1903年(明治36年)、岡倉はアメリカのボストン美術館からの招聘を受け、横山大観、菱田春草らの弟子を伴って渡米した。

羽織・袴で一行が街の中を闊歩していた際に1人の若いアメリカ人から冷やかし
半分の声をかけられた。「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ?
それともジャワニーズ?」。そう言われた岡倉は「我々は日本の紳士だ、

あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と流暢な英語で言い返した。