人生の楽しみ方
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2週間に一辺髪切りたい
ファッションをシーズンごとに変えたい
ヤマハの音楽教室通いたい
サーキットを走りたい
喫茶店に行きたい
スーパー銭湯行きたい
マッサージ行きたい
マスクが欲しい
手ぴかジェルが欲しい 自分偽ってても、
偽物しか寄ってこないし、引き寄せられないし、得られないよ? 結局、有事にどれだけ迅速で適切な判断が
できるかが企業の本来の力になります。 つまり、彼の持ち物でムダなモノなど何一つないということ。
最低限の量で暮らしているのです。
(絶対的な持ち物の多い少ないは、実はミニマリストにとって大切ではない) Nくんが一番ミニマリストであるポイントは、
「足るを知っている」こと。
いい意味で、いまのまんまで幸せだと思っている(はず)。
あまり多くを求めないのが、彼のスタイルです。
目の前のコトや、その日を楽しめていたら一番いいですよね。
だから、僕は自分がどんなに偉くなったり、クリエイターとして成功したとしても、彼には敵わない気がする。
だって
「ああ、おめでとう。まあ、オレはオレで楽しんでるけど」
なんて言ってそうなヤツですから。
またミニマリストと言うと、モノはやっぱり少ないのがいいみたいに思ってしまいがち。
でも、Nくんというケーススタディを通して
ミニマリストに、モノの多い少ないはそんなに大事ではない
ということが証明されました。
いや、やっぱナチュラルボーンミニマリストすごいわ。
今後も、彼から学んで行きたいと思います。
お読みいただきありがとうございます。 こんにちは。ミニマム志向型コピーライターのゆきたかです。
普段、広告会社でコピーライターをしております。
広告=ミニマリストの敵
と有名ミニマリストたちは全会一致で言っております。
(少なくとも、僕が読んだ著書では全員が)
しかし、それは事実ではありません。
事実は、
クソな広告=ミニマリストの敵です。
では、いい広告とは何なのか。
いい広告またはキャッチコピーは、新しいライフスタイル・価値観を提供するもの。
そのコピーを読んで、「そんな生活いいなあ」「価値を感じる」気づきのあるもの。
単純に、心を動かす力のあるものです。
強引に「売る」ことだけを考えた言葉はそもそも、生活者の心を動かしません。
しかしながら、広告は広告主がお金を払って出しているもの。
想像以上にこちらの、生活者のことを考えたクリエイティブ提案は聞き入れてもらえません。
世の中に流れる広告が大体クソな事情はそういうことです。
(そうじゃない、こうゆうことを言いたいと改変されるうち、世の中に流れてるような大体同じ広告になる) 人生は、自分が所有しているモノや、社会的価値ではない。
今日「しあわせに生きた」と思えるかどうか。
それは、足るを知るミニマリストの考えと近いです。 お宝鑑定団とか見てて、
そんな物いらんわ、ってのはある
「そんな物」に価値を感じない、認めない、分からない
「無形資産」も大事にしたい
大切なことは目にみえない お金を物に変えるのではなく
スキルをお金に変えていく ライフスタイルを充実させるための拠点を持つ(デュアルライフ) 本当に、欲しいものが買え、やりたいことをしていれば、人に優しくなれるはず トレーナーと常にコンディションについて綿密にミーティングする 仕事のやり方には3種類ある
・正しいやり方
・間違ったやり方
・俺のやり方 命を乗せて走る機械だ
好きな車で行くのが当然だろう プログラミングできる俺カッケー
作曲アプリ使いこなせる俺カッケー 僕らはいままでどれだけの
不要不急で満たしてきたのか。
やらなくていいこと
行かなくていいこと
やった方がいいこと
追い立てられて
右肩上がりだけが素晴らしいと思い込まされて
もっと大きく
もっともっともっともっと、と。
まだまだ、まだまだ!と。
辛いことがあっても
歯を食いしばって
弱音を吐かずに
耐えて耐えて耐えて
みんなやってるんだから
あのひとよりマシだ
贅沢言ってはいけない
楽して儲けてはいけない!
