躁鬱2型と診断された25女の独り言
社会人3年目の2年前に躁鬱2型と診断された25女の独り言
勝手に書いていく
スレ違だったらすまん なんとなく今までの人生を書き出す
特定怖いので少しフェイク
家族構成:実家…元々5人、1匹犬家族
今…旦那1人
[幼少期]
3姉妹の上双子の末っ子として生まれた。
1番古い記憶は、幼稚園の渡り廊下で1番上の姉に蹴られて「うるせーよ、クソ豚」と3歳ぐらいの時に言われた事。
上の姉双子は3歳からバレエを習っていて、なおかつ美人姉妹として周りからチヤホヤされてた。
一方私はチビでデブでブスだった。
親にも親戚にも「末っ子は出来が悪い」など言われていた記憶がある。
いくら周りになんと言われようとも、当時の私はみんなに笑って欲しくて自らおちゃらけキャラを演じたり、言われたくない事を言われても笑ってやり過ごすようにしてた。
誰も助けてくれる人なんていなかった。みんな私のことを嘲笑ってた。 続き
姉のバレエは週6で、毎回母親に連れられて送り迎えに行っていた。ただ、母親はレッスン中は姉の様子をずっと見ているので1,2時間は車の中で放置か、レッスン場の保護者が入れる部屋の橋でずっとゲームをしていた。
車の中で放置された時は、母がいつ帰ってくるか分からない恐怖でずっと泣いていた。それでも幼い私は車の鍵をかけられて中で待っててと母に言われた事を忠実に守っていた。なぜなら、母を怒らせると何が起きるか分からないから。 母だけでない、父も怒らせると何されるか分からなかった。
母と父はずっと喧嘩をしていた。
お互いに叫びあって、母は泣きながらものを投げて、父は母の上に馬乗りになって首を絞めたり…
そんなことが頻繁に起こっていた。これは私が小6になるまで続く。
怖かった。寂しかった。
喧嘩の内容はほとんど子育てのこと。
周りから馬鹿にされ続けているのもあって、この頃から「あぁ、私は生まれてきちゃダメだったんだな。早く死にたいな」と思い始めていた。 母だけでない、父も怒らせると何されるか分からなかった。
母と父はずっと喧嘩をしていた。
お互いに叫びあって、母は泣きながらものを投げて、父は母の上に馬乗りになって首を絞めたり…
そんなことが頻繁に起こっていた。これは私が小6になるまで続く。
怖かった。寂しかった。
喧嘩の内容はほとんど子育てのこと。
周りから馬鹿にされ続けているのもあって、この頃から「あぁ、私は生まれてきちゃダメだったんだな。早く死にたいな」と思い始めていた。 続き
5歳ぐらいから私も習い事を始めた。
小6までに、水泳、卓球、書道、華道、公文、塾、ピアノ(忘れてるのもあるかも)を習った。全て被った時期は無いけど、どれも3~5年はやっていた。
習い事を初めてから、「習い事で結果を出せばみんなが褒めてくれる!!」と思うようになった。
実際、何度も色んな賞を取った。大きいものでは全国大会レベルのものもあった。小さいものも含めたら、人生で賞状50枚回ぐらい貰ってると思う。数えたことないけど。
ただ、どんなに賞を取っても周りの反応は変わらなかった。「姉の方が可愛くて優秀」とずっと言われ続けた。
家族全員にも、親戚にもバカにされて
辛かった。寂しかった。孤独だった。 続き
小学生時代
低学年
相変わらず状況は変わらず。内気な性格で、根は暗いけど明るい性格を演じてた。だけど、みんな気づいていたと思う。本当の性格じゃないってことをり
何故なら友達が1人も出来なかった。
高学年
どんどん暗い性格だが人前では笑顔で話す努力をしていた。習い事でも賞を取れるように毎日努力していた。
ただこの頃から両親が子供に手を上げるようになる。都合が悪いこと、言うことを聞かないとものを投げられたし、罵倒も沢山された。
の頃から家庭内がさらに最悪になる。
父からのDVに痺れを切らしたのか、母はある資格をとって外に働きに出るようになった。何日も家を空けるようになった。今思えば子育てしながら、かなりすごい資格を取ったなと思う。ただ、当時はそれが分からなくて「あぁ、母は私を捨て始めたんだな」と思っていた。
次第に母は1週間、2ヶ月、半年と姉のバレエの大会とかがある時以外ほぼ帰ってこなくなった。
そんな中母の携帯をふと見てしまった時に、母が別の男の人とメールをやり取りしていたのを見てしまった。不倫の内容だったと思う。名前だけ見て覚えていたので、家族全員でご飯に行った時に母親に「田中さんって誰?(不倫相手)」と聞いてしまった。場の雰囲気が最悪になった。父も気がついていたんだと思う。
それから家の中では喧嘩ばかり、姉は反抗期なのか自分達の部屋から出てこない。私も喧嘩を見るのも暴力を振られるのも嫌で自室に籠るようになる。
完全に家庭崩壊状態だった。 双極性障害2型というのは概ね複雑性PTSDかパーソナリティ障害のことが多いが
>>1は前者かね、会ったことないんでわからんが
薬はサポート程度で内観療法かトラウマの程度によって治療すると良いよ 「精神障害年金」もらってる?
もらってなければ、主治医と年金事務所に相談して手続きを進めよう。
だいたい主治医は面倒だからつべこべ言うだろうけど、
権利の問題だから、此処は頑張った方がいいです。
年金事務所に提出すべき書類は医師が書くものと、
本人が書くものに分かれてる。医師の手数料は千差万別。
おれは都立の病院だから3,000円で済んだけど、
メンクリだと面倒だから数万円とか請求するトコもあるらしい。
本人が書く部分には書きづらいものがあって
このケースでは社労士に相談して完成させるのが定番。
費用は年金2か月分が目安。つまり支給額1回分ということ。
おれは初回は自力で書いて審査も通してる。
1年おきぐらいに書類の更新することも要求される。
おれが通ってる病院は東京でナンバーワンの精神病院だから
信頼度が高い。更新時には医師が電子カルテで前回提出して審査に通った
書類をほぼそのまま使ってる。おれが書くべき部分も医師が見て
「前回通りに作ればOKですよね」ということになり、おれが書くべき
部分も医師が書いてる。「何も自力で出来ないことにしてください」
と頼むと「解りました。その通りに作っときます」ということになる。
完成したものを年金事務所に提出する。
審査は結構時間かかるよ。
しかも、却下される場合もある。されたら再度社労士との相談だな。
こういう話は「医者が教えてくれること」はほとんどない。
ほかの社会制度についても同じで、自分で調べて動くことが必須。
「誰も教えてくれない」のが事実だから。
つまり「情弱は自分にとって不利に働く」ということです。 >>11
大変興味深いのだけど東京でナンバーワンの病院てどこ? >>12
ぼくから教えることは致しません。
ご自分でお調べください。
すぐ、解りますよ。 >>12
ある時、病院を変えようと思って国立の病院に行ってみた。
3時間ぐらい待たされた挙句の果ての診察の答え。
「あなたを診れる病院は『東京でナンバーワンの病院』しかないです」
という内容。
「なんだよ、国立の病院のくせに診察を断るのか。ふざけんな」
というのが、おれの率直な感想。
仕方ないから今日もこれから「その病院」に診察を受けに行く。
10年前ぐらいに建て直してるから施設は綺麗だし、
保護室も自分でトイレが流せる。これは大きいね。 建て替えてるなら都立松沢かな
超急性期ではナンバーワンかな
うつ病や神経症、適応障害などは極めて不得手で、
建て替え後数年からアルコール依存も充分には診れないところではある。 ヒロキは
おっさんがTikTokでバズる動画のタレコミが殺到していても一言心配したやついなかった時代になってきた そろそろ利確するか?
怖すぎ
手術したほうを持ってたとか言って戦ってくれば?