中の知名度は今とは雲泥の差だったよ。 沼田はTBSが公募したボクシング教室出身で8千人の中から選ばれた(倍率300倍)エリートで
極東ジム入りし小高会長に苛烈な英才教育を受けたようだ 会長はガードの位置足の位置を1センチ単位で指導する
理論派であったことから精密〜と呼ばれたんじゃないか 一方小林は世界に挑戦するまで60戦近く要しており
エリート沼田と対称的で雑草だったんだろう 実際沼田のボクシングは精密とは言い難い むしろ
トリックスターのようだった 左腕をだらんと下げて相手を誘うボクシングは当時としては異質 ロハス戦の逆転KO
が有名だがボディで倒された日本人王者がKOで勝ったのは見たことない 一か八かのギャンブルのような試合だった
ウィキではロハスに倒され劣勢にあっても相手の隙を冷静に見て勝つところが(まさに精密機械)としている、物は言いようだ
個人的には沼田はもっと評価されていいボクサーだと思う 型にはまったボクサーが多い中 沼田のボクシングは
自由度があり何より華があった 解説者になった沼田の戦況分析は精密だ。 小高師はボクシング経験のないシロウト。それを補うために理論に走る。 いわば、ボクシングファンが世界チャンプを育て上げるという、最高のゆめを叶えた人。 アリやレナードのトレーナー兼マネジャーだった名匠アンジェロ・ダンディーも
自身はボクシング経験のないボクオタだったろ。 https://youtu.be/Qu3QvlOOdug
沼田さんの記事です。
結構辛辣に書かれています。
よく言われてた小高理論って
どんな内容なんですか? 久しぶりにロハス戦を見ました。
一番のツボは5R沼田選手が反撃した時に
右アッパーを身体ごと振り上げすぎて
空振りして身体が1回転する所でした。
精密機械というよりもピンチになったら
途端に一か八かの強烈な打ち合いをする
激情型のボクサーに感じました。 >>132
ベニテスもボクシング好きの親父に教えたもらったんだよな 辰吉のオヤジも、亀田のオヤジも、井上のオヤジも、
みーんな素人みたいなもんだ
世界チャンピオンは素人が作るものなんだよ 選手経験が無い事をむしろ利点として指導面に活かした賢者たち。
外見や言動で指導者を判断しちゃいかんよ。 亀田親父はボクシングばかり教えて一般常識や礼儀というのは教えなかったな
そういうのが備わってないとどんな立派な実績を残してもリスペクトはされない
そういう意味では反面教師の役割は果たしたかも。 >>40
レパード玉熊は当時はとんねるずやらバブル時代の黄金番組に出まくってたよ。
今は新宿の億ションの最上階に住んでるし 千代田区の麹町方面、都心中の都心、ド都心にジム構えてるのは玉熊だけだよ >>141
プロスポーツで食っている人間なんてそんなもん
亀田は特に分かりやすかっただけで
国家斉唱ですらキョロキョロと落ち着きの無かったサッカー日本代表
全国中継で平気で乱闘、怪我人を出すプロ野球選手
リンチ殺人から隠蔽、八百長まみれの大相撲
20を超えても暴走族をやっていた幼稚な薬師寺
現在で言えば、コロナで密集は危ないと散々言われているのにスポンサー宅で
乱交パーティやらかしてコロナに罹患した阪神の藤浪伊藤長坂の3選手
プロスポーツ選手に対しては、犯罪を犯さなかったら構わないくらいの目線でちょうどいい
大相撲とプロ野球の八百長、違法賭博は厳しく罰しなければいけないが 亀田よりひどい王者なんて履いて捨てるほどいる
木村悠、飯田、小林光二、大橋、山口、戸高、星野、清水、福原、久保、井上弟etc・・・パッと思いついただけでこれだけいる
70年代スレでやる話じゃないと言われればそうだが 亀田vsランダエタ1の判定、
亀田2号vs内藤の試合内容。
長く内外のボクシングを見てきたが上記2試合ほど醜い試合を見たことは無いな。l 海外だけど、古山、ペリコもなんだかなーって感じでした。判定くだった時、解説の小林弘さん泣き出すしね。ヨーロッパと日本の判定基準が一番乖離していた時代かな。 イギリスも含めてヨーロッパは昔も今もホームタウンデシジョンが露骨なところ。 90年代以降の判定で一番酷かったのは、やっぱ鬼塚vsタノムサク1だろ?
翌日の新聞で「国辱」と書かれたことや、会場にいた鬼塚のオヤジさんにマスコミが
殺到したことを、後日鬼塚が怒りまくっていたな あと旧井岡の試合で、ゴング早く鳴らしちゃた時も、酷くなかった? 70年代までのヨーロッパでの世界戦は
68年ウインストン関
74年ぺリコ古山のみか?
どちらもレフェリーがヨーロッパに王座を保持したいがための
微妙な判断を下した 70年代のヨーロッパ選手と言えばブルーノ・アルカリだな
ジュニアウェルター王座を9度も防衛し戦績は70勝(38KO)2敗1分
57連勝のまま体重苦で返上 なんかセルバンテスとの統一戦の話も盛り上がらず
不完全燃焼のまま引退 よくわからないイタリアの伊達男だった この時代、英国のボクシング界大不況。ケンブキャナンぐらいしか思い浮かばない。ジム・ワット? アラン・ミンター? アルカリはセルバンテスから逃げた印象。古山との試合決まりかけたら引退するしね。 エックハルトダッケ ロッキーマッチョーリー モーリスホープという欧州リレーもあった
>>141
本人がそういう教育を受けてこなかったんだろうから教えようがなかったんだな
それであそこまで行ったのは理解不可能ではあるが 教育といったら、玉熊を超えるのはいないな。
報知プロスポーツ大賞レベルは受賞者が多いが当時は
野茂英雄 · 高村博美 · 旭富士正也 · レパード玉熊 · 鈴木亜久里が並んでいる。
ボクシングなら大抵はここまでだ。
玉熊の場合、東京都荒川区民栄誉賞、青森県民栄誉賞と栄誉賞もダブルで受賞している。
荒川区なんて玉熊が第一号だからな、北島康介はずっと後で
スポーツというのは礼儀、マナー、クレバーさを兼ね備えていないといけない。
ボクシング協会の次期会長は玉熊で決まりだろ。花形じゃ任せられない。 日本は元々ヨーローッパのボクサーとの交流は少ないな
その中でも来日した一番の大物はブキャナンだろう 判定では敗れたが
試合後リング上で石松を指して彼がチャンピオンだと紹介してた
マナーの良さが忘れられない。 >>153
観客席からコインかなんかが飛んできて対戦相手に当たってKOしたという
試合があったような記憶が 欧州人は血の気が多いヤツばっかりだからな ボクサー向きだよ ストレージー、ナポレス倒して、オッ!て思ったけど、後日、映像見られるようになったら、ナポレスも3ラウンドあたりから怪しくなってきて、なんか悲しい試合だった。まさに、私にとってはヒーローの落日でした。 有名評論家の見ることを恋焦がれる映像がナポレスであったりジョフレであったり
映像は蓄積するそして発掘する映像は減っていく ブキャナンはアメリカでの殿堂表彰の場で
「イシマツ戦はホームタウンデジションで負けた」って言ってたけどね 初めてボクシングに興味を持った時の有名選手
アリ、輪島、ガッツ石松 166>ヨーロッパの採点基準ではその通り。観戦してた英国人、凄いブーイングだだたし。だけど、当時の日本の基準じゃ石松。ジャブヒットは有効打に数えてくれないからね。 いや後半は石松のジャブの方が当たってたぞ あの試合はどこでやっても石松の
勝ちだろう 戦術的な左でアジテーション上げていくのはあまり評価されてなかったような気がします。あくまで、オッ!効いた❗みたいな打撃のみ評価されてたような。石松、最後に荒れ狂って押したけど、前半からの左でのポイントの積み重ねはどっちが優勢か?カリー兄とベニテスの逆パターン。あれほど顕著じゃないけど。 今年になって国内で世界戦を見た記憶がない
昔は地方にいても数ヶ月に一度は生中継があったのに やたらと最強とプッシュされろ井上って選手の試合を見たことがない 17歳でタイトルと聞いてここのベテラン勢が思い出すことは何だろう?
ウィルフレド・ベニテスか?エイブ・アッテルか?北の湖敏満か?はたまた山口二矢? 16歳ならミュンヘン五輪女子走り高跳びのマイフェルトとかアトランタ五輪の
ケー・スンヒとか 17歳で思い出すのは山田かまちだな 年が同じだったので結構インパクトがあった。
あとは沢田二郎 南沙織かな 山田かまちってボウィのメンバーと同級生だったはず
上半身裸でエレキひいてたら感電して死んだw
因みに自分の心臓にむき出しのコンセントあてて感電自殺を図った人によると
あたりに焼き肉のにおいが漂ったそうだw 山田かまちは、中学浪人の高崎高校なんだよな
昔はいたなぁ、学区トップ高を滑って中学浪人する子が まあ昔はいい成績とることより教師にお上手言って機嫌
とるほうが高校進学に関しては重要だったからな
ひどい所になると通信簿のウエイトが素行3成績2みたいな学校もあった
東大理3現役でトップクラスで合格する生徒がオール1とか許された 東京五輪のチャフラフスカって
今見ると体の線エロいな 西城xクロフォード@の動画がないので
分からないのですが、地元判定だったん
ですか?初回にダウンした様ですが。 木原光知子には当時の大映のオーナーの故永田雅一が熱心に
「必ず大女優にしてみせるから」
と女優転向を勧めたが木原は「女優なんて私のガラじゃない」と断って
水泳教室のコーチに。
その後、タレント業にも進出。 木原はメキシコ五輪が期待されたがまさかの代表漏れで引退したような
東レかなんかの水着のモデルになったんだっけかな、当時はアマが
CM出ることなんかできなかったからな 木原光知子が、テレフォンショッキングでガッツ石松の話をしていたよな
映画かドラマで共演した時に、ディレクターが「3・2・1(キュー)」と言ったのを、
ガッツ「何でゼロって言わないの?」と聞き返したそうだ そして輪島(相撲)の愛人になる。我らが輪島さんではないほう。 木原さんは女子アスリートからタレント転向の草分けだったな https://youtu.be/YLFTjXypt9s
ラグナxガッツさんの新聞記事。
敵地でもいいのでチャンスがきたから挑戦したんですか?
60戦のラグナに10回戦を3回しかしていない石松さん。
挑戦者に予定していた柿沢さんに勝ったからと言って
あまりにも無謀だと思いました。 輪島の頭の良さにはホトホト感心する
リングでもそうだけど、引退後に団子屋を始める前に
TVドラマの刑事役で顔を売る、だんご三兄弟ブームにもしっかり乗る
感覚が飛び抜けて鋭いんだろうな ちゃんと奥さんと団子屋の修行にいったんだよな
派手な世界でチャラチャラせずに堅実に生きたのがスゴい
大抵は身の丈に合わない生活してダメになるものだ 輪島自身も引退後はスナックなどの飲食店を出して人を雇って
オーナーになるというケースが多いけど、自分はそれじゃだめだ、
自分で現場で仕事をするのが大事なことだ。
そこで何をやろうかと考えた結果、団小屋をやろうと決めたとテレビで語ってた。 ラグナは良い選手。ブキャナン戦もよくやってる。マルセルの劣化版的な雰囲気は多少あり。だけどね。 ラグナはブキャナンに惜敗、再戦では差のついた判定負け。ラグナに石松さんは負けたけど、のちに地元判定気味ではあってもブキャナンに勝った。あってますか?キャリアを積んで強くなった
石松、力が下降気味のブキャナン。このタイミングで試合をしたからこそ勝った、といえるのでしょうか? ラグナはブキャナンに惜敗、再戦では差のついた判定負け。ラグナに石松さんは負けたけど、のちに地元判定気味ではあってもブキャナンに勝った。あってますか?キャリアを積んで強くなった
石松、力が下降気味のブキャナン。このタイミングで試合をしたからこそ勝った、といえるのでしょうか? そこから紆余曲折を経てライト級でタイトルを取るんだからミラクルだな
挫折を繰り返しながら世界まで行けたのは近年では星野敬太郎ぐらいか?
それでもタイトルの格が違い過ぎる >>193
当時のヨネクラは柴田国明、千葉信夫、東海林博と世界を狙える選手が
いたから石松が潰れてもいいという気楽な感じだったんじゃないかな >>204
試合は見たこと無いんだけど吹打竜って世界ランカーもいたね、顔写真だけみると強そうだったけど オークションに出すから買えってことだからな
〇人ドラックが違法になっておまんまの食い上げなんだよ >>198
例えば月に50万円なら確実に稼げるのに100万円を目指して失敗する人が多いよね?
分不相応の高望みをするから人は失敗するんだって輪島は言ってた
チヤホヤされても自分を見失うことがなかった人だね ボクサーは意外と女にもてるんだよな。
ガッツ石松がゴンザレスをノックアウトして戴冠したのは驚きだったけど、
それ以上に驚いたのは試合後にインタビューされたガッツさんの奥さんが美人だったこと。
何で無冠で稼ぎも無くてあの顔のガッツさんが当時の花形職業のデパガで
あんな美人の奥さんをものにできたのかと。
つまり、女で堕落して途中でボクシングを辞めた才能ある奴もいただろうなってこと。 1店舗で手堅く稼げばいいのに手を広げて資金繰りショートするのはよくある話 ブキャナン、大場とかぶるんです。私の中では。左が上手くて、もっと相手をいなす戦いすれば、楽に勝てるのに、向こうっ気が強すぎて、つい前に出てしまうところが。 ブキャナンは英国人らしくタータンチェックのトランクスはいてたな
鼻血を両のグローブでふきながらフットワークを使ってたような記憶がある イギリスからの衛星中継で浜田さんだけズボンで他のキャストは民族衣装のスカートの時があった
あれは面白かった >>214
浜田があんなに笑ったのを見たことなかったよ
高柳のファインプレー。 正しくはスコットランド人なんでしょ。李昌吉戦の出来は白眉だね。昌吉には、日本人、誰も勝てなかっだのにね、古山も石松も。セルバンテスに壊される前の門田新一とブキャナンの試合見てみたかったな。門田もどう見てもベストはライトだし。 ボクマガの表紙が井上尚弥と村田ばっかり
毎月必ずどっちかだよな
ボクマガの読者って20代ばかりになったんだっけ? ボクマガは70年代半ばから30年くらい買ってたが70年代に発行されたものは
製本がしっかりしてて今でもちゃんとしてる 写真もきれいに残ってるし。
ロイヤルと具志堅の戴冠を報じた号は2千円で取引があったけど今はどのくらいなんだろう 小林 アマヤは1戦目はアマヤ、2戦目は
ギリギリで小林の勝ち とよく言われますが
現代の採点方式なら、2戦ともアマヤの勝ち
ですか?昔は軽いパンチが今よりずっと評価され
なかったそうなので。 当時は手数よりも如何に相手にダメージを与えたかに重きを置いてたからな。l タータンチェックといえばベイ・シティ・ローラーズ、彼らはスコットランドの
エジンバラ出身だったな 1975年ベイシティローラーズのサタデーナイトとクイーンのボヘミアンラプソディが
中学生の間でも人気を二分しててミーハーはベイシティ 音楽にちょっと詳しいのがクイーン
派みたいな感じだった 文化放送の電リク75にかけまくったw 同時期にスタイリスティックスの
愛がすべても大ヒットした 国内ではおよげたいやきくんと木綿のハンカチーフが大ヒット ベイシティローラーズはアメリカのモンキーズと同じで企画されて作られたバンド。
デビュー当時はビートルズの再来とかふざけたキャッチを出してたけど
ビートルズとは比較にならない単なるお子様向けアイドルバンドでしかない。 ワーボクもボクマガも、もう10年以上買っていないし、
本屋で手に取ることもほとんどないなぁ
当のボクサーがSNSで情報発信する時代だし、動画も見放題だしね ボクシングだけじゃなく音楽などもYouTubeで大抵のものは
効けるのでCDも買わなくなった。
映画もアマゾンプライムで見たいものが大抵はあるので
レンタルビデオ店にも行く必要がなくなった。
もちろん、DVDも買わなくなった。 最初に買ったボクシングマガジンの表紙、真っ白なバックに、アリが両手を挙げていた。1974年9月号。キンシャサの試合がひと月延期になった時だね。 石松と戦った時のブキャナン、顎関節症って試合前の検診で言われてた。だから、カウンターを狙うリスクよりも、ガード固めて前に出るほうが安全と考えたかと。 ガッツさんはチャンピオンになってからより強くなったよな。
たしかガッツさん自身が言ってたと思うけど
チャンピオンになったらテレビ局やマスコミからの待遇が格段に良くなって
チャンピオンになると世界が変わるんだと思ったと。
それが「絶対に勝つぞ」というモチベーションになったのかも。 チェッカーズってベィシティローラーズのパクリだよな
一番ヒットした曲が涙のリクエストによく似てる
涙のリクエストはドラムがリズムの本質をとらえてたから
大ヒットして、ジャニーさんが唯一つぶせなかった同業者 日本の音楽界はパクリだらけだよ。
それは演歌でも同じ。
細川たかしの『心残り』だっけか?
”あーきかぜがふーく、みーなとのまーちを”
というところなんてニール・セダカの『恋の日記のマルパクリだし。 >>207
ワイもそれを見習ってあと11年で500万まで貯めて年金暮らしに入る予定 >>211
東京なんとかめしやなんとかステーキみたいなパターンか >>229
50〜60年代のイメージがあるけどな
ヴィーナスから女っ気を抜いた感じ 小林xアマヤ 1戦目みましたが、小林さんの手数が少なすぎて
どうみてもアマヤの勝ちでした。これはジャッジが全員日本人だった事が
影響していると思います。2戦目も小林さん勝ちましたが、外国人のポップという
名前のジャッジが小林さんの勝ちにしています(あとの2名は日本人)。
ポップさんて70年初頭にちょいちょい出てきますが、今でいうOPBFのタイジャッジだけど
日本側に甘い採点をするサラサスみたいな存在だったのでしょうか? 渡辺真知子の唇よ熱く君を語れの歌詞がカッコよかったw カモメが翔んだ日、迷い道よりこっちが代表作だね
>>236 当時よくCMに登場する女性歌手の頭文字をとって3Mと呼ばれた(真知子 真代 まりや) 3Mと言えば観月ありさのデビュー当時のごり押しのすごかったこと
今の旦那の前の奥さん離婚するって時にラブホテル出入りしてるのすっぱ抜かれて
慰謝料25億がパー ローチェ、藤のパンチかわしながら左がビシビシ決めてた。もし、これがマンテキーヤたったら藤が打とうとする前に左合わせて、何もさせなかったんではと、想像する。 アマヤによるとオープンブローと言われるのは日本だけらしい。吉田勇作は
アマヤの連打でダウン寸前の柴田を救うため試合を止めてアマヤにオープンブロー
の注意をした。アマヤのコーナーはアマヤのTKO勝ちと勘違いしてぬか喜び。 柴田って世界に出てからは楽な相手っていなかったよな 出る前もハーバート康、ドワイトホーキンス
ガッツも名のある選手とばかりやってるから実績のわりに勝率が低いって言われるよな >>239
ウソつけジジイ、3Mはりえ、牧瀬、観月だろ おまいらオールドボクシングファンにとって「尾崎」といえば誰?
ワイは清彦かな 天才パンチャー柴田国明も上に上がるとめっきり倒せなくなった。相手の質にもよるけど、ロイヤルこびやしは柴田、石松にくらべても、詰めの正確さは秀逸。流石ko仕掛け人。アルゲリョには詰められちゃったけどね。 >>253
それは相手の質だよ 小林は世界クラスの相手にKO勝ちしたのはリアスコくらい
弱い相手なら柴田もKOしてるさ >>253
柴田が倒せなかったのは相手が打ち合いを避けて逃げに回ったからだよ。 南米のクレイと言われたボラニョスには見事に完封TKOだったな ラウル・クルスとボラニョスは柴田に壊された選手だろう。柴田戦後
成績が上がらなくなった。でも2人とも今なら結構いい世界チャンピオン
になれたんじゃないか? 柴田国明の顎の弱さはなんだったんだろう?大場とはまた異質の脆さだよね。 アリはフレジャー3でやめるべきだった
あの時点で一生尾を引く重大なダメージ負ったはずだ
ただアリで食べてる人が多すぎてやめるにやめれなかったんだろう
しかしホームズ戦やバービック戦は組むこと自体くるってる アリは剥奪がなければ25度防衛を超えてただろう もったいなかった。 >>263
剥奪前はライトヘビーな体でパンチもフットワークもキレキレだったけど復帰後は純ヘビー級ボディになってからは凡戦多かったな アリは210ポンド前後の頃が一番動きがよかった。あと、パンチが軽いのが難点。脇が甘いからハンドスピードはあるが、体重が乗らない。倒すときはタイミングで合わせてる。どうけいとうでは、左の威力ではホームズの方が上。か試合のつまらないのは晩年のアリと互角だけど。 剥奪前のアリならメイのようなボクシングは楽々できた
しかし客を喜ばせるために倒しに行った結果被弾もした
フォアマン戦後のアリは足が衰えてしまって別人 フォアマンは一時代を築いたように見えて、
世界戦は復帰後を含めて8試合だけなんだよな
キャリアのほとんどがノンタイトルなんだよね 白井義男さん、アメリカで生でみたロビンソンのすごさは絶賛してた。アリについては、その偽物の印象だそうだ。 ロビンソンの真似をしようとしたボクサーは数多くいたけどまともにコピーできたのは
アリくらいだったな レナードはロビンソンとは明らかに違う タイプ的にはレナードよりハーンズの方がロビンソンに近い。ただ、100倍打たれ弱いけど。 ロビンソンを形容するのにハーンズとレナードがいいところ同士合体して
タイムマシーンでロビンソンの時代に戻ってバッタバッタと倒したと >>270
俺>>266だけどそういう深い意味があったのか
マジチス
>>271
アリはロビンソンほどパンチがなかったけどな
打たれもろいクリーブランド・ウィリアムスあたりはコロッと倒されていたけど スピードはロビンソンよりレナードの方が上、タフネスは2人足してもロビンソンには及ばず。スタミナも同様。フルラウンド(15回ね)最初から最後まで前のめりになってコンビネーション撃ちまくりの攻め達磨状態でも尽きないほど無尽蔵。関係ないけど、マイルスデイビスの自伝にはロビンソン賛歌が、多々出てくる。よっぽど熱烈なファンだったんだな。 元関取の戦闘竜。
本名がヘンリー・アームストロングと知って「おっ」と思った。
褐色の小柄な身体を丸めて相手力士の懐に潜り込んで
回転力のある突っ張りで攻める取り口で本家の相撲版という感じだった。 戦闘竜は元極真空手のホープ野地をパンチでKOした試合が光るな でもロビンソンの動画を見ても凄いとは感じないんだよな〜。自分はレナード
を見たときの感動を忘れられない。デュランだって全盛期のレナードに勝った
からこそあの評価であって、あれがなければ評価は2段階ぐらいは下だろう。 >>279
ロビンソン以前のボクサーや同時代のボクサーと比べると衝撃的だったけどなぁ
紙芝居から急にテレビになったようなボクシングの大展開だったよ 近年のボクシングが進化しすぎて、流石にロビンソンも語られなくなったよな
90年代前半まではPFPと言えば、まずロビンソンが出てきたもんだ 今でも最も偉大なボクサーはロビンソンの名があがるけどな
スピードとフットワークは今でも通用するんじゃないか オールタイムPFPでは今でもロビンソンが1位だろ。 ロビンソンとレナードの1番の違いは足捌きかな。レナードは攻防に絶妙な距離感を、足で作り出してるし、アジテーションあげるのも早い足と左、有効につかってる。まさに華麗だね。ロビンは自分のコンビネーションが、最も効果的にヒットするポイント、距離を作り出すことに特化した足捌きしてるように見えるんだけど、ボクサータイプのように見えるけど、ねっからのブルファイター。 思えばオールタイムの1位と2位が戦った
ロビンソンVSアームストロング戦はすごいカードだよな
ラモッタに負けてアームストロングに勝った後に
ギャビラン戦してるけど一番この時点で手ごわかったのはギャビランだって言ってた ロビンソンが倒しに行ったのは時代によるんじゃないか あの時代は殴り合わなければ
腰抜けと呼ばれ試合を組んでもらえなかった 今の時代にロビンソンがいればスピードと
フットワークをフルに使って華麗でクレバーなボクシングをしたと予想する バリーがビックマッチ組んでもらえなかったのも玄人受けは抜群だけど素人がわかりにくいから
しかしアーチムーアを豪快に倒したエザードチャールズもロッキーマルシアのという比較的
評価が高くないチャンピオンにぼこぼこにされるんだからこの当時の階級の壁は厚い
ちなみにチャールズがチャンピオンの時期体格がさほど劣らないからとマキシムに勝った後ロビソンはチャールズに挑戦する計画もあった
見たかった
ウエルターミドルで最高のボクサーとライトヘビーでロイジョーンズラングフォーオードの次ぐらいのポジションのチャールズ戦 >>276
あの時代にあのボクシングされたらファンになるのもよくわかる
ボクシングの歴史が始まって以来の革命的な存在だったにちがいない コンはジョールイスに色気を出して倒しに行かなければ勝ってた可能性はあるね
ただジョールイスに有利な判定で負けるだろうけどジョールイスはチャールズやウオルコットにも
負けたり負けかけたりしてるから >>285
ロビンソンもアームストロングも晩年は不遇だったらしいな アームストロングなどうしてもスパイダー根本と被る。パンチの強い根本。 コンに対するるいすの一言。リングの上で逃げることはできても、隠れることはできない。 コンが何で打ち合いにいったのかのちに論議になったがやはりルイスのプレスがきつかったんだと思うな
コンは打ち合いに行かざるを得なかったと。 引退後、金に困ったロビンソン助けるためにチャリティイベントが組まれたそうそうな。それに夫婦で出席したアリ、壮絶な夫婦喧嘩おっぱじめて、チャリティ台無し、自らも離婚する羽目になったとか、アリの自伝の最初の方に書いてあったような記憶あり。最初の離婚だから、60年代の終わりぐらいね。アリ自身もタイトル剥奪されて金に困ってる頃かな。 アリvsフレージャー1以前はヘビー級でもファイトマネーは
飛びぬけて高額というわけでもなかったからな。 ペレスだか、キングピッチだか、どちらかが、日本でやるタイトルマッチのファイトマネー、60,000ドルって吹っかけたって話聞いたことがある。当時は360円レートだから2000万円以上、物価も考えたら、とんでもない金額だよね。昔、ペレスのスパーリングパートナーしたことがあると言う日大のボクシング部のOBの人から聞いた話なんだけど、1日相手すると、1万円もらえたそうで、そんときの大卒の初任給が、一万五千円だか2万ぐらいって言ってた。 当時のフライ級のチャンピオンのファイトマネーだと100万円前後ってとこだろ。
2000万円は絶対にありえない。 昭和39年頃に高山勝義をポーンに挑戦させようとした野口修が提示したギャラが
4万ドルだったような、野口は闇ドルに手を出そうとしたんだっけか。アリ×リストンU
ではアリ37万5千ドル、リストン25万ドルが最低保証だった記憶が 半世紀以上前の37万5千ドルといったら今なら10億位か >>299
闇ドルというのは闇レートの事。
同時期にプロ野球の某球団が米国人助っ人選手の年俸を
名目上は1ドル360円でドル建て払い契約したが、
実際には1ドル400円の闇レートで払ったという事が発覚したことがあった。 >>301
お前バカだろ( 苦笑 )
それだったら闇で払った方が安上がりだろ。
そもそも闇レートって何のことか知ってるのか? ( 嘲笑 ) >>294
ジョールイスVSビリーコン戦の回顧記事でコンが打ち合いに出てしまったのは
アイリッシュの血ゆえと書いてある文献を見た事がある
アリVSリストン戦は当時の専門誌によると
1965年 モハメドアリVSソニーリストン
総額170,000,000円 リングサイド36000円
と書いてある
参考までに
昭和33年 パスカルペレス対矢尾板貞夫
ファイトマネーはペレス1800万円 矢尾板72万円とか Youtubeでフレイジャーが歌歌ってるどうが、結構あるな。たしか、スリラーインマニラの前にも、試合前に地元のテレビで歌ってたって記事があった。 ポーンのマネージャーのトントスだっけ?
狡い奴だからいいように吹っ掛けられて日本がそれを呑んだんだよ。
当時の世界ウエルター級王者の何倍ものギャラだった。
常識外れと日本でも批判的だった。
それにしてもトントスってスペイン語で間抜け野郎の意味だよな?
ぺレスサイドは失笑したろうな。 >>306
フレージャーはダイナマイツというバンドを持ってて
シンガーとしての活動も片手間ではなく本格的にやってた。l 70年代のヘビー級四天王を当時の大相撲界の時代を飾った力士と比べると
アリー輪島 フォアマンー北の湖 フレージャーー貴乃花 ノートンー若三杉て感じ 当時の日本ではフレージャーじゃなくてフレーザーだったな。 ヘビー級の層が一番熱かったのが70年代だよな
アリもフォアマンも無双はできなかった ロンライルとかジミーヤングとか脇にもいいのがいたな ただ、アリの試合はつまんなかった。ローブ・ア・ドープなんて最悪でしょ!アリ自身もダメージ蓄積させちゃったし。 >>314
アーニー・シェバースも入れてくれ。後ボナペナとクォーリーも外せないな ある意味、ホームズも脇役だろう。左リードの威力と、目潰しのうまさはアリを凌ぐけど。 ホームズは80年代タイソンが王者になるまでは圧倒的にヘビー級を支配していた タイソンはオリンピックでステベンソンに勝ってホームズに勝って蛇級TTっやんぴオンになることを
夢見てたようだ
ゲーテが言ってたけど自分の目指してる世界の頂点に立つ夢を見ない人はいないって ジャンピエールクープマン
リチャードダン
この辺りを現代で指名していたらメチャクチャ非難されていただろう。スピンクスも
こいつらと同等と思っていたら少し違った ホームズ、足は復帰後のアリぐらい。60年代のアリのスピードはなかった。左は上手くて、強い。クリンチもアリばりなうまさあり。右は下手くそ。弱い相手には圧倒的に強いけど、強い奴には、いつも塩試合だけど負けないイメージ。 あと、ホームズのことはあの辛口の下田辰夫さんがベタ褒めしてたのは子供ながらに印象的。 >>325
強い相手ってシェーバースくらい? 挑戦者との実力差があり過ぎてつまらなかった
全盛期対決ならフォアマン、フレージャーには勝ってただろう ノートン、シェーバーズ,ウィバーに苦戦してるようではフォアマンにはどうだろうかと言いたいところだが
ホームズは試合運びがうまくフォアマンのスタミナはかなりのウィークポイント
予想が難しい ノートンに苦戦と言うかノートン有利の予想だったからな ノートンは映画「マンディンゴ」で主役やってたなアメリカでは大ヒットした マンディンゴ(マンディンカ族)は今のナイジェリア周辺にいる部族で
黒人の中でも屈強な種族で、その為に奴隷に最適とされて最も高値で取引された。 マンディンゴってカークランドのニックネームじゃなかった? ホームズってエザード・チャールスと被るな。偉大な王者の後を継いで
カムバックしてきたその選手に勝って防衛も重ねるがなんとなく不人気 ホームズとフォアマンは同い年だけど微妙に現役、カムバック期がズレてる
1999年に100歳対決が企画されたが流れた 正直ほっとしたのを憶えてる。 デュアン ボビックなんてホワイトホープとか騒がれたのがいたけど、ミュンヘンじゃステベンソンに倒され、プロじゃノートンに潰された。 ステベンソンとサボンは、アマながら夢があったよな
アリ、フォアマン、ホームズ、タイソン、、こういった対戦を見てみたかった みんなつべとかwowowができる前は
ジョーさんのとこからビデオテープ買って
観てたの? >>337
小泉商店は最初は高くてなかなか買えなかったな ベストオブレナードとアルゲリョ×オリバレスと
サンチェス×ゴメス サラテ×サモラなんてのを買った5本くらいかな しかし数年経ったら
1本の値段で5本買えるくらいに暴落したw 中南米の古いビデオは裏ビデオみたいに画質が悪く
今だったら売り物にならないな テレ東の中菱級スターウオーズを自録したやつの方が遥かに見やすかった >>337
リングジャパンから買ったり、通ってたジムにあったビデオを借りたりしてたなあ >>335
しかしミュンヘンの予選ではホームズに勝ってるんだよな。ホームズにとっては
ステベンソンと戦わなくてラッキーだったかも ステベンソンもサボンも2mくらいあったんだな 今のヘビー級王者と変わらない >>337
リングジャパンは「ルーベン・オリバレス特集」「カルロス・サラテ特集」
「ピピノ・クエバス特集」を買ったな、どれかに裏ビデオの消し忘れみたいに
サラテvsピントールがフルラウンド入っていたけど、されはサラテの勝ちだ コレクターはやはり白人が多いので白人がらみが人気ある
だからボビックvsルドゥみたいな試合はほんと欲しがられる
今のところ見つかっていない ステベンソンのイメージはフレイジャーやフォアマンみたいな振り回すのとは違ったタイプで、ジョールイス型のような気がします。シャープなパンチをピンポイントですヒットしてくるような。 モントリオールでジョンテート沈めた時もそんな感じ。 ステベンソンもサボンも、基本的には右ストレート1発で倒すスタイルなんじゃ? レパード玉熊すごくね?
https://www.youtube.com/watch?v=e3eDlGeLMak
56歳が20歳のイケイケ相手にやってるで
しかも経営者だから途中で電話対応までこなしてる。
NHKのこの番組にも紹介された「相手のパンチを打たせない」テクニックが今でも健在だった
https://www.youtube.com/watch?v=hzHY_xInAw0&t=2s ジョン・テートのニックネームはビックだがこれはチンコがでかいからで
南アフリカでも報道されていた テートはステベンソンに倒されたのがトラウマになって相当彼の影に苦しんだ
ホームズボビックは元はABCのスタジオコピーでニュージャージーのコレクターから広まった テートはウィーバー戦 防衛は9分9厘確実だったのに最終Rによもやの逆転KO負け
引退後は泥棒でつかまったり、最後は交通事故死 なんか悲運なボクサーだったな 玉熊は地元青森では伝統校の県立青森商業高校に学び
中退とはいえ一般入試で法政大学に合格した。
地味でもやるべきことは積み重ねてやり遂げる常識人なんだろうな。 >>351
商業高校向けの推薦入試だろう?
それでも枠が限られているから簡単じゃないけど テート
でかい割には動きが良かった。しかし、パンチがね、ほんとに威力なかった。強さじゃボウの方が、ずいぶん上。そんなボウもモントリオールではルイスに吹っ飛ばされた。朝、テレビで見た記憶あり。そのながれで、ロイ・ジョーンズの悪名高き決勝戦も観戦。ジョーンズ、ほんとに泣いてて、可哀想だった。まだその頃は可愛かった。 ロイジョーンズがヘビー級を制覇した時朴がコメントを求められて
どちらが勝ちでもおかしくない試合だった、って流石韓国人は言うことが
違うと本当に驚いた記憶がある 銀メダルのロイに最優秀選手を与えたアマチュア連盟の皮肉は強烈だったね トニーやテリーノリスがブイブイ言わせてた頃ボクマガのメインライターの人が
あと数年でロイジョーンズの時代が来るって記事に書いて実際その通りになった >>347
ぜんぜんすごくない
マスボクシングだから、最初からあてないつもりでやってるし
マスはあんまり足動かさないから、軽くなら何ラウンドでもできる
まぁど素人にわかりやすくいえば
ガチスパーの3分の一もエネルギーを使わない
これジーンズはいてやってんの?
ほとんど遊びじゃん 56歳はマスクしてるのに、20歳は鼻出てるぞ
そこ観察力が足りないね、失格 >>358
ど素人は知らんかもしれんが、マスボクシングで
相手にケガさせてたら、ケガさせてるほうが未熟なんだよ
むしろ元世界王者の会長相手に、練習生がマスボクシングで
ケガでもさせてたら、しばかれるどころじゃすまされん
まぁ、テレビみてキャーキャー言ってるだけの
ど素人にはそんな裏事情とか知らないだろうけど >>358
ちなみに俺の玉熊の評価は高いよ
元世界王者の鬼塚にアマ時代に勝ってるピューマ渡久地を
玉熊はスパーで子供扱いしてボコボコにしてるからな
ただあまりにど素人が的外れなこといってるから
訂正はさせてもらってるだけで >>358
ど素人のアホに無料で教えておくと
マスボクシングってのは、寸止めのスパーなんだよ
寸止めにもかかわらず慣れてない奴とか未熟な奴は
感情的になって平気で当ててきたりする
玉熊も慣れないことやったから
相手に当てちゃったんだろ
ど素人からみれば、「すげぇ〜〜玉熊の相手鼻血だしてるよ〜〜」
とか恥ずかしいこと言ってるんだろうけど
俺らボクサーからみりゃ、逆の評価だ
年取って正確にパンチも止めれないほど
衰えてるんだなぁ〜と思う。
ど素人と俺らの目線の違いはそこだ 世界王者時代に日本王者の渡久地に優勢だったのがそんなに凄いことか?
ユーリにも優勢だったしね
当時の玉熊の評価では中止になった渡久地ーユーリ戦はやや渡久地有利だったけど、ユーリはそれから化けて玉熊どころじゃない名王者になった
全盛期がそれぞれ違うんだからね 鶴見工業かどこかの部活で、マスボクシングやってた1年生が失明したんだよな
元全日本ヘビー級王者のコーチとやってな、あれ訴訟はどうなったんだろうか? >>355
メキシコ五輪のワルインゲ中山も銅メダリストながら最優秀選手賞を取ってた
相当いいボクシングしてたんだな。 相撲と言えば朝青龍は六本木で木村一八と喧嘩になりそうになって
木村がアイスピック出して殺し合いなら負けへんでと言って朝青龍は引き下がった
芸能活動始めたらいじめられてそのせいで人生めちゃくちゃになった
まあ芸能活動のせいでいじめられるのはある話だからあまり同情できないが
田代も一度なめられたら一生そいつのケツ舐めないといけないっていう
いじめられっ子特有のセリフ言ってたから彼もいじめで人生めちゃくちゃにされた手合い >>362
マスボクシングしてて相手がケガしてるから
すごいとか幼稚な評価してるど素人が
何を書いても挽回できんよ
単なるテレビ観戦者の素人 >>363
いやいや、俺と同世代の先輩はマスボクシングで死んだけどな
即死じゃなく、半年ぐらい植物人間の状態になってから
死んだからボクシングのせいにされずにうやむやになったが
おまえの知ってる情報は活字ばかりで
実践や体験が何もない 気持ち修正して、1970年代のボクシング楽しく語りましょ❣ 40年前の今日8/2 上原が劣勢を覆してセラノにKO勝ち
戦前の予想、試合展開共に絶対不利の中のKO勝ちはこの試合しかないんじゃないか。 >>367
誰と勘違いしてるの?
それとあなたのボクシング歴を教えてください ゴンザレスはフレーザーやデュランに比べると、アジテーションもさほどではなく、スピードもないんで、石松の左がよく活きた。 >>373
おまえのボクシング歴は無いだろ
ど素人だから >>372
いや、前評判では圧倒的に石松不利だったろ。 >>377
>>370は「予想、試合展開共に」と言ってて、その中で試合展開は優勢だったつーてるんだろ >>378
それって予想か?
実際の試合ではあのラッキーパンチと言われた石松の一発が入るまでは
ずっとゴンザレス優勢で試合が進んでただろ。 薬師寺と辺2もそんな感じだね
山中の試合も劣勢だったのに左一発当たって形勢逆転がいくつもあったな
もちろん勝ちは勝ちだし文句を言うつもりはないけど、そういう勝ち方した相手には10回やって10回勝つことはあり得ないから運も味方した勝利ではあるんだよね 勝負の世界の人たちは結果がすべて勝ったものが強いってみんな言うよな >>379
途中採点も互角か石松有利だったと思うが。 ガッツ石松は腰高すぎる
瞬時に蹴りを出すキックボクシングならまだしも、
ボクシング的にはどーよ? 負け数多くてもベルト獲ってから化けたガッツは日本のクエバス 米倉会長は石松は才能があるのに試合を投げてイヤ倒れするのを見抜いて
ゴンザレス戦を前に根性を出せという意味でリングネームに『ガッツ』を付けたとか。 石松が王者になる前の戦績が26勝11敗 ソウルマンビーが26勝12敗
防衛回数は二人とも5回 負けて覚える相撲かなを地で行った 石松は負け数から下積みが長かったという印象があるけど実際は僅か20歳で世界初挑戦して
22歳でOBF獲って24歳で世界王者とかなり順風満帆のキャリアだ 石松ほどイメージとボクシングスタイル方乖離してるボクサーも珍しい。左ストレートの巧さは日本ボクシング史上でもベスト5ぐらいには入るでしょ、 他んとこでで、ファン・マルチン・コッジの話が出てたんだけど、コッジの左がまさに鞭みたくしなってたよね。ローチェ、ペレスもそんな感じ。モンソンは…異質だね。 コッジの左アッパーは平仲が「石が入っているかと思った」と語っていたな
吉野はあれを食らって胸骨にヒビが入った https://youtu.be/ry58Z66g70E
小林vsアマヤ2戦目の記事。アマヤは柴田さんにも挑戦しますが
不運なところがタイのシスボーベーを思い出しました。
あのボクサーもOPBFで松村に、世界戦では鬼塚に。ホントは日本で
3戦3勝なのに3戦3敗。
戦績見ると小林戦後は結構負けてます。チャンゴ・カルモナ
ボラニョス、エスカレラと強い相手ばかりですが。
日本人が苦手とするスタイルですが
それでもヨネクラ陣営は安全パイと思ってアマヤを選んだのでしょうか? アマヤパンチなかったからね。だけど、今の判定基準ならかなり手強かったと思う。 アマヤが小林とやったのは3年くらい前だったし、もう衰えてると思ってたんでしょ アントニオ・アマヤ、ゴメス、セルバンテス、猪木
真っ先に頭に浮かぶのはアマヤだな 3試合もみたから印象が深い 後ろ足に重心を置いてアッパーを繰り出すスタイルは
日本のジムだと矯正されていたと思う。 今見返すと、アマヤ、いい選手だね。足にリズムがあって、典型的パナマスタイル(デュランは例外)。このスタイルの頂点がマルセルかな。 ついでに柴田国明サンチェス戦も見直した。柴田打たれ弱すぎ。も少し顎強ければ、負ける相手じゃない。マルセルとは差があったけど、なんでサンチェスに、こんな簡単にまけるか?と。思うよ。 いやサンチェスもかなりの強豪だったよ
マルセルに負けた後はボロボロになったけど >>405
サンチェスはマルセルじゃなくホセレグラに(体重作れず)負けて失冠したはず
ラストファイトは石松に倒されたロハスに判定負け その後31歳で射殺された サルバドル・サンチェスは生きてたらチャベスと戦ってただろうか?残念過ぎる 生きてるときスパーハやったことがあるといううわさは聞いたことがある
チャベスぼこぼこにやられたとか あとコアなコレクター世界的コレクターに結構サンチェス絶賛する人がいる >>347
第1回A級トーナメント、影の主役。表の主役はナオトだが、対戦相手のレベルや
穴馬としてのエントリーからの快進撃は凄かった。
中島俊一、名嘉真堅徳、田中正人らを次々と圧倒し堂々の優勝。
Jフライ級新人王獲得後の黒星から、階級を上げからの急成長は見事だった。
李烈雨戦はマジ感動した。当時は今のゆとりボクシングと違って、
冷房のない体育館で7月29日の真夏にやった。
TV解説のF原田氏の「チャンス、チャンス」という言葉が今も耳に残ってる。
日本人キラーの異名を持つヘスス・ロハス戦は中南米の技巧派とテクニック合戦やって
一歩も引かない姿は感動的だった。当時、私の周囲のマニアは全員玉熊の2〜3ポイント有利を
唱えた。川島の中南米キラーぶりも認めるが、ここ10年の対中南米の試合では
玉熊vsロハスは記念碑的名試合だったと思います。 基本的に玉熊はスレチ 世界戦1勝のボクサーにを
それ程評価は出来ない 玉熊の進化系がイラリオ・サパタかな〜なんて考える。 玉熊とサパタはまるっきり違うだろ。玉熊は長身のファイタータイプだよ。
ヘスス・ロハスはそこを間違って玉熊と接近戦をしてしまった 玉熊は金容江との試合はもどかしかったな
ガチャガチャと動き回って手数を出すだけの韓国人に対して玉熊はなんとアウトボクシングを選択
ジャッジ3人とも115-113で金だった時はがっかりしたよ 玉熊は最後のエルビス・アルバレス戦が印象に残るな
アルバレスの出入りのスピードに手を焼いていたね
アルバレスも喧嘩か何かで射殺されてしまったんだよな あの感動的な輪島柳第2戦当日に大原かおりが生まれていたことをたった今知った 80年代は国内戦では名勝負が数多くあったな しかし世界戦連敗ばかりが取り上げられて
話題にはならなかった 飯泉って網膜剥離だっけ?残念だった。宮田博行もそうだよね。飯泉、やたら太もも太い印象あって、体重きつくないの?って思ってた。だけど、それがあのパワーの源かも。マークでさえ力負けしてたし。杉谷親父とは相性良くなかった。 >>414
ヘススロハスは桜井靖高、ピューマ渡久地にも勝利
玉熊戦から8年後の飯田覚士にも判定勝ち
9年後の戸高秀樹にバッティングして引き分けになったが
バッティングしてなければ戸高にも勝っていた。
そして玉熊戦から11年後セレス小林にも完全フルラウンドで死闘
玉熊はロハスとの全盛期での試合だからこれほど貴重なものはない。
>>415
実は審査員にやたらと韓国サイドの八百長がいて、当時話題になった。
あの審査員、JBCから2度も注意受けていた。接待受けていたのかね。 >>420
直人、畑中、杉谷、飯泉、浅川、マークあたりがいい試合してたな
この辺の熱戦をゴールデンで放送してくれれば日本でもタイソン人気が沸騰してた頃だけに
国内ボクシングも盛り上がったはずだが・・Jフライ級ボクサーが韓国行っては張と柳に負かされて
足を引っ張ったな。 >>423
韓国遠征は国内でも二番手以降の選手達ばかりだったので内容が悲惨だった
スーパーミドルで白仁鉄に挑戦した田嶋吉秋に至っては
「田嶋のビデオは白に見せないようにしてる。練習をしなくなってしまうから」
と白のマネージャーに言われる始末だった
あんなマッチメイクばかりしてたら韓国のボクシング人気が衰退するのは必然だった 発足したばかりでまだ世界では認知度が低くマイナーだったIBFに早くから参加して
当時はまだレベルの低い同団体の世界戦をやって王者を多くとったのも
韓国でボクシング人気が急激に衰退した大きな原因だろ。 >>424 >>425
確かに。発足したばかりのレベルの低いIBFのベルトを乱獲して低レベルな世界戦を
行いファンの興味を失わせた それと同時に88年のオリンピックフィーバーも去り
スーパースター張正九の引退が重なったのも大きかったな。 基本的に玉熊はスレチ 世界戦1勝のボクサーにを
それ程評価は出来ない 逆に80年代韓国ボクシング界に火をつけたのは金得九だな 彼の死が韓国国民の心を
揺さぶった。 >>428
日本のボクファンにとっては迷惑な話だった 世界戦15R制という常識が覆され
タッチ&ランボクサーを増殖させボクシングの本来の面白さ奥深さを奪ってしまった >>427
完全に素人目線だな
防衛1勝とか2勝とか意味がない
その時代背景もやり方も相手もすべて異なるし網膜剥離になったら当時は強制終了になる
辰吉だけだ特別扱いされたのは 玉熊のショート連打は好きだったけど、本人も地味で一般人気は無かったよな
ま、完全にスレチだしこのぐらいにしておこう 防衛戦の相手の質だけど東洋人はワンランク落ちる 再戦もやや落ちる
そうするとやはり柴田が一番質が高い但し苦戦も多かった 次が小林
具志堅は東洋域が多く再戦も多かった >>422
審査員か
間違いではないが笑ってしまったスマンw >>422は70年代スレに玉熊なんて三流王者をしつこく書いてる馬鹿だからなw
審査員くらい書くだろw >>422は玉熊さん本人なのではないだろうか
他にもレパード玉熊をやたらと持ち上げる書き込みが散見される
引退後に成功してるとか アラブ・スガなんて、オイルマネーが強かった時にそれにあやかってリングネームつけてた選手がいた。オ・なんとかって名前の韓国のミニハーバート康みたいな選手に吹っ飛ばされた試合だけみたな。います思い返すと、高山に連勝ストップされてる。山辺といい、高山、新鋭の鬼門かな。 また下田辰夫先生の受けよりだけど、高山、プロデビュー時に、当時ブキャナン活躍してたニューヨークで修行させる案があったけど、預ける予定だったレイ・アーセルが、他の若手の面倒みるんで、手一杯って断られた。 世界に絡んだ高山姓のボクサーは結構多い 下田辰夫と下田辰平の区別がつかね〜 1970年代のボクシングマガジン読んでた人にはお馴染みだよ。 (たぶん下川辰平のことを言ってるんだろうけどスルーしといてあげよう) >>443
意地悪いねあんた 全然スルーしてないw 下田辰夫先生の受けより→請売りだろ。
結構受けたぜwww 高山が日本タイトル戦で石松から引き分け防衛した後のゴング誌では
石松は良く闘ったが、高山も情けないという論調だった。当時は高山が
勝って当たり前だと思われてたようだ 石松はあの時点で日本タイトルを獲らなくて逆に良かったんじゃないか
門田への東洋挑戦が簡単に実現しなくなったろう 石松のウィキみるとデュランに負けた後 技術は劣っていないスタミナがあれば勝てる
と思ったと書いてあるが 引退後のインタビューではデュランに負けた後 こいつには絶対勝てないと思ったと言っている
絶対ネガティブなことは言わない ロジカルと天然が共存してるところ 石松は長嶋と似てる。 別のインタビューでは石松、どうやったらデュランみたいに最初から最後まで
プレスかけながら思いっきり振り回し続けられるのか?どんな練習してるのか、研究したいとかいってたよ。引退してかららだけどね。 門田も予定していた韓国人の挑戦者が来てたらそのままブキャナンに
挑戦できてたかもしれないのに。石松は1週間で6.5kgも減量したらしいけど パンチ3発もらった時点でこいつは化け物だ格好よく負けようと思ったというのは非常に有名 高山も頭たたかれて、効いちゃったっていってた。急所ヒットされたわけでもないのに。 映像見返すと、ホントに頭叩かれてそのまま崩れてる。 高山選手はガードの上からスコーンと行ったと言ってた だから石のこぶしなんじゃないのw
タイソンも全盛期のパンチは頭をかすっただけで相手が倒れてたよ デュランはノンタイトルの一瞬の映像じゃなく全編収録の映像を入手するのが難しい
アルゲリョも大きい興業のアンダーカードでも出回ってなかったり
多分ドンキングとか持ってるんだろうけど
ホームズVSタイガーウィリアムズもオーストラリアのコレクターがキングから入手したって言われてる デュランVS高山 がなんでコスタリカなんだろ?
コスタリカて他国人の世界戦を開催するほどに(当時は)余裕のある国だったのかな? >>463
当時のコスタリカは中米の優等生と言われるくらい豊かで政情もも安定してた国。
90年代になって麻薬組織が入り込んできて治安が悪化。 ニカラグアも革命のせいでアルゲリョの映像発掘どころではないそうな >>463
同じリングでコスタリカの期待の星アルバロ・ロハスも出てるから(デュランの同胞を一蹴)
デュラン戦の布石だったんじゃないか? 結果的には石松に挑戦が先でデュラン戦はアメリカになってしまったけど。 高山デュラン戦の中継、やたら試合前のセレモニーが長かったのを思い出す。あたりまえだけどね。 試合前なのにリング内に人が一杯で「日本だと試合が終わったような感じです」と
アナウンサーが言ってたのを思い出す。 残された時間は大場特集、と記憶する。
この年は、上原、歌川と海外世界戦は早く終わったね。 高山はデュラン戦がなければ石松や山辺を苦しめた日本屈指のテクニシャンという評価を
残しただろう しかしたった一戦で強化は地に落ちた。 >>469
黄色グローブといえばデビー・ムーアとアユブ・カルレの一戦を思い出す
共に無敗で日本人選手から世界タイトルを奪取しそこそこ防衛を重ねながら、格上のレジェンドに敗れてスターになり切れなかった点でよく似ていた 具志堅てフライ級だと20勝(8KO)4敗
世界挑戦するも届かず、ぐらいだと予想 デビューから2連戦した牧公一ものちに日本チャンプになってるし、そこそこは行くかと思うが、なにぶん、軽いのね。具志堅は。パンチ力は大場より上、海老原に近いぐらいあったはす。一発の測定値では。 >>438
お前、なめてんのか、ラトゥールの最上階に住んでんだぞ アユブ・カルレ、工藤戦決まらなかったら、モンソンとやらせる予定だったってマネジャーが新聞インタビューで言ってた。柳もおんなじようなこと言ってたけど、オマエラじゃ逆立ちしても無謀だろって感じだね。 工藤が王者の時期て、モンソン既に引退してないかい? >>478
カルレVSレナードも現役王者同士のタイトル戦だから当時としては かなりのビッグファイト
だったがレナードVSハーンズがあまりにも偉大過ぎてレナードの前哨戦扱いになってる
ならば世紀の前哨戦ともいえる。 カルレ、身長173だけど、リーチ189ぐらいだって記憶あり。試合前の健康診断で。輪島功一とかえらく短かったから、随分羨ましいと思った。 カルレも当時は凄い強い選手だと思ってたがレナードはまだしも
ムーアにも完敗してるから評価は落ちるわな。でもあれがあったから
誰もデュランがムーアに勝てるとは思わなかった。ムーアも評価が
難しい選手ですよね。 工藤政志の世界戦
ガソ
朱虎
ゴンザレス
ゴンザレス
見事に雑魚ばかりw
そりゃカルレにフルボッコにされるのは仕方ないわな。
工藤って強い奴に勝ったことないだろ? >>485
強い奴と対戦しなくて済むならそれに越したことはない。ギャラが凄くいいなら
わる意味あるけど アルゼンチンでは「工藤にタイトルを金で買われた」とか報道されてたらしいな。
で、再戦になったわけだが、工藤が今度は明確にノックアウト勝利。 ガソは来日王者の中でも最低のチャンプだったからな ゴンザレス1は完全に負けてたし
再戦もゴンザレスが熱中症になった結果だからな 工藤は今風に言えば(持ってる)ボクサー 大場さんが挑戦する時の当時の雰囲気ってどんな感じだったのでしょうか?
若くて勢いがある→勝てば新しい時代の幕開けって感じだったのでしょうか?
勝ち負けはともかくこれに該当するのは自分がボクシング見始めてからは
畑中 鬼塚 辰吉 畑山 渡辺 井岡 田中 井上 なのですが
当時は大場さんへの期待値はすごかったのでしょうか?
今あげたボクサー達はキラキラ感がありますが、大場さんの場合は
貧困からの脱出という感じで成り上がり感を強く感じます。 >>492
大場はその年、日本王者 東洋王者 世界王者に無冠戦で勝っているから
これ以上ないプロセスでの挑戦 当然勝って当たり前の雰囲気だったよ 大場の唯一の海外試合を観たいんだけど動画が出てこないな
ダウンしたあとで倒し返した試合
アメリカのテキサスでメキシコ王者&世界ランカーとのノンタイトル戦だっけ
今ならもちろん世界戦だ もう一人の世界ランカー ナタリオヒメネスも19勝10敗くらいの平凡なボクサー
大場といえど無冠戦で危ない相手は選ばない 強豪の世界ランカーとなんでノンタイトルマッチで戦わないとアカンのよ。
雑魚なランカーだったからノンタイトル戦で茶を濁したんでないの?
アカバロが田辺と戦うのにタイトル賭けないで逃げたことはあったけどさ ベルクレックチャルバンチャイは2流だったけどチャチャイは1流・・でもないか 出てこない動画はロッキーガルシア戦 一番視聴困難な試合 大場とノンタイトルで戦ったシェルベは後に欧州王者になって、チャチャイと
WBAの王座決定戦をやったな そいつスイス人だよね
その人以外でスイス人の世界的選手て誰かいたかな? シュルベとの試合思い出した。とにかく足が早かった印象で、必死こいて捕まえて仕留めた感じ。 国重が瀬川を最終ラウンド大逆転のKOで葬った試合をテレビで見た人いる? >>500
495だけど本当に出てこないね
日本のテレビ局は放送したんだろうか?
最悪、日本どころか現地でも放送してなかったりして
それじゃ絶対に出てこないw テレビ東京で放送したけど局には残ってない
メキシコテレビサとアメリカのいくつかのローカル局にはあると思われる
メキシコテレビサは国立なので個人に便宜を図れないので個人がアタックしても無理 あとモレノやガルシアはユーマチック発売前だから民生録画は少なくとも絶望的 瀬川も石井幸喜とおなじで、有利に戦いながら、一発でガクッと形勢逆転される印象あり。打たれ弱いとは思わないんだけど、硬いものが、突然割れちゃうようなイメージで崩れる。 >>510-511
ありがとうございます
大変参考になりました
お詳しいですね、ビックリしましたw 80年代だけど大山鋭士っていたじゃない 六車とはドローだったけど西村や今里
千葉アルレドンド リック吉村 ホセカバトなど錚々たるメンバーに勝ってるんだけど
晩年やっと日本タイトルを獲ったと思ったらそれを最後に引退 強かったのに不思議と
あまり話題にならないボクサーだった >>510
中継だけでビデオ等に録画してないかもしれないし。 まあ大場ガルシアは現存するのは間違いないとだけ言っておこう グティエスパダス(高田、触沢と対戦)が来日した時のインタビューで
「大場対ガルシア戦を見てオオバに憧れていた」と語っていたのは事実 >>141
長男と次男、引退したらとっとと輩演技を辞めてんの見てそんな事まだいってんの?
片岡や冨樫が裁判に負けて賠償金背負ったのざまあwwww >>515
戦績を見ると後に日本王者となる(ていうか、大山が返上した王座を中野と争って獲得した)ドニー山下(溝口)にも勝っていますね
輸入ボクサーには3勝無敗とちょっとしたキラーだったようで その試合のあった時のボクシングマガジンの論調で、下手くそな右を出して、その返しの左で仕留めるスタイルに特化してるって、下田辰夫先生もおっしゃってた記憶あり。 >>523
確かにそんな話聞いたことがあるな
右は当たらなくても左足に重心を移動させて左を強振するとか サモラもそんなところがあった 国重が大阪で大都に一方的に敗れた試合を見たことがある。
控室に戻る際に、トレーナーに一週間の練習で勝てるほどボクシングは甘くないんだぞと
叱責をうけてハイと返事していた。。 髭面で試合をしたのはジョフレ戦での原田が最初らしいな。
ジョフレ側はルール違反じゃないのかと抗議したらしい。 グティエスパダスは飛び切り強く見えたな 15回くらいは防衛すると思ってたけど
ベツリオに負けてしまうとは意外だった 朴に逆転KO負けしたけど戦前予想はどうだったのだろう。 朴だけは評価難しい。世界軍人選手権の覇者だけど、直線的で、頭から突っ込んでくるイメージしない。五十嵐力あたりも倒しきれないのに、、よくエスパダス倒せたな。大熊には軽くあしらわれたけど。、 エスパダス戦もそうだけど右構えでよくカントに勝てたなというのもあるな
再戦はカントの勝ちだったけど。
結果的には朴が王者になったお陰で小熊にチャンスが回ってきた。 朴って田中健に似てたよね(笑)
小熊に3連敗とか あり得ないな。 挑発ポーズで英国人レフェリーのハリー・ギプスの心証を害した。 今NHKで佐山聡のことやってたけどパーキンソン病なんだな
かなり悪そうだ 頭にダメージを受けると発病リスクが高い病気なんだな 佐山って割と早くにプロレスをいったん辞めていたのにな
マサ斎藤がパーキンソンになったのは理解できるけど
あの人は生涯に4回ぐらい「もうダメだ」って投げを食らったと言ってたな 佐山はシュートでは体を張ってやってたからな プロレスより修斗の影響が強いんじゃないか
パーキンソンは格闘家の職業病になりつつあるな。 修斗では指導だけで試合はやっていないよ
自分がやると八百長を疑われるからやらなかったと本人が言っている パーキンソン病の原因の一つに頭部外傷があるとの疑いはあるが
確定はされてないみたいだな。 マイケルjフォックスは少し良くなったな
ボクサーが引退後パーキンソンになるのは珍しくない モハメドアリなんてパーキンソン病の症状が出てんのに2試合は余分な試合をしてしこたま殴られたからな。 ドンキングの屑が
黒人は貧乏の出が多いから金儲けに手段を択ばないああいうのは多いよ >>46
ローチェは藤との試合のせいでいまも片耳が聞こえないとか >>546
耳が聞こえないどころか15年も前に亡くなっています。 アルゼンチンのボクサー、100戦越えも当たり前にいる。こんだけの試合間隔でこなせるって、ダメージ残さない特別な方法があるのかな? 骨格とか頑強なイメージ。
結構打たせる選手多いのに選手寿命は長い。
カストロなんて竹原と戦った時点で、晩年辰吉以上に打たれてたろ。なのにケロッとしてた。 パナマ人とはまた違ったディフェンステクニックでもあんのかな?アルヘンチーナは。パナマ人は基本的に噛ませ的扱いなんで、やられてもダメージ最小限にするテクニックは身につけてるって小泉が言ってたな。 日本人と世界タイトルを争った選手は昔から短命な印象がある 薬物に手を出すと寿命を縮めるな
韓国人ボクサーも総じて長生きだ 柳済斗は映画の主演やったりして韓国内では凄い扱いだったけど韓国発のチャンピオンだったのかな >>553
韓国初の世界王者はキン・キシュというボクサーだったと思う。
柳済斗はたぶん二人目。
しかし、キンキシュが王者になった当時は韓国ではボクシングは
あまり人気が無く、防衛戦は赤字だったらしい。
ところが柳済斗が王者になると一気に韓国のボクシング人気が高まった。
やはり日本人の輪島を倒したことが韓国人にとって重要だったんだろうな。 ディフェンスがいいジミーヤングもかなりの早死にだったはず キムキースーはオリンピックでベンベヌチに負けたけど、プロでリベンジした。柳は反則してまで輪島に勝ち、負けると今度は輪島側に薬盛られたと主張。とにかく、今も昔も日本に負けることを世論が許さない国。 >>554
ホンスーハンが1974年に南アフリカでバンタム級王座についてますね
ユージェドは翌年だったかと ホンは良い選手だったけど、サモラのボディアタックの砕け散った。笠原優との試合の時にはコリアンタイプのファイターになってた。バンタムのころは、綺麗なアウトボクシングもできたのに。 アルゼンチンと言えば、吉野戦のコッジを思い出す
解説の大橋が「ギリシャ彫刻のよう」と評した風貌だったけど、
試合後のインタビューで聞いたボーイソプラノみたいな高い声には驚いた アイムツーヤングと敗戦後にコメントした選手は誰だ?さあ答えたまえ 結局のところ自称元ヤクザが業界の符丁の基本にもこたえることが出来ずに
元ヤクザという嘘がばれて必死に悪態をついて逃げてるってことだったな。 結局のところ自称元ヤクザが業界の符丁の基本にもこたえることが出来ずに
元ヤクザという嘘がばれて必死に悪態をついてIDコロコロ変えて多数派を偽装して
逃げてるってことだったな。 >>560
70年代スレで74年の話題をしたらジジイかよw 洪は韓国のスーパースターだからな バンタムを獲ったのもjフェザー獲ったのも敵地という離れ業
カラスキリヤとの激戦は凄かった。 晩節を汚したけどな。
韓国にいられなくなって
LAでタクシー運転手してたこともあった。 不倫騒動で世間を騒がせた後にカルドナ戦で戦意喪失してタイトルを失って
韓国国民を激怒させたんだよ。
不倫騒動の釈明会見ではカメラマンを怒鳴りつけるなどして
マスコミを敵に回したのが響いた。 561だけど58だよ。ジジイじゃ無い方はおいくつですか? 小学校高学年の時、初めて自分の小遣いで買ったボクシングマガジンの表紙が、白の背景に両手を上げたアリ(グローブは赤)。1974年の9月号だったな。キンシャサの特集。かったあと、すぐにフォアマン眼尻カットして試合延期になった。 フォアマンはずっと圧をかけてたから奇跡の逆転KOって言われるけどアリもいいパンチ結構入れてるよね キンシャサの奇跡はアリが勝ったから言われたもので試合自体はレベルが低く特筆するものがない
フォアマンがあまりにも無策でワンパターン攻撃を続けてる間に勝手にスタミナ切れ5Rあたりで
勝敗の行方は見えてた いや、当時のフォアマンは無敵と思われており8RにアリがKOするまで
いくら疲れていようが一発当たればフォアマンの勝ちという雰囲気だった。
実際1R終了までアリが立っているとは思わなかった。 キンシャサの奇跡をモチーフにした、魔太郎が来るの漫画があったな
魔太郎の右腕だけがアリのように大きくなって、いじめっ子をKOしてしまうやつ 寄生獣みたいだな。
恐怖新聞とかエコエコアザラクは記憶にあるが。 フォアマンも無策だったけど、アリのとった戦法、ロープ・ア・ドープがその後のアリのデフォルトにはなったため、その後のヘビー級の試合のつまらなくなった事、罪深い。アリ自身、体に多大なダメージ残したしね。マニラだけは特別な試合だけどね、 >>584
当時は少年雑誌にもたびたび実際のボクシングがモチーフorエピソードとして描かれていましたね
中でも印象的だったのは、鴨川つばめのマカロニじゃないほう(月刊で連載)の初回最初のコマで工藤の王座獲得が描かれていたこと >>583
つべを見直した方がいい
あの試合5R過ぎたあたりからフォアマンの勝ちは絶望的
もうフォアマンにアリを倒すパンチはなかったよ
アリが倒す気があればもっと早く倒せただろう それは今から考えるとそうだろうな。だが当時はそうではなかった。
だから騒がれた。 アナウンサーも解説者もアリがロープにくぎ付けで打たれるのを見て
盛んにアリがピンチという意味の事を盛んに言ってたよな。 フォアマンも藤猛と同じで、一試合で撃てる弾数決まってて、それ超えると自滅するタイプだな。アリ戦の後はカリスマ薄れて、ただのパンチの強いヘビー級ボクサーになっちゃった。 今にして思えば同時代にローマ五輪、東京五輪、メキシコシティー五輪の
金メダリストが揃って覇を競ってのは凄いことだよな。
※但しアリはライトヘビー級金メダリスト。 昔の見解なんて情報が少ないから今見たら笑えるものばかり
藤猛がローチェに楽勝するみたいな予想の時代だった >>56
このレスが象徴してる
KO率で勝るほうが強いとかアホの極み 下田さんの予想は外れることが多かったな
彼は正統派が好きらしく輪島のボクシングは評価してなかった 最近でも記事が明らかに映像みてなくて事実と違うこと
書いててそれがウィキペディアの出典になったり アルゲリョが日本に来た時、下田先生の評価は、アルゲリョは本物では無い。同じ長身のフェザーウェイトのサンディ・サドラーと比べたら、二流って言ってた。子供ながらに、このジジイ、なにほざいてんだと思ったね。時は進んで、誰でもネットで過去試合見られるようになったら、その思い、もっと強くなったね。 下田は極度の懐古主義者にして外人コンプレックス。
平沢雪村先生とは対極。 輪島さん、偉大だけど、マンテキーヤやモンソンの相手ができるイメージ湧かない。 そう言う話題で輪島を貶そうと言うのはベタ過ぎて
ダサい 選手達には失礼だが当時のSWは吹き溜まりのような階級だった
ウェルターでもミドルでも厳しそうな選手達が集っていた印象は否めない >>603
下の階級のライト級ではタイトルを取れない奴とかもな。 デュラン、ナポレスもJr.と呼ばれていたクラスは眼中に無かったようだし。ただ、デュランの場合、セルバンテスやばっ…て気持ちは多少あったかな、 モンソン、輪島なんかはサイズ的には曙、舞の海みたいなもんかな。大番狂せあるかも(^^) >>606
案外モンソンなんかは小さい相手は苦手かもな。
輪島ってたしか168cmくらいだったか? モンソンは日本には呼べなかったかな?
不人気のナポレスは日本で防衛戦をしたがってたようだが モンソンにはアラン・ドロンというスポンサーでもあり、試合のプロモートもした
大スターの大金持ちがついてたからな。 ナポレスはJウェルター級で世界ランクしてたけど、チャンスがなくて(王者が敬遠してて)年重ねてたとこに、上のクラスのウェルター級王者のコークスがチャンスを与えてくれちゃったから王者になれたのであって、別に眼中になかったとかではないでしょ。 ナポレス、歴代メキシコ世界王者じゃトップクラスの人気だよ。ラス2のムニョス再戦で勝った時なんか大騒ぎ。 オリバレス、サルディバル以上の人気だったはす。クエバスがその域に達するか?なんて記事があった。 >>613
逆にメキシカンや中南米で嫌われてるのは具志堅。
米軍基地が近い地区に住んでるので米兵と飲み屋でよく飲むんだけど
メキシコ系の米兵はあの毒入りオレンジ事件とダウン後のパンチを今でも
本気で怒ってる。
※今年はコロナ禍で飲み屋へは行ってない。 中南米にコレクターはほぼいない そのためプエルトリコの放送の試合は本当にレア >>614
亡命という特殊過ぎる事情がメキシカンの心を掴んだ可能性が高いかな?
メキシコ人自体がアメリカ大陸では絶えず微妙なポジションに置かれていることもある メキシコ人が選んだ歴代人気ボクサートップテン
1位 JCチャベス 6位 カルロスサラテ
2位 オリバレス 7位 マルコ・アントニオ・バレラ
3位 サンチェス 8位 ビセンテ・サルジバル
4位 リカルドロペス 9位 エリックモラレス
5位 マルケス兄 10位 キッド・アステカ
何がうれしいかってアステカ以外は日本でも人気があるボクサーで
日本人が選んでも順位こそ違えど同じ名前は上げられるんじゃないか
このボクシング王国のレジェンドに勝った柴田の功績は大きい
子供にシバタの名前を付けた父親の気持ちが分かった メキシカンは勇敢で不屈の闘志を持ったボクサーが好きだからな
サモラはサラテに負けルハンに負けて再浮上しなかったしクエバスもハーンズに負けた後
パッとしないまま引退 ランキングにピントールの名がないのはちょっと残念だ 昭和のボクシングに詳しい皆さんに訊きたい
マイク・タイソン最初の来日時に国歌斉唱したのはカール・ウィリアムスだよな? サラテとサモラも直接対決するまではサモラのほうが人気上。理由はボクシングスタイルとビジュアル。サラテ、その頃はまだハゲてなかったんだけどな。 サラテは若くして引退したけど、その後どうやって生計を立てていたんだろうね >>623
サラテはそんなに若く引退してないぞ サモラの方じゃないのか 「Zボーイズ」って海外ボクシングに興味を持った頃から目にしているが何て読むんだろう?
普通にゼットボーイズ?メキシコだと違う? >>624-626
前日計量の今ならまだ充分に現役で行けたな。 >>627
アメリカ式発音なら「ジーボーイズ」だな。 当時 サラテVSサモラを日本で中継してくれたらな そのほかサラテVSゴメス
ゴメスVSサンチェスなど中継があったらここの書き込みの内容も変わったんじゃないか
筆者がダビングサービスで提供したじゃないか。
君はルイシトと同じくらい恩知らずな奴だ。 初めて見たZぼーいすの試合はサモラ内山慎太郎戦、サラテがオーランドアモレス戦(アルゲリョ、オリバレス戦の前座、実況杉浦氏)だった、躍動感はサモラだったけど、大場絡みの対戦相手だったんで、しょうげきどはサラテのがあったな。 >>631
ジョーさん画質が悪過ぎですよw じゃなくてやっぱテレビ中継ですよ ディレード放送でもいいんだけど
結果を知らずに見る それが一番。 君はホームズVSノートンのテレビ中継を見たのかい?
ゲストとして歯切れ良いコメントを添えて世紀の一戦を演じて見せたのは誰か?
さあ、答えたまえ。知らないとは言わせないぞ。 サラテはバンタムでは異常に大きいな足が細長く上半身は相手より一回り大きく感じるウェルター級のころのハーンズみたいだ >>634
テレビ東京の白石スポーツ担当部長じゃなかったか ノートン危ないですよ? サラテVSゴメス戦はエキサイトボクシング枠で放送された 試験放送中のBSだろ。
デュラン対レナート2も試験放送中のNHK-BSでの放送だった。 NHKBSの試験放送は1984年5月11日から。
レナードvsデュラン2はNHKBSで実況中継されたけど
エキサイトボクシングはWOWOWだから録画放送だろ。 それレナードxデュラン3ですよね。
解説だかゲストにボクマガ編集長の
山本茂氏がいた気がします。 レナードvsデュラン2です。
ゲスト解説はガッツ石松さんでした。 デュランはノーマスやっちゃったんだろう?もったいないあれからちょっと嫌いになった >>633
ゴメス対サラテ(確かピントール対Aサンドバルと2試合セットのスペシャルサービスA5かZ5)で現地のカメラマンが興奮し過ぎたせいかダウンシーンがまともに映らずめちゃくちゃだったのにはさすがに呆れた
後に別角度の映像が出回って補てんできたけど
他にもカオサイ対コントレラスやネルソン対カブレラも酷かった >>641
エキサイトボクシングってテレ朝の深夜のほうじゃ? ゴメスサラテ、地上波で放送あった記憶なし。もしあったら、えらい大失敗したな。リアルタイム近くでその試合の衝撃を感じらるの逃したんだから。サラテ伝説崩壊の日だからね。 >>643
NHKBSでやったのはレナードVSハーンズ2だよ1989年6月 解説はガッツ石松 レナードvsデュラン2は1980年11月だな
いろいろ記憶がごっちゃになってるよ レナードVSデュラン3だな NHKBSでやったのは。 どう記憶を掘り返してもサラテvsゴメスは放送はなかったと思うな
当時ボクマガの放送スケジュール欄を穴が開くように見てたから
見落としはなかったはず サラテVSゴメスはボクマガで結果知った。
表紙がショッキングだった。
ゴメスの背中越しにサラテが倒れる瞬間の写真と
「サラテが倒れた」と書いてあったっけ? >>654
『偶像墜つ!』とも書いてあったな とにかくショッキングな見出しだった オリバレス歌川戦の余った時間にサモラ内山(NET)
チャコンオリバレスUにサラテアモレス(東12)だったような
メキシコ国歌を独唱された女性歌手が風船の割れる音にビックリしてましたね >>654
私は東スポで知った。
マットに座り込むよな姿のサラテをゴメスが見下ろすような写真だっと思う。 首ごと吹っ飛ぶ! メレティス・カコウバヴァス 70kg 木村ミノルっぽい
https://www.youtube.com/watch?v=UEBn7ksfsyQ
体ごと吹っ飛ぶパンチ ラファエル・フィジエフ 70kg Rafael Fiziev
https://www.youtube.com/watch?v=V6933iAEQtk
速すぎるパンチと蹴り アーテム・バキトフ GLORYライトヘビー級王者
https://www.youtube.com/watch?v=bBWsV_x64EI
格ゲーのような動きでKO連発!! レイモンド・ダニエルズ 77kg ベラトールキック ウェルター級王者
https://www.youtube.com/watch?v=0_4uyHjgfH0&t=3s
33戦全勝 ヘビー級でテコンドー技を使いまくる男【KO集】マイケル・スモリック
https://www.youtube.com/watch?v=iRKBAgz-daE
木村“フィリップ”ミノル vsエダー・ロープス
https://www.youtube.com/watch?v=xs6r9JPSeCM&t=86s
【OFFICIAL】K-1 WORLD GP JAPAN&Krush「KNOCK DOWN FIGHT」木村"フィリップ"ミノル 全ダウン集
https://www.youtube.com/watch?v=LsX6GYUC5Rk アメリカの試合で爆竹鳴らすのは今でもいいのか?
試合前、KO決着直後。
メキシコ系が絡んだ試合では多く見られた光景だったと思う。 俺たちの世代のメキシカンもサラテVSサモラは凄かったとか テキーラ飲みながら熱く語ってるんだろうな
ピントール戦はサラテの勝ちだったとかw メキシコも80年代までがボクシング全盛期だったような気がする サラテゴメスは日本で中継あったよheaven421という
ユーチューブアカウントが昔アップロードしてた ボクシングにもごく少数だけど第1世代の民生録画者は居るからね サラテ、アモレス戦はオリバレス、アルゲリョの、前座だったと思う。 >>660
90年代にチャベスはメキシコの世界最大級の10万人収容のスタジアムを満杯にしてる。 小林、西城、沼田と立て続けに王座を失った71年は
東洋も雪崩現象だったんだね
岡田、千葉、古山、内藤が韓国で負けている
世界戦が13回もあったので日本では東洋戦が組み辛かったか? 内藤が韓国でタイトル失った試合はソウルからのテレビ実況中継あったよね?
逸見さんの解説だったと思う。 >>661
それってタイムリー放送じゃないよね ずーっと後になっての放送じゃない? 亀田-プライアーは放送あったの?俺はたしかサンテレビで鶴太郎がMCやってた
世界のスポーツみたいな番組の中で見た。サンテレビではESPNの放送を
流してたこともあって、ロッキン・ロビン・ブレイクの試合を放送してたな。
実況は2時のワイドショーの奥田さんだった >>664
そうだったと思います アモレスが倒されたのに衝撃を受けた 日本対豪州の対戦成績ってどうなんだろう あまりよくない印象。 当時の日本チャンピオンの防衛って外人に勝ってもカウントされないの?
レパード玉熊なんか日本王者になってから日本人4人、外人2人に勝って6度防衛しているはずなのに、
なんで外人外されて4度になってるの? 6度防衛にカウントされていたら、日本フライ級の防衛記録史上1位になるんだけどな プライアーVS亀田はプライアーVSアルゲリョ第一戦の前にダイジェストでテレ東が
放送してた。亀田のプライアー評もあったね 「パンチはそれほどでもないが、身体で押す力が強い」とか言ってたかな? それから、雑誌でパンチのパワーだけなら、プライヤーより串木野の方が上とも言ってたね。 外人とはノンタイトル戦で試合をしたからです
防衛戦と認可されるには相手が日本ランキングに入っていることが条件です
玉熊の場合その2試合は世界戦へのチューンナップという位置づけでしょう 確かに2人分は日本人と戦っていたら防衛記録1位タイになっていたでしょう。 >>666
韓国では日本に15年遅れくらいでボクシングブームが来たんだな。当時東洋戦でも
大きな体育館が満員になってたのに比べ、日本は定期放送も縮小され東洋戦は
金がかかるので敬遠されたんじゃなかろうか 韓国はその当時、会場は全部企業の招待。みんなタダ。その反動がいまのていたらく。 ただが当たり前になると意地汚く厚かましくなる
そのうえ大抵世話になった人に後ろ足で砂をかける 小泉
「(輪島戦)ボッシは踏ん張り所ですね。
ローマ教会にコンクラーベという選挙がありますが
この試合も魂比べですね」 >>680
某社が試合を提供していた頃のリストです >>692
懐かしいな。
ボクシングファンはこぞって筆者に感謝しているはずだ。 >>677
これの
STゴードン対デレオン(初戦)
てYouTubeにないんだよな。
誰か上げてくれ 商品リスト?了解です
ゴメス×サラテは放送がなかったということだね。 >>699
別に有名な試合なんかじゃないけど、昔から見たかった試合でYouTube探しても見つからなかったんだよ。
(たまたま探してた時は削除されてただけかもしれんが)
YouTubeでは昔雑誌で見て色々と想像した試合を、片っ端から探したもんだよ。
世間で評判になったとかそんなんでなく、たまたま自分の事線に引っ掛かったてやつか。 韓国民はスポーツは何を見てるんだろうな サッカー野球くらいか マービンジョンソンとマシューフランクリンの試合は凄かった 70,80年代のライトヘビーは面白い >>703
マシューサアドムハマドとマシューフランクリンは同一人物だっけ? フランクリンは教会の前に捨てられた捨て子。成人してイスラムに、改宗した。だったかな。 エディ・グレゴリー ドワイド・ブラクストンも改宗して名を替えた ドワイトモハメッドカウイ、懐かしいね。アメリカ版スパイダー根本。 カウイは公称170pだが実際はもっと小さい それで大男と果敢に打ち合っていた
写真を見ると縫いぐるみみたいで可愛い カウイははシューズを脱いで計測した身長は166cmだった。
それでもライトヘビー、クルーザーの2階級制覇したんだから凄いな。 カウイはあの体格でフォアマンとかホリフィールドなど元後のヘビー級王者達とも
試合してるから凄いよ 激戦を繰り返し最後に壁にグローブを吊るしたのは45歳の時。
2004年には堂々の殿堂入り。 カウイは踏み込みが鋭かったので中間距離でのジャブの突き合いにも強かった。
これも何気に凄い。 タイソンvsバービックの戦が早く終わったので
セミファイナルだったカウイの試合が放送されたな。
コーナーに追い詰められたかと思ったら
そこからの連打はまるで”狂った風車”と呼ばれた原田のようだった。 カウイの異名:Camden Buzzsaw(カムデンの丸鋸野郎)結構激しめだ vsホリフィールドの1戦目なんで試合終わったらホリフィールド病院に運ばれたからな >>698
リストをよく見ると「全て日本語版」とあるから放送したんじゃないのかな? >>710
わかる
後のフォアマンとの試合ではヘビー級に肥大してこともあり、「できるかな」に出てくる着ぐるみみたいになってたw カウイVSスピンクス兄じゃないか?
自分もテレビで見た記憶がある。 >>684
懐かしい名前だ、わくわくする。
玉熊の日本タイトル防衛戦で面白かったのはvs徳島尚。
演歌歌手みたいな金ピカガウンで地元の大声援を受けながら入場してきた徳島と、地味な鉢巻きが渋すぎる玉熊。
バッティングやレスリング行為を要所要所に取り入れてペースを握った徳島と、怒りで大振りになる玉熊。
4ラウンド終了間際にダウンをスリップに訂正され命拾いした徳島と、抗議して会場中から罵声を浴びる玉熊。
5ラウンド、土下座するように何度もダウンして力尽きた徳島の姿が印象的だった。
メインの世界戦とは違い、盛り上がってたなぁ〜 >>720
その試合は確かに日本でも放送されたがタイソンのセミではなかったな >>717
ビデオの商品リストだよ
放送とは関係ない バービックvsタイソンの前座はグレッグペイジ ピンクロントーマス マシューヒルトンが
それぞれ試合するという豪華版だった カシアス内藤も来日したアリと会って「いつまで奴隷の名前を使ってるんだ」とか
言われてモハメッド内藤に改名するという話があったな https://youtu.be/XRPXrKWINEU
小林vs西城の記事。試合の動画みましたが
なんで2-1なの?と思うほど小林の明確な勝ちだったと思います。
会場の熱気がうらやましい。 新聞の切り抜き見せるだけでは再生回数稼げないでしょ >>724
商品リストであろうと日本語版ってことは放送があったことを推測できる >>726
今のアメリカ社会は当時より白人と黒人の対立が激しいな。アリ、マイケルジャクソン並みの飛びぬけたカリスマがいないとダメか 個人的経験だけど黒人のセラーはやたら行儀の悪い奴が多い
リップオフ送料ぼったくりとかコレクションがすべて動画サイトものとか >>730
70年代のアメリカは現在とは比較にならないくらい
白人と黒人の対立や差別は酷かったぞ。
当時はベトナム戦争の時代だったけど、横須賀のいわゆる外人バーでは
白人兵はいわゆるどぶ板通りで黒人はどぶ板に隣接する汐入地区のバーに
行くというように完全に色分けされてた。 >>730
米の人種差別と日の男女差別は永久に不滅です 70年代はまだジョー・ルイスとかジャック・デンプシーが存命だったことを考えるとボクシングの歴史はまだ浅い >>729
関東住みだけどゴメスvsサラテの放送はなかったよ 間違いなくなかった
この話題が気になって当時のボクマガを引っ張り出してみたが放送スケジュールにはなかった
もしあの試合が放送されてたら70年代スレで話題にならないわけがない モンソンVSナポレスはテレ東が後日ダイジェストとかで放送は無かったの? そもそもヘビー級以外の海外選手同士のビッグファイトが日本でも中継されたのは
誰と誰の対戦だか分かる人いる?
ビッグファイトではないけどロイヤル小林が勝者に挑戦内定していたオリバレスVSアルゲリョ? >>737
アルゲリョ対エスカレラ
デュラン対デ・ヘスス
その他レナード戦数試合等々。 >>735
そうなんだ
ということはジョーさんが解説を入れてるような映像を日本語版としただけかな?
後にナンバーものビデオシリーズで続々と販売されたメキシカン特集みたいなスタイル >>736
モンソンvsナポレスは録画だけど放送あった筈。ナポレスのクライド・グレイとの
防衛戦も後日放送があったと思う アルゲリョはテレ東で特集組んでた記憶あり。レナード対、バーンズ、ハグラー、ラロンデ、あと、カルレ戦はダイジェスト。で見た。 変なジェット機音がBGMの海外ボクサー特集を杉浦さんの解説で
テレビ東京で演ってたよね。 WOWOW以前の海外ボクシングはテレ東が頑張ったと思うな テレ東の放送が無かったら
ラテンの天才たちも中量級スターウオーズにもそれほど思い入れは湧かなかった ビデオの販売黎明期海外から取り寄せると1試合2万とかだったと
第1世代の人に聞いたことがある 1本だったかもしれんW >>745
小泉商店でも輪島の柳2連戦が1万だったよ 買ってしまったけどw 今思うと高いな 当時の需要と供給を考慮すれば適正価格であった、と筆者は思う。 昔のレンタルビデオは1本2泊3日で定価の1割、2000円くらいだったかな。
でも高いとは感じなかったな >>747
はぁ? 小泉商店の中南米ものなんて皆 海賊版だろ コピーのコピー。中国商法 いやメキシコテレビサの誰も録画してないのとか商品化してたから局から権利とってあるはず
でないと入手不可能な試合が多々ある 冗談じゃない!
筆者は三菱重工の特許部に在籍していたくらいだから、工業所有権には知悉している。
誰が違法コピーなどするものか!
いけない。血の気が多いのが筆者の悪いところだ。
なぜこのような事態になったのだろう。
これには原因がある。
筆者がボクシング8ミリビデオ収集家であった頃にビル・ケイトン氏を通して
日本における独占販売権契約を締結してボクシングマガジンに広告を出して
小遣い稼ぎしたことを快く思っていない連中がいたのだろう。
そして筆者がサラリーマン生活に決別してリングジャパンを法人組織にして
ダビングサービスによるビジネスで巨額の利益を出すに至った。
これには家庭用ビデオデッキ普及の時代の後押しもあった。
会社経営を軌道に乗せるとマイクタイソンの日本におけるマネージメントも手掛けて
その収益で賃貸アパートを建てて多角経営にも乗り出した。
筆者も調子に乗っていた感は否めない。
これからは自重しようと思う。
今週は反省が多かった。 >>751
良く言うわ 本数を確保するためコピーのコピーを作りまくってたろう
粗悪コピー版を抱き合わせて新たなタイトルの商品を作りまくって販売してた
インチキ中国商法は明らか。 >>737
私もヘビー級以外で最初に見た記憶があるのはオリバレスvsアルゲリョだな ジョーさんの所からは「クエバス特集」「サラテ特集」「オリバレス特集」
「シェバース特集」の4本を買ったけど、オリバレスのカウンターの上手さに驚いたな 根性、勇気、大和魂溢れる感動の一本!
輪島特集買いました 確かフジテレビダイヤモンドグローブ枠でダニーロペスVSホセカバ戦流したよね >>757
その試合は世界的にレアものらしい。海外収集家が言ってた アルゲリョーアルカラはアルカラの首がとれてしまいそうな
強烈なKOだった 世紀の対決と言われたピストン堀口対笹崎僙の動画は存在しないのかな? >>760
アルカラ白目剥いてましたねw
効果音が>>742だったと記憶しています ジュニアライト時代のアルゲリョは無敵だったな ロマチェンコより強かったろう >>761
国技館だったので相撲を撮影してた伊勢なんとかがうちに権利があるとか言って
ボクシング関係者は撮影できなかった。そしてその人たちが撮影したのだが
フィルムが入ってなかった(多分わざと)ということで残ってない 今も買えるDVD「黄金のバンタム級列伝」って内容的に、画質的に買う価値ありますか? 今はyoutubeにほとんどの試合があるから買う必要なし。 この時代のアジアの国でボクシングが強い国といえばどこでした?ベスト5で教えて下さい フィリピンは強いって印象があるな、噛ませもいるけど
アメリカ流のボクシングで、手足も長く体の柔らかいボクサーが多かった
白井義男がタイトルを取ったダド・マリノもフィリピン系アメリカ人だしね パッキャオとかドネアを見ても、東洋で一番ボクシング向きなのはフィリピンだろうな >>772
スペイン語の取り込みもあるけどフィリピンでスペイン語が通じるわけじゃないよ
普通に英語のほうが通じる フィリピンの一般人は英語も出来ないよ。
英語が出来るのは外国人相手の商売をしてる連中か
ごく一部の富裕層で高等教育を受けられた連中だけ。 >>764
伊勢寅か
うまくやればひと儲けできただろうに
金よりも「国技館は相撲の場」というこだわりでもあったのかな? 日本人なんて大して強いなんて思っていなかったけど、
ここ10年ぐらいはチャンピオンラッシュだよね
特に中南米の選手に日本人が普通に勝てる日が来るとは思わなかった
向こうのレベルが下がっているんだろうね 昔に比べてメキシカンが弱くて話にならないな 70年代80年代は1勝10敗くらいの勝率だったが
今は勝ち越してるからな 軽量級王国が衰退すれば人気も落ちるよ 70年代と違って今のメキシカンの興味は軽量級ではなく、
中・重量級に移ってるからな。 メキシカンも体格が向上したんだろうな 競技人口が少ないクラスは併合した方がいい 決して「日本人が強くなった」とは思いたくない。気がついてても気づかない振りをする、懐古爺い達であった 日本は韓国が沈没して助かってる部分があるよ 韓国人は日本人相手だと闘志をむき出し
にするからな 実際対戦成績は悪いし。 もし現代の日本人ボクサーの強さを認めてしまうと、必死に同国人を応援していた時代を否定された気になるんだろうな
歪んだ愛国心だと思う >>781
韓国が調子良かった時に、日本人の“お前に世界タイトル挑戦する資格あるのかよ?”て選手を使って防衛戦をよくしてたからなあ。
ホイホイ出掛けていった方にも責任(?)あるけど、世界戦の話を持ちかけられたら飛び付くのが選手気持ちってもんなんだろう >>783
まあ世界戦なんてそうそうできないからな
選手もジムも乗るだろう ただ輸入ボクサーが複数挑戦してたのも
この時代の特徴だった あれは輸入ボクサーにベルトを取らせて
日本人との世界戦を国内でやるという目論見だったんだろうな >>781
キムチュルホー
チャンジョングー
ユーミョンウー
ぱくよんぎゅん
あと、IBF絡みの世界戦
これ等で「日本vs韓国」で稼ぎまくったからねえ 世界戦当たって砕けろシリーズはユーリがチャンピオンになる少し前じゃない? 韓国王者がいなくなって日本の無謀な世界挑戦もなくなった アラン・ミンターが亡くなったね。
ミンターって、ハグラーに負けてシブソンとの英国人ライバル対決に負けて
引導を渡されたイメージしかない。 アランミンター懐かしい ルパンみたいな顔してたな
戦績見たら強豪とばかりやってた 引退までの5年間は楽な相手がいない
イギリスでは人気が高かったというのもよくわかる BBC アーカイブのハグラーミンターをカナダの手癖の悪い奴が転売して
最悪なことにユーチューブに上がった アラン・ミンターはムスタファ・ハムショに微妙な判定で負けているが、
このハムショも世界ランカーと数多く試合をしてハグラーとの世界戦と
ライトヘビーでラロンデに負けるまではすべて勝ってるのもすごいな。
ミンター戦以外にも、もつれた試合は結構あった。
カーチス・パーカーとの2度の対戦は両試合ともどっちが勝ってもおかしくなかったし、
ウィルフォード・シピオンとも互角のまま最終ラウンドまでもつれてリング外に
シピオンを引き落としながら放り出して10カウントでハムショの勝ちになった。
あれはハムショの反則負けかノーコンテストでもおかしくなかった。 自分の一番良い時期に世界戦回ってくる 世界戦出来るってなかなか無いよな?ギリギリの判定で日本王者なってこれからたくさん防衛していくぞ!って時に世界戦の話がくるとか。 まだまだ勝てません。なんて言えないわけだよな。 気軽にデリヘルとか行ける時代じゃなくなったから
困っています。皆さんはどうしていますか? 風俗店から出てきたやつって本当にさっぱりした生き生きした表情してるよな 実力にかなりの差がある挑戦でもボクシングは何があるかわかりませんとかいうけど
日本人が挑戦する場合は99%勝てない 残り1%にかけるとかいう試合はやっちゃいけない
80年代はそういうのが多かった 特に韓国王者に韓国で勝とうなんて土台無理な話
誰も小熊になれるわけじゃない >>791
ハグラー戦決着後の会場の荒れ具合は悪い意味で印象的
いくらミンターの地元とはいえ、微妙な判定でもないのに物が投げられ罵声が飛び交う
勝者への賛辞が全く無かった残念なシーンだった
後に歴史的ボクサーとなる最強挑戦者を迎え撃った勇敢なりし敗者を悼みたい ああ、ストップが早すぎたのか
じゃあ多少は・・・w ストップの速さに 不満じゃなくて、民度の低さもろに感じさせられた。意外とイギリス人、紳士じゃないし。ミンター、あれ以上はかわいそうにしか見えなかったし。 当時(ミンターvsハグラー戦の数年後)のWBC総会かな?のジョーさんのレポートにも書いてあったけど、
議題で「試合後の観客の混乱について」とか上がっても「そんなもイギリスだけの話だから、ここでやることではないよ」て却下されたとか
自国民が負ける度に毎回て事でもなかったんだろうけど、当時のイギリスの観客の民度は低かったんでしょう >>803
イギリスは階級社会だから階級によって言葉使いも違うし立ち居振る舞いも違う。 >>803-804
今でもサッカーWカップの時のイングランド応援団のフーリガンは酷いものだぞ。 >>806
サッカーは別としてボクシングファンはね
て事で
でも思い出したけど、一昨年の夏に後楽園ホールで行われた岩佐vsドヘニーの試合で、ドヘニー側の応援のイギリス人(アイルランド人?)が酔っぱらって開場大立ち回りしてて大迷惑のクソ野郎がいたな 関係ないけど大惨事となったホテルニュージャパンの火事もイギリス人宿泊客の煙草が原因。
本人死亡は仕方ないが、責任追及せずにうやむやで終わった。
せめてイギリス大使館はスルーせずになんらかの声明を出すべきだった。 横井英樹だっけ蝶ネクタイの。防火管理が最悪だったと記憶してる 横井秀樹の息子と星由里子が結婚して当時の芸能界最短離婚記録を
塗り替えたんだったかな マッコイはボクシングとバイク好きな俺カッコいいだろ?ポーズなのか
竹原の偉人さ理解してるのか その間の、
バルデス
ウーゴ・コーロ
ビト・アルツォフェル
アラン・ミンター
と、ずっと統一王者だったじゃん モンソン引退後にベニー・ブリスコとの決定戦に勝って再度王座に就いたロドリゴ・バルデス、
ウーゴ・コロ、ビト・アンツォ・フェルモ、アラン・ミンター、そしてハグラー。 あっそうだった コーロ アンツォフェルモ ミンターが短命だったので忘れてた モンソンが統一した王座はAかCの1位としか防衛戦を行えない雰囲気がしばらくあったが、
ウーゴ・コロがロニー・ハリスとかいうわけのわからん奴と防衛戦してるな。
この頃はすでにハグラーの存在は無冠の帝王として知れ渡っていたはず。 コーロはなかなかのイケメンだったな 長期政権を築くかと思ったけど・・
ライバルのバルデスとは同じ年に生まれて同じ年に亡くなってるんだな 仲がいい。 ハグラーか初めて日本のボクシング専門誌に名前が載ったのは、レイ・シールズに勝った18戦目だと思う。相手はオリンピックの金メダリストで、一応、シュガーを名乗ってたな。 山辺がヘススに挑戦する時も勝てるわけがないと思った 日本でやらないとまず勝てないような時代 >>822
五十嵐みたいなヘボが世界タイトルマッチするな!
て感じで怒ってたんだっけ?>海老原さん ハグラーは、「マービン・ヘイグラー」という表記が多かったよな >>823
名前とはかけ離れた非力なパンチでペチペチ打ち合ってる五十嵐のボクシングを
僕は嫌いですねぇこういうボクシングは。とか言ってこき下ろしてたw
五十嵐のライバルw 加藤憲治も同じようなボクサーだった 世界タイトルに挑戦するような選手は10回も15回も負けないとか
今ならその場で退場レベルの解説でしたな。 >>823
こんな試合流すなら俺はもうTV解説しないといったとか。
テレ東だったけ? >>826
敗戦が多くともガッツさんと場合、それを糧に這い上がってきたクレバーさがあったけど、ごじゅうあらしさんにはその器用さはなかったんですな
まあガッツさんはホントに例外中の例外て感じですが ハグラーがモンローとワッツ?だかに負けた試合は現存するのだろうか
ホームタウンデシジョンで負けにされたようだが観てみたい >>827
海老原さんですからTV局はテレ東ですかな
話しは変わりますが、海老原さん解説のベツリオ・ゴンザレス対小熊さん(3)がYouTubeにありますが、判定の下りが無いんですよね。
結果は知ってますけど、完全版が見たいですなあ 海老原氏は帰国の飛行機内で隣席のテレ東プロデューサーに愚痴の連打。 触沢も小熊に勝って良かったのかどうか疑問だな 勝ち目のない世界戦やらされて
ボコボコにされて引退 ハリケーン照 小熊をKOするほど実力があったのに
結局日本のベルトも負けなかった >>810
あれがきっかけでスプリンクラーが急速に普及したんだったな ホテルニュージャパンの火事ではわりかし好きだったヌードモデルも亡くなってるんだよな >>834
日航機墜落事故では黒木瞳のライバルだった宝塚女優も亡くなってるな たしかニュージャパンの火事の翌日に全日空機が機長の乱心で
逆噴射して羽田沖に墜落したよな。
ドラレコに副操縦士の「機長、辞めてください!」という声が入ってて。 あの頃はちょうど2浪目の受験中できつかったのを覚えている。
2月の10日ぐらいだよね? >>839
ぜんぜん面白くないけど。
そんなのでウケると思ったのか? 東京都体育館、日大講堂はスプリンクラーついてなかったね
蔵前国技館は鉄骨ばかり印象に残ってる 羽田沖事故は機長の殺人だからな
この頃はグリコ・森永事件もあって
日本中が落ち着かなかった >>845
やっぱり「逆噴射」だろ。
小林よしのり脚本のホラーコメディーの『逆噴射家族』なんて映画まで
作られてる。
今なら絶対にタイトルにできないだろうな。 ニュージャパン火災 羽田沖墜落事故の一週間前に三原がムーアに
KO負けその2ヶ月後に友利がウルスアに絶対不利の予想を覆しタイトル奪取
渡辺二郎もペドロサに圧勝して戴冠 シャネルズのコミック本で「ギャグ噴射」なんて本も出ていたはず けど機長って10年に1人の天才的な腕前だったんだってね
10年に一度の天才とかいう人って案外碌な目に合わなかったりする どの世界でも一目置かれてるひとはすごい。。
暴走族でも常人離れの走りをする達人がいる。
スズキ聖美は歌がうまい。 1077年に78年に起きた青酸入りコーラ事件は東京の同学年の高校生が亡くなったことからよく覚えている
直後には青酸入りチョコ事件も起きた 最初の事件は1/3日 高田が凄絶に散ったエスパダス戦の二日後だった エスパダスを知っている人は少ないだろうね。
視聴率が9%と6%ぐらいだったから。
それと丸木はボクシングマガジンは糞雑誌だと知らしめてくれた功労者だ。。 丸木がなんで?
実力者なのに紙面での扱いが冷遇されてたって意味? セラノに挑戦した日本人は上原以外アポロ、風間、丸木、友成みんな超大差の完敗だからな セラノは東洋人キラーとか言われてたけど所詮雑魚キラー
だからな。 アポロは8回にビッグパンチが決まってセラノをKO寸前まで追い詰めた。 Serrano shutout apollo ってリング氏に書かれてたけどな。 >>858
しかし採点は3人合計で36ポイントの大差だからな シャットアウト負け完敗だよ >>857
外人からみたら亀田が弱いフィリピン人とばかりやってる
みたいな感覚だろうな >>817
ハグラーの何かの試合後のインタビューでコーロへの挑戦をアピールする映像があったな >>846
こち亀に逆噴射弥太郎ってキャラクターが出てた
ドラえもんではキャプテンやめてくださいってセリフもあった
別の話だけど蜂の一刺しをやった女性がひょうきん族で蜂の格好で蜂の一刺しってやってた
おおらかな時代だったね 一億円拾った大貫さんもひょうきん族に出てたな
落とし物の拾い方とか半ズボン穿いてやってたw セラノVSアポロ嘉男
https://www.youtube.com/watch?v=KqQiguzhUAs
8回はアポロのラウンド。
レフェリー、ジャッジはすべてプエルトリコ人で採点は149-133、148-137、149-136
対戦オファーが来たのが試合2週間前、準備不足で挑んだがよく最終ラウンドまで持ったと思う。 アポロはビラフロア戦のスコアが73-73 74-73 73-74だった
あんなに消極的な試合でも1点間違えばアポロが世界王者になってたからな アポロのリングネームはアポロクリードから来てるからな アポロは安全策のボクシングだったよな。
インファイトに徹すればそこそこやるのに。
岡部進とやった時だけ積極的だったが。
世界ランカーになった途端にアウトボクシング
ちびの分際でw アメリカのショートトラックスピードスケートの五輪王者アポロ・アントン・オーノの
名前はアポロ嘉男からとったと言われてるからな アポロが東海林博に1RでKOされた試合が世界戦が早く終わった時
流れたのを見た。 アポロのKO率は3割にも満たないがダウン奪取率は6割を超えている
敢えてKOを狙わない安全運転のボクシングがスケールを小さくした 東洋王座防衛戦で金竜洙の顔面 に再三強打をヒットさせて金の前歯を全部折ってしまった。
リング上に散らばった折れた歯をアポロは足でリング外に払いのけて客席は大笑い。 アポロは関西では唯一世界を狙える選手として人気があった。
後援会も発足して会長は藤田まこと。
漫才師の中田ダイマルラケットもアポロに肩入れしていてラジオで
アポロを盛んに宣伝していた。 WBC創立後70年代中頃までは他団体の王者も独自にランキングに入れててライバル王者をどんな風に評価しているか
興味深っかった 77年ごろからはライバル王者は1位にするのが慣例になったが2年位で撤廃され
他団体王者はランクに入れないようになった アポロに引っかけて雑誌で「世界遊泳男」という見出しをつけられたことがあったな アポロ嘉男 世界遊泳男で動画検索したら、なぜか水泳の動画ばかり出てきたw 高橋直人が全日本新人王を獲ったとき、金沢知良さんを小型にした感じのボクサーと、
アポロは評していた。。
宇宙遊泳男の件は私も知っているが、違和感があった。。塚原光男のコスミックだろうと。。w 高橋直人=金沢知良、ってその視点は当時の人じゃないとわからんなあ。
なるほど。 >>881
71年頃はAならCの王者は大体1位だったが、ノンタイトル戦で負けたりすると
6位くらいに下がってたな。後アリは裁判が決着するまでAではランクイン
してなかったような記憶がある IとかWとかAとかCとかUが付く国際団体は全く信用ならん。。w
特にボクシングなんてヒスパニックが幅を利かせているので推して知るべし。
IWC脱退は大成功だし後IMFの分担金をへらしてもらいIOC、UNも脱退をちらつかせて揺さぶりをかけるべき。
目を覚ませ日本人!! >>885
同じアベジムだからそう例えたんだろうけど似てるイメージは無いな 金沢は何やってんだろうな 会長と仲違いして引退してしまった矢尾板と金沢は忘れられない 引退後の一時期は妻の実家の寺で住職をやってたけど
後に金平系のボクシングジムで指導したりしてたそうだな。 安倍?阿部?
たしか幸四郎だったよな?
アベジム。
明治生まれの頑固爺って感じだったわ。
あと磯上んとこの会長もなw オサムジムの渡辺会長が亡くなっていたんですね、82歳だったそうです 昔はジムの移籍は厳しく禁止されてたから入ったジムの指導者の能力次第でボクサー人生が決まった
磯上や直人も協栄や帝拳ヨネクラならもっと別のキャリアがあったかもな >>895
矢尾板なんて横暴な会長の中村の態度に頭にきて
挑戦が決まってた世界戦直前に引退したもんな。 精神修行の名の元に丁稚奉公をさせてるようじゃいいボクサーは育たないよな >>899
人格者でなくてもいい気がする
選手を利用しようと思ってやったことでも選手のためになることもあるだろう
逆に選手のことを心配して思いやってる会長でも選手を不幸にすることもあると思う ガッツなんてヨネクラじゃなかったら、とっとと辞めてただろうな。 五十嵐だって高田だって触沢だって島袋だって天龍だって瀬川だって丸木だって世界戦出来たんだから 50年代前半は良い時代だったんだよな。
中島や友利は勝っちゃうしなw 中島、友利は、はたして世界獲ってよかったと思ってるのだろうか?
その後の人生はいろいろあったみたいだし。
中島は大学出てプロにならずに故郷に帰って市役所か地元の金融機関に就職した方が
幸せだったかもしれない。 アマチュア連盟の幹部になれたのはさすが腐っても大卒だったね
山根政権の時ではあったけどね ボクサーで大卒って意外に多いぞ。
ピストン堀口なんか早稲田卒だし、三迫、米倉、田辺等々。 >>908
ピストンが早稲田だったから昌彰も憧れたんだろうな
いい選手だったのに早稲田行ってダメになった
平仲が日大、内山八重樫が拓大、ロイヤルもだっけ?中退はレパードが法政、井岡が東農大、大橋が専大、そういえば山中は専大卒業だな
やっぱり弱小大学行ってたらダメだな 関西だと近大だな、昔は関西大も強かったような
ボクシングは小中学に部活もないし、高校も一部の私立と実業系ぐらいだもんな >>909
「早稲田行ってダメになった」という一文に違うスポーツのある現役選手を思い浮かべたのは俺だけでいい ピストン堀口道場の広告に変な帽子をかぶった写真が載ってたのは早稲田ということを言いたかったのか。 鶴田、大学のリーグ戦では友成光に、担架で運ばれるぐらいの凄まじい倒され方したけど、プロではキッチリ借り払ったのは見事。 友成はロイヤルに勝ち世界に挑戦できたけど安里はイコニにとの消耗戦に負けて下降線になり
日本王者止まりだった 安里はイケメンで和製アルゲリョと呼ばれたが・・ バトルホーク風間の店ってあったけど何を商っていたのだろう? >>921
友利はイケメンだったけど友成は普通だろw 弟も同じような顔だったな ロイヤルは彫りが深い精悍な顔つきで男前の部類だったと思う。 工藤と柴田賢治ってどっちが強い?
両方ガソとやったけどさ。 渡辺雄一郎が気の弱い駆動に直接電話をかけて「倒してやる!」と脅したそうな。。
それと10オンスの日本製のグラブに固執したのはいただけない。。 前王者の伊藤はなかなかイケメンだけど結構年食ってるから返り咲きは厳しいな 新井要否がターザン桃原をKOした試合、生で見た人いる? リングにかけろで六助のリングネーム考える時にターザンの名前は出てたな
ライオン古山さんの名前もそれで知った
ハンマー吉田は大工だったからって話も面白かった 白井から現在まで日本人世界王者は80人くらいいるけど
リングネームで世界王者になったのは原田石松小林大熊レパードセレスの六人しかいない
個人的にはリングネームはつけてほしいけど大成しない傾向だ ボクシングとは関係ないことだが、このスレもかなり前からやっていて初期の住人には鬼籍に入った方もいるのではないか?と、ふと思った次第 島田紳助が芸能界やめたのって渡辺二郎と親交があったから? ロイヤル小林とかセレス小林っていたけど、レパード玉熊のレパードもなんかの商品が会社の名前なのかな レパードはボクシングに迫力がないから猛々しくなるようにつけたんじゃないか
改名しても変わらなかったけど。 レパードのショート連打は好きだったけどな
長身なのに接近してのあのスタイルって他にいないし ピューマといえば光矢だったのにいつのまにか渡久地に。。 >>946
減量苦が厳しくて動きが悪かったらしい。
ノックアウト敗けでなく、集中打を浴びてのレフェリーストップだったんじゃなかったかな? 辻本はクエバスより早くエスパダに挑戦する予定だったが夏が嫌いな辻本側が10月挑戦を
決めた 試合間隔があいてしまったエスパダは戦績の悪い18歳のヤングボーイと防衛戦をやり
ひと稼ぎするはずだったがよもやのKO負け 辻本にとってもエスパダのこの相手選びが仇になった
エスパダはマットドノバンに負けてるように並以下の王者 辻本にとってはクエバスより遥かに
勝算があった試合になっただろう 尾崎も日本に呼んだのがスターリングならよかったかな?
でもスターリングにスプリットで負けたのが尾崎の限界だったとも思う 辻本章次ってほんとに強かったのか?
亀田との試合しか見てないけどフルボッコにされてたぞ。
スピードも無いしテクも無い。
良く世界戦やれたよな。
弱いものいじめしてただけなのに。 辻本はいかんせん線が細かった。
世界戦で15R乗り切るのは無理があったな。
ロートルになったナポレスやストレーシーにも勝てなかったと思うよ。 アンヘルエスパダへ挑戦を働きかけていたプロモーターがドジ踏んだ為にヨネクラジムは
日テレ系から離れた。石松がヘスス戦をプエルトリコへ行く羽目になったのもセンサク戦から
テレ朝に移ったのもそれが原因って言われてたよね 石松ーヘススは入札に負けた結果だけどな
ドンキングが動いたからヨネクラに勝ち目はなかった ストレーシーは評判倒れで、ナポレスがそのストレーシーに先にダウン奪いながら、詰めきれずに逆にストップされた時には悲しくなった。時代は終わった。って感じましたね。 エスパダスは後に娘をレイコと名付けたそうだが、
日本で世話になった女性に因んだのか?w 尾崎のブリーランド戦はワンサイドになってしまったもんな
あの試合、本田会長がブリーランドに2億ぐらい払ったんだよね ブリーランドは期待外れだった。レナードの再来とか言われてマイアミバイス
にも出演してたが並の世界王者にしかなれなかった。関係ないがロベルト・デュラン
が出演しているマイアミバイスのシリーズは名作だった。 尾崎ーブリーランドは大いに期待したけど完敗だった 尾崎はこの試合を最後に引退
ブリーランドも半年後デービスに負けて失冠 ブリーランドは190p近い長身 2メートルのリーチを
十分に生かしきるにはフィジカルが弱すぎた 周囲の期待ほど大成ははしなかったけど
指導者としてワイルダーを育て上げたのは立派 試合後雄たけびを上げてるワイルダー陣営の中で
ブリーランドは哲学者のように冷静だ 大敗したワイルダーをどのように復活させるか
ブリーランドの手腕に注目している >>960
payback(謎の美女からの危険なメッセージ!消えた300万ドル!!)
ですね? >>934
そんなにいるんだ
自分が子供の頃は27年間で23人とかだったのにな
>>961
現役時代に期待を裏切った巨人のドラ1だかが坂本だか誰だかを育てたとかなんとかいう話に似てるな
ちょっとうろ覚えですまないが ロス五輪で平仲に勝ったヘナロ・レオンをブリーランドは軽くKOしているんだよな
平仲が勝ってブリーランドとやってほしかったけど、やはりKO負けだろうな モントリオール五輪代表の瀬川は2回戦で金メダルを獲ったデービスに惜敗してプロ転向したが
アマではライト級(当時は62s)が世界に挑戦したクラスはJ.フェザー級(55s)アマ歴が永くプロ入りした年齢が
23歳 ライト級ボクサーとして体は既に出来上がっていた にもかかわらず7sも減量させての世界戦は無茶だった
世界戦前にも中堅ボクサーの国重に記録的な逆転KO負けを喫してるように瀬川のボクシングは無茶な減量で精彩を欠いた
当時の日本のボクシング界全体が適性クラス(常に試合をしているクラス)より一つ二つ下げて世界に挑戦させる傾向が強かった
当日計量の時代過酷な減量を課せられたボクサーは計量をパスしたときにはもう試合に使う体力は半分もなかったかもしれない
瀬川はカルドナ戦中盤以降毎ラウンドのように帰るコーナーを間違えていた
試合後瀬川は試合中の記憶が全くないと語っていた いつ事故が起きてもおかしくないような状態だった。 ヘナロレオンてチャベスとどっちが強いんだろうかといわれていた時期のマクガートを
KO寸前まで追い込んでる 洪秀煥VS田中風太郎
新設された世界Jrフェザー級王座決定戦出場を賭けた試合。
接戦だった模様でレフェリーは森田健。
https://www.youtube.com/watch?v=JZHWXlB0na0
ケン・ブキャナンVS李昌吉
韓国期待の李がNYで技巧派ブキャナンに一蹴された試合。
この時代には珍しくノンタイトル戦にもかかわらず宇宙中継で韓国に生放送された。
https://www.youtube.com/watch?v=wT5Q5b41cY8 フランコウデラ VS バレンティンマルチネス
https://www.youtube.com/watch?v=hICXfMLeZP4
どう見てもキドニーブローには見えないがこれでウデラが初代ジュニアフライ級王者 ヘナロ・レオンというのはどうも自分の記憶と違うなと思いながら
読んでいたが、自分が考えていたのはアルツル・レオンだった >>967
原田やガッツの減量がよく話題にはなるが、実戦での適正階級という意味では瀬川以外ならせいぜい1階級下(しかもジュニア階級)じゃなかったか? 浜田は逆に一階級上のjウェルターに上げたな。
ライト級では世界を取れないと踏んだんだろうな。 昔は身長で階級決めてたからな 160じゃジュニアフライに落とせ 165はフライ級
170はバンタムみたいに過酷な減量をさせてたしボクシングファンも背が高い方が有利だと持ってた ライトが適性階級なのにJrウエルターで無双したプライヤーってやっぱり凄い。 >>977
亀田にダウン奪われたけど速攻立ち上がったな マクガート×ヘナロレオンはガッツ石松が解説してたNHKBSのボクシング番組で放映してたな。 平仲もJウェルターで無理な減量が祟って変な病気になっちまったんじゃないか 平仲は練習のし過ぎ。
気が小さいので限度を越えて練習しないと安心できなかったらしい。ロサリオ倒した試合も含めて平仲のパンチが切れないのはオーバーワークのせい。 ボクシング始めて3年でオリンピック出場した平仲は怪物。 平仲が全盛のころはアーロンデービス バディマクガード モーリスブロッカーあたりが
ウェルター王者だったから狙えたんじゃないか この次だウイテカやトリニダート デラホーヤが
出てくるから厳しかったけど。 王者以外でも タイロン・トライス とか グレンウッド・ブラウン とか役者が揃ってたクラスだからねえ。
ハザマ王者だからつーて入り込むのはかなり難しい。
OPBF王者になってトップコンテンダーになって指名挑戦者になってお声がかかるのを待つか、安パイ挑戦者として王者の気まぐれで声がかかる奇跡を待つか。 平仲がロサリオに勝った時ジョセフィーヌうれしさのあまり
何度も何度も繰り返し見たってコメントしてたな
日本人が勝った外人では相当ビッグネームのほうだろ 尾崎がブリーランドに挑戦した89年当時は既に尾崎より平仲の方が強かっただろう
沖縄の弱小ジムに所属してたため89年から92年にロサリオに挑戦するまで1試合しかできなかったのは
可哀想だった メジャージムに入っていればもっと活躍できただろう 平仲が敵地でタイトルを取った時は当時の一般紙の夕刊に写真入りで掲載されたな。 試合間隔があいたのはロサリオが3回くらい試合延期したせいもいある
ロサリオは才能だけなら本当に素晴らしかった
自分以上の才能のチャベスに完璧に負けたけど >>975
Jr.ライト時代に対戦した後の(あるいは元)世界王者をことごとくKOしているアルゲリョはやっぱり凄い
彼らとは工藤と園川ぐらいの格の違いがあったとはいえ(って、言ってる意味が通じるかどうか知らんけどw) アルゲリョのジュニアライト時代の強さはデュランのライト時代に匹敵するまさに無双。 ここのほとんどの連中の記憶は昭和で停止しているから、園川を知っているのは数少ない40代未満 アルゲリョファンとしては悔しいけど、公平に評価するとコラレス戦のメイウエザーと
ジュニアライトのロマチェンコにはアルゲリョは勝てないだろう 今の状況で捉えてしまっては新しい選手の方が強く見えるのは仕方ないよ
メイウェザーやロマチェンコがアルゲリョ当時の、当日計量や当時のグローブ&15R製で試合したらどうなるかね
練習環境や医療関係だって違うしね アルゲリョはフットワークのいい相手には苦手な傾向があった。 このスレッドは1000を超えました。
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