ガジュマルの木
10年くらい前、司馬遼太郎さんの「街道をゆく(台湾紀行)」を読んだ
その中にガジュマルの木が出てきた。
その後100円ショップにガジュマルの木が売っていたので買ってみた。
小さな鉢に入った15センチくらいのやつだった。 ずっと陽の当らないところに置いていたからか
まったく大きくならなかった
ある日陽の当たる場所に移してみたら
どんどん大きくなってきた
陽の当たるほうへ曲がって大きくなっている
ぼくが居なくなって誰かがどこかの広い場所にうつしたら
百年後に高さ20メートルの巨木になっているかも知れない
巨木にも小さな頃があったのだ 道路拡張にともない近所の街路樹が伐採されるそうだ
30年前に引っ越してきたときにはあったから
たぶん50年くらい植わっていたものだろう
人の都合で植えられたり刈られたり
まあ、人もそのうち居なくなるんだけど 淳ちゃん!淳ちゃん!ご飯よ!
変ねえ、どこに行ったのかしら…
淳ちゃんは、ガジュマルの木の上で、それを見て、クスクス笑っていた
しあわせな光景 映画「おくりびと」の中の山崎努さんの台詞
「生きものが生きものを食って生きているんだ、
(植物を差して)こいつ等は違うかもしれないが…
死ぬ気がないなら食うしかない」
植物も光と土と空気を食って生きているということか
やっぱ生きものは養分がないと生きられない
でも、そこを超えると、涅槃があると おおむかしの夏休み、パン工場で夜勤のバイトをやった
パンは昼間作られて、できたパンたちは夜から夜中にかけて
小売店とかスーパーとかに向けてトラックで発送される
その小売店からの注文ごとに、バンジュウと呼ばれるプラスチック駕籠に
パンを詰め込む仕事だ
夜8時に稼働で、12時の休憩があっという間
3時にまた休憩がきてあっという間に朝がくる
こんなに時間の流れが速いのって、経験がない
夜の8時から朝の8時があっという間
40日くらいバイトをしたんだけど
昼間の太陽をずっと見なかった
夜から朝まで働いて、帰って寝て、夜仕事だから
お日様というものを見ないのだ
世の中にはそういう、夜働いて、お日様を見ない人たちがいるんだ…
いまもスーパーに並ぶ菓子パンを見ると
そういった夜中に働いている人たちを想うんだ 街路樹の伐採がはじまった
あれは多分イチョウの木
地面から数十センチの切り株を残して刈り取られてゆく
光合成のできなくなった生命は徐々に死へとむかってゆく
やがて根っこも掘り返されて廃棄物として捨てられるのだろう
伐られる本体は痛くも痒くもなかろうが、見ている方は寂しい気持ちになる すごいよね
お釈迦さま
二千年も前に真理にたどりついていたって
どのみちみんな死んじゃうんだし
死んだら無になっちゃう
あんまりくよくよすることないよ
みんな仲良く究竟涅槃
般若心経 北の海に大きな魚がいた
その大きさと言ったら頭の先から尻尾までが数件キロメートル
その魚は鳥に変身して南へ渡ってゆく
そのさまをスズメや小鳩が見てくすくす笑って言った
「なんて大袈裟なんだろう、ボクらはあの木の枝に飛び移るのも一苦労なのに」
大きなものも小さなものも、一見違いはありそうだけど、
宇宙の大きさから見たら、どれもこれもみんな同じ小ささだ
わずか数日の命の虫けらも樹齢数百年の巨木も
宇宙の悠久からみたら、どれもこれもみなおんなじだ 明日はお天気が良いそうだから、洗濯ものをいっぱい乾そう
明日は燃えるゴミの日だから、貯まった生ごみを捨てよう
コバエやウジ虫がいっぱい湧いてて、ほんとうに気持ち悪い
明日…、明日…
明日やることを決めて今日床に就く
こんなにしあわせなことってあるまい
明日やることがある
明日、明日
あしたがある いつも生々しい夢をみる
殆どが探し物が見つからない夢だ
銀行の同意書がないとその口座が使えない
まるで明治か大正時代のような書類だらけの書棚を
片っ端から探すのだけど、見つからない
書棚からは、いろいろな物が出てくる
彩色に使う道具類、筆とか細かな貝殻粉とか
ぼくの前世の仕事だったのだろうか?
実に具体的で生々しいのだ 最近なんも考えず、やたら殺虫剤を吹きつけていた
生ごみに集まるコバエが憎くて
あと、蚊取線香も炊いた
一匹の侵入してきた蚊が憎くて
コバエも蚊も一ミリにも満たないダニも、すべてが生き物である
天才アインシュタインですら解明できないいのちの謎
なんでこんなちっちゃいのが律義に6本の足を動かし移動するのか
なんで踏みつぶされようとすると、ちゃんと怖がって逃げるのか
わからない、わからないし、ヒトの作りだせるものじゃない
偉そうにしているヒトも目に見えないダニも
人智の及ばないなにものかによって生きて動かされているのはおんなじ
神?
なんかウソっぽい
もっと根源的ななにか
なんじゃろか 電車に乗っている
家に帰りたいのだけど、車内に貼ってある路線図を見ても
ひとつも知った駅がない、困った困った、どうしよう
これも時々見る夢
ターミナル駅も聞いたこともない名前
どこに向かってゆけばいいのだろう
無間地獄というのは、こんな感じだろうか
永遠に探し続け迷い続ける
いつも夢からさめるとホッとする 寝苦しいとき、夢うつつの状態で、むかし覚えた般若心経を唱える
ついでに漢字を描いてゆくのだが、書けない字が6つ見つかった
翌日見直してしっかり脳裏に刻み込んだけど
時間が経ったらまた忘れるかも
菩提の提、堤だったか提だったか迷った
無罣礙の礙
究竟の竟
阿耨多羅三藐三菩提の耨と藐
羯諦の羯
安倍譲二さんがムショの懲罰房にぶち込まれたときに発狂しないですんだのは
両親から差し入れられた般若心経のおかげだった
そんな逸話から自分もこころにひとつお守りを持ちたいと思った 般若心経は
物語調になっている
観自在菩薩(お釈迦様)が悟りを開きたいと一生懸命修業をしていたとき
すべてのものは移り変わると知った
それですべての悩みから解放された(救われた)
あとは、くどくど同じことの繰り返しで、長い
一人の例外も無く、みんな、あの世にいっちゃうよ
そらそうだ
どのみちみんなあの世行きだ
過去も現世も未来もみんな、阿耨多羅三藐三菩提の世界に行くのだ
そらそうだ
おんなじことだったら
毎日、律義にエサを貰いにやってくるネコも
毎日やってくる、スズメやシジュウカラとかキジバトとか
おなか一杯食べておゆき
一期一会だから
みんなどのみち、おんなじだけど
おんなじだけど 生きること
生きていること
それは、生きものが生きものを食って生きているってこと
それを否定できない、生きているいじょう
だったら、喜んで殺して割いて食えばいいじゃんよ
でも、生きものを殺して捌いて食う行為を、好きではない
苦しんであげる悲鳴をだれも聞きたくない
だれも自分の親や子供が殺される様を見たくはない
愛する人が苦しむ姿を見たくない
殺さなければ生きて行けない
酷い矛盾 酷い矛盾
もうこの頃は、ゴキブリが這うのを見てもなんもしない
蚊に刺されて痛いときは、むっつとして叩きつぶすけど
今畜生!食いつきやがって!
食いつかれても黙って血を吸わせてあげるような悟り人じゃない
ぶっ殺す!
見目麗しい美人さんが、魚をとっつかまえて、包丁でぶった切る
虫も殺さないような顔をして
平気でぶっ殺して食う
生きものが生きものをぶっ殺して食うのはふつうのことで
なんも悩むことない、どんどんぶっ殺して食えばいい
でも、家の可愛いいポチやタマをぶっ殺して食えるかね?
そうはいかんでしょ
生きてそこに居るものを、殺生するって、よほどの人でないと
できないことだ 山田浅右衛門って人がいた
首切り役
江戸時代もやっぱ、自分で殺すのは嫌だったみたいで
自然、そいういう役をする人ができたと思う
もう死んじゃったけど、綱淵謙譲って人が小説で「斬」というのを書いた
その人々の物語
人を殺すのを生業にする人々の物語
明るい話じゃない
どうなんだろうか、戦場に出たとき、敵を殺したことのある人と
一度も殺さずに死んでいった人とでは
あの世で閻魔様が、審判するんだろうか
できれば、人なんて、一人も殺すことなくこの世に別れを告げたい
ふつうはそうなんじゃないかなあ 最近、
大戦中の戦利品とかで日章旗一面に激励の文字が書かれたものを
遺族に返したいとかいうアメリカ人がいるよね
戦闘でぶっ殺してポケットを探って見つけて持ち帰ったものを
遺族に返したいんだと
アメリカ人も、むかし、ぶっ殺した人がいたことを
ずっと嫌な気持ちでいて、死ぬ前に、遺族に返して、プラマイゼロにしたい
そんな感じじゃなかろうか
ぶっ殺した人にも家族がいる。お母さんお父さんがいる、
子どももいたかも知れない。自分も人の親になって、子や孫ができて、
その人をぶっ殺したことが、とっても嫌で、
なんとか、遺品を返すことで、罪を少しでもやわらげたい
そんなことだと思う
生きものを殺して食って生きているくせに
酷い矛盾だ 煩わしい人間関係
ただ金を稼ぐ目的だけのくだらない労働
家族付き合い親戚付き合い近所付き合いなどの人付き合い
来月もその次も待ったなしでやってくる家賃の支払い
病気やこころの悩み心配ごと
…
そういった諸々の悩み苦しみから解放されて自由気ままに生きたい!
そう、すべて望み通りに願いが叶った
悩みも苦しみもない穏やかな毎日
それなのに、この物寂しさはなんだろう
涅槃寂静というやつなのか 遠いむかし
世の中のいろいろな矛盾に悩んでいたころ
自分の存在自体が細胞の新陳代謝による新旧の交代だと気づき
世の中の弱肉強食についての批判や否定をやめた
強いものが勝ち弱いものが負けるのは当たりまえのことなのだ
でも、世の中の競争という激流に、とても立ち向かってゆく自信はなく
流れの穏やかかあるいはほとんどない淀みを見つけて
そこに秘かに生息してゆこうと決めたのだ
波風の立たない場所でひっそりと暮らす
それしかなかった ある子どもが、将来の夢を聞かれ、大人びて「平凡に暮らしたい」といった
大人が笑った「平凡に暮らすのにどれだけの努力がいるのか!」
平凡には暮らせないんですよw
ふつうに、のほほんと生きていたら、競争に負けて、社会の底辺に追いやられ
働けど働けどの、悲惨な末路しかない
好むと好まざるとにかかわらず、もの心ついたときから、競争がはじまる
小学・中学で勉強のでき不出来が決まり、高校受験で、進路が分けられる
その先の大学も、有名大学に行っても、就職先が決まらない
卒業時点で、外国語の二つ三つ喋れるくらいが最早、最低ライン
平凡に暮らすって、どんだけ努力が必要なのかがわかりますね
ああ、嫌だ嫌だ 世の中の荒波を避け、ひっそりと暮らす
そのためには、諦めないといけないことがいろいろある
結婚して家庭をもつこと
子どもを育てて、いっしょに成長する喜びを味わうこと
老後の子や孫に囲まれた、和やかな団らん
…
それでも、やっぱり自由がいい
誰にも束縛されず、気を使わない毎日がいい
自分はそれを望み選んだのだ 弱肉強食の競争社会
むかしは槍とか鉄砲がものを言い
貨幣経済の世の中になってからは、なんと言っても「カネ」だ
カネ
好きでも嫌いでも、イヤでも応でも、薄汚くても
カネが無ければ、なにもはじまらない
自由気ままに好き勝手に生きるには、「カネ」が要るのだ
わかりきった、当たりまえの話だ 銀行の重役室は
高さが5センチもある、ふかふかの絨毯に敷き詰められた部屋で
美形の秘書たちがかいがいしく立ち働いていて
要するに、外形で、来訪者を、威圧、圧倒するんだそうな
まさに寅の威を借る、ただのおっさん
家に帰れば、ステテコを履いた、ただのおっさんが
大手、銀行、重役等々の外形的鎧を着て、演者となる
組織を離れれば、只のヒト
なんの威力もないw
嫌だ嫌だ、そうではなく、逃げて、逃げて、逃げまくっても
ダダの自分でありたい、只の自由なヒトでありたい
そういうこと お金は次に持ち越せない
それはいいのだけれど、父や母の若い頃の写真や思い出の籠った品々
それらを受け継いでくれる子孫がいないというのは、申し訳けない気がする
太古に生命が誕生して以来、脈々と続いてきたものを絶やしてしまう
後始末を家族がやってくれるなら、安心して逝けるけど
自分が生きている間にやらないといけない
そこが最も気の重いところだ
好き勝手に生きて来たならば、そのくらい自分でやれということだけど 言いたくないことってあるのだと思う
よく、むかし特攻隊だったとか、自慢げに語る人がいるけど
ほんとうに戦争を体験した人は、ほとんど語ることはない
思い出すのも嫌で、誰にも話したくない
つらい思い出、悲しい思い出、嫌な思い出…
それを赤の他人に吐き出したところで、なんの癒しにもならない
黙って自分の胸にしまって墓場まで持ってゆくしかないのだ
もうじき死ぬことがわかっている病人も、おなじかも知れない
お医者に泣きついても、わめいても、どうにもなるものではない
だからみんな黙って、辛さを胸の中にしまって、ひとりで去ってゆく
自分はまだそんな経験はないけど、そんなときになったら
母や父を思うんだろう、自分ももうじきそっちに行くからと この子は、今年に生まれた子だね
でも、両羽が下に垂れてしまって、動作がぎこちない
親離れをしたけれど、この先、冬を越せるのだろうか
ひどく人懐っこくて、あんまり怖がらない
短い一生だから、精一杯生きているんだろうか
むろん、エサは、いっぱい用意しとくけど
また、明日も来れるだろうか
姿を見せてくれたら、うれしい あの子は、姿を見せなくなった
飛び方もぎこちなかったから、きっと死んでしまったんだろう
小鳥は、ほんとにころっと死んでしまうものだ
自分のちからで生きて行けないものは淘汰されるしかない
せっかく生まれた雛も、大人まで無事になれるものは何羽もいないそうだ
すべてが一期一会
儚い トイレの隅に小さな蜘蛛が巣を作って住んでいる
何をエサにして生きているのか
別に害を及ぼすわけでもないから、好きなだけ居たらよかろう
さっき、軒先で爪を研ぐ音がするので、いつもの子が来たのかと見ると
さっと逃げるので、どうやら新顔らしい
エサを与えたら、少し残して、きれいに食べて行った
ここ十年ほど、いろいろな野良猫が、入れ替わりやってきている
全部で、10匹くらいになるだろうか
そのうち姿を見せなくなり、死んでしまったことがわかる
最後に挨拶をしてから、去ってゆく子もいる
好きなだけやってきたらよかろう
袖触れ合うも、他生の縁、喜んでくれたなら、自分も嬉しい
それだけのはなしだ 夜中にまた爪を研ぐ音が聞こえる
また昨日の子だ
以前も音がして、いつもの子がやっているのだと思っていたら違っていた
エサを出し様子を眺めると、まだ小さくて、今年生まれた子のようだ
一所懸命食べて、そろそろ食べ終わるころ、逃げるように去っていく
すると、今度は、タヌキがやってきた
残ったエサを食べ漁り去ってゆく
ヒトの寝静まった夜中には、いろいろな野生動物たちが徘徊していた
で、朝方、いつもの野良がまたエサを食べにやってきた
夜中でも我が家は結構にぎわっている トイレの片隅に住み着いた蜘蛛
見ると床に小さな黒い点が二つ
食べ終わった後の獲物の死骸だと思われる
じっと待ち続け、獲物が網にかかると突進し、毒針で殺しゆっくり食べたあと
糸を切って下に捨てる
あんな数ミリの小さな生き物世界でも、弱肉強食が基本
蜘蛛というと、子供の頃、音叉を巣に当てて、喜び勇んでやってくる蜘蛛を
ビビらせて遊んだことを思い出す いのちあってのモノダネだよw
大昔、仕事で追い詰められたとき、フト浮かんだ言葉
いのちあってのモノダネだよ、冗談じゃないよ
世の中には自ら命を断ってしまうひともいるけど
そして、それは本人しかわからないことだけど
どのみち嫌でもヒトは死ぬ、そんなに慌てて逝くことはない
世の中には、どれだけ生きたくても死ななきゃならない人もいる
幼子たちを残してガンで死ななければならない母親
やりたいことをいっぱい残して死ななければならなかった戦時中の人々
いのちあってのモノダネだよ ガジュマルの木が陽の当たる方に曲がって伸びるので
先日、方向をさかさまにして糸で引っ張って真っすぐにしてみた
でもなんか可哀想になり、元に戻して今度は挿し木をして真っすぐにした
自然、おのずから然る、ありのまま、そのまんまが好ましい
つっかえ棒は邪魔だけど
台風が列島をかすめて北へ進んでゆく
10月は台風のシーズン
2年前の10月中旬にも大きなやつが来て被害をもたらした なんかおかしい
さっき、まったく見たことのない白ネコが軒先にたたずんでいた
飼い猫のように毛並みもいいし、野良という感じではない
きちんと正座をしているので、エサを与えてみた
きちんと全部食べて、お代わりを所望してるので与えた
どうも、ヒトのあずかり知らないネットワークがあるらしい
あの家の軒先で待っているとエサが自動的に出てくる
それとも遠くから様子を見ていて、真似をしているのかも知れない
ヒトの知らない不思議な世界があるようなのだ いまうちには4匹のネコたちが出入りしている
白黒ブチ、性格がのんびりしていてとにかく食べるのが遅い、最近玉を取られた?
茶白尻尾曲がり、夜中に来るやつ、エサ皿が脚に当たっても逃げなくなった
三毛雑毛尻尾短、夜中にガリガリするので誰かと思ったやつ、小さい雌虚勢済?
白茶ブチ、ほんとうに時々やってくる、白黒ブチの兄弟のはず
連中は腹が減るとやってくる、そしてエサを食べて去ってゆく
これまでも10匹近くの猫がやってきては、そのうち来なくなった
うちの近所10軒も、ここ30年で8人が死んでいる
ネコもスズメもシジュウカラもカワラヒワもメジロもヒヨドリも
やってきては去ってゆく、一期一会のつながり 古くからあった地元のよろず屋チェーン店が撤退した跡地に
大手ドラッグチェーン店が回転したので偵察に行ってみた
店内にほとんど客の姿がなく、パートの店員さんの数のほうが多い
そしてこれでもかこれでもかと商品が並んでいる
気になったのは、生鮮食品の数々、肉、野菜、くだもの、乳製品等々…
あれらは恐らく90%が賞味期限切れで廃棄される
だれも買ってくれない可哀想な商品たち
世の中にはお金がなくてモノが買えないひとも沢山いるのだろうに
すべて機械的に廃棄処分
完全に狂っている 今年も金木犀の香りが漂う季節になったけどいつまでも暑い
冬になって樹木が成長を休ませたら剪定をしないといけない
狭い庭のくせにけっこう木が植わっていて今年は4本伐らねばならん
どうせヒマだからいいけど
伐っても伐ってもまた伸びる木たち
伐った部分にペースト状の薬を塗るのもいつもの作業
落した枝葉を小さくして燃えるゴミ袋に詰めるのがいちばん面倒だけど
暇人の時間つぶしと思って嬉々としてやることだ ちょうど晩御飯を食べるころ
もうずっと昔にやってた時代劇の再再再再再放送が流れている
40年も昔に飛び降り自殺をした二枚目俳優が、毎晩人殺しをしている
40年経っても相変わらず、人殺しをやっている
極悪人も出てくるけど、いまでもあれっ?っと思うほど
極悪人になりきって、極悪人らしく殺されてゆく
のちに名を残す人って、一話完結の端役でも、そこまでやっているんだ
津川雅彦、伊丹十三…
単なるセリフを言うだけの役者はすぐに消えてなくなるけど
役に没頭して、なりきって、徹底的に刻すると
40年後の今見ても、見ごたえのある見事な極悪人である
素人ながら、役者の神髄を見たような気がする
命がけでやる、役に合体してひとつになる
凄いな すべてのものが移り変わる
すべて、うたかたのもの、そのうち、消えてなくなっちゃう
それがわかったとして、なんなのだ?
それがわかったとしても、実際の苦しさからは救われない
やっぱり、息ができなければ苦しい
みんなおんなじで死んでゆく
だからなんなのだ
それがわかっていても、わからなくても
おんなじことじゃないか
わかった気がして、少しだけ高みに立った気で、いい気になるだけか?
やがてゼロになる
おんなじこと トイレの片隅に棲んでいた蜘蛛がいなくなってしまった
昨日、床に落ちた死骸たちを掃除機で吸い取って掃除をしたのだけど
それがいけなかったらしい
どこかに引っ越していってしまった
いつも居るものがいなくなると、やはり寂しい
独房の囚人は、片隅に住み着いた小さな蜘蛛を友だちにするらしい
生きものと接することで、こころを癒すのだ
でも、いつか別れがやってくる
ほんとうに、さよならだけが人生だ 池の底に小魚が一匹住んでいる
自分一人が生きて行ける酸素とエサがあればいい
台風が来て洪水になって、池の水があふれ出ても
日照りが来て、池の水がどんどん減っても
小魚にとって、そんなことは関係ない
完全に干上がらなければ問題ない
そうして一生涯、暮らして逝けるならば、こんなに幸せなことはあるまい
お金もおんなじ
まったく無いと生きられないが、ほどほどにあればそれで生きられる
お金のことを考えずに生きられる人生は、幸いだ 冬に庭木の剪定をやろうと思っていてこれまでもそうしていたが
ネットで見たら絶対に冬に伐ってはいけない木が出ていて
みるとうちの木がそれだった
まあこれまでも枯れなかったから平気なんだろうが
思い切ってやってしまうことにした
取り敢えず今日は金木犀と南のサザンカを伐ってみた
明日はモチの木と東のサザンカの予定
木は伐ったあとの後始末が面倒だけど、どうせヒマだし
伐ったあとのノコギリの目立てもやると切れ味が鈍らない 今日は東側の樹を剪定した
この木は多分野鳥が実を食って糞してそれが生えてきたもの
放っておいたら伸びて大きくなった
名前はたぶんトウネズミモチというらしい
近所の学校の塀におなじようなものが植わってるからそこからきたのかも
地上1.2メートルくらい残して小さくしちゃったが
来年また2メートル近く伸びているはず
サザンカは花の実がついてるので来年春になったらやろう
花ぐらい咲かせてやらんと可哀想だし また週末がやってきた
今年はほんとうに秋をすっ飛ばしていきなり冬がやってきたような変な陽気だ
これも環境破壊のせいなのだろうか
伐った植木は、葉っぱと枝に分け、枝はさらに短くして束ね
数回に分けて燃えないゴミの日に出すつもり
もう一本残った大きな果林は、葉が全部落ちたあと剪定しよう
思い切って地上1.5メートルくらいにしてしまおうか
そうすればこの先伸びても細い枝だけ刈ればよくなる
それにしても、ほんとうに冬の寒さだ また夕方だ
だいぶ陽が短くなってきた、もうじき陽が暮れる
冬になると朝の6時でもまだ暗く、雨戸を開けても外は真っ暗
誰とも話さずどこにも出かけず電話も鳴らずそれでもパソコンをやって
世の中の出来事などを眺めながら一日がおわる
しあわせだ
こんなにしあわせだと、そのうちバチが当たるのでは
それだけがおっかない
そこで、野鳥や野良猫にエサをやり、罪滅ぼしの功徳とする
閻魔様は少しは許してくださるだろうか もうずいぶん前になるが
小石を敷き詰めたほとんど土も無く、陽も当たらない北側に
細い幹の木が生えているのを見つけた
あまりのド根性に驚いて、鉢に移し替えて南側に持ってきた
名前も知らないけど、これはいったい何の木だろうか
ド根性の木と名付けて様子を眺めている
庭に生える木々たちも、自分が逝って、家が建て替えられるときに
すべて伐採される運命なんだろけど、そのときまでのつかの間の生を
生きたらいい もう十年以上前から、庭に巣箱を掛けている
シジュウカラが使ってくれているけど、去年と一昨年は途中で放棄してしまった
原因は穴の大きさ、徐々に拡がってしまったらしい
穴が大きくなるとスズメが侵入し、雛を突き殺してしまう
本当に自然界は血も涙もない弱肉強食、食うか食われるかの世界
今日、ちょうどよいサイズのドリルを見つけたので買ってみた
27ミリ径の木工ドリル、もっと早く買えばよかった
これで来年の春にはまた、安心して使ってもらえそうだ 今日は巣箱の改修工事
前面の穴のある部分を新たなものと交換した
巣穴径27ミリ、かなり小さく見えるが、シジュウカラには丁度よく
スズメではつっかえて中に入れない
冬場に巣掛けしておくと、5月ころ巣作りをして産卵する
まず苔を敷き詰め、次に動物の毛を敷き、4〜5センチの厚さにする
雛が巣立ったあとは、見事に何も残さず、きれいに片付いている
飛ぶ鳥あとを濁さずで、毎回感心する 毎日エサをあげていると、生まれつきの野良でも
次第に目が優しくなってくる
今日の夜中、エサ皿を顔の前に差し出したついでに、頭をちょっと撫でてみた
びっくりしたみたいだけど、ひっかくようなことはなかった
だいぶ人慣れしてきたのか、でも、野良は決して懐くことはないんだろう
袖触れ合うも多生の縁、一期一会
そろそろまた、別の子がやってくる時間だ いつものスーパーにいつものお姉さん
確か20年前からいたはずだ
高校を出て就職したならば、もう30代の後半だろか
毎日まいにちスーパーで働いている
毎日おんなじように出勤し、おんなじ風景で、おんなじ時間を過ごす
なんで気がおかしくならないんだろうか?
この20年があっという間だったように、この先の20年もあっという間だ
おもしろくもなんともない人生
おもしろくもなんともないから、人は、時々、狂ったように
コンサートだパーティだ試合観戦だ飲み会だで騒ぐんだろう
騒いだあと、もっと空しく寂しくなるのはわかっていても 今日は野良猫の野宿用の小屋の改修
ダンボール箱に要らなくなった小ジュータンを敷いたものだけど
去年の冬から放置してあったので、中が湿気っている
天日干ししてカラカラに乾かし、少し補修して元に戻す
冬場の厳寒期には、ちゃんと中で寝ていたこともあったから
この冬も使ってくれるかも
寒がりの猫にとって、冬はほんとうに辛い季節だ なんか縁側台で音がするから、またネコかなと覗いてみたら
タヌキ!ふっさふさのシッポ
まさか、狸まで餌付けはできんよなあ
陽が暮れて、人の目が届かない東京の闇夜には、
さまざまな生き物が生息して、夜道を徘徊しているのだ
むかし、終電を逃して、一晩過ごしたことがあるけど、
人間界でも、夜中には、易者とかがどこからか現れて屋台を構え、
殆ど誰もいない町の片隅で、一晩中、営業していたっけ
夜中の世界って、なかなか面白い エサを食べ終わったあと、立ち去る様子を眺めていたら
ネコ小屋の中を覗き込み、やがて中に入っていった
とりあえず、ネコ小屋が今年も使われることになったので良かった
昼寝でもするつもりだろうか
これから冬になって、避寒場所に使ってくれるとうれしい
うちにはヒトは誰も訪ねて来ないけど、トリ、ネコはやってくる 自転車で買い物にゆく
走りながら思う
買い物に行ったり、ご飯の支度をしたり、犬の散歩をしたり
家族とのなにげない会話ややり取り、ちいさなゴタゴタや揉め事
そういう日常生活が過ごせること、それこそが無上の幸せではないのかと
平和で穏やかな暮らし、ありふれた日々の生活
それがしあわせということだ
そんなことに今頃気づくのだ
笑ってしまう 二匹のミドリガメはもう水に潜ったまま
来年の春先までほとんど死んだような状態で眠っているのだろう
かれこれ30年も前、隣家の子供が引っ越しで我が家の玄関に捨てていったもの
甲羅の干からびた数センチの子亀がいまでは甲羅20センチ超
亀っていったいどのくらい生きるのだろうか
自分の寿命よりも長かったらどうしようか
今日は朽ち果てそうな柵を新品に交換した
弱肉強食の恐ろしい世界を知らぬ亀たち
自分の老後の唯一ともいえるこころのこり 池をのぞくと、一匹が頭だけ中に突っ込んで、身体全部が外にいる
はて?昨日は、暖かくて、外に出てきてたけど
冬用に取り付けた仕切り版に、背中がつっかえて、中に入れなかったらしい
すまんすまん
早速取り出して少し削っておいた
もう冬ごもりだな これまで、両親や親せきの死を観てきた
火葬場からでてきた骨が骨壺に収まり墓所に安置される
それっきりこれまでの存在が一切なくなり、どこにもいなくなる
写真や生前使っていた品々はそこに残されてはいるが本人はもうどこにもいない
無の状態になったのだ
無とは無で、生きているあいだじゅうに関わったもの
家族、子供、財産、家屋、自動車、衣類、書物、日記、知識、思い出、経験…
すべてが無となる
人はいずれみんな死ぬので、やがて無になる
いま在ると信じている目の前の世界がすべて無となる
それがなかなか気づかない、慌ただしい日常生活に追われると余計に気づけない
衣食足りて礼節を知ると同様に、カネに困らない生活ができて
はじめてそんなことに気づくのだ どうなんだろうね
津波に呑まれて溺れ死ぬとき、火事で焼かれて燃え死ぬとき
全身がガンに冒されて苦しみ死ぬとき
あるいは、腹を切って、介錯もなく、もがき苦しんでいるとき
いったい、どんだけ苦しいんだろうか
でも、それも、死の訪れとともに、消え去り、無の世界に至る
なにもなかったように、ほんとうに、なにも無かったのだ
暑いも苦しいも、どうせ、無になっちゃうなら、思いっきり苦しんじゃおう!
そんなこころのゆとりもできてきそうだ、笑っちゃう余裕があるんだろうか
そのときに、そんなことを思うゆとり心も芽生えてくるのか
すべてが夢でまぼろしだと得心したならば、それもできそうな気がするけど
そのときになってできるかな
ちょっとわくわくする 防虫剤を入れ忘れてしまっていたのだろう
死んだ母のセーター2枚が虫食いで穴が開いてしまっていた
捨てるつもりで押し入れに丸めておいていたら、
一枚は猫小屋の床に敷いて、もう一枚はテント状にして
上から吊るすことを思い付いた
早速作っておいたら、昨夜、中に入ってくれたようだ
厳寒の冬、夜の一時、少しでも寒さが和らげばいいのだけれど
人の気持ちがちゃんと猫に伝わるというのは、いつも不思議におもう ああ、良かったと、ほんとうに思うのは
親父とお袋の二人の最後の世話ができたこと
うんこシッコ、おむつ交換、漏らしちゃった汚物の後始末、お尻の洗浄
自分が赤ん坊のときに、そうやって世話をしてくれたお返しができて
ほんとうによかった
老いて弱った親を、自分の掌のなかで愛しむことができるなんて
こんな幸せ、あんまりあるまい
それはそれは、ほんとうに、しあわせな時間だった また週末だ
もう少し葉っぱが落ちたら剪定をしたいのだけどなかなか落ちずにいる
もうしばらくそのままにしておこう
今日は亀池にビニールの覆いをした
温室の効果があるので、真冬でも気温が高い日は、水から出て来て
甲羅干しをすることもある
先月からもう何も食べず、来年の4月頃までの約半年は
身体に貯えた栄養分だけで生きる
ほんとうに不思議な生きものだ またまた週末
葉っぱはまだ、落ちない
別に剪定をしてしまってもいいのだけど、葉っぱが落ちてからという
なんか決め事を守りたいような気もして、まだやらずにいる
来週は、年賀状もやらないといけないけど、年々枚数が減って
今年は喪中もあって、たったの5枚になった
わざわざプリンターを復活させて、たった5枚を印刷するのも面倒だ
今回は市販の5枚セットを買って出そうかと思う 今日は重い腰をあげて、やっと果林の剪定をやった
地上から1メートルくらいの高さで、上をバッサリ全部取り除いた
3本の幹のうち真ん中は虫食い穴が3つも空いていて
このため樹勢が良くなくて、成る実もみんな虫食い状態
春になったらまたずんずん伸びてくるんだろう
明日はシジュウカラの巣箱掛けをやろう
毎日なんかやることがあって楽しい 毎晩エサを食べにやってきていた茶ネコが、もう3日姿を見せない
姿を見せないということは、来られない事情があるということ
病気かあるいはもうこの世にはいないということ
これまでのネコたちと同様に、ある日姿を見せなくなり、それでおしまい
一期一会、それがいまここに在ると思われる者たちの真理
あの子は、生涯最後の日々、常に行けばエサをたらふく食える喜びを味わい
いい思い出を残して逝ったろうか
それならば自分は嬉しい 今日は、シジュウカラ用の巣箱の巣かけをやった
穴を27ミリに修正したもの
空き家のまま一冬越して、来年5月にはそこで雛が巣立ってゆくはず
昨年と今年は、巣穴が拡大したのにそのままにしておき
途中で放棄をさせてしまった
来年は使ってくれると嬉しい わずか数枚の年賀状を書いて投函してきた
元々交流する人も少ないが、音信が途絶えたりして年々減ってきた
浮世の義理だけど、たった一人だけは、絶対に続けたい人
どちらかが死ぬまで、絶対に続けたい人
来週は、3年ぶりになるだろうか、窓ふきをやりたい
濡れスポンジでゴシゴシやったあと、ワイパーで水取りする
以前、勤めていたところで、窓ふきさんがやるのを見て
面白そうに思えてから毎年年末にやってきた
ここ2年は不幸があったりでやる気が起こらなかったのだけど
ささやかなことでも、やることを決めてやれば、なかなか楽しい 茶ネコが来なくなって、以前に数回エサを食べにきた地域ネコが
いまやってきた。耳に虚勢済のカットがある雌の雑色三毛
あんまり人を怖がらないから、どこかでエサを貰っているのだろう
いつも不思議に思うのは、一匹がいなくなると、また別の一匹がやってくること
不思議なコミュニケーションが存在していて、あそこに行くと
エサにありつけるみたいなものがあるようなのだ
あるいは、エサの匂いやほかのネコの匂いがして
ここがエサ場だというのが判るのだろうか
そうやって外ネコというのは古来からずっと食いつないできたのだろう 今日は久々の窓拭きをやった
濡れたスポンジモップでごしごしやって、そのあとワイパーで水取り
大した作業ではなく、あんまりきれいにもならないけど
年末の窓ふきというのは、一年間の大掃除をやった気分にはなれる
これでもう今年やるべき作業は残っていない
のんびりと年末年始を迎えるだけ
悩みも苦しみもない、誰にも何も強いられない、何の予定もない暮らし
まあ、しあわせである いまうちには二匹のネコがやってきている
朝方に白黒ブチ、夜に雑三毛
ブチは前の家をネグラにしていて、朝、散歩がてらやってきて
エサを食べたあと、糞をして帰ってゆく、一種のルーチンワーク
三毛は日が暮れた後にきて、エサを食べてどこかへ帰ってゆく
いま、ちょっと面白いことを考えている
マタタビを庭に植えたらどうなるだろうか?
喜ぶだろうか?
考え中 マタタビの種を通販で買った
蒔く時期は春だそうなので、もうちょっと暖かくなってから
まず鉢に蒔いて、芽が出て少し大きくなったら、庭に移そうと思う
猫がどんな反応を見せるのか楽しみだ
種を蒔くとやがて芽が出る
そんな当たり前の生命の神秘、不思議さ
人は、蟻んこ一匹、草一本も創ることはできない マタタビの種が届いた
ひとつが1ミリにもならないような小さな種
ほんとにこんなもんから芽が出てくるのだろうか?
5月頃、暖かくなったら蒔くらしい
四角いマス目のポットに数粒ずつ蒔いてみよう
楽しみがひとつできた 今度は毎朝やってくる白黒ブチが姿を見せなくなった
今日で4日目だ
この子は前の家がネグラだから、それほど心配はしてないけど
毎日やってくるものが現れないと、妙に寂しい
すべてのものが移り変わる
明日というものがあるのかは、誰にもわからない
すべてまぼろしのようなものなのだ
でも、そのうち、ひょっこり姿をみせるかも
それが猫という生きものだ ブチ猫が姿を見せなくなって今日で一週間
多分どこかで死んでしまったのだろう
なんとなくもう存在していない感じがするのだ
その前の茶ネコと同様に、気配そのものが消えてしまった
冬場の寒さと外ネコの生存環境は、想像を絶する過酷さだろうし
とうとう夜にやってくる雑色三毛一匹となってしまった
入れ替わり立ち替わり、一期一会の夢世界 とうとう一匹だけになってしまった猫
やってくる時間もどんどん遅くなり、昨夜は夜中の2時
夜中になんとなく目が覚め、頭を巡らすと、縁側の上に小さな物体
ずっと待っていたのか、それとも、テレパシーで伝わるのか
いつもそんな感じで、来たことがわかる
エサを皿に入れて出すと、それを食べてまたどこかへ去ってゆく
虚勢された地域ネコで、どこかにネグラがちゃんとあるのだろう スズメがいっぱい遊びに来ている、25〜6羽
朝と夕方の2回、エサ台に鶏のエサとむきアワを蒔く
夕方のエサやりのとき、数を数えて、大体そのくらいいる
もう十数年続く習慣、数世代にわたり面倒を見ている感じ
大勢であっちこっち動きながら、時に喧嘩して遊んでいる
群れで暮らす生きものは、大勢で群れるのが楽しいんだろうと思う
もうじき、陽が暮れそうになると、一斉にどこかへ飛んで行く
どこかに夜のネグラとなる樹があるのだろう 夕方のエサの時間は、大体3時と決めている
その30分くらい前から、近在のスズメたちが集まっている
いま、窓の外1メートルの木の枝に、鈴なりになって待っている
賢い連中で、ちゃんと時間を覚えている
こちらの顔も覚えているらしい
以前は40羽以上いたけど、最近は、少し減って25〜6羽となった
冬はみんなまん丸に膨らんでいて、可愛い 夜、ネコがエサを食べにきたとき、ふざけて、
岩合ねこ歩きで猫同士が喧嘩をするシーンを映してみた
ネコ語がわかるらしく、ビックリした表情になって、声のする方を
ジッと見つめて、それから、さっと逃げ出していった
またすぐに戻ってきたけど、ちょっと可哀想なことをしてしまった
悪い冗談だった ネコのテレパシー
今日も明け方に目が覚めて、何気なくドアの外を見ると、ネコがいた
そういうことが度々あると、不思議なものがあるのを感じる
むかし、夢の中で、ネコが犬に追われて、助けを求めてきた
慌てて雨戸を開けると、そこにネコと隣の家の犬がいたことがある
ネコを拾い上げて家の中に避難させ、犬は追い払った
夢の中の出来事が現実に起きていた、不思議な経験
ほかにも、母の身代わりになってくれたネコもいた
ネコやスズメにエサをやること、それだけが自分がいま生きている理由
生きているというか、生かされている理由かも知れない スズメ用のエサがそろそろなくなるので、明日また調達してこよう
コスパが一番いいのが、家禽のエサで、10キロくらい入ってるやつ
とうもろこしを引きつぶしたのにいろいろ混じっている
朝はこれで、夕はむき餌、けっこう贅沢
ネコとスズメ、ヒヨドリとメジロにはミカン、シジュウカラにはヒマワリの種
なんだか、エサをやるのが自分のいまの仕事のよう
亀たちは春まで水に潜ったまま
ヒトとは一切かかわらず、そういった生きものとだけかかわる人生 もうみかんの季節はおしまいか
ヒヨドリとメジロに毎日あげてるのだけど、最近物価が高くて
10個くらいで398とかする
みかんが見当たらないので、仕方なくぽんかんを買ってきた
みかんのあとはぽんかん、毎年おなじパターン
家にくるひよどりとメジロは、もうかれこれ5代目くらいになるのだろうか
数年前までは、冬場はシメもやってきて、ヒマワリの種をバリバリ砕いていたけど
もうずっと見かけない
さてそろそろ、夕ご飯の時間だ、スズメが鈴なりで待っている 用事をすまそうと外に出てみたら
ネコ小屋の中からいつもの雑三毛が飛び出した
どうやら昼寝をしていたらしい
ずっと使われずにいたのだけど、やっと中に入ることをおぼえたみたい
中には毛布や古着のセーターが入っているので、暖かいはず
寒い夜中も使ってくれているのかも知れない
隣の木には、三々五々、スズメたちが集まりだした
そろそろエサの時間だ ずっとお尻の下に敷いていたドーナツ型のクッションを
猫小屋に移動させることにした
床が平らだと居心地があまり良さそうでないと前から思っていたけど
適当なクッションが見つからなかった
たまたま自分の尻の下に丁度良いのがあったのに気がついた
これならば真ん中が凹んでいてすっぽりはまって良さそうだ
もっと早く気づけばよかった メジロにシジュウカラ
小さくて可愛いらしい小鳥たち
でも、実態はそんなもんじゃない
自分の縄張りに他者が侵入しようものなら、凶暴なほど攻撃的になり
徹底的に追いかけまわし追い払う
まさに生死をかけた死闘だ
そのさままを見せられるたび、弱肉強食の厳然たる事実を思い知らされる
実に浅ましく見苦しいものだ お腹がいっぱいになったすずめたちが
羽づくろいをしたり、伸ばしたりしてくつろいでいる
しあわせな光景
いっぽうで、いま現在、爆弾が破裂して、大勢の人間が死んでいる
8月6日に原爆で死んだ人たちも、慌ただしい朝のひとときを
いつものように過ごしていたのだろう
次の瞬間に自分が蒸発したり、吹き飛ばされたり、大けがをするなんてこと
思いもしなかったろうに
いまこのひととも、単に夢まぼろしに過ぎないのだ
それが知れたところで、どうすることもできないのだけど う〜、食った食った〜
晩御飯を終えたすずめたちが、満足そうな顔で
代わる代わる食後の水を飲んでいる
食べた後に水分を欲しがるのは、人もすずめもおんなじだ
あとは食後の談笑と休憩をして、陽が落ちるまえに
ねぐらに帰ってゆく
きょうもいい一日であった
すずめが喜ぶ姿を見ると、自分も嬉しい 去年の暮れからずっと水に潜っていた亀たちが
今日、初めて甲羅干しに陸にあがってきた、気温は15度
自然と一体化して生きている
平成5年頃の生まれで、もう30歳になる
亀の寿命というのは、ほんとうにわからない
この先、20年30年、50年生きるかもしれない
自分とどっちが先に逝くのやら
自分が先だと、世話をする人がいなくなってしまう
それだけが心配だ 細い枝を数本残して、ザックり短くしてしまった果林
細い枝の先から小さな芽が吹きだした
凄い自然の力
サザンカは花も終わったので、今月末に剪定しようと思う
春がやってきた、新しい命が生まれだす季節
サクラが咲き、スズメやシジュウカラたちが子育てをはじめる
サクラが終わったころ、マタタビの種をまかねば いま、26〜7羽のすずめたちと、ミカン目当てのひよどりが
いつものように、がっついてエサを食い漁っている
ときどき、シジュウカラもヒマワリを啄んでは、そそくさ飛び去ってゆく
いつものエサの時間
そろそろ野に食べ物がたくさん出てくるから
そろそろ減らしてゆくことになる 動物とこころがかようか?
犬や猫とは、通うと思う
すずめはどうだろうか?どうも、通うようだ
人に慣れる、野生の本能で決してそれ以上近づかない距離はあるけど
エサの時間が近くなると、窓のすぐそばまで来て、様子をうかがったり
そんなことはちょくちょくある
取って食ったりしない相手、いつもエサをくれる相手
あんなに小さな頭でも、ちゃんとそれを理解していることがよくわかる
現世のほんのひとときに、こころが通い合う
うれしいことだ 朝、雨戸を開けたとき、猫小屋の敷物が少し動いて見えたので
中に手を入れると、暖かい!
通りを見ると、見たことのない茶ネコがびっこの前足を上げて去ってゆく姿
振り向いたので、しばらくまばたきをして敵意がないことを伝えたけど
びっこは骨折か怪我か、見ていて痛々しい
このところ、夜中にエサを食べに来る子一匹だけだったけど
また新顔がやってきたのだろうか
入れ替わり立ち替わり、やってきて、また、去ってゆく
世の中の移り変わりといっしょ 今日は、東と南側のサザンカの剪定をやった
チャドク蛾が卵を産み付ける前にきれいさっぱりに
昨年から今年にかけて、主な庭木をみな小さく剪定したので
当分は手を入れなくていいはず
こんな小さな狭い庭でも、樹はずんずん大きくなる
広い家だと、植木屋さんにお願いしないとダメだろう
森林なども、きちんと手入れをしないと、たちまちジャングル化してしまい
手が付けられなくなってしまうに違いない いま、うちに来ている子たちは、赤ん坊のころからずっと
うちに来ていた子たちだろう
見慣れた顔だ、自分の顔は
網戸に張り付いたり、窓際まできて、中を覗いてみたり
すずめというやつにも、気持ちがある、それはわかる
ヒトの気持ちは、嫌で、わかりたくもないけど
すずめやシジュウカラやヒヨドリの気持ちはわかる
それでいい >ヒトの気持ちはわかりたくもないけど
わかる
そういう思いに至った理由は人それぞれあると思うけど
すごくわかる 朝、雨戸を開けたら、お隣のサクラが花をたくさんつけていた
いよいよ春がやってきた
冬に太い幹を切って、細い小枝を数本だけ残していた果林も
そこからいくつも芽吹いて、葉っぱが育ってきた
ちょうど桜の咲く頃に、ピンクのきれいな花を咲かすのだけど
今年は花は無理かもしれん
河原に桜がいっぱい咲いているから、あとで買い物がてら
見物に行くとしよう 昨日はなかったけど、果林に小さなピンク色のつぼみが二つでていた
やっぱり桜の咲く頃に、ちゃんと花が咲くんだ
自然のちからにただただ感心するばかり
先日、養老センセイの番組にもあったけど
いま、こうして生きている小さな虫も、35億年前から
連綿と生が受け継がれている
昨日や今日、突然現れたものではなく、そんな大昔からずっと
途切れることなく受け継がれてきた生命
ほんとうに不思議なことだらけ もうずっと、諸行無常が到着点だと思ってきた
すべてのものが移り変わる、自分というものもやがて消え去り
なにもかもが無くなる、なにもかもが、まぼろしといっしょ
でも、それでは、こころが晴れない
重苦しい、いつも憂鬱な曇り空にいるみたい
そうじゃなくて
いま、こうして生きていることがすべてだ
死んでしまったあとのことは、責任がなく、責任の取りようもない
死んだあとのこと、残された家、家財道具、ガラクタ、お金…
申し訳けないけど、後始末は、どなたかにやっていただく以外にない
自分は、いま、こうして生きていることだけを考えればいいのだ
飲んだり食ったり笑ったり楽しんだり、今を生きる
それならば、晴れた青空が見えてくるはずだ
諸行無常のいまを楽しむ
それだ、それでいこう 昨日、外に出ると、スッっと黒いものが、物陰に隠れるのがみえた
あとをおってみると、黒猫が一匹こっちを向いていた
しばらく目と目を合わせたとき、テレパシーでエサもあるよと送ってみた
夜、いつものように、軒下にエサを置いておくと、やがて
なにやらゴソゴソしている。見ると、目玉がふたつこっちを見ている
恐らく、さっきの黒猫だろう、エサを食べている
朝、雨戸を開けるとき、雑三毛がいる。黒猫のおかげで昨晩食べ損ねたらしい
なんか、また新顔が来たようだ。 黒猫がまたエサを食べにやってきた
夜の闇と黒が溶け込んでしまい、目玉だけがそこにある
敵意はないよ、お腹が空いたら、食べにおいで
こころがちゃんと伝わったことがうれしい
以前、黒猫が来ていたけれど、事故で顔の半分に酷いケガを負ってしまい
最後の最後に、挨拶に来て、それきり来なくなってしまったことがある
黒べえと呼んでいたのだけど
今度の黒猫は、あのネコの生まれ変わりかも
だから、黒べえと呼ぶことにする
ネコもすずめも、ちゃんとこころが通いあう
それが、ちょっと嬉しい すずめが一羽、いま食われている
前の家の木の枝、あれは何という鳥なのか、図鑑で見ているけど
どうもそれらしいものが見当たらない
猛禽類だけど、そんなに大きくない、ハトより一回り大きいくらい
カラスほど大きくない、顔は鷹の顔、目が鋭い
逃げ回るのを空中で鷲掴みし、枝の上で、羽をむしり、食っている
エサの時間なのに、すずめたちは怯えてどこかへ逃げ散ってしまった
凄いものを見せられた、弱肉強食の厳しい世界 ハイタカ
ハイタカという名前らしい、大きさや模様が一致した
飛び方や獲物の捕らえ方もその通り
おや、逃げたすずめたちが戻ってきた
ちょっと遅いけど、エサの時間
生きものが生きものを食って、生きている
ヒトもそれはおんなじ
すずめは四六時中周囲を見回してビクビクして生きている
いつ捕って食われるか、生きるか死ぬかの戦場だ 冬場のエサの無いときの野鳥へのエサやり
今年もそろそろ終わりにしようと思う
ミカンを枝に刺しても、もうヒヨドリもメジロもやって来なくなり
すずめも半分くらいしかやって来ず、エサも食べ残すようになる
自然がもう必要としなくなったのだ
もうこんなことを20年も続けている 気温が20度を越えたので、マタタビの種を鉢に蒔いた
あんな1ミリの小さな種から、ほんとうに芽が出てくるのだろうか
生命の不思議さ
芽が出て、少し育ってきたら、もう少し大きな鉢に移す予定
室内にひとつと庭にひとつ
庭のは地面に直接植えてもいいけど、ネコに食われてしまうかも知れない
でもまあ、ひとつ楽しみができてよかった この再放送、いったい何回目?
40年も前に、飛び降り自殺したイケメン俳優が、今宵もまた、人を殺している
若気の至りの恥部が、何十年も繰り返し繰り返し映し出される
これって、無間地獄じゃね
消し去りたい恥ずかしい過去が、これでもかこれでもかと繰り返される
地獄じゃ
後世に名前を残すなんて、下の下、げげげの下太郎
毛沢東は、天安門の博物館でいまもずっと晒し物になっている
陰部の性病痕もずっと残したまんま…
遺骨を海にばら撒いてしまったケ小平は、やっぱ毛沢東より上 5月になったら、また、すずめが雛を連れてくる
親鳥は、一所懸命に子たちに口移しでエサを与え続ける
大忙しで休むひまもなく必死で働き続ける
それは愛であり、そこに不純なものは一切ない
親が子に注ぐ絶対の愛
それは羅針盤でもある、愛の羅針盤だ
その羅針盤にしたがって進めば、ヒトは決して道を踏み外すことはない
人生の岐路に立ったとき、この羅針盤を思い描いてみる
この道は、歩むべき道なのか、間違ってはいないのか
自ずと正しい方向に向かうだろう かなり伐り過ぎてしまったと思った樹から、ニョキニョキ新芽が出てきている
太い幹の何にもない部分からも、数ミリの芽が顔を出している
ほんとうに生命力ってやつは不思議なものだ
神社の巨木は、その昔、土方歳三が登って遊んだ樹かも知れない
子どもの頃には、すでにそこにあったのだから当然、登ったはずだ
人は居なくなっても、樹はそこに残って生きている
千年もそこに在り続けるというのは、奇蹟にちがいない すべてのものは移り変わる
いまこの瞬間も留まることなく移り変わってゆく
そして、人生は有限である。刻一刻と残り時間が減ってゆく
なんでみんな平気なんだろうか?
毎日、電車に乗って会社に行き、同じような作業をして
週末が来て、月曜日がきて、同じように電車に乗って会社にゆく
なんで平気でいられるんだろうか?
冗談じゃないよ!
…
何ものにも誰にも何も強いられることのない毎日、自由気ままな生活
よく、青春まっただ中の人が言う、夢はきっと叶う!
あれは、ほんとだ
ずっと願ってそれに向かって進めば、願いは叶う 先日蒔いたマタタビの鉢から、2本細いひょろっとした茎が出て来た
これはマタタビなのか、それとも土の中に混じっていた名もなき草なのか
十数個蒔いたのに、たった2本だけ
たとえそれがマタタビだとしても、自分には見分けがつかないけど
もう少し見守っておこう
もっと大きくなったら、葉の特徴が現れるかも知れない ものは試しで、取っておいた種から5粒を取り出して
水耕栽培を試してみることにした
脱脂綿に水を浸して、その上に置いておく
ミカンが発芽したときは、これで芽が出て来てうまくいった
なんでも、光が当たるのを好むのと、暗闇を好むのとがあるようだけど
アルミホイールを蓋にして、暗がりを試してみることにする
毎日観察してみて、芽が出てくるようならば、それを土に植え替える
やることができるとなんか楽しい むかしは、そんなことが当り前だったみたい
僕は、上に兄姉がいる三人兄弟の末っ子
ずっと後になって、兄と姉の間に二人、自分の下に一人
水子がいたことを知った
兄と姉は上にいるから、あと二人の兄か姉があっても、だいたい想像ができる
でも、下の弟か妹は、いたことがないので想像しにくい
弟がいたら、一緒に釣りに行ったりして、遊んだんだろうな
妹がいたら、お兄ちゃんとして、節目節目のときに
なにか可愛いものを買ってあげたんだろうな
この世に生まれてくることができなかった水子たち
ぼくはきちんと生きているだろうか 今日はまた雨で気温も上がらず、亀も水から出て来ない
毎年こんなに寒暖差が多かったっけか
今年は特に異常な気がする
数年来の疫病に直接自分とはかかわりがないけど戦争の暗さ
どんよりとした暗い世相と春になってもいつまでも続く寒さ
せっかくの連休なのに、ちっとも楽しい気持ちになれない
食べたいもの…特に浮かばない
欲しいもの…これも特になし
楽しみ…これも特になにもない
でも、悩みも苦しみもおカネの苦労も、健康への不安も、特にないから
とりあえず、しあわせということなんだろう こうして、動物や植物の生態を観ていると
地球自体がひとつの有機体として存在しているように思える
土の中の細菌、植物の生育、光合成、動物の体内の代謝、循環
それらを動かしている力はおなじもの
死ぬのではなく生まれ変わって、それが永遠に続いてゆく
自然の移り変わり
痛かったり苦しんだりは嫌だけど、死は怖いものではない
当り前のことなのだ 水耕していたマタタビの種6つのうち、2つから根のようなものが
現れた気がしたので、3つを土の中に埋めてみた
しばらく様子を見て、芽がでてくれば一安心だけど
残り3つは、まだ水耕中
自然の木や雑草は、勝手に育つのに、手を加えたものは、なかなか育たない
過保護というやつなのか 夜、縁側にネコのエサを出しておくんだけど
昨夜、食べに来たあと、寝る前に補充しておこうかと手を伸ばしたら
なんかヌルッと気持ち悪い感触
皿を見るとナメクジ!がいっぱい!
うわ〜!慌てて中身を全部捨てて、お皿を引っ込めておいた
ナメクジというのは、意外にすばしっこく、どこからともなく現れるのだ
恐らく、夜中に観察してみたら、そこいらじゅうナメクジだらけ
数百匹がうようよしているに違いない
夜というのは、見たくないものを見なくていいありがたい時間だ
家の中でも、ゴキブリどもがうようよ活動していることだろう やっぱダメだ
30分ほどエサを軒先に出しておいたら、もうナメクジが二匹入っていた
素晴らしい嗅覚と敏捷性をもつ生きもの、ナメクジ
やっぱ、その都度、エサを求めてやってきたごとに、あげることにしよう
それにしても恐るべし、ナメクジ
それにしても、いまさら、ナメクジの生態を学ぶことになろうとは 朝、雨戸を開けると、あの鳴き声がする
毎年5月になると聞こえてくる、すずめの子供の声
今年もまた子育ての季節がやってきた
このためにちゃんとパン粉を用意してある
早速、親鳥が忙しく往復して子供にエサをやっている
まだ木の上にいて姿を見せないが、そのうち連れてだろう
生きものの世界は、子孫を残すことが唯一の役目
親はすべての力を献身的に子に注ぎ込む
何度見ても感動する いま近在のすずめたちが大忙しで、四方八方に飛んでゆき
生まれたばかりの子供たちにエサを与えている
独り立ちできるまでの1〜2週間は、大忙しだ
むかしは5羽6羽も生まれたけれど、最近は、すずめも少子化で
2〜3羽がせいぜい
その中で、無事に大人に育つのはまれらしい
それでも太古からの命を必死でつないでいる
いまうちにくる親鳥もみんなここで育ったにちがいない エサ台に子供たちを連れてくるようになった
いつも不思議に思うのだけど、なんで親鳥は自分の子と他の子供の
見分けがつくんだろうか?どれもおなじ顔に見えるけど
親鳥が、口移しにエサを与える姿は、微笑ましいのだけれど
よその子が親と間違ってエサをねだったとき、残酷なほどどつき返す
つき殺してもおかしくないほどの激しさだ
相手が子供でも容赦しない
自然界の恐ろしい一面が見て取れて、ひんやりとした気持ちになる 今日は久々に快晴だったので
ネコ小屋を開けて、中身をすべて天日干しした
雨の夜は、そこで過ごしたり、昼寝に使ったりしているみたい
世の中のために何の役にも立っていないけど
ネコやすずめや亀の役には立っている
少しは何かの役に立っていると思えば、少し気持ちも救われる どうやらすずめの子育ては一巡したみたいだ
エサをねだる声がほとんど聞こえなくなった
自力で食べられるようになったヒナは親離れし、親は次の産卵に備える
亀もそろそろ産卵を開始する
年に3回程度、一回約10個の卵を産む
自然界だったら、一匹が毎年30匹も産み大繁殖で亀だらけとなる
うちの二匹はどちらも雌だけど、一匹は疑似的に雄化するのか
一匹しか産卵しない、無精卵だけど卵は産む
マタタビはとうとう芽が出て来なかった、インチキ種だったのかも知れない 昨日と今日は、夏日
しまっておいたTシャツを出して、本格的な暑さに備える
寒い寒いが終わったら、今度は暑い暑い
そんなこんなを繰り返し一年がまた終わってゆく
今のところ、悩みも苦しみもない、人とのトラブルもカネの心配もない
生老病死、やがて、老いて、歯も抜け、身体のあちこちが痛み
自分ひとりでは、なんともしようもなく、他人の助けを求めるのだろうか
そうなる前になんとかしよう、西行のようにするのが理想だ ここ数日は猛暑日
今日は、クーラーを試運転してみたけど、毎年のことで動作しない
室外機のヒューズの接点不良が原因と決まっている
一年外に置かれると、金属部分はサビなどが出てしまうのだ
接点を磨き、復活剤を吹きつけて終了、無事動作確認、これでまたひと夏使える
洗濯機も、排水バルブが劣化して、閉まらなくなっているけど
裏ブタを取り払い、向きを横向きにして、毎回、手を突っ込んでバルブを閉める
機械ものは理屈が判れば直せるからいい
シジュウカラが器用にヒマワリの種を突いて割っている
誰が教えたわけでもないのに、代々、ちゃんとおんなじ手順でやっている
DNAにきちんとやりかたがプログラムされているんだろな 生老病死、四苦八苦、生者必滅
生きていると、楽しいこともあるけど、苦しいことも多い
特に病気になると、苦しいことばかりだ
人は必ず死ぬものだから、死んだあとにあの世があり、そこが極楽だと信じれば
信じているならば、必然的に皆極楽にゆけることになる
浄土思想とは、そんな簡単な話なのかもしれない
宗教とは、信じること
自分はそこまで信じることはできないけど、死ぬのが確実なことだけはわかる いつ眺めても巣箱に出入する姿を見られない
果たして使ってくれているのだろうか?
径を27にしたのだけれど、小さかったのか?
中を確認できるのは冬までできないので、どうすることもできない
エサは毎日食べにきているから、ちゃんとこの辺りに生息してはいるけど
27ミリというのは初めての試みなので、どんなものなのか また救急車のサイレンが鳴っている
苦しんでいる人がたくさんいる
悲惨なことがたくさん起こっている、戦争も疫病も
それらにひとつひとつ目を向けていたら、とても苦しくてまともではいられまい
なるべく見ないようにする、関わらないようにする
遠いむかし、まだ若かったころ、荘子というものと出会った
そんなものを学んだ者がまともな社会人でいられるわけがない
そうそうに社会生活を切り上げ、引きこもりの世捨て人となる
自分一人が生きて行けるささやかな貯えがあればいい
ほんとうに夢はかなう、ずっと思って続けていれば
やがてなりたいものになれる
まあ、しあわせだ 土曜日なのに
朝っぱらから労働
自炊、洗濯を一気にこなさなければ自由時間はやってこない 新しく自治会の組長になったお隣さんが会費の集金にやってきた
毎年順番で一年間当番になり、集金したり回覧板を回したりする
もう引っ越してきて5〜6年になろうかというのに、実は、顔をよく知らない
最近、子供が生まれて、赤ん坊をお腹に吊り下げた状態で集金していた
赤ん坊がこちらを見て、ニコニコ笑った
思わずこちらも笑ってしまった、まったくの無垢の赤ん坊、可愛い
とうとう自分は、結婚もせず、子どもも持たなかったけど
きっと子供を育てるってのは、このうえもない喜びで、幸せなんだろう これまで植物にほとんど関心がなかったけど
注意してよく観ると、すごいスピードで成長していることがわかる
剪定した幹から、小さな芽が出てきて、それがずんずん成長し
葉を出して、更に大きくなり、茎も太くなり、また葉が出る
植物の成長とは、活力そのもの
動物には寿命があるけれど、植物には寿命というものがあるのだろうか
巨木はやがて末端まで栄養が回らなくなって枯れてゆくのだろうか
樹齢数百年の巨木には、長い時間を生きてきた威厳を感じる 亀が後ろ足で穴を掘っている
とうとう我慢できなくなって産卵をするようだ
毎年6月中旬にはじまって、3回ほど、計30個の卵を産む
この世に生まれて、子孫を残すのが生きものの使命だ
この時期、産卵場を求めてさまよい歩き、飛行機を止めてしまうのもこれだ
産みの苦しみというけれど、いつも早く産んで楽になれと思う
二匹ともメスの場合、一匹は疑似オスとなり、こちらは産まない
卵は無精卵だから孵化はしないだろう、やったことないけど
見ていないときに、そっと掘り出して、生ごみと一緒に捨ててしまう 亀は一回目の産卵を終えた
お腹の中がすこし楽になり、エサをばくばく食べるようになった
恐らくお腹の中は、卵だらけなんだろう
少しお休みして、しばらくしたら、また産卵行動をはじめる
誰からも何も強いられない、自由気ままな勝手生活
社会にまったく役立っていないのが、よくわかっているから
目立たぬよう、ひっそりと暮らしている
それでもまったく孤独でもなく寂しくもない
むしろ楽しい
もし、おなじ空間にほかの人がいたら、息苦しくて衰弱死してしまうかも
それくらい一人がいい 雨戸を開けると、亀池の甲羅干し陸の板きれがバラバラ
産卵壺がプカプカ、水も泥で真っ黒け…
亀たちはそのなかでキョトンと鎌首をもたげている
夜中に、何事かが起こっていた
恐らく、たぬきか何かが卵をほじくり出して食べたのだろう
30年暮らしてきたけど、こんなのは初めてのことだ
亀はさすがに大きすぎて食べることはできなかったので無事だった
まあ卵は、どうせ捨ててしまうのだから、食べてくれたならそれでいいけど
朝っぱらから、池の大掃除で一汗かいてしまった
いろいろな事件が起こるものだ もう、十何年も前になるだろうか、親父が明け方苦しみ出し、救急車
搬送先で、心不全、徐脈の診断、取り敢えず、応急処置をすると
ドアの向こう、ただならぬ気配、人々が右往左往する感じ
時々、厳しい指示の声、慌ただしい雰囲気、ドアの向こうから聞こえてくる
その時、
何かを願うにしろ、祈るにしろ、自分にはなんもないことがわかった
なんもないのは、心細いねえ
親父は、助かって、ペースメーカー入れて、その後、8年生きたけど
その時、心にお守りが必要だと思った
そこで、般若心経を覚えた
物語だから、少しずつ咀嚼して、やがて全部覚えた、260文字の短いお経
いまも、お腹が痛くなったり、道端で、鳥獣の死骸を見たときは
般若心経を唱える
何の薬にも毒にもならんだろうけど、すがりたいときになんかあると
それはそれで頼りになる
般若心経 いつだったか柿を食っていて、種を植えてみたらどうなるか
試しに2つを小鉢に植えて、室内に放置しておいた
一つは春になっても、一向に芽が出ず、一つは出た
出ない方は諦めて土の中をあらためてみたら、種は腐って割れていた
出た方もあんまり大きくならないので、もうダメかと思い外に出して放置した
すると、小さな葉っぱが数枚生えてきた
これはまだ生きていて、無事に育ちそうだ
桃栗3年柿8年というけど、8年後には実がなるんだろうか
ヒマなので、しょうもないことをして遊んでいる
少し大きくなったら、鉢から地面に植え替えてやろうと思う 今日は暑かった
思い付いて、倉庫から扇風機を出してきた
しまうときに一応掃除をして、ビニールで覆ってしまうのであまり汚れていない
またひと夏お世話になる
毎年、余程の酷暑でもない限り、クーラーは使わない、使っても数時間
クーラーというのは、恐ろしく電気代が高い、そういう先入観もある
貧乏性だ、生活は質素、お金もほとんど使わない
欲しいものがないのだ、掃除機も洗濯機も自分で修理する
他人にお願いすることが嫌、かかわりをもちたくない
いったいどうしたらこんな人間嫌いになるのだろう 今日は猛暑日
お隣の市有地に大きく伸び過ぎた木があって、おじさん達が4〜5人来て
伐採している。放っておくと、交通の迷惑になるからだろう
この暑いのに、ヘルメット被って、虫よけの長袖作業服と長靴を履き
大変だなあ、中にはとっくに定年になったようなお爺さんもいる
でも、電動ノコを使えば、10センチ程度の幹なんて数秒で終わる
自分はいつも手動で、けっこう大仕事だけど
田舎暮らしとか言うけど、要するに、田舎の暮らしは、植物との闘いだ
伸びる雑草、木々、そして虫との闘い
家の中に蚊が一匹入り込んだだけで、大騒ぎするような者は
とても田舎では暮らせない
お疲れ様です 〇〇ちゃん(オレのこと)は、逃げることばっかで
それじゃしょうがないね
オレは親父に反論した
「この世は、食うか食われるかの弱肉強食なんだよ!」
「そうだよ」
おや? 親父もちゃんと、弱肉強食がわかってたんだ…
ちょっと拍子抜けした
なんだ、ちゃんとわかってたんだ
なら、オレの気持ちもわかるんだろな
それ以来、親父となにか論争とかしたことはないと思う
親父は、うんこしっこ、ぜんぶいろいろやりましたよw
いのちは、存在自体が、食うか食われるかの弱肉強食なんだよ!
そんなことも知らない子は、のんびりさんで、可哀想だけど、
きちんと教えてあげなかったのかね、親は
先なんて、あってもなくても、おんなじことなんだけど
教えないで放り出すのは、かわいそうだよ また亀が産卵壺で穴を掘っている
きょうも10個くらい産むのだろう
今回は終わったらすぐに取り出してやろう
夜中にまた誰かに荒らされたらえらいこっちゃ
もう30歳なのにまだまだ元気だけど、亀の寿命ってどのくらいなのか
自分より先に逝ってくれることをほんとうに願っている 掘り出してみたら、10個産んでいた
来月にもう一回産んで、今年の産卵はおしまいだろう
毎年、6月中旬から3回、計30個くらい卵を産む
腹の中、卵だらけ、一匹から毎年30も生まれたら
それあ大変な破壊力だ スズメの子供が甲高い声で鳴いている
二巡目の子育ての真っ最中
こんなに暑くて、ちゃんと大きく育つのだろうか
今週を乗り切ると、来週は少し暑さがやわらぐみたいだけど
亀の甲羅干しどころではなくて、ずっと水の中に避難したままだ
日傘を差して直射日光を遮っても、なかなか陸に上がってこない
ほんとうに暑いのだろう 自分で産んで孵った子
目もあかないうちに、口伝手でエサを与え、やがて目が開き
少しずつ大きくなって、やがて、巣を後に、おぼつなかい羽使いで
どこまでも追いかけてきて、エサをねだる
親は、寝食を忘れ、必死にエサを探し、子に与える
あの、エサを与える姿に、なんのウソもない
なんのかけひきもない、まったくの、純粋無垢の愛
愛をそのまんま子供に注ぐ親
親の愛をそのまんま受ける子
いつも、みせてくれてありがとう 群集心理の快感
むかし、学園祭があって、夜に、学生たちが集まって群衆になり
いつの間にか、輪になって、肩を組んで、ワッショイワッショイがはじまる
群集心理の快感は、たとえ、中の一人が何かを言っても
それがめちゃくちゃ面白く、受けて、そして、余計に盛り上がる
いま、野球やサッカーで、球場に集まった群衆が、ワイワイ騒いで盛り上がり
病みつきになるのも、ああ、あれだ、と思う
宗教団体の集まりも、夏祭りも神輿も、あの快感だ
ヒトラーが群衆を前に演説して、全員が熱狂して泣き叫んだ快感も、それだ
面白かったけど、もう、おしまい、ああ、おもしろかった
花火大会
その、おしまいをわからないと、そのまんまヘンな方向に進んじゃうかも
ふつうは、おしまいで、ああ、楽しかったで、おしまいなんだけど
醒めないで、いつまでも熱いままの人って、まあ、純粋な人なんだろけど 見ていて息苦しくなる
組織の中の人、アナウンサー、社内の序列、一切逆らえない決まり
絶対服従、嫌なら去れ
社会に属すること、社会の中で生きること、社会生活とは
己の思うままに、思ったこと、感じたこと、おかしいと思ったこと
それらを、封じ込めるということだ
口が裂けても言ってはいけない、それが、社会生活者だ
だから、そういう生活者を見ると、息苦しくてとても嫌になる
言いたいこと、思ったことを、言ってはいけない
ぼくは、思ったこと、感じたこと、なんでも自由に言いますよ
ひとりごとだけど 料理人が、裕福層の常連さんたちを満足させるための宴席
食材を選りすぐって、腕によりをかけて調理をして出す
その中に、子豚の丸焼きが出てきた
腹も舌もぶくぶくに肥えたお客たちを喜ばせるために
殺生をし尽して、殺さなくてもよいものまでを殺して
煮て焼いて食って、美味いうまいとよろこぶ、醜い者たち
ああ、そうか、と思った
自分がこれまで、散々やってきたことが、自分にまわってきたんだと
散々やってきたんだから、文句の言いようもあるまいが
よく、被害者が「なんにも悪いことしてないのに」とか言うけど
そうじゃない!さんざん、し尽くしてきた結果、
自分の順番が回ってきただけのことだ
それがわからない、往生際の悪い奴は、土壇場になっても
じたばた足掻いて往生際が悪く、醜くのたうって、殺されてゆくんだろう
嫌だ嫌だ
自分は、これまでのバチが当たったんだと思って、反省して
潔くよく、きれいに逝きたいと思っている もう30年も昔、友達と二人、伊豆の白浜に海水浴にいった
ゴーグルをつけて、海の中なんかを楽しみながら、プカプカ浮かんだり潜ったり
そんなこんなで遊んでいて、海面に上がって息をつこうとしたら
ちょうど、波が崩れる寸前だった
やばい!
もういちど潜って、しばらくして、また水面に上がると、今度も
波が崩れる直前だった
ろくに、息も吸えないまま、また潜るしかなかった
そろそろほんとうに息が苦しくなって、やっとこさ海面に顔を出すと
今度も、いままさに、大波が崩れるところだった
そのまんま波に巻き込まれ、ゴーグルも飛んでしまい
苦しくて苦しくて、必死にもがいてもがいていたら
足先が砂底を触る感触!
もうあとは、半分死んだ感じでもがき逃れて、ようやく浜辺に逃れ着いた
ゲーゲーゼーゼー、必死に息をした
まわりを見ると、海水浴客がなにごともなく、楽しそうに遊んでいる
海の恐ろしさを身に染みて味わった
悪意に満ちて、測ったように、繰り返し襲ってくる波
そこに、意思を感じた
調子に乗るな! いつだって、ふざけた輩は懲らしめてやるぞ
海にも山にも、神さまは、いる
真面目な人は殺さないけど、不真面目なやつは、容赦なく殺すよ
身に染みて、肝に銘じて恐れている また亀が暴れだしている
今年3回目の産卵行動
毎年おなじように行動している、6月に2回、7月に1回
もう30歳になるのに、若い頃とまったく変わらない
亀は本当に歳を取らないのだろうか?
ミドリガメ35歳寿命説は、どうも怪しい
あと10年20年、30年も生きたらどうしよう
とても自分にはもう世話ができなくなってしまう 亀がいま産卵を終えた
一所懸命掘った土を埋め戻している
これで今年の産卵はおしまいだと思う
夜中に荒らされないよう、あとでそっと掘り出してしまおう
これから当分雨が続くらしい 大家族
兄弟姉妹がいっぱいいて、お正月には、親元に集まってくる
それぞれ、子供もいるから、わんさかわんさか人数も増えて
部屋に収まり切れないくらいになる
でも、裕福な家ではないから、出されるものは、いつも、ソーメンw
500円だか1000円だかの、お年玉も、いまから思えば
きっと、ずいぶんと、奮発したんだろう
みんな、貧しく、貧乏だった時代
その、親の世代は、もう、みんな逝ってしまった
いとこたちも、ほどんど、残っていない
お正月は、お店がやっていないから、せっかくお年玉を貰っても
使い道がない
大人たちは、ぐだぐだ、つまらない談合をしている
おもしろくもなんともないお正月
退屈でつまらないのが、子供時代のお正月の思い出だ 相変わらず、地域ネコの雑三毛は、朝の4時に軒先に来ている
小さいネコだから、大食いはできず、小皿にちょっと盛りでおかかを添えて
それを食べると、すぐにどこかへ行ってしまう
関りも触れ合いもなんにもない間柄
互いになんにも期待もしないし、やってくるからメシを喰わせる
そんだけの話
なんでそんなことをするのか?
お腹が空いてるだろうからエサをやるだけ
相手も、なんでエサをくれるのかなんて、そんなことは知らない
腹が減る、メシが食える、ただそれだけのこと
理由なんてなにもない、そうしないといけないみたいなので、そうしてるだけ
もともと、意味なんてない、なにか理由があって息をしているわけでもない
ただ自ずとそうなってるだけの話だ 便利な世の中で
むかしの映像がそのまんま再現できる
若い頃に憧れたアイドルが、むかしのまんまの姿で今もそこにいる
実際は、もう、見る影もない、しわくちゃ婆さん
生きものが、うまれて、たった一度だけ恋をして
その恋に突撃して死んでしまう
恋愛とは、なんどもなんども再現されるものではなく
たった一度だけの、命がけの物語だ
恋愛とは、とことん愛して、信じて、たとえ時が過ぎて
相手がしわくちゃ婆さんになっても、変わらずに愛することだ
そういうものだと思う
姿かたちはかわっていっても、かわらないものがある
それを信じなかったら、何を信じるというのか 明日しなければならないことのある生活
物心がついてからは、学校に通う、宿題を出す、小学中学高校大学
会社員になっても、また、明日の予定が定まっている毎日
決まった時間に起き、決まった電車に乗る
ずっとずっとずっとずっと、毎日毎日、明日のやることが決まっている
平社員も、中間管理職も、雇われ社長も、議員さんも
経団連のおエラいさんも、みんなみんな、明日やらなければならないことが
決まっていて、よほどのことがない限り、休むことも許されず
それに従ってゆくしかない
総理大臣も天皇さまも、誰一人その仕組みから逃れることはできない
ほんとうにそうだろうか?
どんな川にも、流れのない、誰も知らない静かな空間があるのでは?
自分だけの穏やかな世界
明日も電車には乗らない、誰とも関わらない、争わない、論争もしない
あなたはあっちへ、わたしはこっちへ、どうぞどうぞ
さようなら、お元気で
1年365日、まったく予定もなく、誰とも約束もなく
自分の時間だけで生きる
こんなしあわせで、いつかバチが当たらないだろうか
無論、バチが当たれば、甘んじてそれを受ける所存である 馬に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人
だいたいそんなことを言う人は
自分が馬に乗るか、駕籠に乗っていると思っている人たちだ
駕籠を担いだり、草鞋を作ったりする、下々の者は
控えおろうとでも言いたいんだろうか
江戸城は、これでもかこれでもかと、威厳に満ちた造りで
そこに参内する大名どもを威圧しようとした
大企業の重役ゾーンは、厚さ20センチの絨毯を敷き詰め
奥女中ならぬ重役秘書の綺麗なお姉さんたちが
膝上10センチ以上のスカートを履き、お茶を出したりチラ見せしたり
硬軟からめての仕掛けで、参内者どものキモを抜こうという魂胆
織田信長が、舅の斎藤道三に初めて会ったとき
どうせそんな浅知恵だろうととっくに見抜いて
道中、ボロ衣をまとい、頭はくしゃくしゃ、柿を食らって吐き出すような
DQNぶりを見せつけた
道三は、こんな男に、まともな対応は無用だと
普段着で対応して待ち構えておったら
現れた信長は、身なりも立派な正装で、まるで禁裏の御公家みたいな姿で
裏の裏をかかれて、見事な赤っ恥!
ヒトの本質なんて、どのみち大した違いはありません
外見で相手を威圧しようなんてのは、下の下の下太郎(鬼太郎)
自然にしたらいいんです ここ二日間、パソコンで四苦八苦
ちっとも更新できないパソコンが持ち込まれ、原因の究明や対策やらを
ネットで調べて実際にやってみて、なんどやってもダメで、
もう一回やったり、ちがう方法を探したり、とにかく、文章を読んで
理解して試してみる作業というのは、とても集中力が要るし、
なんか、ずっとむかし、頭を使って働いていた頃のことを思い出した
頭を使って一所懸命働いて、物事が進展したり解決したりの達成感
少しばかりのお給料をもらって、それがいったい何の役に立ったのか
いったい何のためにそんなにみんな一生懸命やるんですかね?
仕事だから?お給料をもらっているから?
そんな理由だけでは、そんなに一生懸命にならないでしょうに
自尊心?意地?見栄?
なんじゃろね どういうことか、亀がまた産卵行動をはじめている
毎年3回で終わるのに、今年はもう一回産むのかも知れない
産卵壺はいつも用意されているから、いくら産んでもかまわないけれど
自然の成り行きにまかせるしかない
この時期は、猛烈な食欲で、池の水は3日でもう汚れてしまい
その都度、入れ換えを行なっている
日常生活で、ご飯を作ったり、お皿を洗ったりするのと同様に
亀池の水換えももう立派な生活のなかの一部分
こうして無事に日常生活がいつもとおんなじに送れること
それはとても幸せなことだ いま亀が後ろ足で穴を掘り出した
大体共通しているのは、雨模様のお天気の日の朝方からはじめること
そういう日が産卵日和なのだろう
すずめも昨日何巡目かの雛が来ていた
春から夏先が自然界の繁殖時期なのだ
郊外のちっぽけな庭の一角、野鳥たちが集ってエサを食べている
ヒマワリを食べるのは、シジュウカラとカワラヒワ
すずめは種を掘っ繰り返してゆくだけで、固い殻は破れないのだ 今日は午前と午後、2回穴掘りをしたけど、結局産卵しなかった
お腹の中に卵がいっぱい詰まっていて、産みたい気はあるのだろうけど
その都度、埋め戻しておいた
明日には産むのだろうか
今日は終日曇りと雨で、お蔭で暑さが少し和らいだ いま産卵中、壺に入らないで5個くらい陸の上にころがっておる
あとで助けてやって、いっしょに埋め戻してやろう
今年はもうこれでおしまいだと思うけど
生きるってことは、子孫を残すこと
それだけが純粋な目的
その義務すら果たさない自分…
大きな顔で表に出られないから、こうして引きこもっておるのだ 結局、今回は8つ産卵していた
明日生ごみとして出してしまう
ミドリガメは雑食性でなんでも食べるけど、一番の大好物は刺身だ
ときどき刺身を買ってきたときは、細かく賽の目状に切って与える
飛び付くというか、目がないというか、突進して食らいつく
ほんとうに刺身が大好き
今日は夜、山かけにするので、切り身を買って、食べさせてみた
無我夢中に貪り食った
ちょくちょく食べさせるわけにもゆかないけど
美味しいものを食べる姿を見ると、こっちも嬉しくなる すずめの子供が大声で鳴いている
もう呼んでも親はやってこないのだろう
今日また亀池の水を取り換えた
この時期は爆食で、3日も経つと、水がドブのように濁って悪臭を放つ
ゴシゴシ壁面の苔をそぎ落し、水も全とっかえ
甲羅についた汚れもたわしでごしごしやってきれいにする
甲羅も皮膚の一部だから、こすられるとくすぐったいのか痛いのか
必死に逃れようとする
毎年の夏の風物詩 お隣が各種学校の裏庭になっていて
フェンスに沿って、数十本の樹が植えられていたのだけど、
今日、植木屋さんがきて、アッという間に、根こそぎ伐採していってしまった
向こうの方までよく見えるくらい、きれいサッパリしてしまったけど
如何に樹木にこころも感情もないとはいえ、いままで生きていたものが
殺されるというのは、見ていて、あんまり気持ちの良いものではない
でも、植物というのは、放っておくと、どんどん伸びていって、やがて
手がつけられないほどに繁茂してしまうから、やらなければならないものだけど
すべてのものは移り変わる、一切皆空、ヒトも動物も植物もすべて
移り変わってゆく、ここ、地球さえ、あと数百年後には
生命が生存できない状態に変わってしまっているかもしれない
それも、宇宙の中の小さな出来事に過ぎないけれども なんか、お隣にあった樹木がなくなってしまった結果
吹き抜けてくる風が、熱風に変わってしまった気がする
木陰で作られていた冷えた空気がなくなり
砂漠に変わってしまったようだ
樹木ってのは、気温を下げる役割があるのだと、今更ながらに実感する
こうやって人間は自然を破壊して、自滅してゆくのだろう どういうものか、ここ数日は、救急車のサイレンがあまり聞こえない
要するに、パンクしてしまって、稼働できないということだろう
119にかけても、つながらない、電話に出ない、出ても対応できないのだし
医療の完全崩壊である
広い海原に釣り糸をたらし、のんびり休日を楽しんでいる人
その同じ海の中で、浮上できない潜水艦の乗員が阿鼻叫喚の地獄絵巻を演じている
釣り人は、そんなことは知らない
おなじ時間のおなじ空間で、そんなことが起きている
のんびり夏祭りを楽しむ浴衣姿の人々がいて
そのおなじ時間にミサイル攻撃を受け、残骸の中でもがき苦しんで死ぬ人がいる
誰にもどうにもできない
それが現実だ
さてと、そろそろ晩酌にうつるかな
今日は気温が低くて、ほんとうに過ごしやすい一日だった 亀がまた暴れている
これまで年に3回産卵していたけど、今年はもう4回で
更にもう一回産むかもしれない、年5回というのは初めてのことだ
いったいどうなってしまったのか
8月に入ってから産むのも初めてのことだ
ほんとうに不思議な生きものだ 今日は、朝から穴を掘っていたんだけれど
結局、卵は産まず、水に帰ってしまった
前回も、2回そんなことがあったから、また、明日か明後日産むみたい
毎年、50個も産む卵の一つが孵化して、生まれた子のひとつ
もう、30年も一緒に暮らしていると、あんなに小さい頭の中の
脳みそも、学習というのをして、人に慣れてくるみたいなのだ
自然界の弱肉強食社会に晒されずに育ってきた亀は、
性格も穏やかで大人しく、人にも慣れてくるようなのだ
甲羅の下に手を入れて、ぷかぷか浮かんだり沈めたりして遊んでも
噛みつくようなこともないし、一緒にぷかぷか遊んでいる
ずっと陽に当たらず、甲羅が干からびて白けていた小さな小さな亀
30年も一緒に暮らしてしまうと、とてもただの存在には思えなくなる
ともに過ごした時間というものが、育って、かけがえのない存在になるのだろう いま産卵中
お尻から白い楕円形の卵が次々現れて、穴の中に落ちて行く
今回も10個くらい産むのだろうか
後で穴埋めを手伝って、そのあとに掘り出しだ
今年はもうこれでおしまいか
一年で5回産んだのは初めてのこと 卵は12個産んでいた
明日また生ごみで出してしまう
一度、オスのミドリガメを見たことがあるけど、
爪が長くて、おどろおどろしい姿をしておったな
ペットショップや夜店で売られていたのは、ほとんどメスだと思う
家において行かれた二匹もメスだった
30歳も過ぎたのに、これまで以上に産卵するのだから
どれほど繁殖力が凄いのだろうか
一匹は疑似オス化して産卵はせず、一匹だけが産卵する
亀世界にも最近は 労基というワードは決して万能の印籠ではない
洗脳されちゃってる社畜が上司だと
会社のルールでこうだから!と突っぱねてくる場合がある
そういう連中と戦ってまで休みは割りに合わない 相変わらずの毎日がやってくる
朝4時に床の中から、外を見ると、いつもの猫がやってきている、餌をやる
起きて、布団を押し入れにしまい、洗面し、朝ごはんを作る、食べる
この時期に爆食する亀たちは、特大トロ舟の水もすぐ汚す、3日に一回水換え
そして、昼が来て、夕方になり、晩酌と晩飯、いつもおんなじ食べ物
面白くもなんともない日常が、こうして過ぎてゆく
最近では、時というものを、感じなくなっている
いま目の前にあるものがすべてであり、過去も未来も、どこにもない
いま痛い、いま美味い、いま苦しい、いま楽しい、いま暑い
過去は、すべて思い出という記憶棚に仕舞われている
時々その棚から取り出しては眺めて、また仕舞う
未来も、空想の中だけにある
いま、また狂ったように救急車がサイレンを鳴らしている
疫病が蔓延し、戦争や飢餓で、毎日毎日人が死んでいる
自分は、平穏で健やかな毎日を過ごしている
苦しみも悩みもない
面白くもなんともない毎日だけど、しあわせだ
6時になったら雨戸を開け、また野鳥にエサ、亀池の水換え
今日はまた暑いらしい 毎年、軒下に、足長蜂が巣を作る
おっかないし、時々、顔先をブーンってよぎるし、気持ち悪い
でも、刺されたこともないし、見なければ無いのとおんなじだから
ほったらかしにしている
今日、ふと見上げたら、巣は、空っぽで、スカスカ
蜂一匹いないし、子供たちの姿もない、みんな巣立って行ってしまったようだ
蜂もほかの生きものとおんなじで、春先に産卵し、子育てをして
夏の盛りにはもう、繁殖を終えて、旅に出るようだ
しばらく置いておいて、冬になったら、取り外してゴミで出してしまおう
うちには、いろんな生きものがやってくる
ほったらかして、自然のままにしているからだろうか
草なんかも、冬になれば自然にみんな枯れちゃうし 引きこもって20年
毎日、眺めていると、いろんな出来事があるよ
ふと見ると、なんかヘンなものがフェンスにいる!
ヘビだ、ヘビがうろうろとフェンスにおって、向こうへ行こうとしている
ある時は、庭木にバナナを差しておいたら、タヌキが登って来たもんな
バナナの匂いがちゃんとわかるんだろう、登ってきて
バナナを食って去っていった
ヘンなやつがいろいろいる
夜、晩酌で盃に酒を注いで、ちびちびやっていたら
ピチン!と冷たい何かが手の甲におちてきた、ん?
黒っぽいなにか、天井をなにげなく見上げると、ヤモリがいた
ヤモリが糞をして、手の甲に落ちたということ
ヤモリって、そんなとこに居るんだ…
ゴキブリは、暗くなると、しょっちゅう見かけるな
壁、床、あんまり人と接しないところに、チョロリと現れるが
夜中に給水ボトルに手を伸ばしたとき、腕を走ったやつがおって
あいつは、例外だ、ふつう、あんまり、人に触れることはない
なんだか、存在そのものがおもしろく不思議で、
いつも、なんじゃろか、これ!
そればっか 朝、東の雨戸を開けると、目の前に野鳥のための水飲み皿がある
毎日補充して、満々にたたえている水に、コガネムシの小さいのが
しょっちゅう仰向けになって溺れている
しょうがないなあ、その都度、手製の長い柄杓で救い上げて外に捨てている
これまで、どんだけの数を掬ったろうか
目の前で生きものが溺れて、もがいている、救う、ただそれだけのこと
ほとんど反射的、人だろうが虫だろうが、関係ない
虫眼鏡でなければ見えないような小さなものが、ちゃんと動いて生きている
これを動かすものと、ヒトを動かすものは、恐らくおなじものだ
不思議なちからが働いて、これらを動かしている
大きい小さい、関係ない、智恵があるとかないとかも、関係ない
どちらもおんなじ力、働きによって、生きている、生かされている
いまも目の前に、小さなコバエみたいな虫が、せわしなく動いて飛んでいる
これは、いったいなんじゃろか、虫もヒトもおんなじだ
でも、そういうことは、人に言わないほうがいい
言ってもわかるはずもないし、無駄なのだから 亀にはこれまでずっと、亀のエサというのをやっていたんだけど
最近は、ネコのエサばっかだ、こっちの方がおいしいらしい
いつも、亀のエサだけが、食べられずにぷかぷかふやけて浮いている
もう、これからは、ずっと、ネコのエサでいいのかも
この時期は、いくらでも食べる
水は、3日に一度取り換えないと、濁って臭い
亀池の水換え、真夏の日常作業
それでも、一年のうち、秋から春までの半年は、まったく食べずにじっとしている
半年だけ、活動して、半年は、何も食べず、貯えた栄養を使って生きている
冬眠というのは、完全に仮死状態になり、わずかな皮膚呼吸を通じて
必要な酸素を体内に得ている
本当に、自然と一体になって生存している生きもの、亀
秋までまだまだ毎日爆食、水換えせっせとやらねばならん 朝、雨戸を開けて、亀池の様子を見ると、産卵壺が少し掘られていた
昨日取り換えた水も、なんかかなり濁っていて、油っぽいものも浮いている
今年はもう産卵はしないと思っていたけど、まだ産むのかも知れない
水の中で一つか二つ産んでしまい、それで油が浮いているのかも
どうもよくわからない
油を取り除くために、水を入れて、浮いたものは、みんな外に出しておいた 毎朝、3時とか4時とか、寝床から軒先を見る
まだ来てないな、それでまた、うつらうつらする
その前の猫も、そんな感じで、目が覚めて、見ると軒先に来ている
待っている
エサをやる
エサ食ってどっかへ行く
その繰り返しの毎日
それらの猫たちは、やがて、事故か病気か、とにかくもうこれない事情があって
姿を見せなくなる
たぶん、もう、この世にはいないんだろうと感じる
どいつもこいつも、頭ひとつ撫でたことなんてない、真っ赤な赤の他人(他生)だ
真っ赤な赤の他人なんだけど、毎日、きまった時間に来て
エサ食って、満足して、あー食った食ったって、喜んで帰った時間は
それは、自分としても、嬉しい
ケモノの人生とヒトの人生は、わかりあえることもないのだろうけど
そうやって、来た、エサ、食った、食った食った、嬉しかった
毎度毎度、通ってくれる常連さんって、会ってニコッて笑う
それだけが、人生かも 情報
いま盛んにやっている、終戦特集番組での大本営発表
穴蔵から出てきた横井さんも、小野田さんも、そしていま、
オリンピックだ高校野球だなんだかんだに熱狂する人々も
みんな、そのときの情報によって、動かされ、集められ、発散した人々
みんな、そのときだけ騒いで、楽しんで、あとは知らない
夏の花火とおんなじ、わーわー騒いで喜んで、あとは知らない、おしまい
お祭り騒ぎ
お祭りも、すんでしまえばおしまい
情報を得て、それを咀嚼して、取捨選択すること
自分でそれができること、いままで生きてきた経験や知識、判断
最低限、それくらいできる人でありたい
そうでなかったら、いままで、小学中学高校大学って
お勉強してきた意味がないじゃんよ
ほんと、おえませんなあ(岡山弁)
救いようもないものを救おうだなんて、そんな酔狂はせん!
勝手に死んどけ!
そんなもんに関わっているヒマはない!
まあ、ヒマはいくらでもあるんだけど、かかずらわってるヒマはない! 確か昨日水を取り換えたはずだけど、もう濁っている
恐るべき新陳代謝、排せつ速度
爆食し、爆糞をする
まったく世の中に役立っていない生きもの、ミドリガメ
自分とおんなじだ
明日また水を取り換えねばならんな 亀というのは、けっこう知恵があるようなのだ
鳥も無論、智恵がある、ヒトの顔を覚えて、毎日エサをくれる人には
すぐ近くまでやってきて、顔をのぞき込んだり、おちょくったり
そんな遊びもするようになる
亀も、そろそろご飯の時間かなと、首を水から出して見ている
こっちが、家の中から様子を見ると、目と目が合って
途端にばたばた、暴れ出してエサくれダンスをはじめる
ちゃんと見ていて、互いのテレパシーを感知する
そういうものを備えている
テレパシーなんてもの、人はとっくに失くした機能に思うけど
亀もネコもちゃんと持っていて、ヒトである自分も、それを感知している
まあ、そんなこと、宇宙の営みを想えば、当然のことなんだろけど 100円ショップで買ってきた、ガジュマルの木は
陽の入る場所に移し、ちゃんと水もやるようになってから
ずんずん背が伸びて、とうとう、1メートルくらいになってしまった
お日様の方に向かって曲がって伸びるから、心棒を立てて
幹を括り付けて矯正しているけど、その心棒も越えてしまった
そろそろ、ひと回り大きい鉢に移しかえてやろうと思う
そして、全体が陽に当たる場所に移してやろう
あと数年したら、天井の高さまで達してしまうかも知れない
そのときはそのとき、また考えよう
本場の台湾では、地上10メートルにも育つらしい
むろん僕はもう生きてないし、そんなに育てられることもないけれど 社会生活を辞めてしまって、かれこれもう25年?
浦島太郎、電車に乗ったとき、改札がバタン!と閉まったり
何が悪かったの?わけわかめ
ほんとは、まだ行ったことのない東京の各地に出かけて
日帰りで毎日散策して、歴史とか来歴とかを知りたかったんだけど
でももう、今はすべて、ネットで見られるから、わざわざ行かなくてもいいのかも
電車の駅を降りて、用を足して、帰ってくるだけ
ここは江戸川橋、川向うは文京区?実際に歩いてないので
地区の移り変わりがさっぱりわからない
お茶の水と神田と秋葉原は、けっこう近い、歩いても行ける距離
知らなんだ
全部を歩いて、つながりがわかったら、東京がもっとよくわかるんだろうに
やってみたかった ここ数日、めっきり気温が低くなった
窓から入る風が寒いくらい
明日で8月も終わる
暑い暑いで大騒ぎしていたのに、いつの間にかそれも終わり、やがて
今度は寒い寒いと騒ぐ冬がやってくる
扇風機を片付けてしばらくして、今度はストーブの準備をする
古くなった風呂釜は、夏場はぬるくて快調だったけど
冬は熱いお湯が出ず、追い炊きでようやっと温まることができる
毎年おんなじようにおんなじことを繰り返し
やがてそれらができにくくなると、いよいよ、人生もおしまいとなるのだろう
まだまだ先のことだと思って、身辺の片づけもしてないけど
早目にやっておかないと、それすらできなくなってしまうに違いない
それでも、なかなか重い腰があがらないでいる
そのうちやろう、そのうち
今朝、いつもの猫はやってこなかった
どこか具合でも悪かったのだろうか
くるものがちゃんと来ないと、少し気にかかる いま来ているすずめの子は、今年生まれた三巡目くらいの子だろうか
数は少ないけど、この暑いなかも、子育てをしている
すずめは春先から秋口まで、通年で、産卵子育てを繰り返すようだ
そのなかで、いったい何羽が無事に育って大人になるのだろう
10羽産んで、1〜2羽ということかも知れない
今朝、4時頃に、いつもの猫がエサを食べに来た
ちゃんと無事に生きていた
外ネコというのは、飼い猫にくらべて寿命も短いらしいけど
取り敢えず一安心 オイ!ゴキブリ!
朝、洗面所にゆくと、風呂場にゴキブリ
仰向けで死んでいる
片付けようと触ったら、ジタバタ動いて、まだ死んでない
死ぬまで放っておこうと、そのまんま放置して、そのうちに
見ると、姿がどこにもない…
え? そんなことって、あるんだろうか、仰向けで死にかけていたものが
もう、どこにもいない、きれいさっぱり消えている
ゴキブリは、電気を消すと出没する
畳の端っこに、ちょろちょろ現れては姿を消す
神出鬼没
昨日の夜は、ワシの二の腕に出て来てわさわさしておった!
ギャッ!
ふと見て、20センチにゴキブリがわさわさ遊んでいたら
そら、ギャッ!って騒ぐよな
ゴキブリ、
なんか親近感がわいて、もう、二度と、殺虫剤なんて使わない すずめの子の賑やかな声が聞こえている
二組の家族がそれぞれ子供たちにエサを口移しで与えている
今年はこれが最後の子育てだろうと思う
親を真似て、自分もエサをつつくようになり、やがて、飲み込めるようになり
自分でエサが食べられるようになれば、もう、親離れだ
すずめの寿命ってどれくらいだろうか
長くて4年くらいか
生まれて、成鳥になり、子供を産み育て、それを2年くらいやって
もうそれで役目を終えて死んでゆく
だから、こうして、いまこの瞬間も、一期一会 羽田空港のライブカメラ
あれを見ていると、そこで働く無数の人々がいることに感動する
きちんと仕事の手順に沿って、ひとつひとつをこなしてゆく
次から次へと飛行機が飛び立ち、次から次へと飛行機が降りてくる
貨物をおろす為に控えている作業員、乗務員、地上で対応する税関職員…
勤務時間、お給料、残業代、休憩時間、シフト、みんな、
ガッチガチに決められた仕組みの中の一員として、稼働している
社会生活は、すでに、一分の緩みもないほどに、完璧に組織化されていて
いったんそこに組み込まれたら最後、逃れることはできない
その間、恋愛もし、結婚もし、子育てもし、慌ただしい日常生活に追われ
いつの間にか気がつけば、もう人生の黄昏どきになっている
なんでみんな平気なんだろうか?
逃げ出したくはならないのだろうか?
いつも不思議に思っていた ミドリガメの大好物は、刺身だけど
ふと、カニカマボコはどうだろうかと思いついて与えてみた
刺身と同様に、狂ったように貪り食った
30年も飼っていて、なんで今まで思いつかなかったんだろうか
これから時々食べさせてあげよう
でも、あれって、塩分が多いから、身体にはどうなんだろうか
刺身のように、完全な自然食とは違って、身体には悪いかもしれない
時々食べさせるならば、まあ、問題ないだろうけど
本当は、毎食、お刺身といきたいけれど
人間だってそうそう食べられないのに、亀に食わせるわけにもいかんわな カニカマをひとつつまんでみたけど、ほとんどしょっぱくない
カニに似せているから、当然といえば当然なのかも
少し心配だったけど、亀に食わせても大丈夫そうだ
気温が20度を下回ると、カメはモノを食べなくなる
もっと下回り、冬になると、水に潜ったままの仮死状態となる
呼吸をしなくても、皮膚からわずかな酸素を取り入れており
貯えた栄養分とその酸素で心臓を動かすことができるようだ
半年もなにも食べずに生きていられる
飼われている亀は、世の弱肉強食にもさらされることもなく
世の争いごとにも、まったく我関せず、お天気が良ければ、日向ぼっこ
じつに理想的だ 甲羅干しの亀の甲羅が剥がれかけているので、数枚めくって剥がして
ふと横を見たら、ネコが猫小屋に入ってゆくのが見えた
少し涼しくなって、小屋をねぐらに使ってくれているようだ
居心地が良ければ、このまま、冬のねぐらにするかも知れない
今度、中の布団類を天日干ししてあげよう 夕方、雨戸を閉めに外に出ると、小屋から猫が出てきた
どうやら、ほんとうに、ここをねぐらにしてくれたみたい
エサのあとに、小窓から見ていると、また戻って来て小屋に入ったみたい
ずいぶん以前に、やっぱ、外ネコが小屋に居ついたことがあったけど
居心地の良い場所に、居つくのは、当たり前といえば当たり前のこと
一期一会のうたかたのひととき
人には優しくないけど、ネコには優しい
変なことやってる ひと夏お世話になった扇風機を掃除して、倉庫に仕舞った
また来年、暑くなったら会いましょう
こんなこと、あとどのくらい続けられるのだろうか、10年?20年?30年?
スーパーで栗が売られているのをみて、衝動買いしてみた
30個以上入っている
家族がいた頃は、初モノだからって、季節ごとに食卓に上がっていたけど
一人きりだと、季節も、盆暮れ正月もなく、一年中おんなじ
そんなことで、家族、家庭というものの存在を知ることになる
まあ、完全に完結型で、こころの中に思い出としてあるので
時々、取り出して、季節を愛でればいいだけのこと
世の中の疫病も戦争も争いごとも、まったく関わりのないこと
穏やかな日々がなにごともなく過ぎてゆく もう何年も夜中に熟睡するということがなくなり
2時間おきくらいに目が覚めて、時計を見てまた眠るということをやっている
その都度、外の様子を眺めて、ネコが来ていないかを見る癖もついてしまった
昨日の夜は、縁台がなにやら騒がしいので見てみると
数匹の黒い影が元気に走り回っている
尻尾が太いので、どうやらタヌキのようだ
ひとしきり騒いだあとに、どこかへ行ってしまった
朝、様子を見ると、亀池の板が一枚外れて水に浮かんでいる
以前、産卵壺で卵を見つけて味をしめたのだろうか
人の寝静まった夜中には、いろいろな野生動物が活動している
うちの庭はタヌキの活動ルートになっているようだ 今日は、思い立って、ガジュマルを二回り大きな鉢に植え替えた
これであと数年はだいじょうぶだろう
ずんずん上にひょろ長く伸びてしまって
支え木をしないと曲がり込んでしまう
他にも、種から育てたみかんと柿が育っているが、まだまだ小さい
玄関のパキラ?も少し大きくなりすぎて、根が鉢の外まで伸びてしまたから
これも大きな鉢に植え替えないといけない
同居して名も知らない植物もいるから、いっしょに移そう
全部の植物の名前を知っている理科の先生がいたけど
もう便りも無いので、死んでしまったのだろう 植物を見ていると、生命というものの本質がよくわかる
とにかく生きようとしている、成長しようとしている
少しでも空き地があれば、どんどん侵食してゆく
そこに感情はない、ただ生存本能だけがあり、それに従ってゆくだけだ
善も悪もない
それにしても、突然、冬になったような寒さだ
亀も水に潜ってしまって、姿を見せない
来週はまた30度の真夏日となるらしい
自然の過酷な変化に耐えられないものは、淘汰され死んでゆくのだろう 今日の夜中、ふと目が覚めて、外を見るといつもの猫
濡れ縁にエサを出して、また床に就くと、しばらくして大きなゴソゴソ音
見ると、二回りも大柄な影がエサを食っておる
タヌキ
残ったエサにありついているらしい
いよいよ、ネコとタヌキのエサの争奪戦が始まったのか
タヌキは、そのあとかなり長い時間、庭を徘徊したりしていた
ネコは、小屋から出て、どこかに避難したのだろう
これじゃあ安眠できないだろうけど、元々夜行性だから、関係ないのかな
きびしい生存競争 気温は20度、でも、さすがにお腹がすいたろうか?
試しにカニカマを3本ほど小さく切って水に落としてみると
勢いはさほどないけど、ちゃんと喜んで食べた
寒暖差がこんなに激しいと、さすがに亀も調子が狂ってしまうだろうけど
すでに30年も生きてきた大亀になると、これくらいでは死にはしない
なにしろ秋から春まで半年間、なんにも食べなくても平気な生きものだ いま、ネコは猫小屋に入って昼寝中
カメは一匹は甲羅干し、一匹は水の中、のんびりとした時間が流れている
明日からやることがあって、ちょっと気持ちが高ぶっている
40年物の単車、2年ほど前、軽い抱き着きを起こして、いままで
ダマしダマし乗ってきたけど、それも限界で、腰上を開けて、
シリンダーのホーニングとピストンの修復を行うことにした
どちらも初めての作業で、ちょっと緊張している
すでにシリンダーとピストンは取り出して、いま足元に寝ている
道具もすべて用意した、あとはやるだけ
練習用に空筒も用意したので、これで何回も練習をして手順を叩き込み本番に臨む
わずか数秒の作業だけど、刀鍛冶の焼き入れのように真剣勝負で失敗は許されない
すでに部品もなく一点もののシリンダーとピストン
うまくゆくことを神様にお願いする
やっぱ最後は神様にお願いするしかない 毎日手を真っ黒にしてエンジンを弄っていた
たまったカーボンをこそぎ落したり、磨いたり、ピストン、ピストンリング
シリンダー、シリンダーヘッド、シリンダーヘッドカバー
ひとつひとつのパーツを点検し、汚れを落とし、次の組み立てに備える作業
爪の中を真っ黒にするのは、久しぶり
失敗して水漏れしたり、ホースの配管を間違って、もう一度取り外したり
手を抜くな!やり直せ、いやんなっちゃう、ひとつひとつの作業が
すべて、地道な行為の積み重ね
こんなに面倒くさいのに、オートレーサーは、毎試合ごとに全部バラして
組み上げるんだって、すごい職業の人がいるもんだ
もうこれで最後だと思うけど、もしまた、調子の悪い部分が鼻について
ガマンできなくなったら、また、バラして作業するのかも
もう、体力的にも、そして部品がまったく無いという現実からして
これが最後かも知れないけど
くたびれた 試運転
回りにくかったところがきれいに無くなって気持ちよく上まで回るようになった
取り敢えずホーニングはうまくいったようだ
ところが暖まってくると失火するようになった
これはイグニッションコイルの劣化だと思う
週明け、また弄らないといけない
まずプラグを取り出して、何番が失火しているかわかれば交換
判らなければ、スパークさせる装置を取り付けて火花の色を見る
それでわかればコイルの交換
それで直るはず
安いときにいろいろ物色してためておいたパーツが役に立つ
コイルは4個もある
あと、バッテリーがそろそろ寿命、通販で注文した、来週届くだろう
やることができてうれしい、ネコはいま小屋で寝ている すっかり肌寒くなった
亀は一匹は日中甲羅干しをしているが、もう一匹は水の中
もうエサは食べない、これから春まで身体に貯えた脂肪だけで生きてゆく
もっと寒くなると仮死状態となり、酸素は皮膚を通して取り込むらしい
でも、心臓はどうなってるんだろうか?
かすかに動いているんだろうな
ネコは一昨日の夜中に来たのを最後に姿が見えない
いつも来るものが来ないと、ちょっと心配になる
具合が悪くて、どこかでじっとしているのだろうか
そして、ずっと姿を見せなければ、もうこの世にいないのだと判る
実にさらっとした一生だ ネコはちゃんと生きていた
ちゃんと夜中に軒下に現われ、エサを食って行った
きっといろいろな所に顔を出して、エサも貰っているのだろう
名前も幾つもあるかも知れない
耳をカットされた地域ネコだから、外ネコという立場かも知れない
自由気まま、行きたいところに行き、出てくるエサを食べ
自宅以外にも別宅を持ち、天国みたいな話だ
決して自分には懐かず、触ることもできないけど
まあ、それでいい もう一週間以上なにも食べていなかった亀たち
人の顔を見上げてなんか欲しそうな顔をしているので
試しに大好物の川エビを与えてみた
勢いはないけど、ちゃんと食べた
ほんとうにそろそろ冬の支度だ
お腹に収まらないほどブクブク肥ってしまった足の付け根の肉
あれだけ脂肪があれば余裕で冬も越せるだろう 昨日、20センチくらいまで顔を近づけて、じっと亀の目を見つめていてふと思った
もう30年もの付き合いになる、この子たちは、外の怖い弱肉強食世界を知らず
狭いながらも平和でのんびりした時を過ごしてきた
小さい頃、屋台かショップで売られていたのを、子供が親にねだって買ってもらい
やがて引っ越すときに邪魔になって、家の玄関先に置いて行かれた
家に置いて行かれなかったら、とっくの昔に死んだか殺されたか
毎日毎日食用にされる生きものたちが殺され、食われている
インフルエンザが流行れば、数十万羽のニワトリが生きたまま埋め殺される
この、ちっぽけな空間に、殺されるのを免れて生きている自分と亀
今日も天気がいいらしい、また甲羅干しして一日のんびり過ごすんだろう 今日は種から育てた柿の鉢植えを地面に植え替えた
まだ15センチくらいの小ささだけど、一人前に紅葉しているのがおかしい
桃栗三年柿八年というけど、まだ一年目、この先八年経ったら実がなるのだろうか
身体がどこも悪くなくて、事故にも遭わずに生きていたら
八年後にどうなっているかわかるけど
この家が取り壊されるとき、更地にされてしまうから、それまでの命だ
実ることはないかも知れない 今日は、これも種から育てたミカンを鉢から地面に植え替えた
温暖な地域ではないから、なかなか大きくならないけど
いくつか冬を乗り越えて、枯れずにいる
暖かい場所に育つ植物は、寒いところでは育たない
当り前のことだ
午前中は、直したバイクで走ってきた、絶好調、来年40歳になる
機械もので40年は、もうとっくの昔に壊れたりしている代物
もう無理させないで、だましだましやろう
あと10年くらいは乗っていたいけど サザンカが咲き出した、いま気づいた
こいつが咲くと、メジロがやってくる、冬のおとずれだ
その下では、スズメが5〜6羽、あっちこっち台に飛び移ってエサを食べている
南側を見ると、亀が一匹甲羅干しをしている
のどかなひととき、平和だ
誰にも何も強いられない、人とのかかわりもない、カネの心配もない
特に悩みもない、身体にどこか不調もない、なんにもない
まあ、しあわせだ 午後から晴れ間が広がったので、バイクに乗ってきた
ところが、買い物にゆくのかレストランに行くのか、車がたくさん出ていて
ノロノロ運転でちっとも気持ちよく走れない
やはり、交通量の少ない、午前中の早い時間帯でないとダメだ
いつまで走れるのかわからないけど、ほとんど唯一の楽しみ
やがてお別れしなければならなくなるけど、きっと悲しいだろうな 今日は、名も知らない冬枯れの草を刈ってゴミ袋に詰める作業をした
春から秋にかけて、ぐんぐん育ち、冬には枯れてしまう
そのまま放っておいてもいいけど、枯れて見苦しいから取り除く
また来年、春にはニョキニョキ育つのだろう
地上の姿は枯れてなくなるけど、地下ではどっこい生きている
土壌に生息し、酸素と水に反応して生きている
動物もおんなじようなものだ
個体の一生は死で終わっても、生んだ子供が代々生き続けてゆく
子孫を残すというのが、生きる目的だ
子孫を残さない変わり者も中にはいるけど、それは誰かほかの者にまかせればいい 一人暮らしでほぼ引きこもり
そとから見たら、孤独で寂しそう、可哀想に思うかも知れないけど
案外そうでもない
だいたい人間界の悩みのほとんどが、対人関係など社会と関わることからうまれる
家族も、病気がちであったり、素行不良の者がいれば、心配や悩みのたねは尽きない
いろいろな情報に惑わされ、判断をあやまることも多い
どんなに流れの激しい川でも、どこかにきっと、流れのない穏やかな片隅が
あるにちがいない、自分はそいつを探して、そこに安住するのだ
遠いむかしに、思い描いた理想の居場所
一軒家でひっそりと暮らすしあわせ 12月に入ったので、みかんを枝に刺し、ヒエをエサ台にまくことにした
例年、おんなじことをやっている
野に食べるものが無くなる冬、すずめやメジロやヒヨドリにとって
大事な食糧となるはず
そのうち巣箱を取り外して、中を掃除しよう
亀池にビニールの覆いもしないといけない
いよいよ冬がやってきた すずめはネグラに帰るとき、凄く高く上昇し、素晴らしい速さで
遠くのほうに飛んで行く
数百メートル先の樹にネグラがあるのかも知れない
日中、いろいろな場所をめぐり、夕方、ネグラへ帰ってゆく
飛び去る時間になると、数羽ずつおなじ方向に飛んでゆく
そろそろ目が見えなくなる夕暮れどきが帰る時間
もうあと30分くらいか 今がいちばん陽が短い頃らしい
朝は6時半でもまだ暗く、夕方は4時にはもう薄暗い
今日は自転車で買い物にゆくと、耳が冷たくて、耳当てのついた帽子が
また必要な季節になったんだと気づいた
ネコはここ二日間、姿を見せない
どこか暖かいところを見つけたのだろうか
亀池にビニールの覆いをした
これから来春までは、姿を見せることもほとんどない
11月中旬から4月まで、何も食べずにいられる不思議ないきもの
半分死んで半分生きている
亀のためにも、自分はまだ生きねばならない 今日もまた元気に小鳥たちがやってきている
すずめ、シジュウカラ、メジロ、キジバト
そのうちにカワラヒワもやってくる
大勢が集まると、小鳥もやはり楽しいのだろうな
群れると安心するというのか、群集心理が働くのだろう
ネコも相変わらず、夜中から朝にかけて、やってきては
エサを食べてどこかに帰ってゆく
人間界は疫病や戦争などで不穏な毎日だけど、野鳥界はいつも通り
自分も誰とも交わらないから平穏だ 夜中の1時であったり、明け方の4時であったり
適当な時間にネコはやってくる
縁台で爪を研ぐ音がするので目を覚ます
ちゃんと人を起こす動作を心得ているのだ
ちっとも懐かないで、エサを台に出すときも、縁台から地面に下りて
決して近づかない、いままでニャーの声も聞いたことがない
前に来ていた野良は、時間が経つと、ニャーくらい言ったのだけど
とにかく人に懐かない可愛げのないネコである 自分の好きな時にやってくるネコと違い
すずめにはきちんと時間を決めてあげないといけない
冬の夕方のエサは3時と決めると、ちゃんとその時間には集まってくる
何年か前、もっと大勢のすずめが居たころには、口笛で合図したこともある
別に教えたわけでもないのに、口笛を吹くと、遠くの樹から群れで飛んでくる
すずめは実に頭がいい、こちらの顔も覚えているようだ
以前は40羽以上いたけれど、今年は20羽に満たないくらい
ほんとうにだんだんと数が減っているようだ
餌の時間まであと30分 自分がこれまで生きて来て
ものの見方考え方いろいろなことは、知識としてはすべて、読書から得たものだ
読書から得た知識をもとに、実社会でいろいろな経験をして反芻してきた
本屋さんが廃れてしまっているそうだ
ネットもなんもない時代は、本、書物しか知識を得られなかった
いろんな本を読んで、考え、社会で実践して、挫折して、悩んで…
それらの本を書いた人たちは、もう、みんな逝ってしまった
もうどこにもいない
薄っぺらの感情、気持ち、思ったこと、感じたこと、すぐに消えてしまうそれら
まあ、長く残って、その人の人生を左右するものも
瞬間!感じてぶち当たってそのまんま、なりゆき任せでゆくのも
どのみちみんな、おしまいでおんなじだけど
自分としてはやっぱ読書によって、ページをめくって、脳に刻み付けられたもの
それを大事にしたい
いまは数万ページの書物が、こんなちっぽけなメモリに全部収まるらしい
爺はもう引っ込むだけ 今日は買い物に出たついでに、年賀状を買ってきた
もう数枚しかないので、これまで半日かけてやってきた
プリンターの復活、デザイン探し、印字の作業が面倒くさくなり既製品にした
来週、宛名と添え書きを書いて、ポストに投かん、それでおしまい
年々数が少なくなってきた
届かなくなったということは、入院したか亡くなったか、気力が失せたか
とにかくそれで、お互いの疎通もおしまいとなる
知り合いの中学の校長先生は、毎年数百枚も出してたそうだけど
その先生からの賀状も数年前に途絶えた
まあ、続けられる限りやってみよう、大した手間でもないし エサの時間だよ〜
今年のすずめは何度数えても20羽に満たない、18羽くらいだ
この近在のすずめなんだろうけど、やっぱり年々数が少なくなってるようだ
野生のすずめの寿命は3〜4年ということか
まあ、家にくれば冬でも腹いっぱいに食える
人や社会の役には立っていないが、すずめとネコの役には立っているはず
寒波が来ているらしく、風が冷たい もうこの時間にはすずめたちは集まっていて、エサが出てくるのを待ちわびている
お腹は特に減っているわけではない、朝からずいぶん食べているので
それでも決まった時間に来るのは、習慣だからだ
明け方、目が見えるようになると、ネグラから飛び出して
日中は、あっちこっちに移動して、エサをついばんだり
樹にとまって、休憩したり、みんなで雑談したりして過ごす
みんながさえずるときは、あれは、何をしゃべっているのだろう
誰かの喋りに対して合いの手を入れるように、全員が喋っている
ヒトにはわからない、すずめの世界があるのだろう わずか数枚だけど、今日は年賀状の宛名を書いた
添え書きは、また明日にする
数十年も会ってない相手に、いったい何を書いたら良いものか
去年届いたものを見て、なんとなく近況を想像してみたり
むかしの思い出を思い出したりして、書くべき数行をひねり出す
なんにも思い浮かばなければ「お元気ですか?その後いかがお過ごしですか?」
そんなものしか書きようがない
中には添え書きすらなく、両面印字のものが届くけど、あれは味気ない
一言くらいなんか書いたってバチが当たるまいに
人の話を聞くときは、メモを取るのが礼儀
年賀状を出すときは、一言なにか添えるのが礼儀
前者は、新入社員だったとき、社長が言ってたもので
それくらいしか得たものってないなあ、3年で辞めちゃったし ああ、食った食った
クリスマス、ローストチキン、日頃、すずめを可愛がりエサをやってるのに
鶏の肉を美味い美味いと食う、酷い矛盾、支離滅裂
永平寺や延暦寺などの坊さんが、精進料理ということで、動物由来のものは
一切、口にしない、それはなるほど、一理ある
でも、植物だって生きものですよね、生きているものをぶった斬って取って食う
動きが遅くて生きてるように見えないから、それはセーフ?
なんか、違う、生きものが生きものを食って生きている
それが真実、それが実態
じゃあ、どんどん殺して食って美味い美味いと喜べばいいじゃん
悩むことないよ、どんどん食え食え、美味いだろう?
自分の親や子が殺されて食われても、平気かね?美味いかね?
人が殺されて食われるのは平気だけど、自分にかかわるものがそうされるのは嫌
生きものが生きものを食って生きているけど
食うものは自分の家族じゃないからなんとも思わない
そうなんだ、それは本能だものな
いつまで経っても、そのトンネルから抜け出せない ニュースで年の瀬のアメ横とか人の賑わいを見ると
もう自分にはすっかり関係のない風景だ
電車に乗ることもないし、人混みと出会うこともない
せいぜい、買い物で半径数百メートル、自転車でうろつくくらいだ
外食もしない、誰とも接触しないから、コロナの騒ぎとも無縁
大昔に読んだ、井伏鱒二の山椒魚とおんなじ
違うのは、出たくても出られないのではなく、自分の意思で出ないこと
出家はしてないけど、在家の坊さん
そこいらの生臭よりも、よっぽど坊さん
夜な夜なキャバレーに出没することもない いよいよ年の瀬だ
ここ数年は、ご飯を食べるときしかテレビをつけず、観るのもニュース関連だけで
赤白歌合戦なるものも、確か中学生くらいまでは観ていた気がするけど
思えばとっくの昔から、いわゆる普通の人々のする生活パターンから
外れてしまっていたのだ
だから、人と話が合うわけもなく、いつも一人で、自分だけの世界に
生きてきたのだ
それでも生きて行くために、嫌々ながらもよくもまあ20年近く
社会人として働き続けてきたものだ、自分で感心する
その働いてきた時間以上の何もしない時間を、すでに生きてしまった
この先、どのくらい生きるのかわからないが
恐らく、死ぬ間際まで、こんな感じで過ごすのだろう 何で急にその一節を思い出したんだろうか?
誰が書いたのか、作者は誰だったか、探し当てるまでずいぶんと時間がかかった
書架からそれらしい文庫本を取り出して、ページを繰って、やっと見つけた
船山馨「稚情歌」
「きたない、きたない!」びっこになってしまった少女が吐き捨てる言葉
帰る先には、お銚子一本の酒をチビチビやりながら
自分の帰りを苛々しながら待つ、囲い主の老人…
救いようもない情景
汚いもの、醜いもの、救いがたい世の中
とっくの昔に読んで、忘れていた物語を、突然思い出すなんて
ヘンなことがあるものだ 家族が居たころは、年末年始は特別な時期で
年越しそば、お雑煮と餅、お節料理などなどが食卓の上にたくさん並んだ
家族がいなくなると、わざわざそうしたものを並べる必要もなくなり
普段と変わらない一日となった
家族というものがあってこそ、特別なものを用意するのだと今更気づく
寂しいか?と聞かれれば、確かに寂しいような気もするけど
わいわいがやがや賑やかな団らんも、やがて消えてしまうまぼろしと思うと
そんなものはかえって寂しくなるから、無い方がいいとも思える
自分はもともと一人でいる方が好きだったのだ
たとえ家族であっても、そばに居られると息苦しくなってしまうのだ
だからこうして一人だけで居られるいまが、ほんとうに居心地がよくしあわせだ
何の悩みも苦しみもない 灯油の残りが少なくなって、週末におじさんが来るまでもちそうにないので
チャリで近くのガソリンスタンドに少しだけ買いに行ってきた
もうスーパーもいつも通りやっていて、正月がお休みだったのは遠い昔
便利さを追求するあまり、風情が失われ、働く人々が辛い労働を強いられる
いやだいやだ、自分は働いてないからいいけど
自分だけ小ずるく社会の荒波を逃れ、こうしてのうのうと暮らしている
少し後ろめたい気がするけど、その分、欲望を追求することもなく
贅沢をするわけでもなく、生きものの喜びである子孫を残すこともしないので
それで勘弁してほしいと思うのだ 毎年必ず元旦に年賀状が来る人から、今年は来なかった
歳はもう80を超えているから、恐らく、入院でもしたか、亡くなったか
そのどちらかだろう、こうして、一人また一人と数が減ってゆく
こればっかりは順番だから、どうにも仕方がない
人それぞれ、いろんな人生があって、青春があって、家庭ができて、
子育てをして、やがて子供が巣立って、孫が生まれて、そして
歳を取って、この世を去ってゆく
死はまったく平等に、誰にも訪れる、当り前の話だ
一年前に母親を亡くした人に年賀状を書いた
もう一年経ったから、明るい話題を振ってみたのだけど
届いたものは、まだ引きずっている暗い内容、完全にずれていた
自分の死生観と人のそれは、違うものなんだ
人を相手にするときは、そのへんが難しい 今日は食器棚の奥から出てくる大量の食品類の処分!
母が生前買い込んでいたもので、賞味期限は05年から15年頃まで
寿司の素とかヒジキとかコンソメとかとにかく量が多く壮絶な闘いであった
戦時中に生きた母が常々言っていた、食べ物を捨てるなんてとんでもない!
それはそうだけど、もうとても食える代物ではない
断腸の思いで、燃えるゴミ、プラゴミと分別して捨てていった
戦争中のモノのない時代に育ったから、特売を見つけて目の色を変えて
買い貯めたものなんだろう
なんか懐かしいと同時に、すがすがしい気持ちになった
母や父の残した衣類は、まだ箪笥のなかに眠っていて
いつかやろうと思うのだけど、なんとなく億劫でそのままにしてある
もう少ししたら、本当にやろうと思う
その次は自分のものの処分、衣類や本類、本当に必要な身の回り品だけ残し
きれいさっぱり処分したい、でも、これももうちょっと先
子どもがいればあとはやってもらえるけど、すべて自分でやらねばならん 初七日がすんで、正月飾りを玄関から外した
稲穂が付いたやつなので、それだけ外して束ねてすずめに与えようとしたが
警戒して、なかなか近づかないでいる
いつもと違うものは要注意ということだろう
そのうちに、勇気のある者が少しずつ近づいてきて啄むはず
一番槍の勇者、それを見て、二番目三番目とやってくる
ファーストペンギンというのも、真っ先に決死の覚悟で飛び込む勇者を言うらしい
今日から相撲だ、若い頃はあんなに間の長い退屈なものはないと思っていたのに
いつの間にか、観るようになってしまった
今は亡き父も大好きだった
不思議なものだ 阪神淡路大震災から28年…
仕事をしていた頃、日系ブラジル人の人が国から安否確認の電話が
しつこくかかってきて大変だって言ってたな
みんな東京と大阪がどれだけ離れているか知らないから
もう28年か、そんなに時間が経っちゃったのか
時間といっても記憶のことだから、30年も昨日も、忘れていなければ同じだけど
そんなに経っちゃったんだなあ
とにかく、心臓が動いている限り生きてゆかなければならない
ものを見て、食って、糞をして、いまを生きている
すずめが二羽、エサを食べている
つがいだろな、冬が終われば、また繁殖の時期がはじまる
ただただ、いまを生きている、みんなおんなじ 相撲が始まると、晩酌・晩飯をやりながらテレビを観ている
ずっと観ていると、画面に映る観客の顔が自然に目にはいる
タレントや有名人なんかも、すぐに目に入る
今日、がんで入院したり退院したり、ブログで状況を報告している女優がいた
以前から旦那さんといっしょに観戦していたから、すぐわかった
容貌はまるで面影はなく、パンパンに膨らんで、頭に毛糸帽
抗がん剤でぜんぶ抜けちゃったんだろな
もう余命も幾ばくもあるまい
最期の思い出に、いっしょに観に来たんだろな
嫌なものを見てしまった
嫌だ嫌だ 久々に晴れて、外に干しっぱなしだった洗濯物が乾いた
お日様はありがたい
数日前に包丁で指を切ってしまい、不自由な時間を送っていたけど
やっとくっついた
ケガをしても、ちゃんと再生してくれる、これもありがたい
自然というものは、不思議なもので、こうして生を感じられる
やがて消えてなくなってしまうものだけど、それでもやっぱりありがたい そろそろ庭木にかけた巣箱を下して、中身を捨てて掛け直さないといけない
去年はシジュウカラの出入りする姿を一度も見なかったので
使われなかった、途中で放棄したのか、開けてみればわかるはず
今週やりたかったのだけど、指をケガしてしまい、予定が狂ってしまった
すずめをはじめとする、野鳥たちにエサをやり
夜中に人を叩き起こすネコにエサをやる
ヒトのためにはまったく何の役にもたっていないけど
彼らの役には立っている
万物斉同、太極から眺めれば、ヒトもトリも虫も微生物も
すべておなじことなのだから、少しはだれかの役に立てれば嬉しい
いま、メジロがみかんをつついている、もうすぐすずめのエサやりの時間だ ミドリガメは、もうずっと水の中に潜ったまま
水換えをしないから、青黒くなって、ポカポカ水藻もたくさん浮かんでいる
今度、ミドリガメを自然界に放流すると、罰則ができるらしい
心配なのは、自分とカメの寿命だ
自分が先に死ぬと、残された亀たちは、エサも貰えないし、水換えもしてもらえず
腐った泥沼のなかで、飢え死にしてしまうのではないかということ
30年前に隣人に押し付けられたまま世話をするはめになって
でも、30年も一緒にいると、亀とはいえ、家族のような気持にもなる
どうか自分より先に、あの世に逝っておくれ
なかなかそうは問屋が卸しそうもない
亀の寿命というのは、ほんとうに誰も知らないのだ 週が明けると、寒波がやってくるそうな
指の傷も治ったので、巣箱を掛け直したいと思う
中はどうなっていることやら
いつも中はきちんと藻や苔類や獣毛が層になって敷き詰められていて
巣作りの方法が彼らのDNAに刻まれて、誰に教わることもなく
ずっと引き継がれていることに感動する
一度、蜂が越冬していて、ギョッとしたこともあったけど
春になって、また使ってくれたら、ほんとうに嬉しい
大した作業でもない、ササッとやってしまおう 巣箱を下して屋根蓋を外し、中を覗いてみた
ほんの少し苔が敷いてあって、極く初期の段階で放棄されてしまったようだ
巣穴が小さ過ぎたのかも知れない、ヤスリで少し削って、27.7くらいに修正
28だとすずめが入る恐れがあるから、このくらいでいいのか
巣穴の径は、ほんとうにシビアで、わずかのことで命に直結する
今年は使ってくれるかどうか、まあ、のんびり観察してみよう なんですずめとかシジュウカラとか猫とか亀とかが好きで
人間は嫌いなんだろうか
自分も人間なのに
知恵を働かせる姿が嫌なのかも知れない
駆け引きとか打算とか利得とか算段とか
浅知恵、そんなことしたって、どのみち、おんなじことなのに
凄く醜くて嫌らしい、セレブとか、エリートとかタワマンとか…
そんなんで満足できる人たちがうらやましい
世の中のすべての富と権力と、あらゆるものが得られたとしても
自分は嬉しくもなんともないだろう
あたりまえだ
そんなものは、ただの、まぼろしにすぎないのだから
おもしろくもなんともない 大寒波
家の中で防寒着と防寒帽、そして電気毛布に防寒手袋
それにしても、すずめは元気だ、大勢で楽しそうにエサを啄んでいる
すぐ横にはメジロ、こっちはミカンしか食べない
みんな元気だ、寒さなんて関係ない
お、今度はシジュウカラ、シジュウカラはひまわりの種しか食べない
食べ物が競合しないから、喧嘩もしない
喧嘩をするのは同類同士での縄張り争い
すずめはみかんも食べる、メジロが食べるのを見て真似をするのだろう ずいぶん長いこと書き込みができなかった
特に悪さをしたこともないけれど、誰かの巻き添えを食ったのかも知れない
長い冬も終わり、いよいよ春がやってくる
ガジュマルの木は、新芽が地面から出てきた
何年も見ているけど、これははじめてのことだ
もっと大きくなったら、またひと回り大きな鉢に植え替えないといけない
命のいとなみがそこにあり、それは地球や宇宙のいとなみと同じものだ ぽかぽかの春の陽気
単車のエンジンは気持ちよくまわり、バイクが楽しい季節がまたきた
けれども、今度は花粉、鼻水がだらだらで、当分マスクは家の中でも外せない
なんだかんだで、季節がめぐり、時間が過ぎてゆく
まあ、家族もいないし、友達もいないから、別れの寂しさ哀しさもない
そこんとこだけは、ありがたい
去年芽が出なかったけど、マタタビの種がまだ残っているのでそろそろ蒔こう
今年は芽がちゃんと出るだろうか 暖かかったので、今日、マタタビの種を鉢に植えた
果たして、芽が出てくるのだろうか
ずっと昔、三島由紀夫の「行動学入門」というのを読んだ
確か2つ上の姉が持ってきたものだったと思う
1センチにも満たない厚さの文庫本
三部から成っていて、すべて「おわり」について書かれたもの
人生の終わり、この世の終わり、学校の終わり、恋愛の終わり…
プーチンが自分の死ともろとも、この地球をいっしょに終わらせてしまいたい
自分が死んだあとも、パチンコ屋が相変わらず、チンジャラチンジャラやっている
生は一回ポッキリのもので、何度もなんどもくりかえしてやっているのは
何度も繰り返すうちに芸がうまくなった、しがない旅芸人
わずか数日しか生きない虫も、樹齢数百年の巨木も、おんなじこと
何年生きたら気がすむことか!
僕が読んだ作家たちも、全員!みんな死んでしまった
いまの連中は読む気も起きない、あんまり当り前過ぎて、陳腐過ぎて
こうして、いま、酔っぱらって、良い気持ちで、いまを過ごしている ふと見ると、身体の小さいほうの亀が、甲羅干しをしている
とうとう春がやってきたのだ
のんきな顔で甲羅干し
世の中の出来事も、なんも知らず、暖かくなれば、毎年おなじように
水から出て来て日光浴
覆っていたビニールを撤去し、直接陽が当たるようにした
お久しぶり! 以前は、3時頃に集まってきてたすずめが
今は、2時頃に来るようになってしまった
せっかく来たのだから、エサをあげているけど
田んぼに稲が実るころになると、もう、やってこなくなる
自然にもっとうまいものがいっぱいあるからだろう
毎年おなじことを繰り返して、もう20年くらいにはなるのだろうか
穏やかで平和な毎日、苦しみも悩みもなんにもない 数か月ぶりに亀池の水換えをやった
水藻で緑色に濁った水、壁面を柄付きたわしで掃除し
ついでに甲羅にこびりついた汚れもゴシゴシ
いま、透明になった水から出て来て、二匹で甲羅干しをしている
こうして夕方陽が傾くまで甲羅干し
実にのんびりとした風景
狭くて窮屈かも知れないけど、その代わり、弱肉強食もなく
怖い思いをすることもなく、生きていられる
なかなか両方ともというわけにはゆかないのだ 2週間前に蒔いたマタタビ、見ると、1ミリくらいの小さい小さい芽がひとつ
地面から顔を出している
これは、ほんとうにマタタビなのか?ほかに蒔いてないのでそうなのだろう
それにしても、30粒近く蒔いて、たったのひとつとは
これからもって増えるのだろうか
よくわからんが、ひとつ楽しみができてよかった すずめたちは、あんなに喜んで啄んでいたエサも残して去ってゆくようになった
そろそろエサやりも終わりだ
野に美味しいものがいっぱいあるのだろう
今度は子どもを連れてくる5月ごろに、雛たちが食べやすいパン粉
毎年おんなじことをやっている
でも、年々すずめの数が少なくなっているのを感じる
十年くらい前は、冬場は40羽も来ていたが、いまでは多くてその半分
日中暖かいので、マタタビの鉢を外に出している
大きくなるといいのだけど
本当にマタタビなのか半信半疑、どこからか風に乗ってやってきた草かも マタタビを、外に出して陽に当てたり、水をやったりしていたのだが
どういうものか、芽が消えてしまった…
余計なことをしてしまったのか
植物というものは、ヒトが思う以上に繊細で、手を加えたとたんに
死んでしまうこともある
前にも、ひと回り大きな鉢に植え替えたとたん、枯れてしまったことがある
またやってしまったかも、ひとまず様子見 今日は気温が20度を超え、シャツ一枚でも過ごせる暖かさ
冬中着潰したセーターどもを一斉に洗ってしまった
毛糸用洗剤で手洗いし、脱水機にかけ、今度は真水で手もみし、また脱水
ところどころに継ぎはぎだらけ、まさに、ボロ
衣類に頓着しないので、ボロでも平気で着ちゃう
また来年、寒くなったら、押し入れから出してくる
侍は、ボロは着てても、刀だけは確りしたものを持たねばならん
むかし読んだ物語の一節を思い出しながら
お、すずめたちがまた集まってきた、そろそろエサの時間 一所懸命勉強して、いい大学行って、いい会社に入って…
そんなのが当り前なのに、あんた、なんでそんなバカやってんの?
そんなんで身を粉にしてやって、疲れて、病気になって、死んじゃうよ
あんたバカ?
そういう考え方を紀元前からしてた、荘子という人
すごいなあ
そんなもんを勉強した者に、就職先はないw 当り前だ
法学部経済学部商学部とか、実務に有利になろうとみんな選ぶのに、文学部w
はじめっから就職する気ないねw
でも、あのとき、先生が言った言葉、いまもよく覚えてる
「文学部は、文章が書けるか語学ができるか、それしかないよ、でも
文学部を出たからと言って、飢え死にしたという話も聞かないから
まあ、みんな、なんとかやってるんじゃないのかなぁ…」
ほんと、その通りw
お陰様で、いまでは、安心立命、悠々自適の無職者w
ありがとう、へんなもの勉強しないでよかった また救急車のサイレンが鳴っている
今日もまた人が死んでいるのだろう
高齢の両親がいたころには何回もお世話になりました
今日は一日雨で冬が舞い戻ったように寒い
でも、灯油売りのおじさんは、冬の営業が終わり、もうやってこない
マタタビはとうとう芽が出なかった
去年もダメだったから、種自体に問題があったのかも知れない
あいかわらず、夜中から明け方にかけて、ネコはやってくるし
いまもシジュウカラのつがいがヒマワリを啄んでいった
平穏な日常生活を過ごしている 般若心経をこころのお守りにしている
夢の中でも唱えて、ついでに、文字も起こしているけれど
いつの間にか、文字を忘れてしまい、往生する
なんでこんなものが思い出せないのか、不思議に思う
おとといは、菩提のボの字と乃至が出て来なかった
難しい字は意外に覚えていて、阿耨多羅三藐三菩提のノクミャクとか羯諦
は忘れておらず、夢の中のでも出てくるのだけど
菩薩を忘れるのでは洒落にならん
身に染みて覚えていないからだろう 夕方、雨戸をしめるときふと見ると、果林が花を咲かせていた
一昨日に見たときは、花の兆しすらなかったのだけど
鮮やかなピンクの花が5つも6つも開いている
不思議だ、本当に突然に、突然に開花するものなのだ
桜の咲くときに、開くのは知っていたけど、ほんとうに、同時に咲くのだな
自然のサイクルにしたがって、きちんと毎年、花が咲く
いのちのいとなみだ ほんとうに、一週間がウソのように早く過ぎてゆく
今日はもう水曜日、木金の次は、また、土曜日、信じられないくらいの早さ
朝、4時頃に起き出して、朝ごはんを作って食べて
ネットをやって、8時頃に、お皿を洗い、10時に昼ご飯の支度をして食べて
11時から昼寝、12時頃に目が覚めて、またネットをして、13時頃に
お皿を洗い、また、ネットをして、買い物に出かけ、相撲があるときは観て
16時頃から、晩ご飯の支度、テレビを観ながら、晩酌と晩ご飯
18時には食べ終わり、そのあと、ネットか録画を見て、お皿を洗い
お風呂のある日はお風呂に入り、そのあとは20時から21時までネット
ちびちびやりながら、眠くなったら、歯をみがいて、それで布団にもぐりこむ
毎日毎日毎日毎日、まったく、判で捺したような生活
多分、5年先も、10年先も、15年先も、20年先も
おんなじような毎日を過ごしていることだろう
苦労も悩みも苦しみも、なんにもない、時の流れと一体化した日々
まあ、しあわせということなんだろう マタタビは芽が出なかったけれど、代わりに小鳥のエサの中に入っている
カナリアシードを10粒ほど20日に蒔いたところ
もうニョキニョキ目が出てきた、恐るべき生命力
もっと大きくなったら大きな鉢に植え替えてみよう
秋ごろ実がなったら、すずめたちに全滅させられるのだろうが、面白そうだ
ネコも相変わらず、夜中に来て、朝方また来て、エサを食べてゆく
ニャーの声ひとつ聞かせてくれないけど お隣の広い敷地にサクラがたくさん植わっている
誰も人が訪れる人がいないから、この時期は、いつも独り占めで眺めている
満開だけど、そろそろ、ハラハラ散りはじめた
満開のサクラとすずめたち、ヒトは誰もいない
お花見を理由に、大勢のヒトが集まって飲んで騒ぐようだけど
要するに、花を見るわけではなく、集まって騒ぐ理由が必要なのだ
大昔、まだ魚だったころの、群れたい本能が残っているのだろう
中には、群れたくないはぐれ者もいて、それが自分だ 今日は亀池の水換えをやった
エサを食べなくても、1か月もすると、水が緑色に濁ってしまい
甲羅にも汚れがこびりついてしまう
池の壁面に着いた苔を柄付きたわしでゴシゴシ掃除し、ついでに
亀の甲羅もゴシゴシ磨いてやる
餌を食べ始めると、糞の汚れで、3〜4日で水換えをしないといけない
毎年おんなじ作業をして、もう、かれこれ30年になる!
ほんとうに、時間が止まっているようにも思える
10年後20年後も、おんなじ作業をしているのだろうか 今日もまた明け方から救急車のサイレンが聞こえてくる
毎日4〜5台は聞こえてくる、大勢の人があの世へ旅立っているのだろう
なんとか悩みや苦しみのないものになりたくてなりたくて
本をいっぱい読んだり、実社会でいろいろ学んだりして
四苦八苦してきて、40を幾つか過ぎた頃だろうか
ある日突然、パアっと目の前がひらけて、とてつもなく満ち足りた気持ちになった
すべてのものは移り変わる
頭ではわかっていても、お腹の中にはなかなか入ってこなかったもの
それが、すとんと腑に落ちた、お腹の中に入ったのだ
納棺夫の青木新門さんも、ある日すとんとお腹に入ったと言ってたな
コロナで死んでしまったけど ラーメン屋さん
気に入った味のラーメン屋さん
そういう店に出会うのはとても難しい
ほとんどが、一回いったらそれでおしまいとなる
たくさんの地雷を踏んで、ようやっとめぐり合ったお店も
店主が亡くなったり、高齢化で閉店したり、事情があってやめたり
そうなると、もう次を探すのも面倒くさくて
もう何年も食べてないなあ、ふつうのなつかしいラーメン 人が嫌いで誰とも付き合わないので、スマホなるものも持っていない
スマホどころか携帯すら持ったこともない
大昔、外回りの仕事をしていたとき、監視用にポケベルを持たされたくらい
ほんと、冗談じゃない、ずけずけと人のプライバシーにまで踏み込んできて
ただ、パソコンだけは随分古くから触れている
恐らく、日本人の中でも、最も早い時期に触れた分類に入るだろう
でも、仕事を辞めて、社会生活も辞めてしまい、いまでは
電車に乗るのも一苦労、キップを買っても、乗り換えでドアがバタン!と
閉じるのではないかという恐怖にいつも襲われる
完全に浦島太郎だけど、こころはしあわせだ 夜中の1時半頃、いつもの猫が爪とぎをしてエサをねだる
軒先に出して床に就くと、いつもと違って大きな音がする
枕越しにみると、大きな物体がエサを食べている
タヌキだ
エサを横取りされた猫はどこかへ逃げてしまった
4時頃再びやってきたからまた軒先に出しておいた
タヌキも夜中に巡回しているのだろう
人が寝ている夜中は、夜走獣たちの別世界 タヌキではなくネコだった
夜中にまたいつもの猫が来たので軒先にエサを出し、ついでにトイレに行くと
なにやら争う物音が聞こえてきた
またタヌキでも来たのかなと思ったが、そのまま床に就く
枕越しに外の様子をみると、その物体は大きな猫だった
こんなに大きい猫っているんだろうかと思うほど巨大で
頭から尻尾の先まで70センチはありそう
エサを与えれば、ネコが集まってくるに決まっている
弱肉強食の自然界、ちっちゃいネコは逃げるしかない 急に寒さが戻って来て、朝から電気ひざ掛けをして暖を取っている
ねんねこを洗濯してしまったので、仕方なくジャンパーを羽織っている
今夜は布団一枚だと寒いかも知れない
なんか変てこな陽気だ
特に身体の不調もなく、悩みも苦しみもなく、日々平穏な毎日を
お陰様で過ごさせていただいているけど、唯一悩みみたいなものがあるとすれば
それは、退屈
世の中には、悩みと苦しみだらけの人が大勢いるんだろうに
実に贅沢なことである さっき、横眼の視界になにか動物が入って来たので
窓の外を眺めると、タヌキが歩いていた
これは本物のタヌキだ、夜中だけではなく、昼間も徘徊しているのだな
窓の外には、いろいろな生きものがやってくる
いまはスズメが来ている、ヘビがにょろりとフェンスを伝わっていたこともあった
ねずみもいたこともあったが、猫に食われたのか最近はみない
最近、異常に腹が出っ張っているのに気付いた
冬場の厚着で気がつかなかったけど、相撲みたいになっている
食い過ぎと運動不足、実に醜怪な腹だ
食う量を少し減らそう 今日は、背が伸び過ぎて、上の方に陽が届かなくなったガジュマルを床に下した
100円ショップで面白半分に買った樹は、数年間はほとんど陽の差さないところで
じっとしていたが、南側に移すと、すくすく伸びはじめ
いまでは軽く1メートルを超えてしまった
室内でこれだから、外で育てたら、どのくらい大きくなるのか
淳ちゃんが、樹の上で寝そべることができるほど大きくなるのだ
この日本ではそんなにのんびりできる場所はない
せいぜいあと20年くらいの命だけど、とにかく今を生きている 明け方4時頃、軒先で爪とぎの音がするので
寝ぼけまなこで、いつものようにエサを出すと、威嚇する声がする
よく見ると、いつものネコではなく、どうやら先日もやってきた巨大ネコらしい
威嚇はするけど逃げないので、そのままエサを出してやった
なんかお客がまた一匹増えたかも知れない
以前は、一日に3〜4匹来ることもあったけど、少しずつ減って
最近はずっと一匹だけだったのだけど
まあ、来るものは拒まず、諸行無常、浮世の出来事 春が来て、野山にいっぱいエサがあるのだろう
すずめもシジュウカラもカワラヒワもヒヨドリもキジバトも
ほとんどやってこなくなった
今度やってくるのは5月過ぎ、すずめが雛を連れてくる頃だ
探さなくてもすぐにエサが得られるならば、子育てにもってこい
毎年おんなじ風景が繰り広げられている
ネコは朝方にやってくるようになった
夜中に怖い思いをしたのだろうか、自然界はちゃんとうまくできている 何気なく巣箱を眺めてみたら、何者かが中に入っていった
しばらく見ていると、何者かが出ていった
どうやら、今年はシジュウカラが巣を使ってくれるみたいだ
そういえば昨日の夕方、雨戸を閉めに外に出ると、大きな声でツーピーが聞こえた
見張りの一羽の警戒音だったのだろう
もし使ってくれるなら、これから巣立ちまでの一か月は、たまたま眺めたときに
巣と外を往復する様子が見られることだろう
巣穴を少し拡げたのがよかったのかもしれない
ひとつ楽しみができた 時々巣箱を見上げるのだけど、あれ以来、一度も姿が見えない
まだ抱卵が始まっていないのか、使うのをやめてしまったのか
雛が孵れば、エサやりが忙しくなるから、頻繁に出入りするはずだけど
まあ、ちょっと様子をみよう
亀の方は、いつも産卵する一匹が、もう盛んに泳ぎはじめている
産卵行動の一種なのだけど、今年は少し早い気がする
春は生きものたちにとって、繁殖の季節
産みの苦しみと言うけれど、苦楽は表裏一体なのだ 今日はシジュウカラが巣箱に出入りするところが見えた
どうやら気に入って使ってくれているようだ
穴のサイズを少し修正したのがよかったらしい
うれしい
卵から雛が孵って、育って巣立つまで、3週間くらいかかるのだろうか
席を立つたびに、窓際に行って、様子を眺める
そんな楽しみができた コンコンコンコン…
なんか、外で音がする、お隣さんが突然大工仕事でも始めたんかな?
窓から外をうかがうと、カラス!
カラスがシジュウカラの巣箱の上に乗っかって、屋根をつついていたのだ
生まれたての柔らかい雛たちは、この上もないご馳走なんだろう
そう言えば、数年前も、音がして見ると、カラスが屋根を叩いていて
吊るした紐を食い破って、巣箱がぷらんぷらんになっていたこともあったっけ
慌てて補修して、中にいた巣立つ直前の雛数羽を救ったこともあった
恐ろしい恐ろしい、弱肉強食の自然界
カラスというのは、犯行現場を見られたら、もう二度と姿を見せない
もの凄い学習能力がある生きものだ
うちで巣箱を設けた以上は、巣立つまで、見守る義務があるのだ カラスで思い出したけど
むかし、チャリで買い物に行く途中、カラスがツバメの雛をさらうのを見た
ツバメは初心者なのか、巣を迂闊にマンションの軒下にかけたら
カラスが襲って、中の雛をさらっていった
飛び去ってゆくカラスを、ツバメの親鳥が狂ったように、後を追っていたっけ
子どもを失う親の悲しみは、あんな小鳥にもあるんだ…
いつまでもいつまでも、諦めずに後を追いかけてゆく
親鳥のあの光景が頭に残っている 気温が上がったり下がったり、今日はまた少し寒く
ねんねこを着てひざ掛けをして、足には冬用の毛糸の履物
前日と10度も違ったりすると、調節が大変になる
いつも思うけど、自分はせっかちで、早目に衣替えをやり
洗って仕舞いこんでしまう癖があり、後でもう少し待てばよかったと後悔する
そろそろ寿命かなと、死に支度をしたのはよいけど
中々死なずに往生する、そんな姿が予測される
今後はいったん思いとどまり、少しだらだらしておこうと思う よく降る雨だこと
天気予報を見ると、夕方頃にはあがるみたいだけど
親父が死んで7年、お袋が死んで間もなく4年
ちょくちょく夢に出てくるから、さびしいという気持ちもまったくない
二人とも最後まできちんと世話をしたから、悔いというのもまったくない
お袋は最後は病院で、看取ることはできなかったけれど
死ぬ前の日だったか、スポンジに水を含ませてたくさん水を飲ませてあげた
病院は、所詮他人だから、細かい世話など望むべくもない
喉が渇いたろうとか、思いやってくれることもなかったのだろう
ゴクゴク凄い勢いで水をすすっていたっけ
もう4年になるのか
まだいいか、まだいいかで、二人の衣類なども、そのまんまにしてある
いずれ自分の終活で、ぜんぶ片付けないといけないのだけど すずめやシジュウカラなどに混じって、キジバトもやってくるのだけど
ここ一週間くらい、すごく人懐っこい子がいて
まるで逃げようともせず、手から直接エサを食べる距離まで近づいている
敵意がないことが、ちゃんとわかっているのだろうか
ハトには思い出があって、中学生の頃、飼っていたことがある
引っ越しでも一緒に連れてきたけれど、隣人が子供がうまれたばかりで
羽毛が害になるみたいなクレームがあって、遠くの山に泣く泣く置いてきた
それでも、一羽は戻ってきたのだけど、小屋に入れてやるわけにもゆかず
そのうちどこかへ去って行った
ハトを捨てたということが、ずっとこころの中に傷として残っていて
それが今日、野鳥にエサをやる動機につながっているのだろう
贖罪の意味で 朝のうちに亀池の水換えをやり、ついでに甲羅をゴシゴシ磨いてやった
いま、二匹仲良く、甲羅干しをしている
夕方までずっと甲羅を干して、ビタミンDを補給
気温がまだ20度付近だと、あまり食欲がないみたい
爆食がはじまると、3日に一度は水換えとなるので忙しくなるが
去年太いホースを調達したので、排水の時間が短縮できてうれしい 子どもの頃から集めてきた小銭たち
昭和33年の十円玉とか穴の開いてない五円玉
聖徳太子の五千円札に伊藤博文の千円札など
他にも古銭だの切手類だのが多少ある
または、古い写真、親父がお袋がまだ子供だった頃から若かった頃の写真
そういったものを引き継いでくれる人がいないこと
そんなときに、たまらなく寂しい気持ちが起こってくる
自分のものもある、小さい頃の写真、卒業アルバム、通信簿
家具とか工具とかいろいろなガラクタ類も、すべて自分で処分しないといけない
悟ったようなことを言っても、寂しさや物惜しさは、なかなか消せない
ひとり、好き勝手にやってきて、生きものの義務である子孫を残さなかった「罰」
それを甘んじて受けなければならない
気の重いことだ いますずめの親鳥が雛二羽に口移しにエサを食べさせている
巣立ちが終わって、エサを食べる訓練
子どもは二羽だけだろうか
すずめの世界も少子化が進んでいるという話を聞いたことがあるけど
シジュウカラの巣立ちもそろそろだろうか
そうやって親鳥と一緒に過ごし、やがて、自分で食べられるようになると
親離れ子離れで、もう二度と一緒に過ごすことはない
儚い世界 親鳥が一生懸命子供の世話をする姿
それこそ寝食を忘れて、必死になってエサを食べさせる姿は
生きものの本質をあらわしている
親にとっての子供は、このうえのない大切な命であり
これ以上のものがない、絶対のもの、ウソいつわりのない愛であり真理だ
毎年、いいものを見せてくれてありがとう ほんとうによく降る雨だこと
まだ時期が早いのだろうか、今年は、すずめの子供をほとんど見ない
気候が不順なのか、それとも、なにか自然界に異変が起こっているのか
自分も風邪を引いてしまい、足には防寒具を履きひざ掛けとジャンパー
冬の恰好をしている
ちょっと寒いなと感じたら、横着せずに厚着をして対策すれば
風邪などひかないのに、油断だ
今日からまた相撲がはじまった、贔屓の力士も引退してしまい
ただ惰性で観ているだけ 今年生まれた二羽のすずめたち
ひとりでエサも食べられるようになり、親鳥の姿がみえない
自分で食べられるようになれば、もう二度と親と一緒に暮らすことはない
このまま無事に育ってゆけば、今度は自分が親となり
子どもたちにエサを与える番になる
野生のすずめの寿命は、4〜5年らしい
途中で敵に襲われて死ぬことも多い
実に儚く短い一生だ こう連日気温差があると、身体がおかしくなってしまう
昨日は冬で今日は真夏、朝は寒くて昼は猛暑
実際に身をもって体験してみると、地球温暖化というものが深刻な事態だと知る
自分は、あんまり先が長くないから、どうでもいいけど
これからここで生きて行く子どもたちは大変だ
すずめの数が減っているのも実感する
地球はあと100年もしたら、地獄と化しているのかも知れない 巣箱を見上げると、シジュウカラが屋根に乗ってエサを咥えている
すると、中から子どもが一羽出て来た
ちょうど巣立ちに出くわしたようだ
しばらく観ていたが、もう出て来ない、恐らく最後の一羽だったのだろう
何年もずっと巣箱を掛けてきたが、巣立ちを見たことがなかった
偶然、目撃することができたわけだ
これで今年の巣箱の役目が終了
穴を調整したのが良かった 花が咲く
名もない草花でも、開花する時期があって、ひっそりと咲いている
ふと見ると、庭木が小さな白い花を咲かせている
名前はよく知らないが、多分、トウネズミモチだと思う
自分や家人の植えたものではなく、いつの間にか、育ってきて
放っておいたら、大きくなった
恐らく、ヒヨドリかなんかが実を食べて、それが糞として排泄され
自然に生えてきた
植物というのは、ほんとうに不思議な生きものだ 今日はまた昨日に比べて10度も気温が低く
ひざ掛けを出してきて、足元を温めている
ふと巣箱を見ると、シジュウカラが出入りしている
先日、雛が巣立ったと思ったのは、勘違いだったようだ
まだ出入りしているということは、中に子供たちがいるということだ
気候が不順で、いつもと勝手がちがうのだろうか
それにしても、今年は本当にすずめが少ない
世の中どうなってしまっているのだろうか さっき親鳥のあとについてきて
羽をばたばたさせているシジュウカラの子が来た
どうやら今度はほんとうに巣立ったようだ
うちの巣箱で生まれた子だ
無事に大人になれて、次の子孫を残せるものは、いくらもいない
そんな過酷な弱肉強食世界が待っている
自分は、ここへくればエサがある、そんな場所を提供するだけ 雨戸を開けると亀が産卵壺の穴を掘っている
例年6月中旬に産卵をはじめるけれども、今年はちょっと早く
ほとんど産卵行動も見られなかったので、ちょっと驚いている
いまも掘り続けているけれど、果たして産卵するのだろうか
今年は亀の行動も去年までとは少し異なっている 今朝もまた亀が穴を掘っている
昨日は結局産卵せず、水に戻ってしまい、バーミキュレートを埋め戻した
今日は産むのだどうだか、自然に任せるのみ
排水弁が作動せず、ずっと手動で閉めていた洗濯機
とうとう今度は脱水機構が壊れてしまった
あとで覗いてみるけど、本当に寿命かも知れない
家電にも寿命がある 3日連続で穴掘りをしている
なかなか卵が降りてこないのだろうか
産みの苦しみというけれど、苦と楽は表裏一体のもの
産みの苦しみを経て、子どもを愛おしむ喜びがある
天気がすぐれない、このまま梅雨入りとなるのか とうとう亀が産卵した、穴を掘り続けて4日目
たぶんまた7〜8個は産んでるだろう
あす生ゴミと一緒に出してしまおう
もう30歳を過ぎているのに、毎年30個くらい産むから
これが自然界で野放しされていたら、どのくらいの数に膨れ上がるのか
二匹ともメスなのに、産むのは一匹だけ
もう一匹は疑似夫婦でオス化してしまうのだろうか、不思議だ 卵を掘り出してみると、合計11個、1個は殻が破れて中身が出ている
全部水洗いして土を落とし、ビニール袋の中へ
無精卵だから、孵化はしない、本日、燃えるゴミとして処分
産卵を終えた亀に元気をつけようと、昨日は、中トロの刺身を与えた
最近、本来の亀のエサや猫のエサは、見向きもしなくなってしまった
エビとかカニカマを食わせ過ぎたのが悪かった
いま、対策を考え中 やらない理由を探し続けて、はや5年!
今日はほんとにほんとに本当に意を決して、バイクをいじった
フトントフォークのオイルが滲むようになって、だましだましきたけど
道具をそろえたり、パーツを買い整えたり、準備は万端、あとはやるだけ
それなのに、面倒くさいやらなんやら、できない理由、やらない理由をみつけては
ずっと先延ばしにしてきた
朝からはじめて、終わったのはもう夕方5時過ぎ
プロがやればものの15分くらいの作業を、素人がやると一日仕事
途中、腕がつったり足がつったり、手順を間違えてやりなおしたり
まあ、とにかく、終わった、ちゃんと走るかはギモンだが
気持ちのいい汗をかいた、達成感、今夜はよく眠れそうだ たまに労働をすると、興奮してしまい
ゆうべはとうとう殆ど眠れぬまま、うつらうつら過ごしていた
今日は、全身筋肉痛
日々、無為徒食の生活を続けていると、たまの作業でも、身に滲みる
…
生エサばかりを食べさせて、偏食になってしまったかと心配していたけど
亀のエサ、ネコのエサなどの、カリカリも、亀たちは喜んで食べてくれた
ヒトが想うほど、亀は利口でも賢くもなく、お腹が空けば、目の前のエサを
バクバク食べる、ただ、それだけのことなんだ
6月に入ったばかりなのに、今日は暑かった
これからもっと暑くなる、夏を越せない人も大勢でてくるんだろな
心配する人が誰もいないのは、案外、幸せなことかもしれない だいぶ水が汚れてきたので、今日は亀池の水換えをやった
去年、太いホースを一本追加したので、排水がぐんぐん捗り、みるみる空っぽになる
こんなに早く済むなら、これからは、ちょっと汚れたらちょくちょくやってやろう
甲長25センチの大亀ともなると、カルキ入りの水道水でもなんともない
ついでのタワシでごしごし甲羅をこすってやるのだけど
やっぱ皮膚だから多少はくすぐったいとかあるのだろうか
また台風がきているらしい 長い雨がようやくあがったと思ったら、今度は大変な猛暑がやってきた
そろそろ倉庫から扇風機を出してこないといけない
ついこの間、掃除をして仕舞ったはずだけど
毎日無為徒食を繰り返しているせいか、時が過ぎるのがひどく早く感じる
こんな調子で、5年10年15年20年が過ぎてゆき
やがてお迎えがくるのだろう
うちの地域も8月末でADSLが終了となるそうで
そろそろ次の手段を考えないといけない
パソコン通信からはじまってインターネット、ADSLときて
次は光になるのか、このパソコンも世代もない頃の代物だから
ついでに買い換えたほうがいいかも知れない、無論中古だけど また亀池の水換えをやった
エサをよく食べるようになると、一週間で水が濁ってドブ臭くて耐えられない
きれいな水だと、亀も気持ちがいいのだろう
梯子段の下にもぐって、甲羅でぶつけたり、持ち上げたりして遊ぶ
甲羅が痒いのかも知れない
そんなに喜ぶなら、ちょくちょく取り換えてやりたい 亀がまた活発に動き出した
今年2回目の産卵行動だ
お腹の中は卵だらけになっているのだろう、苦しくて苦しくて暴れる
やがて産み落として、一段落し、しばらくすると3回目の産卵
30歳を過ぎているのに、いったいいつまで産卵するつもりなのか
これが卵を産まなくなれば、いよいよ、高齢になったと判るのだけれど
亀の寿命というのは、ほんとうに誰にも判らない 刺身を買ってきたので、今晩は炊きたてのご飯で食べよう
刺身とくれば、当然、亀たちにもあげないといけない
狂ったように食いつく、ちょうど今朝、池の水も取り換えたから
ちょうど良かった
メタボの亀たちだけど、30年以上生きているので、大した問題ではないのだろう
亀とネコとすずめとシジュウカラとカワラヒワ
そんな動物たちに囲まれて、のんびりと棲息している 亀は、昨日に続いて今日も穴掘り
掘っても、卵が下りて来ず、そのまま水に帰ってしまうことがある
掘った土を埋め戻しておくと、またやってきて掘りはじめる
それの繰り返しだ
窓の外を眺めると、今年生まれたすずめたち
もう自分でエサを食べられるようになった
親鳥はもういない 穴掘り3日目、白いものが見えるから、いま、産卵の真っ最中
今回も10個くらい産むのだろうか
産みの苦しみというけど、亀もやっぱりお産は苦しいのだろうか
今回もお疲れさま 掘り返して数えると、12個産んでいた
軽く水洗いして、次回の生ごみの日に捨てる
あんなにたくさんの卵が腹の中に詰まっていて、苦しかったろうに
先日買った中とろがまだ残っていたので、これとエビを細かく刻んで与えた
狂ったように貪り食うさまは、餓鬼の如し
よほど美味いのだろう
今年はあと一回くらい産むのだろうか 明日で6月も終わり、今年ももう半分終わってしまった
今日は、倉庫から扇風機を出してきた
また秋までお世話になります
暑い暑いと騒いでいるうちに、7月も終わり8月も終わり、またすぐ師走となる
毎日おんなじことを繰り返しているうちに、時間ばかりが過ぎてゆく
でも、誰にも何も強いられない、約束もない、そんな時間が幸せだ
ビールに枝豆、そして、夏でも鍋 いままで殆ど産卵行動をしてこなかったもう一匹が暴れだしている
そんなことってあるのだろうか
もともとメスだから、卵を産むのは当たり前なのだけど
一度も産卵したこともないし、壺を使ったこともないから
とても産めるとは思えない
どうしようもなくなって、水の中で産んでしまうのだろうか
生きものが苦しんでいる姿をみると、こっちまで苦しくなってしまう
もう一匹は今年二度産卵して、隣で涼しい顔をしている、我関せず 亀にもおつむの優劣がある
毎年産卵する子は、とても賢くて、人が作った産卵壺をちゃんと利用して
そこで産卵する
いっぽう、もう一匹の子は、総身に知恵はまわりかねというのか
図体が大きい割に、あまり賢くはなく、ボーッとしている
恐らく、この子は、産卵壺を利用しようという知恵はないだろう
こればっかりは、仕方ない、なるようになるしか
なるようになるしかないのは、すべてそうなのだけど
人にできるのは、ただ祈るだけだ もう一匹も産卵行動をはじめた
二匹揃って暴れている
こっちは、毎回産卵壺を使うから、あんまり心配はしていない
もう一匹は、その経験がないし、恐らく知恵もないので心配だ
生きものが苦しんでいるさまを見るのは、気持ちが重くなる
なんとかならないものか 小さいほうの亀がまた産卵した
壺が水の中に落ちてしまい、中身が全部池にまかれて大変なことに
全部水を抜いて、いま給水中、卵は8個あった、今年累計31個
この子は、心配していないけど、でかい方が心配
お腹の中は卵がらけで、もう食欲もない
壺で産む頭がなかろうから、水の中で産んでしまうかしかない
可哀想だけど、見守るしかない 産みの苦しみ、四苦八苦
産卵を終えた子亀のために、今日は、刺身を買ってきた
子亀は、貪るように喜んで食いついた
一方、大亀の方は、口元に置いても、臭いを嗅ぐだけで、食べない
食べたくても、お腹がいっぱいで、中に入らないのだ
腹の中は、卵で満杯
産めるような、広い庭、野山があるなら、いいのだけど
郊外のちっぽけな家では、望むべくもない
早く、水の中でもなんでも、産んでしまって、楽になって欲しいけど
命を次につなげる本能は、みすみす死んでしまう環境での産卵を許さない
自然界は、過酷だ 相変わらずデカ子のほうが暴れている
どこか場所を移したとしても、結局、おなじことだと思う
なんとか、お腹の中の卵を排出してしまうまでは収まるまい
苦しんでいる子がいると、たとえそれが亀であっても、こっちも苦しい
実に気が重い まだまだデカ子が大暴れして苦しんでいる
陣痛というものはほんとうに痛くて苦しいらしい
チビ子のほうは、そのたびに、さっさと産卵壺で穴を掘り産卵してサッパリする
人間とおんなじで、智恵のまわる、要領のいい者は
あまり苦しむこともなく、すんなりと人生を歩んでゆき
要領の悪い、智恵のない者は、無間地獄のように、いつまでも苦しむ
それが生命の実相だから、どうしょうもない 昨日の夜中は暑かったなあ
今年一番暑かった
窓を開けて風を通しても、じわじわ汗がにじみ出るので、扇風機を
風が直接かからないように少し上むきにして朝まで回したけどほとんど効果なし
今夜も暑そう、暑いと食欲もなくなって、体重が少し落ちて、それはそれで嬉しい
地球の温暖化と言われているけど、ほんとうに、この先どうなってゆくのか
あと数十年後には、とても人が住めなくなるかも知れない
自分はもういないけど
今年生まれたすずめの兄弟が、羽を伸ばして遊んでいる
子や孫がいないから、そのへん、心配の度合いが人よりも少なくてすむけど 昨夜は、身の危険を感じる暑さで、クーラーをつけて床に就いた
でも、背中がぞわぞわする感じで、どうもよく眠れない
結局、夜中に止めて、窓をあけて自然の風が入るようにした
それでも、数時間涼んだおかげで、身体が元に戻った
ほんとうに、異常な暑さ、コロナもあって、いったい、どれくらい
ぎょうさんの人が死んだことだろうか
まさか、自分の代で末世を実感できるとは思わなかった デカ子が、産卵壺の中を後ろ足で掘り始めている
知恵遅れの子かと思っていたけど、本能にしたがった行動を取っている
30数年生きて来て、初めての行動、きちんと産卵できるのか
それにしても、ほっとした、誰に教わったわけでもなく
自然は、生命に、本能にしたがった行為を行わせるのだ
よかったよかった いま産卵が終わった
埋め戻し中、おせっかいでいつも手伝ってしまう
ここずっと、何も食べてなかったから、あとで刺身でもたべさせてあげよう
とにかく、一回でも、産卵をやってしまえば、たぶん
今後もおんなじようにできるはず
とりあえず、良かった 朝、雨戸を開けてふと地面を見ると、小さいギザギザの葉っぱが生えている
はて?そんなものを植えた覚えはないが、これはヒイラギに似ている
お盆の時に、玄関先でそなえているのを何回か見たことがある
野鳥がどこからか運んで来たのだろうか
まあ、自然に生えたものだから、自然に育つがよかろう
デカ子は卵を5つ産んでいた。初産だからか、ちょっと少ない気がする
毎年、30個も産むにしては、5個とは
もう暴れておらず、二匹仲良く甲羅干しをしている
今年の産卵は、もうおしまいだろうか え?
今後はチビ子がまた産卵行動、今年すでに31個産んだのだけど
年4回となると、これは新記録になる
恐ろしい、亀の生態なんて、実はなにも知らないのだ チビ子がいま産卵壺で穴掘り中
年間最多記録を間もなく更新する予定
亀の身体とは、いったいどうなってるのか 穴は掘ったけど、産卵はせず、水に戻ってしまった
掘った穴は埋め戻し、まあ、ちょくちょくあることだ
なんか暑くて、ここんとこは、お昼はくだものしか食べられない
一日二食生活、体重が少し減った、ネコも暑いせいか、毎日は来なくなった 二日続けて、朝から穴は掘ったけど、産卵せずに戻ってしまった
さすがに暑すぎて、産卵にはきついと判断したのだろう
大きな卵を10個もひり出すのは、やはり体力も必要だろうし
今日は汗が異常にダラダラでるので、人間も昼間からクーラーをつけて過ごしている
電気代より命の方が大事 チビ子が4日連続で穴を掘っている
まだ産めないのだろうか、早く出して楽になるといいのに
ネコは3日振りに顔を見せた
ひまわりの種の消費が少なくなっている、暑さのせいだろう
でも、ここ二日ほどは、その前の狂った暑さと比べると、過ごしやすい
ありがたい 水も少し濁って来たので、水換えついでに、産卵壺も点検した
12個の卵が出てきた、これで、今年は4回、合計42個
年4回42個は、新記録、長寿で多産の亀は、むかしからおめでたいものの象徴
なんとなくわかる気がする
今年はもうこれで終わりだろうけど、わからない
あとで、お刺身を買ってきて食べさせてあげよう 梅雨が明けたそうだ
亀の産卵騒動も今年はもう終わったみたい
朝方、爪とぎの音で起こされ、ネコにエサを与えてまた床に戻ると
大きな食べ音が聞こえる
見ると、タヌキ、食べ残しのエサを狙ってやってきたようだ
相変わらず、人気の無い夜から朝は、夜走獣たちの世界
学校はいまから夏休みらしいけど、もう、夏休みの意味がなくなってしまった
それくらい気候が変わってしまった なんで気がつかなかったんだろうか
庭のオリーブの木が枯れてしまっている
木が枯れるなんてこと、まったく想像もしてなかった
もう20年以上も前に、知り合いの元校長先生がくれたもの
なんにもしなくても勝手に植わっており、大きくなると時々枝を剪定していた
見ると、葉っぱがすべてなくなっていて、枯れ木になっている
その先生は毎年届いていた年賀状が3年ほど前から来なくなっていて
恐らく、亡くなったんだろうなと思っていた
その先生から貰った木が、いつのまにか枯れてしまっていた
不思議なことがあるものだ 昨日、鰹節のだしを使ったとき、匂いがなくて変なので
袋に書かれている注意書きを初めて読んでみた
開封後は冷蔵庫で保管してください
知らなかったなあ、家事をするようになって、知ったことがたくさんある
もやしはパックに移して水に浸して冷蔵庫に入れておくと長持ちする
ブタ肉は、使う分を小分けにして、冷凍してしまうとよいなど
誰かのためにするのではなく、自分用だと、ほとんど作らなくなってしまう
揚げ物も油壺もきれいに洗って仕舞い、以来、油も買ってない 足のつる痛さって、一番痛いらしいw
明け方、夢を見て、お母さんと会話をしていて、ホントにいいんだね?
念を押されて、次の瞬間!足がつって、激痛で飛び起きて、四苦八苦するw
なんじゃろね、足のつりって、峠を過ぎれば、痛くも痒くもなく、すぐに忘れる
大体、水と関係している、海とか川とか激流とか、水と関係して
ギャッ!激痛で目が覚める、足のつりは、水、冷え、寒さ、脱水
そういうものらと関係していることだとわかった
これからずっと、明け方、激痛で飛び起きるのと
夢の中で死んだお袋さんに会って会話するのと
お袋さんに会えるなら、激痛もOKってなるのかね
痛いのはほんとうに嫌だよぅ どうやら自然界で異変が起きているようだ
エサ台からちっともエサが減らない、何日もそんな状態
ヒマワリの種も減らない
小鳥たちがここにやって来ていないということだ
酷暑が続いて、みんな死んでしまったのだろうか
人ならクーラーをつけて涼しい場所に退避することができるけど
コロナといい環境破壊といい、生きものが暮らせない世界が近づいているようだ 今日もエサがほとんど減っていない
ときどき一羽のすずめが慌ただしくエサを啄んだあとすぐ飛び去ってゆく姿や
これもまた一羽のシジュウカラがヒマワリの殻を破るのを見るけど
以前のように大勢でやってくるということはない
みんなどこへいってしまったのだろうか
おわりというのは、ある日突然唐突にやってくるのかも知れない
もともとあるようなないような幻のようなこの世が
突然おわってしまうのも、また幻のなかに戻るだけのことで
特に不思議なことではないのだろうけど 貧乏な家庭で育ったせいで、クーラー=電気代がバカ高いが刷り込まれていて
この猛暑でも、お昼と晩にご飯を食べるときだけ申し訳け程度につけるだけ
扇風機は常につけているけど、暑くてガマンできないということもない
身体は水分で満タン状態、汗や蒸発で失われた分をその都度補給する
それでやってゆけるということは、それで良いのだろう
人間の身体はうまくできている うちの亀たちは人間よりもいいものを食っている
ドブよりも酷い臭いの池水をきれいさっぱり取り換えたので
きょうはまぐろの赤身を買ってきた
地獄の餓鬼畜生のように争いながら貪り食らうさまを見ると
ほんとうに亀ってお刺身が大好物なんだってわかる
亀に食わせたあとは、今度は人間だ、カツオたたきと刺身類、安いミニ寿司で晩酌
きょうも暑かった、この先もずっと暑いみたい 特大のトロ舟もわずか3日で汚れてしまう
夏場の亀の生活力というのは、もの凄いものだ、爆食爆糞
とても普通のペットを飼育するようなものではない
また明日水を取り換えてやろう
世の中の出来事なんか、まったく我関せず、お天気が良ければ
陸に登って、甲羅干し
寒くなったら、水に潜って死んだふりして、また暖かくなったら顔を出す
むかしの中国人が、亀を理想の生きものとして見ていたのも
なんとなくわかる気がする チビ子が盛んに泳いでいる
これは産卵行動と思われるが、まさかそんなこともあるまい
8月になっての産卵なんて一度もなかった
今年すでに4回42個の卵を産んでいるのだし
しかし、4回産卵したのもはじめてのことだったし
5回目もあるのかもしれない どうやら本当に産卵らしい、いま盛んに穴を掘っている
今日産むのか、明日か明後日かわからないが、新記録更新だ
小鳥たちはほとんどやって来なくなり、亀は真夏に産卵
ほんとうに気候がおかしくなって、生態もおかしくなっている
あと10年もしたら、いったいどんな世の中になっていることか
じっくりと見物してやろう いま産卵を終えて埋め戻し中
みたところ6個くらい産んでいる
今年はほんとうにこれで終わりだろうと思う
年5回は初めてのことだ ただいま亀池の水を交換中
産卵壺を取り出して見ると卵が9個でてきた、今年の累計が53個
実に多産である、産卵5回と合計53個は新記録
もうとっくに三十歳を超えているのだが、まだまだ衰えをしらない
実に不思議な生きもの
ほんとうに自分より先に死んでくれるのか心配だ
なるようにしかならないのだけど スズメの雛の鳴き声がするので見るとやっぱり雛だ
親鳥から口移しでエサを食べさせてもらっている
スズメは通年子育てをするのは知ってるけど
真夏の子育ては珍しいと思う
なんかやっぱり自然界がおかしくなってしまっているようだ
滅びないように必死に子孫を残そうとしているのだろうか この時期、亀たちが爆食している
手のひらいっぱいの餌を撒いてもまったく満足せずもう一杯
ものの本によるとエサは亀の頭の大きさが一日に与える量だという
うちの亀たちは頭4つ分でも足らず、いくらでも食べちゃう
結果、太ももがお腹に収まらずぶよっと外に出っぱなしのメタボ亀
でも、それでも30年以上元気で生きているのだから
特に問題もなさそう
亀って生まれてから一生重たい甲羅をずっと背負っていてずいぶんと
息苦しい生活なんだろうなあと、勝手に想像している
痒くても背中がかけない辛さってどんなもんなんだろうか チビ子がまた暴れている
まさかとは思うけど、産卵行動だとしたら、また産むかもしれない
まさか年に6回も産むとなると、いったいどうなっているのか
ちょっと様子見だ もう朝まで熟睡というものはない
夢うつつのなかで、暑さに苦しみ、傍らに用意したボトルの水を飲み
なんだかんだで朝が来ている、毎日そんな感じだ
朝方に見る夢はだいたい悪夢に決まっている
今朝はなんの関りも世代も違う石原慎太郎が登場した
偶然会って挨拶を交わしたもののあんまり関わりたくない雰囲気を察して
すぐに分かれると、慎太郎さんは、工場の中に入ってゆき
寒冷仕様の防寒服に着替えて工場の中に入って行った
別れてすぐ有楽町界隈を歩いていたら、突然!ドボンと水の中に落ちて
足がつってものすごい痛みで飛び起きた
ほんとうに足のつる痛みというのは痛いもんだw
水とあしのつり、寒い冷たい意識が変な夢となり足がつる
だいたいわかってきた
暖かいふわふわの布団で安らかに過ごしていたら悪夢は見ない
冷たい寒い居心地の悪い環境にいると悪夢になる
人はなかなか安らかには眠れそうにないなw 亀池の水を交換、この時期は3日目でも悪臭で大変なことになる
8月15日終戦の日、78年も経ってしまうと、もう
ほとんどの人が実感のわかない世代になってしまった
うちは親が戦争中の人間だったから、多少の実感はあったけれども
食べ物のない時代を生きた親に育てられると
食べ物を粗末にしないという習慣は自然に身についた
今日はお年寄りたちが首を長くして待ちにまった年金の日
いつの間にか自分もそっちの仲間入り 夕方いつもエサの時間になると二匹がバタバタこっちを見て泳いで
エサくれダンスを始める
ところが、今日は、一匹だけでデカ子の姿が見えない
朝水を取り替えて、特に問題はなかったようだけど
体調不良という言葉がいま盛んに流行っているけど
亀にも体調不良というのがあるのかも知れない
エサを食べたがらない亀、30年も一緒に生きてきてそういうのは珍しい
ここ3日マグロを食べさせていたから、美食に慣れて不味いものは
食えないということか、それならば心配はないけど
具合が悪くて食欲がないというのがいちばん心配だ
30年という時の連続は、相手は意思もなにも伝わらないものでも
一緒におんなじ空間を生きてきたという重みがある
ちょっと様子を見よう、なんにもなければいいのだけど どうやらデカ子は水の中で産卵したようだ
水面にたくさん油が浮いていて、水底には白いものが沈んでいる
先ごろ5個産卵壺で産んだけどまだ体の中に残っていて
それを産卵したのかもしれない
食欲がないのはそのせいか
水の中を見たら生きていることは生きている
猛暑で調子がくるってしまったのかも まぐろの切り落としを食べさせてみたら、いつも通り狂ったような勢いで
争って貪り食った
どうやらなんともなかったらしい
生き物だってこの暑さで具合の悪いときもあるのだろう ただいま亀池の水換え中
この時期は3日目でも耐えられない臭さになる
でも排水ホースを倍増させたお蔭で排水もわずか数分で終わる
亀だって臭い水の中にいるのは辛かろう
新鮮な水道水は多少カルキ臭いけど太陽熱ですぐに抜けてしまう
水換えが苦でなく楽になったのでいっこうに苦にならない いままで誰にも言わなかったけれども
亀と人とはこころが通じている
部屋の中から亀の方を眺めて、そろそろご飯かな?そう思うとする
亀は水の中から、頭を出して、そろそろご飯じゃないかろうかと思っている
お互いの気脈が通じ合う瞬間、亀はばたばた暴れだしてエサをねだる
こういうのは犬のお散歩でもあって、そろそろかな?が相手に通じる
亀はもっと犬や猫よりもおつむが劣ると思っていると
それは大間違い、気脈、気、感じ、気持ち、それらは確かに通じている
30年以上も身近に付き合って見て感じているんだから間違いない
お互い長生きしてもっとわかりあえるといいね 暑さが少し和らいだのか、夕方亀にエサをやるときに
蚊が猛然と襲ってくる。面白いのは、蚊というやつは
人の一番嫌がるところ、弱いところを突いて襲ってくることだ
弱点を突いてそこを集中して襲ってくる
弱い部分を攻撃するのは自然の掟であり、逆に言えば
さっさと殺してやろうという慈悲の法則ともとれる
命の本質は弱肉強食、人の世界ではそれをなんとなく隠して
そんなことないようなことを宣伝するけど
本質が優勝劣敗弱肉強食であるなんて、はじめから知れたことだ
そんな世界でいかにして荒波に飲み込まれないように生きてゆくか
ほんに生きるってことは大変なこっちゃね 今日で8月もおしまい
今年の夏はとにかく暑かったなあ、毎年そんなこと言ってるけど
亀池の柵が朽ちてきてしまったので、明日また材木を買いに行こう
3センチ角の材木に1センチの丸木をはめ込んでいるけれど
下側がどうしても腐ってしまいはめ込んだ丸木がぐらぐらになる
もう産卵行動が終わったからいいけど、行動中だったら
あっという間に破壊されてしまう
引っ越していったお隣の子に押し付けられて嫌も応もなく
飼うことになったけど、もう30年になる
今日も信じられないくらいの爆食
また水も取り換えねばならんな また亀池の水換え、三日にいっぺん
途中ちっとも貯まらないのに気づきホースが抜けているのを発見
多分40リットルくらいは無駄にしたかも、水不足だというのに
水がきれいになったので、久々に亀と遊ぶ
手のひらの上にお腹を乗せて、水のなかを移動したり持ち上げたり
材木を買ってきたので、涼しくなったら改築だ 秋が来たのか、網戸の目を通り抜けて羽虫がいっぱい家に入ってきた
でも、数分生きてのち、みんなすぐに動かなくなる
そんなことってあるんだな
なんでみんな死んでしまうのか
エネルギーが尽きたとか、そんな理由なんだろうけど
わずか数分だけしか自由に羽ばたけない
そんな生き物もいるのだ 亀たちはいま並んで甲羅干し
真夏の日差しが少し柔らんだのか久しぶりのことだ
すずめの餌場では雛鳥が親から口移しでエサを与えられている
この猛暑でだいぶ数が減ってしまったかもしれないが
こうして子孫へと糸がつながってゆく
あいかわらず救急車が走っている
おおぜいの人が亡くなっているのだろう またまた亀池の水換え中
いつまでも暑いから亀たちの爆食爆糞も相変わらず
3日目には臭くて耐えられなくなる
この暑さはまだ続くのだろうか
今年の暑さはほんとうにこたえた
もう3か月も猛暑が続き嫌んなってきた
でもこうして無為徒食で暮らせるのだからしあわせなんだけど
働かないでいられる幸せ、小原庄助さん ここ数日は暑さもどっかへ行ってしまい、窓から吹き込む風も冷たく感じる
ようやく秋がおとずれたのだ
そろそろ夏物を仕舞わないといけない
亀たちはいま仲良く甲羅干しをしている
焼け付く日差しがなくなったから夕方までやるのだろう
食べる量もぐっと少なくなってきた
また秋が来て冬がきて、半年もなにも食べず蓄えた脂肪だけで生きる 今日は曇りなので亀池の柵を修繕した
買っておいた材木にドリルで穴を空け腐った要交換の丸木をはめ込む
たったそれだけの作業に3時間もかかってしまった
もうぐったりして疲労困憊
歳を取るといままで簡単にできていたこともできなくなる
そのうち自分の足で歩けなくなるのだろうか
その前になんとかするつもりだけど それにしても野鳥がさっぱりエサを食べに来なくなった
これまでは朝エサ台に撒いておくと夕方にはきれいに無くなっていたのに
夕方になっても少しも減っていない
すずめ、シジュウカラ、カワラヒワのいずれもやってこなくなった
この夏の長い猛暑に耐えられず多くが死んでしまったように思える
毎日観察しているからその変化に嫌でも気づく
このまま冬になっても姿を見せないと本当に心配だ
人間界は疫病、自然界は酷暑、ほんとうに終わりの時がきたのだろうか また亀池の水の交換
水を新しくするといつも甲羅干し台へ上る階段の裏側に
甲羅をぶつけて遊んでいる
背中は痒くてもがまんするしかないので、そうやってぶつけては
痒いところをかいているのだろうか
二匹が争ってゴツゴツやっている 水を取り換えたので、今日は久々にマグロの赤身を食わせてみた
相変わらず狂ったように争って食らいつく
ほんとうにマグロが大好物なのだ
まいにち味気ない亀のエサでは可哀想なので
まさに餓鬼の如く食らいつく 猫は相変わらず毎日夜中でも明け方でも時間かまわず
やってくるけど、鳥はほんとうにやってこない
スズメもシジュウカラもカワラヒワもメジロも
ほんとうに姿を見せなくなってしまった
朝になるとヒマワリの種が殻だけ残っているけど
これはネズミが食べた残骸
終末なら終末で別にいいけど
この先生きていても楽しいことなんてないのだし だいぶ池の水が汚れた、明日また取り換えてやろう
水換えはあと3回くらいかな
食べなくなって糞もしなくなれば、あとはもう寝るだけ
そのまんま年を越して、水が少し暖かくなる3月頃まで
なんもしないでほったらかし
そんなことをもう30年もやってきたんだな
また冬が来る 亀のエサはなんとなく午後3時頃にやることになっている
日中は陸で甲羅干しをしていて、それが終わって
水に戻って、バタバタエサを欲しがるのでそうなった
ここ数日は、動作もにぶくなり、食べる量も少なくなった
20度を下回ると、もう食べなくなる
一方、ネコは秋になり食欲が増すのか
夕方6時、夜中の1時、朝の4時と3回やってくる
この子とももう2年の付き合いになる
にゃーとも言わず黙々とエサだけ食べてどこかへ行ってしまう 亀は甲羅干し、ネコは縁台で昼寝、のどかな光景
ネコが昼寝をしているってことは
この家の住人が敵意をもっていないことを知ってるから
そりゃそうだ、夜中だろうが時間かまわずやってきては
ゴリゴリ爪とぎをするだけで、エサが出てくる
こんなうれしい場所はない
ちっとも懐かず、ニャーとも言わないけれど
それにしてもほんとうに鳥がいなくなってしまった
暑さで死に絶えてしまったようだ ほんとうにほんとうに、ほんとうに
異常なことになっていると感じる
すずめが一羽もやってこない、もうここずっと数週間も
すずめだけではなくシジュウカラもカワラヒワも
一羽もやってこない
キジバトはまだやってきているけど
よほどのことがない限り、人は野鳥のことなんて思わない
でも、ここ20年も毎日観察している自分には
異常としか言いようがない
気候変動かほかになにか理由があるのか
のんきらとうさんたちは毎日のんきらでいるけれど
あんまりのんきらではいられなくなる時がきているのかも
ようやく庭の金木犀がちいさなつぼみをつけはじめた
匂いが漂っている いまネコは小屋のなかで寝ている
さっきご飯を食べたあとに様子を見ていたら
おもむろに小屋の中に入っていった
なんとなく夜中もそこにいるような気がしている
一応中は布団や古着のセーターなどを敷き詰め
二重ダンボールの越冬仕様 また亀池の水を交換中
年内にあと1〜2回くらい交換か
もうエサもほとんど食べないから水も汚れない
いよいよ冬支度だ
先日、ネコ小屋の入り口から足が二本外に飛び出していた
なんかニャロメの文字が頭に浮かんだ なんじゃろかね
親父が寝たきりになって、朝昼晩、栄養剤なるものを飲ませ
おむつも取り換え、日中は好きな歌番組を映してた
次はお袋、同じように、朝昼晩の食事を食べさせ
おむつを取り換え、うんこも押し出して
夜中に何度も起こされるから、うるさい!って怒鳴ったり
そのお袋も逝ってしまった、一人の生活ももう4年になる
もう、ずっとむかし時間空間いまというものに取りつかれて
毎日、いまというものを生きてきているけど
ほんとに、悩みも苦しみも痛みもなんにもない
お金に不自由もないけど欲しいものもなんにもない
日常生活で不便が生じると、その不便をなくすために
モノを買う、補う、修理する
ボロボロで着られなくなったら、次のものを買う
遠いむかし、そんなふうになりたかったんだけど
なってしまうと、ああこんなもんか
おもしろくもなんともない世界だこと 亀池の横にキンモクセイが植えてある
花が散りはじめると、毎年、池の水面がオレンジ色で
埋め尽くされて、灰汁取り金網ですくいあげている
今年もそろそろ散りはじめた
毎年の風物詩 あんまり汚れていないけど亀池の水を交換
年内あと一回くらいかな
これから毎日少しずつ庭木の剪定をやってゆく
今日は東側のネズミモチをやってしまおう
去年ばっさり切ったのに枝がぐんぐん伸びてしまった
それから隣のサザンカを少し短くして
次は南側のカリンとキンモクセイ
狭い庭にずいぶんいろいろ植えたもんだ
貧乏人が戸建てに住むと後先考えずに木を植える典型 飲み会があって、ワイワイがやがややって
お開きになって店を出て「じゃあまたね」「またやろうよ」
バイバ〜イ!
みんなと別れて歩き出し、ふと振り返ると
もうそこには誰もいない、その出来事は永遠に過ぎ去った
このいま現在だって、ほんとに在るんだろうか?
夜、寝ているあいだに脳卒中で逝った人って
いままでの人生や両親や兄弟や子や友人も記憶に無い
永遠の無にもどるのだ
ここにある(ように思える)いまを感じ味わい愛おしむ
それ以外にいったいどんな生き方があるというのか 明け方、ときどき足がつる
激烈な痛みに飛び起きて、ものにつかまり
とにかく曲がった足先をギュッ!と押し戻し苦痛を解く
生きている!生きているから痛いんだw
反射的に買っておいた「芍薬甘草湯」を飲む
そして思う、生きているから痛いし脳天にとどく
その痛さを客観的にとらえる、痛みとはなんぞや?
この痛さって、痛いけど、ほんとうかな?
やがて痛みが去ると、元のいつもの日常生活に戻る
死んだお袋は、足がつるとただただ痛くて泣いてたそうだ
なんで飛び起きて、つった足を元に戻さなかったんだろか
痛かったろうに
今度つったまま痛みに耐えてそのあとどうなるのか
試してみたい気もする スズメを探して三千里
チャリで5キロ四方を探索してみた
途中、稲刈りを終えた田んぼに稲穂が干してあったが
スズメの姿はなかった、ただの一羽も
それから河原に出て土手をずっと走ったが
上空にカラスが舞っているくらいで、ここにも姿がない
小一時間探索して、ついに一羽の姿もみかけなかった
ほんとうにスズメはどこに消えてしまったのだろうか
異常なことが起こっている
緑豊かな郊外ですらスズメをはじめ小鳥たちが一斉に消えた
終末というのはこんな感じではじまるのかも知れない 今日はキンモクセイの剪定
上から80センチくらいを目安に伸びた枝や密集した
横枝をバッサリと切ってゆく
切り終わったあと太い切り口には塗り薬をつけておく
ずいぶんすっきりして小さくなってしまったけど
一年後にはまたボウボウ状態となる
あと一本果林があるけどこれは葉がすべて落ちてから 小鳥たちが消え去ってしまったので
もうヒエもヒマワリの種も買う必要がなくなってしまった
野に食べ物がなくなる冬になっても戻ってこないのか
毎年中を掃除して掛け直していた巣箱ももう要らないのか
あとひと月もしたらわかる
亀はもうエサを欲しがらなくなった
あと少ししたら数か月の水中引きこもり 夏だよ、この暑さは
今月になってから灯油売りのおじさんが巡回しているけど
買う人なんておらんじゃろに
すずめは消えてしまい、11月なのに夏の暑さ
救急車は相変わらずサイレンを鳴らして走りまわる
交友関係もなく社会と接していないからわからんが
世の中は激動の真っ最中なのかも知れん
悲惨な出来事を何も見ず何も聞かないというのは
いいことなのかもしれん、知ったところで無力なのだし 今日は本来の季節並みの気温
長袖シャツだけでは寒くてもう一枚羽織り
膝には電気ひざ掛けを電気を入れずにかけている
もう狂った暑さはおしまいのようだ
亀池はあんまり汚れてないけどあと一回水を交換しよう
暑い暑い寒い寒いと騒いで季節がめぐる 今日は曇っていて寒い
押し入れから出してきた電気膝かけにはじめて電気をいれた
暖かい、文明の利器、ありがたいことである
パソコンは長いこと使っているけど
携帯やスマホなるものは使ったことがない
ズカズカとプライベートに足を踏み込まれるようで
まったく受け付けない
年がら年中他人とつながっているなんて吐き気をもよおす
たまに留守電に無言電話がかかるだけでもゾッとする
とにかく人が嫌いなのだ 午後、少し陽も差して暖かくなってきたので
今年最後の亀池の水換えをやった
エサもほとんど食べないからそれほど汚れていないけど
ついでに甲羅もゴシゴシやってくすぐり倒し
また冬がやってくる
もっと寒くなったら、入り口に戸板を取り付けて
光が中に入らないようにして、もっと寒くなったら
池全体にビニールの覆いをかけて、毎年おんなじの冬支度
この子たちは生れてから30数年、外の弱肉強食の
怖い世界を知らずおっとりと生きてきた
今年もまた水の中に潜って春までじっと身をひそめる うちにやってくるネコは雌の子で身体が小さい
去勢されてるから地域ネコというやつだ
最近どうも小屋を利用してないようで
なんかサイズが大きいのかも知れないと思った
ダンボール箱をそのまま利用したので
中にクッションや古いセーターを詰め込んでも
小さいネコには空間がありすぎるかも知れない
そこでサイズを3分の2に縮小してみた
ちょうど小さいネコがすっぽり収まるサイズだけど
果たして使ってくれるだろうか 22年…
22年も遊んじゃったか
22年とはオギャーと生まれてから大学を出るまでの時間
幼稚園小学校中学高校大学と結構長い時間だけど
時間というものはそもそもそこにとどまって存在しないから
どんなに長いように思えてもそれは記憶だけであって
どこにも存在しない
この22年いったい何をしたろうか
働かないのでずっと家にいて飯を食い糞をして買い物をし
酒を飲んで夜になったら寝る
それだけだ
なにか人の為になること、社会貢献、役に立つこと
なんにもしていない
無為徒食
若い頃から求めていた理想の生活、荘子の世界だけど
バチが当たらないだろか…
バチが当たらぬようただただひっそりと質素に暮らすのみ
ガジュマルの木は地面から163センチまで育った クンクンクン…
なんか臭い、ネコのしょんべんの臭いだ
右袖に鼻を近づけて嗅いでみると
そこから出ている
ネコ小屋を改造したときも妙に臭かったけど
どうやらそこの臭いが染みついたようだ
ネコは臭い付けをするけれど
自分のねぐらにもするのだろうか
それともよそのネコの仕業なのか
臭くてたまらんので即刻洗濯だ
小屋の敷物もついでに洗ってしまおう
最近小屋を使わなくなったのは
そのせいかも知れない
即刻洗濯! 前にもあったけど
ナメクジってもの凄い能力を持っている
さっきネコがエサを食べに来て
ちょっと経ってからお皿を引き上げたら
もうナメクジが入り込んでいる
わずか10分足らずのことなのに
恐るべき嗅覚と恐るべき速さ
ナメクジは得体の知れない能力を有している
こいつぁ驚いた! ここ二日ネコがほとんどエサを食べない
一応顔を見せにやってきてはいるけど
今日もエサをねだる爪とぎもせずじっと
うずくまっていた
どこか具合が悪いのだろう
暑かったり寒かったりで冬毛の準備ができず
風邪でもひいてしまったのか 二日ほど顔を見せなかったけど
具合がよくなったようでまたいつものように
明け方エサを食べに来ている
小屋には相変わらず入らないようだけど
もう師走ではないか、毎日おんなじことを繰り返し
おんなじように時が過ぎてゆく ほんとに久しぶりに小鳥がやってきた
メジロ
毎年サザンカが開花すると蜜を吸いにメジロがやってくる
南の白はもう開花が始まったけど東の赤はまだ
きっと様子を見にやってきたのだろう
冬場はずっと枝にミカンを差しているけど
そろそろやってみようか
野鳥がまったく消えてしまい寂しかったけど
メジロくんは元気そうで嬉しい 雨戸を開けにいったら狸が
フェンスがあるのですぐに逃げずこっちを見ている
しばらく見ているとなんか欲しそうな顔にみえた
狸にエサなんてやったらまずいかな?
でもネコもタヌキもいっしょじゃない
試しにネコのエサを石段の上に置いてみた
狸がやってきて食べた
どこかで様子を見ていたのだろう
たまたま出くわしたからエサをあげた
一期一会 本当に久しぶりに風邪をひいた
夕方小一時間ほどサイクリング車で運動をするようになって
けっこう汗をかいてもほったらかしにしたり
長い坂道を登ってぜいぜいしたりちょっと無理をしたようだ
ノドに違和感をおぼえてたがそのうち治るだろうと思ったが
先週急に奥歯が浮いて痛くて噛めなくなった
調べると風邪でも歯が痛くなることがあるようだ
金土日と三日間、歯が痛かったりノドが痛かったりで
よく眠れずご飯も流動食ばかりでけっこう往生した
でもだいぶよくなってきた、あと数日の辛抱だろう
こんな時もあるさ ネコ小屋を改修し屋根を取り外せるようにし
昼間は天日干ししているが
さっき見たら中の毛布にイノコズチやゴミが着いている
どうやら夜中に入って使ってくれているようだ
エサを食べたあと昼寝でもしているのだろう
しばらく休んでまたどこかへ出かけてゆく
とにかく小屋を使ってくれているのがわかって良かった
けっこう防寒に気を使って作ったので
居心地がいいのがちゃんとわかるのだろう 今日は暖かくて気持ちがいいので
ネコ小屋の中のセーターと敷布団を天日干しした
昨日はやって来なったけども
先日メジロが来たのでミカンを枝に差したけど
メジロはあれからやって来ていない
ミカンもまったく突つかれた様子がない
ほんとうに小鳥たちが姿を消してしまって寂しい
夏の猛暑かそれとも5Gの影響なのか
風邪は治ったようだ お隣にサクラの樹があり、ほとんど葉っぱが落ちても
まだ青々とした葉がついているので不思議だった
それはサクラではなく、蔦植物のようで、地面から
幹に伝わってとうとうてっぺんまで伸びていった
ところがここ数日で葉がしぼんで枯れはじめた
冬には枯れてしまう種類らしい
冬には葉っぱが落ちて、来年の春までしばらくお休みする
久しぶりに荘子を読んでみるか
ところどころにこころにしみるいい文章がある 今日はどういうわけかまだ陽の高くない午前中から
チビ子が甲羅干しをしている
気温が高いのだろう
デカ子の方はもうずっと中に入ったまま出てこない
もう少ししたら亀池全体にビニールをかけ
完全な冬モードにはいる サクラの樹にまとわりついててっぺんまで伸びた蔦植物
もうみんな薄茶色に枯れてしまいひらひら風にそよいで
あとは落ちるのを待っている
枯れて落ちるのだからいのちも失われてしまうのだろう
茎の部分も枯れて死ぬのだろから来年また春がきても
そこが甦るということにはならないと思うけど
きっとまた地面から生えてきて上に伸びてゆくのだろう
ちょっと観察の楽しみができた
サクラも柿もみんな葉っぱが落ちてしまった
うちの果林はまだ葉っぱがついたままだ
樹の種類によって葉っぱが落ちる時期も異なるのだ
夫大塊載我以形、労我以生、佚我以老、息我以死 オイ!コラ!
ちっちゃいくせに、いっちょまえに人様を真夜中だろうと
明け方だろうと、たったいまも
叩き起こす「知恵」を持ってる
なんじゃろね、このネコは
お前を養う義理も責任もなんにもないけど
どういうわけか毎回叩き起こされて、エサをやってるな
世の中の仕組みって、上下とか下とかあんまり関係なく
なんとなくそこにおさまってうまく回ってゆくみたい
そうでないと、なんでオレがこいつに真夜中に叩き起こされ
遠路はるばるエサを買いに走って
そんなことをする、道理も理由もないのだ おまい、なんか勘違いしてないか?
はじめに、お前がエサを出した、頼んでもいないのに
なんか食べないと悪いような気がして、エサを食った
それから、おまえが勝手にエサを出すようになった
頼んでもいないのに
オレはお前がそうして、毎回、エサを出すから
食べないと悪いような気がして食ってるんだ
アベコベだよ
オレはお前が待ってるから、仕方なく来ているんだぜ
雨が降っても、夜遅くなっても、朝になっても
お前が待ってるって思うから、無理しても来てるんだ
そうなんだ
思い込みって、そういうことかも
自分のしてることは、勝手な思い込みで
相手は、仕方なくつきあってくれているのかも
そうだよね
うぬぼれちゃいけない 今回の冬到来は本物だろうと思って
亀池にビニールの覆いをかけた
これで来年の春までほとんどそのまんまで冬を過ごす
亀たちはほとんど死んだ状態となり
ごくわずかな酸素は皮膚から取り込むらしい
だから亀は冬景色というものを知らない いまスズメのつがいがやって来てエサを食べている
姿が見えたので慌ててエサを出してみたら
どこかで見ていたらしくすぐに戻ってきた
ほんとうに何か月ぶりだろうか
半年ぶりくらいになるだろうか
この子たちはかつてここに来ていた子たちだろうか
それともまったく新しくやってきたのだろうか
また明日も来てくれるだろうか
そろそろ野にエサがなくなる頃だし
また来てくれたらうれしいのだけど 昨日のつがいは今日はまだ姿を見せない
夕方になったらまたやってくるのだろうか
夜中にやってくるネコもここ数日姿を見せないけど
寒いからどこかの家に巣ごもりしているのかも知れない
ネコはいろいろなところでいろいろな名前で呼ばれて
いることが多く、居心地の良いところを
本拠地にしてのかもしれない
いよいよ年の瀬だ、わずか数枚の年賀状も書くのが億劫
明日か明後日に嫌々ながらも重い腰をあげてやってしまおう
おや、いまメジロが来てミカンをつついている 来た来た来た〜
スズメが来た
今日は一羽増えて三羽、それにシジュウカラも
ヒマワリを食べに来た、それにお隣の庭には
旅鳥のジョウビタキ
また元の日常が戻るといいな ここ数日は寒波のせいか本当に寒い
でも年末と正月は今度はうそのように暖かいとの予報
ほんとうに何もかもが狂ってしまったようだ
生き残った小鳥たちは午後になるとやってくる
すずめ、メジロ、シジュウカラが各二羽
冬を越して春になるとまた子孫を残すのだろうか
ネコは来たり来なかったりだけど、無事に生きている
お陰様でこうして生きている
世の中は見たくない不幸だらけだけど
こうしてささやかな毎日を暮らせている
ありがたいことだ なんかわかった気がする
この直径20センチにも満たない頭蓋骨の中にある脳みそ
それがすべてであり一切であり宇宙そのものなんだと
ものごころがついていろいろな体験を重ね
知識を蓄積し蓄えて備わったもの、それがすべてだ
本を読み体験しなるほどと得心しこんなもんかと思い
わかったような気がしている
それがすべてでそれが宇宙だ
パーンと頭を弾丸で吹き飛ばされた瞬間、無となる
何もなかった、親もない恋愛もない妻もない子もない
なんもない
このちっぽけな頭蓋骨の中の脳みそがぜんぶだ
でも、そんなことをわかるためずっと生きてきたのか
もうちょっとほかの気の利いたわかりかたってないのかな
あんまりわかりきったことでもうちょっと気の利いた
ロマンチックなわかりかたってないんだろか
いやんなっちゃう スズメが一羽水飲み皿に入って水浴びをしている
久々に水浴びを見た
ネコは夜中か明け方のエサを食べにやってきているけど
小屋には入らないでいる
原因をいろいろ考えてみたら、ビニールで覆っているから
かもしれないと思った
ネコは光るものを嫌うのかも知れない
今夜からビニールを取り外してみよう
ついでにマタタビも撒いてみよう
穏やかな年の瀬 ふと亀池を見るとビニールの覆いの中に黒い影
チビ子が甲羅干しをしている
気温が暖かいのだろう
年末年始は珍しく高温になる予報があったけど
家族がいないから正月もいつもとおんなじで
お節料理も用意せずいつも通りの質素な献立てだ
ウキウキしたり華やぐこともないけれど
こうしてなんにも悩みも苦しみもなく年が越せる
それだけでありがたいことだ
今夜も8時には寝床に就き目がさめるとお正月
いつもとおんなじ 年明け早々大地震に大事故と穏やかならぬ出来事が
続いている
今日買い物に河原沿いを自転車に乗っていたら
久々に5〜6羽くらいのスズメの群れに出会った
パッタリスズメを見なくなっていたのでビックリ
家にもつがいが来るようになったし少しずつ元の状態に
戻っているのだろか
うちのスズメたちはいまエサ台の上でぼんやりしている
夜が来る前のひとときいつもこうしてたたずんでいる 毎年お正月飾りは稲穂のついたものを買ってきて
取り外したあとは餌場にくくりつけている
最初警戒していたスズメたちも寄ってきて
つついてバラして咥えてゆく
今年は数が少ないせいかなかなか減らないけど
それでもすこしずつ減っている
やっぱ自然のままの稲から食べるコメは美味いのだろう スズメが7羽来てエサを食べている
一度に7羽というのはこのところでは最多
以前は40羽も来ていたからそれに比べれば少ないけど
それでもこうして来てくれるのは嬉しい 今日は残っていた果林の剪定をやり
ついでに落ち葉を拾って庭の掃除をやった
それからシジュウカラの巣箱掃除と巣掛けもやった
巣箱の中には残された巣があり厚さが7センチくらいで
下層にはコケ類その上には獣毛が敷かれ
飛ぶ鳥跡を濁さずできれいさっぱりもぬけの殻状態
今年はつがいが一組ヒマワリの種を食べに来ているけど
使ってくれるのかどうかはわからないけど
一応中を掃除してまた掛けておいた
久々に労働をしてくたびれた 最近ネコ小屋がまったく使われていないので
少し大きめのダンボールを貰ってきて改造してみた
中敷きを暖かい素材のものにして入り口も小さくし
改良を加えてみた
入らないならばどこかねぐらがあってそこにいるのだろう
使ってくれればうれしいけど ネコは相変わらずほぼ毎日やってきている
時間は不定期、夜の9時だったり夜中の2時だったり
その都度大きな爪とぎ音で人を叩き起こしてくれる
そういう知恵はちゃんとあるのだ
老母の介護が終わってもう4年になるけど
こんどはネコの介護とは
でもネコは夜中に一回だからヒトより負担は軽いけど
こんなに付き合っているのに今までニャーの一声も
聞いたことがないしいっぺんも触ったこともないのだ ついこないだお正月飾りを玄関につるしたと思ったら
もう明日から二月
鼻が詰まって仕方ないしくしゃみも連発
すでに花粉が飛んでいるのが判る
でも免疫が正常に働いているのだと思えばそれもいいかも
しばらく外していたマスクをまた年中無休でつけねばならぬ
働いてないから別にいいけど
明日はまた企業年金、ありがたいことである
まだ一回もおろしてないけど 午後のエサやりのときお隣のサクラの樹の上から
様子をうかがっているすずめたち
エサを撒いたあと家の中から見ていると
続々と降りてきて数えてみたら十五羽
やっと15まで増えてきた
最初は三羽四羽だったものがどこかで合流するのだろうか
いま三羽が残ったエサをつついているけど
これはまた別の群れなのだろうか メジロのつがい、ヒヨドリのつがい、すずめのつがい
午後のひととき、三つのつがいがエサを啄んでいる
エサが重ならければ喧嘩はおきないはずだけど
縄張りというのがあって、それを守ろうとして
喧嘩が起きる
キジバトとヒヨドリの戦い、ヒヨドリは身体が一回りも
小さいけれど好戦的でキジバトに突進してゆく
だからといってエサやりをやめるというわけにもゆかない
冬場は野に餌になるものなどないのだ
争ってエサを食い生き抜いてゆく
また戦がはじまった まだ2月なのに亀が水から出てきて甲羅干しをしている
どうも2〜3週間季節が前倒しされているようだ
どてらの下に着ていた肩当てを脱いで
一皮ずつ薄くなってもいいようだ
花粉も飛んでいる
今年の冬はもうおしまいなのだろうか
三寒四温のような季節の移ろいの言葉も
死語となってしまうのか もう冬に逆戻りもしないだろう
ということで今日は亀池の上に覆っていたビニールを
取り外し、先日の雪で外れてしまった木枠を修繕した
春になったらまた産卵行動がはじまり
大暴れののち卵を30個も産むのだろう
とっくに30歳を過ぎているのにまだまだ老いてこない
ほんとうにどれくらい生きるのか見当もつかない
南方熊楠の飼っていた亀の例もあるし
とにかく行けるとこまで見守るしかないのだ 雨戸を閉めるまで二匹は甲羅干しをしてたけど
陽が暮れるとちゃんと水の中に戻るんだろう
自然とともに生き自然と一体化しておる
自然とは気温とおんなじことだけど
果林は毎年サクラが咲くおんなじときに
ピンク色のきれいな花を咲かせる
ことしもまた見せてくれるんだろ 人知を超えたものの存在
昨日いつものようにバイクで近所を流し家に戻る途中
まったく有無を言わせぬ強引な力によって見事に転倒
ほとんど動いていないUターンでの出来事
え?なんで?倒れる原因が見当たらない
エンジンを止め引き起こそうとしたけど岩のように動かない
え?なんで?重量バイクでもないのにビクともしない
やがて通りがかりの青年が助けてくれて起こすことができた
バイクはほとんど無傷で身体も軽い打ち身ですんだけど
昨日は一晩中ずっと不思議な思いがしていた
あの場所には交通事故物故者の塔婆があったのを思い出した
そういう不吉な場所なのか物故者の霊が彷徨っているのか
とにかく人知の及ばない力があった
あとで般若心経を唱えにいってくる
恨まれる覚えはないし悪戯はもう勘弁してくださいって 昨日と今日はもの凄い風だこと
午後のエサやりで数を数えてみたらスズメは25羽だった
だんだん増えてきて嬉しい
エサの時間が近づくと、窓の近くまで来て
家の中を覗き込む動作もする
実に愛嬌のある生き物である 先日バイクで転んだときに助け起こしてくれた青年
非常時だったから顔も覚えていないけれど
なんか優しい笑顔だったのを覚えている
笑顔優しさ暖かさ
自分も誰か困った人がそこに居たら
助けてあげようと思う
なんにも言わず笑って助けてあげたい
助けたあとはそのまま立ち去ってゆきたい なんじゃ?
ゴリゴリゴリゴリ…
ぐっすり寝ているのも叩き起こすくらいに
大きな音を立てる
人を叩き起こす音を立てるという知恵がちゃんと
このネコにはあるのだ
いま縁台でエサを食っている
なんでネコにエサを食わせる日常になっちゃったかねえ
時間かまわず夜中だろうが明け方だろうが
好き勝手な時間にやってきては人を叩き起こす
それでも赦す
一期一会の出会いだから ゆうべは3回もやってきた
19時23時と3時、4時間ごとにお腹が減るのだろうか
たくさんあげても残してしまうので適当な量にしているけど
昼間は寄り付かないのでどこかで寝ているのだろう
そうかと言うとまったく来ない日もある
いくつものねぐらがあって転々移動しているのかも
若い頃と違い眠りが浅いので何度起きてもつらくない
窓の外ではヒヨドリがみかんをつついている
ヒトとの付き合いはまったくないけど
生きものたちとの付き合いはずいぶんある 亀はいま二匹とも陸に上がって甲羅干し
一冬水の中にいて甲羅が少し汚れてしまっている
本当ならごしごしタワシでこすって汚れを落としたいけど
もうすこし様子を見よう
もっと暖かくなったら水換えをして
そのとき甲羅の掃除もやってやろう 今日は暖かくて、二匹ともずっと甲羅干しをしていた
夕方、なんかバタバタ泳いでいる様子なので
お腹が減ったのだろうかと思って
川エビを水面に浮かべてみたら、喜んで食べていた!
毎年のことだけど、数か月ぶりに食べるって行為を見ると
ああ、食べた、また一年が始まる
この亀たちは、いったいこの先どのくらい生きるんだろか!
あと20年くらいは面倒見られると思うけど
もっと先!
ほんとに亀の寿命は誰も知らないのだ! 庭の果林の樹がピンク色のつぼみを二十ばかりつけている
何年か前、偶然花が咲いているのをみた
ちょうどサクラの花が咲く頃に花が咲くのを知った
この樹は数十年も前に親父かお袋が植えたもので
大きくなると日当たりが悪くなるから親に言われて剪定する
秋になると実がなってその実はとてもいい香りがする
そんな程度の認識しかなかった
やがて虫に食われて幹に穴が開き樹勢も衰えてしまった
たまたま咲いている花を見て花が咲くのを知った
サクラとおんなじ頃に咲くんだ
それで記憶に定着した
きっと親父とお袋が近所のDIY店でなにも考えず
適当に買ってきたものなんだろけど
二人が居なくなっても花は毎年咲いている 今日はずっと一日雨みたい
すずめたちも濡れるのが嫌なのか小屋の中に入って
雨宿りをしている
この雨があがったら気温も上がってサクラも咲くのだろう
庭の果林もいっしょに咲く 一番日当たりのよい南側のつぼみが開花した
数十個のつぼみのうちのたった一個だけ
お隣のサクラはまだつぼみのまんまだから
果林の開花はちょっとサクラよりも早いようだ
亀が物欲しそうな顔をしているので
川エビを数個水に浮かべると、チビ子がちょっと食べ
デカ子は匂いを嗅いだだけで食べなかった
まだ寒いので食欲も出てこないようだ 今日は初夏の陽気で、亀たちは午前中からずっと甲羅干し
野鳥へのエサやりももうおしまいだ
春は野にいっぱいエサがあるから
灯油売りのおじさんももうやって来ない
町には半そでの人もちらほら
冬物をみんな洗濯して押し入れの中に仕舞わねば
一年また一年こうして時が過ぎてゆく 夏の陽気、汗だらだら
今日は数か月ぶりに亀池の水換えと甲羅についた苔掃除
たわしでゴシゴシ甲羅を磨くとくすぐったいのか
暴れて逃げようとするのもいつもとおんなじ
苔がきれいに取れるとビタミンDもよく摂れるだろ
またいつもとおんなじ一年がはじまる 買い物に行こうと庭に出るとネコが小屋から飛び出した
亀たちは甲羅干し、スズメは二十羽以上がエサつつき
なんとものどかな光景、実にしあわせな時間
とうとうサクラが咲き出した 事実はその無法地帯じゃない
良かったね
それに対する オリエンタルさん先走りすぎ!
プレイド413で空売り そういえばこの2、殆ど全員がヤングケアラーな訳じゃないからという理由だけで、そもそも一流がほぼいない状態だな
> ・カード情報自鯖に蓄積してるな
ほとんどのハウスメーカークソだけどな
ファンティア開始当初にそのプレッシャー感じる感性があるんやが こんなとこにもスクリプト…
お隣が学校の裏庭で桜の樹がいっぱい植わっている
人が誰もいないからすべて独占見物できる
ほんとうならば酒でもかたむけて花見酒といきたいが
花粉症なので断念
それにしても満開のさくらが風にたゆたう姿はいつ見ても
こころが晴れる 桜が散って亀池の水面にも沢山浮かんでいる
時々動くのでよく見ると
亀が花びらを食べている
雑食だとは知っていたけど桜の花びらを
食べるのは初めて見た
30年も一緒にいるのに知らなかったなあ いまさっきネコが来たのでエサをあげて
お皿を引き上げようとしたらヌルッとする
ナメクジが一匹お皿のなかに入っていた
ネコが去ってほんの数分しか経ってないのに
恐るべきナメクジの嗅覚と行動力
ヒトの目に触れない夜の世界では凄まじいことが
起きているんだろうなあ ネコに遊ばれている
昨日の晩から朝にかけて5回もやってきては
その都度エサを出させて食っていった
完全に自動給餌器と化してしまった
軒先でガリガリを大きな音で爪研ぎ
それが催促で目覚まし時計である
エサを出す、食べる、またやってきて同じことをする
ネコはヒマだし自分も暇人
そんなことをやって遊んでいる チビ子の方が今年もまた産卵行動をはじめた
夏までにまた3〜4回卵を産むのだろうか
毎年毎年ご苦労なこっちゃけど
見ている方が苦しそうでつらいものがある
産みの苦しみ あぁ
見え過ぎるのも嫌なもんだ
その人の仕草態度口利き様子を見ただけで
生い立ちや考え方経験やってきたこと
すべて見て取れる
見たくないから見ないようにする付き合わない関わらない
見え過ぎるのはほんとうに嫌なもんだ 暑い暑いもう夏じゃ
製造から何十年も経つクーラーを始動してみた
その前に室外機の中のヒューズや接点を磨いて
ついでに接点復活剤を吹き付ける
ちゃんと動いた
我慢できないくらい暑い時にだけ使う
兄弟からの貰い物だけど昔のmade in japanは長くもつ
ありがたやありがたや いまネコは軒先で昼寝中
買い物から帰ってくると待っていた
住人が居ないのはわかるようだ
エサを食べ終わった頃、皿を片付けようとしたら
どういう訳か亀池の陸の上で亀と並んで座っている
おや?っと思わず声を上げたら気づいてこっちへ来た
そして現在昼寝中、実に長閑な光景
この家の人はエサもくれるし敵意はない
ちゃんとわかっている ネコが食べ残して少し湿気てしまったエサが貯まると
夕方雨戸を閉めるとき家の脇の獣しか通らない道に撒く
翌朝きれいになくなっている
夜中にそこを通る獣が見つけて食べるのだろう
ここ数日それを続けてきたけどどうしたもんだろう
わざわざ買ってきて続けるべきなのかどうか
人が寝静まった真夜中の小さな出来事
獣が一匹喜び自分は自己満足する
ちっぽけなどうでもいい話 そろそろ相撲が中入りで晩酌を始める時間
その前に亀にエサをやろうと思ったけど
軒先でネコが昼寝をしておる
エサをやるには追い払うしかないけど
亀のエサはもうちょっと後でもいいか
今日は前からやろうやろうと思っていたバイクを修理して
いい暇つぶしができてよかった いま気づいた
スズメが今年も子育てを始めていて雛を連れてきた
慌てて消化の良いパン粉をエサ台に撒くと
親鳥たちがわらわら集まってきて
忙しそうにパン粉を加えて飛び去ってゆく
もう5月中旬だものな
今年もまた子育てがはじまったのだ
亀もしきりに産卵行動をやっている 昨日からパン粉をどっさり撒いている
5世帯くらいのスズメの親子が一堂に会して賑やかなこと
自分は人様のために何の役にも立っていないけど
スズメの為には役に立っている
スズメとタヌキとネコと亀
それらの役には立っているのだ 雨は雛たちにとっては試練
雨戸を開けたら一斉に逃げていった
エサの登場を待ちわびていたのだろう
いま親鳥たちが嘴いっぱいにエサを加えて忙しそうに
往復している、巣の中で待つ子がいるのだ
雨でも風でも忙しい 朝雨戸を開けると脇の獣道でガサゴソ音がする
見ると二羽のカモが茂みにいる
なぜ逃げないのかよく見ると一羽がケガをして飛べないのだ
しばらくすると一羽が諦めて飛び去っていった
残された一羽はごそごそ茂みの奥に隠れてゆく
そこで衰弱してやがて死ぬのだろう
自分には何もしてあげられない
朝から嫌なものを見てしまった 今年生まれたすずめの子たちはもう自力でエサを食べている
茂みの中に入って行ったカモはもう死んでしまったろう
今年はうちの巣箱は使われなかったようだ
いろいろな出来事がおこって時が過ぎてゆく シジュウカラが雛鳥を4羽ほど連れてきた
うちの巣箱は使ってくれなかったけど今年もちゃんと
子どもを産んだ
ヒマワリの種の殻を破って中身を取り出し一羽一羽に
与えてゆく
シジュウカラは子どもの頃からヒマワリを食べて育つのだな 今日は日差しが強くて亀池の脇に吊るしている雨傘を
広げてやった
これで日陰ができて日焼けせずに甲羅干しができる
どうも今年は産卵行動が見られないけど
いよいよ亀も歳を取って産卵の時期を終えたのかも 今日は亡き母ちゃんが生前植えた観葉植物のパキラを
一回り大きなプランターに植え替えた
玄関台に置いてあって光の方にぐんぐん伸びてゆき
大きく左側に傾いてしまっているけど
土台の土が増えたので当分は倒れないと思う
これであと数年は大丈夫だろうけどもっと大きくなったら
地面に置き換えないとならんだろうな
今日は母ちゃんの誕生日だった ヒマワリの種が補充しても綺麗サッパリすべて
食べられていてその食べっぷりからネズミだろうと思ったら
さっき確認した
頭から尻尾の先まで30センチ近くのネズミ
スズメからネズミにネコにタヌキと我が家にはいろんな
動物たちがやってくる
入れ代わり立ち代わりやってきて決して交わらない
誰の目にも触れることのない小さな楽園 チビ子の方が産卵行動で今年初めて穴を掘った
でも途中でやめてまた水の中に戻ってしまった
数日のうちに産卵するだろう
30何歳になってもまだ産卵とは
ものの本によるとミドリガメの寿命は35年とかあるけど
どうもあてにならない
50年かも70年かも100年以上なのかも
だれもほんとうの寿命を知らないのだ チビ子は今日もせっせと穴掘り
曇り空で産卵にはちょうどよい天気だけど
果たして卵がスムーズに下りてくるのか
産まないなら産まないで掘った土を埋め戻しておく
亀にも産みの苦しみってあるのだろうか
苦も楽も一条のあざなえる縄のようなもの