人を喜ばせないと!
期待以上のサービスを!
お金はガマンの対価だ!
好きなことしてるんだから贅沢言うな!
という洗脳。
もう、昭和も平成も終わった。 「がんばらないで」
「怠けよう、さぼろう」
「好きなこと“だけ”やろう」
「イヤなことはやめよう」 人はある行動に慣れてしまうと、新しい行動をとることが難しい ネット時代になって
実力のある人(身体能力や頭脳だけに限らずルックスや人に好かれる能力なども含む)が
報われる時代になってきてますね 自分が有能だったり、金持ちなことで仲間はずれにされるのが怖い 他人のことをとやかく言っても意味ないし、自分のレベルを上げてる方が有意義だ
世の中は他人に興味を持ちすぎてると思う 伝えたいことは、伝えないとゼロ
やりたいことは、行動しないと意味が無い いずれ衰える見た目だけを磨いて自分が30、40と年を重ねたときに、
自分には何が残っているのかってことを考えたときに、
本当に大切なのは内面なのではないか?と思う
だから見た目だけではなく中身を磨いて欲しい
内側から綺麗になれば、きっとそれが外見にも反映すると思う 10万円を100万円に出来る人と
10万円をただ溶かしちゃう人がいる 私に十分な勇気があったら、どんな行動を取るだろう? この困難な環境にあって、私たちのユーザはアップル製品を頼りに、
新たな方法で人と繋がり、情報を得、創造的かつ生産的であり続けています 人を豊かにする
人を幸せにする
人を成功させる
人をその人らしくする 自分が喜んでいく
本心で小さなコトを喜べるようになる 親に認められて、「やりたいようにやりなさい」というように愛されたい 最近は夢で癒される
今日は女子高生と仲良く言い争いする夢だった
論拠や言った言わないで怒鳴ってた 甥っ子の接待がリビングから自室に移りつつある
Wii Uで接待していたのだが、
27インチディスプレイでのamazonプライムビデオ、Apple Arcadeで接待し始めてる 関係性の複雑さや深さのレベル、微妙な違いを区別し、理解する 敏感な観察者なら、社会的な葛藤の状態は、その背後にある原因を癒さないかぎり解決できないことを、明白に見抜いています。 「処置すること」と「癒し」の違いは
前者は同じ状況がそのまま残ることに比べ、
後者はその微候から単に回復するだけではなく、むしろその状態の原因を完全に取り除き、状況を根本的に変えることで、臨床的にもよい反応を導き出すことを意味します。
高血圧症の患者さんに降圧剤を処方して症状を和らげることと、
患者の生活を改善させ怒りや自分を抑圧することをやめさせることはまったく違うものです。 この意識のマップを熟視していただくと、それらの表現が意味することに共感が生まれます。
私の希望としては、皆さんの喜びへ至る道がもっと短くなることです。
喜びの秘訣は、「自分自身も含めて、生きるものすべてに対する無条件のやさしさ」であり、これを思いやりと呼びます。
どんなに努力しても思いやりがなければ、有意義なことは何も達成できません。
個人的なセラピーから大きな社会的状況に至るまで、一般論的なことに対しても同じことがいえます。
患者は自分自身にも、また他の人々に対しても、思いやりのパワーを呼び起こすまでは、本当に治ったり、根本的に癒されることはありません。
そういう癒しが起きると、今までヒーリングされていた人が、きっとヒーラーになることでしょう。 600では、人類のためになることや、エンライトメント(悟り)が第一目標となります。 現実を変えたいと願うとき、僕たちはつい「行動」や「環境」から変えようとしがちですが、
より上位の「セルフイメージ」や「信念・価値観」が変わらないと、うまくいきにくいものなのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています