モノを捨てよ世界へ出よう
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時間だけあっても
生活を楽しむ術を知らなければ無価値 俺は弱い
人にすぐ影響される
逆に言えば付き合う人を選べば、化けるのか? そして、人が集まる
”人氣”がある方には
文字どおり
感謝や、貢献の氣持ちと笑顔に溢れています。
さらには、恩義を忘れないなど
いい意味で「執念深い」のです。 デザインに限らず、経済の為の経済、医療のための医療、消費のための消費など、
目的と手段のバランスを失わない唯一の手段は、
私たち一人一人が、自分の仕事の目的はそもそもなんだったのかを、日々自問することにある デザインしなければならないのは、
モノそのものではなく、それを通じて得られる経験だ 少しでも多くのモノをつくって売ろうとなると
いちばん安易なところにチューニングしていくしかないじゃないですか
しかしそれは、確実に目的を見失いますよね そもそも模型なんて生活必需品ではない
僕らのような仕事がなくなったところで、誰も困りはしないでしょう
だからこそ、つくる側が楽しんでいなかったら嘘ですよね 「どうしてもこれをつくりたい1」という
つくり手の気持ちの鮮度 空間が、人々の働き方やクリエイティビティに強い影響を与える 今は長い時間を掛けて、社会があたらしい課題を探している時期だ
モノがあること、あるいはお金があることが豊かさではないことは分かってきた
では次に目指すべき豊かさは、どこにあるのだろう >>400
前はもっと自分の個人的なイメージだけを追いかけていました
足元が大事だと言いながら、実際には村の蒸らしはあまり見ていなかった
でももう一度、立ち戻らないといけないなと思っているんです 「働き方」が変わることから、
世界も変わる可能性もあるのではないか 観察精度が上がると、引き摺られる形で、本人のデザインの精度も高まっていく 完成度の高い仕事には、その働き方の随所に、
物事に対する観察力を高め、解像度を上げる工夫があらかじめ含まれている 映画『グレート・ブルー』の監督リュック・ベンソンと俳優のジャン。レノ、そして音楽を担当したエリック・セラの三人は、
撮影が始まる前の2ヶ月間、地中海の海を巡りながら毎日ダイビングを繰り返したという
主人公はどんな気持ちで海に潜るのか、自分たちはなぜこの映画をつくるのか、なぜつくらなければならないのか
これらについて語り合い、感じ、体験を深く共有する時間を重ねたそうだ モノを通じて、自分が大事にされていることが感じられるデザイン カメラのシャッターの感触
PCのキータッチ
車のドアが閉まる音 そもそもデザインとは、コーヒーカップそのものではなくコーヒーを淹れて飲むことの幸せや
車そのものではなくドライビングの喜びを対象とする仕事だ
経験をデザインするということ。五感の豊かさは、人生の豊かさでもある 小さな失敗を出来るだけ多く、具体的に重ねることに注力 ほかの人の成功事例を真似することが、
必ずしも自分の成功を約束するものではなくなったのが、今の時代です 徹底的なテストでクオリティを高めていくことが、本物であることだと思っています
私たちはマーケットの売れ行きに応じてデザインしているワケじゃない
それを使う人が実際に何を求めているかに、常に関心があります 次の時代を探し出し、形にしていくための、新しい人材と方法 目の前に何が来ても対応出来る、根源的な考え方を持つ いい視点はそれが見いだされた時点で、アイデアの展開に入り始めている 家族と今一度向き合う
自己肯定感を上げる
「私たち」の意識の共有 「職人」でいたい
「商売人」でもありたい
「ブロガー」でありたい。「記事を書く人」「ブログをつくる人」でありたい 時間をかけることによってのみ達成出来る仕事が確実にある 「こんなもんでいいでしょ」などと人を軽く扱うな!という怒り 自分にとって得か損かの利害感覚を手元に引き付けることができない人間は結局何もできない
エゴイズムが核にない人間ほど、薄っぺらい理想に吸い寄せられて身につかないきれいごとで自分を慰めるもの あらゆる物事に白黒をつけようと躍起にならないこと
世の中にはいい加減にしておいた方がいいこともある
間断なくせきたててくる世間の要請は要請として、必死にならないこと 西海岸SF−サンホセまでのも同じく発展、格差の街だったが
ニューヨークからフィラデルフィアにかけても同じだ。
中国の上海を南下し海岸線の商業区の規模、発展具合はすさまじい。
無数にある市町村都市の物質的な発展は日本より10年進んでるかもしれない。
小さく狭い日本で最大の経済都市の東京なんて一つの都市に過ぎないくらい。
簡単に抜かれたんじゃないかと思えるほどの豊かさと規模と壮大さ。
色々な民族がごっちゃになっていていろんな奴がいすぎて
日本の常識などまったく充てにならないし通じない。
プロフェッショナル階級と呼べる社会的に成功してる人間が驚くほど多く
ダイナミックな行動に出る人がいっぱいいた。
だが内陸の自治体に入ると昭和時代の生活をしているような農民もいる。
これはアメリカにも言える時代についけいけないついて行こうとしない人々が今もいるのだ。 町も人も格差があるのってそんなに悪いことだろうか・・・?
凸凹の社会もいいなあと最近思う。貧民が住むエリアがあってもいいと思うよ。
昔の日本には貧乏な路地裏があって誰だったかな実に良かったと言ってたな。
路地裏にはビンボー人、ヒマ人、ヘンタイ、ゼンカ者、ホモ、ブス、淫乱女、何でもいた。
隠れたいときに隠れ場所があるのはいい。 韓国は埃っぽい街、どう見ても昭和の日本そのものだった。
会社、商店、あらゆる人間を見ても30年前の日本と言われても納得。
個人の良識も先進国として見たら怪しいモノ。
売り物の上に座ってタバコをふかしながら接客する百貨店の服屋には笑った。
日本人に近い顔だが日本人にない押しの強さは凄かった。 それが強み。
街中タバコの吸い殻だらけだ(中国もだが)
中国は北京や海岸線の商業区の規模、発展具合はすさまじい。
豊かさから来る都市の物質的な発展は日本より10年くらい進んでるかもしれない。
東京余裕で抜かれたんじゃね、って思えるほどの豊かさと規模と壮大さ。
人間はいろんな奴がいすぎてまったくアテにならない。
人の良識・マナー・精神性、怪しいもの。
社会的に成功してる人間でも驚くような行動に出る人もいた。
ひとたび内地に入ると昭和以前の生活をしているような農民もいる。
アメリカは、職場環境が日本と比べても信じられないくらい整備されていた。
社会的に人種差別が問題になり、政府や社会が全力で対策を講じてきた成果が大きいと思われる。
日本人の勤め人で、環境が合わないんじゃないか、今の職場が合ってないんじゃないか
という人間はアメリカのある程度きちんとした会社に入ってみてほしい、と思うくらい。
恐らく働いていて精神的に追い込まれそうな事柄や鬱になりそうな要素が未然に防がれている点が素晴らしい。
個人主義の国と言われているが、決してスタンドプレーをするという意味ではなくて協力するときの団結力
役割分担の迅速性正確性は日本人より上。正直、一番カルチャーショックを受けた国。
物質的なものは、肩を並べるくらい日本も強いけど、精神的なものは50年くらい先を行ってるんじゃないだろうか。
欧米人が持つ、分析的思考能力は人が暮らしやすい面にここまで活かされていたのかと感動。
アメリカから日本に帰ってきたときは、日本から韓国や中国に行ったときのような感覚を覚えた。
借り物の資本主義をまとって必死に着こなそうとしている自分の国の姿だった。 ですよねー
大体、英語やフランス語を話せるなら、わざわざ日本語覚える必要もないと思うし
日本語覚えるって、簡単にいってもねぇ…
それに苦労して覚えても、日本1国でしか通じないのに… 日本は単一民族国家である故に
外国で色んな人種が同じ場所にいるだけで
それを「多様な人種の共存」なんて馬鹿なことを真顔で言ってしまうんだよな
アメリカなんて坩堝だのサラダボウルだの言っても実際は共存なんてしてないのに
黒人は黒人だけ、アジア系はアジア系だけ、ヒスパニックはヒスパニックだけで固まって暮らしてる 俺は他の人種に対し排他的になることには大反対だが
やはりお互い違う人種のカルチャーには必要以上に介入しては
いけないっていうのがアメリカの暗黙のルールなような気がする。
これって滞在期間が長いほど実感するし
日系二世や三世はもっとこの暗黙のルールを守ってる気がする。 進んでると思うことが、ある方面の価値観から見ると
遅れてることだったり、その逆も然り。
自分が思うに、これ以上人間に進化はない。
あるのは進化という名を借りた「変化」だけ。
地球環境というデカイ視野で見れば、
アメリカみたいな資源をドカ食いしてる国がとても進んでると思わない。
中国も同じ。 BTW米長期滞在から帰って1、2ヶ月だけど日本はホントに狭苦しい。息苦しい。
TVがイヤ。NHKのニュース、イヤ。一番不満足なのは美的感覚、空間感覚の貧しさ
日本人は街を作るのに美的感覚なんで全然駆使できないの
日本の空間感覚は壊れてる、ゆとりがない、汚い。
国民性はますますこせこせ、心の豊かさとは逆方向、貧しい方にらせん状に退化。
会社のオフィスは息苦しくて、無意味な相互監視ばかり
少しはましな外資系以外はどこにも就職したくなくなる
職場に醜悪な差別的システムがはびこって労働格差も拡大して最悪
若者の心が汚いし、中年の心が醜い 逆に日本は儒教や中国の思想家や仏教の授業やらなすぎかもな。 日本人の一般の人は誰かが開拓してパンフレットにしたような
安全なところにしかいかない印象がある。
結構保守的。
アメリカの白人一般人は開拓開拓で冒険野郎が多い。
黒人の一般人は可哀想だけれど、
お金がなくて旅行に行けてない印象。 フランス人がよくアメリカ人は低教養の上に無礼だとビデオをアップしてる
上はとんでもなく凄いが半分は想像を絶するほど傲慢で馬鹿な人がいるのがアメリカ 日本は確かに何もしない人や無責任な人や犯罪者には徹底的に優しい社会
でも、何かしたい人や責任を取りたい人や犯罪被害者には徹底的に冷たい アメリカの特徴は、大半が田舎だということ。
都会より田舎に住んでいる人のほうが圧倒的に多い。
したがって、車が不可欠。道路や家が広々としている。
家の周りに緑が多い。
仕事よりもプライベートを充実させる人が圧倒的に多いし、NYなどを除いて、
それがごく当たり前のことと思われている。
金がなくてもそこそこいい暮らしができる。
日本は、とにかく金がすべてのような風潮。
金を得るためにはいい職業につき、猛烈に仕事をする。
いい職業のためには高学歴。高学歴のためには、小さい頃から勉強中心の生活。
なんだか夢がないね。 アメリカと日本は異なる国
遅れてるとか進んでるという比較は不可能 そんな時は
周りを見ればいいと聞いた
素敵な人がまわりにいたら
自分も素敵な証拠なんだって 世間の多くが「お金」に関する動向なので、
お金から少しでも離れられると外からの影響力が弱まっているように感じられます が、申し訳ないけど僕は次のステージに行く
何かを始めるには、何かを辞めなきゃならない。変化とは捨てること、か ヤマハの発表会に行った
「音楽は楽しい」
そういうメッセージをきっちり受け取れた >>27
人の飢えを見抜き、エサを見せて掌握する
コントロール=支配 本当に求めているものは
他人との良好な関係
かも
認められたい、肯定されたい、つながりたい >>72
無職だから持てる考え方
俺らしさ
「本当はどうしたい?」「その為に何をする?」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています