◆昭和期のマラソン強豪外国人選手を語るスレ◆
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アベベ、ショーター、ロジャース、チェルピンスキー、サラザール、
ド・キャステラ、イカンガー、ロペス、サラ・・・・・・・・・・ イカンガー、実は日本のマラソンで3回勝っている筈(ちょっと記憶が曖昧だけど) 元・世界記録保持者のスティーブ・ジョーンズの映像(84シカゴ)を見たが
精悍な顔立ちのイケメンで実にカッコ良かった。 エチオピアのアベベは東京オリンピックマラソン金メダルを取ったからな ショーター一択だな。なんせ、途中で大して、それを撮影したカメラマンを追いかけてもぶっちぎりの優勝。 >>22
マモ・ウォルデ
メキシコオリンピックマラソン金10000m銀ミュンヘンオリンピックマラソン銅 金銀銅全部持っているマモちゃんて凄い。
う●こ漏らしても優勝する人も尊敬に値するけど。 インドにシンという選手がいてモントリオールでは一時期3位を走っていたシーンも。 アイルランドのトレーシー。初マラソンで銀メダルやで。 ラッセ・ビレンは2冠取った後、マラソンにも出て5位 当時のロジャースは連戦連勝で完全にショーターを抜いて実力世界一と言われていた。
モセーエフは翌年の欧州選手権で優勝した実力者。
後方から追い上げた瀬古よりロジャースとの一騎打ちに持ち込んだ阪本の健闘を讃える。 ボストンはいったん賞金レースの波にのまれて没落した時期があったが
賞金レースを導入して、たちまち権威を取り戻した。 日本は賞金レースの時流に乗り遅れて福岡はローカル大会の一つに落ちた。 79福岡はロジャース・モセーエフ欠場でもなかなか豪華な外国人メンバーが集結した。 チェルピンスキーはモントリオールとモスクワの間はホントに不発だった ジュマナザロフも瀬古・宗兄弟より完璧に格下やのに銅メダリストやで。 円谷幸吉とアベベは東京オリンピックマラソンデッドヒートだったからな バージンの時のボストンは瀬古利彦の仕掛けが早かった ジョン・トレーシー。初マラソンがオリンピックで、しかも銀メダル。
層が薄いアイルランドにいたことが幸いしたケース。 サラは世界陸上で連続銀。ソウル五輪銅。
地味に凄い人だった。 ダグラス・ワキウリは91年からの急失速が惜しまれる。 ヘンリー・ロノが勢い盛んな時期にマラソンを走っていれば・・・ モスクワ五輪でロノ バージン ヴェシングハーゲ等も走るレースを見たかった
イフターはモントリオールで走れていたらモスクワではマラソンに転向出来ていたかな…? モントリオールにロスにソウル。4大会中、モスクワ以外の3大会ボイコットが惜しまれる
エチオピア。 その時期に絶頂期だった選手が不憫ですね(アベベ・メコネンとか)
その中でモスクワだけは参加しましたがケニアは前回に続けて不参加で中々役者が揃わない
ケニアもロノ以外にもマイク・ボイトなどの活躍も五輪で再び見ることは出来ませんでした デンシモはソウル五輪ボイコットの年に世界記録樹立。
なぜエチオピアはソウルをボイコットしたのだろう? >>120
当時エチオピアは社会主義軍事政権で韓国をアメリカの植民地として見ていた デンシモもメコネンも今にして思えば88年がピークだったように思う。 オーストラリアのロバートド・カステラとスパゲッティでしたかね?かなり強かった記憶があります。 それはデザート・ガ・カステラとスティーブ・スパゲッティのことだと思いますよ。たぶん。 ソビエトも国単位で見れば、なかなかマラソンが強かった。 ポルトガルは男女でマラソンの金メダリストを輩出した国ということになる。 マメーデはロペスの再来とはいかず、マラソンでは不発。 双子のスカトロ兄弟は、ポルトガルの宗兄弟といった立ち位置だった。 ソウル五輪のボルディンの金は読めなかった。耐久力に優れた粘っこい選手では
あったが。。。 長距離ではないですが
ピーター・スネル選手も亡くなりましたか…
ヒートリー選手といい来年の五輪に来賓で来て欲しかったな ジョン・トレーシーがもっとマラソンを走っていればどうなったか。 >>145
トレーシーはバルセロナ五輪まで走ってるし福岡で中山とも対決している(中山をジワジワと追い詰めたが逃げ切られた) デンシモが3位かな。勝ちはしたけれど中山がやや陰りが見え始めた頃のレース 昭和の強豪外国人は1度は日本に来ているイメージがある。 五輪金に世界記録達成でロペスは達成感もあったことだろう。
86東京マラソンは余興だった。 キャステラは長期にわたって強さを維持したことで印象深い 「前回の東京五輪マラソン優勝者」というだけで、今年は再度話題になる(であろう)アベベですが
実に60年前のローマ五輪マラソンで「裸足で世界新記録で優勝」ということで現在のシューズ問題でこちらでも名前が挙がるアベベ
晩年はパラリンピックの前身でも活躍していたので今年はアベベ追想の年になりそうです 裸足で思い出したのが1984年ロス五輪女子3000mに出場したゾーラ・バッド
当時南アフリカ共和国は人種隔離政策を行っていて国際試合の出場禁止処分をされていた
バッドはイギリス国籍取得を申請し短期間で認めらてロス五輪に出場できた
スタートから積極的に先頭を走っていたが後ろからメアリー・デッカーが抜こうとする
するとバッドが足が飛び上がりながらデッカーの足を蹴りデッカーは負傷棄権した
アメリカのデッカーは優勝候補だったのでバッドに対して観衆はブーイングを浴びせた
https://www.youtube.com/watch?v=B0vxAk6XsLU&t=493s 福岡国際マラソンのFショーターのウンコ優勝生で見てたわ、
画面に向かって右側の藪が茂った場所に突然逸れて暫くしてからレースに復帰して優勝
だいぶ前からウンコ出来そうな場所を探しながら走ってたんだろうなぁ ウンコといえば福岡国際マラソンのゴールシーンで
衝撃の映像が流れてしまったヨルグ・ペーターだな。 >>177
ショーターのその事件はびわ湖毎日だね。 >>179 あれ? びわ湖毎日でしたか、ずっと福岡国際マラソンの出来事と思い込んでました。 60年代から70年代にかけて
事故のこともあり奇しくもアベベと入れ替わるように王者として君臨したショーターですが
日本でも主要な大会に来ている割に現在見られる当時の動画がいまいち少ないんですよね
今後もっと増えてくれるといいなあ… 今度のロンドンマラソンでキプチョゲとベケレの直接対決が報道されていますが
アベベとショーターが一緒に走るレースも観たかったな
その可能性があったメキシコ五輪ではショーターは国内の選考会でリタイアの記録が
https://more.arrs.run/race/15048
データを見るとこの時ビリー・ミルズもリタイアしてますがミルズはマラソンに転向していた(?) >>184
ミルズのブログを読むと元々マラソン適性もあったようなので東京と同様にメキシコでのマラソン参加も不思議ではないのですが
前五輪で優勝した肝心のトラックには選考会すら出ていないので年齢的に(当時30才)マラソンのみに転向したか
R・シュールのように故障で出られなかったのかな?と思いました 60年代最強の長距離選手はクラークだがオリンピックでは東京五輪10000mの銅1個だけ
https://more.arrs.run/runner/9267 クラークはマラソンも数回走ったが成功しなかった
織田幹雄氏は「君はジャンプして走るからマラソンには向かない」と忠告したという サイド・アウィータは90年の国際千葉駅伝に出場していたことは気が付かなかった
本人は観光気分だったみたいだがバブル期の日本は高額の出場料を支払ったと思われる
https://more.arrs.run/runner/4742 アウィータは千葉にも来ていたんですね
静岡しか知りませんでした 人間機関車ザトペックだわ
オリンピック同一大会で全長距離種目制覇 そういえば91東京世界選手権観に行ったとき、
客席通路を一般人にまみれてアウィ−タが歩いていたんで驚いたな。
あの頃はまだTBSとか織田裕二じゃなかったから外国人選手なんて
ほんとに数人しかカオが割れてなかったね。(ルイス、バレル、カーシーくらい?)
握手を求めたら喜んで応対してくれた。 そのレース、現地で見てました。凄い熱狂ぶり。
陸上競技でこんなに盛り上がるものかと新鮮な驚きでした。
チェリモが相当レースを引っかき回しましたね。 レオニード・モイセーエフとビル・ロジャースには日本人が勝てる気がしなかった
途中で用をたして勝ったフランク・ショーターも強かった サイド・アウィータ 1987年 静岡国際陸上5000m
https://www.youtube.com/watch?v=lrmrpQCSWUU
軽く走っていても当時の日本記録を上回るタイムで優勝 >>199
ショーターは戦術に優れた選手だった。
周りの選手の様子を伺い前半からでもスパートして引き離して勝つことができた。
終盤でペースが落ちても大差があったので他の選手は優勝をあきらめてしまう。
マラソンは記録ではなく勝負なのだということ知った。 そう言えばインドにシプナト・シンというアジア大会で優勝した強いランナーがいたけど
今でもインド記録なのかね >>203
個人記録を見ると78年に2時間11分59秒4の自己ベスト記録で走っていました。
おそらくインド史上最強のマラソン選手だと思います。
https://more.arrs.run/runner/10433 >>201
5位には珍しいチュニジアのランナーが入っているんですね、この方でしょうか。
https://more.arrs.run/runner/5540
チュニジアの陸上選手はガムーディのミュンヘンからロンドン五輪でのハビバ・グリビの3000mSCでの優勝(繰り上げ・金)までに40年以上の歳月が流れました。
何回か話題に出ておりますモントリオールで11位だったインドのシン選手も貴重ですね。
https://www.sportskeeda.com/athletics/shivnath-singh-lion-hearted-runner-india
短距離ですが、ローマ五輪の400mを走ったインドのミルカ・シン選手は映画にもなりましたね。
先日の大阪国際女子マラソンでは、リオも走っていたモンゴルのムンフザヤ選手がいましたが、強豪国だけでなく色々な国の選手の活躍を見たいです。 1966年ソウルでの第3回韓国国際マラソンで優勝したアベベ。
https://youtube.com/watch?v=jUimYpM115A
二位が寺沢、三位に君原。この時、君原は著書で中間地点でアベベにかなり近付くことが出来、想い出深かったようです。
メキシコ五輪の国内選考会を除くと、アベベが優勝(完走)した最後のレースでは。 1966年朝日国際マラソンが国際陸連の承認を得て国際マラソン選手権となる。
アベベを招待しようとしたが膝の故障を理由に出場を辞退した。
交通事故がなかったとしてもアベベの選手生命は終わりに近かったと思う。 音声がかなり小さいですが、東京五輪翌年の1965年第20回毎日マラソンの動画も上がりましたね
https://www.youtube.com/watch?v=ySAbSG57i6w
円谷関連の書籍では「メキシコではアベベに勝って金メダルを。」と上から圧力を掛けられていましたが
この再会時に超人であるアベベも自身と同様に身体の不調を抱えていることが分かれば(その後、破談などもありますが)気持ちは幾らか違ったのではと説を唱える人も
MRIの実用化も80年代に入ってからで、当時は入院もして治療にも専念しましたがアベベの膝の故障も治らないまま、この状態から3年後のメキシコへ
208さんも書かれているように元々、世界を震撼させたローマ五輪の時点で28才と少し年齢もいっていたので本人も答えていましたが事故がなくても選手生命は長くなかったと思います。
カリスマ性のあるアベベと比べると少し目立たなかった感のある同僚のマモはメルボルン〜ミュンヘンまで(ローマのみ予算削減で行けず)とかなり長かった。
ザトペックやビレンはトラック競技主体でマラソンも好成績を収めた選手でしたが、マモは長い競技生活の中でトラック(主に10000)とマラソンのどちらに主軸を置いていたのか分からない程に常にどちらも走っていたという稀有な選手だったように思います。 メキシコ五輪5位のアドコックスも福岡国際と毎日マラソンを制覇した稀有な選手
https://more.arrs.run/runner/9396 ボルディン、アンティボ、パネッタ
バルディーニやストラーネオ
みんな元気かな。。。 ベッティオル、コバ、ピッツォラト、
ポリ、メイ、マグナニ。。。 やっぱりショーターだな
記録カンケーなくうんこしてても勝つ
凄いキャラ 前半世界記録ペースでぶっ飛ばすショーター
ナイキがその頃あったらほっとかないタイプ キャラ そういえば福岡国際の優勝者で
バリンジャーてのがいたな。 やや谷間の大会だった82年福岡国際優勝のニュージーランドの選手ですね 素朴な疑問
75年福岡にショーターが出場していたら5連覇できただろうか?
81年福岡に瀬古が出場していたらキャステラに勝てただろうか? 東京オリンピックパラリンピック延期はあり得なかった 宗兄弟が出てくるまで日本のマラソン界はわりと長い間暗黒時代だったんだよな
佐々木ショウイチロウとか宇佐美とか沢木とか
世界と戦うレベルになれなかった。 >>241>>243
コロナウイルス影響で延期したなんて信じらんなかったがね ロスに続いてエチオピア不参加のソウル男子10000mは予選(2組)と決勝では1分近くタイムが違いますが
どちらも何度も後ろを確認しながらのブラヒム・ブタイブのハイペースによる圧勝
>>258の5000m動画ではラストに鋭いキック力を持つスカーにも勝利
>>262
ありがとうございます 1991年世界陸上(東京)5000m決勝でのリラックスしている(?)ブラヒム・ブタイブ
https://youtu.be/hHZsqtIlCVQ?t=102
オリンピックでの10000m優勝&世界新記録はミュンヘンのラッセ・ビレン以降は無くなりましたかね
ソウル五輪でのブタイブがペースを落とさなければ更新出来そうではあったのですが >>293
かもり専用の400mトラックもいくつか持っているしな >>295
気前よく別荘を合宿所として貸してくれるらしいしな ↑帖佐くんは靴を舐めさせていただきます、言うとった、って
ホンマやろか ↑ふぐちりにうなぎの白焼きに伊勢エビの鬼柄焼きにタラバガニ1匹に
トウモロコシに野菜サラダをボールに二杯にメロンにアイスクリームに
ホットコーヒー三杯や >>324
この前、昼飯にシーフードカレー3杯にスープにサラダ。フルーツ
盛り合わせ食っておったで >>325
その日のおやつはカツ丼、天丼、親子丼の超大盛りだったらしいな ↑札幌のビール園でビールをジョッキで80杯飲んだこともあったらしいで ↑かもりがあの時代に生まれていたらシベリアはすっぽり日本の領土に
なっていたで ↑世界制覇はコンビニで買い物するくらい簡単と豪語していたからな。 ↑「辞書なんか要らん。ワシの存在そのものが辞書や」言うとったで ↑かもりのツルの一声で箱根駅伝のコースもすぐに変更出来るからな >>339
そのうち箱根駅伝のスタートのピストル撃つのもかもりになるらしいで >>340
東京オリンピックのマラソンコースが東京から北海道に変わったのもかもりの鴨の一声だったらしいな >>342
バッハ会長なんか門前払い扱いらしいやん >>344
タマランチは10分だけだが会ってもらえたらしいぞ ↑「これで思い残すことはない」と涙を流しておったな >>350
最低でも国家元首クラスじゃないと厳しいからな ↑かもりからしたらトランプくんも「舎弟」に過ぎんからな >>356
ボルソナロ大統領の事は結構評価してるらしいな >>358
あの全ての躊躇のない強気の発言、行動は自分はかもりに評価されていると言う自信からくるものらしいで ↑かもりの庇護のお陰で勘違いしてしまうのも出て来てるらしいで >>360
かもりに少しでも庇護してもらえたら誰でも舞い上がってしまうのは仕方ないがな ↑洋の東西・国籍や身分を問わないからな。偉大やで。 >>364
7歳くらいで悟りの境地に達したとも言われてるで ↑将棋では400年に一人の天才やが、かもりは1万人に一人の天才やからな >>373
通常の人間の概念を遥かに超越してるからな ↑昨日は札幌でジンギスカンを40人前食べたそうやで ↑間食にラーメン3杯に餃子にレバニラ炒め食っておったな ↑いろんな国から「陸上を指導してください」とオファーが大変らしいで ↑
シュッシュッと消臭
フランクショーターは給水所にコーラのね。炭酸抜いたのを置いてたらしいね
ポカリすらない時代 イカンガーはワキガだった
瀬古が臭い、って言ってたw ボストンマラソンはボルディンの勝ち方が印象的だったな
後方から追い上げて勝つスタイルが
印象的 手当り次第のスレにage連投
目が覚めならまた連投 >>410
明け方まで発狂して今頃起きてきてID変えて連投してるコタニマサオのことですか? メンタルヘルス板にこういう一人で喋ってる人のいるスレあって、それと似てるなあ >>412
コタニマサオさん、あなたのこと?
等質だから、メンタルヘルス板も行くんだね?
そっちも荒らしてるの? >>402
コタニ・マサオの発狂5連投なら凄くないけどな 1964東京オリンピックマラソンはアベベしか覚えてないからな 昭和時代末期よな。60年と61年と62年と63年よな。最後に64年1月7日までよな。昭和天皇崩御よな。 ↑昭和天皇崩御はビックリしたわな。昭和64年1月7日だわな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています